Tetchyさんの登録情報 | |
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平均点:6.74点 | 書評数:1617件 |
No.1137 | 9点 | 影の兄弟 マイケル・バー=ゾウハー |
(2014/08/09 23:29登録) 本書はアメリカとソ連、すなわちCIAとKGBの永い冷戦の歴史を数奇な運命を辿ったアメリカとソ連に別れて育てられた2人の異父兄弟の生き様に擬えて語った一大叙事詩だ。いやもっと端的に云うならば米ソ二大国を巻き込んだ壮大な兄弟ゲンカとなるだろう。 アレクサンドル・ゴルドンとジミトリー・モロゾフ。2人の兄弟の生い立ちはアメリカとソ連が辿った冷戦の歴史そのままだ。アメリカに渡って伯母の許で育てられ、西洋の文化に触れ、アメリカ側からソ連の有様を知るアレクサンドル。 一方ソ連に留まり、孤児院で荒んだ生活を送りながらKGBに所属するジミトリー。父親の死を知らされることでユダヤ人を憎むようになる彼は深く深く憎悪の闇へと堕ちるような人生を送る。 この対照的な二人の生き様はまさに陰と陽。それはそのままアメリカとソ連の辿る歴史の行き様でもある。 我々はアレックスとジミトリーの生涯を通してアメリカとソ連、そして1960年代から90年代にかけての世界情勢の暗部を知ることになる。スターリンのヒットラー信望から端を発するソ連国内での大量ユダヤ人虐殺、いつ失脚し、粛清を受けるか解らない極限の緊張下に置かれたソ連政府の高官や軍人たちは秘密裏に西側諸国へ亡命を企て、ソ連政府は情報漏洩を阻止すべくKGBの工作員たちを派遣し、次々と粛清していく。 この兄弟が殺戮の狂宴を国家権力を用いて繰り広げる絶望的な展開のなか、どう転んでも悲劇的な結末でしかあり得ないだろうと思われた読者の予想をバー=ゾウハーは軽々と覆してくれた。 いやはや何と云う物語を紡いだものだ、バー=ゾウハーは!まさに世界の表と裏を知り尽くした彼しか書き得ない叙事詩だ。 |
No.1136 | 7点 | 黄金のランデヴー アリステア・マクリーン |
(2014/07/28 22:43登録) マクリーン7作目の本書は豪華貨客船上で起こる数々の不審死とミステリ風味溢れる設定で幕が開ける。 いつも通りに行われるだろう出港は小型核兵器を盗んで失踪した科学者の捜索のため、アメリカ海軍の調査で足止めされ、さらには突然の乗客の要請で棺桶をニューヨークまで運ぶ羽目になった豪華貨客船。そんなトラブルでも航海は上々と思われたが、スチュワード長の失踪を皮切りに首席通信士、四等航海士が遺体となって発見される。 そんな展開はまさに船上の密室状態で繰り広げられる本格ミステリなのだが、物語の半ば170ページ前後で犯人は判明し、一味を取り押さえる事に成功して物語は一件落着の様相を呈するのだが、そこはマクリーン、単なるミステリでは終わらない。 そこからはまさに怒涛の展開。船内に忍び込んだテロリスト一味の仲間によって船は制圧され、主人公のジョニー・カーターも機関銃によって太腿を撃ち抜かれ、重傷を負う。 極寒の海、難攻不落の要塞、周囲を敵に囲まれた戦線の只中と人の極限状態を引き出すシチュエーションで不屈の闘志で苦境を切り抜ける人々の姿を描いてきたマクリーンだが、この頃になると自然との闘いというシチュエーションから孤島の中の基地、豪華貨客船という限られた場所で起こる事件に変化してきている。それでも1作から一貫しているのは戦艦や石油採掘基地、ミサイルといった特殊な乗り物や設備の詳細な描写だ。それらが素人がちょっとした取材で付け焼刃的な似非専門家になった程度の浅薄なものではなく、物事の本筋を知り尽くした玄人はだしであるのが毎度感嘆させられてしまう。 それは逆に極限状態の環境でなくてもスリラーは成立することをマクリーンは証明したことを意味する。本書では豪華貨客船での優雅な航海が一転してテロリストたちによるシージャックによって制圧され、また彼らの計画によって通常迎える予定ではなかったハリケーンに出くわすことになるのだ。 そしてそんな荒波の中、太腿に三発もの銃弾を負った主人公ジョニー・カーターはテロリストたちに立ち向かうべく、ヒロインの富豪の娘スーザン・ベレスフォードと共に奮闘する。 よくよく考えるとこれは今現在採用されているハリウッドの一大アクション映画のシチュエーションではないか。 当時出版すれば映画化が定番となったマクリーンも映像化を意識した創作に移行していったことを気付かされたのは何だかさびしい思いがした。これが後期の作品の質を低からしめる要因になったのではないかと思うのだが、それは今後の作品を読むことで判断したい。 |
No.1135 | 10点 | ポジ・スパイラル 服部真澄 |
(2014/07/24 11:59登録) 文庫版の本書の帯には「地球を温暖化から救う『秘策』がこの小説にある!」と謳われているが、これは決して誇張ではない。陸海空に渡って環境破壊が叫ばれて久しい閉塞感と危機感で将来不安を抱えている人類に輝かしい未来の姿が本書には描かれている。 今回服部真澄がその切っ先鋭いペンのメスを入れるのは地球温暖化と農林水産省、国土交通省などの利権によって侵食された海洋汚染。このテーマはいつかは取り上げるだろうと思っていたので、とうとうやってくれたという感が強い。 今までの服部作品では巨大企業や勢力によって牛耳られようとしている世界の構図をまざまざと見せつけられ、巨象、いや巨大な鯨のような存在にミジンコほどの個人が対抗するといった構成が多く、それらは痛快ではある物の、やはりどこか無力感が漂い、些細な抵抗といった感が否めなかった。 しかし本書はそのタイトルが示すように、希望の持てる再生の物語であるのが特徴だ。高度経済成長期以来行われてきた海洋開発によってもはや詩の海となりつつある日本の海。それは温暖化を助長させ、もはやどうにもならない所まで行きつつある。しかし海はゆっくりながらも着実に再生していることが示され、干潟や浅瀬を取り戻すことで日本の海、とりわけ東京湾を昔の豊穣な海に戻そうという動き、そして暴力的なまでに生命線を遮断するが如く次々と閉ざされた諫早湾の水門をこじ開け、かつての有明海を取り戻そうとする物語展開が絶望から再生へと向かう希望の物語になり、読んでいてものすごく気持ちがよかった。 今までその綿密で緻密な取材力とそれを材料にこれから起こるであろう時代の出来事、産業界の動きなどを悲観的に描き、我々を心胆寒からしめた服部氏が、その作者の強みを存分に発揮し、「こういう風にすれば未来はもっと良くなる」と示す本書はこれまでの作風とは全くもって真逆のものであり、実に爽快な読後感を残してくれる。題名の通り、未来は明るいのだと思わせる本書を、政治家、官僚の全てに読んでもらいたい。本書に描かれている日本を待っている。 |
