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猫サーカスさん
平均点: 6.19点 書評数: 407件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.327 6点 原因において自由な物語- 五十嵐律人 2022/08/17 18:47
現在から数年先が舞台で、顔の良さを数値化した顔面偏差値を高精度で測定するアプリが存在する世界。本書の重要人物の佐藤琢也は、その数値が低いことを糸口として、学校でいじめられていた。追い詰められた彼は、五階建ての廃病院から飛び降りることを決意する。もう一人の重要人物、二階堂紡季は、人気作家だが、作家生命を左右しかねない重大な秘密を抱えていた。琢也の決意の謎に紡季の秘密が想定外のかたちで融合する。まずはその展開に圧倒される。各自の苦悩に引き寄せられ、それぞれのストーリーが紡季の恋人である弁護士を介して融合する構図に驚愕し、結びついたことで新たに浮かび上がる謎にからめ捕られる。そのうえで、ともすれば不可解に思える行動に走る登場人物たちの心の奥底にある痛みや切なさを知って震撼するとともに、かなり苦い味わいだが、紡季の小説家としての決断を通して、物語という存在の重さ、強さ、そして可能性の大きさを、改めて認識することになる。

No.326 9点 六人の嘘つきな大学生- 浅倉秋成 2022/07/31 19:02
就職活動という状況の心理戦と、その先にある意外な真相を描いている。若者に人気のIT企業スピラリンクスの新卒採用、その最終選考に残った六人は、一ヶ月後の選考日に協力して課題に挑むことになると告げられた。内容次第では全員に内定が出される可能性がある。それが一転、採用枠が変更され、内定は一人だけに。そして不穏な告発文が持ち込まれ、議論は不信と不破の渦巻く展開に。六人のチーム形成から選考当日までの間で、徐々にそれぞれの人物像が浮かび上がる。そして密室での心理戦から、歳月が過ぎた後の真相解明の過程が語られる。その中で人物像にさらに意外な側面が加わって、物語そのものが鮮やかな反転を見せる。一人の人間を知ることの難しさというテーマが、就職活動という状況と結びつく。人の心という謎を、精緻なミステリに仕立てている。

No.325 7点 ベルリンは晴れているか- 深緑野分 2022/07/18 18:25
第二次大戦下のドイツ、つまり「ナチスの時代」をテーマにしたミステリ。戦中戦後の荒廃したベルリンの市街と、そこで必死に生き抜く人々の描写に圧倒的な迫力と臨場感がある。クリストフ殺害の容疑者としてソ連のNKVDの取り調べを受けたアウグステは、捜査を担当する大尉の命令で行方不明になった被害者の甥を捜すことになる。なぜか陽気な泥棒男を道連れに瓦礫の街を奔走する彼女の前に、次々に危険で困難な壁が立ちふさがる。この作品の主たるテーマが、孤独な少女の人捜しと殺人事件の謎の解明にあることは確かだが、読みどころはそれだけにとどまらない。NKVDの大尉はなぜ彼女に人捜しを命じたのか、陽気な泥棒男の正体は何者か、そもそもクリストフは本当に殺されたのか。様々な謎が複雑に交錯して、物語の興趣は最後まで尽きることがない。

No.324 6点 山狩- 笹本稜平 2022/07/05 19:10
千葉県の伊予ケ岳という標高336メートルの頂上付近で23歳の女性が転落死する。状況に不審な点があるものの所轄警察署の刑事課は、これを山岳事故として処理した。しかし被害者は以前に、ある男からのストーカー被害を生活安全課に訴え出ていた。県警本部生活安全捜査隊は、ストーカーに起因する殺人事件とにらむが、それでもなお刑事部は事件性を否定する。殺人犯を生安部と妨害する刑事部という図式の中での激しい対立。単なる事件ミステリではなく、生安VS刑事という警察内部の激突は読ませる。生安刑事の会話の中で警察の捜査ミスの例として何度か飛び出す「桶川ストーカー殺人事件」。激しいストーカー被害を受けた女子大生が、「このままでは殺されます。助けてください」と埼玉県警に告訴し、救いを求めたが警察はこれを放置。その結果殺害されてしまったという不祥事だ。当時取材に関わった者として、その教訓が小説の中では生かされているようで感銘を受けた。

