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Tetchyさん
平均点: 6.73点 書評数: 1602件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.1182 7点 本棚探偵の回想- 評論・エッセイ 2015/04/27 22:31
第一の感想と云えば、明らかにネタ切れで苦しいところが見受けられるなぁという事。基本的に古書収集などは非常に個人的な趣味であり、仲間がいるとはいえ、これに関しては自分のことについて書かざるを得ない。もちろん対象が書物、とりわけミステリ(本書の場合は探偵小説といった方がしっくりとくるかもしれないが)であるから、自然そちらの方の知識も敷衍して、内容の幅を広げているが、そもそも古書収集趣味は活動の範囲が狭いため、その内容のベクトルは横向きに広がるというよりも内側へ深く深く掘り下げていく方向になってしまう。
しかし喜国氏はあまりにディープになるのをある一線で避けているように思え、全てにおいて不完全燃焼である印象を受けた(とはいえ、エッセイの中で触れられる本の題名はかなりディープだが)。

本書の中で面白かったのは「漂流学校」と「本棚探偵、最後の事件」だ。前者は楳図かずおの有名マンガ『漂流教室』の、後者は本歌取りしたホームズシリーズの有名な1編のパロディである。元がマンガ家なだけにこういうパロディをやると無類に面白い。
あと東京の有名な大型書店についての内容(特に八重洲ブックセンターのややこしい各階への昇降についての件に爆笑)は私自身も行った事のあるだけに実感を伴って面白く読めた。
本に関してトレーディング・カードを作ったり、神田神保町の古書店で1冊は確実に本を買うゲーム、あえて普段降りない駅で下車し、全く知らない本屋ばかりを選んで5万円分の本を買うゲームなど、なかなか面白い題材はあったのだが、いかんせんマンネリ化を感じずにはいられなかった。

こういう書物に纏わるエッセイや小説は大好きなのだが、やはりある一線で自分とは相容れない部分を感じてしまったためか、古書収集が人生を滅ぼす趣味である事を再認識してしまい、自分の中で冷めてしまったところもあったかもしれない(特に日下三蔵氏のお宅訪問の話)。

No.1181 7点 本棚探偵の冒険- 評論・エッセイ 2015/04/25 23:59
喜国氏の古本収集狂想曲という副題もつけられそうな本書は世に蔓延る古書収集家のHPやブログにありがちな、どこそこの店で○冊買ったとか、△×デパートの古本市で~~をゲットしたとか、紙一重の差で獲られたとか、古本屋の品揃えに対するコメントなどいわゆる古本マニアが陥りそうな買い物披露会、蔵書展覧会的内容になっておらず、古本や本自体を通じて様々な試みをしているのが面白い(いや勿論半分は古本屋探訪記なのだが)。

まず連載1回目では雑誌『ダ・ヴィンチ』でも紹介された江戸川乱歩邸の蔵を訪問する話といわばミステリ好きにしてみれば夢の体験を語っているが、この辺は至って普通の題材と云えよう。その後も海外での古本屋探訪記やデパートの古本市のエピソードなどこれまた普通の展開であるが、我孫子武丸氏の蔵書整理の話やこれまた『ダ・ヴィンチ』に紹介された手作り本棚の話に本の函作りに豆本作りなど、本に纏わる事なら何でもという展開を見せてくれる。

特に面白く読んだのが1日でどれほどポケミスをゲットできるかを描いた「ポケミスマラソン」だ。私も一度神田の古本街で古本屋巡りをしたが、朝から行って昼過ぎでも廻りきれず、疲れ切ってしまったのを覚えており、喜国氏の深夜まで本屋を駆け巡る根性には畏れ入った。本を集め出すと、多分ないだろうと解っているのに、どうしても遠方であっても訪れざるを得ない衝動に駆られ、収穫が大方の予想通りになかった場合は徒労感に加え、財布に残ったお金を見てその日に費やした交通費を想像して絶句してしまうのである。本書にはそういった本好きのどうしようも止まらない衝動があらゆる方面から描かれている。

またこれだけいっぱい本を集められる財力と本を収納するスペースがある羨ましさ(巻末のエッセイでは倉庫を借りているとのこと)を感じつつ、表紙が違っていたり、版が違うことで文章や中身が変わっているだけで同じ作品でも何冊も買ったりと、そこまではと感じる部分もあり、本好きの夢の具現化と自分の本好きのバロメータを測る指針にもなったり、本好きあるあると本好きと収集狂の境界を垣間見れたりとなかなかに深い内容なのである。

本書もそうだったが最近の出版情況は発刊すれば売れなければ1年後ぐらいにはもう絶版になって手に入らなくなることもざらで、『このミス』やガイドブックで取り上げられている有名な作品や有名な著者の作品もすぐに書店の店頭から姿を消してしまう。本好きの憂うそんな状況を補完するのが古本屋の存在なのだが、一方で手に入らないというだけで本の価格が高騰化する情況もおかしいのだ。
元々は読みたい本が見つからないから古本屋で探して手に入れるという行為が、いつの間にかマニアの間で幻とされている本を手に入れること自体が目的になっている、つまり「手段の目的化」が古書マニアの歪んだ構造なのだろう。実際読むことに既に目的はなく、ありのままで出来るだけ人の手垢が付かない状態で保存する事に神経質になっている古書マニアがいることも語られている。古書自体がアンティークの美術品のようになり、読まれるべき本が読まれない、哀しい状況である。従って最近なかなか手に入らなかった旧作が新訳版として出版されるのは嬉しい限り。本書でも挙げられているカーの『殺人者と恐喝者』も昨年50年ぶりに刊行されたし、最近ではフィルポッツの『だれがコマドリを殺したか?』も刊行され、本好き、ミステリ好きにとっては実に喜ばしい状況になっている。一方で古書マニアはこれらの作品が出回ることで稀少価値が落ちて古書価格が下がるので歯ぎしりしたくなるのではないか。しかしこれは本来おかしな状況なのだから、出版社の最近の風潮は俄然支持したい。

