皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
していません。ご注意を!
人並由真さん |
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平均点: 6.34点 | 書評数: 2199件 |
No.1999 | 7点 | 天使が消えた- 三好徹 | 2024/03/25 15:09 |
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(ネタバレなし)
全国紙の横浜支局に勤務する30歳代半ばの新聞記者「私」は、その年の歳末、横浜市内で起きた「藤塚病院」の火災の事情を調べていた。火事の状況を知る者として、コールガールか街娼らしい若い娘「チーコ」の存在が浮かび上がる。出くわしたヤクザ者らしい相手の妨害を受けながら調査を続ける「私」だが、やがて殺人事件が発生。その事件は「私」の周囲の者にも、深く関わってきた。 読者視点で名前の未詳な新聞記者「私」を主人公とする、基本は短編形式のハードボイルド連作「天使シリーズ」の長編第二弾(いうまでもないが、「天使」とは、主人公の「私」がそれぞれの事件簿の中で出会う、正邪のさまざまな、キーパーソン的なゲストヒロインたちを意味している)。 本長編は「赤旗」に1972年1月5日から35回にわたって連載されたのち、カッパノベルズで書籍化(現状、元版はAmazonに登録なし)。その後で、角川文庫に入った。評者は、例によって少年時代に買ったカッパノベルズが見つからず、ブックオフの100円棚でしばらく前に購入した角川文庫版でこのたび読了。 これも1970年代前半のミステリマガジンの国産ミステリ新刊評ページ「警戒信号」で、当時の瀬戸川猛資がその<和製チャンドラーティストぶり>をかなりホメていた一冊で、ちょうどそのころ、本家チャンドラーとマーロウに少しずつ惹かれていった少年時代の自分は、そのままカッパノベルズ版も購入した。 しかし瀬戸川氏の作品を語る筆は例によって実作以上に? 蠱惑的で、さらに自分自身、短編の方の「天使シリーズ」の実作を読んでかなりスキになったため、この長編『天使が消えた』はなかなか封を切るのがもったいない、秘蔵品のような扱いになった(で、そのうち、蔵書が見つからなくなるいつものパターン~汗~)。 そういう形で、半世紀も読むのをとっておいた作品だが、今回はもういいかな、と思って二日で読了。日を分けたが読みにくいなどということはカケラもない。話のテンポが良い上に会話もべらぼうに多く、たぶん三好徹のほかの長編をあわせても上位のリーダビリティでスラスラ読めた。 で、感想だけど、う~む、確かに、気の利いた言い回し、ウィットのあるレトリック、そして主人公の気骨と等身大ぶりのバランス……などなど、和製チャンドラーには十分になっているとは思う。その辺は半世紀前の瀬戸川評にまったく異論はない。 ただし、ミステリとしては<被害者の死体に残されたある状況の謎>というなかなか興味深い引き(「私」の胸中の疑念として語られる)で盛り上げておきながら、え、真相はそれなの? という軽い当惑。さらに後半のサプライズが早めに透けて見える事、そして真犯人の設定……など、いささかブロークンな作り、という印象も生じた。瀬戸川氏、その辺については全くノーコメントで、これはこれで良質の和製スリラー、という主旨でホメている。 ちなみに角川文庫版の解説は郷原宏氏。個人的に郷原氏の旧世紀の仕事や評論はいまひとつ買っていない評者(21世紀になってからは、だいぶ見直したが)だが、そこではあえてミステリとしての本作の構造に苦言を呈してもおり、とても共感できる(ということで、もし角川文庫版でこれから本作を読む人は、解説に先に目を通しちゃダメだよ)。 しかしまさか自分の中で、昭和の郷原>瀬戸川 という、共感度の優劣の図式が成立するとは思わなかった(苦笑)。 ただし、我ながらちょっと奇妙な感覚だが、先にブロークンと書いたとおりの本作の印象ではあり、ミステリとしてのお約束定型コードをいくつか外したり、ゆるかったりする面はあるものの、一方でトータルで見るとやはりそんなに悪くない、「私」の視点で追う事件の様相が推移し、変遷してゆく成り行きにはちゃんとまとまった結晶感がある、という思いも抱ける。 ごくたまにではあるが、そういう、パーツのこなれの悪さが気になる一方、全体としては、ちゃんとひとつの物語世界をぎりぎり築いてはいる長編……そんなのに出会うことはあるものだが、正にこれなんかソレかもしれない。 その辺の作品全体のある種の貫録が、先の和製チャンドラー節で語られる、物語の文芸感とどこか詩情めいた要素との掛け合いで本作の魅力となっており、結局、そんなに悪い点はつけられない。 大事にとっておいた作品がそのまま傑作・優秀作というわけでは決してなかったが、これはこれで読んでよかった一冊。そして「天使シリーズ」のファンの末席にいる者としては、またちょっと「私」というキャラクターに近づけた作品であった。 |
No.1998 | 6点 | 悪魔がねらっている- 山崎忠昭 | 2024/03/21 18:21 |
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(ネタバレなし)
「大和学園」高等部の二年生、剣道部員の成宮洋次は、路上で不良にまとわりつかれる「ロザリオ女学院」一年生の美少女、境まゆみを救う。その縁で親しくなる若者たちだが、かねてより生来の霊感に優れ、幼少時から周辺の凶事などを予知してきた洋次は、悪夢でまゆみの危機を察知した。やがて堺家のまゆみに異変が生じ、洋次を応援する祖母は成宮家の血筋に秘められた陰陽師と剣士の資質を語り、同時に孫とともに怪事に立ち向かう。洋次はいとこの、城北大学で超心理学を研究する助教授、見上英樹の応援を願うが、当人は現代科学の理屈で安易なオカルトの存在を否定した。だがそんな間にも、まゆみを狙う黒幕の正体=国際的サタニスト集団「地獄の火クラブ」は暗躍を進行させていた。 ソノラマ文庫版で読了。元版は同じ朝日ソノラマのサンヤング叢書から、文庫の数年前に出たジュブナイル怪奇小説だが、そっちはAmazonには現状で登録がない(そもそもサンヤングって、めったにAmazonに登録がナイね)。 少年時代から、ヌードらしい肩が見える表紙の美少女イラスト(元版も文庫版も共通)に妖しいエロさをなんとなく感じていてうっすら興味を持ち続けていた(笑・汗)が、中味の小説の方は、オヤジ~ジジイの今になってからようやく読んだ。 作者、山崎忠昭は1960年代から90年代にかけて、テレビアニメ『(旧)ルパン三世』やら『デビルマン』やら『聖闘士星矢』やらで活躍、ほかに『ゲバゲバ90分』や特撮番組『光速エスパー』『恐怖劇場アンバランス』などを執筆したベテランシナリオ作家。 しかしこのサイトの人々には、何をおいても、あの『殺人狂時代』や同じく都筑の作品を原作にした『危いことなら銭になる』などの広義のミステリ映画のシナリオ(いずれも合作)で、接点があるハズ。 ちなみにWikipediaを確認すると『あなたはタバコがやめられる』という内容未詳の番組を1964年に担当しているようで、同番組の中身はよく知らないが、もしかしたらあのハーバート・ブリーンとも縁があるのかネ(笑)? さらにもともと山崎は生粋のミステリ・SFファンで、小鷹や仁賀などとともにワセダ・ミステリクラブの創設にも参加。そのくらいマニアな人であり、まあ御当人の詳しい事はWikipediaとかを見てくれ、という感じである。 