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おっさんさん |
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平均点: 6.35点 | 書評数: 221件 |
No.9 | 8点 | ポー傑作集 江戸川乱歩名義訳- エドガー・アラン・ポー | 2020/02/14 23:41 |
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かの「赤き死」は永い事、国中を貪り食つた。これほど決定的に死ぬ、これほど忌まはしい流行病がまたとあつたらうか。血の赤さと恐怖――血こそこの疫(えやみ)の化身でありその印鑑であった。(……)
なんとなく、「赤き死の仮面」を読み返したい気分になったわけですよ。 で、ど・の・ホ・ン・ヤ・ク・に・し・よ・う・か・な――と考えたら、昨2019年に出た『ポー傑作集 江戸川乱歩名義訳』(中公文庫)が浮上してきたわけです。じゃあいっそ、全部読んでやれとw 近年、目につくようになった、往年の「名訳」を復刊する試み――の、これも、そのひとつなわけですが、いや凄いタイトルだww 昭和四年(1929年)に改造社の「世界大衆文学全集」の一冊として、江戸川乱歩名義(多忙の乱歩のゴーストを務めたのは、横溝正史を介して依頼を受けた渡辺温と、その兄・渡辺啓助)で刊行された『ポー、ホフマン集』が親本で、そこから乱歩の序文とポーの翻訳全十五作を抜き出し、附録として、急逝した渡辺温を悼む乱歩と谷崎潤一郎の文章、および渡辺啓助の息女・東(あずま)氏による書き下ろしエッセイ「温と啓助と鴉」を収め、巻末には浜田雄介氏が充実した解説を寄せています。 中公文庫には、すでに丸谷才一訳の『ポー名作集』が入っており、これからポーを読もうというビギナーには、入門書としてそちらをお勧めしますが、しかしポーは、一回読んで「ああ面白かった」(あるいは「つまらなかった」)で終わる作家ではないので、より深く味わうためには、検討できるテクストはいろいろあったほうがいい。 同じ中公文庫というレーベル内で、収録作品の重複がありながら「渡辺兄弟によるゴシック風名訳」(帯のコピーより)の復刊を実現させた編集部の英断には、心からの拍手を送ります。ただ、「乱歩全集から削除された幻のベストセラー」という宣伝コピーは、嘘ではないまでも、スキャンダルを勘ぐらせる誇大表現で(乱歩の個人全集に再録されたのは、昭和初期の一回きりで、後年は乱歩自身、収録を控え、代訳の経緯を明かしています)、無くもがなと思いますがね。 収録作品十五作のラインナップは、以下の通り。 「黄金虫」 「モルグ街の殺人」 「マリイ・ロオジェ事件の謎」 「窃まれた手紙」 「メヱルストロウム」 「壜の中に見出された手記」 「長方形の箱」 「早過ぎた埋葬」 「陥穽と振子」 「赤き死の仮面」 「黒猫譚」 「跛 蛙(ホツプフログ)」 「物言ふ心臓」 「アッシャア館の崩壊」 「ウィリアム・ウィルスン」 序文のなかで乱歩は、「この集に収めたものは、出来るだけ大衆的要素をより多分に具(そな)へた作品を択(えら)んだわけだが、併(しか)しもともとポーの作品に於いて読物的価値を第一義的に考へることは無理なのだから、大衆小説として必ずしも喝采を拍(はく)すべきもののみとは限らない」と述べています。作品の選択は乱歩がおこなった――と考えていいのでしょう。探偵小説と怪奇幻想系の小説が過半を占め、SF成分(と、欲を言えばユーモアの要素)が足りないのは、選者の嗜好を窺わせます。 知名度は低いけれど、謎とサスペンスと乱歩好みのトリックを備えた広義のミステリ「長方形の箱」が採られているのは納得できますが……「お前が犯人だ」をなぜ落としたのでしょうね? なぜ、と言えば、初期作の「壜の中に見出された手記」は、ポーの、可能性の卵のような魅力はあるにしても、「傑作集」にこれを採る? という疑問はあります。