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人並由真さん
平均点: 6.32点 書評数: 2036件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.536 6点 春の自殺者- レイモン・マルロー 2019/05/02 20:37
(ネタバレなし)
 フランスのその年の1月から5月にかけて、ブルターニュのモルレ群地方の郡長を初めとした各界の名士が続々と動機不明の謎の自殺を遂げる。一連の変死事件は「春の自殺事件」として人々の噂に上るが、やがて忘れられた。そんななか、探偵事務所「ルピュ」の所長兼唯一の調査員である私立探偵リシャール・ディケは、数週間ぶりにまともな仕事の依頼を受ける。依頼人はミュルドックと名のる中年紳士で、妻の浮気の証拠を押さえてほしいというものだった。ディケは秘書で内縁の妻といえる体重95㎏以上の大女レア・ユトンに尻を叩かれながら、この仕事に乗りだすが、はたしてディケが認めたのは、調査対象の美女ロレーヌが日替わりで別の男と情事を行う現場であった。仕事の域を越えてロレーヌに関心を抱きはじめるディケだが、そんな彼はやがて思いも掛けない事件の渦中へと巻き込まれていく。

 1972年のフランス作品。作者レイモン・マルローは日本では本作しか紹介がないようで(少なくともこの作者名表記では)、さらに今回評者が手にしたHM文庫版(1992年に本作を原作として翻案した邦画『エロティックな関係』が公開された際に刊行された)には作品解説も何もまったく無いため、詳しいことはわからない(1976年に刊行のポケミス版は大昔に買ったかもしれないがすぐに出てこないし、そっちにまともな作者や作品の解説があったかも不明である)。
 そういうことで今回は純粋に作品そのものの感想になるのだが、ミステリのジャンルとしてはいかにもフレンチハードボイルドっぽい雰囲気で始まりながら、途中から少し方向性が転調して主人公ディケが窮地に陥る巻き込まれ型のサスペンススリラーっぽくなる。さらに事件全体に、序盤から叙述された謎の連続自殺事件の謎が一種のミッシングリンク風にからんでくるが、真相は読者の推理に挑戦する謎解きものの形で解き明かされていく流れではないので、そういう意味ではミステリとしては弱い。終盤に事件のキーパーソン的な人物がいきなり登場してくるのもちょっと……ではあろう。ただし話の流れそのものはフランスミステリにたまにありがちな「なんでそうなるの?」的な部分は少なく、かなりスムーズなストーリー運びなのは悪くない。
 さらに重要なのはしょぼくれた私立探偵の主人公ディケ(10年前に親戚の遺産が入って会社を辞め、愛読していたミステリを通じて憧れを抱いていた私立探偵稼業に乗りだしたが、その後仕事は下り坂。当初はいい女だった秘書のレアも今では40過ぎのデブ女に化けてしまっている)をメインにした、複数ヒロインたちとのペーソスとエスプリを利かせた艶っぽく時にスリリングなやりとり。ポケミス版の刊行当時に、ミステリマガジン誌上で青木雨彦さんがたしか本作を例の<ミステリ内の男女の機微を語る連載エッセイ>の路線で取り上げ、なんらかの含蓄を語っていたと思うが、これは正にそういう器で語るのにもってこいの作品ではある。

 プロットとしてはマトモなミステリっぽい真相のネタを用意しながら、最後の方ではその辺をあまり練り込まなかった印象の作品だが、それでも読み物としてはそれなりに楽しめた。ラストのイヤミスにならない程度にイヤーンな感じも、とてもフランスミステリぽくっていい。
 この主人公(ディケ&レアのコンビ)このあと続編が書かれたのかな。そこはちょっと気になる。

No.535 5点 ミルナの座敷- 須知徳平 2019/05/01 14:57
(ネタバレなし)
 その年の夏休み。「ぼく」こと小学校6年生の英彦は一つ年下のお転婆な妹・夏子を連れて、東北の彦呂村にあるおじさんの家に行く。館屋敷と呼ばれるおじさんの家には幸介と清介という同年代の従兄弟の兄弟がいたが、本当はもうひとり、この家には11年前に生後10日で死亡した妹の芳子がいた。英彦たちの訪問はその芳子の供養のためでもあった。芳子の産まれた部屋は、産小屋(うぶごや)と呼ばれる、出産時に妊婦がこもる離れ部屋。だが今は悲しい思い出を弔うように「ミルナの座敷」と呼ばれて施錠されて管理されていた。だがその密室の中から、そこに納められていた観音像が抱きかかえる、赤ん坊を象どった立体物が消えてしまう……。
 
 1962年に元版が刊行されたジュブナイルミステリで、第三回講談社児童文学賞受賞作品。「本格ミステリフラッシュバック」で紹介されていたので以前から気になっていたが、このたび読んでみた(評者が手にしたのは、講談社の1983年の青い鳥文庫版)。青い鳥文庫版の巻末で解説を書いている児童文学評論家の田宮悠三という人が言うとおり、日本版トム・ソーヤというものが書かれたならこんな感じか、という従兄弟同士4人の少年少女探偵団を主人公にした健全で清廉なジュブナイル作品で、ミステリとしては肝心の密室の謎解きの真相をふくめて、大人が読んで騒ぐものでもない。それでも少年少女の視点で推理という作業をきちんと探求し、「だれが」「なぜ」「いつ」「どのように」さらに盗んだ品を「どこに」隠したかという5つの謎を整理しながらアマチュア捜査を進めていく物語は、成人が読んでもなかなかほほえましい。事件後の決着も踏まえて精神性も潔癖な、好ましい児童向けの読み物であろう。

 ちなみに青い鳥文庫版の裏表紙のあらすじ、さらに前述の田宮氏の巻末の解説は作品のネタバレになっているので注意。特に後者の巻末の解説はお断りなしに真犯人の名前まで堂々と明かしながら、自分の言いたいことを言っている。今だったらブーイングの嵐であろう。ミステリ読者、ファン同士のマナーや約束事を知らない場だと、昔はこういう事態が起きることもあった。

No.534 6点 再婚旅行- 佐野洋 2019/04/27 19:57
(ネタバレなし)
 昭和37年。「わたし」こと、酒場「パンセ」に勤めるホステスの市原紀子(源氏名・安子)はその夜、店に来た客・大仲吾一の顔を見て驚く。大仲は、眼鏡とパーマという相違こそあれ、紀子が5年前に別れた夫・河原田重吉と瓜二つだったのだ。何らかの事情で河原田が変名を用いて正体を秘めて会いに来たのかと探りを入れる紀子だが、確証は何も得られない。他人の空似か? それとも!? 疑念を深める紀子は情人である「東都新報」の外報部記者・川北に事情を話し、大仲そして現在の河原田の身辺を調べてもらうが、やがて不審な事実が浮上してくる……?

