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[ 本格/新本格 ]
夕潮
日影丈吉 出版月: 1990年05月 平均: 6.67点 書評数: 3件

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東京創元社
1990年05月

東京創元社
1996年10月

国書刊行会
2004年01月

No.3 6点 zuso 2022/11/27 23:02
伊豆諸島のくすんだ風光を背景に、二十余年を経て再現される奇怪な水死事件を、内向的な新妻の目を通して描いた異常な心理小説。
ベックリンの絵画から抜け出してきたような女流歌人の妖艶さと不気味さが、読後も忘れ難い印象を残す。

No.2 6点 2020/01/11 04:04
 大学在学中、両親公認の恋人・鹿沼春辞と結婚した未知だったが、彼はその二年後アフリカから帰国ののち間もなく外務省に辞表を出し、著述家に転進する。二人は仕事が本格的に始動する前、新婚旅行の代わりに一月ばかり休暇をとって、伊豆七島を訪れることにした。だが春辞に故障が入ったため、未知はクラスメート・瑠璃子の招待を受けて一足先に伊豆諸島へ向かう。その彼女もまた、船の持ち主である旗野と結婚したばかりだった。
 鹿沼の家は元々そこの出なので、島にはまだ親戚の家が残っている。本家筋の仁科家も旧家の一つだ。むかし春辞がまだ小さな子供だった頃、彼の叔父にあたる仁科富一郎が式根寄りの海で水死していた。土地では〈富一郎は海の魔物に波の底へ引きずりこまれた〉ということになっており、サジマ浦には魔物がいると信じられていた。
 富一郎の死後、ひとまわり以上も年の違う妻・奈保子は家に閉じこもったままになってしまった。まだ十七歳の未亡人に周囲の同情は集まった。その後彼女は秘女という名で少しずつ短歌を発表し、歌集「夕潮」は東京の歌壇で取りあげられ一時話題となった。少女時代その歌に親しんでいた未知は、あこがれのその人に会うことを夢見ていた・・・
 1990年発表の長編ですが実際にはその11年前、1979年に書き下ろされたもの。雑誌『幻影城』最終号に前編のみが掲載され、後半部分は倒産のドサクサに紛れ行方不明となっていました。その後コピーが発見され、東京創元社より改めて刊行されます。
 島に到着した未知ですが春辞とは夫婦となって日も浅く、内気な性格も災いして夫に慣れぬまま。〈自分を変えるため〉との思いも空回り気味で、生活にも馴染めていません。そんな時大家のツテでついに秘女こと仁科奈保子に出会い、未知の感情は一気に彼女に向かいます。それからしばらくして友人・瑠璃子が式根の野伏湾で溺れ死に、一時本土に帰っていた筈の春辞が警察に拘束されて――
 ジャック・カゾット『悪魔の恋』をモチーフにした心理劇。ボアナル風に登場人物を少数精鋭に絞って進みます。プロットは単純ですが、それよりも濃厚な感情の移ろいを味わうべき小説でしょう。真相よりも夫婦の繋がりの不確かさと、それを塗り潰して君臨する裏ヒロインの姿が心に残ります。
 短篇「壁の男」は『鳩』に採録。戦時中の台南を舞台にした未完の長編「黄鵩楼」は読んだ感じどうやら、「応家の人々」寄りの物語のようです。〈推理小説の規範を示すような作品〉という意欲的な著者の抱負が、急死により断たれたのは残念無念。

No.1 8点 斎藤警部 2017/03/29 06:57
‘凄まじき精神の沈滞からようやく浮かび上がる。。。’

何とも癖の疼く、至る所で安定失う文体。。小説を飛び越え作者の心のサンドキャッスルが随時胸に迫るが如し。この読みづらさは却って大きな魅力。 昔の伊豆諸島を舞台に、眼に浮かび匂いも漂うリアリティたっぷりの得難い文章。 理由あって島へと遅い新婚旅行に出た主人公夫婦だが、夫はやり残したアフリカ言語研究の都合で本土との間を往来。あらためて島に戻った夫は折悪しく、殺人現場近くの海岸で容疑者と目される。。 こんな舌触りも滑らかに豊潤至極な文章海鮮尽くしの末にもしや気絶を誘うようなミステリの悪魔がぬっそりと待機を決め込んでいるかと期待すれば、こりゃあもう。。

同じ島でその昔、若くして謎の死を遂げた夫の伯父と、歌人として隠遁生活を送る年の離れたその未亡人(この歌たち、日影氏自作、がまた良いの)。因縁は島の怪奇伝説に姿を変え、時を経た主人公夫婦を危なげにつつみ込まんとす。。。。 物語の手触り推移は、思わせぶりながら、本格⇒純文学⇒サスペンス⇒?? 最後は何処へ向かう。。 それでも長編推理小説は成立するのだろう。そして、怖ろしく深い穿ちを見せる’いまでも’なる何気ない言葉。或る人物から放たれる突然の”告白論”!

福永武彦さんのような『推理小説はパズルが全て』論者には最早ナンセンスの極みで耐えられなかろう程の、何しろ小説全体に渡って深甚玄奥過ぎる文芸意図の浸透っぷりですが、私は大いに好みです。 
終わってみれば、そこに見えたのは土屋隆夫の「危険な童話」に一脈通じる、パノラミックに壮大な誰かの意志に基盤を置く、人を呑み込む類の大きな心理トリック。。 ただその真相が、意外とクライマックス感も希薄に通り過ぎてしまったのは、、小説実体の過度の(?)濃密さこそが罪なのかも。終結部にこそもう一段踏み込んだ大クライマックスが埋め込んであったなら、滅多に無い10点にも及ぼうかという、確かな重みある手応えを長い中盤がずっと与え続けてくれていたのは確かです。

この長編のおかげで今さら、リチャード・ハルさん(Murder of My Aunt)はリチャード・ヘルさん(Blank Generation)に名前がよく似てるって、気付いたんです。
危うく後半原稿が永遠に失われ幻の長篇になる所だった、数奇な運命の一作でもあります。命拾いの経緯についてはここでは敢えて触れませんが、今や伝説の雑誌「幻●●」が大きく関係している、とだけヒントを出しておきましょう。

なかなかの内容(上記の’命拾い’について)をあっさり語るエッセイ「小説の運命ということ」 をちょうど良い緩衝材に挟み、またエッセイのような幻想短篇「壁の男」。 不可もなく、まずまずの置き土産。

未完のごく短い遺稿「黄(服+鳥)楼」は風格鋭い台湾もの幻の第三長篇。惜しまれる。

それにしても、大阪場所の夕潮決定戦は劇的でしたなあ、稀勢の里と照ノ富士。なんちゃって。


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