で、本作『悪魔がねらっている』だが、執筆当時にあの澁澤龍彦(実は評者はそんなによく知らないが)の著作を参照、しかも澁澤御当人に参考にさせていただいて創作する旨の了解をとった上で著述するという、かなりマジメなポジションで書かれている。 逆に言えば専門書からの引き写しで、主題となるサタニズムやそれに対抗する聖なる勢力(バラ十字団など)の叙述に関しては、作者独自の見識は薄いんだろうな? という雰囲気もなんとなく感じないでもないが、その辺の厳密なことはそっちのオカルト学術についてほとんどシロートのこっちがどーこー言うべきではない。識者の判断をいずれこのサイトなどで待つばかりである。 遠隔魔術攻撃の魔手が迫り、主人公の洋次側の応援者であるばあちゃん(血筋的にそれなりの霊能力者)が前に出て来る一方、本来は頼りになる兄貴分ポジションであろういとこの英樹が、意外にツッコミしまくるジョーカーキャラなのは意表をついてちょっと面白い。 (そのあと、洋次の応援役としてさらに大物キャラが出てくるのは、主人公側の緊張感を削いでしまうという意味で、やや悪手だった気もしないでもないが。) 昭和ジュブナイル的な大雑把さと雑さも感じないでもないが、クライマックスの某メインキャラの<反撃>の描写など、ちょっと読み手のスキをつく感じでその辺はソコソコよろしい。とはいえ、終盤の方はややあっけない(ある種の演出効果かともとれるが)。 21世紀に改めて掘り起こして、眠っていた秀作とか騒ぐような種類の作品じゃ絶対にないけれど、こういうオカルトアクションジュブナイル小説の系譜を探るうえでは、ちょっと目を通しておいた方がいい一冊かもしれない。 しかし<木刀を持った少年剣士の主人公と、支援する超人キャラ「ドクター~」>って、後年のソノラマ文庫の超ドA級重要作品を想起させる記号だな(笑)。まさかあっちは、この作品の本家取り、だったのか? 最後に、一応ジャンルは「ホラー」に登録したが、正確には純然たるアクションホラー。ある意味で、近しいけれど別もの。豆腐と油揚げくらい違う。 |
No.1997 | 6点 | 殺人は西へ- 井口泰子 | 2024/03/21 17:02 |
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(ネタバレなし)
時代は、山陽新幹線の開通工事が進行する1970年。その11月の末、大阪府警警察学校の教官である浅川浩二郎が、いきなり姿を消した。有能ながら独走も多く「やさぐれ刑事」の異名をとった浅川の失踪は周辺で反響を招き、彼の弟分である28歳のカーマニア「パト吉(パトカーキチガイが転じた仇名)」こと大野一夫の連絡を受けて、都内に在住の26歳の編集者・木庭修子は大阪に向かう。浅川は「淀川浩二郎」の筆名で修子の出版社「日本文化社」に原稿を書いており、その縁で知り合った修子と浅川はいつの間にか互いにひそかに好意を抱き合っていた。やがて浅川当人からの連絡で、彼がさる事情から兵庫県加古川の稲家村にいるとわかるが、そこは山陽新幹線の建設ルートの一環であった。稲家村にはさらに一人の男が現れ、そして同地の工事現場周辺で殺人事件が起きる。 改題・改稿されたケイブンシャ文庫版で読了。 先日、仕事で出向いた都内の古書街の店頭、均一コーナーで本作の文庫版を見かけ、『殺人は西へ』の副題(元版の正式タイトルでもある)に懐かしさを感じて購入した。現状でAmazonにデータはないが、元版『殺人は西へ』は昭和47年8月に毎日新聞社から(たしかソフトカバーで)刊行。当時のミステリマガジンで瀬戸川氏が月評「警戒信号」でとりあげ、かなり熱のこもった(必ずしもホメてはないが)レビューを書いていたのを、なんとなく覚えていた。 ともあれ、評者は今回、元版の刊行から半世紀後に、初めて本作を読む。 作者・井口泰子は1937年生まれ。もともと、テレビ&ラジオ界のライターを経て「推理界」の編集者に一時期、就任。在任中に、小林久三なんかの小説家デビューも世話したようである。その後、長編『怒りの道』で乱歩賞に応募するが、和久峻三の『仮面法廷』に敗れて落選。その直後に、本作でデビューした(なお前述の『怒りの道』も73年に長編二作目として刊行)。以降は地味に長く活躍したが、2001年に他界。 評者自身、実は長いミステリファン歴のなかで井口の長編を読むのは、少年時代に新刊で手に取った『抱き人形殺人事件』だったか『東京シャンゼリゼ殺人事件』だったかに続いて、これでまだ二冊目のハズ。ほとんど初読みのようなモンだ。 それで中身の方だが、元版の『殺人は西へ』の新刊評で瀬戸川氏は、従来(当時)の木々高太郎の系譜に連なる人間ドラマ派推理小説、といった主旨で評価。キャラクターが当時のミステリシーンでは類がないほど生き生きと描かれ、キャラが立っている……という大意でホメている。ただし一方では謎解き部分に無理があり、犯人を隠そうともしないため、大半のミステリファンには受けないだろうとも語っていた。 で、今回評者が読んだのは、12年後に作者が加筆修正したバージョンだから相応の異同がもしかしたらあるのかもしれないが、正直、一部うなずけるし、一部、ちょっと違う感想だな、というところも。 登場人物、個々の書き込みは確かに豊潤でそれぞれのキャラ立ちも申し分ないが、一方で21世紀のこなれた商業作品を読みなれてしまった今の目からすると、ここまで脇役ひとりひとり造形しなくても……無駄な冗長感につながる……といった思いも湧くし(ケチな言い方をするなら、3分の1くらい、キャラ描写のパワーを別の作品にとっておいた方がいいんじゃないか、と思った)。 肝心のミステリ部分に関しても、犯行現場のロケーションの面白さとそれにからむトリックめいたものとか、語られる動機と事情の妙な強烈さとか、終盤のどんでん返しとか、いろいろ仕込みと手数は感じさせるものの、その辺の興味を、比重の多い小説部分が食い合って相殺してしまった感もある。 特に最後の方のクロージングへの流れは、良くも悪くも(どちらかというとやや悪い方に)ああ……昭和のミステリだ、小説だ、という思い。 とはいえ作者はジャーナリストとしての経歴もあるらしく、取材の成果を感じさせる山陽新幹線の建設工事のリアリティ、土地買収の話題、さらには兵庫県の備前焼(山陽新幹線の予定地の土が、材料になる流れでメインプロットにもからんでくる)ななどの小説としての肉の厚さは、たしかにこれはこれで、ほかの作品では読めない種類の、独特の情報感と新鮮な興味を湧き起こさせる。 全体として力作……なのは間違いないが、エンタテインメントを期待する読者が若干不在のまま、作者の方の熱量が優先してしまった一冊という感じ。 基本的には筆力の底力も感じてつまらない、とか、飽きる、とかはあまりなかったが、いっき読みを加速させるようなベクトル感を詰め込み過ぎた内容が減じている感じ。 清水一行(実作・宗田理)の『動脈列島』とあわせて、1970年代前半の全国に新幹線の鉄路が拡張して行く時代に興味のあるヒトなら間違いなく必読の作品ではあるけど。 評点は0.3点ほどオマケ。 |
No.1996 | 6点 | 犯罪は王侯の楽しみ- カトリーヌ・アルレー | 2024/03/19 08:22 |
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(ネタバレなし)
