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人並由真さん |
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平均点: 6.33点 | 書評数: 2106件 |
No.506 | 6点 | 青春の仮免許(プレ・ライセンス)- 大谷羊太郎 | 2019/03/19 06:08 |
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(ネタバレなし)
その年のある嵐の夜、関東の一角にある企業・明陽不動産に二人組の強盗が入る。強盗たちは宿直の社員二人を拘束して社内の金を奪ったのち、その賊を手引きしたと思われる会社の警備職の社員とともに逃走。だがその三人の姿は、犯行に用いられた車とともに瞬時に地上から消失した? それから二十年。東大受験に失敗した18歳の秀才・弓木(ゆぎ)雅彦は苦汁の浪人生活を送っていたが、その年の五月八日、彼の父親で印刷会社の社長である俊郎が謎の失踪を遂げる。それからひと月、雅彦は行方不明の父の捜索を警察にも願い出ていたが、担当のベテラン刑事・並木益雄はよくある蒸発だとして捜査に消極的だった。雅彦は自らも父の足跡を追うが、そんな中で彼が出会ったのは美少女高校生ライダーの蓜島(はいじま)早苗。早苗は五月九日に自殺したとされる実の姉・亜利子の死が本当は他殺だと確信し、証拠となる手掛かりと犯人を探していた。やがて雅彦と早苗、二人の捜索は奇妙な接点を示して…。 1979年の書下ろし長編。時たま入るブックオフで本書の改題文庫版『5秒間の空白』があったので手に取ってみる。考えてみれば評者は、大谷羊太郎作品は初読であった。題名(元版の方)からしていかにも昭和の作品、80年台の若者向けミステリだが、たまにはこういうのも面白いかなと思って読んでみた。ちなみにどうでもいいがAmazonの古書価は元版が3万円以上(このレビューの投稿時点・一応複数出品)でビックリ! 自分が見つけた文庫版の方は100円均一だったんだけど(笑)。 平明で嫌味のない文章はとてもリーダビリティが高い。それで元版の題名からも自明な通り、本作の主題の一つはオートバイ。親一人子一人の生活からいきなり父親を奪われて自立を強いられる主人公・雅彦の成長ドラマが、その父親が愛好していたバイク趣味に雅彦自身が傾注していく流れとシンクロしながら語られる。 作者自身がバイク大好きなんだろうけれど、モータースポーツにほとんど興味のない自分のような読者でも、免許取得の苦労と達成感、車種選定のノウハウ、油断した路上でのケガ、先輩ライダーである早苗との交流……などなどの叙述を介してぐいぐい引き込まれる。熱い。本筋のミステリの方にもちゃんとバイクによる追跡劇(そしてさらに…)を設けるあたり、作者なりの工夫とサービス精神が感じられる。 ミステリとしては冒頭で提示され最後の最後まで引っ張られる人間消失の謎とトリックとか、(中略)な犯人の扱いとか得点も少なくない一方、人間関係が狭すぎたり、意外な真相が探偵役や警察の捜査や推理ではなく関係者の自供によって判明したりとかの短所もあり、平均すると中の中くらいか(ただし謎解きネタの積極的な詰め込み具合には、独特のパワーを感じる)。 ミステリの興味を補強する部分が、前述の青春バイク小説としての熱量。いや、ミステリにそんなもの求めてはいないんだよ、バイクなんかどうでもいいんだよ、という自分でも結構面白く興味深く読めたのだから、これはホンモノじゃないかって(笑)。 作者がミステリとしての作劇・構想上のノルマを一応は果たしながら、一方で自分の領分の好きなことを書いて相応の成果を上げた感じ。こういうのもまあ、いいでしょう。 |
No.505 | 7点 | デリケイト・エイプ- ドロシイ・B・ヒューズ | 2019/03/17 20:49 |
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(ネタバレなし)
我々の現実とよく似たもう一つの世界。そこでは第二次世界大戦が12年前に終結。敗戦国である日本という国家は消滅し、ヒットラー率いるナチスが滅び去ったドイツは国際連盟の監察下に置かれていた。しかし今現在、穏健な仮面の下でタカ派ドイツの再興を目論む連中が暗躍を開始し、世界情勢の鍵は人口が加速的に増殖する黒人たちの国家連合「赤道アフリカ」の動きが大きく影響することになっていた。そんな緊張下、人類の平和を祈念する国際機関「平和局」の局長サムエル・アンストルーサーは世界の危機を回避するため、赤道アフリカの代表であるファビアン国務卿のもとに向かうが、その途上で暗殺者の標的となった。平和局の次官のひとりでアンストルーサーの意志を託された青年ピアズ・ハントは、近日中に迫る世界平和会談の日まで上司の死を秘匿したまま対策を図るが、そんな彼の前にドイツのタカ派たち、さらには平和局内部の軋轢、そして……さまざまな障害が立ちはだかる。 1944年(!)のアメリカ作品。つまり作者ヒューズは第二次世界大戦のまだ継続中、ヒットラーもまだ健在な時期に、連合国側が勝利した前提の戦後の近未来設定で、さらなるナチス(的な)ドイツが再興する脅威と、それに挑む諜報員の苦闘を書いた訳で、この文芸設定を認めたときはちょっと驚いた。 とはいえまあ日本でも戦時中の児童向けSF冒険間諜小説なんかで、今後の未来性を予見したり願望した内容のものなんかはありそうだし、そういう流れで考えればそれほど驚異ではないのかもしれない。それでもマクロイの『逃げる幻』なんかがほとんど終戦と同時に刊行されたことと合わせて、当時の欧米の作家はやはり余裕があった、という感じも強いが。日本なら、岡山で終戦と同時に快哉を上げた横溝正史の姿と心情の方がピンとくる。 作中の時代設定は明確にされていないが(この世界の第二次大戦がいつ終結したかはさすがに明記されていないので)、まあ現実に則して1950年代の終盤あたりの出来事か。そんな時局のなかでの主人公は平和局次官の一員であるピアズ・ハントであり、彼が親善を装うドイツ側と腹の探り合いをしながら(ピアズ自身のプライベートな過去にからむドラマも語られる)、一方でそんなピアズから、公式にはまだ行方不明なままの局長アンストルーサーについての情報を聞き出そうと、ドイツ側、平和局の同僚、さらにはアンストルーサーの実の娘ビアンカやNY警察までが接触を図ってくる。やがて読者はある種のマクガフィンの存在や、ピアズが局長の死をぎりぎりまで隠蔽する事情をテンションの中で少しずつ小出しにされ、その辺がエスピオナージュとしての本作の読みどころになっている。 作品そのものが書かれた現実的な時局、さらには世界平和を求める主題が相乗して独特の迫力を放つ一冊。本書刊行の背景には、悪く取れば、もちろんある種の国策的・プロパガンダ的な一面(もっと?)もあるんだろうけど、クライマックスのピアズそしてファビアンの描写など、問答無用に魂に響く。ミステリフィクションの中に当時の時代性の一端を探りたい人は、一回は読んだ方がいいだろう。 解説では本作と作者を語るなかで「文学的スパイ小説」の見出しがついているけど、こういった準SF設定を盛り込んだスパイ小説+人間ドラマとして確かに読み応えはあった。 ちなみに題名の「デリケイト・エイプ」とは、小説の終盤でピアズの想念に浮かぶ「上品な体裁や贅沢さを忘れることができず、葉のしげる安全な高い木の上にいて(自分たちの欲望や思想を満足させるために)戦争を駆り立てる猿人(のような人間)」の意味。ポケミスの表紙はすごい印象的な具象画だけど、さすがにこのニュアンスまでは拾い切れてないねえ。 翻訳は古いものながら、時代を考えればかなり読みやすい方だと思う。冒頭のウールリッチを思わせる叙情的な雰囲気なんか結構いい味を出してる。 |
No.504 | 8点 | 銀の仮面- ヒュー・シーモア・ウォルポール | 2019/03/17 13:42 |
