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[ SF/ファンタジー ]
蟻人境
小説
手塚治虫 出版月: 1996年03月 平均: 5.00点 書評数: 1件

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講談社
1996年03月

樹立社
2013年03月

立東舎
2016年07月

No.1 5点 人並由真 2022/01/04 07:18
(ネタバレなし)
 20歳代半ばの美青年で私立探偵の鳳俊介は、元宝石商の実業家・殿町から調査の依頼を受けた。その内容は、殿町が社長をつとめる会社が所有する軽井沢の石切り場、その周辺に怪異な幽霊が出没するので、その謎を解き明かして欲しいというものだ。同じころ、有名な登山家で探検家でもある春島久太郎の一人息子・章もまた、自宅の邸宅の一角にある防空壕の奥に怪しい穴を見つける。それは春島家が数年前に購入した屋敷の庭に秘められていた、未知の地下世界に続く長大なトンネルであった。鳳探偵の調査と春島家の秘密、その二つはやがて一本の線に結び付いていくが、それは太古から地底に雌伏していた謎の亜人種「蟻人(ぎじん)」の、人間社会への挑戦の発端でもあった。

 今回、初めて読んだ。評者は、大昔の若い頃にソコソコ高価な古書価で購入した、1970年の元版「毎日新聞SFシリーズ」の一冊で読了。
 同叢書の一冊として初めて世の中に上梓された本作『蟻人境』は、ちょっとした手塚ファンなら誰でも知っているタイトルで、「漫画の神様」手塚の手による数少ない(珍しい)、ごく純粋なSFジュブナイル<小説>である。

 世代人には周知の通り、くだんの「毎日新聞SFシリーズ」は、香山滋の『怪物ジオラ』(これは意外に秀作!)や佐野洋の『赤外音楽』、平井和正の『美女の青い影』などの(それなりに今でも有名な?)諸作をラインナップした、1970年前後の時世のヤングアダルト向けのSFジュブナイル叢書だった。
 で、この時期の手塚先生は、当時の劇画ブーム、さらに漫画月刊誌が衰退してゆく時世のさ中にあって、少年漫画の仕事がやや軽くなっていた(それでも青年誌そのほかでかなりの仕事を消化していたが)。
 手塚はその機会を活かして、かねてより関心があった小説分野での本格的な著述に挑んだものと思える。

 ちなみにこの「毎日新聞SFシリーズ」という叢書は、シリーズ全体として統一されたアート調の白地のジャケットカバーを用意(つまり題名と作者名だけ異なり、あとはどれも同じアート的なデザインのジャケットカバー)。
 そんなジャケットカバーの下にそれぞれの作品固有の表紙画が装丁され、さらに本文には数葉の挿し絵も添えられている。
 が、本作『蟻人境』では、手塚は日本最高峰の漫画家ながら、それらの表紙画、挿し絵の画稿には全部、他人のイラストを使用している。小説本文を書くために締め切りギリギリまで時間を費やしたのか、あるいはあくまで小説本文の著述に専念したかったか、その辺の事情はしらない。

 ところで幼少期より手塚作品ファンだった評者が、手塚先生には本格的な小説分野での著作がアリ、それが『蟻人境』なる長編作品なのだと初めて知ったのは、石上三登志の名著『地球のための紳士録』の手塚治虫の項目でのことだった。これで少年時代に、え? そんなのがあるの? と興味を惹かれたのが、全てのことの始まり。
 それから数年の内に、それなりにコドモなりに苦労して稀覯本の「毎日~」版を入手したが、例によって読み惜しんでいるうちに作者ご自身が逝去。
 その数年後に、当初の分の未収録作品をどんどん補遺してゆく講談社の手塚全集の別巻で、本作は復刊されてしまったのだった(……)。
 で、さらに2020年代の現在では、くだんの手塚全集・別巻版をふくめてすでに数種類の書籍で本作は読めるようになっているが、評者個人に関していえば、まあそろそろ読んでみようか、ぐらいの気分で、このたび、くだんの(元)稀覯本の「毎日~」版のページを開いたわけだった。
 まあお正月で、おめでたい気分だしね。秘蔵の酒の栓を抜くようなものだ。酒精がとんでなければいいけれど。