No.1134 | 5点 | クイーン犯罪実験室 エラリイ・クイーン |
(2014/07/18 23:12登録) 題名こそ『クイーンの犯罪実験室』だが、中身はミステリとしては作品を支えるには乏しいワンアイデアを基に作られた短編を集めた物。ほとんど推理クイズの域を出ない物ばかりだが、逆に云えばそんなアイデアでもミステリが書けるのかという命題にチャレンジした実験短編小説集と云えよう。 長編ミステリを著すにはネタとして弱いが、短い話ならば書けるワンアイデアを活かした短編が並ぶ。その中には英米、米仏など異国の文化の違いから生まれる違和感からエラリイが推理する短編もあり、日本人が十分楽しめる知的ゲームとなっていないものもある。 しかしそれらは恐らくダネイとリーはいつも2人でこんなアイデアを話して、ミステリの種を探していたのだろうなと云うのがよく解る、知的パズルのような趣を感じる。逆に云えばどんなアイデアでもミステリ短編に仕立てる雑誌編集者の魂というか、商業根性を感じてしまったが。 特に多いのがダイイング・メッセージ物で、特に短い単語や名前から隠されたメッセージを推理する趣向の作品が非常に多い。実に16編中7編と半分近くがそれに類する。そしてそれらが単純な犯人特定の手懸りになるわけではなく、そこからまた謎が深まる、もしくはミスリードとして使われているというヴァリエーションも見せつける。 なるほど確かに本書は犯罪実験室だ。恐らくは言葉遊びや知識を競う遊びをして思いついたアイデアの数々。それらを犯罪に応用することが出来るのかがクイーン2人の試みを示したのが本書。 ちょっとした頭の体操をするにはちょうどいい作品が、そして少しだけ感心してしまうアイデアの妙が詰まった作品が揃っている。そんなアプローチで復刊しませんか?早川書房さん! |
No.1133 | 9点 | おかしなことを聞くね ローレンス・ブロック |
(2014/07/11 23:53登録) 今や短編集ではジェフリー・ディーヴァーが挙げられるが、それまではブロックのこの短編集が非常に完成度の高い短編集として挙げられており、今なお本書を読むべき作品として挙げる作家もいるほどだ。 ジェフリー・ディーヴァーの短編集がどんでん返しに重きを置いているものとすれば、ローレンス・ブロックのそれはどんでん返しにホラーにサイコ、クライム、悪徳弁護士、対話物、連続殺人鬼、ファンタジー、ネオ・ハードボイルドと実にヴァラエティに富んでいるのが特徴的だ。 個人的ベストは「あいつが死んだら」、「アッカーマン狩り」、「保険殺人の相談」、表題作、「夜の泥棒のように」。 「あいつは死んだら」はその着想の妙を買う。「アッカーマン狩り」は最後3行目の台詞に、そして表題作は古着のジーンズ卸し会社の本当の社名が秀逸。それらが暗示する恐ろしさといったら…。「夜の泥棒のように」はバーニイが登場する作品だが、他人の目から見たバーニイが新鮮で、しかもストーリーもきちんとオチが付いているという絶妙な作品。 とにかく精選された単語、言葉遣いを短いセンテンスで入れるため、一言に凝縮されたその意味が実に濃厚。表題作の会社名、「アッカーマン狩り」の犯人がふと漏らす一言など実に効果的。しばらくこれらは私の脳裏から離れられないだろう。 短編と云うのはこういうことを云うのだと云わんばかりの名品揃い。ブロックと云う作家の全ての要素を出し切った作品集と云えよう。特に作家たちはこの本をお手本にすべきだろう。ストーリーの語り口に運び方、言葉選びなど多く学ぶべきエッセンスに満ちている。 しかしどうして本書も絶版なのだろう。実に勿体ない。 |
No.1132 | 8点 | 使命と魂のリミット 東野圭吾 |
(2014/07/06 17:16登録) 東野圭吾初の医療ミステリ。大学病院を舞台に脅迫犯による大動脈瘤切除手術の妨害工作と医師たちの必死の救命劇、そして刑事と犯人との息詰まる攻防を描いたサスペンス作品となっている。 刑事と医師と脅迫犯の三つ巴の攻防を描いた本書はミスによる死が生んだ奇妙な復讐劇である。 加害者側は論理的に問題を分析し、正当性を見出そうとするが、人を亡くした人には論理よりも感情が先に立つ。そこがこういった外的要因による人の死の加害者と被害者に横たわる深い溝なのだろう。 そしてそれら情念の炎が消えないままで、自分の大切な人の命を間接的に奪った人が目の前に、手の届くところに現れたら、その人はどうするだろうか? そんな心のしこりを抱えた人々が奇妙な縁で絡み合う物語だ。 『殺人の門』、『さまよう刃』、『容疑者xの献身』と東野圭吾はやむにやまれず殺人を犯さずにいられなかった人々の姿を描く。そのいずれも大事な物を奪われた者に対する復讐だったり、自らの安心を得るために思わず犯してしまった殺人だったりと、よんどころない事情で犯さざるを得なかった犯罪だ。そのため、その物語を読む読者は犯罪者側が捕まらずに本願成就することを望むかのように応援するような心理に陥ってしまう。 本書の直井穣治もそんな復讐者の一人だ。 但し一方で復讐が成就されることを望みながら、彼の行う犯罪で犠牲になろうとする患者がいることで読者に迷いを生じさせる。つまり犯罪はどんな動機であれ、許されるべきではないことをきちんと東野は描く。この辺の微妙な匙加減が非常に上手い。 ただ本書ではいくつか疑問に思う点があった。 その中でも最も大きいのは犯人が病院に2度目の脅迫状を受付の診療申込書に紛れて来客に見つけさせるシーンだが、なぜ警察は監視カメラをチェックしないだろうか? 監視カメラはあると書かれているのに一切その件については触れていない。どんな警察でも監視カメラをチェックするのは当然だと思うのだが。 |
