皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
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Tetchyさん |
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平均点: 6.74点 | 書評数: 1617件 |
No.1217 | 7点 | 数奇にして模型- 森博嗣 | 2015/11/03 00:24 |
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S&Mシリーズ9作目の本書ではこのシリーズの原点回帰とも云える密室殺人事件を扱っている。しかも同時に2つの密室殺人が離れた場所で起こるが、どちらも容疑者は同一人物だったという、魅力的な謎をいきなり提示してくれる。
本書で特徴的なのは『幻惑の死と使途』以降付されていなかった登場人物表が復活していることだ。『幻惑の死と使途』、『夏のレプリカ』、『今はもうない』は登場人物表を付けられない、凝った構成の作品だったからだが、本書でそれが復活しているということはつまり原点回帰的な密室殺人ミステリであることを意味している。 さて本書では森氏の趣味がある意味横溢していると云っていいだろう。まず事件の舞台となるのが模型作品展示・交換会、つまりモデラー達の集いである。作者自身がかなり本格的な鉄道模型マニアであることから、これは満を持してのテーマだったと思われる。そのためか登場人物が模型やフィギュアに対する哲学を語るシーンがそこここに挟まれており、それらは作者自身の考え・意見であると窺える。 そしてもう1つ特徴的なのはコスプレイヤーも登場するところだ。モデラー達よりもその色合いは薄いものの、本書では西之園萌絵がコスプレしているところに注目されたい。まずは上記の展示会でのオリジナルキャラクターのコスプレに、事件の容疑者寺林に話を聞くために彼が入院している病院の看護婦に成りすまして潜入する。コスプレマニアにとってはある意味萌え要素が盛り込まれており、やはり西之園萌絵の名の由来はオタクやマニアにとって馴染みの“萌え”から来ているのかと思わず勘ぐってしまった。 もう少し云えば、本書の章題に注目したい。「土曜日はファンタジィ」、「日曜日はクレイジィ」、「月曜日はメランコリィ」とラノベ的な軽さを持っており、これもオタク要素を盛り立てている。本書の題名に隠されたもう1つの意味、「数奇にして模型」≒「好きにしてもOK」の如く、森氏は奔放に本書で遊んでいるようだ。 真相を知ると至極面倒な手続きを踏んだ事件だったと云える。正直「夜はそんなに長いか?」と疑わずにいられない。この真相のバランスの悪さがカタルシスを感じさせないのが残念だ。 初登場の萌絵の従兄、大御坊安朋もまた実にエキゾチックなキャラクターである。妾の子という暗い生い立ちにありながら作家にして女装家でオネエ言葉を連発する、1998年と今から17年前の発表当時では実に濃くて生理的に受け付けない人物であっただろうが、オネエタレントが芸能界を闊歩する今では免疫が出来て寧ろ魅力的に映った。 またこのシリーズのもはや特徴となっているが、殺人を犯すことの動機の浅薄さ、不可解さは逆にネット社会で人とのコミュニケーションがリアルよりも電脳領域での比率がかなり高くなっている現在の方が実に解りやすくなっている。モデラーとして優れた作品を、理想とする作品を作りたい願望が尖鋭化しすぎて、もはや人の死すら自身の材料としか見えなくなったこと、そしてその趣味に没頭したいが故に邪魔となる存在を排除したという実に端的な動機は現代社会の人間関係の希薄さが問題視されている今だからこそ腑に落ちる。 そして9作目にして初めて犀川は犯人と対決する。犯人の毒牙に落ちようとする萌絵を救うため、身体を張って彼女を護り、怪我を負う。ドライでクールなミステリだったシリーズがホットでフィジカルな色を帯びて正直驚いた。 唯一変わらないのは西之園萌絵に対する嫌悪感である。本書でも彼女は我儘で傍若無人、傲岸不遜であった。萌絵と私には決して近づくことができない斥力が働いていると認識しよう。いやはや身の回りにいなくてよかった。 |
No.1216 | 7点 | 本格ミステリ・クロニクル300- 事典・ガイド | 2015/11/01 20:41 |
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2000年代の10年間の本格ミステリシーンを振り返ったガイドブック『本格ミステリ・ディケイド300』の前身となったのが本書。1987年から2002年の足掛け16年間の本格ミステリシーンを振り返っている。この中途半端な年代の意味はいわゆる新本格という新たな本格ミステリのムーヴメントが生まれた年、即ち綾辻行人が『十角館の殺人』でデビューした1987年から15周年経ったことを示している。綾辻以後の本格ミステリの発展と変容をつぶさに追っており、資料的にも実に興味深い内容となっている。
