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人並由真さん
平均点: 6.33点 書評数: 2106件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.726 6点 探偵小説のためのエチュード「水剋火」- 古野まほろ 2020/01/08 18:39
(ネタバレなし)
 2019年の改稿・改題文庫版で読了。
 2019年の完全な新作と思って手に取ったのだが、ところどころにまほろ先生らしさは感じるものの、物語全体の結構は妙にシンプルだな……と思ったら、奥付手前のページを見て11年前の旧作の改稿版と初めて気がつく。なんかいろいろ腑に落ちた。

 青春ドラマとオカルト風味の器の中で、密室(?)不可能犯罪の謎に接近。細かい伏線や手がかりを丹念に拾いながら真相を詰めていく作りは、普通に面白かった。ただ、状況から考えるとどうしても容疑者のキャラクターは絞られてしまうので、真犯人の意外性はあまりない。犯行動機は普通に考えればトンデモの部類だが、まほろ作品世界の中でなら一応は納得してしまう。というか作者も、この文芸は狙ってやったんだろうし。
 あと、被害者の(中略)に関するギミックはあまり意味がないという先の評者さんの見解にはまったく同感だけど、これもたぶん作者はそういうミステリの手法を導入しながら、単に(中略)ネタに持って行きたかったんでしょうねえ。

No.725 8点 卒業タイムリミット- 辻堂ゆめ 2020/01/07 16:46
(ネタバレなし)
 開校5年目の私立高校「欅(けやき)台高校」3年生の卒業式を数日後に控えたその日、3年8組の担任で生徒達の人気も高い27歳の美人教師・水口里佐子が何者かに誘拐された。犯人は彼女を72時間後に始末すると宣告し、自由を奪ったその姿の動画をネットにアップ。明確な要求もないまま、一日に数回、その動画を更新する。警察も介入して高校周辺の教師も生徒も騒乱するなか、元不良の三年生・黒川良樹は「C」と署名のある人物から学校の屋上に呼び出され、この誘拐事件の解決に挑むよう挑戦を受ける。黒川のほかに呼び出されたのは、元サッカー部の荻生田隼平、学年一の美人の小松澪、そして黒川の幼なじみで学年トップの秀才女子・高畑あやね、みな黒川と同じ三年生だった。旧知の黒川とあやねも最近は疎遠で、四人の男子女子にはこれまでほとんど校内外での接点はない。四人はなぜ自分たちが選ばれたのか? との疑念を抱えながら、謎の誘拐事件に対して個々の推理を交換しあうが。

 2019年暮れの新刊。辻堂作品は合作をふくめてまだ数冊しか読んでいないが、とても面白かった。帯には「見事な伏線と鮮やかな結末。爽やかな読後感に包まれる青春ミステリーの傑作誕生!」とあるが、あながち誇張ではない。
 なぜ主人公となる4人の少年少女が選抜されたのかのホワイダニット、作品全体に仕掛けられたギミック、それぞれ決して斬新でも画期的なものでもないが、本作の器と主題によく馴染んだ使い方をしており、その意味で感銘する。
 しかし何より本作で最高級に際立ったのは真犯人の鮮烈な人物造形で、ここまで(中略)なキャラクターというのは、日本ミステリ史上でもかなり有数なのではないか。傷害、誘拐という犯行そのものはもちろん決して許される行為ではないが、その一方で、ある意味、不器用にそこに至らざるを得なかった犯人の(中略)に大きな手応えを感じた。その真相の開陳と同時に物語の細部をひとつずつ丁寧に詰めていくストーリーテリングの妙も、青春ミステリ、ヒューマンドラマミステリとして高い評価をしたい。
(あえていうのなら、最後の最後に明かされる真実に際しての、某・登場人物の反応。そこまで人間、優等生になれるか、とも思ったが、これはきっと私の心の方が、現実の塵芥のなかで煤け過ぎているのであろう……。)

 そういえば昨年2019年は、白河三兎の青春ミステリ路線は出なかったんだよなあ?
 個人的には、(もちろん作風や方向性の多少の異同はあれども)この作品が十分にその穴を埋めてくれた感じ。読んで良かった。

No.724 8点 待ちうける影- ヒラリー・ウォー 2020/01/05 17:27
(ネタバレなし)
 アメリカの地方都市ウォーターベリーの町で発生した、残虐な二件の婦女暴行殺人事件。高校教師ハーバート(ハーブ)・マードックの妻クレアが三人目の犠牲者になるが、その犯人はほかならぬハーブ自身の教え子である、高校生オーヴィル・エリオットだった。オーヴィルが愛妻を殺害しその死体を弄ぶ現場をたまたま直視したハーブは、組み合いの中で相手の銃を奪って銃撃。オーヴィルの男性自身を損壊させた。だが凶悪殺人者として審理されるはずのオーヴィルは精神異常を理由に収監もされず、いま8年間の療養生活によって異常性は完治したと見なされ、自由を得ようとしていた。逮捕から4年もの間、精神病院を3度も脱走してはハーブへの復讐を行おうとし、そのたびに失敗していたオーヴィルの狂気を忘れられないハーブ。現在のハーブは惨劇から8年の日々のなかで新たな家庭を築いて幸福な生活を送っていたが、ふたたび自由を得たオーヴィルの脅威が迫っていることを実感する。だがそんな事態をより劇的な状況に変えてスクープ記事にしようと、地方新聞の若手記者バート・コールズが陰に日向にの、裏工作をはじめた。

 1978年のアメリカ作品。フレッド・C・フェローズ警察署長などのシリーズものと無縁、警察小説ですらないノンシリーズのサスペンス編。
 主題はあらすじに書いたとおり、社会復帰完了を装ったサイコ殺人鬼の襲来におびえ、妻子を守るためにあれこれと対抗策をとる一般市民(高校教師)のストーリー。これにサブストーリーとして主人公ハーブの、総じて学力の低い高校を舞台にした学園ドラマもからみ、小説的にもとても厚みがある。
 白人教師の主人公に対し、逆レイシストの立場で怒鳴り込んでくる黒人の不良生徒の母親の描写など、21世紀の現在でも十二分に通じるモンスターペアレンツの図式だ。
(しかしながら、ネタバレになるのであまり詳しく書けないが、この高校でのサブストーリーが、終盤の本筋であるサスペンスドラマの方にも実にパッショネイトな形で雪崩れ込んでくる筋運びがあまりにも見事であった! この辺りは夜中に読んでいて、大声で(中略)させられた。)。


 正常になった風を演じながら、その実、狂気の復讐の牙を研ぐオーヴィル、必死に家族を守ろう(そして生徒たちのためになる教育をしよう)としながらもいつもいつも理想と常識を信じすぎて(世の中の正義と良識しか見ないというか……)不器用な主人公ハーブ、文筆家として高名になりたいという向上心がひずみをきたし、次第に道を踏み外していくコールズ……が三人のメインキャラクターだが、「4年間、療養所内で問題なしの実績があるんだから、法務上は放免しても何ら問題はないのだ」と無責任にオーヴィルに自由を与えてしまう地方判事、ハーブの恐怖と焦燥に一応の理解は示すものの「何かことが起きるまでは本格的に動けない」の姿勢を頑迷にとり続ける地方警察の面々。
 そういった事件関係者の思惑や各自の立場も必要十分以上に書き込まれ、特に後者(警察)は後者なりの行動規範のロジックがあり、それが救済を求める市民の要望と必ずしも折り合うものではないことを、綿々と傑作・秀作警察小説のシリーズを書き続けた作者らしい視点から、切々と語りかけてくる。それは、誰がいい、悪いというものではなく、そういうものなのだ(少なくとも「現状の文明世界」では)という、警察捜査陣からのリアルな絶叫にも思える。
 地方警察の重職がハーブに語るひとこと「われわれはいつも最初の悲劇に対しては何もできないのです。その最初の悲劇を教訓に法整備された中から、第二の悲劇を防ぐよう奮闘するしかないんです(大意)」は、決して警察は万能ではない、でも大半のまともな警官は、可能な限り必死なんだ(でも限界があるんだ!)という作者ウォーの本音の絶叫でもあろう。
(人間社会、どっかで妥協や折り合いは必要だ、だが、それを当たり前に言って良いのか、という文明批判を裏側に仕込んでいるようにもとれる。)