No.1131 | 7点 | 悪魔のスパイ マイケル・バー=ゾウハー |
(2014/06/28 23:20登録) 第一次大戦中、パレスチナで活躍したユダヤ人諜報組織NILIの中にトルコ軍の情報をイギリス軍に流し続けた1人の女性スパイがいた。バー=ゾウハーがこの隠れた史実を元に構成されたのが本書である。 本書が史実に基づいていることもあってか、第一次大戦中に名を馳せた実在の人物たちが登場し、登場人物たちと絡み合う。 例えば映画にもなって今なお伝説視されている“アラビアのロレンス”ことロレンス少佐はサウル・ドンスキーとイギリス軍のパレスチナ進攻作戦で論を交わす。 また図らずも女スパイに仕立て上げられたルースの連絡係エンマ・アルトシラーはかつて稀代の女性スパイ、マタ・ハリと共にコンビを組んでいたスパイであり、新任のルースを事あるごとにマタ・ハリと比較して毒づく。 特にロレンスについてはかなり筆が割かれ、また物語のサブキャラクターとしても重要な位置を占めている。 国を跨る巨大な宗教、民族が複雑に絡み合う状況こそ、パレスチナ問題やアラブ諸国が抱える紛争の数々の火種なのだ。大学時代にこの複雑なイスラム諸国の状況については講座を取ったが、やはりいまだに十分に理解できない。それは信仰に対してさほど意識が薄い日本人には次元の違う問題なのだろう。なんせ第二次大戦では大量にユダヤ人を虐殺するドイツがユダヤ人保護を訴えているくらいなのだ。 大義という大きなことをなすために多少の犠牲は必要だというが、その大義のために人生を狂わされた家族がある。ルースたちもまた歴史の犠牲者なのだ。 ところで本編で登場するオーストラリア軍のジェフリー・ソーンダース中佐だが、作者の初期2作で主役を務めていたCIA工作員ジェフ・ソーンダースとは無縁なのだろうか?各登場人物のその後を語るエピローグにそのことについては触れられていないものの、冷戦時に活躍したスパイの父親が実は歴史的な出来事に関わっていたというのは作者のファンサービスだと捉えているがどうだろうか? |
No.1130 | 10点 | 清談 佛々堂先生 服部真澄 |
(2014/06/23 22:39登録) これはまさに掘り出し物の逸品だ! 服部真澄氏と云えば国際謀略小説やコン・ゲーム小説、そしてビジネスの世界に焦点を当てたエンタテインメント小説のジャンヌ・ダルク的存在だが、古美術や骨董品の目利きとして名高い通称“佛々堂先生”が登場する連作短編集はそれまでの彼女の作風を180°覆す、日本情緒溢れる古式ゆかしい物語だ。 扱われる題材は日本画、和菓子、焼き物、和食に山守りと日本に昔から伝わる伝統の物や仕事。そしてそれらが抱える問題は先細りする産業であることだ。いい腕やセンスを持っているのにそれに気付かない製作者がいる、才能はあるのに一皮剥け切れない芸術家がいる、止むを得ない事情で店をたたまざるを得ない名店がある、 佛々堂先生はその本質を見極める目を持って、彼ら自身ではどうしようもできない見えない壁を突き抜けるお手伝いをする。ある意味再生の物語であると云えるだろう。 しかしこれほどまで作風がガラリと変わるものだろうか?作者名を知らずに読むと、例えば泡坂妻夫氏あたりの作品だと思う読者がいることだろう。 元々作者には海外を舞台にした作品が多いため、作品にはカタカナが多用されているが、本書ではそれらを封印するかの如く、漢字とひらがなで表記することで情緒やわびさびと云った粋な世界を感じさせる。 そして作者が本書のような作品を綴ったのには恐らく佛々堂先生が溢す言葉にもあるように、昔なら常識とされたことが世代間の伝達が途切れてしまったために、物事を知らない人が多すぎることに危機感を抱いたからだろう。私も実は年配の方が常識と思っていることを知らないことに気付かされ、失笑を買うことがある。日本人が古来、その知恵によって生み出した機能美を21世紀に残すため、伝えるためにこの作品を著したと私は思ってしまうのである。 氏の作品では約260ページと最も分量が少ないのに、実に濃厚で深みを感じさせる短編集。そして今まで服部作品で弱みとされていたキャラクターの薄さが本書の佛々堂先生で一気に払拭されてしまった。 作家服部真澄が扱う主題からストーリー、プロットを丹精込めて練り込んだそれこそ一級の工芸品のような物語の数々である。 正直に告白しよう。私は本書が服部作品の中で一番好きな作品である。既に手元にある続編を読むのが非常に愉しみだ。 |
No.1129 | 7点 | 泥棒はクロゼットのなか ローレンス・ブロック |
(2014/06/20 00:51登録) 泥棒探偵バーニイ・ローデンバーシリーズ2作目の本書でまたまたバーニイは泥棒に入った家で殺人事件に出くわしてしまう。 行きつけの歯科医クレイグ・シェルブレイクから突然頼まれた元妻クリスタルの所持する宝石類を盗み出してほしいという依頼を受けたバーニイはクリスタルが男漁りに外出している安心感からか、思わず長居をしたために(なんと1時間17分もの盗みに没頭していた)、当人が帰ってきたためにタイトルが示す通り、クロゼットに隠れて情事の最中に出くわし、更には殺人事件にも居合わせてしまうという何ともおかしな巻き込まれ方だ。 いやはや実に読ませる作品だ。典型的と云えば典型的、マンネリと云えばマンネリだが、それでも安心印で面白く読めるのがこのシリーズのいい所。 しかしそれでも本格ミステリの妙味がこの作品には溢れている。 