皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
していません。ご注意を!
人並由真さん |
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平均点: 6.34点 | 書評数: 2216件 |
No.176 | 5点 | ようこそ地球さん- 星新一 | 2017/07/25 20:27 |
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( ネタバレなし)
およそ一年前に『ボッコちゃん』を読んだときは初期のど傑作短篇に再会する喜びも込めて「時代を超える星新一すごい」だったのだが、現行の定本二冊目といえる本書収録作では、ショートショートの作り方に慣れて来た作者の余裕が悪い意味で感じられるようで今一つ。 もちろんよくできた作品もあるんだけどね。 |
No.175 | 5点 | 雷神- カーター・ブラウン | 2017/07/25 20:07 |
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(ネタバレなし)
コンピュータ開発の大手企業社長デイン・ガローが行方をくらました。彼は秘書で愛人 の美女リタ・ブレアとの関係を何者かに脅迫され、6万ドルに及ぶ会社の資産を横領していた疑惑がある。ガローは美人の妻セルマの宝石も現金にかえたらしく、ウィーラーは手掛かりを追って宝石商ギルバート・ウルフを訪ねるが、そこで殺人強盗事件に遭遇。同時に街で暗躍する金庫破りのハーブ・マンデルたち悪人トリオの存在を知った。二つの事件はどう結びつくのか。 ポケミスで最後に刊行された作者の邦訳作品。 大昔にカーター・ブラウンの作品はかなり読んだが本当に久しぶりに本書を手に取った。 B級クラスのミステリとして意外な展開(ただし最後のどんでん返しを早々と察する人もいると思う)、軽妙でお色気に満ちたストーリー運びといつもの作者の一冊だが、今回は後半、法廷ものの興味が強くなり、いつもはやかましいオヤジのレイヴァーズ保安官が意外にカッコいいのが印象的。 なおその保安官の秘書でウィーラーといつもはツンデレ的な掛け合いをするアナベル・ジャクスンは、本作の数冊前の『死のおどり』でほぼ恋人関係までいったんだけど、また二人の間柄は初期化されてるね。 まあその方が楽しいんだけど。 |
No.174 | 7点 | フレンチ警部最大の事件- F・W・クロフツ | 2017/07/24 15:03 |
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(ネタバレなし)
フーダニットとも純粋なアリバイ崩しでもないのだが、警察捜査小説の中に多様な興味を盛り込んだ実に読み応えある一冊だった。 終盤、ようやく犯人像が絞り込まれてくると暗号まで登場し、立体的な興味で読者を飽きさせない作りは初期作ならではの気迫を感じさせる。 ところでこの時点でのフレンチには戦死した息子がいたんですな。この設定はのちの作品でもいきてるんだろうか。 |
No.173 | 5点 | 陽気なギャングが地球を回す- 伊坂幸太郎 | 2017/07/24 14:44 |
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(ネタバレなし)
器用で才能のある作家が読者を饗応させるエンターテイメント。 読んでるあいだは面白かったけど、伏線の回収の手際良さもふくめて、ああ優等生の作品だなという印象で引っかかる部分が少ない。 |
No.172 | 7点 | ガラスの村- エラリイ・クイーン | 2017/07/24 14:17 |
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(ネタバレなし)
地方の街での群像劇とフーダニットものの興味が渾然となった秀作。事件のカギとなるキーアイテムのあつかいも自然でよく出来たヒューマンドラマミステリである。 ポケミスでの初刊当時、日本版ヒッチコックマガジンの書評ではクイーンのそれまでの作中、もっとも美しいラストシーンと評価された記憶があるが、その言葉にウソはないね。 原書の刊行直後、一流のスタッフ、キャストでこれを一時間枠のワンクールものの白黒テレビシリーズにしてほしかったなあ。 |
No.171 | 5点 | 三つ首塔- 横溝正史 | 2017/07/24 13:56 |
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(ネタバレなし)
作者との対談で栗本薫がしきりに「この作品は××が出るんですね」と驚嘆していたのを読んだ記憶があり、どんな風にその趣向を使うのかなという興味も踏まえて読んでみた。 全体的な内容はなるほど豪速球の通俗スリラーで面白いといえば面白いが、ラストの犯人の正体は苦笑せざるを得ない。どうやって真犯人は多数の被害者の住所や居場所を把握したのだろう。 のちの金田一ものの某長編はこのリベンジかね。 あと男性主人公の身持ちの固さを最後に語る「実はそれまで〜」というのもなあ…。××喪失が×××なんて、榊一郎の「イコノクラスト」か。 |