 クライマックスの展開(主人公ハーヴ側とオーヴィルとの三進二退のシーソーゲーム)も強烈なテンションで、残りのページがどんどん少なくなっていくなか、本当に物語に決着が突くのか……とも思わせるが、ラストは破裂寸前の風船が急速にしぼむように、加速的な勢いで終焉を迎える。その最後に残るもの……それは次にこの本を読むあなた自身の目で確認してほしい。たぶん色んなものが見えるだろうと思う。実際、評者は、このクロージングに、二つ~三つ以上のミーニングを感じた。

 これまでウォーの作品の中でも、最高級に面白かった。なにしろ夜中の12時過ぎに読み始めて、半分は明日にしようと思いながら、とうとう最後まで本を手放すことなどできず、結局は4時間半でいっき読みだったので(笑)。

 ただし、これまでのフェローズ警察署長もののような、いわばA級の職人・技巧派的な感覚がかなり希薄になり、どっちかというと80年代に隆盛するネオエンターテイメントの諸作とか、キングとかクーンツ作品のような「ゴージャスなオモシロ小説」的な食感の方がずっと強かった。
 すんごく熱量を感じた一冊だけど、本来はそういうものをウォーの作品に求めてはいないんだよね、という気分もある。それでも評点はかなり高くつけたい。いや、実際、9点でもいいかとも思った瞬間もあったんだけど、いま言った部分がやっぱり引っかかるので、この位で。

No.723 7点 裸のランナー- フランシス・クリフォード 2020/01/04 23:32
(ネタバレなし)
 1960年代半ばのイギリス。事務用品メーカーの重役で43歳のサム(サミュエル)・レイカーは通勤中のその朝、トラックに轢かれそうな若い母親と赤ん坊を危機一髪のところで助ける。レイカーはかつて第二次世界大戦中にドイツに潜入し、戦闘工作員として武勲を立てた過去があり、新聞はその功績にからめて彼を英雄扱いした。そんなレイカーは近日中に、父一人子一人の息子14歳のパトリックを連れて、東ドイツ内の国際見本市に向かう予定であった。そのレイカーのもとに、かつての大戦時代の上官で今も諜報活動の世界に身を置く男マーチン・スラタリーから十数年ぶりの連絡が来た。新聞記事を見たというスラタリーの要件は、東ドイツ内に潜伏するある英国側のスパイとの接触を願うもので、それ自体はごく簡単な任務だが、そのスパイの名を聞いてレイカーは愕然とする。それは彼自身の癒えることない心の傷となっている、大戦中の記憶に深く関わる人物の名だった。

 1965年の英国作品。日本でも60年代から80年代にかけて数作が紹介され、イギリス正統派エスピオナージュの書き手として一時期はそれなりの評価を得ていたものの、21世紀の現在ではほとんど忘れられてしまった作家フランシス・クリフォードの代表作のひとつ。
(とはいえ評者もクリフォード作品は大昔に1~2冊読んだか読まないかで、もしかしたら今回が初読かも? と言う程度の付き合いだが。ちなみに例によって本だけは大昔に買ってあった~汗~。)

 ハヤカワノヴェルズ版で300ページちょっと。本の束そのものはまあまあの厚さだが、中の本文は一段組だし、しかも翻訳は名訳者・永井淳(キングの『呪われた町』ほか)。会話もそれなりに多いし、ストーリーはハイテンポに進んでいく。これはもう淀みなく読める最高級のリーダビリティの高さであった。
 東ドイツ内に渡った主人公レイカーだが、中盤以降も二転三転の状況の悪化に見舞われ、ついには(中略)と思ったら、さらに……(中略)。
 うん、まあ、こういうあれやこれやの筋立ての勢いで言えば、初期のマイケル・バー=ゾウハーにも負けない作りで、一言で言えば良く出来た秀作。
 しかし最後のネタが暴かれれば、この(中略)そのものにそこまでの必然性はあったのか? という部分もないではないが、その辺は一歩引いて物語全体を俯瞰するなら、(中略)の思惟のなかでは「そう思いついても良かったこと」でもあり、ひとつの状況の道筋としては間違っていない。
 ラストのなんとも言えない甘苦い余韻も、いかにもこういう作劇の形を採ったエスピオナージらしい。

 本レビューの最初のあらすじは全体の5分の2くらいで、中盤からの(中略)がキモの作品なので、ネタバレを警戒して具体的にあんまり言えないのが何だが、いずれにしろフランシス・クリフォード、評判だけのことはある。
 残りの翻訳されている未読の作品、読んだかもしれないけれど内容を忘れてしまった作品、少しずつ読んでいこう。

No.722 5点 プロレス連続殺人事件- 三谷茉沙夫 2020/01/04 16:16
(ネタバレなし)
 1980年代の半ば。新日本プロレスと全日本プロレスの二大勢力を頂点に、群雄割拠の様相を呈し始めた当時の日本プロレス界。比較的規模の大きい新興団体「ワールド・プロレスリング」の中堅レスラー、ジャガー・大城は、プロレスラーとしてのさらなる躍進を図っていた。大城を応援するのは、恋人でOLの広瀬有美と、夕刊紙「オールスポーツ」のベテラン記者、馬場。興行をより盛り上げるために日々奮闘するワールド・プロレスリングの所属レスラーたちだが、そんなある日、彼らの仲間の一人が自宅で何者かに殺される事件が起きる。やがてしばらくして、思いもよらない状況の中で第二の惨事が……。

 作者・三谷茉沙夫(みたに まさお)は1970年代から活躍した著述家。エンターテインメント小説から歴史読み物本まで幅広い活動を為したが、ミステリ関係では初期は「コロンボ」シリーズの和製ノベライズ数冊(「訳者」名義で出した『死者の身代金』『死の方程式』ほか)を手がけたのち、80年代にはオリジナルの実作にも進出。本作はその三冊目になる。

 例によって、webで目に付いた愉快な題名(笑)と、Amazon古書価の高騰ぶりに興味を惹かれて、借りて読んだ。

 それでも一種の業界ものとして、当時のプロレス界の躍動を語る筆致にはかなりの熱気と真剣味があり(たぶん作者の得意なフィールドなんであろう)、主人公のジャガー・大城の視点や三人称の記述を介しての斯界への見識ぶりやトリヴィアの羅列はけっこう読ませる。プロレス小説としての成分が全体の5分の3くらい。
 一方でミステリの部分は一応はフーダニット、ハウダニットのパズラー。最初の殺人に関しては既存トリックの流用だし、さらにそんなに犯人の思惑どおりに行くかな? 検死でバレない? などの不満は感じるが、伏線の張り方の妙な手際は、ちょっと印象に残るかも。
 それなりにまとまっている、特殊な世界を舞台にしたB級ミステリだとは思うが、後半のストーリーの展開がエンターテインメントとしてどうなの? という感じなのが残念。まあそれで作者の言いたいこと、やりたかったことも何となく分からないでもないが、書かれた筋立ての(中略)は最終的にそれに釣り合ったかどうか。

No.721 5点 黄金の鍵- 高木彬光 2020/01/04 01:31
(ネタバレなし)
「わたし」こと34歳の有閑未亡人でミステリマニアの村田和子は、40歳代と思われるハンサムで知的な紳士・墨野隴人(すみのろうじん)と出会い、恋に落ちる。墨野の秘書兼友人の上松三男を交えて和子と墨野の交流が進む一方、その和子は亡き夫の従姉である児玉洋子から、洋子の夫の晴夫についての相談事を受けた。さらにもう一人、やはり亡き夫の友人・重原鋭作から、彼の家に現れた怪しい僧侶について悩み事を聞かされる和子。ざわつく周囲の中で、やがて殺人が発生。そしてその喧噪の中から、幕末の英傑・小栗上野介が隠したとされる幕府の財宝の伝説が聞えてきた。