前後に「メヱルストロウム」と「長方形の部屋」を置いて、本のなかばに一種の“海洋篇”コーナーを演出し、舞台の広がりを見せたかったのかな? そのあとに、「早過ぎた埋葬」「陥穽と振子」「赤き死の仮面」……と閉鎖的なお話が続きますから、そのコントラストとして。 でも乱歩、多分そこまで考えてないよなあwww 翻訳にあたっての、渡辺兄弟の役割分担については、巻末解説に推定情報が記載されているので、興味のある向きは是非、本書をご覧ください。代訳とはいえ、力の込もった訳文で、特に怪奇幻想系の作品に関しては、大乱歩の名を辱めない出来だと思います。当時の訳書の雰囲気を伝えるため、歴史的かなづかいや独特の読み仮名のルビをいかした、中公文庫の編集部の英断には、重ねて拍手を送りましょう。 本書に関しては、あまり“翻訳警察”のような野暮なマネはしたくありません。 が、しかし。ひとつだけ。 「モルグ街の殺人」で、「建築物(たてもの)の周囲(まわり)」に「一本の外燈の柱があった」というのは……いやそれは違うでしょう、と。乱歩、そこは朱を入れないとマズイよ。 ともあれ。 何度めかのポー作品の読み返しを果たし、充足の溜息をつきながら“現実”に帰還してみると――これで何度めかの、不穏なニュースに直面し、思わずまたポーの文章が、脳裏をよぎるのでした。 (……)饗宴者は一人一人相次いで、血汐に濡れた歓楽の床に仆(たお)れた。さうして断末魔の悶搔(もがき)をしてそのまま息絶えて行った。かの黒檀の大時計の刻(きざみ)も遊宴者の最後の一人が息を引取ると共に止んだ。三脚架の焔も消えた。さうして闇黒と頽廃と「赤き死」とが恣(ほしい)ままに、万物の上に跳梁した。 |
No.8 | 7点 | 大渦巻への落下・灯台 -ポー短編集Ⅲ SF&ファンタジー編-- エドガー・アラン・ポー | 2015/10/25 18:51 |
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2009年に新潮文庫から、アメリカ文学研究者・巽孝之氏の編訳で、2冊のポー短編集が刊行されました。ゴシック編と銘打たれた『黒猫・アッシャー家の崩壊』と、ミステリ編の『モルグ街の殺人・黄金虫』です。全2巻で完結したものとばかり思っていたのですが、売り上げが順調なのか(?)今年2015年になって、突然、3冊目の本書、SF&ファンタジー編『大渦巻への落下・灯台』が追加されました。
前の2冊を、本サイトでレヴューしている関係上(その「編訳」に関しては不満が大きかったものの)、この巻だけ無視するわけにもいくまいと、手に取りました。 収録作は、以下の7作。 「大渦巻への落下」「使い切った男」「タール博士とフェザー教授の療法」「メルツェルのチェス・プレイヤー」「メロンタ・タウタ」「アルンハイムの地所」「灯台」 目次を見ての率直な印象は――なんだこの作品選択は!? でしたね。 SFとファンタジーに境界線を引かない編集方針は、いきおい収録作品のヴァラエティを生むとしても、しかし自動人形のイカサマをあばく「メルツェルのチェス・プレイヤー」や、造園芸術(美)の理想をカタチにした「アルンハイムの地所」などは、どちらの分野から見ても違うのでは? それに、千年後の未来が舞台で、月世界人まで描かれた「メロンタ・タウタ」(1849)が採られているのは当然としても、ポーをSFの先覚者として評価するなら、まず一番に収録すべきは、人類初の月旅行を描いた「ハンス・プファアルの無類の冒険」(1835 未完)ではないの?? というか、“気球”という格好の共通項もあるこのふたつのお話を、なぜ並べてみせない??? 訳者自身の手になる、巻末の「解説」を読むと、そのへんの事情はある程度、推察できます。ポーのSFアンソロジーの先行例として、巽氏は、ハロルド・ビーバー編のThe Science Fiction of Edgar Allan Poe(1976)と、それにもとづく八木敏雄・編訳『ポオのSF』全2巻(講談社文庫 1979~80)をあげ、本書は「(……)そうした先人の業績をふまえつつ、訳者なりのひねりを加えたものである」と述べています。参考まで、その『ポオのSF』の収録作を挙げておきましょう。 