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人並由真さん
平均点: 6.32点 書評数: 2037件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.637 5点 悪党パーカー/逃亡の顔- リチャード・スターク 2019/09/02 01:36
(ネタバレなし)
 関わり合った広域犯罪組織との軋轢を警戒したプロの犯罪者パーカーは、アウトロー相手の外科手術を行う元過激派コミュニストの医師ドクター・アドラーのサナトリウムに潜伏。四週間の時間と一万八千ドルの手術費を使って、自分の顔を以前とは別人に変えた。手元にはわずか九千ドルの金しか残らなかったパーカーは、自分の変貌に関する情報は決して口外しないというアドラーを信用し、次の強奪計画を求めてなじみの犯罪者ハンディ・マッケイに連絡を取る。現金輸送車を襲う計画に調整を加えながら実行にかかるパーカーと仲間たちだが、不測の事態がそれこそ思いも掛けぬ形で到来した。

 1963年のアメリカ作品。『悪党パーカー/人狩り』に続くパーカーシリーズの第二弾で、日本でも二番目に翻訳紹介された長編。
 言うまでも無く本作の一番のポイントは、前作『人狩り』であれやこれやを為したパ-カーが過去のしがらみを断つ(あるいは薄める)ために顔を整形する趣向。考えてみればこの後20冊以上、連綿と続くこのシリーズ内の作中のパーカーの顔は、この作品で誕生した訳である。(二作目が重要な起点になるなんて、大戸島出身の初代じゃなく岩戸島出身の二代目ゴジラの方が長年のシリーズ主人公となる、昭和ゴジラシリーズみたいだ。)

 しかしその「主人公が整形して顔を変えるというのが主題の一編? なんか地味そうだなー」……と思って、ずっと長らく家の中に本は放ってあった。
 だがさすがに、長年の内には考えも変る。そういう地味目? な趣向の方がもしかしたら面白いのではないか、と思って、今回改めて、読み始めてみた。
(いや、そもそも大分以前から、パーカーシリーズの面白さは、その回のネタが派手か地味か、だけで決まるもんではないとはわかってはいたけれど。)

 とはいえ内容は、ストーリーの幹筋の部分となる現金強奪の方が意外なほどに曲がない。いや(中略)となる流れの布石などはちゃんと張ってあり、それに沿って物語は進む。ただし作者としてはそんな筋運びをドラマチックに起伏感いっぱいに語るのでは無く、むしろ素っ気なく綴ることで乾いたハードボイルド感を出したいようなのだが、その効果が、作品が書かれてから半世紀以上経った今となっては、なんかありきたりにどっかで読んだように見えるのだ(汗)。この辺は作品の賞味期限が過ぎてしまっているという感触か。だから中盤まではけっこう退屈だった、この作品(涙)。

 そうなるとむしろフツーに、ストーリーの組立てそのもので勝負をしてくる後半の方が面白くなってくる。あらすじでもちょっと触れた、パーカーにとっても予想外のとある事態がどう転がっていくか、の興味の方が、読み手を刺激する。
 パーカーシリーズでおなじみの、本文を四つの章に区切る四部構成の作りだが、このシリーズ第二作で早くも、その構成そのものをちょっと妙な技法で活用してくる(もちろんここではあまり詳しくは書けないが、ちょっとトリッキィな、ギミックも見せている)。そんなテクニック面が面白い。
 クライマックスの決着のつけ方も、『人狩り』を踏まえて、本作のここでまたさらにまたパーカーという(当時としてはかなり新鮮な)犯罪者キャラクターの素描を固めた感もある。
(ただその上で、この最後のパーカーの駆け引きぶりには、個人的にどっか(中略)なんだけれど……。)

 まとめるなら、これまでパーカーシリーズに付き合ってきた、あるいは今後も読んでいくつもりなら、読んでおいた方がいい一冊なのは確か。
 それは初期の文芸設定や世界観に触れるという意味のみならず、スターク=ウェストレイクという作家の、この時点での独創的なノワールヒーローをシリーズキャラクターとして固めようとする、過渡期の試行錯誤みたいなものが覗えて、その辺がかなり興味深いので。
 ただ、それがエンターテインメントとして面白いかどうかというと、個人的には微妙。もしかしたら、最後のパーカーの決裁に至るまで、波長の合う人には合うかもしれない。ダメな人には、自分(評者)以上にまったく合わないんじゃないか? という気もするんだけど。

※余談ながら、巻末の小鷹信光の、この時点で未訳だったパーカーシリーズの初期8作までを概観・展望した一文はすごい読み応えがある。小鷹のどっかの著書(単著)に再録されていたっけかな? 記憶にないや(汗)。

No.636 8点 ずっとこの雑誌のことを書こうと思っていた- 評論・エッセイ 2019/08/31 16:26
 SF(とヒロイックファンタジー)作家で翻訳家、そしてロックの権威? にして50年代ハードボイルド私立探偵ミステリの大ファンでもある鏡明。
 その我らがアトラス鏡明が、雑誌「フリースタイル」に連載した述懐エッセイ記事「マンハントとその時代」を一冊にまとめた本。

 もちろん「マンハント」とは1950年代末~60年代初頭に久保書店から刊行され、当時「日本版EQMM(現在のミステリマガジン)」および「ヒッチコック・マガジン」とともに日本三大翻訳ミステリ専門誌時代の一角を築いた、海外ハードボイルドミステリ専門誌(あるいは主力雑誌)のこと。
 大昔に同誌のバックナンバーを全部揃えて(ただし掲載作品の全部はいまだに読んでない~汗~。コラムの方は基本的に積極的に精読した)家の中に積んである評者にすれば、その魅力をあの鏡明に語ってもらえる! ということで刊行前から多いに期待していた一冊である(すみません。「フリースタイル」連載時にはほとんど読んでいなかった。)

 内容は「マンハント」のみならず、同時代のサブカルチャー誌として「漫画讀本」や「笑の泉」(評者には、初代ゴジラ公開時の吊り広告がすぐ頭に浮かぶ)「洋酒天国」などにも及び、正直、そちらはまあ……という気分もないではないのだが、長い大きな目で見れば、ここで御大・鏡明にいろいろと思うこと広い知見を語っておいてもらった方が良いとは思う。
(個人的な我が儘であることを重々承知で言えば、一冊まるまる「日本版マンハント」「本国版マンハント」、その背景となるペーパーバック文化に花咲いた50年代私立探偵小説ジャンル、の話題「だけ」で、くくってもらって欲しかったのだが。)

 実際、早々と「マンハント掲載のミステリ作品そのものにはあまり語らない」と釘をされてしまい、いささかショボーン。
 なにしろ、こういう場、こんな機会でなければ、21世紀にどこの誰がマンビル・ムーンやジョニー・リデルのことを語ってくれるんだ? と思ったが、それでも「マンハント」の誌面作りの方向性の解析や、種々の見識などは読んでいて面白いし、本の中盤、舌が回ってくれば何のかんの言っても、ハードボイルドミステリそのものについても熱く詳しく、語りまくってくれる(大嬉!)。

 50年代私立探偵小説の中では、やはりシェル・スコットが一番スキだと叫び、未訳の原書の内容にも触れている鏡明。ここまでシェル・スコットへのオマージュを込めた熱い文章は久々に(もしかしたら生まれて初めて?)読んだ思いだよ(笑)。
 また、米国の「マイケル・シェーンミステリマガジン」にカーター・ブラウンの長編が一挙掲載されたという、評者なんかはまったく知らなかった驚きの例を出し、その上でごく自然に(「ファンならその辺の気分は黙っていてもわかるよね?」と言わんばかりに)
「でもマイク・シェーンとカーター・ブラウンというのは相当相性が悪いという気がするんだけどなぁ」とさらりと言ってのけるあたり(246ページ)、脳みそが爆発しそうなまでに感動してしまう! こんな一文が2019年の新刊でリアルタイムで読めるという喜び、いや、もうサイコーでしょう(笑)。

 「エド・マクベインズ・ミステリマガジン」の日本語版についての記述など「あれ? 勘違いでしょ?」という箇所なども全く無いではないのだが、最後の「マンハント」関係者各人への貴重なインタビューもふくめて、評者のような種類のミステリファンには必読の一冊。あと無いものねだりでは、「日本版EQMM」に載った、「ハードボイルドミステリマガジン」の休刊を惜しむ小鷹信光の特別寄稿にも触れておいてほしかったこと、くらいかな。今でも「ハードボイルドミステリマガジン」のことを思うたびに、個人的にはあの記事がまっさきに念頭に浮かぶ。

 本当に素晴らしい本ですが、評点はあえてこの点で。いや一冊まるまるこちらの希望の形質でまとめてくれていたら、文句なしに10点を差し上げていたんですが(笑)。

No.635 5点 シグニット号の死- F・W・クロフツ 2019/08/31 14:21
(ネタバレなし)
 その年の五月初旬、上流階級の子息の青年マーカム・クルーは、極楽とんぼの父親の急死と家財を管理する弁護士の使い込みのために無一文になり、父の戦友だったヘブルワイト元大佐の紹介で、大富豪の証券業者アンドルー・ハリスンの秘書となる。ハリスンは成り上がり者で貴族階級に憧れ、上流階級との社交の指南役としてクルーを雇った。だがクルーは、ハリスン家や彼の会社の周囲に渦巻く人間関係の軋轢を目にする。そんな矢先、ハリスンが失踪。ハリスンの会社は株が大暴落する大騒ぎになるが、少ししてハリスンは大事なく帰還。政府関係の秘密の業務で不在だったと弁明した。そんななか、ハリスンの持ち船でテムズ川に浮かぶ屋形船シグニット号で数日簡に及ぶ懇親パーティが開かれるが、その夜、船内の密室でハリスンの変死死体が発見される。

