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クリスティ再読さん
平均点: 6.43点 書評数: 1253件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.113 6点 クリスマス・プディングの冒険- アガサ・クリスティー 2016/08/15 22:19
本短編集は、とにかく「おいしい」。食べ物描写に念が入っていて、それを読むだけでもイイな。で、収録は表題作70p、スペイン櫃の秘密70p, 負け犬100p, 二十四羽の黒つぐみ25p, 夢40p, グリーンショウ氏の阿房宮50p と、前半3作がほぼ中篇の体裁で、すべてガチのパズラーである。
本短編集は初期のキャラ別短編集みたいなものではなく、長編の抜粋か雛型みたいな内容である。もう一ネタ組み合わしてキャラをうまく設定すれば立派な長編になるくらいのもの。というか、「葬儀を終えて」の後の小暗黒期だと内容的に本短編集レベル以下の作品が結構あると思うよ....まあだからクリスティに純粋にパズラー以外求めないような読者なら、コスパよく充分満足のイケる作品集だろう。
個人的にはイギリスのクラシックなクリスマス料理って食べてみたいな....昔クリスマス時期に「プディング」を売っている店を見つけて、クリスマス時期になると買ってたのが懐かしい。評者のイギリス料理の印象はほぼクリスティの作品で培われたものじゃないかな。
で評者は次に「マン島の黄金」を読んだんだが、これが結構本短編集とバージョン違いがカブるのだ...詳細は「マン島の黄金」を見よ。

No.112 4点 刑事くずれ/最後の依頼人- タッカー・コウ 2016/08/07 23:07
このシリーズの最終作に当たる。けど...ホントにイキナリ断ち切ったような終わり方をして、シリーズ最終作らしい後日譚とかまったくない。この作品でいよいよ、ミッチが失職する出来事の元凶である元愛人のリンダが登場する。この女にハマってミッチは相棒の単独行を許し、ために相棒が殉職するという不名誉を引き起こした原因なんだけど、それほどの因縁の相手であるにもかかわらず、冒頭にちょっと登場しただけで、以降全然登場しない....あれれ、ってうちに最後のページになってしまう。異例な狙いの多い本シリーズらしさの最大のものはやはりこのことだろうね。
でまあ、この原因を推測するとなると、どうやら本シリーズ打ち切りの原因にも関わるようである。というのも、作者ウェストレイクが一貫して本シリーズの献辞の対象としている妻と、離婚したようなのだ。とすると...おそらくその妻とリンダとが重ね合わせになっているんだろうね。というわけで、ほんとうに献辞のとおり「やあ、さようなら」なんである。
まあ本作は、事件がいろいろと並行して進行して動き、ためにミッチが複数の相手に複雑な駆け引きを行うので、やはり本シリーズ他作品とは違って、一番ハードボイルドっぽい。それでも被害者の身元推定とか、結構推理力抜群の名探偵である。キャラの陰影もシリーズ全体の中でも深いので、ブチッとイキナリ終わるようなラストが残念な感じになって本当にもったいない。
結論:本シリーズは、ピークは2作目の「ヒッピー殺し」。やはり前半の方がサエてるね。だんだんミッチが魅力的にはなるんだけど、狙いすぎて自分の首を絞めてるような印象だ。難しいなぁ。

No.111 5点 刑事くずれ/牡羊座の凶運- タッカー・コウ 2016/08/03 22:05
本格モノ設定をリアルに、かつ60年代末風俗にうまくアドプトした本シリーズだが、評者は最初の3冊を前に読んで残りを読んでなかったよ。いい機会なので残り2冊も読むことにする。
本作実は「占星術殺人事件」である。別にアゾートは作らないが、本作のメタなネタはたぶん、占星術みたいなオカルトがリアルな事件の手掛かりになったり、動機になったりするというのを狙ったのではなかろうか(島荘だと煙幕以外の役割ないもんね)。一応ちゃんとリアルな範囲で、占星術が犯人発覚の手掛かりになっているし、(3つ目の事件の)動機にもなっている。ただし、それほど派手なものではないので、期待するとちょっと肩透かしか。
今回の背景はゲイコミュニティ。描写は差別的ではないし、ファッションとかインテリアの趣味がきっちり描けているので、リアリティがある。最初の被害者がガチのオネエだ。で、表面の関係から一歩踏み込んだら、それこそ人物相姦図になって収拾つかなくなるあたり、まあ結構らしく書けているな。で、このコミュニティの犯人以外の人々が、主人公のミッチと一緒に最後に犯人を罠にかけようとするのが、終盤結構サスペンスあり。警察官によるゲイいじめも背景に絡んでいるが、まあエンタメなので、ストーンウォール反乱のあとすぐあたりの状況とかはあまり窺われない。作者はたぶん単純にサブカルが好きなんだろうなぁ...
まだから割とイイんだけど、「ヒッピー殺し」と比較するとやはり落ちる。しかたないか。

