海外/国内ミステリ小説の投稿型書評サイト
皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止 していません。ご注意を!

おっさんさん
平均点: 6.35点 書評数: 219件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.18 6点 聖者の行進 伊集院大介のクリスマス- 栗本薫 2022/12/25 12:26
ネットの「クリスマスにまつわるミステリ」というワードから、まっさきに連想したのがコレだったりする。
もっといいミステリは、ドイルにもクリスティーにも横溝正史にも……他にいくらでもあるのにね。でも、自分に嘘はつけない。
というわけで――

「なんか、ここんとこ、変なのよ、うち」。
名探偵・伊集院大介が親しくする、レズビアンの姉御・藤島樹(ふじしま・いつき)が経営するバーに、師走のある日、かつて彼女がホストとして勤めていた、ゲイ・クラブの名物ママが突然、訪ねて来て旧交を温め、店にまつわる悩み話をして帰ったあと……クリスマスに自身の店で変死体となり、樹と大介に発見されることになる本書(2004)は、ミステリとしての出来不出来を超えて、筆者にとって、心に焼き付いて離れない、いわば偏愛の一冊なのです。

『絃の聖域』(1980)に始まる伊集院大介シリーズは、おおざっぱにいって、怪人シリウスが暗躍する(そして大介の伝記作者だったはずの森カオルが、ワンオブゼムに降格してしまう)『天狼星』(1986)以前と以後で、前期・後期に分けられると思いますが、作者の筆力とミステリのクオリティのバランスがとれ、安定していた前期(短編集『伊集院大介の冒険』(1984)は、その格好のショーケース)に比べると、そのどちらもが失速していく後期は、ネット社会の事件を描いた『仮面舞踏会』(1995)という例外的な傑作(と、作者の着物趣味がスパークした力作『女郎蜘蛛』(2005)かな)を除けば、まあファン以外、読む必要はありません。
本書も然り。
「ジョーママはそれこそ六尺ゆたかもいいところ、180はゆうにこえる背丈と、150kgではきかないかもしれない、相撲取りなみの体格を誇る、かつては青山六本木で一番有名なおカマの一人だった」と描写される被害者を、いかにして首吊り自殺に偽装して殺害できたのか(あわわ、ネタバラシかw)というハウダニットの部分などは、砂上の楼閣で、ちゃんとした“本格”に馴れている人には、「おいおいおい」かもしれません。
にもかかわらず。
ミステリのクオリティの劣化は否定できないにもかかわらず、作者の筆力が、奇跡的に、一時的にではあるにしても、戻ってきていることに、筆者は胸を揺さぶられます。
語り手を務める、五十路を超えた男装の麗人・藤島樹。彼女は、『魔女のソナタ』(1995)で脇役として初登場し、『水曜日のジゴロ』(2002)でメインに抜擢されたキャラクターで、作者が自身を重ね合わせていたのは、ほぼ間違いありません(若き日の自身の投影が、『優しい密室』(1981)の、女子高生時代の森カオルであったように)。それがあってか、キャラの立ちかたが半端でなく、その一人語りは、切なく、しかし力強く、魅力的です。
そして、伊集院大介の謎解きのあと、タイトルのもとになったディキシーランド・ジャズの名曲「聖者の行進」の歌詞に載せて、樹の脳裏を、死んでいった者たちの、そしてやがて自分も続くことになるであろう、陽気な葬列のイメージがよぎり、消えていくラスト・シーンは、これぞ栗本薫。
「(……)落ちてくるひそやかな闇と静けさのなかで、わたしはそっと、ジョーママにむかってつぶやいた。メリー・クリスマス」。
ああ、ミステリ以外の部分は満点だw

No.17 6点 真夜中の切裂きジャック- 栗本薫 2014/05/19 17:45
あれから、もう五年。いや、まだ五年というべきでしょうか。
本サイトで、たまさか作品がレヴュー対象として取り上げられているのを見ると、評価の内容とは関係なく、ああ、まだ忘れられていないんだ――とそのこと自体に感慨を覚えてしまう自分がいます。

闘病中の栗本薫が亡くなったのは、2009年の5月26日でした。
最後まで現役の作家であり続けた彼女ですが、晩年はすっかり痛い人になってしまい、作品の質的低下とあいまって、かつての多くのファンを嘆かせました。かくいう筆者もそのひとりです。
さんざん嘆き、怒り、でも・・・
いまだにこんな文章を書いている。

さて。
今回ご紹介する『真夜中の切裂きジャック』は、出版芸術社から1995年に刊行された短編集で、時期的には“晩年”の著作になるわけですが、じつは作者のデビュー当初の79年から、80年代後半までの、“単行本未収録作品”を選り抜いたもので、栗本薫の最大の武器であった、文章のパワーはバリバリ全開です。
収録作品は、以下の通り。

①真夜中の切裂きジャック ②羽根の折れた天使 ③クラスメート ④獅子 ⑤白鷺 ⑥十六夜 ⑦<新日本久戸留綺譚>猫目石

作品のセレクトは、当時、出版芸術社に勤務していた溝畑康史氏(のちの日下三蔵氏)によるものです。
①~③のサイコ・サスペンス系のお話が「SIDE-A」として、④~⑥の、ノン・ミステリの芸道小説が「SIDE-B」としてまとめられており、それに「BONUS TRACK」として、作者がデビュー前に書きためていた怪奇もののシリーズのうちの一編、⑦が付いているという構成です(ただ97年のハルキ文庫版では、、この趣向が無くなってしまって、それで読むと、似たような話が無造作に続く印象をあたえるかもしれません )。

②の「羽根の折れた天使」は、第32回の日本推理作家協会賞・短編部門にノミネートされた作品ですが(このときの、同部門の受賞作はナシ)、作中の恐怖に、当時の世相を反映した一種のアクチュアリティは感じられても、ミステリ的にはコナン・ドイルの昔からあるテーマなわけで、その処理にとりたてて新味は感じられません。

この系列では、作者お得意のボーイ・ミーツ・ボーイ、中二病の大学生が“恋人”への疑惑(彼は殺人狂・・・なのか?)をつのらせ、現実から乖離していくさまを描く表題作①が、むしろ移ろいやすい日常に背をむけ、耽美に徹しているぶん、いま読み返しても古く感じません。ラストのカタストロフを具体的に書かないことで、リドル・ストーリーのような効果をあげているのも大きい。
ただ、現在(の“僕”の意識)→過去(それまでのフラッシュバック)→現在(の意識に戻る。そして――)という構成で、ループする空間に読者を封じ込めるのが狙いなら、途中、主人公に“読者”を意識したような語りをさせては駄目なんですよねえ。“手記”だと、これは成立しないお話なんですから。

