皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
していません。ご注意を!
人並由真さん |
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平均点: 6.33点 | 書評数: 2106件 |
No.1106 | 6点 | ベアトリスの死- マーテン・カンバランド | 2021/02/23 06:31 |
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(ネタバレなし)
その年の11月のある朝。パリの一角で、30歳前後の裁縫職人の女性ベアトリス・レイモンの惨殺死体が発見される。パリ警視庁のサチュルナン・ダックス警視とその部下たちが捜査を開始し、被害者ベアトリスは、2年前にたまたま知り合った孤独な老人ロベール・カルヴェと男女の関係は抜きに、ルームシェアをしていたことが判明する。カルヴェは娘のように思っていた被害者の悲劇をサチュルナンたちの前で悼むが、なぜかその後ですぐ姿を消した。さらにサチュルナンのもとに中年の私立探偵ジュール・デシャンから連絡があり、ある人物の依頼でベアトリス殺害事件を調べていた若い相棒クロード・トムスンから連絡が途絶えた、と訴える。 1956年の英国作品。パリ警視庁のサチュルナン・ダックス警視シリーズの長編22作目。 英国作家ながら作者マーテン・カンバランドは、フランスを舞台にパリ警視庁の警視サチュルナンを主人公にした多数の連作シリーズで、欧米での支持を獲得。一時期はかなり人気があったようだが、日本への翻訳長編は本作をふくめてわずか2冊(もう一冊は、旧クライムクラブから刊行の『パリを見て死ね』)。 21世紀の現在では、ほぼ完全に本邦のミステリファンから忘れられた作家だが、実はあの伝説的なミステリエッセイ集で、近年もまた復刊された名著「深夜の散歩」にも登場。福永武彦がクリスティーやブランド、ガーヴ、マリックやチャンドラーなどの錚々たる巨匠・人気作家たちの新作(当時の翻訳された新刊)に続けて、同格の作家として、このカンバランドの邦訳2冊を語っている。 もちろん当時のリアルタイムで福永の目についたのであろう作家、というアドバンテージはあるのだが、それ相応の作家の格を実感させる事実ではある。 (逆に言えば「深夜の散歩」中で、もっともマイナーな作家・作品だろう。先年の復刊で初めて「深夜の散歩」を手にした若い世代のミステリファンの大半は、……カンバランド……誰だこの作家? 状態だったのではないか。) ちなみに評者も今回初めて、以前から読もう読もうと思っていた本作でようやくこの作者の著作に触れた。 パリ警視庁の要職刑事が主役探偵という大設定ゆえ、くだんの福永武彦も、また本書の巻末の解説を著した植草甚一もそろってメグレとの比較を話題の大きなひとつにしているが、似てる部分は皆無ではないにせよ、雰囲気はだいぶ違う。メグレの渋い、そして読みながら精神的な信頼と共感を預けたくなるようなキャラとはやや趣が異なり、美食家で大食家の巨漢、さらに以前はピアニスト志望だったが大戦を機に断念してパリ警視庁に入庁した経緯を語るサチュルナンはもう少し陽性にカリカチュアライズされた、作られたフィクションキャラクターの印象がある。人物像はこれ一冊ではなんともいえない面もあるが、少なくとも嫌悪感を抱く描写などは特にない。 むしろ本作での探偵側のキャラクター描写としては、サチュルナンの副官で副主人公的な若手刑事フェリックス・ノルマン警部補の方が、いい味を出していた。フェリックスは捜査の流れで被害者ベアトリスの妹アルレットに接触、公務をわきまえながらも次第に互いに好感を抱きあっていき、このサイドストーリーも本作の持ち味のひとつとなっている。詳述は避けるが、人間臭いそして(中略)なフェリックスの描写が印象に残る。 捜査ミステリとしては、ベアトリス殺害事件がはらむフーダニット要素は最後まで貫徹。しかし少しずつ事件の重心は推移し、終盤ではなかなか意外な悪事の真相が露見する。本作はこの作りがミソ。 (もちろんここではあまり詳しく書けないので、興味と機会があったら一読願いたい。) 個人的には、ああやっぱり、フランスを舞台にしても、戦後に書かれた新世代の英国パスラー(またはパズラー要素の強い警察小説)の系譜だ、という感じであった。 ただし被害者ベアトリス本人の周辺をもう少し捜査すべきでは? とか(たとえば彼女の仕事関係の人々への事情調査の描写などなかったような?)、最後の(中略)ダニットの投げっぱなしぶりはソレでいいの? とか、妙に整合されていない、悪く言えば雑な感じも見受けられた。なかなか面白かった反面、弱点もある、という作品か。 翻訳は、ヘミングウェイ作品を多数手掛けている高村勝治が担当。ミステリの翻訳はそんなに多くない人だと思うけれど、全体的に品格がありながらテンポがよく読みやすくかった。 |
No.1105 | 6点 | 夜の追跡者- 結城昌治 | 2021/02/22 06:05 |
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(ネタバレなし)
ベトナム戦争の行方や沖縄返還問題が人々の毎日の口頭に上る1960年代の後半。法廷で持ち前の正義感が暴走した青年弁護士、五郎高根は一時的に弁護士の免許停止処分を受けていた。そんななか、男女の関係にあるバーのマダム、利奈子が、彼女の知人である別の店のホステス、マヤ子を紹介する。マヤ子は五郎に相談事があり、それはたまったツケの回収を凄腕の取り立て屋「内気なジョー」に依頼したものの、ジョーは取り立てた金をこちらに渡さず口実をもうけて独り占めしてるので、何とかしてほしいというものだった。五郎はジョーこと本名・西野のもとに赴き、適正な金額のマヤ子への支払いを約束させる。だがこれが五郎を、彼の思いも寄らない連続殺人事件にひきずりこんでいく。 角川文庫版で読了。同書巻末の清水信なる人の解説によると「サンケイ・スポーツ」の1967年12月から翌年3月にまで連載された、新聞小説だったらしい。 苗字とファーストネームが逆転したような名前で、ジンが好きな半ばアル中、しかし金のためよりは、おのれの心の充足と倫理感を優先して仕事をする主人公・五郎はなかなか魅力的な和製ハードボイルド主人公になっている。 文体は全体的にハイテンポ。幅広い読者を対象にした新聞小説だけあって会話と改行は多いが、五郎本人の内面(局面ごとに何を思うか、とか、心がけているモットーとか)はさほど直接描写はされず、口に出た物言いや行動の叙述などから読者が彼の心情を読み取るのが基本。この辺はきちんとハードボイルドっぽい。 ミステリとしてのストーリーは、軽くて描写も浅めなようだが、その実、虚偽の証言や不透明な観測などに遮られながらかなり錯綜。ある意味では、中期以降のロスマクみたいな趣もある。 前述の角川文庫版の清水解説では、全体的に男性キャラが弱い反面、個々の女性が書き込まれた作品、という主旨の賞賛をしている。個人的には言いたいことはわかるが、そこまで単純に二元化できないな、という感じ。 主人公・五郎のキャラクターの厚みを語る上で意味がある利奈子や、もうひとりふたりのメインヒロインはそれなりに印象的なものの、あとの女性たちは存外に記号的な女性キャラで作中のポジションだと思えた。 (反面、小心もので、堅気になりたいと願う巨漢ヤクザ「殺し屋ハリー」なんか、単発の男性キャラとして、いい味を出している。) 終盤の展開はパワフルなものの、実は(中略)だった……の真相露呈や、中盤からの(中略)トリック、そして出すのが遅すぎる印象の伏線や手がかり……などなど、まとめかたはちょっとしくじった感じもないでもない。 ただまあ、二流弁護士を主役に和製ハードボイルドを語り、その枠のなかで事件や物語にミステリとしての興味やギミックを仕込んだ点ではそれなりに込み入った、妙に歯ごたえのある作品ではある。 (楽しめたか? と言われると、諸手を挙げて万歳、肯定というわけには、いかないのだけれど。) |
No.1104 | 10点 | フォン・ライアン特急- デビット・ウェストハイマー | 2021/02/21 17:11 |
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(ネタバレなし)