No.170 | 6点 | 一本の鉛- 佐野洋 | 2017/07/24 10:47 |
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(ネタバレなし)
当時としてはかなり垢抜けた作風 の一冊で、作者と読者の一種の暗黙の了解を逆手に取った大技もなかなか。 のちの『十角舘』あたりにも影響を与えているのではと思う。 |
No.169 | 7点 | 遠い悲鳴- フレドリック・ブラウン | 2017/06/23 09:47 |
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(ネタバレなし)
不動産屋で失敗し、同時に仕事で心身をすり減らした三十代後半のジョージ・ウィーヴァ。一度、店を畳んだ彼はサナトリウム生活を経てニュー・メキシコ州の田舎町アロセ・ヨーコで、再出発の準備を図る。愛する2人の娘エレンとベティ、それに愛情がさめていく太った知性の足りない妻ヴィを自宅に遺して現地に来た彼は、旧友の文筆家でこれからハリウッドに向かうリューク・アシュレーと再会。彼からある依頼を受けた。それは今度、ウィーヴァが借りることになった郊外の一軒家に関するもので、そこでは8年前に若い女性ジェニー・エームズが当時の同家の家主だった素人画家の青年チャールス・ネルソンに殺害されたという。ジェニーの婚約者とおぼしきネルソンはそのまま逃亡。今もその行方は不明である。リュークは今後の創作のネタのため、ウィーヴァが滞在予定の夏期の三か月の間、彼に改めてこの事件の真実を再調査してほしいと願うが……。 1961年に原書が刊行された作者のノンシリーズ編。邦訳は、この作者としては珍しくポケミスに収録された数少ないものの一つ。 場面転換の早く、流れるように進むストーリーテリングの妙、さらには半世紀を経た翻訳者・川口正吉の訳文もおおむね平明かつハイテンポで、あっという間に読んでしまった。まあ総ページ数も220弱と、そんなに多くはない一冊だが。 主人公ウィーヴァが健在な証人を訪ねてまわるうちに当時の事件の概要が少しずつ見えてくる一方、殺される直前に初めて現地に来たらしい肝心のジェニーの素性はなかなか明らかにならない。その意味では<被害者もの>のジャンルにも分類される内容だが、その煽り方はブラウンの筆が冴えた感じで実に面白かった。 さらに終盤数十ページの話のまとめ方、クロージングの衝撃などは同じ作者のあの力技ミステリ『3、1、2とノックせよ』を彷彿させる鮮烈な印象度(もちろんミステリとしてはまったく別のことをやっているが)で、夜中に読んでいてすっかり目が醒めてしまった(笑)。まあ人によっては……かもしれない。 ちなみに題名の意味は、物語の舞台となる山際の田舎町に響くコヨーテの遠吠えと、事件を洗い直すうちにウィーヴァの心象に聞こえてくるような、殺害される際のジェニーの絶叫、その双方を掛けたもの。邦題だとちょっとそのニュアンスがすぐに伝わらないのは惜しいね。 |
No.168 | 6点 | 黄色の間- M・R・ラインハート | 2017/06/17 19:56 |
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(ネタバレなし)
終戦の兆しも見えない太平洋戦争中のアメリカ。名門スペンサー家の令嬢キャロル(24歳)は、一年前に婚約者ドナルド(ダン)・リチャードソンが戦死した心の傷みからようやく癒えようとしていた。そんなキャロルは、メーン州にある実家の別荘に赴き、家族との避暑の準備を始めようとしたが、その別荘の二階<黄色の間>で無惨に焼かれた、素性不明の若い女性の死体を見つける。しかもこれと前後して別荘では下働きの女性ルーシー・ノートンが何者かに襲われたらしい形跡もあった。近隣に住む傷痍の青年軍人ジェリー・デイン少佐とともに、キャロルは怪事件の謎に関わっていくが、そんな彼らの周辺では矢継ぎ早に予想外の事態が…。 HIBK派の巨匠ラインハート(1876~1958)が1945年に著した長編。日本ではHMMの2001年5~9月号に発掘翻訳=連載されたのち、ポケミスに収録された。 メインの素人探偵役はデイン少佐で、彼がキャロルを伴いながら怪事件に踏みこみ、同時に両人の恋模様も進んでいく。 仕様としてはラブロマンスサスペンスの趣だが、それ以上になかなかこってりした謎解き(犯人捜し)パズラーの要素も強く、特に謎の被害者の正体とそれに関わる人間関係が見えてきてからは読み手を飽きさせないまま、興味を牽引していく。 それにしても直接は戦場の描写のない作品ながら、一般市民に関わる戦時下のもろもろの厳しさが見え隠れする一冊であり、こういう時代の少し先にマクロイの『逃げる幻』(ほぼ終戦直後のリアルタイムの事件)などもあったと思うと、なんとなく感慨深い。 真相はほど良いバランスで込み入っており、理解が追いつく程度に意外性もなかなか。作家歴を重ねた晩年の作者としての力作だったのだろうと窺い知れる。 |
No.167 | 7点 | わたしとそっくりの顔をした男- サミュエル・W・テイラー | 2017/05/27 12:00 |
