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人並由真さん
平均点: 6.33点 書評数: 2106件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.406 5点 やさしい死神- フレドリック・ブラウン 2018/09/26 17:14
(ネタバレなし)
 メキシコに近いアリゾナ州ツーソンの町。その年の四月、初老で独身の不動産業関係者ジョン・メドリーの自宅の庭の木に、中年男の死体が寄りかかっていた。メドリーは隣人のアームストロング夫人の電話を借りて警察に通報。メキシコ系の青年刑事フランク・ラモスとその相棒で「レッド」こと赤毛のファーン・ケイハン刑事がやってくる。やがて後頭部を銃で撃たれた死体は、しばらく前に妻子を事故で失ったユダヤ系の移民カート・スチフラーと判明。殺人か? それとも人生に諦観したスチフラーが何らかの事情で無理な姿勢で後頭部を撃ち、その後拳銃がどこかに行ったのか? と可能性がとりざたされるが、ラモスは捜査を進めるなかである疑惑を抱いた。

 1956年のアメリカ作品。もともと評者は良くも悪くもフレドリック・ブラウンのミステリに対し、ホームランや大ヒット作品は期待していない。なんかキラリと光ったり、どっか心に残るものがあればいいなあ、という感じだが、そういう意味でスキな思い出の作品はいくつかある。まあそういうのって、読み返してみたら評価がずいぶんと変わっちゃう可能性も大きいんだけれど。
 本作もミステリとしての大ネタは(中略)バレバレなんだけど、小説としての狙い所はなんとなく分かるような気がして嫌いにはなれない。最後まで読むと察せられるけれど、実はこれは30男が苦い現実のなかで成長する青春小説なのである。あんまり詳しくはいえんが。そのためにミステリとしてのギミックも、当該人物が向かい合うもうひとつのドラマも機能する。なお本作のラストは今おっさんになって読んでもちょっとしみじみしたけれど、若い内に手に取っていたらもっともっと心に染みたかもしれない。これから本書を紐解く人がいい人生のタイミングで出合うことを願う。
 でもって本当は6点くらいあげてもいいんだけど、さすがに前半(あえて曖昧に言います)のあの大嘘の描写はないでしょ(汗)。私ゃあんまりしれっと書いてあるもんだから、これは確信行為で何か大技を仕掛けてくるのかと思ったよ。ここまでブラウンがミステリとしての禁則事項に無頓着とは思わなかった。苦笑しながらそれでもどっか憎めず、この評点。

No.405 7点 犯罪の進行- ジュリアン・シモンズ 2018/09/26 16:46
(ネタバレなし)
 その年の11月5日。英国の片田舎の町ファー・ウェザー。地方新聞「ガゼット」の若手記者ヒュー・ベネットは、そこで行われる特別仕様のガイ・フォークス祭を取材に赴く。だが同地で彼が夜陰のなかで出くわしたのは、土地の顔役ジェイムズ・レントン・コービーが、数人の少年らしきグループに刺殺されるその現場だった。犯人と思われる少年グループは逮捕されるが、それと並行して事件の情報はロンドンにも届き、大物新聞「バンナー」の上層部が関心を抱いた。「バンナー」は「フリート街きっての事件屋」と異名をとる敏腕記者フランク・フェアフィールドをファー・ウェザーを派遣。複雑な事情がからむ少年犯罪として探らせようとする。一方、スコットランドヤードからは、苦い過去を秘めたベテラン警部フレデリック・トイッカー警部が出向。多くの者の思惑と疑念が渦巻く中で、グループの中の誰が主犯か共犯か、従犯かの疑念が高まる。やがてそんな中でもう一つの殺人が……。
 
 1960年のイギリス作品。翌61年度MWA最優秀長編賞に輝いた一作。『二月三十一日』がすごく面白かったシモンズだから本作も楽しめるだろうと思ったが、予想以上の充実感だった。誰だ、シモンズが「評論家としてはともかく作家としては……の眼高手低」と言ったの?(正解は石川喬司だったと思う。)いやそういう評者も、大昔に読んだ新潮文庫の二冊(『殺人計画』と『ホームズの復活』)は、まあ悪くはないがそれなり……程度の感触ではあったけれど(笑)。
 名前が出てきてメモを取った登場人物の総勢が54人にも及ぶ一大群像劇で、リーガルサスペンス。さらには少年グループ内のキーパーソンである若者レスリー・ガードナーの姉ジルと恋仲になってしまった主人公ヒューの恋愛模様や、捜査官トイッカー警部の過去の悲劇まで浮上してくる濃密な一冊である。(ちなみにトイッカーの過去設定って、昨年翻訳された某・大作警察小説の主人公のルーツじゃないかと? そっちの作者が意識したかどうかは知らんけど。)
 ラストは、ミステリがミステリとして落着する定型のなかでどうしても読めちゃう部分はあったけど、実に重量感のある秀作であった。いいなあ、シモンズ、残りの作品も楽しみだ。

余談:シモンズの(この作品だけ?)悪いクセについて、ひとつ言及。地の文をふくめて先にハウスネームだけ情報として出して、あとでファーストネームを明かす書き方はいい加減にしてほしかった。人名メモをとるのが実に面倒で。ただでさえ登場人物が多いのに。これは翻訳のせいではないよね? 翻訳そのものはさすが小笠原戸豊樹。時たま聞き慣れない言葉は出るが、全体的にはとても読みやすかった。

No.404 7点 ドアのない家- トマス・スターリング 2018/09/26 15:46
(ネタバレなし)
 1914年の春。大企業「カーペンター鉱業会社」の創業者の一人娘ハンナ・カーペンターは、父との死別と失恋の痛手から、ニューヨークはマディスン街の高級ホテル「ホテル38」の一室に閉じこもる。父が遺した莫大な資産とハンナ自身の株式投資の才能から彼女は金銭的にはまったく困ることなく、ゆるやかに財産を増やしながら世界大戦の時代を経て、1948年の現在まで34年間、同じホテルの自室のなかで暮らし続けた……。外界との接点は、ハンナに奇妙な親しみを感じ、献身的に食料や図書館の本を調達してくる妻帯者の給仕アーサー、そして定期的に配達される新聞や雑誌のみ。だがその夜、ハンナはふと思いついて、ついに外の世界に出る。レストランで出合った青年ディビッド・ハマーの招待を受けたホームパーティを経て、予想外の殺人事件に巻き込まれるとも知らずに……。
 
 1950年のアメリカ作品。山口雅也がミステリマガジンの人気連載「プレイバック」(現在は「ミステリー倶楽部へ行こう」に所収)で言及していた一冊で、名作『一日の悪(わずらい)』でも知られる作者スターリングの第二長編。
 まずこのぶっとんだ中年ヒロインの設定(どっかウールリッチの『聖アンセルムホテル923号室』の、あの話とかのエピソードを想起させる)がキャッチー。ある意味ではサイコっぽい? 性格設定にも感じられて、実際に彼女に傅く給仕アーサーも陰でハンナを「気違いばばあ」と揶揄している(ただしアーサー自身は悪い人間でもイヤな奴でもない)。とはいえこのハンナの「世界」の特異性は「時はこの部屋の中では止まっている」という切ない勘違いにある。それゆえたとえば彼女は、有り余る財産に頼って一度好きになった食材の大量の缶詰を買い込んで備蓄(時には特注で缶詰業者に作らせる)。それを十数年後に平気で開けたりするのだが、さすがに腐敗。そこで時は永遠に止められないなどと実体験的に学習したりするので、そういう描写を通じて読者はハンナが「おそろしく奇矯な素性だが真性のクレージーではない」という情報を与えられる。この辺のキャラクターの語り具合はうまいもんである。