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(ネタバレなし)
ホレス・ウォルポール(『オトラント城奇譚(綺譚)』)の子孫で、日本では本書の表題作にもなっているイヤミス名作短編の作者として知られる、ヒュー・シーモア・ウォルポールの傑作短編集。 国産ミステリの実作者としても有名な倉阪鬼一郎がウォルポールの原書短編集3冊を読み込み、その中から非スーパーナチュラル系の短編6本、幻想と怪奇、綺譚風の5本と計11編の短編を選出して翻訳した日本オリジナルの短編集。それだけ編訳者の思い入れのこもった愛情あふれる一冊だといえる。 評者も多くのミステリファン同様に? 短編『銀の仮面』には強烈なインパクトを受けたものの、大系的にウォルポールの作品群をまとめて読んできた訳ではなかったが、このたび思い立って本書を手に取った。就眠前の時間を中心に、実動4~5日くらいで読了(一本だけの日もあれば、4本まとめて読む日もあった)。 大半の作品が人間関係の綾というか主人公と他者との関係性から生じるストーリーなのはいかにも短編『銀の仮面』の作者らしいが、意外なのは必ずしも作品が悪意的なシニカルさを軸とするのではなく、時には優しさの行き違い、あるいはタイミングと置き場所を取り違えた思いやりの危うさ、といった切なさのようなものまで描かれること。あの『銀の仮面』の作者だから、ほぼ全部の収録作品が、藤子不二雄A先生調の泥臭いブラックユーモア路線かもしれないと覚悟していたのに。 あと印象的なのは、随所に「読者はここでこう思うだろうが」とか「この手の小説なら従来は~」とか、メタ的な記述が自在に織り込まれること。必ずしも効果を上げてるとはいいがたい印象もあったが(倉阪訳のうまさもあって語り口は巧みでどの短編もスムーズに話に引きこまれるのに、時たまその手の記述のために、水を差されるような感を抱いた)、この辺も作者の個性だったかもしれない。 以下、簡単に各話の寸評&メモ。 <第一部・非スーパーナチュラル編> 『銀の仮面』 やはり名作。もちろん21世紀の時点で見れば、主人公が最悪の危機を脱する機会は何回かあるようなところも見受けられるが、再読してみると覚えていたより短めの作品で、それだけに勢いで最後まで読者を乗せてしまう強みも感じた。 『敵』 これ以下は全部が初読だが、この一編で『銀の仮面』のウォルポールの印象が大きく変わった。自分の生活・人生に入り込んでくる他者という主題は『銀の仮面』と一緒だが……。ラストは深読みすれば悪意的にとれないこともないが、個人的にはあえて(後略)。 『死の恐怖』 シニカルな話だが、どっか切ない読後感がいい味を出している。エリンの短編とかに近いかも。 『中国の馬』 経済的な苦境から、独身の中年女性が自慢の屋敷を他人に貸す話。話の流れは読めるところもあるが、短編形式としてのストーリーテリングぶりでは本書のなかでもトップクラスか。 『ルビー色のグラス』 男児が主人公の、幼い屈折心を描いた話。こっちはダールかスレッサーの短編とかを想起させる。仕上げが鮮やか。 『トーランド家の長老』 『銀の仮面』のウォルポールらしいイヤな話。ただしこちらは陽性のブラックユーモア感で、妙に心地よい。 <第二部・スーパーナチュラル編> 『みずうみ』 王道的なホラーストーリー。中盤までのドラマの機軸が人間関係の摩擦なのは、とても作者らしい。 『海辺の不気味な出来事』 本書の中で一番短い話。その割に技巧的で、ある意味でメタ的な部分もあるような。 『虎』 英国の青年が渡米して、猛獣の幻想におびえる話。本書の中では比較的長め(といっても30ページ弱)だが、語り口のうまさを満喫。ラストはもうちょっと違った感じでも良かったかも。 『雪』 モーリアの『レベッカ』みたいな設定で本当に……。正統派の不条理&理不尽ゴーストストーリー。良くも悪くもマトモな怪談。 『ちいさな幽霊』 死別した友人を寂しく偲ぶ幽霊譚かと思いきや、こういう方向にまとめるとは。これはほとんど、あの(中略)の、かの名作短編。万が一、向こうの作者に影響を与えたといっても、十分に納得する内容。 旧時代の古色を感じる話もあるけれど、読んで満足の良質な短編集。評点は、編訳者の企画力と御尽力に敬意を表して0.5点オマケ。 巻末の千街さんの詳細で丁寧な解説(広義の意味で『銀の仮面』と世界観を共有する作品があるという情報には驚いた!)を見ると、ウォルポールには広い意味での長編ミステリも意外に多く(もちろんどれも未訳)、中にはあのJ・B・プリーストリー(『夜の来訪者』)との共作などもあるというから、面白そうなものはどんどん発掘紹介してほしい。 【2019年7月31日追記】長編ミステリは未訳と書いたけれど、2004年に一冊『暗い広場の上で』というのがポケミスから刊行されていたらしい。不覚。そのうち読んでみましょう。 |
No.503 | 5点 | 魔王サスペンス劇場 土けむりダンジョン、美人勇者殺し- 丹羽春信 | 2019/03/14 18:36 |
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(ネタバレなし)
どこかの異世界。レジェンド級の勇者ラトから、その強大さを称えられた魔王ルート。200歳前後の寿命を重ねながらも容姿と精神年齢は10代の少年のような彼は、自分を討伐しようとする勇者たちのパーティを28年ぶりに迎える。だが一瞬、魔王の間が暗闇に包まれた直後、5人の勇者の中で最強格の女性レクシアの体を長剣が貫いていた。彼女を殺した者は、勇者たちと魔王を含めてこの中にいる? 一同は互いの推理と思いつきを交換するが。 作者自身があとがきで「ミステリー風味のドタバタ・ギャグ小説」と語っているからマトモなミステリ作品として評価するべきではないかもしれない。ただしそれでも少なくとも途中までは、徐々に明らかになる被害者の意外な顔とその上での矛盾、各容疑者の動機を精査していくなかで見えてくる疑念、その繰り返し…などなど、普通のフーダニットパズラーとして読んでも割と面白い? 異世界ファンタジーの条理として主人公格の魔王ルートが用いる魔法も事件に関係する過去のエピソードを眼前に引き寄せながら、その上で随所に覗く複数の矛盾や疑問点から真相を隠蔽する要素を切り崩しにかかる。ここまでやるんなら、全体の味付けは異世界ドタバタコメディでも別にいいけれど、事件そのものはまっとうに(異世界の条理にもとづいたとしても)ロジカルにマトモなミステリとして決着させてほしかったなあ、と。 いや、作中世界では一応はロジカルにカタが付くんだけどね、そこに行くまでが読者との知恵比べになってない。この作品特有の魔法ルールとか世界観とか、伏線や前振りもなしに、いくつかいきなり飛び出してきちゃってるので。 うーん、もったいないなあ。最後の意外な真相を見ても作者は結構、新本格的なミステリセンスはありそうなんだけど。編集者の方でマトモな謎解き作品にすることはないよって、ブレーキかけちゃったのかしらん。あるいは何らかの制約(時間的な締め切りとか、伏線を入れるので紙幅を費やしちゃいそうとか)で作者自身が断念したか。どっかに変わったフーダニット(っぽい? 一冊)がないか、という人は、一回読んでみてもいいかもしれない。最後まで楽しめるかどうかの保証はできないけれど(汗)。 |
No.502 | 5点 | 五時から七時までの死- アンドレ・ポール・デュシャトー | 2019/03/14 02:49 |
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(ネタバレなし)