 ややこしげなプロットだが、作中で仕組まれていた悪事そのものは底が割れれば存外にシンプルなもの。ただしその犯罪を悪事の中核から外れた座標に立つヒロインの視点から語っていくことで、スパイスの利いたストーリーに仕立てている。この辺りはやはり上手いということか。
 とはいえ犯罪そのものは半世紀前だからこそ通用したものであり、現在の捜査科学なら絶対に露見してしまうだろうけれど、その辺は言うのは野暮だね。
 そういった時代的な甘さを看過しても、細部の端々で「そううまく行くだろうか……」というツッコミどころは何カ所か感じたが、ストーリーそのものをあまり長くしなかったおかげで良い意味で逃げ切った感じではある。ちょっとだけ昏いロマンを感じさせる、とても昭和っぽい作品。 

No.533 7点 アシャンティ- アルベアト・バスケイス・フィゲロウア 2019/04/27 12:33
(ネタバレなし)
「コロマント」(ケンカ好き)の異名で知られるアフリカ原住民の勇猛な一部族アシャンティ族。その族長にしてソルボンヌ大学の教授であるママドウ・セーガル。そしてそのセーガルの娘でミュンヘンの大学に学び、オリンピック選手でもある20歳のアフリカンの美女ナディアは、カメラマンの白人青年デビッド・アレクサンダーと熱い恋に落ちて妻となる。西欧の文化に触れながら、いずれは社会運動家としてアフリカの困窮する同胞のために尽力したいと思うナディア。だがそんな彼女は故郷のアフリカで、数十年のキャリアを誇る奴隷商人スレイアン・ロラブの一味に捕まり、ほかの十数名の黒人奴隷とともに苦行の旅路を強いられる。デビッドは最愛の妻を奪回するため、人身売買犯罪に対処する公的な機関に協力を願った。さらに彼は、より実戦的な民間有志の奴隷解放組織「白い部隊」に支援を求め、自らもナディアのいるはずの広大な砂漠へと乗りだすが……。
 
 1975年のスペイン作品。
 作者フィゲロウア(本邦訳書では「A・V・フィゲロア」の著者名表記)は、1978年にはじめて長編『自由への逃亡』で日本に紹介された。同作は<逃走者と軍事犬>という組み合わせで追われる者と追うものとの緊張と憎悪そして奇妙な絆を語り、その密度感の高さで我が国のミステリファン、冒険小説ファンの反響を呼んだ(特に北上次郎などから絶賛を浴びている)。
 それで本書はその翌年1979年に、リチャード・フライシャー監督(『トラ・トラ・トラ』『ミクロの決死圏』ほか)の新作映画『アシャンティ』の公開にあわせて翻訳された、同映画の原作小説。やはり本作も当時、同じ北上次郎が高い評価を与えていたはずである。

 評者としては大昔に『自由への逃亡』を読んで相応のインプレッションを受けて以来、数十年振りのこの作者の著作を手にした(といいつつ、翻訳はこの二冊しか無いハズ)が、紙幅的にはかなり薄かった『自由への』と比べて、本書は小さめの活字がしっかり二段組、総頁も280頁以上と、そんなすこぶる本格的な仕様の長編冒険小説である。
 プロットそのものはナディアを奪回するためのデビッドと協力者たちの追跡行、それに悪党側に生じる内紛と、ナディアの脱出へのトライ……など、きわめてオーソドックスだが、登場人物の書き込み、細部の映画的な見せ場の配置、さらには20世紀後半のアフリカの暗部への肉迫……などなど、小説として賞味できる要素は盛りだくさん。
 特に「白い部隊」のリーダーである青年アレック・コリングウッドが奴隷解放の義勇兵になった理由が、かつて奴隷商売で財を為した先祖の貴族の罪悪を雪ぐため、などという文芸が心に響く。さらに、追い求めるヒロインのナディアに接近しながらあと一歩及ばずに倒れていく義勇の戦士たちの描写とか、丁寧な筆致で綴られた登場人物たちの退場劇は念頭に残るものが多い。

 ちなみに、これは密な取材の結果として小説に取り入れられた描写らしいが、アフリカの裏社会には痩せ衰えて連れられてきた奴隷たちを、彼らを買い上げる富豪に提供する前に、体調を管理してしっかり健康にしておく「太らせ屋」という専門職? もあるそうで、この辺りのリアリティには、人間のおぞましさを痛感させられてゲンナリする。奴隷それぞれが1㎏太るたびにいくら、と談判する辺りは悪趣味なジョークのようだ、
(ところでこの作品は、そんな評者みたいな<文明国という安全な彼岸の場から、対岸の火事であるアフリカの病理に義憤を抱いたり哀れんだりする世界中の人々の傲慢さ>にもきちんと釘をさしており、そういう意味でもスキがない。)

 いろいろな思いを心に刻んで読み終えることは必至の一冊だが、全体としてはとても満腹感のある、良い意味で曲のない、エンターテインメント性の強い冒険小説でもある。フィゲロア(フィゲロウア)の作品を、もっと読みたくなったが、これから翻訳される機会などは望めるだろうか?

 なおくだんの作者・フィゲロウアはスペインの映画人でもあり、前述の『自由への逃亡』は2006年に作者みずからのプロデュース、シナリオで<サイボーグ犬が逃走した政治犯を追うSF映画>としてリメイク(映画化)。日本では『ターミネーター2018』の題名で映像ソフトとして発売されている。
 作者名をWEBで検索してたら、どっかで観たような内容の映画が目に付き、そしてそのスタッフにこの名前が出てきて、二重に驚いた(笑)。

No.532 5点 列のなかの男―グラント警部最初の事件- ジョセフィン・テイ 2019/04/25 17:53
(ネタバレなし)
 ミステリ的なギミックはそれなりに設けられているものの、読者に謎解きを楽しませながらフーダニットに絞り込む要素はあまりなく、これはほとんど警察小説の要素が強いときのクロフツの長編あたりに近いように思えるんだけど? 
 まあ作者のテイ(原書の初刊行当時は別名義だが)が、いかにもそのフレンチ警部がやりそうな<遠方への捜査出張編>を、お話を書く側として本当に楽しそうに綴っている感じは伝わってきた。
 最後の人間関係を導く手がかりというか伏線の部分は早々と読めたが、それでも終盤にはこういう感じでのサプライズを語るのか、と少し驚いた。まあそのあたりも正統派の謎解きでは決してなく、19世紀のホームズの時代からのスリラー作品の系譜的な感触だったが。
 1920年代のテイが当時自分が好きだったミステリ分野に参入しようと、良い意味で既存作品の模倣を心がけた感じがうかがえる。
 習作感も強いが、決してキライにはなれない一作。

