新・日本の七不思議 早乙女静香シリーズ |
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作家 | 鯨統一郎 |
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出版日 | 2011年04月 |
平均点 | 4.29点 |
書評数 | 7人 |
No.7 | 3点 | ボナンザ | |
(2021/07/28 16:08登録) 残念ながらおっと思わせる箇所が皆無で、読者を驚かせよう、唸らせようとする意図が感じられない。 |
No.6 | 5点 | mediocrity | |
(2020/03/07 03:29登録) 『邪馬台国はどこですか?』の後日談+新ネタをいくつか。今回の七不思議の中では空海の話が一番興味深かったです。まあ、空海に関しては「宇宙人です」と言われても驚かないですが。 ところで、古代史の謎解き本を読むと、謎をややこしくして絶対に解けなくようにしている黒幕=藤原不比等説が異様に多くて、不比等自体が何人かの人間の集合体なのではないかと思ってしまう。 |
No.5 | 3点 | ねここねこ男爵 | |
(2017/11/03 02:32登録) 邪馬台国はどこですか?に比べるとかなり落ちる。 というか、何のために書かれたかよく分からない短編集。 前作で言い足りないことを言いたかったのか? 二匹目のドジョウを狙ったのか? |
No.4 | 5点 | まさむね | |
(2012/08/22 00:18登録) 前々作「邪馬台国は~」で取り上げたネタの検証又は補強もあったりして,インパクトという面では,どうしても一段落ちるかなぁ…と。 むしろ,二人はいつの間に?…ってコトの方が気がかりでしたね。結構二人のバトルが好きだったのだけれども(笑)。 |
No.3 | 5点 | E-BANKER | |
(2011/10/29 22:23登録) 「邪馬台国はどこですか」、「新・世界の七不思議」に続く歴史ミステリー第3弾。 いつものバーではなく、今回は日本のあちこちへ出張して歴史バトル(?)を繰り広げる。 ①「原日本人の不思議」=日本人の定義に関する謎。縄文人と弥生人は違う人種というのはよく耳にする話ですが、じゃあ日本人ってそもそもどういう人と聞かれると困りそう。 ②「邪馬台国の不思議」=このテーマは前々作でも喧々諤々議論したはず。で、今回は宮田が「ここが邪馬台国のあった場所」とした地へ出張。別に新しい説を持ち出しているわけではない。 ③「万葉集の不思議」=この時代の謎の人物として度々登場するのが「柿本人麻呂」。梅原猛をはじめ、多くの研究者がいろいろと自説を発表していますが、宮田の説は「人麻呂=○原○○○」。確かに十分ありうる気はする。 ④「空海の不思議」=伝説の超人「弘法大師=空海」についての謎。宮田の説は、「空海=○○人」。数々の伝説を見てると、スゴイ人物だったことは分かりますけど・・・今回は高野山へ出張。 ⑤「本能寺の変の不思議」=これまた、前々作に続いて信長に関する謎ということで、今回は桶狭間へ出張。大河ドラマなどでは、信長の勇猛果敢な人物像を前面に押し出すための逸話のはずの「桶狭間の戦い」が実は・・・ ⑥「写楽の不思議」=この人もよく登場しますねぇ・・・東洲斎写楽。ミステリーでも高橋克彦や島田荘司が独自の説を展開してますが、宮田の説は割とノーマルなやつ。 ⑦「真珠湾攻撃の不思議」=これはまぁ、謎っていうか罪だよなぁ。近代史を読んでると、何とも言えない大きな「うねり」というか、誰も抗えないような「流れ」を感じてしまう。 以上7編。 今回は、前2作とは異なり、新説(?)を持ち出して議論を行うというスタイルではなく、現地へ赴いての「検証」って感じ。 てことで、ミステリー的な面白みや刺激には正直乏しい。 もしかしてネタ切れ? じゃないとは思いますが、次作は2人の火花散る歴史バトルが読みたいね。 |
No.2 | 5点 | STAR | |
(2011/06/20 16:13登録) 「邪馬台国はどこですか?」がおもしろかったので、期待しすぎたかも。 「邪馬台国はどこですか?」の補足のような感じなので、そちらを読んでいない人にはわかりにくいと思う。 なぜ仲が悪かった2名が仲良くなっているのかも書かれていない。途中「京都でのある事件がきっかけで仲良くなった」というような記載があるので、そのエピソードが出てくるのかと思いきや、結局何もなし。 最後の真珠湾攻撃にいたっては、結局謎の解明はされておらず、ただ真珠湾攻撃についておしゃべりをしているという感じがしてしまった。 「邪馬台国はどこですか?」がよいだけに、ちょっと残念です。 |
No.1 | 4点 | kanamori | |
(2011/06/10 18:28登録) 歴史の新解釈シリーズの第3弾。 お題は、原日本人のルーツ、柿本人麻呂、空海、写楽の正体、真珠湾攻撃の謎などですが、提示される解釈は「邪馬台国はどこですか?」などと比べるとミステリ的な発想によるものではなく、最後に付された参考文献に寄りかかったものが大半で小説としての面白味に欠けた。 |