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(ネタバレなし)
第二次大戦の終結から数年。「わたし」こと会計事務所経営のチャールズ(チック)・ブルース・グラハムは、自宅で自分とそっくり、自分こそ<チャールズ・グラハム>だと称する男と出会う。さらに妻のコーラ、その兄で「わたし」の仕事のパートナーでもあるバスター・コックス、そしてバスターの妻エセリーンまでが口を揃えてもう一人の方こそ本物のグラハムだと認めた。警察も呼ばれるが、愛犬ジッグスがもう一人の方になつき、さらには指紋での照応まで何故か「わたし」の主張を裏切った! 家を追われた「わたし」は近所の食堂で、自分そっくりの銀行員アルバート・ランドが強盗殺人を行い、逃走中というニュースを見る。「わたし」は救いを求め、かつての恋人マリー・デービスとその兄ウォルトに連絡を取るが…。 1949年のアメリカ作品。旧作の発掘に意欲的だった二十世紀末の新樹社が原書の刊行からほぼ半世紀経って邦訳してくれた一冊で(当時の新樹社は素晴らしかったねえ)、突拍子もない設定の導入部、容赦なく主人公を追いこむ先の読めない展開、加えて本来はイノセントなはずの動物や客観的証拠の指紋までがなぜ自分を裏切る? というサスペンスフルな謎などなど…実に面白い。 特に中盤、「わたし」の説明を聞いて一応の事情を信じたウォルトが語る疑問<もし悪人たちの奸計でチャールズ・グラハムのすり替えが進行しているのだとしたら、それなら一味はさっさと本人(きみ)を殺して入れ替わってしまえばいい。なぜきみを生かしているのか?>は、読者の方もまさにそのへんのタイミングで感じていた強烈なホワイダニットであり、この辺のミステリ的な興味も実にいい。 終盤まで息をつかせず読み終えさせるが、最後の方で捜査陣の警官のひとりが<『ここ』で現在の事態をおかしいと思った>というあるポイントを語り、その意味で倒叙ミステリ的な<悪事のほころびがいかに暴かれるかの興味>を満足させているのも本当にステキ。 翻訳も総じて読みやすく、1940年代に書かれたとは思えない実に現代的な作品である。 作者はあと一冊だけ、ミステリを書いたそうだけど、そっちもどっかからか紹介してくれないものか。 |
No.166 | 6点 | ニューヨークの野蛮人- ノエル・クラッド | 2017/05/27 11:10 |
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(ネタバレなし)
時は1950年代。ネイティブ・アメリカンのショショニ族出身の青年ジョン・ランニング・トリー。彼は第二次大戦時にレインジャー部隊に所属し、部族伝来の絞殺術で多くのドイツ兵の命を奪い、銀十字勲章授与の栄誉に輝いた男だった。そんなトリーは33歳の現在、年長の白人の友人で暗黒街の大物フランク・ティーグのもとで殺し屋として働いていたが、次の標的「S・ハリス」のファーストネームがスーザン、つまり未亡人の女性と知ると二の足を踏む。暗殺者としてすでに十数人の命を奪ってきたトリーだが、女殺しだけはやったことがなかったのだ。フランクに仕事の辞退を申し出たのち、奇妙な関心からそのスーザンそして彼女の聾唖の息子ジェフと関わりあったトリーは、スーザン当人もその価値を自覚していない土地の利権事情ゆえに彼女が命を狙われているのだと察した。これと前後して交代の殺し屋コンビが到着。一方でトリーは、かつての恋人でやはりネイティブ・アメリカンの女性エリザベス・ウィンチェスターとも再会した。軍人だった夫を事故で失って以来、生と死の問題にセンシティブになるスーザン、物語上の英雄のインディアンの姿をトリ―に重ねるジェフ。そんな母子がやがて迎える運命を意識したトリーは、二人を守る闘いを決意する。 1958年のアメリカ作品。日本では翌年の日本語版EQMMで原書を読んだ都筑道夫が熱い筆致で大絶賛し、本編そのものは64年にポケミスで訳出された(都筑のくだんの文章は名著「死体を無事に消すまで」に収録されてるから、そっちで読んだ人も多いだろうと思う)。 今回は例によって未読のポケミスの山の中から引っ張り出して初めて読んだが、まあ途中までの大筋自体は非常にわかりやすい。設定だけ読んでもトリーがフランク(および彼に殺しを願った者)を裏切る形になり、スーザン母子のために戦うことになるのは見え見えだし、かつての恋人エリザベスがナイトクラブのダンサーとして姿を見せるあたりは、まんま往年の日活アクション風の定石である。 とまれ小説としての賞味どころ、都筑が絶賛した魅力は、そういう定型的な大枠のなかでしっかり造形された登場人物の叙述や、独特の抒情を感じさせる文体の方にある。何より主人公のトリーには、作品のなかで少しずつ語られていくが、二十世紀のアメリカのなかで本来の矜持をすり減らしていくネイティブアメリカンの悲哀があり、その辺は英雄だったトリーの祖父トール・カイト、現実に負けて死んでいったトリーの父たちとの世代の対照でも語られる。主人公とヒロインの関係も、トリーとフランクの関係もそれぞれ一筋縄では行かず、さらには後半の事態に関わってくるジェフ少年の養護教諭である老女ミス・アダムズの思弁などもかなり印象的に綴られる。 刊行後、半世紀の時の経過のなかでその後に続いたノワール・サスペンス系の類作に食われてしまった感じがまったくないわけでもないのだが、先に書いた独特の詩情を漂わせる文体(ウールリッチと評する人もいるようだが、個人的にはバリンジャーとかに近い印象だ)もあって色あせない魅力をもつ一冊でもある。 ちなみに本書の翻訳を担当した宇野輝雄氏が今年の初めに亡くなられていたことを、今月発売のミステリマガジンで初めて認めた。本書はそのことを知らないで本当に何となく手に取った。クリスティーからシェル・スコット、ハニー・ウエストまで幅広く邦訳してくれた大ベテランの業績に深く感謝。 |
