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小原庄助さん
平均点: 6.64点 書評数: 260件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.180 7点 GENE MAPPER -full build-- 藤井太洋 2019/09/12 10:03
技術系の知人と話していると、時々、現実の話なのか、空想なのか戸惑うことがある。今やコンピューターが描き出すバーチャルリアリティー抜きには現実を語れず、遺伝子操作も環境問題もテクノロジー産業で商品化が進んでいる。
この作品は、遺伝子設計技術と拡張現実技術が普及発展した近未来を舞台にしている。完全に遺伝子設計された「蒸留作物」が食卓の主役になっている時代。遺伝子デザイナーの林田は、自分が手掛けたイネが遺伝子を崩壊した可能性があると告げられる。
操作プログラムが暴走して封鎖されたインターネットから原因究明用のデータを探り出すため、林田はベトナム在住のハッカーに協力を依頼。コーディネーターの黒川と共に事件の真相を追う。
インターネット崩壊、コンタクトレンズに投影される拡張現実、遺伝子工学による農業、地域環境や社会産業構造の変化を織り込み、技術が暴走する危険性を描きながらも、科学技術とその最前線に立つ技術者への信頼も感じさせる好著。
著者は、ソフトウェア開発に関わる技術者であり、本書の原型は電子書籍として個人出版されて大評判になった。著者の視野には、近未来が「現実」として把握されているかのようだ。

No.179 6点 春はそこまで- 志川節子 2019/09/05 11:06
芝神名宮近くの商店街の人間模様を連作形式で描いている。
物語は、跡取りの瞬次郎に不満がある絵草紙屋の笠兵衛、夫の亀之助の女遊びに悩む薬種屋の妻おたよ、両親が別れ、母と暮らす少年の佑太らを主人公にした人情話が中心になっている。
だが中盤以降は、ライバルの新興商店街から客を取り戻すために計画された素人芝居の行方や、瞬次郎と半襟屋のおちせが恋に落ちたことで巨大な陰謀の存在が浮かび上がるなど、波乱に満ちた展開になる。そのため、市井物が好きでも、サスペンスが好きでも満足できるように思える。
各章で積み残された伏線が、すべて収まるべき場所に収まる最終章はとにかく心地よく、さわやかな気分で本を閉じることができるはずだ。

No.178 7点 20世紀ラテンアメリカ短篇選- アンソロジー(国内編集者) 2019/08/29 09:28
「中南米文学、何から読めばいいかわからない」方に推薦したいのが、スペイン語圏文学の目利き・野谷文昭による本書だ。
マヤの仰臥人像をめぐるカルロス・フエンテスの恐怖譚「チャック・モール」のような有名な作品から、未知の作家の隠れた名作まで16篇を収録。初心者のみならずディープな読み手も満足できる逸品なのだ。
静養のため、湖畔の別荘に滞在している病み上がりの(僕)。地元住民から「鮭(サルモン)先生」と呼ばれる医師のめいと宿命的な出会いを果たし、愛するようになるも・・・。マッドサイエンティストSF風味の、ひねりの効いた恋愛譚になっている、アドルフォ・ビオイ=カサーレスの「水の底で」。旅先で夜の散歩に出かけた(僕)を襲った強盗が要求したのは金品ではなく、目だったというオクタビオ・パスの幻想ホラー「青い花束」。
といった、ハズレなき名篇ばかり収められているのだけれど、アンチ・ハッピーエンド派の方にお薦めしたいのは、アンドレス・オメロ・アタナシウの「時間」だ。掌編5作で構成されていて、最後に必ず息を呑むような仕掛けが用意されているのだけれど、それがもたらすのはかなりシニカルな読後感。笑い、驚き、恐怖、さまざまな読み心地と出合えるアンソロジーなのである。

