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びーじぇーさん
平均点: 6.26点 書評数: 73件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.53 5点 山岳捜査- 笹本稜平 2023/07/10 21:23
長野県警山岳遭難救助隊の隊員が休暇を利用して残雪期の鹿島槍ヶ岳北壁に登る途中、はるか下の雪渓に不審なテントと登山者を見かけるところから物語は始まる。作者は山岳、推理、警察といった幅広い分野の知識を持ちながら、それらを巧く抑制して取りこみ、物語の勢いを落とすことなく活用しているのは見事だ。その抑制の効いた知識の披露は作品の魅力のひとつでもあるし、エンターテインメント作品としての完成度を高める要因になっている。
また、コンピューターやスマホといった情報技術や製品の機能、セキュリティーについても現実世界で起きていることが反映されている。
カテゴリーを超えた作品だが、主な舞台が山岳地帯で登山行動の描写も多い。山岳登攀シーン、ヘリコプターの描写などは、若干違和感のある部分もなくはないが、読み応えのある作品だ。

No.52 6点 雨の狩人- 大沢在昌 2023/07/10 21:13
地下格闘技が行われていた東京・新宿のキャバクラで不動産会社の社長が射殺されたのを発端として、血で血を洗う連続殺人が始まった。佐江とコンビを組む捜査一課の刑事、謎の「Kプロジェクト」の実現のために手段を選ばない暴力団幹部、その手先として動く凄腕の殺し屋、そして悲惨な過去を抱えてタイからやってきた少女。佐江を巻き込みながら彼らの思惑はぶつかり合い、ついに凄惨な全面戦争に突入する。
殺し屋に何度も命を狙われるなど、シリーズ中最大の危機が佐江を襲うハードな物語である。設定が派手なぶん、書きようによっては荒唐無稽になった可能性もあるこの作品に説得力を付与しているのが、「Kプロジェクト」に象徴される巨大暴力団の生き残り策だ。
暴対法と暴排条例によって、確かに旧来の暴力団犯罪は減少した。しかし、変わりに暴力団はカタギと見分けがつきにくい集団となり、法網を潜り抜ける新たなシノギを見つけるようになった。犯罪を取り締まるための法律が、却ってそこからすり抜ける新たな犯罪のかたちを生み出してしまうという、いたちごっこが現在の裏社会と司法の関係であるという著者の冷徹な認識が、佐江がギリギリの窮地に追い込まれるこの物語に、さらに苦い味わいを付与しているのだ。

No.51 6点 ミレニアム4 蜘蛛の巣を払う女- ダヴィド・ラーゲルクランツ 2023/06/14 21:38
前作までのミカエルは、巨大企業の犯罪を告発する英雄的なジャーナリストだった。だが本作の最初の時点では、評判が地に落ちている。実業家の足を引っ張る左派ジャーナリストは、むしろ国家的な経済成長を阻害する敵を目されているのだ。
本作で彼らは、人工知能学者の殺人現場で目撃者となった幼い息子を保護する。息子は驚くべき数学的才能と、見たものを映像として記憶する能力の持ち主。その能力の解明と、殺し屋たちとの攻防が同時に展開される。
シリーズの本質は、完璧に受け継がれている。主人公たちは、殺し屋や不正を行う企業といった悪との戦いと同じくらいの情熱をもって幼児や女性への虐待、障害者への差別などと闘う。ちなみに、リスペットはバイセクシャルであるなど、性的マイノリティーへの配慮はシリーズを通したテーマだ。
このような意識の高さが本シリーズの特徴。ミカエルは、昨今ようやく知られるようになったポリアモリー、つまり複数の異性と包み隠さずに同時に性関係を持つライフスタイルの性的マイノリティーに属する。さすがにスウェーデンだと感じさせられる。

No.50 7点 ウロボロスの波動- 林譲治 2023/06/14 21:23
二十二世紀、人類は太陽系に接近したブラックホール・カーリーの軌道を改変し、周囲に巨大な人工降着円を建設して、そこから膨大なエネルギーを取り出すことに成功。更にそれをもとにして火星のテラフォーミングを初めとする太陽系全体の改造に乗り出していた。
本作は、そうした時代を背景に太陽系の各所を舞台にした連作短編集である。人工降着円盤をはじめとする科学的デティールが綿密に描かれるのはもちろんだが、この作品のテーマは実はそこにはない。各編で語られるのは、人類と人工知能、人類と異星生物といった、異質な存在同士のディスコミュニケーション。そして全編を通じて追及されているのは、地球外へ乗り出していったAADDの人々と地球人との社会体制や価値観の相克、という極めて人間臭いテーマなのである。
二十二世紀の太陽系世界全体を正面から丸ごと描き出した壮大な連作である。