No.165 | 7点 | 贋作- パトリシア・ハイスミス | 2017/05/20 03:52 |
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(ネタバレなし)
6年前になりゆきから友人の御曹司ディッキー・グリーンリーフを殺害し、その財産を手中に納める完全犯罪を為した青年トム(トーマス)・P・リップリー(リプリー)。31歳になった彼は新妻エロイーズとともに、フランスの片田舎で有閑生活を営んでいた。トムの今の収入源の一つは、異才の画家フィリップ・ダーワットの絵画を売買し、また彼が監修役を務める美術機関「ダーワット画廊」によるものだが、実は数年前に当のダーワットは溺死しており、その事実を隠したトムと仲間たちは若手画家バーナード・タフツにその贋作を描かせては利益を上げていた。そんななか、ダーワットの現在の技法に違和感を覚えた素人美術愛好家のアメリカ人、トーマス・マーチソンが来仏。マーチソンに真実を見破られたトムは彼を殺害し、仲間たちを巻き込んで事態の収拾を図るが……。 リプリー(角川文庫の訳書ではリップリー表記)を主役とするピカレスクサスペンス五部作の第二弾。今回は以前から購入してあった1973年刊行の角川文庫版で読了(現状のAmazonには登録がないが、この角川文庫が日本初訳の元版である)。 アマチュア~セミプロの犯罪者、リップリーの独特の魅力<まちがいなく悪人・でも破滅しないでもらいたいと読み手に思わせるあの奇妙な感覚>は前作同様、今回も健在。 文体は相応に粘着質で、最初の内こそ疾走感は希薄だが、読みなれてゆくとそのじわじわ来るサスペンス味が実にたまらなくなる。その辺はいかにもハイスミス作品。リップリーの周囲に集う面々の誰がどのように重心を変えて事件に関わってくるか、読み手の想像力を刺激するその感覚が絶妙で、後半3分の1になってついにリップリーをおびやかすキーパーソンとなる人物が定まってからは、正にイッキ読みの面白さだった。 (なお作中でははっきり語られていないが、その登場人物のさりげない独白は、過去の語られざる事件性の一端を暗示させている…んだろうね。) ただひとつ残念なのは、本書の最初の翻訳が出たのが73年だったんだから、できればこれはその数年内に読んでおきたかったとも思った(筆者の場合、現実的にはいろいろ無理だが)。それはラストの演出でわかる。当時、リアルタイムで読めた人が少し羨ましいですな。 |
No.164 | 7点 | ずうのめ人形- 澤村伊智 | 2017/05/16 14:22 |
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(ネタバレなし)
零細雑誌「月刊ブルシット」のバイト編集者・藤間洋介は編集長の戸波の指示で、学生バイトの岩田哲人とともに、連載ライター・湯水清志の自宅に向かう。目的は、締め切りが過ぎても原稿が届かず、連絡もない湯水が気になったからだが、そこで藤間と岩田が目にしたのは両目を抉られ、顔を切り刻まれた湯水の惨殺死体だった。岩田は現場から、湯水の遺稿と思える不審な原稿を独断で持ち帰り、その複写を半ば強引に藤間にも読ませる。だがそれこそが、藤間にとりつく怪異「ずうのめ人形」の呪いの始まりだった…。 ホラーながらミステリとしても面白いという評判を聞いて初めて作者の著作を読んでみたが…しまった! 前作『ぼぎわんが、来る』の後を受けたシリーズもの(オカルトライターの野崎昆と、その恋人の霊能力者・比嘉真琴が活躍)だった! まあたぶん単品で読んでも大きな問題はなかったと思うが、そっち(『ぼぎわん』)はそっちで面白そうだったので、シリーズの順番どおりに手に取ればよかったな、とも思う。 超自然的な怪異そのものは厳然と存在する世界観だが、その上で過去の事態をめぐるホワットダニットや、錯綜した人間関係の謎がてんこ盛り。さらにはあの手の大技も出てきて、なるほどこれはミステリとしても十分に楽しめる。 ちなみにJホラーはそんなに詳しくないのだが、終盤の「これはありか…」という展開も含めてそれらしい湿った怖さと不愉快さは感じた。 あと本の厚みだけみるとハードカバーで300ページくらいかなと読み始める前は思ったが、実際には斤量の低い紙を使っていて400ページ近くあった。なんかその辺もこちらのスキを突いてくるようでコワかった。 |
No.163 | 6点 | ミス・ブランディッシの蘭- ハドリー・チェイス | 2017/05/16 07:51 |
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(ネタバレなし)