やはり、(広義であれ)ミステリとなると、筆の勢いだけではいけないわけで、“情”を支える“理”という部分で、どうしても栗本薫には甘さがある。
もし、そうした拘束を解き放ち、完全に“情”に的を絞ってキャラクターを造型し、切りつめられた長さの中で、その閃光の人生をスパークさせたら、どうなるか?
その答が、歌舞伎役者や三味線の名取を主役に配し、芸に憑かれた天才(同じ“芸人”としての、作者の理想の投影ならん)の壮絶な肖像で読者を圧倒する、④~⑥の作品群といっていいでしょう。
ミステリやSFと違って、純粋な芸道小説にどれだけ需要があったかは疑問です。でもそれだけに、商売抜きでこの話は書かずにいられなかった、といわんばかりの、作者の気迫が凄い。
わけても、④の「獅子」は傑作。二十年近くまえ、はじめてこれに接したとき、結びの一文を読んだ直後は放心状態になりました。再読しても、ただため息をつくしかありません。うまい。そしてそれ以上のものが、ここにはある。
しかし、死を前にした人間の、この“覚悟”を描ききった栗本薫が、なぜ自身の晩節は、ああも汚しまくったのか。いやこれは、いまさらいっても詮無いことですが・・・。

最後の⑦は、作家の栗本薫(♂)が車椅子の美少年・印南薫から聞かされる、、稀代の宝石の因縁噺。角書の<久戸留>は<クトル>です。というわけで、そうです、これはニャル子、あわわ、もとい邪神がらみの一席。
商業誌(『SFマガジン』)に発表するにあたって、多少は(その時点の、既発表の栗本作品とリンクさせるため、おそらく導入部に)手を入れたかもしれませんが、これは基本的に、彼女の大学時代の習作のお蔵出しです。
趣味的にすぎる、ベタなお話を、でも文体でクイクイ読ませていく。ああ、これはやっぱり栗本薫だw
思わず粛然とさせられる、芸道小説のあとに、こういうのを持ってくるのはいいなあ。

もっぱら長編作家として注目されていたため、割りを食った嫌いはありますが、このへんの短編集は、もう少し読まれてもよかったのに、と思います。

No.16 5点 ハード・ラック・ウーマン- 栗本薫 2012/07/09 10:28
オレの名はシン、三十三になって定職にもつかず、年下の仲間とロック・バンドをやってる。
そんなオレたちのバンドの追っかけだった、家出娘のライが殺された。犯され、メッタ刺しにされて工事現場に転がった彼女。誰も、本名すら知らなかった女。
警察は、バンド・メンバーを疑ってやがる。
なぜオレは、死んでから、こうも彼女のことが気になるんだ。知れば知るほど、オレと似た匂いのする女――ハード・ラック・ウーマン・・・

読み残しの栗本薫作品から、昭和六十二年(1987)の単発長編――「ぼくら」シリーズの脇を固める、長髪のギタリスト・石森信のスピンアウト作品――を手にとり、既視感にアレレ、と思いました。
こりゃー、あれだ、中編「ライク・ア・ローリングストーン」(以下「ライク」)の長編化だ。
「ライク」には、通称ネコというバンド少女が登場して主人公を翻弄するのですが、それを殺人の被害者にすることで、全体を探偵小説ふうに構成しなおしたのが本書。
「ライク」を表題作にした中編集は、この前年(昭和六十一年)に文庫化されていますから、その際に自作を読み返した著者が、あ、これ長編でいけるな~、彼女のキャラを謎にして、探偵役が調べていくことで次第にそれが明らかになる形なら・・・バンドマンの主人公ならシンが使えるか・・・三部作ラストの『ぼくらの世界』もそろそろ文庫になるから、番外編を出すタイミングも悪くないだろうし・・・と思ったかどうか。
筆者が読んだ講談社文庫版には、「あとがき」がありませんし(断わり書きは必要でしょ、栗本センセ)、解説(ミュージシャンの難波弘之氏。同時代の、作者の友人の証言として興味深い)もその意味では役に立ちませんが、上記の推測は、当たらずといえども遠からずでしょう。

それにしても。
一般社会のルールから外れたダメ人間であっても、好きなことにしゃにむになって、いまその瞬間を完全燃焼しようとするキャラを立てさせると、栗本薫の独壇場ですわ。シンにしてもライにしても、なんでこんな連中のベタなドラマに感情移入させられてしまうのか。
チンケな客観を吹き飛ばす、強烈な主観のマジック。これはもう、文章力のなせるわざとしか云いようがありません(それはまた、文章の劣化が、たちまちドラマの説得力の低下につながる危険をはらむわけですが・・・)。

被害者の人間性を理解する旅路が、そのまま主人公の自己再発見につながるプロセスは見事で、旭川(ライの生まれ故郷)の夜の町での石森信の心の叫びは、ROCK小説としての本書の、見事なクライマックスになっています。
その旅路の果てが、犯人探しのゴールになり、同時に犯人の人間性の理解にまでつながれば、これはもう、それこそシムノンのメグレ警視シリーズやルース・レンデルのウェクスフォード警部シリーズのセンにつらなる、立派な現代ミステリになったのでしょうが・・・

そうはならなかったw
ミステリ・プロパーの読者ほど、この結末に腹を立てるだろうなあ。確かに現実の殺人事件なんて、そんなものかもしれない。リアルっちゃあリアル。でもね、探偵小説としては、それはただの逃げですよ、栗本センセ。
それに、“あの”シチュエーションだと、ただそれだけで犯人を理解した気になるシンが、急に上から目線の決めつけ野郎になってしまう。もし、作り物のミステリに対するリアルで押し切る(開き直る)つもりなら、犯人はもっと普通――「なぜあんな奴が? わからない・・・」――)でよかった。

採点は難しいですね。
ミュージシャン小説としてなら、満点。純粋にミステリとしてなら、零点近いw ただ、パズラーを意図したものでないことは自明で、微妙な狙いが空回ったと、好意的に見られないこともない。
苦肉の策で、あいだをとっての5点認定としました。

No.15 7点 ライク・ア・ローリングストーン- 栗本薫 2012/07/06 21:47
読み残しの、栗本薫作品から。
昭和五十六年(1981)から翌年にかけて、『別冊文藝春秋』に発表された、三つの中編

①ライク・ア・ローリングストーン ②One Night ララバイに背を向けて ③ナイトアンドデイ

を収めています(単行本は昭和五十八年の刊)。
いずれも作者の好きなポピュラー・ミュージックのタイトルを題名にし、作者が青春を過ごした「70年代」への郷愁を詰め込んだ、風俗小説です。

筆者が学生時代、愛してやまなかった栗本薫の短編集に、やはり国内外のヒット曲をタイトルにからめた『天国への階段』(角川文庫)というのがありまして、地方在住の身には、そこで描かれるさまざまな“都会の青春”が、たまらなくまぶしく、いとしく、せつなかった。
“青春の終わり”を活写した本書の収録作――とりわけ、「ぼく」が自由奔放な生きかた(を象徴する女性キャラ)に憧れながら、ギリギリのところで“さいごのチャンス”を捨て、日常を選択してしまうエンディングの表題作①は、胸に迫る――を読んでいて、馬齢を重ねるうちに忘れていたあのころの記憶まで呼び戻され、不覚にもジンとしてしまいました。
とはいえ、もとよりミステリの作品集でないことは承知して読み始めたので、これを本サイトのレヴューに取り上げるつもりはありませんでした。

