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ミステリの祭典

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平均点:6.73点 書評数:1603件

プロフィール| 書評

No.1123 8点 八百万の死にざま
ローレンス・ブロック
(2014/05/08 19:42登録)
本書こそローレンス・ブロックという作家の名を世に知らしめ、そしてマット・スカダーシリーズを一躍人気シリーズにした作品だ。私立探偵小説大賞受賞作。

作中、市井の事件がマットが毎朝読む新聞の記事から挙げられる。それはどれもが奇妙な諍いの記事。どこかで誰かが誰かを傷つけ、また争っており、そこに死が刻まれている。キムの事件を担当する刑事ジョー・ダーキンと酒場でお互いが見聞きしたそれらの事件を挙げ合う。そして最後にジョーは昔あったTV番組を挙げる。“裸の町には八百万の物語があります。これはそのひとつにすぎないのです”それは警官たちにとっては八百万の死にざまがあるだけなのだという言葉で締め括られる。
その後マットはその言葉を意識し出す。新聞を読むたびに出くわす不条理とも云える死にざま。単なる比喩としか思えない八百万もの死にざまは、マットの中で本当にそれだけの死にざまがあるのではないかと思えてくる。そんな八百万の死にざまのうち、マットが扱うのはキムの死は1つにしか過ぎない。八百万のうちの1つにしか過ぎないのだが、その1つは自分にとって途轍もなく大きな意味を持っているのだ。

また本書では今までのシリーズと違うことが2つある。
1つは今までの事件は過去に起きた事件を掘り起こすことがマットの依頼だったのに対し、今回の事件は進行形で起きることだ。依頼人だったキムの死から始まり、彼女のヒモ、チャンスが抱える街娼の1人サニー・ヘンドリックスの死、そしてクッキーと云う名のオカマの街娼の死と続く。連続殺人鬼を扱いながら過去の事件を題材にしたのが前作『暗闇にひと突き』なら、本書では連続殺人事件そのものをマットが扱う。前作が静ならば本作は動の物語であると云えよう。
もう1つは上にも書いたが本書では前作『暗闇にひと突き』で登場したジャン・キーンが登場することだ。今までのシリーズでは警官のエディ・コーラーを除く全ての登場人物がスカダーにとって行きずりの人々だったが、このジャンは初めてスカダーの心に巣食う忘れえぬ人物として刻まれている。そしてスカダーは本書で初めて禁酒を行うが、ある時暴漢に襲われ、過剰な暴力で撃退し、酒にまた救いを求めようとする。しかし以前酒に飲まれた彼はそれを心の底から怖れるのだ。そして彼が見出した唯一の救いの光がジャンになる。
このシリーズに広がりが生まれた瞬間だ。

自分の依頼人だったコールガールの死から始まった一連の殺人事件の物語は最後の一行に至り、これは実はマットの自分との闘いの物語だというのが解る。
今までこのシリーズ1冊に費やされたページ数は270ページほどだったが、本書は480ページ以上にもなる。つまりマットが自分の弱さに向き合うのにそれだけの物語が必要だったのだ。
正直私はこの最後の一行がなければ評価は他の作品同様7点のままだった。しかしこの最後の一行で物語の真の姿とマットが抱えた苦悩の深さが全て腑に落ちてきたことで一つ上のランクに上がってしまった。

自分の弱さを認めたマットは無関心都市ニューヨークの片隅で起きる事件に今後どのように関わっていくのか。今まで人生の諦観で自分を頼る人たちに便宜を図っていた彼が自分の弱さと向き合いながら事件とどのように向き合うのか。さらに評価が高まっていくこのシリーズを読むのが楽しみで仕方がない。


No.1122 6点 恐怖の関門
アリステア・マクリーン
(2014/04/29 00:55登録)
マクリーン5作目の作品はなんとある犯罪者が巻き込まれる数奇な運命を語った話だ。

主人公のジョン・タルボはサルベージ会社を転々とし、そこで引き上げた財宝を盗んだり、または宝石泥棒と組んでダイヤモンドを盗んだりと悪行の限りを尽くした男が警察の追跡から逃げまくる逃亡劇が始まるかと思いきや、それは100ページほどで終わりをつげ、次は海底油田の採掘ステーションへの侵入劇、そしてヴァイランドと云う悪党によって潜水艦の技師として雇われ、ある仕事を頼まれる。
とまあ、このように実に先が読めない事極まりない物語が読者の眼前で繰り広げられる。

しかもその行動の真意が明らかにされないまま物語が進行するため、読者はタルボが何をしようとしているのかが解らない。とにかく読んでいて実に気持ちが悪い物語展開なのだ。

これほど靄の掛かったままで進む小説も珍しい。本格ミステリならば殺人の犯人や殺害方法、動機など不明なままで物語は進行するが、それはそれを突き止めるための物語であるから、逆に云えば目的がはっきりしているのだが、本書においては主人公のタルボを筆頭に、彼に依頼をするラスヴェン将軍の仕事の内容も不明で、ヴァイランド一味の目的も不明で何が目的なのかがはっきりせず、焦点が絞れずに進行するため、実にもどかしい思いをしながらページを繰らなければならなかった。

そしてそれら物語の靄は最終章、タルボの口から明かされる。

専門家と見紛うような石油採掘ステーションの技術的な説明と描写はマクリーンの専売特許とも云うべき精緻かつ精密で作家が付け焼刃的に浅く薄く専門書を読んで物語に挟み込んだような代物ではない。そこは認めるものの、本書における作者の企みは決して効果的なサプライズを生んでいるとは云えない。プロローグで起きた事件が物語の布石であることは容易に知れるものの、そこから展開する物語は焦点が掴みにくく、さらに殺人犯として知らされる主人公タルボの不可解な行動の数々には上で書いたようにとにかくどこへ進むのかがはっきりとせず、終始やきもきさせられた。