No.177 9点 コナン・ドイル書簡集- 伝記・評伝 2019/08/21 12:21
主にシャーロック・ホームズの作者として知られるアーサー・コナン・ドイルが残した千通に及ぶ手紙(大英図書館所収)から約600通を選んだ書簡集。ドイルの書簡がこのようにまとまった形で公開されるのは初めてだ。
私信を少年期から晩年まで年代順に並べるだけでなく、その背景の解説や作者の諸作品と関連づけて紹介されているので、非常に分かりやすい。エピソードは豊かだが筋自体はごくシンプルな長編小説のような読み心地で、枕になりそうな厚さにも苦にならない。
手紙の大半は母メアリにあてたもので、母親への思慕と崇拝の念がほとばしっている。確執が推測された父チャールズへも愛情を抱いていたことがしのばれるし、妹たちや弟への思いが伝わってきて、ドイルの人間像が鮮やかに浮かび上がる。
ドイルの生涯は冒険的だ。若い頃には船医として捕鯨船に乗り、はやらない開業医時代にホームズの物語を書いて起死回生を果たし、流行作家となるもホームズ人気に不満を募らせつつ作風を広げる。愛国者として言論活動や政治活動にも熱心で、ボーア戦争に従軍したり郷里で選挙に出馬して落選したりしたかと思うと、義憤から冤罪事件の真相を追求し、心霊主義に走って晩節でつまずき・・・と忙しい。
本書を読むと、そんな冒険の日々の奥にあったものをドイルが打ち明けてくれる。いや、私信だから、彼は打ち明けるつもりなどなかったのだが。本書は書簡集の魅力に富むと同時に、偉大な作家からファンへの「最後の最後の挨拶」とも言えそうだ。

No.176 7点 鯖猫長屋ふしぎ草紙- 田牧大和 2019/08/13 10:02
猫専門の絵師、拾楽が飼っている鯖縞柄の雄の三毛猫サバが一番威張っている江戸の長屋を舞台にした人情捕物帳である。
拾楽は、長屋に越してきた美女お智が起こす恋愛騒動、怪しい開運うちわを売っていた男が逆に脅される事件、読本作家のもとへ現れる幽霊などの難事件を解決していく。物語は一話完結のように思えるが、終盤になると一度解決した事件が伏線になり、驚くべき真相が浮かび上がるので、長編としても楽しめる緻密な構成になっている。
当初はコミカルな展開も多いのだが、拾楽とお智の謎めいた言動の秘密が解かれるにつれ、人には誰にも見せない心の闇があることも浮き彫りになってくる。だがラストには、絆と人情こそが心の闇に対抗できる唯一の手段とのビジョンが描かれるので、晴れやかな気分になれるはずだ。

No.175 7点 悪の五輪- 月村了衛 2019/08/05 09:41
東京五輪が来年に迫る中で刊行された本書は、昭和の東京五輪をめぐる暗鬱で痛快な社会派クライムノベルだ。
主人公で映画好きの変人ヤクザ、人見稀郎は思う。「一円でも多く、自分だけが儲けたい。金、権力、名声、色、そしてまた金。オリンピックの五つの輪は、そのまま五つの欲を示している」。そんな諸悪をメディアはスルーし、五輪第一の絶対的な同調圧力が国家と社会の隅々にまで行き渡っている・・・。
五輪の記録映画監督に決まっていた黒澤明が1963年3月に降り、翌年1月に市川崑が選ばれた。物語は二つの事実の間にひろがる昭和の闇を次々に暴いていく。
稀郎が所属する東京の暴力団に、錦田欣明を監督にという話が持ち込まれた。稀郎は気が進まぬまま錦田に会う。人としても監督としても駄目だと思うが、映画作りへの夢と情熱は感じられた。稀郎にとって映画は、戦争で死んだ兄との思い出であり、欺瞞だらけの世の中で唯一信じられる嘘だった。稀郎は新たな映画作りに向かって錦田と走り出す。
オリンピック組織委員会から調べ始めた稀郎に、醜悪な情報が集まってくる。五輪に深く関係する企業の利権に、政治家と官僚の利権が見え隠れし、全国の大小暴力団の利権争いが重なる。映画界に巣くう差別も露呈する。稀郎の行く手を阻む巨大な闇の数々だ。
この虚構の物語には伝説のヤクザ花形敬や、反骨の映画監督若松孝二、映画界の実力者永田雅一や、フィクサー児玉誉士夫ら実在の人物が登場する。山田風太郎の明治伝奇小説は虚実を巧みに織り交ぜたことで知られるが、本作は月村了衛版昭和伝奇小説か。
しかし、山田作品が明治への挽歌であったのに対し、本作はいまだ終わらず次の五輪で反復されるだろう「悪の昭和」への怒りを、読者に強く強く求めている。社会悪ばかりか国家悪にもとどく、近年にない超硬派の冒険小説を、怒りを共有しつつ堪能した。