〈1〉「ハンス・プファールの無類の冒険」「メロンタ・タウタ」「瓶から出た手記」「大渦への落下」「シェヘラザードの千二夜の物語」「ヴァルドマール氏の症状の真相」「のこぎり山奇談」「ミイラとの論争」「使いきった男」 〈2〉「ユリイカ」「エイロスとチャーミオンの会話」「モノスとユーナの対話」」「催眠術の啓示」「言葉の力」「タール博士とフェザー教授の療法」 じつに堂々たるラインナップです。そして――どうしようもなく完成されてしまっている。後人が同一テーマでアンソロジーを編もうとしたら、まあ、このミニチュア版にならざるを得ません。でも、肝心の『ポオのSF』は版を絶やして久しいのだし、読みやすい新訳を提供し、解説に最新情報を盛り込めば、別にミニチュア版であろうがなかろうが、新規読者のためにはそれで構わないではないか、と筆者などは思います。 しかし巽氏は、そう思えなかったのでしょうね。アンソロジストの矜持か、学者の意地か。作品選択に「訳者なりのひねりを加えた」本書のラインナップを見てくれ、と。その意欲と挑戦は、玄人筋には高く評価されるかもしれません。前掲の「メルツェルのチェス・プレイヤー」や「アルンハイムの地所」を選択した理由も、解説のなかで詳しく述べられており、筆者には牽強付会に思えますが(たとえば後者の、人工楽園の麻薬的幻想にSFの想像力を見てとるのであれば、江戸川乱歩のかの『パノラマ島奇談』までSFの仲間になってしまうのではないか?)、卓見と見る向きもあるでしょう。 ただ、ミステリ・ファンとして言わせてもらえば、作品の解説のなかで、断わりなしに「使い切った男」と「タール博士とフェザー教授の療法」のネタバラシをしているのは、いただけません。解説を先に読む、ポー作品の初心者のことを考えましたか、巽先生? さて。 さんざんケチをつけましたが……いわゆる定番名作といえるのは、巻頭の「大渦巻への落下」くらいであるにもかかわらず、他の収録作のレヴェルもきわめて高いので、「SF&ファンタジー編」とかいうことをあまり深く考えず、ポー短編集の「拾遺集」として読めば、本書は作者の多彩な魅力を堪能できる、贅沢な一冊です。 なにより、創元推理文庫の〈ポオ小説全集〉では読めない、未完の遺作「灯台」を収録しているのはポイントが高い。筆者は昔、ロバート・ブロックが補筆して完成させたヴァージョンを、早川書房の傑作アンソロジー『37の短篇』で読んでいましたが、まったく設定を失念しており、今回、こんなに魅力的なイントロだったのか、と感じ入りました。作中人物の灯台守が綴る日記が、結果として中絶してしまっているわけですが、逆にそれが、彼に何が起こったのかという、得も言われぬ不気味さを残すことになっています。ある意味、ホラーとしては、続きがないほうが怖い。 そして、このお話が「アルンハイムの地所」のあとに置かれていることで、その効果が最大になっていると、筆者には思えました。というのは、「アルンハイムの地所」の幕切れは、ポー作品のなかでも屈指の明るさに満ちているわけです。天上の輝きを思わせる、と言っても過言ではありません。その“明”と、直後の「灯台」の、底知れぬ“暗”のコントラスト。こればかりは、巽氏の配列の妙に脱帽です。 読後に広がる “暗黒の海”のイメージ。それはそのまま「大渦巻への落下」の海へとつながり――瓶詰めの手紙が投げ込まれた「メロンタ・タウタ」の海へもつながります。 って、困ったなあ。書いているうちに、また最初から読み返したくなってきてしまったぞwww |
No.7 | 7点 | モルグ街の殺人・黄金虫 -ポー短編集Ⅱ ミステリ編-- エドガー・アラン・ポー | 2011/09/03 10:18 |
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新潮文庫の新訳(巽孝之・編訳)ポー短編集、その二巻目は、ズバリ<ミステリ編>です。意外にこのコンセプトのポー・アンソロジーは希少なので、これが“定番”となるような内容を期待し・・・ガッカリしました。