私はある明確な目的に向けて登場人物が生死の境で苦しみながらも前に進もうとする極限状態での苦闘を描き、その中で挟まれる意外な人間関係や本性がサプライズとして有機的に働くことで生まれる心震わせる人間ドラマこそがマクリーンの真骨頂だと思うが、物語全体を仕掛けにするという器用な創作は似つかわしいと本書を読んで思ってしまった。


No.1121 7点 2014本格ミステリ・ベスト10
雑誌、年間ベスト、定期刊行物
(2014/04/23 19:34登録)
正直本家の『このミス』よりも読むのが楽しみなのが本書。なんせミステリのディープな部分に踏み込んだその年のジャンル別の傾向や評論が楽しくて仕方がないからだ(なのにこれが初の感想だなんて、意外なのだが)。

さて早速ランキングだが、麻耶雄高強し!今年は『貴族探偵対女探偵』で1位を獲得。短編集が1位を獲得するのは難しいと云われているが、麻耶氏にはそんなジンクスも関係なかったようだ(そういえば『このミス』の1位も短編集だった)。もはや出せば1位の感もある麻耶氏。それだけ新作を待っているファンが多いと云う事だろう。
続く2位は驚きの新人、青崎有吾の『水族館の殺人』がランクイン。2作目で2位へと大躍進だ。正直読む気は全く起きないのだが、現代のクイーンの衣鉢を継ぐと云われているだけのことはあるのか。3位はこれまた驚異の新人梓崎優がランクイン。こっちは大いに読む気あり。しかし人生初の長編でこのランクとは天才とは本当にいるだと思った次第。4,5位は法月作品が続けてランクイン。『このミス』でも1位になったし、世のミステリファンは法月の新作を待っていると云っても過言ではないようだ。人気と内容が伴っているかが気になるのだが。

5位以下は『このミス』でもランクインした作品がランクインしている。小林泰三の『アリス殺し』、歌野氏の『コモリと子守り』、島田氏の『星籠の海』、米澤氏の『リカーシブル』が続く。ここまで見ると『このミス』が本格ミステリ寄りにますますなっているのが解るが、11位以下はガラリと変わって、本ムックならではのランキングだ。
その中でも霞氏の『落日のコンドル』が入ったのは喜ばしい。あとはこのランキングで初めて目にした作品群―古野まほろ氏の『パダム・パダム』、深木章子氏の『螺旋の底』、森川智喜氏の『スノーホワイト』、etc―が並び、これぞ本ミス!といった感じか。

毎年の如く、くどく云っているが、その甲斐なく今年も海外ミステリの扱いは例年同様のスペースだった。翻訳ミステリー大賞シンジケートなどのWEBでの活性化や各地で行われている読書会が最近海外ミステリが多いのにも関わらず、この扱いの変わりのなさが本ムックで唯一残念な点だ。この海外ミステリの扱いが変わらない限り、本書の評価も変わらないのだが。

しかし今年は総じてパワーダウンの感は否めない。逆に『このミス』に幻の名作ミステリベストテンという好企画があっただけに余計に感じてしまった。


No.1120 7点 白戸修の事件簿
大倉崇裕
(2014/04/22 22:57登録)
平凡な学生白戸修が巻き込まれるのはスリにステ看貼りに銀行強盗、そしてストーカー被害に最後は万引き。軽犯罪だけでなく命に係わる事件にも巻き込まれる受難男。
しかもここに収められた5つの事件は就職先も決まり、大学卒業を目前に控えた最後の単位取得の試験の時期、その1月後、そして卒業式も終わって入社式を迎える猶予期間、入社式前日までの大学生活最後の年の後半に起こっており、白戸修はこの短期間でドミノ倒しの如く次々と事件に巻き込まれていくという濃密な数ヶ月を送っている。しかもそのいずれも中野駅界隈であるのが面白い。作者は中野駅にどんな恨み(?)があるのだろうか。
物語の最初はいつも頼みごとを断りきれない気の弱いお人よしの青年という、いささか頼りない男と映る白戸修が、物語の最後ではそのお人よしぶりがこの上ない善人になり、稀に見る好青年となって読者の心に印象づけられていき、どの作品も読後は爽やかな涼風が心に吹く思いを抱かせる。

個人的ベストは「ツール&ストール」、「サインペインター」、「ショップリフター」の3編。「ツール&ストール」と「ショップリフター」は姉妹編とも云うべき好編でそれぞれスリと万引きと云う軽犯罪を扱っており、その手口のヴァリエーションも紹介され、その奥の深さに唸らされるが、最後に明らかになる事件全体に仕掛けられたトリックが判明するところは久々に不意打ちを食らった感があった。「サインペインター」は単なる巻き込まれ騒動の1編と思わせつつ、実は意外な謎が隠されていたという読者がその真相を探るのがほとんど不可能な構成の妙を買う。ホント、何が謎なのか全く解らなかった。

とはいえ、まだまだ特色のあるシリーズとはこの段階では云い難い。逆に最後の短編でシリーズキャラクターとなりそうな人物が再登場した事でこれからシリーズとしての奥行きと幅が出てきそうな予感がする。
次回からは出版社に就職した社会人として白戸修がまたもや事件に巻き込まれていくことになるのだろうが、どんな形で事件に関わるのか暖かい眼で見守ってやりたい。白戸修にはそんな魅力がある。


No.1119 7点 暗闇にひと突き
ローレンス・ブロック
(2014/04/19 20:57登録)
シリーズ4作目の本書ではスカダーは彼が警官時代に担当した連続殺人事件の被害者の真犯人を捜そうとする。それは彼の過去との対峙でもあった。
アイスピックを使って女性ばかりを襲う連続殺人魔。8人もの犠牲者が出た後、ぱったりと事件は沈静化する。それは当の犯人が長期強制入院させられていたからだった。そして9年後の今、その犯人が捕まり、解った事実が8人の犠牲者のうち、その1人バーバラ・エッティンガーは自分が殺したのではないということ。その父親は彼女を殺した真犯人捜しを当時警官で事件を担当していたマットに依頼するというのが今回の話だ。