No.174 8点 宿借りの星- 酉島伝法 2019/07/29 10:20
衝撃のデビュー作「皆勤の徒」を含む第1作品集で、日本SF大賞を受賞した長編第1作は、期待を裏切らない「異様な」傑作だ。
この小説は3部からなり、地球とは異質な生態系で進化したさまざまな、あえていうなら節足動物や軟体動物を思わせる生物がうごめく世界を舞台に、「古事記」や「オデュッセイア」のような壮大な物語が展開する。
次々と現れる不思議な存在たちの姿や行動は、細部まで丁寧に描写されているが、あまりにも独創的で、戸惑う読者も多いだろう。それでも、この作品の魅力に幻惑され、堪能することは可能だ。
「前編 咒詛の果てるところ」は、ヌトロガ俱土を追放されたマガンダラの漂泊譚の形をとりながら、この世界のおきてや試練、異なる生物種間の友情などが描かれる。続く「海」は、そんな世界に卑徒が入植しようとして変質していった過去が明かされる歴史物語。最後の「後編 本日はお皮殻もよく」は、彼ら異質な生物群が暮らす御惑惺様の秘密に迫る、いわば宇宙史のドラマだ。
事無霧を散布しながら巨体を引きずるように移動する「御侃彌」、中空の胴体で空中を漂い、焼くと小気味よい食感がするという「風虹」、扨の樹の幹ほどもある長筒頭で声を響かせる「ヌダイグァン蘇俱」・・・。彼らの異様な生態や社会制度、さらには、彼らを取り囲むこれまた異様な環境など、「世界」の全てが、見慣れない漢字の交じりのおびただしい造語によって表現されている。
漢字の字面と、ルビで示された読みは読者の想像力を喚起し、さまざまなイメージを呼び起こす。そして意外にも、彼らのドラマに共感している自分に気付く。著者自身によるイラストも、リアルで不気味でありながら、どことなく愛嬌があって魅力的だ。

No.173 7点 皆勤の徒- 酉島伝法 2019/07/29 10:20
第2回創元SF短編を受賞した表題作を含めて、同じ未来史に属する世界を描いた4編からなる本書は、幻想文学的なイメージ喚起力でも、ハードSF的な科学的アプローチでも、実に見事な作品。地球ならびに人類の変容が、前例のない壮大で異様な物語として語られる。
ナノレベルのマシンの暴走で文明が崩壊した後の世界。人類の多くが生体を捨てて生物機械に人格を転写し、再生知性として延命する一方、生身のままであることを選んだ者たちはシェルター「避難蛹」で冷凍眠に入る。だが、そのどちらにも、人間という概念からは逸脱した未来が待っていた・・・。
圧巻なのは登場するさまざまな存在や事象の不気味なリアルさ。著者は、漢字の意味と呪術的形態と、読みの音声イメージを活用した造語を巧みに繰り出し、おどろおどろしくもおかしみを誘う圧倒的な「グロテスクリアリズム」を達成した。具体例を挙げると塵造物、隷重類、遮断胞人などなど。これらがどんな存在かは読んで確かめてほしい。なお、幻想性を楽しみたい方は冒頭から、ハードSF的な世界像の把握が気になる方は「百々似隊商」から逆に読んでいくといいかもしれない。