堅苦しい話になり、またも横道に逸れてしまったが、本書はそんな古本を巡る現在の出版情況を憂うようなものではなく、本好きの本好きによる本を好きになり過ぎておかしなことをしてしまった人々のお話である。この中で語られるエピソードの中にもう1人の自分を重ねるもよし、はたまた自分の好きな世界のさらに奥深い所を知って、境界線を引くもよし、また喜国氏のように函作り、豆本作りを手掛けるもよしと、読めば読むほど本の深さを知らされる。
特に巻末の古書収集仲間の座談会の内容の濃い事、濃い事。そして双葉社の喜国氏の担当もいつの間にか感化されて古書収集に精を出すようになってしまった。古書収集は友を呼ぶのか。

No.1180 7点 別れを告げに来た男- ブライアン・フリーマントル 2015/04/23 23:47
三つ子の魂百までとはよく云ったもので、主人公を主体にしたメインストーリーが繰り広げる中で章の終わりにインタールードのように挿入されるソ連の秘密委員会たちによる謎めいた会議の様子は本書ではサプライズのために実に有機的に機能しているが、これはフリーマントル作品ではお馴染みの構成で既に本書においてフリーマントルのスタイルとして確立されているのに驚いた。

さらにはチャーリー・マフィンシリーズを筆頭に描かれるイギリス人への痛烈なる皮肉。上にも書いたが常にロシア人は物事の深淵を透徹した視野で物事を考え、イギリス人は目の前に駆引きに終始して、物事の本質を見極められないというイギリス政府蔑視の姿勢が既に本作で確立されているのには苦笑してしまった。

重ねて云えば最新作『魂をなくした男』とデビュー作の本書が奇妙に題材が酷似していることもその裏付けだと云えるだろう。そう考えれば自分の禿げ頭にコンプレックスを抱いてカツラ愛用者を見破ろうとしている奇妙な性格のエィドリアン・ドッズは危機を感知すると幅広な形の足が痛むチャーリー・マフィンの原型だったのかもしれない。

また本書は題名がいい。原題は“Goodbye To An Old Friend”でこれが最後の1行として現れ、実に切ない余韻を残す。そして邦題は『~した男』とフリーマントル翻訳作品の題名のフォーマットを踏襲しながら原題を活かし、読後にその真意に気付かされる、ミステリのお手本のような翻訳だ。

ただデビュー作ということもあってか、本書は珍しく皮肉屋のフリーマントルらしくなくサプライズと深い余韻を重視したエンディングになっている。これが今ならば恐らくパーヴェルはソ連に帰国した直後に証拠隠滅のため消され、家族もまたソ連の亡命者への粛清を大義名分として抹殺されていたことだろう。むしろこういう結末にならなかったことにほっとしている。そして最後のパーヴェルのソ連秘密委員長に対するある抵抗も、男が男を認めた瞬間で実に気持ちのいい場面だ。正直に云えばいつもこのような形で終わればいいのにと思うのだが。

No.1179 7点 死者との誓い- ローレンス・ブロック 2015/04/17 22:34
『墓場への切符』から始まったいわゆる“倒錯三部作”を経たマット・スカダーシリーズも第11作目では圧倒的な悪との戦いから解放され、以前のシリーズの趣を取り戻したような様子で幕を開ける。
今回の事件はある弁護士の死の真相を探るという物。しかしその犯人はすぐに逮捕されて証拠もあるのだが、犯人の弟から事件の再調査を依頼される。

さて暗鬱な“倒錯三部作”を経た本書はそれまでのシリーズには見られなかった軽妙さがそこここに感じられる。それは前作でマットが決意したエレインと結婚を意識しているためか、どこか二人の掛け合いにそれまでにない薔薇色めいた華やかさを感じるのだ。
そして今や名バイプレイヤーとなったマットの助手TJの活躍も文体の軽妙さに一役買っていると云っていいだろう。前作『獣たちの墓』で大活躍したTJが本作でも事件の目撃者捜しという大役に大いに貢献する。
アル中探偵で警官時代の過去の事件でトラウマを抱えて1人孤独に社会の底辺で生きる人々の間を渡り歩いていたマットだが、もはや彼は一人ではなく、チームが出来上がっていたのだ。これが物語のトーンを変えているアクセントとなっているのは間違いない。

本書が特徴的なのは物語が約100ページを残して一旦の解決を見ることだ。そしてそこからの100ページは最後のピース、グレン・ホルツマンを殺した犯人が判明するが、決してマットはその犯人解明に尽力するわけではない。ただいつものようにエレインに逢い、ミックたち友人に逢い、AAの集会に出て語らい、そしてリサの許を訪れる。そんな道行きの中で天啓のようにひらめく。それは30分に一人が殺されているという犯罪の国アメリカにおいてたった一つの殺人がグレン殺害の犯行と似ていたことに気付くことで明かされる。この味わいはこのシリーズならではの物だ。

かつては世間では取るに足らない存在に過ぎない人間の尊厳を守るために生前親しんでいた依頼人のために事件を探っていたが、今では死が全てを忘れ去ってくれるかのごとく、依頼人も固執せずに容易に依頼を真相が解らぬままで断ち切る。時代が移ろい、人の心も移ろうのだ。
それはマットとて例外ではない。過去の過ちから一人でいることを決意した男が自分の死と直面し、そして愛する者が瀕死の状態に陥ったことで結婚を決意する事になる。
1人ではなく、護る者が出来たマットが辿る静かな足取りながらも味わい深い物語をこの後も期待する事にしよう。

No.1178 7点 アルカトラズ幻想- 島田荘司 2015/04/11 23:54
島田荘司のノンシリーズである本書は読者の予断を常に超え、全く想像のつかない展開で物語が進んでいく。それはあらゆる学問や知識が動員された奇妙な、しかしそれでいて実に説得力のある話が展開したかと思えば、奇想に満ちた世界が連続する。

これはまさに島田しか書けない物語だ。題名が示すようにこれはまさに幻想物語だ。第2次大戦下のアメリカを舞台に古代生物学、物理学に構造力学、天文学といった知識がふんだんに盛り込まれ、空想の世界を補強し、このとんでもない空想物語がさも実存するかのように島田は語る。
5つに分かれるこの壮大な幻想譚は1章では行間から血の臭いまでもが匂い立つほどの迫真性に満ちた人智を超えた猟奇的事件を語り、2章では重力論文なる、現代科学において規格外とされる巨大な生物、恐竜の存在とその絶滅の謎に対する学術的な話が展開し、3章ではアルカトラズ刑務所を舞台にした刑務所生活と手に汗握る脱獄劇が、そして4章では一転して島田ワールドとも云える空想世界の物語だ。それは『ネジ式ザゼツキー』で語られた「タンジール蜜柑共和国」を髣髴とさせる「パンプキン王国」なる不思議の国の話。そしてそんなメルヘンとしか思えない世界が最後のエピローグで意外な真相と共に明かされる。
まさにこれはそれまでの島田作品のエッセンスを惜しみもなくふんだんに盛り込んだ集大成的作品と云えるだろう。