 高木彬光の後期~晩期の主要シリーズ「墨野隴人」ものの第一弾。
 ちなみに本作の元版は光文社のカッパノベルス書下ろしで、初版は昭和45年11月10日刊行の奥付。なんかしらんけど、現状のAmazonではカッパノベルス版の刊行時期の表記がオカシイ。今回はこのカッパノベルス版で読んだ。
(同年11月15日の第7版。異常にハイペースな重版だ(爆笑)。)

 そこでまたミステリファンとしての私的な述懐になるが、評者はこのシリーズ、一番最初に第二作の『一、二、三-死』を読了。それ以降は第三作から最終巻の第五作まで順々に追い掛けた。
 なんで『一、二、三-死』から読んだかと言うと、大昔にあるミステリガイドブック(『推理小説雑学事典』廣済堂出版)の本文記事で、思いきりそのトンデモな趣向をネタバレされたものの、この場合はそれが苦にならず「そりゃすごい、読みたい!」と飛びついたため(笑)。
 今でも『一、二、三-死』のあまりにもぶっとんだ(アホな、かもしれない・笑)真相は大好きである。

 しかしその一方で、風の噂ではこの第一作『黄金の鍵』はあんまり評判がよろしくなく、そうこうしてるうちに第三作でシリーズ最大の破格編? 『大東京四谷怪談』が刊行。ここで妙に盛り上がったのち、続く第四作『現代夜討曽我』は凡作だったものの、最終巻『仮面よ、さらば』があの仕掛け! ギャー!! となる。
 ……つーことで、もう今さらこの第一作『黄金の鍵』なんか読む必要ねーや、的な気分でウン十年もいたのだが、いいトシになった今、まあそろそろ読んでもいいかな、と思って手に取ってみる。
 本書、そして墨野シリーズについては、そんな流れでの長い付き合い、というワケでして(笑)。

 でもって単品としてのミステリ『黄金の鍵』の評価だけど、……うん……まあ、シリーズ最低作(というかまるで印象に残ってない)『現代夜討曽我』よりはいくらか面白い(笑)。

 しかし、ややこしい人間関係の綾を、最後の最後にけっこう大雑把に、悪い意味の大技で処理した感は拭えない。それに細部の謎解きの雑さ(結局、軽井沢で死体が見つかった真相はアレでいいの? あと第一の殺人はああいう事後処理をする意味があったの?)もあって、マトモなパズラーとしては、まあボチボチの出来だろうね。
 他の評者の方もおっしゃっているけど、小栗上野介からみの財宝についての歴史推理の方がまだ楽しめる。その歴史部分がなかったら、たぶん評価はもう一点減点。

 ところでミステリファンを自称し「ミステリの鬼」ならぬ「(ミステリの)女鬼」を自認する主人公ヒロインの和子だけど、モノローグの中で語る知識にいくつも勘違いがあって妙に楽しい(笑)。
 ポーの『黄金虫』がデュパンのデビュー作だとか(え!?)、名探偵クロフツ警部だとか(フレンチのことらしい)、愉快なツッコミ所が続出(笑)。
 今回は元版のカッパノベルス版で読んだから、のちの文庫版では改修されているかもしれないが……あ、もしかしたらこの描写も(中略)のための(中略)なのか? (たぶん違うだろーけど。)

 ……そーいや第十四章前半の、あのセリフ。アレももしかすると……だとしたら、高木彬光、改めておそるべし!? 
(↑いや、それもきっと、たぶん違うとは思うが……(汗))

 最後に、第十七章で、上松が語った墨野とマタ・ハリの娘との過去の悲恋の逸話。あれも、どこまでが……(以下略)。

 いやー、改めて本当に奥の深いシリーズですの~(笑)。こわいこわい。

No.720 6点 大時計- ケネス・フィアリング 2020/01/03 11:45
(ネタバレなし~少なくとも後半の顛末は)
 大手出版社「ジャノス社」で犯罪実話雑誌の編集長を務めるジョージ・ストラウド。彼は愛する妻子がある身ながら、なりゆきから、自分の会社の社長アール・ジャノスの美しい愛人ポーリン・ディーロスとW不倫関係になる。密通を続けるストラウドだが、その夜、彼が帰った直後、愛人に別の男の影があることに気付いたジャノスがポーリンを詰問。口論の果てにジャノスはポーリンを殺してしまった。ジャノスから事実を打ち明けられた腹心の編集局長スティーヴ・へーゲンは、会社の存続のため犯行の隠蔽を示唆。当夜、その現場にいたらしいポーリンの愛人=謎の男をまずは探して何らかの口封じを考える。口実を設けて会社の人間を使い、マンパワーで謎の男を探そうと考えるへーゲン。だがその役目は、その<謎の男>の当人ストラウドに託されるのだった。一方でストラウドは犯行の夜、ジャノスを見かけたことから彼が真犯人だと確信。だが警察に通報することは自分の不倫関係を明らかにするため、二の足を踏んだ。ストラウドは、自分が率いる調査チームを誘導し、彼らの視点からジャノスの犯行が暴かれるようにとも考えるが……。

 1946年のアメリカ作品。評者が本作の存在を最初に知ったのは、今からウン十年前の少年時代、中島河太郎の名著『推理小説の読み方』の中。そこで新時代のサスペンススリラーとしていかにも面白そうに、他の近代の名作と並べて書いてあった。それでそれから数年内にそこそこのお金を払って、絶版かつ当時は稀覯本のポケミスを古書で入手。だがなんとなく積ん読のうちに、例の新作映画版(ケビン・コスナー主演の『追いつめられて』)にあわせてミステリ文庫版が出てしまう。やがて、そっちで読んでもいいかと思って同文庫を古本で買ったが、いざとなるとあまりにイメージの違う映画ビジュアルの表紙に抵抗を感じ、今日まで放って置いた(同じ作者の『孤獨な娘』は3年半前に読んだ)。そういう面倒くさい流れである。

 ちなみに翻訳はポケミスもミステリ文庫版も同じ長谷川修二の訳文だが、後者は1980年代の編集部の方で大幅に手を入れたらしく、ずいぶんと言葉づかいを改訂。ずっと読みやすくなっている。
 今回の評者は当初、大昔に大枚はたいて買った、風情のある訳文のポケミスで読もうと思ったが、並べて紙面を見るとさすがにリーダビリティはミステリ文庫版の方が格段に良い。そういうわけで割り切って、ミステリ文庫版で読んだ。もちろん手製の紙のカバーをかけて(笑)。

 それで内容の話だが、本作のミステリ的な眼目は言うまでも無く「ほかならぬ自分を探すように指示された主人公」であり、ほとんどこの着想ひとつで勝負の作品と言って良い。
 個人的には、クリスティ再読さんが指摘している詩人ならではの文章の妙というのは、長谷川修二プラス新世代ハヤカワ編集者の訳文を介してはあまり感じなかったのだけれど(すみません)、くえない女流画家ルイーズ・パターソン相手の二度にわたるやりとりや、最後の物語的な決着など、物語上の印象的な場面状況の方の叙述の面白さは、十分に感じる。
 総体的には、妙に背徳感の忍んだ文芸性を感じさせる都会派サスペンススリラーだろうし、そういう意味では最後までサスペンスフル、ハイテンションで楽しめる。

 ただし「自分を見つける使命」という窮地にあってうろたえる主人公ストラウドだが、不倫の発覚と、殺人容疑者の冤罪を着せられるあるいは真犯人から口封じさせられる、という危険性を天秤にかけるなら、どうしたって後者の方が重いわけで。ミステリ文庫版の巻末で瀬戸川猛資が指摘した問題点も踏まえて、実は本作の大設定には相応に無理がありすぎる。
 これはたぶん本作の趣向の着想が、(ポケミスの巻末で乱歩も話題にしている)あのサスペンスミステリの大名作の変奏から生じたためであって、そう考えるとそのアイデアの面白さに気を取られ(実際にストラウドの周囲に、彼の部下たちが集めた証人たちが集まってくるシーンのサスペンスなど絶妙である)、脇の甘さを固めなかった弱さがあるだろう。


