皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
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人並由真さん |
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平均点: 6.33点 | 書評数: 2106件 |
No.606 | 6点 | SINKER 沈むもの- 平山夢明 | 2019/07/26 04:23 |
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(ネタバレなし)
20世紀の終盤に連続する少女誘拐殺人事件。同一犯の仕業と断定はできないものの、三人もの幼い体を残酷に損壊した邪悪な手口には共通感があった。捜査官のひとりで初老のキタガミ警部は有能な刑事ながら、大久保清事件を経て日本警察の現場に初期プロファイリング技術の導入を提案したことから当時の上層部に疎んじられ、冷や飯を食わされてきた身だった。キタガミは謎の殺人鬼と対決するため、今は都内の医療刑務所に収監される元児童心理学者の殺人誘拐犯「プゾー」こと藤尾逸馬教授のアドバイスを必要とする。だがプゾーはキタガミの請願に冷笑で応え、やむなくキタガミは人間の心に入り込む事のできる「SINKER(沈む者)」と呼ばれる超能力者の青年「ビトー」こと吉沢敦志に協力を依頼。SINKERが対象者から精神汚染される危険を承知の上で、ビトーにプゾーの接触を望む。だがそんな間にも謎の誘拐殺人魔は、さらに次の標的へと手を伸ばしていた。 平山作品(長編小説の実作)は初読。新作映画『ダイナー』が話題なのでその原作を読んでも良かったが、たまたま先日のヤフオクで本作『SINKER』が20000円だの25000円(帯付きなら)だのと信じられない価格で落札されているのを認めて、興味が湧いて借りて読んでみた(Amazonでも現在、出品者ひとりだからあまり客観性はないものの、それでも約30000円のお値段!)。 なんでもこれが作者の処女長編(フィクションとして)だったというし。 でまあ、感想だが、いやまあ、とにかくいっきに半日で読み終えた。 内容はあらすじの通り「わたしならこうリトールドする『羊たちの沈黙』」なのだが、これだけ具を足してあって味付けを濃くしてあれば、充分に独自性を誇ってもいいであろう(ちなみに評者は『羊たち~』は映画しか観てません。すみません)。 本作の場合は、邪悪な敵を倒すため巨悪の力を借りるというおなじみの構図を利用する側からの二弾重ね(それも半ばSFティスト)にした工夫もさながら、初老主人公キタガミの抱える事情と内省、警察組織と公安部の軋轢や、被害者側のそれぞれの家庭に潜む暗い病巣など、新規のネタもたっぷり取りそろえている。 あと終盤、一章ごとの文字数をどんどん減らしていき、読み手に気分的な加速感を与えるあたりなど実にあざといが、ある意味では映画的なカットバック手法の小説メディアへの的確な応用だし。 ミステリの謎解き要素としては、え? これで終っていいの? というところも無きにしもあらずだが、もともと読者にそういう勝負を持ちかけていた作品じゃないし、文句には当たらない。巻を措く能わず熱に浮かされたように最後まで読まされたのは事実。 あとまあどぎつさを極めるくらい残酷描写は出てくるが、意外に叙述が良い意味でドライで不快感や嫌悪感があまりないのは見事だね。弱者が惨殺される場面の連続ながら、良い感じに醒めた紙芝居的な感じで一貫していた。あえていうなら(中略)の部分は、いくらかなりとも辛かったけれど。 平山作品に慣れ親しんだファンが初めて、あるいはまた改めて、読むのなら、また違う感触もあるのだろうとは思うけれど、一見の自分としてはそんな感じ。 【お願い】どなたかすでに本作をお読みで作品の内容を把握されている方、ジャンル投票に参加ねがって、本作の正しいジャンル分類の改訂にご協力願えますと幸いです。 自分は(あれこれ迷った末に、かなり広義のハイブリッド性の高い)警察小説だと思いました。少なくとも絶対に「本格/新本格」ではないと思います(汗)。 |
No.605 | 7点 | 屍海峡- 西村寿行 | 2019/07/26 03:26 |
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(ネタバレなし)
オイルショックに震撼した1970年代の半ば。都内の旧式アパートで大企業「日南化成」の守衛・安高恭二の毒殺死体が見つかる。残留品の指紋から、安高の故郷の瀬戸内海で遺恨があった真蛸の養殖家・秋宗修に嫌疑がかかるが、彼の精神は平常を欠いていた。一方で秋宗の元学友で公害省の調査官・松前真吾は、その秋宗が上京時に洩らした謎の一言「青い、水」が気に掛かる。かたや警視庁の変人刑事・中岡知樹は事件を追う内にいくつかの奇妙な点に気がついていた。 西村寿行の第三長編。推理小説作家、ハードロマン作家、動物作家、綺譚作家といくつもの創作者の顔を持つ西村だが、初期はデビュー時にはそういう作風の方が反響も良いからという計算(あるいは編集のアドバイス)もあって、清張から森村誠一ほかの系譜を想起させる、社会派ミステリ路線で謎解き要素の強い作品を書いていた。 本作はそういう時期の渦中の一冊で、のちにハードロマン路線が主流となった作者の作品群の中ではマイノリティーに属するだろうが、そんな反面、謎解き社会派ミステリというジャンルの枠組みのなかで弾けるような勢いの寿行自身の作家的な素質がたぎり、非常に読み応えのある熱いハイブリッドな作品になっている。実を言うと評者もこの辺の初期作品(第四長編『蒼き海の伝説』あたりまで)はいまだあまり読んでいないのだが。 本作の冒頭の、いかにも昭和後期っぽい地味めな殺人事件の発生を受けて語られる、海洋を埋め尽くす鯔(ぼら)の群れと行った壮大な自然・動物描写。そのへんは、まんま後続の作者の最高傑作『滅びの笛』の先駆的なエネルギッシュさだし、その舞台となる瀬戸内海の漁場たる大海を汚していく海洋汚染、自然の乱開発の叙述も実に骨太い。本作が水上勉の『海の牙』の後輩格の作品なのは日本ミステリ史の里程標的にも間違いないだろうが、社会派メッセージ的な面では負けじ劣らず、そしてストーリーテリングや謎解きミステリとしての練り込み、さらには物語のクライマックスに見えてくる壮大なビジョン、などそれらすべての点で『海の牙』を軽く凌駕しているのではないか。 さらに加えて、こんな(社会派&自然派)作品で、あの名作(中略)ドラマ(中略)みたいな、ある意味でぶっとんだ(中略)系の殺人トリックが登場するのか! と度肝を抜かれた(大胆な手掛かりの手際も、いかにもある分野に強い寿行作品らしくて良い)。 そういえば寿行はこの少し後の『君よ憤怒の河を渡れ』でも、場違いとも思えるような、ある種の専門分野にちょっと肩を借りた特殊トリックを導入している。長編を5~10冊も書く頃にはさすがに、この辺の謎解き志向の持ち味は薄れてしまうが、今にして思えばこの人は一般読者が思う以上に、正統派ミステリっぽい謎の提示やトリック、そして真相が暴かれる際のサプライズのときめきなどに、当人の方から傾注していたのかもしれない? たしか北上次郎なんかは、初期の西村寿行作品を作家として熟成する前のあくまで助走期間くらいに見ていたような気がするが(こちらの読み取るニュアンスが違っていたらごめんなさい)、むしろこの初期作品群にこそ長大な寿行作品の系譜のなかでほんの刹那的にしか味わえない、多様な物語・ミステリ要素が掛け合わさった稀少な輝きがあるのかも。これは正に、そんなことを感じさせてくれた一冊でもあった。 |
No.604 | 7点 | くもの巣- ニコラス・ブレイク | 2019/07/23 19:29 |
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(ネタバレなし)