フランク・ライリー(37歳位)は、相棒のジョン・ベイリー(34歳)そして運転手役のサム・マッケイ(60歳位)と結託。荒事商売で糧を稼ぐギャングのトリオ。3人は、食品業界で「牛肉王」として知られる億万長者ジョン・ブランディッシの美貌の令嬢ミス・ブランディッシが身に着ける、五万ドル相当の価値の首飾りを狙う。だがライリーたちの悪事は成り行きで、首飾りの強奪から令嬢の誘拐へと発展した。4カ月後、ジョン・ブランディッシはいまだ落着しない愛娘の誘拐事件の調査のため、斯界で有名な私立探偵デイヴ・フェナーを雇うが……。 1939年に書かれ、当時の異色の英国ハードボイルドとして大反響を呼んだチェイスの処女作(創元文庫版のあとがきで訳者の井上一夫は1938年の作品と書いてるが、現在のwebでの各種の情報を参照すると1939年の著作らしい)。ところが内容がバイオレンスに過激すぎてかのジョージ・オーウェルとかの批判を食らい、やや内容をマイルドにした改定版が1942年に刊行。創元文庫の翻訳はこちらをベースにしている。 それで感想だが、すでに何冊か後年のチェイス作品を読み、自分のなかで最高傑作と信じる『射撃の報酬5万ドル』を頂点に、ほろ苦い文芸性が多かれ少なかれにじむ独特なノワール系の作風に楽しまされてきた身としては、ああ、本当に良くも悪くもこの手の方向としての直球勝負だな、という感じの一冊。 後年の諸作がそれぞれひしひし感じさせる、筋運びの達者さを見せつける職人作家ぶりはいまひとつ希薄だが(それでも前半3分の1の展開など、これがほぼ80年前の英国でそれなり以上に衝撃的だったのは想像がつく)、その分、全体的に当時の作者の<この一冊で英国のミステリ界をひっかきまわしてやる>的な熱気は感じられ、そのエネルギッシュな感触は悪くない。 ただまあ、さすがに過激さの点でも、小説技法の点でも、あまたのほかのノワール系の後続作家に抜かれてしまった感じもいくらかは覚えたが、それは仕方ない。この手の作品の新古典と思って読む心構えは必要だとは思う。 なお本書の続編『蘭の肉体』はまだ未読だが、内容は改定版の結末を受けたこの物語の次世代編のようで、早くも本書の改定版から十年経たないうちに書かれている。設定を覗くと作中では最低でも二十年近くの時間は経っているはずで、その意味では本書を基軸とするなら一種の近未来編だね。いつかそっちも読んでみよう。 また、中盤からもう一人の主人公的な立場となる私立探偵フェナーは、ほかにも活躍する未訳の長編があるらしい。興味があるので、いつか、本書の原型版とあわせて邦訳される日は来ないものか。切に希望。 |
No.162 | 5点 | 蒼ざめた馬- アガサ・クリスティー | 2017/05/13 16:39 |
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(ネタバレなし)
クリスティー1961年の作品。今回は仕舞いこんであったポケミス版の重版を引っ張り出してきて読んだ。 それにしても、うーん、登場人物が多い……。まともに付き合って、被害者のゴーマン神父が握ってたメモの名前までふくめて片っ端からリスト化していったら、最終的に60~70もの人名が並んでしまった。たぶんこの作者のなかでも筆頭格の多さじゃないかしらん。(そのくせ、ポケミス版の登場人物一覧に、主人公マークのガールフレンドのハーミアの名が無いのは解せない。) でもってこの作品でのクリスティーの狙いとしては、戦後すぐアメリカに行ってしまった盟友のカーとかが海の向こうで歴史ミステリ枠のなかでSFやらスーパーナチュラルな要素をぶっ込んでるのを遠目に、当時のミステリの女王が<一見オカルトものに終わりそうな異色作>をもくろんでみたような感じかと。その意味では全能感の強い名探偵であるポアロもマープルも出さなかったのは正解である。 (とはいえほかの方も指摘されているように、オリヴァ夫人とキャルスロップ(カルスロップ)夫妻の共演という趣向が、ポアロものとマープルものの世界観をさりげなく繋げていてファンには楽しい。) 真犯人に関してはクリスティーの作劇の手癖で早々と察しがついちゃうのがアレだし、事件や物語の細部でいまひとつ未詳な箇所も残る気もする。 でもちょっとラブコメ風味のサスペンス編としては、中盤で真打のメインヒロインが登場~活躍してからはそれなりに面白い。ジンジャは良い感じでクリスティーらしいエッセンスの詰め込まれた、当時の現代っ子ヒロインだったんじゃないかなと。 まあ事件の真相については、とにもかくにも20世紀半ばの法医学だから成立した種類の作品だろうとも思うけど。 |
No.161 | 6点 | あるスパイの墓碑銘- エリック・アンブラー | 2017/04/23 13:57 |
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(ネタバレなし)