No.172 5点 尼子姫十勇士- 諸田玲子 2019/07/19 11:13
1566(永禄9)年、出雲の大半を支配していた尼子氏は、毛利に責められ壊滅した。それから2年。尼子勝久を頭領とした、尼子再興軍が挙兵する。陰の頭領は、勝久の母親のスセリ。山中鹿介を筆頭とする尼子十勇士など、集まった面々も頼もしい。神の化身である八咫烏を身に宿す、スセリのカリスマ性も抜群であった。だが最初の勢いが収まると、再興軍はしだいに追いつめられる。そしてスセリは、神々の軍勢を求め、黄泉の国へ向かおうとする。
尼子十勇士とは、尼子氏の再興のために立ち上がった10人の勇士のことだ。作者はその十勇士に加え、個性的な人々を創造し、彼らの戦いの軌跡を活写。ここが重厚な歴史小説として楽しめる。
さらに本書には、もうひとつの大きな読みどころがある。女性陣を中心にした神話的ファンタジーだ。なにしろ実際に黄泉の国まで行ってしまうのだからビックリ仰天。歴史小説とファンタジーという、二つのジャンルを同時に味わいながら、戦国の有情無情に心を揺さぶられる、ぜいたくな作品なのだ。

No.171 8点 蜂工場- イアン・バンクス 2019/07/10 09:33
語り手<おれ>は16歳のフランク。スコットランドの小さな島で、父親と2人で暮らしている。フランクには四つ上の異母兄エリックがいて、家を離れて医学を学んでいたのだけれど、ある出来事がきっかけで精神に失調をきたし、今は<精神病院>に収容されている。ところが、病院を脱走。物語は、その知らせがもたらされたところから始まるのだ。
まずは、フランクの造形に瞠目。島のあちこちに、海カモメやハツカネズミの死体を打ちつけた<生贄の柱>を立てている。島の見回りをするときには、自分で製造した爆弾などの武器を入れた<戦時袋>や強力なぱちんこを持参する。屋根裏部屋に作った巧緻な装置<蜂工場>から、未来の予言を得ている。
異様なのは、そんな自分だけの呪術的な世界に生きている様子だけじゃない。フランクは、幼い頃に3人殺害しているのだ。その殺し方が、思わず感嘆の声をもらすほど独創的な上、動機がまた!(絶句)
時々電話をかけてきては、自分が少しずつ島に近づいていることを告げる兄のエリック。エリックが何を起こそうとしているのか、<蜂工場>におうかがいを立てるフランク。そのさなかに明らかになる、驚愕の真実。
小さな島で暗黒神話のような世界をつくり上げ、インモラルな思考のもと、生き生きと楽しい日々を送るフランク。その強烈なキャラクターに、いつしか魅了されている自分がいる。グロテスクな美と危険な香りが横溢する異形の傑作なのだ。