1943年半ば、世界大戦のさなか。36歳のアメリカ空軍大佐ジョセフ(ジョー)・ライアンは南イタリアの戦線で爆撃機に搭乗していたが、敵の砲撃を受けて敵陣内に不時着し、イタリア軍の第202捕虜収容所の一員となる。同収容所の1000人近い米英軍人の捕虜のなかで最高の階級のライアンは、そのまま自ら捕虜の代表責任者に就任。それまでのリーダー格だった英国軍人エリック・フィンチャム中佐たちの不満もよそに、捕虜たち全員に適切な軍規と規則正しい生活を指導。捕虜たちの大半から「フォン(「貴族」を表すドイツ語が転じて、頑固者、融通が効かない男)・ライアン」と呼ばれるようになる。やがて43年9月にイタリアが降伏。1000人近い捕虜たちは解放を確信するが、彼らを待っていたのは、イタリアを制圧したナチスドイツによる過酷な収容所行きの軍用列車だった。「フォン」ライアンとフィンチャムたちは、ドイツ軍管轄下の列車を乗っ取り、連合国側または中立国への脱出を図る。 1964年のアメリカ作品。 米空軍の軍籍を持つ作者ウェストハイマーが執筆した当時の大ベストセラー、戦争冒険エクソダス小説で、作品そのものが刊行されないうちから映画化権が20世紀フォックスに売れて、フランク・シナトラの主演(ライアン役)で映画化された。 評者は青年時代にTV放映で同映画を観賞。めっぽう面白かったとは記憶しているが、その時点で原作は終盤の展開が大きく異なるとすでに知っており、いつか読みたいと思って映画スチールのジャケットカバー付きのポケミスを大昔から入手していた。そして実際に読むのは、くだんの映画を観てから数十年後の現在になってしまった。 し・か・し……なにこれ! いまさら大昔に観た映画との比較なんか素直にはできないが、少なくともこの原作小説は最強・最高に面白い!! 小説の前半は202に収容されたライアンによる同所の掌握(もちろん健常な、規律的な意味での)に費やされ、自分をふくむ読者の大半が期待する軍用列車の乗っ取りと脱出行に突入するまでにはかなりの紙幅が費やされるが、しかしこの部分がすこぶる読ませる。 スーダラな生活を送りたい収容所の捕虜たちの大半と軋轢を重ねながらライアンが所内の改革を継続し、同時に良くも悪くもゆるかった収容所監督のイタリア軍ともわたりあう。ときにスリリングにときにユーモラスにひとつひとつの事案の推移を語りながら、一方で後半の布石となる群像劇としてライアンをはじめとする多数のキャラクターの肖像を描き出していく筆の巧妙さ。 この前半だけでも十分に戦争シチュエーション小説として読み応えがあったが、さらにその前半を基盤にしながら、二転三転どころか九転十転くらいの大中の山場を設けて展開される本作の本領たる後半の一大脱出劇。捕虜側内部の密な連携と相応の齟齬を軸にしながら、戦時中の敵の領土内のダイアグラムを探索、操作するサスペンス、想定内のものも予期しないものもこもごも踏まえて、自由と生を求めるライアンたちの障害となる数々の要因……。そして怒濤のクロージングへと。 はい、まちがいなく、これは大傑作。 二十世紀に書かれた第二次大戦ものの戦争冒険小説のトップ3は ①フォン・ライアン特急 ②アラスカ戦線 ③女王陛下のユリシーズ号 もう、これでいいよね、と、問答無用で断言してしまおう(笑)。 (次点はヒギンズ=グレアムの『勇者たちの島』あたりか。) なお本作は80年代に、ライアン主役の続編が書かれているはずで、その情報を大昔にミステリマガジンの海外ニュース記事で読んだ覚えがある。なんかの弾みで、今からでも翻訳出ないかな~(かなり望み薄だとは思うが)。 まあ戦争冒険小説版『黒衣夫人』(しばらく再読してないが)とか『ウルフ連続殺人』みたいになってる可能性もなきにしもあらずではあるけれど、それでも本当になおも健在なファン・ライアンの勇姿を今一度、この目で確かめたいぞ。 |
No.1103 | 6点 | 暗い道の終り- ドロシー・S・デイヴィス | 2021/02/20 07:07 |
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(ネタバレなし)
1960年代半ば。マンハッタンの一角にある町の教会。教区に赴任して11年目の四十がらみの助任神父ジョゼフ・マクマハンは、知人の少年カーロスから、近所に重傷の男がいると知らされた。マクマハンが急行すると、刺された男性は最後にわずかな会話をマクマハンと交わし、しかし自分を刺した者の情報は何も告げずに絶命した。まもなくマクマハンは、殺された男が「ガスト(ガス)・マラー」と呼ばれ、この一年半ほど近所の会堂の門番として働いていたことを知る。マラーは短期の在住ながら土地の一部の人々と密な親交があり、さらに男女の関係になっている人妻さえいた。マクマハンは偶然の縁故を契機に、生前のマラーと周囲の人々について探索を始めるが。 1969年のアメリカ作品。 作者のもう一冊の邦訳『優しき殺人者』は少年時代に買った覚えがあるが、未読のまま家のなかで見つからない。従ってこの作者の作品で読むのは、1~2年前にWEBで安い古書を購入した本書が、最初になる。なお本書の邦訳の作者名は「ドロシイ・S・デイヴィス」標記。 作者デイヴィスに関しては、本サイトの『優しき殺人者』のレビューでminiさんが語ってられるとおりだが、本作『暗い道の終り』はその10作目の長編。たぶんおそらくノンシリーズ作品だと思う(マクマハン主役の作品がこのあと皆無だとは断言できないので、一応、そういう言い方をしておく)。 それで本作の主人公マクマハン神父は、いわゆる広義の探偵役ポジションだが、物語のなかではことさらマラーを刺殺した犯人を探そうという原動などはうかがえない。もちろん警察の方も独自に捜査を進めており、マクマハンに関しては社会的に信頼できる聖職者が邪魔にならない程度に動くかぎりはほうっておく、くらいの感覚である(ただし、青年刑事のフィンリー・ブローガンとマクマハンが妙な感じに意気投合する描写はある)。 つまりマクマハンの調査や探求はきわめてナチュラルに故人の周辺を覗き込む感じで、町の人々の方も、聖職者が亡くなった者のために一種の供養をしてくれているという風に受け取っているのか、この調査にきわめて穏やかに付き合う。 言ってしまえば、そういった渋い地味な叙述が語られ連ねていくだけの小説なのだが、これが妙に先を読みたくなるノリと味わいがあって悪くない。おおざっぱにわかりやすく(?)言うのなら、アメリカの都市感覚にアレンジされたシムノンのノンシリーズものか、グレアム・グリーンみたいだ。 被害者マラーとの関係性から始めて、数人のメインキャラが作中に登場。マクマハンの視線と関心は死んだマラーのみならず、いまも生きているそんな彼らにも向けられてゆき、おのおのの内面とも触れ合う。そしてそんな叙述の集積の果てに、マラーの死についての<意外な真相>が語られる。 かなり普通小説に近い造りではあるが、同時にこれなら十二分に広義のミステリともいえる作品。ある種の文芸ミステリという感じで、その意味で味わい深い。 本国アメリカではかなり評価されたらしく、刊行年のMWA長編賞候補にもなったが、最後は惜しくもフランシスの『罰金』と争って受賞を逸したという。 (そういう評価が日本にも聞こえてきたから、『優しき殺人者』以来、この作者の著作が久々に翻訳されたのであろう。) 翻訳ミステリジャンルの裾野の広さが許せるタイプのファンなら、たぶん楽しめるかもしれない作品、だとは思うが。 |
No.1102 | 6点 | ケイリン探偵ゆらち 女流漫画家殺人事件- 高千穂遙 | 2021/02/20 01:57 |
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(ネタバレなし)
人気アイドルグループ「ODAIBA60」の常連センターだった「ゆらち」こと大星由良は、新たな世界に挑戦しようと、芸能界を卒業。ガールズケイリン選手となった。まだ明確な成果を出せないまま精進を重ねる由良だが、そんな時、叔父で彼女の師匠であるベテラン競輪選手・捲(まくり)五郎が、殺人事件の重要参考人となる。五郎は大人気の女流漫画家、立科姫子が構想中の新作青春競輪漫画に際して、彼女の取材に協力していたが、その姫子が何者かに殺害されたのだ。ミステリ好きの由良は五郎の潔白を明かすため、自分の大ファンである警視庁警部・南大寺定信の協力を仰いで、事件の捜査に関わるが。 消費税108円時代の末期に、ブックオフの100円コーナーで発見して購入。その時点まで作品の存在も知らなかったので、へえ、あの高千穂遥がこんなものを書いていたの、という気分であった。 作者のサイクリング分野への傾倒ぶりぐらいは評者でも前から知っていたので、その素養を活かしたキャラクターミステリだろうというのは一目瞭然。 しかしその辺りは大枠程度というか必要十分程度には抑えながら、むしろ作品の本題は、21世紀の出版不況と、漫画界の裏側。 そっちの方に関しても、さすが、何十年にわたって漫画やアニメなどのジャンルとも密接に関わりあいながら飯を食ってきたベテラン小説家だけあって、細部のリアリティはかなり生々しい。 ただしミステリとしては、とにもかくにもフーダニットの謎解きの形をとりながら、終盤近くで明かされる(中略)や、かなり遅めに出てくる(中略)など、ちょっとキビシイところもなくもない。いや、ひねりをきかせようとしている工夫のほどは、感じられるんだけれどね。 ヒロインのゆらちは、元アイドルの女子競輪選手、アマチュア名探偵という設定が、まだまだ十二分に生かされていないような印象(大人気アイドルだったというある種の特権を活かして関係者の口をかたっぱしから開かせまくる図は面白いような、さほどそうでもないような……)。 よくいえばキャラクターミステリの主人公として、もっとのびしろがあると思うので、しばらく間が空いてはいるけれど、シリーズ第二弾も書けるなら書いてほしい。 (できましたら『ダーティペア91(くのいち)』のマトモな小説版も、いっしょに執筆&刊行をお願いします。) 評点は0.5点オマケ。 |
No.1101 | 7点 | オー!- ジョゼ・ジョバンニ | 2021/02/19 05:58 |
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(ネタバレなし)