No.323 6点 ジバク- 山田宗樹 2022/06/19 18:43
作者のヒット作「嫌われ松子の一生」の男性版である。主人公は、四十二歳のファンドマネージャー麻生貴志。前作は昭和の女の流転譚だったが、こちらは平成の男の転落譚である。転落のきっかけは同窓会だった。十八の時、自分を振ったミチルと再会したのだ。離婚してスナックを経営する彼女は、店の改装が夢だと言う。貴志は勝ち組である今の自分の力を誇示したい気持ちもあり、夢をかなえてやろうと思いつく。これが自縄自爆の罠となる。脅迫、暴行、離婚、失職、闇社会、潜伏、殺人未遂。普通なら気が滅入るが、ページをめくる手が止まらない。心理描写を排して、出来事で物語を前に進める書き方がいい。出来事には対処するしかなく、対処法には実利がある。本書は珍種の冒険小説だろう。刻一刻と自爆に向かう流され型冒険小説。一見救いがなさそうな最後の一行に共感する。夢中で筋を追わせる直球の魅力。これぞエンタメ小説。

No.322 5点 化け物心中- 蝉谷めぐ実 2022/05/29 18:52
六人の役者が台本の前読みに集まった夜。一人が鬼に食われたが、誰が食われたのかは分からない。鬼が役者の誰かに成り代わっているのだ。足を失ったかつての名女形・魚之介と足代わりとなる鳥屋・藤九郎のコンビが隠れた鬼を探り出す。芸に全てを投じる役者たちの執念と弱さ。舞台に立つことのできない魚之助の心中に渦巻く情念。鬼探しを通じて、平凡な生き方からはみ出した者たちの心情が描かれる。鬼の正体を突き止めた先にも異形としての役者の壮絶な生き方が浮かび上がる。鬼気迫る語り口に圧倒される、精神を激しく揺さぶられる物語。

No.321 6点 ウーマン・イン・ザ・ウィンドウ- A・J・フィン 2022/05/13 18:12
主人公のアナは精神分析医だが、広場恐怖症により外出できなくなり、10カ月も家に引きこもっている。しかも、窓から見える近所の住人を観察し、彼らの出自をネットで調べるというストーカーじみた行動に走っているのだ。ある日、彼女はレンズ越しに向かいの家での殺人を目撃する。ウィリアム・アイリッシュの短編小説を原作とするアルフレッド・ヒッチコック監督の名作「裏窓」を踏まえた設定であることは明らかだ。アナの証言を他の人々は誰も信用しないのだが、アルコール依存症でもある彼女は読者から見ても「信用できない語り手」なので、本当に殺人が起きたのか、それとも彼女の幻覚なのか、容易には判断できない。上巻の後半になってからようやく本格的に事件が起きるので、いくらなんでも気を持たせすぎという印象は否めないものの、現実と妄想の境界線が崩落してゆく後半の展開は、足元にあるはずの地面が崩れ去るような不安に満ちている。「裏窓」を踏まえていることを意識しつつ読めば、真相についてはいくつかの可能性が思い浮かぶだろう。だが、それらの予想を片っ端からなぎ倒すような結末の意外性は衝撃的だ。

No.320 7点 知能犯之罠- 紫金陳 2022/05/04 18:24
数理論理学の天才であり、犯罪心理学を修めたアメリカ帰りの男、徐策。彼は今、街路の防犯カメラを欺き、逮捕を免れるはずの「完璧な殺人」のために二週間以上を調査に費やした。犯人は予め明示されている倒叙ミステリのスタイルで、その殺人動機も早い段階で提示されるため、どうやって中国の防犯カメラネットワーク「天網」を欺いたのか、というハウダニットへの興味が物語を牽引することになる。トリック自体は種を明かされれば目新しいものではないが、徐策の壮大な完全犯罪の仕掛けは、中国という国家を舞台にしているからこそ、実現し得るもので非常に興味深い。本作は二〇一二年にネット上の掲示板に連載された作品だが、中国政府の検閲で削除されていないというのが不思議なほど挑発的な作品だ。中国政府の推進する天網を含むAIによる監視システムをいかにして無力化するかという物語であり、かつ公安官僚は悪役として描かれ、彼らの利権に目ざとく保身的な思考回路が描かれている。徐策の殺人動機、そして事件の結末さえも現代の中国の秩序を脅かす挑戦的に思えるのだ。結末を通して見える景色は、中国式とでも言うべき恐るべき物語に仕上がっている。