綾辻登場から新本格1期生と云われる法月綸太郎、歌野晶午、我孫子武丸に東京創元社からデビューしたもう1つの新本格の書き手、有栖川有栖と日常の謎という新たなジャンルをもたらした北村薫の登場、後を追うかの如く登場した二階堂黎人に京極夏彦と森博嗣の鮮烈なデビュー、そして巻末の評論に笠井潔に「脱格系」と称された佐藤友哉に浦賀和宏、西尾維新と作家の名前を挙げるだけで本格ミステリがその15年で辿った変容が解るのが興味深い。それらの激しい変容はまるでそれまでになかった新製品が世に出て急激に発展していくような右肩上がりの進化を見ているようだ。例えばテレビが発売され、白黒からカラーになり、そしてブラウン管から液晶へ、さらにアナログ放送からデジタル放送へと急激に変わっていったように。 そしてそれらのムーヴメントでは必ず多くの才能が結集するのだが、中には急激に大量化した作家群、作品群の中に一定のレベルにありながらもあまりにも迅い流れに追いつけず、埋没していった作家たちも数多いる。本書でもそれらの作家の作品が挙がっており、実に感慨深いものを感じた。 本書の内容は私の読書遍歴と当時のミステリシーンを追想するような形で読んだ。まず浮かんだ正直な感想は、「非常に懐かしい」だった。昔読んだ作品を改めてその存在意義と本格ミステリにおける価値を批評的に読むことで新たな知見を得ることもしばしばであった。 本書が刊行されたのは2002年で今なお文庫化されていない。このようなガイドブックは歴史的資料として非常に価値があるだけに、絶版化されることが運命づけられている単行本でしか刊行されていないのは非常にもったいない。そして刊行から13年経った今なお読んでもその内容には時代錯誤的な認識がなく、今に続く本格ミステリに通ずる源流を読み取ることができる(笠井氏の脱格・破格の名称はさすがに死語だと思ったが)。 早川書房から24年ぶりに海外ミステリ・ハンドブックやSFハンドブック、スパイ・冒険小説ハンドブックが新たに刊行されたり、マストリード100シリーズとして色んな趣向でミステリのガイドブックが刊行されたりとなぜか最近はガイドブック刊行が喧しい。そんな今だからこそ本書もまた文庫化されてはいかがだろうか。 しかし1990年の時点で既に積読本があることにショックを受けてしまった。ホント私の積読本は死ぬまでに捌けきれるのだろうか。それが一番の問題だ。 |
No.1215 | 7点 | 双生児- クリストファー・プリースト | 2015/10/19 01:42 |
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SF作家のプリーストが今回取り上げたテーマは第2次大戦時代を扱った改変歴史物語。J・L・ソウヤーと云う名の双子の奇妙な人生譚だ。
第2次大戦時の英国首相として有名なチャーチルの手記が言及する良心的兵役拒否者でありながら現役の英空軍爆撃機操縦士という相矛盾する価値観を内包するソウヤーと云う人物の正体は同じイニシャルを持つジャックとジョウゼフのJ・L・ソウヤーと云う全く同じイニシャルを持つ双子のそれぞれの来歴が混同されたことだったと判明する。戦争の混乱期にありがちな間違いであるのだが、プリーストの語りならぬ騙りはそんな定型に陥らない。 まずJLとジョーという同じJ・L・ソウヤーという名前の双子が片や英国軍の軍人の道を、一方は兵役拒否者として赤十字で働く道を選んだそれぞれの人生が手記や記事の抜粋などの様々な形式で語られる。 メインとなるのが戦争ドキュメント作家スチュワート・グラットンが興味を示したチャーチル直属の副官となったほとんど無名のソウヤーなる人物で、それが読者の1人が自身のサイン会に持参した手記によってJ・L・ソウヤー大佐であることが高い確率で確認される。 しかしそこに書かれている内容と関係者の証言や手記とは異なる事実が判明してくる。 これらの記述は様々な人物による手記や著作、記事の抜粋によって構成されている。これが全て“信頼できる語り手”であるか否かは不明であり、それらによって物語が進んでいることに留意されたい。従って前に書かれた内容が新たな事実によって否定され、物語のアイデンティティが揺らいでいく。 これは夢か現か妄想か?この足元が揺らぐ感覚はまさにプリースト作品ならではのものだ。 とにかく読書中は付箋だらけになってしまった。しかしそれこそが本書を読み解くのに必要な作法であることは物語の最後に気付かされる。上に書いたように2人のソウヤーの手記の内容は異なり、さらには挿入される様々な記事や手記においてもまた辻褄が合わないことが多々書かれているため、前に書かれた文章を行きつ戻りつしながら補完していくことが必要なのだ。しかしそれがまた物語の、いや本書で語られる歴史の真実を揺るがせることになるのだから侮れない。 さて誰が嘘をつき、誰が真実を語っているのだろう?いやもはや事実の受け取り方はその者に与えられた情報や体験によって構成されるが故に、純然たる真実はあり得ないのか。 一見ストレートな物語と見せかけて読み返すと様々な語り―騙り?―が散りばめられていることに気付かされるという実に複雑な構成を持っていることに気付かされる。全くプリーストは相変わらず一筋縄ではいかない作家だと思いを新たにした。 この複雑な物語を解き明かす一つの解釈として巻末の大森望氏の解説に書かれた緻密な説明は必読。ホント、この作品には解説本が必要だ。 |
No.1214 | 8点 | 真夏の方程式- 東野圭吾 | 2015/10/10 00:50 |
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帝都大学の研究室を離れて、警視庁の管轄外での事件ということで定型通りに草薙と内海から事件の捜査を依頼されるわけではない。草薙が登場するのは100ページを過ぎた辺りとシリーズの中で最も遅い。つまり本書では湯川が出張先で草薙達に先んじて事件に出くわす、変則的な構成を取っている。しかも草薙と内海は東京で湯川の援護射撃をするのみ。最終的に2人が合流するのが全460ページ中396ページと最後の辺りとシリーズの定型を崩しているのが興味深い。