特に今回はバーニイが被害者クリスタルの親しい人々を捜すのにマット・スカダーよろしく酒場のはしごをする件が非常に面白い。そしてそれが単なる作品のアクセントだけに留まらず、事件の裏に隠されたある犯罪とそれを仕組んだ謎の弁護士ジョンの判明に一役買うのだから、実に上手いではないか。 そしてバーニイが間抜けな強盗と化した、隠れたクロゼットに家主から鍵を掛けられ、出られなくなったことさえも、なぜ被害者がクロゼットに鍵を掛けたのかという理由が実に秀逸で久々に本格ミステリの持つサプライズを味わった思いがした。 こんな風にスラップスティックな調子なのに、そんな状況でさえ本格ミステリの妙味に変えてしまうシェフ、ローレンス・ブロックの腕前。なんて素晴らしいんだ。 さて今や絶版状態のこのシリーズ、今までブッ○オフなどで古本で買って読んでいたのだが、今回は電子書籍で読んでみた。 最初は使いにくさに戸惑ったが、慣れればさほど苦痛ではなかった。 でもでもやっぱり紙の本の方が読みやすいなぁ。 |
No.1128 | 10点 | 赤い指 東野圭吾 |
(2014/06/15 10:03登録) 人にとって家族とは何なのだろうか?そして人にとって死に際に何が胸に去来し、そして残された者たちはその人にしてやれる最良の事とは一体何なのだろうか? 『容疑者xの献身』で直木賞を受賞し、ミステリ界のみならず出版界全体の話題になった後の第1作目。それはもう1つのシリーズ、加賀刑事物の本書だった。そんな期待値の高い中で発表された作品はそれに十分応えた力作だ。 読む最中、様々な思いが頭を駆け巡る。まず本書が中学生による幼女殺害事件、即ち未成年による犯行だということだ。東野圭吾は未成年によって我が娘を蹂躙された上、殺害された父親の側からの復讐を描いた『さまよう刃』という何とも遣る瀬無い作品があるが、本書では逆に殺人を犯した未成年の息子をどうにか捜査の手から守ろうと奮闘する普通の家庭を描いている。但し東野氏は今回を同情の余地のある犯行とせず、犯罪者の直巳をあくまでどうしようもない身勝手な社会不適合者とし、さらにその愚息を守ろうとする母八重子も実に身勝手で自己中心的な人物として描き、読者に感情移入をさせない。 更に犯行隠蔽のために父昭夫が思いついたあるトリックは先の『容疑者xの献身』のそれの変奏曲と云える。 もしかしたら本書は『容疑者xの献身』の批判的な意見に対しての作者なりのアンサーノヴェルなのかもしれない。 しかし善悪や好き嫌いで単純に割り切れない、長年連れ添った縁という人生の蓄積が人の心にもたらす、当人しか解りえない深い愛情に似た感情を、東野氏は加賀の父親との関係を絡ませて見事に描き切った。 今までのシリーズで断片的に加賀と父親正隆の不和は加賀の若い頃にあった父の母親に対する仕打ちが原因だということは語られていたが、本書では松宮という正隆の甥でしかも同じ警察官の目を通じてその根が思いの外、深いように知らされる。しかし最後の最後で当人同士しか解りえない絆や理解を披露してくれたことで、この陰鬱な物語が実に心が晴れ渡るような読後感をもたらしてくれた。 こんなたった300ページの分量で、しかもどこにでもありそうな事件からどうしてこんなに深くて清々しい物語が紡ぎ出せるのか。東野圭吾はまだまだ止まらない。 |
No.1127 | 7点 | 黒い十字軍 アリステア・マクリーン |
(2014/06/12 22:00登録) イギリス情報部員ジョン・ベンタルが挑む潜入捜査。オーストラリアで起こっている技術者たちの謎の失踪事件をベンタル自身が燃料工学の専門家に扮して一連の事件の謎を探るという話だ。 舞台は南国の島国フィジー。ヤシの実に白い砂浜、肌を撫でる貿易風に揺られながらハンモックで昼寝をする。およそ諜報活動とは無縁の世界で繰り広げられるのは楽園に隠されたイギリスの秘密基地。しかも今回は男女の情報部員による任務ということでどこか007を思わせる設定だ。作者マクリーンも意識的なのか、偽装した夫婦として任務を課せられたマリーとベンタルが当初は反目し合いながらも次第にお互いを想いあうようになる。下手をすればハーレクインロマンスと見紛うかのような内容だ。 それもそのはずであとがきによれば本書はイアン・スチュアート名義で書かれた作品とのこと。つまり従来のマクリーン作品とは一線を画した舞台設定と登場人物を想定した作品なのだ。 そんなマクリーンの手によるスパイアクション小説はしかし突飛な小道具や秘密兵器といった物は一切出ず、ベンタルが次第に傷を負い、ボロボロの身体で満身創痍になりながらもどうにか新型兵器ダーク・クルーセイダーの持ち出しを阻止しようと奮闘する。主人公が何でも一流の腕でこなすスーパーマンのような男ではなく、敵と味方の反感を買いながら、自分が死ぬことなど厭わない不屈の心を持っているところがマクリーンらしい。 珍しく軽さを感じる文章でクイクイ読ませる作品だったが、結末はかなり苦いものだった。しかしこの読みやすさは今後もあってほしい。防諜機関の長である上司のレイン大佐を自らの手で射殺したイギリス情報部員ジョン・ベンタルの今後が描かれるのか、皆目見当つかないが、もう1作くらいなら彼が主役を務める作品を読んでみたいと思わせる、なかなかな作品だった。 |
No.1126 | 8点 | 無名戦士の神話 マイケル・バー=ゾウハー |