 文芸小説としてのこの物語は、もう取り戻せないいびつな長い人生を歩んできたハンナが、この事件を経て新たな明日に踏み出て行く変化球のビルディングスロマンだが、フーダニットの興味も導入したサスペンスミステリとしても十分によく出来ている。
 特に中盤、本作ももう一人の主人公である青年刑事ケヴィン・コンリが殺人事件の謎を追うようになってから、双方の物語のベクトルがらせん状にからみ合い、強烈なページタナーの作品となる。ハンナが関わった5人のなかに真犯人はいるのか? 誰か? そしてハンナに迫るのはその殺人者の影か? コンリの動きは? というもろもろの求心力が高まるなか、残りページがギリギリまで少なくなっていく緊張感は最強で、しみじみと余韻あるラストまで存分に楽しめた。真犯人が絞られるロジックは、なかなか鋭いといえるものあり、反則あり、それはちょっとどうなんでしょう? と言いたくなるものあり、とさまざまではあったけど。
 『一日の悪』も楽しんだ評者としては、未訳の第三長編『THE SILENT SIREN』も、今からでもぜひとも読みたいなあ。論創さん、こういうものこそ、そちらの出番です。

No.403 7点 消された女- リチャード・S・プラザー 2018/09/26 14:03
(ネタバレなし)
「おれ」こと、ロサンゼルスの私立探偵シェル・スコット(30歳)は、20代後半の金髪の美女ジョージア・マーティンから、行方不明の妹トレーシィを見つける協力をしてほしいと頼まれる。だがジョージアはスコットに捜索を一任せず、妹を見つけるため、一日100ドル+必要経費で、彼女が望むときにいっしょに行動してほしいと願い出た。何かあるなと思いつつ、ジョージアに随伴してナイトクラブ「エル・クチロ」に赴くスコット。そこでは美人ダンサー、リーナ・ロヤールがエキゾティックな踊りを披露したのち、ナイフ投げのショーの相方を務めていた。スコットとジョージアはリーナを含む店の関係者数人に接触し、店を出る。だがそこで謎の人物が放った一発の銃弾が、ある者の命を奪った。

 1950年作品。21世紀でも未訳長編の発掘がなされて日本ではそれなりに恵まれている、私立探偵シェル・スコットシリーズの第一弾。
 アクションあり、適度に込み入った人間関係の綾あり、下品にならないお色気あり、そしてダイイングメッセージの謎(これ自体はそれなりのものだが)や、後半に明かされて物語の様相が大きく様変わりする意外なサプライズなどちゃんとミステリ的な興味の準備もあり、と、非常にバランスの良いウェルメイドな軽ハードボイルド。スコットの、時代に連れて推移していくロサンゼルスの都市文化観(P76)や、独特な拳銃哲学(P188)など、作者が自作の小説のなかでちょっと言っておきたいこともいい感じのスパイスになっている。
 特に後者の拳銃へのこだわりは、数年前に翻訳されたプラザーの長編『墓地の謎を追え』での拳銃の謎(被害者を射殺した弾丸の条痕が、事件の起きた時刻、スコットの手元にあった彼の拳銃のものとなぜか一致する)を連想させて楽しい。
 先年他界されたベテラン訳者・宇野輝男の訳文も悪擦れしない感じで軽妙で、一冊のエンターテインメントとしてとても面白かった。あと何かもうひとつ、スコットの内面の葛藤を覗かせる観念のソースでもかかっていてもよかったかとも思うが、そういう方向に色目を使わなかった潔さこそが素敵な作品なんだろう。
 
 最後にポケミス裏表紙のあらすじ紹介は希に見るデタラメさで笑った。リーナはストリップしません。パンティをステージ上で脱ぎません。射殺事件も店内で起きません。ジャロロ(©『Piaキャロット2』の玉蘭)に言いつけちゃうぞ。確認してみたらこのあらすじ、2013年11月号の「ミステリマガジン」(ポケミス60周年記念特大号)巻末の、全ポケミス裏表紙再録でもそのままです。まあわざわざこの膨大な冊数をチェックする人員も時間もないだろうけど。いつかどっかのミステリ同人でインチキポケミスあらすじベスト10とかの企画やらんかなー。大笑いできそうだ。
 評点は0.5点ほどオマケ。

No.402 6点 不思議なシマ氏- 小沼丹 2018/09/17 12:06
(ネタバレなし)
『春風コンビお手柄帳』に続いて刊行された一冊。こちらは小沼の大人向けの未書籍化作品を集成してある。表題作は主人公の青年ナカ(シマナカ)が出合った美女トンビと謎の奇人シマ氏の関わりをからめながら、殺人? 事件の謎に迫っていく軽妙ミステリで、これはまあ、良い意味で作者に鼻面を掴まれて振り回される楽しさを味わえば十分だろう。巻頭の短編『剽盗と横笛』は日本版「マンハント」とかに掲載される、今で言うノワールものの翻訳短編のような感触で、これもミステリとして悪くない。
 ほかの三編、西洋ラブコメ? 時代劇『ドニヤ・テレサの罠』、民話風の『カラカサ異聞』、海洋漂流冒険譚の『初太郎漂流譚』(これと『シマ氏』が本書の中では特に長め)、それぞれに好テンポでページをめくらせ、気がついたら一冊を読み終えていた。
 『春風コンビお手柄帳』ともども本書は「小沼丹生誕百年記念刊行」の叢書の一冊だが、各書の巻末には、当時の初出の雑誌の誌面現物のビジュアルまで採録した本当に丁寧な解題が付されており、ここまで手をかけた送り手の気概と作者への敬愛の念に感嘆する。
 ほかの作者の旧作復刻も全般的にこのレベルでやってくれたら、日本の出版文化はさらに向上するだろうな。

