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クリスティ再読さん
平均点: 6.39点 書評数: 1419件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.279 6点 失脚/巫女の死- フリードリヒ・デュレンマット 2017/12/15 06:54
「嫌疑」とか「約束」とかイケてた作家だから、結構期待したのだが...
短編集ということで、さすがの切れ味はある。狙いのうまい作家という印象だが、テーマが短編ではナマで出てしまって「アタマのイイ作家だなあ」という印象になってしまうのが、やや難。筒井康隆に対する評者の不満に似た印象を受ける。「嫌疑」や「約束」で感じるような、「わけのわからない」迫力みたなものもう少し感じたいな。
人によって、この4作で「どれが」がかなりバラける短編集じゃないかな。評者は「故障」が一番イイと思う。「熱海殺人事件」の元ネタと言われても納得するかも。4人の元法曹人たちの「グロテスクで奇妙な引退した正義」という捉え方が妙にツボである。ミステリの真相というものを「引退した正義」として捉え返すこと、というのは結構イイ視点だと思うよ。たとえばクイーンでも「第八の日」とかこういう見方に通じるものがあると思う...
あと「巫女の死」は、これはオイディプス神話全体の一種の多重解決モノとして読むべきでしょう。「オイディプス王」の内容だけだとちょっと背景理解が不足するのでは。理に落ち過ぎても何なんだが、「理性を信じる予言者」の理性がアテにならず、「イイカゲンな巫女」の気まぐれに振り回される皮肉、あたりにポイントがあるのではとも思うが...
というわけで、デュレンマットを読むのは、「理性不信の探偵小説」という難題を抱えこむ覚悟がちょいと必要のようだ。

No.278 7点 けものの街- ウィリアム・P・マッギヴァーン 2017/12/10 14:17
海外作品は「社会派」がないので困るんだけど、本作は「社会派」としか言いようのない作品。マッギヴァーンって言うと、頑固なまでにシリーズキャラクターを作らない作家なのだが、それは主人公の「モラル」への関心が強いがためなのだ。毎回マッギヴァーンの主人公たちは、ユニークで厄介な「道徳的なトラブル」に遭遇する。個々に抱えたモラルの問題がそれぞれユニークで、そのため「不変の正義」を主張しうる「ヒーロー」であることを阻む..そういう事情である。
本作の主人公は、郊外の分譲住宅地に住まいを定めた中流ホワイトカラーである。日本でも、分譲住宅の住人と市営団地の住民、あるいは地元の村落の人々との「階級的」な軋轢のようなものに遭遇した経験がある方もおられることと思う。本作だと、スラムのような古い住宅地に前から住んでいる住人と、ホワイトカラー向けの分譲住宅を買った新しい住人たちとの間で、アメリカだからそれこそギャング顔負けの抗争が起きてしまう話である。
発端は主人公たちの側のローティーンの子供たちが、スラムのハイティーンの少年たちに恐喝されて、親の金をくすねることから始まる。子供を守る気持ちの強いミドルクラスの親として、警察に届けはするのだが、警察もあまり有効な手は打ちづらい...で、主人公たちは対策を相談するのだが、地元の運送業者が助太刀しようと申し出る。この運送業者が一本独鈷の自営業者らしく、いかにもアメリカ保守の独立自尊ベースの自警団的な体質の男だった。その影響を受けてホワイトカラーの主人公たちも、子供の交通事故などもあって、ついつい暴力的な対応に出てしまう。
実は子供たちの恐喝トラブルも、分譲地の親が過剰な心配をして、それまでスラムの子供たちが遊んでいた少し危険な池を埋め立てたことの「補償」のようなことから始まっていたようで、全面的にスラムの子供たちが悪いわけではない。しかし「非行少年」のレッテル貼りもあって、ミドルクラスの主人公たちはついつい色眼鏡と誤解から、過剰な暴力的手段に出ることになる....その中で、主人公サイドの方こそがイイ齢のダンナ方であるにもかかわらず、ついつい獣性を発揮することになってしまうのである。
主人公たちは「正義と家族の安全を守る」大義名分のもとに、とんでもないトラブルに自ら飛び込んでいってしまったのだ。まあだから本作は本当は非行少年モノではなくて、そういうアメリカの「ミドルクラスの罪」を描いた作品で、ミステリかどうかはかなり微妙。それでも「主人公のモラル」を巡るマッギヴァーンの作家的一貫性がちゃんと窺われて、評者は本作が好きだ。

追記:そういえば本作ってアメリカの真面目版「三丁目が戦争です」だ。

No.277 6点 ベルリンの葬送- レン・デイトン 2017/12/06 23:54
今年アンブラーをほぼコンプすることになるから、来年はル・カレに腰を据えてとりかかろうか...なんて考えているんだけども、その前に、本作やっておこうじゃないの。一時はル・カレと双璧の扱いを受けていたレン・デイトンの力作である。
「国際政治をエンタメにしたもの」というのが広い意味でスパイ小説の定義になるんだろうけど、アンブラーだったら国家に縛られることないアナーキーの視点を常に保つがために、「スパイ小説」から逸脱しようとする力学の中で作品の面白さが輝くことになる。ル・カレにせよデイトンにせよ、もはや「国家=スパイ」は所与だ。なので両者ともざっくり言うと「不平屋」の立場に立つことになる。もちろんル・カレなら正攻法でスパイ組織の官僚化を取り上げるわけだが...デイトンはずっと斜に構えている。
デイトンはもともとデザイナーだそうで、場面を印象的な比喩で描く描写力は傑出している。斜に構え方と比喩力の高さから「スパイ小説のチャンドラー」なんて呼ばれてたわけだがね。少なくとも日本ではチャンドラーのカッコよさの陰にあるナニワブシなところがウケてた印象を評者は持つんだけど、スパイ小説は本質的に「人間不信な」小説である。なので、デイトンを読んでいると、「ひたすらカッコイイ」という印象が続いて、何か疲れてくるのだ。アンブラーはずっとオトナなのか、そういうカッコよさみたいなものを「恥ずかしい」と感じるセンスがあるのが評者は大好きなんだが....で、本作は、ソ連の農学者の亡命を仕組むチームの内部の話なんだけど、本当に呉越同舟というか、それぞれがそれぞれを裏切りつつプロジェクトが動いていく話である。登場人物はハードボイルド的に見事なほどに内面を持たない。相互に裏切り合ったところで、罪も悔恨もありえないような世界である。本作はル・カレよりも007に近いのでは?なんて思ったりもするのである...
まあそういうわけで、本作は一読の価値はあるんだけど、忘れられた作品になるのは仕方ないかな、というのが正直な感想。本作でみんな聞いてるシェーンベルクの「管弦楽のための変奏曲」って、見事なまでに感情移入を排した究極に「非情な」音楽だから、本作にはハマりすぎ。