1950年代。田舎を出てロンドンの市街でお針子として働く17歳の美しい娘デイジー・ブランドは、その日出くわした28歳のハンサムな青年ヒューゴー・チェスターマンと恋仲になる。当初は自分の事を牧師だの仲買人だのと称していたヒューゴーだが、その正体はラッフルズを思わせる泥棒紳士だった。やがてデイジーは彼の素顔を知った上で内縁の妻となるが、一方でヒューゴーは頑なに彼女を裏稼業から遠ざけた。そんな二人を見守るのはヒューゴーの年上の旧友で、見栄えのしない外科医かつ堕胎医の「ジャコー」ことジョン・ジェイクス。だが幸福な若夫婦を表向きは応援するジャコーの胸中には、美しい女性を手に入れた友人に対する昏い嫉妬の念が渦巻いていた。そしてその夜、予期しない悲劇が……。 1956年の英国作品で、ブレイクの完全なノンシリーズもの。 20世紀の初頭にあった犯罪実話に材を取った作品だそうで、それに加えて、本の裏表紙にも作中の叙述にも<主人公ヒューゴーは(ホーナングの)ラッフルズのイメージ>云々の主旨の物言いがあるので、ドラマの時代設定もそのまま19世紀の末か20世紀初めかと思ったら、どうやら原書の刊行時のリアルタイム=1950年代半ばの時勢のストーリーだった。(デイジーがマリリン・モンローみたいだと言われたり、登場人物の警官が1940年代にその地区に着任したり、とかの叙述がある。) なんかとても信じられない。中身は19世紀のディッケンズまんまの世界だよ(小林信彦の「地獄の読書録」でも同様の評があるが)。 21世紀に放映されるアニメ版『サザエさん』を称して「昭和時代劇」という修辞があるが、これは1950年代の当時の英国の読者にとってはまんま「20世紀の設定で書かれた19世紀時代劇」だったと思う。 なにはともあれ、ブレイクファン、翻訳ミステリファンの評判はかねてよりイイ作品なので、長い間読まずに大事に取っておいた、昔買った古本を期待しながら今回紐解いたが、うん、確かに面白かった。 冒頭の時点でわずか17歳の少女ヒロイン(webではもともと18歳の設定と誤記してるミステリファンもいるが勘違い。ポケミスの本文P28にちゃんと、もうじき18歳になる、というデイジー当人のセリフがある)が、決して極悪人ではなく愛すべき所も多分にあるが、一方で危険でダメなヤクザ男と惚れ合い、そんな二人に親切めかしたゲス野郎がちょっかい出す……という、東西の新旧を越えた王道の破滅志向・泣かせもののメロドラマ。 はっきり言って推理の要素なんかほとんど無い作品ではあるが、事態の悪化を誘導する悪人の邪心に満ちた巧妙な工作ぶり、緊迫&流転? の裁判劇、はたして事件の真実は……という骨格と要素を拾うなら、まあ広義のミステリにはちゃんとなっている。たしかこれも、他のブレイクの秀作や佳作を抑えて、どっかの欧米のオールタイム名作ミステリの里程表に入っていたハズだし。 なんでー、ナイジェルもののパズラーじゃないのか!? という読者はともかく、ブレイクという作家の作風の幅広さと文芸味が芳醇な筆力をすでによく知っているミステリファンなら、期待を裏切らない佳作~秀作だと思うよ。 脇役の描き方も、第七章~そして終盤近くに至る某サブキャラの叙述、それにラストのワンシーンの(中略)など、本当に印象深く胸に刻まれる。さまざまな思いを重ね合いながら、事件と主要キャラに向かい合う捜査陣たちの内面描写もとても良い。 ちなみにこの作品、「世界ミステリ全集」第8巻(ガーヴ、ブレイク、レヴィン)の巻末座談会で石川喬司が 「(ブレイクではあと)『くもの巣』というのはなかったですか」 とだけ最後の方でひとことだけ話題にし、しかし座談会のレギュラーのお相手の小鷹信光も稲葉明雄も、そしてゲスト出席者の福島正実も完全にスルーした長編なのであった。評者はその座談会の記事を初めて読んだとき、妙にこの題名『くもの巣』が心に引っかかった(小鷹、稲葉、福島が何の反応も見せなかった作品が、なんか不憫に見えたという、青臭い気分もあった)。 もちろんその後、作品の概要は何度も何度もチラ見する機会はあったけれど、そのように意識してからウン十年、ようやっと実作を消化して、何はともあれ感無量。 大昔に、とある若いミステリファンの心にかかった「A Tangled Web(本作の原題。直訳するなら「もつれた巣」か)」は、ここでようやく払われたのであった(笑)。 |
No.603 | 5点 | たったひとつの 浦川氏の事件簿- 斎藤肇 | 2019/07/22 20:59 |
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(ネタバレなし)
「ぼく」こと加波賢也は、小学校時代からの旧友・蓮井陽が人を殺したことを知っていた。そのことは誰も知らない筈だが、ある日、浦川という人物がぼくに声をかける。(「たったひとつの事件」) 探偵・浦川氏の登場シーンが印象的な第一話「たったひとつの事件」から始まる、浦川氏が登場する全7本の連作短編集。 かなりトリッキィな仕掛けがしてあるとwebの一部で評判なので読んでみたが……一読、ポカーン。しょうがないので、家族にも本を渡して読んで貰い、意見と感想を求めて、改めて考えを整理した。 ……結局のところ、前述のwebなどでも賛否両論大きく評価が分かれているみたいで、褒める人はよくここまでひねくれた作品を、と支持しているみたい。 ただ現在の個人的な思いとしてはむしろそうではなく 「(少しスレた)ミステリマニアなら誰でも思いつきながら、なかなか実現には至らないアイデアを力業で形に為した(その意味ではエラい)作品」 というべきではないか? という気がする。 だから新本格という流派のひとつの核となる、遊び心は感じるんだよね。 ただ、弱点としては、フツーに物語を読む限り、ほとんどの連作短編がひとつひとつのミステリとしてはあまり面白いと思えないことで。全体の仕掛けだけ最後にあっても、そこに行くまでがキツイなあ、という感慨。さらに第7話はメタ的な叙述が優先して、この文体には最後のサプライズ上での機能は特にないんだよね? あと、正直言いますけれど、第6話の内容がこういう話である意味がよく見えない。 大枠としての作品の狙いは理解したつもりだけど、なにかまだ見落としているようなモヤモヤ気分も少なくない。本作が好きな人で、今も内容をよく覚えているミステリファンと面と向かってじっくり話がしたい、そんな思いがする一冊。 |
No.602 | 6点 | 昭和探偵1- 風野真知雄 | 2019/07/22 20:26 |
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(ネタバレなし)
「わたし」こと熱木地塩(あつきちしお)は、西新宿に事務所を開く職歴22年のベテラン探偵。自分の娘で若くて美人の葉亜杜(はあと)をアシスタントに細々と仕事を続けていたが、先日、旧友の依頼でTVの懐かしもの深夜番組「昭和探偵」の顔出しホスト役を務めたところ、依頼が続々と来るようになった。だがその中には、数十年単位での昭和の思い出にからむ難題までが持ち込まれて。 半年ちょっとの間にシリーズ4冊が矢継ぎ早に刊行された、キャラクターもののミステリ。作品の中身は思い出の品を探してくれとか、過去のスキャンダルの真偽を確認して欲しいとかの、広義の「日常の謎」(ただし興味の方向は、本作の設定に準じて昭和の過去に向かう)プラス、昭和期の世代人にはなつかしいトリヴィアを語り合う内容。あったあった、そんな昭和の話題、事件、事物、とオッサンオバサン(あと一部の好事家の若者)が喜べばいいのでないの、という感じだが、初めっからそういう作品ですという作りを前面からしてるので、その潔さが快い。 昭和のミステリや中間小説を読みまくるのが趣味で、室内を古本だらけにしている葉亜杜のキャラも愉快かつ微笑ましく、オレもこんな娘がいたらなあ……と思うばかりである(いかん、結構アブナい願望充足作品だ?)。 さらに主人公・熱木の行動の向こうに、シリーズ全体を貫くもう一人の主人公(たち?)といった仕掛けもされているようで、ネタの仕込みも多い分、結構攻めの姿勢でおもしろい。リーダビリティの高さはこの上ないし、少しずつ読んでいきましょう。 |
No.601 | 6点 | 十億ドルの死体- ジョゼフ・シャリット | 2019/07/22 19:50 |
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(ネタバレなし)