No.401 5点 春風コンビお手柄帳- 小沼丹 2018/09/17 12:06
(ネタバレなし)
 チェスタートン風の味わいと言われる、女性教師が主人公探偵の連作ミステリ短編集『黒いハンカチ』。そういう隠れた(一時期はそうだった)名作があるらしいことは、80年代の「本の雑誌」あたりで初めて知ったと思う。ただしその時点では1958年刊行の初版は稀覯本だったし、93年に同作が創元推理文庫に入った際には読む機を逸し、ついに今日までそのまま過ごしてしまった(そのうち読みます~汗~)。
 そんな訳で、今回、手に取った今年の新刊(今まで未書籍化だった小沼の作品を集成したシリーズの一冊)が評者の初めての小沼作品となった。
 本書は「高校時代」「ジュニアそれいゆ」「女学生の友」など昭和のティーン誌に掲載された複数の作品をまとめたものだが、連作の二シリーズ「モヤシ君殊勲ノオト」「春風コンビお手柄帳」が特に普通のジュニアミステリっぽい。後者は似鳥センセの今年の新刊『名探偵誕生』に似た雰囲気もあるね。
 ことさら強調的に語るミステリ的なギミックはそう多くないが、わかりやすい例でいえば仁木悦子の諸作をさらに若者に向けた視線で語ったような居心地の良さは楽しめる(シニカルな味付けもちょっとある)。
 そのあとに収録された、独立した短編4作もそれぞれの持ち味。なかには普通の青春小説的な作品もあるが、謎の美少女に傾いていく心の推移を語る「窓の少女」など、手法としてはミステリっぽい感じの仕立てもあり、このサイトに来るようなミステリファンにも楽しめるだろう。
 ただまあ、自分でもあらかじめ自覚的だったのだが、本書をしっかり楽しむには先にそれなりに他の小沼作品に通じてからの方が良かったような気もする。単品で本書だけ読むと、何かを見落としてしまいそうな、そんな警戒感を抱かせるところもある。
 評点は小沼作品の素人のつけた、一つの例ということで、こんな感じ。

No.400 6点 殺人ごっこ- 左右田謙 2018/09/16 19:40
(ネタバレなし~途中までと最後は)
 Amazonの高い評価と、本サイトのnukkamさんのレビュー内のコメント「明かされた真相には驚きのどんでん返しが用意されてあります」に気を惹かれて読んでみた。今回は再刊・改題版の春陽文庫の方で読了。

 ミステリアスな導入部、途中のいかにも昭和の通俗作品っぽい男女の情欲や汚職などがからむ人間模様、作者が教師ということもあってかなり緻密に描き込まれた学園内・教師職の就業システム……とやや、ごった煮的な感じだなと思いながらページをめくっていくと、後半から捜査陣側の若手刑事に主人公が交代。清張の一時期の長編風な作りであった。
 それで肝心のサプライズだが、ああ、こう来たか、という感じだった。仕掛けそのものはシンプルとも大技ともいえるものだが、その作為の向こうに劇中人物の強烈なキャラクターが覗くあたりは、かなり好ましい。終盤にニヤニヤ笑いながら己の思惑を語っているのであろう、某登場人物の黒い思考には、ゾッとするものを覚えた。
 全体的にもうひとつ、こなれの悪い作品だけど、狙いをうまく活かしたという意味では成功作だろう。

■以下 少しネタバレ


問題なのは題名だよなあ。旧題も改題の方も、どっちも最後まで読むとかなり大ネタを暗示していることがわかる。実は(中略)ということに、気がつく人はそれぞれの書名だけでピーンと来てしまうのではないか。


■ネタバレ終了

余談1:しかし途中の叙述「こういう女は推理小説を読まないということで、教養の高さを示したがるものである」という文節には爆笑しました。そういうもんなのか(笑)。
余談2:春陽文庫版の239ページ。とある謎の重要人物についての身体的特徴の情報が、いきなり捜査陣の前にしれっと出てきているような……。いつか本書を読むことがあったら、なんとなく覚えておいてください。

No.399 6点 天使の唄- 三好徹 2018/09/15 12:45
(ネタバレなし)
 三好徹の著作「天使」シリーズ連作で、毎回の女性(それの暗喩が天使)がらみの事件を追う、横浜支局に勤務する30代半ばで独身の新聞記者「私(本名は未詳)」は、かつて「マーロウそっくりの主人公」と称されたこともある(長編作品『天使が消えた』のミステリマガジンの当時の書評より)。
 評者はくだんの『天使が消えた』はまだ未読(いつか読もうと思っているうちに蔵書がどこかに行ってしまったいつものパターン)だが、シリーズの本筋といえる連作短編の方はつまみ食いながらそれなりに目を通しており、先に紹介した和製マーロウという評価にも納得している。
 時に皮肉や諧謔を交えながらも、事件の関係者に随時注がれる冷めた優しい視線、横浜という潮風の香る土地柄と密着した舞台設定……。何より秀逸だったのは主人公のくたびれ具合を語り出すために、原典まんまの貧乏私立探偵ではなく新聞地方局のちょっとだけやさぐれた記者という設定を用意したこと。この一回ヒネリが、実にそれっぽさを醸し出している。これはもちろん作者の三好自身が読売新聞の横浜支局にいた経歴にも由来しているんだろうけれど。
 日本でも80~90年代になると文壇や読書人間のチャンドラー観はまた、良くも悪くもいろんな雑協物的な視点が頭をもたげてくるのだが、少なくともこの70年代初頭に権田萬治あたりが特に強く語っていた双葉&清水チャンドラーらしいセンチメンタリズムとリリシズム、そして譲れないコードとしてのハードボイルドのちょっと醤油味風の味わいを、この「天使」シリーズは確実に提供してくれていた。

 というわけで、出先のブックオフで久々に再会した本シリーズのうち、たぶんまだ未読の分と思える一冊を購入。全6編をこの一~二ヶ月の間にちびちび読んでいた。
 前述した<和製チャンドラーらしさ>は全作の基調に一貫して保持され、それぞれの作品が楽しめる。ベスト編は三本目の「天使の裁き」で、ラストの言いたいことを言い切った、苦い、しかしどこか痛快な後味が最高。もし個人的に、レギュラー主人公ものの昭和の和製ハードボイルド短編でアンソロジーを組むとしたら、自分は確実にこれを入れるだろう。ミステリとしての切れ味では二本目の「天使の弔鐘」と五本目の「天使の亡霊」も良い。後者はトリックの面でもちょっと面白い趣向が用意されている。
 弱ったのは本書の最後に収録の「天使の黒い微笑」で、三好徹が<そっち系>のジャンルも得意なことはもちろんよく知っているが、このシリーズでこういうネタを持ち出すか、とちょっと鼻白んだ。とはいえ作者の横浜時代の実体験に似たような事例があったのかもしれないから、リアリティがないと軽率には言えないが、最後の最後でいっきに事件の大枠を明かす物語の作りも変化球すぎる。(あとどうでもいいが、この最後のエピソードで、特に主人公の近親でもない人物がいきなり主人公の名前を呼ぶ~もちろん読者には明かされない~描写があってびっくりした。もちろん作中の現実として主人公の名前は調べればわかる、特に秘匿されたものでないのだが、なんか虚を突かれた思いだった。)
 
 またそのうち、このシリーズを読んでみよう。『天使が消えた』が見つかればいいなあ。あと長編『汚れた海』、あれも標題には「天使」が入らないものの、このシリーズだったような?
 