1960年前後のパリ。長らく裏の世界に首を突っ込んでいる30代半ばの元レーサー、フランソワ・オラン。今の彼は、同じファーストネームのギャングの顔役、フランソワ・カンテの運転手を務めていた。そのカンテからは名前を区別するため、苗字を縮めた仇名「オー!」(日本語で、まともに本名を呼ばず「おい」という感覚)で呼ばれ、カンテの腹心の殺し屋コンビ、シュバルツ兄弟からも軽く扱われるオラン。だがある日、親玉カンテが事故死する。そしてケチな盗みで逮捕されたオランの境遇は、それを契機に、思いも寄らない方向へと大きく変わり始める……。 1964年のフランス作品。現状でAmazonに登録はないが、ポケミスの1070番で、初版は1969年3月31日の刊行。 自分が先に読んだ『暗黒街のふたり』は純粋なジョバンニの著作とは言い難いので、これが評者がマトモに読む初めてのジョゼ・ジョバンニ作品ということになる。 本編の読了後にポケミス巻末の訳者・岡村孝一の解説に触れると、コルシカ野郎が登場しない、義理と人情といった主題などが表面に出てこない、などという点で通常のジョバンニ作品の主流からはやや外れたものという意の言及があるが、少なくとも自分が読む限り、コルシカ男はともかく、義理と人情云々の方は不足ということはない。 むしろ随所ににじみ出るその種のメンタリティが、この青春小説っぽい(主人公は青年と中年の中間ぐらいの年齢だが)クライムノワールを魅力的に感じさせた、大きな要因のひとつになっている。 ストーリーは、米国の古典クライムノワール、W・R・バーネットの『リトル・シーザー』ほか多くの秀作・名作が存在する<暗黒街での成り上がり譚>だが、本作の場合は、もともとは野心も実力も中途半端だった主人公オランが、当人の主体的な能動というよりは、むしろ妙な好機の巡り合わせと状況の勢いのなかで、おのれのスタンスを高めていく。 (ここらは、作者当人が実際に暗黒街に身を置いていた経歴だからこそ、書けたリアリティや臨場感といった部分も多いだろう。) それでも中盤の山場となる(中略)のくだりで、オランは暗黒街での高評価を獲得。ソコはたしかに当人の才覚の賜物ではあるのだが、しかしそれも「ホントにこんなことありうるのかよ?」というコミカルな味わいが叙述のなかに読み取れて、どっか「なんちゃって」な感じが強い。 つまり結局は、長い長いビギナーズラックのまま勝ち進んでいく、そんな緊張感と不安定さがたえずオランにつきまとう感じで、彼自身の行方も、さらには彼の周囲で芽生えたり変遷したりする人間関係の綾も、みんなそうしたはかなさときわどさの上に築かれていく。そんな物語の流れだからこそ、この作品はときに切なく、ときに妙にコミカルで、そしてときに読者を泣かせる。 なお評者はベルモント主演の映画は数年前にDVDで観て、けっこう楽しんだが、この原作小説は後半の展開が大きく異なる。映画も決して悪くはなかったが、深いところまで踏み込んだいくつかの文芸ポイントゆえに、こちらの情感を揺さぶったのは、ずっとこの原作の方が強かった。 (後半、ややこしい状況のなかのオランが、サーキットレース場という場で、あくまでほんの刹那、生き生きと描かれるあたり、作者の筆が熱い。) さて、実質的に初めてのジョバンニ作品がコレだったというのは、長い目で見るとよかったのかな、それとも? その辺を確認するためにもまた近々、買ってある作者の作品をもうちょっと、手にしてみよう。 |
No.1100 | 5点 | レッド・サタン殺人事件- 永守琢也 | 2021/02/18 06:13 |
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(ネタバレなし)
交通事故で両親と死別した少年・月山翔とその妹みどりは、九州の祖父に引き取られた。現在は東京の大学で剣道選手として励む翔。そんな彼には、アマチュア名探偵というもうひとつの顔があり、すでに現実の事件を解決に導いた実績があった。その翔に、同じ大学のミステリー研究会の代表で学生作家でもある目黒広希が接触してきた。そしてそんな彼らの周囲で、一種の密室状況? といえる殺人事件が発生する。 本サイトで評者が4年半前にレビューを書いた2016年の新刊『黒い騎士殺人事件』、それに先立つ月山翔シリーズ2冊分のうちの先行作(なお『黒い騎士殺人事件』の方は、作者がペンネームを変えて、永田文哉の筆名で刊行)。 つまりこの『レッド・サタン殺人事件』(2004年)が翔のデビュー編ということになるわけだが、もし本作が作中の時系列順でもいちばん早いのなら、今回の物語以前に翔はすでにいくつかの<語られざる事件>を解決して、アマチュア名探偵として名を挙げているという設定になる。 まあそれはとりあえずどうでもいいのだが、先に読んだ『黒い騎士~』が、あまりに破壊力のあるバカミストリックっぷりだったので、今回もそのティストを期待したが、大ネタがいちばん最初の伏線というか手がかりを与えられた時点でもうバレバレ。 さらに自分は帯付きの状態のいい古書を購入して読んだのだが、ソコ(本の帯=腰巻)に書いてある思わせぶりな惹句も悪い方向に働いて、あまりにも早々と犯人が見え見えになってしまった。 (いや、くだんの帯には、具体的にどうのこうのと、犯人の情報を書いてあるわけじゃないんだけどね。) 残念ながらトータルとしての謎解きミステリの求心力は、『黒い騎士~』のときの半分のインパクトもなかった。 とはいえ実はこっちを読み終えてみると、その『黒い騎士』に対しても改めて思うことがじわじわ頭に浮かんできたりする。まあその辺は、ここでは詳しくは書けない。 (中略)ならわかってくれるだろうか。 ただし2つめの殺人は、それなりに細部での演出を工夫しようという意欲は感じる。しかしそうなると今度は、情報の後出しなどが気にかかってきて、アレなんだけれど。 そんなこんなの一方で、小説としては『黒い騎士』よりも、先行するこっちの方がなんかこなれがいいような気もするよ。こちらでは警察も、まあまあ自然にストーリーにからんでくるし。 ヘボミスなんだけど、ダメミスとは言い切りたくないところもある作品。 しかしとにかくミエミエの中盤は、本当に退屈であった。 後半~終盤の微妙な盛り返しだけは評価して、この評点で。 |
No.1099 | 7点 | 渦まく谺- リチャード・マシスン | 2021/02/18 03:01 |
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(ネタバレなし)
「私」こと、カリフォーニア(本文表記)にある航空会社の宣伝部員で27歳のトム・ウォレイスは、身重の妻アン、幼い長男リチャードとともに、職場近くの住宅街で平穏な日々を送っていた。ある夏の日、アンの弟でカリフォーニア大学で心理学を学ぶ青年フィルが来訪。近所のホームパーティの場でフィルは一同の前でトムに催眠術をかけ、トムの心の奥に眠っていた少年時代の記憶を呼び起こした。それだけなら良かったが、帰宅したトムは自宅の中に立つ謎の見知らぬ黒衣の女性と対面。しかもその女性の姿は半透明で、向こうが透けていた……。そしてその時を機会に、トムは未来の予知や他人の思考の読解が可能なようになる。さらに……。 1958年のアメリカ作品。 この作品に関する話題でちょっと長くなるが、かのミステリ評論家アンソニー・バウチャーは、1950~60年代に毎年、その年の傑作長編を1ダース強、選定(日本語の記事では「スリラー小説ベスト13」とか紹介されている企画)。 そのベスト作品の一覧は現在もどこかのミステリファンのwebサイトとかでもリファレンスできるかもしれないが、いつだったか、かなり前のミステリマガジン誌上で、この<バウチャーが選んだ、毎年のベスト作品、その総リスト>を、翻訳のあるなしの注釈つきで掲載したことがあったと記憶している。 そのリスト記事内では当然のごとく錚々たる歴代作の名がならび、さらに未訳の書名や評者がまだ未読のタイトルも多数列挙されたが、そんななかで気に留まった作品のひとつがこのマシスンの『渦まく谺』(邦訳の作者名はリチャード・マティスン表記)だった。 というのは、これがポケミスではなくハヤカワポケットSF(初期のハヤカワ・ファンタジイ)の叢書の方に入っていたからで、リスト記事を初見時「はてSFミステリだろうか? どんな内容だろう?」と、相応の興味をそそられたのを覚えている。 それでその時(ミステリマガジンのリスト記事を見たとき)は、結局そのままで終わったが、のちのちの2010年代半ばになって、評者がまたミステリファンとして無数の未読の旧刊を漁るようになると、そのことがふと思い出されてきた。 それで相場より安い古書を探し、数年前にヤフオクで入手。今日になってついに読んでみた。まあそんな流れである。 実際の本作の内容は、SFというよりホラーらしい? という気配を事前に感じていたが、現物の雰囲気は、のちの60年代後半~70年代に定着するモダンホラー小説の先駆。 冒頭から登場する脇役フィル青年や、主人公トムの友人で、当時にしてちょっと異端の(?)心理科学学者アラン・ポーターを介して、人間の脳の眠っている部分に宿る潜在的な能力などの話題にも接近。そんな一方で物語が進むにつれて、主人公のウォレイス一家の周辺には実態の見定まらない怪異が加速度的に続発するようになる。 うん、疑似科学の導入で恐怖と怪奇の事象に切り込んでいくこの物語の流れは、たしかにモダンホラーだね。 幽霊「黒衣の女性」の怪異と謎もさながら、中盤でリチャードの世話にきた子守娘ドロシーの不穏な描写とか、かなりコワイし、この辺はのちの『地獄の家』そのほかの作品に通じてゆく怪奇作家マシスンの本領発揮の感。 ただ、それでもやはりこれは、(やや)狭義のミステリというよりはホラーだよな、サスペンス要素は豊富だけれど、これをほかの諸作と並べてその年のベストミステリに選んだのは、バウチャーがミステリのみならずSFジャンルにも造詣が深く、そっちの方も一冊くらい入れておこう、というくらいの感じだったんだろうな、……と、全体の4分の3くらいまで思いながら読んでいたが……あー……(中略)。 当然ながら、ココであんまり詳しくは絶対に言えないが、たしかに(中略)。 そんなに大騒ぎするほどの大傑作という訳では決してないが、(中略)タイプの作品として、予想以上に楽しめた一冊ではあった。 50年代の新古典のひとつという前提はあるものの、現代でも相応に幅広い裾野の読者に受け入れられるんじゃないかと思う作品ではある。 少年時代~若き日のキングやクーンツたちもたぶんきっと読んでるんだろうね? もし語ってもらえるなら(あるいはすでにどっかで言及しているんなら)そこら辺の後続世代の大御所たちの本作へのファーストインプレッションを、是非ともうかがってみたいモンである。 |
