皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
していません。ご注意を!
人並由真さん |
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平均点: 6.33点 | 書評数: 2106件 |
No.1246 | 7点 | 空白の起点- 笹沢左保 | 2021/07/29 05:38 |
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(ネタバレなし)
笹沢作品初期のメジャータイトルの一つ。 宝石社「現代推理作家シリーズ・笹沢左保編」巻末の島崎博編纂の書誌「笹沢左保著作リスト」によると、作者・第9番目の長編。雪さんのレビュー内のカウントと異同があるが、これは島崎リストが雑誌連載開始&書き下ろし順に並べられ、たぶん雪さんの方が書籍の刊行順にカウントしているため。どちらも間違いではない。 しかしこんなメジャータイトルだから以前に読んでるハズだと思っていたが、ページをめくりだすとどうも初読っぽい。 たぶん勘違いの原因は、本サイトやあちこちのレビュー? で思い切りネタバラシされていて、すでに読んだように錯覚していたからだと思う(涙)。 (というわけで、誠に恐縮ながら、本サイトでも先行の文生さんのレビューは完全にネタバラシ(汗)、kanamoriさんのレビューもかなり危険なので、本書をまだ未読の方は、ご注意ください。) そういうわけで、大ネタはほとんど承知の上で読んだが、はて、それでも(中略)ダニットの興味とか、ソコソコ楽しめる。 力の入った初期編ならではのキャラ造形もよく、笹沢らしい女性観も随所ににじみ出ている。 特に主人公・新田純一のキャラクターは最後に明かされる過去像も含めてなかなか鮮烈で、この時期の笹沢が警察官以外のレギュラー探偵に食指を動かさなかったのが惜しまれるほど。彼の主役長編をもう1~2冊読みたかった。 その一方で、フーダニットのアイデアはともかく、殺人の実働に至るトリックは本サイトでも賛否両論のようで(?)、個人的には(中略)も、いささか拍子抜け。大技を支えるもっとショッキングなものか、良い意味でのバカネタを期待していたのだが。 トータルとしては2時間ドラマもの、という声にも、初期の笹沢ロマンミステリの秀作、という評価にも、どちらにも頷ける感じ。 作者の作品全体としてはAクラスのCランク……いやBクラスのAランクぐらいかな。 あえて気になると言えば、(中略)が良くも悪くもちょっと佐野洋っぽい感じがするところ。これが作劇の都合優先で、導入されたように思えないこともない。評点は0.25点くらいオマケして。とにかく新田のキャラで稼いだわ。 |
No.1245 | 7点 | Gストリングのハニー- G・G・フィックリング | 2021/07/28 06:49 |
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(ネタバレなし)
「わたし」こと女性私立探偵ハニー・ウェストは、カリフォルニアのマリブ・ビーチで、ハンサムな30歳前後の青年カーク(KIRK)・テムペストと知り合う。カーク(KIRK)は三つ子の一番下の弟で、同じ発音の長男カーク(KIRQ)、長女ジュエルに続いて生まれた、次男であった。男児→女児→また男児という順番の、あまり例のない男女まぜこぜの組み合わせで生まれた三つ子は、幼少期からほとんど見分けがつかない美しい顔をしていた。だが10年前にジュエルが火事で顔に大やけどを負い、その後、優れたダンサーとして大成功するものの、決して黄金色のマスクを顔から外すことはなかった。ハニーがそんな三兄弟と深く関わるのと前後して、人気のないプールで次男カーク(Q)が何者かに殺された? 一方で、ジュエルはハニーの周辺に出没するが、決して素顔を見せようとせず、やがて姿を消した。そしてハニーと関係者の周囲に「もしかしたら、実は顔が治っているジュエルの別名なのでは?」と疑念を呼ぶ女たちが複数、現れる。 1959年のアメリカ作品。ハニーシリーズの第5弾(邦訳では8冊目)。 ポケミスの裏表紙やカラーフォトの厚着ジャケットの惹句などでは、ハニーがGストリング(ストリップでの股関カバーのこと)をつけてどーのこーのと、実にどうでもいい(正直くだらない)ことしか書いてない。 しかし実作を読むと、生物学的にいささか奇矯な男女混淆の三つ子(なんか横溝作品っぽい)、その内の一人で、火傷のために仮面をつけた妙齢の女性ダンサー、そして当該の女が仮面の下で今の顔を隠して、別の場で別の名を名乗っているのかもしれない可能性!? ……とゾクゾクするぐらいに外連味たっぷりなミステリ的趣向がいっぱい。 (仮面の下の素顔を隠しての入れ替わり? 別行動? と聞くと、国産のあの名作やら、新本格の諸作やら連想してしまうよね。) しかもハニーの頼りになる(というかいつも、好意を抱き合いながらも仕事の上ではガチでやりあう)ボーイフレンドでワトスン役のマーク・ストーム警部も前半からかなり異常な態度で問題を起こし、いったいどうなるのこれ? という立体的な興味で読み手を刺激する。 後半やや話の整理が不順になるのが惜しいが、それでも評者がこれまで読んだ「ハニー」シリーズ4冊の中では一番、ミステリ的に面白い! 特に前半のワクワク感は、ハードボイルド(というか行動派私立探偵ミステリの要素も踏まえて)かなりのものだ。 それで前述のように中盤以降、ちょっと話がダレるのがナンだが、最後のどんでん返しでまた評価が上がった。 なんかハニーシリーズって、とにもかくにもまるでパット・マガーの初期作品みたいに、一本一本仕込みのある大ネタをやっているね。 ものによっては(こないだ読んだ「~銃をとれ」のように)ネタが明確に古びちゃってるものもあるが、それはまあしゃーない。 得点的に見ればパズラーファンも十分に嗜んでおいてよろしいシリーズでしょう。(万全たる方面での完成度、とまでは言えないけれど。) 邦訳のある本シリーズ内、評者の未読があと残り5冊。またなんか、当たりが出るのを、期待したい。 |
No.1244 | 6点 | サンダーボルト- ジョー・ミラード | 2021/07/27 06:16 |
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(ネタバレなし)
1970年代。アイダホ州の田舎町の教会で、中年の神父ジョン・ドアティーが、突如現れた男から襲撃を受ける。逃走したドアティーは、片足が義足で美青年の小悪党「ライトフット」にたまたま救われた。ライトフットは神父の僧衣のドアティーを「プリースト」と呼び、成り行きから正当防衛の形で襲撃者を返り討ちにした。やがてライトフットは、その男「プリースト」の正体が、勇名を轟かせた大物金庫破りの「サンダーボルト」だと気づく。 1974年のアメリカ作品。 同題のクリント・イーストウッド主演(サンダーボルト役)の映画が日本でもアメリカでも1974年に公開されており、評者は昔からちょっと興味はあるが、まだ観てない。 しかしこれまでスナオに小説は原作だと思っていて、実際に翻訳書の訳者あとがきでも「映画化されるので楽しみ」とかの主旨で書いてあり、奥付も作者ジョー・ミラードのクレジットのみ。 素直にそれらの情報(訳者あとがき、奥付)を受け入れれば確かに小説は映画の原作っぽいのだが、念のためwebで原書の発行時期を確認すると、1974年(ハヤカワノヴェルズの奥付での原書刊行年も同年)。 1974年に刊行された小説が、その年の5月(アメリカでの封切り)に公開できるように企画制作されるワケがまずない。 まあ特殊な事例として、書籍化される前、どっかに雑誌連載されていた時点で企画が始動していたとか、小説の完成前に映画化権が買われていたとかの可能性も皆無とはいえないが、実際のところは、原作ではなくやはりノベライズだったのだろう。