 で、作品そのものの感想だが、むむむむ……。予想していたより荒っぽい作りであった。

 太古の昔からホモサピエンスとは別の進化を遂げて地底世界で棲息し、蟻の属性を持った亜人種「蟻人」が独自の文明を築いていた。そんな彼らは20世紀になって、さる事情から現代の人間社会に挑戦。その目的は東京の地下空間を奪取し、強引に彼らのテリトリー社会を作ろうとするもの。
 つまり設定そのものは良くも悪くも王道の異種生物による侵略ものなのだが、しかし手塚先生、その肝心の蟻人社会の総数がどのくらいなのか、そしてその数に比例してどれくらい東京の地下の空間を必要とするのか、そのあたりのデティルの説明をまったく作中で触れていないのが実に困る……(小説の後半で、冬眠状態から目覚めた蟻人が、一日ごとに膨大に増えていくことだけは語られている)。

 共存困難な知的生物同士の対峙・対決をフィクション(特に小説ジャンル)の主題にするとき、作中のリアルで何が真っ先に問題になるはずかと言えば、<別種の生物が何万何十万、あるいはそれ以上の数で押し寄せてくる現実、そんな「圧」の恐怖と緊張感>だと思うのだ。何はともあれ、そこをしっかりと送り手が押さえてくれなければ……という感じだ。
 たとえば本作以前の手塚作品(漫画)で、東京に異種生物の大群が押し寄せる図といえば『アトム』の傑作、巨大カタツムリ事件の「ゲルニカ」などであろう。あれもカタツムリ怪獣たちの具体的な総数は劇中で語られていなかったと思うが(記憶違いでしたらすみません)、その分、漫画のコマワリ、構図の迫力で十二分以上に恐怖感と緊張感を達成していた。だから面白い。
 しかし直接のビジュアルのない小説は漫画とは勝手が違い、具体的な、もっともらしいデータ数などを提示するなどのデティル演出がなくては、クライシスの叙述が定まらない。
 そういう意味では、数か月前に読んだ海野十三の『火星兵団』の方がさらにずっと古い戦前のジュブナイル侵略SFながら、世界各地の狂乱、火星側の軍備の物量感など、小説の細部はちゃんとツメてある。
 大作家の手塚先生、畑違いの創作ジャンルの小説分野で、意外なスキを見せてしまったという感じ?

 ほかにもヌカミソサービス的なサブキャラの配置(東宝映画『美女と液体人間』あたりの、SFと通俗ノワールものの融合をちょっと匂わせるもの)や、クライマックスの人類側と蟻人との激闘なども、それぞれ何をやりたいかはわかるが、本当ならもうちょっと練れただろうし、もっと盛り上げられんだろうなあ、という感触であった。
 まあ、人間側の反撃作戦そのものは、前述の「アトム・ゲルニカ」ラストの逆転劇のバリエーションという感じのアイデアが用意されていて、悪くはないんだけれどね。
(中でも一人だけ、人間側の某キャラクターのラストの扱いが、なかなか印象的だ。)
 
 じゃあ本作がトータルとしては凡作、失敗作かというと、必ずしもそんなことはない。
 実質的な主人公の少年・章(鳳探偵の方は、造形も叙述も不完全燃焼感が強い)と、成り行きから奇妙な距離感での関係を紡いでいく蟻人側の某キャラクターのドラマ、ここだけは、当時の時点ですでに無数のロマン物語を語ってきた手塚作品の本流という感じで、読み手の心に沁みるもの。
 作家・手塚治虫の軸は、ブレてはいなかったとは思う。

 まとめると、一本のジュブナイルSF作品としては正直、あまりオススメはしにくいのだけれど、手塚作品ファンなら<先生の別ジャンルへの挑戦の成果>として、そういう関心から読んでみるのもアリではあろう。
(実は短編やショートショートを含めれば、先生は晩年までにそれなりの数の小説を遺してはいるんだけどね。まあ、そっちの感想は、いずれまた実作をしっかりと呼んでからということで。)


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ダスト18
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