No.1098 | 7点 | テロリストに薔薇を- ジャック・ヒギンズ | 2021/02/17 15:25 |
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(ネタバレなし……ただし『鷲は舞い降りた』『非情の日』などヒギンズ諸作を先に読むのは推奨)
1978年の英国。首相直属である国防情報本部第4課の代表チャールズ・ファーガスン准将は、長年の宿敵である国際的テロリスト、フランク・バリイが暗躍する影を認めた。すでに数名の潜入工作員を対バリイ用に送り込みながら、見破られて殺害されているファーガスンは今度こそ決着をつけたいと思うが、決定打の作戦を見出せない。そんなとき副官のハリィ・フォックス大尉による<アウトローにはアウトローを>の提言から、かつてIRAでの活動でバリイと同陣営だった戦士マーティン・ブロスナンが対抗要員として選抜された。だが現在のブロスナンはフランスの警官を射殺して絶海の孤島の刑務所に投獄中。国防情報部は、ブロスナンに釈放との交換条件でバリイ暗殺をさせる計画を進めるが、そのブロスナンへの説得役に選ばれたのは、元IRAの闘士で第二次大戦中から伝説的な秘話を持つ61歳の大学教授リーアム・デヴリンだった。 1982年の英国作品。 悪のアウトローVS正義のアウトローという王道の図式で語られる正統派活劇スリラーだが、中盤までは主人公ブロスナンとその囚人仲間の大物ギャング、ジャック・サヴァリの脱獄作戦ものの興味も大きい。 しかしなんといっても本作の最大のポイントは『鷲は舞い降りた』での重要キャラで、当時は青年だったが今は老境の域になってまだ事実上、現役の闘士デヴリンが再登場(&副主人公として新主人公を後援)という趣向。 (まるで、コミック版『ゲッターロボ號』最終回以降の神隼人みたいな<(ほぼ)ひとり生き残ってしまった(あるいは置いていかれてしまった)男>の美学だ。) これにさらに、1972年時勢のIRAがらみの事件を語る『非情の日』の某・重要キャラもメインの役どころで登場。クルト・シュタイナの名前も『非情の日』の主人公サイモン・ヴォーンの名前も出てくるし、さらには評者はまだ未読だが別作品『エグゾセを狙え』の主人公もチョイ役で顔見せ。 ファンからは「ヒギンズのお祭り作品」とも呼ばれているらしいが、しかし英国作家は、フィルポッツといいクリスティーといいクロフツといいブランドといい、こういう自作世界でのクロスオーバー趣向が好きだね。どんどんやって。やってやって、やりまくるのよ(©西村寿行『滅びの笛』)。 (ほかにも、かなり曖昧に書かれているけれど、ここは他のヒギンズ作品にリンクするのでは? という箇所が随所に登場する。あー、この作品をしっかり解題したヒギンズマニアの研究成果とか、どっかに公表されてないかな。) お話の方はまあ、良くも悪くも中期ヒギンズの一冊で、長所もあれば短所も目について……という感じではある。特に後半~終盤の(中略)のツメの甘さは、作者が悪い意味で(中略)に手加減してるな、という手応えであまり歓迎できない。 ただし一方で本作オリジナルの脇役キャラたちが全般的にいい味を出していて(バリイの愛人ジェニイ・クラウサーとか、監獄の老看守ピエ-ル・レヴェルとか、後半に登場する中年~老境の女性たちとか)、この辺はヒギンズらしい持ち味が実に前面に出ている。 それと終盤の(中略)には軽く(中略)したが、この辺も作者がお祭り編の趣向一徹には頼らず、攻めの作品づくりをしたという印象で好感。 読後にWEBで諸氏の感想を探ると、翻訳刊行当時の北上次郎なんかヒギンズ復活とかかなり褒めてたみたいだね。 個人的にはそこまではいかないけれど、トータルとしては楽しく面白く読めた、しかし本当にヒギンズの傑作に感じる時の熱さと切なさにはいまひとつ至らなかったとも思う。 (メインヒロイン、アン・マリイ・オーディンが後半にマーティンに注ぐ視線とか、そっちの方向で、ゾクゾクする部分もないではないのだが。) それでもヒギンズファンなら、いつか読んでおいた方がよい一冊でしょう。できれば、このレビューのなかで名を挙げた先行の諸作は、前もって読んでおいてほしいけど。 |
No.1097 | 5点 | ちか目の人魚- カーター・ブラウン | 2021/02/16 05:00 |
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(ネタバレなし)
「わたし」ことマックス・ロイヤルは、6フィート以上の体躯を誇るハンサムな私立探偵。ゴルフマニアで権威に弱い探偵事務所の所長ポール・クレイマーの下で、働いている。現在のロイヤルの仕事は、若妻ノーリーン・バクスターの依頼で、4日前から行方をくらました彼女の夫ジョーを捜すこと。そんななか、もしやジョーかと思われた殺害された死体が川の中から見つかるが、それはすぐに別人と判明。しかしその死体の素性は、ジョーと同じテレビ局に勤務する技術者ヘンリー(ハンク)・フィッシャーだった。心労のノーリーンのことを案じたロイヤルはバクスター夫妻の自宅に足を向けるが、そこで彼を出迎えたのは、何者が発射した銃弾だった。 原作は、1961年のコピーライト。 アル・ウィラー(ウィーラー)、リック・ホルマン、ダニー・ボイド、メイヴィス・セドリッツの<ビッグ4>を筆頭に、日本に紹介されなかったものも含めて、14人ものシリーズキャラクターをかかえていたカーター・ブラウン(英語Wikipedia調べ)。 だがこのマックス・ロイヤルは本作以外の登場作品が未訳のものの中にもないようで、ついにシリーズキャラクターには昇格しなかったらしい。 主人公マックス・ロイヤルのキャラクターをおおざっぱに分析すると、目につくポイントは、 ①ハンサムで若手の私立探偵である ②口うるさい上司がいる ③その上司の秘書にカワイコちゃんがいて(本書ではクレイマーの秘書で、パットという名の、ボーイフレンドが多い娘が登場)、主人公が絶えずモーションをかけるが、なかなか振り向かない ……などなどだが、①は言うまでもなく先輩キャラのボイドとホルマンがすでにいるし、②と③に関してはアル・ウィラーのおなじみの設定そのまま。 なおロイヤルには同年代の同僚の調査員トム・ファーリーというのがいて、後半で多少活躍する。こういうポジションのキャラが用意された点は、カーター・ブラウン作品としては新鮮な感じもしたが、これだけではウリにならなかったのだろう。 要するにテストケース(パイロット編)の本作のみで、お役御免にされてしまった可能性が大きい? (もし、どなたか「いや、マックス・ロイヤルものはまだあるよ」とご存じの方がいたら、教えてください。) お話の方は、物語の前半で登場してくる<とある事物>をめぐって小気味よく進展。マックス・ロイヤルが関わり合うヒロインは多めな気もするが、カーター・ブラウン作品ならこんなものかもしれない。 後半の方で明らかになる、殺人とは別のとある悪事の実態は、1960年代の初頭にこんなものがネタになったか? まあなったのかもしれないな、という感じであった。 総体的に、出来は悪くはないが、良くも悪くも地味で手堅い軽ハードボイルド私立探偵小説。 井上一夫の翻訳が全体的にはマジメな感触なのも、そういう印象を加速させているような気もした。 (マックス・ロイヤルの話し言葉で、自分のことを「あたし」と言わせる演出は良し悪しであった。まあこれは、先輩のボイドやホルマン、あるいはウィラーなどと差別化させたかったのかもしれないが。) ちなみにタイトルの意味は、マックス・ロイヤルを自宅の浴室で入浴姿で出迎え、その際に実は<隠れ眼鏡っ娘>だったとバレてしまう作中の某ヒロインのこと。ただしあまりメガネ属性を前に出したヒロイン描写というわけでもないので、よほどの眼鏡っ娘好きでもない限り、そっちの興味で読む必要もないだろう。 まあまあフツーには楽しめたけれど、カーター・ブラウン諸作の平均値なら、もうちょっとオモシロイよね、ということで評点はこのくらいで。 |
No.1096 | 7点 | カリブの監視- エド・マクベイン | 2021/02/15 21:16 |
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(ネタバレなし)