No.110 7点 刑事くずれ/ヒッピー殺し- タッカー・コウ 2016/07/29 22:24
筆者は本サイトに書き込みをするような人だからまあミステリマニアの部類に入るのだろうけど、「密室もの」ってのはどうも苦手だ。
だってえ、いろいろな解法がありすぎるために、具体的な小説の中で一つに決定することが難しいから、推理してもムダになることが多いし、設定としてオタク臭が強いからリアルな小説とはそもそも相性が悪い...というわけで、長編の密室ミステリなんて評者はホントに厄介なものとしか思えないや(まあだから犯人の意図に反して密室になってしまう..とかはオーケーだよ)。
本作の凄いところというか、まさにその狙いは「リアルな密室もの」を書くことなんだよ。本作は現場が密室になることの流れの説得力や、犯人にとっての密室になることのメリット、それに狭い意味でのトリックとしての自然さ..と、「リアルな小説の中での密室」に非常にイイ回答をしている作品である。まあこの「刑事くずれ」シリーズ自体が、ちょっと大時代的なネタをほぼハードボイルド的と言っていい小説内容でコナしてみせる、という志の高いシリーズになっているんだが、その中でも出色である。あれっ、たぶん本文の中で「密室」という言葉さえ全く使ってないんじゃないかなぁ。
まだからトリックマニアはつまらながるかもしれないが、見どころはリアルに徹した作者の小説的処理の手際のよさである。若干メタな視点かもしれんがそれをとくとご堪能あれ。評者みたいな「密室嫌いな小うるさい読者」のための密室ミステリだよホントにこれはね。
あと本シリーズは、心に傷を負った元刑事絶賛引きこもり中が名探偵である。今のラノベでもありそうな設定なんだが、60年代にこの設定を考えたのはスゴいなぁ....

No.109 8点 高い窓- レイモンド・チャンドラー 2016/07/19 23:05
本作は面白いわりに知名度がないのは、いわゆる「チャンドラー節」みたいなものが薄いせいなんだろうな...本作にはいわゆる名セリフはない。しかし細部へのまなざしが印象的だ。プリーズ警部補の葉巻の吸い方、フィリップスの帽子、モーニィ夫妻の夫婦喧嘩、モーニングスターの駆け引き、エレベーター係の老人などなど、デテール描写が新鮮というか衝撃的なくらいな覚醒感がある。
実は本作の直前に「占星術殺人事件」みたいなお約束をよしとする小説を読んでいたためか、チャンドラーなんて読むと、ミステリのコンベンションに対して斜めに構えた、オフビートなクールさが無性にカッコよく感じられる。そう、意外に本作はモダンな雰囲気があるんだよね。少なくとも70年代くらいの背景にしても違和感がないんじゃないかな。
でしかも、本作は短編をつぎはぎしたものではない、一貫したプランで書かれた作品なので、マーロウがちゃんと名探偵していて真相をしっかり暴いている。チャンドラーは合う・合わないがあるだろうけど、本作が一番つじつまの合った「無難な名作」になるような気はするね。
けど、ミステリとしてはホントにオフビートだと思う。家出した妻はあまり真相にからまないし、金貨は盗難かどうか微妙だし、マーロウは殴られもしないし、銃も撃たないし...派手なところはないんだけど、ロスマクみたいに地味に倒れない。ちょっと不思議な作品である。

No.108 5点 占星術殺人事件- 島田荘司 2016/07/19 22:36
さて当サイトで絶大な人気の作品だなこれは。評者本作は80年代中ごろに講談社ノベルズ版で読んでいる。だから当時の話題作ではあったけど、今みたいに本作のトリックが俗化していない時期だが、そういう頃に読んで若干モヤモヤした作品である。ようやくこのことが書けるな、単純にうれしい。
長編パズラーってのは評者は「なぞなぞ」ではなくて「パズル」であって欲しいと思っているんだ。この区別は情報論的なものだ、なんていうとかっこいいのだが、違いは「なぞなぞ」は最初にすべての手がかりが全部でそろっている状態だけど、「パズル」は不完全な情報が時系列でいくつも提示されて、それを正しい組み合わせで見たときに初めて解けるような問題だ、と仮に定義したい。本作だと竹越手記は単に「how」を提供して縛りを緩める働きしかないし、京都行きとその結末となる変造札に至っては本当に単に名探偵へのきっかけづくり程度のもので、何か情報を提供したものではない(請われて与えるヒントみたいなもの)だから、無くても全然困らない...というわけで、長編パズラーとして長さの必然性を感じないんだよね。つまり、事件のアウトラインを説明されたところで、名探偵らしくサクっと種明かししてもミステリとしては全然問題ない(が小説家としては困るだろうね)。まあこういう作品というと「オリエント急行」があるけど、あれだと終盤おもむろにポアロが目をつぶって考えると真相がわかっちゃう...申し訳ないが評者はこういうの安易に感じてイヤだな。
であと、ネタがわかったあとでの具体的な犯人指摘のロジックは評者は混乱してるようにしか思えないや。初めて読んだ時に、評者は真犯人の身の上のベタさがイヤなこともあって、いろいろ考察したんだけども、穴の深さと状態からのロジックは、真相が唯一の解釈であるとまでは言えないように思う。まあ同様の真相の唯一性のなさは密室トリックにも言えることではあるけどね。
あと細かい事言うと、昭和11年2月26日は、2月23日の記録的豪雪の後で、ぐちゃぐちゃになった汚い雪の上に新しい雪が積もったような状態だったらしい。有名な日の天気だし、ツッコまれるのを想定してなかったかなぁ。まあ、総じて梅沢手記は戦前の人の文章にも見えないし、狂気も感じない。地理感覚も戦後の人のものだよね...ここらは小説としての詰めの甘さのように感じる。
ま、とはいえマンガの探偵もののネタに使われるくらい有名になったら勝ちかもしれんけど、どっちかいうとそういうポピュラリティって「なぞなぞ」の明快さから来るものだということは否定できない。評点は小説として3点にトリックのオリジナリティで+2点する。

