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ミステリの祭典

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魔のプール
リュウ・アーチャーシリーズ

作家 ロス・マクドナルド
出版日1958年01月
平均点5.60点
書評数5人

No.5 8点 人並由真
(2023/05/18 18:32登録)
(ネタバレなし)
「わたし」こと私立探偵リュウ・アーチャーは、30代半ばの美人の人妻モード・スロカムから相談を受ける。モードは劇団俳優の夫ジェイムズ、娘や姑とともに暮らしていたが、彼女の不倫事実を密告する、夫への匿名の手紙があった。モードは密告状が夫の手に渡る前に抑えたが、今後のこともあるので、謎の密告の主を捜してほしいという。捜索範囲が広すぎることに難を感じながら、アーチャーはスロカム家の周囲、そしてジェイムズが所属する「クイント劇団」に接触するが、やがてその周辺でひとりの人物の生命が失われる。
 
 1950年のアメリカ作品。アーチャーシリーズの長編第二弾。
 本シリーズの初期編(の創元文庫版)は『動く標的』と『凶悪の浜』は青春時代に読んだ覚えがあるが、これはどうだったかな? と確認の意を込めてページを開く。
 ……うん、完全に未読だった。

 で、内容の方だが、個人的にはかなりアタリ。
 確かにこの時点でのアーチャーの人物造形は、のちの成熟した中年キャラクターとは相応に異なるが、しばしいきがったところを見せながらも、随時のちのキャラに通じる深みを見せる。その辺の感覚が、中期以降のアーチャー像になじんでしまった者の目から見るととても新鮮でいい。ヤング・リュー(リュウ)・アーチャーだ(といっても本作の時点で、三十代半ばの設定ではあろうが)。

 登場人物の配置と、ドラマ上での運用ぶりも、妙なクセを感じさせてそこがまた良い。
 先の方の指摘にあるように、どこか『長いお別れ』を想起させる面もある(初老世代の大物に管理された、後継世代の窮屈さ、とか)が、それすらもモザイク状に組み立てられていく本作の作劇のなかでは、比重の大きいしかしあくまで真部分集合的なパーツでしかなく、物語の味わいどころが芳醇に富んでいる。

 読後にネットなどで評価やウワサを拾うと、初期作の中では例外的に中期以降の秀作群と肩を並べるという声もあるようで、ああ、さもありなん、の気分。

 ベクトル感の多様な物語の仕上がりを散漫とみるか、ドラマの厚みとみるか、で受け手の評価が相応に変わる作品、ということはよくわかるし、評者などは確実に後者の方なので、本作をかなり気に入ってしまっている。

 ミステリとしての意外な犯人は、ぎりぎり予想がつかないでもないが、そのサプライズをもってさらにまた物語をかき混ぜた感があり、ソコもかなり評価。
 あと、あぶく銭(?)の1万ドルに対してのアーチャーの処遇、これがすごくいい。チャンドラーの『高い窓』での、秘書の女の子にやさしくしてやる場面のマーロウを思い出した(こう書いてもネタバレにはなってないと思うが)。さらに本作のアーチャーの場合は、さらにその行為の実働を経て、自らの内省を二重に噛み締め、ソノ辺もまた実に良し。
 
 でまあ、ラストのあの「裁定」に関しては、本来、文明社会のモラルを範とすべし現代ミステリの枠内にあっては、名探偵と(中略)がそれをやっていいのか、と道義を問われかねない気もするが、そこもまた、ああいう男と男の儀式を経ることで、物語というかドラマとしては、まんまと見事にチャラにしている(この見解に異論のある人もあろうが、1950年代のハードボイルド私立探偵小説としては、これでいい。某先輩大作家のあの名作への返歌の趣すらある)。

 うむ……いつも見知っているロスマクとも、見慣れたアーチャーとも、相応に違う作者でレギュラー探偵。
 でもやっぱり、本書の作者はロス・マクドナルドであって、主人公は(若き日の)リュウ・アーチャーだったと思う(笑)。