1960年代。ある朝、フロリダ州の珊瑚礁列島の一角、キーラーゴ島からそう遠くない海辺の町「オイチョ・プエルトス」が、武装した一団に占拠される。元海軍軍人ジェイスン(ジェイス)・トレンチをリーダーとする数十人の集団は狂信的な過激派の愛国者集団らしく、町にある8軒の家の住人を脅迫して制圧。何事かの計画を進めるが。 1965年のアメリカ作品。 大別してエヴァン・ハンターとエド・マクベインの二つの筆名を主に使い、ほかにいくつかのペンネームで著作していた作者。そんな当人が、この時点まででほぼ「87分署シリーズ」専用だったマクベイン名義で書いた、ほとんど唯一の(ごく初期にもう一冊あるという説もアリ?)ノンシリーズ長編。その意味で稀有な作品である(70年代半ばからマクベインは、当のペンネームを割と出し惜しみなく、87分署以外にも用いるようになるが)。 評者は、87分署シリーズにハマった少年時代(嫌な子供だね)に、唯一のマクベイン名義のノンシリーズものというこの作品の素性を知り、都内の古書店を歩き回って、絶版・品切れだった本書を入手した記憶がある(ますますイヤな子だね)。 とはいえ例によって、釣った魚に餌もやらないアレなミステリファンなのでその後、何十年も家の中に放ったらかしにしていた。 そんな長い歳月のなかで、さほど世評で、これが隠れた幻の名作とか、知られざる佳作、とか、格段、聞こえてこなかったのも、放置する一因だったような気もする(ヒトのせいにするなって? いや、ごもっとも~汗~)。 そこでまた今回、気が向いてようやくページをめくってみたが……いや、予想以上に面白いじゃないの! 物語は、何やら不穏な計画を進めるトレンチたち愛国者集団の視点、それに一方的に巻き込まれたオイチョ・プエルトス住人たちの視点、その二つを主体に語られていくが、さらに映画のカットを細かく割るように、ほかの離れた場所での描写も、いくつかの流れで織り込まれる群像ドラマ。当然、トータルの登場人物の総数もかなり多い。 全体像が見えてこない読者は焦らされるし、ミステリとしては種々の局面のサスペンスに加えて、大きなホワットダニットの興味が湧くのだが、その辺りでの並行するストーリーの捌きぶりは、さすが巨匠マクベイン、ため息が出るほど上手い。特にページ数が残り少なくなるなかで……おっと、ここはナイショにしておこう。 (なんというか、全体的には、のちの80年代に隆盛するジャンル越境ミステリ=ニュー・エンターテインメント分野の、かなり早い先駆という感じもある。) 特に唖然としたのは、過激派愛国者集団の本当の狙いが明らかになるのと前後して、ようやく読者の前に明かされる<ある人物の過去のとある経緯>で、実はここらへんの筆致が、思ってもいなかったほどに熱いし、重い。 昭和の国産社会派ミステリ、そのさる系譜に通じる部分があるね(こう書いてもたぶんネタバレにはなってないと思うが……)。 評者などは、くだんの部分をたぶんかなりの力を込めて書き込んだのであろうマクベインの心境を想像し、それと同時に、物語の前半で読みながらなんとなく感じていたある種の摩擦感というザラザラした気分も引いていった。 ミステリというか、小説として作品の相貌が、最後の最後で滑らかに変わっていくような、そんな趣が快い。 21世紀のいま読むと、全体的に力みすぎて、細部の詰め込みすぎな印象もないではないが、60年代当時のアメリカはこういう作品が必要とされて、呼び込まれた時代だったのだとも思う。 半世紀前の時代と寝たミステリノヴェルという形質も含めて、今後はさらにマイナーな作品として忘れられていくかもしれない一冊だが、力作なのは確か。 マクベイン=ハンターの代表作のひとつにあげてもいいと思うよ。 (それでも8点でなく7点なのは、まあ……なんか……あったんだろうな……と、察していただければ幸い~笑・汗~) |
No.1095 | 7点 | ガラスの檻- コリン・ウィルソン | 2021/02/14 06:40 |
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(ネタバレなし)
1964年のロンドン。死体を無残に損壊する9件の連続殺人が生じ、そのうち数件の事件関連現場に、18~19世紀の詩人ウィリアム・ブレイクの詩句が書き残されていた。これに着目した部長刑事ランドは、田舎に在住の青年学者で、英国随一のブレイク研究家デイモン・リードを訪問。異常なブレイク愛好家の情報などを求めるが、成果はなかった。そのあと、年上の友人ユリアン・ルイスと、その姪で自分の恋人である美少女サラと会ったリードは、彼自身がロンドンに赴き、学識を活かして事件の捜査をしようと考えを固めた。リードはその事前準備として、村に住む「魔法使い」こと超能力者の老人ジョージ・ビッキンギルに、以前に自分のもとに送られてきたブレイク愛好家の私信を手渡し、この差出人の中に殺人者がいるかと尋ねた。そして老人は、一通の手紙を指し示す。 1967年の英国作品。 ……なに、このオカルト要素(超能力者の老人の託宣)をスパイス程度に効かせながら、じわりじわりとテンションを高めていくスターティングの作劇。 これはもうキングかクーンツか、F・P・ウィルソンじゃないの! という感じで、予期していなかった序盤の面白さに顎が外れた(笑)。 いやまあ、掴み所のない才人コリン・ウィルソンの浮き名はこれまでいろんなところで聞き及んではいたが、短編はともかく長編を読むのはコレが初めて。 例によって積ん読の蔵書の山の中から、大昔にどっかで買った本書(帯付きで500円の古書)が出てきたので、どんなだろ~と紐解いてみたら、これが実にオモシロイ。 インテリの作品だから晦渋な文体かと思いきや、ダイアローグは多用されてるわ、下世話だけど微笑ましいセックスネタは豊富だわ、リーダビリティは最強クラス(中村保男の翻訳も読みやすい)。何よりストーリーをサクサク進めることを惜しまない攻めの作劇が強烈で、これはとんでもない掘り出し物に出会えたか!? とさえ思った(なにしろ本サイトでもAmazonでも、現時点でこの作品のレビューなんか皆無だし)。 ただまあ、中盤から、通例のミステリの組み立てとしては明らかにオフビートなことをしてくるので、その辺でスナオには褒めにくくなってくる(もちろん詳しくも、具体的にも言えないが)。 いや、たとえるなら、ナイター観戦していたら、打者がいきなりバッターボックスでアイスホッケーのクラブを構えて、ポカーンとする観客をヨソに、なぜかそのまま真顔でヒット。平然と、三塁まで進んでしまうような展開なので。 ここで怒る人はかなり多そうだけど、まあ評者は割となんでもありな方なのでOK(笑)。前半の勢いは堅守したまま、ややあらぬ方向に突っ走るマイペースな後半も、これはこれで楽しんだりする。 ただし評点はさすがに下げるよ。序盤からの面白さに見合った<ミステリとしての後半~全体の完成度>だったら9点は間違いなし、だったけど。8点にかなり近い、でもやっぱ8点まんまはあげられない、ということで7点。 (しかし、これ一作でものを言うのはナンだが、結局、ウィルソンってミステリが好きな割に、実はミステリがわかってないんじゃないか、とも思ったりした。) それでも全体としては十分に、読んで良かった、オモシロかった一冊(嬉)。 そのうちまた、楽しめそうなウィルソン作品をなんか手にとってみよう。 |
No.1094 | 6点 | 怪龍島- 香山滋 | 2021/02/12 18:55 |
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(ネタバレなし)
その年の5月。地球上の未知の神秘に憧れる16歳の少年・山田眞理夫は、東京の自然科学博物館で、高名な探検家で学者の川島勇作と出会う。とある根拠をもとに、20世紀の現在も地球のどこかに古生代の恐竜は生きているはずだと自説を語る眞理夫。そんな眞理夫の学識と若い洞察力を評価した川島は、帆船アルバットロス號での洋行に彼を誘った。川島そして17歳のハーフの美少女グリたちとともに、眞理夫はなぜか行く先も教えられぬまま航海を続けるが。 昭和28年8月に東京の愛文社という版元から刊行された、ジュブナイル秘境恐竜冒険小説。 1985年の国書刊行会の復刻版で読んだが、実は人見十吉の長編ものと勘違いして以前に購入した(人見ものの該当作品は『恐怖島』だった)。 本文290ページ弱を70前後の章(章見出し)で分割。それぞれに一応以上の見せ場やお話のポイントが設けられているわけで、さすがにハイテンポな展開で飽きさせない(一部、いろいろとツッコミどころはあるが)。 評者みたいな怪獣ファンが恐竜小説として楽しもうとすると、肝心の恐竜の出番は、中盤以降はそれなりに多いが、劇中の扱いは微温的でやや拍子抜け。 こないだ読んだ某英国作家の短編奇譚みたいなゾクゾクする感じで<秘境の中の巨大恐竜>が描かれるのなら良かったが。 中盤以降、主舞台の「怪龍島」に上陸してからは、自然の苦難や悪のピグミー族に襲われるなどの試練が眞理夫たちを襲う。その辺はまあ、秘境冒険ジュブナイルの旧作としてはそれなりに面白いのでは。 ヒロインのグリが黒髪で小麦色の肌のハーフ、眞理夫よりひとつ年上で、当初はツン系の一面を見せるがすぐに(中略)あたりは、1990年代から現在までの深夜美少女アニメという感じであった。 さすが香山御大、時代の先読みぶりがお見事(笑)。 某・恐竜小説ファンの研究サイトなどでは、後半の展開など「平凡」と低評価だったけれど、見せ場の多いクラシックジュブナイルとしては、個人的には及第点。決着は部分的にいろんな意味で、この時代だなあ、という雰囲気のところもあるが、まあいいや。 もちろん差別用語などは全編にあふれているが、旧作なのでそのあたりはどうぞご寛容。 ところどころで、半ば擬人化的に描かれる、動物キャラたちの活躍は微笑ましい。 |