No.319 7点 誰かが嘘をついている- カレン・M・マクナマス 2022/04/19 18:43
携帯電話をクラスに持ち込んだ罰で理科室に集められた五人の生徒たち。その生徒の一人、高校のゴシップ掲示板(裏サイトアプリ)の運営者サイモンが持病のピーナッツアレルギーで死亡。どうやら水を飲んだコップに仕込まれていたらしい。主人公たち四人は、全員がサイモンのアプリで暴かれたくない秘密を持つ、学年でも注目度が高い生徒たち。そして警察がサイモンの殺人事件を捜査していく中で、彼らが語りたがらない秘密が暴かれていく。徐々に変容していく彼らの日常。その中で描かれるのは、ハイスクールという小さなコミュニティで生きる彼らのどうしようもない生きづらさや、抑圧された人間性。そして事件が解決される過程を通してそれらが解消・昇華されていくという、群像的な青春小説として非常に優れた構成となっている。また、ミステリとしてはサイモン殺害の動機が、作品のテーマと繋げられているという意味では丁寧なホワイダニットが感慨深い。四人の高校生たちの秘密の正体が四人それぞれ異なるように、人それぞれに青春期の「抑圧」の形があることを思わせてくれる。

No.318 5点 ファーブル君の妖精図鑑- 井上雅彦 2022/04/09 19:04
美大を中退して母の故郷で働くことにした真亜梨が出会ったのは、黒づくめの服装に、虫眼鏡と虫取り網を持った奇妙な青年。誰にも見えない奇妙な存在の観察記録が記されていた。偶然ノートを読んだ真亜梨は、その記述に刺激され妖精の姿を絵に描く。この二人の「記録する」「絵を描く」という行為が、いくつもの事件の真相を明らかにする連作短編集。幻想めいた存在を扱いながらも、謎解きのそのものは現実を土台にしている。その構築は極めて手が込んでいて、繊細なガラスの工芸品を連想させる。舞台となる彩野辺の町も、独特の輝きを放っている。日本の田舎にありそうなリアリティこそ薄いけれど、ファンタジーとミステリの境界に位置する物語の舞台として、ここにはないどこかにありそうな場所として魅力にあふれている。

No.317 8点 medium 霊媒探偵城塚翡翠- 相沢沙呼 2022/03/29 18:43
優れた推理力で難事件を解決に導いた経験もあるミステリ作家の香川史郎は、大学時代の後輩を介して、城塚翡翠という人形めいた美貌の若き霊媒師と出会う。いっぽう巷ではここ数年、一切の証拠を残すことなく女性ばかりを殺害する連続殺人鬼が世間を騒がせていた。香川と城塚が協力し、さまざまな事件を解き明かすうちに、いつしかその魔の手は城塚にも。「霊媒」とはいえ、城塚は事件現場に赴けば自由に死者の魂を呼び出し、被害者から殺人事件の真相を訊きだせるわけではない。能力には制限や本人も気づいていない法則があり、香川はそれらを探りながら、城塚が示すヒントを糸口に真相へと迫っていく。そこにエピソードごとに用意された多彩な謎解き、次第に近づいていく香川と城塚の距離、殺人鬼の脅威が忍び寄るスリルが加わり大いに読ませる。クライマックスで繰り広げられる、それまでの全ての伏線といっても過言ではない怒涛の謎解きは、本格ミステリの醍醐味をこれでもかと味わせてくれる。

No.316 8点 11/22/63- スティーヴン・キング 2022/03/15 18:13
分かりにくい題名だが、つまり一九六三年十一月二十二日という意味。ケネディが暗殺されたその日だ。主人公ジェイクは二〇一一年のアメリカ北東部メーン州アンドロスコッギン群リスボンフォールズに住むリスボン・ハイスクールの牧師で、作文の添削や演劇の指導をしている。その作文の中に、社会人学生の書いた、父親の家族殺人が綴られた一編があった。このことが物語の伏線になる。ジェイクはハンバーガーショップのなじみの客。癌で死が間近に迫る経営者アルは、ある日ジェイクを食品倉庫に案内する。そこには、別世界に入る穴があったのである。その別世界とは、一九五八年のアメリカだった。ジェイクはアルの熱望「ケネディ暗殺を止める」ことを実行しようとする。そのために過去の世界で、テキサス州にまで移動して五年間生活をすることになる。この小説自体がアリスの穴のようで、引き込まれたら出られなくなる。まず六〇年代の住居、飲食、ファッション、ジャズにロック、そして歴史である。日本人なのに懐かしい。出てくる町や施設は実在に近くリアルだ。キングの小説の面白さは、生活の中でふと出会う異常体験にある。日常と異常が実は隣り合わせで、そこに突然穴が開く。それはキングの作品に共通している。本書は人の心の中にある「悔恨」を刺激する。あの時あれを止めていればと。では過去を変えればもっと人は幸せになるのか。「今」が無二の瞬間であることを読んだ後、深く納得する。

