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ミステリの祭典

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かわいい女
フィリップ・マーロウ/別邦題『リトル・シスター』

作家 レイモンド・チャンドラー
出版日1957年01月
平均点4.83点
書評数6人

No.6 2点 レッドキング
(2021/06/18 19:51登録)
フィリップ・マーロウ第五弾。行方不明の兄の捜索を妹から依頼されたマーロウ、訪れる先で次々とアイスピック刺殺死体に出くわし・・・
※「あなたしゃべりすぎるわ」・・そのとーりだぜ、マーロウ。ハードボイルドなガイは、もっと寡黙な男であるべきだぜ・・「情報に間違いがある。私は傷つきやすい人間だ」 
※「(あんたが)マーロウ?」「だれアロウ」・・うーん、それ、イマイチだ、春樹。
※そういえば、英語には「姉」「妹」のガイネンを表現する一単語ってないのね。

No.5 6点 tider-tiger
(2018/07/11 00:00登録)
~小石をはめこんだような模様のガラスのドアにはげかかった黒ペンキで、「フィリップ・マーロウ……探偵調査」としるしてある。~
シナリオ調の書き出しで物語は幕を開ける。
この事務所でマーロウは~私は蠅叩きを持って、青蠅を叩き落そうと、身構えていた。~
そこへ今回の依頼人オファメイ・クエストより電話が入る。数頁読んで「またマール(高い窓)のようなキャラを使うのか」と思った。あのキャラは一度でいいだろうと。ところがどっこい。
邦題の「かわいい女」はちょっとどうなのかと疑問を持つ人も多いと思う。村上春樹氏は「リトルシスター」と改題した。まあこれが無難かもしれない。でも、個人的には皮肉たっぷりの「かわいい女」がけっこう気に入っている。アリス(ミュージシャンです)の「チャンピオン」みたいなものだと思えば。いや、それは違うか……。
とにかく、チャンドラー作品に登場する女性でもっとも印象的だったのは高い窓のマールと本作のオファメイなのであります。

本作は一般的な評価は低いようで、作者自身も不満を漏らしていた作品。
筋を錯綜させるのはいいが、こんがらがった結び目を解く作業がいい加減なのでなにが起こっているのか非常にわかりづらい。正直私も理解できているのかどうか疑わしい。それから、理解し難い理由で人物が動く。
次々にひっくり返される展開、意外な真相などなどきちんと書けばなかなか面白い作品になったのではないかと思う。
では、チャンドラーはどうしてこの作品が嫌いなのか。本作は出来が悪いとチャンドラー自身も言及していたことがあるらしいが……。
本作は当時の状況などからチャンドラーの個人的な感情が色濃く反映された作品のようだ。それはもちろんハリウッドへの思い。どのような思いなのか。
たとえばこんな場面がある。
愛犬家の映画会社社長が池に葉巻を捨てるのを見たマーロウが「金魚によくないのでは」と言う。
「わしはボクサー(犬種)を育ててるんです。金魚などはどうでもよろしい」
確かにハリウッドの醜悪さを描いているのだろう。この場面は印象的だし、いかにもハリウッドならありそうなことである。だが、チャンドラーの筆にはまだいくばくかの客観性があり、冷静さがあるように思える。ハリウッドを描いているように見える部分はわりと表面的で、さらに奇妙なのは物語がさほどハリウッドと密着してはいないように思える点。もっともっとハリウッドに寄せたものが書けたのではなかろうか。
むしろ一読ハリウッドとは関係のなさそうな部分こそがチャンドラーのハリウッドへの心情のように思えてしまう。チャンドラーはハリウッドでの仕事に魅了され、恋に落ちた。だが、しかし。
~電話が鳴ってくれ。頼む。誰か電話をかけて、私を人類の仲間に戻してくれ。~中略~この凍った星から降りたいのだ。~
このマーロウの独白は作品の中ではハリウッドと関係がない。だが、チャンドラーがハリウッドの仕事をしていた頃、痛切に感じたことなのではなかろうか。人類の仲間に戻りたい、凍った星から離れたい。
さらに言うと、チャンドラーにとってハリウッドを体現しているのは作中の二人の女優ではなく、むしろオファメイ・クエストではないだろうか。
本作においてマーロウは時にチャンドラーであり、オファメイはハリウッドなのではなかろうか。
本作でもっとも印象に残っているのは33章の最後の数頁~芝居は終わった。私は空になった劇場にすわっていた。~で始まるマーロウのモノローグである。ネチネチとした皮肉、嫌味には静かな怒りが満ち満ちている。
オファメイを皮肉っているのだが、これはそのままチャンドラーのハリウッドへの感情としても読めないものだろうか。
こうした負の感情はしばしば自己嫌悪の原因となる。チャンドラーが本作を嫌うのは作品の出来ウンヌンもあるのだろうが、そうした己の負の感情、弱さのようなものを作品に反映させすぎたことを嫌ったのではないだろうか。
だが、読者にとっては作者の負の感情こそが面白かったりする。
この章の最後がちょっと奇妙に感じられた。マーロウは~イギリス人が虎狩りから帰ってきたときのように悠々と階下へ降りて行った~のである。
なんか急に自信にあふれてきた。悪口言いまくってスッキリしたということか。(チャンドラーは)とにかくこの作品を書き上げて、次へいこうと吹っ切れたのか。