No.531 6点 メグレと無愛想な刑事- ジョルジュ・シムノン 2019/04/25 17:41
(ネタバレなし)
 全四編の中編集。表題作「メグレと無愛想(マルグラシウ)な刑事」はシムノンの短編にありがちな妙な感じのリズム感がいまひとつ感じられなかったが、被害者の家庭に覗く生活模様とか、こちらが予期するものはちゃんと提供してくれた感触。
 本書の中で特におもしろかったのは、第二話「児童聖歌隊員の証言」と第三話「世界一ねばった客」の二本。特に前者は老境の有閑を子供相手の悪戯で消費するかのような、社会的立場のある老人の描写がなんとも言えない。ミステリとしての組み立ても、あの英国の某女流作家の世界的に有名な名作短編を思わせる。後者「ねばった客」は話の転がっていく感覚では「児童聖歌隊員」以上に心地よかった。ああ、登場人物たちが<そういう人生>を送ってきたんだね、と思い知らされたのちに、最後にじわじわ滲むなんともいえないペーソス感。これぞメグレシリーズの持ち味のひとつ。
 四本目の「誰も哀れな男を殺しはしない」も悪くなかったけれど、もう少しだけ長い紙幅で読みたかった。

No.530 6点 報酬か死か- 生島治郎 2019/04/25 17:23
(ネタバレなし)
 『追いつめる』の主人公・志田司郎の事件簿をまとめた全7編の連作短編集。
 今回評者が読んだのは元版の桃源社・ポピュラーブックス版だが、各編の雑誌の初出が記載されてないので、それぞれいつ頃書かれた作品かはわからない(調べる手段はあるが)。ただし第三話「裏の裏」のなかでの依頼人との会話で、2年前に暴力団組織を壊滅させたと『追いつめる』事件のことが話題になるので、現実の執筆・刊行よりも劇中の時間は経っていなかったかもしれない。
 個人的には『追いつめる』という生島作品も志田司郎という生島ヒーローもともに昭和期の国産ハードボイルド、和製ハードボイルド私立探偵として、スタンダードすぎる感じがしてあまり思い入れがないのだが、本作の諸編では以前に華々しい成果を上げた(そして痛い苦い思いもした)ヒーローが、ここでは貧乏に地道に日々の仕事を片づけている感覚がしてとても親しみやすい。正にテリー・レノックスのいう「人生に一回だけ拍手喝采を浴びる空中ブランコを披露して、あとはドブに落ちないように気をつけながら歩いている」ハードボイルド世界の登場人物だ。
 なんか田舎のラーメン屋に入って備え付けのコミックスで、人間ドラマが粒ぞろいと世評が高い(でもまだ読んだことのなかった)専門プロフェッショナル・連作ものの青年劇画を料理そっちのけで楽しんだような感じである。
 全7編、基調に一本芯が通りながらも、一冊の事件簿としては適度にバラエティ感があるのもいい。
 この一冊で志田司郎が以前より少しスキになった。

No.529 5点 二人が消えた夜- 富島健夫 2019/04/23 14:07
(ネタバレなし)
 昭和30年代の半ば頃。とある地方にある故郷の石崎町を出て東京に暮らす新社会人の「ぼく」こと、20代半ばの青年・真垣竜右衛門(通称「竜」)。その竜は、高校から大学時代の学友・水野利也が地元の坂井町で自殺したことを、水野の妹で竜の恋人の弥生からの知らせで知る。幼少時の災禍で顔に大火傷を負った水野は周囲に垣根を作り、竜はごくわずかな友人だったが、水野の根幹からの気難しさもあって両者の関係は絶えず繊細で緊張に満ちたものだった。水野の死の事情が気になった竜は弥生の待つ故郷に戻るが、そこで彼は水野が通学時に思いを寄せていた、かつての可憐な他校の女子高校生に出会う。女高生=川上芙佐子は、今は初老の金貸し・大橋重蔵の後妻で大橋姓となっていたが、彼女もまた青春時代の水野と竜のことは覚えていた。だがそんな彼女に、夫殺害の容疑が生じて……。

 問題作『容疑者たち』に続く作者のミステリとしての第三長編(数え方によっては四冊目のミステリといえるらしい)。1982年の徳間文庫版のあとがきに付した作者自身の述懐によると、ストレートなミステリだけではおもしろくないので文学要素のあるものを狙い両者の融合をはかったが、いまひとつ効果が上がらなかったという主旨のことが書かれている。
 個人的にはそれなりにまとまった感じはあったが、一方で一番本書のドラマで興味を惹かれるのは、息子(水野)が死んだいま、残る娘の弥生を良縁で嫁がせたいと思う水野家の老婆と、それに対抗して心の絆を固め合う竜と弥生、さらにはそれを応援する竜の両親との対立劇であり、ミステリの方はやや添え物的な印象もなくもない。
 事件の真相のトリックにも割にミステリとしてマトモ? なものが用意されているが、これももうちょっとうまく演出できたんじゃないかな、という感じもある。
 何より本作の一番の弱点は、物語の導入の流れからもう少し物語の主軸にくるべきキーパーソンのはずの水野にほとんど実態としての出番がないことだろう。竜の視点で、水野の追い求めた美沙子への思い入れを追っている構図では
あるのだが、最後はもう少し水野当人に向けた竜(と弥生)の心の決着に帰するべきではなかったかと。

 ただまぁ、さすがに文章はすごくうまく、とても居心地の良い小説ではあった。竜の家に上がり込んで弱みを見せながら酔っぱらってしまう中沢刑事なんか、いかにも良い意味で昭和的な人間くさいキャラクターだと思うし。昭和三十年前後当時の風俗も興味深く、それらの意味ではそれなりに楽しめた一冊。

No.528 6点 闇からの呼び声- 高柳芳夫 2019/04/22 19:10
(ネタバレなし)
 その年の6月下旬。都内の音大・東明学園大学に在籍する多香城由里は、父の秀信の様態が悪いため、夏休みになるのを待たずに故郷の津軽に帰参した。三女の由里は6年前に母と事故で死別し、そしてつい少し前に長姉・絵里を精神分裂病の末に失っていた身である。残る家族は、由里のほかに元外交官の父・秀信と美大に通う次姉の麻里の2人だけだ。だがある夜由里は、およそ半年後の来年3月20日に自分が姉の麻里を絞殺するという明確な記述を自分自身の日記にしたためていた! やがて由里は、多香城家の血縁者にかつて洞爺丸の遭難事故を予知した者がいたという話を父から聞き、自分の自動書記=未来の予知が現実のものになるのではと恐怖。周囲から精神の異常を疑われないように警戒しながらも、父とともに対抗策をはかろうとするが……。

 初出は1984年の「小説推理」10・11月号に二回分載された長編で、ずばり、アルレーかボワロー&ナルスジャック調のフランスミステリ、または日本なら一時期の日下圭介あたりを思わせる作風の内容。
 ヒロインの実姉が精神分裂病を患ったすえに非業の死を遂げ、その因子が遺伝的に自分に影響するのではとおののく主人公の恐怖心が物語の底流にあるが、30年前(文庫版が1989年刊行)ならともかく、この種の主題は現在ではデリケートで扱いにくいかもしれない。
 じわじわと現実のものとなってくる予知という、通常のミステリの枠内、リアルで物理的な解法では捌きにくいテーマを真っ正面から扱っただけに、物語が最終的にどこに着地するのか、やはりある程度はファンタジーっぽいスーパーナチュラルな要素が導入されるのか、それとも……と、終盤までテンションが落ちないのは本作のこの設定ならではの強み。
 ネタバレはもちろん書かないけれど、個人的にはおおむね面白く読めた。
 評点は6点か7点か迷うところもあるけれど、ちょっと(中略)な印象もなくはないので、この点数で。それなりの、佳作以上の作品ではあるけれどね。