収録作は、以下の6篇。 「モルグ街の殺人」「盗まれた手紙」「群衆の人」「おまえが犯人だ」「ホップフロッグ」「黄金虫」 一番の問題は、見てわかるように、デュパンもの第二作「マリー・ロジェの謎」を、外していること。その理由を、巽氏は解説の中で、「現実に起こったメアリ・ロジャース事件を作家自身が解決しようと試行錯誤しながらぶざまに失敗しているためである」と説明しています。 筆者の率直な感想は――阿呆か。 こう書くと、一部の奇特な住人から、次のような声が聞こえてきそうです。 「だけど、おっさんもさあ、マリー・ロジェは退屈とかコメントしてたじゃん」 はい、確かに(『ポオ小説全集3』のレヴュー参照)。 でもですね、<ミステリ編>を謳うのであれば、ポーの最狭義のミステリたるデュパン三部作(謎と論理のエンタテインメントの、ホップ・ステップ・ジャンプ)を押さえるのは、基本のキ。ここで個人の主観はいりません。 常識的に考えて、これに「黄金虫」と「お前が犯人だ」を加え、そののち初めて、ページ数を勘案しての、編者のパーソナル・チョイスが許されるべきでしょう。 「マリー・ロジェ」を省いて、「群衆の人」と「ホップフロッグ」を採ったのが見識だ、という意見(があるとして)に与することは出来ません。 まあ、「群衆の人」に関しては、一ミステリ・ファンとして、収録自体に異議はありませんが(よろしければ、『ポオ小説全集2』のレヴューをご参照ください)、復讐劇の「ホップフロッグ」は・・・どうかなあ。巽氏は結局、これって「モルグ街」と×××××××つながりなんだよね、と、それを云いたかっただけじゃないのかしらん。 で、問題点その二は、訳文。 じつは、本書にまず期待したのが、かつて芦辺拓氏が指摘してミステリ・ファンに知られるようになった、「モルグ街」の旧訳に多く見られる、ある設定上の誤訳(原書房『本格ミステリーを語ろう! 〔海外篇〕』参照)が修正されていることだったのですが、その点、相変わらずでした。 巽先生、このコンセプトで本を編むなら、文学も良いですけど、もう少しミステリ周辺に目配りしましょうよ。 で。 訳文についてのこの先は、畢竟、好みの問題と断っておきますが、現代的に訳そうとした部分が、逆に違和感を感じさせ、裏目に出ている気がしました。 たとえば「モルグ街の殺人」の犯行現場が「中から鍵のかかった密室」だったり(ミステリのテクニカル・タームとしての「密室」が定着するのは、もっとずっとあと)、「盗まれた手紙」で、デュパンが「ライティングデスク」の蓋を開け(19世紀のフランスです)、取り出した手紙を警視総監が「速読」(!)したりすると、筆者は頭を抱えてしまいます。 「お前が犯人だ」で、「グッドフェロウ氏がパーティを展開した区画」という表現が出てきたときには、意味をとりかね、丸谷才一訳を確認しましたよ。するとそちらでは、「グッドフェロウ氏が一行を案内した地域」。これなら誰でもわかります。それにしてもパーティって・・・R.P.G.かよ。 最後に良い点についても触れておくなら、それはもちろん、書誌的なデータが万全であること。 たとえば「盗まれた手紙」。解説で、初出が<ギフト>1845年版であると明示するのは当然として、そのあとカッコして、同書が(1844年9月刊行)であることまでフォローしてくれています。こういう配慮は、本当に有難い。 採点は、失望の大きさから5点以下にしたいのが本音ですが、とりあえず基本的な作品レヴェルの高さと、そうした資料性を買って、不承不承の7点となりました。 |
No.6 | 7点 | 黒猫・アッシャー家の崩壊 -ポー短編集Ⅰ ゴシック編-- エドガー・アラン・ポー | 2011/08/28 15:18 |
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2009年、ポーの生誕200年に合わせて新潮文庫が刊行した、2巻本の傑作選を読んでみることにしました。今回は、<ゴシック編>と銘打たれた、その一冊目です。
