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[ 冒険/スリラー/スパイ小説 ]
母なる夜
カート・ヴォネガット 出版月: 1973年01月 平均: 7.75点 書評数: 4件

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白水社
1973年01月

白水社
1984年01月

早川書房
1987年01月

白水社
2000年01月

No.4 9点 糸色女少 2023/10/06 22:05
ナチスの広報員として活動したアメリカのスパイであり、劇作家でもあるハワード・キャンベル・ジュニアが獄中で回想する罪と半生。
スパイものといっても、一般的にイメージされるような痛快な冒険譚にはもちろんならず、シニカルで硬質なユーモアを交えた独白が静かに淡々と続く。だがそれでも物語には、緊迫感があり目まぐるしく展開していく。状況に流されながらも、ナチスとしてもスパイとしてもきちんと仕事をこなしてしまうキャンベルの姿には、善と悪という単純な二元論では割り切れないものがある。
本書では冒頭、ヴォネガットがキャンベルの告白を編んだ「編者」として登場する。この構造が本書の虚構性を強調するが、アイヒマンなど実在の人物の描写も興味深い。世界文学史の中で評価されるべき「戦争文学」である。

No.3 5点 メルカトル 2022/09/11 22:37
第二次大戦中、ヒトラーの宣伝部員として対米ラジオ放送のキャンペーンを行なった新進劇作家、ハワード・W・キャンベル・ジュニア―はたして彼は、本当に母国アメリカの裏切り者だったのか?戦後15年を経て、ニューヨークはグリニッチヴィレジで隠遁生活を送るキャンベルの脳裡に去来するものは、真面目一方の会社人間の父、アルコール依存症の母、そして何よりも、美しい女優だった妻ヘルガへの想いであった…鬼才ヴォネガットが、たくまざるユーモアとシニカルなアイロニーに満ちたまなざしで、自伝の名を借りて描く、時代の趨勢に弄ばれた一人の知識人の内なる肖像。
『BOOK』データベースより。

10ページ読んだ辺りで挫折。このまま暫く放置しておくか、即ブックオフ行きかと迷いました。余りにもぎこちない文体で内容が少しも頭に入ってこないですからねえ。そもそもナチとかユダヤ人とか興味ありませんし、1ミリも心に刺さりません。
しかし本を置いたところで私は思い直しました。これだけの高評価を受けている作品だから、何かあるはずだと。そして改めて読み始めて丁度半分位の辺りでヘルガが登場し俄かに面白くなりました。やはりこのままで終わる筈がなかったんだと安心した途端にまた元に戻り、私の心は千々に乱れました。

しかしここまで来たら最後まで読まねばなりません。仕方なくページを捲って読み終わり安堵。結局皆さんはどの辺りをそんなに評価しているのか、正直私にはさっぱり理解できませんでした。
畢竟私なんぞ、新本格の末裔やメフィスト系の昔の作品、又はラノベのファンタジーもどきを読んでいるのがお似合いって事ですかね。しかしこれに懲りて海外のミステリを断念する訳にはいきません。必ずリベンジしますから。

No.2 8点 弾十六 2018/11/24 14:56
Uブックス版は池澤さんがさらに練った訳、というので買って読まねば! と思いました。情報ありがとうございます。(私は白水社の旧版で読みました)
「チャンピオンたちの朝食」(1973)までは熱心な読者だったのですが、それ以降は読んだり読まなかったりです。
本作はヴォネガットの作品中、もっとも普通の小説でその点の完成度が高いです。確か小鷹さんが引用していた作者の言葉Make love while you can, it’s very good thing.(うろ覚えです)とともにいい思い出として心に残っている作品です。
再読を果たしたら、追記しようと思います…
「デッドアイ・ディック」は殺人が出てくるし、SFっぽくない小説なので追加しようかな…