保険会社「オムニ・リスク」の女性事務員で26歳のヒルダ・ポレは、深く愛していた母としばらく前に死別。同性の同僚ニコール・クラエッセンや伯母ジェルメーヌなどとの付き合いはあるが孤独を癒やすことはできず、母の死以来、生きる気力が著しく減退していた。ヒルダは自殺を図って致死量の睡眠薬を飲むが、その時かかってきた間違い電話に応じ、相手の男性に自分が死の域にあることを何となく伝えてしまう。生きるようにと強い気迫で励ます相手の男は強引にヒルダの名と住所を聞き出し、医者を急行させて自分もヒルダのもとに赴いた。成り行きから自分の命を救った男に心引かれていくヒルダ。だが男=ルイ・ドゥロモンはちょうど会社での自分の部下レイモン・ヴェルジェの妻ジャニーヌと不倫関係をこしらせている状況だった。錯綜する人間関係のなかで、ヒルダの迎える運命は。 1973年のベルギー作品で、74年度のフランス推理小説大賞受賞作品。フランスミステリのシンパとして本書巻末の解説を担当した日影丈吉によると、同賞は74年内に刊行された自国の作品のみならず、同年にフランス語に翻訳された海外ミステリも受賞の対象になるらしい。日本でいえば日本推理作家協会賞の本賞を、話題の翻訳ミステリに与えるような感じか。 主要登場人物も少ない、いわゆる名探偵も登場しない、紙幅も少ない、ある種の技巧を用いたサスペンス仕立て……と、コテコテのフランスミステリ(ベルギー産)だが、本作の場合は巻頭の献辞がかのベルギーミステリ作家の大先輩S・A・ステーマンに捧げられていて、それもあって、ちょっと興味を惹かれた(ついでにいえば作中でヒルダがニコラス・フリーリングの『アムステルダムの恋』を読んだりするのも楽しい~ちなみに本書内では「アムステルダムの愛」と書名を表記……。ハヤカワ、自分とこで出している本だろう、しっかりせい)。 中盤で視点がヒルダから別のキャラに変わり、少しずつ人間関係が明らかになっていく内に作者の狙いはなんとなく見えてしまうが、それでも物語がどういう着地点を踏むのかという興味でそれなりに読ませる。ラストのツイストはキレイに決まった感じだが、まあ先読みしてしまう人はしてしまうだろう。実際、このまんまでないにしても、かなり近いオチはもっと古い作品で読んだような気もする。キライじゃないけれど、2~3時間くらいで一気に読んで、何かを感じればよい、そんな作品。 ところでこの作者、Amazonで名前からのリンクをたぐると他のミステリ小説の邦訳はないけれど、ルブランのルパンもののコミカライズシリーズ用の文芸を提供してるのね。コミック作画のために原作をアレンジしたシナリオ作成か。日本で言うと氷川瓏とか武田武彦とか、そういうポジションかね。 |
No.501 | 6点 | 仮面劇場- 横溝正史 | 2019/03/12 17:52 |
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(ネタバレなし)
昭和8年6月11日。瀬戸内海の観光船N丸は、洋上に浮かぶ箱のような筏(いかだ)のような、奇妙な一艘の小船に遭遇する。その船上にはガラス製の棺が設けられ、中には19~20歳と思われる絶世の美青年が死んだように眠っていた。そしてその脇に置かれた「盲にして聾唖なる虹之助の墓」と書かれる紙片。たまたまN丸に乗り合わせていた鎌倉の富豪で美貌の未亡人・29歳の大道寺綾子は、どのような経緯でこのような目にあったかも不明な虹之助を不憫がる。そんな綾子は同じN丸で知り合った名探偵・由利麟太郎の、もう少し冷静に、勢いで行動しないように、という忠告も聞かず、美しい三重苦の若者の後見人を買って出た。かくして大道寺家に迎えられた虹之助。だがこれこそが、綾子の恋人である冒険家・志賀恭三、そして彼の親族である甲野家の面々を震撼させる地獄絵巻の幕開けであった。 昭和13年の「サンデー毎日」に原型の中編版が連載され、昭和22年に大幅に加筆改稿されて長編化された由利先生ものの一本(長編版の初刊行時の題名は『暗闇劇場』)。 評者は大昔の少年時代に角川文庫版で最初に手に取ったものの、盲聾唖の美青年が(戦前の昭和とはいえ)現代の日本国内の洋上に、死装束で棺型の船に乗せられ漂ってくるという物語のいきなりの開幕に、あまりにも紙芝居だと爆笑してしまい(もちろん現実の身障者の方々を揶揄する気などは、本気で毫ほども無いが。ついでに言えば紙芝居という大衆文化も、真顔では軽視してません)、序盤で読むのを中座。それ以来何十年も放っておいた。ああ、人生のなかで自分は何回、「盲にして聾唖なる虹之助の墓」の一文を思い出しては笑い転げたものか。 それで今回、柏書房の「由利・三ツ木探偵小説集成」の三巻にしっかりした編集で収められたのを良い機会と思って、例のごとく<長きにわたるミステリ読者ライフの宿題のひとつ>に挑戦してみたワケである。 はたして久々に目にした冒頭の外連味はもはやパブロフの犬なみにまたも評者の爆笑を誘ったが、中盤以降の怪異な連続殺人のスリラー劇、そしてその上で狙い定められたフーダニットパズラーとしての面白さはなかなか読ませた。ちょっとしたミステリファンなら海外の某名作やのちの横溝自身のかの著作などを連想させるところもあるだろうが、その辺はその辺で横溝ファンの末席のひとりとして興味深い面もある。 真相の意外性については特に(中略)などのポイントにおいて今でも論議を呼ぶだろうが、当初から作者はこの構想のもとに本作を綴ったのだろう。個人的には、これまで読んだ横溝の諸作のなかで、最も20世紀終盤からの新本格パズラー群に近しい味わいを感じた。近く原型の中編版の方も読んでみよう。 最後に、さらば、虹之助。とにもかくにも本書にカタをつけて一編のミステリとしての見極めをした現在、もはやこれまでのようにキミのことを思い出しただけで爆笑することはあるまい。 |
No.500 | 5点 | 地図にない谷- 藤本泉 | 2019/03/11 01:27 |
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(ネタバレなし)
1970年代初頭のその夏。都内で同棲相手と別れた女子大生・帯金多江は、故郷である長野県、諏訪湖周辺の山村・鬼兵衛谷に帰郷した。地元の風土に関する研究レポートをまとめようと思う多江は、疎遠になっていた婚約者の若者「モン」こと五代目・田代門左衛門に再会。モンもまたしばらく前に東京の大学から帰ってきた身である。モンは多江に、さらに山奥の死人沢で原因不明の変死が毎年頻出している情報を伝え、ともに調べないかと申し出た。だが多江の母親で、鬼兵衛谷の大地主でもある未亡人・静野はなぜか多江の調査に猛反対した。自分の意志でモンとともに死人沢に赴いた多江は、土地の人々が続々と頓死する謎の風土病「いきなり病」の存在を知るが、事態の奥には彼女たちの想像を絶する真実が秘められていた。 すでに1968年にプロ作家としてデビューしていた作者が「藤太夫谷の毒」の題名で1971年度の第17回乱歩賞に応募し、最終選考まで残った作品を改稿して1974年9月に産報から刊行したもの(2019年3月現在、Amazonには元版の書誌データがないが)。 評者は今回、後発の徳間文庫版で初めて読んだが、巻末の中島河太郎の解説を先に目にすると、作品そのものの完成度は高いが、土着的なテーマがきわどく公的な刊行物として容認すべきかどうか、乱歩賞の時点での選考委員の間で揉めたらしい記述があった。それゆえコレは部落問題とかハンセン氏病などを扱った作品だろうかと思いきや、そういう分かりやすいものではなかった。 もちろんここでは詳述は控えるが、個人的には一読してどこが微妙なのかはまあ分かるものの、それほど気にする文芸設定ではないような思いも抱いた(万が一、本書を読まれた上で、評者の見識とは異なって、何か不快に思われた方がいたらそれはお詫びするしかないが)。 評者が藤本作品を読むのはこれが初めてだと思うが、筆力そのものは信頼できる書き手と思うし、小説の地の文の求心力も申し分ない。ただし個人的には、21世紀の今となってはもう動機や事件性に関する観点がやや古い感じがしないでもない。限定された舞台の閉ざされた場での物語ながら、ほぼ半世紀前の昭和ミステリという時代性は常に意識しながら読むべき一作だろう。 さらに作者の方にも、物語上のサプライズやストーリー面でのツイストをことさら押し出す意識もあまりないようなので、読者はとにかく主人公の視点にそのまま付き合い、提示される物語の流れにただ乗っかって消化していくのみ、という感じである。 お話そのものに起伏感はあるので読んでいてつまらなくはないが、あまりミステリ的なときめきもない。そういう意味では困った作品。犯人役というか、悪役のキャラクター像はなかなか印象に残るけれど。 あと主人公コンビの設定は、素直な1960年代少女マンガのラブコメにしたら照れ臭いので一回捻りましたという趣。この辺は微笑ましい。それから映画好きである主人公コンビの話題や記憶の中に、トリュフォーの『黒衣の花嫁』やアンブラーが脚本を書いた『SOSタイタニック』さらにはW・マーチ原作の『悪い種子』など、旧作ミステリファンにはおなじみの題名が続々と出てくるのは楽しかった。 |