この作者については、すでに『ポオ小説全集』全4巻と『ポオ 詩と詩論』(ともに創元推理文庫)のレヴューを済ませています。 しかし、そこでも指摘したように、当該テクストには種々の問題があり、諸手を挙げての推薦は出来ないことと、光文社文庫の“新訳”で読み返しはじめたドイルのホームズ譚が、予想以上のあがりの良さであったことから、ポーの“新訳”にも手を出してみることにしたわけです。 収録作は、以下の6篇。 「黒猫」「赤き死の仮面」「ライジーア」「落とし穴と振り子」「ウィリアム・ウィルソン」「アッシャー家の崩壊」 編訳者は巽孝之。巻末解説を読んでもアカデミックな印象を受けますが、ミステリやホラー畑の人ではなく、アメリカ文学専攻の、ポー研究の第一人者のようですね。なので、きちんとした資料にもとづく年譜をふくめて、資料的な側面は申し分ありません。 ただ訳文は――旧訳にくらべて格段に読みやすいという印象は受けませんでした。もともとモノがポーなので、しかもテーマ的に、私の好きな軽妙なタッチの作品群(「使いきった男」だったり「眼鏡」だったり)ははなからセレクト外なので、誰がどう訳してもドイルほどリーダビリティは無いw 創元版にくらべて、作品が新訳で面目を一新したとは言えないでしょう。 また、解説はアカデミック――と書きましたが、<ゴシック編>を謳いながら、ゴシックとは何か、またそこにおけるポーの位置づけとは、といった記述が無いのは、こちらのような“ジャンル読者”には物足りない。怪奇幻想小説と書いてゴシック・ロマンスとルビを振るあたり、アバウトすぎると思います。 まあ次巻の“ミステリ編”との対比で、ポーのホラーを集めましたよ、くらいに考えておくべきか。とすると、一篇だけスーパーナチュラルの要素が無い「落とし穴と振り子」(これを換骨奪胎したのが、ドイルの「技師の親指」ならん)が浮いてしまうような。 個々の作品のレヴェルの高さは、いまさらコメントする必要もないでしょう。 一般の大衆小説と違って、基本的にポーは、キャラクターに感情移入させる筆法をとりません。 そのため読者は、ホラーであっても、作品と冷静に距離を置いて、共感ではなく理解すること(理解して――心が動く)を求められますが、その努力を惜しまなければ、知的に構成された鮮烈な悪夢という得難い報酬が待っています。 たとえば編中、もっとも知名度が落ちるのは「ライジーア」でしょうが、しかし、これなどポー好みの“美女の死と○○”をあつかって、作者の小説技術を端的に示す出来栄えとなっています。 この一篇は、ラストのセリフこそクライマックス。逆に言えば、クライマックスが即ラスト。そこですべてが完成されるように組み立てられ――そのあとには何も無いのです。一切の余分な説明を排してカーテンが降りる。読者を無限の闇に残したまま・・・ 本書もまた、無条件に推薦できるテクストとは言いかねますが、ポーを語るうえで、押さえておいて損の無い一冊ではあります。 |
No.5 | 6点 | ポオ 詩と詩論- エドガー・アラン・ポー | 2011/04/28 12:26 |
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ポオの全詩63編と、代表的詩論3編を収めた本書(創元推理文庫 1979年刊)を、なぜここで取り上げるかというと。
詩論のスタイルをとった「構成の原理」The Philosophy of Composition が―― 「およそプロットと呼べるほどのものならば、執筆前にその結末まで仕上げられていなければならないのは分かりきったことである。結末を絶えず念頭に置いて初めて、個々の挿話や殊に全体の調子を意図の展開に役立たせることにより、プロットに不可欠の一貫性、すなわち因果律を与えることができるのである」 という文章からもわかるように、散文作品(小説)を含めたポオの創作技法の開陳だからです。およそミステリ(に限らず)の創作や書評を志す人なら、一度は現物に目を通しておくべき文献です。 具体例としてポオが分析している、自作詩「鴉」の執筆過程が、実際その通りであったかどうかは、じつはどうでもいい(あとづけのハッタリがかなりあると思うw)。問題は考え方です。 さて。以下は雑感。 私は詩人としてのポオを云々する能力はありませんが、「鴉」や「アナベル・リイ」のようなストーリー性があるものは、比較的、とっつきやすかったです。 