近く定年を迎えるスコットランドヤード犯罪捜査局の局長フィッツジェラルド・スコット。その自宅を夜半に訪問したダンディな紳士「ダブル=ダブル」ことウィリアム・ウィスランドは、スコットの21歳になる娘サマンサを誘拐した、これから近日中に起こる強盗事件の捜査に便宜をはかれと言い渡す。それは、資産も社会的地位も、そして貴族の血をひく美貌の妻も、すべてを持つ大富豪ウィスランドが企む、人生の有閑をまぎらわすための、犯罪計画ゲームの幕開けだった。 1973年のフランス作品。 設定だけネットで読んで、あれ、この時期(70年代半ば)のアルレーの翻訳は、ほとんど全部新刊で読んでたハズだが、中味に記憶がない? もしかして、これだけ読み漏らしていたかな? と思ってネットで少し前に、古書を入手。 で、今夜読んだが、最後までつきあって、ああ、やっぱり読んでた! と思い出す(大汗・笑)。 大筋のプロットは、まったくもってカケラレベルで失念していたが、ラストの悪夢のようなイメージ(あんまり書いちゃいかんか)だけは、さすがに忘れられなかった。ただその描写だけが心象の中できわどく浮いていて、別の長編の最後がそっちかと、半ば勘違いしていた。 クライムストーリーとしての一本調子に不満を覚える人は多いかもしれないけど、その辺は作者の確信行為であろう。 シンプルなプロットだからこそ、主流のドラマの脇の某キーパーソンの運用と、そして前述のラストのナイトメアぶりが際立つ。 同じアルレーなら、同等の時間(2時間ちょっと)使って、別の未読の長編読んだ方が良かったかもしれんけど、この再読は再読で、まあ、意味はあったと思う。アルレーとしては、佳作の上、くらいかね。 |
No.1995 | 7点 | 殺した夫が帰ってきました- 桜井美奈 | 2024/03/19 05:25 |
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(ネタバレなし)
都内のアパレルメーカーに勤務する、一人暮らしの28歳のOL・鈴倉茉菜(まな)。彼女は取引先の妻帯者の中年・穂高からストーカー的な恋慕を寄せられていた。自宅にまで押しかけて来た穂高を押さえて追い返し、茉菜を救った青年は、鈴倉和希。茉菜が5年前に仙台で殺したはずの、夫だった!? Amazonでの評判が良いのを、今年になってからたまたま見かけ、フーン、と思っていたら、近所のブックオフの100円棚で一週間ほど前に見つけて購入。今夜、数時間で読み終えた。 <死者の帰還>という、1950年代以前の海外ミステリなどでしばし見かけられた主題の物語は、はたしてホラーに流れるか、はたまた非スーパーナチュラルの純然たるミステリの枠内に収まるか、なかなか緊張を誘う。 とはいえ正直、伏線が丁寧な(または、丁寧すぎた)こともあり、中盤で大方の真相の枠組みは予想がついたが、その上で改めて読み直すと、結構良くも悪くもグレイゾーンというか、ピーキーな作りをした作品だとわかる。ただし、それはそれで、この作品の場合、ありということで。 物語の実像が見え始めたのち、お話の奥行きがさらに広がっていく感覚がかなり心地よく、真相のどんでん返しどーのこーののサプライズよりも、さらにそのあとで語られた小説としての賞味部分で得点してるタイプの作品じゃないか、と思う。 逆にいうと、その辺が心に響かないで最後まで読んじゃったヒトは、けっこう厳し気な評価しちゃうんじゃないか、と危ぶむが。ふーん、ひねったつもりで、よくある大技じゃんとか、うそぶいて。 評点は、0.4点くらい(0.5点ではなく)オマケしてこの数字で。 |
No.1994 | 8点 | 鍵のない家- E・D・ビガーズ | 2024/03/18 13:05 |
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(ネタバレなし)
1920年代のアメリカ。ボストンの名門ウィンタスリップ一族の御曹司である、29歳の証券会社社員ジョン・クィンシーは、サンフランシスコのおじロジャーのもとを経て、ハワイのホノルルに向かう。ホノルルではウィンタスリップ一族の一員で、先代が没落させかけた捕鯨業を見事に立ち直らせた63歳の富豪ダニエル(ダン)・ウィンタスリップが名士として幅をきかしており、ジョン・クィンシーのおばでもともとはボストン在住の老婦人ミネルバも半年前からダンのもとに逗留していた。そんな道中のさなか、ジョン・クィンシーはサンフランシスコの地でホノルルのダンからロジャー経由で電報を受け、ロジャーおじとともに、ダンからある奇妙な依頼を頼まれた。やがてホノルルに着いたジョン・クィンシーだが、彼はそこで予想外の殺人事件に遭遇することになる。 1925年のアメリカ作品。チャーリー(チャールズ)・張シリーズの第一弾。 いやまあ少年時代から創元の『活躍』も『追跡』も購入はしてあったものの、ものの見事に何十年もツンドク。そのうちに本がどっかいってしまい、二冊とも数年前に古書で買い直したりしている(笑・汗)。 しかし、そんなこんなで21世紀の現在、とにもかくにもビガーズの著作の長編のシリーズ正編は全部完訳で読めるんだから、だったらこの第一作から読もうと今さらながらに一念発起した。 つーわけで、これがビガーズの初読み。チャーリー張との初対面です。 あ、ちなみにこれで藤原宰太郎の名著(メイ著)「世界の名探偵50人」のメンツのうち、自分が登場作品の原典を一作も読んでない探偵は、野村胡堂の銭形平次ただひとりになった。ひかひ、こーゆーことをタスクにしているミステリファンもたぶん珍しかろう。そーいえばアニメ『瀬戸の花嫁』の再放送が楽しいですな。いや、銭形巡(まわり)の大ファンなので(←二重三重に、ぢつにどうでもいい)。 で、内容の感想だけど、いや、非常に面白かった! 犯人に関しては、欧米の某大作家のほとんど手癖パターンをそのまま踏襲してるので、途中で大方の予想がついてズバリ正解だったけど、それはそれとしてお話の転がし具合がとてもうまく、ハードカバー400ページとやや厚めの一冊をひと晩で一気読み。 バランスの良い感じでハワイ観光もののエキゾチシズムも小説の叙述に溶け合ってるが、なにより登場人物の絡み合いの面白さでページをめくらせる。大体、3人のメインヒロインに目移りする気の多い青年主人公ジョン・クィンシーが、そんな不届きさにも関わらず、一件一件の恋愛事情には妙にマジメでキライになれないあたりがすんごくいい。 愉快なキャラといえば、チャーリー張の上司の白人で、一度かけた嫌疑を片っ端から無効化してゆくハレット警部の描写も笑わせられた。 で、情景描写、キャラクター描写のなかに、ミステリとしての伏線も随所にまぎれこませてあり、さらに読者への求心力として<犯行時に? チラリと見えた腕時計の謎>で引っ張る。 いや、まだ、たった一冊読んだだけなんだけど、この張シリーズの評判の良さに、早くも納得しました。 ちょうどほぼ100年前の作品なんだけど、意外に古めかしいところがなく(一部……あるか? 中盤で話が広がるところ)、心地よいテンポで楽しめるエンターテインメント感の豊富な庶民派パズラー。うん、まあ、大御所で誰かに似てるかとあえて言うなら、やっぱりクリスティーの雰囲気に近しい。 とりあえずキチンと読んでおいて、今さらながらに良かった。 クロージングのまとめ方も、良い意味の田舎芝居といった趣でほっこり。 二作目を読むのが楽しみです。 (しかし「奇想天外の本棚」が順調に続いてくれていればな~『シナの鸚鵡』も新訳が出たはずだったらしいんだけどな~もう現状じゃ、望み薄だよな~涙。) |
No.1993 | 7点 | 白い家の少女- レアード・コーニグ | 2024/03/17 06:03 |
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(ネタバレなし)