No.170 8点 マンチュリアン・リポート- 浅田次郎 2019/07/01 11:20
李鴻章に袁世凱、張作霖に宋教仁。若い頃は、名前を聞くだけで混乱した。学校でも、その時代を詳しく教えられることは無かった。それが今や、彼らの風体から性格、しゃべり方にまで想像を巡らせ、気軽な字(日常で呼び合う名前)で読んでしまうほど入れ込んだのは、浅田次郎氏の作品に出会ったからだ。この作品は特にお気に入りの一冊である。
「蒼穹の昴」シリーズの第4部で、昭和天皇の蜜命を帯びて満州にわたる若き軍人を主人公に、張作霖爆殺事件の「真相」に迫るミステリ。歴史に向き合う謙虚さは保ちつつ、意表をつく展開で読者を引き込む本書は、前後作を読んでいない人でも十分に楽しめる。
清王朝の廃退と革命の躍進、それにつけ入ろうと蠢く関東軍の謀略を背景に、馬賊たちの荒々しくも純朴な人間模様が絡み合う。
爆殺現場へと近づく一駅一駅に人間ドラマが展開し、間もなく爆破される運命にある機関車までが”独白”をしてみせる。人格を持つ鉄の塊が語り合う相手は、日本の戦国武将を思わせる張作霖その人だ。濃密な密室劇は緊迫感に満ちていて、思わず落涙させられてしまうほど。
史実の読み解きを巡っては、昨今、中国や韓国と論争が絶えず、不都合な歴史を書きかえようとする動きも目立つ。歴史を語るには息苦しさがつきまとい、負の歴史が表舞台から消えるのも早い。
だが浅田ワールドは世知辛い現実をやすやすと乗り越え、思うさま歴史の旅を満喫させてくれる。「相手」の歴史や文化をよく知ることの大切さも教えてくれる。他の国の人々を安易に侮辱する風潮には歴史認識の欠如が根底にある。その隙間を埋めてくれる。
歴史書や当時の地図をひもといて事実確認をしないことにはどうにも落ち着かない。それもまた、楽しからずや。

No.169 7点 ふたり女房- 澤田瞳子 2019/06/24 09:57
幼い頃に公家の娘である母を亡くし、医師の父も行方不明になった真葛は、京にある幕府直轄の薬草園を管理する藤林家に引き取られ、薬草と医学を学びながら成長した。
薬種屋で奉公している娘が音信不通となる「人待ちの冬」、恐妻家の武士の意外な過去が明かされる「ふたり女房」、藤林家から出たという薬で隠居が毒殺される「初雪の阪」など六つの事件に挑んでいく。
真葛の推理を通して、目的のためなら手段を選ばない人間の欲望、格差社会の犠牲になる弱者、女性への差別といった、現代とも共通する問題があぶり出されていくので、作品のテーマは重い。ただ厳しい現実と自分の未熟さを突き付けられた真葛が、努力を重ね、周囲の人たちにも助けられながら、少しでも人の役に立とうと奮闘する姿はとても心地よい。困難を乗り越え成長する真葛の活躍は、青春小説としても秀逸である。

No.168 7点 満州コンフィデンシャル- 新美健 2019/06/14 09:23
物語の舞台は、1940年から45年の満州である。訳あって満州に飛ばされた元海軍士官候補生の湊春雄。満州映画協会(満映)に出入りしている、正体不明の西風と腐れ縁になり、さまざまな騒動や事件に関わっていく。機密フィルムの運搬や満州皇帝の暗殺計画に巻き込まれるなど、起伏に富んだ冒険譚が楽しめるのだ。
さらに、有名な大陸浪人の伊達順之介、合気道の植芝盛平、満映の女優の李香蘭、東洋のマタ・ハリといわれた川島芳子ら実在人物が次々と登場。春雄と西風をはじめとする、満州に生きた人々の夢とその終焉をきらびやかに彩るのだ。
終盤で判明した春雄の抱える意外な事実や、物語の締めくくり方など、ストーリーも巧みである。俊英が渾身の力を込めた勝負作だ。

No.167 6点 炯眼に候- 木下昌輝 2019/06/05 10:05
本書は七つの短編で構成。冒頭の「水鏡」は、長島の一向一揆との戦いを背景に、馬廻衆が恐れた姿見の井戸の怪異を、信長が合理的に解釈する。まるで名探偵のような信長が愉快だ。
続く「偽首」は、桶狭間の戦いで起きた、今川義元の首を巡る騒動がつづられる。本書の信長は主役になることがないが、謎や騒動の真相を見抜く炯眼の持ち主であることが、鮮やかに表現されているのだ。
また、九鬼水軍の造った鉄甲船の秘密を通じ、なぜ羽柴秀吉が信長の後継者たりえたのかを明らかにした「鉄船」、長篠設楽原の戦いにおける鉄砲運用の謎に絡めて、明智光秀が叛意を固めた瞬間を捉えた「鉄砲」など、どれも読み応えがある。
そしてラストの「首級」では、本能寺の変の最中に信長が、自分が死んだ後の時代の動きを見通す。この話も主役は、信長に仕えた実在人物だ。しかし本を閉じた後は、先が見えすぎる覇王の肖像が浮かび上がってくるのである。このような手法で信長を描いてのけた作者も、炯眼の持ち主といっていい。