第二次大戦後のフィラデルフィア。「ぼく」こと、27歳のジュードー教師、ダニエル(ダン)・モリスンは、地元のスポーツクラブで警官相手に体術のコーチを行っていた。そんなダンの前にクラブの理事で大規模な製薬会社の社長であるフレデリック(フレッド)・ギルハムが現れ、彼の一人娘で19歳のマージョリー(マーギー)の監視役を願い出る。マーギーは社交界を騒がすお転婆で、その暴走ぶりは連日の新聞種にもなっていた。ダンは住み込みでマーギーのお守り役を務めるが、当人はダンを敬遠しながらも関心を示し、ジュードーのコーチも願い出た。だがギルハム家にはフレッドの妻でマーギーの母、見事な肉体を持つコケティッシュな熟女コンスタンス(コニー)ほか、少しクセのある面々が同居。そんな中、ダンはこの家から去るように匿名の電話を受け、それと前後して邸内では突然の変死事件が発生する。さらには家人への脅迫、そして第二の悲劇へと事態は波及し……。 1947年のアメリカ作品。巻末の都筑道夫の解説によると、作者シャリットは本書が処女長編で、数年間の活動期間内に長編を4つだけ残した作家らしい。 (なお英文Wikipediaによると、1995年の没年までの経歴は記述されている。) その長編4作全部が、本作の主人公のジュードー教師、ダン・モリスンものらしいが、日本では本作しか紹介がない。 派手な邦題もなんとなく気になって、どんなのかなとAmazonで古書を送料別1080円でだいぶ前に購入し、しばらく読まないで放って置いたら、現在では古書価が100円前後に下がっている。プンプン。 ソレで肝心の中身の方だが、高い? お金払った悔しさから負け惜しみを言うわけではないが、予想以上になかなか面白かった。一人称視点による物語はスピーディに淀みなく進むし、メインヒロインのお嬢様は21世紀の学園ドタバタコメディのラノベヒロインなみに動きまくるし、それっぽく配置された屋敷の内外の登場人物はくっきり書き分けられているし、肝心の殺人事件はハイテンポに起きるし、最後の犯人の正体はなかなか意外だし(手がかりがもう少し欲しい気はないでもないが)。フーダニットの興味も組み込んだ行動派アマチュア探偵小説の佳作で、手慣れた軽さもミステリのひとつの大きな魅力だよね、といえる一冊。 ちなみに原題も「The Billion-Dollar Body」だが、このBodyには熟女の人妻コニーの魅力的な肉体、の意味もある。 そもそも本の巻頭を見るとおなじみ早川の翻訳権独占の表記もないし、もしかしたら安いレートで、向こうの出版社か翻訳代理店との翻訳契約冊数の頭数合わせで訳出された作品でないの? という気もしたが、巻末での都築の言を素直に信じるなら、当時のポケミスの中にこういう軽ハードボイルド路線をもうちょっと入れてみようという試みでセレクトしたそうな。なるほど、まあ、実際の背後事情はともあれ、1950年代末の日本の翻訳ミステリ読者に、改めて軽ハードボイルドって案外いけますよ、という趣旨を伝えるというのなら、これはその命題に応えた、結構イケた作品であった。興味ある人は、古本で安く出会えたら読んでみるのもオススメします。 |
No.600 | 5点 | 白の協奏曲- 山田正紀 | 2019/07/21 01:38 |
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(ネタバレなし)
スポンサーである企業が倒産し、活動が困難になった民間オーケストラ集団「M交響楽団」。指揮者の中条茂ほか、その存続を何が何でも守ろうとする約30名の残存メンバーは、悪人や裏社会の弱みを突いて金をだまし取る集団詐欺を繰り返し、オーケストラ活動継続のための資金を貯めていた。だがその詐欺行為の証拠を掴んだ謎の女・霧生友子が一同を脅迫。彼ら30名を自分の私兵とし、非常識ともいえるある大プロジェクトを企てる。一方、警視庁公安部のエリート・状元紀彦は、日本の政界の黒幕と言われる老人・神馬康生(しんめこうせい)とその秘書・水沢知佐子に接触。同じ日本国内の対テロ諜報機関でありながらセクト争いを繰り返す警視庁公安部、自衛隊の第二課、内閣調査室の枠を越えた強権の新情報組織「JCIA」の設立というプランに向かって邁進するが……。 双葉社の「小説推理」1978年1~2月号に前後編で分載されたまま、約30年近く書籍化されなかった逸話の、一時期は幻だった作品。 めでたく、おなじみのミステリ研究家・日下三蔵氏による発掘を経て著者・山田正紀の快諾を取り、2007年に初めて単行本化された。 それでまた、ごく私的な思い出話になるが、評者は大昔に、自分が大傑作と信じる『火神を盗め』を頂点に山田正紀作品(主に冒険小説系)に傾倒していた時期があり、それゆえこれ(『白の協奏曲』)も前述の「小説推理」に分載されたのは知っていたものの、いつまで経っても書籍化の気配がないので気になって、当時の「小説推理」の編集部に「この作品はいつ本になるんですか?」と電話をかけた覚えがある(今で言う「突撃」だな~笑・汗~)。その時、電話の向こうの編集氏から「ああ、あれはウチ(双葉社)から出ないんです……(どこから出るかは不明)」と返事をもらったものだった。その節はご対応、ありがとうございました(平伏)。 そしてその後の1982年に、(この単行本版『白の協奏曲』の解説で日下氏も触れている)、同じ山田正紀の同じ(中略)テーマのポリティカルフィクション『虚栄の都市』が刊行された(ノン・ノベルズ)。 だからかつては『虚栄~』があの『白』の書籍版なのかな? でもなんか内容がかなり違うような……と思っていたりしたのだった。 そういうわけでそのうち、国会図書館でも行って当時の「小説推理」を確認しようしようと思っていたら、いつの間にか時が経ってしまい、あっという間に21世紀(笑・涙・汗)。 そのうちに、こうやって日下センセのおかげで一冊にまとまり、手軽にいつでも読めるようになった。こうなるとなんか飢餓感も薄れてしまい(さらにいうなら「幻の作品」が幻でなくなったことが、古参のミステリファンとしてシャクな気分も正直あった~笑~)、これまで本が刊行されてから10年以上、読まずに放って置いたのだった。 まあこの作品については、そんな訳、こんな訳なのです。 (しかし結局この本は、生まれた場所の双葉社から刊行されたのね。まあたぶん日下先生が目をつけて、大元の版元に企画を持ち込んだんだろうけれど?) それで今回初めて通読してみて、肝心の内容の方の感想だが、うーむ。Amazonなんかのレビューではおおむね好評なようだが、個人的には30年目に本になって、自分自身も長らく読まずにとっておいて、これか……の思いが強い(もちろん10年あまり読まなかったのは、あくまで当方の勝手だが~汗~)。 冒険小説の主人公チームが貧乏楽団というユニークな文芸、主人公と対になるもう一人の主人公・公安エリートとの対峙の構図、主題となる大規模な陰謀に仕組まれた謎と真相……などなど、物語の要素要素は確かに面白いのだが、一方で作品の総体としてはその具材を並べることばかりが先行し、パーツの食い合わせがあまり良いとは思えなかった。 なにより主人公チームがこの(中略)の陰謀に動員されるのが偶然のなりゆきなり、どうしてもやむをえない事情の結果という流れならともかく、しっかり計画的にキャスティングされたというのが無理があるだろう、作中の現実としてのリアリティを欠くだろう(ラストに一応、この件について、人間関係上のエクスキューズは用意されているようでもあるのだが、それでも根本的な部分で、こんなアマチュア集団を呼び込むだけの必然性は希薄では?) あとは、ある重要な人物配置上の大ネタが見え見えなのと、二つのツイストを盛り込んだ終盤のまとめ方が、どうもこなれが悪い。 ラストの二つの逆転劇のどちらも、どういう趣向で読者を面白がらせようとしてるのはよくわかるつもりなのだが、作中のリアルとして……これってアリなんですか? ずいぶん都合のいい事態の流れだね、という感慨が湧き出てくる感じのクロージングなのであった。 なんか文字量も物語のスケールに比してかなり少なめだったし、21世紀にワープロやらパソコンやらで多大な文字数の長めの長編が書きやすい環境だったら、もうちょっとデティルを書き込んで、もっとしっかりした説得力のあるものになったのでは……という気がする。 ちなみにこの作品のミステリとしての最大のサプライズは、なぜ(中略)のホワイダニットなんだけれど、そこにいくまでに頭が冷えてしまったせいか、あるいはもっともっとその恐るべき真相に驚愕し、家の中を走り回るべきところ、それが全くあかんかった(涙)。 ここでまたAmazonのレビューの話になるが、最後の真相は怒る人がいるかもしれませんという主旨のことを言っている御仁もいる。 けれど、自分の場合、怒りも感心もしない。ただ、作者がきっとこれを決め球にしようとしていたことはよくわかるのに、それがどうにも心に響かない……。そんな感じなのであった。 まあ、作者があとがきで、自分の作家生活の中での青春の一冊という主旨のことを言ってるけれど、それはなんとなく、よく分かる気もする。 前述の『火神』『虚栄』さらには『謀殺のチェス・ゲーム』『50億ドルの遺産』などの、実に玉石混淆といえるかつての山田正紀の冒険小説群といっしょに、この作品をもっと早めに読んでいたらどうなっていたであろう。もしかしたらかなり評価は……かもしれないのだが。 評価は思い入れを込めるがゆえに、あえてキツめでこの点数で。 |
No.599 | 8点 | 名も知らぬ夫- 新章文子 | 2019/07/19 14:59 |