しかし連続殺人犯をテーマに扱いながら、ブロックはなんとも地味に物語を展開させるのだろう。通常ならば連続殺人犯による犯行がリアルタイムで起きている状況下で物語を紡ぐことだろう。その方がサスペンスも盛り上がるし、また何より物語に起伏も出る。
しかし敢えてブロックはそれをある女性の過去の殺人の真相を探るモチーフとして扱うだけに留めるのだ。しかも連続殺人事件は9年も前の事件にして。従って物語は数少ない当時を知る人を探り当てるところから始まり、また当時を知る者も既に記憶が曖昧になって実に心許ない。つまり読者は過去を探るスカダーと共に何とも手ごたえの感じない捜査の一部始終を体験するのだ。
なにゆえこのような展開をブロックは選んだのか。やはりそれがスカダーの向き合う仕事に相応しいからだということだろう。連続殺人犯と云う敵と戦うマットはどうしても武闘派にならざるを得ないが、マットにはそんなポジティブな行為は似合わず、過去の疵を抱いて時々自分に仕事を頼む人から少しばかりの報酬を貰ってその日暮らしの生活をする、人生の落伍者には過去を辿る行為こそがお似合いなのだろう。

前作でも抱いたのはなぜスカダーは敢えて寝た子を起こすような行為をするのかということだ。しかしその疑問について私はある一つの答えを得たような気がした。それは自身が抱える過去の闇を忘れずに酒に溺れ、半ば死んでいるような日々を送っているからこそ、過去を忘れ去ろうとする人々が許せないのだろう。
しかし過去を抱えて今を生きるマットの生き方は決して誉められたものではない。『一ドル銀貨の遺言』では過去の過ちを消し去ろうと努力し、それぞれが成功を収めている人々がいる。過去を抱え、定職にすらつこうとしない男と過去を消し、いまを生きようとする人々。この二律背反な構図は決してスカダーが真っ当な人間ではないことを指す。
しかしこれこそが正義を貫くことの代償なのだろう。正しいことをすることは何かを捨てる事なのだとブロックはスカダーで表しているのかもしれない。
このマット・スカダーの物語は上昇志向の人々にはそぐわないものだろう。誰でも失敗はするし、それを糧にして今をもっと頑張ろうと生きる。マットの生き様はそんな前向きの生き方とは真逆なものだ。

原題は“A Stab In The Dark”。Stabという単語には「突き刺すこと」という意味以外に「人の心を傷つける事」という意味も持つ。暗闇にひと突き。暗闇は9年前の事件のことを指す。すなわち忘れ去られようとする過去でもある。その暗闇を突き、人の心を傷つけたのはマットその人であった。すなわちこの題名は過去を掘り起こすマットのことを指しているのだ。読後に立ち上るもう1つの意味。実に上手い題名だ。


No.1118 10点 容疑者Xの献身
東野圭吾
(2014/04/15 23:05登録)
人生を変えた1冊とは通常読み手が出逢った本の事を差すが、東野圭吾は本書を著すことで長年逃していた直木賞に輝き、一躍ベストセラー作家に躍り出て人生を変えた。そしてまたそれまで東野作品の読者ではなかった私が彼の作品を読むことを決めたのもこの作品だった。

短編集で始まった探偵ガリレオシリーズは人智を超える超自然現象としか思えない事件を現代科学の知識と理論で湯川学が解き明かすというのがそれまでの作品の趣向だったが、初の長編では湯川に匹敵する天才をぶつけ、一騎打ちの構図を見せる。天才科学者と天才数学者の戦い。論理的思考を駆使する男とこの世の理を知る男。最強の矛と最強の盾の戦いはどちらに軍配が上がるのか。
しかしこの戦いは非常に哀しい。それは湯川が唯一天才と認めた石神と再会した時の語らいが実に濃密であるからだ。このシーンがあるからこそ2人の先にある運命の悲劇を一層引き立てる。

しかしなんという、なんという献身だ。正直今まで愛する人のために自らを捧げる献身の物語は東野作品にはあった。『パラレルワールド・ラブストーリー』に『白夜行』、これらを読んだ時もなんという献身なのかと思った。そしてそんな献身の物語を紡ぎながらも敢えて「献身」の名をタイトルに冠したこの作品の献身とはいかなるものかと思ったが、そのすさまじさに絶句してしまった。

そもそもは素行の悪い元夫から逃れるために起こした殺人事件が端を発した哀しい事件。事件そのものは靖子が富樫と云う男と結婚したことから始まったのかもしれない。東野氏は一度誤った人生は容易に取り戻せないと諸作品で語るが、本書もその1つである。
しかしこれほど哀しい物語に対して本書が本格ミステリが否かという一大論争が起きたことが実に馬鹿馬鹿しい。本書は推理小説なのだ。それ以下でも以上でもないではないか。暇人だけがジャンル分けに勤しんでいる。もっとこの作品を超えるような作品を切磋琢磨して世のミステリ作家は生み出してほしいものだ。それが作家としての本分だろう。


No.1117 7点 バカラ
服部真澄
(2014/04/12 02:02登録)
金、金、金。金に狂い、金に惑う。金に魅せられ、ドツボに陥っていく人々。服部真澄が今回選んだ題材は金にまつわるお話だ。