世のミステリ作家の想像の遥か彼方の地平を進む本格ミステリの巨匠の飽くなき探求心とその豪腕ぶりに今回もひれ伏せてしまった。島田はまたしても我々が読んだことのないミステリを提供してくれた。ミステリの地平と明日はまだまだ限りなく広く、そして遠いことをこの巨匠は見せてくれたのだ。まさに孤高という名に相応しい作家である。

No.1177 7点 緊急速報- フランク・シェッツィング 2015/04/03 00:06
総ページ数1,870ページの上中下巻の大作で語られる物語の舞台は今最も危険だと恐れられているイスラム諸国。これは今なお抗争が絶えないイスラエルという歪んだ構造を持つ国が建国され、それに翻弄されたユダヤ人たちの苦難に満ちた物語である。

物語は大きく2つに分けられる。1つは危険に満ちた彼の地で活動するドイツ人ジャーナリスト、トム・ハーゲンがイスラエル政府の闇の歴史に触れたがために政府と反政府組織に追われる身になった逃亡劇だ。
もう1つは20世紀初頭にユダヤ人でパレスティナに移住してきたカーン家とシャイナーマン家という2つの家族の通じて描いたイスラエルの建国から現在に至るまでの苦闘の日々だ。

610ページ以上もある上巻の内容はほんのイントロダクションに過ぎない。上に書いた話の幕明けが入れ代わり立ち代わり語られるだけで正直物語の全体像がはっきりと見えない。物語の核心に迫るのは中巻になってからだ。イスラエルの情報機関<シン・ベット>の極秘データをコピーしたCDをトム・ハーゲンがハッカーから手に入れるところからようやく物語は動き出す。

世界中に点在するユダヤ人たちに安住の地を提供する名目でいきなり作られた国でありながら、それがために周囲のアラブ人たちの反感を買い、常にテロと戦争の脅威にユダヤ人たちを晒し、穏やかな日々が訪れない。ユダヤ人によるユダヤ人の国でありながら、その実ユダヤ人たちを苦しめている、それがイスラエルと云う歪んだ国の正体だ。そしてそれはやがてユダヤ人自身がイスラエルと云う国を崩壊させようという思想まで生み出す。

物語の最後にシン・ベットの作戦本部次長のリカルド・ペールマンが述懐する。自国を、国民を守るために周囲の国々と戦い、パレスティナ過激派集団と戦い、テロと戦ってきたのに平和が一向に訪れず、報復による報復が繰り返されるのみ。暴力の螺旋に取り込まれ、崩壊の道を辿っているのではないかと。

しかし私はこのイスラエルが抱える矛盾が生み出した悲劇を描くのに果たしてこれほどの分量が必要だったのか、はなはだ疑問に感じられる。実在の政治家をふんだんに盛り込みながら仔細に語る内容はそれが故に盛り込みすぎて冗長で冗漫に思えてならない。
相変わらず引き算をしない作家だという思いを新たにした。“調べたこと全部盛り”と勘繰らざるを得ないほど、情報過多であり、正直上巻の中身を読むと、これほどの紙幅を割く必要があったのかと首を傾げざるを得ないエピソードが満載である。しかも文体はどこか酔ったところがあり、その独特のリズムに馴れるのも難しいし、またなかなか頭に入ってこないきらいもある。

複雑怪奇な中東問題をこれだけの筆を割いてもきちんと書けたかが解らないと作者自身もあとがきで述べているように、読者である私も十分理解したとは云えないだろう。ある程度前知識が必要な作品である。しかし世界にはまだこれほど危難に満ち、安寧とは程遠い国があるのだ。
そしてテロリスト集団イスラム国の標的に日本人もなっている昨今、既にこの物語は対岸の火事ではなくなっているかもしれない。そうもしかしたら今そこにある危機の1つなのかもしれない。

No.1176 7点 夜明けの光の中に- ローレンス・ブロック 2015/03/09 23:02
ローレンス・ブロック短編集第3集の本書はシリーズキャラクターであるマット・スカダー物3編、泥棒探偵バーニイ・ローデンバー物が1編、エイレングラフ物が2編、そして以後シリーズキャラクターになる殺し屋ケラー物が1編含まれた全20編で構成された実に贅沢な短編集である。
今回の作品では前の2集とは異なり、何とも云えない後味を残す作品が多い。

収録作が80年代末から90年代に掛けての物が多いせいか、当時の流行を反映してサイコパス物や人間の不思議な習慣や行動に根差した作品が多く感じた。これが発表当時、世紀末だったことに起因する特異性なのか解らないが、奇妙な味わいを残すオチが多い。割り切れなさとでも云おうか。
従ってウィットの効いたオチや切れ味鋭いオチを期待するといささか肩透かしを食らった感じがするかもしれない。実際そういった類の作品は「夢のクリーヴランド」、「死にたがった男」、「どんな気分?」ぐらいしかなく、大半が敢えて結末をはっきりと書かないことで余韻を残すような書き方をしている。
これはブロックに限った話ではなく、国内作家でも見られる形で、いわゆる大団円的なフィナーレやスパッとした切れ味といったカタルシスを残す遣り方は少なくなってきており、登場人物たちの人生という1本の線のある時期を切り取った描き方をして、今後も彼らの時間が続いていくような区切のつかない終わり方が多くなってきている。これは物語の在り様の変化なのだろう。

さてそんな短編集の個人的ベストは「胡桃の木」、「慈悲深い死の天使」、「フロント・ガラスの虫のように」、「どんな気分?」の5つを挙げる。
これら4作品に共通しているのは先にも述べた世紀末特有の厭世観がもたらす法律による善悪よりも道徳としての善悪、つまり死に値すべき者、そして死を望む者に敢えてそれを施す行為がなされていることだ。
特に「胡桃の木」はDVに悩まされる暗鬱な夫婦関係と遺伝と云う家系の業をひたすら重く語り、最後にサプライズを仄めかす、まるでレンデルが好んで描く抗えない血の呪いといった運命の悪戯が描かれており、ブロックの新たな境地を垣間見たような気がした。