だとしたらこの小説版の素性については、版元は購読者に向けて、かなり曖昧な態度を、意図的にとっていたといえそう。さすが昔の早川、あこぎな商売である。 (ついでに言えば、訳者・佐和誠の翻訳文は昔から結構好きな評者だが、今回の訳者あとがきは、先ほどのノベライズという事実秘匿を抜きにしても、全体的にかなりヒドい。内容についてのコメントにかなりの違和感があり、実際の翻訳は下訳に任せて、最後の最後で監修だけして、中身についてそれほど読み込んでいないのじゃないか? と疑りたくなるほどだ。) とはいえ、とにもかくにも小説で読むクライムノワールとしては、そこそこ面白い。会話が多くて小説としての旨味が薄いのはナンだし、普通の小説ならもっと膨らませて役割を負いそうな脇役とかも、ほとんど無意味に顔見世だけしてすぐに引っ込む。 そういう意味では悪い意味でノベライズっぽいのだが、後半のヤマ場となる主人公たちの大仕事、その準備のために手間ひまをかけるくだりなどは小説メディアとしてそれなりに読ませる。 21世紀の現在、webで情報を拾うと作者ジョー・ミラードはウェスタンの著作がかなりあり(それら全部がノベライズということはないと思う)、一時期はDCコミックでバットマン主役タイトルなどの文芸もこなしていたようだ。日本ではこれ一冊しか翻訳がなく、つまりおそらくオリジナル作品は紹介されていないハズだが、そこそこのランクの職人作家だったのだろう? まあそのくらいには、小説(ノベライズ)のクライムノワールものとしての水準にはなっている。 きちんとした評価(ノベライズとしての)は映画本編を観てから改めてすべきだろうが、とりあえず小説(ノベライズ)単品として読んで、現状では評点はこのくらいで。クロージングの余韻は、なかなかいいよ。 |
No.1243 | 7点 | この闇と光- 服部まゆみ | 2021/07/26 05:18 |
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(ネタバレなし)
角川文庫の2014年版で読了。 以前に一回、図書館で元版を手にしたことがあったが、その時は都合で未読のまま返却した。 今回は、本サイトの「みんな教えて」コーナーで、設問「ぜっっったいにネタバレ厳禁!書評をぐぐる前にとにかく読むべし!という作品」に応えて、蟷螂の斧さんが本作を挙げていたのに気を惹かれて読んだ。 はたしてどんでん返しは予想外のものではあったが、真相が明らかになると、意外にショッキングさは生じない種類のネタでもあった(それでも反転のシーンはさすがに……であったが。あとそれから……)。 とはいえ最後まで読んで、某メインキャラクターの胸の内を覗き込み、ある種の感慨に囚われることこそ、この作品のキモだと思う。 真相の意外性もさながら、そっちの(中略)な心の動きを探るからこそ……。 さらっと読めるけど、たぶん一度読んだだけじゃ見切ってないところも少なくないでしょう。今は独特の余韻を静かに味わっておきます。 そのうちまたいつか、前半を中心に再読してみることにしよう。 最後に、改めまして、作者様のご冥福をお祈りします。 |
No.1242 | 6点 | カバラの呪い- 五島勉 | 2021/07/25 15:49 |
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(ネタバレなし)
1975年7月24日。愛知県の渥美半島の海岸に、巨大怪獣の腐乱死体が漂着する。テレビ局の下請け「沖田取材プロ」の代表で20台後半の沖田淳は、自社の女優兼レポーターで恋人の小泉マリを伴って現地に駆けつけ、TVニュース特番用の映像を作成した。だがかつての同僚で仕事仲間のテレビ局局員・佳島を介してオンエアされるはずのフィルムは闇に葬られ、一方で怪獣の死骸も人目につかないよう始末された。怒りに燃えて真相を追う淳とマリだが、その前に広がるのははるかに予想を超えた事態であった。 ふと思いついて1976年の元版(ノン・ノベル版)を、web注文の古書で購入。届いたらすぐいっきに読了。 昭和生まれの人間として、作者・五島勉についての風聞はそりゃいろいろと聞き及んでいるが、「ノストラダムス」関連の路線を含めて著作はまともに一冊も読んだことはなかった。 ただし本作については「長編怪奇推理」と銘打たれ、刊行当時の書評や紹介記事などで怪獣(というかUMA)が出てくる伝奇SFっぽいことは当初から認識にあり、そういうものが大好きな身としては相応に興味を惹かれていた。 (なんせ評者は、グラディス・ミッチェルで今のところ一冊だけ読んでるのが『タナスグ湖の怪物』という人間である。) そういうわけで極力、フラットな気分でページをめくり始めたが、いやいわゆる『MMR マガジンミステリー調査班』的なお話としては結構、面白かった(笑)。序盤の怪獣の掴みがなかなか秀逸だし、話の広げ方のテンポも良い。途中からの主人公・淳の行動の(中略)ぶりは作劇を優先した感じで、いささかアレだが、その辺は良くも悪くもエンターテインメントの作法としてギリギリ割り切れる範疇ではある(それでも、ちょっと……と思う人もいるかもしれないけど?)。 いずれにしても中盤のアホなノリはかなりの勢いで、ここではあまり書くわけにいかないが、某集団の作戦の細部の詰め方などには爆笑した。まあここらは作者はマジメな、天然っぽい面白さであろうな。 膨大な情報を並べ立てて大噓を説得にかかるダイナミズムも、実にこういう作品らしいという感じ。いやきっと専門の識者やサブカルオカルト系の愛好家が21世紀の今、改めて読んだらたぶん色々とツッコミどころは満載なのであろうが、それでも1970年代のキワモノエンターテインメントとしては十分にオモシロかった。 五島の著作を原作にした東宝映画の方の『ノストラダムスの大予言』を小説メディアで楽しんだような、そんな感覚もある。タマにはこういうのもいいよね? ちなみにノン・ノベル版は裏表紙で中盤からの大ネタを割ってあるので、これから読もうという人は注意。まあ編集や営業は、そこまでショッキングなネタを書いて、本を買わせたかった、そんな意向だったのであろうが。 21世紀の今、もしかしたら、先述のそういう趣味のオカルト、サブカル系の人には、すでに完全に古くなってしまっている内容かも知れないが、一見の読者である自分にはとにかくフツーにオモシロかった。 なんかムセキニンだったら、ゴメンなさい、である。 |
No.1241 | 6点 | 試走- ディック・フランシス | 2021/07/24 07:29 |
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(ネタバレなし)
1977年11月の英国。私こと、視力の低下から障害騎手を引退した32歳のランドル・ドルーは、仲介の紳士ルーバート・ヒューズ・ベケットを通じて、以前から懇意である英国の「王子」から相談を受ける。王子の願いは、妻の実弟で現在22歳の若手騎手ジョニイ・ファリングフォド卿に同性愛者の疑いがかかっているという。3年後のモスクワ五輪の選抜選手として本命候補のジョニイだが、ソ連では同性愛は処罰の対象で、しかもジョニイは何者から暴力沙汰で脅されているらしい。事件の背後に、ソ連内の謎の人物「アリョシャ」がいるらしいと認めたランドルは、王子の依頼を断り切れず、やむなくモスクワに調査に向かうが。 1978年の英国作品。競馬シリーズ第17作目。 オリンピックネタの話だが、開催日に読んだのはまったくの偶然(少し前から未読の一冊を書庫から出してあり、近くに置いておいた)。 ホントよ、ホントだよ、信じてくれ!(Ⓒボヤ騒ぎ直後のいじわるばあさん) でまあこの邦訳の元版ハードカバー(ハヤカワノヴェルズ版)は1980年の1月末に発売されており、帯でも「モスクワで待ちうける罠」などと堂々と大書き。つまりはものの見事に80年の現実のモスクワオリンピックの熱狂ムーブメントに乗ることを当て込んで売られた一冊だったのだが、周知のように日本はその直後の80年2月に不参加ポイコットを表明。