私事で恐縮ながら、先日掲示板に書かせていただいたように、このところ多忙で、好きな、または個人的に興味のある本が読めない。それで本日ようやくこの一冊を消化した。 本作は、ポケミス(世界探偵小説全集)566番の北村太郎訳(邦題『あるスパイの墓碑銘』)で読了。 ちなみに本書は何種類か翻訳が出ている、作者アンブラーの中でも特に知られた作品だが、この長編を読むのなら、このポケミス版『あるスパイの墓碑銘』を絶対にお勧めする。 理由は、本書の原書には1938年に出版された本国英国版と、それとは別に刊行されたアメリカ版があり、後者の方は相当にダイジェストされているから。 そもそも筆者は大昔に創元文庫版を入手し、さあ読もうかと思った矢先、たまたま古書店で日本語版ヒッチコックマガジンの一冊を購入。その同誌に掲載されていた、ミステリ研究家の田中潤司の連載エッセイのある回で、本書には英国版とアメリカ版があり、大筋としてはかわらないが、情報量の多さからやはり元版の英国版をお勧めする、といった主旨の情報を得た。 そしてくだんの英国の元版をベースにし、さらにアメリカ版に後年つけられた作者アンブラーの自作を語るあとがきまで親切に巻末付録としてあるのは、日本ではポケミスだけのはずである。これが本作を読むのならポケミス版を推す事情だ(ちなみに英国版には各章のあたまに小見出しが設けられていたが、アメリカ版ではそれも割愛されている)。 それでポケミス版の訳者解説によると、アメリカ版は日本語の原稿用紙にして約100枚分短くなっているとのことで、読む前、それはいささかオーバーなのでは…ともなんとなく思ったが、しかし実際に今回、ほかの翻訳書(創元のいくつかの翻訳版、そして筑摩書房の世界ロマン文庫版)などを脇に置いて読み比べてみたけど、英国(ポケミス)版の第16章「逃げてきた人たち」がアメリカ版ではまるまるカットされたほか、各章本文の随所の描写も巧妙に整理・短縮されている。たしかにこれなら全体の5~6分の1くらい、すぐ短くなっちゃうかもしれない。 (まあ日本語の読み物としては、アメリカ版ベースの翻訳書の方が、その分スピーディになった効果もあるかもしれないけど。) …というような事情で、いつか読むならポケミス版で…と大昔から思いながらも、先に購入しちゃった創元版が手元にあることもあり、同じ作品をまた買い直すのもなー、と思いつつ、長い歳月が経っちゃった一作だった。 それで、これもまた、今回いつものように「一念発起して」念願のポケミス版で読んでみたというわけである(笑・しかし我ながら、このサイトに参加させて頂いてからもうじき一年。いままで何回「一念発起」して積読本を片づけたろう。たぶんまだまだこのパターンは続くだろうが)。 まあこんなこと長々と書いたけど、すでに近年、改めてどっかで語られている有名な書誌的事実かも知れないけれど。 作品の中身としては、久々のアンブラー(数年前に『ディミトリオス』を初読)だったけど、やっぱり面白いね。今までのアンブラーの個人的な最高傑作(というか大好きな作品)は『シルマー家の遺産』だけど、本邦では作者の代表作かのように言われる作品だけに、良い意味で一種の定食的な満腹感がある。(作中、不遇な運命を迎えた登場人物は気の毒だが。) ところで、上に書いた英国版の第16章がアメリカでカットされた事情ってなんだろう。やっぱりフランシスの初期作品にも登場するあの手の背徳性(を匂わせる描写)を誰かが規制したのだろうか? 【2022年5月16日追記】 上の本文で、「日本語版ヒッチコックマガジンの一冊」と書いたけど、この情報が書かれていた田中潤司の連載エッセイ(のうちの一回)は、正しくは「別冊宝石」の「鬼の手帳」だったような気がしてきた。たまたま「別冊宝石」を何冊か引っ張り出して読んでると、該当の号には出会わないが、この連載のなかでだったように思えるのである。 |
No.160 | 7点 | レフカスの原人- ハモンド・イネス | 2017/04/12 03:09 |
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(ネタバレなし)
「私」こと27歳の一等航海士ポール・ヴァン・デア・ブールト(旧名ポール・スコット)はある夜、暗殺者に狙われた同僚を庇って応戦。その乱闘の最中に正当防衛とはいえ人を殺したのではないかと心を苛んでいた。警察の追求を避けるポールは、不仲で8年間も会っていない養父で60歳の考古学者ピーター・ヴァン・デア・ブールトの留守宅に忍び込むが、そこでポールは亡き母ルースがピーターに当てた昔の手紙から、養父が実は本当に血の繋がった実父だったと認める。ポールは同じ夜、父の自宅をあいついで訪れた、ピーターを敬愛する21歳の女子学生ソーニャ・ヴィンターズ、そしてロンドン大学の考古学教授ビル・ホルロイドと対面。彼らとの会話のなかで、学会を追われた異端の老学者である父ピーターが今は地中海に発掘調査に赴き、現地で助手の若者との間にトラブルを生じているらしいと知った。なさぬ仲の父のことなど忘れて洋上の船員生活に戻ろうかと一度は考えるポールだが、就業直前に思い直した彼は父のいる地中海に向かう。そこに待つのは人類発祥の謎をはらむレフカス島の古代遺跡と、開戦の危機下にある現在のギリシャの政情だった。 英国の自然派冒険小説の巨匠イネスの1971年の作品。筆者はこれまで読んできた何冊かのイネス作品(『キャンベル渓谷の激闘』『北海の星』『怒りの山』など)には、それぞれ重厚ながら同時にすごく骨太な小説的満足感を得てきた。 それで今回は久々に作者の世界に浸りたいと思い、以前から気になっていた題名の一冊を手に取った。