しかし②を読むにいたり・・・
これはねえ、ラスト2行でクライム・ストーリーになるんですよ。
凶行を暗示するフレーズの見事さ。あまりにも身勝手な思い込みで、殺意が確定してしまう怖さ。しかしディテールの積み重ねは、それを必然と思わせるのです。
“ストーカー殺人者の出来るまで”を描いて出色のこの作を、強引にミステリに引きつけて語りたい誘惑を抑えきれませんでした。
補助線として、パトリシア・ハイスミスやルース・レンデルを持ち出してもいいのでしょうが、他人とうまくつきあえず個人幻想の中に入り込んでいく、バンド青年(ロックとブルースのオタク)の造型から筆者が連想したのは、じつは江戸川乱歩の初期短編でした。「屋根裏の散歩者」だったり、「虫」だったり。
そしてそれらの短編に、乱歩の若き日の厭世感が投影されているように、「One Night ララバイに背を向けて」にも、まぎれもない作者自身のパーソナリティの反映があります。
作中キャラと違うのは、現実の栗本薫が、乱歩同様、“小説”で社会との接点を持ちえ救われたということでしょう。
これは、ことあるごとに先達・江戸川乱歩への愛着を表明してきた作者が、そのもっとも本質的な部分で乱歩の眷族であることを示している作かもしれません。

エロ劇画(死語?)に憑かれたマンガ家を描く③は、肩の力を抜いたような軽い仕上がりですが、シリアスな傑作ふたつのあとの締めとしては、これでいいのでしょう。
庶民(ぼく)のアーティストに対する夢(犯罪幻想)をもって終わるこの作で、われわれ読者もまた、ゆるやかに日常に帰還できます。

栗本薫の中短編集のなかでも、おそらく上位にランクされる本書ですが、採点は「ミステリの作品集でない」ことを考慮して、7点にとどめました。

No.14 4点 アンティック・ドールは歌わない―カルメン登場- 栗本薫 2012/04/27 16:47
読み残しの、栗本薫作品から。
スペイン帰りの、日本人フラメンコ・ダンサー(にして、ポルトガルの民族歌謡ファドの歌い手)、本名不詳、通称カルメンシータ・マリア・ロドリゲス――六本木の夜の世界の住人たる彼女を主人公にした、長めの短編4本、

1・お休み、アンジェリータ
2・『いとしのエリー』をもう一度
3・二時から五時までのブルース
4・アンティック・ドールは歌わない

を収録しています。昭和六十三年(1988)に新潮社から単行本が出た、作者の、これ一冊きりのシリーズ・キャラクターものです。

今回、筆者が読んだ新潮文庫版のカバー裏の、作品紹介文には「魅力的なキャラクターがやさしく謎を解いていく、栗本サスペンスの新境地」とありますが・・・なんか違うぞ、それw
犯罪に関与はするけど、このカルメン女史、べつに“探偵役”じゃないしね。
言ってみれば、役割としては――撒き餌(まきえ)かな?
その強く激しい気性が、磁石のように、ある種の人々を引きつける。あるときはあこがれの対象として、あるときは憎しみの対象として。そして引きつけられる病んだ心が“事件”を起こし、その帰結にカルメンが立ち会うことになる。

一番最初に書かれた(のに巻末に置かれている)表題作4では、まだその特色が発揮されておらず、レズのカルメン、美少女アイドルを拾うの巻、といった軽いノリですが(それでも、ラストシーンのうまさはダントツ)、2や3になると、作者は“平凡なOL”や“平凡な主婦”をカルメンと対置させ、そんな平凡人が一線を超える瞬間、その異常な心理を描き出そうとします。
腰砕け気味なのが残念で、2は、相棒の刑事が発砲してジ・エンド(刑事が日常、拳銃を携帯してたら大問題ですよ、栗本センセ)、3は・・・う~ん、このエンディングは筆者にはよくわかりません。投げっぱなしなのか、余韻を残しているのか?
それでも、そこにいたるまでの、カタギの暮らしの象徴のような“平和な平凡な分譲住宅地”(カルメンにとっては、逆に異界)に亀裂が入って、日常の地獄を覗かせる展開と、カルメンと五歳の少年の交流のエピソードの良さで、本書から一篇となれば、この「二時から五時までのブルース」を採ります。

巻頭の1(じつは一番最後に書かれたお話)では、ヒロインがスペインから日本に帰って来た理由が描かれています。枚数的に最長(400字詰原稿用紙にして、約140枚)で、ストーリーも起伏に富みますが、お約束のようなヤクザの抗争があったり、“栗本流ハードボイルド”のマナリズムが感じられ、2や3の“心理ミステリ”的アプローチにくらべると、物足りません。
そして何より、結果として巻頭作としては、中途半端。行方をくらました、カルメンの恋人アンジェリータ(彼女もまた日本人)の存在が、宙に浮いたままです。
作者が飽きたのか、親本が売れず続きを書きにくくなってしまったのかわかりませんが、シリーズを投げるのであれば、せめて文庫化のさいに、アンジェリータとの決着篇を書き下ろして、ラストに配すべきでした。

<お役者捕物帖>といい(あれも版元は新潮社でしたねw)勝手にシリーズ終了は、栗本薫の悪い癖です。

No.13 7点 エーリアン殺人事件- 栗本薫 2012/02/17 11:43
地球を離れること、何万光年。
巨大貨物船シーラカンス号は、遭難した宇宙船を救助する。
しかし、そのベム捕獲請負業者の持ち船には、凶暴なエーリアンが収容されていたのだ。シーラカンスに侵入を果たした異形の怪物による、殺戮が始まった!
しかし。
無理矢理、捜索隊長に任命されたアル中の二等宙航士ルーク・ジョニーウォーカーは叫ぶ。「ただのエーリアン退治だと思ってたのに、どんどん謎が深まるばっかりで――こ、これじゃあ、まるで本格ミステリーじゃないか」
ところが、その当のエーリアンが何者かによって殺されてしまい・・・ついに名探偵として覚醒するルーク。
その意外な推理の果てに待ち受けるものは――「史上最大のご都合主義のエピローグ」だったwww

いや~、こんなの取り上げていいのかしらん。
栗本薫の、昭和56年(1981年)度作品にして、懐かしのハチャハチャSF(死語? 命名者・小松左京。ダジャレ、楽屋落ち、パロディ等の連鎖で繰り広げられる、お笑い系SF)です。
昔は莫迦にしてスルーしていた本作を、まあ、この機会にと読んでみたら・・・そのー、なんだ、面白かったの。
バカSFが、いちどは本格ミステリ的に(いちおう常識の範疇で)終息しそうになって、そこからバーンとはじけて非常識の領域へ飛び出す、その、思わず「そんなアホな」と言いたくなる演出がツボにはまったわけで。
じつはまったくミステリじゃないんだけど、この遊びを面白がるミステリ・ファンは必ずいる――はず。多分。いや、いたらいいな、と。
ぶっちゃけ、“その世代むけ”のギャグのオンパレードは読者を選びますが、たとえば