No.527 6点 白眼鬼- 永瀬三吾 2019/04/21 16:45
(ネタバレなし)
 その年の冬。四谷区の住宅街・若葉町で、自家用の高級車から降りた青年社長・河南市蔵が何者かの襲撃を受けて頭部に重傷を負う。実業家として一代で財を為した河南は、かつての自分の雇用主で数年前に事故死した藤代東一郎の遺族を後見しており、その夜の事件も河南が訪問しかけた同家の門前で起きた。だが河南を襲った賊の姿はどこにも無く、運転手の梶井も周囲に怪しい人影を見ることもなかった。そのまま藤代家の賓客として、同家の未亡人で若い後妻・かおる子や先妻の遺児である妙齢の三姉妹、春子・夏子・秋子たちの看護を受ける河南。だが藤代家の門番で中国人の老人・王(ワン)は「鬼が家に入ってしまいましたじゃ」と託宣めいた言葉を発した。一方で四谷署の刑事・九条も、河南が藤代家を訪れるのは運転手の梶井すら乗車してから知ったことであり、襲撃者はその夜その場に河南が来ることを予見できなかったため、河南を襲った犯人は藤代家の周辺にいると目星をつける。だがやがて、その藤代家の周囲でさらに次々と怪異な殺人事件が……。

 昭和33年(1958年)9月5日の奥付表記で、同光出版株式会社から刊行された長編ミステリ。2019年4月現在Amazonにデータの登録はないが、総ページ数は311頁。頒価は280円。本の高さは19センチのハードカバー。

 昭和29年の中編作品『売国奴』で同年度の第八回探偵作家クラブ賞を受賞した作家・永瀬三吾による唯一の長編ミステリ作品で、内容はあらすじの通り、都内の邸宅を事件の主舞台とする一種の舘ものっぽい、スリラー風の謎解きフーダニット。冒頭の姿無き襲撃者のあたりから外連味のある不可能興味で読者を引き込み、のちに密室(といえるようなやや微妙なような)殺人劇も登場。事件が進むにつれて藤代家の四人の女性にからむ異性交遊の構図が変遷したり、藤代家の相応の金額の資産も人間関係に影を落とすなど、次第に陰影のある群像ドラマを見せていく。そんななか、ミステリ的な細かい創意はいくつか盛り込まれてそれはいいのだが、最後まで読むとこのキャラクター要らなかったんじゃない? とか、無駄な作りも少なくない感じを抱かされたりする。さらに、とにもかくにも犯人の見当が早めについてしまうのも残念。
 まあその上で事件の構造にある種の仕掛けが設けられていたり、殺人者の動機のなかに潜む独特な屈折の念と奇妙なバランス感覚が印象深かったりはしたが。

 ちなみにタイトルロールの「白眼鬼」とは、作中でとある人物が口にする「卑屈な鬼だ。絶えず世の中を、相手を白眼視してやまない鬼畜! 白眼鬼だったのだ!」のセリフによるもの。言葉の意や該当人物のポジションは必ずしも同じではないが、乱歩の『暗黒星』の中の「暗黒星」というキーワード、あの用法と似ていなくもない。

 先日ヤフオクで3万円以上(!)ととんでもない高騰価格で落札されていたから気になって借りて読んでみたけど、そこまで大枚をはたいて買う本でも読む本でも決してない。まあ運良く数千円レベルで古書で出会えたら(そんなのはなかなかありえない僥倖だろうが)購入してもいいかも。

No.526 8点 傷だらけの天使 魔都に天使のハンマーを- 矢作俊彦 2019/04/20 18:34
(ネタバレなし)
 1975年3月末、長年にわたって司法の手を逃れていた「東京アンダーワールドの女帝」にして、乱歩の『黒蜥蜴』のモデルとも囁かれた裏社会の大物・綾部貴子はさる疑獄事件に絡んで窮地に陥り、国外に逃亡した。貴子の外注の部下だった新宿の調査員(事件屋)の青年・木暮修は貴子からともに日本から脱出するように誘われるが、彼は病身の弟分の若者・乾亨(あきら)を見捨てられなかった。だが結局、亨は死亡。貴子の検挙に失敗した警視庁は意趣返しの念も込めて修に亨殺害の容疑をかけ、その後30余年、修は国内外で不遇の逃亡生活を送る。やがて2008年。都内の一角でホームレスとなっていた57歳の修は、仲間の浮浪者たちや、市役所の厚生福祉課の気の良い青年・愛称「シャークショ(市役所の意味)」などを相手に、のんきな毎日を過ごす。だが修はある日、「コグレオサム」を探す怪しい外国人の一団により、自分と間違えられたホームレスが拉致され、重傷を負ったことを知る……。

 1974年から半年間にわたって放映された日本テレビドラマ史に名を残し、世代を超えてファンから愛される名作・探偵ドラマ(というよりアングラっぽい青春ドラマ)の正統的な続編ノベル。評者は2008年3月「小説現代」特別号での本作初出の時点で同誌を入手。その後、加筆改訂された単行本も購入した(今回はこれで読了)が、散らかっている家の中で本がどこかにいってしまい、刊行から10年後の昨年2018年の夏にようやく発見。それではそろそろ読もうかと思っていたら、修役の萩原健一が先日亡くなってしまった。追悼の念はやぶさかではないが、それ以上にいい加減読んでおこう、の思いが強かった。
 くだんの「小説現代」(これはいまだ捜索中)の方に書いてあるのか未入手の文庫版の方に記述があるのか知らないが、Webでの噂を拾うと、本作はもともと21世紀の新作映画用のストーリーとして書かれながら、2006年に綾部貴子役の岸田今日子が他界したため頓挫した企画に沿った一編だったようである。
 主演の萩原や旧作テレビのメイン文芸だった脚本家・市川森一からも公認・支援を受けた完全に正統的な後日譚であり、メディア枠を違えながらも33年という長い歳月を経て復活したフィクションの主人公というのも豪快だが、旧作テレビを楽しんで観ていた(自分の場合ははじめてしっかり観たのは深夜の再放送枠だが)ファンにとっては、バディものの片割れを奪われ、その後社会の片隅で逃亡を続けてきたかつての青年主人公のジジイとなった活躍図がすごく気になる(と言いつつ、10年読まなかったけれど~汗・笑~)。