 1938年の英国作品。創元文庫版のトビラを一読すると、密室ものプラス複数の容疑者のアリバイ崩しの検証と、パズラーとして面白そうである。
 しかし実際のところ、密室の方ははあ、そんなものですか? 的に腰砕けに終るし(同じ英国の大作家の某作品を連想する人も多いだろう)、アリバイ崩しの方も、地味でどちらかといえば悪い意味でのリアルな、足を使った地取り&聞き込み捜査が、延々と語られるだけ。
 これはパズラーというより、フレンチほかの警察側の奮闘を語った警察小説だよ(今回の彼の相棒は『船から消えた男』などと同じく、若手のカーター刑事)。しかも前述のように丁寧で細かすぎる叙述が今回はアダになって、あまり面白くない。
 犯罪の実態が(中略)と判明する趣向と、あまりにも意外な犯人があえて言うなら本作の魅力だが、後者に関しては読者の隙を突いたとか犯罪を実行不可能と目されていた容疑者が実はやっぱり……系の意外性ではなく、単に真犯人がフレンチの視界に入らないというか、意識にのぼらないように描かれ、それゆえ読者も遮光されていただけのような……。いや、真相が発覚してみれば、真犯人の殺意に至る心理そのものは非常にリアルで説得力のあるものなんだけどね。

 面白い文芸や趣向をいくつか用意して盛り込みながらも、それらがたわわな実を結ぶことはなかったという感じの、不発気味の一遍。
 フレンチが株に手を出して、500ポンド損したとかいう人間臭い描写は良かった。
 あと創元文庫版の巻末の紀田順一郎のクロフツ論は、とても読み応えがあり。個人的には、このヒトの書いたミステリ関係の文章の中で最高クラスのひとつに思える。

No.634 6点 背中、押してやろうか?- 悠木シュン 2019/08/30 12:41
(ネタバレなし)
「ぼく」こと平一平(たいらいっぺい)は、陸上部に所属する中学二年生。同じ部の仲間でもあるムードメイカーの小宮智也が親友だ。そんなある日、不登校子女だった級友の美少女、久佐井繭子(くざいまゆこ)が登校してくる。イジメを受ける繭子を目立たないように庇う一平と智也。そしてある朝、一平は朝礼で、同じ小学校で旧友だった別のクラスの同窓生、龍和彦が車にはねられて死んだ事を知った。その前後から、一平の日常は少しずつ壊れ始める。

 評者はこの作者の作品は二冊目。この夏、2019年の最新作『君の××を消してあげるよ』を先に読み、妙に心に引っかかったので、あまり間を置かず、少し前に刊行の本作を読んでみた。
 『君の××』同様、少年少女たちの、ダークさを含んだストーリーをすごく清涼な文体で綴る青春ミステリで、今回も読み進めている内にその形質そのものに強烈に引きこまれていく。文章には独特な品格がある一方、ラノベなみのリーダビリティで三時間もかからずに読了してしまった。
 
 ただし一応の(中略)がある『君の××』に比べて、ダーク度は本作の方がたぶん高い。いったい何が物語の底にあるのか終盤まで見えない小説の作りが、最後にこういう方向に帰結することに、意外性と同時にある種の納得も覚える(だから内容に関しては、あんまり字数を使って書けない)。
 そんな部分も踏まえて、自分的には『君の××』よりもこっちの方が好みかも。

 ややイヤミス度を増した白河三兎作品みたいな趣もあって、けっこう気になる作者である。既刊や今後の新刊はチェックしていこう。

No.633 5点 オリンピック殺人事件- 南里征典 2019/08/30 03:02
(ネタバレなし)
 1964年10月10日。「東京オリンピック」こと第14回オリンピック開幕の当日、警視庁捜査一課のベテラン刑事、野村省三は、ある匿名の電話を受ける。それは「杉並区の58歳の男性・日沼潤作をこれから殺す」という殺人予告だった。悪戯かと思いながら万が一の事態を考えた野村は、部下の刑事や所轄の捜査陣とともに匿名電話が告げた日沼家の住所に向かう。日沼は最近、倒産の危機に瀕している大手マンション開発販売会社の社長だった。すると電話の予告通りに自室内で日沼が刺殺されており、しかも現場は完全な密室状態だった。やがて捜査の結果、日沼が東京オリンピック開会式に使われる伝書鳩を提供する組織「日本レース鳩連盟」の関係者であったことが判明。そして被害者の周辺から強力な動機を持つ容疑者が浮かび上がってくるが、その人物には鉄壁かと思える三重のアリバイがあった。

 作者・南里征典は、国際冒険小説からエロバイオレンスノベルまで幅広い創作活動を示した職業作家。それで本書『オリンピック殺人事件』は1982年に書かれた、作者の経歴中でも珍しいパズラー系の著作である。
(ところで、この本の裏表紙の作者紹介の項目で「代表作に『未完の対局』がある。」と書かれているのって、なんか悲しい。だって書籍版『未完の対局』って、いくら有名な映画タイトルの小説版とはいえ、作者のオリジナル原作じゃなくてノベライズだよ。オリジナル作品をその時点で何冊も書いているプロ小説家の代表作に、他人の原作作品のノベライズが挙げられる例って初めて見た……。)

 なんかwebなどでこの作品『オリンピック殺人事件』を、あまり話題にならない隠れた佳作・秀作みたいに語っている人がいるので興味が湧いて読んでみたが……う~ん、どうなんだろ。
 密室殺人に始まる連続殺人劇だが、中盤の趣向は、捜査陣がある人物に狙いを定めた上でのアリバイ崩し。しかしてその後……(中略)!?
 こう書くとけっこう面白げなネタを複数盛り込んだサービス作品のようであり、実際にそういう長編ミステリではあるのだが、一方で作品の作りが結構オフビート(調子っぱずれ)。
 後半、事件の背景となる太平洋戦争中の秘話に話が跳ぶのはいいが、頼みもしないエロ要素が噴き出してくるし、序盤からそれっぽく用意されていた登場人物は扱いを忘れられるし、ノープラン感がすごい。

 まあ序盤から登場していた大きな主題のひとつ(表紙のイラストにもなっている)伝書鳩がちゃんとミステリとして意味を持つのはいいが。
(しかしこの密室トリック、なかなか豪快だけど、実際のところの実現性はかなり低いのでは?)

 アリバイトリックもなあ。三段階に重なったアリバイの鉄壁性を際立たせて読者をワクワクさせるケレン味は、鮎川作品ばりでとてもいい。
 しかし少なくとも葉書のトリックは、この作品の数年前に描かれた某・少年向け漫画からのモロ戴きだよね? 作者は読者層が違うからバレないだろうと甘く見ていたのかもしれないけれど、テレビアニメ化もされて幅広い世代のファンに21世紀の現在でも広く読まれている人気コミックだから、こうやっていつかパクリは露見する。
(まあ偶然の暗合の可能性もゼロとは言えないし、もしかしたら双方の作品よりさらに先駆の例があるのかもしれませんが)。

 あと事件のややこしい部分を、終盤に表に出てくる某キャラクターの奇人性に相当に押しつけて、こんなおかしなイカれたいびつな人物だから、ああいうヘンな事をやったんですよ、と言い訳してるのもちょっと……。

 なんか悪口ばっか書いてるけど、白紙の状態でもし出会って読んでいたら、もうちょっと褒めたかもしれない。ごく一部とは言え、ミステリファンの間で評判がよさげなのに色々とアレでコレかよ、という意味合いで評点はきびしくなり、この点数ということで。
 
 最後に、本作の読後にWikipediaで初めて知りましたが、この作者ってあの大下宇陀児の門下だったそうですな(!)。今度ほかの作品を読む際には、その興味も踏まえながら手に取ってみよう。 

No.632 7点 狂った海- 新章文子 2019/08/29 03:26
(ネタバレなし)
 全四編の中短編集。ページ数は本文の最後までで全261ページ。
 奥付の表記は昭和39年5月20日刊行。全書判のハードカバーで、定価は350円。
 
 このところ積極的に読むようにしている新章文子だが、今回もとても面白かった。

 以下、簡単に各編のあらすじと感想&コメント。

①『狂った海』(約40ページ)
<あらすじ>年下のヒモ男・吉野を自宅のアパートに同棲させている30代の司書の多美子は、双生児の妹・登美子から招待状をもらう。登美子は先に繊維会社の社長夫人となり、夫の死後に莫大な遺産を継承してホテルを開業したのだ。吉野は多美子にくっついて先方に赴き、金持ちの登美子を自分の女にして、邪魔な多美子を消す算段を考えるが……。
<感想&コメント>男女の三~四角関係を主題にしたクライムストーリー。流れるような好テンポで物語が進み、終盤の二転三転の展開も鮮やか。ラストはナンとか強引に、逃げられそうな気もしないでもないが?