※アーチャーのフルネームが「リュー・B・アーチャー」だとか、妻とは本作の一年前に離婚したばかりで、今その彼女はネヴァダにいるとか、妙な情報が手に入った。
 全部の登場作品を検分し、レギュラー探偵としてのアーチャーのシャーッロキアン的な情報を集積・整理したファンというのも、たぶん世の中のあちこちにいるのであろう。
 評点は0.5点オマケ。

No.4 6点 斎藤警部
(2019/09/24 23:52登録)
「朝飯だ。きっとそうだ」

会話に較べて旨味の落ちる地の文が場所取り過ぎ。これが欠点。終盤近くの雰囲気に染まる頃、やっと比喩やら真心やら、言葉の八面六臂で五臓六腑を追撃しまくりのグレイヴィスワンプがやって来た。。が時すでにやや遅し。でも挽回はした。

“メリオテスの頭文字がそこに描かれているのだった”

HBらしいストーリー錯綜はいっこうに構わんが、幹となるのであろうメインストーリーと、それをガッチリ支えるかと思われた太枝サブストーリーズが、互いにねじれの位置というか、全体で謂わば建築の体を成していない。そのこと自体はいいけれど、折角のこの物語のムードには合ってないんじゃないかしら。。違和感の源泉はそこかな。

「どんな場合でも、部分よりは全体のほうが大きいもんだ。」 リュウよ、決死のダイバーよ。 白いドアよ。。。

しかし、なかなか心に沁みるラストシーンです。 暗闇の中なのに映像的、というのがまた素晴らしい。

No.3 4点 クリスティ再読
(2018/11/04 16:24登録)
アーチャー登場第2作なんだが、まだ本調子じゃない。通俗ハードボイルぽかった「動く標的」と比較すると、本作はチャンドラー、とくに「さらば愛しき女よ」の模倣みたいなものが随所に伺われて、ファンアートな印象があるんだね。船に乗り込んで、医者に拷問されてとか、本当に「さらば」だしね。黒幕のキルボーンを巡るハードボイルド調の部分と、有閑家庭の不倫の恋の部分が何かチグハグだよ。困った。
でいえば、本当はこっちが3年先行するので何だけど、「長いお別れ」とも妙にモチーフが重複する。確かに「長いお別れ」に同性愛を読み込む、という視点はアリだから、本作の一家のスポイルされたアマチュア俳優(ロジャー・ウェイドに相当する)と演出家の関係に同性愛を持ってくるのは本当にそんな感じになる...けども、ロスマク、あまりインテリを描くのが上手じゃない。なんでかなあ。ちゃんと「自分の語り方」になっていないように感じる。
なので総じて修行中。本作でアーチャー物語が終わってたら、リュー・アーチャーってミステリ史に残ってないと思うよ。

No.2 6点
(2017/10/08 22:34登録)
リュウ・アーチャー・シリーズ第2作は、ほとんど最後近くまでは前作以上に通俗ハードボイルドっぽい派手なストーリー展開の作品でした。特に閉じ込められた部屋からリュウが脱出するシーンは壮観です。本作は『新・動く標的』のタイトルで映画化されたそうで、未見ですが、確かに映像化すると迫力がありそうです。文章の方では、すでに情景描写には、さすがロス・マクと思わせる表現も多少見受けられますが、ウィットに富んだ会話には欠けます。
ただ最終の第25章だけは、それまでの通俗的はったりとは全く異質なものになっています。次作『人の死に行く道』以降の作品にもつながるような犯人の告白も渋くていいのですが、それよりもその後にある「何の役にも立たない喧嘩」のシーンにけっこう感動してしまいました。この最終章における落差をどう捉えるかは人それぞれでしょうが、個人的には一応評価1点アップ。

No.1 4点 Tetchy
(2009/05/10 22:19登録)
最盛期を迎える前の作品ということもあってか、結末の真相がインパクトに欠ける。意外と云えば意外だが衝撃は皆無に等しい。
ストーリーが流れるままに過ぎて行き、各々の人物像の性格が掴みにくく、透明度が高過ぎて浸透してこなかった。
アーチャーは若く、ラストシーンで警察署長と殴り合いを演じるほどの青さも見せるが、マーロウの影を引き摺っている感は多々生じた。
若さゆえのニヒリズムがアーチャーをアーチャー未満にしている。

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