No.499 | 8点 | 砂の渦- ジェフリイ・ジェンキンズ | 2019/03/08 21:47 |
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(ネタバレなし)
1959年のアフリカ南西。「私」ことトロール船「エストパ号」の船長ジェフリー・マクドナルド(本名ジェフリー・ピース)はある夜、胡散臭そうな学者アルバート・スタインから仕事の相談を持ち掛けられる。それはアフリカの一定の内陸部に棲息する希少種のカブト虫を調査するため、激流に囲まれ、船の座礁の危険度も極めて高い遠浅の海岸「骸骨海岸」へスタイン当人を搬送する依頼だった。だが骸骨海岸とその向こうの広大な砂州「クルバ・ドス・ドゥナス(砂の渦)」こそ、ジェフリーの祖父で旧世代の海の男だったサイモンが私有地(遺産)として孫に遺した、とある秘宝の眠る辺境の英国領だった。そしてその地は、かつて第二次大戦中、英国海軍の潜水艦艦長だったジェフリーにとっても深い因縁の戦場であった。骸骨海岸周辺の危険さを知るジェフリーはスタインの依頼を断るが、そんな彼を予期せぬ事態が待っていた。 1959年のイギリス作品。作者ジェキンズは1970年代の半ばから80年代にかけて日本でも何作か長編が紹介された冒険小説作家。ハモンド・イネス系列の正統自然派冒険小説の流れを汲みながら、当人が南アフリカ連邦で生を受けたこともあって、アフリカを舞台にした作品が多いのが特徴だった。 とはいえ評者なんかは日本に初紹介の長編『ハンター・キラー』(これもアフリカが舞台の潜水艦小説)を読んで普通に面白いな、と思ったものの、<その著作の大方が、読めば一定の満足度を得られるであろう、安定感のある英国冒険小説作家>という感じで心の中の棚に上げておいて、何冊か購入したハズの本も例によってツンドクのままだった(汗)。 それで少し前に本当に久方に気が向いて、ジェンキンズの処女長編である本作を手に取った。今回、評者の興味を強く推したのは、邦訳書(パシフィカ版。作者名ジェフリー・ジェンキンズ表記)の裏表紙にも引用されている、かのイアン・フレミングの生前の賛辞「高級で創造的な冒険者たちの伝統の中から生まれたはじめてと言って良いほど洗練された想像力にあふれた作品だ」(サンデイ・タイムズ)である。……なんか無茶苦茶褒めてるじゃないの? ホントなの!? という感じであった。 そういう流れで読み始めたこの一冊だが…いや、これは、確かに面白かった。 アフリカ陸海の過酷かつ多様な自然をイネス風の立体感ある筆致で書きこみながら、一方で物語の中盤から主人公ジェフリー・ピースの大戦中のドラマチックな秘話にも迫る。そしてそこで語られたある印象的な出来事(結構ケレン味豊かなネタが出てきてビックリ!)、さらに祖父のサイモンが遺した秘宝? の謎と、複数の物語の要素を現在形の冒険ドラマの中に巧みに組み込みながらストーリーを進めていく(中盤から登場する、過去のある学者ヒロイン、アンネ・ニールセンのキャラクターもいい)。 そんなもろもろの小説要素を鮮やかに束ねた後半の展開は、実に見事な燃焼感と独特な情感を評者に抱かせた(あまり詳しく書くとネタバレになるので控えるけれど)。 特に、後半の秘境冒険小説的なイベントの連続を経た終盤のサプライズは、ああ、ここでこう話がリンクするのか! とハタと膝を打った。 読んで良かった優秀作。 ちなみにフレミングが『ダイヤモンドは永遠に』を著したのは56年で本作の数年前だから、当人にとってアフリカのダイヤ採掘という小説的主題(本作にも少しダイヤ採掘の件は物語の要素として出てくる)は本書刊行の時点では過去のものだったろうけれど、後進の作家が自分の作品と接点のある題材で、勢いのある新規の物語を紡いだのが相応に嬉しかったのではないか。先に紹介した賛辞をとりあえず素直に受け取りながら、評者は勝手にそんなことを考えたりしている。 そのうちまた、ジェンキンズ読もう。自分にとって、良い意味で第二のイネスみたいなポジションになってくれればいいなあ。 |
No.498 | 6点 | 断片のアリス- 伽古屋圭市 | 2019/03/07 19:29 |
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西暦2130年前後。人類は、地球全体を襲ったかつての大災害のために総人口の大半を失っていた。寒冷化した地球全土で暮らす人々は「アリス」と呼ばれる仮想世界を構築し、もうひとつの現実としてその中でも生活する。今では多くの人間が現実ではなく、そのアリスの中で就業して収入を得るほどだった。そんなある日、「わたし」=「ハル」こと椎葉羽留は何者かの意志によってそのアリスの通常世界と途絶された、別の電脳クラスタに放り込まれ、そこでピノッキオ風のパペットのようなアバターを与えられる。ハルは同じような立場の男女たちと出会い、ともに、謎の意志が提示するクエストに向かっていくが、そんな彼らの中で<連続殺人>が発生。仲間がひとりひとりと消えていく。
持ち芸の幅の広さを誇る作者の、今回はSF設定のフーダニット。<謎の意志によって集結させられた見知らぬ者たち>という『そして誰もいなくなった』を思わせる、クローズドサークルものの変種といえるシチュエーションが用意されている。 特に作中人物が次のステージに移行する時は仲間の誰かが死ぬときというシステムが謎の意志によって設けられ、そのために登場人物は、お互いが現状を打開するために誰かを殺そうという殺意を秘めているのでは? という疑心暗鬼にも駆られる。この辺のサスペンスの盛り上げはなかなか効果的だ。 特殊な設定ながら、フーダニットのミステリとしては存外に普通の作りで、ことさら本作ならではのSF設定は謎解きにはからんでこない。通例の現実の現代を舞台にした謎解き作品でもありそうな手がかりと伏線から、真犯人は導き出される。その辺は謎解き作品として手堅いともいえるし、意外にフツーだなという感覚もなくもない。 ただし本作のさらなる価値は、終盤のもうひとつの意外性にあるだろう。決して斬新なものではないネタだろうが、物語との親和性は非常に高く、独特の結晶感を感じた。深い余韻に包まれながらページを閉じることができる一冊で、佳作~秀作。 |
No.497 | 6点 | キルケーの毒草- 相原大輔 | 2019/03/05 18:58 |
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(ネタバレなし)