こんな短編集が絶版で手に入らないのは誠に勿体ない話である。

No.1175 7点 冒険小説論- 評論・エッセイ 2015/03/05 22:51
第47回日本推理作家協会賞の評論その他の部門賞を受賞した北上次郎氏渾身の評論集。内容は大きく分けて海外編と国内編に分かれている。

この海外編は実に素晴らしい。19世紀の小説から幕を開けるが、その流れは欧米の経済発展、特に産業革命後の新しい世界の幕明けと冒険活劇小説が連動して発展していく様子を実作を並べて述べており、小説が時代を映す鏡であり、またその時代に生きた人々の勢いや息吹さえも感じさせることを教えてくれる。
例えば大航海時代を経たヨーロッパの国でハガードのような秘境冒険小説が発展したこと、アメリカでは西部小説が発展し、フロンティア精神が冒険小説を発展させていったこと、産業革命が人々に科学への関心を向けさせ、ヴェルヌの小説がそれまで未開の領域だった海底や大空を当時の最新科学の知識で行けることを知らしめ、新たな世界への進出を夢見させたことなど、冒険小説が時代時代の分岐点を契機に発展し、また変化していたことを詳らかに述べる。
特に作者は“70年代の壁”をどう乗り切ったかについてそれぞれの作家の実作を以て繰り返し語る。米ソの対立が緩和されたこの時代の大転換である者は自然の厳しさに敵を見出し、ある者は時代を遡り、明確な敵のいる第二次大戦に題材を掘り起こす。またある者は“現代の秘境”を題材に作風を敢えて変えないことで乗り越えた者もいれば、己の恐怖心こそ最大の敵と見出し、長きスランプを脱した作家もいる。この辺りの流れは毎日読んでいて非常に楽しかった。それを裏打ちする北上氏の膨大な読書量にも驚かされた。

この海外編を読んで意気昂揚して臨んだ国内編の落差には正直非常に失望した。
なんと全30章で構成される同編の内、27編が時代小説、時代伝奇小説の掘り下げに終始するのだ。私が非常に愉しみしていた70年代から始まる日本の冒険小説の流れは最後のたった3章で駆け足程度でしか語られない。これはあまりにひどすぎる。非常にバランスの欠いた内容となってしまっているのだ。これは欧米に比べ、たかだか数年でしかない日本の冒険小説の歴史の浅さゆえにまだ発展途上で未成熟の分野だということを北上氏は語っているのだろうか?
いやあとがきを読むにそれは予想以上に時代伝奇小説に氏が没頭してしまったことによるところが大きい。3章の内、大きく語られるのは大藪晴彦氏と夢枕獏氏のみ。かつて一世を風靡した志水辰夫氏や船戸与一氏、北方謙三氏などは末節で語られるのみである。

舌鋒鋭い感想になってしまったが、大変惜しい評論集である。稀代の読書家であり書評家である北上氏の仕事としては竜頭蛇尾の如き作品になってしまった。ただ氏はその後も『極私的ミステリー年代記』などの大著もあるので、そちらを期待したいと思う。
本書は論者が趣味に走ったがために傑作になり損ねた評論集である。実に勿体ない。

No.1174 7点 このミステリーがすごい!2015年版- 雑誌、年間ベスト、定期刊行物 2015/03/04 23:15
国内ランキングを見ると今年は短編集が強かったという印象だ。1位の『満願』、2位の『さよなら神様』、4位の『小さな異邦人』と上位5作品の内、4作品が短編集という特異なランキングとなっている。さらには惜しまれながらも逝去した連城三紀彦氏の作品が2作もランクインし、その他月村了衛氏、黒川博之氏が同じく2作ランクインしている。また唯一長編で上位5位に食い込んだのは何と今年の乱歩賞受賞作『闇に香る嘘』というのも大きなトピックだろう。この新人の2作目が最近刊行されたが、この評価も気になるところだ。後は純文学の垣根を超えて最近はランキングの常連となった吉田修一氏が『怒り』が入り、『ロスト・ケア』でデビュー作がランクインした葉真中顕氏も2作目が11位にランクインし、実力がフロックでないことを証明した。久々にミステリど真ん中の作品『獏の檻』を出した道尾秀介氏も11位とまずまずといったところか。
逆にかつてはランキングの常連だった真保裕一氏がランキング外でも掠りもしなかったことが残念。また三津田信三氏も刀城言耶シリーズが今年も刊行されなかったのも懸念される。

さて海外のランキングは『忘れられた花園』でランクインしたケイト・モートンが『秘密』で2位にランクインし、破格の新人と評されたロジャー・ホッブズの『ゴーストマン 時限紙幣』が3位、続く4,5位も新人テリー・ヘイズの『ピルグリム』、ダニエル・フリードマンの『もう年はとれない』と新人尽くしのランキングとなった。新人に注目すると6位以下も『ハリー・クバート事件』のジョエル・ディケールを筆頭に4作がランクインと紹介される作家の質が高まっている感が強い。常連に注目すると、最近は未訳作品が紹介されるとランクインが定着しているヘレン・マクロイにアンソニー・バークリー、現役作家ではミネット・ウォルターズ、マーク・グリーニー、ヘニング・マンケル、マイクル・コナリーらが順当に入った。
残念なのは今年こそは20位圏内かと思われたジョー・ヒルが圏外だったことと、殺し屋ケリーシリーズが復活したブロックが圏外にも入らなかったこと。そして年々ランキングを下げていたディーヴァーがとうとうランク外になったことも残念だった。

そして昨年の『幻の名作ベスト10』に引き続いて国内短編のオールタイム・ベスト選出は嬉しい企画だった。しかも前回では不満だった選者の選評も掲載されており、ランキング以外の選出作も垣間見れて大変満足。そしてこのオールタイムベストでは連城三紀彦氏の「戻り川心中」がトップに選出されており、他にも20位内に3作がランクインしているという強さを見せた。今年のランキングでも没後ながらも2作もランクインしている連城氏のクオリティの高さを思い知らされた。