No.49 7点 兇人邸の殺人- 今村昌弘 2023/05/18 23:46
葉村譲と剣崎比留子は、班目機関の研究資料を探す企業グループとともにある人物が秘匿しているものを回収に、廃墟テーマパークにある、かつては監獄のアトラクションだったという通称・兇人邸へ向かう。そこで数カ月に一度従業員が経営者・不木玄助に招かれるが、中に入った者は二度と戻らなかった。屋敷で一同は不木に詰め寄るが、彼が案内した先には恐るべき者が待ち受けていた。
洋平たちの首をはねて回る●●。舞台となる迷路状の兇人邸の禍々しさも迫力十分だし、さらにそこで●●とは別の口の連続殺人が起きるとなればなおさらで、ホラー度は三作中トップなのではないか。
合間に挿入される「追憶」の章は班目機関の犠牲になったと思しき少年少女のエピソードを綴ったもので、哀切な演出が効果的。肝心の剣崎比留子は奥の部屋に囚われの身となり、今回は安楽椅子探偵役にとどまっているのが残念だが、葉村譲とのホームズ&ワトソン劇にも進展が見られたし、二人の関係は今後も楽しみ。

No.48 7点 魔眼の匣の殺人- 今村昌弘 2023/05/18 23:29
好見村という僻村を抜け、崖の向こう側の真贋地区に建てられているのが「魔眼の匣」だ。ここには班目機関が撤収後も住み続けるサキミという老婆がいた。ところが村と行き来できる橋が焼き落されてしまう。剣崎比留子たちと同じバスでやってきた二人の高校生、車の故障などで迷い込んだ親子など、サキミを含めた十一名が真贋地区に閉じ込められてしまう。
サキミは村人に「十一月最後の二日間に、真贋で男女が二人ずつ四人死ぬ」という予言を告げていた。そして予言通り一人が不慮の死を遂げる。「世界」とキャラクターは前作を踏襲しているので、前作に言及されている部分がある。ネタバレは巧妙に回避されているが、順番通りに読んだ方がいいだろう。
典型的なクローズドサークルものだが、真っ先にそういう状況で実行する殺人の合理性に言及するなど、定型に甘んじない姿勢を感じる。そして本書の論理に影響を与える最大の要因が「予言」である。予言の真偽、予言に向ける信用と心理への影響が複雑に絡み合い、真相という未知数解明へのロジックが複雑化されたことに目を瞠らされた。

No.47 6点 おそろし 三島屋変調百物語事始- 宮部みゆき 2023/04/25 22:01
古風な百物語に少し変わった趣向を加え、設定自体は謎めいた魅力を秘めた小説。地の文にも会話にも、現代では使われなくなった書き方や言い回しがさりげなく散りばめられており、それによって江戸の人情や情緒がいい具合に醸し出されている。
しかし、構成や描写に長けている作者でありながら、主人公・おちかの背負っている悲しみの秘密は途中で早々と明かされてしまうし、百物語という設定上、語りの中にさらに語りが重ねられたりしており、読んでいて混乱することさえしばしばある。ただその構成が逆に読者であるこちらを落ち着かなくさせ、不安にさせる効果を上げているのだと分かると、その筆力に感心させられる。
繰り返し語られる人間の心の持つ性の哀れさが、小説の構成と語られる怪異と重なって、何層にも増幅されて、こちらに伝わってくる。この作品の隠れたテーマとして、人とその人の語るという行為の関係、というこれまであまり捉えてこなかった視点があるといえる。百物語という古風な習俗を主体にした作品ながら、この作品が古臭くないのは、こういうポイントを押さえているせいだろう。

No.46 7点 ピルグリム- テリー・ヘイズ 2023/03/29 18:32
アメリカ諜報機関の伝説のスパイが、サウジアラビア出身のテロリストを追求する話だが、9・11の直後に起きたマンハッタンでの凄惨な殺人事件、スパイの出自から諜報戦史、イスラムの迫害された家族の物語とテロリストとしての成長譚、さらに悪魔の計画まで盛り込み、ぐいぐいと引っ張っていく。
特に引き付けるのは、綿密な計画を立てるテロリストと肉薄していくスパイの追跡劇。国際政治を舞台にした壮大なスケールにもかかわらず実に精緻で、意外性に満ち溢れ、サスペンスたっぷりでワクワクする。
素晴らしいのは、約千二百ページにも及ぶ膨大な物語にもかかわらず、一切無駄がなくすべてが繋がり、全てがスパイの内的ドラマへと結実していくことだ。スパイ小説であり、サスペンス小説であり、家族小説であり、そして何より愛の小説であるのがいい。