No.166 7点 言葉人形- ジェフリー・フォード 2019/05/27 08:52
町まで車を走らせる道中にある古い家。作家の私は、ある日、その家の敷地内の茂みに隠れていた看板を発見する。<言葉人形博物館>。好奇心を抑えられずに訪ねてみると・・・。
SF系、幻想文学系の名だたる文学賞を多々受賞しているアメリカの作家の短編集。
表題作は主人公が住んでいる農業地域に、19世紀の一時期、存在した不思議な儀式についての物語になっている。文化人類学的、あるいは民俗学的に興味深い虚構から入った物語が、徐々に不穏な空気をまとうようになり、やがて昏い恐怖譚へと移行していく展開が見事な一編なのだ。
収録作品は13編。比較的リアルな感触を残すものから本格的な幻想小説へと順に配置されているので、フォード作品未体験の読者でも入っていきやすいはずだ。

No.165 8点 セミオーシス- スー・バーク 2019/04/22 10:18
他者を理解するのは難しい。それが他の天体の生物との「ファーストコンタクト」だったとしたらなおさらだろう。
この作品は、環境破壊で荒廃した地球に見切りをつけ、別の惑星に入植した数十人の人間たちとその子孫、7世代100年に及ぶ年代記だ。平和を意味するラテン語「パックス」と名づけられたこの星には、多様な植物が繁殖し、動物も存在した。
当初、人類は地球同様に生態系の頂点に立とうとするが、地球より10憶年前に誕生したこの星の植物は、高い知能を持っていた。彼らは果実に有毒物質を生じさせ、人類を排除しようとする。やがて人類は彼らと戦うことから、共存を目指す方針に転換していく。
パックスでは、「共和国」の精神に共感し、その目標を共有する生物はすべて市民と認める方針をとる。だが、知的植物と人類は、共生と平等を重んじつつ、互いに警戒を怠らない。相手を尊重しながら、より多くを得ようとする。いわば相互に「家畜化」をもくろみ続けるのだ。
両者の関係性をはじめパックスのありようは、国民統合や政治文化における米国的な価値観や行動原理を想起させる。これはSF化された米国の精神史でもあるのだ。
高度な知性を持ち、人類とも意思の疎通可能な「竹」のスティーブランドは、長い寿命と巡らされた根と茎を持っている。歴史を俯瞰する彼の言葉が、時に「旧約聖書」の神と人類の契約のように響くのも興味深い。

No.164 7点 機巧のイヴ- 乾緑郎 2019/04/06 09:32
人間と見まがう機巧人形・伊武と、当代随一の機巧師・釘宮久蔵を通して、江戸時代に似ているが根本から何かが違うもうひとつの世界で起こるさまざまな愛憎劇、事件を描く連作短編集だ。
幕府の膝元・天府には13層の大遊郭がそびえ、多彩な遊芸や技巧技術が爛熟していた。なじみの遊女を模した機巧人形に理想の女を求める男を描いた第1話の表題作や、腕を失った刺青力士のために人口の腕を作ろうとする「箱の中のヘラクレス」など、前半には時代小説の市井物の雰囲気が漂う。
それが後半に進むに従い、”世界”の謎の姿を現す。「神代のテセウス」では、久蔵に関する調査を命じられた思い込みの激しい隠密が、陰謀に巻き込まれていく。やがて女系で継承されてきた天帝家の秘密や幕府の思惑も見えてくる。
心を持った「機械」は人間と違いがあるかというデカルト的命題を踏まえたSF的思考をベースに、ミステリや時代小説の楽しみまで満載した贅沢なエンターテインメントだ。