さらに本書はある意味、シリーズの約束事を裏切ることで成り立っていると云える。 まず今回のパートナーが柄崎恭平という少年であることが驚きだ。シリーズ当初の短編で湯川は自身が子供嫌いであることを公言しているが、本書では電車で伯母夫婦の許に向かう恭平が湯川に助けられることが発端となっている。子供嫌いの人物ならば恐らく子供が困っていても無視するだろうと思われるのでこの展開は実に意外だった。 そして最も私が驚いたのは湯川が今回事件の捜査に自発的に関わっていることだ。特に旅先で知り合った柄崎恭平と云う少年から事件のことを知らされると自ら遺体発見現場に案内してくれと申し出る場面では面喰ってしまった。事件に携わることで親友とかつての恩師に手錠をかけるようになってしまった湯川が再び草薙そして内海に協力していく経緯は『ガリレオの苦悩』や『聖女の救済』で語られているが、しかしそれでも湯川は事件が起きた直後は捜査協力に後ろ向きであった。しかし今回は上に書いたように自ら申し出るようになる。 子供嫌いの男性で警察の捜査に興味を示さない男が本書では全く逆の姿勢を見せている。シリーズの基盤が揺さぶられるような展開だ。 最先端科学を売りにした探偵ガリレオシリーズだが、長編になると科学よりも、事件に関わった人たちが表面に見せない、人と人の間に起きた齟齬から生じる奇妙な縺れを探ることに主眼が置かれている。純粋な左脳ミステリであるこのシリーズが長編では右脳ミステリになるのだ。 これは誰にしもあり得る過去のひと時の過ちがきっかけとなった事件。 それぞれがごく普通の日常を護ろうとした。しかし過去の過ちはそれを崩そうと彼らを苛むように忘れた頃に訪れる。彼らにとって忘れたい忌まわしい過去が、いやもしくはそっと胸に潜めておきたい儚い恋の想い出が歪な形で追いかけてくるような思いがしたことだろう。そしてそんな過去から日常を護るにはもはや殺人と云う最悪の非日常に身を落とすしかなかった。しかしそれが負の連鎖の始まりだった。普通の生活を続けようとするのが斯くも難しいのか。これが人生の綾なのだろうか。 まさに期待通りの作品だった。湯川が解いた真夏の方程式は実に哀しい解を導いた。しかしその解ゆえに湯川はまたより魅力的に変わる事だろう。シリーズはますます深みを増していくに違いない。 |
No.1213 | 7点 | 殺しのリスト- ローレンス・ブロック | 2015/10/04 17:27 |
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殺し屋ケラーシリーズ2冊目の本書は長編だが、構成は連作短編のように複数の殺しの依頼について語られる。
しかし一連のケラーの仕事がケラーを狙う男がいることを裏付ける要素を含んでいるという構成になっているのだ。 そしてサイドストーリーの面白い事。 特にケラーが陪審員に選ばれて裁判に参加するエピソードは屈指の面白さを誇る。警官が盗品のビデオデッキを買ったが、それは確信的な行為だったのかと警官の有罪か無罪かを巡る裁判では次から次へ事件の関係者が現れ、実に複雑な様相を成し、当然のことながらケラーを含む陪審員の議論は右往左往する。正直読んでいて何が何だか分からなくなるのだが、この訳の分からなさと色んな人種の混ざった陪審員の面々が織りなすドタバタディベート劇が実に面白い。まさに“裁判は踊る”とも云わんばかりだ。 殺し屋対殺し屋の対決。本書のメインテーマであり、こう書くと派手なアクションと駆け引きが繰り広げられる一大エンタテインメントのクライマックスを髣髴させるが、全くそんな色合いはない。 殺し屋を主人公としながら物語の雰囲気は飄々としており殺伐したものがない。そして殺し屋が主人公であれば当然付き纏う銃器や武器の詳しい説明なども一切ない。リアリティと云う面では全くそれが欠落していると思われるが、よくよく考えると今の殺し屋とは実は我々の生活に巧みに溶け込んで銃火器などを派手にぶっ放すことはないのではないだろうか?つまりこれほど静かに殺しが成されること自体が実はリアリティがあるのかもしれない。 そう考えるとやはり最も特異なのはケラーが依頼される殺しの理由が不明なことだ。ケラーのターゲットの中には殺される理由が解らない善人が少なからずいる。しかし依頼はあり、それは遂行される。確かに来るべき大きな裁判を控えた重要な証人と云う、まさに狙われるべき理由があるもいるが、実業家や単なるサラリーマンもいる。いや後者が大半だ。そしてそれはいわゆる市井の人間でも殺しのターゲットになることを示している。ウィットとユーモアに物語を包みながらも、その裏側にあるのはどんな理由であれ、人を殺したいと思っている現代人の荒廃した心であることに気付くべきだろう。 まさにローレンス・ブロックにしか書けない作品。それが故に最後のロジャーとの決着のつけ方が意外性に凝ったがために爽快感にかけることになったのは残念である。やはり殺し屋物は純粋にアクション物を期待してしまうのか。私がケラー物のテイストに馴染むのにはまだ時間が足りなかったようだ。 |
No.1212 | 4点 | 金門橋- アリステア・マクリーン | 2015/09/25 23:58 |
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王道のハリウッドアクション映画さながらの、テロリストによる政府高官を人質にした緊迫の籠城劇である。
金門橋で陣取ったテロリスト、ブランソンは政府に5億ドルもの身代金を要求する。大統領を筆頭に国賓として招かれていたアラブ産油国々王らVIPの身代金に加え、爆弾を仕掛けられた金門橋の身代金が上乗せされていた。 爆弾は上空を飛行するヘリに乗ったテロリストの1人がリモコンを持っていつでも爆破できるようになっている。 この一部の隙のない計画の中、唯一の誤算は人質の中にFBIエージェントで主人公のポール・リブソンがいたことだった、とまるで一級のアクション映画の煽り文句のような状況設定でありながら、物語が進むにつれて色んな綻びが見えてくる。 通常このような籠城物であれば、犯人の要求を数時間単位で成立させ、それが適わないとなると1人、また1人と殺されていくのが常だが、全くそのような緊張感はなく、ブランソンの宣伝のためにマスコミ連中が金門橋上を右往左往する余裕さえある始末。 さらに緊張感の無さに拍車をかけるかのように、完璧無比と思われた犯罪が次第に綻んでいくのだが、これが実に容易に事が進む。