No.107 7点 タイタス・クロウの事件簿- ブライアン・ラムレイ 2016/07/19 22:29
評者一時クトゥルフ神話にはハマって、青心社あたりまで手をだしていろいろ読んだんだが、結局ラヴクラフト周辺くらいまでしか嗜好が合わなかったな。評者はどうもファンアートっぽい甘えが体質的に嫌いなんだよね。本サイトだと一応ラヴクラフトの創元の全集の評はあるんだけど、それに書く...のはちょっと本旨が違う気もする。なので、クトゥルフでミステリな作品があれば?と見渡すんだがあるんだよね。これがまあそう。
ラヴクラフトだと「恐怖」がメインなので、最終的に真相を知った主人公は惨殺体で発見されました...というオチ以外では終わらせれないわけだ。だから真相を解明して名声をあげる名探偵なんてものはそもそも不可能だけど、ホームズファンのダーレスを経てオカルト・アクション物の設定みたいなものになっちゃうと、オカルト探偵のバリエーションでクトゥルフ名探偵が成立する。ここで上手くやったのが本作のタイタス・クロウで、ホームズ風のキャラ小説としてうまく成立している。
とはいえ、オカルト探偵として成立しているのは本短編集と最初の長編「地を穿つ魔」くらいのもので、「タイタス・クロウの帰還」ともなるとSFスーパーヒーロー化しちゃって本サイトの守備範囲からは大幅にズレることになる。まあなので期間限定名探偵なんだけども、ラヴクラフトより後のクトゥルフが本質的にガジェット小説になってることと、ホームズに範を取った名探偵小説とは、意外なほどに相性がいい。まあホームズってガジェット小説の元祖でもあるわけなんだよね...というわけで、クトゥルフ+ホームズなタイタス・クロウの、犯罪者もとい魔道師相手の知的闘争という格好の本短編集、出来不出来はあってもそれなりにそれぞれ面白い。というのも、小説としての出来が今一つな短いものほど、ガジェット性が強く出ていて「そういう発想なんだよね」というのが納得できる利点もある。で、作家としてうまくなったあとの長めの作品、「妖蛆の王」とか「名数秘法」とか充分楽しめる作品である。とくに「名数秘法」とかホィートリー風の国際スパイ色までついているわけで、ある意味ホィートリーとかブラックバーン(そういやウルトラQぽさも共通する...)の後継者みたいなものかもしれないね。

No.106 5点 愛の旋律- アガサ・クリスティー 2016/07/19 22:21
クリスティの登場人物というと、表層と真相のダブルミーニングからくる作品的な「仕様」によって、アクションがかなり厳格にコントロールされているあたりが大きな特徴でもあり制限でもあるわけだが、初期を中心にたまにはキャラだけ作って行き当たりばったりな活動をすることもないわけではないようだ。ミステリだと「チムニーズ館」とか「牧師館の殺人」とかそういう「ゆるさ」を感じるんだが、本作は非ミステリでウェストマコットでは評者初遭遇のそういう感じのもの。なので、めまぐるしく起きる事件に行き当たりばったりに登場人物が反応しているような小説である。伏線を敷いてるくせにあえてぶった切るような突発事件が連続するので読んでて?となることが多い。当初ヒロインかな、と思われたジョーが早々とフェイドアウトして、サブヒロイン型のネルが結局メインヒロインになり、あとで投入されたっぽいジェーンは結局ネルに少しも勝ててない....で、問題は勝者のネルがどっちかいうとクリスティがイライラした書き方をしがちな他人依存型のキャラであり、女性の嫌らしさ満開なタイプであることだね。
でしかも、ヒーローであるヴァーノンが魅力薄。あれもこれも欲しがるタイプだ、とジェーンに非難されるがその通り。天才作曲家にちょいと見えない....まあそれでもジャーナリスティックではあるが、1920年代あたりの音楽状況はわりと押さえれてはいるようだ。要するにショスタコの交響曲2番みたいなものでしょう、冒頭のアレは。けど、オペラみたいなものにしてしまうと、バレエリュスの二番煎じで、フランス6人組+バレエ・スエドくらいでモダンだけどちょっとお安い感じになるのはどうしようもないね。「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」の罠にかかっている。
ウェストマコットの6作でも正直言って一番期待してなかった作品なのでいいんだが、まあ駄作の部類。マイヤーホルトって誰だよ(苦笑)。あ、あといいとこはネルの赤十字見習い看護婦奉仕の描写が、クリスティ実体験に即していて面白い。けどこれがあるからネルへの矛先が鈍ったのかもね。

No.105 9点 冷血- トルーマン・カポーティ 2016/07/04 20:14
フクワレをやった以上本作しないとまずいので書くけど、これは究極の犯罪小説じゃないかな。カンザスで実際に起きた農家一家皆殺し事件を、極めて精緻に再構成した小説だが、本作はジャーナリスティックな「ノンフィクション」の正反対の作品である。スーパーリアリズムってタイプの絵画がある。要するに写真から精密に起こして描く絵なんだけど、スーパーリアルってのは写真を超えてしまう。写真は厳密には1か所にしかピントは合わないのだけど、スーパーリアルは画面のあらゆる箇所のピントが合っている、ありえない絵なのだ。本作の描写ってのはそういうタイプの「すべてにピントの合った、ありえない」描写だ。あまりにリアルなため、幻惑を覚えるような、ハイパーな知覚の産物である。これと比較すると、小説家の想像力なんてものが、ちゃちでちんけなものにしか感じられなくなるといった体の作品だ。
例えば血みどろの一家皆殺し事件のあと、誰もいなくなった家を友人有志が片付けて掃除する場面がある。一体どんな作家がこういうシーンを考え付けただろう?具体的な描写の密度と「重さ」によって作品がきしんでいるかのようにさえ感じる...
犯人は最初から登場しているので明白なのだが、それでも具体的な犯行詳細と動機は、逮捕まで意図的にブランクにされている。なので、ミステリとしてはホワイダニットとして読める。作者のカポーティはこの犯人の一人に極めて強く感情移入したようで、最終的に明らかになる犯人たちの力関係みたいなものが極めてユニーク。フクワレみたいな謎を謎のままほっておくタイプではなくてトコトン分析的である。
タイトル「冷血」はもちろん犯行の冷血さを示しているが、本作の偏執的な客観描写も非情で「冷血」極まりないものだと見ることもできよう。こういう「冷血」さが本来の「ハードボイルド」の概念とも通じあるのでは...とも評者は思う。本作は究極に残酷なハードボイルドなのかもしれない。