No.1 9点 人並由真 2018/06/26 17:15
(ネタバレなし)
 1961年。「わたし」こと40代後半のアメリカ人、ハワード・キャンベル・ジュニアは、イスラエルの刑務所の獄中で、第二次世界大戦時にドイツに暮らし、ゲッペルスの下でナチスのラジオプロパガンダ役として送った過去、そして戦後にアメリカに来てからの日々のことを回顧する。そんなハワードには第二次大戦中、地上で彼をふくめてわずか3人だけしか知らないもうひとつの顔があった。それはアメリカ陸軍省少佐フランク・ワータネンの要請を受けて米国のスパイとなり、ナチスの中枢にいなければ入手不可能な情報を連合国側に送る役割だった。世界の平和と人類の未来を望みながら、600万人ものユダヤ人殺戮の共犯者の道を歩んだハワード。だが彼の全身全霊を尽くした戦時中の苦闘は、戦後のアメリカ社会から感謝を得ることはなかった。
 
 1961年に原書が刊行されたアメリカ作品。1973年の初邦訳時、ミステリファンの老舗サークル「SRの会」同年度の海外作品部門のベスト投票で堂々の一位に輝いた一冊でもある。それゆえいつかいつか読みたいと思いながら、ミステリ作家(またはSF作家)というよりは、現代(20世紀後半)文学の旗手のひとりとして知られた作者カート・ヴォネガット(カート・ヴォネガット・ジュニア)の代表作と名高い長編だけになんとなく敷居が高かった。ちなみにヴォネガットの作品はHMMに載った作品、または何らかのアンソロジーに収録された短編くらいのみ読んで、未だにこの作品以外の長編は読んでいない(なお、個人的ななりゆきから原作をまだ未読なままに映画『スローターハウス5』だけは先に観ていて、これは単品の映像作品としてすごくスキである)。
 
 しかし今回は最初の翻訳者・池澤夏樹が旧訳にさらに手を入れた1984年の白水Uブックス版で読んだのだが、えらく平易な文章でとんでもなく敷居が低かった。翻訳はところどころ難しい原文のニュアンスを懸命に拾い上げたそうで、読者の一人として厚く感謝するしかない。
 本書は起伏に富んだストーリーの優れたスパイ小説であると同時に、魂に染みる強烈な人間ドラマである。さらに寓意と皮肉に満ち、そして国会や種族、集団や個人の愚かさを笑い、切なさに苦笑し、辛さと苦さに潰されかけながらも、何のかんの言っても人間を最後まで見捨てない、そんな一冊でもある。
 自分と、そして多くの人類にとっての真理と理想を追い求めながら、それに懸命になればなるほど大きな欺瞞と虚飾のなかで人類最大の凶行に加担せざるを得なかった主人公。
 だがそんなハワードと、彼を諜報員にしたフランク・ワータネン(旧悪を問われ続ける主人公と対照されるように、彼は大佐に昇格している)は戦後再会し、以下のような会話をかわす。

「わたしのポケットにメモをつっこんで、ここへ来るように伝えたのは誰ですか」
「聞くのは勝手だが」とワータネンは言った。「私が教えっこないのはわかっているだろう」
「そこでまたわたしを信用していないというわけですか」
「きみみたいにりっぱなスパイだった男を信用できると思うかね?」とワータネンは言った。「ええ?」

 小説の大筋も細部も真実と欺瞞が交錯し、少し後には状況も人間関係も反転するような内容だが、それでも主人公ハワードの立ち位置はぶれない。ル・カレの『寒い国から帰ってきたスパイ』の後半で、アレック・リーマスが車中で叫ぶような人間という種への諦観や想念が語られるわけでもないが、それでもこの主人公は最後まで人間を読者を、そして自分自身を裏切らないだろう、そんな軸を最後まで感じさせ続けるヴォネガットの筆致の強靱さ。
 若い頃にもっと早く読んでおけば良かったかな? いや、オッサンになった今だからこそ身に染みた魅力がある。少なくとも自分は人生のなかで、この一冊を見逃さないで良かったと思うのだ。


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