No.45 6点 キャピタルダンス- 井上尚登 2023/03/03 22:51
画期的なサーチエンジンをビジネスチャンスに結びつけようとする林青が、担保主義の銀行によって資金調達を阻まれたり、検索システムが高性能すぎたことが維持管理費を増大させ、会社を危機に追い込むことになったりと、次々襲い来る危機を創意工夫で乗り越えていく過程は、冒険小説風な展開になっている。
この流れが次第に変わっていくのは、林青を陥れる計画が明らかになる第二部の中盤からである。陰謀の存在だけは分かるものの、犯人も方法も動機も不明なままストーリーが進んでいくのでフーダニット、ハウダニットの興味が顕在化していく。それだけに、経済小説に過ぎないと思われていた第一部に、周到かつ緻密な伏線が張り巡らされていたことがわかる謎解きの場面は圧巻である。経済問題を扱っているが、決して暗くはなく読後感も心地よい。

No.44 5点 ターミナル 末期症状- ロビン・クック 2023/02/04 23:17
フロリダのマイアミにあるフォーブズ癌センター。そこではある特殊な型のがんの治療を100%成功させているという。論文での正式な発表はなされていないものの、ハーバード大学の医学生ショーン・マーフィーの耳にもその噂は伝わっていた。
奇跡のがん治療に隠された秘密を追っているが、頻出する専門用語を読み飛ばしても十分楽しめるようになっているのでご安心を。日本人が主要な人物として登場するということもあり、作者がどのような日本人観を持っているかが興味深いが、ショーンを付け回すヒロシ・ウシハマはとりわけ愉快だ。彼の身のこなしは、誇張されているものの、全く的外れというわけでもないところが、なんとも身につまされるところである。他にも、やたらと無鉄砲なショーンの豪傑ぶりや、彼とジャネットの愉快なやり取りも楽しめる。

No.43 5点 ウルトラ・ダラー- 手嶋龍一 2023/01/15 22:45
日本人印刷技術者の失踪、マカオの企業に買い付けられた後に行方不明になった高性能印刷機。それらの事件から長い時を経て、アイルランド・ダブリンに、極めて精巧な新種の偽100ドル札があらわれた。その名は「ウルトラ・ダラー」。製造した国の真の目的は。
前NHKワシントン支局長による初の小説である本作は、豊富な取材に基づくリアリティーと、現実に国際問題化している北朝鮮による米ドル札偽造容疑と響き合いながら、生々しい謎解きの世界に誘う。
主人公は英BBCの東京特派員スティーブン・ブラッドレー。彼の活躍ももちろんだが、その恋人となる篠笛の師匠・槙原麻子、日本政府のキーパーソンとして登場する内閣官房長官・高遠希恵、そしてアメリカから偽造紙幣の背景を狩り出していくシークレット・サービスの主任捜査官・オリアナ・ファルコーネら、強く魅力的な女性たちが織り成す人間模様が物語の柱になっていく。
現実とシンクロしたピースを組み合わせ、事実に基づいて大胆な仮説が展開される、そんなタイプの小説。

No.42 5点 ハリー・オーガスト、15回目の人生- クレア・ノース 2022/12/22 22:43
「リプレイ」と同じくループものだが、本書では死ぬとまた赤子として誕生するところから人生をやり直す。主人公のハリーは、最初の数回は心が大混乱に陥るが、医師になったり研究者になったりして人生を繰り返すうち、倒すべき仇敵が浮かび上がって世界の終わりをもたらす科学技術を巡って戦うことになる。
途中で拷問のシーンが何度かあって心が折れそうになるが、辛抱して読み続けると雲が晴れたように、登場人物の関係や時空間が浮かび上がってくる。13回目の人生辺りからグンと面白くなる。