今までの服部作品は香港返還に纏わる密約と陰謀、ある技術に関する特許戦争、巨大企業の買収戦争と利権を争うことをテーマにしていたが、その利権に隠されているのはやはり金。莫大な富、利益をもたらす手札の争いだった。従ってここまで明らさまに金に纏わる争いを扱ったのは本書が初めてだ。そのためか、書かれている人物たちはいつもにも増して生々しい。

誰もが必要としている金。それは我々日々の生活であればあるほど困らないいわば安心を約束する物であり、己のステータスを示すバロメータでもある。
しかし安寧を得ようと金儲けに腐心する野心家たちが情報を駆使して、司法の手の届かない地に辿り着いた時、それまでの縁が失せ、残ったのは金だけとなる。果たして彼は本当の幸せを、安らぎを手に入れたのだろうか?
作中、主人公の志貴の独白で語られるバカラの意味。その言葉はゼロを意味するという。一攫千金を夢見てカジノでギャンブルに興じる人々。その1つ、バカラにそんな意味があるとは、つまり勝ちの向こうにあるのは無ということなのか。登場人物の一人が辿り着く境地はまさにそんな虚しさを表しているようだ。

しかし今なお持ち上がっては消えていくカジノ合法化案。現都知事が唱え、大阪市長もまた同様の案を声高に叫ぶが実現しないでいる。それはカジノが放つ煌びやかな光景ゆえに孕む闇の深さゆえか。私自身ギャンブルをしないのでカジノ合法化にはそれほど魅力を感じないが、実現することで県の財政が潤うと同時に犯罪の温床ともなり得る諸刃の剣。
本書が刊行された2002年から早くも12年が経ってなおこの状況ということは夢のまた夢の話なのだろうか。


No.1116 7点 真冬に来たスパイ
マイケル・バー=ゾウハー
(2014/04/02 22:54登録)
2014年の今なお小説の題材として語られるキム・フィルビー事件。イギリス秘密情報機関の切れ者であり、高官の座に一番近いと云われていた男がソ連のスパイだったという衝撃的な事件は恥ずかしながら私も最近になって知ったのだが、本書はこの稀代のスパイを育て上げた伝説のKGB部員オルロフが自身を暗殺しようとする謎の人物を追って国を跨って捜査をするという物語だ。それは同時にKGBがイギリスに、いや世界各国の共産主義思想を持つ人物たちをどのようにスパイに仕立て上げたかを語ることにもなるのだ。

この虚と実が入り混じった物語展開は一方でフィクションと思いながらも、もう一方では実話ではないかと錯覚してしまう。
この作品にはフィルビー以外にもいわゆる「ケンブリッジ・ファイヴ」と呼ばれたスパイたちも実名で登場する。私が不思議なのは主人公オルロフが彼らを仕立て上げた伝説のスパイとされているため、彼らの為人を詳細に語るシーンが出てくるのだが、どうやってバー=ゾウハーはここまで人物を掘り下げることが出来たのかということだ。まるで実際に逢ったかのようだ。それほどまでにリアルに描写している。

これは老境に入ったスパイたちが過去を清算する物語だ。
スパイ活動に時効はない。バー=ゾウハーは現時点での最新作『ベルリン・コンスピラシー』でも歴史の惨たらしい暗部に携わった人々の罪が決して時間によって浄化されることはないと痛烈に謳っているのだ。
しかしなんという深みだろう。人を利用した者はまた人に利用されるのだ。最後はオルロフが述懐する、この物語の本質を実に的確に云い表した言葉を添えて、この感想を終えよう。

“諜報活動のからくりは、じつに複雑怪奇だ”


No.1115 3点 最後の国境線
アリステア・マクリーン
(2014/03/29 18:54登録)
ロシアに囚われた弾道学の権威である博士をイギリスに取り戻す任務を与えられた特別工作員マイケル・レナルズの物語だ。

しかしこの特別工作員レナルズ、最初に説明があるようにあらゆる感情に左右されずしかも格闘術に長け、人殺しの技を身に着けた危険な男とされているが、協力者ジャンシの部下サンダーに致命的な一撃を与えるものの、びくともしないし、博士と接触した時は盗聴器に気付かずにそれが元で作戦成功に大きな打撃を与える困難を生みだし、さらにジャンシの娘に惑わされたりと、どこが凄腕のスパイなのか解らないほど、間が抜けているのだ。
しかも幾度となく彼の前に現れるAVOことハンガリー秘密警察の一員である巨漢のココとの最後の対決では打ちのめされ、サンダーにいいところを持って行かれてしまう。これが不屈の魂で満身創痍の中、人間の極限を超えて任務を遂行した『女王陛下のユリシーズ号』や『ナヴァロンの要塞』を描いた作者によって創作されたヒーローとはとても思えないのだが。

しかし今回は久々に苦痛を伴う読書だった。
というのも、ハンガリーとロシアの極寒の地の中で時には敵の追手をかいくぐりながら博士奪還のために吹雪の中を疾駆する列車の屋根に上り、連結器を外すというアクションも盛り込みながらも、ところどころに挟まれるジャンシがレナルズに語る政治論が実に濃密過ぎて物語のスピード感を減速してしまったのは否めない。この内容の濃さはほとんど作者マクリーンが抱く政治論そのものであろうが、3ページに亘って改行も一切なく語られてはさすがに疲れを強いるものであった。

マクリーン初のスパイ小説ということもあって作者の独自色を出すための構成なのかもしれないが、国家の原理原則論についてこれほどまでに弁を揮うとなると、もはや小説ではなく大説である。作家としての気負いが勝ってしまったのかもしれないが、これはいささかやり過ぎ。この手の主張は小説ではなく、また別のノンフィクションなどで語るべきだろう。