ものの見事にハシゴを外された悲運の作品であった。 まあ当時は、そういう作品はいくらでもあったけどね(……)。 それで中身の方も時局を当て込んだキワモノ的な部分がまったくなきにしもあらず……とまでは言わないが、けっこう主人公ランドルのモスクワ探訪の臨場感で読ませている部分も確かにある。 そういう意味で今回はいささかユルい作りかな、と思っていたら、後半でかなりぶっとんだ事件の真相が用意されていて、軽く「おおっ!」と驚いた。 モスクワ調査のさなか、イギリス人もソ連人も人種も国籍も問わず、馬を愛する競馬界の人たちは基本的にいい人、という文脈でストーリーが進むのも、まあこういう企画ものということも踏まえて、スナオに微笑ましい。 ただまあ終盤で明らかになる、序盤からのキーワードの真相は何じゃらほい、だし、ラストのどんでん返しもちょっとなあ……というオチ。そこまでは、前述のド外れた謀略の真相(というかそれが生じた背景)を核になかなかだったんだけどね。 7点行くかな、と思いながら、ぎりぎり6点の域に留まりました。とはいえシリーズのこの次はあの人気作品『利腕』ながら、ストーリーの練りようそのものは、こっちの方がまだいいような感じもある。まあもうちょっと体系的にシリーズを精読、再読しないと見えないところもあるけれど。 |
No.1240 | 7点 | 火星人ゴーホーム- フレドリック・ブラウン | 2021/07/23 04:38 |
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(ネタバレなし)
1964年3月26日。木曜日の夕方。カリフォーニアの砂漠にある丸太小屋で、37歳のSF作家ルーク・デヴァルウは、原稿が書けないことに悩んでいた。そんな彼の前に、「クゥイム」なる空間移動技術で火星から来たという身長2フィート半の火星人が出現。火星人は、ルークが恋焦がれる娘ロザリンド・ホーンが他の男と寝ていることを言い当て、地球上ならほぼ万能の知覚能力があることを示した。驚き慌てるルークだが、全世界はあっという間に10億人の火星人で埋め尽くされる。しかも彼らは物理的な実体を地球人に感じさせずに自由に出没し、あらゆることに関心を抱き、あらゆることをジョークのネタにした。男女の性生活をふくめて、地上からはほぼ全てのプライヴァシーが奪われ、地球の文明は大きく変容を強いられていく。 1955年のアメリカ作品。 フレドリック・ブラウンの3冊目のSF長編で、異星人の侵略もの、ファースト・コンタクト・テーマを独特のコミカルさで描いた名作。 とはいえ評者など、大昔に日本版EQMM(古本屋で集めた)で読んだ都筑の「ぺえぱあ・ないふ」そのほかで以前から、設定や大筋、さらにサワリのギャグなども教えられており、さらにあちこちで「名作」「傑作」と聞かされていたものだがら、21世紀のいま初めて読むと「うんうん、そうだね」と頷く部分もあれば「ナンダ意外にコンナモンカ」という部分を感じないでもない。 言い方を変えれば時代を超えて面白い部分はたしかにあれど、一方でどこかに悪い意味でのクラシックさを感じたりもした。 たとえば、一体何がしたいのかわからないままに地球文明をかき回す10憶の火星人が、人類の価値観や社会様式を破壊していくプロセスのダイナミズムそのものは確かに普遍的に痛快なのだが、かたや作劇の枠組みでいえばよくもわるくも真っ当な王道感を抱かせるもので、これまで見たこともないトンデモナイものに触れた、という種類のショッキングさなどはそうない。 20世紀、それも1970~80年代くらいまでに読んでいたら、この辺はもうちょっとスナオに楽しめたのかも、という思いが生じた。 それでも火星人に対する認識というか距離感が変遷してゆく主人公ルークの後半の叙述とか、モジュラー風にカメラ視点が切り替わる地球各地のバカ騒ぎとか、やがてルークを取り巻くいささかブラックな連中の描写とか、細部にぎっしりとアイデアを盛り込み、読み手を最後まで飽きさせないあたりは、やはり流石。 後半パートでメインヒロインの座に復権する(中略)も、なんかいかにもフレドリック・ブラウンらしいキャラクターでよろしい。 ラストは(中略)感じもあるが、これはもちろん意識的に書かれたものであろう。 もともとジャンルもの作品そのもののパロディ的な趣もあるから、あえてこういう(中略)な作りにしたんだろうし。 名作・傑作の高評が先に来て、あまり期待値が高すぎるままに本を手にするのはオススメしないけれど、まあ確かに楽しめる作品ではあります。 評点は、今の正直な気分でいうと0.5点くらいオマケしてこの点数で。いや実質的には十分この点は取ってるとは思うのだけれど、素直に7点をつけたいと言い切るには、ちょっとだけ二の足を踏む。 |
No.1239 | 7点 | 上を見るな- 島田一男 | 2021/07/22 05:55 |
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(ネタバレなし)
昭和30年前後の東京。「わたし」こと刑事弁護士の南郷次郎は、旧友・虻田弓彦の従姉妹である剣子、彼女の夫の章次の依頼で、九州の長崎に赴く。用件は、弓彦の叔父で剣子の実父である、虻田一族の現当主・一角斎を中心とした家族会議に関わるもので、南郷は体調の悪い剣子と章次の代理として九州にやってきた。だがそこで南郷を待っていたのは、虻田一族内の複雑な人間関係と、自衛隊演習用の海岸地域の接収問題、そして不可解な殺人劇だった。 昭和30年に講談社の書き下ろし企画叢書「書下し長篇探偵小説全集」の一冊として、『黒いトランク』や『人形はなぜ殺される』などの名作とともに刊行された長編で、島田一男のレギュラー探偵のひとり南郷次郎弁護士のデビュー編。 大昔に何らかの旧版で本は入手していたはずだが、家の中から見つからず、例によって古書(春陽文庫版)をwebで安く購入して読んだ。 第一、第二の殺人は「本当に作中のリアルとして、犯人はこれを(中略)でやったのか!?」と呆れる部分もあるが、とにもかくにも全てをぶっとばす豪快な(中略)トリックで、細かい不満が一瞬で消し飛んだ(笑)。 いや、(中略)しながら、ココにたぶん何かあるのだろうと思ってはいたが、こういう手でくるとはね(嬉&大爆笑)。 戦後の復員にからむ人間関係の綾、自衛隊に多額の補償金と引き換えに接収される地方の土地の話題など、昭和中期の時代色も濃厚だが、それが物語全体に独特の厚みを授けながら、ミステリ&お話を築いていく重要なパーツとしても活かされている。 作品総体として、『獄門島』に近しい性質の時代性プラスローカルカラーによって、よくできた昭和ミステリならではの格別なロマンを実感した。 特にラストシーンのインパクトは、おそらく今後もずっと心に残るであろう。 前述のように謎解きパズラーとしては雑な面もあるのだが、いろんな部分で濃厚で面白く、得点要素も豊富。 表向きの評点としては7点にとどめるけれど、心情的にはこっそりと、もう1~2点追加しておきたいような思いもある。 しかし南郷先生って、すでにこの時点から妻帯者で、助手役の女子・金丸京子ってあくまでビジネス上のパートナーだったのね(シリーズのこの先はわからんが)。私はてっきり助手役のヒロインは、恋愛感情込みの和製デラ・ストリートだと思っていたので、そこはかなり意外でした。 (ついでに言うと南郷が一人称の主人公だったのも、予想外であった!) |
No.1238 | 6点 | 眼の壁- マーガレット・ミラー | 2021/07/21 04:41 |
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(ネタバレなし)