 「不運な男よのう」
 オビワン・ヘノービが重々しく言った。
 「つくづくと凶運のもとに生まれておると見える。もしや、何代前かのご先祖に、諸星あたるという日本人がいたのではないかな、少年よ」

といったくだりにニヤリとできる向きは、騙されたと思って手にとってみて下さい(あ、あともしアナタが下ネタに抵抗がなければ、ですがw)。
品性を疑われないように(手遅れか)いちおう7点にとどめましたが、シリアスなミステリではマイナス要因だった栗本薫のアバウトさが、この手の野放図なストーリーでは笑いに転じており、個人的には、これは拾い物でした。

雑誌『野性時代』に連載されたあと、角川書店で単行本化され、やがて角川文庫入り、のちハルキ文庫版も出ているようですが、筆者が読んだ角川文庫版は、マンガ家・高信太郎によるカバー・イラストと解説(映画解説者だった、故・淀川長治氏の、あの不滅の解説口調のパロディ)が絶品なので、もし、本作にトライしてみようかと思われたら、そちらを探されることをお勧めします。

No.12 7点 女狐- 栗本薫 2012/01/17 09:51
1970年代後半から80年代初めに、光文社のカッパ・ノベルスから、エラリー・クイーン(フレデリック・ダネイ)を選者にした『日本傑作推理12選』というシリーズが刊行されており、これを若き日の筆者は愛読していました。
日本の予選委員が傑作と判断した、1970年以降の短編を英訳してアメリカに送り、クイーンのお眼鏡にかなった12篇を本にするという形式で、三冊目まで刊行されました。
その『第3集』に収録されていたのが、栗本薫の「商腹勘兵衛(あきないばらかんべえ)」。当時、一読して、よくこういう時代ものをチョイスしたなあ、と、クイーン以前に予選委員の見識に感心したおぼえがあります。

本書は、その「商腹勘兵衛」を含む8篇を収めた、1981年(昭和56年)の時代小説短編集。通読するのは、今回が初めてです。
ミステリを意図した作品集ではないものの、うち幾篇かは、広義の犯罪小説にカテゴライズできるものなので――そして出来も悪くないので(というか、グダグダ加減の目立つ長編より、むしろ小説としての完成度は高い)、紹介してみることにしました。
収録作は――
①女狐②お滝殺し③あぶな絵の女④赤猫の女⑤蝮の恋⑥商腹勘兵衛⑦微笑む女⑧心中面影橋

アブナイ女と関係したばかりに、人生を踏み外し、行きつく先は(無理)心中――というパターンのお話が三作あるのですが、その“旅路の果て”に至るルートはみな異なり、クライマックスのニュアンスも、きちんと違えて書き分けられています。さながら心中見本市w
なかでも、男と女の心理の変化がストーリーの方向性を著しく変転させ、予断を許さない⑧は、秀作。

そうした心中ものにヒネリを加えた③が、本書でいちばんストレートに“ミステリ”していますが、逆に謎解きのマズさも目につき、作者の資質が“解明の物語”に無いことをしめしています。

謎を設定して解き明かすのではなく、“何か”を隠し――隠しごとの片鱗すら見せず読者をミスリードし、結末近くで大きなオドロキを演出する、そうした技巧で成功したのが、最初にも触れた⑥ということになります。
何のことだろう、と思わせるタイトル、「どうだ。腹を切らんか」という印象的な一言で始まる導入部、殉死の予約勧誘という状況設定の面白さ、そしてヒロインとなる萌えキャラ、小説の構造上の仕掛け――栗本薫としても会心の出来ではなかったかと思います。ポオやドイルではなく、O・ヘンリーやモーパッサンの水脈に通じる一品。

重くて暗い、死の匂いに満ちた、栗本ワールドの一面を代表する作品集と言えるでしょう。
その芸風が好みかどうかと言われると躊躇しますが・・・全体に、文章表現にも工夫が見られ、作者が早々にこの路線を放棄して、伝奇と<お役者捕物帖>に行っちゃったのは、残念な気がします。
推察するに――書くのに手間と時間がかかるので、メンドくさくなったんだろうなあ。嗚呼w

No.11 4点 グルメを料理する十の方法- 栗本薫 2011/12/01 16:38
夜な夜な大東京の食の巷を流れ歩く、女ふたり組。私、ことキャリア・ウーマンの鮎川えりか、そして、職業不詳、130キロ以上の巨体に原色のドレスをまとい、リンカーンを乗りまわす、小林アザミ。
「食べる」という一点で結びついたこの親友コンビが、今日も今日とて、イタリア料理店で脅威の食欲を発揮していると――
店内に居合わせた、有名な美食評論家が、食事の途中になぜか席を立ち、調理場へと入っていき・・・そのまま消失。連れの冴えない小男も、即効性の毒をもられ、その場で死亡するという、一大事件が突発する。
成りゆきから謎を追うことになった二人の前に、増え続ける死者。「さいしょが毒殺、次に絞殺、それから刺殺(・・・)さてさて、グルメを殺すに、いろんな方法があるもんだねえ?」
しかし、そんなアザミさんのうえにも、犯人の魔手は迫り・・・

雑誌『EQ』1986年11月号に、一挙掲載された長編です。すぐカッパ・ノベルスにも編入されましたが、雑誌で目を通し「あ~あ」と思ったので、当時、そちらには手を出しませんでした。
今回、たまたま古書店で光文社文庫版を見かけ、ま、この際だしねと購入し、再読。
いちおうノン・シリーズではありますが、単に続きが出なかっただけで、これは完全にシリーズもののノリで書かれています。
作者が愛してやまなかった、レックス・スタウトのネロ・ウルフもの、その女性ヴァージョンを意図したとおぼしく(『EQ』はウルフ譚の復権も推進していました)、ウルフとアーチー・グッドウィンならぬ、アザミとえりかのキャラ立ちは強烈。マイナスの要素を集めて(語り手のえりか嬢なんて、食べること以外、男とヤることしか考えてないw)それを愛すべき個性に転じる作劇は、お見事。
でも。
真相を承知して読み返しても、謎解きに、あまりに無理が多すぎるんだよなあ。
そもそも発端となる消失劇が、トリックはもとより、その演出意図が理解不能ですし、投毒の経緯も、読者(と日本の警察)を莫迦にするなレベル。
連続殺人の核となる動機の処理も、ズバリ無神経と言わざるを得ません。せめて伏線を張れよお。犯人が、まるでそういう設定の人物に書けてないじゃん。嗚呼。

というわけで、まったくダメダメなんですが、今回、じつは妙に心に残るものもありました。
それは――奇妙な懐かしさ。
バブルの時代の空気感を、本当にひさしぶりに実感したというか。
「一期(いちご)は夢よ、ただ狂へ」
「そういう時代でありましたよ」
――うん、幻想のノスタルジーかもしれないけど、たしかにいっとき、筆者はその風を感じていました。
感傷的かな? 
その酔い心地なりとも、評価しておきたいというのは・・・。