時は大正。帝都新聞の記者で新進の怪奇小説作家でもある青年・木村敬介は、懇意にしている叔父夫婦と別れたその夜、ある人物と出くわして、妖しい怪異譚を聞かされる。だがその後、敬介は人々の前から姿を消した。やがて敬介の知人の若き小説家・鳥部林太郎は、消息不明になった同人の手がかりを求めて捜索を開始。鳥部は、敬介の知己である奇矯な言動で有名な華族・桐嶋秀典男爵の屋敷を訪れるが、そこで彼は旧知の遊民・大島耿之介に再会した。しかし桐嶋家の周辺ではかねてより家人の突然の失踪など怪異な事件が頻出しており、今また鳥部と大島の前で新たな惨劇が……。 『首切り坂』に続く、鳥部林太郎と大島耿之介コンビシリーズの第二弾。……とはいってもこの作品が書かれてからすでに、特にその後の動きがないまま14年も経ってるんだから、おそらくシリーズはこのままここで終るであろう。 本作はカッパ・ノベルスの書下ろし、二段組みで500ページ強。たぶん原稿用紙で1000枚前後のボリュームで、錯綜する事件のボリューム感も絶大。紙幅的に軽め、内容も言ってしまえばワンアイデアストーリーだった前作とは大きく様変わりしている。ここまで極端なシリーズ展開も珍しい……かな(何か前例がありそうでもあるが)。 新登場のキーパーソン・木村敬介が接する怪異譚の叙述をプロローグに、鳥部が登場してからは舞台が桐嶋家にほぼ固定。『ワイルダー一家』や『屍の記録』を思わせる世代を超えた家人消失の謎などもからんで、じわじわと物語を盛り上げていく。 とはいえさすがに分量的に長すぎて疲れるのは必至だが(汗)、前作同様になかなか文章が達者なのでその辺で読ませる強みはある。中盤で大きな事件が起きてからは加速度がいっきに高まり、終盤の二転三転する謎解きはぐいぐい引きこまれた。 最後に行き着く真犯人の意外性とその動機(というか背後事情)はかなり強烈。その分、真相はかなりぶっ飛びすぎていて、今回もとどのつまりはまたアイデア先行? ……と思いきや、たしかに作品の前半から件の部分について作者は布石を張っている。疲労感すら覚えた長さだけど、この解決に至るまでのいろんな意味での段取りとして、これだけの紙幅を書き手が必要としたのはまあわかった。 終盤、メインの事件の真相が判明したのちの意外なツイストは部分的には先読みできたが、描写の比重のかけ方に作者なりの意気込みが覗けて印象深い。 全体のバランス感でどうも違和感を拭えない面もあるので秀作・傑作だとは言いがたいが、豊富なネタをつめこんだ力作なのはマチガイないだろう。特に19章以降の、いかにも新本格的な謎解きはニヤリとさせられた。 改めてこの作者の方、今はどうしているのかね。前作と本作の差別化具合を考えるなら、三作目にどういうものが来ていたか、なかなか興味深かったけれど。00年代の新本格シーンにおいては、探偵役の主人公コンビのキャラクターの薄さは弱い部分があったかもしれない。 |
No.496 | 6点 | 十三の謎と十三人の被告- ジョルジュ・シムノン | 2019/03/04 19:59 |
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(ネタバレなし)
1929年から30年にかけて執筆されたシムノンの初期作品で連作短編ミステリの三部作「13(十三)シリーズ」、その二作目と三作目をまとめたもの(第1作『13の秘密』は創元推理文庫からほぼ半世紀前に既刊)。 そういえば『十三の謎』の主役探偵「G7」は、大昔の少年時代にどっかの某・新刊書店で、古書ではない売れ残りのポケミスのアンソロジー『名探偵登場』の第6集を買って「シムノンの作品だけど、メグレじゃないの? 誰だこれ?」とか何とか思ったことがあったような気がする。評者みたいなジジイのミステリファンにとっては、そういう思い出のキャラだ(笑)。 内容の方は一編一編の紙幅が少ないものの、(本書の巻末で瀬名秀明氏が語っているとおり)シリーズの初弾『秘密』から本書収録の『謎』『被告』と順繰りに読んで行くにつれて、初期のシムノンの作家としての形成が覗けるような体感がある。評者はたまたま数年前に『秘密』を初めてしっかり読んだんだけど、その印象が薄れないうちに本書(『謎』『被告』)を通読できてラッキーだった。普通の? パズルストーリーからシムノンらしい作家性の萌芽まで、三作の流れにグラデーション的な味わいがあってそれぞれ面白い。どれか一作といえば、「ホームズのライヴァル」の時代の連作ミステリ的な結構のなかにチラチラシムノンっぽい香りが滲んでくる『十三の謎』が一番よかったかな。「古城の秘密」の王道ミステリ的などんでん返し、「バイヤール要塞の秘密」のなんとも言えない無常観、「ダンケルクの悲劇」のそういうのあるのか!? という幕切れ。それぞれが味わい深かった。『被告』の方もバラエティ感があって悪くないけれどね。 ちなみに前述した本書の巻末の解説は、いま現在、日本で一番シムノンに愛を傾けているであろう作家・瀬名氏による書誌資料的にも貴重な記事で、読み応えたっぷり。これだけでも本書を手に取る価値はあろう。「メグレ前史」の四長編(シムノンがペンネームを確立する前に別名義で書いたという本当の意味で初期のメグレもの。カーのバンコランの『グラン・ギニョール』みたいなものか? 向こうみたいに後続作にリメイクされたかどうかは知らないが)、ぜひ翻訳してください。 まあ、今のミステリファン内のシムノン固定客の掴みぶりを考えるなら、黙っていても数年内には邦訳刊行されそうな気もするが。 |
No.495 | 6点 | ダイヤルMを廻せ!- フレデリック・ノット | 2019/03/03 03:29 |
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(ネタバレなし)
同名のヒッチコックの映画版で日本でも著名な、1952年に英国で初演されたオリジナルミステリ劇の戯曲の邦訳。巻末に質量ともに素晴らしい町田暁雄氏の解説がついているが、それによると今回の翻訳は、改訂が加えられた1953年の米国版をベースにしたそうである。 本書を読む前に復習にと思い、実にウン十年ぶりにヒッチコックの映画版を視聴した。結局、その原作となるこの戯曲版のストーリーは映画と8~9割方は同じなので、内容的には再履修するような感じであった。読みながら当方が気がついたわずかな異同は、ほとんど、より緻密に愛情を込めて巻末の解説で言及されているし、読者としては立場がない(笑)。 一読しての印象だけいえば、目で会話とト書きだけの物語を追い掛ける分、色彩豊かな映像や音感での補強がある映画版とはまた異なった凝縮感は得られたが。 ちなみに前述通り、本当に充実していて教えられることも多い解説だが、あえて重箱の隅で一つだけ(汗)。 作者フレデリック・ノットは本作や『暗くなるまで待って』などオリジナルのミステリ劇を3本書いたほか、他の作家のいくつかのミステリ小説の戯曲化などもしていたそうである。それでその中のひとつが「トマス・スターリングの小説から脚色した<MR.FOX of Venice>(1959年)という戯曲である。」(巻末の解説そのまま)だそうだけど……スターリングでベニスでフォックス氏といえば、これはもうポケミスから刊行されている『一日の悪(わずらい)』のことでしょう。原題は違うけれど。作品名を書かないことは別段マチガイじゃないけれど、クラシック主軸のミステリファン向けの叢書なんだし、ネタバレにでもならないのならそこまで触れておいた方が絶対にいいよね? 町田氏の知見の内になかったとしても論創の編集側から、該当の原作に翻訳があることとその邦題くらいは教えてあげてほしかった。まさか知らないワケはあるまいし。 |
No.494 | 5点 | 赤猫- 柴田哲孝 | 2019/03/02 19:28 |
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(ネタバレなし)
