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オペラ座の怪人
ガストン・ルルー 出版月: 1987年01月 平均: 4.60点 書評数: 5件

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東京創元社
1987年01月

早川書房
1989年05月

角川書店
2000年02月

光文社
2013年07月

新潮社
2022年05月

No.5 6点 バード 2019/11/18 06:29
初ルルー(「黄色い部屋」は未読なので。)
恥ずかしながらこの本を読み始める前は有名な「オペラ座の怪人」の原作がルルーだというのを知らなかったです。周りも意外と知らない人が多かったけども。

実在するガルニエ宮が舞台の本作、途中オペラ座の外観がどうも掴めずwikiで少し調べてようやく建物の構造をある程度理解。本作で重要な役割をはたす隠し通路と地下の湖はオペラ座の外観が頭にないとイメージし辛いかも。これから読む方で、文章から建物がイメージできない場合は迷わず写真を見ながら読み進めるべきっすね。


本作は非常に謎の提示の仕方が上手い。特に前半は幽霊が各所(舞台役者、支配人達、クリスチーヌ相手)で暗躍しており、とにかく謎の全貌がわからず、この先どうなるんだろうと純粋に読み進められた。個人的なピークは13章「アポロの堅琴」です。クリスチーヌがエリックの素顔を暴くシーン周辺でゾクリとした。夜中に一人で読んでたので背筋が凍りましたよ・・・。

逆に言うと14章以降にもう一山ほしかったなあ。後半は前半のドキドキ感を維持できず失速。ラストのエリックとペルシア人の会話は好きだが、拷問部屋のあたりはわりと退屈だった。(本当はそこが山場なんだろうけど。)

No.4 4点 クリスティ再読 2018/12/22 21:13
大時代的ロマン、で思いついたのが本作。もちろん本作はミュージカルでもロイド=ウェーバー版が有名なのだが、宝塚を中心にかかっているイェストン/コピック版「ファントム」もあれば、映画でもロン・チャイニーの昔から当り狂言で翻案でいいならロックオペラの大名作「ファントム・オブ・パラダイス」があり....とこれほど多産な作品はないのでは?と思えるほどの重要作である。
もちろんその理由は、オペラ、という派手な舞台装置に、迷宮のようなオペラ座の幽霊譚、歌姫に執心の仮面の怪人が音楽の天才で...と、「これを音楽劇にしないプロデューサがいるか!」という絶好のポジショニングにあるわけだね。
まあだからミュージカルだってほぼ同時期に作られたのだが、とくに便乗商法というわけでもなく、それぞれ狙いが違っている。ヅカのファントムもロイド=ウェーバーの亜流でなくて、優る部分のいろいろある良作だからね。
でなんだがね、本作の多産さは上記の「設定の良さ」にほぼ、尽きている。今読むと怪人エリックが「悪の天才」すぎて都合よすぎるのがシラケる(まあこれはオペラ座怪異譚を擬似合理的に説明するためかもね)とか、ヒーローのラウル子爵がバカすぎるとか、ビザールなオリエンタリズムから生まれた謎のペルシャ人とか、エンタメとしてはさすがに賞味期限切れとしかいいようがない要素が多すぎる。まあそれでもオペラ座地下巡りではいろいろルルーが薀蓄してくれていて、これがなかなか面白い。
ちなみにロイド=ウェーバー版とコピック版の大きな違いは、怪人造形だね。ロイド=ウェーバーはルルーの原作通りに怪人が誇大妄想的な悪の天才だが、コピック版は改変してあって純粋ゆえにオカシクなった気の毒な人、というニュアンスがあることだ。まあ悪の天才じゃ「清く正しく美しく」ならないからねえ。ロイド=ウェーバーは音楽的なハッタリがよく効いていて、いろいろな音楽スタイルを駆使して「器用だね...」とは思うのだが、オペラ歌唱のあとにフォークソングみたいな歌を歌って、そっちのが「上手い」という話になるのは、評者は違和感が強いよ。「ファントム」は間抜けなラウルの出番は少なくて、三角関係みたいなニュアンスは薄いから、クリスチーヌと怪人に絞ったコンパクトにできている。怪人キャラの改変から今の観客が受け入れやすい話だし、ロイド=ウェーバーにはない音楽的なまとまり感もあって、よくできたミュージカルだ、と評者は思うんだよ。
ミステリの話題にならなくて申し訳ない。

No.3 5点 おっさん 2015/10/10 17:47
(……)華やかなオペラ座の地下に、自分だけの帝国を築き、そこで歌い、ピアノを弾き、曲を作りながら、醜いファントムは、昼の世界であたりまえに暮らすことを、夢見ていた。/ 誰も、彼の名前を呼んでくれない、一人きりの暗闇の中で……。/ この物語は、最後まで読まなければいけないと、遠子先輩は言った。そうでなければ、物語の真実を知ることはできないからと。(野村美月『“文学少女”と穢名の天使』)