No.1114 7点 アイルランドの薔薇
石持浅海
(2014/03/22 19:23登録)
アイルランドの武装勢力NCFが殺し屋に依頼するある幹部の暗殺劇。このどうにもエスピオナージュ色濃い設定で本格ミステリを成立させるという異色な意欲作だ。
上に書いた物語のシチュエーションから本書が本格ミステリのいわゆる「嵐の山荘物」だと誰が想像するだろうか?石持氏はこの本格ミステリの典型とも云える、警察が介入できず、しかも外部との連絡が絶たれた状況の密室状況を、あくまで現実的で起こりうるだろう状況で実現させるためにアイルランドの武装勢力NCFの一味が宿泊先で何者かに殺害され、警察への介入を許さないというこれまでにない特異なアイデアで設定した。

そして舞台の特殊性に加えて本書には他の本格ミステリには見られない特異性がある。それは物語の状況が政治的に大事な交渉を控えていることから、NCFが納得のいく事件の解決しなければならないのだが、それは真犯人が違っていても構わないから論理的に誰もが納得のいく解答を見つけさえすればよいというものだ。
つまり本書では本格ミステリ作家がいつか直面するこの本格ミステリのジレンマをなんとデビュー作の時点ですでに取り入れているのだ。とても新人とは思えない達観した考えを持った作家である。

ただ目の前で人が亡くなっているのに、滞在客みんなで料理に興じるのには面食らった。そんな意欲が出るものだろうか?ましてや心的ショックから食欲など湧かないのではないだろうか?しかもみな嬉々として料理を楽しむのである。これにはさすがに違和感を覚えずにはいられなかった。


No.1113 7点 ディール・メイカー
服部真澄
(2014/03/18 23:35登録)
今回服部氏が選んだのは一大メディア企業の買収劇。一頃日本でも話題になったM&Aがテーマとなっている。
その劇には2つの主役がある。
一つは世界中で有名なアニメキャラクター「くまのデニー」を抱え、そこから映画部門を創設して世界にテーマパークを持つまでになったハリス・ブラザーズ社。これはまんまディ○ニーそのものだ。特に作中で描写される「くまのデニー」の風貌はミッ○ー・マウスそのままのようだ。
もう一つはコンピューター・ビジネスの巨大企業『マジコム』社。天才的カリスマ会長兼CEOのビル・ブロックはビル・ゲ○ツを髣髴させる。こちらは恐らくマイク○ソフト社がモデルだろう。つまりアメリカきっての二大大型企業、ディズ○ーとマイ○ロソフトの仮想一騎打ち買収対決が本書であると云えよう。

服部氏が凄いのはこの買収劇にアメリカのある法律を絡ませていることだ。以前、某企業が発明した権利は会社の物か発明者の物かという問題が起きたが、本書の問題もそれに近い。
これは天才によって創立された会社が抱える盲点であり、その歴史が古ければ古いほど起こり得る事態ではないだろうか?

しかしながら服部氏の広範な知識と緻密な取材力には全く以て脱帽だ。何しろアメリカを舞台にアメリカの法律下で買収戦争を描き、さらにそこにアクションシーンも盛り込んでキチッとエンタテインメントしているのだから畏れ入る。600ページを超える大著だが、そのページ数が必要なだけの情報量、いやそれ以上の情報量を含みながらアメリカの法律に疎い我々一般読者に噛み砕いて淀みなく物語を進行させる筆の巧みさ。作品を重ねるごとにこの著者の作品はますますクオリティの冴えを見せてくれている。

我々の知らない世界を次作でも見せてくれることを大いに期待しよう。


No.1112 7点 泥棒は哲学で解決する
ローレンス・ブロック
(2014/03/11 23:11登録)
前作『泥棒は詩を口ずさむ』から引き続きバーニイは古書店店主を営み、友人の犬の美容師キャロリンは前作の事件がもとで彼の泥棒稼業のパートナーとなって一緒に盗みを働いている。

そして泥棒に入った家でまたもや殺人事件が起き、バーニイは容疑者になってしまうが、今回は逮捕されず任意同行と云う形で警察署に引っ張られるものの、生き残った被害者への面通しで別人だとされるのが今までとは違うところ。つまり今までは警察に捕まりそうになったところを寸でのところで逃げ出し、世間から隠れながら事件を解決するという手法だったのだが、本作では証拠不十分として釈放され、警察からの嫌疑を受けながらもいつも通りの古書店主としての生活をして犯人探しをしているのがミソ。これが今まで行動の不自由さゆえに物語が停滞しがちだったこのシリーズの欠点を見事に補っており、通常よりも物語に躍動感があるように思えた。

2人もの死人を出しながらも一人の死を巡ってそれぞれの関係者に隠された暗い過去や事実を探るマット・スカダーシリーズの語り口よりも明るいというのが非常に面白い。

また作中やたらとロバート・B・パーカーのスペンサーシリーズを揶揄しているのが目に付いた。自身の生み出したアル中探偵マット・スカダーと健康的で現代的な探偵スペンサーとを比較しているのだろう。どちらもネオ・ハードボイルドとして新たな探偵像を描きながらも、スペンサーシリーズの方が当時は売り上げも高かったことに対する作者のやっかみのようにも取れる。こんな健全な探偵が活躍する物語のどこが面白いのかねぇ、とバーニイが代弁しているかのようだ。

そして最後はなんと関係者一同を集めての謎解き披露!これで作者ブロックが意識的に昔の本格ミステリの形式を踏襲して書いていることを認識した。

1人目の殺人事件の犯人は早々に解ったが2人目の犯人は正直意外だった。ヒントはきちんと散りばめられているのでなかなか侮れないのだ、このシリーズは。


No.1111 7点 シンガポール脱出
アリステア・マクリーン
(2014/03/07 22:40登録)
第1作では極寒の海、第2作目ではカリブ海に浮かぶ難攻不落の要塞と戦時下での男たちの戦いを描いてきた作者が第3作目に選んだのは日本軍が包囲する東南アジアの海からの脱出行だ。