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(ネタバレなし)
山前譲さんの編纂(&解説)による、昨今ではあまり顧みられない名作短編を作家単位で集成した、光文社の近年の好企画「昭和ミステリールネサンス」シリーズの3冊目。 少し前に同じ作者の長編『女の顔』を読んだばかりの評者だが、巻末の山前さんの解説にあるように、新章文子は長編もさながら(長編よりも)短編分野でこそ本領発揮なのではないか、という実感を強める一冊。 基本的には、昭和期の市井の家庭内で起きる人間の欲望や情念絡みの短編を主体に8本集成してあるが、どれも1950~70年代の翻訳ミステリ誌に掲載されるノンシリーズのクライムストーリー、またはサスペンス編のような洗練された食感。正に粒ぞろいの短編集である。 今で言うイヤミスっぽい作風のものも少なくないが、なんかこの作者の場合、あえて読者を登場人物に過度に感情移入させず、離れた距離から物語を見守るように誘導してくれる感じなので、どの作品も後味は悪くない。 良い意味で他人事の、情念と皮肉に彩られた物語を、舞台の外の客席から見届けるような緊張感と心地よさがある。 メモ代りに各編の感想&コメントを残しておくと 『併殺(ダブルプレイ)』……巨匠シナリオ作家の愛人となって、自分自身も脚本家デビューした中堅女優の話。表向きは妹分、実際には自分の自尊心を満たすため見下していた後輩に追いあげられる心理、そして凝縮されたハイテンポな筋運びが読みどころ。 『ある老婆の死』……金を溜め込んだ老婆と、その財産がつまる金庫を狙う親族との攻防。日本版「ヒッチコック・マガジン」に掲載される翻訳ミステリ的なブラックユーモア編。 『悪い峠』……財産家の双子の姉妹にたかろうとする孤独で貧乏な老婆と、その先で起こる思わぬ事件。死亡推定時刻の確定がそんなに厳密かは気になるが、短編ミステリとしての流れの組み立ては本書中でも上位。 『奥さまは今日も』……愛猫を失った金満家の熟女が、寂しさをまぎらわすために下宿人(のちに夫)を呼び込む話。夫となる男、陰から事態を演出する女中と三者の思惑のからみ合いが巧妙。 『名も知らぬ夫』……実母と二人暮らしのオールドミスが、突然現れた従兄弟と名のる男と出会い、物語が進む。本書の中では、仁木悦子が称えたという作者・新章文子の「女」の部分を最も感じた作品のひとつ。最後まで(中略)というのも、作者の確信的なアイロニーだろう。 『少女と血』……社会人の十代の姉と二人暮らしの少女の生活に、妹のかつての恩師だった青年教師が割り込んでくる話。これは上で名前を出した、その仁木悦子の<子供もの>っぽい。ラストはちょっとだけ通常のミステリの枠組みからはみ出しかけたか。 『年下の亭主』……金持ちの女房にたかる髪結いの亭主が競馬好きで……という話。新章作品にはしばし、割と妙なユーモラスさが感じられるのだが、これはその辺の味わいが濃く出た一編。ただしツイストをきちんと設け、短編ミステリとしての形質もおろそかにしていないのは流石。 『不安の庭』……女房の方が財産がある中年夫婦。だが子供がいなくて、知人の助産婦の老婆の仲介で女児の赤ん坊を養子にする。そう長くない紙幅の中で二転三転する筋立てが鮮やかで、もし自分が昭和期のテレビ業界人で、本書の中から、一時間ものの単発ミステリアンソロジー番組用の原作をひとつ選べ、と言われたら、迷った末にこれにするのではないか。細部では勢いに任せて話を進めだ部分も皆無ではない気もするが、本書のトリを務めるに十分な秀作。 なんにしろ予想以上に面白かった。ミステリファンの研究サイトとかを見ると、新章作品はまだ書籍になってない雑誌に初出のままの短編もかなり多そうなので、そのうち二弾・三弾も出して欲しい。 |
No.598 | 6点 | 海から来た男- マイケル・イネス | 2019/07/17 02:05 |
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(ネタバレなし)
1950年代前半の英国。田舎の医者の息子で22歳の青年リチャード(ディッキー/ディック)・クランストンは、意中の美少女サリー・ダルリンプルにふられた。クランストンはもてあました恋の情熱を、サリーの実母で今はこの地方の名士であるアレックス・ブレア準男爵と再婚した熟女のカリルに向けて、彼女と不倫関係となる。その夜も夜の海岸で密会を楽しむクランストンとカリルだが、そこに沖合からほぼ全裸の中年男がいきなり出現。クランストンは謎の一団から追われる男を匿うが、彼の正体は数年前に英国内から謎の失踪を遂げた、核兵器開発に携わっていた高名な物理学者ジョン・デイであった。さる事情から余命が幾許も無いと語るデイは、死ぬ前にロンドンの妻子に会って不義理だった自分の行状の謝罪をしたい、しかし当局にその身をさらすと拘束やら尋問やらで残り少ない人生の時間と自由を奪われるので、隠密裡に家族のもとに向かいたいと言う。デイの希望を聞いたクランストンは、旧友で救急車の運転手サンディー・モリソン、オーストラリアからたまたま来訪していた同世代の従姉妹ジョージの協力を得て、デイの身柄の捕縛をはかる他国の工作員を退けながら道中を進むが……。 1955年のイギリス作品。イネスのノンシリーズ作品としては本邦初紹介の長編で、ジュリアン・シモンズ選のオールタイム名作ミステリリスト「サンデー・タイムズ・ベスト99」にも選ばれた一本。 文学者・吉田健一による訳文は21世紀の目からすると全体的に古く、カデラック(キャデラック)などのカタカナ表記、劇中のドラマチックな事件性のある事態をそのまま「劇」と表記しているらしい叙述など、かなり読みにくいが、それでも快調なテンポで物語が進み、あれよあれよという感じで頁がめくれていく。 大体、主人公が袖にされた少女の実の母親に手を出し、しかして物語の実質的なヒロインはその母子どちらでもなく、途中からいきなり登場してくる行動派のアボリジニ(的な属性)のかわいい従姉妹、というキャラクター配置からして妙に屈折したオトナの? ユーモアが感じられる。この辺とか途中の逃避行中の大騒ぎ(かなりとんでもない<大物>が登場する)とか、物語後半に登場する某キャラクターの妙に奇人っぽい独特の存在感とか、あちらこちらの部分が、いかにもイネスならではの英国流ドライユーモアっぽい(評者はまだそんなにイネス作品を冊数読んではいない~これで3冊目だ~が)。 物語は途中まで、評者がつい最近読んだばかりの『39階段』とか『バイド・バイパー』とかの感じのストレートなロードムービー風の冒険小説っぽく進むので、今回のイネスはそっちの方向で最後まで押すのかな……と思いきや(中略)。 ……いや終盤の、いわば、それまでとちゃんとメロディを繋げながら、鮮やかに転調するその見事な手際。実に印象的であった(クライマックスが多少詰め込みすぎな感じと、説明を省略しすぎたきらいはあるが)。 冒険小説、その分野に隣接する技巧派(中略)ジャンルの興味もふくめて「よくできた英国派スリラーの新古典」という修辞が実に似合う一冊。 評点はもうちょっとで7点という意味合いで、この点数で。 |
No.597 | 6点 | 危険な森- ベンジャミン・M・シュッツ | 2019/07/17 00:39 |
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(ネタバレなし)