橋に仕掛けられた爆弾を遠隔操作する爆弾は早々と無効化され、絶大の信頼を置く片腕はリブソンによっていとも容易に捕獲される。そんなことにも気付かず余裕綽々で構えているブランソンに対し、対策本部の連中はもはや彼に畏怖を持たず、彼の部下が気付いた彼らの機器が故意にレーザー光線で壊された疑いに対して、小馬鹿にしたように反論し、論破する。さらにブランソンの切り札であった犯行後の犯罪人引き渡し条約を結んでいない国への逃亡は受入先の国の大統領から拒否されるという始末で、いつの間にか単なる道化役に堕してしまっている。片や火中のなんとやらでブランソンや彼の片腕に疑われながらも、敵の数歩先を読んで強かにやり過ごすリブソンも口笛を吹きそうな余裕さえ感じさせられ、アクション大作としてはスリルをさほど感じさせない構成が残念でならない。 またマクリーン作品の最たる特徴である専門知識も鳴りを潜め、金門橋に関しての薀蓄もたった2ページが費やされているだけである。最盛期のマクリーンならば金門橋を取り巻く周辺特有の霧の濃さに関する地形的な特徴などを延々と語り、また濃霧に縁のない人々を唸らせる思いも寄らない弊害なども盛り込まれ、サスペンス性をどんどん重ねていったことだろう。 舞台は一流でありながら、進行は牧歌的という実にアンバランスな内容を読むに、やはり往年のヴァイタリティは枯れてしまったマクリーンの作家としての衰えを激しく感じてしまった1作だった。 |
No.1211 | 7点 | 今はもうない- 森博嗣 | 2015/09/22 23:23 |
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後期になってS&Mシリーズは典型的な密室殺人から離れたかと思ったが、今回は密室物としてはど真ん中の“嵐の山荘”物だ。
台風の接近で電話線が切れ、道路は倒木で寸断されて警察が介入できないという実にベタな設定。 しかしそれらはもっと大きなトリックへのフェイクであることが後に解る。 個人的には傑作になり損ねた佳作という評価になってしまう。それはやはり本書に仕掛けられた大きなトリックに比して、物語の中心となっていた密室殺人の真相が実に凡庸だからだ。しかし本書の探偵役のことを考えるとこの凡庸さは逆に作者が意図したものかもしれないとも思える。 タイトル“今はもうない”は事件があった別荘が今はもう残っていないことを指す。しかしその時のことは彼らにとって永遠なのだ。本書はミステリとしては凡作だが、過ぎ去りし日々を懐かしむ歳になった者たちにとって何がしかのノスタルジイを感じさせる物語が強い印象を残す。 左脳系ミステリの書き手である森氏が放った右脳系ミステリという意味で本書はS&Mシリーズで異彩を放つ存在となるのだろう。シリーズナンバーワンと評する人々もいるというのもあながち間違いではない作品だ。 |
No.1210 | 7点 | 東野圭吾公式ガイド- 事典・ガイド | 2015/09/12 23:19 |
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目玉は読者1万人による東野作品の人気投票ランキング結果だが、なんとこれはたった40ページ弱で纏められてしまい、21位以下の下位作品はタイトルと無差別に選出されたコメントが付されただけという、何とも期待外れな内容だった。
正直これだけならば壁本だったのだが、その後全ての作品についての東野圭吾が各所で語った自作コメントが付けられていたことで思わず振りかざした手を下すことが出来た。 ランキングについてここで詳細に語ることは避けるが、3位にあの作品が入っていることはかなり驚いた。やはりメディアの力は強いと云う事か。 本書のメインは第2部とも云える作者自身による全作品解説だ。とは云っても書き下ろしではなく、各所で語られた物を集めたものだが、それでも最近の作品では解説はおろか、あとがきもないため、この解説は当時の制作状況や作者の意図が解って実に有意義な内容だった。このガイドブックで挙げられている作品の中には未読作もあるので、ここに書かれた内容を頭において読むのもまた一興だろう。 ところでようやく2015年になって彼の隠れた傑作『天空の蜂』が映画化され、今公開中である。そんな「今」を知ってこのガイドに書かれた同作のコメントを読むと非常に感慨深いものを感じる。 しかし作家生活25周年記念でこのようなガイドブックが文庫版で編まれることが現在の東野人気の凄さを物語っている。彼の場合、ぽっと出のベストセラー作家ではなく、質の高い作品を書きながらもミステリファンにおいては高評価を得ながらも巷間では知られていなかった長い下積み生活を経てのブレイクだけに作家としての基盤がしっかりしており、簡単には揺らがない強さがある。実際出す作品の質は高いし、シリーズ物はどんどん深みを増している。 数十年後改訂版として再びガイドブックが編まれた時、ランキングがガラッと変わるような傑作が出される可能性が高いだけに今後の東野圭吾の作品に注目していきたい。 |
No.1209 | 7点 | カッコウの卵は誰のもの- 東野圭吾 | 2015/09/09 23:33 |
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東野圭吾公式ガイドブックによれば、本書のテーマは“才能って何だろう?”とのこと。よく才能があると云われるが、それこそ曖昧な物ではないだろうか、そして後世に残る記録を残し、また世界的に活躍したスポーツ選手の二世が必ずしも大成するとは限らない。
