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人並由真さん
平均点: 6.34点 書評数: 2223件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.563 8点 パイド・パイパー―自由への越境- ネビル・シュート 2019/06/04 02:23
(ネタバレなし)
 1940年の後半。戦時下のロンドンの社交クラブで「私」は、70歳くらいの現役を引退した元弁護士ジョン・シドニー・ハワードの談話を聞く。それは彼がこの夏、ドイツの侵攻を受けたフランスで体験した、子供達を連れての逃亡の旅路の冒険譚であった。

 1942年のイギリス作品。作者ネビル・シュートは終末SF映画として名高い『渚にて』の原作者。
 本作は、第二次世界大戦の前半、ヨーロッパのジュラ山脈を物語の起点に、なりゆきから知人の2人の子供を預かって母国・英国への逃亡行を続ける主人公の老人ハワードの姿を語る。旅路のなかで彼の周囲には、さらにいくつかの事由から保護しなければならない子供たちが一人、また一人と増えてゆき、その経緯と現実がハーメルンの笛吹き男を連想させるので、この題名(原題「PIED PIPER」)となる。
 時にスリリングに、時にユーモラスに紡がれる物語の基調には、敵味方を問わず多くの人民から平穏な日常を、そして心の理性とモラルを簒奪する戦争への嫌悪感があり、さらに力強い人間賛歌があるのだが、もちろん人間の善性ばかりを都合良く並べ立てたストーリーではない。大半の登場人物は、終盤に登場するこの物語の中の一番の危険人物っぽいキャラクターまでも、完全な悪でも善人でもなく描かれる。また21世紀の作品なら悪い意味で作中の苛酷なリアリズムを追い、ひとつふたつぐらい子供たちにも容赦のない場面を挿入したくなるきらいもあるのだが、本作は戦場の残酷さ、苛烈さをしっかり語りながらも、子供や老人に直接的な残忍な仕打ちを与える、扇情的な作劇に書き手が酔うような愚は犯さない。語るべき主題の軸を抑えながらも、ちゃんと品位をわきまえた作品だ。

 忍耐と誠実さを武器に戦場の中の旅路を突き進む主人公ハワードの姿は実に魅力的。彼に匹敵するフィクション上の高齢男性ヒーロー(主人公)といえば、評者の知る中では、山田風太郎の『幻燈辻馬車』の干潟干兵衛くらいのものか。個性を書き分けられた子供たちのキャラクターも、物語後半に登場する某重要キャラクターもとても良い。終盤、ハワードとその当該キャラの別れの際のセリフは、前向きな未来を展望するという意味で、クリスティの『茶色の服の男』のあのシーン(レイス大佐へのアンのあの一言の場面)までも思い出した。
 物語は回想形式ではなく、全編をハワードの視点を軸にしたリアルタイムで語った方がすっきりするのではないか、という感じもないではないが、たぶんその辺は現実に大戦が継続中の状況で、この冒険行を一歩引いた半ばメタ的な足場から見つめたかった作者シュートもしくは出版関係者の思惑であろう。だったらこちらは特に何も言うこともない。
 老若男女、多くの人に読み継がれていってほしい名作。

No.562 6点 死者の殺人- 城昌幸 2019/05/31 02:59
(ネタバレなし)
 その年の4月はじめ。静岡県奥津の××村にある洋館作りの屋敷に、20歳の若者から初老の年代まであわせて7人の男女が集まる。彼らはみな、屋敷の主人である山座仙次郎の招待を受けた者だが、当の仙次郎は一同に顔を合わすこともなく別の場で危篤状態のようだった。ここで仙次郎の遺言執行役と称する土地の医者・川田が言うことには、仙次郎は総額700万円以上の遺産を用意してあり、それを参集した者に分配するつもりだが、そのためには川田が許可を下すまでこの屋敷にいなければならず、退去した者は相続権を失うとのことだった。だがそんな中、屋敷の周囲には謎の白い幽霊の影がちらつき、さらに本当は全員で10人呼ばれていた仙次郎の招待客のうち、屋敷に来ることのなかった人物・御厨(みくりや)の縊死死体が屋敷の周辺で見つかる。さらに屋敷の中からは突然の急死、恐怖におびえての逃亡などで、招待客がひとりまたひとりと減っていき……。

 長編第1作『金紅樹の秘密』の5年後に刊行された、作者の長編の第二弾(書下ろし作品)。クローズドサークルというわけではないが一種の舘ものといえる趣の作品の上、7人の招待客(本当は10人呼ばれていた)がどういう共通項で集められたかは、終盤まで読者にははっきり明かされない。その意味ではミッシング・リンクものといえる要素も兼ね備えている。

 そもそも評者が今回、本書を手に取ったのは、少し前に読んだ『金紅樹の秘密』の独特な印象もさながら、中島河太郎の「推理小説事典」の中の本作についての記述(城昌幸の項目の中にアリ)「その解明が風変わりで『有り得ないとは云えない線ギリギリのところ』を描いた異色編である」という文言にすごく興味を刺激されたからだった。こんなことを聞かされれば「何ソレ読みてぇー、どんなモンが待ってるのか、ワクワク♪」となるのが、健全なミステリファンだよね(そうか?)。
 でもって実作の中身は、本文の活字の級数は大きめだわ、会話は多いわ、登場人物はメインキャラだけ固有名詞表記で、モブ的な警官とか近所の旅館の番頭や仲居なんかは具体的な名前すら一切書かないわ……と割り切った作法・本の仕様でとても読みやすい。280頁前後の作品をメモを取りながら、二時間もかからすに通読できた。さらに読んでる間は、大小のイベントが続出でまったく退屈しない。これで最後にどんなものが……と思っていたら、とんでもないものが来た!(汗)。もちろんここでは、何も書かないけれど。

 ……いや、当事者の思考として<そういうこと>を真剣に考える人がいたというのは、小説作中のリアルとしてアリであり、実を言うとその思考ロジックは80年代以降の<ある新本格作品の印象的な一編>と一脈、通じるものがある……ような気がする。

 個人的にはすごくぶっとんだ発想でオモシロかったけど、いくらでも怒る人がいても止められないような作品でもある。少なくとも河太郎はウソは言っていなかった。気になった人、いつか読んで笑うなり喜ぶなり、怒るなりしてください。古書で1000円以下なら、酔狂なものを楽しむつもりで安いとは思います(笑)。

【2019年5月31日9時頃・追記】
 ……と、一回は割と褒めるように? 書いたけれど、少し間を置くと、また考えが変ったのでそれを追記。
 悪く言えば本作の度外れた着想は子供の思いつきのようなもので、たとえばこれが当時、ロジックや伏線、トリックを真面目に考えている推理作家文壇のなかで半ば総スカンを喰ったとしても、やむをえない面もある。このアイデアがOKならば、かなりのことがアリになってしまう、その手の趣向だといえるからだ。作者が長編ミステリを二作で止めたのは、それも自然な流れだったのかなとも思う。
 ただしインパクトがあったのは事実だし、物語の話術にそれなりの快いテンポは今でも認めるので、評点は当初のままに。

No.561 7点 白昼堂々- 結城昌治 2019/05/31 02:18
(ネタバレなし)
 昭和30年代の半ば。前科7犯の元スリで、今は堅気になってデパートの保安係として働く富田銀三は、生まれ故郷の九州は筑豊の村に帰参する。かつては炭鉱として賑わっていた村は、今では石炭が不要になった時勢につれて過疎化。そこは、銀三の旧友で前科6犯の「ワタ勝」こと渡辺勝次ほか、スリを生業とする人々の温床になっていた。勝次に再会した銀三は、スリではなくもっと安全で効率がよく、そして人様を泣かすことも少ない仕事、つまりデパートの万引きを集団でやらないかと申し出た。こうして結成された万引き団は各地に飛ぶが、かつて銀三の更正を応援した警視庁のスリ係の刑事・寺井、そしてその上司でスリ係24年の古参刑事・森沢が銀三や勝次たちの前に立ちはだかった。
 