ニューヨークに近い、ロングアイランドの田舎町。「島」と呼ばれるその地域にある白い家、かつてウィルスン家の住居で、町から離れた屋敷に、英国から詩人のレスリー・A・ジェイコブス、そしてその娘で今は13歳になる少女リンが越してきた。親子に借家の世話をしたのは、土地の不動産屋の老女コーラ・ハレットだったが、その年のハロウィンの夜、ジェイコブス家を、コーラの息子で妻子持ちの男性フランクが訪問した。物語はそこから始まる。 1974年のアメリカ作品。 巻末の訳者(加島祥造)の解説によると、作者コーニグはもともと演劇・映画畑の劇作家で、単独の小説は本書が初とのこと(合作の長編がこれ以前に一冊あるが、未訳)。 本サイトに数年前まで参加していたミステリファン仲間の「雪」さんが登録だけしてそのまま来なくなってしまった(とても残念)ため、何年も宙ぶらりん状態になっていた一冊で、当人がしばらく参加されないのを惜しみつつ、先にレビュー(感想)を書かせてもらうことにした。 ちなみにジョディ・フォスター(映画『羊たちの沈黙』やら『ペーパー・ムーン(TVシリーズ版)』やら)の少女時代の主演映画の原作ということはもちろん知っているし、そもそもこの原作小説も日本での封切(77年7月)に合わせてその少し前に翻訳刊行されたものだが、評者は映画の方はまだ観たことはない。 それでなんとなく、映画の宣伝物(ポスターやら映画誌のグラビアやら)を目にして、美少女ジョディ・フォスターの演じる主人公のビジュアルの雰囲気から魔性的なキャラクターを連想し、映画も小説もその手のダーク系ミステリロマン、今で言うイヤミスに近い? かと予想していた。 結果として小説の内容は当たらずとも遠からず、いや遠からずなれど、そういうものとも言い切れない……であったが、いずれにしろ、重い・暗い・シンドいとかその手のストレスは存外に少なく、数時間でいっきに読了できるサスペンス作品であった。まあ物理的にも、本文は二段組ながら、紙幅はハードカバーで200ページにも満たない、短めの作品だったのだが。 (割り切った見方をするなら、アルレーの諸作あたりに結構近い量感と質感であった。) 前述の通りに作者が劇作家のせいか、ストーリーを淀みなく進ませる勢いはかなり重視され、作中のイベントは続発。登場人物の頭数も少なく、その意味でもストレスを感じさせないまま、グイグイと読者を引っ張っていく。 ただし一方でその少な目の登場人物にはそれぞれ相応の陰影があるキャラクター描写がなされており、印象に残る場面やセリフも少なくはない。特に……(中略)。 最後まで一息に通読して、なんだあんまり構えて読むこともなかったな、と良くも悪くも実感。 トータルとしては、佳作~秀作……よりはもうちょっとだけ、気持ち評価したい、といったところ。 2020年代のいま、文庫で復刊してもいいんじゃないか、とも思うけどね。映画が高画質の映像で新規ソフト化とかされるような機会に、新潮文庫に入れてくれれば、とも思う。関係者の方は、ちょっと一考を願いたい。 |
No.1992 | 7点 | ノウイットオール あなただけが知っている- 森バジル | 2024/03/16 16:47 |
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(ネタバレなし)
2023年。どこかの地方都市・切縞市。そこでは暴力団関連の殺人事件が生じ、M―1を目指して男女の高校生の漫才コンビが闘志を燃やし、未来人が来訪し、魔法のある異世界とリンクし、そして30歳の独身女性が秘めたる思いを抱きながら恋に悩んでいた。 第30回松本清張賞受賞作品。 切縞市というひとつの空間を舞台に、世界観を共有した、しかしまったく方向性の異なる、でもところどころ登場人物や文芸設定や描写がリンクする、5つの物語が順々に語られる。 なおタイトルの「ノウイットオール(know-it-all)」はそのまま訳せば「しったかぶり」の意味。 構成&趣向はさほど珍しいものではないと思うが(と言いながら、具体的に類作をぱっとあげろと言われると、答えにくいけれど)、こういう構造の連作短編集ゆえ、全体のバラエティ感はとても楽しいし、あとの方の話まで読み進むにつれて「ああ、あの場面のあの登場人物は、このキャラ(たち)だったのね」的な軽いサプライズもふんだんに盛り込まれている。個人的には特に第4章「幻想小説」編の某キャラの正体に、ちょっとぐっと来た。 純粋にミステリといえるのは第1章「推理小説」編だけで、謎解き作品としてはそれ自体ならまあ佳作という感じだけれど、ほかのエピソードも随所にミステリっぽい手法は使われてはいる。 一番良かったのは第2章の「青春小説」編。これで評点は1点プラス。 第3章の「SF」編は本筋も悪くはないが、むしろその第2章の後日譚的な読み方をして心に感じるものがあった。 良い意味で外連味を抑えた良質の連作短編集だったと思うが、最後の第5章「恋愛小説」編は、ストーリーの中味そのものは良しとして、クロージングがややあっけない。その辺はあえて作者が狙った効果か? これが、評者が、SRの昨年度ベスト投票用に読んだ最後の一冊になったな。規定リストには入ってない、投票者の推し作品枠だけど。 作者に関しては、まだ32歳の新鋭(これ以前に、ラノベの著作が一本だけあるらしい)ということで、今後を楽しみにさせてもらいます。 |
No.1991 | 6点 | ねじれた蝋燭の手がかり- エドガー・ウォーレス | 2024/03/16 15:25 |
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(ネタバレなし~作品全体の構造については、多少触れるかも)
やさしい美貌の若妻グレースを持つ探偵小説作家の青年ジョン・レックスマンは、投資に失敗。高利貸しヴァッサーロからの返済の取り立てで苦しめられていた。そんなレックスマンに友人である美青年のギリシャ人レミントン・カラは、交渉の上でのあるアドバイスを授けるが、やがてその事実はレックスマンの運命を大きく変えていく。レックスマンのもう一人の友人で、ロンドン警視庁総監補のT・X・メレディスは、苦境に陥った友のために尽力するが、事態はさらなるステージへと推移していく。 1918年の英国作品。 個人企画? で未訳の海外旧作の発掘に尽力する希望の星・白石肇が翻訳刊行した一冊。 解説によるとヴァン・ダインの『ケンネル殺人事件』の作中で話題になる一冊で、そういう意味でかねてより日本のミステリファンにも、ごくうっすらとではあるが、知られているはずの一冊であったということである。そういう日本の翻訳ミステリ史において、なんらかのフックがある作品を発掘翻訳し、ある意味で隙間を埋めようという企画が実に素晴らしい。どんどん、あれもこれも出してほしいものである。 前半の物語は、レックスマン、カラ、メレディスという三人のキーパーソン的な主要人物の行動の交錯を軸に展開。良い意味で大時代なエンターテインメントというか英国の古典スリラーの趣を見せるが、中盤~後半で思わぬ殺人事件が発生。フーダニットの謎解きパズラーっぽい方向に、変調する(あまり書かない方がいいけど)。 なんだこれは、とワクワクしながら読んでいるうちに、タイトルの意味も回収。まあ最終的にはトリックはあっても、謎解きパズラーとはとうてい言えない作品として終わるけどね。そういう意味でのジャンル越境のハイブリッド感はなかなか面白かった。 訳者の解説にもあるように、もともとは中年風に描かれていたメレディスが、後半いかにも恋する若者に変貌して、作者、おまえ設定忘れただろ、とツッコミたくなるようなラブコメ模様とかもなかなかユカイ。 読み手をリアルタイムで楽しませるんなら、当初からの作品の整合などさほど気にせん、と言わんばかりのザルぶり……いや、書き手の豪気さに笑わされる。 秀作でも、もちろん優秀作でも傑作でもないけれど、読んでとても楽しかったクラシックミステリ。ウォーレスという大衆向け職人作家の実質がよく出た一作だと思う。 7点は……さすがにあげられないか。まあ気分的にはソレに近いこの評点で(笑)。 |