 それでまあ中身の方は、ある意味でとても王道、言ってみればスピレインの『ガールハンター』の傷天版なわけだが、作者の原作ドラマへのオマージュの込め方はハンパでなく、テレビエピソード各編の細かいネタを縦横に拾いまくるわ、その一方で青春も若さも喪失した初老主人公の疲弊と年季をみせるため、実に巧妙な刀捌きで原典世界にも斬り込むわ……で、正に原作ドラマファンの書き手による原作ドラマファンへの一編なのは間違いない。これが受け入れられないというのは、別の意味でのファンオマージュで21世紀の木暮修像に自分なりの強いイメージを抱きすぎて、それと違うものに抵抗がある人だろう。それはそれで仕方がないが、万人を納得できる作品なんか作れないという意味で、個人的にはこれは、当人なりのアプローチを貫き通した作者・矢作のひとつの大きな成果だと思う。

 なお評者は70~80年代はともかく近年の普通の矢作作品群は、数年前の『フィルムノワール/黒色影片』一作しか読んでない(その一冊が面白かったけど、大作ゆえに実に疲れた~汗~)ので、そういった作品群との比較はできないんだけれど、本書(新作・傷天)は21世紀の東京・新宿を舞台にしたストーリー上の必然性やメッセージ性も明確で、そういう意味でも良質な作品であった(いろいろな面で時代に置いていかれかけながら、それでもしぶとさを失わない修のキャラクターもカッコイイ)。
 さらに終盤のある大仕掛けはこちらの予想の隙を突かれた感じで、その辺は(中略)という意味で諸手を挙げて褒めまくるわけにはいかない面もあるが、それでも結局は導入しておいて良かった文芸だったとは実感する。

 ちなみに余談だけど、本作が登場した2008年には吉村達也の『マタンゴ 最後の逆襲』とかも発売されていた。当時は出版界にこういう、人気の名作映像作品をベースにした完全新規の後日譚ノベルブームとかが来るんじゃないかと期待したものだった。結局、そんなものは訪れなかったわけだけど(悔し涙)。

No.525 7点 キャナンザの熱い風- アントニイ・トルー 2019/04/19 17:27
(ネタバレなし)
南アフリカのザンベジ渓谷の周辺。そこに野生動物や無数の草木が荒れ地を縫うように密生する特別保留地キャナンザがあった。30歳の赤毛の白人「ルーファス(赤毛)」ことジョン・リチャーズは、行政公認の管理官代理として野生の動物たちや太古からの自然を守るが、最近この周辺では革命ゲリラ闘士、政府から見ればテロリストの武装グループの活動が著しかった。そんななか、40年以上の人生を鉱脈探しに費やしてきた老人ルーダ・マクガンは有望な金鉱の兆候を見つけるが、一方で同地にはヨハネスブルクの鉱山会社の重役ロディ・フィスクが来訪し、マクガンはせっかくの獲物を横取りされまいかと緊張する。いずれにしろ、万が一この周辺でどのような経緯にせよ大規模な発掘作業が開始される事態は、自然保護の観点からリチャーズにとってかなり好ましくないことであった。やがてある日、キャナンザの大地の上で人命を奪う銃声が轟き……。

 1970年の英国作品。著作の主流は海洋冒険小説である作者アントニイ・トルー(日本でも何作か紹介されている)には珍しい、内陸を舞台にした作品。中身は、半ば自然派の冒険小説、半ば殺人事件がからむ正統派? ミステリ風。そんな一冊。
 なおザンベジ渓谷(ザンベジ川)は実在するが、キャナンザは架空の地名らしい? webで何回か検索しても、本書の邦訳名以外出てこないので。

 最終的にどういうジャンルに着地するかも興味とも思えるのでここでは詳述はしないが、ミステリを楽しむストライクゾーンが広い(つもりの~笑~)評者には面白かったが、人によっては何らかのミステリジャンルの物差しから中途半端に思えるかもしれない。
 いずれにしろ登場人物が全体的にくっきりとキャラ立ちして(設定的に奇人や変人が登場するのではなく、作者の筆力で存在感を抱かされる手応え)、さらに人間に対して時にきびしく時に懐の深いアフリカの自然描写も一種ドラマチックに語られている。それらすべてをふくめて、ミステリを内包した一編の小説として快い作品だった。最後の幕切れも、いかにも文芸ミステリっぽい余韻が残る感じでステキ。

 ちなみに評者は関東在住の人間で、この10年ほど全般的に四季の感覚が変化し、1年のうちの春秋の季節感が希薄化。おおざっぱに言って、冬が終ったら早くも初夏のような肌感覚である。そういう意味でこの四月でももう結構暖かいのだが、そういうシーズンに読むにはピッタリの一作だった。本当の真夏に読んでいたら(冷房のある場で読むにせよそうでないにせよ)なんかいろいろ余計なことを考えちゃいそうな、そんな熱い(暑い)世界を舞台にした物語だから。

No.524 7点 魔眼の匣の殺人- 今村昌弘 2019/04/15 21:57
(ネタバレなし)
 途中で止められず、眠い目を擦りながら夜中の3時過ぎまでかけて読了した。

 殺人に至った動機の形成についてはフツーの感覚ではイカれているといえるものなのだろうだが、ここまで煮詰めたこの設定の中なら、確かに犯人の思考のロジックとして整合している。
 読み終わったあとホワイダニットの部分を何回も反芻し、どっかにツッコむ隙がないかと考えたが、こちらが思いつくレベルのことには悉く先回りした解答が用意されている。
 時計の文字盤のくだりや、最後のどんでん返しも含めて、作者のミステリ愛は前作以上に感じた。
 しかし第三作のハードルがかなり上がってしまったなあ。焦らないでゆっくり続刊は書いてください。

No.523 6点 ルータ王国の危機- エドガー・ライス・バローズ 2019/04/14 03:36
(ネタバレなし)
 1910年代。欧州が世界大戦の危機に揺れる中、アメリカはネブラスカ州生まれの青年バーニー・カスターは、母ヴィクトリアの故郷であるヨーロッパの小国ルータ王国を訪れる。そこはバーニーの若き日の父と母が恋に落ち、そのまま二人で父の母国アメリカへと駆け落ちした、彼らの思い出の地でもあった。だが現在の王国では10年もの間神経を病んでいた若き国王レオポルトが療養所から姿を消し、その隙に野心を秘めた摂政フレンツ公ペーテルが政治の実権を掌握、あわよくば自らが国王になろうと謀略を進めていた。そんな中、バーニーは件の国王レオポルトが自分と瓜二つであると知って驚愕。さらに王宮の関係者や貴族の一部もまた、行方不明の国王と自分を取り違えていることに気がつくが……。

「火星シリーズ」「金星シリーズ」「ペルシダー」「ターザン」ほかのSF、秘境冒険小説の連作で有名なバローズが1926年に刊行した、完全に非SF・非スーパーナチュラルな20世紀の欧州を舞台にした正統派・巻き込まれ型の冒険小説。
(本書の背表紙には赤々と「SF」マークがついてるが、多分これはあくまで、「バローズ作品ならSF」という紋切型の分類に従っただけだろう。)