No.315 8点 一の悲劇- 法月綸太郎 2022/03/15 18:13
山倉家に突然入った長男誘拐の知らせ。しかし実際に連れ去られたのは近所に住む富沢家の息子。犯人は子供を取り違えたのか。山倉家の父親は身代金の受け渡しに赴くが失敗、少年は遺体で発見されてしまう。やがて容疑者が浮上するものの、その人物には強固なアリバイが。事故当日は、作家の法月綸太郎と一緒にいたというのだ。作者と同名の探偵作家が活躍するシリーズの一冊。探偵は脇役にまわり渦中の父親の視点で話が進むため、全編に緊張感がみなぎっている。そして後半は二転三転の怒涛の展開。穴のないロジックもさすがだが、家族のドラマが重層的に描かれている点もこの作品の磁力。巧みに欺かれ続けた揚げ句の真相に呆然とした後、ラスト一行の子供の一言にグッとくる。惹句は「めくるめく、どんでん返し!」「どんなに身構えても、あなたはきっと騙される」。この文句に嘘偽りなし。

No.314 6点 泳ぐ者- 青山文平 2022/02/28 18:49
扱う事件は、離縁して三年半たつのに、なぜ女は前の夫を刺したのかという謎Aと、毎日決まった時刻に大川を泳ぐ男がいるが、それは何のためなのかという謎Bの二つ。謎Bからはさらに、不敵な笑みをもらして男が殺されるという謎Cも浮上し、一段と奥が深くなる。Aを探ると思いがけない家族のありようが、Bを追うと過去にさかのぼる凄惨な大量殺人事件が浮かび上がり、おのずとCの意味が見えてくるという仕掛けで、実に緊密に作られていて驚く。深い罪と悔恨という主題が、Aの後日談とともに片岡直人の苦い自己発見へとつながるのもいい。いささか謎解きに終始していて小説としての厚みがもう一つのところもあるのだが。

No.313 6点 行動審理捜査官・楯岡絵麻VSミステリー作家・佐藤青南- 佐藤青南 2022/02/28 18:49
相手のしぐさから嘘を見破る「行動審理捜査官」楯岡絵麻ものの9作目。テレビ化もされている人気シリーズで、今回の敵は作家の佐藤青南。佐藤はオンラインサロンを主宰していて、その会員たちがアンチを狙って殺人を犯した事件を、楯岡たちが追求する。行動心理学を得意とする作家と捜査官の虚々実々の駆け引きが終盤展開される。細かいしぐさが何をあらわすのか、どんな意味があるのかを絶えず見極めて切り込んでいく対決が読ませる。悪乗りの部分もあるが、小説を取り巻く環境を皮肉たっぷり描いているのも興味をそそる。

No.312 7点 狩人の悪夢- 有栖川有栖 2022/02/14 18:30
アリスはホラー作家の白布施に誘われ、京都府亀岡市にある白布施の家を訪ねる。翌日、白布施のアシスタントで急死した渡瀬が住んでいた家で、首に矢が刺さり右手首が切断された女の死体が見つかる。現場には、犯人のものらしき血の手形も残されていた。論理性を重視する本格ミステリでは、警察の介入を排し名探偵が活躍しやすい環境を整えるため、絶海の孤島や吹雪の山荘が物語の舞台に選ばれることがある。落雷による倒木で道が寸断され、容疑者が現場近くにいた六人に限られる本書も、このパターンを踏襲しているように思える。ところが火村による謎解きが始まると、本格ミステリのお約束に見えた倒木が実は事件解決の重要な鍵だったと明かされるので衝撃が大きい。それだけではなく、なぜ被害者の手は切断されたのか、犯人が現場に手形を残した目的は、といった不可解な要素を合理的に説明することで、容疑者の中から犯人になり得ない人物を除外していき、唯一絶対の真相を導き出しすプロセスは、数学の証明問題のような美しさがある。