【以下数行、ややネタバレ】




 とはいえ、不倫の事実を妻子に知られないように貞淑さを装うべく躍起になっていたストラウドだが、実は奥さんの方は、旦那の以前の浮気事実を知っていた(夫なんかその程度の人間だと、もともと見ていた)という、主人公の行動原理を一瞬で無意味にするどんでんかえしなどはけっこうキツイ。
 さりげないが、こういう残酷な皮肉こそ、作者が書きたかったポイントのひとつかもしれない。
  



【ネタバレ解除】

 ……というわけで得点的に見れば7~8点、一方でいろいろもっとやりよう、作劇のしようはあったんじゃない? という減点を勘案して評点はこのくらいに。
 ただまあ『孤獨な娘』とあわせて、作者フィアリングが、ちょっと変化球の気になる設定のミステリを書く作家ということは思い知った。実際のところミステリの著作はそんなに多くはないみたいだけど、乱歩の紹介記事の時代からちょっと海外でも話題になっていた未訳作「心の短剣」とか読んでみたい。こういうのも論創あたりで出ないかな。

No.719 5点 「阿い宇え於」殺人事件- 草野唯雄 2020/01/02 21:05
(ネタバレなし)
 東京・青山にある大企業・東洋商事の本社。そこではポルターガイストを思わせる怪奇現象が続発していた。そんななか、経理課のOL阿妻輝子と入間多喜子が、屋上から墜落死した。生前の輝子の横領事実が明らかになるなか、多喜子の方が彼女を脅迫していたとの見方も深まる。これに納得できない多喜子の妹・美佐は独自の調査を開始するが、やがて経理課の同僚・宇田昌代が殺されるに及び、事態は「アイウエオ連続殺人」の様相を示して……。

 あの『死霊鉱山』と並ぶ草野唯雄の問題作とかバカミスとか言われているらしい(?)ので、以前から購入しておいた本を、本日気が向いて読む。
 構想の初動から十数年かけて書き上げた作品と言うが、真犯人というか黒幕の正体は当初から見え見えだし、何よりこんなに計画がうまくいくわけねーだろという筋立て。さらにポイントとなる(中略)の犯罪の実体を仔細に検証もしない警察は完全に無能。
 とまあ悪口ばかり書いたが、ミステリとしての狙いというかこういう作劇もありだよね的な茶目っ気は嫌いになれない。オカルトホラーとミステリの分水嶺ぶりも、これはこれでアリだとは思う。最後のオチもスキを突かれた。

 二時間ちょっとで読めましたし、良く出来た謎解きミステリなどとは絶対に言えないけれど、奇妙な魅力もある作品。草野唯雄作品はこういうものこそをタマに読みたい……と言い切っていいのか?

No.718 6点 三人のイカれる男- トニー・ケンリック 2020/01/02 18:26
(ネタバレなし)
 健忘症に悩まされる35歳のジェームズ・ディブリー。存在しないはずの母親が見える40歳前後のチャーリー・スワボタ。本来の温和な青年とタフガイ、妖艶な美女と、三つの人格を備えた30代初頭の多重人格者ウォルター・バード。彼ら3人はNYの精神医療施設で知り合い、友人づきあいしていた。だがある日、3人が共用するオンボロの中古車が、整備不順な市道の穴に落ちて大破。怒った3人は、NY市を相手にした損害額150ドル(たった)相当の現金奪取作戦を考案した。この計画に反対しながらも、次第に巻き込まれていくディブリーの恋人キャロル・マース。だが3人の考えた作戦をふと耳にした別の悪人一派が、そのアイデアをさらに拡大。大規模な犯罪計画を準備し始める。

 1974年のアメリカ作品。ケンリックの長編としては『殺人はリビエラで』『スカイジャック』に続く第三作目だが、先にminiさんがレビューに書かれた事情で翻訳刊行は後回しになった(ケンリックの邦訳としてはこれが10冊目にあたる。つまり7作分、後発の原書が先に訳された訳で)。

 金が無い主人公トリオが犯罪計画の準備のため、強引にことを進める中盤からがおなじみケンリック流ギャグコメディの本領発揮。
 新車を調達する際の、どっか赤塚マンガを思わせるドタバタ劇や、犯罪計画に必要なあるものを奪取するため、囮役のキャロルにストリップを無理矢理させて衆人の注意を引くムフフな描写など、マルクス映画の出来のよい作品? という感じで笑わせる。

 ただし本作の眼目のハズの主人公3人のイカれた精神設定は今ひとつストーリーにイカされず(ウォルターの多重人格ネタはそこそこ重宝されたが)、実際のところ主人公トリオの向こうで、より真剣に悪事を企てる別の悪党一味の方が本当のウラ主役という感じで、後半の物語の機軸になっていく。
 たぶん作者ケンリック、書いていくうちにそっちの連中の方に感情移入しちゃったんだろうね(ラストのひねりや山場も、ウラ主役の悪党一味の方の比重が大きい)。
 別々の主役チームの物語を並列して語り、最後に双方を交錯させる手際はまあ悪くないが、作者の当初の構想を外れた? 計算違いの感覚も覗える完成度。
 それでも事件総体の決着を紙幅の限りギリギリまで引っ張る小説的作法など、この辺の初期編からすでに作家としての手慣れた印象も抱かせる。
(反面、最後になって、まったく忘れられちゃった脇役などもいるような……。)

 全体的にはフツー以上に充分オモシロかったし、これまでのケンリックの作品なら印象的な名場面がふたつみっつ心に残ればオッケーという感覚なので、本作も十分にそういったスタンダードはクリアしている。
 ただし本作のこの趣向、この文芸設定なら、もっと伸びしろはあったよなあ……的な不満も覚えないでもないので、評点はちょっときびしめにこのくらいで。

No.717 7点 見知らぬ町の男- ブレット・ハリデイ 2020/01/02 04:18
(ネタバレなし)
 遠方の町モビルの友人のもとで、一週間の休暇を楽しんだ私立探偵マイケル・シェーン。彼はその夜、自宅兼事務所のあるマイアミまであと三時間というところまで車を走らせていた。シェーンは初めて足を踏み入れる、人口約4万人の町ブロックトンのバーで一服しかける。だが店内に現れた美しい娘が訳ありげにシェーンに話しかけ、さらに彼女と入れ替わるように荒事師風の男が二人登場。男たちは店の表に連れ出したシェーンを失神させ、轢死に見せかけて謀殺を図った。必死に窮地を脱したシェーンだが、初めて訪れた町、たまたま入ったバー、見も知らぬ女、何もかもが殺される理由には結びつかなかった。シェーンはわずかな手がかりを頼りに、独自の調査を始めるが。

 1955年のアメリカ作品。マイケル・シェーンシリーズの長編第25弾で、日本に紹介された正編の中では比較的後期の一冊。当然ヒロインは二代目の、秘書ルーシイ・ハミルトンに交代している(すでに完全に恋人関係みたい)。
 なぜ何のゆかりもないたまたま訪れた町でシリーズ探偵の主人公が狙われたのか? キーパーソンらしきゲストヒロインの行動の意味は? という冒頭の謎(一種のホワイダニット)が結構なフックとなる。さらにシェーンがブロックトンの町で調査を進めるうちに、ある女性の事故死事件、さらに青年地方検事補の焼死事件などが浮かび上がってきて、それらの出来事がどう結びつくのかの興味で、全編のテンションはなかなか高い。約180頁と短い紙幅だが、それだけにストーリーの凝縮感はかなりのもの(さらにルーシイが留守番をしている事務所の方にもちょっとした事件が生じ、そういう趣向を介しての物語的な立体感も備わっている)。
 ミステリ全体としてはある種のホワットダニットの系譜で、真相となる地方都市の悪事そのものは底が割れればやや凡庸だが、そこまでのジグソーパーツを順々に並べていく手際、少しずつ事件の実体を明らかにしてゆく筋運びは見事な職人芸。謎解き要素をはらんだ軽ハードボイルドのエンターテインメントとしては水準以上の秀作であった。
(序盤のメインゲストヒロインとシェーンの接触の真相も、個人的にはなかなか面白い着想に思えた。)
 