 ヨーロッパの小国を舞台に国王と同じ顔の主人公……といえばホープの『ゼンダ城の虜』オマージュなのは同作を未読(汗)の評者でも読む前から見当がつき、実際にみずから本作を翻訳担当した厚木淳(言うまでもないが昭和期の創元の編集主幹)も解説でその旨を書いているが、さらにその厚木の言によれば『ゼンダ』については趣向として設定のコンセプトを借款しただけで、ストーリー展開はおおむねバローズのオリジナルらしい。

 作品は第一部「摂政公の反逆」と第二部「二人の国王」の2パートで構成され、前者が1914年、後者が翌15年に雑誌に連載されたのちおよそ10年後に一冊にまとめて書籍化された。雑誌の初出から本になるまで時間がかかったのは『ゼンダ城』オマージュなことにあとあとで作者の気が引けたか、あるいは現実の第一次世界大戦との何らかの関係か(欧州の戦禍は、本作の中でも描かれる)、はたまた別の理由か。

 王宮内や貴族間で分裂した善人側と悪人側の対立の構図とか、国王と勘違いしながら主人公に惹かれるヒロイン(貴族の娘のプリンセス系)とのロマンスとか、献身的に主人公を助けるサブキャラクターの感涙ドラマとか、この手の作品に求められる物語要素は網羅されている一方、通例なら主人公と国王の関係が(中略)となるところ、そこはちょっと(著作当時としては)巧妙にひねってある? そこから、いったん落着した第一部の物語がまた新たなうねりで第二部に続いていく流れは、なかなか面白い。
 その意味もあって第二部の方が、物語の類型を外れた感じで楽しめた(ただしその第二部の序盤で、いかにも重要キャラっぽく出てきた某・登場人物が、実にあっけなくフェードアウトしちゃったのは「?」だったが……もしかするとアレは別の作品やシリーズからのファンサービス的な客演だったのか?)。
 
 そういえばさっき、本作は完全な非SF・非スーパーナチュラル作品と書いてそれ自体はまったくそのとおりなのだが、第二部の冒頭に本当にちらりとだけ登場する主人公バーニーの妹・アメリカ娘ヴィクトリアは、バローズの別のSF作品『石器時代から来た男』のメインヒロイン役を担当しているらしい。マトモな欧州ロマン冒険小説が明確なSF世界との接点を見せるわけで、こーゆー妙なリンク具合がなんか楽しい。さすがターザンをペルシダーに送り込んだエンターテイナーな作者だ。
 まあ考えてみれば、我が国のミステリキャラクターだって、金田一耕助が獄門島に行ったのちの事件簿でサイボーグ獣人(?)の怪獣男爵と戦ったり、神津恭介も『刺青殺人事件』ほかの謎解きを経て『悪魔の口笛』や『覆面紳士』みたいなトンデモ事件と関わったりしているわけなんだけど(笑)。

No.522 7点 学長の死- マイケル・イネス 2019/04/12 20:39
(ネタバレなし)
 オクスフォードとケンブリッジのおよそ中間にあるプレチェリーの町。その周辺にあるセントアンソニー大学(カレジ)である朝、学長のジョシア・アンプレビーの射殺死体が見つかる。死体の周辺には事件現場の混乱を導くかのような古い人骨がちらばり、さらに大学関係者の自室の床からは血痕を消した痕跡が見つかる。スコットランドヤードから捜査に来たジョン・アプルビイ(本書内の表記はアプルビー警視)は、大学を運営する十数人の評議員を中心に証言と情報を求め、やがて多くの者から嫌われていた被害者の素顔を認めるが、互いのアリバイを整理すればするほど事件は混沌とした様相を見せてくる。

 評者は短編集を別にすれば、初めてのアプルビイもの(イネスの長編としては2冊目)。どうせならシリーズの最初から読もうと思って少し手間をかけて稀覯本の本書を手に取ったのだが、おや翻訳が木々高太郎だったのだな。ミステリの翻訳は、木々の多数の著述の中でも珍しい方の仕事のはずだが、さすがに文章のうまい実作者だけあって、今でも充分に読みやすかった。
 冒頭でいきなり殺人が起きて死体が転がり、あとはアプルビイが関係者の間を聞き回るだけか? これはnukkamさんがレビューでおっしゃるとおり、さぞ退屈……かと思いきや、中盤で事件に首を突っ込んでくる三馬鹿風の学生トリオの大騒ぎはあるわ、意外に登場人物はそこそこ描き分けられているわ(全部じゃないけれど)で、個人的にはそんなに倦怠感は感じなかった。
 アプルビイがこともあろうに容疑者のひとりである大学評議委員当人を相手に推理合戦を始めたり、もう一回くらい殺人が起きてくれれば新たな手がかりが出てくるのに……と無責任なことをぼやいたりとか、ミステリのお約束をからかった感じの、いかにも英国っぽいドライユーモアも利いている。
 作中に「探偵小説のバイブル」として『トレント最後の事件』が登場し、アプルビイが「アプルビーの最大の事件」とか「アプルビーの最も奇妙な事件」とか内心で呟くあたりも愉快だよねえ。改めて言うけど、これシリーズ第一作です。(バカンの『三十九階段』も「三十九段」という日本語表記の書名で、その内容に触れながら話題にあげられる。)

 残り頁が少なくなる中、なかなか入り組んだ事件が最後まで本当の顔を見せないテンションも魅惑的で、殺人とその後の真相はいささかややこしいが、説明を聞いて腑に落ちる、よく練られたもの。具体的にどの作品と特定するのではないが、マクロイのよくできた長編とか、カーのAクラスとBクラスの中間あたりのパズラー、ああいう感じだ。
 自分はミステリファンとしての原体験が、イネスといえば本書と『ハムレット~』しか(国書でなくポケミスで)翻訳されていなかった頃の世代のジジイなので、この作家ってなんか文学的で難解っていうイメージがいまだどっかにあったんだけど……なんだフツーにイギリス流の謎解きパズラーミステリとして面白いでないの(嬉)。今後も少しずつ読んでいきましょう。

No.521 4点 卒業 セーラー服と機関銃・その後- 赤川次郎 2019/04/09 02:27
(ネタバレなし)
 目高組の解散から一年。かつての女子高校生組長・星泉は普通の学生生活に戻り、高校三年生の11月を迎えようとしていた。そんななか、行きつけの商店街では地上げ騒動が巻き起こり、かたや泉と因縁ある裏社会の大物・浜口がその件に関連して彼女の助力を願い出た。さらに町では、「目高組四代目組長・星泉」を自称する娘が恐喝行為を繰り返し働き、その罪を本物の泉に被せるが……。