No.276 8点 炎蛹 新宿鮫V- 大沢在昌 2017/11/25 23:42
評者は90年代後半~00年代くらいミステリをほとんど読んでなかった。それでもなぜか鮫のダンナだけは継続的に読んでたなぁ。考えてみると、このシリーズ、ゲイ小説として読めるんだよね。そりゃシリーズが始まるのがハッテンサウナの場面だよ。「毒猿」とか「無間人形」を腐った視点で読むのもあながち間違ってないように感じるくらいだ。で、評者一番のお気に入りは本作。「あれ変わってるか?」と思わなくもなかったが、いろいろ書評を見てみると、少数だが本作が一番いい、とする意見は割と目につく。よかった。
何がいいか、というと本作は偶然の悪戯で、複数の事件が知恵の輪か箱根細工か、というくらいに複雑に絡み合あい噛み合ったさまを愛でる、という楽しみがあることだ。どうする鮫島、どうほぐす?というのが一番の興味。なので謎解きよりもそっちがまず優先。「複数の事件」というわけで、本作「孤高の刑事鮫島」であるにも関わらず、一種のモジュラー方式である。シリーズ設定と矛盾してる気がしなくもないが、放火事件なので消防庁と、検疫なので農水省と、外部機関からの協力要請ということで、複数事件が並立するモジュラーの説得力を出している。モジュラーで放火事件というと、どうしても「ギデオンと放火魔」を連想するわけだが、作者もきっと頭をかすめただろう。力業でしたいことを実現しちゃったわけだ。
一番凝った事件になるのが放火事件で、これがちょいとした謎解きもあって、最大のキー項目になる。これがなかなか冴えている。バランスのとり方が小説術としてうまいなぁ、と感じさせるところ。まあ本作、傷っていえば単にシリーズ全体の大きな鮫島ストーリーとほとんど関係のない単発のエピソードだという程度。なので代表作にはしづらいかもしれないが、トータルの完成度ではベストだと思う。

No.275 6点 フランス白粉の秘密- エラリイ・クイーン 2017/11/25 00:23
本作のイイところというのは、デパートを舞台として、「二十世紀の大都市の交響楽」といった感じの、都市小説としての香りがあるところだろう。まあこれが「ブルジョア家庭の秘密」といったより古めかしい要素で薄まるのが残念と言えば残念(そういう意味では評者は「Xの悲劇」を買うなぁ)。
本作は、火曜に事件が発覚して、木曜には解決しているんだよ。超短期戦というべきである。こういうスピード感が本作の「モダンさ」を象徴しているようだ。なので、小説的には本作は、意外に長さを感じない良さがある。まあ、ハッタリといえばハッタリなんだけど、最後の謎解き場面なぞやはり演出的になかなか盛り上がる。
ただ、パズルとしては...弱点多いなぁ。パズル、と銘打つ限りは「ちゃんと解ける」というのが必要なんだけども、本作の推理だと必ずしも犯人を絞り切れないように感じるな。犯人を最終的に名指す決め手は...これを決め手にするのはちょっと予断というか決めつけが過ぎるように感じる。まあハッタリの効いた演出の流れがいいから、何となくごまかされちゃうのだけども、「読者への挑戦」の時点ですでに分かってることをほぼ繰り返している(ショールームに死体を動かした理由とかはなかなかいい推理だと思う)ことが多く、新しい材料で犯人を特定しようとする肝心の部分が弱いように感じる。「謎の小説的構成」が必ずしもうまく行っていないのでは。
それとこれはバランスの難しい話だが、マジメに尋問を優先して退屈になってしまった「ローマ帽子」を反省したのか、現場尋問を適当に切り上げてエラリイ仕切りでのアパートメント捜査に描写を費やしたことで、捜査描写が恣意的でややいい加減になってしまった印象があること。「オランダ靴」くらいのバランスが一番しっくり来るように感じる。

No.274 6点 薔薇はもう贈るな- エリック・アンブラー 2017/11/24 23:52
本作はアンブラーの最後から2冊目、最後の「The Care of Time」は訳されてないから、訳された中では最後の作品になる。アンブラーの集大成みたいなニュアンスがありつつも実に独自でオリジナリティ抜群の作品なのだが...
例えば「ディミトリオスの棺」が、作家が国際的犯罪者の痕跡を追って、その秘密に肉薄する話だったように、本作は犯罪学者のチームが、陰に隠れた「犯罪者」のしっぽを掴み、その弱みを使って、直接のインタビューを行う経緯を描いている。本作は実のところ、その「犯罪者」サイドから描かれた小説である。しかもその「犯罪」というのが、国際的な規模の組織的なものではあるが、経済的な部分での犯罪、地下銀行の経営やタックス・ヘイブンを使った合法的な脱税指南という部類の「犯罪」である(「武器の道」の武器取引だって必ずしも犯罪とは言い切れないしね)。第二次大戦後のドサクサの中で私腹を肥やした経理将校たちのために、地下銀行組織(最終的にはイタダいてしまうのだが)を築いた、主人公の師匠であるカルロは、主人公にこう諭す。