とにかく先の読めない展開ばかりだ。日本軍が極秘裏に計画している北オーストラリア襲撃の計画書を日本軍が攻め込む前にオーストラリアに渡さなければならないとするスパイ小説から始まり、そこから海洋冒険小説に、軍事小説、さらには島での日本軍との戦いという冒険アクション小説と、あの手この手と色んな手札を惜しげもなく導入するマクリーンのサーヴィス精神旺盛さが本書でもいかんなく発揮されている。

しかし本書では日本軍がこの上なく残虐な軍隊であると書かれており、じわじわと真綿を締めるような拷問、捕虜に対する非人道的な行為が語られており、本当にそこまで酷かったのかと首を傾げてしまうくらいだ。特に中国での大虐殺を引き合いに出して、その残虐性を仄めかしていたが、これは今なお史実としては疑問視されている話だ。これは当時の欧米人が日本のみならずアジアの国の軍隊をひどく恐ろしく思っていたことによるのだろう。だから映画『ランボー』シリーズでもいずこのアジアの兵士による拷問が非人道的に描写されているかもしれない。

しかしこれほどまでに先の読めなかった作品が、結末が非常に淡泊なのはちょっと残念ではあった。


No.1110 10点 オーデュボンの祈り
伊坂幸太郎
(2014/02/21 22:43登録)
私にとって初伊坂作品である本書は奇想天外でありながらこの上なく爽やかで、そしてヤバい。

数あるミステリを読んできたが、人語を話し、未来を予測する能力を持つ案山子が殺される事件を扱ったミステリはまさに前代未聞だ。
それを筆頭に嘘しか云わない画家、園山や島の秩序を守るために殺人が許されている桜と云う男。天気を当てる猫に、300キロを超える大女など不思議の国に迷い込んだかの如き世界が繰り広げられる。
こういう風に書くとディキンソンのような過剰に異様な世界ではなく、牧歌的で寓話的なところが特徴的だ。案山子が優午と名付けられ、少し先の未来を予見できることが普通の日常として受け入れられるような普通に満ちた世界が荻島にはある。

物語の終盤、それまで主人公伊藤の目を通して我々読者に島民たちの奇妙な振る舞いや行為がパズルのパーツが収まるかのようにカチカチとある一点に収束していく様はまさに壮観。

それは驚愕と云うのではなく、ピタゴラスイッチを見ているような美しさと感動さえ感じる殺人。こんな優しくも美しい殺人事件がかつてあっただろうか。
そしてここに至って不思議な響きを放つ本書のタイトルが俄然意味を放ってくる。

まだ私の胸に残る伊坂氏が残した歓喜を挙げたくなる嬉しさにも似た何かが心くすぐって堪らない。なんと優しさに満ちた物語か。なんと喜びに満ちた物語か。


No.1109 7点 このミステリーがすごい!2014年版
雑誌、年間ベスト、定期刊行物
(2014/02/18 23:12登録)
最近では私はこのムックに対して不満ばかり漏らしているが、今回はそれを少しだけ緩めたい。なぜならちょっとばかり内容が充実していたからだ。

それはやはり「復刊希望!幻の名作ベストテン」という好企画に負うところが大きい。『このミス』にはこういうのがないと。対象作品が『このミス』誕生以前の1987年以前のミステリと云う非常に大雑把な括りゆえに挙げられた作品が多種多様でそれ故獲得点数に差が出なかったのはしょうがないが、絶版によって読まれるべき名作を読むことが出来ないという危機的出版情況に一石を投じるこのような好企画は大歓迎。東京創元社ではマーガレット・ミラーが復活するなどの嬉しいニュースもあり、この企画が起爆剤となって続々と名作が復刊されることを期待したい。

またこのベストテン選出の各選者の選んだ作品が今年の作品の末席に申し訳程度に書かれているだけだったのは正直ガッカリ。選んだコメントも載せてほしかった。また別冊でいいから例えば1967~1977年、1977~1987年と10年間に絞った幻の名作ベストテンのムックも出してほしい。文藝春秋の『東西ミステリーベスト100』も昨年28年ぶりに実施されたことだし、アベノミクス効果の時流に乗って何十年ぶりかの出版景気を目指して、ぜひ復刊のカンフル剤として実施してほしいものだ。

メインのランキングについては長くなるのでちょこっとだけ触れるが、国内ランキングの上位のマニアック度の濃さは何だろうか?しかし東山氏のような作品が上位に来るのは『このミス』らしくて個人的には○。
あと『ビブリア古書堂』シリーズもとうとうランクインすることになったか。ミステリ好きはやはり乱歩には弱いのか。

海外はやはりキングの1位が素晴らしい。『このミス』が始まって26年目にして初の1位だ。もちろん彼の作家生活はその前から始まっており、デビューは1973年なのだから、なんと作家生活30年目にして傑作を物にしたわけだ。まさに巨匠の名にふさわしい快挙だ。クーンツのファンとしてはキングの活躍を受けてぜひ一念発起して再ブレークを果たしてほしいのだが。
北欧ミステリの活発な訳出が目立っている昨今なのにたった1作だけのランクインなのは意外だった。

しかし幻の名作ベスト選出という好企画があったとはいえ、相も変わらずどれだけの読者が読んでいるか解らない『このミス』大賞受賞者による書き下ろし短編もあるし、紙の質が悪い。本当にペラペラで少し力を入れるだけで破れてしまいそうなくらいだ。21世紀にもなってこんな紙を使っているのは『このミス』くらいではないだろうか。
単価を抑えるためだろうけれど、昨年よりも5円高くなり、しかもページ数は30ページも減っているのに紙の質が変わらなかったのはこの金額が売り上げにさほど影響していないからではないか(実際いつまでも売れ残って本屋の平台にうず高く積まれているのをよく見るし)。
書き下ろし短編の排除と年に一度のミステリのお祭りに相応しいもっと濃い中身の充実と読みやすい紙に変えてくれることでそのために単価が100円なり200円なり挙がろうが購入するのではないだろうか。8年前の695円だった時の売り上げからどれだけ部数が伸びたのか甚だ疑問なのだが。