そんな疑問に対して東野圭吾は実に面白い設定を本書で設定する。それはかつてオリンピックのスキー選手であった父親の娘がその二世としてめきめきと頭角を現しているが、実は血の繋がりの無い親子だったという物。 単に赤ん坊を盗みだし、その罪の呵責に耐えかねて自殺したと思われた妻に纏わる事件は調べれば調べるほど謎が積み重なっていく。まさに謎のミルフィーユ状態だ。 しかしそれら全ての謎が明かされると、単純に見えた物語の構図を複雑にするためにかなり無理があったと感じてしまった。 もし自分にある才能が有り、それが他者によって開眼されたとして、その才能を伸ばそうとするだろうか?その答えの1つがこの息子鳥越伸吾の決断とも云えよう。 人が羨ましがるような才能が逆に苦痛の種となり、本当の夢を諦めざるを得なくなるのは本末転倒だ。しかし才能を見出した側にとっては他者にはない特殊な能力を使用し、伸ばそうとしないことは宝の持ち腐れであり、なんとも勿体ない話だ。 私に彼鳥越伸吾と同じ才能があった場合、私は云われるままに代表選手として日々練習に励むだろうか?果たしてそれは解らない。鳥越伸吾の選択した道―クロスカントリー選手の道を諦め、音楽の道へ進む―は彼の人生だからこその決断だ。そこに本書の題名の答えがある。カッコウの卵は即ち持ち主自身の持ち物なのだ。それをいかに孵化させ、育てるかはまた当人次第なのだ。 |
No.1208 | 8点 | 皆殺し- ローレンス・ブロック | 2015/09/06 00:14 |
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色々なサプライズと“倒錯三部作”のスリルを凌駕するほどの戦いを孕んだ作品だ。
以下ネタバレ 世界中に伝承される破壊の女神は世界を焼き尽くす。それはまた新たな世界を作るための破壊である。このマット・スカダーシリーズもまた本書で一旦全てを喪う。ミックは上に書いた仲間とグローガンの店に加え、オマラ夫妻が管理する農場をも失う。 マットもまた例外ではない。永らく彼の助言者だったジム・フェイバーを喪い、彼の魂の駆け込み寺だったリサ・ホルトマンを、そしてようやく得た探偵許可証も失うことになりそうだ。 全てを失い、そしてまた新しい日が始まる。恐らくこのシリーズもまた。 哀しい事ばかりが起きた作品だった。それまで人伝えにしか解らなかったミック・バルーという男の凄まじさを知らされた作品だった。シリーズを読みながらも驚きと知らないことがあることを気付かされる。それはまさに人生そのものではないだろうか。 |
No.1207 | 4点 | 地獄の綱渡り- アリステア・マクリーン | 2015/08/29 00:36 |
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マクリーンも後期になるとレーサーなど色々なヴァリエーションが見られるが、なんと本作ではサーカスの世界。原題も“Circus”とそのものズバリ。
しかし舞台はサーカスではない。その題名は今回の主人公ブルーノ・ワイルダーマンがサーカス随一の曲芸師であり、メンタリストであることに由来する。彼は難攻不落の研究所への進入と重要機密書類奪取をCIAから依頼されるのだ。それは一流の曲芸師である彼でなければ達成しえないほど鉄壁の防御網によって守られた研究所だからだ。 本書は映画“ミッション:インポッシブル”のような難攻不落の研究所への進入に加え、サーカス団員であるナイフ投げの名手マヌエロ、無双の怪力を誇るカン・ダーン、投げ縄の名人ロン・ローバックといった一芸に秀でた個性豊かな仲間がブルーノを助ける。さらには一見ペンにしか見ない麻酔銃と毒ガス銃が登場したりとエンタテインメント色が実に濃い。 本書が1975年発表であることを考えると前掲の原型であるアメリカのスパイドラマ『スパイ大作戦』やイアン・フレミングの007シリーズの影響をマクリーンも受けていたのではないかと勘繰らざるを得ない。 しかし溜めに溜めた敵との対決は実に呆気なく終わる。この拙速に過ぎた物語の閉じ方はいかがなものだろうか?途中で作者自身が飽きてしまったかのような印象を受ける。途中でこのようなジェームズ・ボンド張りのスパイ物はガラではないと悟ったのだろうか? |
No.1206 | 8点 | 禍家- 三津田信三 | 2015/08/23 00:15 |
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2階の自室に入るにはひたひたと彼に迫る得体のしれない足音を振り払わなければならない。
祖母が留守の時に家に帰れば、祖母の部屋からどこまでも伸びる蛇のような老人の手が襖から伸び、キッチンへ逃げ込めば首の無い四つん這いの女性の死体が徘徊する。風呂に入れば赤ん坊のような物が彼を湯船の中に引きずり込もうとする。 他の部屋に入れば死んだと思われた父親が現れ、幼き頃と同じように絵本を読んでくれたかと思えばいきなりおぞましい嗚咽を洩らし、首から鮮血を飛び散らす。 そんな家に住みながら、主人公は祖母のことを思って引っ越そうと云わない。恐怖に襲われながらもそれを受け入れ生活を続ける彼の心の強さは只者ではない。それは祖母と2人暮らしと云う決して裕福ではない家庭環境故に引っ越したばかりの家からすぐに引っ越すための新しい物件探しや、財政的にも苦しいという背景があるためなのだが、そんなことを小学校を卒業したばかりの少年が考えるのが奇妙なおかしみを与えている。 特筆すべきは冒頭に登場する恐怖を煽る小久保家の老人の意味不明な言葉の数々が調べるにつれて次第に意味を帯びていき、彼の家に纏わる忌み事の真相に繋がっていく。これはホラーでありながら、その因果を解き明かす過程はミステリそのもの以外何物でない。 この次々と起こる怪奇現象と近所に残る忌まわしい事件、そして一家殺害事件を起こした狂える学生と、ホラーのおぜん立てを十二分に死ながら、ミステリとしてのサプライズも提供するこのサービス精神の旺盛さ。彼は最初から本格ミステリの心をホラーの土壌に立つ作家だったのだと認識させられた。 |