「かわいい女」は理解し難い作品だった。なぜこれを書いたのか。
チャンドラーの書きたかったものはやはりミステリなんだと思っている。うまく説明できないので簡単にいうとリアリティのある文学的なミステリ。
「大いなる眠り」から「湖中の女」までの変遷は理解できる。自分の書きたいものにだんだん近づいていたんだろうなあと思える。読みやすさも増して小説技術も上がってきているように思えた。
※作品の評価、好き嫌いとは別問題です。
そして「湖中の女」の次が「長いお別れ」なら腑に落ちる。なぜに「かわいい女」のようなものを書いたのか。「高い窓」「湖中の女」と積み上げてきたものを卓袱台返しして「さらば愛しき女よ」のあたりまで退行しているように思えた。
そういう意味では最後の「プレイバック」も理解し難い作品だったが、これは先行き考えず好き勝手にやった遺書のようなものだと思っております。

チャンドラーは不器用な作家で、作家としての総合的な能力はけして高くはないと思う。自分が目指した水準の作品を書くことができなかった作家であり、チャンドラーの作品は好きだが、それほど高く評価していない。
ただし、作家レイモンド・チャンドラーのことは非常に高く評価している。作家性とでもいうのだろうか。彼ほど真似をされる作家はなかなかいない。真似しやすいというのもあるが。
※クリスティ再読さんが「前衛小説」なることを書評で言及されていたが、その点はまさに同感です。人気があるのも確かに不思議です。
チャンドラーが本当に書きたかったもの、理想としていた類の作品はまだ地球上に存在していないのではないかと思う。それに近づいたものもほとんどない。そもそもこの理想形なるものを書くのは不可能ではないかと。目標が現実離れしていた哀しい人だったのではないかと妄想してしまいます。

チャンドラー長編、最後の書評にしていつにも増して妄想過多になってしまいました。


ややネタバレ


33章のモノローグの中に、マーロウからオファメイの雇い主であるザグスミス医師に向けてこんなメッセージがある。
――オファメイ・クエストに何か要求されたら、断ってはいけません。~中略~いつでもあの娘のいうことを聞いておやりなさい。そして、尖ったものをそのへんにほうりだしておかないことです。――
初読時これを読んで、尖ったもの=氷かき(アイスピック)が当然想起された。氷かきを使った殺人はオファメイの仕業だったのか、と思った。
ところが、そういうわけではないようだ。
チャンドラーはどういうつもりでこのようなことを書いたのだろう? オファメイが氷かき殺人をやりかねない女だとマーロウは言及していたが、それにしたって紛らわしい。

長いお別れのネタバレあり


次作の「長いお別れ」でチャンドラーは理想とした作品にもっとも近づけたとは思う。そういう意味では最高傑作だと思う。
長いお別れでチャンドラーが書きたかったことはたくさんあったのだろうが、ミステリ作家として、マーロウのセリフ↓で
「もちろん知らない。二人とも彼女が殺したんだ」
読者に死ぬほど驚いて欲しかったのではないかと。
私はかなり驚いた。だがしかし、ディープなミステリ読みにとってはどうなのだろう。

No.4 4点 あびびび
(2016/08/28 11:52登録)
フィリップ・マーロウは、「寛容」と、「忍耐」の男である。それは分かるにしても、かわいい女とされる依頼者にこれほどこけにされても、捜査を続けるものだろうか?