 以下、もろもろ思うこと。
・ポケミス裏表紙のあらすじが例によって適当。シェーンは休暇を楽しんだのちマイアミに帰ってきて途中でブロックトンに寄るのだが、裏表紙では「仕事を終えてマイアミに帰る途中」とある。本文しっかり読んでないだろ、当時の編集。

・(やや分からず屋の)地方警察に拘留され、とりあえず釈放されるために妙に下手に出るシェーンがちょっと悲しい。シリーズが進んで角が丸くなった感じ。

・ポケミス126ページ目に、ゲストヒロインとシェーンの会話で
「女をひっぱたいたり、服をおっぱがしてまわる私立探偵? 映画にでてくるマイク・ハマーみたいに……」
「ぼくは、マイク・ハマーとはちょっと違う」
 というのが出てきて爆笑した。ここで話題にされたハマーの映画って当然、本作と同年(1955年)に公開の『キッスで殺せ!』(ロバート・アルドリッチ監督作品)のことだろーな。

・ネタバレになるからくわしくは言わないけど、シェーンシリーズのファンにとって一番嬉しかったのは、ポケミス150ページの下段で、シェーンがメインゲストヒロインに向かって告げたさる一言。めちゃくちゃ泣けた一言ではあったが、それだったら序盤の当該シーンでも、もうちょっとソレっぽくシェーンの内面をチラリと描写しておいて欲しかった。シェーンシリーズは一人称でなく三人称なんだから、主人公の内面の覗き込みの深浅もけっこう自在にできると思うんだけれど。でもなんかこの辺の不器用なところが、妙にハリディっぽい、シェーンシリーズっぽい気もしないでもない。

・終盤、ある職業を突き止めるのがミステリ的な興味の上での重要なポイントとなるが、そこに至るまでのシェーンの推理の論理。これは言語感覚的に、まず日本人にはわからないね。向こうの人(現地のアメリカ人)でも、この説明で納得がいったのかどうか、ちょっと疑問も覚える。

No.716 7点 さらばその歩むところに心せよ- エド・レイシイ 2020/01/01 18:06
(ネタバレなし)
「おれ」こと、父親ネイトを敬愛し、相手からも深い愛情を受けて育った少年バッキー(バックリン)。だが彼は意外な出生の秘密を知ってネイトとの袂を分かち、朝鮮戦争での兵役を経て、もと幼馴染の女房エルマを養うために警官となる。生活水準を向上させるため、自分のなかの良心とぎりぎりの折り合いをつけながら日々の収賄なども厭わないバッキーだが、そんな彼はある事件を利用して功績をあげ、私服刑事になるチャンスを掴んだ。バッキーは老獪な先輩刑事のドック(ハリー)・アレキサンダーと組んでの職務のなかで、百万ドルの身代金が要求された幼女誘拐事件の捜査に参加するが……。

 1958年のアメリカ作品。評者が先に読んだ、翻訳ミステリファンにもややマイナーな(?)二冊『褐色の肌』『死への旅券』がともに秀作~傑作だったエド・レイシイ。本作はそのレイシイの著作のなかでも評判の良い代表作のようなので、これも相応に面白いだろうと予期しながら読み始めたが、十分以上に期待に応えた出来であった。
 ストーリーは、すでに決定的な事態が起きてしまった状況から開幕。そこから主人公バッキーの回想形式で、少年時代、従軍時代、そして警官になってからのエピソードが順々に積みあげられていく。作者も読者もふくめておそらく大半の人間がそうであろう、人の心の中にある善と悪との振幅ぶりを個々の挿話を介してドラマチックに語りながら、次第に抜き差しならぬ局面にはまっていくバッキーの内面と行動の軌跡をつまびらかにしてゆく。
 評者が先に読んだレイシイ作品の二冊同様、何よりも小説として実に読ませるが、最後のミステリとしての大技も切れ味鋭い。
 いや、本来なら冷静に読んで、本作のこの(中略)を意識すれば先読みすることは十分に出来たはずなのだが、語り口のうまさに引き回されて視界を狭くされ、うまい具合にぶん投げられてしまった。作者がその辺まで計算しながら書いてるのだとしたら、実によくできた作品だと思う。
 それでも最後のツイストは、(中略)ながらも見事に(中略)を決めた爽快感でニヤリ。大事なことだが、これもこの作品ならではの文芸があったからこそ際立った(中略)である。

 つーわけで、評者にとってレイシイ三冊目の本作もまた、十分に秀作であった。ただし一方でこれが、レイシイの中で特にすごい、突出した作品だとはまったく思わないけれど(それくらいどれもレベルが高い)。
 
 しかしポケミス巻末の都筑の解説にある、この作品の前にレイシイが書いた(エイヴォン・ブックスからぺーパーバックオリジナルで出した)あまり評判のよくない、出来の悪い二冊、というのが妙に気になる。いや、現状の感触からいうと、レイシイがそんな出来の悪い作品なんか書く事あるんだろーかという感じで。実際には、かなり打率のいい作家なんじゃないだろうかねえ。
 シリーズものもいくつかあり、未訳のものも少なくないんだから、21世紀のこれからもいくらでも発掘してほしい作家の筆頭だけどね。

No.715 7点 ラス・カナイの要塞- ジェームズ・グレアム 2019/12/31 16:23
(ネタバレなし)
 スペインの海辺の寒村。「わたし」こと元イギリス軍少佐オリバー・バークレイ・グラントは、現地で知り合った女流アーティストの恋人シモーヌ・デルマスと有閑の日々を送っていた。だがグラントを何者か奇襲し、さらに以前の顔見知りの俳優ジャスティン・ラングレイが彼を拉致する。グラントが連行されたのは元アメリカ・マフィアの大物ディミトリ―・スタブロウの屋敷だった。グラントがかつてベトナム戦争に従軍し、人質救出作戦で高い成果をあげた事実を知るスタブロウは、政治犯としてして収監されている義理の息子スチーブン・ワイアット青年の脱獄と救出を願い出た。だがスチーブンが捕らわれている監獄とは地上150フィートの断崖上にあり、600人の兵士に守られている「ラス・カナイの要塞」だった。グラントは、愛する年の離れた目の不自由な妹ハナを人質に取られ、やむなくこの要請に従うが……。

 1974年の英国作品。ジャック・ヒギンズが他に複数持つペンネームのひとつ「ジェームズ・グレアム」名義で書いた長編の第四作目(※)。同名義の著作は先に『サンタマリア特命隊』『勇者たちの島』の二冊が翻訳刊行され、後者は評者の評価基準で最高級のド傑作。前者は未読だが、先に読んだ友人の感想ではなかなか良かったようである。というわけで、正直、当たりはずれの大きいヒギンズの諸作だが、このグレアム名義の作品ならばイケるのでは……と思って今回は手に取った訳だった。
 
 で、読んでの感想だが、いや、これは期待通りに出来が良い。設定が固まるまでの物語の流れ、仲間を集めての作戦決行、中盤以降の複数の山場の配分と、脇役キャラクターたちの印象的な素描……と、各パートごとにかなり得点要素(見せ場とツイスト)の多い活劇エンターテインメントになっている。
 小説の作法もフットワークが軽く、本文は基本的には(あらすじに書いた通り)主人公グラントの「わたし」視点という一人称で語られるのだが、作戦遂行中にどうしてもやむなく描写上でのカメラを切り替えなければならない場合、臨機応変に別キャラクターの三人称叙述を導入。まずストーリーを潤滑に転がしてゆくことが第一で、大事だと、作者の方でも十全に心得ている。
 物語後半、大小の局面で二転三転する逆転劇も鮮やかで、伏線の拾い具合の巧妙さも、キャラ同士の距離感の自然な叙述も、それぞれ堂に入った感じ。
 先日読んだヒギンズの初期作『復讐者の帰還』(1962年)は、まだまだ青いなあ、(悪い意味で)若いなあ……という印象だったが、あれから十数年を経て書かれた本作では、冒険小説作家としての作者の確実な成長を感じる。

