皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
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[ パスティーシュ/パロディ/ユーモア ] シカゴの事件記者 |
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ジョナサン・ラティマー | 出版月: 1965年07月 | 平均: 5.33点 | 書評数: 3件 |
![]() 東京創元社 1965年07月 |
No.3 | 5点 | 人並由真 | 2025/02/19 16:18 |
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(ネタバレなし)
1950年代半ばのシカゴ。大手紙「グローブ新聞社」の社会部に所属する30代半ばの記者サム・クレイは、その朝、泥酔から目が醒める。すると彼は見知らぬ部屋にいて、そして脇には知らない若い女の刺殺死体があった。警察にも通報せず慌てて現場を去った彼は、何人かの目撃者に顔を見られた。やがてクレイは事件を探る新聞記者の立場として、被害者の思わぬ素性を知ることになる。 1955年のアメリカ作品。 王道の巻き込まれサスペンス設定で、作者は実力派ラティマー。 こりゃ確実にオモシロイだろと期待して読み始めたが、う~ん、微妙なところでこういうものとは書き手の資質が合致しなかったのか、全体的にイマイチ。 なにより窮状に陥った主人公クレイの描写に、さほど焦燥感も危機感も見られないのが不満(第20章前後で、某大物キャラと対峙するところで、やっとテンションが上がったが)。 名前のある登場人物も不必要に多く、例によってメモをとりながら読み進めたら、脇役や雑魚キャラを含めてネームドキャラは70~80人に上った。斎藤警部さんのおっしゃる >しかし、終わってみれば物語の外縁部に放ったらかしの登場人物が多いこと多いこと。 には全く同感。『Yの悲劇』読んで、物語が終わってみれば存在感がしぼんでいく登場人物が多すぎるとかなんとか言ったのは三島由紀夫だっけ。あーいう人がコレを読んだら、なんて言うんだ、って思った。 会話はかなり多く、リーダビリティは高いはずなのに、全体的に冗長。 ヒロインっぽい女性はそれなりに出て来るが、腐れラブコメめいた読者サービスのひとつもないのも不満。 で、空さんがおっしゃっている「論理的欠陥」とは(中略)のことでしょうか? たしかに作中のリアルで成立しえないですよね? 当方の思っていることと同じならば。 設定も雰囲気もお話の枠組みも好みなんだけどな。途中で、あ、これはノレない、と気づいてしまい、そのまま最後まで行った一冊。好きな方、ごめんなさい(汗)。 |
No.2 | 6点 | 斎藤警部 | 2018/11/26 23:07 |
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豪快過ぎる犯人設定に納得が行きません(笑)!! 登場人物一覧表を見て”こりゃ警察小説の新聞社版か?じゃあ真犯人もその手の。。”と思ってたら、まさかの。。。。 いやいや、探偵=最有力容疑者=事件の担当記者という豪快構造は面白いですな!! (←これについては【ネタバレ的補足】を最後に書きます) 少し前に書いたP.マクドナルド「エイドリアン・メッセンジャーのリスト(ゲスリン最後の事件)」もそうですけど、ハリウッド暮らしが長かった往年の推理作家が戦後に満を持して復活、となると映画シナリオ経験の影響もあってこういう(空さんも仰る)ドタバタコメディを書いてしまうもんなんでしょうか。ま少なくともハードボイルドではあり得ないですw しかし、終わってみれば物語の外縁部に放ったらかしの登場人物が多いこと多いこと。
ところで本作、まさかの再読でした。とは言え小学校高学年の時節、親(題名からして父の方かなあ..)からもらった創元推理文庫を無理して読んだら全く頭に入らなかったもので、遥かな時を越えてリトライしてみたら案の定、ワンフレーズたりとも記憶にございませんでした。 クリスティとか、子供なりに当時から読めたのもあるんですけどね、やっぱこういう内容だとある程度経験を積んでこそ意味の通じる部分の比重が高いんでしょう。そういや『処刑6日前』なんかは本作より前に学校図書館のジュヴナイルで読んだなあ、たしか。当時は同じ作者とは知らなんだ。 【ネタバレ的補足】 探偵役が途中まで「自分が犯人かも?」と疑いを残しているのもいいですね。しかも当事者でありながらそれを記事に書く、って倒錯した焦燥のスリルがやっぱりね、ミソですよ。 |
No.1 | 5点 | 空 | 2013/06/21 22:43 |
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訳者によるノートには、ラティマーはハードボイルドに分類するのをためらわせるということが書かれていますが、それどころか本作はドタバタコメディ・ミステリと言った方がいい内容です。主人公がちょっと間抜けすぎたり、登場人物の整理が悪いところはありますが、なかなか楽しめました。特にエレベーター・ボーイが新聞社に来て証言しようとする部分の嘘っぽさなど、作者は映画脚本にも携わっていたためか、コメディ映画を見ているような感覚でした。
しかし、ラストにはがっかりさせられました。ラティマーは謎解き面がすぐれている作家という認識を持っていたのですが、明らかな論理的欠陥があるのです。問題は決め手となる証拠で、その証拠が存在し得るためにはある日常的な行為が必要なのですが、その行為を誰がなぜやったのか、また犯人がなぜそれに気づかなかったのか、全く説明されていないのです。 |