「わたし」こと、先の猟奇的な連続殺人事件で功績をあげて勇名を馳せたワシントンの私立探偵レオ・ハガティーは、上流家庭ベンソン家の奥方から、失踪した13歳の娘ミランダ(ランディ)の捜索を依頼された。だが打ち合わせの最中で主人のベンソンが依頼を一方的にキャンセル。しかし後刻、ベンソンは改めて娘の捜索を願い出た。ハガティーは情報をもとに関係者を訪ねて回るが、事件の陰に危険な気配を認めて、荒事用の頼れる相棒アーニー・ケンダルの応援を求めた。実際に、調査を続けるハガティーの前に事件から手を引くようにとの脅しが入るが、彼とアーニーは相手を撃退。そして事件はさらに深い闇を見せていく。 1985年のアメリカ作品。レオ・ハガティーシリーズの第二長編で、本作の作中でも何回も話題になる事件=シリーズ第一作の『狼を庇う羊飼い』はネオハードボイルドの熟成期に登場した秀作という感じでとても良かった。同作の事件は相応にグルーミーで犯人像も苛烈だったが、そのキツさに見合う満足感は充分にあった。特に、主人公ハガティーと自分の娘の復讐に走るもうひとりの主人公といえる被害者の父親、そしてメインヒロインの女子大生ウェンディー・サリバン、この主要人物3人それぞれのキャラクターと互いの相関が今でも印象的だ(自分が前作を読んだのはかなり前なのだが)。 それで今回は、少し前に家の中から読まずに楽しみにとっておいた本作が出てきたので、期待してページをめくった……が、こっちはまあ、悪くはないが、物語の結構も、登場人物の描き分けも、他のネオハードボイルド作品の、よくもわるくもパッチワークのようでイマイチであった(汗)。 巻末で黒井玄一郎という方(すみません。よく知りません)が当時のネオハードボイルド分野の流れを大系的に俯瞰しながらかなり丁寧な解説を書いていてなかなか参考になるが、そこで指摘されるまでもなくハガティーとアーニーの関係はスペンサーとホークの相似形だし(アーニーは本長編が実質的なデビュー。もちろんこのコンビと先輩コンビとを比較すれば、微妙な部分での異同はいくつかあるが)、物語の中盤以降で暴かれていく現代的な病巣はほかのネオハードボイルド作家たちもごく自然に作品の材にしているし、終盤の葛藤の末の私立探偵の決裁も、あのシリーズのかの作品……のごとき、だし。 まあ前作は若い時に、翻訳書をほぼリアルタイムで読んだから新鮮だったのかもしれないけれど、今では当時の尖鋭的なテーマや主人公探偵の立ち位置が、時代の中でありふれたものになってしまっている部分は否定はできまい。 そもそも前述の黒井氏の解説でも、すでに、このハガティーシリーズはネオハードボイルドというジャンルがスペンサーやらモウゼズ・ワインやら名無しのオプやらサムスンやらタナーやらの有名キャラクターの輩出を経て円熟した中での後記ネオハードボイルド、第二世代である、旨の物言いをしており、その辺はまったく同感。 つまり評者も、このハガティーシリーズは良い意味で、後出しの利の中から書かれた作品だと思うのだが(これに対し、意図的にネオハードボイルドの中で30~40年代正統派ハードボイルドへの先祖返りを図ったのはジョナサン・ヴェイリンあたりだと見る)、さすがにそこから20年も経つと、ああ、これはもう80年代ネオハードボイルドという名の新世代クラシックだな、という感慨が今回あらためて強かった。 もちろんこの辺の気分(ネオハードボイルドだってもはや時代の中の里程だ)は、かねてよりなんとなく抱いていた思いではあるが、こういうかなり具体的な実感を伴ってこっちに訴えてくるとは予想していなかった? まあこれはそういう時代のそういうスタイルの作品だ、という認識から始めるなら決して悪い作品でなかったんだけどな。前作がとても自分の思い入れのある作品だったので、なんとなく期待値のハードルが高すぎたのは事実であった。 |
No.596 | 7点 | 殉霊- 谺健二 | 2019/07/15 22:27 |
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(ネタバレなし)
1994年11月20日の夜。デビューしてまだ1年ちょっとだが、独特の個性で若者たちからカリスマ的な支持を集めつつある20歳の歌手・矢貫馬遥(やぬまはるか)は、所属する都内の芸能プロの建物の屋上から身を投げた!? だが地上に墜落死体はなく、それどころか遙の体は少し時間が経ったのち、首のない無惨なバラバラ死体となって離れた場所で巨大なクリスマスツリーを飾るかのような状態で見つかった。だがさしたる手がかりは得られず、捜査は暗礁に乗り上げる。そんな頃、関西の民間調査機関「中山リサーチセンター」のスタッフである20代半ばの娘・緋色翔子は、自殺しかけた冬木絵梨と名のる十代末の少女に遭遇。かつて姉の亜樹を、歌手・岡田有希子の自死の後追い自殺で失っている翔子は絵梨を放っておけず、親身に面倒を見るが……。 小さめの級数の活字で二段組み、500頁以上の大作。 評者はこの作者の作品はこれまで処女作と現状の最新作『ケムール・ミステリー』しか読んでなかったが、先日届いたミステリファンサークル<SRの会>の正会誌「SRマンスリー」の最新号が平成作品の総括みたいな特集内容で、そこでは結構この人の作品の評価が高い(その年の国産ベストワンになってる長編もある)。それで気になって、どうせならまだ本サイトでレビューのないこの作品を……と思って取り寄せてみたが、思わぬぶ厚さに驚いた。 しかし読み出すと存外にリーダビリティは高く、ほとんど二日くらいで読み終えた。文章はけっこうくどい感じで、作中のリアルの事項を拾う筆致も細かいんだけれど、なぜかあまりストレスがない。文章のテンポが良いのであろう。 物語の主題は「生と死」「自殺」「後追い自殺の連鎖」などに始まる陰鬱で重いものがメインだが、主人公の翔子は凄惨な過去と辛い現実を抱えながら、それでもくじけない一貫した精神的なタフネスさがあり、大部の物語を牽引するに相応しい。そんな彼女の行く道は当然ながら必ずしもなだらかではないが、その辺はネタバレになるのでここでは言えない。 ミステリとしては最初の大きな仕掛けはまあ予想がつくのだが、大小の手数の多いテクニックが駆使されて長丁場を支える。終盤に明らかになる事件の真相というか実態はある意味でミステリの通常のコードを踏み外したものだが、それだけにインパクトは大きい、とは思う。ただし読者が3~4人いたらそのうちの一人はけっこう早く見抜いてしまうかもしれない危うさもあり、現状のAmazonの唯一のレビューで酷評しているヒトは、それに該当したのかもしれない。 (ちなみに参考までに、本作はTwitterの場などでは、好評な反応がいくつか確認されている。その辺の温度差の観測をまとめるなら、主題もミステリの作りも、どうにも人を選ぶ作品、ということか。) 評者なんかも長く生きている以上、辛いこと、慟哭することは何度もあったが、それでも幸か不幸かあまり自死や自傷などは考えないタイプの人間として齢を重ねてきた。その意味では本書の主題を介して、あまり考えの及ぶ機会のなかったテーマを覗かせてもらった感慨もある。まあ本書を読む以前から、愚直に棒読みで生きてさえいればいいことがあるよ、と無責任なことをホイホイ言えない程度の節度はあるつもりだが、それでも改めてぐるりと回って、それ(自殺するくらいなら生きていた方がいい)は<おおむねは>事実だな、とは思うのだ。 ラストはドラマとしてキレイにまとめすぎた感じもないではないが、かといって作者が作劇的に逆張りをしていたら、それは絶対に間違っていたと思う。だからこれでいいんでないの。 |
No.595 | 8点 | オニオン・フィールド―ある警官殺害事件- ジョゼフ・ウォンボー | 2019/07/14 12:49 |
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(ネタバレなし)
1963年3月9日の夜。ハリウッド周辺の市街で、ロスアンジェルス市警の青年パトロール警官二人が、拳銃を持ったまだ若い二人組の強盗に誘拐された。警官の一人は郊外のタマネギ畑で射殺される。武装した強行犯による警官の拉致は決して珍しい事件ではなかった。だが……。 1973年のアメリカ作品。処女作『センチュリアン』でロス市警の現職警官作家としてデビューしたウォンボーの第三長編で、本書は作者が初めて現実の事件に材を取ったドキュメントフィクションノベル。 当時の現実の若手警官が殉職した事実はもちろん不条理な悲劇だが、事件そのものにはほとんどまったくといって良いほどドラマチックな意味での物語性はない。だがウォンボーの並々ならぬ筆力はそれぞれ二人組の強盗と警官コンビ(特に後者の生き残った方)に対し、彼らの事件のビフォーアフターの迫力あるドラマを絶大なボリュームで描き出していく。その筆勢は、材料となる木柱の中から精緻な芸術品を現実の世界に彫り出す天才のある彫刻家のごとぎだ。 主要人物4人のみならず作中に登場する人物名は細かい者も含めれば200人に及ぶ総数だろうし(いつも登場人物の一覧リストをかなりマジメに作る筆者も本書では特例的に一部、これは一過性のモブキャラだろうと当りをつけたものはスルーしたほど)、そんな彼らの行状の要所も手を抜かず押さえ込んでいくドキュメント小説の精緻さは、言い様もない迫力で読み手を揺さぶる。 小説(あえてそう呼ぶが)本文とは別に、冒頭から意味ありげに挿入されていた奇妙な? 叙述パートが作品の中盤でするりと本筋の方に流れ込んでくる構成上の技巧もさながら、事件後に逮捕され、収監された犯人たち、そして生き残った警官の去就を機軸にこの事件に関する壮大な叙事録を紡いでいく作者の執拗なまでの情念に圧倒される。特に小説後半の、繰り返され、長引いて、そしてひとりの若手警官の死という悲劇を形骸化、空洞化させていく裁判審理の停滞ぶり、現地の死刑制度のゆらぎなどは、読み手の焦燥と緊張をこの上なく高める。 