(2014/06/05 21:45登録) 1984年5月28日、アーリントン国立墓地にヴェトナム戦争無名戦士の葬儀が当時のレーガン大統領の弔辞を伴って行われた。マイケル・バー=ゾウハーが選んだ本書の題材はこの史実に基づく無名戦士の身元を探る物語である。 しかしそこはバー=ゾウハー、単に身元不明の遺体の正体を探るだけの話にはしない。その遺体に残された弾丸と手榴弾がアメリカ製であるという仕掛けを施す。つまりこの兵士が味方に殺されたのではないかというスキャンダラスな謎を放り込む。 謎の解明に当たるウォルト・メレディスの前に立ち塞がるのが無名戦士が所属していた元第37連隊々員だったスティーヴ・レイニー。ある時は先回りして同士に連絡して協力しないように手を回し、中には既に自らの手でその命を奪った同胞もいる。それほどまでにして隠す無名戦士の死とは一体どんなスキャンダルなのかと俄然興味が増してくる。 しかしこの真相は実に微妙だ。何が正義で何が悪なのか?敵と味方に別れて大量の殺戮を行う戦争という特殊状況の中では我々が日常的に持っている倫理観は通用しないのだ。 今なおヴェトナム戦争については語られることが多い。特にデミルはライフワークとしているようにも感じられる。そのどれもが異口同音に語るのが初めてアメリカが正義ではなくなった戦争だということだ。そんな無益な戦争で犠牲になった兵士たちが人間性を喪い、狂気に駆られてもはや普通の生活さえも送れなくなった戦争の惨たらしさが本書でも書かれているが、それは本当に人間のやることなのかと背筋に寒気が起きるようなことばかりだ。そんな戦争だったからこそ無名で死ぬようなことはあってはならない。無名戦士の名を明らかにすることはすなわち兵士を一人の人間として尊厳を取り戻すことに繋がるのだ。 しかし、だ。本書を読んだ後では事はそう簡単ではないことに気付かされた。無名戦士を葬ることでまだ還らぬ夫や息子、父親の入れ子として弔うことが出来るのも確かだ。そして何よりももはや人間であることさえも喪失してしまったあの戦争の真実を晴らすことは場合によっては残された遺族の尊厳をも汚辱にまみれさせることをバー=ゾウハーは本書の結末で痛烈に突き付けた。 本書には戦争が決して英雄的行為ではなく、人間が生んだこの世で一番愚かな行為であることを示してくれた。従って英雄などいないのだ。そこにあるのは戦争を美化するための神話や伝説があるだけだ。真実は常にそんな美談とは対極の位置にある、バー=ゾウハーは静かに我々に教えてくれた。 ミステリ以上の味わいをまたもやもたらしてくれた。しかし今回は殊の外、考えさせられ、苦かった。 |
No.1125 | 7点 | NOS4A2―ノスフェラトゥ― ジョー・ヒル |
(2014/05/31 14:36登録) 常に我々の想像を超える世界を見せてくれるジョー・ヒルが今回描いた世界は特殊能力者たちの世界。主人公ヴィクは自転車に乗って近道橋を渡り、失った物を取り戻す能力を持つ。彼女の宿敵となるのは「NOS4A2」、ノスフェラトゥ、つまり吸血鬼の名をナンバープレートに冠するロールスロイス・レイスを駆り、子供たちを自分の世界<クリスマスランド>へさらう連続誘拐魔チャールズ・タレント・マンクスⅢ世。 しかし本書は単純な対決の物語に作者はしなかった。ヴィクとチャールズ・マンクスとの戦いはなんと数十年にも及ぶのだ。1986年に能力が発現したヴィクが初めてチャールズと対峙したのは1990年。そこから現代に至る約四半世紀もの間、2人の戦いは続く。そしてその戦いはヴィクの息子ブルース・ウェインをも巻き込み、ヴィクは母親としてチャールズ・マンクスと対峙するのだ。 いつもそうだが、ジョー・ヒルの描く物語の主人公は決して聖人君子のような素晴らしい人間でもなく、また愛すべき人柄を備えた人物ではない。 しかしどんなに破綻しているように見えながらも、それぞれの家族も子供を愛する気持ちは強く持っていることをこの物語は強く訴える。 子供を平気で虐待し、または自分の好きなことをするために育児放棄する親の許にいるよりは、毎日がクリスマスである、自分の夢想が創り上げた<クリスマスランド>にいて、楽しく過ごす方が子供たちにとってはいいではないかと子供たちをさらうチャールズ・マンクスは腐った現代社会において闇の救世主のように映る。しかしダメな親であっても子を愛する気持ちはかけがえのない物だと必死にマンクスの魔手から我が子ブルースを救おうと奮闘するヴィクとルーの姿は喪われつつある親子の絆の深さの象徴だ。他者から見れば不幸としか映らない家庭環境が実は当人たちにとってはそれもまた幸せの1つの形なのであることを投げかける。 瀕死の重傷を負いつつも、鋼鉄の馬トライアンフを駈るヴィクの姿は物語の前半に出てくる昔のアメリカドラマ、「ナイトライダー」の主人公マイケル・ナイトのようなヒーローのようだ。まさに女だてらの「Knight Rider」ではないか!手負いの母親ほど手強いものはない。母の愛こそ最強の武器なのだ。 しかしそれでも上下巻合わせて1,120ページもの分量が必要だったのかは甚だ疑問だ。300ページくらいは余裕で削れるのではないだろうか。抜群の奇想とそれを物にする技量はあるものの、長編小説となると妙に饒舌になるヒルは率直に云って短編向きのような気がする。作品を重ねるにつれ、長大化が進むヒルだが、向こうのエージェントならびに出版社はヒルにもっと文章を削ぎ落とすようアドバイスすべきではないだろうか? この長さがなければ手放しで傑作と太鼓判を押そう。それほどまでに爽快な読後感を抱かせてくれる物語なのだから。 |
No.1124 | 7点 | エル・ドラド 服部真澄 |
(2014/05/17 23:35登録) 服部真澄は常に時代を先行する。数々の時代を先取りしたセンセーショナルな題材を扱ってきた彼女が本書でテーマに挙げたのはもはや世界的に巨大な産業へと発展したアグリビジネスの実態だ。 物語は3本の柱で構成される。 1つは蓮尾の親友であった少年アダムが焼死したシングルトン一家放火殺人事件の謎。 もう1つは時代の寵児と呼ばれる科学ジャーナリスト、レックス・ウォルシュが一大センセーションを巻き起こすであろうと思われる次作を巡っての謎。 最後の1つは世界のワイン事情を左右すると云われているワイン・ジャーナリスト、シリル・ドランの新作の訳出を巡る物語。 これら3つの物語は1つの大きな軸に収束していく。それは世界の農業事業を牛耳る巨大コングロマリット「ジェネアグリ」の存在だ。そしてそのジェネアグリが率先して開発しているのが遺伝子組み換え作物、GMOと呼ばれるキメラ作物だ。 