きみはまず、わしが犯罪者であるとか、犯罪者としての天分を持っているとかという馬鹿な考えから根本的に脱却しなければならない。わたしは法律を重んずる弁護士だ。不法行為は、未熟者か阿呆のすることだ。賢いやつはそんなことをする必要がない。

本作の「犯罪」というのはこういう態のものだ。各国の法制のスキマを縫うようにして、秘密の資金を動かして課税を逃れ、あるいは利殖したものを「洗濯(いわゆるマネー・ロンダリング)」して還流させる、といったもので、グレーゾーンで当局も手が出しにくい手口もいろいろあるようだ。だから、犯罪学者たちの追及も結構ムリ筋に近いのだが、背後にはやはり各国情報部の影が見え隠れする...主人公ファーマンはそのインタビューの舞台に選んだ南仏のリゾートの別荘を、監視する一団に気づいた。彼らはどうやら、ファーマンの組織によって資金をかすめ取られた被害者(?)らが報復に雇ったプロたちらしい。前面に犯罪学者、後背にギャングたちと腹背に脅威を感じつつ、インタビューは進む。しかし、ファーマンの現在のビジネス・パートナーである、タックス・ヘイブンの影の支配者(この男の経歴がシンプソンを思い出させるが、ずっと悪辣で有能)が、ファーマンを見限るそぶりを見せだした。幾重のピンチに取り囲まれたファーマンは逃れることができるだろうか?

と「歴史の影に蠢く国際的大犯罪者」のイメージも、ディミトリオスから比べると、なんとまあ、大きく変貌したものであろう! ファーマンはディミトリオスとはまったく似ていない。しかし国際的規模の陰謀はさらに精緻に巧妙になり、報復も殺人よりは税務当局への密告の方が好まれるような「悪」になってしまったわけだ。
同様にアンブラーのプロットもさらに精緻になっている。犯罪学者たちに手口の一端を少しは公開しなければいけないこともあって、ファーマンの「仕事歴」の公開(これがなかなか興味深い)と、犯罪学者たちのあしらい、それに襲撃への警戒の3つが同時に進行する構成でサスペンスを盛り上げる。また、この本自体が最終的にファーマンのある狙いを実現するための仕掛けになっている、という「インターコムの陰謀」でも見せたようなややメタな狙いがあったりもする...(まあ詳細は読んでのお楽しみ)
というわけで、本作はアンブラーの集大成、といってもいいような精緻な内容を持っているのだけど、正直言って精緻な分迫力みたいなものは薄れている。またこれは訳の問題もあるのだが、登場人物たちはみな一筋縄でいかない策士たちであって、それぞれがそれぞれを「化かしあう」ために会話する。だから話す内容の陰にいろいろと狙いが込められ「すぎて」いて、会話内容がなかなかわかりづらい。本作を本当に楽しむにはちょいと修業が要りそうだ。

No.273 7点 クイーン警視自身の事件- エラリイ・クイーン 2017/11/24 22:48
本作、ミステリというよりも、変形のゴシック・ロマンスだと思って読んだ方がいいように感じる。
というのも、本作で一番説得力がある部分は、定年退職したクイーン警視と、ヒロインのナース、ジェシイとの恋愛描写だったりするからね。というか、ハンフリー氏って、ガチのゴシックロマンスの敵役キャラだと思うよ...としてみると、本作は第二期の上滑りした駄作群(ハートの4とか悪魔の報復とかね)に対する、成熟したクイーンの回答、というような気がするのだよ。ロマンスと冒険を、リアルで地に足の着いたかたちで実現できた...まあそれが男女の年齢を足して100歳を超える、熟年の恋だったとしてもね。
まあだから、本作の謎解きはおまけ。ヒロインが犯人に襲われて危機一髪ヒーローに救出される。それで十分。

だがどうしても警察には言いたくない。言ったが最後、この事件はわたしの手から離れてしまう。ジェシイ、これはあんたとわたしと二人の事件だ。

くぅう、こりゃ殺し文句だ。いいじゃないか、ハーレクインだって。
(本作エラリイが登場しないせいか、バリバリの真作なのに本サイトでも書評が異様にすくないなぁ。中期じゃ面白い方だと思うけどね。)

No.272 7点 おれは暗黒小説だ- A.D.G 2017/11/22 00:14
フレンチノワール第二世代、左大臣マンシェットと並ぶ、右大将A.D.G の出世作。ここらってぇと、岡村孝一の「岡村節」な饒舌体が、A.D.Gのモトがそうなのか岡村節なのか、区別がつかないくらいにノリノリ満開である。「ゆるふん」だとか「おろく」「おぜぜ」「おこもさん」といった、評者でもここウン十年聞いたことのないようなナツい言い回しが連発している...若い人だったら聞いたこともないような懐かしの俗語である(オロクに至っては..あれ、幕末くらいからあるような忌みコトバでは?)。そもそもフレンチノワールっていうと、カタギなフランス人は耳にしたこともないようなギャングの隠語がテンコ盛りで、シモナンの隠語辞典とか片手に読むようなものだそうだから、若い人が意味を引き引き読んだ方がそういうニュアンスが出ていいのかも...なんて思うくらいだな。
まあ本作、ほぼ文体と狂ったキャラがすべて。プロットは典型的な巻き込まれ型スリラーで、ノワール作家の主人公が、罠にかけられて反撃する話。作家が主人公、というあたりからも、読んでて筒井康隆みたいな饒舌のテイストを感じるなぁ。評者的にはクールなマンシェットの方がツボだが、お下品なA.D.Gだって「俗文学の極み」って感じで悪かあない。
まあ本作の最高!なところは、何と言ってもタイトル。「僕はうなぎだ」という日本語の文法に関する議論があって、こういう文を「うなぎ文」と俗称するのだけど、本作のタイトルだって随分の破格。どうせタイトルつけるなら、こういうタイトルつけたいものだ。