No.1093 | 5点 | ブリリアント・アイ- ローレン・D・エスルマン | 2021/02/12 07:20 |
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(ネタバレなし)
1980年代半ばのデトロイト。「私」こと私立探偵エイモス・ウォーカーは、かつて因縁のあった弁護士アーサー・ルーニーから依頼を受ける。依頼内容は、ルーニーが顧問を務める新聞社「デトロイト・ニュース」のコラムニストで作家のバリー・スタックポールが行方をくらましたため、さる事情から彼を捜索してほしいというものだった。実はバリーはウォーカー当人の戦友であり、ウォーカー自身も友人の身を案じながらその行方を追う。ウォーカーはバリーの住居に残されたメモから、訳ありっぽい3人の名前を認め、一つ一つ調査を進めるが。 1984年のアメリカ作品。日本ではのべ4冊の長編作品が翻訳された私立探偵エイモス・ウォーカーもののシリーズ第6作で、邦訳としては2冊目。先行して初めて日本に紹介されたウォーカーもので、シリーズ第5作『シュガー・タウン』の姉妹編的な内容になっている。 評者は大昔に『シュガー・タウン』は確か読んでいるハズだが、内容はまったくもって忘却の彼方。しかしその『シュガー・タウン』の主要ゲストキャラが、作家のバリーをはじめとして何人か本作に続投するので(だから姉妹編と書いた)、本当なら前作から読んだ方がいいだろう。 (評者もそっちを再読してから、こっちを読んだ方がヨカッタかもね。) それで一読しての感想。 いわゆるネオ・ハードボイルド世代の作家群のなかで、ジョナサン・ヴェイリンと並んで、最もチャンドラーとマーロウのDNAを受け継いでいるのが、このエスルマン……と、今までは思っていたが、う~ん、残念ながら、本書を読んで個人的には、こちらさんはライバル(?)のヴェイリンに、ココで一馬身、引き離されてしまった感じ。 主題(?)が、主人公の私立探偵とやさぐれた友人との友情の絆、というのはもろチャンドラーぽくていいし、主人公の捜査の道筋にも違和感はないのだが、一方で肝心のエイモス・ウォーカー、今回はいまひとつ、精彩も魅力も感じられない。 ストーリーは完全に失念しながらも、前作『シュガー・タウン』を読んだ際の<たしかに良い意味で、マーロウの亜硫>的な感触は覚えていたので、今回もそういう意味では期待していたのだが。 なんというかヴェイリンのハリイ・ストウナーが30代後半のヴィビッドなマーロウ、その80年代版なら、今回のウォーカーは40代後半の枯れてきたソレ、しかして年相応の渋さの方はそれほど感じさせもせず……という印象。 それに加えてウォーカーの真面目でまっすぐなキャラクター、たとえばポケミス218ページめの関係者とのやりとり(後の方がウォーカー)、こういうのをどう受け止めるべきか。 「きみはまだ青い」彼はいった。「きみの目に映っている世界には白と黒、善と悪があるだけで、そのあいだのものはなにもない」 「そのあいだにはなにもないんですよ、(中略)。それでもあるという者は、すでに何割か黒に染まってるんです。灰色の部分はおとぎ話にすぎない。人がその存在を信じはじめたとき、そのとき、世の中が狂ってしまった」 こういった種類の物言いを、剛球でカッコイイととるべきか、愚直で青臭いと思うべきか。 (まあこっちはいずれにしろ、そんなセリフに心を揺さぶられて、こういうダイアローグが印象に残ったりするんだけれど。) あとこれは、正に読み手のこちらのせいだろうが、前述のとおり、本作では主要人物が何人か前作から続投、特にそのうち2人とウォーカーとの関係性の変遷がたぶんキモになっている。だが前作を忘れて、事実上単品で読んでしまっているので、どうも作者の狙いが見えにくい。そういう意味で、デリケートな長編作品ではある。 さらにもうひとつ、肝心なこと、この作品のミステリ要素の話題。 なるべくネタバレにならないように書くけれど、ポケミスの帯には「~私立探偵ウォーカーが発見した恐るべき事実とは?」とある。 実際、その煽り文句に見合った、いささかショッキングなサプライスが終盤に用意されている……のだが、そんな事件の深層が、そこにいくまでの大筋だったウォーカーの捜査ドラマと、あまり密着感がない。 悪く言えばとってつけたようなショックかつサプライズで、ちょっとよろしくない。 そんなこんなでトータルとしては、読む前はそれなりに期待を込めたものの、残念ながら……の一冊。 まあウォーカーものはあと2冊別途に翻訳されているし、そっちはそれぞれ単品でシリーズの流れを気にしないで、読んでもいいハズである(?)。 それならば、いつかまたそのうち、手にとってみよう。 最後にもうひとつ、作中で心に残った談話。ウォーカーが調査の最中で出会ったユダヤ人の老婦人グレーテ・カインドナーゲルが、戦時中にナチスの犠牲になった実弟を回顧しながら語る一言。 「いまでは〝ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)〟と呼ばれてるのね。三十年のあいだ名前がなかったのに、いまになってつけられた。そのほうが都合がいいんでしょうけど、でも、それはまちがってる。あんなものに名前をつけてはいけない。芸を教えこむペットと一緒にしちゃいけないのよ。形のない恐怖なんだから。振り返ってよく見てみれば、その正体がわかるわ。でも、世界にはそれだけの余裕がない。大虐殺と呼ぶにはあまりにも大きすぎるものだわ」 |
No.1092 | 7点 | 鉄血作戦を阻止せよ- スティーヴン・L・トンプスン | 2021/02/11 16:37 |
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(ネタバレなし)
1980年代の半ば。西ドイツ空軍准将で名門出身のフリードリッヒ(フレディ)・フォン・グラバウは、第三帝国の悪行の禊ぎは終わった、もはや東西両陣営の思惑で愛する母国がこれ以上、分断されるのはまっぴらだと思う。フォン・グラバウは、労働階級出身の同士ヘルムート・シェーナー大佐を相棒に、西ドイツ在留のソ連のミサイル基地を占拠。総計7メガトンの核ミサイルを東西両陣営の主要都市に向け、米露英仏の在留軍の24時間以内の撤退を命じる。折しもポツダムの軍事連絡部(奪還チーム)に復帰していたマックス・モス少尉は、露英仏の選抜軍人とともに、クーデター側の布告の真偽を確認に向かうが。 1986年のアメリカ作品。ただし本作からのマックス・モスもの第三~四弾は、日本の読者向けに新規に執筆。刊行も日本先行なので、ある意味、日本作品といえるかもしれない。 要はそれだけ当時の日本で大人気だったし、作者も主人公マックス・モスも「奪還チーム」も親しまれていたわけだが、2020年代の現在では本サイトに作家名すら登録されていない。まさに諸行無常はなんとやら。 まあその辺のシリーズの盛衰に関しては、当然ながら本シリーズの大設定を一瞬で破壊した、1989年のベルリンの壁崩壊という現実が背景にある。 知らない人のために簡単に説明すると「奪還チーム」の大設定は、40年にわたって東ドイツの一角にさる事情から治外法権的な西側陣営の自由な拠点があり、そこを基地にして高速で移動できる車輌チームが、東ドイツの領土内に不時着したパイロットや機密物件を迅速に回収してくるもの。それでその任務をになう主人公が、スーパー・ドライビングテクニックを持つ青年マックス・モスというわけだ。 時と場合、物語の流れにおいては、当然のごとく、敵陣営などの高速車輛や航空機との追っかけっこ、になり、これに応じて細部にリアリティを宿すためメカニック描写も当時ながらに濃密になる。この辺は要は、大人向けのITC作品(『サンダーバード』や『謎の円盤UFO』ほか)の興趣ともいえる(※)。 それで評者は、20代の大昔にシリーズ第二作『サムソン奪還指令』まで読了。フツーに面白いと思っていたが、その後、ちょいと油断して三冊目を未読のうちに、現実のドイツがそんな状況になり、さらにミステリも全体的に読む数が減ったため、この3冊めを手にしたのは実にウン十年ぶりとなった。 (少し前に近所のブックオフの100円棚で見つけ、懐かしくなって買ったのだ。) 今から見れば、現実のベルリンの壁崩壊が実はほんの少し先に迫っていながら、作中のリアルのなかで母国併合の理想に必死になったフォン・グラバウ一派の行動はなんとも切ない。もちろんやっていることは流血クーデターであり、脅迫テロではあるが。 お話としては、謀略クーデターの対象がほぼ全世界規模。なのでこれをどうやってマックス・モス(と前線の仲間たち)に焦点をあわせて「ポリティカルフィクション・スリラー」<「カーチェイス活劇」に変換するのかと思いきや、中盤で予想以上にわかりやすくストーリーの流れが整理されて、その意味ではやや拍子抜け。 一方で、大きなプロット上のどんでん返しではなく、細部を書きこんで、シーソーゲーム的な逆転劇の連続で読み手を楽しませようという作者の狙いも明確になるので、これはこれでよろしい。 