 それでも本作の大枠では、この種の任務遂行もの作品のフォーマットに、良くも悪くもきちんと収まっている(収まりすぎている)面もあり、その分、突き抜けた傑作というか、前述の『勇者たちの島』のような高質な文芸の獲得感までには至らない。とはいえ、一応は十分以上によくできた冒険活劇小説。
 全文をあと二割くらい長めに描いて、サブキャラの厚みをもうちょっと増やしてほしい面もないではないが、現状でも十分に水準以上の出来にはなっている。最後の(中略)ながらちょっとだけ(中略)結末も切ない余韻があっていい。
 ヒギンズの諸作の中では、ガーヴみたいな職人派のサスペンス冒険小説に近い感触の一冊といえるかもしれない。

※本書『ラス・カナイの要塞』の訳者あとがきには、この作品が本名義での第三作とあるが、実際には(のちに邦訳が出た)『暴虐の大湿原』の方が本書の先で、そっちが第三作になるらしい。従って本作『ラス・カナイの要塞』は四作目。

No.714 7点 虹男- 角田喜久雄 2019/12/30 20:45
(ネタバレなし)
 夕刊紙「新東洋」の青年記者・明石良輔は、都内のペット売り場で続発する金魚毒殺事件をマーク。不審な少年の犯行現場を目撃した。良輔はその少年の遺留品である紙片を回収。そこに書かれていたのは「摩耶家」に近く起こるとされる「虹の悲劇」という謎の文句だった。摩耶家とは、実験物理学の権威で、変人として知られる摩耶竜造の家庭と目星をつけた良輔。彼は、懇意の警視庁の刑事・岡田警部とともに同家に接触を図るが、間もなく同家のゆかりの者たちが「虹が見える」と言い残しながら、続々と不審な死を遂げていく。そんな事件の陰には、陰陽道の時代から摩耶家に伝わる伝説の怪人「虹男」の存在が……!?

 1947年に「第一新聞」に連載された、謎解きスリラーの新聞小説。
 評者は20~30年年前に、テレビの深夜放送でノーカット放映された大映の映画版(特殊効果の映像が一部現存していないが、それ以外はほぼ完全版)を視聴し、作中の重要なキーワード「虹」の正体はその時に知った。
 たしか、あちこちの書籍などに掲載されている映画版の解説を読むと、この虹の正体について触れていると思うので、原作や映画のネタバレを回避したい人は映画版の解説記事などは、なるべく遠ざけた方がいいかもしれない(全部が全部、ネタバレしている記事ばかりではないだろうが)。

 とはいえ現時点の評者は、大昔に観た映画の内容もほぼ忘却。その「虹」の正体以外はまったく記憶がないまま、今回、原作の本書を読んだ。だからストーリーがどれくらい小説と映画で違うかもわからない。もちろん(初読なので)原作小説の事件の流れも犯人も、まったくわからない。今回はそういうポジションで通読した。

 それで読み終わっての感想だが、原作小説に関しては、思っていた以上にしっかりした(通俗スリラー的な興味は濃いものの)「館もの」風の謎解きパズラーで、フーダニット。
 連続殺人の進行のなかで登場人物の頭数が減ってきて容疑者が絞られてしまうという、おなじみの構造的な辛さはあるが、作者の方も(当時のこの種の作品としては)相応の工夫と趣向を凝らし、相応の意外な着地点にまで読み手を引き込もうと努力している。まあ70年も前の旧作だから(中略)な部分も少なくはないが。
 事件の真相はやや破格な面もあるが、登場人物それぞれの心理の交錯を踏まえるなら一応は納得の行くものだし(前述の容疑者が絞られてゆくことなどへの勘案や対策は乏しいが)、怪奇趣味の漂う館もののサスペンススリラーに謎解き要素を組み込んだ作りとしては、まずますの佳作~秀作であろう(手掛かり&伏線の中には、結構ニヤリとさせられるものもいくつかある)。

 代表作『高木家』ほどの風格やある種の文芸味は無いが、これはこれでなかなか腹ごたえのある一編。

No.713 7点 からみ合い- 南條範夫 2019/12/27 12:16
(ネタバレなし)
 昭和30年代の前半。大企業・東都精密機械KKの社長・河原専造は、胃癌で自分の余命があと半年と知る。当初は若い美人の後妻・里枝に莫大な財産を全て遺すつもりだった専造だが、里枝が自分の生前から弁護士を訪ね、遺産の行方を気にかけている事実を知って憤慨。専造は、先妻の美代子や別れた3人の愛人、それぞれとの間に生まれながら、今までは気にもかけなかった自分の息子や娘たち4人を探し出し、相続の候補者にしようと考える。かくして会社の秘書課の面々、そして若手弁護士の古川菊夫が、4人の相続人候補者の現在の行方を追い求めるが、そんな事態のなかにはあまりにも多くの人間達の欲望が渦巻いていた。

「宝石」の1959年7月号~12月号にかけて連載。その後、同年の12月に光文社のカッパノベルスで刊行された長編。日本の昭和ミステリ界に絶大な貢献を果たしたカッパノベルス、その記念すべき第一弾という栄誉を担う作品でもある。
 内容はあらすじの通り、資産家の莫大な遺産相続を巡って多数の登場人物の欲望と悪徳が絡み合う物語。(ちなみに専造の総資産6700万円というと、現在の数字ではそんなに巨額でもないが、今日の金銭感覚ではその10倍くらいのイメージか?)
 登場人物のほぼ大半が悪人か自己中心的な人物であり、ある意味では特定の作中人物の誰にも感情移入する必要もなく、全体の物語の流れの上での駒のようにキャラクターに付き合える。そんなドライな感触がえらく心地よい小説でもある。
(なお、最新の徳間文庫版には作者の旧版(81年の旧・徳間文庫版)のあとがきが再録されているが、そのなかで、本作を読んだ知人から「悪人ばかりの作品だ」と言われて、そこで作者がほとんどモブキャラの脇役の名をあげて「いや善人も少しはいるよ」と強引に言い訳しているのが妙に微笑ましい・笑。)

 元版のカッパノベルス版では解説担当の中島河太郎は「横行するサスペンス」と評した一文を寄せていたようだが、実際に今回読んでみると、サスペンス要素は皆無ではないものの、悪党や半悪人たちの織りなす人間喜劇を楽しむ感覚の方が強い。
 執筆時期の作者はウールリッチやシムノン、ボワロー&ナルスジャックなどの翻訳ミステリに傾倒し、その影響を受けたそうである。なるほど全体的に垢抜けた、どこか薄闇色のクライムコメディを読むような食感は、50年代の新時代海外ミステリの息吹に似たものを感じさせる。乱歩もかなり激賞したようで、当時の日本推理小説文壇に新風が吹いた感じを大きく歓迎したのであろうことが窺われる。

 今回、評者は、2019年に刊行されたばかりの徳間文庫の新装版で読んだが、元版のカッパノベルス版以降、講談社の名叢書「現代推理小説大系」の一巻に所収されたこともある名作(映画やテレビドラマにも何回もなっているらしい)で、以前から読みたいと思っていたが、ようやく思いを果たせた。

 要素要素で見れば、思っていたよりは……の部分がない訳でもないが、総体的には期待通りに面白かった。時代色の違和感もあることはあるが、その辺は昭和ミステリの旧作を楽しむ味わいでもある。

No.712 6点 死に金稼業- 生島治郎 2019/12/26 20:54
(ネタバレなし)
 おなじみ私立探偵・志田司郎ものの連作短編集(何冊目だ?)で、読みやすい長さの7本の事件簿を収録。評者は文庫版で読了。

 全編がヤクザ・暴力団がらみの事件ばかりで、それぞれ相談の案件を持ち込んできた依頼人や事件関係者のために、志田司郎がどう事態の落しどころを探すかが興味の主体。
 肝心のミステリ味は、事件の裏の策略や、意外な動機を暴くかたちで数編の話で発露する。
 