気持ちは分かる。引くに引けない状態になったことは認めるが、あまりにも依頼人の悪知恵が横行して、興ざめになりかねない。

No.3 5点 クリスティ再読
(2016/06/27 21:32登録)
みんなあまり指摘しないことだが、マーロウの自宅のユッカ街って、地図で見ると実はハリウッドのど真ん中である。だから、マーロウが映画業界の事件にあまり絡まないのは、エンタメのネタの問題として本当はすごく不思議なことなんだよね。で本作は唯一の映画業界が絡む作品である。強引にプロデューサーの元に押しかけて押し売りまがいなやり口で雇われて、女優×2と絡む。けど本当にそれだけ。ここらへんなぜか腰砕けである。

金のかかる人間ばかり揃っている。そういう人間に、欲しがるだけ、金をやる。なぜだろう。理屈はない。ただ、そういうしきたりなのだ。彼らが何をしようとかわまん。

この映画会社社長の伝で言えば、本人は馴染めなかったようだけども、ヒッチやワイルダーと仕事をした脚本家チャンドラーの仕事ってイイ線を行っていたようにも思うのだ。ハリウッド全盛期のライターはかなりの高給取りのわけで、それこそ「欲しがるだけ、金を」もらえるような立場に近いわけだ...
妄想をたくましくすれば、ドロレスが黒い服を着ているのは、本作の2年前に起きた猟奇殺人事件であるブラック・ダリア事件への連想を誘う演出かも。全盛期のハリウッドとは金と退廃の現代の魔都バビロンである。本作は生粋のハリウッドの土地っ子のケネス・アンガーが蒐集したアングラなゴシップを集成した奇書「ハリウッド・バビロン」によって補完されるべき作品なのかもしれないね。

No.2 5点 E-BANKER
(2013/03/19 23:57登録)
1949年発表。フィリップ・マーロウが登場する長編は7作あるが、その第5作目、名作「長いお別れ」の1つ前の作品になる。
早川書房でチャンドラーといえば、清水俊二の名訳が名高いが、今回は清水訳の「かわいい女」ではなく、村上春樹訳で最近出された「リトル・シスター」で読了。

~『行方不明の兄オリンを探して欲しい』・・・。私立探偵フィリップ・マーロウの事務所を訪れたオーファメイと名乗る若い娘は、二十ドルを握りしめてそう告げた。マーロウは娘のいわくありげな態度に惹かれて依頼を引き受ける。しかし、調査をはじめた彼の行く先々で、アイスピックで首の後ろをひと刺しされた死体が・・・。謎が謎を呼ぶ殺人事件は、やがてマーロウを欲望渦巻くハリウッドの裏通りへと誘う~

うーん。これは・・・書評泣かせの作品。
結構な分量はあるが、正直、途中から話の筋が混迷してよく分からない箇所が目立つようになった。
巻末解説の村上春樹も、本作については「好きな作品」としながらも、プロットは「破綻している」と断言しているし、
何しろ、作者も自分自身で本作を「嫌いな作品」と評しているのだから・・・。

他の方の書評にもあるが、これは本作執筆当時、作者がハリウッドの映画産業に身を置いており、しかもこの境遇にかなり不満を持っていたことに起因するようだ。
それは、本作のマーロウの台詞にも反映されていて、本作でマーロウもハリウッドの虚構や舞台裏に翻弄されながら、その「商業主義」に異を唱えているように思える。
終盤では、多くの登場人物たちの素性や本作での「役割」にもカタがつき、殺人事件の謎も一応解明されるのだが、本作でのマーロウの姿は、いつも以上にニヒルで疲れているように見える。
ただ、村上氏も指摘しているとおり、本作での「苦悩」が名作「長いお別れ」という果実に結実するわけだから、この「回り道」も必要だったと解釈したい。

これで、マーロウもの長編で未読は「大いなる眠り」のみとなったが・・・
個人的な順位付けでは、やっぱり「長いお別れ」は別格だな。次位が「高い窓」で、「さらば愛しきひとよ」は世評ほどでない・・・という感じか。
で、本作は・・・って、やっぱり一番「劣る」という評価になってしまうなぁ。
(「かわいい女」=オーファメイなのだが、あまり「かわいい」って気がしない・・・むしろ「ウェルド」だろ、やっぱり)

No.1 7点 Tetchy
(2009/03/08 01:21登録)
本作は前作『湖中の女』発表後、6年が経過しており、その間チャンドラーは脚本家としてハリウッドで働いていた。
本作はその影響がもろに出ていて、ハリウッド映画界の内幕が舞台となっている。そしてその筆致は終始異様で常識外れな連中が跋扈することをあげつらう形になっており、チャンドラーにとってハリウッドは伏魔殿のようにどうやら映ったようだ。

さて作品だが、今までのチャンドラー作品同様、依頼を受けて人を探すため、見当をつけた場所に行ってみるとそこに死体があり、マーロウが事件に巻き込まれるという形式になっている。

特に本作は場面転換も多く、プロットも二転三転するのでストーリーを追うのに苦労する。

隠された人間関係の歪さはちょっとロスマクに近いかも。でも題名どおりに最後「かわいい女」に救われる想いがした。

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