ハードカバー二段組み、小さめの級数で430頁という大部の作品を二日で一気に読み終えたが、ページを開いてから読了までに個人的には『月長石』『バーナビー・ラッジ』に匹敵するレベルのエネルギーを使った。まちがいなく優秀作~傑作。MWA特別賞受賞も納得の内容である。 ちなみに本作はミステリファンサークル<SRの会>の会員が読後の評価による採点の平均点で選出した、1975年度の翻訳ミステリ部門ベスト1作品である。その年の2位以下が、②『オスターマンの週末』(ラドラム)、③『戦争の犬たち』(フォーサイス)、④『マラソン・マン』(ゴールドマン)、⑤『ロゼアンナ』(シューヴァル&ヴァール)、⑥『強盗プロフェッショナル』(ウェストレイク)、⑦『カーテン』(クリスティー)、⑦『転倒』(フランシス)⑨『シャーロック・ホームズの素敵な冒険』(メイヤー)⑩『ジョーズ』(ベンチリー)……と当時の話題作揃い(今では時代に埋もれた作品もいくつかあるかも)。 私的に、大昔の割と早いうちに2~10位までは読んだが、本作『オニオン・フィールド』だけは、読めば絶対に手応えのあるスゴイ作品なんだろうな、と思いつつも、ドキュメントフィクションノベルという通常のミステリでない形質、さらに何よりその重量感から腰が重かったが、ようやく今回、積年の思いを果たした。 ただ個人的にはウォンボーっていったら『デルタ・スター刑事』『ハリー・ブライトの秘密』みたいな、「警察小説というジャンルで、こんなアクロバティックなミステリをやるのか!?」という、あのぶっとんだ資質の異能の作家なんだよね。またそのうち、あっちの路線の作品も読んでみたくなった。 |
No.594 | 6点 | 樹海の殺人- 岡田鯱彦 | 2019/07/13 00:26 |
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(ネタバレなし)
昭和32年10月。富士の樹海を分け入った奥地に建つ施設「富士研究所」。そこは、T大出身の理系学者・坂巻久が所長を務めていた。かつて20年前にこの土地の神官の家系の美少女・小林千鶴と結ばれた坂巻はそのまま小林家の入り婿となって神官職に就き、さらに本職の傍らで、15年ほど前に設立した研究所で学問の探究を続けていた。だが3年前に千鶴が病死したことから坂巻は神官職を辞して苗字を旧姓に戻し、神官を務めていた地元の「浅間神社」も縁者に託して、今は研究所の所長に専念していた。そんな中、坂巻は、今はT大で物理学の教授を務める元学友の田島亮(あきら)を研究所に迎え、久々の再会を果たした。田島はかつての憧れの君であった千鶴にそっくりな美少女、坂巻の娘の久美子に出会い、目を瞠る。実際、研究所の周囲には、久美子の美貌に心惹かれるものは多かった。だが田島が到着して三日目のその夜、坂巻の不在中に研究所の実験室で不測の爆発が生じ、田島が爆死した。事故か他殺かの確証がないまま、樹海の中の研究所は、その周辺でさらなる惨劇を迎える……。 昭和32年、春陽堂のミステリ叢書「長編探偵小説全集」の一冊として刊行された書下ろし長編作品。同叢書の全14冊の中では楠田匡介の『いつ殺される』、鷲尾三郎の『屍の記録』(短編がオマケ)と、本作の三冊のみが書下ろしの完全新作であった。 評者は今回、1978年に刊行された「別冊幻影城・岡田鯱彦編」で本作を読んだが、山野辺進の雰囲気もたっぷりのイラストの効果もあり、これぞ昭和の1.5線級の謎解きパズラーという感じで大部の長編を満喫した。 ……いや正直、事件の真相に直結するキーワードの正体が見え見えだったり(初版刊行当時ならともかく、21世紀にこのミスディレクションにひっかかかる人はいないだろう……)、登場人物の配置がくっきりしすぎて容疑者が絞り込め過ぎたり……などの苦言は湧き出てくる。 さらに、章立ての見出しも後半の方なんかもろネタバレだよね、とか、土地の警察の上層部がここまで一巡査に、民間人といっしょの行動を許可するはずねーだろとか、言いたいことは山のようにあるのだが(そもそもこの作品というか、犯罪と事件が、同世代の某作家のあれやあれなどの作品群の影響を確実に受けているだろうし)。 それでもまあ実は、そもそもあんまり期待値も高くなかったので(汗)、これだけ雰囲気たっぷりに外連味豊かならいいや、という気分も大きい(笑)。 最後のトンデモトリックは完全にバカミスの領域だが、これも作者があんまりドヤ顔で書かず(小説の章の見出しでトリックを暗示したりせず)、本当にごくそっと読者の前に出していたなら、この作品は佳作のパズラー(しかしトリックは特筆もの)という定まった評価に落ち着いたかもしれないんだけどね。ただしまあ、いろいろとややこしい事を考え、そんな自分の心のゆらぎに振り回された某登場人物の内面描写は良かった。ミステリの結構としては補完的な部分かもしれないけれど、そんなポイントに作者が力を込めたであろう感じはよくわかる。 webなんかでは「ゆるい本格派」という評判なんかも聞えてくるし、事実そういう面もあるんだけれど、読み終わった瞬間にはかなりの満足感があったし、ちょっと時間が経って頭が冷えた今でもそれなりにキライにはなれない作品であった。 |
No.593 | 6点 | 青い闇の記録- 畑正憲 | 2019/07/12 15:22 |
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(ネタバレなし)
高度成長時代の昭和期。知床の自然林の中で五人の大学生が羆に襲われて、三人が死亡。一人が行方不明になり、残る一人・尾崎則雄のみが生還した。則雄の恋人で、行方不明の若者・江間昭良(あきら)の妹の信子は、高校卒業後3年間勤めていた玩具会社を退社し、自ら北海道に兄の捜索に向かう。そんな信子は、利潤目当ての開発に反対する民間組織「知市連」こと「知床の自然を守る市民連合」のメンバーと接触。羆が本来は臆病な動物で、今回の惨劇の背後には何か事情があった可能性を聞かされる。知市連は今回の惨事を記録に残して教訓を得ようと、道内外の関係者の述懐を募った文集を作成するが、なぜか肝心の生き残りである則雄の筆は<ある部分>において重かった。そんな中、昭良では? と思われる焼死体が、知市連のメンバーの所有する家屋内から見つかり……。 「サンデー毎日」の1972年9月10日号から翌年7月29日号にかけて連載された長編作品。 かつてミステリ雑誌「幻影城」で、各大学ミステリの研究会がそれぞれのサークル毎のオールタイム国内ベスト10を提示する連載コラムが一時期あったが、その際にどっかの大学が、本作をベストテン枠のひとつに入れていたのを近年、改めて意識した。それでこちらも気になって、数年前からその内読もうと思っていた一作である。 読む前はなんとなく<闇の中を徘徊する謎の殺人者の正体は? ……人間じゃない、ヒグマだー!>パターンのスリラー作品(別の作家の某長編ミステリのような)ものかと思っていたが、物語の1ページ目からこの作品の主題として、いきなりちゃんと羆が出てくる。そういう意味ではきちんとカードを晒しながら、その上ではたしてこの惨劇の奥に犯罪といえる実態は? 何か人間の負の思惟はあったのか? に焦点を少しずつ絞り込んでいく作劇。 うん、ムツゴロウ先生、人間文明の闇の部分も、人間と自然動物の距離感も語りたいだけ語りながら、その上でまっとうなミステリに仕立ててあるのは、ご立派。 まあかなりの大部の作品で、その紙幅の全部がミステリの要素に奉仕しているわけでは決してないが、さすがに大作家だけあって文章は平明。登場人物にも時にやさしく、しかしそれ以上に随時きびしく容赦なく役割を与えて、最後まで一気に読ませる。 ヒロインの逞しさも、大半の登場人物の雑草みたいなしぶとさ(それこそ単純に善とも悪とも、好人物とも嫌なヤツとも割り切れない連中がほとんど)も、カメラアイみたいな醒めた叙述で書き紡いでいく感覚はなかなか……。 まあたまには、こういうのもいいですな。 ちなみに題名の意味は作品の後半で、動物学を学ぶ大学生・菊川京太が語る、地球上の動物たちの進化の流れにおいて、原初的に生き物たちの本能に宿っているある種の記憶の場のこと。 |
No.592 | 7点 | レベッカの誇り- ドナルド・M・ダグラス | 2019/07/12 14:04 |
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(ネタバレなし)