 巻末の「難民哀歌」は、日本に来た中国人留学生が苦学生として学業の傍らで就労するなか、仲介業者のヤクザとその顔色を窺う雇い主に賃金を搾取される話。外国人労働者の奴隷化が社会問題になっている2010年代の終りだが、30年前からこんな話題はあったのである(物語の背景には、当時世界に反響を呼んだ天安門事件がからむ)。

 安定した面白さだが今回もそれなりにバラエティ感には富んでおり、中年の貧乏私立探偵の矜持のあり方に、いかにも生島らしいハードボイルド観が覗く話も散在する。
 最近、私的にあれこれあって本がまとめてゆっくり読みにくいこのしばらくだが、ちびちび一編ずつ楽しんで、心の渇きを癒やしてくれる一冊であった。

No.711 7点 黄金の褒賞- アンドリュウ・ガーヴ 2019/12/18 18:09
(ネタバレなし)
 財産家の伯父エドワードから多額の遺産を受け継いだ、市井の古物研究家ジョン・メランビィ。40歳前後の彼は32歳の美人の妻サリイ、そして8歳の息子トニイと6歳の娘アリスンとともに悠々自適の生活を送っていた。そんなサリイが子供たち、さらに知人の娘である18歳の美少女カイラを連れて海水浴を楽しむある日、ゴムボートの事故でトニイとサリイ自身が危うく命を落としかけた。だがそんな二人を救ったのはハンサムな四十男で、元軍人と自称するフランク・ロスコオ。命の恩人にも関わらず謙虚なロスコオに好感を抱いたサリイは、彼を自宅に招待。事情を聞いたジョンも彼を長年の友人のようにもてなし、この近所で養鶏場を開きたいというロスコオに協力することにした。だが、メランビイ家の中で、ロスコオは次第に秘めていた闇の部分を露わにし始める……。

 1960年の英国作品。ガーヴの最高傑作に推すファンも多い? 一編のようだが、実際にリーダビリティもサスペンス度も最強で本を読むのが止められず、二時間でいっきに通読してしまった。
 中盤からの(中略)的なジェットコースター風の展開、さらに最後に(中略)が見せる(中略)など、いや完成度と結晶度の高い小説である。改めてガーヴすごい。
 
 とはいえ一方で、60年前のあまりにも良く出来た作品ゆえの宿命で、パーツパーツの趣向や仕掛けを因数分解していくと、それから現在までの長い歳月の間にいろんな作家、作品が、この後追いバリエーションを生み出してしまったなあ……という感じも少なくない。つまり、今となってはもう……の部分もそこはかとなく感じたり、そこはちょっとキツイかも。
 まあ余計なことをあれこれ無駄に考えなければ、主人公の途中の推理の流れ、あちこちに設けられた仕掛けなど、ガーヴ諸作のなかでも確かに上位に行く作品であろう。
(これから読む人は、ガーヴの作品にあまり数多くなじまず、作者の手札の切り方も学習しないうちに出会った方がよい、とは思うけど。)
 繰り返すけれど、出来そのものは、本当にいい長編なんですよ。

No.710 5点 スフィンクス- 堀田善衛 2019/12/15 15:22
(ネタバレなし)
 1960年代初頭のカイロ。パリの大学で地理学の学士となった若き日本人・菊池節子はユネスコのカイロ駐在員として活動。現地カイロで大規模なダムの建設計画が進む傍ら、水没を強いられるヌービア遺跡の保存のため、会計役・秘書役として奮闘していた。そんななか、節子は知人のアルジェリア人の青年亡命者ベン・アシュラフから、節子が赴く先にいるはずの人物ムスタファ・アーセン宛の私信を託される。錯綜する外地の政情のなか、頼まれごとを果たす節子だが、事態はさらに混迷さを増していく。

 1963年4月から毎日新聞社系の雑誌「エコノミスト」に一年にわたって連載された長編作品。
 著者である文学者・堀田善衛(よしえ)に関しては、無教養な評者は「モスラ」の生みの親3分の1くらいの認識しかない(汗)。
 それでも本作『スフィンクス』が黎明期の中薗英助の諸作などとほぼ同時代の広義の国際スパイ冒険小説であり、日本ミステリ史の上で、その流れで語られている一作であることくらいは以前から知っていた。

 それで思いついて1965年のハードカバー元版を手に取ってみたが、いや、正直、しんどかった(汗)。
 本作の連載執筆時点で作者は欧州や中東などへの渡航を三回も重ねており、そこまでで得てきた見聞を本作のなかにボリューム感豊かに書きこむ。文章そのものは比較的平易なので個々の叙述が理解しにくいということはないが、何はともあれその情報の圧倒的な量感にくたくたになってしまった。
 作中には節子と並び、もうひとりの主人公というべき四十男の奥田八作も登場。かつて戦時中に日本陸軍の工作員として海外に送られ、戦後は現地で築き上げた地盤をもとに「カイロの主」と呼ばれるようになった裏社会の大物だが、そんな奥田と節子の二人の動向を主軸に、50人以上の登場人物が織りなすドラマが錯綜。物語の本流が読み取りにくい一方、作者は節子と奥田、双方の視点を介した海外諸国の政治観、文明観、歴史観をマイペースに開陳していくので、読む側はひたすら疲れる。
(第二次大戦中、フランスへの静岡茶の輸出が止まり、それがアルジェリア独立運動の遠因となったなどの「え?」となる逸話も登場。その辺は素で興味深いが。)
 だから(そういう小説の読み方は野暮だと言われるのを承知で言うが)本書に盛り込んだネタを分配して、あとニ三冊、作者はこの路線の作品を著することができたのでは? と思うくらいである。

 とはいえ、終盤に明かされるミステリ的な趣向(節子が託された文書の実態)は、21世紀現在のわれわれ日本人にも、たぶんこの1960年代初頭のそろそろ(中略)が始まっていた当時の日本の読者にも、相応に心響くものがあるはずで。あんまり詳しくは言えないが、日本ミステリ界三大奇書のあの作品の、かの仕掛けすら、ちょっと連想させられた(笑)。

 1950~1960年代の欧州・中東の国際情勢に興味のある人なら、情報小説としてはかなりの価値がある一冊だろうとは思う。しかし、評者も旧作エスピオナージュファンとしてその辺への関心はそれなりにあるつもりだが、今回は受け手のキャパの枠内からオーバーフロー(汗)。

 作者が当時の中東、欧州(特にスイスとイタリアなど)の情勢を展望し、それを巻き込まれ型スパイスリラーの形で語ろうとした狙いはわかる。その意味で力作とは思うものの、エンターテインメントの作法としてはこれ、ちょっといろいろ違うでしょう、ということでこの評点。
 世界現代史マニアの方でそっちの素養について詳しいと自負のある方は、挑戦してみてもいいかもしれません?