No.104 7点 暗い抱擁- アガサ・クリスティー 2016/06/27 21:57
評者のウェストマコット2冊目。本作の面白味は、物語の中心人物であるジョン・ゲイブリエルが典型的な「クリスティの犯人キャラ」なことである。妙に率直なストレートさで見る人を欺くタイプでそこらへん女性にモテるところ。なので、本作は「クリスティの犯人がもし犯罪を犯さなかったら?」という思考実験みたいな作品であろう。
もちろん犯人っぽいキャラなので、周りを半ばダマしながら議員に保守党から立候補して、紆余曲折ありながらも当選するなどという完全犯罪をやってのける(苦笑、もちろん党への忠誠心とかゼロである)。本当にワルい奴なんだが、魅力もあるのは事実。一般に男性キャラのうまくないクリスティだが、ワイルドさとアタマの両方を備えた出色の好キャラだと思う。対するは植物的な雰囲気だが本当の意味での貴族であるイザベラ。で..天敵?とも思われるこの二人の間で何と「嵐が丘」しちゃうというびっくり展開になる。
まあクリスティっていうと、とくにポアロ物は嫌々書いてた...なんて話があるくらいで、本作とか読むと、ミステリを書いてて溜まったフラストレーションを、小説家本能に即して解放している、といった印象を受ける。ちょっとクリスティの舞台裏を覗いたような気になるな。というわけで、本作読むと、ミステリの二線級作品を読むよりも、よりよくクリスティのことが理解できるようになると思う。

No.103 5点 かわいい女- レイモンド・チャンドラー 2016/06/27 21:32
みんなあまり指摘しないことだが、マーロウの自宅のユッカ街って、地図で見ると実はハリウッドのど真ん中である。だから、マーロウが映画業界の事件にあまり絡まないのは、エンタメのネタの問題として本当はすごく不思議なことなんだよね。で本作は唯一の映画業界が絡む作品である。強引にプロデューサーの元に押しかけて押し売りまがいなやり口で雇われて、女優×2と絡む。けど本当にそれだけ。ここらへんなぜか腰砕けである。

金のかかる人間ばかり揃っている。そういう人間に、欲しがるだけ、金をやる。なぜだろう。理屈はない。ただ、そういうしきたりなのだ。彼らが何をしようとかわまん。

この映画会社社長の伝で言えば、本人は馴染めなかったようだけども、ヒッチやワイルダーと仕事をした脚本家チャンドラーの仕事ってイイ線を行っていたようにも思うのだ。ハリウッド全盛期のライターはかなりの高給取りのわけで、それこそ「欲しがるだけ、金を」もらえるような立場に近いわけだ...
妄想をたくましくすれば、ドロレスが黒い服を着ているのは、本作の2年前に起きた猟奇殺人事件であるブラック・ダリア事件への連想を誘う演出かも。全盛期のハリウッドとは金と退廃の現代の魔都バビロンである。本作は生粋のハリウッドの土地っ子のケネス・アンガーが蒐集したアングラなゴシップを集成した奇書「ハリウッド・バビロン」によって補完されるべき作品なのかもしれないね。

No.102 4点 ブラック・コーヒー- アガサ・クリスティー 2016/06/12 01:05
クリスティのオリジナル戯曲である。一応小説版(チャールズ・オズボーン小説化)があるので、それも併せて評する。
要するにこの戯曲は、「ミステリ劇」であって、戯曲形式のパズラーではないからね。実はト書きのアクションの中で、犯人が誰かはバレてる。まあこれ俳優へのアクション指示のかたちで、「演劇のパズラー」としてフェアであろうとしたのかもしれないが、演出で強調しなければ誰も気が付かないだろう...それが狙い、かな。
で、実際この戯曲は芝居のいろいろな仕掛けをミステリの見地でうまく使ってやろう、という意図が結構見える。たとえば窃盗犯に返却の機会を与えるために、1分ほどの暗転(だんまり)があるとか、この直後に扉が開いてポアロが登場するとか、カレリ博士の毒薬紹介(ミュージカルなら「毒薬の歌」とか上出来なホラーコミックソングを歌いそうだ..毒薬の女王クリスティ!)とか、犯人に対する罠のシーンとか、舞台効果満点で面白いギミックが多いんだよね。だからこういう狙いの舞台ヅラを想像しながら読むのが本当なのであって、紙の上でのミステリとして読んじゃったら、ここらが全然不発になってしまい退屈だと思う。そういう読み方をすること自体が間違いじゃないかな。あくまで舞台の上で映えて意味があるような戯曲であり仕掛けだと思うよ。
なので、小説化は×。ト書きを地の文に考えもなく移行しているので、本当に犯人がバレてる。またオズボーンの文体の客観性が結構高いので、クリスティを読み慣れてると違和感が強い。クリスティは客観描写をあまり細かくせずに、ほとんどセリフorキャラ視点での主観的な観察で小説を組み立てている傾向が強いので、クリスティらしさが出てないなぁ。そもそもヘイスティングス登場作なんだから、原典に準じてヘイ一人称で書いてもよかったのかもね。あと、室内劇なので当たり前だけどセット1杯で変わりようがないから仕方ないんだが、これが小説となると、当然別室に移動して...になるのがそうならないので、とっても不自然。
というわけで、評価は、戯曲は「あくまで上演のための台本」だと思って読めばオッケーで5点程度。小説は...なんでこんなの準公式作品扱いするんだろうね、で3点として、平均で4点。