第二次大戦中のカナダのトロント。2年前に自分が運転する自動車で事故を起こし、視力を失ったケルジー・ヒースは、その母で富豪のイザベルがガンで病死する際に全財産を譲られた。現在26歳のケルジーの父で53歳の元音楽家トマス、兄で30歳のボヘミアン、ジョン(ジョニー)、そして姉で28歳のアリスの3人はみなケルジーに生活費を出してもらっている立場であり、さらにヒース家には、生前のイザベルが後見した若手ピアニストでケルジーの婚約者フィリップ・ジェームズもまた食客として同居していた。やがてヒース家の淀んだ空気の中で、とある事件が起きる。 1943年のアメリカ作品。ミラーの初期のレギュラー探偵役サンズ警部が活躍する、長編二部作の後編。 経済的に、また身障者を核とする家庭の事情から、独特な拘束感に囚われるヒース家の面々だが、長男ジョニーは比較的奔放に近所のナイトクラブ「ジョーイ」にも出入り。そこで接点のできた若い歌手やダンサーたちを介して、「ジョーイ」がもうひとつの物語の場にもなっていく。この辺の描写を含めて、なんか全体的にウールリッチのノワール・サスペンスっぽい雰囲気も感じたりした。 途中である種の違和感が自然に生じてくるので、読みながらなんとなく作者の狙いは見えないこともないが、それでも終盤の大技はなかなかショッキングではあった。 着想を演出的に固めきれてない書き手の若さも感じるが、個人的にはそれもまた本作の味という気分である。 先にウールリッチ(アイリッシュ)っぽい、と書いたが、そういえばラスト、某主要キャラとサンズ警部とのやりとりが『幻の女』のあの終幕を思わせつつ、その反転みたいな台詞回しでちょっとニヤリ。まあ偶然というか、意図的なものではないだろうが。 評点は7点あげてもいいが、これはこの評点の中でのかなり上の方、という意味合いで、この点数で。 |
No.1237 | 8点 | ラドラダの秘宝を探せ- クライブ・カッスラー | 2021/07/20 18:14 |
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(ネタバレなし)
1989年10月。ソ連の宇宙計画「コスモス・ルナ」に参加する地球物理学者アナスタス・リコフは、無人のはずの月面で活動する人間の姿を確認。それは実は、故ジョン・F・ケネディの遺産ともいうべき、数十年にわたってホワイトハウスやペンタゴンの主幹にも秘匿されながら継続していた宇宙開発プラン「ジャージー植民地計画」の月面スタッフだった。近日中にソ連の月着陸があり、非公式な、存在しないはずのアメリカの月面科学施設がソ連軍に武力占拠されると考えた「ジャージー」の地球側スタッフは、アメリカ大統領に対策を講じるように半ば強制的に要請。かたやフロリダ州キーウェストの海岸では「タイタニックを引き揚げた男」こと海洋機関NUMAのダーク・ピットがまた、新たな事件に巻き込まれようとしていた。 1986年のアメリカ作品。ダーク・ピットシリーズ、第八弾。 もしかしたら何十年ぶりかに、このシリーズを読んだような気もするが、今回、本作の文庫版2冊を手にしたきっかけは、本シリーズの中でも評者が大好きな『マンハッタン特急を探せ』(なんせ、ゲストキャラで、ピットのライバルの英国情報部員が「あのヒト!」だよ~序盤を読めばすぐわかるのでネタバレに当たらないね?)の後日譚的な趣向もあるというので、少し前から古書を安く入手。そろそろ読もうと思っていた。 しかし何というか、山場また山場の約800ページ。 ゴジラ映画で例えるなら前半でゴジラがヘドラと戦ってボロボロになったその直後、同じ映画の中で、満身創痍のままX星に連れてかれてキングギドラと対決。それでもまだまだ話が終わらない、という感じのとんでもない中身のボリュームで、改めて読んでいて顎が外れた。 量産作家的にポンポン大部の作品を放ったから軽く見られてしまうところはあるけれど、お話のパワフルさと設定のダイナミズムでは、カッスラーって間違いなく怪物だわ。 いや、実際、シリーズもののあくまで一本ながら、米ソの駆け引き&攻防劇プラスアルファの立体感で言ったら、フォーサイスの『悪魔の選択』にだって負けません(というか下巻の後半の展開など、完全に超えているだろ)。 某超メジャーなお宝の秘境から持ち出した財宝の話題、米ソのスターウォーズ、フロリダの気球船の怪事件(十日行方不明だった乗員が腐乱死体になって帰ってくるが、死因は2年前に凍死だった!~フロリダで!?~というとんでもない不可能犯罪パズラー的な興味の掴みもイイ)、この三題話をどうまとめるのか、と思いきや、そのタスクを消化して、さらにまだその先が……。 まああんまりポンポンネタを積み込みすぎてひいちゃうところもないでもないんだけれど(もし一部のミステリファンにカッスラーが敬遠されるところがあるとしたら、正にまず、ソコだと思う)、それでもやっぱり読めばオモシロイ、ということは改めて痛感した。 あと嫌われるとしたら、いかにもアメリカ流のマッチョ的な正義かな。 でも下巻の355~357ページなんか読むと、それを承知の上でやはり泣けてきてしまうのだよ。 ひさびさに面白かったけれど、このシリーズはしばらくもういいです。かなりお腹いっぱい。 それでもダーク・ピットシリーズを次々と読破した世代のファンってのも、きっと少なからずいるんだろうな。その健啖ぶりは、ちょっとうらやましい。 |
No.1236 | 7点 | 時計じかけのオレンジ- アントニイ・バージェス | 2021/07/19 04:53 |
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(ネタバレなし)
近未来。全体主義が支配する英国。市民は法規から逸脱することのないかぎり、衣食住の心配のない生活をしていたが、そんな社会は若者たちのありあまる活力を却って刺激し、夜の街は不良少年の悪事の温床になっていた。「おれ」こと15歳の少年アレックスは、以前に非行を咎められて感化矯正指導員P・K・デルトロイドの監督下にあったが、くだんの指導員や両親の目を盗んで、同世代の3人の仲間たちと徒党を組み、傷害、強盗、レイプなどを繰り返していた。そんなアレックスは、ある日、とある金持ちの、猫好きの一人暮らしの老婆のもとに押込み強盗に入るが……。 1962年の英国作品。 耳に響きの良いタイトルは、大昔からキューブリック(クーブリック)の映画版を介して昔からなじんでいたが、これまで原作の小説も映画も縁がなかった。先日、ブックオフで文庫の旧版に出会って購入したのを機に、このたび原作を読んでみる。 映画での紹介記事などで、内容が一種の近未来SFで若者たちの超暴力を主題にしたもの、というのは以前から聞き及んでいたが、旧文庫版の巻頭に掲載された文芸評論家の解説を先に読むと、グレアム・グリーンの不良少年もののクライム・ノワール『ブライトン・ロック』との類似性のようなものにも言及してある。 キューブリックの映画がどのように潤色・演出されたかは未詳だが、なるほど、原作小説を一読するかぎり、この作品は全体主義ディストピアものの風刺SFであると同時に、近未来を舞台にした青春クライムノワールの面も相応に備えている。そういう意味では、十分に、広義のミステリの一角に在しているといえるだろう。 名訳者・乾信一郎が、原文の独特さを日本語で再現しようと練りこんだ翻訳は淀みなく、特徴的な文体で読者を軽くトリップさせながら、予想外に起伏の大きい物語を一息に読ませる。 いや、ストーリーだけ追っていっても、(ほぼ60年前の旧作ではあるが)今読んでも十分に面白い。 作者が言いたいのであろうと思えることは、自分なりに受け取ったつもりだし、あとはそれがズレているか、見落としがあるかは、また次の話だ。 ちなみに前述のように、今回は旧版のNV文庫で読んだが、一時期割愛されていた最終章を復活させた完全版が、21世紀になって翻訳刊行されていたのを読後に初めて知った。 くだんの完全版のAmazonのレビューがたまたま目に入ったが、それらを拝見するに賛否両論のようで、さもありなん。正直、旧版のラストは確かに尻切れトンボ感がなくもない。 完全版がどのようなものか、そのうちそこだけ覗いてみようかとも考える。 |
No.1235 | 6点 | 迷路- フィリップ・マクドナルド | 2021/07/18 05:54 |