『黄色い部屋の謎』(1907)の作者ガストン・ルルーが、日刊紙 Le Gaulois に1909年から翌10年にかけて連載した、フレンチ・ゴシック(ロマンス)の古典です。
先日読んだ、これをモチーフにしたライトノベルに触発され、じつに四半世紀以上の時を経ての、まさかの再読となりました。
まさかの、と書いたのは、初読時に、我慢しながら読み進めた印象が強かったからで、そのときの感想を回顧すれば――ゴシック・ロマンスの本場イギリスの、古城や修道院といったお約束の舞台ではなく、実在するパリ・オペラ座という、大都会の真ん中の華麗な空間で、怪人が跳梁するストーリーを繰り広げてみせた、ルルーの半端でない想像力には舌を巻くけれど、いかんせん、話の運びの大雑把さと冗漫な語り口が、興をそいでいるんだよなあ……ということになり、ミステリ・ファンなら、教養として一度は目を通しておくべき、でも一度目を通せばそれで充分と、まあ、そう考えていたわけですね。
『“文学少女”と穢名の天使』の作中キャラ・遠子先輩がいうところの、「物語の真実」を確認したくて、懐かしの創元推理文庫版(三輪秀彦訳)を引っぱり出してきました。最新の、光文社古典新訳文庫版ほか、別な翻訳を試してみることも考えたのですが、『穢名の天使』の「あとがき」で、作者・野村美月が参考文献として挙げている『オペラ座の怪人』が創元版なので、となると遠子先輩や心葉(このは)君が読んだのもこれだろうから、ここはやはり、作中人物と同じ版で、読書体験を共有しようかとw
その結果は――?
う~ん、基本的に、昔と変わりませんでしたwww

本作には、「序文」が付されています。それによると、伝説的に語りつがれる、怪人“オペラ座の幽霊(ファントム)”の調査をはじめた、「わたし」ことガストン・ルルーが、三十年前にオペラ座で発生した一連の不可解な事件に、実際にファントムが関与していたことを突きとめ、その真相を、さまざまな証言をもとに小説的に再構成したのが、この作品ということになります。ゴシック小説の先駆けとなった、ホレス・ウォルポールの『オトラント城綺譚』が、そもそもは実話として刊行された“偽書”であったことを想起させます。
荒唐無稽なお話に“現実感”を付与する試みとして、別に、それはそれでかまわないわけですが、肝心のストーリーの途中でも、作者があれこれ出しゃばってコメントを加えているのは、いただけません。駄目な小説の書きかたの、見本みたいになってしまっています(これについては、またあとで触れることになります)。
ミステリとして見ると、ファントムの引きおこす、さまざまな不思議な現象の種明かしが、どれもこれもショボすぎ(支配人室の「安全ピン」をめぐるエピソード――いちおう、不可能犯罪ですw ――なんかは、急にユーモア・ミステリが始まったよ、みたいなノリで、個人的に嫌いではないんですけどね)。ま、ショボくても種明かしがあるだけマシなほうで、物語の序盤、オペラ上演中にシャンデリアが落下し、客席の女性が死亡する“事故”は、確実にファントムの仕業なのですが(本人はすっとぼけていますが)、どんな手段でそれが可能になったのかは、いっさい説明されません。
小説としては、ヒーローとヒロインの恋物語が、途中から登場する謎のペルシア人の活躍で、後半、完全に後景に追いやられてしまうバランスの悪さがなんとも……。じつはファントムとペルシア人のドラマのほうが、凡庸な恋物語より面白かったりするわけなんですが、そうは言っても……。う~ん、困った。
そんな、欠点だらけの小説が、なぜ時代を超えて愛され、読み継がれているのか? その理由がラストに分かる――というのが、“文学少女”の主張でした。
なるほど。
みんな、ラストのアレで感動してしまうわけか。それで全部、許すと。共感できる“怪人”像。読み返してみて、その理由は納得できました。
でもねえ、筆者は駄目です。醒めた目でみてしまう。確かにファントムは救われた、それにより、ラウル(ヒーロー)もクリスチーヌ(ヒロイン)も救われた。でも、このストーカー殺人犯の犠牲になった人々は救われないよ。わけもわからないまま、オペラの主役の座を追われた女優(彼女の性格の悪さは別問題)は? シャンデリアの下敷きにされた女性は? 
作者自身が全力でファントムを擁護するのも、どうかなあ。

 可哀そうで不幸なエリック!(……)普通の顔をしていたら、人類のなかで最も気高い一人となりえただろうに、彼は自分の天分を隠して、それを使って悪いいたずらをせざるをえなかったのだ!(……)絶対に、オペラ座の幽霊には同情すべきなのだ! / わたしは、かずかずの犯罪にもかかわらず、彼の遺体に祈りを捧げた。そして神よ、どうか彼を哀れに思ってください! なぜ神はあれほど醜い人間を創ったのだろうか?(引用終わり)

これは逆効果にしか思えない。当然、みんなでツッコむべきですよ。醜いファントムを創ったのは、ルルー、お前だろ! と。

オペラ座という舞台の、地上と地下を縦横に使った、お話の構想自体は素晴らしいものです。しかし、仕上げは粗く、小説技法の古さもあって、畢竟、最後にファントムに感情移入できるかどうかが、評価のすべてを分けることになってしまっています。筆者は、真の傑作というものは、キャラクターへの感情移入とは別に存在するものだと考えます。

No.2 2点 Tetchy 2008/09/17 13:56
作品にリアリティを持たすためにそれが実際の出来事であったかのように作者本人まで登場している。
そういった趣向と物語の性質がやはり自分の好みに合わない。

ただ、後に『13日の金曜日』シリーズの“ジェイソン”や『エルム街の悪夢』シリーズの“フレディ”に代表される怪人物の源流を作った功績はやはり意義あることだと思う。
特に怪人エリックがその醜さゆえに愛されなかった苦悩を吐露する所など、怪人であることの哀しさを含ませてその造詣に膨らみを持たせていることは「ルルー、只者でなし!」の感もあった。
が、やはり自分には合わなかった。

No.1 6点 dei 2008/01/31 20:38
ミステリ<ホラーという感じの作品だったが楽しめた。
映画、ミュージカルとは若干ストーリーが異なるようなので、
そちらも見てみたい。


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ガストン・ルルー
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