No.101 8点 オイディプスの刃- 赤江瀑 2016/06/12 00:32
7・8年前、赤江瀑にはハマって最終的に全作の半分程度は読んだことになる。まあこの人、ミステリから明白に地続きなところに領域があるわけだが、ミステリかというとかなり怪しい。宿命や情念・妄想はあるが、超常現象はほとんどないので、怪奇・幻想小説にもならないし、およそジャンル分けしづらいタイプの作家の上に、本質的に短編作家である。長編はとりとめない感じになるか、「長い短編」でしかなくて長編小説を読んだボリューム感に欠けるか...で、これといった名作はない(それでも長編は本作か「ガラ」か「上空の城」あたりがイイと思う)。中井英夫とか戸川昌子が持ち味の近い作家だが、これらの人だと「誰がどう見てもミステリ」な長編代表作があるから何やかんやと論評しやすいのだけども、赤江瀑にはそういう便利な作品はない...いろいろな出版社から「名作選」のかたちで無秩序に本が出てた....がそれらも品切れ絶版のようで今現役の本はなさそうだ。うん、本当に本サイトで扱いづらい作家だなぁ。
それでも本作は角川小説賞を受賞した出世作のこともあって、知名度はイチバンだろう。映画化されてる(なぜか評者の大リスペクトのカメラマン、成島東一郎が監督してる..)。ただ、文章はいかにも若くてちょっと苦笑するところもある。撥音で終わるのは小池一夫みたいで70年代後半だっ。で、本作のイイところ、というのはこういうところ。

母は、一本の日本刀を、香水に表現しようとしていたのだ。香水で、一本の日本刀を、つかまえようとしていたのだ。

香水と日本刀が等価になるような、こういう想像力(シュールな奇想の部類だ)の切れ味なんだよね(刀のかたちをした香水の瓶で切腹する..おいおい)。で香水でも日本刀でも、かなりマニアックな分野になるわけだけど、ここらへんのマニアックなネタをうまく使ったハッタリの良さ(他の小説だと、バレエありサーカスあり能楽・歌舞伎・陶芸・灯篭・造園 etc,etc..)とどこまで知識があるのか不思議なくらいのもので、まあハッタリも作家の実力のうちだから野暮はいいたくない。あと、今市子がエッセイ漫画で描いてたが、耽美小説として読む人も多いようだ。本作主人公もゲイバーのマスターだし、研師に対する執着はそういうことだしね...

まあというわけで本作の評価は本当はオオマケして7点なんだけど、評者が大好きな本当にイイ短編の分を1点プラスしてる。この人の傑作短編は、本来の短編集はとっくの昔に軒並み絶版だから、乱歩みたいに短編個別で立てるしかないが、まあそこまでの需要があるかというと難しいからね。評者の短編のオススメは「罪喰い」「海贄考」「花夜叉殺し」「獣林寺妖変」「現生花の森の司」あたり。

No.100 7点 復讐するは我にあり- 佐木隆三 2016/06/11 23:42
直木賞受賞作の中でも屈指の力作。その昔映画がヒットした頃だと「フクワレ」の略称で通用していたのが懐かしい。本サイトでも犯罪小説の大古典となる本作がないのはまずかろう。
本作は実際の凶悪事件に取材して「小説化」したもの。関係者の名前などは変えてあるが、登場人物の主観描写など結構入っているので、ルポルタージュではなくて小説の括りになる。そのせいか映画のシナリオは犯人の父親と妻にフォーカスした内容でかなり違ってる...
主人公は公判では「史上最高の黒い金メダルチャンピョン」とか「悪魔の申し子」とまで呼ばれている。福岡で集金人を襲った強盗殺人(2名殺害)から浜松での貸席親子殺し、さらには東京での弁護士殺害と計5人を殺して、その被害者に成り代わって何十件もの詐欺を働いて日本全国を犯罪行脚した凶悪な犯人である。「人を食って生きている」猛獣のような犯罪者なのだが、フィクションの犯罪小説の犯人だったら「悪の天才」といった感じの冷酷無残な「一貫性」みたいなものを強調するだろうけども、事実の凶悪犯はいーかげんで行き当たりばったりに犯行を重ね、お金がなくなると殺人をして資金を得て逃亡を続けていた。詐欺は結果的に失敗しているケースも結構ある。しかも見栄っ張りで弁護士とか大学教授に化けたがる、どうしようもなく底の浅い人間だったりするわけだ。ここらへんのダメさにリアリティがある....背景として昭和30年代の庶民の生活をリアルに描写しているので、評者なぞとっても懐かしい。
で、そういう凶悪犯人の内面性、みたいなものがこの小説で理解できるか...というと、実はそうではない。この小説は、その不可解なものを不可解なままに提示した、という感じである。主人公は五島列島出身のカトリックの家庭に生まれたが、逮捕後「歌を歌ってる...」と批判されたのだが、これがどうやら五島列島に伝わる「歌オラショ」だったようである。凶悪犯罪を重ねても本人の内面では奇妙なかたちで信仰と両立していたようにも読める...なんとも不可解な奥行きがある。
というわけで「オハナシの明快さ」は本作にはない。あくまで不透明な人間の、とくに不可解な所業として「犯罪」という事象を取り上げた感じである。読んでモヤモヤするだろうけど、本作の狙いはまさにそういうモヤモヤさであろう。