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(ネタバレなし)
1930年代のイギリス。その年の7月11~12日の夜間にかけて、ロンドン郊外の高級住宅地で55歳の実業家マックスウェル・ブラントンが何者かに殺された。警察の捜査が進むにつれて被害者の乱れた生活が暴かれていくが、同時に容疑者はその夜、屋敷にいた10人前後の男女に絞られる。しかし裁判を経ても真相は不明で、スコットランドヤード捜査部の副総監エグハート・ルーカスは、同じ月の24日、他国で休暇中のアントニー・ルーヴェス・ゲスリン大佐に事件の関係の記録や資料を送り、応援を求めた。やがて8月6日に差出された、ゲスリン大佐からの返信には……。 1932年の英国作品(米国では、31年に先行発売)。 1970年代前半に刊行された創元推理文庫の販促パンフレット「創元推理コーナー」の何号だったかのなかで「ミステリ界の関係者たちに、各自が所蔵の稀覯本を自慢してもらおう」という企画があった。この趣向の話題は小鷹信光の「パパイラスの船」の中などにも、小鷹当人のちょっと苦い思い出として語られている。 そしてこの企画に参加した当時の数名のミステリ界の識者のひとりが、本書の原書を自慢げに引っ張り出してきた、かの都筑道夫である。 都筑は<前半の手紙のなかで手がかりがすべて開示され、読者は探偵役のゲスリン大佐とまったく同じスタンスで推理を競う本格派パズラー>という趣旨で、その魅力を語っていた。これが評者が、本作について初めてその存在を知ったとき。 その後、HMMに分載された(81年7~8月号)ときには、ああ、あの作品かと、当然ながら相応に興味は覚えたものの、今までも本サイトのレビューでさんざ書いてきたように、この時期のHMMの発掘長編の分載企画には、はなはだ懐疑的になっていたもので(何度もいうが、実は部分的に、こっそり抄訳していたりするからだ!)、いずれポケミスなりHM文庫になってから読めばいいや、と思っていた。そうしたら書籍化も2000年まで待たされ、さらに評者自身が読むのはそれから20余年を経た今夜であった。例によって長い長い道のりである。 そんなわけこんなわけでいささか身構えてしまう面もあったが、しかし紙幅的にはポケミスで、わずか本文170ページ弱(巻末の解説を別にして)。カーター・ブラウンよりちょっと厚いくらいで、しかも小説の形式の大半が手紙だったり、公判中の証言記録だったりするので、いわゆる小説的な地の文の人物描写の類は一切なし。正統派パズラーとしてはこれ以上なくサクサク読めるが、同時にこれは作者がそれだけ本気で読者に、しっかり考えて犯人を当てろよ、と言っているのだとも思う。 まあそれでも評者なんかは、証言の細かさの中に伏線や手がかりが仕込まれているのだろうと早めに推察し、これはとても手におえんと、途中で勝負を投げた(汗)。一応は、小説としての構造で、この辺りが犯人ならばショッキングだろうな、とアレコレ想いはしたが、これはまあ論理的な推理というわけじゃないね(大汗)。 それではたして終盤のゲスリンからの返信で明かされた真犯人の名前は結構な意外性。いや、その該当人物が本ボシと絞り込んでいくゲスリンの説明は、ああ、なるほどと感心するものもあれば、強引なしかも謎論理だろと言いたくなるようなムチャなものまでさまざま。しかし確かに、このクレイジー? な動機の真実だけはなかなかショッキングであった。某・幻影城世代作家たちのあの路線みたい。 ダイレクトに、作者と読者がストロングスタイルで勝負するフーダニットパズラーとして取り組むと正直やや微妙(部分的にはよくできてるかもしれん)だが、もうひとつ作品の奥に据えておいた妙な文芸で得点したような歯ごたえの作品。個人的には……好きだよ、こういうの。読んでいて面白かったかとストレートに問われると、それもまた微妙ではあるけれど。 |
No.1234 | 6点 | 悪霊の群- 山田風太郎 | 2021/07/17 07:29 |
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(ネタバレなし)
下山事件の翌年、昭和25年の暮。東洋新聞の青年記者・真鍋雄吉は、情報を売りに来たという元軍人・相馬敏秋の奇矯な言動に悩まされた。やがて真鍋は会社の近所の喫茶店の女給で恋人の丹羽素子に会いに行き、つい出来心で、彼女が見せたがらない自宅まで後をつけた。だがやがてとある古びた館で真鍋が見たのは、人間の眼球らしきものを手にする恋人の姿で、素子は真鍋にこれ以上、深入りしないようにと忠告した。不可解な心情のまま、現職の国務大臣・杉村芳樹と、その不倫相手と噂される人気歌手・泉笙子のスキャンダルを追う真鍋だが、やがて彼は予想外の殺人事件に遭遇。そしてその死体からは、眼球がえぐられていた。 あー、少年時代に購入してウン十年、しばらく前にようやっと、荊木歓喜ものの連作集『帰去来殺人事件』を読了したので、こっちもやっと読めた(笑)。こういう企画ものを楽しむなら、まずは本筋の正編に触れてから、と思っていたので。 ちなみに今回は、その大昔に入手した1964年のハードカバー(東京文芸社の新版)で読んだが、webでのウワサによると、この版以降は、時代に合わせた細部の改訂がされているらしい。直近の出版芸術社の文庫版は後年のこの版がベースだそうで、機会があれば旧バージョンも覗いてみたいものである。 合作で2大名探偵の共演という趣向そのものは、ヨダレが出そうなほどに魅力的。 しかし正直、評者は片方の荊木歓喜がそれほどスキじゃないし(ファンの方、スマヌ)、しかも内容は通俗スリラーっぽい上に、本命の方の名探偵・神津の登場が遅いと聞いていたものだから、いろんな意味であまり期待しないでページをめくり始めた。 とはいえそういう期待値の低さが功を奏したというか、意外に楽しめる。 何より途中でああ、あのネタというか海外の有名作品をベースにした通俗ものだな、と一度は思わせておいて、後半で過密的(シャレではない)にパズラーっぽい工夫が詰め込まれているのがいい。いやまあ、冷静に見れば、あれ? あれ? なところもいくつか後から思いつくが、読者の目線を一度思い切り低くしておく作りだから、あとは得点要素の方ばかり目立ってくる。ある意味じゃズルイ構成だが、これもまたテクニックではあろう。高木の方が構成を考えたのは良かったように思える。 荊木センセイも今回は自然に活躍を追えたものの、一方の神津は本当に、ギリギリまで本人は作中に出てこない。こりゃまさか、エピローグに荊木センセから事件の報告を聞くだけで終わっちゃうんじゃないの? とさえ恐れたりした。 が、結果、神津はかなりコンデンスな見せ場を与えられていて、軽くビックリした。しかも(中略)の(中略)を想起させる趣向まで用意されているし! たぶん高木は、盟友・山田とはいえども、自分の大事な名探偵を他人任せにするのがいやで、紙幅的な意味での出番を、ギリギリまで少なくしたんだろうね、きっと(笑)。 ちなみにちょっとだけ中盤のお遊びに触れるが、神津の登場が遅いのは渡米しているからという設定である。そしてそのニューヨークでの宿泊先が「ダネイ・リー」なる御仁のお宅。このギャグには大笑いした。 どうしてもこなれの悪いところは確かにあるんだけど、それでも十分に楽しめた。 名探偵同士の共演イベントという、本願の売りはいまひとつだけれど、お話&ミステリの作りが、まあなかなか頑張っていた(出来がいい、とはいえないけどね)。 |
No.1233 | 6点 | おとり- ドロシー・ユーナック | 2021/07/15 06:44 |
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(ネタバレなし)