また、もし個人的にポオの一巻本のアンソロジーを編むとしたら、 ほんの子供の昔から 私はいつも 他の人達とは違っていた―― で始まる「孤独」を巻頭におきたい誘惑にかられました。 最大の問題作は、詩論パートに押し込まれている「ユリイカ」(ポオの死の前年、1848年の作)でしょう。宇宙の成り立ちを詩人のイマジネーションで解析した(?)一大論文で、その論旨は私の理解を超えていますが・・・ポオの文筆家としての総決算のようなエネルギーに圧倒されます。不幸な人生を送って来た作者が、神とは何かという問題に最終的にどう答を出したか――ポオ・ファン必見です。いや、冗談抜きに、パーソナル・ポオ・アンソロジーのトリは、これしかないです。 しかしまあ、ミステリの書評サイトとしては、「構成の原理」の一点買いで6点、というあたりが、無難なところでしょうw (付記)当初「評論・事典・ガイド」のカテゴリーに登録されていた『ポオ 詩と詩論』を、管理人さまにお願いして、海外作品の「その他」へ移していただきました。経緯に関しては、「掲示板」の ♯26855 および ♯27119 をご覧ください。(2020.3.29) |
No.4 | 9点 | ポオ小説全集4- エドガー・アラン・ポー | 2011/04/07 21:32 |
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1843年からポオ急逝の年49年までの、充実の短編20作と、随筆「暗号論」(41)を収録。
ポオを推理小説の父として語らしめる5編のうち―― 「黄金虫」(話者の目を通した、主人公の雲をつかむような行動の数かずから、一転、合理的な推理の開陳へ移行する演出の妙) 「「お前が犯人だ」」(意外な○○テーマより、どことなく不気味な、記述者即○○の趣向のほうがアトを引く、変化球。これと「黄金虫」をかけあわせたのが、乱歩の「二銭銅貨」ならん) 「盗まれた手紙」(およそリアリティのない逆説論理を、最適化された舞台と言葉の魔術で普遍化した、現代の寓話。デュパンものの白眉にして、短編ミステリの理想形のひとつ) 以上3編を収めるほか(「モルグ街の殺人」と「マリー・ロジェの謎」は前巻に収録)、巻末解説がわりに、江戸川乱歩による作家論「探偵作家としてのエドガー・ポオ」が配されています。 また怪談として一級品ながら、猫の祟りを描くと見せてサイコ・ホラーの味わいが濃厚な「黒猫」(併録の「天邪鬼」と合わせ読むと、そのへんの現代的センスが実感できます)、その「黒猫」と共通するギミックを、怪奇テイスト抜きに、人間のコワさを描き出す手段に利用した「アモンティリャアドの酒樽」(結びの、ふたつのセンテンスが絶妙)なども、ミステリ・ファンの琴線をかき鳴らします。 この調子で書いていくと、きりが無いw 収録作全体の素晴らしさは、ゆうに10点満点なのですが、総括的な解題が無いことと、たびたび指摘してきた編集の杜撰さが、この巻にも依然あることから、1点減点しました。 具体的にいえば・・・ 実際には1846年作の、幻想ミステリの小品「スフィンクス」が、誤って49年の初出とされ、小説パートの最後に置かれている! ポオによる、49年作の最後の散文小説は、ニューヨーク郊外で道に迷った旅人が、自然の美の中にある住居を訪う「ランダーの別荘」なのです。 これは、直接の関連はないものの、併録の「アルンハイムの地所」(巨万の富を相続した芸術家による、理想の人口庭園創造のお話)の続篇と銘打たれており、およそストーリーらしいストーリーの無い不思議な味わいと、両作のタッチの違いが、ついポオの“晩年”の境地を深読みさせる小説なのですが・・・ サイトの趣旨から逸脱しそうなので、自粛しますw 創元推理文庫のこの<全集>は、素晴らしい企画でした。 しかし、編集に、その後の研究や新しい発見を反映した、全面的な改定版を出すべきだと、あえて提言します。 |
No.3 | 8点 | ポオ小説全集3- エドガー・アラン・ポー | 2011/03/27 12:53 |