No.10 5点 死はやさしく奪う- 栗本薫 2011/11/01 00:13
『行き止まりの挽歌』と『キャバレー』の作中キャラがゲスト出演する本作は、昭和61年(1986)初頭に角川文庫で書き下ろされ(この年、角川春樹事務所創立10周年記念作品として『キャバレー』が映画化されることになっており、それに合わせた戦略だったはず)、のちにカドカワ・ノベルズにも編入されました。
今回、埃を払って一読したのはオリジナルの文庫版で、じつに25年におよぶ“積ん読”本の消化です。
タイトルは、作中で効果的に使われている、夭逝したジャズ・シンガー、セアラ・プレストンの The death takes love off so softly から採られていますが――ちょっと調べたかぎりでは、その歌手も曲名も発見できず、それ自体、作者の創作のように思われます(情報をお持ちのかたがいらっしゃれば、掲示板でご教示いただければ幸いです)。

気鋭のサックス奏者・金井恭平の仕事場へ、刑事がやって来る。友人の新藤浩二・麗子夫妻が不可解な失踪をとげたのだという。何の心当たりも無い金井だったが・・・帰宅したマンションで何者かに殴り倒される。
電話のベルで目覚めると、
「恭平――あのひとを、とめて・・・」
切迫した一言で切れた、その電話の主は、麗子だった。十五年間、手ひとつ握ることなく恋し続けてきた女の声を、聞き間違えるわけもない。
やがて彼にもたらされたのは、夜明けの自動車道で中央分離帯に乗り上げ、大破、炎上したポルシェの車中から、新藤夫妻の黒こげの死体が見つかったという知らせだった。暴力団がらみのトラブルに巻き込まれていたらしい二人に、いったい何が起きたのか? 
真相を突き止めてやる――決意して動き出した恭平の前に、新たな死者が・・・

いや~、困った。
いや面白いんですよ、この小説は。情に訴える力と読ませるテクニックは、半端じゃない。レイモンド・チャンドラーとミッキー・スピレインが交錯したような終盤の演出は、『行き止まりの挽歌』『キャバレー』と続いて来た、栗本流ハードボイルド路線の到達点といっていいでしょう。くわえてその三作の中では、もっともストレートに“ミステリ”している。
が。おいッ!
栗本薫は、江戸川乱歩賞作家でありますよ。にして、この支離滅裂な謎解きは何だぁ!

犯人は、主人公に事件に関与されたらマズかった、と。じゃ、なんでわざわざ××でちょっかいを掛けたりしたの?
それに本当に邪魔だったのなら、頭を殴った夜に、なぜそのまま彼を殺さなかったの?
鍵のかかっていた金井の部屋に、犯人はどうやって侵入したかがなぜ問題にされないのかな?
あとさあ、どう考えても、かなりのスピードで走っている車から飛び出して、犯人が無事で済むとは思えないんですけど・・・

執筆前にプロットを作らないと公言していた栗本薫は、書きながら考え、小説そのものの勢いにまかせて解決をつける、(E・A・ポオとは対極の)天才肌の作家でした。
その方法論は、鮮やかなシーンの創出に結実するも、構造の美しさや細部の整合性に欠けがちという弱点をともないます。
本当なら、第一稿を書きあげたあとで客観的に見直し、修正すべきところを修正したうえで、決定稿とすべきなのです。
あるいは、デビュー当初はなされていたかもしれない、その作業が、あきらかに軽視され、書きっぱなしになっていく。
面白ければいいじゃん、と開き直って、推敲作業の努力を放棄したことが、この稀代のストーリーテラーの零落の一因か、と、改めてそんなことを感じさせられる作ではありました。

No.9 8点 キャバレー- 栗本薫 2011/10/12 15:47
プロのジャズマンを目指して、大学の仲間たちから飛び出し、場末のキャバレーで実戦をつむ、サックス奏者・矢代俊一。
そんな俊一に「LEFT ALONE」を何度もリクエストする、店の常連客でヤクザ社会の実力者・滝川。
緊張感を孕んだ二人の不思議な関係は、やがて友情へと変わっていくが、俊一の才能が波紋となり、それはヤクザ同士の抗争へとエスカレートしていく。
ギリギリの土壇場で、滝川が迫られた決断とは・・・?

昭和58年(1983年)作。今回が初読です。
ブック・ガイド『本格ミステリ・フラッシュバック』(東京創元社)の、栗本薫の紹介コメントのなかでは「映画・舞台化もされたハードボイルド」(千街晶之)としてミステリのくくりに入れられていますが、“ハードボイルド”の解釈は十人十色としても(そのへん、私自身も、今後、ハメットやチャンドラーを読み返しながら、おいおい考えていきます)これはミステリではないよなあ。
でも。
ミュージシャンの成長小説のベースに、モチーフとしてヤクザ映画の世界観を取り込んだ効果は、見事なものです。
後年の、歯止めが利かなくなった栗本作品と違って、あくまで“男の友情の物語”に踏みとどまっているのも良し。
個人的には、ヤクザの滝川の心情吐露はウエットにすぎ、主人公との対比の意味でも、そこは“言わぬは言うにまさる”書き方、つまりハードボイルド・タッチで決めて欲しかった気がしますが・・・それをやったら栗本薫じゃないしなあw
あと、クライマックスでダイ○マイ○を使うんだったら、伏線張っとけよお、という突っ込みは、いちおう入れておきます。ミステリ作家なんだからさあw

で。
これはマジなコメントですが、もし、小説を書いて、そのなかで音楽を表現したいと考えている人がいたら、本書はマストです。音のうねり、その変化を、キャラクターの内面描写で感じさせるテクニックは素晴らしく、格好のお手本になると思います。
点数は、本サイトで「これはミステリではない」ものを(参考作品として)取り上げる、若干のためらいから8点にとどめますが、本書はおそらく、作者のおびただしい小説群のなかでも、最上ランクに属する一篇です。
感動しちゃったしね。読んで良かったです、ハイ。

No.8 7点 地獄島- 栗本薫 2011/09/13 23:30
人気女形・嵐夢之丞の追っかけをしていたのが、本編のヒロイン、浅草奥山のスリ・切支丹お蝶。
大好きな夢さんの失踪に心を痛め、用もないのに、閉鎖された芝居小屋のまわりをうろついていると、ふと行きあって、夢之丞によく似た若い内儀・お時を、かどわかしから救ってやることに。
おりしも江戸では、夢之丞そっくりの美人小町が連続して殺されるという事件が進行していた。
お時に心惹かれ、その身を案じたお蝶は、こっそり彼女を守ってやることを決意するが・・・

歌舞伎役者を探偵役にした、ユニークな短編連作『吸血鬼 お役者捕物帖』の続編(昭和六十一年刊)。じつは初読時の印象が悪すぎて、なかなか読み返す気にならなかった長編です。
昔に受けた、悪い印象の理由は、大きくいって、ふたつ。