今年は酷評はないと云いながらも最後はやはり目立つ欠点をあげつらってしまった。それも21年間も購入している『このミス』への愛情ゆえだと理解してもらいたいのだが。


No.1108 8点 鷲の驕り
服部真澄
(2014/02/15 18:31登録)
秘密主義であるアメリカの特許の世界に微に入り細を穿った綿密な内容で特許に群がる人々の策略を描いていく。
読中、この物語はどこまでがノンフィクションで、どこからがフィクションなのだろうかと、戦慄を覚えた。

特徴的なのは実在する企業や商品の固有名詞を多用しており、それがこの作品で描かれるフィクションとの境目を曖昧にし、どこまでが実話でどこからが作り話なのかが解らなくなっていくところだ。つまり実にリアルなのである。そのリアルさゆえにアメリカの最先端技術の独占しようとする秘密主義的な特許システムの特異さが異常に際立って読者の頭に刻み込まれていく。この技法が私をして先述の想いを抱かせたのである。

物語は非常に複雑な構図と関係性でそれぞれが有機的に結び合い、謎の特許王エリス・クレイトンと巨万の富をもたらす一大ビジネスの種となるある「石」に関する特許を巡ってパワーゲームが繰り広げられる。
物語は裏また裏のかき合い、そして最後にその裏をかくというどんでん返しの連続が待ち構えている。

しかし哀しいかな、本書のような国際謀略小説、特に最先端技術を扱った謀略小説では作者の先見性が問われる物となるが、その予測を見誤ると今回のように刊行から十数年経って読むようになると、現在との乖離に苦笑いをしてしまうしかなくなってくる(なんせウィンドウズ95の頃の時代だ!)。それはまさにカードの裏表のようなもので、綿密な取材を重ねた力作なだけに大変惜しく思われてしまう。

しかしそれは単なる瑕疵に過ぎないだけの読み応えと一級のプロットがこの作品には内包されている。まさに世界に比肩する国際謀略小説がここに誕生したのだ。デビュー2作目でこのクオリティと、色々な組織や産業スパイなどの手駒を交えながらもきちんと整理された情報の数々の手際の良さに読みにくいと感じる読者は皆無に等しいだろう。私は読み終わった時にまた一つ新たな知見を拡げてくれる作品こそが読書の醍醐味であると思っているが、本書はまさにその願望を叶えてくれる一冊であった。


No.1107 6点 葡萄園の骨
アーロン・エルキンズ
(2014/02/07 22:44登録)
刊行を心待ちにしているある特定の作家の作品、もしくはシリーズ作品というのが誰しもあるだろうが、人類学者“スケルトン探偵”ギデオン・オリヴァーシリーズは私にとってそんな作品群の1つであり、刊行予定に『~の骨』のタイトルを見た私は思わず快哉を挙げてしまった。なんと前作から3年ぶりの刊行である。これは『洞窟の骨』から『骨の島』までの4年ぶりに続くブランクの長さであり、しかも『骨の島』以降ほぼ1年に1作のペースで刊行されていただけに、作者エルキンズの年齢も考えると―なんと78歳!―シリーズは終了してしまったものだと思っていたので本当に本作の刊行は喜びもひとしおなのだ。

物語の舞台はイタリアはフィレンツェ。しかし物語の中心はそこから車で約40分ばかり離れたワイナリー<ヴィラ・アンティカ>で、そこでワイナリーを経営するクビデュ一族が事件の容疑者たちとなる。
今回も例によってギデオンの骨鑑定から事件の謎が明らかになる。いや実際はイタリア憲兵隊によって処理された事案がシンポジウムの講師として招かれたギデオンの骨鑑定によって逆に謎が深まるのだ。

3年間の沈黙の末に刊行された本書はそれだけにギデオンの骨の鑑定を存分に振るっている。特に今回は2体の崖下の白骨死体をギデオンが鑑定することで二転三転事実が覆されるといった充実ぶり。

またエルキンズのストーリーテラーぶりは健在。冒頭の1章でいきなり昔ながらのワイナリーを経営するクビデュ一族の家族会議によって読者は陽光眩しいイタリアの地に招かれることになる。そしてそんな家族のやり取りを通じてクビデュ家それぞれの人となりがするっと頭に入ってくる。この1章で既に読者の頭の中にはこの憎めないイタリアのワイナリー一家が住み込んでしまうのだ。

しかし今回はそれでも物語としては冗長に過ぎたという感は否めない。この二体の崖下の白骨体を二度の鑑定で事実を二転三転させる趣向は買う物の、とにかくギデオンの語り口によってじらしにじらされたように思えてならない。ギデオンってこんなに回りくどかったっけ?などと思ったくらいだ。

加えて観光小説の一面も持つこのシリーズだが、今回はそれが特に顕著。特にイタリア語が今回はまんべんなく散りばめられており、読むのにつっかることしきりで、更にはこれが特にページ数を膨らましているように感じた。取材の成果を存分に発揮したかったのだろうが、これではイタリア旅行の費用をとことん経費で落とそうとしているようにも勘ぐってしまうではないか。

とまあ、下衆の勘ぐりはさておき、今回もギデオンの骨の鑑定を愉しませてもらった。昨今ではジェフリー・ディーヴァーのリンカーン・ライムシリーズやドラマ『CSI』シリーズなど、鑑定が活躍するシリーズが活況を呈しているが、古くからあるこのスケルトン探偵による骨の鑑定はそれらブームとは一線を画した面白味があり、エルキンズの健在ぶりを堪能した。
さて作者の年齢を考えると次回作が気になるが、ここは素直に一ファンとして次のギデオンの活躍を心待ちにしておこう。