1950年代。カリブ海のリーウォード諸島。その年の1月末から2月初頭にかけて、アメリカ政財界の大物である白人の実業家フォーダイス・ウェールズが同地で失踪。やがて黒焦げになった焼死体が見つかる。若き日に現地との縁故ができたウェールズは、この島のかつての大地主だが、今は権勢と財力を弱めた女丈夫の白人、未亡人レイチェル・フォン・スホークから、フォン・スホーク家の代々の象徴であった大邸宅「レベッカのプライド」を買い取った過去の経緯があった。それでなお島の有力者であるレイチェルとその家族は島の新勢力となったウェールズと表面上は友人づきあいをしていたが、一家の内心には複雑な思いが渦巻いていた。そんな中、「私」こと、フォン・スホーク家と幼少時から家族同様の付き合いをしていた黒人で、今は島の警察長官となったポリーヴァー・マンチェニルは、警察官としての公正な職務に準じながら、同時に可能な限りに恩義あるレイチェルとその家族のために尽力しようとする。だが、フォン・スホーク家の面々と事件の捜査陣はそれぞれの思いで行動し、そんな中から意外な事実が次々と浮かび上がってくる。 1956年のアメリカ作品。同年度のMWA新人賞を受賞した長編で、作者ドナルド・M・ダグラスは本邦ではこれが唯一の翻訳。1950年代から創作を開始したが、著作の数はそう多くないまま文壇を去ったらしい旨の記述が、本書巻末の実に丁寧な訳者あとがき(解説)にある。 あらすじを一読願えば歴然のように、デュ・モーリアの『レベッカ』とは何の関係もない題名で、その意味は物語の主要人物となるフォン・スホーク家のかつての屋敷の呼称に由来する。 財政的な事情から成り上がり者に先祖伝来の屋敷を譲らざるを得なかった地主の苦渋と、その周辺で起こる殺人劇? といえばクリスティーの『死者のあやまち』(またはその原型作品『ポアロとグリーンショアの阿房宮』)だが、本作の方では金持ちウェールズの方からも旧家フォン・スホーク家にさらなるある重大なアプローチを現在形でしており、人間関係の錯綜ぶりと情念の交錯の点では負けていない。ウェールズが大物だけにアメリカ本土からも多数の政府関係者や捜査官が来訪し、島が相応の喧噪で包まれるのも本書の厚みを増す部分だ。主要人物の要の未亡人レイチェル自身が清濁あわせた(それでも全体としてみるなら人間的な魅力のある)人物として描かれる一方、その子女や嫁なども個々のキャラクターを発揮し、かなり多数の登場人物を配しながらその書き分けはすこぶる鮮やかではある(本書の巻頭に、とても丁寧な人物紹介があるのはありがたい)。 その上でとりわけ重要なのは、主人公=「私」のマンチェニルのポジションで、彼の実母はレイチェルの息子たちの乳母でもあったことから人種を越えた兄弟のように育った反面、地主の息子と使用人の息子という主従関係を意識する面も当然あり、これがそのまま1950年代当時のカリブ諸島の視点での人種問題の投影であり、集約にもなっている。つまり黒人はもう奴隷じゃないよ、白人と同等だよ、と建前的に唱え、実際に時代もそのように推移しながら、それでも……の部分が特に色濃く残る物語世界だ。そんな枠の中で、(フォン・スホーク家の後援もあり)主人公マンチェルはかなり高い教育を受けて、捜査官としても大成(現在51歳)したのだが、それだけに多重的なまなざしをもって事態を見つめ、物語の中の謎と真相に切り込んでいく。 謎解きミステリとしては、起伏豊かな群像劇の中から終盤に意外な真相が覗いてくる流れで、日本で言う社会派的な部分もあるエキゾチック作品かと思いきや、予想以上にまっとうな推理小説になっているのが嬉しかった。クライマックスの派手な展開も外連味に富んでいていい。 (ちなみに、ずっとのちの、同じ(中略)作品に、本作とよく似たアイデアを核とした長編ミステリが登場しているが、実は「あっち」は、本作の影響を受けていたのだろうか)。 なおこの作品を最後に引き締めたのは余韻のあるエピローグで、そのなんともいえない文芸味……。これこそが作家の、作品の誇る個性の輝きということであろう。ずっと印象に残りそうなラストであった。 最後に、この時期(70年代末~80年代半ば)の講談社文庫の海外ミステリ路線には翻訳がアレなものが多いのだが、本作はおそらくは渋い感じの原文であろうに、日本語として読みやすい上にすごく丁寧で感銘した。特に本文の中で<原書の時点から作者の誤記らしい、登場人物の間違った名前の記述が出てくるが、あえてそのままにしておく>旨の割註があり、この誠実で透明な仕事ぶりにはマジで感動した。 前述のように巻末の解説(訳者あとがき)も実に精緻で、webで検索すると訳者の人は実作の創作も為した方らしい。 本作はとても良い翻訳者を得たと思う。 |
No.591 | 6点 | 殺意の設計- 西村京太郎 | 2019/07/08 03:04 |
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(ネタバレなし)
世評の高い31歳の新鋭画家・田島幸平。その妻で27歳の麻里子は、匿名の密告状を契機に、夫が20歳の美人モデル・桑原ユミと浮気している秘密を知った。親族がいない麻里子は、仙台在住の旅館の若主人・井関一彦を手紙で東京に呼び出し、苦しい胸の内を打ち明ける。井関は幸平の親友で、かつては東京で同じように画家を志した身であり、そして麻里子と幸平と三角関係にあった。麻里子の訴えを聞いた井関は幸平とも対面し、良い結果を求めて尽力するが、やがてある夜、田島家の中で突然の死が……。 作者の(比較的)初期長編。 途中で、いかにも、これ見よがしっぽい仕掛けが覗くので、この時期の西村作品はこんなレベルで読者を引っかけようとしていたのか? と一瞬興が醒めた。しかしそのまま読み進めると、作者はしっかりと物語のその奥まで読み手に晒し、そんな上でさらに謎解きミステリとしての興味を煽ってくる。 安易にプロの作家を舐めてはいけないと、少し反省。 とはいえ事実上、物語の中盤には、犯人は絞られてしまうのでフーダニットとしてはそこで崩壊。あとに残る最大の興味は、動機の謎のホワイダニットとなる。 それでこちら読者としてもミステリファンの欲目があるので、ここはひとつ連城の「花葬シリーズ」レベルのスゴイのが来ればいいな、と期待したが、残念ながら結末は意外に地味な感じであった。 ただし容疑者が中盤で狭まった分、探偵役である警視庁の矢部警部補(十津川シリーズや左文字シリーズにも客演する、作者の地味な? レギュラーキャラクター)と犯人役の対決の構図は際立ったけれど。 それでも犯罪計画の組み立てを暴いていく流れは全体的に丁寧で、その辺は好感。物語の後半、脇役として登場して矢部警部補を支援する雑誌ライター(記者)・伊集院晋吉の妙に人間臭いキャラクターも、ちょっと印象に残る。 西村作品の初期の単発ものには結構面白いものがあるので期待したのだが、これはそこまでの思いには応えてくれなかったものの、それなりには楽しめた一冊であった。佳作。 |
No.590 | 5点 | 危険な女に背を向けろ- 生島治郎 | 2019/07/07 16:08 |
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(ネタバレなし)
クライムものや捜査ものなどのノンシリーズ作品、それもショートショートでも中編でもない、まさに「短編」という長さの作品ばかりを11本集めた一冊。たぶん作者が当時の「小説推理」とかあちこちの中間小説誌とかに書いた(一部書き飛ばした)作品を集成したものであろう。 基本的にオチをつけてまとめる作品が主体だが、早々に結末が読めてしまうものもいくつかあり、はは、昭和っぽいこの種のライトミステリの、のんきな作風だね、という感じでほぼ一色。 異色? なのは巻末の自伝風作品『浪漫渡世』で、これは作者がかつて早川書房に入社し、日本版EQMMの二代目編集長に就任した際の回顧譚。実在人物は変名で登場するが、世代人ミステリファンなら大方の見当はつくはず。生島から見た先輩・田村隆一への深い敬愛と親愛の念、早川清への悪態(? 笑)、日本ミステリオヲタクの先駆・田中潤司へのなんともいえない視線など、それぞれ興味深いし楽しい。 |
No.589 | 6点 | ファラオ発掘- ジョン・ラング | 2019/07/07 15:36 |
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(ネタバレなし)