 1965年6月4日から12月31日まで「週刊朝日」に連載された、昭和クライム・コメディの名作。以前から面白そうという評判は聞いており、読むのを楽しみにしていたが実際に頗る快い一冊であった。物語の背景には、炭鉱の町の衰退などをひとつの事例に掲げた昭和の不景気事情があるが、それでも生きるためにスリや万引き稼業に乗りだしていく登場人物達のバイタリティが陽性のギャグユーモアに転化されている。特に、個人から財布や現金をスリ取るのは被害者の人生に多大な迷惑をかけてしまうおそれもあるが、大企業で(この昭和30年代当時)上り調子で繁盛しているデパートから万引きするなら罪が軽い、と実に手前勝手なことを真顔で語る主人公・銀三の物言いなど笑わせる。世の中の経済感覚が変った21世紀の今なら、とても通用しない思惟だが、良くも悪くも昭和という時代の緩みのなかで生まれた作品である(高度成長の時代の中で振り落とされていく人がいて、その事実に盤石の対応がされていないことへの社会風刺的なスパイスも感じられる)。

 作品の前半は、万引き団の面々それぞれの素描とチーム結成の経緯、さらには万引きの実働に出てからの現場を語り、途中からは警察側の動きも交えたさらなる群像劇になる。加えてそこに、小悪党たちを弁護して金を稼ごうとする年季の入ったしたたかな爺さん弁護士などもからんできて、さらに人間関係の機微がスリルと笑い、そして相応のペーソスに変る。
 万引き犯罪と故買の流通、さらには逮捕された際の泣き落とし作戦など、それぞれのデティルの積み重ねが実に面白い。

 謎解きミステリ味などはほぼ皆無だし、読者の予見を利用したどんでん返しの類などもほとんどないと思うが、それでも最後まで丸々一冊面白く読めた。こんなのミステリじゃない、という人ももしかしたらいるかもしれないが、ストライクゾーンの広いつもりの評者などは、たまにはこういうのも良いという前提の上で多いに楽しんだ。(ただしラストだけはマンガチックな演出が過ぎる気もしたが、まあその辺は、作者がノリのなかで物語を振り切ってまとめた気分が覗えるようで悪くはない。)

 ちなみに渥美清主演・野村芳太郎監督で映画になっているらしいが、さもありなん。この原作の時点から映像にしたら面白そうなシーンが山積みで、もし自分が昭和30年代当時の映画人で企画に関われる立場だったら、すぐさま映画化の企画書を書いていたろう。そのうち当の映画も観てみよう。

No.560 7点 グリュン家の犯罪- ジャックマール&セネカル 2019/05/29 14:29
(ネタバレなし)
 フランスは「小ベニス」の異名を取るプチット・フランス地区。その週の金曜の朝、猫の餌を集めていた老婦人ディクボーシュ夫人の悲鳴が上がる。市街を流れる河川・イル川に若い女性の死体が浮かんでいたのだ。近所の住人十数人がその死体の存在を認め、一同は警察に通報したあと、近所の居酒屋で土地の人々と懇意の警官、30代前半のルシアン・デュラック警視の到着を待つ。だが警視が着いた時には死体は水面から消えていた! 目撃者たちの証言から、死体は近所の名士である稀覯本の装丁職人ヴォタン・グリュンの息子ドニの恋人で、現在はグリュン家の面々とともにその邸宅に暮らしている娘ディアナ・パスキエではないか? と推察される。早速、知己の一家であるグリュン家を訪ねるデュラックだが、その邸内の一室で、川にあったはずの娘の死体が発見される!

 総ページ数170頁前後、目次を見るとその週の金曜から翌週の木曜にかけての短期間の物語、さらに本文は会話も多く、読みやすいことこの上ない。デュラックとその部下ホルツ警部補の捜査は、グリュン家の家族周辺、さらにはヴォタンをガキ大将的に敬う(ように無言の内に強いられる)近所の人々の集い「サークル」の参加者各人へと広がっていくが、この辺もそれぞれのキャラ立ちがしっかりしていて退屈しない。さすがは劇作家出身の作者たちである。
 終盤の三段階のどんでん返しはなかなかの迫力で、事件の真相には強烈な作中のリアリティがあり、さらにラストにはしみじみとした小説的な余韻を実感させられる。ミステリとしての細部を埋めていく随所のセンスの良さも印象的。手がかりがちょっと後出しっぽい部分がないでもない気がするが、まあ許容範囲であろう。
 推理に行き詰まった末に、ホルツ警部補に向かってある事件関係者の名をあげて「一番怪しくないからあいつが犯人だ」と暴言を吐いてしまうデュラックのキャラクターも笑える。しかしクライマックスの彼は堂々たる名探偵ぶり。シリーズ未訳の作品があるのなら、もっと読みたいぞ。

No.559 6点 乱歩先生の素敵な冒険- 高原伸安 2019/05/28 02:08
(ネタバレなし)
 半世紀の時を経た現在、「私」こと探偵小説作家(本名・上野一平)は、昭和7年、自分がまだ22歳だった時に起きた殺人事件の記録を整理し、小説の形にまえとめた。それは一平の当時の学友・田辺洋が書生として奉公する、何かと評判の悪い実業家・三垣剛造の邸宅で起きた連続密室殺人事件であった。その頃の一平は探偵小説作家の卵で、田辺から秋田県の田沢湖畔にある三垣家の近辺にあの江戸川乱歩がお忍びで宿泊しているという情報をもらい、憧れの大先輩に会えることを期待して現地に向かった。そこで同家に殺害予告状が届いていることを知った一平はやがて、同地に来ていた乱歩とともに、連続殺人事件の捜査に乗りだすが……。

 乱歩の死後、数十年経って公開されたドキュメントフィクションという、半ばメタミステリ的な形を取っている。作者はそれなりに資料を読み込んだらしく、乱歩ファンをくすぐるネタは相応に盛り込んであるが、総じて具をそのまま使った、工夫のない料理の仕方という感じである。
 そもそも「遠藤平吉」の名前を重要な登場人物のひとりに与えるのはいいとして、それが最後まで読んで「だから何?」という思いに駆られてしまった。フツーならこの事件を踏まえて乱歩先生の、あのキャラクターのネーミングは……とかの流れになるハズだよね。その辺はいいのだろうか。

 ひとつの殺人トリックを説明するために連続で6枚もの図版を使ったというのも前代未聞だと思うが、真相はそれに相応しい大仕掛けな馬鹿トリックで、これで本当にまったく痕跡が残らないものかと大いなる疑問が湧く。最後の殺人トリックもなんとも言いがたい豪快さで、ツッコミどころが山のようにある。形ばかりのクローズドサークルの演出もどうもおかしい(連続殺人の場から逃げ出そうと登場人物があがく描写などまったくなく、ちっとも緊張感が出てないので)。
 面白いことをやろうとして、ポイントとなるいくつかの局面で滑りまくった作品という印象。そもそも真犯人の一番大きな行動も……(以下略)。
 まあある意味ではかなりオモシロかった。ダメな作品だとは思うけれど、前述のおバカトリックを主軸に妙な熱量は感じられて、キライになれない。その辺を買って1点オマケ。

【ネタバレ警戒注意報】
作中で堂々と『アクロイド』と『孤島の鬼』のトリックをバラしている。まあその2つを読んでもいないでこんな作品に手を出す人は、かなり変わっているとは思うけれど(笑)。