No.1106 8点 鮫島の貌 新宿鮫短編集
大沢在昌
(2014/02/02 17:22登録)
「鮫島の貌」とはよく云った物だ。ここにはそれぞれの時代の、また関係者からの視点での、本編では描かれなかった鮫島の肖像がある。

特に他者から見た鮫島の印象が興味深い。どのグループにも属さず、どこか超然として物事を見ている男。鮫島の内面が書かれないだけに彼の精神性はそれら他者の目から見た内容でしか推し量れないが、欲よりも信念を、愛よりも信義を重んじる昔の男といった趣がある。特に「再会」では鮫島の父親の職業が新聞記者だったことが明かされ、その生き様が今の鮫島の行動原理となっていることが暗に仄めかされている。10作のシリーズを全て読みながらも改めて鮫島と云う人間を再認識した次第だ。

また恐らくはファンサービスに過ぎないのだろうが、鮫島の数少ない理解者である鑑識の藪が『こち亀』の両津と幼馴染だったという驚愕の事実が知らされる。この辺りは苦笑するしかないのだが、本編ではほとんど語られることのなかった藪の素性が色々語られて興味深い。実家が病院で次男坊であり―名前が英次(ひでじ)なのも初めて知った。ちなみに兄の名前は英道らしい―、医学部に合格できずに警察官になったことなどが両津の口から明かされる。

その中で個人的ベストを選ぶとすれば「雷鳴」、「再会」、そして「霊園の男」になろうか。先の2編には鮫島の犯罪者を改悛させる度量の大きさが感じられ、しかも自分を律する芯の太さを感じさせる。さらにはサプライズまで仕掛けているという名編だ。「霊園の男」はやはり『狼花』で壮絶な最期を遂げた間野が鮫島に遺した言葉の真相が、鮫島の魂の救済として語られる、非常に清々しい結末だからだ。
他にもシリーズの前日譚とも云える桃井の男気が光る「区立花園公園」やチンピラに成り下がった家族を持つ人間が謂れなき被害を受ける結末が苦い「亡霊」や異色な味わいのある「五十階で待つ」なども捨てがたい。

とにかくどれも30ページ程度の分量ながらもこれほど読み応えの深い短編集もない。この短編集はシリーズの22年間の熟成の結晶だ。その味わいはまさに22年物のウィスキーに匹敵する味わいを放っている。


No.1105 7点 ナヴァロンの要塞
アリステア・マクリーン
(2014/02/02 01:08登録)
第1作でもそうだったが、マクリーンはとにかく主人公たちにこの上ない負荷をかける。人間の精神と肉体の限界、いやそれ以上の力を試し、もしくは骨の髄まで疲労困憊させ、最後の一滴まで搾り取るかの如く、これでもかこれでもかと危難や難題を突き付ける、いや叩き付ける。
これら主人公一行に襲いかかる敵や障害をいかに乗り越えていくかという機転や卓越した技術へのスーパーヒーローの戦いぶりにあるのではなく、困難な目標に向かって苦闘する人々が織りなす人間ドラマに読みどころがある。
何度も挫折しそうとなりながらも仲間たちを鼓舞するリーダーシップやそれに減らず口を叩きながらも応えていく部下たち、そして島を侵略された住民からの協力者たちが秘める敵への憎しみ、それらが折り重なって極限状態の主人公たちが諦めずに幾度も立上る行動原理を語っているからこそ、ハリウッドが好き好んで描くアクション映画の筋書の典型のようなシンプルな筋書を持つこの作品が今なお冒険小説の金字塔として称賛されるのだろう。

マクリーンは『女王陛下のユリシーズ号』と本書を以て冒険小説の巨匠として名を残し、70年代以降の作品は読むべきものはないと云われているが、正直この作品は私の中では面白いとは思うが歴史に残るほどの作品とは思わなかった。シャーロック・ホームズシリーズでも『バスカヴィル家の犬』よりも『恐怖の谷』を評価する私なので今後の作品に私なりの傑作を見つけていこう。


No.1104 7点 泥棒は詩を口ずさむ
ローレンス・ブロック
(2014/01/25 09:22登録)
泥棒探偵バーニー・ローデンバーシリーズ3作目。2作目は絶版ゆえにいまだに手に入っていない。そしていきなり本書ではバーニーは古書店主として真っ当な暮らしをしている風景から始まる。2作目の時に何が起こったのか?非常に気になるではないか。

さて古書店主となったバーニー・ローデンバーの日常には本が溢れており、自然物語は本についての薀蓄なりが付いてくるのだが、これがやはり読者、特にミステリ読者には思わずニヤニヤしてしまう話が散りばめられている。

古書店主になって泥棒稼業からは足を洗ったのかと思いきや、バーニーにとって泥棒はもはや習慣病のようになっているようで、今回は自分の店に現れたJ・ラドヤード・ウェルキンなる紳士からこの世に1冊しかないキプリングの自家製本を所有者の貿易商から盗み出してほしいと頼まれるところから始まる。そしてバーニーは見事盗み出し、ウェルキン氏に連絡を取って指定の場所へ赴くものの、そこで殺人に巻き込まれてしまうのが今回の事件。

しかしこの事件の真相はかなり複雑。正直自分でも十分理解できたか自信がない。とはいえ、突き詰めて読み返すとどうも不都合な点やなぜある人物がそうすることになったのかという動機が曖昧なところもあり、作者自身もちょっと無理があるのではと思ったのではないだろうか。

しかし本当にこの軽妙な読み物はマット・スカダーシリーズの作者の手による物だろうか?ローレンス・ブロックは2人いると云われても全然驚かないぐらい作風が全く違う。本当に器用な作家だ。

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