No.99 7点 彼らは廃馬を撃つ- ホレス・マッコイ 2016/06/03 23:50
ケインの「郵便配達は二度ベルを鳴らす」が、私立探偵小説ではないハードボイルド小説の中では一番知られた小説になるわけだが、人によってはヘミングウェイの「殺人者たち」とかフォークナーの「サンクチュアリ」とか、あるいはデイモン・ラニヨンとかをハードボイルド古典小説に含めたりする。本作もよくそういう文脈で触れられるハードボイルド成立期の古典である。本作のあとがきにある洒落た言い回しによると「ポエッツ・オブ・ザ・タブロイド・マーダー」というタイプの小説だね。
アメリカで本格パズラーが人気を集めたのが第一次戦後のバブル期から大恐慌初期のまだバブルの余韻が残る時代だったのだが、ハードボイルド小説はその後の大恐慌が本格化した時代の流行だと見てもいいだろう。だからハードボイルドって「不景気小説」として読むべきなんだろうな。で、このバブル期のハイで浮ついた風潮で登場した「マラソン・ダンス」という高額の賞金目当てに何十日も踊りづめに踊る一種のショーを本作は舞台としている。けどヨノナカ不景気になるとこのショーも一獲千金を狙った参加者とどんどんエスカレートして過激・過酷になるルールの中で、肉体的・心理的にオカしくなる人も多々あったようで、ハプニングやお色気目当ても含めて、見世物として悪趣味な人気を集めた...という今考えるとかなりヒドい話なのだが、ハリウッドで行われたこのショーに参加したカップルの視点で話が進んでいく。主人公カップルは、もともと映画界目当てで西海岸に来たわけだが、トーキーのおかげで大恐慌知らずな業界だった映画界でも、そうそううまい仕事にありつけるものではなく、食い詰めてマラソンダンスに参加したわけである....でこのカップルの女性は今でいうヤンデレ系で、きわめてネガティブで自殺願望の強い女。最終的に主人公の男に頼むかたちで自分を撃たせることになる。
で、この描写は極めてあっさりしていて「え、なんでイキナリ撃たせるの!?」ってなるようなもの。本作はアメリカでは結構忘れられてたらしいが、フランスで紹介されてヘミングウェイ並みに評価されたらしい。要するに心理主義的じゃなくて行動のつじつまも合ってないような、不条理感が強く出るクライマックスや、マラソンダンスの極限状況から来るサイケな雰囲気が、カミュの「異邦人」と似たかんじでフランスで受けたわけだよね。ちょいと後のゴダールの「勝手にしやがれ」もそうだけど、フランス人ってこういうタイプの「クールでドライなアメリカ的性格」に妙に憧れるとこがあるな。
あと本作もともと映画化をきっかけに角川文庫向けに訳されたという事情があるのだが、あとがきによると角川春樹が出版に積極的だったようだ。後々の事件とか考えると何か興味深いな..訳者常盤新平のお気に入り作品のようで、その後2回版元を変えて全然同じ訳で出ているようだ。まあ破滅的青春とか好きな人はハマれるタイプの小説である。

No.98 6点 Zの悲劇- エラリイ・クイーン 2016/05/30 00:02
評者どうもX・Yとの相性が悪いようだ。
というのは、ドルリー・レーンの描写がどうも厨二的に見えて仕方がないんだよね...で、描写は結構大仰だし、小説的にハッキリ苦手である。
でまあ、その原因はというと、ヴァン・ダインもそうなんだが、第一次大戦後にアメリカが世界の覇権を握ったために、「もはやアメリカはヨーロッパに文化的にも追いつき・追い越した!」というような夜郎自大な自意識が鼻につくわけだよ。ドルリー・レーンの、アメリカの(イギリスの代名詞である)シェイスクピア俳優という設定はそういう意味でしょ。で、訳の分からない根拠で上から目線で殺人事件に介入するし、果ては真犯人を私刑してしまうし...と、評者どうも受け付けないや。
けどX・Yでもいい部分というのは、ある。アスピリン・エイジのドライでクールなアメリカらしさを描写している部分(市電格納庫での取り調べ場面とかね)とか好きなんだがねぇ...
逆にこの「Zの悲劇」という不人気作は、どこがどう不人気か...というと、ドルリー・レーンがあまりヒーロー的活躍をしないあたりなんだろうな、実際大ミスするし。X・Yがバブル仕様のヒーロー小説だとすると、実はこのZは「不景気仕様のヒーロー」少しヒーローに懐疑的になっている小説だと思って読むのがいいんじゃないかな(まあ次が次だし..)。本格パズラーの夢というのは「論理と推理が常に成功を生む」というはなはだ楽天的な夢想であるがゆえに、バブルの高揚との相性がきわめて良いものであったのを、大恐慌がその非論理性やリアリズムによってその夢を破ることになった...なんて読みができるのかもしれないや。
まあ本作のウリは例の消去法推理だけど、評者コレを結構買ってる。ある意味これは結果によっては20則違反になる(端役的な人物が犯人)可能性もあるんだが、そういう可能性を含めてミステリの「推理」としてはアリだと思うし、未開拓のネタがいろいろあるのでは..と思うよ(どうも最近流行ってるようだな)。
けど、最後のツメが少し? 医者二人を除くロジックだが「医者ならば聴診器を使うはずだ」で論理は完結しているのであって、とくに息を吹き返した証言があろうとなかろうと、この論理には関係がないんだよね..まあ厳密な証明というよりも、一種の弁論術くらいで聞いておいたほうがいいのかな。
まあ、クィーンの論理、って人は言うけどさ、利き手・利き足・利き目については散々心理学で実験されていて、同じ側で一致することも多いけど、一致しなくても珍しくはない..くらいが、現在の結論のようだ。「非対称の起源」(クリス・マクマナス著)って面白い啓蒙書があるけど、これによると1920年代に利き目と利き手が入れ違うことが失語症の原因となる..という説を唱えた学者がいるのを紹介してる。まここらをクィーンが真に受けて採用したあたりの話じゃないかなぁ。そもそも説得力がないのを自分で認めてるわけだから世話はないけどもね。
最後に一点。生贄にされかけた囚人の最期についての記述が結構ヒドい。ちょっとなぁ...マイナス1点。