No.558 6点 轢き逃げ人生- アーナス・ボーデルセン 2019/05/27 16:36
(ネタバレなし)
 デンマークの自動車会社アウトノールが、ドイツの同業企業との合弁組立て工場の設立計画に乗りだす。事業拡張の中、新工場の工場長の内定を受けた三十代半ばのアウトノール社員、ヘンリック・モルクはこの世の春の気分だった。そんな彼は成り行きから町で見知らぬ若者たちと知り合い、彼らのハシッシュパーティに誘われた。本名を名のることもなく一時の饗宴に参加したモルクは、アルコールも入ったほろ酔い気分で若者たちの仲間の車を借りて帰宅するが、路上でひとりの老人を跳ねて死なせてしまう。そのまま現場から逃亡した彼は、車を若者たちから指示された場所に置き、自分の痕跡を消して去る。やがて轢き逃げ事件が報道されるが、モルクは人相を変えて万が一若者たちに出会っても分からないようにと偽装。注意深く過ごし、その後しばらく官憲の手が彼に及ぶことは無かった。だがある日、ひとりの若い男がモルクの前に現れて……。

 1968年のデンマーク作品。ボーデルセンの邦訳長編はこれと角川文庫の『殺人にいたる病』だけだと思うが、そっちの作者名はアーナス・ボーデルセン、本書の邦訳本は「アネルス・ボーデルセン」と和名表記されている。
 内容は、不慮の過失致死を起こしてしまった勝ち組の小市民がおのれの罪科におびえるサスペンススリラーだが、中盤にある重要人物が物語の前に出てきてからは、モルクを行動の主体としたクライムノワールドラマ的な趣も強くなる。翻訳の岩本隼という人はよく知らないが、訳文がめっぽう読みやすく一方で特に不順や不備も感じない、いい仕事をしていると思う。おかげで二段組で文字ぎっしり、230頁前後というやや長めの物語をほぼ一気に読めた。
 新工場長(合併事業で世間的にもウワサになっている企業の重役)という立場でテレビ出演してのスポークスマン役を担い、そんな本来は望んでいない役回りの中で、ノルクが当日にあった若者や警察の目をごまかそうとプロのメーキャップにあれこれ指示するあたりのデティルなんかも面白い。
 ちなみにここでテレビ局のメーキャップ役の女性スタッフがくだらないスリラーだと口でばかり馬鹿にしながら実際には熱心にハドリー・チェイスの「金にまさるものありや?」という作品を読んでいるが、これって題名から察して『暗闇からきた恐喝者』(原題:What's Better Than Money?)であろう。
 さらにこの本には、作者はよく知らないが、と言われながら『見知らぬ乗客』の原作も出てくる。
 ラストはちょっと意外なまとめ方で、全体としてはなかなか面白かった。良くも悪くも心に軽い澱を残して終る佳作。

No.557 8点 断頭台(角川文庫版)- 山村正夫 2019/05/24 20:55
(ネタバレなし)
 作者の1959年から1970年まで約10年にわたるノンシリーズ中短編を6本まとめた一冊。元版カイガイ・ノベルスの巻末には、青山大学系列の後輩作家で交流の深い森村誠一との対談を付加。

 カイガイ・ノベルス版の表紙には「異常残酷ミステリー」なる惹句が表示されていたが、本書もまたその通り、特殊・異常な心理ゆえに実行された逆説に満ちた犯罪=ホワイダニットのミステリを主軸にまとめた一冊。
 文庫版の収録作は以下の通り。

「断頭台」(初出:「宝石」1959年2月 以下同)
「女雛」(「宝石」1963年3月)
「ノスタルジア」(「推理文学」1970年10月)
「短剣」(「推理ストーリー」1965年12月)
「天使」(「宝石」1962年5月)
「暗い独房」(「宝石」1960年3月)

 表題作は、フランス革命の首切り役人を演じる役者の入れ込み具合が主題だが、個人的にはこれが一番フツーの出来。巻末の対談で森村はある種の深読みをしているが、評者にすればその見解はいささか観念遊戯が過ぎると思う。
 それで次の「女雛」は、この作者はこういうものを書けるのか!? と驚かされた秀作。事件の真相への迫り具合に不満な人もいそうだが、個人的には余韻があって良いと思う。のちの、雑誌「幻影城」の新世代作家たちの何人かが目指した方向の、その先駆となるような作品だとも実感(現実にどのくらい影響を与えていたかは、もちろん知る由もないのだが)。
「ノスタルジア」が連想させるのはあの手塚治虫作品、または……と、これ以上書くとネタバレになりそうなので止めるが、本書中では、この短編集の主題のフィールドに一応はとどまりながら、一方でギリギリの枠内……ともいえる一本。悪くはないが、これと表題作が本書中では下位の方だろう。
「短剣」は風俗描写などに現代との相応の違和感はあるが、これこそ正に「幻影城」新世代作家群とリンクするような、そういった種類の意外な逆説に支えられた真相。キーパーソンの心理を考えると、それがどこまでもいびつながら同時に限りなく切なくもあり、しみじみと印象に残る。
「天使」は収録作品中、最も長い一編だが、舞台装置、登場人物の配置、主題、真相の意外性、物語の余韻……その全部において実に鮮烈な優秀作。これもまた「幻影城」系の某作家の<あの名作>を思わせる。これ一本読めただけでもこの本を手にして良かった。
「暗い独房」常識・倫理の基準の誤差を主題とした逆説テーマ。ただし本書の収録作品中、一番時代に負けてしまった作品かもしれない。1990年代から21世紀の現代までの現実なら、こんな人間どこにでもいるしねえ。それでも話の転がし方は巧妙だと思うし、あくまで半世紀前の旧作という勘案の上で秀作。

 前述の通り評者としては今回この本の「女雛」でかなり驚かされ、「短剣」で軽く唸り、そして「天使」で本気で止めをさされた。
 これまで実作者としては三流とまではいかないが、一流半~二流くらいに思っていた作者(すみません……)をかなり見直した一冊。国産ミステリのノンシリーズ短編集としては、個人的に上位クラスである。
 
 余談ながら本書は元版も角川文庫版もAmazonの古書価あたりはメチャクチャ高いみたいだが、数ヶ月前に赴いた、たまに利用するブックオフで角川文庫版を108円で買えた(嬉)。しかし、これで今年の運を使い切ったんで無ければいいけれど(汗)。

【2023年6月26日】
 メルカトルさんの本日の山村作品のレビュー『断頭台/疫病』を拝読して、当方の書いた書誌情報に誤認かあったようなので、改訂しました。ご迷惑をおかけしました。メルカトルさん、ありがとうございます。

No.556 5点 影よ、影よ、影の国- シオドア・スタージョン 2019/05/24 18:17
(ネタバレなし)
 日本で4冊目のスタージョンの短編集。仁賀克雄の監修のもとに幻想・怪奇系を主体に独自の編集・セレクトで、7編の中短編を収録している。
 以下、収録作の備忘メモ&寸評・感想。

『影よ、影よ、影の国』
義母グエンママと暮らす年少の少年ボビー。その奇妙な友人とは? オーソドックスな<子供と魔性もの>の幻想ホラー
『秘密嫌いの霊体』
青年エディが出会った美女マリアには、あるものが憑いていた。中小のアイデアを盛り込んだ幽霊トラブル譚。本書の中では上位のひとつ。
『金星の水晶』
ときは23世紀。かつての宇宙飛行士の老人が、60年前の金星での冒険を語る。最後の「そっちかい」のオチを含めてまあまあ面白い。
『嫉妬深い幽霊』
おれはある日、何者かにつけられているという若い娘に出会う。そして……。『秘密嫌いの霊体』に似た設定だが、適度に差別化されていて面白い。どっちもTV『ミステリーゾーン』の1時間枠路線とかに似合いそう。
『超能力の血』
常人と違う超能力を秘めたぼく。だがそのぼくよりもずっと脅威の超能力者がいた。それは……。話法がひねりすぎて読みにくい。本書中ではスタージョンの悪いところが一番出た作品だと私見するが、人によってはコレが最も彼らしいと言うかもしれない?
『地球を継ぐもの』
人類が滅びかかった未来の地球。人類は自分たちの種の属性あるいは存在意義を、ラッコに託すが……。オフビートな感覚の未来SF譚。最後のオチはアルジャーノン・ブラックウッドの某作品を思わせた(たぶんネタバレにはならないと思う)。
『死を語る骨』
機械工のドンジーはあるものを製作。その効果を友人の警官で試すが……。ドタバタ劇っぽい不条理SF。最後のオチが素直にオチらしいのが、いいのか悪いのか。