No.1205 | 3点 | 夏のレプリカ- 森博嗣 | 2015/08/19 23:43 |
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本書は前作『幻想の死と使途』の偶数章を司る作品であり、2つで1つの物語が構成されるという凝った作りなのだが、内容にはお互いの作品に密接に絡み合う要素はほとんどなく、それぞれ独立した作品として読める。
このような形式を取った理由として森氏は作中で殺人事件に限らず、あらゆる犯罪はその首謀者たちがお互いに譲り合ったり、スケジュールを調整しながら起こされるものではないからだと述べている。つまり前作の有里匠幻殺人事件と本書の簑沢家誘拐未遂事件及び簑沢素生失踪事件は同時期に起きており、これを分離した2つの作品としながら一方を奇数章、こちらを偶数章で構成することで西之園萌絵が大学院受験時に起きた事件としている。 しかしこの試みは成功しているとは思えない。確かに森氏の云うように犯罪とは1つが終われば次のが起こるように規則正しくないのだが、同時多発的に複数の事件が起こる作品はこれまでも多々あった。モジュラー型ミステリがそれに当たるが、それらのジャンルに当てはまる作品と比べてもこの2作でたくさんの犯罪が起きるようには思えない。単なる奇抜な着想で終わってしまっている。奇妙な符号としては双方に事件関係者に盲目の人物が関わっていることだ。前作では真犯人の妻が―結局前作の矛盾については何も語られなかった―、本書では杜萌の腹違いの兄で詩人の素生が盲目だ。しかしそれも両者のストーリーには何の関わりももたらさない。 作中で登場人物の1人儀同世津子も述べているが、小粒な事件故に作者は『幻惑の死と使途』の事件と敢えて同時期に起こす設定にして、500ページもの分量で語ろうとしたのではないか。こんなミステリ妙味薄い事件にもかかわらず、事件は有里匠幻殺害事件が起きた8月の第1日曜の3日前に起きながら、事件解決はその事件解決後の9月最後の木曜日と実に2ヶ月もかけられている。 物語は実に無駄の多い内容で、一向に解決に進まない。私は常々森ミステリには事件解決までのタイムスパンが非常に長い事を特徴として挙げており、これを個人的に森ミステリ特有のモラトリアムな期間と呼んでいるのだが、本書はそれが最も長い作品であろう。西之園萌絵が有里匠幻殺害事件の解決にかかりきりになっていることと大学院受験を控えていることがその理由となっているが、上に書いたように事件に直接関係のない登場人物の頻度が増していたり、西之園萌絵のお見合いシーンや、犀川創平の妹儀同世津子の妊娠のエピソードなど、物語の枝葉にしては長すぎるエピソードの数々が逆に本書のリーダビリティを落としている。キャラクター小説として物語世界を補強するためのエピソードかもしれないが、さほどこのシリーズにのめり込んでいない当方としては退屈な手続きとしか思えなかった。 しかしこれほど拍子抜けする真相も珍しい。誘拐犯殺害の真相は意外な反転があるものの、カタルシスを感じるほどのものではないし、またもや全ての謎が解かれるわけでもない。よほどこのシリーズが、この世界観が好きでないとこの物語は楽しめないだろう。それほど森氏の趣味が盛り込まれた、それはある意味少女マンガ趣味とも云える幻想味が施されている。 また前作では初めて西之園萌絵が探偵役を務めたにもかかわらず、最後の最後で犀川によって真相が解明されるという詰めの甘さを見せたが、本書では彼女によって真相が見事に暴かれ、犀川はその真相に至っていながらも積極的に事件に介入しない、いわば保護者的役割に終始している。これは西之園萌絵の成長とみるべきか、シリーズにおける名探偵交代を示す転換期なのか。 何にせよ、ようやく密室殺人事件から離れた作品なのだが、逆にそれ故に小粒感が否めない。あらゆる意味で何とも残念な作品だ。 |
No.1204 | 7点 | プラチナデータ- 東野圭吾 | 2015/08/16 20:47 |
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情報を操る者は情報に操られるというのが高度情報化社会での皮肉な現象だが、今回の主人公神楽もまた高度なDNA情報を利用したファイリングシステムを構築していながら、自分自身が容疑者として検出される実に皮肉な運命が待ち受けていた。
このDNA捜査システムを読んで想起したのは住基ネットである。これは単に住所、氏名、年齢といった本人を取り巻く外的情報でしかないが、これもまた警察と政府によって仕組まれた国民管理構想の一端のように思えてならない。従ってもしDNA情報まで保存・管理・検索できるスーパーコンピューターが開発されれば本書のような捜査システムが構築されるのは時間の問題なのかもしれない。 エンタテインメントの手法としては古くからハリウッド映画でも題材にされてきたテーマだろう。しかしこれを絵空事と思っていいものだろうか?上に書いたように、既に我々の情報は公共機関によって管理されている。それが機械のミスで、いや故意に人為的に操作されて自分がある日突然犯罪者に仕立て上げられる可能性もあるのだ。このデータは嘘をつかない、機械はミスをしないと信じる盲信性こそが現代社会に生きる我々の最大の敵ではないだろうか。 完璧な正義など存在はせず、大なり小なりの悪が存在しながら社会は機能している。東野氏は自身の公式ガイドブックの諸作の自己解説でところどころ上のようなことを述べている。従って東野作品は個人の力ではどうしようもないことに対して非常に自覚的である。それが故に彼の作品は勧善懲悪的に悪が必ず罰せられる結末を迎える作品は少なく、どこか割り切れなさと現実の厳しさというほろ苦さを読後に残す。 本書もその例に漏れず、本質的な解決は全く成されていない。例えばハリウッド映画に代表されるエンタテインメントならばこのような近未来の歪んだシステムは主人公の活躍によって壊滅され、大団円を迎えるのが通例なのだが東野氏はそれを選択していない。 果たしてこれは来るべき未来に対する東野氏からの警鐘なのだろうか。裁かれるべき者が、巨悪がさらに大手を振って世間に幅を利かせる世の中になっていく。ここで書かれた未来はなんとも暗鬱だ。 |