No.1990 | 7点 | ドールハウスの惨劇- 遠坂八重 | 2024/03/13 19:52 |
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(ネタバレなし)
鎌倉の名門進学校・冬汪(とうおう)高校。同校の2年A組の男子・滝蓮司は、同じサークル「たこ糸研究会」に所属する2年F組の美少年・卯月麗一とともに、学校周辺でのトラブルコンサルタント「便利屋」として活動していた。そんな二人のもとに、「姫」と呼ばれる学年随一の美少女(だが成績はよくない)・藤宮美耶と、その双子の妹の優等生(だが見た目はあまりに地味)・沙耶が接触。姉妹はいささか特殊な家庭環境のなか、ともにかなり特異な悩みを抱えていた。 このサイトで初めて知った作品。 なんか新本格パズラーっぽい雰囲気の学園青春ミステリ? かと思って手にとったが、どっちかというとイヤミス成分の多い一冊であった。 微温的なエンターテインメントを基準にするなら、なかなか~かなり強烈などぎつい描写が続発するが、大枠として主人公コンビふたりの存在が、作品全体がイカれすぎないようにとのリミッターになっている。相応にスパイシーな読書体験であった。特にあの母親のキャラ描写。 読み手が感情移入しないで読めるタイプの、青年誌の人気マンガといった感じの食感だったが、終盤に出て来る精神的に(中略)真相は、実はけっこう気に入ってしまった。 昨年度分のSRのベスト投票の追い込み読書で手にとった一冊だが、投票まであと数日なのでシリーズ第二弾はそれまでに読めんな、ちょっと残念。 (本サイトのレビュ―を覗くと、なんかまた面白そうなので、それなりに期待を込めている。) まあゆっくり、楽しませていただきましょう。 |
No.1989 | 6点 | 善意の代償- ベルトン・コッブ | 2024/03/12 15:50 |
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(ネタバレなし)
「わたし」こと、スコットランドヤードの女性刑事キティー・パルグレーヴは同僚の刑事ブライアン・アーミテージと婚約中だ。キティーたちはともに、多くの難事件を解決した名警部チェビオット・バーマンの部下でもある。そんななか、バーマン警部のもとに、彼の旧知の元(?)金庫破りジョゼフ(ジョー)・ウィッキーから密告があった。内容は、奇特な資産家の老婦人ミセス・マンローが営む、入居者は家賃も食費も払わなくていい無償の下宿屋「ストレトフィールド・ロッジ」で殺人が起きそう、というものだった。だがやがてその情報には疑義があるとわかり、スコットランドヤードは気を緩めるが、やはり何かあるそうだと考えたキティーは独断で、当該の下宿屋に女中志願の娘を装って潜入捜査を始めるが。 1962年の英国作品。 バーマン警部シリーズのなかでも女性刑事キティーが主人公を務める、後期のシリーズインシリーズの路線のなかの一作、ということらしい。 (種々の事情はどうあれ、本シリーズは日本への紹介の順番が見た目、実にランダムなので、その辺はいささか困りものだ。) 奇特なお人好し大家の老婆……というにはいささかぶっとびすぎた婆さん、妙な生活態度のその息子夫婦、変人揃いの入居者のなかに飛び込む、変装潜入女性捜査官の若手主人公……と、なんか連続テレビドラマのシチュエーションコメディみたいな設定で、なかなか楽しい。 すでに読んだ海外ミステリなら、アン・オースチンの『おうむの復讐』が、若手捜査官のアパートへの潜入捜査とそこで起きる殺人事件、という趣向で、本作とよく似ている。『おうむの復讐』が好きな評者としては、この作品も結構楽しかった。 紙幅は論創のいつものハードカバーで200ページちょっとと短め。登場人物の頭数も少なく、巻頭の一覧表以外に出て来るキャラクターは本名不明の警官がひとりだけ、だと思う(名前だけ出て来るとかなら、もうちょっといたかも)。それゆえ、犯人は作中の探偵や読み手の視野のなかにまずおさまるハズ(?)で、意外性は演出しにくい(?)が、最後にはそれなりのサプライズと(中略)面での面白い文芸があり、なかなか良かった。 良くも悪くも、お話の細部やストーリーの見せ方をちょっといじくれば、まんま舞台劇にもできそうだよね、というくらいに<コンパクトにまとまった物語の場>でのフーダニットパズラー。そういう意味で地味目ではあるが、物語の流れにおいてキャラクターの出し入れが手際よく、最後まで心地よく読める。 評者が読んだ邦訳のあるコップ作品(評者は初期作の『悲しい毒』だけ読んでないので、これで三冊目)の中では、いちばんよい意味でライトだったけど、いちばん手堅く楽しめたかも。 最後に真相がわかって、犯人のキャラクターにはちょっと思うものがあった。もちろんここでは詳しくは書かないけれど。 ラストのオチというか、クロージングで語られる今後の下宿の展望はステキ。ぜひとも成功するといいですね。 |
No.1988 | 7点 | 悪なき殺人- コラン・ニエル | 2024/03/11 15:59 |
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(ネタバレなし)
フランス中央部の高原コース地方。そのロゼール県。42歳の女性で農協のソーシャルワーカーであるアリス・ファランジュは、牧場を営む婿養子の夫ミシェルと暮らすが、子供はなく、夫婦仲は冷え切っていた。そんななか、アリスは行政の被支援側の地元住民で46歳の独身男、山間で羊の牧場を営むジョゼフ・ボヌフィーユと不倫関係になった。やがてアリスの周囲では、ある人物の失踪事件が起きる。 2017年のフランス作品。本邦初初回の作家。 まったくノーチェックだったが、HORNETさんのレビューと高い評点で気になって、読んでみる。 本文は文庫本で380ページ弱。やや厚めだが、文庫の字組は大きめの級数で翻訳も特に淀みなく、スラスラ読める。 話者が主要登場人物のひとりアリスの一人称「あたし」に始まり、数十ページ単位で交代。ひとくぎりのところでまた別の人物の一人称(「おれ」だの「あたし」だの)に推移しながら語られつつ、物語が組み上がっていく。 いわゆる拡張型の構成というかプロットで、最初に巻頭の登場人物表を眺めると若干「?」となる面もあるが、実際に当該のキャラクターの箇所にいくころには、ああ、そういうことね、とわかるはず。 技巧的で凝ったプロットのようだが、メインのアイデアそのものはもしかしたら、実は意外にシンプルかもしれない……? とも思う。 ただし、それでも良い意味で、闇の霧の中を歩くような気分で読み手をぐいぐい引っ張っていく(そして途中で、ああ、ここであの伏線を回収か! とハタと膝を打つ)感覚は、なかなか心地よい。 王道派の技巧系フランスミステリの流派に、50~60年代の英国文学派ミステリの小説としての読みごたえを足したような感触の一冊で、まるまるひと晩、かなり楽しい時間を過ごせた。昔だったら、創元の旧クライムクラブでの翻訳刊行が似合いそうな長編。 改めてHORNETさんに、このサイトに感謝、である。 書き手の筆力そのものが大きくモノを言った作品でもあり、本作はノンシリーズの単発長編だが、ほかに作者は警察小説の人気シリーズも手掛けているというので、そっちもいずれ読んでみたい。 評点は8点に近いこの数字で。 |
No.1987 | 7点 | 黒い羊の毛をきれ- デイヴィッド・ドッジ | 2024/03/10 08:13 |