 ……中にはまあまあ面白いのもあったが、総評としては、作者らしい(?)しつこい話術が面白さとしてこっちに伝わってこない感じ。特に『超能力の血』は夜中に読んでいて、睡魔と戦うのに必死であった。
 あと読んだあと、内容が記憶からさっさと薄れてしまう話も少なくない。
 日本語版ヒッチコックマガジンのバックナンバーで大昔に読んだ『それ』なんかも、印象深いことは印象深いが面白さがいまひとつわからないし(まあアレはそもそもそういう作品なのかも知れないが)。私はスタージョンと、自分自身でこれまで思っていた以上に、実は相性が悪かったのかもしれない(汗)。
 ……あ、『盤面の敵』は大好きです~笑~。

No.555 5点 アッカの斜塔- 須知徳平 2019/05/23 20:44
(ネタバレなし)
 その年の夏休み。「ぼく」こと英彦と推理小説好きの妹・夏子の兄妹は、母の末弟である学者の卵にしてアマチュア冒険家・「カクさん」こと寺坂格造とともに、岩手県北東部の山村に向かう。同地にはアッカ洞と呼ばれる広大な奥行きの鍾乳洞があり、カクさんは以前にそこであるものを見つけ、今回また再調査に赴くのだ。だがそのアッカ洞の中で、地元の変人「こじき松」が何者かに殴打されて倒れており、さらにカクさんが以前に発見した特異な形状の鍾乳石「アッカの斜塔」が部分的に損壊していた。事件性を認めた英彦と夏子は、土地の中学生、洋介・定八・忠太郎・キエコ・咲子の五人と少年少女探偵団を結成。アッカ洞に遺る長慶天皇の伝説も鑑みながら、事件の真実を追うが……。

 同じ作者のジュブナイル不可能犯罪パズラー『ミルナの座敷』に続く、英彦&夏子兄妹シリーズの第二弾。ただし劇中では特に前回の事件は話題になっていないハズ。解釈としては純然たる前作の後日談(本作では2人は中学生に進学しているようである)と見てオッケーだと思うが、もしかしたら当時の作者的には、設定を初期化した、今で言うパラレルワールド設定のつもりだった? かもしれない。ちなみにまだ今回でも、兄妹の苗字はわからない(笑)。

 本作は「毎日中学生新聞」編集部からの1963年夏の「少年少女向けの推理小説を」という要請に応じて執筆され、翌64年3月20日の奥付で東都書房から単行本として書籍化されている。本文は全176ページ。定価360円。あと1~2年すれば、当時のマルサンの怪獣ソフビ人形が一体買えるお値段だ。
 特にどの叢書の中の一冊という仕様ではなかったようだが、巻末の広告を見ると当時の東都はこの手のジュブナイル書籍の刊行に積極的だったみたいである。

 今回の本作の内容は、一応は密室からの盗難事件という不可能犯罪を扱った前作に比べて謎解きミステリ味が薄いということは前もってwebのウワサなどで聞いていたが、それでも現実に存在する鍾乳洞アッカ洞(正式な漢字表記は「安家洞」)は国内でも最長の奥行き(全長23㎞という)を誇り、その中での探検・冒険ジュブナイルミステリというのはそれなりに楽しくはあった(怪しい大人たちの人物配置が前作から続けて読むと、ちょっとムニャムニャ……な感じはしないこともないけれど)。
 まあ21世紀の現在、ジュブナイルミステリとしての書誌的な素性を知らないで本当に一冊の作品として素で読んだら、かなり素朴すぎる物語ではある。

 ちなみに元本しか刊行されていない上に、その書籍がかなりの稀覯本で、くだんの安家洞が存在する岩手県岩泉町の図書館もぜひとも蔵書に加えたいと思いながら、近年(2014年)まで入手できなかったようだ。評者も今回、運良く借りられたボロボロの本を、これ以上痛めないように注意しながら読了した。東都書房は講談社の系列だから、『ミルナ』の再刊とあわせて青い鳥文庫の名作復刻路線にでも入ってくれればいいんだけれどね。

No.554 7点 わが懐旧的探偵作家論- 評論・エッセイ 2019/05/23 04:12
(ネタバレなし)
 戦後の昭和推理小説文壇のど真ん中にいた作者による、先輩や同年代、一部後輩の同業作家たちを語った貴重な述懐・証言集。大半の記事は「幻影城」誌上や元版で読んでいるが、改めて今回は初めて(文庫版で)丸々一冊通読した。他のミステリその他を読む合間合間に読んでいたので、最初に文庫版を手に取ってから完読するまでに、1年以上かかったが。

 作家それぞれの人間的な地の顔を著者目線で語りつつ、一方でそれぞれの作家の代表作ややはり著者目線での印象的な作品にも積極的に言及している記事の作り方がとても楽しい。
 一部、巧妙に、書きにくい話題を避けているところもあるようにも思えるが、昭和の国産ミステリ全域に濃かれ薄かれ関心がある人(評者のような)なら一度は読んでおくべきだろう。
 何より昭和の探偵小説・推理小説の文壇の世界の形成がなんとなく見えてくるような感覚が実に心地よい。

No.553 6点 フィリップ・マーロウの娘- 喜多嶋隆 2019/05/23 04:02
(ネタバレなし)
 場所はハワイ。「あたし」こと21歳の日本人・鹿野沢ケイは3年前に母国で問題を起こし、親の指示でハワイに追放同然の身になった。現在はパシフィック語学学校に学生として一応の籍を置きながら、観光客相手にマリファナを売って生活費を稼いでいる。そんなケイはホノルル市警の囮捜査で摘発され、ハワイ在留の日本人関係の事件を扱うセクション「日本人対策特捜蚊」のアンダー・カヴァー(秘密捜査官)になることを条件に釈放された。最初にハワイ市警が押しつけてきた案件は、数日前から行方不明になっている日本の大手企業の令嬢・五島広美の捜索。奇しくも広美はケイの友人のひとりであった。ケイは警察の情報と自分で得た手がかりをもとに、広美の行方を追うが……。

 文庫書下ろし作品。喜多嶋作品は初めて読むが、思った以上に、あるいは思っていた通りにそれなり以上に楽しめた。いかにも80年代後半(本の刊行は90年だが)の青年向けフィクションっぽい、独特なドライ感が妙に心地よい(サバサバしたくせに饒舌な文章がなんか居心地良い)。まあリアルタイムで読んでいたらどうだったかな、とか余計なことはあんまり考えないが(当時そのときは、やっぱり自分なりに好き勝手なことをしていた自覚はあるので)。

 謎解き作品としてはそんなに捻った部分はないものの、キャラクターミステリ(国産青春ハードボイルド)としては充分に味がある。読者に背を向けるわけでも馴れ合う訳でもない、主人公ヒロインの造形はなかなか魅力的だ。
 結局シリーズ化はされなかったのかな。続編がもしあれば、いつか読んでみたい。

No.552 7点 燃える導火線- ベン・ベンスン 2019/05/23 03:34
(ネタバレなし)
 その年の9月下旬。アメリカのマサチューセッツ州のケープ・ゴッドで、工事現場から25本分のダイナマイトが盗まれる。同じ犯人と思われる人物はこれと前後して土地の「ヤーマスガゼット新聞社」に匿名の電話をかけて、無軌道な観光客に蹂躙されているこの土地(ケープ・ゴッド岬の周辺)に、義憤ゆえの爆破テロを決行すると宣言してきた。マサチューセッツ州州警察の若手刑事部長、ウェイド・パリス警視は、所轄であるヤーマス駐屯署の署長フランク・キャフーンたちと連携して捜査に当たるが、そんな彼は爆発物盗難事件の周辺で何者かにより命を奪われた大学副教授アーサー・グインドックの殺害事件に遭遇する。パリスはそのまま殺人事件と爆破予告事件を並行して追うが、謎の爆破魔が告げたクライシスの期限は少しずつ迫りつつあった。