No.97 4点 大いなる眠り- レイモンド・チャンドラー 2016/05/29 23:06
以前ネットを見ていたら、「ハードボイルドって映画と関係があるんですか?」というような質問を見かけたんで、評者ズッコケたことがある。一応評者とか70年代にミステリにハマった世代なこともあって、まだこの頃には翻訳ミステリ・洋画・モダンジャズが軟派なインテリの三つ揃いだったセンパイ方がたくさんいらしたわけだよ...というわけで、評者に言わせれば「映画はハードボイルドのもう一つの自我」と言いたいくらいのものなんだ。
でまあとくにチャンドラーだ。そもそも代表作の紹介者が「ぼくの採点表」の双葉十三郎だったり字幕の帝王清水俊二だったりするわけで、言ってみりゃ「映画な小説」なんだよね。だけど今回は「長いお別れ」に味を占めて、新しい村上春樹訳で読むことにした....ダメだこりゃ。

双葉訳「おれたちゃこの町から逃(ふ)けたいんだ。アグネスはいい女(こ)だ。おまえさん、彼女(あれ)に一丁文句(いちゃもん)つけるなあ罪だぜ。この頃は女の暮らしもらくじゃねえからな」

村上訳「おれたちは街を出なくちゃならん」彼は言った。「アグネスはまっとうな女だ。何事にも値段ってものがある。今どき、女が一人で生きていくってのは簡単じゃないからな」

この「大いなる眠り」って作品は言ってみれば「威勢のイイ」作品なんだが、村上春樹だと語義の正確さに力が入りすぎて、一番大事な勢いを殺してしまっているようにしか見えないや(チンピラのセリフに見えん...)。まあ比較して読むと双葉訳は取り違えをしているようなところも多いし、訳した結果の日本語のスラングが昭和死語の世界に入っているとはいえ、この小説の即物的な良さを殺さずに、「映画を見るように読む小説」として訳せているのは偉いよ...
そもそも、で考えたときに、映画の即物性やモンタージュによるスピード感を、小説に置き換えたのが「ハードボイルド」というもんなんだろうよ。ここには映画というようやく充実期に入った新メディア(ロシア・モンタージュ派の影響も実は考えてもいいかも...)が与えた衝撃が今なお響いていると思うのだ。

あ、作品内容は今更なんだけど、評者は好きな作品。なので無理してでも村上訳ではなくて、双葉訳で読んでほしいと願うのである...今回の4点は村上訳への点数。双葉訳なら7点。
(けど村上訳だとガイガーの蔵書は組合員御用達みたいに読めるんだが、そういうことなのかなぁ...気になる。)

No.96 8点 大いなる幻影- 戸川昌子 2016/05/26 21:39
戸川昌子氏が亡くなられましたね...初期の乱歩賞受賞作の中では断トツの名作だと思います。
でこの人もやっぱり組合関係者だよね。シャンソンっていうとそういうわけなのさ。乱歩賞を競った中井英夫も組合員だからちょっと「虚無への供物」は賞的にはめぐり合わせが悪かったわけだ。
今回改めて読み直して「女性的な悲惨さ」みたいなものがよく描けてて怖い。評者もそろそろ年だから、洒落になんないなぁ...本当に「大いなる幻影に捉われた不幸な人々」のオンパレードである。女性らしい矜持があるからこそ、悲惨に転がり落ちていくのが本当にイタい。で女性らしさ、というと妄念に悲惨な生活が彩られているあたりがよく描けているため、シュールな妖気さえ感じるよ(森茉莉とか実際そんな感じだったらしいし...というか戸川昌子自身だってゴミ屋敷って報道があったようだね)。ワカメさんと指紋の話が評者昔結構トラウマだったな。今風に言えば「イヤミスの元祖」の作品じゃないかな。
建物移動のイベントに向けての焦点の絞り方とか、多視点での切り替えとか、構成にも美点がある。この構成の力で情念を扱いながらもそれに堕さずにクールで非情な感覚を保ち続けているのが非常にイイ。時代水準を大きく抜いていて、今でも古びていない独自な作品。すばらしい。