No.271 7点 裏切られた夜- ジョイス・ポーター 2017/11/15 00:17
リンダ・ハワードなんてやっちゃった余勢を駆ってジョイス・ポーター作の本作はどんなものか。
かつて駆け落ちした男はソ連のスパイだった! 大使の娘アンは、結婚するつもりだった男に殺されかけるが、九死に一生を得て救出される。その8年後、当のその男ロゼルが、アメリカへの亡命を希望して、産業スパイの身元を明かす手土産とともに、ソフト会社経営者のニックに接触した。大物スパイのロゼルの亡命希望に、CIAも色めき立ち、社内の裏切り者を知りたいニックと共同して、ロゼル亡命作戦を立案する。しかし大物スパイ・ロゼルの顔を知っている者は誰もいない...アンを別にして。ロゼルの亡命は罠か、それとも本当か。ブリュッセルの国際会議を舞台に準備は次第に整っていく。亡命の現場でニックとアンはロゼルと接触するが、その場が謎の人物によって襲撃された! 意識を失ったロゼルを収容し、ニックとアンは追っ手を逃れてフランスへと...
はい、梗概をまとめて改めて感じるけど、ちゃんとしたスリラーになってるよ。8年前の出来事の時間軸と、ブリュッセルから最終的にチューリッヒに至る空間軸をうまく交差して広がりを持たせているし、何と言ってもキモは、自分を殺そうとした男の身元を確認できるのは自分だけ、というサスペンスの引っ張り方である。向こうも果たして自分に気が付いてるのか? また今の恋人であるニックとのさや当て如何、とかそういう射程の短い興味と、亡命の裏にある狙いを巡る全体的な謎と、うまくバランスが取れていて面白い。なかなかの秀作だと思う。
で、何だけど、本作は「ジョイス・ポーターの作品」ということになるのだが、ハーレクインなんだよね。ジョイス・ポーター自身「なまけスパイ」のシリーズがあったりするし、本人も若い頃イギリス空軍でスパイの養成に当たった経歴がある人だから、こういうスパイ小説を書いても全然不思議じゃないのだが...でいろいろ調査してみたのだが、本作の作者があのジョイス・ポーターなのか、結論を先に言うと「よくわからない」。ややこしいので、ここからは「ドーヴァー警部モノを書いたジョイス・ポーター」を「ドーヴァーさん」と呼ぶことにしよう。
日本のWikipedia の記述では、本作をドーヴァーさんが書いたことになっているが、英語版ではまったく無視されている。根拠は不明だが「ミスダス」では同名異人にしているし、「aga-search」では「その他の翻訳作品」として真作扱い。本書では娘のロマンス作家デボラと共著の「Deborah Joyce」名義がある、と作者紹介がされ、この名義は5作ほど確認できるが、やはりミステリorスパイ小説風の作風が多い。しかも amazon の洋書では書影に「Joyce Porter」と書かれているにも関わらず作者が「Tracy Porter」となっているありさまだが、これはamazon のミスだろう。ロマンス小説側は、どうも作者情報がしっかりしてないようだ。それでもドーヴァーさんが書いた、という消極的な証拠みたいなものはあって、ドーヴァーさんの没年以降には、Joyce Porter も Deborah Joyce も Deborah Bryan も活動がパタッと止まっていることである。Deborah Joyce の作風と合わせても、けっして矛盾が起きているわけではないのだ....
ごめん、降参だ。わからない。どうもハーレクインは「翻訳小説の魔界」と言っても過言じゃなそうだ。作品以上に謎だね、「ジョイス・ポーターの謎」は。

No.270 7点 十字路- 江戸川乱歩 2017/11/11 14:54
戦後の乱歩というとどうにもこうにも、作家としては過去の模倣(影男)か、「マニアが無理して書いたパズラー(化人幻戯・ほぼ盗作の三角館)」としか言いようのないものしかなくて、もう気の抜けたビールのようなものだったのだが、本作は「乱歩らしさゼロ」でしかも面白い...まあこの理由は有名で、本作は乱歩取り巻きの渡辺剣次の書いたオリジナルシナリオを小説化した、今でいうノベライゼーションだからである。このことは乱歩自身が認めていることである。渡辺剣次というと、評者とかだと70年代後半の「13の~」で始まるアンソロの編者として印象深いが、ある意味本作が「(陰の)代表作」になることになるだろう...
ありがちなことだが、評者の世代だと本作はポプラ社「少年探偵 死の十字路」で、渡辺の実兄氷川瓏が子供向けにリライトした版が初読だ。ラストの遠隔情死にミョーに胸をときめかせたのが記憶に残ってるよ。マセてるというのか歪んでるっていうのかねぇ。
本作は「倒叙」ということになっていて、まあ、捜査側との攻防感があるから犯罪心理小説というよりも、パズラー派生の倒叙でいいように思う。ほぼ行きがかりで思わず妻を殺してしまった男が、妻の死体の隠ぺい工作のために、車を走らせていると、偶然別な死体が転がり込んでくる...という、上出来なプロットでフレンチミステリの香りがする(「死刑台のエレベーター」を連想する)。その後も悪徳探偵が絡んだりとか隙のないプロットの綾が続き、短めなのが残念なくらいに面白い。
で、なんだが、今回無粋ついでに「死の十字路」の側と文章を比較してみたのだが...これが結構ショックである。もちろん、ポプラ社子供向けなのだが、本作だとちょいとムリがあって「どこが少年探偵だ!」というくらいにアダルトな仕上がり(SEXは当然排除しているので、不倫も学生運動がらみのトラブルになっているとかね)。ショックなのは、文章が大人向けと子供向けでさほど違わない、ということである。子供向けは漢語・外来語を少なくし、複文をシンプルに切りなおしているので、こっちの方がリズムがいいくらいだ。まあ尺の都合もあって、文章を全体に詰めてはいるが、会話などほぼ「そのまま」の部分が多く、リライトというより、編集とか再構成という感覚で、作者自身によるリライトと言われても通るレベルである。
....ちょっと疑念を持ってしまうよね。本作、本当に乱歩、文章を書いたんだろうか?? 実際の筆者は氷川瓏で、兄弟合作だったのでは?そう見てみると、「死の十字路」の「江戸川乱歩・原作/氷川瓏・文」の作者表記は、氷川のプライドを込めた秘密の告白だったのかもしれない。