①捕物から伝奇へ、ストーリーの方向性を根本から変え、シリーズをもとの流れに戻せなくしてしまったこと。
②どんでん返しが、初期設定を完全に無視したものであること。

純真な青年読者w は、好きな作者に裏切られた想いでいっぱいになったわけです。

でもいま、あらためて、虚心坦懐に向き合ってみると――う~ん、面白いわ、これ。
善と悪、キャラが乱舞し起伏に富んだストーリーを、栗本薫は達意の文章(作中、大時代な表現を多用するので、ヘタと誤解されるかもしれませんが、あくまで作品のトーンに合わせた確信犯)で綴っていきます。
チマチマした謎解きにこだわらず、奔放に想像力を広げられるこちらのほうが、作者の本領だったんだなあ・・・と痛感します。
終盤、舞台を、伊奈の国・平野の沖合“地獄島”に移してのクライマックスは、止まらなくなった作者がオカルト要素までぶちこんでの暴走。
大混乱のなか、何がなんだかわからなくなってしまうものの(ホームズ譚でいえば、「最後の事件」のあとに「空家の冒険」を書いたはずが、ラストでもう一回「最後の事件」をやってしまったような・・・)、それを畳み掛けるような文章でカバーし、ラストは

 (夢さん、先にゆくよ。きっと、お前と、また会うから)
 地獄の底までも追ってゆく。
 お蝶はゆっくり、船の渡り板に足をかけた。それが、地獄島との別れであった。

と、決めてみせます。

これから嵐夢之丞シリーズを読まれるという奇特なかたに、老婆心ながら、怠慢な作者にかわって、ひとつだけ忠告するとしたら、実質的な第一作「離魂病の女」(『十二ヶ月 栗本薫バラエティ劇場』所収)は、無視してください。あの設定はナシです。『吸血鬼』と本作を読んだあとに、もし興味があったら“番外編”として目を通し、パラレルワールドの夢さんを楽しんでやってください。
と、但し書きをつけたうえで。
本作は、<お役者捕物帖>というシリーズの世界を維持することには失敗しましたが、その代わり、ヒーローとしての嵐夢之丞を惜しみなく使いきって、単品の伝奇小説としては一級品になっている、と評価しておきます。

No.7 7点 十二ヶ月 栗本薫バラエティ劇場- 栗本薫 2011/05/31 16:44
昭和57年(1982)に、栗本薫が「小説新潮」誌上に、毎月ジャンルの異なる短編を読み切り連載したものを、翌58年(’83)に単行本化したものです。各篇に著者のコメント付き。
内容は――

一月/犬の眼<心理ミステリー> 二月/おせん<時代小説> 三月/保証人<社会ミステリー> 四月/紅<芸道小説> 五月/夜が明けたら<風俗小説> 六月/忘れないで<SF小説> 七月/公園通り探偵団<青春小説> 八月/離魂病の女<捕物帖> 九月/嘘は罪<都会派恋愛小説> 十月/ガンクラブ・チェックの男<本格推理> 十一月/五来さんのこと<私小説> 十二月/時の封土<ヒロイック・ファンタジイ>

ジャンルわけが、いささか苦しいものも混じっていますが、現代ものから時代ものへ、ときにシリアス、ときにコミカル、作品にあわせて文体を変えていく作者の技術には、舌を巻きます。リーダビリティは天下一品。ひと頃の栗本薫が、あふれんばかりの才能に満ちた、小説の達人であったことを示す、絶好のショーケースです。
と、そこまで褒めておいてなんですが、収録作品中、ミステリ系の短編は、必ずしもベストではないw
<お役者捕物帖>の幻の第一作である「離魂病の女」は、密室殺人を扱っているのですが、トリックも謎解きも杜撰で、探偵役のユニークネスしか残りませんし、伊集院大介がダイイング・メッセージに挑む「ガンクラブ・チェックの男」は、ひねりを利かせているも、その可能性を、シロウトに指摘されるまで警察が考慮しないとは、信じがたい。捜査会議とか、してるのかいな?
名探偵ものでない、謎解け型のミステリのほうが、短編らしい味わいで成功しています。
子供を殺された男が妻への疑惑をつのらせていく、サスペンス調の「犬の眼」は、急転直下のクライマックスが呆気ないものの、闇の中に一筋の明かりがさしてくる幕切れが印象的。
新聞の三面に載った「区役所の戸籍係孤独の死」――先輩デスクの示唆を受けた雑誌記者が、その“自殺”を洗っていくと思いがけず浮かび上がって来たものは・・・という「保証人」は、松本清張ふうの“社会派”ではありません。そうではなく、事件を通して“社会”の片隅で生きる人々のドラマを描き出す、およそこの著者らしからぬ、しみじみ路線。しかし、意外に手掛り(小道具)にも留意されていて、これは拾い物です。
タイトルと裏腹に、まったく探偵ものではないのですが、『ぼくらの時代』でおなじみの(?)薫クンが語り手をつとめる「公園通り探偵団」は、デビュー当時の著者を愛する向き(いま、どれだけいるかな・・・)は必読。栗本薫版「ローマの休日」です。お伽噺を成立させる、文章のマジックを堪能あれ。

この調子で全部コメントしたいところですが、あとはもう、完全にミステリじゃないからなあ。
ベタな思い出ばなしに、強烈に感情移入させる「「夜が明けたら」の語りのテクニック。近親者の死を扱って、メメント・モリの想いに駆られる「五来さんのこと」の静謐な感動(著者の没後に読み返すと、なおさら、ね)・・・うん、やはりサイトが違うw
トリを飾る「時の封土」についてだけ、最後に触れておくと、これはかの<グイン・サーガ>の外伝。長大なシリーズに手をつけかねている人(かくいう筆者がそうw)でも、スンナリ楽しめます。異空間に迷い込んだ主人公が、ピンチに立たされるも協力者を得て敵を退け、帰還する――というありがちなホネに、いかに肉付けして盛り上げるか、そしてラストのセンテンスで余韻を残すか。お手本のような出来栄え。いや、面白うございました。

No.6 5点 吸血鬼- 栗本薫 2011/05/25 00:15
最近になって、朝日文庫で復刊されているのに気づき、びっくりしました。いま、これが読めるのか・・・。妙な感慨があり、つい手元の新潮文庫版を読み返す羽目に。

本書には、昭和58年から翌59年にかけて「小説新潮」に読み切り連載された、美貌の若女形・嵐夢之丞を主人公とする、以下の八篇が収められています。
1.瀧夜叉ごろし 2.出逢茶屋の女 3.お小夜しぐれ
4.鬼の栖 5.船幽霊 6.死神小町 7.吸血鬼 8.消えた幽霊

捕物帳の主役に、岡っ引きや同心ではなく、歌舞伎役者を起用したのが特徴のこのシリーズ(事件ごとに、関わりかたに変化をつけていく作者の苦心も読みどころ)、本来の初披露は、昭和57年に、栗本薫が「小説新潮」誌上で、毎月ジャンルの異なる短編を発表する企画の一環として書かれた「離魂病の女」です。
そのパイロット版の好評を受けて(また作者が新キャラに入れ込んで)、本書収録の連作がスタートした次第(振り返るとシリーズの整合性に欠け、浮いてしまったw「離魂病の女」は、短編集『十二ヶ月 栗本薫バラエティ劇場』でしか読むことができません)