1966年春季のニューヨーク。地方検事局の特捜班に所属する二級刑事で26歳の婦警クリスティ・オパラは、ひと月の準備期間を費やしたLSD流通犯人の捕縛作戦に向かう途中、地下鉄で不審な男が制服の小学生の女子2人に接近するのを目撃。放置することもできずにその男を逮捕してその騒ぎのなかで、特捜班の重要な作戦に遅れてしまう。特捜班を率いる切れ者の40歳の地方検事ケイシー・リアダンは、クリスティの事情を一応は了解するものの、同時に冷徹に、彼女の隙を指摘した。その頃、NYでは、謎の殺人鬼による連続レイプ殺人事件が横行。クリスティの旧知の殺人課刑事ジョン・デヴローはこの事件を追うが、やがて同事件は意外な形でクリスティと特捜班にも関わりあってゆく。 1968年のアメリカ作品。 元・実際の婦警で警察小説・女性刑事(婦人警官)ものの、先駆あるいは中興の祖といえるドロシー・ユーナックの処女長編。女性刑事クリスティ・オパラシリーズの第一弾。本作でMWA新人賞を受賞している。 評者はユーナックの作品は、大昔の少年時代に『捜査線』を一冊、読んだっきり。なんでそれを昔、選んだかというと、代表作『法と秩序』はあまりに大冊だったし、今回読んだクリスティ・オパラシリーズは、どうもシリーズものとしての敷居の高さを感じたから。その意味では『捜査線』は単発もので、紙幅もそんなになかったしね。同作の細部はおろか内容もほとんど忘れているが、どういう主題でどんな後味だったかは、ウン十年経った今でもなんとなくうっすらと覚えている。 それでようやく最近になって、このクリスティ・オパラシリーズを読んでみたいなと思ったが、家の中からはシリーズ2・3作の『目撃』『情婦』は出てくるものの、初弾の『おとり』が見つからない。もしかしたらまだ買ってなかった? かと思い、webで古書を安く購入して、到着後すぐ読んでみた。 なお現状ではまたAmazonにデータがないが、ポケミス1127番。昭和45年10月31日刊行。訳者は鹿谷俊夫という人。 前述のようにユーナックは『捜査線』一冊しか読んでないものの、当時からかなり筆の立つ作家だという印象はあったように思うが、実際、予想通りに、いやそれ以上にリーダビリティは高く、話はサクサク進む。 本作はいわゆるモジュラー型の警察小説ではなく、 ①クリスティが在籍する特捜班 ②クリスティ本人の家族(亡き夫マイクの忘れ形見の男子ミッキー、そしてマイクの実母でクリスティの義母、しかし本当の親子に負けない絆を感じあう初老の未亡人ノラ) ③カットバック手法で、その犯行が描かれる連続殺人鬼 ……この3つのストーリーの流れが、大きな幹となって物語が進む。 まあ21世紀の今では、ドラモンドの『あなたに不利な証拠として』あたりをひとつの頂点? として、婦警もの・女性刑事もののもミステリ界全般に浸透・成熟しているわけだろうし、普遍的な新鮮さという点での勝負などはしにくいのだが、一方で本作には、丁寧に細部を書き込んだリアル派警察小説ならではの、時代を超えた骨太さを感じさせる部分はある。 小説的な旨味としては、とある着眼点から真犯人に迫ったと確信し、手柄を立てられると思ったクリスティが直面する<思わぬ事態>など、いかにも……な感じでオモシろい。 たぶん作者の実体験に基づく? リアルな描写であろう。 全体としては期待通りに楽しめたが、実を言うと一方で、ミステリとか警察小説というよりは、(中略)という意味で「あれ、やっぱり、そっちに行っちゃうの?」という部分も無きにしも非ず。 あんまり詳しくは言えないのだけれど<ソコらへん>は、良くも悪くも? 半世紀前のエンターテインメントなんだよね、という感触もあった。 まあ、改めて、安定して他の作品も楽しめそうな実力派作家だとは思うので、そのうちまた、翻訳が出ている本シリーズ、あるいはノンシリーズの未読のものを手にとってみたい。 |
No.1232 | 5点 | 人みな銃をもつ- リチャード・S・プラザー | 2021/07/14 05:53 |
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(ネタバレなし)
「わたし」ことロサンゼルスの私立探偵シェル・スコットは、ある日、事務所に、謎の男の襲撃を受ける。拳銃で脅して自分をどこかへ連行しかけた相手を押さえ込み、警察に突き出すと、賊は、人気ナイトクラブ「ピット」の経営者マーティ・セイダーの身内のオージー・ヨークとわかる。セイダーは少し前のスコットの仕事の依頼人で、暗黒街の大物コリアー・ブリードを調査させたことがあった。その直後、スコットの事務所の周辺をうろついていた赤毛の美女が、いつのまにか姿を消した。遺留品から彼女は、セイダーの店ピットの歌手アイリス・ゴードンだと判明。気になる事態の連続のなか、スコットはセイダーに会いに出かけていくが。 1951年のアメリカ作品。シェル・スコットシリーズの長編第三弾で、日本では、別冊宝石121号「現代ハードボイルド特集」(昭和38年8月15日刊行)に看板作品として一挙掲載。翻訳は山下愉一。 評者はシェル・スコットシリーズの長編は、21世紀に発掘翻訳された『墓地の謎を追え』を最初に読んだのち、改めてシリーズ第一弾の『消された女』から順番に手にとってきた。 つまりこれで都合4長編めになるのだけれど、<私立探偵小説枠の中の、フーダニットミステリ>としては、コレが一番薄味であった。 じゃあ今回はどういう方向の内容かというと、暗黒街の大物ブリードにちょっかいを出したワルの中堅セイダー、その双方の軋轢に、メインゲストのヒロイン、そしてスコットが巻き込まれて行く話筋立てだ。推理小説というよりは「私立探偵の仕事の日々の中にはこういうトラブルもあるよね」と作者が言いたげな話。 なんか私立探偵の事件簿の中に生じる、ある種のケーススタディを提示されているような趣がある。 ずっとのちの<都会の西部劇>スペンサーものの先駆みたいにも思えた。 そのくせ終盤の方で、なんか律儀に殺人事件とその真相についてのサプライズも用意してあり、急にミステリ成分がやや濃くなるのもちょっと意表を突かれた。 まあパズラーっぽいとか、フーダニットの興味とかそういうのではないが、最後の方で、意識的にミステリ読者の目線を気にした作劇を設けたのは確か。 同じ別冊宝石のコラム記事、作家紹介の個所で田中潤司が作者プラザーと主人公スコットに言及し、意外にハードボイルドヒーローらしくなく、時にはかっこ悪い目にもあう、という指摘をしているが、まあその辺は個人的には、分かるところ半分、そうでないところ半分、という気分。だって、スペードも、マーロウも、ハマーも、みんな広義での<カッコ悪い>ところもまた、魅力ではあるので。 そーいやスコットの一人称での内面描写に、いきなりサム・スペードの名前が出てきてビックリした(この別冊宝石でのP110)。スコットが先輩探偵を、少なくとも一面で、どういう風に思っているのかが窺えてニヤリとする。 一冊の長編としては、スコット危機編としてもうちょっと引き締まったサスペンスで盛り上げればいいのに、とにかく中盤が丁寧すぎて冗長(その分、終盤の転調が印象的ではあるが)。 このシリーズをスナオな謎解き枠のミステリばっかにしないよという、当時の作者の若さは感じるんだけれど。 シリーズのファンの人は、変化球的な一本というつもりで付き合ってみてくださいな。 |
No.1231 | 6点 | 土壇場でハリー・ライム- 典厩五郎 | 2021/07/13 06:26 |
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(ネタバレなし)