真相は今までの服部作品を読んでいれば想像するに難くはない。服部氏にとってアメリカという巨大な鷲は恐るべき存在なのだろう。デビュー作『龍の契り』からアメリカが香港返還に絡むところから始まり、その後の『鷲の驕り』、『ディール・メイカー』とアメリカが世界を牛耳ろうと画策しようと企む構造を一貫して描いてきている。圧倒的な取材力で世界の最先端技術をテーマに作品を綴ってきた服部氏が取材過程で目の当たりにした光景なのか、それは定かではないが、アメリカという国が持つ底知れぬ恐ろしさを知るがゆえに同国が与える世界への脅威は氏にとって決して離れる事の出来ないテーマなのかもしれない。 ただ人物造形はいつものように浅く、この浅さこそが服部作品の弱点だと私は考える。真相が明らかになるにつれ、さらにその奥に隠された真相が一枚一枚、ヴェールを剥がされるように明らかになり、やがて与えられていた真相はひっくり返り、正義が悪に、悪は道化師に、囮に、と価値観が覆される物語構成は一級のスパイ小説、エスピオナージュを髣髴とさせるのだが、そんな重層的なストーリーを引っ張る強烈なキャラクターが氏の作品にいないのも事実。それについては今後の服部作品に期待しよう。 アジアへの利権、特許、IT産業にアニメ産業、さらにアグリビジネスへと様々な分野で世界市場を乗っ取ろうと知恵を絞るアメリカ。これら服部作品に書かれている事象はそう遠くない未来に起こりうるであろうアメリカによる世界経済侵略なのかもしれない。次は我々に服部氏はどのような衝撃を与えてくれるのか。グローバリゼーションという明るい価値観の影に咲く仇花をまたその筆で描いてくれることを楽しみにしていよう。 |
No.1123 | 8点 | 八百万の死にざま ローレンス・ブロック |
(2014/05/08 19:42登録) 本書こそローレンス・ブロックという作家の名を世に知らしめ、そしてマット・スカダーシリーズを一躍人気シリーズにした作品だ。私立探偵小説大賞受賞作。 作中、市井の事件がマットが毎朝読む新聞の記事から挙げられる。それはどれもが奇妙な諍いの記事。どこかで誰かが誰かを傷つけ、また争っており、そこに死が刻まれている。キムの事件を担当する刑事ジョー・ダーキンと酒場でお互いが見聞きしたそれらの事件を挙げ合う。そして最後にジョーは昔あったTV番組を挙げる。“裸の町には八百万の物語があります。これはそのひとつにすぎないのです”それは警官たちにとっては八百万の死にざまがあるだけなのだという言葉で締め括られる。 その後マットはその言葉を意識し出す。新聞を読むたびに出くわす不条理とも云える死にざま。単なる比喩としか思えない八百万もの死にざまは、マットの中で本当にそれだけの死にざまがあるのではないかと思えてくる。そんな八百万の死にざまのうち、マットが扱うのはキムの死は1つにしか過ぎない。八百万のうちの1つにしか過ぎないのだが、その1つは自分にとって途轍もなく大きな意味を持っているのだ。 また本書では今までのシリーズと違うことが2つある。 1つは今までの事件は過去に起きた事件を掘り起こすことがマットの依頼だったのに対し、今回の事件は進行形で起きることだ。依頼人だったキムの死から始まり、彼女のヒモ、チャンスが抱える街娼の1人サニー・ヘンドリックスの死、そしてクッキーと云う名のオカマの街娼の死と続く。連続殺人鬼を扱いながら過去の事件を題材にしたのが前作『暗闇にひと突き』なら、本書では連続殺人事件そのものをマットが扱う。前作が静ならば本作は動の物語であると云えよう。 もう1つは上にも書いたが本書では前作『暗闇にひと突き』で登場したジャン・キーンが登場することだ。今までのシリーズでは警官のエディ・コーラーを除く全ての登場人物がスカダーにとって行きずりの人々だったが、このジャンは初めてスカダーの心に巣食う忘れえぬ人物として刻まれている。そしてスカダーは本書で初めて禁酒を行うが、ある時暴漢に襲われ、過剰な暴力で撃退し、酒にまた救いを求めようとする。しかし以前酒に飲まれた彼はそれを心の底から怖れるのだ。そして彼が見出した唯一の救いの光がジャンになる。 このシリーズに広がりが生まれた瞬間だ。 自分の依頼人だったコールガールの死から始まった一連の殺人事件の物語は最後の一行に至り、これは実はマットの自分との闘いの物語だというのが解る。 今までこのシリーズ1冊に費やされたページ数は270ページほどだったが、本書は480ページ以上にもなる。つまりマットが自分の弱さに向き合うのにそれだけの物語が必要だったのだ。 正直私はこの最後の一行がなければ評価は他の作品同様7点のままだった。しかしこの最後の一行で物語の真の姿とマットが抱えた苦悩の深さが全て腑に落ちてきたことで一つ上のランクに上がってしまった。 自分の弱さを認めたマットは無関心都市ニューヨークの片隅で起きる事件に今後どのように関わっていくのか。今まで人生の諦観で自分を頼る人たちに便宜を図っていた彼が自分の弱さと向き合いながら事件とどのように向き合うのか。さらに評価が高まっていくこのシリーズを読むのが楽しみで仕方がない。 |
No.1122 | 6点 | 恐怖の関門 アリステア・マクリーン |