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1841年の「モルグ街の殺人」から、44年の「早まった埋葬」まで17篇を収録。なのですが・・・43年作の「黄金虫」と「黒猫」は次巻にまわされています。
この創元の<全集>は、基本的に編年体の配列をとりながら、あらためて見直すと、こういう“編集上の配慮”が目につき、一歩ゆずってそれを良しとするにしても、なんら断り書きが無いのは不親切に思います。 また、各巻末の「収録作品の原題と発表年月」リストも、掲載誌を挙げていないのは、資料性に問題があります。 たとえば本巻、「マリー・ロジェの謎」を(42年12月)で片づけてはイケナイ。Lady's Companion の42年11月、12月、翌年2月号にわけて掲載された(モデルとした事件の新発展にあわてたポオが、途中、連載を一回休んで構想を練り直した経緯がある)ことは、作品論的にも重要なのですから。 あだしごとはさておき。 「モルグ街」は、フェアプレーの不徹底という瑕疵はあっても、事件の異常性と真相の意外性の落差が、やはり見事です。 作者が意図した、推論行程の面白さがかすんでしまうくらいにw(推理とか抜きに、「モルグ街」のネタを拡大してエンタテインメント化したのが、「キ○グコ○グ」ならん)。 プロットのパーツとしてしか人物を造型できないポオの欠点も、分析能力の権化のようなデュパンの創造では、プラスに転じています。 続篇の「マリー・ロジェ」は、推論面をパワー・アップしたものの、肝心のネタがつまらない(時事ネタが風化した)ため、退屈な出来に。アームチェア・ディテクティヴで長丁場をもたせるための、工夫もたりません。やはり、ポオは連載には不向きな体質だなあw しかし、散文のきわみのような「マリー・ロジェ」をものすいっぽうで、42年には、詩的というか幻想的というか、そのきわみのような「赤死病の仮面」を書きあげているあたりが、著者の天才たるゆえんでしょう。この振り幅は凄い。 ただ、ミステリ的なホラーとして、個人的な好みからいえば、サイコ野郎の一人称語り「告げ口心臓」だなあ。説明されていない部分をこちらが想像で埋めようとすると、俄然、怖くなってきます。 圧倒的な危機から、知力で脱出をはかる(はかろうとする)、「メエルシュトレエムに呑まれて」と「陥穽と振子」も、ミステリ・ファンにはお薦め。 あ、お笑い系のオチが炸裂する「眼鏡」もお忘れなく。 歴史的価値を抜きにしても、収録作全体のレベルは高いです。 |
No.2 | 7点 | ポオ小説全集2- エドガー・アラン・ポー | 2011/03/19 13:05 |
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ミステリの楽しみを共有できることを信じて・・・いつものように書きます。
<全集1>が21篇を収録していたのに対して、本巻の収録作は―― 1.ナンタケット島のアーサー・ゴードン・ピムの物語 2.沈黙 3.ジューリアス・ロドマンの日記 4.群衆の人 5.煙に巻く 6.チビのフランス人は、なぜ手に吊繃帯をしているのか? 全ページの半分以上を占めるのが、主人公が密航していた船で叛乱がおき、船は漂流をはじめ・・・という海洋冒険小説が後半、南極を舞台にした幻想小説にスライドする1。異様な迫力に満ちていますが、統一感はなく、結末も尻切れとんぼです(その未完成感が後続を刺激するのか、ラヴクラフトやジュール・ヴェルヌがこの“続編”を書いています)。 同じく道中記にカテゴライズできる3(副題は、文明人によってなしとげられたる最初の北アメリカ・ロッキー山脈横断の記録)も、中編サイズの力作ですが、これまたストーリーなかばで中絶したようなエンディング。 この2作を読むと、やはりポオは生粋の短編職人で、長い話の構成力は無かったのかな、と思わせられます。ともに、主人公を次々と危機が襲う、そのエピソードは面白いのですが、肝心の旅の終わり(物語の解決部)に何もカタルシスが無いのは、物足りません。 また、文章の密度に関しても、計算違いがあるような。