②『殺人手帳』(約85ページ)
<あらすじ>スキャンダルを暴かれて自殺に追い込まれた女優・千草陽子。陽子の息子の砂上時雄は親譲りの容姿に自負を持ち、芸能界での成功を目論むが、現実はそう甘くなかった。時雄は自分を軽視した映画会社の企画部長ほか、遺恨のある人間の殺人計画を立て、実際に二人まで実行するが、そこでその計画メモを記した手帳を紛失してしまう。
<感想&コメント>本書中で一番長い作品で、人間関係も相応に縦横に絡み合う。時雄の向き合う人間関係の変化と、誰が手帳を拾ったかのフーダニット的な興味、さらに後半の予想外の展開でいっきに読ませる。「誰が最後に笑うか」パターンの話でもあるが、ラストはちょっと決まりそこねた感もあり。

③『乱れた絵具(本文の扉では「~繪具」標記)』(約30ページ)
<あらすじ>中学二年生の「私」は、本妻がいる映画監督の志村禎三が女中に生ませた娘。だが母が死んだので、志村家に養女とは名ばかりの女中として引き取られる。志村家には、志村の亡き妻が、前の夫との間に生んだ子供で連れ子の大学生・和彦、そして志村の若い後妻の有子がいて……。
<感想&コメント>本書中いちばん短い作品だが、その分の密度感はかなり高い上質のサスペンス&クライムストーリー。終盤のどんでん返しの連続もパワフルで、ラストの切れ味はかなりのもの。垢抜けた当時の翻訳ミステリ短編的なハイセンスを感じる。

④『殺意の影』(約80ページ)
「私」こと23歳の滝野よう子は親一人子一人の父親を轢き逃げされ、篤志家の50過ぎの喫茶店のママの養女となる。ママは我が儘だが、優しい面もあった。そんななか、よう子は店の常連の40歳の小説家・竹上富士雄になりゆきから処女を奪われ、その後も肉体関係を続けていたが、ある日、その竹上が服毒した状態で死んでいた。
<感想&コメント>②に準じる長さだが、人間関係の錯綜が徐々に広がっていく事件の裾野と、終盤の反転の繰り返しに繋がっていくあたりは、強烈な読み応えがある。途中、事件の底が割れた際には悪い意味で世界観が狭いような気もしたが、最後まで読むとそんな疑念はほぼ払拭される。巻き込まれ型サスペンスとフーダニットの興味をあわせもった秀作。ラストの余韻もよい。

 全四編、どれも面白かった。昭和カラーは強いからそのまま黙って復刻、という訳にはいかないが、こないだの山前さんの監修の短編集のように<幻の名作を発掘した、昭和の傑作短編ミステリ集>とかなんとかいう謳い文句などを強く押し出して文庫化などすれば、21世紀の現在でもそれなりの数のミステリファンの支持を得られるのではないか。
 あちらこちらの出版社から、新章文子の発掘短編集が出るような日が来たら、この世の春なんだけどな。

No.631 8点 たった一人の海戦- セシル・スコット・フォレスター 2019/08/29 02:31
(ネタバレなし)
1893年の英国。青果販売業で財を為した実業家の長女で29歳のオールドミス、アガサ・ブラウンは、知人の家に宿泊に向かう途中、車中で知り合った英国海軍中佐の青年R・E・S・サビル=サマレイと、ほぼひと目ぼれ同士の恋に落ちる。そのままサマレイに処女を捧げたアガサは五日間の同衾ののち、平静を装って帰宅。その時に懐妊していた彼女は、やがてシングルマザーとして息子アルバートを生んだ。アガサはその後、サマレイに二度と会うことは無かったが、彼の素性を調べて知り、息子アルバートに英国海軍軍人となる道を歩ませる。やがてアガサとサマレイの出会いから長い歳月が経ち、海軍の一等水兵として巡洋艦カリプティス号に乗艦したアルバートは、第一次世界大戦の戦役に就くが、乗船はドイツ海軍の巡洋艦ツィーテンに撃沈された。ツィーテン号の捕虜となったアルバートだが、同船が洋上の孤島で中破した船体を修理する隙をつき、ライフルと銃弾を持って脱出。島の入り組んだ自然を利用しながらツィーテン号の乗員を次々と狙撃し、敵巡洋艦の出航を阻む。

 1929年の英国作品。評者はフォレスター作品は、かの「ホーンブロワーシリーズ」や、本作と同様のノンシリーズ編『アフリカの女王』など何冊か購入だけはしているが、長編小説の実作を読むのはたしかこれが初めて。(『終わりなき負債』は読んだような、まだのような……はっきりしない(汗)。そのうち改めて確認してみよう。)
 まあ映画なら『アフリカの女王』も『艦長ホレーショ』も観ておりますが(笑)。
 
 しかし部屋に積んだ本の山の中から出てきて、なんとなく読み始めたこの作品、予想以上にエラく面白かった。
 確かパシフィカ版(今回もコレで読了)の刊行当時に「小説推理」だったかの月評で北上次郎が本作を激賞していたような記憶があり、その時のキーワードが「母親」だったのは今までなんとなく覚えていた。しかし母親キャラがキーパーソンっていったってどういう意味だろ、まさか子持ちの母親が英国海軍に入って海戦に出るわけじゃあるまい? と思っていたが、一読してあらすじのような内容と認め、疑問は氷解した。
 これは第一次大戦時の英国海軍版『巨人の星』だったのである(いや、母親だから同じ梶原一騎作品でも『柔道賛歌』か? まあ、どっちでもいいが(笑))。
 自立する女性としての矜持から、息子の父である男性にも実家にも頼らず、シングルマザーとして生んだ息子を育て、そしてその上で父親から受け継いだ資質の海軍軍人として成長させようとする強烈なまでの意志の強さ。本作の中盤は回想形式でもうひとりの主人公アガサの人生と、そんな母親から訓育を受けて成長するアルバートの親子ドラマが描かれるが、ここだけでこの作品は充分に面白い。

 しかし作品はそこで終点を迎えようとはせず、リアルタイムでのアルバートの孤高の戦い、島でのツィーテン号への妨害戦に後半の物語を宛てていく。この二段組三段組の小説の跳躍感はなにものにも変えがたい。そして迎えるエピローグ。このクロージングが提供する感銘は、未読の人に絶対に明かすわけはいかないが、緊張と高揚、切なさと苦さ、さまざまな思いのつまった見事な一冊を読み終えたという充実感で胸がいっぱいになる。
 アガサの思惟とサマレイのDNAを受けて海軍の水兵という焦点の定まった道に向かって歩んでいくアルバートの生き方も星飛雄馬なみにいびつなんだけど、この小説は目指すところゆえに、そんな彼が主人公じゃなければ達成できない最終的な観念と文芸がある。こういう力業が許され、価値を持つのが小説(またはフィクション)というものの存在意義であろう。すごいロマンである。

 娯楽戦争冒険小説でありながら、小説の品格そのもので戦争の愚かさをおのずと訴える反戦作品の形質を築いているのもとてもよい。送り手が声高にそんなもの(反戦テーマ)をメッセージとして掲げるのでは無く、この作品のなかから読者がそれを読み取るのを待っているような、そんな上品さがある。
 遅ればせながら、クラシック系の英国冒険小説を嗜む者の末席の一人として改めて、フォレスター作品は少しずつ味わっていきたいと思う。

No.630 6点 ボーン・マン- ジョージ・C・チェスブロ 2019/08/28 20:38
(ネタバレなし)
 1980年代末。ニューヨークにひしめく四万人のホームレス。その中に、人間の大腿骨を握った30歳代と思われる寡黙な男「ボーン(ボーン・マン)」がいた。NYの公的ソーシャルワーカーのアン・ウィンチェイルは、そんなボーンの中に秘めた高い知性と雌伏する生命の活力を認めて支援を図るが、当のボーン自身は一年前から記憶を失ったホームレスとなり、さらにこの一週間程前から改めてまた現在の記憶を失っていた。そんななか、謎のシリアルキラーによるホームレスの首切り殺人事件が続発。警察は、そしてボーン自身は、記憶を失っていた最中のボーンが殺人鬼でないのかとの疑念を抱きはじめる。そして自分自身の中に潜むもうひとりの見知らぬ者(過去の本当の自分)を探し求めるボーンは、たとえ最悪の結果になっても、その真実を知りたいと願うが……。

 1989年のアメリカ作品。作者G・C・チェスプロは日本でも何冊か翻訳が紹介されているが、大昔に評者は、作者のシリーズキャラクターである小人の私立探偵モンゴ(リチャード・フレデリクソン)ものの第一作『消えた男』にいたく感銘。ネタバレになるので何も言えないが、とにかくこれが破格の一作でいろんな意味で心の琴線にひっかり、エラく大好きな作品となった。
 時期的に言えばネオハードボイルドの渦中の一作なんだけど、たぶん総数100冊以上は絶対に読んでいる同ジャンルの中で、コレ(『消えた男』)が五本の指に入るくらいスキである。(しかし翻訳はあまり出ないので、シリーズ第二作目の『囁く石の都』は手をつけずにずっと未読で取ってある~気がついたら、同じ本を二冊も買っていた(汗)。)
 そういうわけで数年前にミステリファンに復帰し、この20~30年間ほどの翻訳ミステリ界の状況を探求したところ、こんなのが出てると知ったときのうれしさ。モンゴものじゃないよ、ノンシリーズだよ、でもあちらこちらでカルト的に評判いいよ、という感じで読むのをすごく楽しみにしていた一冊である(ちなみにこれも同じ本を二冊買ってしまった~ああ、しょーもない~汗~)。

 それで内容は、Amazonのレビューではクーンツっぽいという声もあるが、まあ確かにクーンツとかキングとかの非スーパーナチュラル系作品、あの辺の重量感とそれを意識させないリーダビリティを備えており(文庫版でほぼ500ページ)、主要登場人物は決して多くないものの、殺人鬼の犠牲になるホームレスたちをふくめて劇中キャラはそれなりに多く、シーンの転換もかなり多い(特にストーリーの本当のメインステージとなる、NYの(中略)世界の広大な描写は圧巻)。
 