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(ネタバレなし)
サンフランシスコの34歳の計理士ジェームズ・ホイットニー(ホイット)は、成功した羊毛業者の富豪で60歳代のジョン・J・クレイトンから相談を受ける。その内容は、ロサンゼルスで羊毛業の支店を任せているクレイトンの息子で30歳のボッブ(ロバート)・クレイトン、その周囲の金の動きに不審があるので、密な監査をしてきてほしいというものだ。LAに向かったホイットはすぐに現地でボッブに接触するが、妻子ある当人がギャンブル(賭けトランプなど)で身を持ち崩しかけているのを知った。ホイットはボッブを蟻地獄に引き込むギャンブラー集団や悪女らしい女の影を認めて手を打とうとするが、決定的な対抗策は決められない。そんなホイットの奮闘を応援するように、SFから、恋人である未亡人のキティ・マクレードが彼の後を追ってきた。だがそんな二人の周辺で、思わぬ殺人事件が発生する。 1942年のアメリカ作品。 ヒッチコックの映画『泥棒成金』の原作者として日本で(少しは)知られる作者ドッジの、全部で4つの長編が書かれた「税金専門の計理士ジェームズ・ホイットニー」シリーズの第二弾。 日本ではドッジの作品は、ノンシリーズものの『泥棒成金』と、本シリーズの途中のこの長編しか紹介されてないが、ホイットものの第一作「Death and Taxes」(1941年)の作中でホイットの仕事上のパートナーだったジョージ・マクレードが殺され、その妻キティが事件の解決を経てホイットの彼女(シリーズ上のヒロイン)になるらしい。どうやら作者は第一作作中のイベント(殺人事件)を大設定に据えてその上で、ニック&ノラやジェーク&ヘレンみたいな夫婦探偵ものの、変奏的な文芸を狙っていたようである。 評者は少年時代に、大昔のミステリマガジンのバックナンバー(古本屋で入手した)で小林信彦がユーモア・ミステリの特選5作のひとつにこれをあげていたことを認知。いつか読もうと思いつつウン十年経ってしまったが、ようやく読了。 でまあ、読後の感想としては、こなれた翻訳の良さもあって文章そのものはめちゃくちゃ読みやすいし、登場人物もそんなに多くない割にひとりひとりがくっきりと描かれていて好ましい。そういう意味では全体的に悪くない感触。 ただその一方で物語の中盤まで事件らしい事件が起こらず(イカサマギャンブルを探るという程度の事件性はあるが)、いささか退屈。 かたやさすがにソコを売りにするだけあって、ホイットとキティのラブコメっぽい模様だけはそれなりに面白い(小林信彦は、ヒロインが未亡人という文芸だけでも、オトナの読み物的な風格を感じさせる、という趣旨のことを語ってたはずである)。 物語の半ばで殺人事件が起きて、ストーリーがミステリらしい方向に転調してからはいっきに話が(それなりに)引き締まり、以降の動きのある展開も悪くはない。後半はなかなか面白くなり、最後の犯人の正体もけっこう意表を突かれた思いであった。 あと、ここではあまりはっきり言えないし、また解説で中島河太郎がネタバレしちゃってるけど、通常の謎解きミステリとは一風変わった<ある趣向>をもうひとつ、解決部分で盛り込んであるのも好ましい(まあ本作より前にミステリ史上で、前例はあるギミックなんだけどネ)。 評点は、前半はちょっとかったるめながら、おおむね居心地の良かったマイナー作品ということでヒイキして、0.5点オマケ。 これも「世界推理小説全集」のなかで文庫化されていない一作。 個人的にその手の(世界推理小説全集に入ったものの、文庫化されてないものという前提の)マイナー作品のシリーズで、もっと未訳作を発掘翻訳してほしいものを希望度の高い順番通りにあげれば ①『閉ざされぬ墓場』の 犯罪研究学者サイラス・ハッチ シリーズ (フレデリック・デーヴィス) ②『おうむの復讐』の 青年刑事「ボニー」ジミー・ダンディー シリーズ (アン・オースチン) そして③番目がこの 計理士ジェームズ・ホイットニー(ホイット) シリーズ ……というところかなあ。 いつかみんな、どこかでもういちど陽の目が当たればいいなあ、と夢想する(笑)。 |
No.1986 | 5点 | やかましい遺産争族- ジョージェット・ヘイヤー | 2024/03/06 19:04 |
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(ネタバレなし)
ネット(網)製造の大手企業「ケイン&マンセル」社の代表のひとり、サイラス・ケインが60歳の誕生日を迎えた。いまだ独身のサイラスは複数の共同経営者を押さえ込むやり手だが、会社の創業者であるケイン一族の中にはさらに上のトップがいた。サイラスの母ですでに80歳代の車椅子生活ながら、年を感じさせない活力で権勢をふるう老女エミリーである。サイラスの誕生パーティにはケイン家の親族や、ケイン&マンセルの関係者などが詰めかけていたが、やがてその周辺で、ひとりの命が失われる。 1937年の英国作品。ハナサイド警視シリーズの第三弾。 評者は本シリーズは、だいぶ以前に『グレイストーンズ屋敷殺人事件』のみ読了。そちらの印象は、全体的に筋運びが鈍重でイマイチ楽しめなかったが、終盤の大技でかったるさがぶっとんだ。 つまりミステリとしては後半に光るもの? があったので、今回の新刊も、その辺の妙味がまたしっかり出てればいいなあ、と期待する。 ただまあ多数の雑駁な登場人物をズラリと配置し、予期せぬ事件が勃発したケイン家の周辺を語るのはまずよろしい。 ただなんというか、本作の場合、登場人物が一応はちゃんと書き分けられているものの、そんな連中の言動の積み重ねが読んでいて面白いか、ミステリとしての評価を稼いでるか、というところだが、まぁその辺が、どうも。 二つ目の事件からさらに……の、お話のドライブ感などはなかなか良かったんだけどな。通読してみると、うーん、全体の構造として、イマひとつであった。後半、愉快なキャラを登場させて話をストーリーを賑わせようとする狙いは察せられたが、一方でその結果、正直、お話が足踏みする感じでもあり、なかなかカッタるい。 二冊のみ読んだ時点で総体的な感慨を呈するのはまだ早いとは思うものの、その二冊とも、面白くなりそうでならない、一方でツマラナイと言い切るには賞味部分もないでもない……の印象。 またしばらくしたら機会を見つけて、未読の邦訳二冊のどっちかを読んでみようかとも思う。 |
No.1985 | 5点 | クルーザー殺人事件- 草野唯雄 | 2024/03/03 05:54 |
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(ネタバレなし)
その年の五月二十四日の早朝。三浦半島は油壷のきつね浜の沖合で、豪華クルーザー「朝日号」が出火した。火元のキャビンは外から施錠されており、中からは焼死した男女の死体と、時限発火装置らしい物品の痕跡が見つかる。被害者の片方は数十億の資産を持つ元不動産業者で、捜査陣はやがて最重要容疑者と思しき人物に目星をつけるが。 角川文庫版で読了。 会話が多い上に活字の級数も大き目で、リーダビリティは最強。スラスラ読める。重要人物に嫌疑の目が向けられていくあたりの加速度感は申し分ないが、残りの紙幅もそれなりにあるので、これはまあ、まだ何かあるだろ、と思っていたら後半はなかなかテクニカルな方向に展開。 ただし警察やアマチュア探偵が足で調べていく方の面白さである(一応、伏線などは張ってあるが)。それでも最後は出来が良いか悪いかはともかく、とにもかくにも謎解きフーダニットパズラーの方向に行くんだろうな~と期待していたら、とんでもない種類のサプライズが出てきてぶっとんだ。 一瞬、これはどう受けとめるべきかとも思った&迷ったが、次の瞬間にやっぱ冷静に考えて、アレだよね……と思い直す。 ちなみに読後にTwitter(Ⅹ)で感想を拾うと、笑う笑う。「怪作」のレッテルを貼られるのもむべなるかな、ではある。 意外な犯人なら、驚かされればいいってモンじゃない。草野作品で某長編ミステリのまったく逆の位相の構造だよ、その辺。 まあそーゆー意味のウラの面白さ、という意味では、けっこう楽しくはあった(笑)。読んで良かった、とは思う。評点はこんなもんだけど、価値のある? 5点か(笑)。 |