No.163 7点 ミーチャ・ベリャーエフの子狐たち- 仁木稔 2019/03/24 10:37
情報社会の閉塞と混迷をテーマにしている。この世界では”妖精”と呼ばれる人工生命体を奴隷的に使役することで、「絶対平和」を確立している。だが、そんな繁栄にも陰りが兆す。
異質な存在に憎悪を向ける人々。ポピュリズムの下、かえって原理主義や差別感情が人々の心に巣くい、情報社会は陰謀論と反知性主義の温床と化していく。
いうまでもなく、これは現現代会が抱える現在進行形の問題にほかならない。
社会変革への意志を帯びた政治小説はSFの源泉のひとつだったが、この作品は間違いなくその正当な後嗣といえる。

No.162 5点 謀略空港- シェイン・クーン 2019/03/12 09:50
前作の皮肉なユーモアに彩られた殺し屋の物語「インターンズ・ハンドブック」とは、全く毛色の異なる物語だ。
ケネディは航空保安警備の専門家。9・11のテロで妹を失い、この道に進んだ。コンサルタントとして世界各地の空港を飛び回る彼を、CIA(中央情報局)のテロ対策チームがスカウトする。あるテロリストが、複数の空港を狙った大規模なテロを企んでいるというのだ。かくしてケネディは、テロとの戦いに巻き込まれる・・・。
前作で見せたユニークな語り口、凝った人物描写といった強みをすべて封印して、どんでん返しの連続する謀略スリラーに徹している。
人物描写も語り口も控えめで、小説というよりは長いあらすじを読んでいるような気分になるかもしれない。だが、意外な展開の連鎖で形作られた物語は、ぐいぐいと読む者を引っ張っていく。
後半は逆転劇の連続。ひたすら読者を驚かせる展開に特化した、極端に振り切った作品である。

No.161 6点 零號琴- 飛浩隆 2019/03/06 09:41
どんな理屈や説得よりも、人を強く突き動かす力が、ある種の音楽にはある。宗教音楽や軍歌、行進曲、あるいはラブソングだって理性に反する行動に人を駆り立てることがある。この作品は、音楽や音色が大きな意味を持つ世界を舞台にしている。
惑星「美縟」の首都「盤記」には、大都市をすっぽり覆うほど巨大な楽器「美玉鐘」が建国の際に秘曲「零號琴」を奏でたという伝説があった。建国500年を目前に控え、この楽器の部品が出現し始めたのだ。人々は楽器を再建し、秘曲を奏でようとする。
こう紹介すると王道の神話風ファンタジーのようだし、実際、ストーリーは壮大で深遠だ。けれども登場人物は、神話のイメージからは程遠い。やたらと騒がしく、軽々しく、悪のりしやすく、ついでに美少年だったりする。ライトノベル的というか、荘重さの対極にあるのだ。
おまけに、建国500年に合わせて上演される、全市民参加の野外劇の演目は、少女向け人気アニメのタイトルによく似た「仙女旋隊 あしたもフリギア!」なる番組の最終話をアレンジした作品だという。
こんなドタバタ要素満載の設定が織りなす、世界改変の物語、笑いと衝撃と感動で読者を振り回す著者には「悪ふざけがすぎる」という称賛の言葉を贈りたい。

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小原庄助さん
ひとこと
朝寝 朝酒 朝湯が大好きで~で有名?な架空の人物「小原庄助」です。よろしくお願いいたします。
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採点傾向
平均点: 6.64点   採点数: 260件
採点の多い作家(TOP10)
評論・エッセイ(11)
アンソロジー(国内編集者)(6)
伝記・評伝(6)
京極夏彦(4)
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