 『セーラー服と機関銃』の9年後に書かれた続編。作中の時間では1年しか経っておらず、なんとなく評者の記憶の彼方にも残っている懐かしい名前が、作中で健在な人物も亡くなってる者も、続々と出てくる。
 気楽に軽いキャラクターミステリとして読めば楽しめるかと思ったが<実は登場人物AとBは××だった……>のパターンが3つも4つも出てきて、さすがにこの狭い世界の臆面の無さぶりには鼻白む。まあテンポよくストーリーを進めるため、アクチュアリティーなんか端っから放棄している作りなんだけど。
 意外な犯人も全然意外じゃないのはまあいいのだが(よくない)、特に何の伏線も手がかりもなく、ただ最後に実は……と明かすだけ、というのもなあ(第一の殺人の方の謎解きもこの上なく適当だし)。刊行当時には黙ってても設定だけでソコソコ売れそうだったから、ミステリとしてはギリギリまで手を抜いた、ということだったのか? 
 佐久間の後継者ポジションのキャラクターは、まあまあだったかな。それと目高組残党の<彼>ひとりだけが泉のために馳せ参じる場面だけは、『マフィアへの挑戦』の「抹殺部隊ふたたび」編みたいな感覚でちょっと良かった。
 とはいえカドカワノベルズ版の謳い文句「書下ろし長編ラブ・サスペンス」の「ラブ」の部分は全くもって、この程度で? という感じだが。

 新世代編のパート3も書かれてるんだよな。何のかんの言っても気になるから、そのうち読むかもしれない(笑・汗)。

No.520 7点 地獄の家- リチャード・マシスン 2019/04/08 22:50
(ネタバレなし)
 1970年12月の中旬。50代半ばの物理学者ライオネル・パレット博士は87歳の大富豪ルドルフ・ドイッチェに呼び出され、成功報酬10万ドルの約束である依頼を受ける。それは「死後の世界」が実在するかを実証するため、メイン州の幽霊屋敷「ベラスコ・ハウス」の真実を一週間以内に見極めることだった。「地獄の家(ヘル・ハウス)」として知られる同屋敷は1879年生まれの奇人エメリック・ベラスコの所有物だったが、奇行が繰り返された邸内では過去二度にわたって大流血の惨劇が生じ、そしてベラスコ自身も屋内から謎の失踪を遂げていた。パレットは20歳年下の妻エディス、さらにドイッチェの指示するまま、元女優で美貌の霊媒フローレンス・ターナー、30年前の流血事件からの唯一の生還者ベンジャミン・フランクリン・フィッシャーとともに、全4人の調査チームで地獄の家に乗り込むが……。

 1971年のアメリカ作品。20世紀後半のモダンホラー史を大雑把に概観すれば、『ローズマリー』以降でキング登場の前夜、本作や『エクソシスト』(の映画版、あと映画『オーメン』とか)で日本にも70年代前半期の代表的な一冊ということになるんだろうか。
 読んでる途中までは忘れていたが、当時のポルノブーム? を背景にし、さらには『エクソシスト』(すみません。実は映画も小説も未着手です)同様に不可思議なものに迫る疑似科学性を導入、旧来からの幽霊屋敷譚にそういう2つの趣向で新味を出そうとしていた作品であった。特に魔性のものが表向きばかり、科学検査の前に素顔をさらしたように見せかけておいて(あるいは本当に実態を晒して)、そののちに反撃にくるというのは70年代からのムーブメントだったのだろうか。厳密な検証なんかとてもしてないけれど、モダンホラーの歩みを探るひとつの手がかりにはなるかもしれない。
 古い皮袋に新しい酒を盛ってやるという作者の気概は今読んでも響いてくるようで、そういう意味では期待通りに面白かった。「地獄の家」側が来訪者であるパレットたちに(中略)という終盤のツイストも、当時としてはよく練られていた文芸だと思う。
 ちょっと驚いたのは本当にほぼ全編がワンロケーションで、限られた頭数の登場人物の間でドラマが進行することだが、まあ幽霊屋敷ものと考えれば当然か。キングの『シャイニング』みたいに随時遠方に描写のカメラが切り替わる方が特殊だろうし。

 ところで本作の映画版『ヘルハウス』はまだまともに一度も観てないんだけれど、大昔に木曜映画劇場あたりで終盤だけ断片的に目に入ってしまい、どういうビジュアルがラストの方に来るのかだけは覚えていた。それでちょっと最後の方のショックが薄れてしまったのは残念。まあそれでも十分に面白かったけれど。
 評点は直球のプロットをどう取るか迷うところもあるが、本当にちょっとおまけしてこの点数で。

No.519 4点 殿方パーティ- ウィリアム・クラスナー 2019/04/07 03:40
(ネタバレなし)
 アメリカのどこかの州。当地・エヴァグリーン街の一角にある「ローマン・ホテル」の周辺で、下着姿の若い娘が重傷で意識を失っているのが発見された。娘=ダーリーン・ラバーンは、ベーカリーでケーキを包装する21歳の店員だったが、その夜ホテルで開かれた男性たちの遊興のための集会「殿方パーティ」に招かれていたことが判明した。事件性を検分後、単に事故で上の階から転落したのだろうと警察が判断。それと前後して、当の娘は病院で昏睡したまま息を引き取る。だがこの件に不審を感じた地元のベテラン警部サム・バージはパーティの主催者や参加者に接触し、隠された真実を探ろうとするが……。

 1957年のアメリカ作品。創元の旧クライム・クラブで翻訳刊行され、その後創元文庫そのほかにも入っていない一作。巻末の植草甚一の解説によると作者の四本目の長編で、第一作に登場したバージ警部とその部下のチャールズ・ハーゲン警部補の事件簿第二弾とのこと。
 退屈、という下馬評はどっかで見ていたような記憶もあるので当初からそのつもりで読み出したが、残念ながらその覚悟を上回る(下回る)さらに面白みのない話だった……。
 物語はバージ警部を第一の主役、殿方パーティ(要は商売女やらハントした素人女やらを連れ込んで同じ屋根の下で楽しむ合同セックス集会)を主催した保険会社の中堅外交員で36歳のマザコンっぽい男ジョン・ランドール・バロウズを第二の主役としてほぼカットバックで進行、さらにハーゲン警部補やバロウズの同僚、性的関係のある女たちなどの断片的な描写が随所に組み込まれるが、一体どこをポイントにミステリとして読者の興味を惹きたいんだよ、という感じで実に盛り上がらない。いや事故なのか殺人なのか最後まで判然としないという趣向にしたって、もう少し絞り込んでテンションを高めていく作劇というのはきっとあると思うんだけど。
 おかげでラストにちょっとだけ開陳される、用意されていた意外性は実際にはかなり小ぶりなものなんだけれど、ソレでも、ああ、一応はマトモなミステリっぽいことしてくれるんだな、と期待値が大きく下回ってしまった段階から評価が上がった。本当に少しだけど(涙)。
 この掴み所のない感じが当時のアメリカの冷戦や朝鮮戦争を展望した時代性の反映とか、すんごい評もあるみたいだけど(どっかでそういうことを言っている御仁もいるそうである)、それはいささか牽強付会に過ぎるというものでは……と個人的には思う。少なくともこういうミステリでそこまでややこしいメッセージ性を忍び込ませることは誰も考えてないんじゃないかと思うんだけど。