以前からウェブ上の感想でも不満として挙げられていた『このミス』大賞受賞者による描き下ろし短編も最近評価の高まっている柚月裕子氏の短編のみ(読んでませんが)になり、さらには昨年好評だった『幻の名作ベスト10』に続いての国内短編オールタイムベスト選出とようやく往年の『このミス』が還ってきた感がある。紙質は相変わらず悪いが、単にその年のミステリ傾向を記録するためだけに存在していたかのような中身がスカスカの頃に比べるとミステリ好きの興趣をそそる内容になりつつあるのは喜ばしい。

No.1173 7点 北海の墓場- アリステア・マクリーン 2015/03/01 00:07
厳寒の北極海を舞台にベア島なる孤島に向かうハリウッドのロケ隊の一行。主人公はその映画会社オリンパス・プロダクションに雇われた医師マーロウ。今までのマクリーン作品の読者ならば、厳寒の海が舞台であればまたも過酷な環境と苦難の連続の航海が一行に待ち受けているだろうと想像するが、本書はそんな読者が抱く先入観を裏切り続けて物語は進行する。

もはや老朽化という言葉を超えた船の乗客や乗組員が直面する災難は荒々しい波濤や物の数秒で凍てつくブリザードでも、触れるだけで大破するほどの絶望的な大きさを誇る流氷などが現れる極寒の環境ではなく、なんと激しい船酔いなのである。

さらにはベア島に着くと一行は島にある観測隊が以前使用していた小屋に落ち着くが、いきなり第一の殺人が起こる。それを皮切りに次々と関係者が一人また一人と不審死を遂げる。犯人は島にいる関係者の中にいるというシチュエーション。つまり厳寒の島で繰り広げられるのは何と本格ミステリでいうところの“嵐の山荘物”なのだ。しかしなんと島に留まっているのは主人公のマーロウを含めて22人にも上る。なんとも容疑者の多すぎる孤島物ミステリだ。

ただやはりマクリーンはサプライズを好む作風であるのだが、どうもそれがうまく機能していないように感じる。今回は主人公のマーロウがそれほど思わせぶりではなく、また物語の中盤で自身の正体を明かすため、ほどなく物語に入り込めたものの、最終章で一気呵成にマーロウの口から新事実が次々に明かされる構成はやはりバランスが悪く、作者の独りよがりだという感は否めない。専門知識や機器の詳細などの微細な描写や説明、そして不屈の精神を持った人物の描写などは抜群に上手いのだが、物語を書くのがそれほど上手くないのだ。本書のようにミステリ趣向の作品を読むと如実にそれが表れてくる。手掛かりや伏線の出し方の匙加減が下手だと云ってもいいだろう。

しかしマクリーンもかなりの変化を見せた作家であることが本書で証明された。次の主人公はいかなる人物か、興味がまたでてきたではないか!

No.1172 7点 まどろみ消去- 森博嗣 2015/02/24 23:15
S&Mシリーズの連作短編集かと思いきや、なんとシリーズとは離れたノンシリーズの短編集だった。全く人を食った作風の森氏らしい計らいだ。
しかしこれほどまでに短編を書き溜めていたとは思わなかった。その作風は実にヴァラエティに富んでいる。
景色を丹念に書き綴った田舎風景が印象的な作品もあれば、一転してファンタジックな詩を思わせる作品もある。そして奇妙な味のような作品もあれば、S&Mシリーズを髣髴させる大学を舞台にしたサスペンス物もあり、半自伝的な恋愛物もあったり、作中作に幻想小説と物語のエッセンスがふんだんに盛り込まれている。

しかし一番面白いのは森博嗣という作家そのものだろう。なんせ現役の建築学科の教授、つまり理系の教授がこれほどまでに色んな物語を書いていることだ。特に1作目の「虚空の黙禱者」の匂い立つような田舎の風景描写には驚かされてしまった。
正直に話せばS&Mシリーズは大きな謎1つで400~500ページの長編を引っ張る構成に冗長さを覚えていたが、短編では森氏独特の奇抜なワンアイデアを中だるみなく楽しめることが出来、この作家は短編向きではないかと思った。

さて本書のタイトルは『まどろみ消去』。私は本書を読むことで眠気も覚めるという作者の自信を森氏ならではの文体で表現した物だと理解していたが、英題は“Missing Under The Mistletoe”、直訳になるが『寄生木の下での消失』といささか幻想めいたタイトルである。この英題から想起させられるのは明るい日差しの中、寄生木の下で読んでいるといつの間にか異世界に連れて行かれた、そんなイメージだ。どちらにせよ、実に森氏らしいタイトルである。さて貴方の眠気は覚めるだろうか?

No.1171 7点 追憶のカシュガル- 島田荘司 2015/02/21 00:31
日本の古都京都はその永き歴史ゆえに様々な言い伝えや伝承が今なお息づいており、点在する名所や史跡にはそれらが成り立った理由や逸話が残っている。
そんな古都にまさか御手洗潔が住んでいたとはミタライアンでも驚愕の事実であっただろう。しかも京大の医学部出身だったとは。横浜の馬車道を住処にしていた御手洗が関西ならば神戸辺りが適所だと思うが、京都とは意外だった。そんな京大時代に御手洗は休学し、海外放浪をしていた。そして京大を目指す予備校生サトルを相手にその時に出遭った人々の話を始めるというのがこの連作短編集だ。

特徴的なのは御手洗潔の短編集でありながら本書では御手洗潔は推理をしない。つまりミステリとしての謎はなく、御手洗はあくまで彼が海外放浪中に出逢った人々から聞かされた話をサトルに語るだけなのだ。謎を解かない御手洗の姿がここにある。
しかしこれら彼が経験した出逢いは御手洗にとって人間を知る、歪んだ社会の構図を知る、そして島国日本に留まっているだけでは理解しえないそれぞれの世界のルールを知り、その後快刀乱麻の活躍ぶりを発揮する名探偵としての素地を形成するための通過儀式のように思える。社会的弱者に対する優しき眼差しはこの放浪で培ったものなのだ。