とくに1に顕著なのですが、長めのお話ということで、従来以上に説明的な文章をこと細かに盛り込むサービスぶりで、必然的にひとつの段落が長くなっています。長編の“面積”を短編(以上)の“密度”で埋められたら・・・リーダビリティはあがらないし、読んでいて疲れるだけです(学生の頃は、背伸びしてましたから、その“重厚さ”を有難がってたようなw)。 完成度は、残る4作のほうが上です。 異界のアフリカで、悪霊が神をしりぞける、ファンタスティックな寓話の2、ユーモア系の5と6(ベタなオチの後者より、シニカルな前者が好み)、そして白眉は、都市型ミステリ(にして心理的ホラー)の雛型といえる4でしょう。 初読時より、この「群衆の人」の不気味さがはるかに増して感じられることに、驚かされました。風俗的な描写は古びても、属性の集合体として群衆をとらえ、そこから匿名の個人をクローズアップする狙いと効果は、いささかも古びていない、どころか、きわめて現代的(いまの作家であれば、問題の人物を、老人ではなく青年に設定するか?)。1840年の作ですが、普遍性という点では、ポオの数ある傑作のなかでも、屈指のものだと思います。 |
No.1 | 6点 | ポオ小説全集1- エドガー・アラン・ポー | 2011/03/08 16:12 |
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<人形佐七捕物帳>を取り上げていくうえで、比較の意味でも、岡本綺堂の半七は押さえておいたほうがいいよな、でも半七をやるなら、影響を与えたホームズ譚にもう一回目を通しておきたいし、どうせドイルに取り組むなら、まずポオからきちんと読み返して・・・と、かなりまわりくどい思考過程をへて、創元推理文庫版の、編年体の<全集>再読を決意しましたw(正直、私はドイルのように、平明な文章でムードを盛り上げるストーリーテラーが好みで、ポオやチェスタトンの凝った文体は苦手なのですよ)
mini さんの行き届いたレヴューがあるので、あらためて書く事も無いようですが、ま、そこは私なりに。 1巻は、1833年の海洋奇談「壜のなかの手記」から、40年の、ペテン師の職業遍歴譚「実業家」までの21篇を収録(初出のチェック・ミスがあり、本来なら1832年作の「メッツェンガーシュタイン」が巻頭に来るべき――とか、いくつか収録順に問題はあるのですが・・・)。 作品系列は、シリアスな怪奇幻想譚とシニカルな“ほら噺”に、大きく二分されます。 最良の成果は、前者に属する「アッシャー家の崩壊」と「ウィリアム・ウィルソン」でしょうが、再読して楽しかったのは、後者――作者と読者の対話形式による、奇妙な時代劇中継「四獣一体」や、悪魔との契約もののパロディ「ボンボン」などですね。 ガチガチのミステリにしか関心が無かった中学生時代には、このへんの“味”はわからなかったんだなあ。 おバカな奇想という点では、海野十三的なw「使いきった男」も光りますし、19世紀の元祖ハードSF「ハンフ・プファアルの無類の冒険」にしたところで、メインのネタが、気球による月旅行w ですからね、ほら噺のお仲間ですよ。 で。 集中、本格ミステリの始祖としてのポオの片鱗を窺わせるのは、やはり1836年の異色作「メルツェルの将棋差し」ということになります(厳密にいえば、これは小説ではなく随筆ですがね)。しかし、実在した、チェスをするロボットの謎を、他ならぬポオ自身が明快な推論で解き明かしていくわけで、面白いことは面白いのですが、読者はただ作者の報告を聞かされているだけ、といった感があります。 謎に当惑する者と、これを解体する者を分離し、前者の視点で知的サスペンスを高める――という小説上の工夫にポオが思いいたるまでの、試作品というところでしょうか。 そう考えると、この作のあとに、ホラーの当事者と話者を切り離した「アッシャー家の崩壊」(39)がある意味が、クローズアップされてくる気がします。 採点は難しいですね。 収録作の水準は高いのですが、ポオの入門書としては、いささかとっつきにくい。 昔、この<全集を>通読したときには、尻上がりに面白くなっていった記憶があるので、まずは6点からスタートしましょう。 |