1996年12月。練馬区で大火事が発生し、現場から71歳の男性・井苅忠次の焼死体が発見された。井苅の死は放火殺人によるものと判明し、さらに現場から、彼の年の離れた妻・鮎子を名乗る女性が行方をくらましていた。鮎子に嫌疑がかかるが、捜査は事実上の迷宮入りとなる。そして20年の時が経ち、同件を担当した今は退職直前の石神井署のベテラン刑事・片倉康孝警部補は、改めて現在の視点から、この事件に取り組むが。 石神井警察署・片倉康孝警部補シリーズの第三弾。今回は秀作だった第1作『黄昏の光と影』の路線に戻り、またも数十年単位で昭和史を縦断するダイナミズムを披露してくれる。その意味では水準以上の求心力があってとても結構なのだが、そういったタイプの作品ゆえに登場人物の総数も名前が出てくる者だけで60人前後にも及び、物語の錯綜ぶりもハンパではない。『黄昏』はその辺りはもう少しうまく流れを捌いていたと思うし、実際の昭和史とのリンクも鮮やか、何より最後のどんでん返しも決まっていた。今回は同じラインを狙ったのはいいが、いろんな意味で先行編の縮小再生産&消化不良に陥ってしまった感じがある(細部がきっちり明かされない、舌っ足らずな部分も少なくない)。あと結局、作品の中盤で若手刑事の須賀沼が指摘した(中略)の件って、なんの意味も無かったんだよね? 本編そのものには勢いがあって読ませたけれど、最終的な完成度と新味においてはいまひとつふたつ、というところ。ミステリ的な最後の決着もアレだし。 片倉と智子さんの復縁関係が一歩下がって二歩進む叙述と、普段は片倉と不仲な今井課長の意外な前向きぶりは良かった(その分今回は、相棒の柳井がいつもより脇に回っちゃった感じもあるが)。 本シリーズは構想にも取材にも、かなり書き手のエネルギーを必要とするものとは思うが、クリーンヒットすればかなりの傑作ができる可能性は見やるので、今後も読んでいきたい。 |
No.493 | 8点 | 虚構推理 鋼人七瀬- 城平京 | 2019/03/01 03:27 |
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(ネタバレなし)
いや、とっても面白かった。 <@@>のプリンセスみたいなヒロインが当然<@@>の実在を前提にしながらその<@@>の一種を<中略>するため<中略>という現代的なツールを使い「<@@>なんて<中略>なんですよと」詭弁の物量と機動性で勝負に出る。 しかもそこで説かれる「推理」は「探偵」役たるヒロインにとって、当初から自覚的な「虚構」という逆説。 さらにその詭弁論理の戦いの軸には、あのセリフを放った時の京極堂や矢吹駆VSニコライ・イリイチみたいな、主人公と強敵とが対峙する構図があり、その辺の趣向にもワクワク。 これこそ正に21世紀のエンターテインメントミステリ。 <@@>が普通に存在する世界での、それゆえのロジックを活かしたパズラーそのものは「ダーシー卿」みたいな感じに割と普通に(?)作れそうだが、もしもその世界設定を120%活用しようとするのなら、ここまでやってこそ本物だよね。しかしクライマックスの岩永の「推理」の向こうで、延々と<中略>し合う両人のイメージは、おぞましくも美しい。 ちなみにAmazonでの、文庫版につけられた版元側の内容紹介を読むと『はがない』『妹さえいればいい。』の平坂センセが本作を絶賛しているそうで、軽く驚きつつも納得して大笑いした。日頃から<中略>上の舌禍に悩まされている作家さんにしてみれば、この作品はかなり痛快だろうしねえ。 さて新刊を読みましょうか。 |
No.492 | 6点 | おれの血は他人の血- 筒井康隆 | 2019/02/26 19:52 |
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(ネタバレなし)
「おれ」こと絹川良介は中堅企業「山鹿建設」の地方支社、その経理部に勤務する23歳のサラリーマンだ。普段は小心者の絹川だが、一度一定以上に憤怒の感情が高まると意識を失い、周囲の者に際限なく暴力を振るうという特殊な体質の持ち主であった。ある夜行きつけのバー「マーチャンズ」で土地のヤクザ・大橋組の人間を三人、あっという間に半殺しにした絹川は、たまたま同じ店内にいた大橋組と抗争するヤクザ・左文字組の組員・沢村によって、左文字組の用心棒にとスカウトされる。本来は平穏な生活を願いながらも成り行きからその話に応じる絹川だが、同じ頃、彼の会社では秘められた汚職と派閥抗争が表面化。さらにヤクザと警察が通じ合う悪徳の町そのものも次第に素の顔を見せてくる。 ハメットの『血の収穫(赤い収穫)』にインスパイアされた(らしい)昭和期のノワール暴力小説の名作。作中でも原典の話題がさりげなく登場人物の口から、事態からの連想として語られる。今で言う一種のバーサーカーモードになる主人公の肉体の秘密のネタは半ばタイトルで割られているし、さらに詳しい真実は結構、口の端に上っているので読む前から自分も知っていたが、実際の本文を読むとその経緯(なんで彼が随時そういった凶暴な狂戦士になるか)は作品の後半まで秘められており、ミステリ的にその謎に迫ってゆく流れにもなっていた。だからここでもその辺は書かない。 たぶん作者がやりたかったことは<『血の収穫』や『用心棒』で賢しく小ずるく二大勢力の激突を誘導・演出したコンチネンタル・オプや桑畑三十郎が、もし流血の抗争の中で、もっとダイレクトに自分の手を血まみれにしたら>という思考実験であり、シミュレーションだろう。言い訳程度に劇中でイクスキューズが用意された超人化についての文芸設定の方は、そんな構想の後からついてきたような気がする。 地方都市の中で生じる汚職事件に関して、意外にマトモなミステリ(さすがにガチガチのフーダニットとかトリック小説ではないが)になっているのにはちょっと驚いた。 一方で当時としては酸鼻を極めたのであろう暴力描写や残酷描写は、作者がこの人(長年にわたって日本の文壇をいろんな意味でかき回してきた御仁)ならこれくらいはやるだろうという心構えができてるので、どうしてもインパクトが割り引かれてしまう。いかに作中で人がドバドバ死んでいっても、どっか昭和的なのどかさを感じないでもない。21世紀のイカれたどっかの新世代作家の新作が、当初はほかのジャンルのミステリに思わせておいて、いきなりノワール暴力小説に転調する時の方が(それで効果が上がったら)よっぽどコワいように思える。 ただ終盤の幕切れ近い箇所でのあるシーンは、チャンドラー的なそっち系のセンチメンタリズムとロマンチシズムを感じないでもなかった。もともとハメットびいきでお気に入りのオールタイム探偵にもサム・スペードを上げていた(<あの冷酷さ>が好きだそうである)作者だけど、妙なところで地が透けたようにも思えた。まあ評者は筒井作品の代表作と言われるものでも未読が多いので、勝手な思い込みかも知れないが。 なお火野正平主演の映画は未見。もしかしたらCSかなんかでだいぶ前に録画して、観ようと思ったまま家のどっかに眠ってるかもしれない(たぶん録画媒体はVHSテープだろうな・笑)。ところで映画の題名は『俺の血は他人の血』なんだな。今回あらためて気がついた。 |
No.491 | 6点 | キラー・エリート- ロバート・ロスタンド | 2019/02/22 21:03 |
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(ネタバレなし)