No.1984 | 7点 | 歩く亡者 怪民研に於ける記録と推理- 三津田信三 | 2024/03/02 03:54 |
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(ネタバレなし)
怪異が基本的には合理的に解明されるが、しばし向こうの世界をちらりと覗く……基本軸は、正編世界と同じような物語の結構に思えた。 メルカトルさんがおっしゃるように「真相はバカミスだったり脱力系だったり」ではあるが、こっちはそういうものを予期しているところもあるので、総じて楽しかった。無理だぁと呆れながらも笑ったのは第2話で、いちばんゾッとしたのは第1話。第3話のロケーション的なビジュアルの不気味さ、第4話の意外にマトモなミステリっぽさ、第5話のえー?! と思わず言いたくなるような動機面の真相もよい。なんだ佳作~秀作揃いではないか。 正編シリーズと並行で、こっちの路線もまだまだ続くのかと思ったら、たぶんこれで一区切りみたいね。まあ続行しようと思えば可能だろうけど。ちなみにそんなに三津田作品の全域を読んでいる訳ではない当方は(以下略)。 正編の長編が出なかった年の物足りなさを埋めてくれる一冊としては、なかなかの内容だとは思う。 |
No.1983 | 6点 | ニコラス街の鍵- スタンリイ・エリン | 2024/03/01 15:10 |
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(ネタバレなし)
1951年のアメリカ。NYから離れた位置にあるサットン市の住宅地ニコラス街。そこに暮らす「アイレス家庭用品店」経営の実業家ハリー・アイレス(46歳)の一家4人と妙齢のメイドは2年前、隣家の新たな転居者に、独身で赤毛の美人イラストレーター、29歳のキャサリン(ケイト)・バルウを迎えた。陽性な性格のケイトと親しい近所づきあいを始めるアイレス家だが、やがてその親交の輪はケイトの仕事先のひとつである雑誌社の青年マシュー(マット)・チェイヴズにも広がる。そして現在、ケイトやマットを加えたアイレス家の状況は、2年前とかなり変化していた。そんななか、ひとりの人物が命を落とす。 1952年のアメリカ作品。エリンの長編第二弾。 処女長編『断崖』(や『第八の地獄』そのほかの長編)に心惹かれる身としては、少年時代から読もう読もうと思いながら今日まで来てしまった一作で、ポケミスも古書で二冊も買ってしまっている。 紙幅は短いし(邦訳はポケミスで、本文190ページほど)、登場人物も主要キャラクターはひとけたと少ないが、ミステリの奥にあるヒューマンドラマ的な決着まで相応の密度感を抱かせながらぐいぐい引っ張っていく筆力は、確かに長編版エリン。結局、事件の構造はかなりシンプルなんだけど、登場人物たち個々の顔がくっきり見えるせいで、最後の手ごたえは少なくない。 こう書いていくと、シムノンのノンシリーズ編の秀作に似通うものもある。 あと、これは書いてもいいと思うけど、謎解き・狭義のミステリ要素とは別の文芸の部分で、エリンののちの長編のプロトタイプ的な一面も感じさせた。詳しくは実作を読んで認めてください。 あー、しかしこれで(評者が)半世紀かけて、邦訳されたエリンの長短編は全部読んじゃったコトになるのか? 実はまだ未訳の作品が数作残っているという日本の翻訳ミステリ界の現実と関係者の対応が、実に腹立たしい。出せばそれなり以上の反響が見込めるだろうに? 評点は、7点に近いこの点数というところで。数字以上の満足度は高いよ。 |
No.1982 | 6点 | 肌色の仮面- 高木彬光 | 2024/02/29 19:10 |
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(ネタバレなし)
昭和30年代の東京。「水橋建設」社長の甥で建築技術者・鶴橋龍次。その美貌の若妻・澄子は、一般投資家として日々の相場を張っていた。澄子の実家の父・近藤則彦博士は「東邦大学」の冶金学者(合金の研究家)で、その開発中の新金属「γ(ガンマ)合金」には鉄鋼業界、建築業界でも注目が集まり、その完成の情報は株式市場にも大きな影響を与えるのは必至だった。澄子と取引する「丸高証券」の外交員・野崎政夫のかつての部下で、今は私立探偵事務所を営む青年・富岡俊介は、さる筋から依頼を受けた産業スパイとしてγ合金の機密を狙う。一方で研究の機密を守る近藤博士は、株の売り買いの「材料」を求める娘の澄子にさえ情報を与えなかったが、そんな澄子を含む周囲にも俊介は接触し、情報を漁ろうとした。だがやがて、とある予期せぬ事件が起きる。 昭和三十年代の半ば、当時の人気女優の東紀江からの依頼(仲介)で、作者がフジテレビの<よろめきスリラー>用に提供したストーリー案を、メディアミックスで原作者自ら小説化した作品(小説版は雑誌「週刊大衆」に連載)。 もちろん構想も小説も作者・高木彬光の頭から生まれたオリジナル作品だが、企画の経緯を厳密に考えるなら、原作者自らの手によるセルフノベライズ、ともいえるかもしれない。そんな意味で高木作品の中では、かなり異色の一編のハズである。 設定は完全なノンシリーズもので、多数の人間が入り乱れる群像劇。メインキャラも即答しにくいが、形質的にはやはり澄子と俊介が主役で、この二人の<よろめき>ものになる(ただしまったくエロくないし、扇情さもほとんどない)。 相場・投資などは作者お得意の主題だが、さらに今回は合金開発の冶金技術の世界をテーマに採取。 なんとなく社会派ものをやってもいいような雰囲気の方向に行きかけるが、結局は作者が正直で、実はそういうの、あんまり興味ないんだよね、という感じにまとまる。少なくとも業界の体質的な構造や人間関係の方向で社会悪を叫ぶような作品では決してない(笑)。 前半で出された謎(ここでは具体的に書かない)がかなりのちのちまで引っ張られ、ページ数が残り少なくなったところで<意外な犯人>が判明。 <そっちの方向>で決着するなら、ちょ~っとだけ読者を振り回し過ぎじゃないですか? 高木センセという感慨もある。まあ100%純粋なフーダニットじゃなくて、犯人当て要素もある人間関係スリラーもの(事件もの)、という作りなので、まあいいか。 なかなか面白かったけど、良くも悪くもお話を右往左往にドライブさせすぎた感もあり、秀作・優秀作とホメきるにはちょっと微妙。ただし読みごたえはあり、この時期の作者のある種の円熟感は認める。 7点に近いこの評点で。 最後に、今回は、どうせなら元版で読もうとカッパ・ノベルス版を古書で安く買ったけど、巻末の作者あとがきにはくだんのテレビ版のキャスティング表までついていて、ちょっと儲けた気になった。俊介のキャストは、「地獄車」車周作&天神の小六&「娘よ、男は選べ!!」の高松英郎。高松は笹沢の『死人狩り』の最初のテレビドラマ版の主演もやってるし、そっちもこっちも観てみたいが、なかなか観る機会はないだろうな。まあ機会があればぜひ。 |