No.269 6点 夜風のベールに包まれて- リンダ・ハワード 2017/11/05 15:03
アトランタのウェディング・プランナー、ジャクリンが今まで遭遇したなかでも、最悪のブライジーラ(結婚式に夢を求めすぎて周囲にトラブルを巻き起こす勘違い花嫁をゴジラに見立ててこう呼ぶそうだ)がキャリーだった。打ち合わせの最中にキャリーから平手打ちにされ、契約を解除されたジャクリンは、貸会場を後にするが、その直後キャリーはケータリングのケバブの串によって殺害されているのが発見された。捜査が始まり、容疑はジャクリンにもかかったが...
と書くと、殺人があって捜査があって、ちゃんとミステリ、でしょ。実は本作はハーレクインに代表される女性向けロマンス小説だったりするのだ。まあ女性は一般にミステリ好きだからね、このジャンルもミステリ仕立てというのは非常に多いのだ。本作の作者は、その業界では「女王」と呼ばれるくらいの人気作家でしかもミステリ仕立ての得意な作家だ。キャラの性格付けをするエピソードを作るのが非常に上手で、どのキャラも印象によく残る。ヒロインのジャクリンも嫌味なく「仕事のできる女」だけど、対男性はややコジらせ気味。それに対してヒーローは捜査に当たる刑事エリック。男らしくワイルドなのが売りだが、ロマンス小説だからか結構洒脱な印象がある。コーヒーを買いに行くと連続して強盗に遭遇し連日の緊急逮捕とか、TVドラマ風のコミカルさも見せる。
あ、ミステリとしては犯人はそう意外でもトリックがあるわけでもなし。それでも真犯人がジャクリンに目撃されたのを口封じするために襲撃するアクションもあって、サスペンスはちゃんと書けている。何やかんや言って、読者の気を逸らさない腕前は確かで、人気のほどは頷ける達者さだ。エンタメとしては十分合格の部類だが、ミステリを期待するのは何だ...という気もするが、本作は本来のファンに言わせると「力が落ちた」と言われる部類のものだそうだ。それでもジャクリンが引き受けたのを後悔した「田舎のヤンキーな結婚式」が実は実はの大盛り上がりのイイ結婚式になるエピソードなんぞ、小説のうまさを感じさせる筆力があるのは確か。
(ちょっとマジメな書評が続いたので、気分転換にネタを提供。ハーレクインなどの女性向けロマンス小説業界は、初版のみ売り切りで、再版重版なしという過酷な「読み捨て」の世界のようだ。そんな中で「女王」と呼ばれるのは結構スゴいことのようにも感じるよ。そういえばドーヴァー警部で有名なジョイス・ポーターに「裏切られた夜」というハーレクインがある。この人の娘もロマンス作家だそうだ。)

No.268 9点 ゼンダ城の虜- アンソニー・ホープ 2017/11/02 00:03
ホームズの長編で分かるように、19世紀末の時点ではミステリと冒険の境というものはいまだ曖昧だった。ホームズを読んで育った世代、クリスティやカーの世代では、本作を読んているのははジョーシキで「こういう面白い小説を書きたい」と作家生活の初めに感じていたといっても過言ではない。クリスティなら「チムニーズ館」にも本作の余韻のようなものが強く漂っているし、カーも特に晩年の歴史冒険小説に本作が与えた影響は大きなものがある。どうやらアンブラーの処女作「暗い国境」でさえ本作のモチーフが強い影響を与えているだけでなく、日本では山手樹一郎が本作を翻案して「桃太郎侍」を書いたのは有名な話であり、どうやら隆慶でさえ「影武者徳川家康」に本作の木霊を聞くのも不可能ではないだろう。というくらいに本作の影響は実作レベルでは絶大なのだが、ミステリのジャンルが確立すると、そこからはズレている本作は言及さえれることが少なくなってきてしまった...
と本作の意義をまとめればこういうことになるが、御託なんでどうでもいいくらいに本作は面白い。本作の面白さは「王将が飛車」なことにある。イギリスの有閑青年ルドルフは、秘密の血縁関係にあるヨーロッパの小国ルリタニアの同名の王ルドルフ五世の戴冠式見物を目的にルリタニアを訪問した。偶然王と出会い、その容姿の類似に驚きあうが、戴冠式を控えた王は、王弟のたくらみによって毒酒を盛られて人事不省に陥ってしまった。ルドルフは王の側近たちによって、王の身代わりに戴冠式に臨むが、それは王弟との熾烈な暗闘の幕開きに過ぎなかった...
という話で、ポイントは単なる身代わり話ではなくて、ルドルフは王の救出のため身を張って王弟一派と戦闘し、王が幽閉されているゼンダ城に忍び込んで王を救出するなど、アクションもこなす立役者であることだ。同時に王の婚約者となっている(があまり好かれていない)従妹の女王と、自身の魅力によって相思相愛の、ただし王に対しては申し訳のない仲になる矛盾にさいなまれる。このような活躍と恋を通じて、次第に周囲の人々も「王以上に王者らしい」という評価を勝ち得て...と成功すればするほど、ルドルフの良心は痛む、というジレンマに追い込まれていくさまが、本作の一番の読みどころである。
また、ルドルフの宿敵となるヘンツォ伯爵ルパートの造形がいい。