政治亡命者の受け入れ・護衛などを任務とする英国政府の諜報工作機関SYOPS。七ヶ月前のある夜、同部署の33歳の青年マイク・ロッケンは、経験の浅い若い同僚エディとともに、チェコからの老亡命者ヴロドニーを護送する任務に就いていた。だが「ハンセン」と名乗るガンマンが警備の隙をついて亡命者と同僚を殺し、ロッケンの左膝と睾丸にも銃弾を見舞った。九死に一生を得て男性機能もどうにか守ったロッケンは、その後現在まで過酷なリハビリを自らに課し、杖を用いての日常生活なら可能なまでに回復したが、前線への復帰は半ば諦めていた。そんな彼の元に、上司であるSYOPSのヨーロッパ地区局長キャップ・コリスから、南米の小国ブワンダから亡命中の元大統領モーゼス・ニオカを護送する任務の打診がある。ニオカを狙う三人の主力の大物テロリスト、その中の一人はロッケンの仇敵、プロの暗殺者であるリカルド・ハンセンだった。復讐の念を燃えあがらせてこの任務を受けるロッケンだが、英国政府のある思惑から、SYOPSの支援はとぼしかった。ロッケンは、凄腕だが高齢のドライバー、パトリック・マッキニー(マック)、そしてコリスが斡旋した若手部員ジェローム・ミラーの3名のみでチームを組み、この困難なミッションに臨むが。 1973年のイギリス作品。サム・ペキンパーの映画版(1975年作品)が日本で公開されたのに合わせて、邦訳紹介された。 (ちなみに同じ邦題の21世紀の映画、そしてその原作である小説とは全くの別ものなので、注意されたし。) ニオカ元大統領の警備に際して、英国政府がSYOPSとコリス、ロッケンに対し、人員や体制をまともに準備できないのは、しょっぱなからこの標的が助かる確率が低そうだ、でもそこまで本腰を入れて金や人員を掛けて守るほどの人物でもないな(今風にいうなら、対費用効果に合わない)、というような冷徹な計算があり、政府的には、SYOPSが限られた枠内で要人を守ってくれるならそれはそれでよし、くらいに考えている。こういうグレイゾーンの事態も現実にありそうで、主人公が逆境を強いられるこの辺の設定には妙なリアリティが感じられた。 そんなわけで、脆弱な味方、強大な敵、というアクションスリラーの王道的な設定にはイクスキューズがはかられた。そのあとの二転三転する展開もなかなか良く出来ている。ニカド元大統領とその気の強い娘フェミを護送してロッケンたち三人が目的地に向かうあたりは、訳者自身もあとがきで語っている通り『深夜プラス1』を思わせる展開でありテンションである。その意味で普通には面白い。終盤の映画的な決着もなかなか心に残る(実際のペキンパーの映画版はまだ未見なので、どうなってるか知らないが)。 ただ不満もいくつかあって、一番気になったのは、あまりにもこの手の作品のセオリーというか、物語のフォーマット的な流れに倣いすぎていること。そしてあまり詳しくは書けないが、読者(この場合、自分だが)の頭に浮かんだあるポイントへの疑問がうまいことミスディレクションに誘導されず、終盤でああ、やっぱり、という着地点に収まってしまうこと。仕掛けそのものは少なくないのだが、そのある部分においては、読み手をうまく丸め込む目くらましの工夫などが欲しかった気はする。 それと本作は全編が三人称なのだが、叙述の視点的には最初から最後まで本当に一貫して主人公ロッケンから離れない。これだったら、復讐の念と怒り、さらにロッケンの心に芽生える種々の葛藤も踏まえて、書くべきところはみっちり内面を書きこみ、どうでもいいところやあえて見せない部分は適当に流す、そんなロッケンの一人称で語った方が良かったんじゃないか……とつくづく思った。(この辺は、周辺の編集などでアドバイスしてくれる人はいなかったのだろうか。) ちなみにマイク・ロッケンの主役編は続編が書かれて、シリーズ化もされたらしい。作者ロスタンドの作品は日本では本書しか翻訳されてないので、当然ながら続刊は未紹介だが。続編の向こうでの評判はどうだったのか、ちょっと気になる。 |
No.490 | 6点 | 閻魔堂沙羅の推理奇譚 点と線の推理ゲーム- 木元哉多 | 2019/02/21 15:41 |
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(ネタバレなし)
2018年に開幕し、その年の内にのべ4冊、新刊を刊行というハイペースのシリーズだが、内容の方はおおむね中高度で安定飛行。ただし収録エピソードの絶対数が少しずつ減り、とうとうこの4冊目では中編二本になってしまった(ボーナストラック的な幕間編が一本ついてるが)。 一編一編のパズラーとしての質や造りはそんなに変わってないのだから、悪く言えば人間ドラマで水増ししている。まあお話として普通に面白く読めるからいいけれど。 今年の半ばに行った読者参加の謎解き編も、完成形の形で本書に収録されている。 恒例だった次回の刊行予定が今回はないのが気がかり。これでシリーズ完結ってことはないよね? できれば年1冊くらいのペースでもうしばらく読みたいものです。 |
No.489 | 8点 | ギデオン警視と部下たち- J・J・マリック | 2019/02/19 03:13 |
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(ネタバレなし)
大蔵省をバックとする内務省からの指示で、スコットランド・ヤードは予算と人員の見直しを大幅に強いられる事になった。しかし実際の刑事部の捜査現場はすでにカツカツの体制で、捜査部長ジョージ・ギデオン警視は、むしろ100人単位の捜査員の増員と数十パーセントの捜査費の増加を必要としていた。そんな中、警視庁がかねてよりマークしていた犯罪者「うすのろ」ミッキィのもとに向かったギデオン腹心の部下シド・テイラー刑事が、相手一味の罠に嵌って重傷を負った。限られた刑事部の人員で複数の犯罪を追う現状の中、本来は二人で向かうべき現場にやむなくテイラーが単身で赴かざるを得なかった結果だった。官僚として英国政府の顔色を窺う警視総監レジナルド・スコット=マールに対してギデオンはヤードの全捜査員を代表して不満を訴えるが、それは下手をすればギデオン当人の失職か左遷にも繋がりかねない際どい行為だった。そんなギデオンと部下・仲間たちの苦闘のなか、海岸の街では憎むべき幼女連続殺人事件が続発。さらにヤードの捜査陣が手薄だと認めた別のプロ犯罪者たちもわざと混乱を引き起こして警察を攪乱し、計画的な悪事を進めるが……。 1959年のイギリス作品。モジュラー派警察小説の先駆として名高い、ギデオン警視シリーズの第五作。 評者が本シリーズを読むのはまだ二冊目だが、今回は予期した以上に、本当に面白かった。 その年の英国の財政上の方針からスコットランド・ヤードに過剰なプレッシャーがかかり、そのこともあって組織の内外にあれやこれやの軋轢が生じ合う中、並行する複数の事件に対峙するギデオンをはじめとするヤード(と所轄と地方警察の)捜査陣総勢の苦闘と団結が熱い筆致で描かれる。 特に、重傷を負わされた部下テイラーがこのまま死ねば人員・予算増加の必要を次の会議で主張しやすくなるとギデオンの心に一瞬だけ悪魔の考えが芽生え、次の瞬間それは人間として恥ずかしい思いだと自己嫌悪に陥る彼の内面描写など、ため息の出るような感じで読まされる(ギデオンの思考は一見、あまりに非人道的だが、現在の彼とヤードはそこまで追い詰められている最大級の苦境なのだ! そのように思いを寄せるなら、ギリギリの所で自分の弱さを自ら恥じるギデオンのキャラクターが実に好ましい、涙ぐましい)。 慣れない腹芸を試みながら警視総監と渡り合おうとするギデオンの苦闘そのものも緊張感に満ちているが、彼を内助の功で支える妻ケイト、総監と内務省に声をあげるギデオンの無謀ともいえる訴えを英雄視する子供たちや若手警官たち(ギデオン当人は自分をヒーロー扱いされることなど特に望んでもいないのだが)、さらにはテイラー刑事の敵討ち! とミッキィ逮捕のため危険な任務に志願する警官たち……それぞれの描写も味わい深い。ギデオンと反りの合わない中堅刑事のトマス・リデル主任警部の扱いにもニヤリとした。 そんな起伏豊かな群像劇に加えて、ほぼ同時に並行して進行する三つ四つの事件の進展と決着も立体感のある筋運びを披露。特にそのなかのある事件と別の事件の関係性(ネタバレ回避のため詳述はしないが)がかなり巧妙に配列されている。うん、これはまぎれもない傑作。 それでちょっとここで、評者の思い出話になるが、以前に作者マリックは1950~60年代に来日し、日本版EQMM(現在のミステリマガジン)の歓迎・座談会記事に出席したことがあった(もちろん評者はずっとのちに、古書店で購入したバックナンバーでこの記事を読んだのだが)。 その座談会の場でマリックは同じ多作家のシムノンをライバル視したらしく、列席した都筑道夫を相手に「シムノンは私より著作の冊数は多いが、一冊一冊の紙幅は薄い」という主旨の諧謔を語った。