 余談:本作は市川崑の総監督か監修か何かで、中村敦夫の主演で70年代にTVシリーズ化されているんだよね。本当にちょっとだけ観たことがあったような、ないような。DVDソフト化か、CSで放映されればいいんだけれど。

No.398 6点 ウクーサ協定秘密作戦 国に仕える者すべてに捧ぐ- ジョージ・マークスタイン 2018/09/12 21:46
(ネタバレなし)
 英国の片田舎。ある夜、車を運転中の医師トーマス・ウィンは、ロンドンに向かいたいと願う軍人らしい一人のロシア人に出合う。だがその直後、くだんのロシア人は追ってきた男たちに連れ去られた。一方、ロンドンではCIAの現地支局長という裏の顔を持つ外交官サイラス・フレクスナーに、ロシア人記者のアナトリー・スピリドフが接見を求め、自分が入手した重大情報を伝えようとする。しかし彼は、途上のタクシーの中で突然死した。やがてアメリカから、一匹狼の辣腕CIAエージェント、アンドルー・ザルービンが英国に呼び寄せられる。そんなザルービンが向かい合うのは、米英露の諜報組織に絡み合う裏切りと謀略の数々、そしてある使命を帯びた軍人たちの現実の姿だった。

 1983年のアメリカ作品。生涯に9冊のエスピオナージュを著した作者ジョージ・マークスタインによる8冊目の長編で、同作者の日本での現時点で最後の邦訳。
 評者はもともと日本に最初に紹介されたこの作者の長編『裏切者と朝食を』(文春文庫)にえらく心を揺さぶられたが、次に翻訳された処女作『クーラー』(角川書店)が、面白そうで存外につまらなくて失望。特にその『クーラー』は、<敵陣営に素性の割れてしまった諜報員の冷却(なんとか現場復帰できる可能性を探る)施設>という大設定がなかなか興味深かっただけに、なんか裏切られた気分になり、その後長らくこの作者のことは失念していた。それでふと思いついて一昨年あたりwebを検索したところ、さらにもう一冊、翻訳が出ていたことを知ってAmazonで古書を購入。それからしばらく間を置いたのち、一昨夜から気が向いて読み始めて、昨夜読了、という流れである。

 深く思い入れした作品と、それを受けたこちらの期待を裏切った作品の作者。さて三冊目はどんなかな、と思って読んでみたが、結論から言うとフツーに(普通以上に)面白かった。謀略の全体像が見えない中、ひとつひとつの事象を己の使命や情念からクリアしていくザルービンを一応の主人公にしながら、物語を語る三人称の視点は目まぐるしいまでに切り替わり、その叙述の積み重ねの中からストーリーは深層の部分を徐々に見せていく。実に正統的なエスピオナージュの作りである。この薄皮が少しずつ剥けていくような緊張感の持続がたまらない。事態の真実を目指して蟻地獄を滑り落ちていくというか、最低部の中心を目指しながら渦巻きのなかで翻弄されるような、あんな感覚だよ。

 あえて難点をあげれば、今回は前二冊よりもはるかに登場人物の総数が多く(たしかそうだったと思う)、メモを取りながら、さらにそのメモを見返しながらでないと劇中人物の把握がしにくいこと。一方で物語の前半と後半で登場キャラクターの交代も頻繁なので、その意味ではメリハリも効いている。
 本書の題名になっている「秘密作戦」の意味は最後まで謎のまま明かされず読者の興味を牽引するが、これのサプライズ具合に関してはネタバレになるかもしれないので、あまり言わない方がいいだろう。少なくとも評者は、ある種の余韻を感じながら本を閉じた。ひと息に読める秀作。
 ただし自分のオールタイムの翻訳エスピオナージュの順位付けのなかで、かなり高い位置にある『裏切者と朝食を』にはやはり及ばなかった。まあ『クーラー』よりはずっと面白かったし、このくらいの手応えを感じられただけでも上々なのだが。

 最後に本書は、かの小鷹信光と、新世代の翻訳家の矢島京子(このあとプロンジーニやクレイグ・トーマスとか訳してる)の共訳。後書きは、小鷹が単独で、その矢島の仕事を紹介するように語っている。しかしその後書きのなかで、小鷹が<本書は、マークスタインの日本初紹介である>と二回にわたって言ってるのが残念(汗)。実際には前述のとおり、すでに既訳が二冊あるのだが、WEBで即座に確認もできなかった80年代後半のこと、当時の翻訳ミステリの出版状況の細部にまで気がまわらなかったんだろうね(苦笑)。

 どっかからマークスタインの未訳の作品、また出ればいいなあ。もう時流に合わない、忘れられた作家かもしれんけど。

No.397 5点 死のランデブー- ピエール・ボアロー 2018/09/10 17:17
(ネタバレなし)
 フランスの1950年作品。ボアローの名探偵アンドレ・ブリュネルの最後の長編。 
 それで出来は……はあ~。この手の大技を使うなら、もう少し伏線を張ったり手がかりを散りばめたりすれば良いのだが、それでは読み手に察せられると作者は警戒した…………のではなく、単に天然に書いちゃった、という感じである(笑)。
 いかにもこの作者。この時代にしてはクラシックすぎる、アイデア先行のフランスパズラー。その意味では、まあ面白かったけれど。

 あとネタバレになりそうなので注意しながら書くけど、最後に明かされるこのネタは、今年の国産の某新作ミステリでよく似たようなのが登場しちゃってますな。そっちはさすがに21世紀の作品らしい考証で、えー、それって、ありー、という大ネタを補強してあるけれど。
 たぶん双方の作品の相似は暗合だろうけれど、半世紀を超えた事例をふたつ並べてみて、東西新旧のミステリ作家なら、けっこうみんなやってみたいネタなんだろうとも思います。

No.396 8点 褐色の肌- エド・レイシイ 2018/09/10 13:15
(ネタバレなし)
 ニューヨーク、ブロンクスの外れの一角パラダイス・アレー。街の住人は大半が中流~下流の黒人だったが、ある夜、高校二年生の黒人少女パトリシア・フレンチが通りすがりらしい白人に射殺される事件が起きる。その後も犯人は捕まらず黒人社会に不満の気配が高まるなか、今度はある白人の警官が、暴動を起こしかけたと見られる黒人の少女ソニー・ファーを死なせてしまう悲劇が発生した。そんな折、アレーの街に黒人を地上から殲滅すべきという謎の過激派「黒殺団」のチラシが配布される。「俺」こと20代後半の刑事で、ニューヨーク市警捜査課の唯一の黒人であるリー・ヘイズは、同年代の白人の刑事アル・カーツとともにアレーに赴き「人権問題調査官」を詐称して潜入捜査を行うことになった。任務はアレーの緊張の緩和、そして少女殺害事件の捜査だが、同地周辺での白人と黒人の衝突は、まさに一触即発の危機を迎えていた。

 1969年のアメリカ作品。邦訳は作者名「エド・レイシー」の標記で、昭和44年9月10日に角川文庫から初版が刊行。
 作者エド・レイシイの邦訳はほとんど買っているはずだが、例によって長年にわたり積ん読で、名作と定評の『さらばその歩むところに心せよ』もすぐに出てこない(もしかしたらこれはまだ買ってないかもしれないと思い、webで古書が安かったので、つい昨日、購入した)。それで本書『褐色の肌』は2018年9月現在、Amazonにも登録されていないマイナー作品で、じゃあどんなのかなと、数ヶ月前にやはり通販で古書(昭和51年刊行の第4版)を買ったものを、このたび読んでみた。そしたらこれがエラく面白かった!