シカゴ大学に在籍の考古学助教授で、41歳になるハロルド・バ―ナビーは、古代パピルスを独自に解読。定説となっている学識が誤りで、実はまだ未発見のかなり大規模なファラオの古墳がエジプトの砂漠のとある地域内に確実に埋もれていると探り当てる。新発見を大学に正直に申告しても正教授の待遇を得るのみで、さらに自分を社交性もない本の虫と蔑んだ大学の名をあげるばかりと思ったバーナビーは、独自に非公式な発掘チームを組織し、本来はエジプト政府の国庫に入るべき古墳内の財宝を盗掘する計画を企てた。スカウトしたル青年ポライターのロバート・ピアスが人脈を駆使し、スポンサーとなる好事家の大富豪、プロの盗賊、さらには考古学を少しは齧った肉体派の男……たちのチームが編成され、古墳の秘密の捜索が開始される。だが作業は随時エジプト公営博物館の遺物局の査察を受け、チームは金銭的な価値のないあくまで学術的な探求を装いながら発掘を続けるが……。 1968年のアメリカ作品。マイクル(マイケル)・クライトンがジョン・ラング名義で書いた初期の長編(これとジェフリイ・ハドスン名義で執筆のあの『緊急の場合は』が68年作品で、どちらかが通算3冊目でまた4冊目)。ラング名義の作品としては3冊目にあたる。 評者が以前に読んだラング名義の作品では初期の某長編がとんでもないボルテージのセックス描写のポルノ・ミステリーだったので、今回もそういうのを少なからず期待したが(笑)、意外にも本作では実質的な主人公となるピアスとスポンサーの大富豪グローバー卿の秘書リザ・バレットとの間に芽生える、昭和40~50年代の日本の少女漫画風の不器用な恋愛模様が描かれるだけ。 昭和の父親が女子中学生の娘に読ませても全然問題がないような内容で、その極端さに驚いた。クライトンってアメリカの笹沢佐保か。 クライトン名義の作品はA級ランクの重量級作品、ラング名義のものは軽スリラーといった認識が自分をふくめて一般的にあると思うが、少なくともこれはそれなりにエンターテインメントとしての読みごたえがあった。 エジプト現地の観光的な描写、かなり資料を読み込んだのであろう考古学的な蘊蓄(21世紀現在の時点でいまもどれくらい正確で的確な叙述かはわからないが)、そして犯罪・ミステリ的な要素はほとんどうっちゃって(物語の主な事件的な要素といえば、主人公チームがエジプト政府の目を欺いて盗掘することくらい)ひたすら発掘の作業を丁寧に描くだけ……なのだが、これが実に面白い。クライトン(ラング)って、やっぱり本物の職人作家だったのだなあ、と改めて感入った。大きく四部に分かれた小説本文の筋立ても巧妙で、そこそこの長さの作品ながら中断できず、一気に一日で読み終えた。 主人公チームの挫けない奮闘ぶりは本気で応援したくなるのだが、一方で確かな犯罪でもあり、どう決着するか……はもちろんここでは言えないが、最後にはすごく気持ちよくページを閉じ終えられた。筆の達者な創作家が才気で書いた作品って必ずしもスキになれないこともよくあるが、今回の場合はその職人的な手際そのものにある種の感興を覚える。とてもよくできた、ちょっとハモンド・イネスみたいな作風に限りなく接近しながら、それでもギリギリの部分でどこか違う、どんな一冊。 |
No.588 | 5点 | 月光の大死角- 志茂田景樹 | 2019/07/06 14:02 |
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(ネタバレなし)
蓼科高原で土建業、観光ホテル業、タクシー業を成功させて、個人の資産だけで100億円以上と噂される大実業家・岩本大作。彼は自分が率いる岩本財閥の威信を示すべく、蓼科高原に約24メートルの大観音像を新規建立した。そのお披露目の式典の前夜、大作は、若い愛人でもある秘書の香田やよいを観音像の内部の空洞にある展望台に誘う。だがそこに待っていた不審な男が大作を刺殺し、事態を驚きながら見守っていたやよいの前から犯人は消えた。さらにやよいが人を呼びに行って戻ってくると、いつのまにか部屋は施錠されている。しかもその中に大作の死体は無かった。鍵は厳重に管理された、密室状況の中での犯人の出現とそこからの逃亡、さらに死体の消失と、謎が謎を呼ぶ事件はさらに新たな展開へと……。 Twitterで話題のバカミス(抱腹絶倒のトリックらしい)ということで興味を惹かれて読んでみたが、う~ん……。個人的には、まあ、読んで騒ぎたくなる人がいるのはわかりますね、と冷めた頭で呟きたくなってしまいそうな、そんな仕掛けであった。 いや現実にそんなにうまくいくかどうかは別として、このアイデアというか力業の着想そのものは悪くないと思うんだけど、手掛かりの出し方やら読者側が抱く疑問の捌き方やらのミステリとしての演出が悉くヘタで、面白がるより先に、もったいないな……という気分が優先してしまった。 あと志茂田先生のミステリはこれで二冊目だが、話が途切れかけると新規の登場人物をぶっこんでいく(そのくせあまり、創造したキャラクターのアフターフォローもない~終盤の某登場人物の、彼氏が死んだあとの反応の薄さはなんなのだ)作劇も素人くさく、その流れで真犯人の設定もダメダメであった。かつて某英国の大作家が似たようなことをやっていたともいえるが、あっちは確信行為で放った変化球、こっちはただのダメミステリであろう。 まあ話のタネに読んでおくのはいいかも。 |
No.587 | 6点 | 箱の中の書類- ドロシー・L・セイヤーズ | 2019/07/05 20:24 |
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(ネタバレなし)
1928年9月のロンドン。中年の電気技師ジョージ・ハリソンとその年の離れた後妻マーガレットが暮らす共同住宅「ウィッテントン・テラス」は、若い2人の入居者を迎える。彼らは二十代半ばのハンサムな画家ハーウッド・レイザムと、その友人で三十代の初めの文筆家ジョン・マンティング。同じ部屋に暮らす二人組は、ハリソン夫妻や夫妻の雇う中年のメイド、アガサ・ミルサムとも日々顔を合わせるが、ある日思わぬセクハラ事件が生じて、その関係は破綻した。やがてそれぞれの生活を始めた面々だが、ウィッテントン・テラスの周辺である変死事件が勃発する。 1930年の英国作品。ウィムジー卿が登場しない唯一のセイヤーズの長編作品で、さらに原書などでは別の英国作家ロバート・ユ-スタス(ロバート・ユースティス表記もあり。(広義の)密室ものの古典名作短編『茶の葉』などで有名)との合作として表記される一編。ただし主筆はあくまでセイヤーズで、ユースタスは化学考証などの協力実務らしいと巻末の解説にはある。 小説全体の9割以上が主要登場人物(特にメインとなるのはマーガレットと、アガサ、それにジョージと前妻との間の息子で成人して別居しているポールなど数人)が特定の相手に書き送る書簡の形式で綴られ、そのスタイルはやはり(全編が)日記手記形式のコリンズの『月長石』などを思わせる。言うまでもないが、日本でも井上ひさしだの湊かなえだの、この手の手法の作品は少なくない。 なんとなく普通の小説と違う形質がシンドそうだなと読む前は思っていたが、実際に読むとまとまった情報を手紙の文面の中で消化しなければならないという前提がかえって物語のこなれを促進し、かなりリーダビリティの高い作品であった。 名探偵ウィムジー卿も不在で終盤の謎解きがいささか破格なため、ポケミスの裏表紙に書かれたジャンル分けではサスペンスに分類されているが、本質的にはフーダニットとハウダニットの興味が最後まで守り抜かれるパズラーの枠内の作品だろう。ただし前者の興味については、登場人物の少なさとその配置ポジションの関係もあってほとんど意外性はないが。 もう一方のハウダニットの求心力も21世紀の今ならなんとなくわかるものの、実際には20世紀序盤の専門的な? 化学知識で作者が読者を言いくるめた感じで、サプライズやロジックを含むミステリ的なセンスで上策かというと、あまりその意味でも良い点はやれない。 むしろ本作で感じ入ったのは、最後まで読んで物語の上の点と点を結んで見えてくる犯人のかなり独特なものの考え方で、これがなかなか印象深い(ちょっとフィルポッツの諸作に似通うものがある~ネタバレにはまったくなってないと思うけど)。 さらに言うならその犯人役と対峙する終盤の探偵? 役のポジションも中期以降の(探偵の方の)エラリイ・クイーンの葛藤みたいで、妙に心に染みた。本作の後半は、登場人物のひとり、ジム・ペリー司祭の言動を介して神学の主題にも接近するが、作品そのものと劇中の犯罪の構図にも神と人間の距離感の投影みたいな文芸が覗くような感触もあり、たぶんその辺もセイヤーズがこの作品で語りたかったことのひとつだろう。 シンプルにミステリとして読むといろいろアレなところもないではないが、小説としては普通にお腹がいっぱいになった。 なお208ページで「ベヴァリー・ニコルズ」の表記で、作中人物が話題にする作家として『消えた街頭』『ムーンフラワー』のビヴァリイ・ニコルズ(Beverley Nichols)のことが話題にのぼる。よく世代人ミステリファンの間で、未訳作品の発掘が望まれる作家ですな。 |