 1954年のアメリカ作品。50代の若さで早死にし、創作者としての短い活動期間の間に19編の著作を遺しながら、日本ではわずか5作品しか翻訳されてないベン・ベンスン。邦訳のある作品はみんなマサチューセッツ州州警察の若手刑事部長ウェイド・パリス警視を主人公とするもので、未訳の処女長編も同じキャラクターが主役のはずである。
 評者は翻訳されたその5作品の中では、だいぶ以前に一番原書での刊行時機の早い『あでやかな標的』を読了。これがエラく大好き(以前にオールタイム翻訳ミステリのマイベスト10の一つに選んだこともある)で、残り少ない翻訳作品はゆっくりチビチビ読もうと思っていたのだが、先日たまたま部屋の中からこれが出てきて、結局、気の向くままに今回すぐ読んでしまった。
 幸いなことに本書は、すでに読んでいる『あでやかな標的』に続く順番で原書が刊行された、ウェイド・パリス警視ものの一冊だったようである。
 つーことはこの作中のパリスは、あの『あでやかな~』のラストの直後の彼なのか……といささか感無量な思いにも陥る。(『あでやかな~』のネタバレになるかもしれないから、これ以上は言いませんが。)
  
 それで本作『燃える導火線』だが、やっぱりいいなあ……このシリーズ。創元文庫版220ページ強の紙幅の中に名前の出る登場人物は50人前後とかなり多いが、メインキャラとサブキャラの配置が明確な上にストーリーの流れもハイテンポで頗るリーダビリティは高い。一方で『あでやかな』同様に地味で真面目なところが却って魅力の青年警視パリスのキャラクターは今回もすんごく人間臭くて魅力的だ。殺人事件の関係者である、妖艶な30代半ばの大物女優オリーヴ・ドネア。その彼女にハンサムな若い警視だと翻弄されかけるパリスは一瞬だけ心を惑わしそうになるが、そんなオリーヴは「朝鮮戦争に出征する直前、私に最後に愛の告白の手紙を書いていったのよ」と在りし日、一人の若者がその生涯の最後を自分に傾けて戦死してしまったことを自慢する。パリスはオリーヴに、ではあなたはその戦場に行く若者に別れと無事を祈る返事を書いてあげたのかと問い、相手がそういう気配りをまったくしていなかったことにいっぺんに失望する。こんなやりとりで語られるパリスの、実に普通の人間らしい誠実さと、さらに今回の事件のメインキャラの一人であるオリーヴの、あまりにいびつなしかし一方でその情けないところがどこか切ないキャラクター描写がすごくいい。オレが50年代の往年の、そして21世紀のミステリの、小説の部分に求めるもののひとつはこういう感じの描写なのだ。
 ミステリ的には、殺人事件、爆破事件、そしてさらに別の案件……を並行的に組み合わせた、ごく素朴なモジュラー式の警察捜査小説としての立体感もさながら、それらそれぞれで、犯人と事件の真相の意外性(……かな)、タイムリミットサスペンスと生命の危機に瀕する捜査陣の職業的な矜持など、別々の味わいの妙味を見せている辺りもステキである。読了後に「地獄の読書録」を確認すると小林信彦は本書を「パリスものでは下位の方」と評しているけれど、コレで下位なら残る未読の邦訳3冊も相応に面白いのであろうな。んー(まあ最終的にはいつもながら、自分の目と心で確かめることではあるのだが)。

 ……あー、パリスものの未訳作品、今からでもどっかからか出ないかな。論創さんか、はたまたウワサの山口雅也センセが陣頭指揮の原書房の新規の叢書とかで、ヒラリー・ウォーあたりと併せて発掘してくれないだろうか。

No.551 6点 きんきら屋敷の花嫁- 添田小萩 2019/05/19 04:10
(ネタバレなし)
 「わたし」こと、銀行の窓口で働いていた27歳の派遣社員の知花(ちか)は見合い結婚で、金融会社を経営する飯森家の長男・時生と結ばれる。都会から離れた飯森家に嫁ぎ、夫の両親そして親族一党内の実権者らしい老女「大おばさん」と5人での同居生活を始める知花。だが飯森家には時生の妹・奈々子とその夫の圭史を初めとして多くの親戚の出入りが始終あり、その一方で親戚以外の人間は極力排他されていた。やがてほぼ平穏な数ヶ月の日々が過ぎ、知花が飯森家の生活になじんだ頃、彼女は義母の時枝から森の奥に行き、あるものを持ち帰るようにと指示を受ける……。

 第8回「幽」怪談文学賞・長編部門特別賞受賞作品。角川ホラー文庫のレーベルで刊行された200頁弱の紙幅の作品(裏表紙には「きんきらゴシック・ロマンス」とある。きんきらの意味はナイショだ)だが、ホラーというよりは現代のおとぎ話+長編仕様の「奇妙な味」と言った趣の内容。ヒロイン(主人公)が森から「こういうもの」を持ってくるとは思わなかった。
 面白かったが、一種の寓意性もあるようで、その意味では怖さよりも人間の(中略)を見つめるしみじみとした情感も授かったような気もする。まああとからじわじわと恐怖が生じてくるタイプの作品かもしれないが。
 なお本書の巻末の周辺に選考委員達の講評と一緒に、賞に応募時の仮題が掲載されているが、その仮題(タイトル)を見るとちょっと内容のネタバレになる可能性もある? ので、出来れば読み終わるまでその辺は見ない方がいいかもしれない。

No.550 7点 のっぽのドロレス- マイクル・アヴァロン 2019/05/19 03:45
(ネタバレなし)
 「おれ」ことニューヨークに事務所を構える不景気な私立探偵エド・ヌーンは、191㎝の身長の大女ドロレス(ドロレス・エーンズリイ)の依頼を受ける。その内容は同じサーカスの芸人で婚約者でもある、彼女以上の長身のロデオ乗りハリー・ハンターの行方を探してほしいというものだった。だがヌーンが調査を開始するや否や、知り合いの警察内の情報屋を通じて当のハリーが死体で発見されたという事実が判明する。ヌーンはドロレスのいるホテルに赴くが、そこで彼はまた死体に遭遇。ドロレスは借りていた部屋から姿を消し、ヌーンは殺人事件の容疑者となるが。

 1953年のアメリカ作品。50年代のアメリカ軽ハードボイルド(および準正統派ハードボイルド)は、ホームズのライヴァル時代に匹敵するくらいにきら星のごとくレギュラー探偵キャラクター(主に私立探偵)が登場した。
 そんな中で他の探偵キャラに抜きん出て人気を博すために重要だった要素のひとつはわかりやすいキーワードだったろう。「元私立探偵のルンペン」「アル中」「妻を寝取られ」からカート・キャノンが、「赤毛」「コニャック」「マイアミ」からマイケル・シェーンが、「銀髪」「刀傷」「元海兵隊」からシェル・スコット……そのほかもろもろが世代人に連想されるのは、「正体不明」「紐の結び目」から隅の老人が、「盲目」「指先の感覚」「超人的な記憶力の従僕」からマックス・カラドスがすぐ思い起こされるのと一緒だね。そういう意味じゃエド・ヌーンは当時の私立探偵キャラとしては特に目だった記号的なキーワードも備えておらず、地味すぎる。50年代軽ハードボイルド界のマーティン・ヒューイットか。
 そういう訳で<(原書でも翻訳でも)読んだ人の評判はいい>というウワサを聞きながらこれまで手を出さなかったエド・ヌーンものだが、このたび蔵書を引っかき回していたらシリーズ第1作である本作が出てきたので、購入してからからウン十年目にして初めて読んでみる。