1967年5月12日、金曜日の夜。都内の三流新聞社「東都新聞社」の屋上から、文化部部長で45歳の月田春之が墜落した。一見、自殺に見えたが、その手に男性には似合わない色鮮やかなパラソルが握られ、さらに月田は近日中に会社を勇退して地元で仕事を始める準備を進めていた。月田の部下で、同じ映画好きとして年の離れた友人でもあった26歳の真木光雄は上司の死に不審を抱き、独自の調査を始める。やがて月田が死ぬ少し前に、なぜか、かのリヒアルト・ゾルゲ関係の資料を読み漁っていたという怪訝な事実が浮かび上がってきた。 第五回サントリーミステリ大賞で、大賞と読者賞を同時に受賞した作品。オールタイムの同賞の史上でも一冊の長編が同時受賞というのはほかに例がない。そういう意味でもちょっと記憶に残る一編。 (かたや、賞の大きな機能である宣伝効果を考えるなら、同じ作品が同じ枠の中の賞を2つ受賞というのは、いささか非効率? ともいえる。) 作者・典厩五郎は本作で小説デビューだが、本名の「宮下教雄」名義で、昭和の多数の映画・テレビ作品で脚本を担当。評者などもこの人が参加した杉良太郎主演の刑事ドラマシリーズ『大捜査線』(およびその第二部『大捜査線・追跡』。こちらでの宮下はメイン文芸)などをよく観ていた(そーいやこの人、テレビシリーズ版『バンパイヤ』の脚本とかもちょっとやっているが、そちらの担当回は録画映像は所有しているが、まだ観てなかった~汗~)。 当人は本作以降も2010年代まで、作家として末永く活躍。後年は時代小説分野の著作もあるらしく、現代史をふくめて歴史についての素養も豊富なようである。本作も中盤以降の主題となるゾルゲ事件の扱いに、それらしい見識のほどが確認される。 くだんのゾルゲ事件の謎への踏み込みは、虚実こもごもあわせて結構な熱量を感じさせたが、一方でたぶん本作が刊行された時点ではッショッキングな新説だったのであろう? 観点が、2020年代の今ではすでにかなり喧伝されたものになっているのは残念。 そもそも1967年という時代設定が、本作の文芸設定(掘り起こされるゾルゲ事件の影響)を勘案してのものらしく(この辺は実作を読むとなんとなく狙いがわかる)、時代の流れの中で色あせてしまった点は、いささか惜しい気がしないでもない。 それでも現代史の裏面に分け入っていく独特のダイナミズムには、相応の興趣があった。 とはいえ全体のミステリとしての結構というと、その現代史の謎の部分と、リアルタイムの殺人事件の謎の融和が……うーん……(中略)。 本作が選考されたリアルタイムの講評では、選考委員のひとり都筑道夫などは、題名がよくない、時代色の見せ方が安易(大意)だとか手厳しい。が、個人的には、タイトルは耳で聞く響きが心地よい上に、この題名に持ってくる流れがちょっとニヤリとする感じで悪くない。さらに映画や音楽の話題の羅列が主体となってこの60年代の半ばを語るのも、評者の関心に合致した形で楽しかった。 (あとで見たら、Amazonでも同様の物言いをしている人がいて、うん、納得。) 現代編の登場人物はかなり多数出てくるので、メモをとることをオススメするが、キャラの配置そのものは図式的すぎる一方、場面場面では随所で印象的な芝居をして見せたり、その辺はいかにもシナリオライター出身の作家の作品っぽい気もした。昭和ミステリとしてのまとまりでいえば、乱歩賞作品のBクラスの中ぐらい、そんな感じか。まあクロージングは、ちょっと力技を感じながらも、これでいいと思うけれど。 読み物としてはなかなか面白かった。ただし謎解きミステリ、さらに現代史の謎と現在形の殺人事件が絡み合う、立体構造の作品としては……まあ(中略)。6.5点くらいあげたい気分で、今回はこの評点に、とどめておく。 |
No.1230 | 5点 | 女ボディガード- カーター・ブラウン | 2021/07/11 14:48 |
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(ネタバレなし)
1959年のロサンゼルス。「あたし」ことメイヴィス・セドリッツは、私立探偵ジョニィ・リオの探偵事務所の共同経営者だ。ある日、5年前に物故した石油王ランドルフ・アーヴィング・エブハートの長男で29歳のハンサム、ドナルド(ダン)が依頼に来た。彼の話では自分がもうじき30歳になった時、亡き父の膨大な遺産の正式な分割譲渡があり、彼や妹ワンダ、腹違いの弟カール、そして周辺の人物に分け与えられるはずという。だが遺言の指示で、ダンが遺産を相続するにはその時点で結婚して、しかも自宅に夫婦で住んでいなければならなかった。しかしダンはこれまで2度結婚したものの、いずれも妻を事故死? らしい変死で失い、これは誰かがダンの相続を阻んでいる可能性もあるという。現在のダンにはすでにクレアという3人目の美人の妻がいるが、幸い、実家の連中はまだ彼女に会ったことはない。そこでダンはジョニィ・リオの了解のもとにメイヴィスを3人目の妻に偽装して、秘密のボディガードを務めさせながら自宅に戻り、ことを済まそうとする。だがそこでメイヴィスが出くわしたのは、予想外の殺人事件だった。 1959年のコピーライト。 ミステリデータサイト「aga-search」の資料によると、女探偵メイヴィス・セドリッツものの第五長編。 ポケミス19ページでいくつか以前の事件のことが語られるが、そのうちのひとつは第四長編『女闘牛士』のようである。それは読んだ覚えがある。セミレギュラーの脇役ラファエル・ベガが登場したこと以外、内容はさっぱり忘れているが。 本作も前に読んだかなと思いながら書庫から引っ張り出してきたが、たぶんまだ未読だったようである。 ページも少なく(本文150ページちょっと。解説なし)、2時間で読める。 一種の館もの的な趣のある作品で、やや際どい感じの猟奇っぽい殺人も起きるが、かたや登場人物も少ない。誰が犯人でもおかしくない作りで、本命っぽい人物もメイヴィス・セドリッツの嫌疑の対象になる。 これでどうやって、最低限のエンターテインメントとして、山場の意外性を出すのだろうと思っていたら、ちょっとショッキングな趣向を用意してきた。この辺のサービス精神はさすが。 しかし何十年ぶりかでこのシリーズを読んだと思うけれど、改めてメイヴィス・セドリッツって、自分自身がオツムが弱いことを自覚しながら、屈託がないのね。 同じ時代のお色気探偵としてよく並び称されるハニー・ウェストなんかは、もっとずっとシャッキリしている。 感じで言うなら『ファミリー・タイズ』のマロリーか、『エスパー魔美』の佐倉魔美みたいな、ああいう愛せるアホな子の印象であった。 なおこれもポケミス裏表紙のあらすじ、その終盤の部分(あらすじの下から2行目「しかも~」以降の描写が、実際には本編のシーンの中にない。話を盛るのもたいがいにせいよ。当時の早川書房。 |
No.1229 | 7点 | 黒の捜査線 - クリス・ストラットン | 2021/07/10 06:55 |
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(ネタバレなし)
アメリカのドリーン郡。37歳の白人の地方検事デイビッド・ロウは末期癌に冒されて死にかけていたが、年長の友人でもある名医ブルース・ケルマン博士の手術によって、脳組織を頭部を損傷した他人の肉体に移植して甦る。しかし肉体を提供した事故死者のラルフ・ディクスンは同年代の黒人であり、青年検事デイビッドは黒い肌で職務に復帰することになった。地方検事の事務所の中にはデイビッドの帰還を素直に喜ぶ者もいる一方で、黒人の下で働けるかと辞表を出す者もいた。そしてデイビッドの愛妻マーガレット(メグ)は、理性では受け入れようとしながら、黒い肌となった夫にどうしようもない抵抗感を覚える。そんなデイビッドの担当する大きな案件、それは25歳の美人の黒人女性の殺害事件で、しかもその容疑者として、デイビッドにとっても因縁の人物が浮上してきた。 1969年のアメリカ作品。ミステリ界を含むアメリカ文壇全般が、ブラックパワーブームだった時期のたぶんど真ん中に、書かれた一冊。 ヒット作『夜の大捜査線』のタイトルにあやかった邦題の映画が本邦で公開される機会に、その映画の邦題そのもので邦訳出版された作品。医学SFの興味と人種差別問題の社会派テーマを擁しながら、ミステリの山場は法廷もののジャンルに向かう内容。 ちなみに評者はくだんの映画はまだ観たことがないが、主人公デイビッド(黒人ラルフ)役は、棺桶エドか墓掘りジョーンズかのどちらかを演じた黒人俳優レイモン・サン・ジャックが、担当したらしい。 もちろん医学SF設定の部分はあくまで人種差別テーマを浮きだたせるための便法で、中身そのものは良くも悪くも直球の社会派ヒューマンドラマになっている。 愛と友情、理性と生理的な摩擦感、建前と本音の相克がそれぞれ登場人物たちの試練となるドラマは生硬とも旧弊ともいえる王道な作りだが、まあこれはこれで骨っぽいオーソドックスな作劇として楽しめた。 レイシストの敵役との対決になだれ込む法廷ミステリとしての山場はそれなりの熱量。ただし謎解き作品としての興味はほとんどない。それでも最後は、こちらが油断していたこともあったが、もうひとつ「押し」てきてなかなか楽しめた、というか読みごたえがあった。 書かれた時代も勘案して、こういう作品はこれでいいのだ、という決着点を迎える。 ヒューマンドラマとして、登場人物たちの偏差値が全体的に高いのが、ちょっと(中略)という感じもしないでもないけれど。 これも6~7点と迷ったところで、この評点で。 |