 この物語の主題となるのは主人公ボーンの記憶喪失(そしてその当人の過去の謎)と、大都市ニューヨークのホームレス問題だが、特に後者は社会派ミステリ的な視線も導入。中でも作中人物の語る、自由の国アメリカは最低限の生存だけは保障するが、その上はない煉獄、という主旨のメッセージ性は心に響く。それでもホームレスの中からそのままでいるものと、やり直す努力に向き合う事のできるもの、その双方をなるべく等しい距離感から語ろうとする作者の姿勢には、ある種の誠実さを感じるが。

 ただしミステリとしては、かつての『消えた男』の「はああああ~!?」という衝撃をいまだに覚えているものからすれば、かなり期待外れ。少なくとも謎の殺人鬼の正体を追うフーダニットとしては完全に勝負を捨てている。わたしゃ……(中略)。
 とはいえ、ページ数がどんどん減じてくる中で、一体どういう感じでこの作品は山場を設けるんだ? とやきもきさせるあたりとか、確かにエンターテインメントとしてはうまいことは上手いのよね。そういうところで世の中から評価されているんだとしたら、それはアリだとは思う。
 期待値が高すぎたため、ちょっと及ばすというところはありますが、素で読めば相応に面白い作品だとはいえるでしょう。
 チェスプロはまだ翻訳があるようだから、そっちもいずれ読みたい。

No.629 7点 探偵物語 赤き馬の使者- 小鷹信光 2019/08/28 18:53
(ネタバレなし)
 「おれ」こと新宿の私立探偵・工藤俊作は、匿名の人物の依頼で、現金二十万円と現地への航空券が同封された封筒を受け取り、北海道河東群の鹿射(しかうち)町に向かう。依頼の内容は、土地の大地主で酪農家・安藤清蔵の息子・誠の身上調査だった。まだ二十歳の若者、誠の調査を難無く終えた工藤だが、彼はその夜、ホテルで謎の三人の暴漢に襲われる。病院で治療を受けた工藤は、襲撃された理由が今回の調査に関連すると推察。改めて鹿射町と安藤家に接近するが、そこで工藤は、8年前にこの地で死亡した彼自身の両親、そして妹に関連する過去にも向かい合う事になる。

 時代を超えて支持される、故・松田優作のテレビシリーズ『探偵物語』。同企画に原案(文芸設定上の大綱)を提供した小鷹信光が、その設定の大枠だけを共通するものとして書いた小説版の第二弾。だから原作ではなく、あくまでメディアミックス企画の小説版である。
 主人公・工藤俊作は、文芸設定上こそ名前も年格好もテレビ版と同じだし、テレビ版で活躍したセミレギュラーの女弁護士・相木政子や、工藤と同じビルに住むお騒がせ女子コンビのナンシーとかほりも登場するが、主人公の工藤の性格や言動はかなり、他のサブキャラたちのそれらも相応に、テレビ版と小説版では異なる(ただし本作では、ナンシーとかほりは実質的に欠場)。
 まあ世代人のアニメファン、漫画ファンなら、東映動画版とコミック版のゲッターチーム(『ゲッターロボ』)、あれくらい同じ名前で同じ大枠ながら実質は別もの、という感じに思えばよいかも?

 それでごく私事ながら、評者はこの夏、7月いっぱいで閉館するというので池袋のミステリー文学資料館に足を運び、そこで半日、貴重な資料を見てきたが、同施設で手に取った一冊の中に、新保博久教授が編著の私家製ミステリファンジンがあった。それでその誌面には十年単位で20世紀~21世紀の切り替わり時期の歴代国産ミステリベスト作品が列記されていたのだが、1980年度の新保教授のベストワンがこの作品であった。
 おや、これってそんなにスゴイ作品だったのか!? そういえば先日、古書店で幻冬舎の文庫版(1999年版)を100円で買ったな、と思って取り出し、少し前に読んでみた。
(実は元版(1980年のトクマノベルズ版)も昔買っているのだが、そのまま家のどっかに今も眠ってる。ただし文庫版は、元版から20年近くの歳月を経た当時の作者によって総数200箇所近くの改訂がなされ、定本として刊行されたそうだから、これから一本の作品として読むならこっちだろう。)

 物語はのっけからかなり苛烈なバイオレンスシーンで幕を開け、物語の随所にも謎の敵の襲撃を再度受ける工藤の応戦図、さらには複数回に及ぶカーチェイス&アクションなど、かなり動的な要素を盛り込んでいる。ただしあくまでポイント的に物語の緊張を促すもので、アクションやバイオレンスでストーリーが停滞することはなく、ひとつひとつの局面ごとに物語のベクトルが明確になっていくのは流石ではある。
 決して軽い作品ではないのだが、良くも悪くも気がついたらもうクライマックスという感じの加速感もあり、その辺をどう見るかで評価が変る感覚もある。
(21世紀に隆盛する分厚いエンターテインメント長編作品の作法を、もし小鷹がこの時点でものにしていたら、それはそれでこの作品に似合っていたんじゃないか、とも思うんだけど。)
 いずれにしろ、ミステリ的には終盤に相応に大きな仕掛けが明かされ、作中のリアルとしてはかなり際どい……実際にそういうのって成立しうるかな? とも思ったが、人物関係の要となるキーパーソンたちがそれなりの覚悟でいれば、ぎりぎりの危うさの中でこの状況は保たれたかもしれない。そう肯定的に読み込むなら、国産正統派ハードボイルド小説としても、ある種のギミックを導入したミステリとしてもこれは確かにそれなり以上の佳作~秀作ではあろう。個人的には第一作よりずっと面白かったが、向こうは本当に大昔に読んだので再読すればまた印象は変るかもしれない。

 あと、あくまで勝手な要望や感想を言わせてもらえば、最後の最後のどんでん返しは、やや<(中略)作品の図式>に引っ張られすぎた嫌いがあること、それから事件の実相が工藤本人の過去にからむ趣向は、この第二作で本当に必要だったのかという事。その二点が不満というか、こだわり。
 特に後者は、シリーズが四冊か五冊書かれた時点でのネタでも良かった気もするが、これはなかなか企画上の背景も込めて、本シリーズを続発できなかった当時の作者の判断だったかもしれない。もし存命中に本作のメイキングについて語っているエッセイなどあれば、読んでみたいところである。

 最後に題名の「赤き馬」とは、工藤が北海道内で足として使うレンタカーが派手な真紅のスカイラインという事と、もうひとつは作品の後半で明かされるある事象のダブルミーニング。ネタバレは厳禁だが、これくらいまでならいいでしょうか。

No.628 6点 ザ・スカーフ- ロバート・ブロック 2019/08/24 16:41
「おれ」こと、小説家志望の青年、ダニエル(ダン)・モーリー。彼は高校生時代に、母親ほども年の違うオールドミスの教師ミス・フレーザーに肉体関係に引きずり込まれ、さらに先方から無理心中寸前の事態にまで追い込まれた。それを機に女性に対して憧憬や愛情と同時に複雑な感情を抱くようになったダニエル。彼はついに、28歳の時に青春時代の思い出がこもるスカーフで、自分に金銭的に支援してくれた情人レナ・コールマンを絞殺してしまう。殺害現場のミネアポリスからシカゴへと逃れたダニエルは己の心の昏い衝動を押し包みながら、作家としての精進を図るが、それと前後して彼の前に現れたのは、美貌のモデル、ヘーゼル・ハリーだった。

 1947年のアメリカ作品。ロバート・ブロックの処女長編。
 主人公は内面に殺人衝動という心の闇を抱えた青年だが、同時に間断的にその殺意が浮上する時以外は、きわめて当たり前のどこにでもいる若者として描かれる。
 コーネル・ウールリッチのダークサスペンス路線の作品から少しずつリリシズムをそぎ落としていけば、いつかこんな程度の、適度に乾いた&適度に湿った作風のものに、行き当たるんじゃないかという感じ。
 それゆえストーリーの随所で読者の共感を呼び込む心情吐露を語りながら、すでに物語の序盤で一線を越えてしまった主人公のポジションが悲しい。
 先にウールリッチほどは叙情的ではないという趣旨のことを書いたが、それでもこれは許されざる一線を踏み越えてしまい、その後もある意味で悲しい執着(殺人衝動)にとりつかれた、実は我々読者ともそんなに大きくは違わない、どこにでもいそうな平凡な人間のドラマというか一種の青春小説でもある。

 他の50年代作家(ブラッドベリやダールやコリアやマシスンやフィニイほか)などと比べ、どこか作品総体に泥臭さのつきまとう感じもあるブロックだが、これは予想以上にスムーズにテンポよく読ませる。主人公ダニエルの向かう舞台もシカゴからニューヨーク、さらにハリウッドへと作家としての躍進と同時に転じていくが、その局面局面でイベントやツイストを設けて、読者のテンションを落とさない手際もなかなか。

 なお大事な事として、本作には殺人者となってしまった、しかし物書きであることを忘れない主人公ダニエルに、若き日のブロックが自分自身を託した私小説的な趣もあり、その辺から読み込んでいっても面白い。ダニエルがハリウッドで、長年の当地での仕事のなかで才能を使い果たしてしまったベテラン脚本家と出会い、薫陶めいたものを受ける辺りも妙に心に残る。
 終盤の映画的、ノワール的な展開も、二重三重の皮肉を効かせた文芸にまみれて鮮烈で、ラストの余韻も印象深い。

 大筋のプロット的にはそんなに曲がある話ではないが、あとあとこの切なさを折に触れて思い返す作品になるかもしれない。若き日のこの作者のこの作品ということで。 

No.627 5点 カリスマvs.溝鼠 悪の頂上対決- 新堂冬樹 2019/08/23 18:51
(ネタバレなし)
 伝説の復讐代行人・鷹場英一の薫陶を受けた真性サディストの美女・(佐久間)半那は、2人の変態男性とすれっからしの女子高校生を手駒に、鷹場の意志を受け継いだ復讐会社「リベンジ・カンパニー」を営む。そんな半那の次の標的、それは20年前に彼女の家庭を滅ぼしたカルト教団「神の郷」の残党の男、明鏡飛翔を教祖と仰ぐ新世代の教団「明光教」だった。