 アメリカミステリ史における黒人キャラクターの立ち位置の変化は、50年代の『暴力教室』や『明日に賭ける』などの重要キーパーソンというポジションを経て、ジョン・ボールやチェスター・ハイムズなどの諸作でのレギュラーヒーロー化に至る……おおざっぱにはそんな流れでいいだろうが、確かに60年代終盤~70年代初頭には翻訳ミステリの分野でも「ブラックパワー」という言葉がしばし使われていた。わかりやすい例でいえば「87分署シリーズ」の第24作『はめ絵』(1970年)でそれまで脇役だった黒人刑事アーサー・ブラウンが初めて主役を張ったり。さすがマクベイン、その辺りの時代の空気は敏感に読んでいた。

 本書はまさにそういう時代のど真ん中に書かれた作品だが、よく練られた警察官捜査小説であると同時に、人種差別問題を真っ正面から扱った上質の社会派・人間ドラマになっている。そもそもアメリカ社会において黒人ほか有色人種の扱いが微妙に変化したのは、ベトナム戦争などに国民を徴兵する必要性から、人種の違いなんかあれこれ言っていられない、アメリカはひとつだ、という、どこか欺瞞を感じる現実の背景があったように思う。作中でブラック・ナショナリストの青年カーティス・レイノルズは語る。<ベトナムでは確かに白人は俺たち黒人と命を預け合った戦友だった。だが兵役が終れば奴ら白人は当たり前に恵まれた社会に帰るし、俺たち黒人はまた貧困の生活に戻る。>うん、きっとその通りなのだろう。
 さらにこの時代らしい文明批判として、お手軽に情報を与え、彼我の境界を曖昧にするテレビ文化にも矛悪が向けられ、ああ、この辺はマイクル・コリンズのダン・フォーチュンシリーズの一編『ひきがえるの夜』(1981年作品)から10年早かったな、という思いも生じた。大昔に日本で言われた<テレビ視聴による一億総白痴化>とは似通う部分もあり、微妙に違うところもあり。

 主人公リーを巡る年上の彼女ビーと本作のメインヒロイン、イーネズとの三角関係的な構図、黒人は悪だ、白人は屑だ、という強烈かつおそらくは当人たちも自覚的な愚劣な偏見から生じる軋轢の数々……キャラクタードラマとしても群像劇としても実に巧みで物語に引き込まれたが、終盤にこの流れが意外性のあるミステリに、そして骨太なハードボイルド作品に転調する鮮烈さも実に見事で、これはたまたま予備知識無しに読んで大当たりの傑作。いや、なんとなく接してみて、本当に良かった。こういうのがあるから、またミステリを読む興味と欲求が倍加する。
 『さらばその歩むところに心せよ』ほかの未読のレイシイ作品を読むのも楽しみ。一冊読んだだけで気が早いんだけど、未訳の作品もどんどん紹介されんかな。作者は本書を書いた直後の1968年に56歳の若さで亡くなったそうだが、もしかしたら本作は遺作だったのかしらん。

 あとイサクで思い出したけど、平井イサクの訳文って本当にいいね。あんまり話題にならないけれど、昭和期の翻訳ミステリ分野における隠れた功労者じゃないだろうか。

No.395 5点 天女の末裔- 鳥井加南子 2018/09/08 14:53
(ネタバレなし)
 昭和35年10月。岐阜県の一地方で、一人の男が刺殺された。男は絶命の直前、駆けつけた救急班員に、神にやられた、と奇妙なダイイングメッセージを残す。
 それから23年を経た昭和58年。三重県桑名で大手の家具販売チェーン店を取り仕切る実業家・中垣内(なかがいと)純也の娘で、大学を出たばかりの衣通絵(いとえ)は、母校の先輩でボーイフレンドだった青年・石田達彦に再会。彼から、ある民俗学関係の文書のコピーを見せられる。それは、彼女たちと同じ大学でかつてシャーマニズムを研究していた純也が著した論文だった。衣通絵はそれを機に過去と現在にまたがる複数の殺人事件の謎、さらに自分の出生の秘密にからむ天女伝説に分け入っていく。
 
 1984年に元版のハードカバーが刊行された、第30回江戸川乱歩賞受賞作。
 歴代乱歩賞作品のワーストワン(というかベスト投票したら最下位になる作品)という主旨の評を某所で最近読んだので、つい気になって目を通してみた。
 まあ実際、本サイトでもこれまでレビューが無かったくらいの不人気作(あるいはまったく注目されない作品)だったんだけど、そう思って当初から割り引いて読んでみるなら、そんなにヒドい出来ではない。犯人は中盤から見え見え……というか、隠す気は作者にも全くないみたいだし、現代の方の殺人トリックもちょっとだけ創意は感じるものの……そううまく行くかな、という不審も生じるが、B級の伝説ものミステリとしてはそれなりに楽しめる。文体もよくもわるくも無個性なさっぱり系で、後半の矢継ぎ早の展開もご都合的に話が転がされていく印象もあるが、少なくとも退屈はしない。二、三時間でいっきに読み終えられる。あえてヒトに勧めようとは思わないけれど、読んでおいてもいいんじゃないですか、という出来映え。

 しかし巻末の、選考者たちの合評を読んで改めて最高に驚いたのだが、これ東野圭吾の『魔球』を抑えて乱歩賞を受賞した作品だったのね! 東野作品はそんなに読んでないけれど、個人的に『魔球』は、初期作の中で一番スキな一冊である。正直、本書『天女の末裔』が『魔球』に勝てた作品とはどうしても思えんのだが(まあ、ある種のまとまり具合においては、勝っているかもしれんけど)。
 というわけで評者は、本書の作者・鳥井加南子に「日本のイザベル・B・マイヤーズ」の栄誉を謹呈したいと思います(笑)。

No.394 5点 ジャナ研の憂鬱な事件簿- 酒井田寛太郎 2018/09/08 14:43
(ネタバレなし)
 県内の名門校として名高い公立高校・海新高校。二年生の工藤啓介は聡明ながら、ある事情からあえてただ二人の親友以外とは距離を置く学生生活を送る。啓介は、先に卒業した異才の先輩・水村零時から校内サークルのジャーナリズム研究会(ジャナ研)を託され、今はただ一人の部員かつ、長い歴史を刻む学生新聞「波のこえ」の現編集者を務めていた。だがそんな啓介に、学内でも評判のメガネ美少女で、純真なお嬢様の先輩・白鳥真冬が接触。彼女の周辺に起きた奇妙な事件を解決するため、助力を求めた。

 第11回小学館ライトノベル大賞優秀賞受賞の学園日常ミステリー。本書はシリーズ化されたその初弾で、この一冊目にはプロローグとエピローグに挟まれた全4本の事件が収録されている。webで、各エピソードの苦い後味がよいとかなんとかの評判を見たような気がするので読んでみたが、それなりに楽しめた。さらにwebの別のレビューでは<米澤穂信の「古典部シリーズ」に似すぎている>などとの批判もあるようだが、評者は不勉強にもまだそっちの作品を読んでない(人気作品なのはさすがに知ってるが)ので比較はできない(笑)。
 ただ第1話の<なぜノートは無くなった(盗まれたか)>のホワイダニットの謎解きなどはなかなか感心したし.本巻の決着編となる第4話の重みなども心に残る。一方で第3話のように当初から当該キャラの心根が見え見えだよね、本当にこの解決でいいの? と悪い意味でポカーンとした話もあり、少なくともこの1冊目の収録エピソードの出来不出来はバラバラ。まあ2冊目以降も読み続けていくなら、そのばらつき具合が良い感じのバラエティ感に転じる期待もあるんだけれど。