No.41 4点 遅番記者- ジェイムズ・ジラード 2022/12/02 23:25
ウィチタ警察署のルーミス警部は、腐臭を漂わせ、もはや原形を失っている死体とその傍らに置かれていた五本の花を前にして茫然と立ちすくんでいた。それはまさしく六年前の連続殺人事件の再現に他ならなかったからだ。一方、新聞記者のサム・ホーンは、愛妻クレアと娘を交通事故で失った後、自ら望んで遅番記者になっていた。
妻と別れた苦い経験のあるルーミス、上司の愛人関係を続けている女性記者バビッキ、息子との幸せな生活を望みながらも復讐の衝動に駆られるサム。連続殺人事件にかかわることになったこの三人の心理の移ろいが交互に、そして綿密に描き出されているのが印象的である。
三人はそれぞれまだ見ぬ犯人のイメージを追うことによって、事件の影響を受けるのだが、心理描写を重視するあまりその肝心の事件が空洞化してしまっている印象は否めない。
最も作者の意図はそこにあり、事件を解決することにないのであろうが、やはり釈然しないものに感じたり、いささか感傷的すぎる心理描写のくどさにうんざりしてしまう。

No.40 6点 鶴屋南北の殺人- 芦辺拓 2022/11/15 21:43
ロンドンで発見された鶴屋南北の幻の戯曲が京都で上演されようとしていた。交渉のために弁護士の森江春策が京都へ赴いたところ、劇場に死体が出現した。江戸と現代、舞台と現実が交錯する謎を森江はいかに解明するか。
現代に事件の謎もさることながら、最も魅力的なのは作中の南北の戯曲。「仮名手本忠臣蔵」の登場人物を借用しながら、原点と史実の赤穂事件とも似ても似つかない、あまりにも不可解な内容となっている。
室町時代に仮託して当時の世相を批判した「仮名手本忠臣蔵」を踏まえて南北がある人物を自身の戯曲で批判し、それが著者自身による現代の世相への批判と重ねられているという三重の入れ子構成が周到。

No.39 8点 屍人荘の殺人- 今村昌弘 2022/10/28 22:41
主人公である大学一回生の葉村譲は、所属するミステリ愛好家の先輩であり、名探偵でもある三回生の明智恭介とともに、映画研究部の合宿に参加する。同じ大学のもう一人の名探偵、剣崎比留子の導きによるものだった。紫湛荘での合宿初日は、ホラームービー撮影やバーベキュー、肝試しと進行するが、その最中に事件が。
この紫湛荘が、クローズドサークルになるのだが、その密閉環境が新鮮極まりない。その紫湛荘で人が次々と殺されていく。密室状態とか奇妙なメッセージとか奇怪な姿態の状況とか、そうした彩りを伴って殺人が連続するのだ。
その果てにある謎解きも、圧倒的に素晴らしい。不可解な死体の状況は真相を知ると必然としか思えなくなるし、細かな手掛かりを積み重ねることで犯人を特定していくロジックの丁寧さも嬉しい。
名探偵はなぜ事件を解くのか、という興味までもが新鮮な味付けでトッピングされており満足。

No.38 6点 殉教カテリナ車輪- 飛鳥部勝則 2022/10/07 22:58
大学教授が自宅の密室状況の浴室で刺殺され、ほぼ同時刻に別の部屋で女性の刺殺体が発見される。凶器は同じナイフで、その真相が事件に関係した画家が遺した絵画と手記とによって解かれていく。絵の隠された主題を探っていく図像学を殺人事件の推理に応用しているが、基礎となるキリスト教の知識が十全はないから、作中人物の蘊蓄に頷くしかない。
推理小説的には、別にもっと大胆な仕掛けがあり、伏線も几帳面なほど張られている。ただ、せっかく作者自身が描いた絵画を用いての視覚的な作品なのに、印刷上の工夫が逆効果になって読みにくい。