 先に評者が読んだ、同じ作者の昨年の新刊『痴漢冤罪』同様、悪と悪の対決ドラマ。エンターテインメント性の高い通俗ノワールとでもいうべきか。

 本作の大設定は、かつての作者の人気シリーズ・鷹場英一ものと、話題作(代表作の一つ?)『カリスマ』、双方の世界観を受けた新世代クロスオーバーだそうだが、評者は新堂作品はまだ3冊目。読んだのはどれもここ数年のリアルタイムの新刊ばかりだから、当然、原典となる双方の旧作(旧作シリーズ)も知らない。それでもほとんど特に問題なくスムーズに読めた。
 まだ新堂作品ビギナーの自分には相応に苛烈な(一方でどっか笑ってしまう)残酷描写などもあるが、Webでの噂を伺うと、絶頂期の新堂作品はもっとはるかにスゴかったらしい。うーむ、そっちも読んでみたいような、止めた方がいいような。
 本作そのものの感想はハイテンポにグイグイ読ませるが(どちらかというと主役は、半那サイド)、一方で随所にそんなにうまく行きますか? なんでここで予防策をとらないの? 的なツッコミどころもいくつか。ラストの山場も大雑把だけど、エピローグも舌っ足らずだよね。読者に解釈で補強してくれ、ということだろうか。
 日頃あんまり読まない傾向の作品だけど、それでも新作でも旧作でもたまにこういうものも補給したくはなる。3時間は楽しめたので、まあいいか。

No.626 6点 オトラント城綺譚- ホレス・ウォルポール 2019/08/23 00:22
(ネタバレなし)
 11~13世紀の欧州(たぶんイタリア)。地方領主で古城オトラント城の城主であるマンフレッドは、15歳の息子コンラッドを溺愛。その一方で、彼の心優しき妻ヒッポリタと美しい18歳の長女マチルダ姫への愛情は薄かった。マンフレッドは妻の反対も聞かず、病弱のコンラッドを、貴族フレデリック公爵の娘イザベルとまだ子供の内に結婚させようとする。だがその挙式の日、コンラッドは、どこかからか出現した巨大な甲冑の頭部の部分に圧殺されて惨死した。狂乱したマンフレッドは、事態に私見を述べた土地の青年セオドアに難癖をつけて八つ当たりのように拘禁。かたや長年連れ添った良妻ヒッポリタとの婚姻は実は無効だったと言いだし、自分が、頓死した息子の代わりにイザベルを花嫁に迎えると言い出す! そんな中、城内には幽霊、そして巨人の影と、妖しい怪異が生じ始めていた。

 1764年の英国作品。奇妙な味の名作短編『銀の仮面』の作者ヒュー・ウォルポールのご先祖にあたるホレス(ホーレス)・ウォルポール(1717~1797年)が、実際には存在しない中世の小説を発掘したようなスタイルで著した長編。なおオトラント城のモデルは、ホレス・ウォルポール本人(実家は貴族で当人は国会議員でもあった)が、その生涯をかけて増築を繰り返した英国建築史に残る大邸宅「ストロベリー・ヒル」だそうである。
 広義のミステリとはいえるゴシックロマンの系譜ながら、当然、ポーの『モルグ街の殺人』(1841年)で近代推理小説が誕生するはるか以前の作品であり、冒頭にかなり刺激的な殺人劇が起きるものの、推理や捜査の要素はまったくといっていいほど見られない。それどころか……(中略)。
 とはいえ、本作が本当の意味で先史ゴシックロマンの元祖的な作品ではないにせよ、18世紀半ばの英国読書界に相応の反響を巻き起こし、ミステリ分野が確立したのちまで含めて、後年の多くの作品に影響を与えた名作というのは間違いないところのようである。
 評者は大昔に、ミステリマガジンのたしか70年代初頭の頃の、夏期の「幻想と怪奇」特集号、そのバックナンバーを古書店か早川からの通販で入手。その誌面に掲載されていた当時の時点までのオールタイム「幻想と怪奇」小説ベストリストみたいなもので、初めて本作の名前に触れた。初見の印象は、えらく響きのいいタイトルだな、というものである。勝手な観測かもしれないが、作品そのものは未読でもこの題名にある種の心地よさを覚えて意識しているミステリファン、怪奇小説ファンはそれなりにいるのではないか。

 その後、講談社文庫版の実作などを手にすることもあったが、その際には狭義のミステリではない怪奇小説に分類されるものとしてスルー。
 それから興味が広がってモダンホラーも推理要素のゆるやかなゴシックロマンも積極的に楽しむようになってから、いつか改めてきちんと読みたいと思っていたが、このたびようやっとその思いを果たした。

 邦訳は、複数ある翻訳のうち一番新しい2012年の研究社版で読んだので、物語は大きなストレスもなくごく潤滑に追えた。
 ドラマを動かす主要登場人物は何人もいるが、一番のキーパーソンといえるのはやはり城主のマンフレッドであり、周囲の人間に迷惑をかけまくるものの決して極悪人ではなく、その辺のさじ加減を心得たキャラクター造形もなかなか良い味を出している。
 聖母的な良妻ヒッポリタとその実の娘マチルダ、さらにはマチルダの友人でもあるイザベルたち女性陣がそれぞれ連携めいた動きを見せるのも妙に面白かった。全体的にストーリーテリングとしては好テンポで悪くない仕上がりである。

 一方でホラーというかスーパーナチュラル要素の導入は相当に大雑把というか大味で、最後は混迷した事態を強引に決着をつけるために、かなり……(中略)。
 それと主舞台となるオトラント城も、物語のロケーションとしてそれほど活用されているようにも思えない。

 研究社版の詳細な解説を読むと、かのラヴクラフトなどは本作をかなり低めに評価していたようで、まあその言い分もわからないでもない(具体的にどこをどう言ってるかは、できればこの作品本編と、その研究社版の解説の実物を確認してください)。

 ただし個人的には、最後の「ああ、そっちの方向に……」という感じの小説的なまとめ方には結構、好印象を抱いた。切ないけれどそれでも前を向かなければならないある登場人物の思いに時代を超えた普遍性を認め、そこから生じるなんとも言えない余韻を感じる。

 近代のゴシックロマンに至るまでにはまだまだ長い道のりを控えた原石という感じの古典ではあるけれど、一度くらいは読んでおいてもいいでしょう。

No.625 7点 地面師- 梶山季之 2019/08/22 03:28
(ネタバレなし)
 1958年から1965年までに書かれた作者の作品6本を集成した中短編集。
 新章文子の『名も知らぬ夫』などと同様、国産ミステリ研究の第一人者・山前謙氏の選出と監修による、昭和期のミステリ作家の個人作品傑作集の叢書「昭和ミステリールネサンス」の一冊である。

 実は評者は梶山作品を一冊単位で読むのは今回が初めてだが、これはかねてよりこの作者について、いかにも昭和の色と欲の通俗ミステリ作家という、今にして思えば全く以てアレな、紋切型の偏見的な予断があったため(汗)。
 実際、梶山作品に散見する、女性蔑視というか軽視の視点は昔からよく婦人勢の攻撃の対象になったと聞いたような記憶があり、さらに一時期のミステリマガジンの読者欄「響きと怒り」の中で、某常連投稿者(やはり女性)が「たとえ無人島で他に読む本が無くっても、梶山季之と黒岩重吾の本だけは絶対に読みたくない!(大意)」などと語る、実にインパクトのある投稿なんかも読んだ覚えがある(笑)。

 それで「あーあ、この作家(梶山)って本当に嫌われてるんだな……」と世間の風評の影響を受け、自分自身も今までウン十年手を出さずに放って置いたのだが、一方で時代の変化、評者自身の加齢とともに「こういうのもいいよね」的に、受容する側の気分も次第に寛容になってくる(笑)。
 さらに何より、今回は前述のように、国内ミステリのアンソロジストとしては最大級に目利きの山前譲氏が、この傑作集をセレクト。
 ならば昭和ミステリ作家の個人傑作集として相応に面白いんだろうなと期待を込めて、この実物(短編集『地面師』)を手に取ってみた訳である。
 
 ――――結果、予想以上に、全6編ともしっかり楽しめた。
 最初、表題作の『地面師』の「誰が最後に笑うか」のコン・ゲーム的な小気味よさでいきなり盛り上げたその後に、かなり真面目なアリバイ崩しの推理もの『瀬戸のうず潮』で作者の作風の幅広さを実感。
 その2本に続く、法律の裏を書く犯罪劇『遺書のある風景』や企業間の策謀もの『怪文書』それぞれの短編のテクニカルぶりも味わい深い。
『冷酷な報酬』の、思わぬ方向にストーリーが転がっていくにつれて意外な事件の構造が見えてくる作りもよいが、読み応えの点では、企業間の抗争と策謀ものの面白さを十全に備えた最後の中編『黒の燃焼室』に止めを差す。
(ちなみに「黒の燃焼室」は梶山のいくつかの長編作品の物語の場となるタイガー自動車ものの一編であり、その意味でもたぶん作者のファンには興味深いだろう。)
 
 しかし梶山の長編作品は、短編とはまた味わいが違う趣もあろうが、少なくとも本書一冊を通じて作者が広義のミステリの妙味を理解し、話作りにも相応の力量があることはフツーに理解できたつもりである。
 ちかぢか、ミステリ要素の濃さそうな長編作品にまずは一冊、挑戦してみよう。