No.393 7点 片隅の迷路- 開高健 2018/09/08 14:37
(ネタバレなし)
 その年の11月5日の早朝。西日本のとある県の県庁所在地で、農機具店の主人・山田徳三が殺される。殺害犯人は同家に押し入った二人組の強盗と思われたが、捜査陣は店に住み込みの少年店員2人、さらには同家の娘で9歳の少女・道子の証言から、犯人は徳三の内縁の妻で道子の母、洋子だと認定。洋子は逮捕され、起訴された。だが公判中に、道子が担当の山口検事から偽証を強いられたと表明。世間の注目が集まる中で、洋子は冤罪を主張したまま刑務所に収監された。徳三の先妻の娘で洋子を実母のように慕う女子高校生の竜子が応援する中、洋子の甥の青年、浜田流二は洋子の無罪を証明しようと奔走する。だが最高裁まで審議を続ければ、経済的に家族の多大な負担になると考えた洋子は悔しさのなかで上告を棄却。しかし流二はその後も事件の洗い直しを諦めなかった。やがて思わぬ展開が……。

 1961年に「毎日新聞」に半年間にわたって連載された作品。内容はあらすじを見ればわかるように、昭和史に残る冤罪裁判の事例として名高い、1953年の現実の事件「徳島ラジオ商殺し事件」を題材にしたドキュメントノベルである。モデルの人物の名は小説内の架空のものに変えられているが、大局の流れは基本的に現実のものに立脚するらしい。

 大昔に日本語版「ヒッチコックマガジン」のバックナンバーを古書で入手し、毎号の当時の新刊評を一冊ずつ楽しみに読んでいたところ、本作が最高クラスの評価を受けていた記憶がある。それゆえいつか読みたいと思っていた一冊だった。とはいえ作者が芥川賞作家の開高健でしかも題材が真摯なテーマゆえに、これはさぞや歯ごたえもある内容だろうとやや気後れしていた。しかし今回、一念発起して手に取ってみたところ、思いのほか文章は平明だし、小説としてのリーダビリティも申し分なくスラスラ読める。例によって、案ずるよりなんとやら、だった。

 洋子の有罪を恣意的に決めつけた山口検事の判断や、彼や捜査陣から受けた軋轢のなかで偽証に及んだ証人たち。それらの過ちや心の弱さが雪だるまのように累積し、罪もない一人の女性とその周辺の市民、さらには事件に際して証言を求められた人間たちの人生が歪んでいく恐ろしさと悲しさ。現実の当事者の方々の無念や悔しさは推してあまりあるものがある。
 しかしそれでも小説としては、中盤からの実質的な主人公となる青年・浜田流二の百歩進んでは五十歩下がる奮闘の繰り返しなどをはじめ、どっかユーモラスな味わいを感じるのがこの作品のキモ。けれどもそんな口当たりの良さだからこそ、責任者の所在が巧妙にうやむやにされ、力のない一般人が泣き寝入りを当たり前に強いられるやるせなさが本を閉じる最後の瞬間に、改めてじわじわと心に染み込んでくる。
 裁判員制度の適用や再審弁護団の積極的な活動など、当時と現在では裁判事情も少なからず違うところもあるが、21世紀の今、手に取っても、インパクトとある種の読み応えは十全であった。
 これをちゃんとミステリとして評価した前述の「ヒッチコックマガジン」も、本書を創元推理文庫のレーベルに加えた東京創元社も「よくわかってる」、ミステリの幅広い裾野ののなかにはこういう作品もあるんだよ、と強くうなずきたい。
 実は大筋は10年くらい前にCSで観た本作の映画版を通じて記憶していたんだけどね。洋子役が奈良岡朋子(『太陽にほえろ!2』の「署長」)で、読んでいく内に映画の細部も脳裏に甦ってきた。録画DVDを引っ張り出して、そのうちまた観てみようかしらん。

No.392 7点 海の警部- ミシェル・グリゾリア 2018/09/04 12:41
(ネタバレなし)
 南フランスのニース。その年の5月、44歳のアメリカ人の富豪サイラス・ギャグニーが動物園から逃げたらしいコブラに噛まれて死亡する事件が起きた。それと前後して50代の医師シャルル・モレリと離婚する予定の魅力的な四十女エレーヌは、30代の愛人ポール・ジャヴァルとの洋上デート中に、若い金髪女性の惨殺死体を見つけた。モレリ家の面々は娘の死体を引き上げるが、その死体はいつのまにか無くなり、土地の敏腕刑事で「海の警部」と異名を取る主任警部ダヴィッド・ジェアンの自宅のガレージでのちに見つかった。両事件の間に関連を認めたダヴィッドは、常に彼に寄り添う16歳の愛娘ローラン、辣腕の部下のサルヴァトーレ警部たちとともに事件を追うが、その後もニース周辺に同一犯の仕業と思われる計画的な殺人事件が続発。しかし互いの被害者を関連付けるものは不明だった。
 
 1977年のフランス作品。同国のミステリ批評家賞(Prix Mystère de la Critique)受賞作品というので、んー、どっかで聞いた賞だとwebで確認したところ『殺人交差(交叉)点(72年の改稿版)』や『ウネルヴィル城館の秘密』みたいな評者もお気に入りの作品、さらには未読だが面白そうな『死のミストラル』も受賞、ほかにもアルベール・シモナンやA.D.G. 、アラン・ドムーゾンとか気になる名前の作家たちの未訳作品に与えられている賞だった。というわけでそれなりには面白いだろうと思って手にしてみたが、うん、予期したとおりにかなり楽しめた。
 16歳の娘を殺人事件の公務に連れ回す主人公の警部の設定は、まるで赤川次郎のキャラクターミステリだが、その辺のややぶっとんだ感覚は作者も百も承知らしく、劇中でも堅物ながら温情家の知事がダヴィッドの捜査を急かしながらも、娘さんが危険な目にあったらどうするんだと親身に忠告。そんな知事さんが読者の思うことを先回りして代弁してもなお、ダヴィッドは彼なりのややいびつな親子の絆(倒錯的な性的なものではない)からローランの捜査介入を容認し、部下のサルヴァトーレも「お嬢さん」ローランの現場立ち会いや証人への喚問の手伝いを(苦笑交じりに?)認める。まともな小説の創作コードを外した作劇なのは確かだが、この辺は本作の大きな賞味ポイントで、さらにまた別の重要な意味がある(あまり詳しくは書けないが)。

 何章か物語が進むごとに次の殺人事件が断続的に発生し、主要人物たちがきわどい行動に及ぶストーリーの流れは実にハイテンポで快い。さらに加えて細部も面白い作品で、たとえば25章のバス内のニース地方の独特の土地勘を印象づける白人市民たちによる黒人青年への差別意識とそれに関連するトラブルの描写。大筋的にはもっと簡単なストーリーの流れにしてもよいくだりのはずだが、あえてこういうものを盛り込む手際で作品の厚みが生じている。作者グリゾリアはアメリカミステリを愛読し、なかでもチャンドラーが好きだそうだが、なるほど創作上の私淑ぶりを感じるところもある。