今や社会は弱者に対して優しくなったと思う。バリアフリーは進み、知的障害者に対する理解も増え、学校では支援学級が必ず存在するようになった。また外国人への規制も緩くなりつつあるし、さらにはトランスジェンダーへの理解も広がり、性同一障害者がテレビをにぎわすほどにもなった。
しかしそんな社会もかつて虐げられた人々の犠牲の上にごく最近になって築かれてきた理解の賜物であることを忘れてはならない。この御手洗潔が語る弱者への容赦ない仕打ちこそがほんの10年位前にはまだ蔓延っていたのだ。
本書は御手洗の海外放浪記であるとともに世界の歴史の暗部を書き留めておく物語でもある。人間の卑しさを知った御手洗がその後弱者の為に奔走する騎士となる、そんなルーツが知れるだけでもファンは読み逃してはならない。

No.1170 7点 魂をなくした男- ブライアン・フリーマントル 2015/02/15 01:49
『片腕をなくした男』から始まる三部作の完結編である本書は相変わらずそれぞれの部門長の椅子の安泰と自らの進退を賭けたディベート合戦で幕が開く。

複雑な様相を呈する一連の事件の真相が解る3部作の完結編という重要な位置にある作品にしては実に動きのない話である。何しろ展開されるのはまず亡命したマキシム・ラドツィッチへのMI6による尋問と同じく亡命したイレーナ・ノヴィコワに対するCIAによる尋問、そしてナターリヤ・フェドーワに対するMI5からの尋問、そしてロシアに拘束されたチャーリーのロシア連邦保安局による尋問、そして英国官房長官アーチボルト・ブランドを議長にする危機管理委員会におけるMI5部長オーブリー・スミスとMI6部長ジェラルド・モンズフォードを中心としたそれぞれの立場と自尊心を賭けたディベート合戦なのだ。

しかしやはり三部作の最後を飾る本書はそんな退屈なシーンを我慢するに値するサプライズが待ち受けている。下巻の230ページで明かされる衝撃の一行。それはロシアの元KGBの大物マクシム・ラドツィッチが実は別人であったという事実。それまでの全ての記述がそのまさかのサプライズを裏付けていく。

ただし、それでも小説全体の評価は傑作とまではいかなかった。それはやはり前述したように物語自体が全体的に動きに乏しかったこともそうだが、今回の訳は日本語として体を成していない文章がところどころ目立ったことも大きな一因である。訳者は昨今のフリーマントル作品の訳を担当している戸田裕之氏なのだが、中学生や高校生が教科書に書かれた構文をそのまま訳しているような、実に解りにくい文章が散見させられた。原文がどう書かれているかは知らないが、せめて日本語として文章を書くのであれば作者の意図する内容を噛み砕いてほしいものだ。

しかし最後の最後まですっきりとしない物語だ。私はこの三部作こそが長きに亘って書かれたチャーリー・マフィンシリーズの終幕として著された作品と思われたが、どうやらそうではないらしい。窓際の凄腕スパイ、チャーリー・マフィンを世界は必要としている。

“Show Must Go On.”

No.1169 10点 獣たちの墓- ローレンス・ブロック 2015/02/05 23:27
『倒錯三部作』の掉尾を飾る本書では2人組のレイプ・キラーをマットが見つけ出す物語。

そんな陰惨な事件に今回は前回登場したスラムに住む少年TJが大活躍する。電話会社から公衆電話の番号を訊き出す方法だったり、ジミー・ホングとデイヴィッド・キングという凄腕ハッカーを紹介して犯人の行動範囲を限定したりとする。
特に次の誘拐事件が起きた時には犯人の顔と車のナンバーを抑えるなど八面六臂の活躍を遂げる。正直前作に登場した時はただの小生意気なスラムの少年だとしか思えなかったが、この活躍で一気に彼が好きになった―特に400ページのTJの台詞はこの暗鬱な物語の中で思わず笑い声を挙げたほど爽快な一言だ―。
今回ミック・バルーは警察からの嫌疑を免れるため、アイルランドに逃亡中で不在であったため、物語の面白味が薄れるかと思いきや、TJがその代役を果たしてくれた。マット・スカダーを取り巻く世界はますます濃厚になっていく。

これら三部作で語られる事件は魂が震え上がる残酷な事件ばかりだ。従って事件も展開もアクティブになっていく。私は『墓場への切符』の感想で“静”のスカダーから“動”のスカダーに切り替わったと述べたが、それはただ人に便宜を図る程度の捜査ではこれら社会に蔓延る強烈な悪意の塊のような輩には到底立ち向かえないからだ。だからこそマットも動き、人と人との間を歩くのではなく、駆けずり回らなくてはならない。特に本書ではハッカーを使ってまで犯人の行動を摑んでいく。これは以前のスカダーシリーズでは全く考えられなかったことだ。
そしてもはやこれほどまでに強大な悪には1人の力では立ち向かえない。前作ではミック・バルーと云う犯罪者の力を借りて敵を討った。そして今回は麻薬ディーラーの持つ闇の繋がりを以て敵と相見える。悪を以て悪を征する構図は本書でもまた引き継がれたのだ。

“狂気の90年代”とはクーンツが当時盛んに取り上げたテーマだったが、1992年に書かれた本書もまた同じだ。『倒錯三部作』とは時代が書かせた作品群だったのだろう。

私はこれら3作が『倒錯三部作』と日本の書評家たちが勝手に名付けたことがどこか心に引っかかっていたが、それはこれらの3作品が性倒錯者による陰惨な犯罪にマットが立ち向かう作品群であり、個の戦いから仲間と巨悪との戦いへの変遷であると書いてきた。しかし本書を読んでからはエレインとの再会で始まり、エレインへのプロポーズで終わる三部作でもあるのだと気付かされた。
全ては地続きで繋がっている。このマット・スカダーシリーズを読むとその感慨が一層強くなる。1作目から読んできたからこそ味わえるマットに訪れた安寧を我が事のように思いながらしばし余韻に浸りたい、そんな気分だ。