ギリシャの西の地中海にあるレフカス島が小説後半の主舞台であり、このタイトルからして考古学の発掘を主題にした冒険行と人間ドラマになるのは明白。実際に渋くて地味な筋立てだが、イネスの作品はそんな外連味のない大枠のなかで丁寧に綴られる人間模様が、厳しい自然との相克が、そして何故か飽きさせないストーリーテリングの妙が、それぞれ本当に素晴らしいのだからそれでいい。 (だから逆説的に今回は、イネスの未読作品の中でも特に地味っぽいこのタイトルの本書を、きっとこういうのこそとりわけ<イネスっぽい>のだろうと予見しながら選んだ思いもあった~笑~。) 内容は予期したとおりミステリ味も希薄、活劇アクションなどもほとんどない渋い作りだが、主人公ポールが周辺の登場人物と絡み合いながら地中海に向かうまでの流れが丁寧に描き込まれ、読者の目線と合致した日常の場からの跳躍感がたまらない。これこそ自然派冒険小説の雄ハモンド・イネスの物語世界である。 くわえて多様な登場人物たちもそれぞれなかなか魅力的で味があり、意外に早々と登場するキーパーソンの父ピーターも、その恩師の老教授アドリアン・ギルモア博士も、そしてピーターの研究成果の横取りを企むホルロイド教授も、それぞれ学究の世界に身を置く者の多彩で際立った肖像で描かれる。そしてそんな彼らを前に、ポールの目線につきあう読者まで本作の主題となる考古学の深遠さに啓蒙されていく感覚もとてもいい。(さらにはヒロインのソーニャも、ポールを中古の大型ヨットで現地に送り届けるバレット夫妻も、地中海現地の面々も手堅い存在感と個性を放つ。) あとあまり書かない方がいいけれど、後半の展開で、ある種のミステリ的サプライズが用意されていたのにはニヤリとした。 しかしじっくり読ませるタイプの冒険小説ながら、あらすじの形ではその妙味を伝えにくい面もある作品。それゆえ邦訳のハヤカワノヴェルズ版の表紙折り返しにはなかなかドラマチックな展開が紹介されているが、実は該当の場面が出てくるのはおよそ全300ページの本文のなかの266ページ目。ほとんどクライマックスのネタバレである。いつか本作を読もうという人は、ここは先に読まない方がいいかもしれない。 まあケレン味の乏しい(でも面白い)この作品の扱いに困った当時の早川編集部の苦労も察せられるけど(笑)。 最後に総括するなら、イネス作品全般の英国王道自然派冒険小説流の渋さ・地味さに合わない人にはあえて勧めない。でもほかのイネス作品に触れてなんか独特の魅力を自分なりに感じ取った人なら、ぜひこれも読んでもらいたい、そういう秀作。 |
No.159 | 5点 | 墜ちる人形- ヒルダ・ローレンス | 2017/04/08 12:13 |
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(ネタバレなし)
NYにある煉瓦作りの8階建ての「希望館」は、裕福な篤志家の後援で運営される独身女性専用の集合住宅。環境や設備は良好で部屋代も格安ながら、その分、約70人におよぶ住人への日々の規律は厳格という気風の寄宿寮だった。この「希望館」に近隣のブラックマン・デパートのやり手の店員ルース・ミラー(29歳)が入居するが、それから数日後の仮装パーティの夜、彼女は7階から墜落して変死を遂げる。ミラーをひいきにしていた実業家の若妻ロバータ・サットン(20歳)は、夫ニックの友人である私立探偵マーク・イーストに調査を依頼。同時にロバータの年長の友人コンビ、ベシー・ペティとピューラ・ポンドもアマチュア探偵として独自の行動を始める。 ヘイクラフトやバウチャーにも称賛されたという1947年の新古典作品で、日本では20世紀の最後に発掘紹介された一冊。この作者のシリーズ探偵であるマーク・イーストものは、すでに1950年代の創元・世界探偵小説全集に『雪の上の血』が翻訳されており、本邦にはほぼ半世紀ぶりの再登場だった。 ちなみに90年代~2000年前後の小学館はこの手の未訳の海外ミステリ古典発掘企画にも積極的で、以前に筆者は当時の担当編集者さん(今は別の出版社に移籍)にお話を伺う機会があったが、ご当人のあとは担当する後継者が小学館社内に育たなくてこの路線は途絶えたとのこと。返す返すも残念である。 それで作品の中身は、アメリカの女流作家ながら、のちのレンデルやP・D・ジェイムズの重めの作品系列を思わせるみっしりした文体で綴られ、正直決して読み易い作品ではない。各章もそれぞれ中身の割に長すぎて息継ぎしにくいし、翻訳もところどころ気に障る。 それでも多数の登場人物を一カ所の主要舞台に押し込めた設定に独特の緊張感と魅力があり、なかなか本が手放せない。ベシーとピューラの有閑おばさん素人探偵コンビも、読んでいるうちにその自在闊達な言動がじわじわ楽しくなってくる。個人的に、最近は長編作品はベッドではあまり読まないのだが、これは続きが気になって本を寝床まで持ち込んでしまった。フーダニットとサスペンスが融合した方向性でいえば、マーガレット・ミラーの諸作に通じるところもある。 はたして最後に明かされる犯人の正体と動機に関しては面白い線を狙い、それをギリギリまで引っ張る演出も好感が持てるが、その分、解決のくだりなど少し舌ったらずな印象になった気もする。 全体的には、一回くらいは読んでおきたい佳作。 |