 ……いや、なかなか面白いではないの。正直前半は50年代軽ハードボイルドの定石を良くも悪くも踏んでいるような展開だが、中盤でミステリ的な大技(中技かもしれん)を見せると同時に、正統派ハードボイルドの心意気にぐっと近づき(まあその辺は実はこの時点では、主人公ヌーンよりも別のキャラの描写に感じられたのだが)、加えて後半、筋立てのベクトルが明確になってからはさらに物語に加速感が増してくる。
 ちなみに多分これは本作と「ソッチ」の作品の双方を読んでわかることだからネタバレにならないとは思うけど、その中盤のキモとなるミステリ的な趣向はのちに70年代後半に開幕するアメリカの某人気ミステリシリーズに影響を与えているような気がする。同じシリーズ第1作目でこれは……というには暗合が過ぎると思うので。
 
 なお後半のツイストに関しては、kanamoriさんのレビューでバラされてしまった(kanamoriさんは曖昧に書かれたおつもりのようですが、アレではちょっと……)のがいささか残念。まあ素で読んでもわかったかもしれない、児童向けクイズなみの判じ物ではありましたが(それでも警戒される人は、kanamoriさんのレビューを読まない方がいいです)。
 それで本作のラストはミステリ的にどうのこうののネタバレはしませんが、予想外にやせ我慢・ハードボイルドの精神に富んでいてスキ。

 改めて言うけど最後まで一冊読んでも主人公ヌーン自身には、記号的なポイントとなるキャラクター性って希薄なんだよな。ただしヌーンが私立探偵主人公として魅力がないかというと決してそんなことはない。ちゃんと良い意味でのセオリーとしていろいろやるべきことはやっているし、譲れない職業倫理の線引きも心得てもいる。ただまあ、あの供給過剰時代にあって、この(表面的な意味での)キャラの薄さはやっぱり弱かったと思うねえ。セックス描写というかエッチ描写&お色気シーンも一応は用意されているものの、カーター・ブラウンみたいなニヤリとさせるコミカルさはなく全般的にどっかお上品だし。そういう意味では中途半端な面もなくはない。
 ただしそんな一方で、職人ミステリ作家らしいサービス感も随所に提示してるし、日本で翻訳が二冊で終ったのは今さらながらにもったいなかった。
 いや今までまったく応援の旗を振りもしないで、そんなことを言えた義理じゃないんだけど(汗)。

No.549 5点 野望の猟犬- 三好徹 2019/05/16 19:57
(ネタバレなし)
 四半世紀にわたって永田町の裏も表も見続けてきた、業界紙(タブロイド紙)「政界新報」の発行人にして編集主幹である60歳の太刀川。そんな彼は「槍の太刀川」の異名で斯界では一目置かれていた。現在の政界新報は、半官半民の大手電気会社「電力資源」が計画した北アルプスの大型ダム工事に建築界の不正入札があった疑惑に迫っていた。だが同社の社内で太刀川が射殺され、しかもその殺害されたはずの時間には、周囲にいるはずの犯人の姿が確認されない不可思議な状況だった。政界新報の若手記者・福地健介は太刀川の死の真相を追うが、やがて何物かが太刀川が公開しかけた新聞記事を闇に葬った痕跡が明らかになってくる。
 
 昭和期の政界の黒い霧に切り込んだ社会派ミステリ。1960年代半ば、建築界の東京オリンピック景気が一段落して、70年代初頭の列島改造ブームが来る前の時節の作品である。小説内の記述(作者の取材)が正確なら、もうこの60年代半ばの時点で国内に大型ダムを造る場所は開発しつくされていたそうで、これはひとつ勉強になった。
 物語の3分の1を過ぎたあたりから、青年主人公・健介からの視点を主体に、太刀川の殺害事件を追う警視庁の捜査陣の描写を随所にまじえた立体的な展開になるが、そのなかで、絶対に外部に漏れないハズのとある建設会社の入札提示額がどのように漏洩したかという一種のハウダニットの謎も提示され、なかなか読み応えがある。扱う主題に沿ったメッセージ性の強い作品ながら、最後はちゃんと太刀川殺害の謎についてフーダニットとハウダニットの興味を満足させているのは一応の評価。

 難点は登場人物が多すぎて読みにくい(その分、事件の構造もくどい感じがする)、さらに中盤の健介の出張取材時の回想など、時間の推移が読み取りにくい(どうしても時勢的に行ったり来たりをしたいのなら、章ごとの最初に日付を入れてほしかった)……といった辺りが、ちょっとキツイところ。ラストも当時の大人向けの小説っぽい苦みを狙ったんだろうと思うけれど、今これをやったら単なる厨二的な照れ隠しだよね。
 あとこないだ読んだ佐野洋の『再婚旅行』もそうだったんだけれど、どうしてこう新聞記者出身の昭和期の作家の長編って、登場人物の描写が簡素というかそっけない(ビジュアル的に体格がどうとか、日焼けしてるとかそうでないとか書かない)んだろ。本作も全部が全部というわけではないけれど、かなりの登場人物の叙述がそんな感じである(特に前半から中盤にかけて)。まあ通例の新聞記事なんてズバリ、人物の情報は名前・素性・年齢だけ書けばいいのだろうが。

No.548 6点 裏切りの空- ハーマン・ウォーク 2019/05/16 03:01
(ネタバレなし)
 1944年8月6日。歴戦の戦闘機乗りである海軍中尉ウィラード(ウィル)・フランシス・スラッタリーは、自分が操縦する戦闘機で日本軍の軽巡洋艦サガコを撃沈するが、その手柄を卑劣な上官ラインハルト中佐に横取りされる。すっかり海軍に嫌気がさし、愛国心も失ったスラッタリーは、戦後はホテルマンを経て製菓企業の経営者であるミルン老人に雇われ、小型機の貨物パイロットを務めていた。そんなスラッタリーを慕うのは、ミルンの秘書かつ折衝役の娘ドロレス(ドロー)・グリーブズ。スラッタリーはぬるま湯的な状況の中に居心地の良さを感じていたが、ある夜、戦時中の無二の戦友フェリックス・ホブスン(ホビー)に再会。彼は現在も海軍に所属して気象観測チームに従事し、しかもその上官はかのラインハルトであった。さらに事態をややこしくすることに、スラッタリーはホブスンの愛妻であるラテン系美女の歌姫アギーに惹かれてしまう。かたやアギーもまた夫を愛しながらも、男臭いスラッタリーに魅せられていく。そんななか、ホブスンの気象観測チームの調査対象の海域に、未曾有の規模の巨大ハリケーンが発生しようとしていた。
 
 解説によると1948年に書下ろされた米国作品だが、本書巻頭のコピーライトは1956年になっている。作者ハーマン・ウォークは『ケイン号の叛乱』『戦争の嵐』の二大メジャー作品で日本でも著名だが、本作は20世紀フォックスのリチャード・ウィドマーク、ヴェロニカ・レイク主演映画の企画のためにそのウォークが当初から映像化を見越して著述した作品らしい。
 邦訳版の帯にも巻末の解説にも「航空冒険小説」と銘打ってあるが、実際にその興味で読むと高空を舞台にした冒険要素はそんなに多くなく(航空シーンそのものはそれなりにあるが)、むしろメインキャラ4人の男女の愛情四角関係とパイロット同士の友情ドラマの方で読者の興味を引っ張る作り。肝心の映画は日本未公開のようで評者も未見だが、たぶん出来ていたものは飛行機のシーンよりも人間ドラマに重きを置いた作りになっていたと思える。
 1950年代のアメリカ庶民派っぽいモラリティとメロドラマの方は心地よいが、一方で、マトモな手柄を立てた主人公ではなく小狡い上官に勲章をやってしまった海軍の上層部(戦時中のお偉いさんで今は前線を退いた提督)が戦後になって自分から過ちに気がつき、主人公を改めて表彰する描写は、『ケイン号』の作者ウォークらしい一回ひねりの軍隊ヨイショっぽい。もしかしたらさらに深読みすれば、海軍のいい加減さを揶揄していたのかもしれないが。