No.1168 7点 巡礼のキャラバン隊- アリステア・マクリーン 2015/02/03 00:00
北上次郎氏の『冒険小説論』によればマクリーンは冒険小説に謎解きの要素を加えた作家であるとのこと。確かにそうだが、以前から感想で述べていたようにマクリーンは読者をいきなり物語の渦中に投じ、人物背景や設定などを一切語らずにストーリーを進め、それら自体が謎となっているため、開巻してしばらくは非常にすわりの悪い読書を強いられるが、本書もまたその手法に則って書かれているおり、ジプシーのキャラバン隊の指揮者チェルダが一員のアレクサンドルを追跡の末、殺害する顛末が描かれるプロローグはこのチェルダという男がただの巡礼者でなく、ある秘密の目的を持っていることが分かるものの、いきなり彼らジプシーたちに命を狙われることになるネイル・ボーマンの逃走劇に何の前知識もないまま付き合わされることになる。
その逃走劇自体は非常に映像的でわかりやすく、なおかつスリリングであるのだが、やはり物語の前置きがなく、状況がよく解らないままに進むため、なんとも居心地の悪い思いをしながらの読書となった。

今ではマクリーンは『ナヴァロンの嵐』を最後に、作品の質は下り坂を辿り、後期の作品には読むべき物はないとされている。北上次郎氏は前掲の評論で自身の作風に固執して時代の流れに乗りきれなかった作家として切り捨てている。
特に冷戦の緊張緩和、CIAのスキャンダル発覚でもはやスパイやエージェントがヒーローで無くなった時代になってもなおエージェントを描いて空回りしているのがまさにこの頃のマクリーンで、確かに本書も親の莫大な遺産を引き継いだ有閑人として登場したボーマンとキャラクターの濃いクロワトール公爵が、それまでマクリーン作品を読んできた読者の大方の予想通りにエージェントであったこと、そして歯の浮くようなハッピーエンドで幕を閉じるなど、当時の時代背景を考えると一種お伽噺のような感がしないでもない。
しかしそれでもなお絶壁での逃走劇に荒ぶる巨牛との闘牛シーン、さらにはボートによる海上での戦いなど随所に盛り込まれるアクションシーンの迫真性はやはりこの作家ならではのりアリティに溢れている。

No.1167 7点 封印再度- 森博嗣 2015/01/24 23:53
このサイトで大半を占めるように、私も萌絵の非常識さに辟易・憤慨しました。
叔父が愛知県警の刑事本部長と云う地位を利用して他人の殺人事件に土足でずかずかと入り込んでくる無神経さがどうも気に入らない。いや押しなべてミステリに登場する探偵とはそのような物だが、西之園萌絵の場合は本部長の叔父が快く思っていないのにこそこそと事件に関わってくること、自分の容姿が他人の目を惹くことを知っているため、それを利用して事件に介入すること。
最たるは不治の病に侵されていると嘘をついて犀川の気を惹こうとしたことの何たる幼さ!それが契機になって萌絵との結婚を決意し、婚姻届さえ書いた犀川の徒労は計り知れない。世の中にはついていい嘘と悪い嘘があるが、そんな分別がつかない我儘娘はどうにも合わない。

壺と箱のトリックの真相は50/50といったところ。壺から箱への部分は思わずすごい!と声を挙げたが、箱から壺への部分は、(物の再現性と被害者の気力も含め)こんなに上手く行くんかいな?と納得できない感が残った。
事件の真相もなんだか煙に巻いたようではっきりしないし。

ストーリー、トリックの点数は3点。本書の神髄はタイトルにある。これはまさに秀逸。同じ発音をしながら意味は違えどどちらも物語の本質をついているまさに見事な題名。これで+4点とした。

No.1166 10点 倒錯の舞踏- ローレンス・ブロック 2015/01/16 23:07
『倒錯三部作』の第2作。前作ではマットとエレインがかつて刑務所に送り込んでいた殺人鬼との決闘を描いたが、本書ではスナッフ・フィルム、即ち殺人の一部始終を映したポルノフィルムが扱われている。その内容も過激で思わず怖気を震ってしまった。

とにかくこのスナッフ・フィルムの犯人バーゲン・ステットナーとその妻オルガの造形が凄まじい。世の中にこれほどまで人格が捻曲がった夫婦がいるのかと思えるほど、理解し難い人物だ。
こんな世界をブロックはマット・スカダーの叙情的で淡々とした筆致で描いてなお、読者の心の奥底に冷たい恐怖を植え付けていくのだから畏れ入る。

ここで今までのシリーズを振り返ってみると、『聖なる酒場の挽歌』までのマットは依頼者の災いの種を頼まれるがままに探り、問題を解決してきた。時には己の正義に従って鉄槌を下すこともあったが、それはあくまで彼が関わってきた他者のためだ。またそれらは依頼者の過去に向き合い、忘れ去られようとしている事実を掘り起こして白日の下に曝す行為であった。それはまた物語に謎解きの妙味を与え、意外な犯人、意外な真相と云ったミステリ趣向も加味されていた。
そして前作『墓場への切符』では一転して彼の過去の亡霊が現代に甦って自身とエレインに立ち塞がり、それを打破するために立ち向かう物語だった。つまり彼自身の事件であり、彼を取り巻く世界に現れた脅威との戦いの物語だった。従ってそれまでとは違い、敵は明確であり、物語はどのようにマットが決着を着けるのかが焦点となった。
そして本書はそれまでのシリーズの持ち味を合わせた内容となっている。過去に見たスナッフ・フィルムが今マットが依頼された事件と交錯し、意外な像を描く。そして彼の眼の前に明確な敵が現れ、マットはそれと対峙していく。
しかしこの敵はマット個人とはなんら関係がない。むしろ関わりを持たずに暮らすことも全く可能だった。しかしマットはたまたまAAの集会のメンバーから渡されたビデオテープで見てはならない社会の醜悪な病理を知ってしまい、その根源と出遭ってしまったことで、無視できなくなってしまった。そう、本書でマットが向き合った相手は複雑化する社会が生み出したサイコパスだった。

自分の正義に従ってきたマットが本書で行き着いたのは社会で裁かれない悪を悪で以て征することだった。そしてマットは決して傍観者に留まらず、自らもその渦中に飛び込み、そして自身も手を血に染める。

このようにマット・スカダーシリーズは作を追うごとに新たなる試みと進化と深化を遂げていく。『八百万の死にざま』でアル中探偵マットが酒を止めるという大きな変化に到達し、その後マットの古き良き時代の物語『聖なる酒場の挽歌』を経て、シリアル・キラーとの対決と云う新たなる進化を遂げた『墓場への切符』をさらに本書で越えてみせたブロック。1作ごとに新たなる高みに向かうこのシリーズが次にどこに向かうのか、その答えが本書の最後の1行にある。これこそ作者自身にも解らないほどの物語を紡いでしまった感慨の表れだろう。しかし幸いなことに我々はこの後もなおシリーズが進化していくのを知っている。