No.1203 | 7点 | 殺し屋- ローレンス・ブロック | 2015/08/09 23:28 |
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黒い表紙に都会の片隅を想起させる湿った路地の写真と銃痕で穴の開いた窓の意匠に「殺し屋」の文字。装丁から想起されるのは非情で孤独な男の世界なのだが、しかしこの殺し屋に纏わる話は実に奇妙なのだ。どのシリーズにもないどこか不条理感を伴っている。
しかしそれもシリーズを読み進めるうちに読者にケラーの素性が解ってくるに至り、何を考えているのか解らなかったこの男が実に人間臭い人物になってくる。 つまり読み進むうちにケラーの変化を同時に読者は感じるようになり、次の展開が非常に気になる作りになっている。 「ケラーの責任」はMWA賞受賞作に相応しい傑作だ。本作のケラーは実に深みがあり、孤高の殺し屋としての流儀を重んじる人物になっている。この心理こそが殺し屋の殺し屋たる仁義とも云えよう。個人的ベストに迷わず挙げよう。 男臭さの宿る装丁で手に取ることを敢えて躊躇っているならばそれは実に勿体ない話だ。この物語世界の豊かさは寧ろ男性よりも女性に手に取ってほしい色合いを持っている。ケラーの、どことなく思弁性を感じさせる彼独特の人生哲学と、仕事斡旋人のドットとの掛け合いの妙を存分に堪能してほしい。殺しを扱いながらこんなにも明るい物語に出遭えるのだから。この二律背反を見事に調和させたブロックの職人芸、ぜひとも堪能していただきたい。 |
No.1202 | 6点 | 歪んだサーキット- アリステア・マクリーン | 2015/08/03 23:19 |
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戦争小説でデビューし、その後も冒険小説、スパイ小説と様々なテーマを題材にしてきたマクリーンが今回選んだ題材はF1レースの世界。ある日突然トラブルに見舞われるようになったトップ・レーサーを取り巻く不審な事故を巡る物語だ。
本書はマクリーン作品では実に読みやすい作品で、つっかえるところなく、クイクイ読めるところがいいのだが、その反面、マクリーン特有のメカに対する詳細な描写がほとんどないのが気になった。ヨーロッパでは有名なモータースポーツに詳細な専門用語を並べることはもはや意味がないとまで思ったのか。いやそれとも晩年の作品は取材する時間をほとんど取らずにテクニックで小説を著していたのか、今となっては解らないが、マクリーンらしい熱が足らない作品だった。題材がそれまでのマクリーン作品の中でも異色だっただけにこれは実に惜しい。 真相も今にして思えばどちらかと云えばありきたりの内容だ。マクリーンの衰えを如実に感じさせる作品だったことが非常に残念だ。 |
No.1201 | 7点 | 十一月の男- ブライアン・フリーマントル | 2015/07/29 23:52 |
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フリーマントル4作目の本書ではアメリカ次期大統領の有力候補と目されるアメリカ大使が大統領選を優位に運ぶためにソ連に対して行った駆引きに巻き込まれる老スパイとイギリス人大富豪の姿を描いた作品だ。
凄腕の、国に貢献をしたピークを超えた一介のスパイが、その仕事ゆえにそれぞれの国の暗部を抱えていることを危惧した政府によって抹殺されることを余儀なくされ、どうにか自分の運命に抗う姿を描くのはフリーマントル作品には多々ある構成だ。そしてそのどれもが悲劇的な結末を迎え、読者を暗鬱な気持ちにさせる。 それは本書でも例外ではなく、熟練の老練さでロシア外相の指令に従い、行動し、自らのアメリカへの亡命をも成功させようと企むアルトマンの末路は想像以上に悲惨だった。 こう考えると用無しとみなされたスパイの悲劇的な末路を描くフリーマントル流常套手段を打ち破ったのが今なお新作が書かれている窓際スパイ、チャーリー・マフィンシリーズだろう。そして同シリーズは第1作目が本書の後に書かれるのだ。 さて題名『十一月の男』は原題“The November Man”そのままである。登場人物それぞれがそれぞれの11月を待つ人間ドラマにも注目されたい。 |
No.1200 | 7点 | 背の眼- 道尾秀介 | 2015/07/26 00:24 |
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<若干ネタバレを含みます>
物語は怪奇現象としか思えない土俗的な伝奇色を濃厚にしていく。私はこの後の作品が続々と『このミス』でランクインされる道尾作品の本作は当時京極夏彦の百鬼夜行シリーズを髣髴させるという世評もあって、本作をホラーと見せかけて合理的な解決が成されるミステリだと思い込んで読んでいた。 しかし物語はすっきりと解決されない。合理的な解決でありながらもどこか割り切れなさの残る、中途半端な読後感が残ってしまった。 一見合理的でありながらも心霊現象と云う不確かな物に解決を求める真相に今の私は正直戸惑っている。齢四十を過ぎると人間の心の不思議さや状況が人の心に及ぼす思いがけない効果などに対しても頑なに否定せず、納得できるようになったと思っていたが、それでもなお腑に落ちなさが残る真相、物語の閉じ方である。そして今さらだが本書がホラーサスペンス大賞の特別賞受賞作であることに気付かされた。つまり本書はやはりホラー小説だったのだ、と。 物語にふんだんに盛り込まれる地方の因習や伝承に加え、実在する童話に少年殺しの意外な真相を絡め、更には東海道五十三次の一幅の絵を福島の山奥に残る天狗の忌まわしい殺戮の歴史に重ねて殺人者の狂気へと導くプロットはとてもデビュー作とは思えないほどの完成度だ。しかしやはりもやもやとした割り切れなさが残るのは正直否めない。霊が視える少年、写真に写る霊とそれらは半ば肯定的に受け入れられて物語は閉じられる。先入観と云う物は全く恐ろしいものだ。次こそはまっさらな心で物語に臨みたいものだ。 |