No.624 6点 最終兵器V-3を追え- イブ・メルキオー 2019/08/21 12:52
(ネタバレなし)
 1985年5月9日。マンハッタンの路上でドイツ人の老人カール・ヨハン・トンプソンが自動車事故で重傷を負う。およそ40年目の、何かの計画の実現に胸をときめかせていた彼は、気になる言葉を呟いて死んだ。運命的にその文句に留意した看護婦のおかげで、情報はFBIを経て国防省に回る。やがてくだんの情報は、第二次大戦時に連合軍側の工作員として活躍し、戦後はアメリカに帰化してCIC(米国の対敵情報部)の一員として働いた64歳のデンマーク人、アイナー・ムンクの元にもたらされた。意見を求められたアイナーは40年前の大戦の亡霊の影を見るが、陰謀の中身はおろかその実在すら確認できない現時点では、国防省は表だって動けない。それゆえアイナーは半官半民の立場で、かつて同じくレジスタンス仲間だった愛妻ビアテとともに、事件の鍵がありそうなドイツのヴェイデンに向かう。そこで彼ら夫婦が認めたのは、ヒットラーの遺産である恐怖の殺戮兵器を擁したナチス残党、その妄執の念がこもる数百万単位のジェノサイド計画だった。

 1985年のアメリカ作品。作者イブ・メルキオー(日本ではイブ・メルキオールとも表記)は1917年にデンマークに生まれてのちにアメリカに帰化。1950年代からは映画人として活動し、『巨大アメーバの惑星』(火星ダコにコウモリグモ)『冷凍凶獣の惨殺』(レプティリカス)などの怪獣SF映画の脚本家として特撮ファンに親しまれる(後者レプティリカスはメルキオーの生国デンマークで製作された、同国を舞台にした怪獣映画)。また本邦の誇るゴジラシリーズの第二弾『ゴジラの逆襲』の米国版はもともと大幅にアメリカ向けにローカライズされる予定で、そのためのシナリオを書いていた事でも有名(しかし結局、惜しくも新規シナリオの追加新撮は未遂に終ってしまったが)。 
 1970年代に映画分野から少しずつ遠のくとと同時に、小説家に転向。特に、かつて自分自身が第二次大戦末期にアメリカのCICに参加していた経歴を活かし、同大戦時の欧州を舞台にした対ナチスものの冒険小説を何冊も著した。

 評者はまだメルキオー作品は『スリーパー・エージェント』『ハイガーロッホ破壊指令』についで三冊目だが、邦訳された作品それぞれの設定を窺うかぎり、基本的には第二次大戦中の過去設定で対ナチスの、あるいはナチスがらみの冒険小説を綴るのが作者の本分のハズである。
 その中で本作はメインストーリーの時代設定を1985年の現代に置き、少し異色。おそらくは小説家としてのメルキオーの筆を動かした1970年代からのネオナチブーム(60年代にすでにその萌芽はあったが)に加えて、フォーサイスやラドラムあたりの新世代ネオ・エンターテインメント作家勢の台頭の影響を受けたこの時代らしい一作だと思うが、それでも老年主人公アイナーとその妻ビアテの回想の形で第二次世界大戦中の冒険秘話もかなりの紙幅で語られる。現在形の謎の陰謀阻止編と並行して、そちらはそちらで正統派戦争冒険小説として面白い。

 とはいえ作品総体の出来は、文庫版で500ページ以上の大作、職人作家メルキオーの手慣れた正統派冒険小説+ネオ・エンターテインメントスリラーとして普通に充分に楽しめるハズなのだが、意外に今回は、ところどころ脇が甘い感じなのはちょっと残念。

 具体的にはドイツに乗り込んだムンク夫妻を邪魔に思ったナチス残党側が暗殺者を送り込むのだが、この暗殺者、主人公たちをおびき出すため、最初は情報を託す者を装いながら、本名で電話をかけてくる。
 おいおい……暗殺者視点で言えば、ムンク夫妻を暗殺して口を塞ぐつもりだから構わなかったのかもしれないが、それでも夫妻が米国の仲間に「××という者から電話があった。行ってくる」と告げるかも知れないよね? メモを残しておくかも知れないよね? そういった種類の警戒をして偽名を使わないってのはプロの暗殺者としてヘンだ。さらに窮地からの脱出後、今度はアイナーたちがその暗殺者の名のった名前を当初から本名と前提視して次の情報をたぐるのだが、う~ん、これもまた、そもそもその名のられた名前が偽名という可能性は考えないのか? 
 作者メルキオーがどうしてもその局面に続く展開をしたいのならば、主人公アイナーの脇にせっかくワトスン役の奥さんビアテがいるのだから
「(あの暗殺者の名前は)偽名だったのじゃないかしら?」
「たぶんそうだろう……しかし万が一ということもある。いずれにしろ、我々には他に手がかりはないのだ」
「……やった、あの暗殺者、我々を確実に口封じするつもりで、うかつにも本名を名のったんだな。そんなプロとしてのプライドがこちらの助けになったよ」
 ……とかなんとかやっておけば良かったのだ。そうすれば小説としての味も出ただろうし。
 あと一度尋問したナチスの残党をそのまま拘束も警察に手渡したりもせず逃しておいたり(アイナーたちにすれば確かに異国の警察にことの経緯を話して関わっている余裕がないという事情はあるのだが、しかし敵側に次の手を打たれてしまうのは素人にもわかる)、ナチス側の人間が大戦時そのままの名前で戦後40年ドイツで生活をしていたり……と、どうも細部で実に気に障る。
 
『スリーパー』も『ハイガーロッホ』も大昔に読んだきりながら相応に面白かった(特に後者のクライマックス場面はまだ覚えている)ので、メルキオーってこんなに小説が下手だったかな、もしかしたら馴れない現代ものの土俵の中であれこれ苦戦しているのかな、とも思ったりした。

 それでもまあ、後半、最終兵器の正体(もちろんここでは書かないが)が明らかになり、国防省とNATO全軍が重い腰を上げてからはそれなり以上に面白くなる。40年前からの遺産兵器が本当にそのように有効なのかはもう少しだけリアリティの補強も欲しいところだが、一方でこの物語の大設定を活かした山場はかなり印象的に練り上げられている。
 特に<ある特殊ガジェット>の導入は、往年のSF映画の脚本家で後年には監督職も担当したメルキオー、ちゃんと70年代からの<あのシリーズ>も、80年代の<あの話題作>も観ていたんだね、と嬉しくなった。
 今となってはもう意味がないかもしれないが、80年代の内に本作を映画にしていたらなかなかパワフルな映像が観られたかとも思う。
 終盤のフーダニットのシークエンスも、もう少し早めに布石を張って、仕込みをしておいてほしかった、という嫌いはあるが、それでも最後まで読者を飽きさせないようにしたいというサービス精神は認める。

 総括すれば、得点的に見ればそれなり以上に面白いのだが、気になる減点要素もかなり多い。
 娯楽派冒険小説で読者をもてなす職人作家だとは思うんだけど、日本でメルキオーがいまひとつ冒険小説ファンからの反響や支持が薄かったようなのは、改めてこの辺りが原因だったのかな。
 自分はまだまだ、機会を見て読むけれどね。

No.623 7点 群青- 河野典生 2019/08/19 16:31
(ネタバレなし)
 1960年代。少年・山地公夫は母と死別し、傷痍軍人の父親・哲春と二人暮らしだった。だが警備員だと自称していた哲春が実は傷痍兵として路上で物乞いをしている事実を知って心を痛め、非行の道に入る。やがて公夫が少年院に収監されている間、哲春は交通事故で死亡した。釈放後の現在は、保護司の高校教師・沖竜彦の監督を受けながら、小型オイルタンカー上で作業員としてまじめに働く17歳の公夫だが、そんな彼は以前に自分が処女を奪った少女・岡田ミチ子に再会。公夫が彼女に抱く罪悪感と思慕の念はミチ子に伝わるが、そのミチ子は「ゆり子」の名で赤線の娼婦まがいの生活を送っていた。そんな中、ゆり子=ミチ子にしつこくつきまとい暴力をふるう土建屋の中年・森戸辰治に重傷を負わせた公夫だが、なぜかその森戸の体は諍いの現場から消失した。代って翌日、公夫が見たのは、ミチ子の無惨な死体であった。森戸の死を確信し、いずれ捜査の手が自分に伸びると考えた公夫は、その前に自分自身の手でミチ子を殺した犯人を捜し出そうとするが。

 河野典生の初期長編のひとつ(第●長編とか明確な書き方ができるほどの素養が現在ない。いずれ判明したら書き直します)。元版は早川書房から国産作家の書下ろし叢書「日本ミステリー・シリーズ」の一冊(第8回配本)として1963年に刊行された。評者は今回、書庫にウン十年眠っていた角川文庫版で読了。

 戦後の影がしみこんだ、油臭い昭和期のヒーロー不在のハードボイルドだが、主人公の設定やキャラクター造形もあって、いまこの設定で書いたらむしろ青春ミステリのカテゴリーに入れられるだろう。
 作者らしい独特の文芸味は如実に伺える。特に、ミチ子と夜の波頭を歩く公夫が空気銃に撃たれて息絶え絶えの伝書鳩を拾うが手の中で死なれて海に投げ込み、さらにミチ子の手についた鳩の血を拭ったハンカチも放ると、その二つの白い物体が暗い闇の波間に並ぶように浮かぶシーンなど、鮮やかに美しい。森戸を殺してしまったと思う公夫の悪夢が、部屋の中を埋め尽くす鳩のイメージで描かれるのも作者の執着を読者に印象づける。
 終盤、次第に窮地に追い込まれて明日を狭めていく公夫に、30年間無事故で通してきたと初老の孫のいるタクシー運転手が無心で語りかける場面の残酷さなども良い。
 被害者であるミチ子に勝手な薄幸少女のイメージを押しつけて、あんな薄汚れた短い人生にも純情はあったんだよとおのれの憐憫に酔う「正義漢」の若手刑事へのきびしい視点なども冴えている。