No.37 9点 テスカトリポカ- 佐藤究 2022/09/28 20:41
カサソラ兄弟はメキシコ北東部の麻薬組織の頂点に君臨する存在だが、ある日、敵対勢力によって壊滅させられる。唯一難を逃れた三男のバルミロは、インドネシアのジャカルタに潜伏し街頭の商人に身をやつして復讐の時を待つ。一方、暴力の横行するメキシコを逃れて日本にやってきた女性ルシアは、日本人との間にコシモという息子を預かっていた。両親の育児放棄によってほとんど教育を受けずに育つコシモだったが、猛獣のようなたくましい肉体の持ち主になる。バルミロとコシモ。この二人が日本で邂逅を果たすのである。
神秘的な物語構造に極めて現代的な要素を組み合わせている。暴力によって他者の生命を奪うことで人間の歴史は発展してきた。その進化形というべき犯罪事業によって再び王国を築くため、バルミロは新たな組織を築き始める。
バルミロが企図するのは、人間をモノとして扱うことで成り立つ合理的なビジネス。その非情なほどに現代的な行いが、祖母から教えられて彼の血肉になっている土俗信仰と結びつく点が極めて興味深い。
犯罪小説として独自性が高いだけではなく、登場人物の個性も脇役の一人一人に至るまですべて際立っている。バルミロの王国に犯罪者たちが加わってくる展開は、梁山泊に豪傑が集う「水滸伝」のようだ。そのどこかに、もう一人の主役であるコシモがいる。そして感嘆の言葉すら奪い去る、活劇描写の素晴らしさ。暴力を描いたエンターテインメントとして完璧である。

No.36 7点 父を撃った12の銃弾- ハンナ・ティンティ 2022/08/11 19:08
十二歳の少女ルーは、海辺の町オリンパスで暮らし始めた。それまで父と二人で各地を転々としていたが、ルーの亡き母親リリーが生まれた土地に定住することにしたのだ。地元の学校に通いだしたルーは、さまざまな体験を通じて成長していく。一方、父の身体には多くの弾痕があった。その傷にまつわる出来事が現在の物語と交互に語られる。やがて母親の死の真相をはじめ、すべての謎が明らかになっていく。
訳ありの父子家庭で育った気の強い少女の物語は決して珍しくないが、そんな話の要約では伝えることのできない魅力にあふれている。特に若き父をめぐる十二の「銃弾」の章は、緊張感あふれた展開に終始しており、密度が濃い。銃弾を身体に浴びるという経験、つまり生死にかかわる事件は細部まで深く記憶に刻まれるものだ。そうした見せ場の描き方が鮮やかで、断章ごとにそれぞれが独立した短編のように切れ味を帯びている。ルーの日常をめぐる章とはあまりにも対比的だ。
こうした構成のとりかたが巧みである。悪さをする男たちの活劇、道行き、恋愛、復讐といった大衆娯楽もののさまざまな要素が満載でありながら、見事な語りのためか、洗練された文芸作品のごとき風格が全編に漂う。

No.35 7点 忘れられた花園- ケイト・モートン 2022/08/11 18:53
時は1931年、ロンドンからオーストラリアに到着した船の中に、4歳の女の子が一人で乗っていた。保護者は見つからず、なぜその子が一人で乗っていたのかもわからないまま、入国審査官の人が家に連れて帰ってしばらく一緒に暮らしているうちに、我が家で引き取ろうっていう話になる。そしてネルという名前をもらい養女になり、過去の事情が分からないまま時が過ぎていく。
現代パートの他に、ネル自身が1970年代に自分のルーツを求めて英国に渡った時の話と、20世紀初頭の英国を舞台に長じて物語作家となるイライザ・メイクピースの数奇な生涯を描くパートと、全部で3つのパートがあって、それぞれのプロットが、絡み合うように進んでいく。一つのパートで明らかになった話を受けて、別の時代でさらに情報が開示されるみたいな構成。語りの巧みさとプロットの面白さとキャラクターの魅力が渾然一体となっている。

No.34 8点 運河の家 人殺し- ジョルジュ・シムノン 2022/08/01 18:16
「人殺し」は、妻が不倫しているという事実を知った男が、妻とその不倫相手を拳銃で撃ち殺し、二人の死体を運河に投げ込むという、実にありふれたシチュエーションで始まる。犯人は誰でどうして殺したのかといったような、謎をはらんだ重大な出来事だろうが、「人殺し」では、物語のほとんど発端にすぎず、力点はむしろその後の成り行きに置かれていると言っても構わない。
中年男が、ある出来事をきっかけにして、次第に身の破滅へと追い込まれていく。「人殺し」と子供たちから後ろ指をさされることになる主人公の末路を描いた冷酷な最終章は、戦慄させられる。
「運河の家」と「人殺し」に共通しているのは、視点をほぼ主人公に固定する手法によって、対象となる人間をつかまえるシムノンのグリップの強さである。さらには、主人公がはっきりと意識することなく抱いている社会規範からの逸脱の衝動、そして自己破滅の衝動であり、それが物語を破局へと導く要因になる。ここでは、人と人がお互いに分かりあうことはない。暗い灰色に彩られたシムノンの小説世界が引きつけて離さない。

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