最後まで読み終えての感想は……まあ、マックス・モス側はある種のハードボイルドだよね。一方で、本作のもう一方の主人公フォン・グラバウ側は妙にリリカルに描写がまとめられていて、書き手がこの悪役一味にある種の感情移入をしたことがうかがえる。 実際、訳者・高見浩の解説を読むと、作者は本書の執筆後に、フォン・グラバウ視点での、この事件の顛末を語ったアナザーストーリーを書いたらしい。 (悪党パーカーとアラン・グロフィールドシリーズの分岐&接点みたいだ。) 全体としては期待通りに楽しめた80年代のエンターテインメント。ただし、今の世代の読者がもし興味をもったら、できればシリーズ第一弾から読んでほしい。 このシリーズの前二冊が好きなファンなら、たぶん楽しめるでしょう。 ちなみにシリーズ第四弾は、そんなベルリンの壁崩壊以降の設定で、マックス・モスの立ち位置も大幅に変わるらしい。大設定を喪失してなおも続くシリーズって、マック・ボランみたいだね。 (まあその第四作めもブックオフの半額セールの日に50円で買ったので、そのうち読むと思う。) 【追記】 マックス・モスが窮地からの脱出に使う道具が、日本の雑貨。さらにまた別の彼のピンチで役立つのが、日本人の教官にならった体術。日本読者向けのサービスなんだろうけれど、作者の妙な律義さが愉快であった。 【追記その2:2021/2/11/22時25分】 ※……『謎の円盤UFO』は大人向け、一般向けの番組でしたね。すみません。 |
No.1091 | 6点 | ガラスの墓標- F・S・ジルベール | 2021/02/10 04:31 |
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(ネタバレなし)
アメリカ裏社会の「組織(コーザ・ノストラ)」の実戦要員で、デトロイトで成果を上げた青年クリフ・モーガン。彼は組織の上層部に呼ばれ、フランスへの出張を命じられる。表向きの目的は、組織と縁があるパリ暗黒街の要人トニー・カルボナを支援してカルボナ麾下の殺人請負組織を作ること。だが組織の真の狙いは、カルボナが抱える麻薬売買シンジケートをクリフに乗っ取らせることだった。密命を受け、カルボナとともにパリに向かうクリフ。しかしオルリー空港を出た彼は、何者かの待ち伏せを受けて重傷を負う。頼る相手もないクリフは、たまたま旅客機の中で知り合った美人のパリジャンヌ、カトリーヌに、電話で救いを求めるが。 1965年のフランス作品。1969年に映画化され、71年の日本での映画封切りに合わせて邦訳が出た原作小説だが、評者はくだんの映画はまだ未見。 あらすじの通り、やさぐれた青年ギャングと運命的に出会った美女のラブロマンスを交えたコテコテのノワール・ハードボイルドで、55年前の旧作ということを踏まえてもまだ古い。1930年代あたりのクラシック・ノワールといわれて読んだとしても、ほとんど違和感は生じない主題の物語だ。 中盤からはクリフの反撃、彼のもとに召喚される組織の応援、さらにフランス暗黒街側の応戦と策謀と、絶えずストーリーは動的に進む。ただし筋立てそのものは全編にわたって実にシンプルというか、素朴。 とはいえ「これはあくまで旧作」という認識が強くなって、同時に期待値が下がってくると、ストーリーの組立には王道の物語を語ることにおじない、そんな力強さも感じられてきた。結果、これはこれで悪くない、という気分になってしまう。 フランスミステリのノワールものの系譜、その一冊を探究するつもりで読むならば、佳作として楽しめる、というところか。 (とはいえ、あのジョセ・ジョバンニのデビューは1958年で、本書『ガラス~』が書かれた1965年には、もうジョバンニの方は7冊も長編を上梓してるんだよな。 そういう事実を勘案すると、この作品って本国フランスのミステリファン&読書人全般の間で、どういう評価で読まれたのかとちょっと気になってくる。 そのうちマジメに、わかる限りの<フランスミステリのお勉強>を、改めてしてみようかしらん。) |
No.1090 | 8点 | 狙撃者- 谷克二 | 2021/02/09 06:13 |
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(ネタバレなし)
1974年12月20日。スペインの首相カルロ・ブランコが暗殺される。ブランコは、30年以上にわたってスペイン国内に圧政を敷いた独裁者フランシス・フランコ総統の派閥であり、この暗殺を機に同国の改革が内外から期待されるが、結局は、いったんは一線を退いていたフランコ総統の現役復帰という結果につながった。一方で元過激派戦士の日本人青年・龍村敏は、前身を隠してパリに在住。亡命スペイン人・アントニオの一人娘マリアを妻にして幸福で平穏な日々を営んでいたが、ある日彼はその愛する家族を奪われる。マリアとアントニオの仇が、現状のスペインの独裁体制だと見定めた龍村は、コードネーム「ファルカン(隼)」を名乗る暗殺者として、標的=フランコ総統に接近するが。 1970年代半ばから20世紀の末まで小説家として活躍しながら、21世紀は事実上絶筆。2010年代の前半までは地方テレビの出演者として活動したらしい谷克二。 2020年代の現在ではほとんど忘れられた作家であり、本サイトにも今日まで作家名の登録すら無かったが、主に海外を舞台にした謀略小説、狩猟冒険小説などをふくめて著作の総数は20冊以上に及ぶ。 本作はそんな谷の処女長編で、先行する短編作品で当時の読書人の反響を呼んだ作者が「野性時代」1978年4月号に、これを一挙掲載。のちに加筆修正して書籍化した(評者は今回、文庫版の方で読了)。 1980年代の国産冒険小説ルネッサンスのなかで、本ジャンルのファンの目にはそれなりの評価を得ていたはず(?)の谷の諸作だが、特にシリーズキャラクターもなく(と思うが?)、また映画化なども皆無なため、志水や船戸、北方、谷恒生など同世代~やや後輩の人気の前にその存在感が霞んでいった印象がある(とはいえ船戸なんかも、実は映像化作品は少ないんだよな)。 いずれにしろ、本作は作家生活が四半世紀にわたった谷の、初期の代表作。 あらすじを読んでいただければわかる通り、ズバリ、フォーサイスの『ジャッカルの日』を意識した和製作品である。 文庫で本文300ページ弱の紙幅だから原稿用紙にすれば400枚くらい? ワープロやパソコンが普及する80年代の後半以降なら、さらにあと数割はボリュームアップできたのではと思える設定で筋立てだが、その分、内容はシェイプアップ。物語のコンデンス感が読み手の緊張を快く刺激して、作品は期待以上にかなり面白い。 ネタバレになるので詳細は避けるが、主人公・龍村の過激派戦士時代の過去にからむ挿話が中盤のひとつの山場になり、さらにそんな事態の顛末が大筋のクライマックスへと繋がっていく構成など、なかなかよく出来ている。 さらにスペイン体制側の捜査陣にも『ジャッカル』のクロード・ルベルに相応するライバルキャラクターが設定されており、この人物が暗殺計画の実態に迫る手がかりの暴き方も、まるでクロフツの倒叙もののような段取りで、ニヤリとさせられる。 まあ意地悪くイヤミを言えば「しょせんは『ジャッカル』の和製エピゴーネン」と切って捨てることも可能かもしれないが、<愛する者のための復讐心の昇華>という文芸を背負うことで原典のジャッカルと差別化された主人公・龍村の造形、そして本作独自の細部の趣向の豊富さなども踏まえて、読み終えた際の満足感はかなり高い。 (一部、先が読めてしまう部分がまったくないわけでもないが。) 物語の大設定もふくめて、どうしても旧世紀の旧作という感覚もついて回るが、国産冒険小説史のなかで記憶の一端にとどめておきたい秀作だと評価。 機会を見て、この作者の作品は、良さそうなものをまた手に取ってみようと思う。 末筆ながら、本作は角川春樹が「野性時代」を主舞台に設けた小説賞「角川小説賞」の第五回受賞作品作品。そういえば昔、そんな賞があったな、と思ってWikipediaで調べてみると1974~85年と(文学賞としては比較的)短期間、開催された企画だったみたいで、受賞作は以下の通り。 第1回 (1974年) 赤江瀑 「オイディプスの刃」 第2回 (1975年) 河野典生 「明日こそ鳥は羽ばたく」 第3回 (1976年) 森村誠一 「人間の証明」 第4回 (1977年) 山田正紀 「神々の埋葬」 第5回 (1978年) 谷克二 「狙撃者」(※本作) 第6回 (1979年) 田中光二 「血と黄金」 笠井潔 「バイバイ、エンジェル」 第7回 (1980年) 赤川次郎 「悪妻に捧げるレクイエム」 山村正夫 「湯殿山麓呪い村」 第8回 (1981年) 小林久三 「父と子の炎」 谷恒生 「フンボルト海流」 第9回 (1982年) 泡坂妻夫 「喜劇悲奇劇」 第10回 (1983年) 矢作俊彦&司城志朗 「暗闇にノーサイド」 第11回 (1984年) 北方謙三 「過去・リメンバー」 第12回 (1985年) 中津文彦 「七人の共犯者」 ……いやはや、今から見ると、その天晴れなまでの玉石混交ぶりに腹を抱えて笑いたくなるラインナップであった。これもまた時代の息吹、だよね。 |
No.1089 | 5点 | 破産寸前の男- ピーター・バーセルミ | 2021/02/08 06:46 |
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(ネタバレなし)