向こう見ずで、抜け目がなく、優雅で、作法を守らず、好男子で、上品で、悪党で、人に負けない男だった

と黒馬のヒーローの資格充分の悪党である。昭和初期の丹下左膳を筆頭とするニヒルな怪剣士の原型でもあるな。老練な策士サプト大佐、ルドルフを助ける篤実なフリッツ、ヒロインのフラビア女王のロマンチックな恋愛の魅力など、それぞれキャラが立っている上に、創元文庫版だと正編に続いて、数年後を舞台として恋も王位もルパートも決着がちゃんと着く続編「ヘンツォ伯爵」(出来は少しだけ落ちるが)があって、大河ドラマ的な楽しみ方もできる用意周到さである。まあこりゃ、リアルタイムの読者が「こういう小説書きたいな」と思わせる要素がぎっしり詰まっているような作品だったろう...
本作は惜しくもミステリ史から漏れてしまった作品なのだけど、本作を読まないとミステリ黄金期作家論の上で「わからない」ことが結構出てしまうと感じている。そういう意味でも「必読」だが、これは「楽しい義務」の部類だ。ぜひ読まれるとよろしかろう。おすすめ。

No.267 6点 片道切符- ジョルジュ・シムノン 2017/10/31 00:47
「郵便配達は二度ベルを鳴らす」という作品が、とくにフランスで強い衝撃を持って受け取られ、カミュの「異邦人」なんかもその反響の一つだという話を「異邦人」の書評で書いたのだが、本作は「郵便配達」の、シムノンという名前の付いた、別なエコーである。シムノンびいきのアンドレ・ジッドなぞは同年に発表された「異邦人」をクサす一方で本作を称揚している。本作は「郵便配達」同様に、流れ者が孤独な女と深い仲になって、結果その女を殺すことになる顛末である。
本作の主人公ジャンは、ブルジョア家庭の育ちなのだが、ふとしたことから人を殺して刑務所に入り、出所したばかりの宿無しである。バスの中でふと知り合った「クーデルクのやもめ」と呼ばれる中年女性タチの下男として農家に雇われる。タチは義父にあたる老人を性的に慰めつつ、農家を経営するのだが、小姑にあたる姉妹との間で財産を巡って暗闘が繰り返されていた。ジャンはタチとも深い仲になる反面、姪にあたるフェリシーとも戯れる。タチがフェリシーの粗暴な父に殴られて寝つくことで、次第に状況は泥沼に陥っていく...
まあだから、ジャンは痴情の「もつれ」としか言いようのない、感情の綾の中に「うんざり」してしまって、タチを殺してしまう。ここにあまりはっきりした動機をシムノンは設定しない。そもそも刑余者らしいテンションの低さがジャンは特徴的で、刑法の文面がフラッシュバックで時折インサートされるわけで、「今度何かやったら死刑」というのは重々承知していながらも、ついつい小さく曖昧な動機から、殺したり殺されたりするものなのだ....殺人の後もジャンは現場で酔いつぶれて寝てしまい、不審に思った隣人の通報によって警官に蹴り起される

「なぐらないでくれ...疲れてしまった、すっかり疲れてしまった」

ここにはどんなドラマもない。リアルの極みと言えばその通りで、不透明な肉体がただただ、ごろりと転がっているだけのことだ。

No.266 7点 第八の日- エラリイ・クイーン 2017/10/31 00:26
最終期のクイーンでは一番面白いのではなかろうか。というか、最終期はそれまでの作品のコラージュみたいになってしまって、「あ、前にあってねこんなの」となりがちなのだが、本作はそうでない、ユニークな小説である。
本作のクイーナン・コミュニティは、洗礼者ヨハネ関連では?と考えられている死海文書で有名なエッセネ派からヒントを得たような、オリジナルの原始共産制宗教コミュニティである。ネバダ砂漠の中に隠れ、外界とは交渉を持たずに、それでもオアシスの恵みによって安定した独自の社会を築いている。所有も物欲もなく、すべてが必要に応じて分配されるユートピアに、エラリイが迷い込む。「教師」によると、ある「トラブル」が共同体を襲うが、エラリイはトラブルに対して「道を開く」ために呼ばれてきたのだという....予言の通り、果たして殺人が起きた!
というわけだが、そういう「ユートピアでの殺人」のために、エラリイとしても大いに勝手が違う。エラリイは通常の殺人捜査の手法によって犯人を突き止めるのだが、しかしこれは後期のパターン通り、誘導された真相であり、エラリイは何か大きな力に操られるかのように、「偽りの真相」による告発と断罪を先導する。しかしそのさ中にエラリイは本当の真相をつかむがそれは...なのだが、本作の独自なところは、「真相」が真相であるためには、それが社会によって意味を与えられるのでなければ、何の意味も持ちえない、ということなのである。今回のエラリイは失敗すらさせてもらえないほどに、その推理は無力なものでしかないのだ。
なので本作は、砂漠の蜃気楼のような「探偵の悪夢」だろうか、かなり皮肉な寓話みたいなことになっている。ほんとはね、「ミステリの真相」というも実は「ミステリが真相を見出す小説」であるがゆえに、たまたま小説のオチになるだけのことなのだよ。

No.265 10点 十日間の不思議- エラリイ・クイーン 2017/10/30 23:48
ミステリというのもある意味「ジャンル小説」というか、ある「お約束」があって、読者もその「お約束」を期待し、作者も「お約束」の範囲内で上出来な商品を提供する、という側面があるわけだけど、評者なぞはそれでも「作者の意欲とジャンルのせめぎあい」みたいなものを見たい、と感じているわけだ。
本作は、はっきり言って「本格」ではない。「クイーンだから本格ミステリだ」というのは、いささか固定観念(というか消費者としての期待か)が過ぎるというもののようだ。だから評者は常々、作品を作品として、独立に捉えて、読者の期待であるとか予断であるとかから離れて(まあそれができるのが再読の良さなのだが)作品に即して良い面を見つけていきたいと念願しているのだ。
評者は本作は好きだ。ミステリというよりも、小説としての充実感が本当に半端ない。クイーンの全作品の中でも、文章はピカ一だ。ほぼハードボイルド並みの簡潔な文章の畳みかけで綴られている。