さて本題。
舞台上での謎の転落死を扱った1は、シリーズの開幕として、見事な滑り出しをみせます。その見事さは、話術の鮮やかさで、トリックや謎解きに関しては大味なんですがね。
夢之丞を思わせる男が犯行現場から消え失せる2になると、より手の込んだ犯行のぶん、無理もきわだちます。
むしろ、夢之丞びいきの娘の連続殺人に、ミステリとしての工夫は何もないが、ドラマチックな幕切れの演出にすべてを賭けた3のほうに、栗本薫の良さが出ているのは皮肉。
4は、残念ですね。エラリー・クイーンふうの二重構造のプロットで、事件の構図を逆転させる狙いは良いのですが、ダミーの“真相”に説得力が無さ過ぎるのが難。
怪談ばなしを絡めた5は、達者なドラマづくりと雑な謎解きという、まあシリーズのアベレージ。
私がベストと考えるのは6で、彼女を女房にと望んだ男が次々に変死していく、美人小町の話です。細部の小細工(栗本ミステリの弱点)をぼかし、裏設定のインパクトで押し切ることに成功しました。4がクイーンなら、こちらはロス・マクドナルドか。

問題は、このあと。
7と8で、役者になる前の夢之丞の、プライベートの謎に焦点があてられ、シリーズの性格が一変してしまうのです。捕物から伝奇へ。この変化はイケナイ。というか、いくらなんでも展開が早すぎる。
<主人公の過去>という謎を孕んだまま、じっくり何巻かかけて物語を進行させ、大河ドラマ的に構成すべきところ、なぜ最初の作品集でそれをやるか。しかも8は、夢さんが謎の消え方をして、中途半端に終了。続きは長編『地獄島』で――ということになるわけですが、これでは短編集としての評価はキビシイよお。
あとさき考えない栗本センセの判断ミスが、せっかくの魅力的なシリーズ(たりえたもの)を先細りにしてしまった、悲しい例のひとつ、であります。

No.5 5点 双頭の蛇- 栗本薫 2011/03/30 12:05
息抜きに読む、栗本薫。
講談社の<推理特別書き下ろしシリーズ>の第1期分として、1986年12月に上下巻で刊行された、ノン・シリーズ長編です。
余談ながら、この叢書の1期は中味が濃かった。
『そして扉が閉ざされた』『異邦の騎士』『伝説なき地』・・・とラインナップの一端を振り返るだけで、ため息が。
じつは当時、栗本薫の本書は、ひとりだけ上下巻だし(なんちゅーワガママな作者や)、内容も地味でつまらなそうなのでスルーしてました。ファンだったのにw *
今回、積ん読の講談社文庫・上下巻にて読了した次第。

問題をおこして地方に左遷された、はみだし刑事・沖竜介。新しい赴任地・平野は、旧弊で閉鎖的な町だった。保守派と改革派が対立するなか、一人の新聞記者が殺される。わが道を行く沖は、捜査班をはずされる羽目になるも、事件の核心に迫り・・・

主人公の名前は、『行き止まりの挽歌』(レヴュー済み。破綻しまくりながらラストだけは傑作の、栗本流ノワール)の梶竜介と一字違い。あれほど凶暴ではありませんが・・・脳内で姉妹作認定。
エラリー・クイーンの「ライツヴィル」を意識して考えた(「文庫版あとがき」)という、平野の町は、丁寧にうまく書けています。かの『災厄の町』が、町全体で、他所者や失敗したものを追いこんでいったように・・・「白血球が外部から入って来た菌を食っちまう」ような、生命ある町(共同体)を、著者は描ききります。800枚を費やして。
ハイ、ミステリとしては冗長ですw

事件の中心にいるのは、名家の御曹司。もちろん美形。カリスマ。でもって腹黒(いちおう、イマイチな作品タイトルが象徴している人物)。
彼に想いを寄せられているのが、「美少女の眼」をもつ、平野署のシャイな若手刑事。人気者。御曹司のアリバイの証人となる。
そしてストーリーは後半、動機の謎をはらみながら、沖による御曹司のアリバイ崩しへ収斂していく・・・
元祖・腐女子の入魂の警察小説をくらえ!

で、と。
アリバイ・トリックなんですがねえ。辻褄を合わせるのに精一杯で、ツッコミどころは満載。ここでは、ひとつだけ。
証人は刑事でしょ? 当然、あとで死体の○○○を見るでしょ? 気づかれると思わないの、大丈夫なの?
「文庫版あとがき」を読むと、本作は、著者がデビュー前に趣味的に書いていて未完成だった長編に手を加え、完結させたもののようです。ファンへ向けた、習作のお蔵出しと考えれば、それなりに読めるし、まあアリか(しかし、それをメジャー出版社の書き下ろし企画でやるか、普通w)。

*追記
講談社の<推理特別書き下ろし>の第1期では、船戸与一の『伝説なき地』も上下巻でしたね、思い出しました。こちらは力作感がヒシヒシ伝わって来ましたが、単に好みの問題でパスし、今日にいたっています。

No.4 6点 行き止まりの挽歌- 栗本薫 2011/02/06 17:35
新宿西署のはみだし刑事・梶竜介は、バンドマン殺しの容疑者として、被害者が想いを寄せていた暴走族の少女にアタリをつけ、執拗に自白を迫るが、暴走して捜査班をはずされる。一見、単純に見えた事件の裏には、暴力団と政治家の癒着があり・・・

昭和56年(1981)のノン・シリーズ長篇です。このところ栗本薫を読み返していたら、つい未読分が気になりだして、え~いこの機会にと手に取りましたの一冊。
物語は、捜査のパート(全体の2/3ほど)から、あるプロット・ポイントをへて、逃亡のパートに切り替わるのですが、悪徳刑事の捜査行を描く前段は、ダメダメ。
なんらの物証もなく少女を犯人と決め付け、いたぶり、あげくレイプするにいたっては、本を投げ出そうかと思いましたね。
まったく共感できないキャラクターに輪をかけて、刑事が日常、拳銃を携帯している(マンションの自室に持ち帰っている!)設定の非常識さ。
そんな本書を若書きの駄作から救い、忘れ難いものにしているのは、後半1/3の逃避行のシークエンス、あえていってしまえばラストシーンの演出(のみ)です。
主役を退場させ、“傍観者”にスポットをあててドラマを締めくくる、その手際。モノローグの一言一言が胸を打ち、「行き止まりの挽歌」というタイトルが、叙情味たっぷりの動かせないものになります。
ハードボイルドや警察小説というより、ノワール(当時、そんなジャンル区分はありませんでしたが)ですね、こりゃ。
背後の“悪”はそのままなので、梶のあとを継ぐ者を主役に、シリーズ化もできそう。ジェイムズ・エルロイなら、はなから新宿○部作構想でしょう。
できれば――とっかかりのバンドマン殺しの経緯は、犯人の告白をもっても釈然とせず(突発的な犯行と、事前に凶器を購入した行為の齟齬)、少し手を入れて欲しかったかな。
一筆書きの勢いと、細部の粗さ。栗本薫を採点しようとするとき、いつもこのへんの相克に悩まされますが、本書も例外ではなかったw