 1970~80年代にテレビの深夜劇場でたまたま観た50年代の白黒映画がなかなか楽しめた……的な感じで、読んでいる間は心地よい感触もあったんだけど、前述の通り航空冒険小説としては薄いので(クライマックスも実際にハリケーンの中を飛んでいるスラッタリーの方にカメラを合わせず、地上の面々の方ばかり描写する。ここらもいかにも、映画撮影の都合を考えた感じ)、最後まで読みおえた瞬間に、それまでは一旦は盛り上がっていた高揚感とこの作品への評価が、自分のなかでかなり落ち着いた。
(ただしネタバレになるのであまり言わないようにするが、ハリケーンに挑む冒険小説要素以上に、もっと通常のミステリ、クライムストーリーっぽい部分も一応は用意されている。)

 なお邦訳の114頁、アギーとの許されない恋に悩むスラッタリーが眠れないので就眠儀式用に『戦争と平和』を手に取るが、結局は眠気が襲ってこないで、以前に読んだ時よりもずっと興を覚えてしまい、4日間で完読。その結果「レイモンド・チャンドラーなんかより、ずっとわくわくさせるぜ」とほざくのには大笑いした。本書がもし1948年に書かれていたのなら、スラッタリーは第四長編の『湖中の女』(1943年)までは読んでいたかもしれない。んー『かわいい女』(1949年)って、先行で雑誌に掲載・連載されたんだっけ? もしそうならソコまでは目を通していた可能性はある。

No.547 5点 鯨のあとに鯱がくる- 新羽精之 2019/05/14 18:05
(ネタバレなし)
 五島列島の北にある小値賀(おじか)島。その近海でアクアラングをつけて潜水していた若者の溺死体が発見される。死んだのは長崎県の老舗衣料店「松浦(まつら)」の若主人で、現代俳句界でも新星と目されていた志筑雄一郎(30歳)。多才で行動的な雄一郎は政治活動家でもあり、初期は保守系だったがある時を機に革新派に転向。佐世保で公害反対の市民運動を行っていた。当初は事故死とみなされた雄一郎だが、彼の妹・佐保の恋人で、地方紙「九州新報」の記者である兵主(ひょうず)有平は、あることからその死因に不審を抱く。やがて雄一郎の手帳に残されていた「鯨のあとに鯱がくる」という謎の文句が発見されて……。
 
 昭和33年に夏木蜻一の筆名で「宝石」増刊号にデビュー。その後昭和37年に新羽精之に改名、昭和50年代には「幻影城」誌上でも活躍した作者の唯一の長編ミステリ作品。
 正統派のパズラーでなく社会派の色彩の強い作品という予備知識はあったが、佐世保の造船業の衰退、公害問題に放射能汚染の問題、さらには昭和50年代半ばの九州地方への大手資本の進出……などなど、語られる主題はかなり多い。特に国内の原発の設立の意義を訴える登場人物の見識などそれを肯定するにせよ反発するにせよ、2011年の福島原発の災害を経た今現在の方が、実感を伴う面もある。
 キーワード「鯱」の実態もそう来るか、という感じの真相で物語の流れからいえば当然といえば当然だが、ある意味で直球過ぎる謎解きが評者などにはかえって印象的だった。1977年の書きおろし作品で、作者は以前から九州の人間だったが、当時70年代後半の同地の状勢を探るには良い資料になるかもしれない。そういう意味では興味深かった。
 ミステリとしては序盤からの溺死事件の真相、中盤に登場する時間差? 毒殺? 事件のトリック、さらには突発的な幽霊騒ぎなどいくつかのギミックが盛り込まれているが、なんかそれぞれどれも、良くも悪くも「宝石」のマイナー新人作家系らしい組み立て方という印象。犯人の暴き方が完全にフーダニットの文法を放棄しているのは、まあそういう作品ではないということで許せるにせよ。
 登場人物の頭数が多い割にいきなり本文中に固有名詞を出したり(小説後半の末吉教授とか)、あんまり文章もこなれてはいない。
 あと主人公が、情報をくれる後輩の記者とかに対していちいち怒り過ぎ。読んでいてあまりいい気がしない。登場人物にそういう描写で人間味を見せようとして滑ったか、あるいは現実のなかで作者があてこすりたいモデルでもいたのか?

 前述の、当時ならではの社会派ミステリ的なメッセージをいくつか熱く叫ぼうとした意欲は感じられてそこら辺はキライになれないけれど、正直やや退屈な作品ではあった。評価は0.5点くらいオマケ。

No.546 7点 溶ける男- ヴィクター・カニング 2019/05/13 18:53
(ネタバレなし)
 1960年代の英国。その年の9月。「俺」こと30代の私立探偵レックス・カーヴァーは、貯金通帳の残高に少しばかり余裕ができたので、今年も恒例の休暇期間に入ろうとしていた。だが共同経営者兼秘書で35歳の独身女性ヒルダ・ウィルキンスンが、新規の依頼の相談がきたと告げる。依頼人は60歳前後で2m以上の体躯を誇る大富豪カヴァン・オドヴダで、彼は盗難にあった自家用車の回収をカーヴァーに願い出た。相応の経費を使う捜索に見合わないと思える価値の車輌にカーヴァーは不審を抱き、何らかの機密が車体に隠されているのか? と考えた。やがて調査を始めたカーヴァーは、依頼人オドヴダが、亡き彼の妻の連れ子である美人姉妹ジュリアとゼリアから敬遠・嫌悪されていることを意識する。カーヴァーが調査を進めるそんな案件は、当初の予想とは大きく異なる国際的な事件へと拡大していった。

 1968年の英国作品。本国では4冊のシリーズ長編が刊行された、私立探偵レックス・カーヴァーものの長編第四弾で、少なくとも長編としてはこれが最終作品。日本では本シリーズはこれしか訳されていないし、そもそもカニングの(一般・大人向け)長編ミステリも本書を含めて3冊しか翻訳がない。なおごく私的な話題ながら、カニングといえばしばらく前から机の脇に『階段』が置いてあるものの、そちらも『QE2を盗め』も未読で、最初に読んだのがコレになった(中短編は何作か日本版EQMMやHMMで読んでると思う。内容はほとんど忘れているが)。
 今回、本書を読んだきっかけは、先日刊行されたミステリ研究評論ファンジン『Re-ClaM』第2号(おっさんさんも本サイトの掲示板で話題にしている)で、<あまり語られざる論創海外ミステリの佳作・秀作>という感じでこの一冊を取り上げてあって、興味を惹かれたからである。

 それで本書の表紙周りでも巻頭の解説(この時期の論創海外ミステリは巻頭に作品解説を掲載)でも書かれていたとおり、本作の特色はハードボイルド私立探偵小説が当時(60年代後半)の時流だったスパイ小説に接近……というか、この私立探偵レックス・カーヴァーのシリーズ総体がそういう感じらしい。とはいっても当初からそのつもりで読むと、そんなに極端に強烈な国際的謀略とかに踏み込むこともなく、まあ市井のなかでの大事件の着地点がそっちの方に最後は向いたね……というぐらいの印象だった(極力ネタバレにならないように書いているけど)。そりゃまあ、登場人物の国籍が複数にわたったのは事実だが。