ヒューストンで広告代理店を営む「ぼく」ことボーモントは、ハンサムな中年男。だが頭がハゲかけていて、複数の成人した子供がいる。何より現在は契約が少なくて、美人の秘書のエイミーが借金の督促の対応に苦労している。そんな時、大手石油サービス業「ウェラメーション社」の代表であるクレイ・トマスから大口の仕事を取るが、実はその契約は先方の会社の公式な窓口を通してないものだった。報酬を払ってほしければと、トマスは、とある秘密裏の行為を指示してきた。 1987年のアメリカ作品。 中堅広告代理店(ただし社員は少ない)社長ボーモントシリーズの第一弾で、翻訳が出た時点で本国ではすでに第三作目までが刊行されていたらしいが、日本への紹介はこれ一冊で終わった。 本作では、いわくありげな依頼人トマスとの接触を経て、どうも何かきな臭い案件に巻き込まれたらしいボーモントが、事態の把握と窮地からの反撃を画策。途中で周囲の思いもよらぬ事実なども見えてくる。 一番近いイメージでいうなら、我が国の生島治郎や北方謙三が書きそうな、中小企業の中年社主を主人公にした巻き込まれ型の(それほどコワモテではない)ハードボイルドか、あるいはノワールサスペンスという感じ。 ただし物語の半ばで事件の深層が(中略)に及ぶと明かされる。物語自体はそんなにややこしいものでもないが、その事件の題材そのものがちょっと日本人には実感しにくい? ものなので、そこらへんでソンした感じ。 本国アメリカの読者なら、もうちょっと身近な物語として楽しめたんだろうな? という印象だ。 おかげで、キャラクターたちの配置やストーリーのテンポそのものはそんなに悪くないんだけど、なんか風邪をひいたときのボケた頭で、楽しめないままお話を追っているような感覚であった。 第二作目以降のシリーズの邦訳が続かなかったのも仕方ないと思う。 初弾がこういう作品・事件だから損をした? と見るならば、もったいないような、そうでもないような。 |
No.1088 | 7点 | 上海から来た女- シャーウッド・キング | 2021/02/07 20:13 |
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(ネタバレなし)
「俺」こと26歳の二枚目、ローレンス・プランターは長い船員生活を経て陸に上がり、今は43歳の辣腕弁護士マルコ(マーク)・バニスターの運転手を務めていた。そんなある日、バニスターのパートナーの弁護士リー・グリズビイが、ローレンスに奇妙な提案を持ち掛けてくる。それは5千ドルの謝礼と引き換えに、グリスビイ自身の偽装殺人計画を請負、じきに確実に無罪で釈放されるからいっときの容疑者役を引き受けてほしい、というものだった。ローレンスは依頼の裏の事情をあれこれと読みつつ、相手の申し出を検討するが。 1936年のアメリカ作品。 00年代に「ポケミス名画座」の一冊として初めて日本に翻訳された、名作ミステリ映画の原作作品である。 映画版の主演・監督はオーソン・ウェルズ。 評者は、映画が日本で初めて公開された当時、たしかミステリマガジンなどで、都内で限定上映の情報を聞いて興味を覚えたものの、いかに当時からさすがにオーソン・ウェルズの実績は知悉(というのもおこがましいか~笑~)とはいえ、未知の原作者のこの映画を観にいくまでには意欲が湧かず、そのままスルーした。 21世紀の今では低価格DVDやレンタルソフトなどで容易に鑑賞可能な一本のようだが、結局のところ、いまだ観ていない(汗)。 (といいながら、映画の企画制作にあの『第三の犯罪』『間抜けなマフィア』のW・キャッスルが大きく関わっていたことを、このポケミス巻末の解説で改めて意識した。じゃあそのうち、機会を見て観賞するか。) とはいえこの原作小説は大枠の文芸設定は同様だが、総体としてはかなり映画とは別物だそうで、その辺は今回、ポケミスの解説を読むまでもなく聞き及んでおり、そもそも「上海から来た女」なる設定のキャラクターはおろか、作中に「上海」という単語すら出てこないことも前もって知っていた。 (となるとこの小説の邦題、すんごくアレだよなあ。 なお小説の題名(原題)は「If I Die Before I Wake」で「眠ったまま死ねたなら」ぐらいの意味か。出典は作中で引用される詩からのようで、ポケミスの解説ではけっこう広い含意を示唆している。) ストーリーは無駄のない話法、短めの章立て、さらには大別された本文のブロックパート(「~部」)で構成され、加速感のあるサスペンスミステリとしては、この上ない丁寧な作法。 中盤以降から、サプライズとどんでん返しにあふれて、2~3時間で読者の目を釘付けにしたまま一気に読ませてしまう、パワフルな長編である。 一方で、1930年代のクラシックともいえる一冊なので、フォーマルな作劇ゆえに、どうしても先読みできてしまう箇所がなくもない。それでもトータルとしては、十分に作りこんだノワール・サスペンスの秀作だろう。 (主人公が偽装殺人計画に引きずり込まれるという大設定=物語の発端は、後年のグレゴリー・マクドナルドの長編『殺人方程式』の先駆だね。なおそちらとは導入部の序盤のみの合致だから、こう書いてもまったくネタバレにはなっていないハズだが。) はたして山場のテンションは、着地点がどこにいくにせよ、かなりの迫力がある。 クロージングの余韻も、しみじみと染みてくる。 なお作者のシャーウッド・キングは、このほかにもう一冊だけ相応に反響を呼んだ作品を書き、実質その2冊だけで消えてしまった女流作家らしい。 その、未訳の方のもう一冊も、このレベルなら、ちょっと読んでみたいとは思う。 |
No.1087 | 7点 | アッシャー家の弔鐘- ロバート・R・マキャモン | 2021/02/07 07:30 |
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(ネタバレなし)
1847年3月。愛妻ヴァージニアと死別して悲嘆にくれるE・A・ポーの前に、一人の紳士が現れた。紳士は自分が、ポーが著した短編『アッシャー家の崩壊』の主要人物ロデリックの弟、そしてマデランの兄であるハドスン・アッシャーだと名乗った。当惑するポーにさる事を確認してすぐ、その場から去るハドスン。そして時は流れて、1980年代初頭の現代。今日のアッシャー家は、米国はおろか世界各地の戦局にさえ常に影響する一大軍需工場の当主となっていた。そのアッシャー家の末裔=現当主ウォルターの次男である33歳のリックスは、死の商人の家業を嫌悪し、売れない作家として苦闘していたが、そんな彼に実家に戻るようにとの指示がある。 1984年のアメリカ作品。 マキャモンといえば、評者はこれまでウン十年前に『奴らは渇いている』ひとつしか読んでなかった(本の購読だけはちょっと、してある)。本サイトで好評の『少年時代』なんかもまだ未読。 今回、タマにはこんなのも……と思い、蔵書の中の積ン読本を手にして読み始めてみたが、さすがふた昔前の、ながらも、かなりの人気作家。全編の筆に勢いがあり、上下巻で合計700ページの紙幅を一日かけずに読ませてしまった。 なるべくお話のネタバレにならないよう、序盤からの大設定のみを主軸に語るけど、古典ホラー(原典の短編小説『アッシャー家~』は広義のそれだよね?)の有名どころキャラクター(その当人のあるいは係累)が現代では大企業のトップになっているというのは、ハマー・フィルムのクリストファー・リー主演映画『ドラキュラ72』とかを連想させて実に楽しい。 しかもアメリカのみならず全世界を市場とする国際的な死の商人で、主人公はそんな実家の仕事に反発して作家をやってるけれど、なかなかうまくいかず……のくだりには、たぶん作者マキャモン自身の文筆家としての心情吐露も入っている感じでこの辺もまた興味深い。 (一方で、ポーが、どういう事情や接点から<実は作中世界での現実であった? アッシャー家の内部事情>を書いたのか、というポイントについては……まあ、ムニャムニャ……。) さらに主人公リックスの里帰りとそれに連なるストーリーラインと並行して、何か訳ありな15歳の少年ニューラン(ニュー)・タープのお話が綿々と語られていき、どのタイミングでこの二つの話がどう交差するのかも、当然のごとく作品の大きな興味となる(もちろんここでは具体的には書かないが)。 とはいえある意味で、この作品の本当の主役なのは、作家リックスでもニュー少年でもなく<現在のアッシャー家>といえる<ある建造物>であり、そのコワさは読んでからのお楽しみ、ということで。 (これはネタバレにはならないと思うが)ちょっとマシスンの『地獄の家』的な幽霊屋敷ものモダンホラーの趣もある。 前述のように正にイッキ読みのハイテンションだし、終盤の(中略)も個人的にはなかなか刺激があった。 ただし、最後まで読むと、それなりに存在感も重要度もあったはずの某・登場人物のひとりが、結局、この人は(中略)だったの? それで(中略)なの? という感じで、なんか作者からもすっかり忘れられてしまったのが気にはなったり(笑)。 あと細かいところでは「この辺の説明、うっちゃったままでしょ?」というところがいくつか目についちゃうのもアレな感じで(特に一部のキャラの内面描写がかなり言葉足らずなところとか)。 それと、終盤まで読んでわかるタイトルの意味は結構いいかも。スゴイスゴイの描写が軽すぎて、悪い意味でマンガになってしまった部分がなきにしもあらず、ではあったが。 |