この発言に対してムッとなったシムノンファンの都筑は、自分がまとめた座談会記事の地の文中で「しかしあなた(マリック)は一冊一冊をシムノンほど苦しんで書いてはいないだろうと、その場で言い返したかったが、とりあえずやめておいた」と憤慨の念を書いていた。評者自身も当時からメグレファンの末端にいたつもりだし、これは都筑の勝ち、とその記事を読んだ時は思い、同時に軽口めいた物言いをしたマリックにちょっとだけ悪印象を覚えたものだった。 (まあ、さすがに21世紀の今になっては、しばらく前にシリーズの最初の一冊『ギデオンの一日』を読んで普通に面白かったくらいに、その辺の反感の念はさすがに希薄化していたのだが。) ただ今回、本書を読んで、ここで初めて目からウロコが落ちたというか、やっぱりマリックはマリックでスゴイ作家だったのだ! と改めて実感した。結局、作家は作品でものを言い、読者はその実績や良し悪しをそれぞれの目で各自なりに受け止めるべきなのである。 ギデオンシリーズは初期8冊までの翻訳があり、当然評者の場合はあと6冊の未読編があるワケだが、本書以上に面白い、読み応えのある作品がなくても仕方がない、渾身の一作がコレ(本作『~部下たち』)だったとしても無条件で納得する、とまで現状では思っているくらいである(もちろんその予断が裏切られるなら、ソレはソレで幸福なワケだが)。 この作品はそれくらい良かった。9点でもいいかな。 |
No.488 | 5点 | 殺しの接吻- ウィリアム・ゴールドマン | 2019/02/17 22:10 |
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(ネタバレなし)
一人暮らしの成人女性を次々と殺害し、被害者の額に口紅で悪趣味なキスマークをつけていく謎の連続殺人鬼がマンハッタンに出没する。事件を追うのはユダヤ系で34歳の独身モーリス(モー)・A・ブランメル刑事。少年時代に顔に火傷を負い、口さがない母親フローラからは、外科医として成功した兄フランクリンと何かと比較されて劣等感を抱いている男だ。そんなモーリスのもとに、自ら殺人者を名乗る男性から電話がかかってくる。相手は犯人しか知り得ない情報を語り、モーとの絆を求めた。それでも犯人の正体も不明でさらに凶行が続くなか、モーリスは眼鏡の若い女性セアラ・ストーンと親しくなるが……。 1964年のアメリカ作品。ロッド・タイガー主演の同題の映画は日本のミステリファンにもカルト的な人気のようだが、評者は未見(汗)。 ただしゴールドマンファンで熱い情熱を込めた解説を書いている作家の瀬名秀明氏によると、映画は小説を大幅に改変というか逸脱、ゴールドマン自身も映画の出来に不服で、瀬名氏の評も<映画も良いが、原作の方がさらに素晴らしい>ということらしい。 そういうわけで本書は単品のミステリとしても普通に楽しめるだろうと期待して手に取った。が、う……ん、小説の作り方がいかにも映画のシナリオ的に見せ場を放りこんでその場面場面のテンションは盛り上げて、あとはそれぞれのシーンの連続性を読者の感性に委ねた感じ。要するに散漫で、ベクトル感がもうちょっと欲しい。ただし工夫している点もあり、各シーンの被害者の最期を途中からきっちり書かず、報道記事の転載でその顛末や細かい情報を語る省略法の見せ方など効果を上げている。 それで瀬名氏が激賞の、映画には反映されなかった小説独自のラストだけど、こっちは狙いは分かるものの小説としての書き込みがさらに大雑把で、盛り上げる演出に失敗した感じが強い。 この時点でゴールドマンの小説作品は5冊目だったというが、先述した前半からの不満も含めてまだまだ習作時代の一冊という印象も受けた。少なくとも本書の10年後の『マラソン・マン』はその点ではちゃんとしっかりした小説になっている。もうちょっと狙いを際だって活かせたなら、ニーリィの秀作みたいな感じになったかもしれないのだが。 (ただし映画を観てからまた再読したら、小説独自の良い面がそこで改めて見えてきて印象が変わる可能性もあるかもしれない。そんな一抹の希望を偲ばせる作品ではあるが。) |
No.487 | 6点 | 尼僧のようにひそやかに- アントニア・フレイザー | 2019/02/17 15:32 |
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(ネタバレなし)
「私」ことジマイア・ショアは、英国の放送局「メガリス・テレビ」の人気インタビュアー。ジマイアはその日の朝刊で、かつて少女時代を送った聖エレナー修道院の中で、学友だった修道尼シスター・ミリアムことロザベル・メアリー・パワーストックが変死したことを知る。ロザベルは元ロンドン市長だった大富豪の令嬢で、財政上の事情から運営困難になっていた聖エレナー修道院もパワーストック家の資産として買収し、所有する立場だった。もともとロザベル=シスター・ミリアムは、篤志から修道院関連の資産を修道院側に寄贈し、今後も修道院が存続するように取り計らう予定だったが、最近になって何故か心変わりし、その判断に迷いを見せていたという。そんな中、修道院の老院長でジマイアとも旧知のマザー・アンシラがジマイアに連絡を取り、生前のシスター・ミリアムが、自分の真意はジマイアが知っていると告げたという。ジマイアは長い年月を越えて懐かしの場に戻るが、そこで彼女を待っていたのは更なる思わぬ事件と、そして謎の顔のない怪人「黒衣の尼僧」の暗躍だった。 1977年作品。21世紀の日本ではほとんど忘れられた、キャリアウーマン探偵・ジマイア・ショアシリーズの第一弾。 当時はポケミスの帯に「エレガントな新本格派!」という惹句をつけて刊行されたが、今で言うならコージーミステリとでもいうことになるのか。(実は自分はオッサンのミステリファンなので、1990年代辺りから? よく使われるようになった「コージー派」というのは今ひとつよく分からないのだが。物語の舞台となる場の日常描写にも比重を置いた、ライトパズラーとかそんな感じ?) 主人公ジマイアは40歳前後の美人。真面目で温かい心根の女性だが、30歳の時に現在ではメガリス・テレビの社長になったサイ・フレデリックスの愛人となって出世のチャンスを掴み、その10年後の今は下院議員で同じく妻帯者のトム・エイミアスと恋愛関係にある自立した女性。21世紀の今ならハヤカワミステリ文庫をはじめとしてあちらこちらにいそうな海外ミステリ・ヒロインの設定だが、40年前ならそれなりに新鮮なキャラクターだったんだろうな。 ちなみに裏表紙の帯部分では「P・D・ジェイムズをはじめとして、数多くの人に新鮮な衝撃を与えて」とあるので「ホホウ」と思ったが、巻末の解説をよく読むと、ジェイムズは単に「修道院というのは、多様な登場人物を一箇所に集められる良質の舞台装置である」くらいのことをこの作品について語っただけのような……。例によってハヤカワのJARO案件だな(笑)。 とはいえ1970年代後半に、黄金時代のミステリ風の物語装置を設け、そこでゴシックロマンっぽい謎解きを展開する筋運びそのものはなかなか楽しい。多様なシスターたちのなかから、当初は地味に思えていたあの人がのちに意外な活躍を見せたり、意外な顔を見せたりする、その辺のキャラクター描写も小気味よい。 はたして謎解きミステリとしては水準作~佳作レベルだが(フーダニットとしては凡庸)、終盤のいくつかの意外性とこなれのよいストーリーのまとめ方は好印象。物語後半、クリスティの『ナイルに死す』の話題が(ネタバレはなしで)チラリと出てくるのも楽しい。修道院内でバザーが開かれ、修道尼が宗教本といっしょにクリスティーの古書を何冊か売る描写もある。当然ながら売れるのはクリスティーの方ばかりのようで、その辺も愉快。評点は0.5点くらいオマケ。 最後に、作者フレイザーは英国史の研究家として、日本でも著名。本作中にもそれっぽい蘊蓄が随所に登場する。 |