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[ ホラー ]
死者の書
折口信夫 出版月: 1999年06月 平均: 10.00点 書評数: 1件

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中央公論新社
1999年06月

No.1 10点 クリスティ再読 2018/01/30 00:24
評者書き込み300点記念は、日本語で書かれた中でもっとも美しいと断言できるホラー小説である。乱歩にせよ久作にせよ虫太郎にせよ、あるいは海外ならポーにせよラヴクラフトにせよ、恐怖と宗教的な法悦とは紙一重である、というのを体感するような小説家にしか「愴絶な美」を描くことはできないようなのだ。
本作の著者は言うまでもなく、詩人の魂を持った古代研究者であり、これがその残した数少ない散文小説である。舞台は奈良朝末。二上山の墳墓から復活した大津皇子の魂と、当麻曼荼羅伝説の中将姫として語り継がれた藤原南家の郎女との交感が描かれるが、神秘的なラブロマンスのようなものではまったくない。大津皇子が仏教以前の古事記的な日本人の冥界観から抜け出たような、昏い荒魂であるのに対して、郎女は二上山の日没にそれを

春秋の彼岸中日、入り方の光り輝く雲の上に、まざまざと見たお姿(略)金色の鬢、金色の髪の豊かに垂れかかる片肌は、白々と袒いで美しい肩。ふくよかなお顔は、鼻隆く、眉秀で夢見るやうにまみを伏せて..

のイメージに観て、一晩じゅうそれを追いかけ、二上山のふもとである当麻の寺に至る。それは

春秋の、日と夜と平分する其頂上に当る日は、一日、日の影を逐うて歩く風が行はれて居た。どこまでもどこまでも、野の果て、山の末、海の渚まで、日を送つて行く女衆が多かった

とされる古俗なのだが、しかしその一方で、郎女はそのイメージを浄土教的な日想観と、浄土経典の来迎のイメージに置換してしまっている、神道的というよりも仏教的な奈良女性であったのだ。なので、これはロマンスというよりも、古代日本を舞台とする宗教的闘争の物語なのである。
それゆえ、旧き荒魂の訪いは

処女子の 一人/一人だに わが配偶に来よ
まことに畏しいと言ふことを覚えぬ郎女にしては、初めてまざまざと、圧へられるやうな畏さを知つた。あああの歌が、胸に生き蘇つて来る。忘れたい歌の文句が、はつきりと意味を持つて、姫の唱へぬ口の詞から、胸にとほつて響く。乳房から迸り出ようとするときめき。
帷帳がふはと、風を含んだ様に皺だむ。
ついと、凍る様な冷気―

とかなりホラーな死霊の訪問にしかならなかった...
本作については、長々と引用してしまったことでもお分かりだろうけども、本当に評者は古雅なこの文章が大好きだ。小説にも「日本語の富を豊かにすることに大きく貢献した小説」というのもあるわけで、本作なんてその筆頭の部類だろう。古事記万葉の呪術的な詞の美とチカラと、近代的な心理分析を介して、古代人の真正なココロの在り方を探ろうとする営為とが結晶した、日本幻想小説の逸品である。

した した した。耳に伝うやうに来るのは、水の垂れる音か。ただ凍りつくやうな暗闇の中で、おのづと睫と睫が離れてくる。


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折口信夫
1999年06月
死者の書
平均:10.00 / 書評数:1