No.1228 | 8点 | 殺人よさらば- ジョン・ラックレス | 2021/07/09 15:56 |
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(ネタバレなし)
1970年代の後半。CIAの秘密暗殺工作員チーム「Oグループ」に所属する38歳の技術者エドワード(エディ)・マンキューゾは、もともと天才発明少年だった才能を評価されて、18歳の時から諜報活動の裏世界に入り、Oグループの暗殺者のために無数のトリッキィな暗殺道具を考案してきた。そんなエディはそろそろこの世界からの足抜けを考えるが、長年の機密に深入りしすぎた自分の順当な勇退など、認可されないと認識。自分がこの世界から去るには、Oグループの主幹5名の抹殺が先に必須だと考える。だがCIAのスーパーコンピューター「サイバー」は、エディのこの思惑を察知。Oグループの面々に事態の緊急性を伝えて、先手を打つようアドバイスした。そんな一方、ソ連では、KGB内部の40代後半の技術者でエディとほぼ全く同様の職務につくワシーリイ・ボルグネフが、同じように所属組織からの足抜けを考えていた。ワシーリイは、自分とそして実はエディの共通の彼女である謎の女性「チャリス」を介して、メキシコでエディに接触。互いの標的を交換すればそれぞれの暗殺はスムーズにいくとして、CIAとKGBを股にかけた計画的な交換殺人を提案する。 1978年のアメリカ作品。集英社文庫版で読了。 エンターテインメント(広義のミステリ)のガイド本として秀逸な「100冊の徹夜本」(佐藤圭)の中でホメられている一冊で、もともと翻訳刊行当時にもミステリマガジンだったかEQだったかの書評でもそれなり以上に高評を授かっていたような覚えがある。 要は都筑の『飢えた遺産(なめくじに聞いてみろ)』みたいな外連味豊かな殺人テクニック(またはデバイス)の羅列を、スパイ小説の枠内でしかも交換殺人という趣向を加えて語るという、かなりキテいる作品。末端の個人(たち)が諜報組織を翻弄という意味で、ガーフィールドの『ホップスコッチ』みたいな趣もあるかもしれない。 (なお主人公コンビの殺人手段は、かなり毒殺のバリエーションを重視している~そればかりではないが。) 文庫版で400ページとちょっと厚めだが、2人の主人公が、合算10人前後の標的を相手にして、さらに側杖を食うもののアクシデントや敵側の増援なども登場して、消化しなければいけないイベントのタスクは多いので、お話はこれ以上なくサクサク進む。一晩でいっきに読み終えてしまった。 ストーリーの流れがマンネリになりかけた時、CIA側の前線に某重要人物が参戦してきて、展開に明確な弾みをつけるのも実によろしい。 謎のヒロイン「チャリス」の正体は見え見えで、さすがに読んでいてこの素性(本名)を察しない読者はいないだろうと思うが、その辺は作者たち(コンビ作家だ)も重々承知のようで、適度なタイミングで底を割ってさらに奥のドラマへと移行させる(もちろんあんまり書けないが)。このあたりの呼吸も実にヨロシイ。 翻訳の田中融二が文庫のあとがきで語る通り、シリアスに見えて戯作性の強い異色スパイアクションだが、それでも核となるキャラクタードラマの一部には相応の手ごたえがあり、終盤でさらに明確になる某メインキャラの内面の描写にはずっしり重いものもある。それでもそれらを全部ひっくるめて、エンターテインメントにしてしまう奇妙な器の大きさを感じさせる作品でもあるのだが。 評点は、テンポの良さがとても快いし、不測の事態などのイベントも相応に用意して緩急もつけてある達者さも認めるのだが、どこかよろしくない意味での軽さも拭えないでもない。もしかしたらこちら読む側のある種のないものねだりかもしれないが。 評点は0.25~0.5点くらいオマケかな。 |
No.1227 | 6点 | 陽光の下、若者は死ぬ(角川文庫版)- 河野典生 | 2021/07/08 14:58 |
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(ネタバレなし)
角川文庫(昭和48年6月30日初版)版。 以下の全7編の(まあ初期の)中短編を収録。 「陽光の下、若者は死ぬ」(1960年・日本版ヒッチコックマガジン) ……時代の空気に満ちた過激派のテロ模様を、技巧的な叙述で語る一編。読みながら(再読しながら)掲載誌の印象的な扉ページの挿絵をなんとなく思い出していた。 「溺死クラブ」(1959年・宝石増刊号) ……裏世界の一角に集合した殺し屋たちの人間模様。ハードボイルド小説のパロディと自称する作品だが、渇いた感覚と凄絶なまとめ方は照れるにおじず、という感じ。 「憎悪のかたち」(1962年? 宝石) ……黒人とのハーフの不良少年を主人公にした青春クライム・ノワールで、本書中でも筆頭に骨っぽい中編。終盤、加速度的な燃焼を実感させる。ねじくれた抒情ぶりがたまらない。 「ガラスの街」(1967年・推理界) ……若者を主題にしたドキュメンタリー番組を手掛ける中年のTVディレクター「わたし」を語り手にした一編。昭和の映像文化もの、業界ものの興味を備えたハードボイルドミステリの趣があり、実質的な主人公(ヒロイン)といえるズベ公娘ミミの肖像、そして彼女を取り巻く男女の大人たちの素描が心にしみる。 「カナリヤの唄」(1969年・週刊サンケイ) ……バイクを駆る不良少年少女たちと訳ありの中年との邂逅を、独特のベクトル感覚で語る話。やがて明かされる中年男の文芸設定が理に落ちすぎている気もしたが、これはこれでいいかも。メインキャラの娘、順子(ジュン)は、ああ、こういうのが河野作品のヒロインだなあ、と思う。 「新宿西口広場」(1969年・オール読物) ……デパートガールの村田沙子が接点を持った、とある非日常的な、それでも日常の話。執筆された時代の都会の乾いた空気を感じるような一編で、ラストの余韻もよい。 「ラスプーチンの曾孫」(1970年・別冊小説現代) ……酒場で働くロシア系の娘が、怪僧ラスプーチンの血脈だと暗示を与えられて(……といっていいのか)、だんだんと暴走してゆく短編。ほかのエピソードとは明らかに毛色が異なる方向性なのだが、それでもどこかに河野作品らしい、この作者らしい個性を感じる。このクロージングもかなり余韻があってよい。 「殺しに行く」(1971年・オール読物) ……ヤクザ組織の抗争のなかでとある事態の深みにはまっていく、在日朝鮮人の青年の話。先の「憎悪のかたち」同様のマイノリティの日本人設定の主人公で、先行作と読み比べるのも興味深い。およそ10年の時を隔てて、作者の意識のなかで何が変わって、何が変わってないかが何となくながら見えるような気がしないでもない。 以上7編。ゆっくりちびちび読むことを推奨。評者は後半、さる事情からほぼいっきに読んで、少し胃にもたれた(汗)。 【追記】 1960年刊行の、同じ書名の荒地出版社の短編集は内容は別もの。 以下に参考のために、そちらの荒地出版社版の方の収録作品を列挙しておく。 「狂熱のデュエット」 「腐ったオリーブ」 「溺死クラブ」 「ゴウイング・マイ・ウェイ」 「日曜日の女」 「かわいい娘」 「殺し屋日記」 「陽光の下、若者は死ぬ」 あとがき |