No.95 8点 長いお別れ- レイモンド・チャンドラー 2016/05/22 22:20
本作も何度読み返したかよくわからない作品になるが、今回はどうせなので長らく親しんできた清水俊二訳ではなくて、新しい村上春樹の訳で再読しよう。
...マーロウっておしゃべりだったんだな....
今回の村上訳だと、マーロウが叩く軽口を、字幕流に簡潔に流すのではなくて、逐語訳的に念入りに訳してあるのが大きな特徴だ。なので、評者がずっと以前から疑問に思っていたことについて、ちょっと結論が出たようにも思う。というのは、「かわいい女」以降の作品で、評者はマーロウが登場する女性と結構無節操に関係を持つことや、作中での私立探偵としての雇用関係がすべて曖昧になってしまうことなどが、どうしても気になっていたのである。要するに「かわいい女」以降のマーロウは決して「かっこいいコード・ヒーローではなくて、タダの幻滅した男であり、何のため・誰のために動いているのか自分でも訳がわからなくなっているような、アンチヒーロー的なポジションになっているのではないか?」という疑問なんだよね(そもそもそう読まなきゃ「プレイバック」って意味不明なんだけどね)。
この疑問のきっかけはアルトマンの映画なんだけど、今回読後にさらに映画も一緒に見直して、そういう感想が正しいように再度感じている。映画だとおしゃべり感は「独り言の多さ」でそういう感じが出ているが、軽口を叩くのはカッコいい洒落やジョークというよりも、マーロウが痛みを感じていることの表現だと思うんだよね。センスも頭も十分信用のおけるアルトマンの「ホテル・カリフォルニアなマーロウ」とでも言うべき描き方は、公開当時特に日本では総スカンに近い拒絶反応があったわけだけど、やはりアメリカでは昔から屈折したアンチヒーローとしてマーロウを捉えていたんだろうなぁ...
ま、だから「ギムレットには早すぎる」とか「さよならを言うのは、少しだけ死ぬことだ」とかの名セリフ集としてヤニ下がるような読み方だけは、評者は絶対したくないよ...f**k とか s**t と吐き捨てるような映画の終わり方から、原作の本作を逆照射するような「読み方」をしていきたいなと思うのだ。いかがかな?

No.94 8点 自決 森近衛師団長斬殺事件- 飯尾憲士 2016/05/15 23:41
以前「成吉思汗の秘密」を酷評したことがあったが、じゃあ「歴史ミステリとして優れた作品って何だ?」と考えた末、本作なんかどうか?と思って取り上げる。本作は一応直木賞の候補に挙がったこともあるわけで、わりと売れた作品である。しかし本サイトでは全然ノーマークの作品だろう。というのも、作品の舞台はいわゆる「日本のいちばん長い日」、1945年の終戦と玉音放送をめぐる徹底抗戦派によるクーデター未遂事件(宮城事件)を扱っているからだ。以前は確か集英社で出ていたが、その後戦記出版社で有名な光人社から文庫が出たわけで、さすがに旧軍や戦史について多少の予備知識がないと読みづらいだろうな...
副題の「森師団長斬殺事件」とは、クーデター派が近衛師団を動員しようとして師団長森赳中将を説得したが、決裂して森師団長が斬られた事件を示す。もちろん師団長殺害にもかかわらずクーデターは失敗し、日本はポツダム宣言を受諾して終戦になるわけだが、クーデター参加者の多くは自決して、密室でなされた師団長殺害事件の細かいことはよくわからなくなってしまった。しかし、従前殺害に直接手を下したとされる上原重太郎大尉は殺害に関与しておらず、別な少佐が殺害した罪をかぶって自殺した...という雑誌記事が出たことをきっかけに、著者がこの師団長殺害事件の真相解明を志すところから始まる。
本作の一番イイところは、著者自身がこの事件に引き続き上原大尉自身の配属先である陸軍航空士官学校での徹底抗戦に向けた動きにも参加した、上原大尉の区隊に所属した士官候補生であり、生前の上原大尉に強い印象を受けていた人である、ということである。要するにモブ的ではあるが事件の周辺にかかわっていた人物が、後になって事件の真相に疑問をもって再調査する....という構図になっているわけだね。著者は自身がかつて所属していた士官学校の生徒や上官、それに宮城事件に直接かかわった生き残りの参加者などに直接会って調査していく。
著者は戦後、士官学校時代の知友とはまったく没交渉でいたのだが、かつての軍人たちも戦後はさまざまな経歴を経てそれなりの地位を築いている。そういうギャップ(出版は1982年でまだ従軍経験者の多くが健在)と、しかしかつての上司と会うとなるとつい身に出てしまう軍隊時代の身体的な訓練の結果に違和感を覚えつつ、調査を続けていく心情が丁寧に描かれていく。
この調査を通じ、浮き彫りにされる上原大尉の肖像と、追い詰められた異常な時代の状況が迫力をもって伝わってくる。かつての同僚や上司の多くも極めて協力的で、やはりこの背景には「不条理にも若くして死ななければならなかった多くの人々の死には何の意味があったのか?」という世代的な共通の疑問と、死者たちへの鎮魂の思いがある。しかし、前述の生き延びた少佐は真相の回答を拒み続けるために、著者は十分なまでに真相を解明したうえで、元少佐と対決することになる...よくミステリだとあてずっぽうに近いようなかたちでも真相を指摘すると、犯人が恐れ入って告白しちゃったりするわけだが、ヨノナカそんなに甘いことはなくて、他人に正しく質問するためには十分な調査による真相の洞察が必要なわけだよ。ここらへんの機微について評者はクリスティの「象は忘れない」あたりを連想するな。
まあ真相はミステリとしてはそう意外なものではないのだが、それでも調査についての説得力が、著者個人の心情から非常に強いものとなっていて、リアルで説得力のある、地に足のついた歴史ミステリとして上出来のものになっている。

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クリスティ再読さん
ひとこと
大人になってからは、母に「あんたの買ってくる本は難しくて..」となかなか一緒に楽しめる本がなかったのですが、クリスティだけは例外でした。その母も先年亡くなりました。

母の記憶のために...

...
好きな作家
クリスティ、チャンドラー、J=P.マンシェット、ライオネル・デヴィッドスン、小栗虫...
採点傾向
平均点: 6.43点   採点数: 1253件
採点の多い作家(TOP10)
アガサ・クリスティー(97)
ジョルジュ・シムノン(89)
エラリイ・クイーン(45)
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ロス・マクドナルド(26)
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