 なお中島河太郎などは本作を「推理小説事典」の河野典生の項目の中で、「偶然に依存した嫌いはあるが」とも評しており、実際にその通りではあろうが、終盤に浮上してくる某キーパーソンの存在感はそんなこの作品の弱点をあえて退けるほどに強烈で、「(中略)ごっこ」をしたいという(中略)性は、まるで絶頂期のロス・マクドナルドではないか、とも実感した。
 1960年代の国産ミステリの中ですでにこの文芸を実作化していたというのは、さすが定評の躍進期の河野典生という感じである(評者なんかはまだそんなに冊数読んでないけれどね~読み方もバラバラだし)。

 文芸ドラマをあえてミステリの領域に恣意的に近づけた分だけ、後半の展開にいびつさが生じてしまった感じもしないでもないのだが、そこもまた本作の味という思い。
 作家性と時代と、さらには作者自身が周囲から得た多様な素養が一瞬の場の中で、劇的に混ざり合った秀作。読むならこれこそ夏に、の一冊だなあ。

No.622 6点 きみはぼくの母が好きになるだろう- ネイオミ・A・ヒンツェ 2019/08/19 02:28
(ネタバレなし)
「わたし」こと女子フランシスカは実母との死別後、父親の再婚で実家に居場所を失い、努力の末に奨学金待遇の苦学生としてメリアム大学に入学した。だがそこでバイトの仕事を提供した中年の教授に恩を着せられていつしか不倫関係に陥ってしまい、その結果、ショックを受けた教授の妻は自殺。フランシスカは大学を追われる。心身を疲弊させた彼女は、たまたま出会った心優しい青年マシュー・キンソルヴィングに救われて彼の妻となるが、新郎のマシューはあっという間にベトナムで戦死した。21歳で身重の未亡人となったフランシスカはマシューの実家であるオハイオ州の片田舎にある屋敷を訪れるが、そこで彼女を迎えたのは恐怖と戦慄の事態だった。

 1969年のアメリカ作品。アイラ・レヴィンの衝撃作『ローズマリーの赤ちゃん』(1967年)などが起爆剤となって、アメリカのエンターテインメント文壇にもモダンホラーの一大ブームが巻き起こっていた時期の一冊。とはいえ本作はスーパーナチュラルな要素は無く、広義のホラーの中でも、正統派ゴシックロマンの系譜上にある。
 
 しかしながらそれでも、手元にある早川ノヴェルズ版の帯の謳い文句は
「洪水で孤立した古い家に謎めいた義母と白痴の少女とともに閉じ込められ、出産を迎えるフランシスカ。迫りくる狂気、戦慄、恐怖!」
 ……とこれでもかこれでもかの怖いイヤな文句の押し売りであり、さらにこれにダリかマグリットを思わせる不気味な表紙ジャケットのカバーアートが加わるのだから、読む前から本当にコワイ。だからどんな不気味で気色悪い話だろうと本気で怖じてしまい、大昔にどっかで古書で購入してから手も出さずに、ウン十年も放置しておいた。
(しかしそんな怖そうな作品なら、なんで買ったんだって? いや珍しそうなミステリなら、そんなに高くなければ、とにかく一応は買っておくのですよ・笑)

 それでも最近になって、この作品がジョー・ゴアズのあの『死の蒸発』などと69年度のMWA新人長編賞を争った一冊だという事実を意識し、ふーん、そういう歴史的な意義もある一編なのね、と、改めて興味が湧いてきた。
 それでまあ夏の暑い時期だし、たまにはこんないかにも怖くて不気味そうなのもいいかと思って読んでみたが……良くも悪くも、思っていたよりフツーで怖くなかった。
 
 題名の「きみはぼくの母が好きになるだろう」は実家から離れてフランシスカと新居を構えた生前のマシューが始終口にしていた、彼の母の印象を語る文句だが、現実にはフランシスカがマシューの死後、その悼みを分かち合うつもりの手紙を送っても、当のマシューの母であるマリアは返事も寄越さない。
 それと前後して懐妊の現実を知ったフランシスカは、出産後の新生児をどこかに里子に出すべく、今で言うソーシャルワーカーへの相談を行う。その一方で、一縷の望みを込めて義母マリアと円満な関係、そして今後の安定した生活を得られるのではと期待して、夫の実家を訪ねていく。
 だがそこで彼女を迎えたのは、言葉使いだけは丁寧だが冷徹にフランシスカをあくまで異分子と見なす母親と、その娘で精神薄弱の少女キャサリーンだった。義母の予想以上の冷たい態度もさながら、マシューにこんな障害児の妹がいたのかとフランシスカは驚愕。さらに悪天候の影響で洪水が生じ、屋敷が外界と分断されてしまう中で、さらに思わぬ事態と意外な真実が次々と現実のものとなっていく。

 読み進めるうちに、前述のようにずいぶんとマトモなゴシックロマンだな、という印象に転じたし、その一方でキーパーソンの一人となる薄幸の白痴少女キャサリーンの役割なども早々にヨメてしまうので、そういう意味ではもっとどぎついもの(近年のJホラーとイヤミスを足したような作品?)を予想してた身からすれば刺激も衝撃もやや薄味で、物足りないと言えば物足りない(主人公フランシスカにかなり甘いのでは? というご都合的な筋運びも無いではないし)。

 ただ一歩引いて読むなら、実に少ない登場人物で何のかんの言っても最後までいっきに読ませてしまう面白さはある。
 本そのものの周囲にある一種のオーラで、なんか別格級の怖さがあるような印象の一冊だが、その辺はあまり影に怯えること無く、割と良く出来た小品の佳作~秀作という感じで楽しみましょう。


No.621 7点 消えた郵便配達人- 草野唯雄 2019/08/18 12:12
(ネタバレなし)
 その年の1月16日の白昼。江東区深川にある小藤薬局に拳銃を持った暴漢が押し入り、金を要求する。だがその薬局内には、市街を巡回中で薬局の主人の小藤洋子と雑談をしていた私服刑事・原尾がいた。原尾は自分の身分を叫ぶが、賊はその場で相手を射殺して何も取らずに逃走する。同僚を殺された深川署の刑事たちは犯人の検挙に躍起になるが、なぜか洋子と、もう一人の目撃者として名乗り出た郵便配達人の青年・大河内誠による、逃亡した犯人の背格好の情報は相応の差異を見せた。やがてスナックの女主人・畑広子がもたらした情報から、町のダニの青年・伊吹直一が逮捕されるが、面通しの際にも大河内は、彼は犯人とは別人だとなおも頑なな態度をとった。深川署の捜査陣は同僚の殺害事件を一刻も早く片づけたい面子もあって、直一の立件を急ぐ。一方で大河内は、まるで邪魔な証人が近隣から追い払われるかのように、地方に転属になる。毎朝新聞社会部の記者・幕張健次は、直一の無実を信じる彼の老母と本妻の礼子の訴えに耳を貸し、事件を自らの手で調べ始めるが。

 現状でAmazonに登録はないが、1985年4月10日の双葉社のフタバノベルズから刊行。この新書版がたぶん元版だと思う。書下ろしとの標記はないが、先に雑誌連載されていたかは不明。
 
 まだ夜が浅いので、もう一本何か読もうと思って手に取った積ん読本の一冊だが、くだんのフタバノベルズ版の惹句が「激情社会派ミステリー」。この大仰なキャッチにさすが草野作品とのっけから笑いが零れる。
 さらに読み進む内に、サブキャラクターの名前が途中で変ったり(強盗容疑者・伊吹直一の実母の名前が最初に登場する28ページでは「せつ」なのに、78ページ以降は急に「さと」になる・笑)、最初のページから脱字も目立つ。これは色んな意味で『死霊鉱山』とは別のベクトルのダメミステリが楽しめそうだ、といささか品のない構えでいたら、物語の後半、かなり良い意味でこちらのくだらない期待を裏切ってくる。これから読む人に素で驚いて欲しいので、あんまり細かくは言わない。クライマックスの裁判シーンも妙な熱量が感じられて読み応えがある。
 実のところ裏表紙のあらすじも本文を半ばまで読み進めるまでは、雑な編集の雑な記述だなと思っていたが、どうやら……(以下略。※ネタバレ警戒の人はフタバノベルズ版の表4のあらすじは読まない方がいいかも)。

 玉石混淆作家? 草野唯雄のたぶんこれは思わぬ拾いもののひとつ。草野作品にハマる人というのは、今回はアタリかハズレかのスリル感も大きいんじゃないかとも勝手に思う(笑)。

 なお逮捕された直一が無実を叫ぶくだりで、彼の手首から検出された硝煙反応について、ちょっと独特な弁明を主張。
 ちょうどいま、本サイトの掲示板の場で、別のレビュー書き手の弾十六さんから硝煙反応について(特にその鑑識技術の確立の経緯に関して)蘊蓄に富んだ教示を授かっている最中なので、その意味でも興味深く読めた。
 弾十六さん、機会とご興味などありましたら、本作内の描写についてもこれってリアルにありうることなのかどうか、考証なさってください。