No.1165 8点 流星の絆- 東野圭吾 2015/01/12 00:27
ストーリーは単純ではあるが、プロットは実に用意周到だ。特に唸らされたのは功一たちの生業が詐欺師であることだ。これが実に効果的に物語に働きかけている。主人公の3人は容易に警察に協力を求められないのだ。この辺の必然性は実に上手い。

物語の約1/3の辺り、泰輔が幼き頃に見た犯人を視認した後の物語の疾走感は半端ではなかった。積年の恨みを晴らすために3人兄弟のブレイン功一が策を練り、カメレオン俳優の泰輔と静奈がそれを演じ、接近していくがなかなか上手く進まない展開に忸怩たる思いを抱きながらも、先の読めない展開にハラハラし通しだった。詰将棋のように容疑者を犯人に仕立てるために仕掛けを施していく3人兄弟のマジックが、521ページ辺りからはまさに怒涛の展開だ。読者はまさに東野氏の掌の上で踊らされるだけになってしまう。

それだけに事件の真相が悔やまれる。動機はありがちなメロドラマである。この単純さが実に残念だった。

しかし腑に落ちないのは防犯カメラの存在を全く作者が無視していること。両親殺害事件で刑事が訊き込みに行くコンビニで、全く防犯カメラの映像提供について触れないのはおかしい。『使命と魂のリミット』でも病院の受付用紙の中に犯人のメッセージが潜り込んでいたシーンでも当然大病院にあるであろう防犯カメラについては一切触れなかった。防犯カメラは東野ミステリ世界では存在しないかのようだ。一工夫理由を考えればクリアできると思うのだが、どうしてだろうか?

No.1164 7点 荒鷲の要塞- アリステア・マクリーン 2015/01/04 18:48
難攻不落の要塞への進入行と云えばやはり『ナヴァロンの要塞』を思い起こさずにはいられないだろう。再びマクリーンが極寒の地にある要塞を舞台にした物語は拉致されたアメリカ高官の救出劇。
作者も『ナヴァロンの要塞』との区別をつけるために色んな特色を出している。まず物語の目的は『ナヴァロンの要塞』が巨大な砲台の破壊だったのに対し、本書は上に書いたような救出劇であり、しかも『ナヴァロンの要塞』が男ばかりのチームだったのに対し、本書は女性のメンバーも加えていることが目新しい。
さらに吹雪の中でケーブルカーの屋根に捕まって要塞に潜入したり、また同様に敵と戦かったり、さらにはバスで豪快に脱出したりとまあ、何とも映画化を意識した作りになっている。

後期のマクリーン作品は評論家によればスパイ・冒険小説と謎解きの融合が特徴であるらしく、唐突に物語が始まり、主人公の意図、目的が示されないまま、進行し、中盤以降でようやく主人公の意図が見えてくるという趣向もまたミステリの様式を汲んだものとして捉えられるが、今まで書いてきたように、個人的には成功しているように思えず、手放しで評価できなかった。
しかし本書の前に読んだ『北極基地/潜航作戦』は特にその色合いが濃く、前半は極寒の地での潜入劇、後半は潜水艦内で起きる連続殺人の犯人を突き止めるという本格ミステリのテイストが盛り込まれていた。
本書はその流れに沿うような形で、極寒の山頂に聳え立つ難攻不落の要塞への潜入劇とその任務の中で起きる仲間の不審死の謎と構造は全く以て同じと云っていいだろう。
しかしマクリーンはもう1つそこに味付けを加えている。それは読んでのお楽しみと云う事で。

ただ本書では全てがスミス少佐の掌上で展開した感があり、派手で手に汗握るアクションシーンが連続しても全てスミスの思惑が的中して、読者に一体この後どうなるのかという不安を抱かせるような構成になっていないのが玉に瑕である。例えば敵国の要塞の只中にいるにも関わらず、敵国の軍服を着ており、ドイツ語を話せるスミスは敵に見つかるたびにナチス高官を装って、煙に巻くし、ところどころで事前の仕込が全て有機的に働いて危難をスマートに切り抜ける。いうなればスミス少佐はハリウッド映画が描く超人的な体力と技能を持つスーパーヒーローなのだ。

特にハリウッドアクション映画色が濃い本書でもやはり極寒の地での潜入劇の迫真性や銃器、兵器などの専門的な知識に裏付けられた詳細な描写はマクリーンならではのリアルさに溢れている。

No.1163 7点 エディ・フランクスの選択- ブライアン・フリーマントル 2014/12/29 01:00
競争心。それはお互いのプライドと克己心を育て、向上心を伸ばす。しかしそれが行き過ぎると斯くも歪んだ大人になってしまうのかをこの作品は思い知らせてくれる。
イタリア系移民の家族に育てられたユダヤ人エディ・フランクスとその家族の長男ニッキー・スカーゴウ、この2人のある原初体験が物語の軸となっている。

ナチスの、執拗なユダヤ人狩りからの逃亡生活の末、アメリカに流れ着いたアイザック・フランコヴィッチの息子エドマンド・フランコヴィッチはエディ・フランクスと名を変え、エンリコ・スカーゴウに引き取られて、彼の実息のニッキーと常に競わされ、比較されながら育てられた。そのため彼にはニッキーに対して拭いきれない劣等感を抱えており、いつか彼を見返してやるというのが彼の成功の原動力となった。
これはイタリア系民族の、父親が絶大なる権威を誇る典型的な家系ゆえの慣習なのだろうが、この原初体験が逆にエディとニッキーの生活を脅かす結果になる。

マフィアによって会社を犯罪に利用された男が報復を恐れて裁きの舞台に立つことを制止する家長らの反対を押し切って戦いを挑む物語。
通常であれば苦難を乗り越えた主人公がどうにか勝ちをもぎ取り、悪に鉄槌が下るのが定石だが、やはりフリーマントルは一筋縄ではいかなかった。

母国イギリスでは“スパイ小説界のルース・レンデル”と呼ばれていないのだろうか。しかしため息が出る結末だ、本当に。

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