 連続殺人事件の実行犯そのものは中盤で読者にわかるように書かれているが、その背後に潜むのであろう黒幕の正体、どういう観点で被害者が選定されているかのミッシングリンクの謎、そしてその謎にからむホワイダニットなどの興味は終盤まで持続し、最後に明かされる犯人像もかなり強烈である。正直、ここまでイカれた悪意というか情念の主が出てくるか! という感じで舌を巻いた。
 ただしミッシングリンクの真相そのものは存外につまらないこと、さらに真犯人は意外ながら、一方で連続殺人ものの構造ゆえに登場人物がどんどん減ってくることから推察するのはそんなに難しくはないこと。その2つのポイントは弱点といえば弱点だが、得点的に読むならページが残り少なくなっていくなかでまだ事件の全貌が見えない緊張感とサスペンスも踏まえて、それらの失点を補ってあまりある面白さだった。「海の警部」シリーズは少なくとももう一作邦訳があるみたいなので、そちらもいずれ読んでみよう。

No.391 6点 CUT- 菅原和也 2018/09/02 20:20
(ネタバレなし)
 キャバクラ「フォクシー」の従業員である24歳の青年、安永透は21歳のキャバ嬢「エコ」を車で送るその夜、首を切断された若い娘の惨殺死体を発見した。やがて透は、怪しげな探偵事務所とも縁のあるエコから、似たような猟奇殺人事件が半年前にも起きている事実を指摘される。そんななか、フォクシーの常連客で、透とも面識のある中年の翻訳家・月島健二の周辺に不審な人物の存在が認められ、透はエコとともに月島のマンションに赴く。だがそこで透たちが出くわしたのは、殺人者が侵入不可能な状況「重力密室」での怪異な殺人事件だった!
 
 菅原和也の第二長編。比較的コンスタントに秀作・佳作を放ち続ける作者だが、これもケレン味満載な上に頗る高いリーダビリティでサクサク読み進められる。冒頭から、主人公・透の三人称視点とは別の流れで謎の殺人者が登場する。とはいえ登場人物の絶対数が多くないこと、何らかの仕掛けがあるだろうという予想から、犯人の正体を察するのはそう難しくないだろう。
 ただそんなフーダニットの興味に加えて、本の重さで床が抜ける寸前のマンションの一室(透たちが入って本当に抜けてしまう)で殺人を行った犯人はどのように部屋に入り、どのように脱出したのかという「重力密室」の趣向などは相応に面白い。真相を知るとなんだ、の部分はあるが、変化球の密室設定としてはひとつのアイデアである。
 しかしこれ、本当はシリーズ化しようとしたんだろうね。続編らしいものはまだ書かれていないと思うけれど。

No.390 6点 暴力教室- エヴァン・ハンター 2018/09/02 20:18
(ネタバレなし)
 1950年代のニューヨーク。元海兵隊で身重の妻アンと二人暮らしの青年リチャード(リック)・ダディエは、北地区実業高等学校の英語教師の職を得る。同校は学級崩壊寸前の不良生徒の巣窟だったが、折しも新任校長のウィリアム・スモールは蛮行ともいえる強引さで校内の浄化を考えていた。一方で生徒たちの心を掴もうと懸命になるリックだが、彼を悩ましたのは、受け持ちクラス内のややこしい力関係、そして大半の生徒たちの絶望的なほどの学力の低さだった。それと前後して、彼はクラスのリーダー格の黒人少年グレゴリー・ミラーのひときわ高いIQとさばけた言動に注目。彼をクラス委員に任命して教室の統率を図る。だが校内で同僚の女性教師ロイ・ハモンドへの暴行未遂事件が発生。不良生徒をやむなく腕力で制したリックには、校内のあちこちから敵意の目が向けられる。やがて事態は謎の投書主による、スモール校長や妻アンへの怪文書が届くに至り……。
 
 1954年のアメリカ作品。今回はハヤカワNV文庫の決定版(晩年の作者の、当時を回顧した序文がついてる)で読了(初読)。
 本作は新旧のNV文庫のほかにポケミスにも世界ミステリ全集にも収録されている、50年代当時に隆盛した非行少年もの(その意味で広義のミステリ)の代表格的な声もあり、いつか読みたいと思ってた。しかし実際に目を通して見ると予想以上に普通小説というか、非ミステリのフツーの学園ドラマぽかった。
 それでもリックを襲う暴力沙汰のサスペンスはあるし、謎の怪文書の送り主が誰かという終盤までのフーダニット的な興味はあるし、ぎりぎり現代ミステリのジャンル枠にカテゴライズしてもいい作品かとは思うが。
 
 内容の方は、さすがにハンター(マクベイン)が後年になっても思い入れをこめて語っている自信作だけあって、現実と時には折り合うことも心得ながら教育の理想を求める正義漢リックの内面とか、本作の最大のジョーカーである(物語のなかでどう化けるのかが大きな興味となる)黒人少年ミラーの内省とか、その辺は時代を越えた普遍的な力強さで描き込まれている。教育現場に足がついてるとはいいがたいスモール校長と、リックをふくむ<闘いの前線>に立つ複数の教師たちとの対比も良い。
 一方で、20世紀末~21世紀現代の、ずっと陰湿化したイジメやスクールカースト問題を抱えた学園ドラマとかに比べれば、牧歌的な部分もなくはないが、それでも最後「それから北地区実業高等学校は(中略)になりましたとさ、めでたしめでたし」で幕を引かなかった決着の付け方など、作者ハンターが当人なりに作中の現実に真剣に向き合った矜持を示した感じで、そういう意味の充足感はある。50年代作品、現代の新クラシックという目線抜きには語っちゃいけない作品ではあろうが、十二分に心の満ちたりは感じる。
 まあそれでもリックの理想と奮闘、そして彼と生徒たちとの絆をもってしても救えなかった者は、手の平からこぼれる砂のように出てしまうんだけど。それもまた、本作の言いたかったことであろう。きっと。

No.389 6点 誰でもない男の裁判- A・H・Z・カー 2018/08/30 16:54
(ネタバレなし)
 私的に今年の8月はいささか忙しかったこともあって、本書を手に取ってから読了するまでちょっと時間がかかった。以下、簡単に各収録作の寸評。

『黒い小猫』……どういうものを書きたいかはわかるけれど、愛猫家にはツラい話。現実にこういう傷ましいことが起きないように、適切な対応を心がけるように、というのも作者の言いたいことではあろうが。もう二度と読みたくない。
『虎よ!虎よ!』……ややこしげな意匠を省いたら、そんなに大した話ではないのでは?
『誰でもない男の裁判』……ミステリマガジン601号のオールタイム短編ベストでも上位に食い込んだ名作だが、送り手の主張が際立ちすぎて却って冷めた。よくある、いいたいことはわかるんですけどねー系の一本。
『猫探し』……『黒い小猫』の口すすぎ編。一本の作品としては良い話だが、あっちと同時収録なので割りを喰った感じ。
『市庁舎の殺人』……思わずニヤリとする事件の真相。この本はここからが見違えるように面白くなった。
『ジメルマンのソース』……エリンとスレッサーあたりの秀作二本をブレンドして、同じ数で割ったような味わい。語り口のうまさをとにかく感じた。
『ティモシー・マークルの選択』……日本の昭和時代の中間小説誌に載る短編ミステリという感触だが、これも語り口の秀逸さで読ませる。オレもスカートをはかずにパンティだけで街を歩く美少女に会ってみたいもんだ。
『姓名判断殺人事件』……こういう種類のサプライズが来るとは思っていなかった。最後を締める秀作。まあ21世紀ではこのトリックはまず不可能だろうけれどね。