No.709 6点 俺の拳銃は素早い- ミッキー・スピレイン 2019/12/11 12:45
(ネタバレなし)
「僕」こと私立探偵マイク・ハマーは三日間ぶっ通しの激務を終え、終夜営業の軽食堂に入った。ハマーはそこで、本来は美人だが、くたびれた感じの娼婦らしき赤毛の女「アカ」と出会い、彼女と意気投合する。歓談の途中で「アカ」の知り合いらしい男が迫ってきたが、ハマーは彼女が迷惑そうなのを認めて男を撃退した。大仕事の直後で余裕のあったハマーは「アカ」に150ドルを渡し、生活を立て直すように勧めた。だがそれから間もなく、ハマーは「アカ」が車に轢かれて死亡、犯人はまだあがってないことを知った。友人のパット・チェンバース巡査部長と情報を交換したハマーは「アカ」の死が殺人と推定。彼女の素性と昨夜の男の情報を求めて動き出す。

 1950年のアメリカ作品。マイク・ハマーシリーズの第二弾で、デビュー編『裁くのは俺だ』(1947年)から3年(2年余?)の時を経たハマー復活編。しかし改めて見ると、大反響を巻き起こした第一作から相応に時間が経って刊行されていることに、ちょっと驚いた。のちの執筆ペースを考えれば、スピレインの初期作の中では、前作からこの作品までだけが時間が空きすぎる。仔細に作者の経歴を覗けば、何か興味深い話題があるかもしれない。

 今回は田園書房の「スピレーン選集」版(邦題『俺の拳銃はすばやい』)にて、実にウン十年ぶりに再読。ポケミス以前に複数の出版社から翻訳刊行された「スピレーン選集」のハマーシリーズの中では、なぜか本作だけが早川から復刊・新訳されていない。それで気になって、どんな作品だったかという興味も頭をもたげ、今回もう一度読んでみた。
 しかし青少年時代に初読の際、ハマーの一人称が「僕」なのにぶっとんだ記憶があったが、再読してやはりそうであったと再確認。エド・ハンターやドナルド・ラムじゃあるまいし、このハマーほど「僕(ぼく)」の一人称が似合わない往年の私立探偵ヒーローもいないだろう(笑)。
 翻訳はガーヴの『モスコー殺人事件』なども訳出した、向井啓雄。女性相手のダイアローグ時のハマーの口調がケアレスミスで女言葉っぽくなってしまう(語尾に「かしら」をつける)などの天然な部分もあり、さらに全般に古い時代の言葉遣いという印象で読みにくいが、まあ我慢できないことはない。

 序盤のキーヒロインとなる「アカ」こと本名ナンシー・サンフォード(ハマー版&女性版テリー・レノックスか)の退場を機に、売春シンジケートの闇の部分に迫っていくハマー。中盤のメインヒロインは、ナンシーの友人だった元コールガールの美人モデル嬢ローラ・バーガンに交代。一方でシリーズのメインヒロインの秘書ヴェルダは、美人としての描写もろくにされない上に、外で跳ね回るハマーに完全に置き去りにされた扱い。コンビニっ娘の先駆か。

 あと今回はハマーとパット・チェンバースのからみの比重がすごく多い。警察の上層部から政財界の腐敗した大物連中に手を出すなと釘を刺されたパットがくさり、組織の外で自由に動けるハマーを羨ましがる図なんか、そういう段取りで主役ヒーローを格上げヨイショする狙いが、わかりやすいくらいわかりやすい。
 だけどこういう、主人公の相棒格&親友の警官がマトモな人間という描写は、正にシリーズ初期編でやっておくべきこと。だから納得の叙述である。

 ミステリとしては、キャラクターポジションなども踏まえて大方の筋は読めてしまう作り。初読の時から真犯人(黒幕)の類推はついたし、本当に素直に読めば意外性がある? 人物なので、今回も記憶に残っていた。ただし中盤から登場する、被害者がらみのあるアイテムの扱いと、そこに繋がる真犯人の内面的な動機はちょっと印象的。一方で現実の犯罪実働としてはやや無理筋に思える部分もないではないが、まあギリギリか。
 ラスト、義憤を燃やすハマーのサディスティックな描写はなかなか。クロージングの情景イメージとしては、シリーズのなかでも上位の方かもしれない。

 21世紀の今、改めて再版希望とは声高に言えない出来だが、シリーズのファンなら古書店で安く出会えたならまあ買って読んでもいいかも。
 万が一にも、本作の新訳復刊(もちろん一人称を「俺」にして)の話でもあるというのなら歓迎だが、実のところ、それよりはミステリマガジンに抄訳? されたきりのハマーシリーズ最終作『暗い路地(Black Alley)』の方を、ポケミスかミステリ文庫に入れてほしい。

No.708 5点 国語教師- ユーディト・W・タシュラー 2019/12/01 13:00
(ネタバレなし)
 2011年暮れのドイツ。54歳の作家クサヴァー・ザントは、ティロル州の教育文化サーヴィス局を通じて、同地区の学生相手のワークショップ(創作講座)の短期講師となってほしいとの依頼を受ける。受講生の学校側の代表は「M・K」のイニシャルの国語教師で、先方とメールで連絡を取ったクサヴァーはその相手が16年前に別れた元恋人で同じ年齢のマティルダ・カミンスキだと気付いた。メールを介しての再会を野放図に喜ぶクサヴァーに対し、言葉を選びながら対話を始めるマティルダ。やがて二人の話題は、過去のあの事件へと及び……。

 2013年のドイツ作品。ドイツ推理作家協会賞受賞作だそうである。
 web上の某・ミステリ書評サイトで評価がいいので読んでみたが、設定はまんま数年前の国産作品『ルビンの壺が割れた』の海外バージョンである(基本設定だけの話題だから、双方のネタバレにはなっていません)。
 本書の場合は、本文の大半がやはりメールの文面で構成されるが、部分的に別の書式・叙述も導入される。

 それで先に本書の表紙折り返しのあらすじを読むと、作家クサヴァー、そしてやはり創作の心得があったらしいマティルダの双方の書く小説が、劇中作として組み込まれるとある。
 が、現物を読むと、そういう劇中小説というパーツは確かに構成の一部を為すものの、思ったよりは強く前面には出てこない印象もある。二重構造の小説を読んで時々感じる煩わしさは、本書の場合そんなに強くなかった。

 そして本作の男性主人公クサヴァーは、しょーもない成人としてひたすら叙述。汗水垂らして働きたくもない、女とは遊びたいが責任は負いたくない、内縁の妻となったマティルダがいかに愛の結晶を望もうが、三界の首枷になる子供なんかもちろん欲しくない、と徹底的に自己中心的な言動を貫徹する。フィクション上の他人事と思って読むにはそれなりに面白いキャラだが、一方で小説を読むこちらはヒロインのマティルダにおのずと同情(彼女自身もまったく清廉潔白なキャラではないのだが)。
 これは、彼女から元カレに対し、秘められた旧悪を暴くなどの報復があるな、とフツーに予見すると、後半の物語は前述の<劇中作>の要素を利用しながら微妙に力点をずらし始める。これ以上は書かない方がいいだろう。
 
 それで物語のまとめ方は確かにドラマチックで、読了後に改めてwebでの各氏の感想などを探ると<(中略)の物語>として、ほとんど絶賛の嵐。今年の海外ミステリの上位作とも声も少なくない?
 ただまあ、個人的な感想としては、グラディーション的に物語の様相が変わっていく小説的なうまさは認めるものの、いまひとつそこまで褒める気にもならなかった。理由は、どうもこのクロージングに、作者が自分の筋立ての舵取りの鮮やかさに酔ったような一種のあざとさを見やるため。こんなに真っ正面から(中略)。

 なんとなく出会い、誰も先に褒めていなかったら、もうちょっと評価は上がり、印象も良くなっていたかもしれない一冊。割とよくあるパターンですが。

No.707 7点 魔偶の如き齎すもの- 三津田信三 2019/11/27 18:00
(ネタバレなし)
 刀城言耶シリーズはまだ二冊目。代表作らしい既存の長編は手つかず(いずれ読みたく思います)で、短編集もこれが初めて。
 以下、簡単に感想&コメント

①『妖服の如き切るもの』……ホックの、サム・ホーソンものかレオポオルド警部ものみたいな仕上がりのよくできた短編パズラー。初っ端から好印象の一本。
②『巫死の如き甦るもの』……まだシリーズ初心者なので既存作品との相違がどうのこうのと言うのはよくわからないのだけど、奇矯なシチュエーションから生じる謎にそれにふさわしい解決を与えた佳作。
③『獣家の如き吸うもの』……ビジュアル的には、すごく好きな雰囲気の話。系列の違う二種類のトリックを掛け合わせた感じの真相が頗る印象的。
④『魔偶の如き齎すもの』……わー、これは<中略>版の『××××』。(中略)読者向けに書かれた作品だと思うが、自分のような立場の人間がこんなT・P・Oで初読することにも、それなりの意味はあったかも?

 以上4編、どれも面白かった。各編を読み始める前はなんとなく軽く気構えちゃうんだけど、一度ページを開くとスイスイ作中世界に溶け込めるリーダビリティの高さも嬉しい。

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