(付記)ひとまず、刑事を主人公にしたハードボイルドという観点から、ジャンル登録しました(2012・11・13)。

No.3 5点 黒船屋の女- 栗本薫 2011/01/23 19:19
夜の散歩が日課の、孤独な画家・寺島が、悲鳴を聞きつけ飛び込んだのは、凄惨な犯行現場――古びた洋館に押し入った浮浪者が、画商の主人を刺し、その妻を暴行している最中、刺された画商が刃物を拾い、浮浪者を後ろから刺し殺して絶命――だった。
生き残った女・紫乃は、竹久夢二の描く絵を思わせ、その退廃的な雰囲気で寺島を魅了するが、彼女のまわりでは、その後も次々と事件が起こり・・・

昭和57年(1982)のノン・シリーズ長編です。
高度経済成長下の日本を背景にしていますが、“現代”の事件から浮かび上がる、戦中・戦後の画壇の愛憎劇が作品のトーンを決定しており、ヒロインの肖像もあいまって、“時代物”のムードで染め上げられています。
現実とおりあえない主人公が、魅力的な“異界”と触れ合い、そこで生きたいと願いながら最後ははじき出される――栗本薫の王道パターン。
そして、見切り発車したストーリーを、イマジネーションと話術だけで引っ張っていくため、ミステリとして説得力に欠けるのも相変わらずw
一例をあげると、納戸でひとり絵に見入っていた主人公が、背後から殴られ、昏倒するエピソード。唯一の出入り口である引き戸をあけると大きな音がするはずなのに、そんなこともなく、犯人はどこから現れたのか? という一種の密室状況なのですが――いくらなんでもその方法では、気配で気付かれるでしょう? というか、そもそもなんでそんなバカな襲い方をする必要があるわけ?
いや~、この人の場合、いつも採点は悩ましいw
ヒロインの魅力が薄れていき、終盤、別なキャラクターに比重が移る、それにともなう逆転、芸術家ものとしての凄み――をひとまず評価しますが・・・“女”を描くはずが“男”の小説に着地してしまったのは、この作者の資質がどのへんにあるかを、如実に物語っていますね。

No.2 6点 ネフェルティティの微笑- 栗本薫 2011/01/18 17:30
栗本薫がエネルギッシュに活躍していた、昭和56年(1981)――じつにこの年の著作、20冊!――のノン・シリーズ長篇です。

失恋の痛手を忘れるべく、未知の国エジプトへ渡った大学生・森岡秋生は、古代の王妃ネフェルティティを思わせる容姿の日本人女性・小笠原那智と出会う。
エジプト人と結婚しこの地で暮らす、那智の謎めいた魅力に惹かれていく秋生だったが、見学のため二人で訪れたピラミッドの中で、停電騒ぎの最中、那智は正体不明の男に襲われ、その犯人ともども不可解な消失をとげる。彼女は殺されたのか?
日本人留学生・佐伯の助けを借りて、秋生は謎の解明に奔走するが・・・

ピラミッドという密室、懐中電灯に浮かび上がる惨劇――道具立ては充分です。しかし、作者の自負(秋生いわく「すべて、理由なく、ミステリー・マニアのひねくりまわす無意味なパズルや、複雑な飾りものとしてだけつくりあげられた謎であるとは、ぼくには思えなかった」)とは裏腹に、不可能犯罪を演出する理由づけが弱いですし、血痕の問題等、齟齬も目につきます。
なにより犯行計画全体が、エジプトという国の(あくまで栗本ワールドの、異界としてのエジプトの)特殊性に立脚した、きわめて大味なものであるわけで――実際のエジプトにくわしい人がこのお話を読んだら、そのアバウトなエジプト観に腹を立てるんじゃないかな?
そういうわけで、作者の別な狙いがハウダニットとは別な部分のサプライズにある(栗本薫がクリスティーを好んでいたことがよくわかる)としても、これをミステリとして買うわけにはいきません。
けれども――例によって(デビューから数年の、この頃の栗本薫の)ドラマづくりと、それを生かす文章テクは、ホント、巧いんだよなあ。
クライマックスの祭りの場面の鮮やかさ。そのリズムとテンポ。喧騒と静寂。自由を求め飛び立った鳥と、あとに残された者の対比。
そしてエピローグ――余韻たっぷりに決めてくれます。作者のどや顔が見えるようですがw 心に残ります、ハイ。

No.1 5点 魔都 恐怖仮面之巻- 栗本薫 2011/01/07 14:16
久生十蘭からの、“魔都”つながり。
講談社の<創業八十周年記念推理特別書き下ろし>の一冊として、平成1年(1989)の6月に刊行された、ノン・シリーズ長編です。
じつは同年に作者が制作した(上演は8月)、同題のミュージカルの宣伝のために書き下ろしたw 一篇なのですが。

現実世界に絶望した、孤独な作家・武智小五郎が、深い霧の中をさまよい迷い込んだ、彼のインナー・スペース――それは明治四十七年(現実の明治は四十五年で終わり)の帝都。
その世界での彼は、数々の難事件を解決した名探偵だった。
そしていま、すべてが彼好みにデフォルメされた異世界で、友人である警視総監の依頼を受けた武智は、次々に街娼を惨殺していく猟奇殺人犯・恐怖仮面の探求にあたることになるのだが・・・

推理の要素は皆無。武智は直感的に恐怖仮面のアタリをつけ、そこに論理の介在する余地はありません。
作者が書きたかったのは、結局、レトロな舞台で展開する、探偵と○○の恋なのですね。乱歩原作、三島由紀夫脚色の名篇『黒蜥蜴』、あのセンです。
しかし、いちおうは○人○役ないし○重○格という趣向を持ち込んでいるのですから、そこにもう少し説得力を持たせて欲しかった。その努力を放棄している点で、ミステリとしては失格。
いっぽうで――異世界への憧憬、そこでの冒険、そして現実へ帰還してからも消えぬ“望郷”の念を描いたファンタジーとしては、胸打たれるものがあります(採点はそちらのファクターによる)。
作者の生地がむき出しになって、読者に迫って来る感があり、正直、そこに描きだされた安っぽい明治のイメージが素晴らしい(自分も行ってみたい)とは思えないのですが、この頃の栗本薫には(ギリギリまだ)、そういう読者をもねじ伏せるだけの文章の工夫と、パワーがありました。

キーワードから探す
おっさんさん
ひとこと
1960年代生まれの、いいかげんくたびれたロートル・ミステリ・ファンです。
再読本を中心に、あまり他の方が取り上げていない作品の感想を、のんびり書き込んでいきたいと思っています。
好きな作家
西のアガサ・クリスティー 、東の横溝正史が双璧。
採点傾向
平均点: 6.35点   採点数: 219件
採点の多い作家(TOP10)
栗本薫(18)
横溝正史(15)
甲賀三郎(12)
評論・エッセイ(11)
エドガー・アラン・ポー(9)
アーサー・コナン・ドイル(9)
ダシール・ハメット(8)
雑誌、年間ベスト、定期刊行物(7)
アンソロジー(国内編集者)(7)
野村美月(7)