No.1199 | 8点 | 幻惑の死と使途- 森博嗣 | 2015/07/18 23:59 |
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本書ではまたもや密室殺人が扱われているが、それまでのシリーズ作品と違い、鍵の掛けられた状態での密室ではなく、衆人環視の中でマジシャンが殺される、いわば開かれた密室である。
みなさん書かれているように私も真犯人には驚きました。そしてその動機もいつものように抽象的且つ観念的ですが、今回は腑に落ちました。 ただそれだけにあるシーンが納得できません。それが今回マイナスでした(その内容は後述いたします)。 そしていつも思うのはこのシリーズの事件解決に至るまでの時間が実に長いことだ。今回のマジシャン有本匠幻が衆人環視の中で殺害される事件が起きるのが8月の第1日曜であり、事件解決は9月の第2土曜日以降である。つまり最低1か月半は経っているのだ。これは本書の探偵役である犀川創平は事件解決に積極的でないことに起因するだろう。彼の関心は自分の研究題材であり、そして西之園萌絵であり、決して事件の謎ではない。彼が事件に向き合うのは事件に積極的に関わる萌絵に危機が訪れた時だ。彼は望まざる形で事件に関わり、そして誰よりもその真実をいち早く見抜くのだ。しかし彼の関心が事件にないために事件解決まで、いや西之園萌絵が事件の真相に肉迫するまで解決されないのだ。 さて前作『封印再度』に続いてまたもやタイトルで唸らされてしまった。ストーリーとタイトルがマッチするとこれほどまでにカタルシスを感じるのかと再認識した。後は本書で感じた違和感を次作で払拭されることを期待しよう。 <ここからネタバレ> 名前を葬るという感覚は抽象的であり、また観念的であるのだが、私にとって理解できる動機だった。「自分」という存在は他人にはどうやって認識される?それは名前だ。そしてその名前を知られ、その名に価値を与える事が「自分」の認知度を、自分の価値を公的に高らしめることなのだ。そして名は存在が消え去っても残る。その名が高ければ高いほど。ワン&オンリーであればあるほど。後世にその名を遺すために彼は名に殉じたのだ。 そしてそのために彼は生涯を投じたマジックを、イリュージョンを手法として使った。まさに「幻惑の死」とその「使途」が最後に明かされる。単なる言葉遊びではないのだ、森氏のタイトルは。 だがどうしても納得のできないことがある。それは第5章187ページの原沼利裕の家庭でのシーンだ。そこでの原沼は有里匠幻の死体消失事件の渦中にいたことを誇らしく思い、妻にその模様が写されているTVのニュースを妻に見せて驚くシーンがあるのだが、後で出てくる彼の妻は目が見えないのだ。しかもそれは10年も前からのことだと原沼は述懐する。この矛盾はいかなるものか?これは単なる作者の書き間違いなのか?講談社の校正ミスなのか?その真実は次作で明かされるのか?今の時点ではこの矛盾が本書の評価に強く影響してしまった。 |
No.1198 | 8点 | 処刑宣告- ローレンス・ブロック | 2015/07/12 00:44 |
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マット・スカダーシリーズ13作目の本書は前作に引き続いて連続殺人事件を扱っている。しかも不可能趣味に溢れた本格ミステリのテイストも同じく引き継がれているのが最大の特徴だろう。
人の心とはなんと弱いものだろう。 今回の事件の動機はいわゆる「魔がさす」という類のものだろう。そして数秒間に1人が死ぬと云われているニューヨークでは1つ1つの事件が必ずしも解決されるとは限らず、恐らく彼らの殺人も次々と起こる事件の荒波に埋没する運命だったのかもしれないが、魔がさして成された殺人を抱えたまま生きるのはやはり苦しく、ある者は自らの命を絶ち、ある者は積極的に自白をし、ある者は観念して罪を告白する。 本書は現代に甦った仕置人の正体を探る本格ミステリ的な設定を持ちながら、最後に行き着くところは名探偵の神懸かった推理や驚愕のトリックが登場するわけでもない。マットが素直に人間を見つめてきたことによって出た答えによって導かれた犯人であり、そのどれもが人間臭く、決して他人事とは思えないほど、その心の在り様がリアルに思えるのだ。 そしてまたもや事件に遭遇することでマットの身辺に変化が訪れる。今回は事件自体が派手なこともあって、今回はマットがなんとマスコミたちの注目の的になる。マットがウィルの正体を突き止めたことがマスコミにリークされたからだ。これが今後彼の事件の関わり方にどんな変化が訪れるのか、ちょっと想像がつかない。 そして『処刑宣告』という物々しいタイトルとは裏腹に結末は実に暖かい。これは読者としても何とも嬉しいサプライズだった。 マットを取り巻く人々とマット本人の世界はますます彩りを豊かにしていく。アル中で子供を誤って銃で撃ち殺した元警官という忌まわしい過去を背負った中年男の姿はもはやないと云ってもいいだろう。しかし本書はどれだけ歳月を重ねても人の抱えた心の疵はなかなか消えないことを謳っている。あまりに順調なマットの人生に今後途轍もない暗雲が訪れそうである意味怖い気がする。この平穏はしばしの休息なのか。まあ、そんなことは考えずにまずはこのハッピーエンドがもたらす幸福感に浸ることにしよう。 |