 ……というわけで後半の面白さを前半のイマイチぶりが相殺して、この評点。しかしいくつかの作品は日本版EQMMやHMMで昔に読んでるはずなのに、けっこう忘れているもんだ。
 この作者はもう一冊分、日本でオリジナル短編集が組めるくらいの作品数があるようなので、いつか刊行してほしい。そっちは当たりの打率が高ければいいなあ。

No.388 6点 呪いの塔- 横溝正史 2018/08/30 16:18
(ネタバレなし)
 猛暑にうだるその年の夏。出版社「郁文社」の編集者で同時に作家でもある青年・由比耕作は、知己の探偵小説作家・大江黒潮から、軽井沢に避暑に来るよう誘われた。黒潮の借りる別荘に着いた耕作は、そこで大江夫人の折江や映画監督の篠崎宏、女優の伊達京子ほか複数の人物と対面。一同は黒潮の提案で、近所にそびえ立つ300フィートの巨塔「バベルの塔」で殺人ゲームの余興を行うが、そこで本当に殺人事件が発生。しかも濃霧のなかに謎の四本指の怪人の姿が浮かび上がった。耕作は黒潮の幼なじみの天才と称される青年・白井三郎とともに事件の深部に関わっていくが……。

 昭和7年8月に、戦前では有数の描き下ろしミステリ主体の叢書「新作探偵小説全集」(新潮社)の一冊として刊行された作品。作家となった横溝のデビューほぼ10年目の作品で、初めての本格的な長編ということになる(角川文庫版で400ページ近く)。
 300フィート(約90メートル)という戦前の国内建造物ではおよそリアリティを欠く主舞台「バベルの塔」の設定を始め、奇人的な探偵作家、霧のなかの殺人ゲーム、謎の怪人の出没……ともうこの時代からいかにも横溝世界だが、そういった外連味ある趣向の相乗で通俗謎解きミステリとしてはそこそこ面白い。最後に明かされる不可能興味の殺人トリックも現実味はともかく、奇術的な手際としてはけっこうツボである。
 ちなみに主要キャラのひとり・大江黒潮は作家デビューする前、志那蕎麦の屋台を引いていたという楽屋オチからもわかるとおり、まんま盟友・乱歩の投影(さらにもう一人二人、モデルがいる……かな)。その辺に気づくと(気づかない人はそういないと思うが)事件の真相もああ、そういう方向の作品だったのね、という感じでハタと膝を打つ。角川文庫の解説で中島河太郎は本作を「パロディーの趣向」を盛り込んだ作品という主旨の記述をしているが、本当にそうだよね。とはいえ、大概のミステリファンはこの時期の乱歩と横溝がまだ盟友(あの乱歩の『悪霊』中絶事件以前だし)と知ってるから笑えるけれど、両者の関係を知らないで素で読んだ人のなかには「なんだこりゃ」と怒った人がいたかもしれん。そう思うとなんか楽しい。

 最後に、前述の角川文庫版の河太郎の解説は、本文より先に読まないことをお勧めします。思いきりネタバレしてるので。

No.387 7点 アンクル・サイラス- シェリダン・レ・ファニュ 2018/08/29 18:17
(ネタバレなし)
 19世紀。ヴィクトリア朝時代の英国。美術界の大物で土地の名誉治安判事でもあった父オースティンの莫大な遺産を受け継いだ淑女、「私」ことモード・ルシンは、当時17歳だった青春の日々を回顧する。それは過去に殺人犯人の嫌疑をかけられたこともある叔父サイラス・エルマー・ルシンの自宅で過ごした、忘れがたき連日の記憶であった……。

「海外ミステリファンとして、こういう古典もちゃんと読んでおきましょう」シリーズの一作。言うまでも無く作者レ・ファニュは、かの女吸血鬼カーミラの創造主。さらに本作『アンクル・サイラス』 (1864年)と並ぶもうひとつの同時期の大長編『ワイルダーの手』(1864年)は、かの瀬戸川猛資が生前にネタ的に話題にしていたこともあり、そっちの方からこの作者を記憶している人も多いかもしれない。ちなみに本作は、例のジュリアン・シモンズの「サンデー・タイムズ・ベスト99作」の4番目に入っていることでも有名ですな。

 それでこの『アンクル・サイラス』上下巻で邦訳は全800ページ弱の大作だが、実際に読むまでは『ケイレブ・ウイリアムズ』や『オトラント城奇譚』あたりの『モルグ街の殺人』以前の時代の作品と思っていた。しかし現実には『月長石』よりも少し後の刊行なのね。そういう意味じゃ、れっきとした近代ミステリである(英国の読書人の間では現実に、よくコリンズの『白衣の女』と比較されるそうだし)。
 
 作品の内容は、富豪の老父ひとり若い娘ひとり使用人いっぱいのルシン家に不審な中年の女性家庭教師マダム・ド・ラ・ルジュールが推参し、家庭をかき回すくだりが上巻の前半で、主人公モードと彼女の攻防みたいな展開はなかなか読ませるものの、肝心のタイトルロールの叔父サイラスは一向にまともに出てこない(劇中人物の話題には登る)。こういう作りの作品なのかな……と思って読み進めると中盤から物語が大きく動き出し、あとは最後までひと息に読ませる。起伏に富んだ展開は普通にじゅうぶん面白い。まあいかにも19世紀の英国大長編ゴシックロマンっぽい物語だけどね。

 とはいえミステリ的に興味深かったのは、過去に叔父サイラスが嫌疑をかけられた殺人事件が、誰にも侵入不可能な不可解な状況での密室殺人だったこと。まあさすがに、まともな謎解きに終るわけもなく、物語の中心に来る興味でもないんだけれど、このあたりはちゃんと作者がポー、ディケンズ、コリンズらの、これから脈動していく現代ミステリの始祖の仲間入りをしようと色目を使った感じでなんか微笑ましかった。
 ただし一方でこの作品、あるメインキャラの心の動き=とある行為の動機について、最後まで読み終えて結構大きな疑問が残る(もちろんここでは詳しくは書けないけれど)。解釈はいくつか可能だけれど、その辺をあれこれ考えて賞味の幅を拡げてもいいかもしれない。そんな風に読者を振り回すことが実際に作者が意図した狙いか、筋立ての都合でそうなったかは、たぶんわからない気もするが。

 ちなみに昨日8月28日は作者レ・ファニュの誕生日(1814年生まれ)だった。もう二世紀も前の、我が国の明治維新よりずっと昔のことなんだわな。

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人並由真さん
ひとこと
以前は別のミステリ書評サイト「ミステリタウン」さんに参加させていただいておりました。(旧ペンネームは古畑弘三です。)改めまして本サイトでは、どうぞよろしくお願いいたします。基本的にはリアルタイムで読んだ...
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