しかしだれかが離れ家の電燈をつけたらしく、その光が、女が髪の毛に指をつっこむように暗い庭園にさしていた

...ちょっとロスマクを思わせるような渋い文章である。ハードボイルドの一人称文体が謎解きについて「探偵が知らないことは書けない」という大きなメリットがある、ということをロスマクは明らかにしたわけだが、その視点で見るとき、例の鮎川哲也の批判は評者は的外れだとおもうのだ。というのも、本作はハワード視点の冒頭を除いて、エラリイの限定3人称で通していて、地の文と見えるものも実際にはエラリイの意識のフィルターを通した描写と言うべきなのだ。少なくともエラリイはそう認識した、でイイわけで、「神の視点での真実」とは何も関係がない。まあ評者、本音を言えば「ミステリでの神視点三人称は使用禁止」にしたいくらいのものである..だって、犯人の視点で書かないのは作者の恣意になるからね。
なので、本作のテーマというのは、本当はそういう意識(というか虚偽意識)の問題であって、「あなたの考えは本当はあなたのものなのか?」という哲学的なテーマが背後にある。一見リアルな客観と見えるものさえも、実は「操作された現実」でしかない、という疑惑に包まれたら最後、「あなたの世界」は崩壊するのかもしれない。だからこそ、デカルトは「我あり」を確立した直後に、「神の誠実」を論証なしに認めて世界の客観性を救ったのだが...本作の「神」は残念ながら不誠実である。それゆえ理性=エラリイは神の死を宣告せざるを得ない。そうしなければ「世界」は混淆した主観の中にグズグズと崩れ去るからである。本作のテンションは、そういう「世界」の危機感の賜物なのだ。
結論:本作はクイーンがミステリの形式を媒介にして、ミステリを超えたものにアクセスしようとした「超ミステリ」の1冊ということになる。これは例外的な小説だ。

No.264 8点 メグレ罠を張る- ジョルジュ・シムノン 2017/10/22 21:30
本作メグレ物の中でも有名作の一つにふさわしく、ジェットコースター的な展開で、とにもかくにも「読ませる」名作である。シムノン全盛期の剛腕を存分に楽しむことができる。まあ皆さんもよく書評していて、いい面をしっかり伝えているので、評者なぞが屋上屋を架すのも野暮だ。
...で、なんだけど、本作ってたぶん「熱海殺人事件」の元ネタな気がするのだ。メグレ流の捜査術というのは、犯罪を犯人の自己表現として捉えることに真髄がある。その自己表現を理解する批評家のような立場にメグレは立つわけだ。本作はこういう「メグレ流」をわりとあからさまに描写しているので、シムノン入門編に最適じゃないかしら。けども、この犯人の自己表現をパロディ的な方向にゆがめたとしたら、それこそつかこうへいの世界に直に通じてしまうのだ。くわえ煙草の伝兵衛とパイプのメグレの距離は、意外なほど近い。それゆえ、本作の「犯罪」もメグレの理解を俟って初めて完結する、犯人とメグレのいわば共作のようなものなのかもしれないな。

No.263 4点 恐怖の限界- ウィリアム・P・マッギヴァーン 2017/10/20 23:50
マッギヴァーンというとハードボイルド/警官モノがメインなのだが、たぶん長編は一つだけだがスパイ小説があって、それが本作。イタリアに出張していたアメリカ人ビジネスマンが、行きずりの女性の危難を救ったことから、ソビエトのスパイが暗躍する謀略の中に巻き込まれていった...というのがアウトライン。各務三郎が昔アンブラーについて「現代版の恐怖小説になってしまったスパイスリラーに、もう一度冒険のセンスを取り戻そうとした..」なんてことを言っていたのだが、要するに本作、タイトルからして「恐怖の限界」だが、まさにそういう「現代版恐怖小説」としてのスパイ小説だったりするのである。
しかしね、作者がマッギヴァーンだ。主人公はラヴクラフト風の受動的なキャラではなく、行動的で現実的なアメリカンで、一種のモラルからドンキホーテ的なおせっかいをして結果死体がゴロゴロ(いくら冷戦まっ盛りのスパイ活動でも、外国での殺人はなるべく避けるだろうに...)、ということになってしまう。副主人公的ポジションで、左翼系インテリで皮肉屋の友人がいるのだがこの男と、加えて敵方のボスである冷血の職業的スパイと、この3人の内面描写を切り替えて、神視点三人称で多面的に状況をきっちり説明して「見せる」のだが...まあ実際本作の内実は恐怖小説なので、しっかりかっきり説明してしまうと、どうしてもお話がお安くなるというものだ。
というわけで、本作はマッギヴァーンのイイ面が全部裏目に出てると思う。まあこういうのも、ある。

No.262 6点 よみがえる拳銃- カート・キャノン 2017/10/15 15:10
カート・キャノンっていうと都筑道夫が訳した短編集の方が伝説なんだけど、1作だけ長編があるんだよね。これがそう。だからマクベインというかハンターというか、は続ける気がないわけじゃなかったんだろうけど、87分署で人気者になっちゃったからには、続ける余裕がなくなってしまったあたりが真相ではなかろうか。日本じゃ都筑道夫のイレ込みによってか87分署に並ぶ人気作になったんだけど、アメリカではそうでもないようだ。Ed McBain の英語版Wikipedia は Curt Cannon については実にそっけない記述しかないしね。
今回、幼馴染に強引に巻き込まれたかたちでレジ荒らしの調査を渋々引き受けさせられて、その男の店に行くと共同経営者の死体が転がっていて...で、その死人の義妹に惚れられるわ、別な探偵の調査員は名ばかりの今風に言えば「別れさせ屋」の女にも誘われるわ、と相変わらずキャノン、ルンペンなのが謎なほどにモテモテである。この「別れさせ屋」の女フランがなかなか意味深なことを言う(ファッションもカラスで尖がってる)。もちろん、このシリーズの眼目は、カートの前妻トニへの、未練たっぷりな思い入れというかトラウマと合体してわけのわかんないコンプレックスになっている愛憎の感情に溺れるさま、なのは言うまでもないんだけど、これを第三者の女が見たとき、