No.158 | 4点 | 殺人狂時代ユリエ - 阿久悠 | 2017/04/04 10:18 |
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(ネタバレなし)
30歳のジャズピアニスト、阿波地明。彼は、婚約者の正田玲子を寝取って淫乱な女に変えたのち、彼女を自殺に追い込んだと思しき男=「悪魔」ことマイケル・落合の手掛かりを求めて全米を渡り歩いていた。そして日々の生活のため放浪の「サムライ・ピアニスト」として西部の田舎町を訪れた阿波地はそこで喧嘩沙汰を生じ、地元の留置場に拘留される。だがその数日後、近所のドライブインで、突如精神が一時的に幼児に退行したような30歳の高校教師デーブ・オリパレスがショットガンを乱射し、多数の死傷者が出る。現場にわずかに生き残った者の中に日本人らしい少女がいたことから、看守役の中年警官スチーブ・カークの依頼で臨時の通訳を務めることになった阿波地。彼は病院でその子と対面し、相手が一年と少し前に日本から突如失踪して世間を騒がせた中学生の美少女・西村ユリエだと気づく。これが阿波地と、彼の、いや全人類の運命を変える魔少女ユリエとの出会いだった。 巨匠作詞家として高名で、ほかにも『瀬戸内少年野球団』の執筆など各メディアで文筆活動を行った著者の初期の長篇小説で、第二回横溝正史賞(現在の横溝正史ミステリ大賞)受賞作品。先日読んだ戸川安宣の「ぼくのミステリ・クロニクル」によると、当時の選考委員の一人だった土屋隆夫は本作の受賞に猛反対、結果、前回から同スタッフを務めていた土屋が3回目から外れ、さらに本書自体も何やかんやあって前回受賞の『この子の七つのお祝いに』(斎藤澪)のようにハードカバーでなく、カドカワノベルズの形で刊行されたという。(単行本での発売だと、本の巻末にその土屋の選評を載せざるを得ないからだろうか?) タイトルだけはなんとなく以前から気になっていた作品だが、実際に読んでみるとやはり通例の意味でのミステリではない(広義のミステリとしてもやや怪しい)。もし万が一、土屋隆夫が<せっかく創設したばかりの横溝先生の名を冠した賞が早々とこういう方向に行くのか!>と怒ったとでもいうのなら、その心情も十分に推される感じだ。 内容そのものも、今となっては漫画やラノベを含めてよくありがちな悪魔少女ものになっており、21世紀の現代、歳月を経て残るものがあまりない。<見た目美しい幼い少女の中の魔性>という主題自体は時代を超える普遍的なものだから、あまりそこにばかり集中した作劇をすると、当時の昭和風俗の部分以外は小説の個性として後年に読む所が少なくなってしまうのが厳しいところである。 ただまあ、さすがにヒットメイカーの作詞家だけあって、季節の推移や情景の描写などに費やすところどころの言葉の選び方はうまい、と思った。その一方で、それまでほとんどあるいはまったく登場していないハズの劇中人物が、いきなり読者目線ですでに見知ったキャラクターのように描かれるあたりは、妙に素人っぽかったのだけれど。 |
No.157 | 5点 | 幽霊殺人- ストルガツキー兄弟 | 2017/04/02 22:32 |
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(ネタバレなし~少なくとも具体的な真相も犯人も書きません)
「おれ」こと警察監査官のピーター・グレブスキーは家族を残して、冬山の渓谷「壜の細顎」にあるホテル「山の遭難者」に宿泊。二週間のスキー休暇を楽しむ予定だった。だがそのホテルで、密室状況の殺人と思われる事件が発生。雪崩の影響で平地との連絡も取りにくくなる。さらに同宿の者がもうひとりの自分を見たとか、室内の女性が人形に変わったなどと怪異を訴える。そんな一連の怪事の裏には、意外な真実が隠されていた。 タルコフスキーのSF映画『ストーカー』の原作でも知られる、ソ連時代のロシアの兄弟SF作家アルカジイ&ボリス・ストルガツキーが1970年に母国の雑誌「青年時代」に連載した長編作品。 設定も導入部も後半ギリギリまでの展開も純然たるオカルトミステリ風で、実際に作者コンビはミステリの意匠で読ませ、最後の最後で<読者があっと驚くどんでん返し>を狙ったようである。内容は正にその狙いに沿ったものなのだが、日本では本作が邦訳・収録された叢書のレーベルから、どういう方向のオチか待っているか大方読めてしまう。まあ本書の邦訳(1974年)以前からストルガツキー兄弟といえば日本でも当時のソ連SFの重要作家(の二人)といわれていたのだから、どういった叢書で出ても作者名を意識した時点で半ばアウトではあるが。 訳者の深見弾は本書のあとがきで、日本の読者はあらかじめこの作品の「戸籍」がわかっている、その上でこの物語がどういう形でその戸籍に収まるのか、それを楽しむべし、という主旨の言い方をしているが、これこそ言い得て妙だ。 素直に読むならたしかに<そういう方向>に行くまでの展開も、真相が発覚後の筋立ても、それぞれの味わいがある。 でもまあやっぱり、ポケミスで<ソ連のSF作家が書いた異色の、雪山での謎の怪事件!>とかなんとか言われながら、読みたかったよなあ。 いろいろ複雑な思いを抱きながら、この評点。 |