No.1981 | 5点 | ソルトマーシュの殺人- グラディス・ミッチェル | 2024/02/26 05:53 |
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(ネタバレなし)
その年の7月。英国の片田舎ソルトマーシュの村で、牧師館の元メイドだった美人の娘メグ(マーガレット)・トスティックが私生児を生む。メグと赤ん坊は、村の酒場「モーニングトン・アームズ亭」の主人ローリーとその妻が世話するが、新生児の姿はなかなか村の者の目にふれる機会がない。そしてメグは赤ん坊の父親が誰か決して言わなかった。牧師館で副牧師を務める「ぼく」ことオックスフォード出の青年ノエル・ウェルズは事態を見守るが、やがてノエルは、村を訪れていた陰険そうで目つきの悪い老女ミセス・ブラッドリーと知り合いになる。そんななか、村では殺人事件が発生した。 1932年の英国作品。老女探偵ビアトリス・アデラ・レストレンジ・ブラッドリー夫人シリーズの第四弾。 で、いきなりだが、昨年2023年前半、当方が所属するミステリファンサークル「SRの会」が「黄金時代の海外作品限定」として、会員の各作品への評点をまとめた平均点評価方式によるベスト再評価を実行。会誌「SRマンスリー」の昨年10月号で、その結果を公開した(企画の初動のアンケート募集の号がどこかにいっちゃったので、今回の企画上の「黄金時代」が具体的に西暦何年から何年までの認定かは不明。たぶん1920年代の後半~1936年あたりだったと思う)。 それでその上位結果が 1:Yの悲劇 2:エジプト十字架の謎 3:Xの悲劇 4:オリエント急行の殺人 5:ギリシア棺の謎 6:ドルリー・レーン最後の事件 7:プレーグ・コートの殺人 ……と、7位までは、じつにクソ面白くもなんともないものだが、続く8位になんと本作『ソルトマーシュの殺人』が登場(!)。 以下、9位『白い僧院の殺人』、10位『エラリー・クイーンの冒険』と続いた。 要は定番の名作がしごく順当に当該の時代のベスト10を占める中、この8位だけが異彩を放っている感があり、これは……!? と状態の良い古書を購入して読み始める。 ちなみに評者、グラディス・ミッチェル作品はこれでまだ三冊目。 でまあ、一読しての感想だが、巻末の訳者あとがきにある通り「従来のミステリなら盛り上げるべきところをサラッと流し、そうでないところを盛り上げる(大意)」作者の持ち味はなるほど全開。 個人的には、今回は特にその傾向が強い感触で、翻訳そのものはこなれがよいのに、なんか疲れた。恣意的、技巧的な送り手の演出としてそういう小説の作り方をしてるのはわからないでもないが、あーこれもオフビートね、ハイブロウなんだろうね、と言った感じでサン値が下がる(汗)。 我がSRの会での高評にくわえ、読後にTwitter(Ⅹ)で読んだ人の感想をうかがうとみんな結構、好反応みたいで、……はあ、みなさん、こういうのを楽しめるんですねえ……というのが、ホンネ。 いやむしろ、途中でのイベントの配置そのもの、さらには犯人の意外性、など、ミステリの骨格としては、フツーに楽しめるハズなんだけどね。こういう作品の作り方が作者の意図通りで、そして世の中に受け入れられているというなら、評者とは波長が合わないんだろうな、というところ。 ただまあ、ラストの最後の一章の、ちょっと変わった趣向などはうーむ、と軽くうなずかされた。 『トム・ブラウンの死体』はフツーにそこそこ面白かったし、『タナスグ湖の怪物』は怪獣(ネッシーみたいな恐竜だけど)がホントに出て来る異色ミステリとして評価がゲタを履いた面もあるので、いまんとこ自分が読んだ三冊のなかでは、全般的に世の中の評価のよい? これがいちばん肌に合わなかったことになる。 それなりに渋い味わいの英国ミステリ、決してキライじゃない……というかむしろ好物のハズなんだけどな。これはもう、グラディス・ミッチェルという作家の作風の色合いによるものかもしれん。 (まあ、もうちょっと読んでみたい、という気もまだあるけどね。) |
No.1980 | 6点 | 昭和ジュラシック 怪獣狂騒曲- 神永英司 | 2024/02/24 05:01 |
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(ネタバレなし)
昭和29年の初の本格特撮怪獣映画『ゴゾラ』によって幕を開けた国産怪獣映画ジャンルが、映画業界の衰退とテレビ界の活性化のなかで、大熱気の「第一次怪獣ブーム」を迎えようとしているもう一つの日本の昭和41年。東西映画所属の若手シナリオライター・山本淳はプロデューサーの牛原進から、怪獣というキャラクターがマーチャンダイジングで大きな利益をあげることを前提に新たな映画怪獣スターを生み出すように指示を受けた。淳とスタッフたちは現実の東北で、昨今、巨大怪獣の目撃譚が話題になっていることに着目。取材とロケハンを兼ねて現地に向かうが、そこに土地の伝説の怪獣を思わせる巨獣ジメラが出現した。一方、日本の防衛庁は米軍と秘密裏に巨大機動兵器の開発を進め、そのプロジェクトのなかには淳の従弟である山本猛も参加していた。 現実(我々のいる世界)の第一次怪獣ブームの立役者、その一角だった怪獣ソフトビニール人形の販売元「マルサン(マルザン)商会」の六代目代表である著書が執筆した、メタ的要素のある怪獣SF&映画業界もの小説。 『ゴジラ』→「ゴゾラ」、「ガメラ」→「ガメゴン」などのように現実の固有名詞はすぐわかる別ものに置換されたパラレルワールド世界が舞台で、物語の全域は一応は全部がこの物語世界のなかに収まっている(要はメタ的といっても、物語が次元や時空を超えて読者の世界とダイレクトにリンクしたりすることはない)。 物語のコンセプトは、まず怪獣小説が書きたい、それも昭和っぽいもの、だけど後年に昭和を時代設定にしたノベライズなどはどうも作者から見て何か違うので、だったら、まんま第一次怪獣ブームだった1966年の日本に、本当に怪獣が出現したら、どうなるか、という構想らしい。 でまあ、その着想とチャレンジ心自体は誠に結構なのだが、趣向優先で小説メディアでの場で要求される細部のリアリティの積み重ねに書き手が無頓着なため、できたものは概して大味。 前半は『バラン』みたいな怪獣もの風に話が進み、途中から巨大ロボット地球防衛部隊みたな組織の活躍にも比重が移り、α号やマーカライト・ファープのかわりに巨大ロボを繰り出す『地球防衛軍』みたいな流れになるが、もう一方のメインプロットである映画業界の方とあわせて、いまいち全体のこなれがよくない。 ただまあ、現実に登場してしまった巨大怪獣ジメラをそのまま商品化しても版権的な利潤が得られないので、やはり当初のとおり映画オリジナルの怪獣を生み出さねばならないというあたりには笑った。しごく大雑把ではあるものの、正に本作の根幹には、そんな経済の論理がある。 全体に、ああ、この固有名詞は、あるいはこの話題は、現実の怪獣ブームのなかでのアレだな、と笑って軽く読めばいい作品だけど、一方でたしかに、現実の自分の少年時代、『怪獣大戦争』や『ガメラ対バルゴン』の封切りやテレビ放映を観ていたあの時代に、実際にネス湖でネッシーが捕まっていたらなあ……世の中はさらにさらに楽しかったろうなあ……的な感慨を改めて感じさせてくれる、良くも悪くも願望充足的な一冊であるのも事実。 あんまりズルズルとイイオトナが耽溺するのはアレだけど、まあこういうのもタマにならいいんじゃないでしょうか。 最終的にはね、こういうものって、いろんなセンスの部分で勝負する作品だとは思うけど。 |