No.518 7点 笛吹- 木々高太郎 2019/04/05 22:57
(ネタバレなし)
 20世紀の初頭。山梨県の甲府に住む中所(なかぞ)家の一家は、鉱山業で一旗揚げようと家長とその妻、そして幼い姉妹がアメリカに渡る。が、10代前半の長男・由利雄だけは思春期に学業を離れない方がいいということで地元の伯父の家に置いていかれた。しかし中所家の4人は異国の地で災禍に遭い、由利雄はいっぺんに家族を失う。由利雄は、同様の被災で天涯孤独になった者同士という縁で3歳年上の愛らしい娘・樋口朝子と知り合い、心の傷みを慰め合うが、やがて数年の年を隔てて二人は再会する。だがその頃、将来の進路に迷いながらも秀才として校内で評判となる由利雄の周辺に、思いもよらぬ出来事が……。

 昭和13年に地方新聞に連載され、戦後の昭和23年に初めて世界社で書籍化された木々高太郎の長編作品。
 木々高太郎全集(1970年の朝日新聞社版)3巻の巻末解説で中島河太郎が最初の書籍版から引用する作者の言葉によると「僕が書いたものだというのですぐ殺人事件だと思っては困る。この小説は、主人公及びその身近の二、三人をのぞいて、あとは人物も時代も実在したもの、人間の魂の成長が心ひくもの、謎にみちたものという見方からすれば、一つの推理小説とも言えるであろう(句読点は引用元のママ)」だそうだが……いや、これはどう読んでも普通の自伝的青春小説であって、ミステリとはいえないと思うのだが……。劇中で犯罪は生じるが、それって試験の不正入手疑惑だし、作者も言うとおり、殺人なんか起きないし。手法的にミステリ的な技巧は使ってるといえばいえるが、それって「どんな商業映画にも必ず特撮技術は使われてる、だからこの世の映画はすべて特撮映画である」と主張するぐらいの豪快なロジックだしな。
 
 ただまあ、以前にTwitterで本作の噂を見かけたことがあり、その時の評価が「木々高太郎の作品で、ミステリでないこの作品が一番面白いのは皮肉」とかなんとか言うようなものだった気がするが、確かに一編の長編小説、青春ドラマとしてはとても味わい深い。会話の分量、内面描写、さらに登場人物の心象を託した情景描写……とそれぞれのバランスが鮮やかで、一世紀にも迫る昔の小説とは信じられないくらいにサクサク読める。ドラマのある部分は王道を追い、またある部分はあえて読み手を裏切る小説の作劇も絶妙だし。横溝の『雪割草』みたいな、ノンミステリだからこそ改めて実感する作者のストーリーテラーの才を認める。

 ちなみに河太郎は全集の解説で、春陽堂文庫に本作が収められた際に「あるアナーキストの死」と本筋からひとつもふたつも離れた副題がつけられたことにクレームを呈してるが、実作を読むと河太郎の憤りの方の妥当性がよくわかる。春陽堂文庫版では未読のファンに、政治劇からみの青春殺人ミステリとでも勘違いさせてセールスしたかったのだろうか。

No.517 6点 暗黒街のふたり- ジョゼ・ジョバンニ 2019/04/04 01:06
(ネタバレなし)
 1970年代前半のパリ。およそ10年前に、成人したばかりで少人数の青年ギャング団の頭目となり、銀行強盗に失敗して20代の人生のほぼ全てを塀の中で送ったジーノ・ストラブリッジ。現在まで27年間も犯罪者の更生を支援する保護司を務めてきた初老の元警官ジェルマン・カズヌーヴは、ジーノの改悛の念を認めて保釈を願い出る。10年前後も夫を待ち続けた愛妻ソフィアのもとに戻る機会を得たジーノはカズヌーヴに深く感謝し、カズヌーヴもまた家族ぐるみでジーノとソフィアに身内のように接し、彼らを応援した。だが不測の悲劇がジーノを襲い、彼が押しつぶされそうになるのと前後して昔の仲間が悪事に誘いかけ、しかも悪の誘惑に巻き込まれまいと抵抗するジーノの周囲に蛇のようにへばりつくのは、犯罪者は必ず再犯にはしると愚直な信念を抱く主任警部ゴワトロだった。違法すれすれのゴワトロの捜査の手がジーノの神経をすり減らすなか、カズヌーヴたちジーノを信じる者たちは彼を守ろうとするが……。

 1973年に公開されたジョセ・ジョバンニ脚本、監督の、同題のノワール映画が1974年に日本公開される際、本書の訳者名義の山崎龍がシナリオから小説化した半和製ノベライズ。つまり同じ版元の、おなじみ『刑事コロンボ』ノベライズシリーズ(その大半)と同様の経緯で刊行された一冊である。
 むろんジョバンニのオリジナル小説ではないし、本書本文の文体や小説的技巧を素直にジョバンニ作品のひとつとして受け止めることは確実に不適なのだが、湿って切なく薄暗い(しかしそれでもどこかほのかに明るい)感じの物語の歯応えは、なかなかソレっぽい。
(といいつつ評者も、そんなに大系的にジョバンニ作品を読んでいる訳ではないけれど~汗~。)
 直接の書き手の異なる作品ではあるが、根っこにあるのは当然、本来のジョバンニ作品と同根のものという観測で、ここに感想をしたためさせていただく。
 
 この青春ノワール物語の軸には、本当なら人生をやり直したいと真剣に思っている犯罪者の更生を容易に許さない社会への憤りがあるが、一方でジーノを支援する人々もカズヌーヴの家族に限らず何人か出てくる(ジーノの過去をすべて知った上で雇用し、彼の不器用な奮闘ぶりを認める印刷工場の社長さんとか)。さらにはゴワトロの歪んだ情熱を「そういう行き過ぎた捜査は過剰に前科者を色眼鏡で見て、彼らの社会復帰を妨げるものだ」と咎める、まともな上司の警察署長なども登場してくるのだが、ジーノの苦境の前にそれぞれ力及ばず、というかジーノ当人自身にもまったくスキがないわけでもないところがウマい。もちろん、更正をはかろうと本気で願いながら、日々疑惑の目にさらされて嫌がらせされる作中の主人公の心の傷みは本当の意味で、大半の読み手なんかにはわかるべくもないのだろうが。
 後半の展開のネタバレになるので書けないけれど、ジーノを守ろうとしてカズヌーヴがあまりにも真っ当に真っ正面から関係者にものを言い過ぎたため、かえってドツボに嵌ってしまう描写なんか感心させられた。小説としての書き込みも累乗している効果だとしたら和製ノベライズといっても侮れん。本書の原作の形になる映画本編の方はまだ未見だけど、その辺がどういう描写になっているかいつか確かめるのは楽しみだ。

 本当ならもっと何冊かマトモにジョバンニの小説作品を読んで、その上で本作の原典の映画版も先に観て、それから読んだ方がさらに良かったんだろうけれど、素で一編の社会派ドラマ風ノワールとして接しても、結構よい感じの一冊ではあった。

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人並由真さん
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