(2014/04/29 00:55登録) マクリーン5作目の作品はなんとある犯罪者が巻き込まれる数奇な運命を語った話だ。 主人公のジョン・タルボはサルベージ会社を転々とし、そこで引き上げた財宝を盗んだり、または宝石泥棒と組んでダイヤモンドを盗んだりと悪行の限りを尽くした男が警察の追跡から逃げまくる逃亡劇が始まるかと思いきや、それは100ページほどで終わりをつげ、次は海底油田の採掘ステーションへの侵入劇、そしてヴァイランドと云う悪党によって潜水艦の技師として雇われ、ある仕事を頼まれる。 とまあ、このように実に先が読めない事極まりない物語が読者の眼前で繰り広げられる。 しかもその行動の真意が明らかにされないまま物語が進行するため、読者はタルボが何をしようとしているのかが解らない。とにかく読んでいて実に気持ちが悪い物語展開なのだ。 これほど靄の掛かったままで進む小説も珍しい。本格ミステリならば殺人の犯人や殺害方法、動機など不明なままで物語は進行するが、それはそれを突き止めるための物語であるから、逆に云えば目的がはっきりしているのだが、本書においては主人公のタルボを筆頭に、彼に依頼をするラスヴェン将軍の仕事の内容も不明で、ヴァイランド一味の目的も不明で何が目的なのかがはっきりせず、焦点が絞れずに進行するため、実にもどかしい思いをしながらページを繰らなければならなかった。 そしてそれら物語の靄は最終章、タルボの口から明かされる。 専門家と見紛うような石油採掘ステーションの技術的な説明と描写はマクリーンの専売特許とも云うべき精緻かつ精密で作家が付け焼刃的に浅く薄く専門書を読んで物語に挟み込んだような代物ではない。そこは認めるものの、本書における作者の企みは決して効果的なサプライズを生んでいるとは云えない。プロローグで起きた事件が物語の布石であることは容易に知れるものの、そこから展開する物語は焦点が掴みにくく、さらに殺人犯として知らされる主人公タルボの不可解な行動の数々には上で書いたようにとにかくどこへ進むのかがはっきりとせず、終始やきもきさせられた。 私はある明確な目的に向けて登場人物が生死の境で苦しみながらも前に進もうとする極限状態での苦闘を描き、その中で挟まれる意外な人間関係や本性がサプライズとして有機的に働くことで生まれる心震わせる人間ドラマこそがマクリーンの真骨頂だと思うが、物語全体を仕掛けにするという器用な創作は似つかわしいと本書を読んで思ってしまった。 |
No.1121 | 7点 | 2014本格ミステリ・ベスト10 雑誌、年間ベスト、定期刊行物 |
(2014/04/23 19:34登録) 正直本家の『このミス』よりも読むのが楽しみなのが本書。なんせミステリのディープな部分に踏み込んだその年のジャンル別の傾向や評論が楽しくて仕方がないからだ(なのにこれが初の感想だなんて、意外なのだが)。 さて早速ランキングだが、麻耶雄高強し!今年は『貴族探偵対女探偵』で1位を獲得。短編集が1位を獲得するのは難しいと云われているが、麻耶氏にはそんなジンクスも関係なかったようだ(そういえば『このミス』の1位も短編集だった)。もはや出せば1位の感もある麻耶氏。それだけ新作を待っているファンが多いと云う事だろう。 続く2位は驚きの新人、青崎有吾の『水族館の殺人』がランクイン。2作目で2位へと大躍進だ。正直読む気は全く起きないのだが、現代のクイーンの衣鉢を継ぐと云われているだけのことはあるのか。3位はこれまた驚異の新人梓崎優がランクイン。こっちは大いに読む気あり。しかし人生初の長編でこのランクとは天才とは本当にいるだと思った次第。4,5位は法月作品が続けてランクイン。『このミス』でも1位になったし、世のミステリファンは法月の新作を待っていると云っても過言ではないようだ。人気と内容が伴っているかが気になるのだが。 5位以下は『このミス』でもランクインした作品がランクインしている。小林泰三の『アリス殺し』、歌野氏の『コモリと子守り』、島田氏の『星籠の海』、米澤氏の『リカーシブル』が続く。ここまで見ると『このミス』が本格ミステリ寄りにますますなっているのが解るが、11位以下はガラリと変わって、本ムックならではのランキングだ。 その中でも霞氏の『落日のコンドル』が入ったのは喜ばしい。あとはこのランキングで初めて目にした作品群―古野まほろ氏の『パダム・パダム』、深木章子氏の『螺旋の底』、森川智喜氏の『スノーホワイト』、etc―が並び、これぞ本ミス!といった感じか。 毎年の如く、くどく云っているが、その甲斐なく今年も海外ミステリの扱いは例年同様のスペースだった。翻訳ミステリー大賞シンジケートなどのWEBでの活性化や各地で行われている読書会が最近海外ミステリが多いのにも関わらず、この扱いの変わりのなさが本ムックで唯一残念な点だ。この海外ミステリの扱いが変わらない限り、本書の評価も変わらないのだが。 しかし今年は総じてパワーダウンの感は否めない。逆に『このミス』に幻の名作ミステリベストテンという好企画があっただけに余計に感じてしまった。 |
No.1120 | 7点 | 白戸修の事件簿 大倉崇裕 |
(2014/04/22 22:57登録) 平凡な学生白戸修が巻き込まれるのはスリにステ看貼りに銀行強盗、そしてストーカー被害に最後は万引き。軽犯罪だけでなく命に係わる事件にも巻き込まれる受難男。 しかもここに収められた5つの事件は就職先も決まり、大学卒業を目前に控えた最後の単位取得の試験の時期、その1月後、そして卒業式も終わって入社式を迎える猶予期間、入社式前日までの大学生活最後の年の後半に起こっており、白戸修はこの短期間でドミノ倒しの如く次々と事件に巻き込まれていくという濃密な数ヶ月を送っている。しかもそのいずれも中野駅界隈であるのが面白い。作者は中野駅にどんな恨み(?)があるのだろうか。 物語の最初はいつも頼みごとを断りきれない気の弱いお人よしの青年という、いささか頼りない男と映る白戸修が、物語の最後ではそのお人よしぶりがこの上ない善人になり、稀に見る好青年となって読者の心に印象づけられていき、どの作品も読後は爽やかな涼風が心に吹く思いを抱かせる。 個人的ベストは「ツール&ストール」、「サインペインター」、「ショップリフター」の3編。「ツール&ストール」と「ショップリフター」は姉妹編とも云うべき好編でそれぞれスリと万引きと云う軽犯罪を扱っており、その手口のヴァリエーションも紹介され、その奥の深さに唸らされるが、最後に明らかになる事件全体に仕掛けられたトリックが判明するところは久々に不意打ちを食らった感があった。「サインペインター」は単なる巻き込まれ騒動の1編と思わせつつ、実は意外な謎が隠されていたという読者がその真相を探るのがほとんど不可能な構成の妙を買う。ホント、何が謎なのか全く解らなかった。 とはいえ、まだまだ特色のあるシリーズとはこの段階では云い難い。逆に最後の短編でシリーズキャラクターとなりそうな人物が再登場した事でこれからシリーズとしての奥行きと幅が出てきそうな予感がする。 次回からは出版社に就職した社会人として白戸修がまたもや事件に巻き込まれていくことになるのだろうが、どんな形で事件に関わるのか暖かい眼で見守ってやりたい。白戸修にはそんな魅力がある。 |