 そういうわけで、通例の一流半の英国派私立探偵ハードボイルドミステリとしてフツーに読んでもいいんでないの? という感じだが、改めてそのつもりで作品に付き合っていくと、とにもかくにも物語全体に勢いのあるドライブ感が充満で面白い。展開が早い、登場人物がくっきりしている、各シーンに見せ場と趣向が用意されている……と、読みもの作品として、エラく筆が達者。
 ああこれは確かに、すでに読んだ人が世の中であまり評価されてないことを残念がる作品だね、という思いに至る。
 マクガフィンとなる、とある機密がやや直球すぎて(その真相自体も、その対象に向かう各登場人物たちの動きも)、まあその辺は60年代だなという時代的な違和感もなくはないが、そこら辺を割り切れるならば、最後までアンコの詰まったエンターテインメントとしてすごく楽しめる一冊だった(ラストの山場の盛り上げ方も、ほかにはなかなか見られないクレイジーぶりだよ)。
 シリーズの残りもこのレベルなら、せめてあと一冊くらいは翻訳してくれんかな、という思いである。

 ちなみに最初から最後まであくまで仕事上のパートナーに徹して恋愛感情を毫も主人公との関係性に持ち込まない女性秘書のヒルダ・ウィルキンスンの描き方は、ハードボイルド私立探偵小説でこういうのもアリなのだな、という印象である。その手のポジションのヒロインといえば、マイク・ハマーにとってのヴェルダ、マイケル・シェーンにとってのフィリスやルーシィが基本の評者にとってはあんまり面白くないキャラクターではあるけれど、いつかこのシリーズをまた一二冊日本語で読める機会でもあれば、その変化球的な個性が魅力となって見えてくるかもしれない。

■重箱の隅的な、いつもの論創編集部への苦言……
 196頁の最後から5行目。「トニーが」は「オットーが」の間違いではないでしょうか? トニー本人が、別人を主格にして話題にしてるんですけれど。

No.545 8点 ブロードウェイの出来事- デイモン・ラニアン 2019/05/13 17:18
(ネタバレなし)
 禁酒法時代(1920~33年)をふくむ30~40年代のアメリカ市民の人間模様を活写し、特にブロードウェイを舞台に、小悪党や若い娘たちを主要キャラとした連作的な短編群で、世代を超えて親しまれるデイモン・ラニアン。日本では60~70年代の「日本版マンハント」「ミステリマガジン(日本語版EQMM)」そのほかで随時紹介され、その頃からミステリファンを主軸とする幅広い読書人の絶大な支持を集めていた。
 O・ヘンリーを思わせる庶民ストーリーと人情譚風のヒューマンドラマは時に狭義のミステリの枠から離れかけることもあるが、一方でE・クイーンなどは、ラニアンの代表的な(原書の)短編集『野郎どもと女たち(Guys and Dolls)』(同題の日本語版の短編集とは収録作品が異なる)を、ちゃんとあの「クイーンの定員」の一冊に選んでいる。評者の私見では、もっともイキな「クイーンの定員」のセレクトのひとつ(嬉)。

 本書『ブロードウェイの出来事』は、ラニアンの作品群を日本に広く紹介し、その魅力を認識させた翻訳者・加島祥造が先行する『野郎どもと女たち(日本版)』に続けて日本独自のセレクトで集成した二冊目の短編集。
 元版は1977年9月15日の奥付で単行本が出ていたが、のちにラニアン短編集の叢書「ブロードウェイ物語」シリーズの第二巻『ブロードウェイ物語2 ブロードウェイの出来事』(87年11月)として新装再刊されたようである。今回、評者は元版で読了。

内容は
「レモン・ドロップ・キッド」 The Lemon Drop Kid
「三人の賢者」 Three Three Wise Guys
「マダム・ラ・ギンプ」 Madame la Gimp
「ブロードウェイの出来事」 Broadway Incident
「ユーモアのセンス」 Sense of Humor
「世界一のお尋ね者」 The Hottest Guy in the World
「世界一のタフ・ガイ」 Tobias the Terrible
「ダンシング・ダンのクリスマス」 Dancing Dan's Christmas
と、先にHMMなどに翻訳掲載されたものの再録をふくめて8本の短編が収録されている。

 ラニアンくらい、その魅力を知ってる人には「語る言葉など不要」で、かたやまだその魅力を知らない人には「実作をまず2~3本読んでください」という言葉が似合う作家はいない、という気もする。とにかく当時のアメリカの下流中流社会の庶民を鮮やかに描きながら、時に真っ当な人情で事態が好転する場合もあれば、人生や運命の苦い皮肉で物語を意地悪くまとめることもある。でもその底流にある「人間って素晴らしく、そしてくだらない」という独特のペーソス感(のようなもの)は何物にも代えがたい。

 今回の読書は一二編を除いて大半が再読だと思うが、加島訳の素晴らしさもあってその世界をみっちり堪能した。8本の中から一編もし個人的に選ぶとすれば、やはりマイベストは「レモン・ドロップ・キッド」かな。主人公もヒロインも、あの重要なサブキャラもそしてラストのこれぞ……という味わいも大好きだ。まあほかの作品との評価差なんて本当に僅差なのだが。
 ちなみに今回再読してみて、意外にラニアン作品は(少なくとも本書に収録分は)記憶していた以上にクライム・ノワール的な意味でのミステリ味が時に濃厚なのに気がついた。「ブロードウェイの出来事」「ユーモアのセンス」あたりはその意味でもツイストの利いた秀作だね。

 あと再発見としては、ラニアンのブロードウェイものは世界観が同軸の基盤にあっても、同じ登場人物は出てこないと今まで認識していたが、実際には「世界一のタフ・ガイ」 と「ダンシング・ダンのクリスマス」の双方に顔を出す酒場の主人「グッド・タイム・チャーリー」など例外もいるみたいだったんだな。これは楽しい発見だった。
 まあとっくに知っているラニアンファンには、何を今さら(笑)の事実かもしれないが。

No.544 6点 予告された殺人の記録- 高原伸安 2019/05/12 17:34
(ネタバレなし)
 「私」こと若手心理学者の平田一郎は、NYの美術館で出会った23歳の娘・間宮由美と惹かれ合う。平田は自宅があるロサンジェルスに由美を連れて帰り、友人たちに彼女を紹介した。だがそれと前後して、平田に何か情報を託しかけた友人の私立探偵J・B・オコーネルが強盗事件に巻き込まれて命を落とし、さらにそのオコーネルの相棒の探偵ロバート・ボウイも何者かに毒殺される。二つの悲劇に衝撃を受ける平田だが、彼の周辺ではさらなる怪死事件が幕を開けようとしていた……。
 
 「『アクロイド』を越えることに挑戦した」と表紙の折り返しで声を掲げ、さらにあとがきでは<海外の某・技巧派長編ミステリに対抗した>と豪語する新本格ミステリ。どんなものが来るかと楽しみにしていたが、良くも悪くも「ああ、その手のパターンか」ではあった。もしかすると作者は、本書以前の先行作のアレもアッチも、読んでいないかもしれない。ただし以前からあるくだんの大ネタに<中略>というアイデアを加えたところは、ひとつの創意とはいえるだろう。まあミステリファンとして、話のタネに読んでおくのはいいと思う。
 なお密室については、もうちょっとうまく面白そうに演出してほしかった。作者にとってはソコが勝負所じゃないという姿勢は見え見えにせよ。

【ネタバレ警告注意報】
・本書の27頁で『薔薇の名前』の大仕掛け? をバラされてしまった。評者はまだ未読なので腹立つ。
・あとがきも先に読まないように。本書のネタを大割りで、ミステリファンの中にはあとがきから読む人もいるという認識が作者にはないらしい。評者はそっちの方は回避できました。

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人並由真さん
ひとこと
以前は別のミステリ書評サイト「ミステリタウン」さんに参加させていただいておりました。(旧ペンネームは古畑弘三です。)改めまして本サイトでは、どうぞよろしくお願いいたします。基本的にはリアルタイムで読んだ...
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アガサ・クリスティー(18)
評論・エッセイ(16)
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