No.311 8点 魔眼の匣の殺人- 今村昌弘 2022/02/14 18:30
必ず的中する予言を相手に廻して闘う名探偵の物語。剣崎比留子と葉村譲は、かつて超能力の研究が行われていた施設を訪れた。そこに住む老女は、あと二日のうちにこの地で四人死ぬと告げる。外界から孤立した施設に足止めされた十一人のうち、誰が命を落とすのか。本書には百発百中の予言をする老女のほか、絵を描くことで近い未来を予知できる人物も登場する。比留子は予言の成就を食い止めるためにある手を打つが、果たしてそれは有効なのか。連続死を阻止できなければ名探偵とはいえないだろうし、かといって簡単に阻止できるならば畏れに足るほどの予言ではない。この作劇上のジレンマに作者がどのような決着を与えるかが読みどころ。その決着に先立ち、比留子は譲に、これはミステリの解決編ではなく、自分と犯人との人生を懸けた死闘だと宣言する。事件に一応の決着がついたあとの伏線回収も見事で、謎解きの論理性においては前作を上回ったのではないか。

No.310 6点 見知らぬ人- エリー・グリフィス 2022/02/03 18:48
ゴシック風の怪奇小説が作中作として挿入され、その小説を模したような殺人が起きる。ゴシックホラー風の趣向は確かにあるものの、あくまでも物語を支える脇役。本書の小説としての面白さを作り上げているのは、主人公とその娘、そして事件を捜査する刑事の、それぞれの視点からの語りである。母と娘、お互いに知っているつもりで知らないこと。刑事が見た母娘の印象。母娘から見た刑事の姿。視点を変えて同じ出来事を語るので、決して展開はスピーディーではないけれど、三者それぞれのキャラクターと語りの妙で読ませる。主人公が英語教師で、英語圏の文学への言及も多く、小説好きを引きつける仕掛けがあちこちに施されている。ミステリとしてはもちろん、現代の英国を描いた小説として楽しめる一冊。

No.309 6点 傍聞き(かたえぎき)- 長岡弘樹 2022/01/22 18:33
「傍聞き」とは「どうしても信じさせたい情報は、別の人に喋って、それを聞かせるのがコツ」ということだそうだ。あまり聞き慣れない言葉かもしれないが、なるほどと思う。小学生の娘と二人暮らしの女性刑事に、留置中の容疑者の男が話したいことがあると伝えてくる。男はかつて彼女が逮捕した男だった。出所して間もないのに、もう別の事件で捕まったのだ。だが面会に行っても、男はなかなか話そうとしない。ことによると、彼女を逆恨みしてお礼参りでも計画しているのか。男が取り調べを受けているのは、彼女の近所に住む独居老人宅への窃盗容疑だった。もしも男が本当に狙っているのは娘だったとしたら...。ごく短い小説であるにもかかわらず、一切の無駄を排した隅々まで伏線が張られた精密な作りは、あらすじとして簡潔にまとめられることを強力に拒んでいる。じわじわとサスペンスが高まっていった果てに、思いがけぬ真相が明らかにされた時、ミステリならではの見事に騙されたという快感とともに、しみじみとした感動がやってくるだろう。他の3編も、淡々とした筆致、サスペンスフルな展開、意外な結末、そして人間味あふれる余韻とを兼ね備えた作品が揃う。

No.308 8点 第八の探偵- アレックス・パヴェージ 2022/01/06 19:24
物語の中に別の物語を登場させる、いわゆる作中作を用いたミステリはいくつも存在するが、この作品は七つも駆使しており凝りに凝っている。主要登場人物は、地中海の小島に穏棲する元教授のグラントと彼を訪ねてきた女性編集者のジュリアの二人。かつてグラントは一九三〇年代に、殺人ミステリを数学的に定義する論文「探偵小説の順列」を発表。それを元に短編集「ホワイトの殺人事件集」を少部数の私家版として出版したが、その後表舞台から退いてしまう。この書籍の復刊を持ち掛けるジュリアは、グラントの前で収録された七つの短編を一つ一つ読み上げ、物語の疑問点を洗い出し、議論を重ねていく。殺人現場でお互い疑心を募らせる男女の話を皮切りに、タイプの異なるミステリが語られていく中で、毎回浮かび上がる違和感、何かを隠している作者、内容に合っているとは思えない書名の謎等々、ページから湧き上がる企みの気配をひしひしと感じながら読み進めていくと思わぬ急展開が。特異な構成と、ジュリアとグラントに訪れる結末も単に驚かせるだけで終わらない味わいがある。

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