No.1119 | 7点 | 暗闇にひと突き ローレンス・ブロック |
(2014/04/19 20:57登録) シリーズ4作目の本書ではスカダーは彼が警官時代に担当した連続殺人事件の被害者の真犯人を捜そうとする。それは彼の過去との対峙でもあった。 アイスピックを使って女性ばかりを襲う連続殺人魔。8人もの犠牲者が出た後、ぱったりと事件は沈静化する。それは当の犯人が長期強制入院させられていたからだった。そして9年後の今、その犯人が捕まり、解った事実が8人の犠牲者のうち、その1人バーバラ・エッティンガーは自分が殺したのではないということ。その父親は彼女を殺した真犯人捜しを当時警官で事件を担当していたマットに依頼するというのが今回の話だ。 しかし連続殺人犯をテーマに扱いながら、ブロックはなんとも地味に物語を展開させるのだろう。通常ならば連続殺人犯による犯行がリアルタイムで起きている状況下で物語を紡ぐことだろう。その方がサスペンスも盛り上がるし、また何より物語に起伏も出る。 しかし敢えてブロックはそれをある女性の過去の殺人の真相を探るモチーフとして扱うだけに留めるのだ。しかも連続殺人事件は9年も前の事件にして。従って物語は数少ない当時を知る人を探り当てるところから始まり、また当時を知る者も既に記憶が曖昧になって実に心許ない。つまり読者は過去を探るスカダーと共に何とも手ごたえの感じない捜査の一部始終を体験するのだ。 なにゆえこのような展開をブロックは選んだのか。やはりそれがスカダーの向き合う仕事に相応しいからだということだろう。連続殺人犯と云う敵と戦うマットはどうしても武闘派にならざるを得ないが、マットにはそんなポジティブな行為は似合わず、過去の疵を抱いて時々自分に仕事を頼む人から少しばかりの報酬を貰ってその日暮らしの生活をする、人生の落伍者には過去を辿る行為こそがお似合いなのだろう。 前作でも抱いたのはなぜスカダーは敢えて寝た子を起こすような行為をするのかということだ。しかしその疑問について私はある一つの答えを得たような気がした。それは自身が抱える過去の闇を忘れずに酒に溺れ、半ば死んでいるような日々を送っているからこそ、過去を忘れ去ろうとする人々が許せないのだろう。 しかし過去を抱えて今を生きるマットの生き方は決して誉められたものではない。『一ドル銀貨の遺言』では過去の過ちを消し去ろうと努力し、それぞれが成功を収めている人々がいる。過去を抱え、定職にすらつこうとしない男と過去を消し、いまを生きようとする人々。この二律背反な構図は決してスカダーが真っ当な人間ではないことを指す。 しかしこれこそが正義を貫くことの代償なのだろう。正しいことをすることは何かを捨てる事なのだとブロックはスカダーで表しているのかもしれない。 このマット・スカダーの物語は上昇志向の人々にはそぐわないものだろう。誰でも失敗はするし、それを糧にして今をもっと頑張ろうと生きる。マットの生き様はそんな前向きの生き方とは真逆なものだ。 原題は“A Stab In The Dark”。Stabという単語には「突き刺すこと」という意味以外に「人の心を傷つける事」という意味も持つ。暗闇にひと突き。暗闇は9年前の事件のことを指す。すなわち忘れ去られようとする過去でもある。その暗闇を突き、人の心を傷つけたのはマットその人であった。すなわちこの題名は過去を掘り起こすマットのことを指しているのだ。読後に立ち上るもう1つの意味。実に上手い題名だ。 |
No.1118 | 10点 | 容疑者Xの献身 東野圭吾 |
(2014/04/15 23:05登録) 人生を変えた1冊とは通常読み手が出逢った本の事を差すが、東野圭吾は本書を著すことで長年逃していた直木賞に輝き、一躍ベストセラー作家に躍り出て人生を変えた。そしてまたそれまで東野作品の読者ではなかった私が彼の作品を読むことを決めたのもこの作品だった。 短編集で始まった探偵ガリレオシリーズは人智を超える超自然現象としか思えない事件を現代科学の知識と理論で湯川学が解き明かすというのがそれまでの作品の趣向だったが、初の長編では湯川に匹敵する天才をぶつけ、一騎打ちの構図を見せる。天才科学者と天才数学者の戦い。論理的思考を駆使する男とこの世の理を知る男。最強の矛と最強の盾の戦いはどちらに軍配が上がるのか。 しかしこの戦いは非常に哀しい。それは湯川が唯一天才と認めた石神と再会した時の語らいが実に濃密であるからだ。このシーンがあるからこそ2人の先にある運命の悲劇を一層引き立てる。 しかしなんという、なんという献身だ。正直今まで愛する人のために自らを捧げる献身の物語は東野作品にはあった。『パラレルワールド・ラブストーリー』に『白夜行』、これらを読んだ時もなんという献身なのかと思った。そしてそんな献身の物語を紡ぎながらも敢えて「献身」の名をタイトルに冠したこの作品の献身とはいかなるものかと思ったが、そのすさまじさに絶句してしまった。 そもそもは素行の悪い元夫から逃れるために起こした殺人事件が端を発した哀しい事件。事件そのものは靖子が富樫と云う男と結婚したことから始まったのかもしれない。東野氏は一度誤った人生は容易に取り戻せないと諸作品で語るが、本書もその1つである。 しかしこれほど哀しい物語に対して本書が本格ミステリが否かという一大論争が起きたことが実に馬鹿馬鹿しい。本書は推理小説なのだ。それ以下でも以上でもないではないか。暇人だけがジャンル分けに勤しんでいる。もっとこの作品を超えるような作品を切磋琢磨して世のミステリ作家は生み出してほしいものだ。それが作家としての本分だろう。 |