No.620 6点 ゴースト・レイクの秘密- ケイト・ウィルヘルム 2019/08/17 19:14
(ネタバレなし)
 オレゴン州ペンドルトンの町。その年の5月。元弁護士の女性セアラ・ドレクスラーは、3年前に事故死した地方判事の夫ブレインに代って、彼の残りの任期3年間分の職務を引き継いでいた。セアラの実家であるケラーマン家では老父ラルフが、水族館と生け簀を経営。セアラの娘ウィニーと息子のマイケルもそれぞれの事情を抱えながら母や祖父との同居生活を送っていたが、ある日突然、そのラルフが女性私立探偵のフランシス・ドナティオを自宅に呼び寄せた。事情も分からずに戸惑うセアラと子供たちだが、フランシスはケラーマン家からの帰途、何者かによって射殺される。これと前後して依頼人のラルフ当人も、何の調査を探偵に依頼しようとしたのか家族に明かさないまま急死した。やがて事件は、数十年前に近所の砂岩地帯「ゴースト・レイク」ことラビット・レイクの周辺で起きた怪事へと繋がっていく。

 1993年のアメリカ作品。作者ケイト・ウイルヘルム(ケイト・ウィルヘイム)はヒューゴー賞、ジュピター賞、ネビュラ賞などの栄冠に輝く女流SF作家として日本でも高名。翻訳された長編作品は決して多くないが、代表作と言われるサンリオ文庫の『鳥の歌いまは絶え』など相応にSFファンに読まれているという認識がある(ごく私的な話題ではあるが、友人にすごく本作をスキな人間がいる。しかしながら評者は未読~汗~)。
 プロパーとしてはSFジャンルを主体に活躍する作家だが、アシモフやブラッドベリなどと同様に純粋なミステリとしての著作もそれなりに多く、本書はそんな中の一冊となる。
 
 46歳の未亡人である主人公セアラの、亡き夫の職務を継承した女性判事としての司法ドラマ(裁判シーンの類はほとんどないが)、ケラーマン家とその親族たちや周辺の者たちとの家族ドラマ、さらに南米に近い国境周辺の町を舞台にしたローカルドラマと複数の主題を織り込みながら、ミステリの興味としては、殺人事件のフーダニット、いったい老父ラルフの依頼の内容は? の謎、さらに1960年代にまで遡る過去の怪事件と幽霊騒ぎの真実……とかなり立体的な品揃えを披露する。
(私立探偵フランシスの元カレ? にしてバツイチの中年刑事アーサー・フェルナンデスと、主人公のセアラとの互いに腹の内を探り合うようなオトナの恋模様もなかなか楽しい。)
 具の数が多い分だけ下手な作家ならゴタゴタする作りになりそうなところ、最初にページを開いてから終盤まで実にスムーズに読ませてしまう手際は鮮やか。
 翻訳を担当した竹内和世(ほかにはC・W・ニコルの作品など多数担当)の訳文も全体的に平明かつメリハリが効いていていい。

 ミステリとしては30年前の事件のその後の軌跡に疑義があったり(この辺はあんまり書けないが)、動機の真相が意外に凡庸だったりするのはやや失点。主人公セアラの終盤の行動も、見方によってはいささかダブルスタンダードではないの……という部分もないではない。
 まあそのクライマックスのセアラの内面に関しては、自分に正直にあろうとした面と、司法家としての正義を守ろうとしたことの振幅を、作者も意識的に綴りたかった向きも見とれるが(かなり最後の方の、とある登場人物への厳しくも切ない姿勢での対峙の図は、真っ当なハードボイルドの精神だと思う)。
 ミステリとしての練り上げは若干甘い感じもしないでもないが、骨太な筆力でいっきに読ませる佳作。

No.619 7点 モン・ブランの処女- A・E・W・メイスン 2019/08/16 19:38
(ネタバレなし)
 20歳代末の青年軍人で登山家のヒラリー・シェイン大尉は、ともにアルプス登頂を試みようとしていた8年来の友人、ジョン・ラタリーを山の事故で失う。哀しみにくれるシェインの心にひとしずくの潤いを与えたのは、若い娘ながら山を愛し、自らも登山に励むハイティーンの美少女シルヴィア・テシガーの、慈しみの念がこもる一言だった。そんなシルヴィアは、社交界の虚飾にすがりつく実母と袂を分かち、長年別離していた父ガーラット・スキンナーのもとに向かう。だがシルヴィアは、表向きばかり善良そうな父の顔の裏に潜む悪心を認めてしまった。そしてそのガーラットの犯罪計画とは、奇しくも、先に山で死亡したラタリー青年の従兄弟である若者ウォルター・ハインにからむものだった。やがて運命的な人間関係の綾は、シェインとシルヴィアの間の距離を再び狭めていくが、そんな二人の周囲には欲得に駆られた者による思わぬ事態が待ち伏せていた。


『薔薇荘にて』『矢の家』のメイスン(メースン)による、ノンシリーズのサスペンス風味ラブロマンス山岳小説(原題「Running Water」)。
 データベースaga-searchの表記によると1907年作品だが、今回読んだ朋文堂版の訳者あとがきによると1922年の原書刊行とある。さらに英語Wikipediaでの記述だと1906年の刊行とのこと。
 実際に1922年に原書の定本的な改訂版が刊行されたのか、それとも朋文堂版の翻訳者・野阿千伊の単純な誤認なのか、その辺は未詳。
 
 いずれにしろかなり普通小説に近い作品で、食感だけ大雑把に言えば、日本アニメーションが1990年代までに恒例的に製作していたTVアニメシリーズ路線「世界名作劇場」(21世紀にも一時期復活)、あの雰囲気にすごく近い。
 登場人物を舞台劇的に配置して物語の興味を小出しにし、読者を食いつかせて最後まで引き回す、よくできた新聞小説か雑誌連載小説、ああいった読み物的な面白さがある。

 ちなみにミステリ成分に関しては、たとえばエクトール・マローの『家なき子』が、子供の誘拐と財産家の資産の奪取計画とかの犯罪要素があるから広義のミステリだとか言えるというのなら(笑)、本作の方がはるかにミステリとしての濃度は高い。まあ狭義の謎解き推理小説とは全然呼べないけれど。
 とはいえ作者が書きたいのは、登山という行為への憧憬とその啓蒙、さらに悪人であっても山を本気で愛する者ならその心の中からは一片の人間味が失われることはないという清廉なアルピニズム賛歌で、これはそう思って手に取り、作中の真っ直ぐなアルピニストの心根に打たれるのが一番真っ当な読み方であろう。
 1906年だろうか1922年だろうがいずれにしろ一世紀前後前の作品だけど、ある種の普遍性は時代を超えて心に響くし。
 お話作りがうまいせいか、ああ古風なありふれた作劇パターンだな、と思わせる場面や展開もそんなには無い。その一方でちょっと印象づけられるシーンは相応にある。
 あと大事なこととして、普通の物語なら気になる人間関係上の輪の狭さも、本作の場合は登山家(一部は著名な)同士の知り合いという関係性で補強される事もあって、そこそこリアリティが担保されている。作者がどのくらいまで計算したかは分からないけれど。

 ラストもちょっとだけ力業だけど綺麗にまとめて、佳作~秀作。
 評点は0.5点くらいおまけかな。

No.618 6点 妻は二度死ぬ- ジョルジュ・シムノン 2019/08/13 19:31
(ネタバレなし)
 卓越した技巧から、斯界で高い評価を得る宝石デザイナーのジョルジュ・セルラン。彼が20年近く連れ添う愛妻アネットは、結婚前からの職業ソーシャルワーカーを現在もなお続けていたが、そのアネットがある雨の日、トラックに轢かれて死亡する。しかし事故の現場はセルラン家からは遠く、そしてソーシャルワーカーとしてのアネットの受け持ち区域でもない市街だった。遺された2人の子供を脇にセルランは幸福だったアネットとの結婚生活を回顧し、そして何故、妻がその事故の日、その現場にいたのか探求を開始した。

 1972年のフランス作品。ノンシリーズ作品ではシムノン最後の長編だそうである。
 それで物語の発端は、グレアム・グリーンの『情事の終り』(すみません。設定だけ知っていて実物は未読じゃ~汗~)ほかを思わせる<遺された夫が生前の妻の秘密を疑う>王道パターンだが、本作の場合は、全8章の物語のかなり後の方まで主人公のセルランはアネットがなぜそんな場所にいたか? を突き止めようとして腰を上げたりせず、昔日の回想や自分のもとを巣立ちしかける息子や娘との関係の方に関心の向きを優先させたりする。この物語の流れも深読みすればアレコレと考えられるかもしれないが、作者当人の思惑は意外に素っ気ないものだったかも。
 終盤の展開は(中略)で(中略)。いずれにしろ、なるべく素で読みたい人は、本書巻末の訳者あとがきも読まない方がよろしい。ちょっと余計なことまで言い過ぎてるので。
 ごく個人的には、212~213ページの<彼女>の物言いがすごく印象的。当該人物からのくだんの人間関係のそういう捉え方が、実にシムノンらしく思えた。
 シンプルなストーリーながら、小説好きの人々が集う読書会などで課題本にして、思いついたことをあれこれと語り合うには適当な一冊かもしれない。
 シムノンの長大な創作者としての人生(評者はまだその著作の半分も読んでませんが)。その幕引きを務めた作品のひとつとしては、これもありでしょう。

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人並由真さん
ひとこと
以前は別のミステリ書評サイト「ミステリタウン」さんに参加させていただいておりました。(旧ペンネームは古畑弘三です。)改めまして本サイトでは、どうぞよろしくお願いいたします。基本的にはリアルタイムで読んだ...
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