あんたは傷つけられた男。しかも美しい女に傷つけられた男。母親のようにあんたをいたわりたいという自然な本能を別にしても、そこには挑戦してくるものがあるの。女らしい女ならば無視できない挑戦よ(中略)その挑戦っていうのは、恋の焔を消すことができるかどうか(略)あんたにとっては最高のものだった女を忘れさせることができるかどうかってこと。

というあたり、オンナのトラウマ男好きの真相というかホンネ感が半端ない。「あんたがいやがるから、ますます挑戦したくなるのよ」と女にだって征服欲があるわけだよ。まあこの手の小洒落て洞察の効いたネタがあって、しかもそれらがちょいとしたミスディレクションになっているあたりに作者の才気を感じて、ニヤリとするようなタイプの小説だ。こういうの、いわゆる名作の範疇には絶対入らないけど、妙に愛される小説の資格だけは十分すぎる。

No.261 7点 ギデオンと放火魔- J・J・マリック 2017/10/09 21:57
モジュラー型警察小説のハシリで有名なシリーズのMWA受賞作。モジュラー型っていつ頃から言い出したのか知らないが、評者とか「ギデオン方式」って昔呼んでたよ。で、このパターンの弱点は登場人物が増える割に事件がありふれたものなので地味になりがち、という点だが、本作は火事で家族を亡くした男が復讐のためにロンドン中に放火して回るのがクライマックスになって、とっても派手。そこらへん話題性もあっての受賞だろう。
他にも少女強姦殺人1件、連続女性失踪事件(青髭系)1件、銀行強盗1件+共犯者の妻殺し、株式詐欺1件に加え、ギデオンの未成年の息子が隣人の娘を妊娠させた?という家庭内事件まであって、これらが同時並行で進行する。だから読み応え十分。
このシリーズの一番の特徴は、主人公が警視長(通称は警視だが、いわゆる警視より2階級上)でかなり偉いこと。実際、ギデオンは、スコットランド・ヤード(首都警察)の犯罪捜査部(CID)部長なので、上司はすべて政治家で警官ではない。ギデオンは警官としては頂点を極めた地位にあることになるわけだ。だから仕事は本当に管理職で、現場指揮はすることもあるが、身を張るのは部下、ということになる(まあそれでも小説なので、本作も1回だけギデオン本人が突入して犯人を取り押さえるシーンがある)。管理職としてのリアリティをちゃんと描けるか、というあたりだが、そこらへんは有名シリーズのわけで、ソツがない。基本的に中間管理職だったりもする警視級の部下たちの報告を読んで指示を出すのが仕事であり、それがきっちり描けているので、シラけるようなことはない。

わたしがいってなかったとしても、カースンか、ほかのだれかがやったろう。あんな仕事に、わたしがどうしても必要だなんて、そんな考えをするほどばかじゃないよ。あそこへいったのは、何かやるためじゃなくて、いわば、その、立場上の責任といったものだろうな。

....マトモな職業人、だね。堅実というものだ。このセリフで本シリーズの美点はほぼ尽きている。

No.260 6点 ビッグ・ヒート- ウィリアム・P・マッギヴァーン 2017/10/09 21:01
評者の見るところ、本作は同じ元刑事復讐譚である「最悪のとき」とネタがカブるようで、「最悪のとき」は本作のやや甘めなところを激ニガに書き直したバージョンみたいに感じる。それでも本作の一番イイところというのは、そのいささか「甘い」ところのかもしれないな。
警官が自殺した。その経緯に不審を抱いたバニオン警部補が捜査を継続すると、証人の死や不可解な圧力が上司からかかるなど、どうも市政の影のボスたちの逆鱗に触れているようだ。バニオンの身代わりとなって愛妻が車に仕掛けられた爆弾によって殺されると、バニオンは腐敗した市警察を辞職し単身謎を暴いて黒幕に復讐することを誓った...
という話だが、実はそれほどハードじゃない。ギャングたちがバニオンの娘を脅かそうとするが、バニオンのために戦友たちが娘のガードを買って出てくれるし、神父や正義派の幹部警官なども陰に日向に助けてくれる。意外にここらのみんなに「支えてもらってる」あたりが、何かイイ感じである。神父なんぞ戦友たちのアリバイ作りに「一緒にポーカーしてた」と証言してくれるくらいだよ(笑)。
しかしね、男は見栄や気取りもあってなかなかハードに徹しきれないものなのだが、女は実に煮え切ってハードボイルドだ。バニオンは諸悪の根源である女を撃てばある意味問題が解決するのだが、それでも撃てない。

とにかく、わたしはタフな人間よ。あなたにもできなかったことをしたんですもの。

...オトコなんぞより、女の方がずっとタフでハードボイルドなんだよ。この小説はホントにそういうオチである(苦笑)

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クリスティ再読さん
ひとこと
大人になってからは、母に「あんたの買ってくる本は難しくて..」となかなか一緒に楽しめる本がなかったのですが、クリスティだけは例外でした。その母も先年亡くなりました。

母の記憶のために...

...
好きな作家
クリスティ、チャンドラー、J=P.マンシェット、ライオネル・デヴィッドスン、小栗虫...
採点傾向
平均点: 6.39点   採点数: 1419件
採点の多い作家(TOP10)
ジョルジュ・シムノン(105)
アガサ・クリスティー(97)
エラリイ・クイーン(48)
ジョン・ディクスン・カー(32)
ボアロー&ナルスジャック(26)
ロス・マクドナルド(26)
アンドリュウ・ガーヴ(21)
エリック・アンブラー(17)
アーサー・コナン・ドイル(17)
ウィリアム・P・マッギヴァーン(17)