皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
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人並由真さん |
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平均点: 6.34点 | 書評数: 2199件 |
No.859 | 7点 | 棺のない死体- クレイトン・ロースン | 2020/06/03 16:57 |
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(ネタバレなし)
「ぼく」こと「ニューヨーク・イブニング・プレス」の若手新聞記者ロス・ハートは、アメリカの軍需工業界の大物ダドリ・T・ウルフを取材し、その一人娘ケースリン(ケイ)と恋仲になった。娘と若造記者の恋愛を認めないウルフは自宅に来たロスを追い返すが、その夜、ウルフの邸宅に謎の怪紳士「スミス」が来訪し、何らかのネタでウルフを脅迫する。激昂したウルフはスミスを過失で死なせてしまい、邸宅に来ていた医学博士シドニイ・ハガートや秘書のアルバート・ダニングに協力させてその死体を森の中に埋めた。だが間もなく、ウルフ邸のなかにそのスミスのものと思われる幽霊? が出没。やがて起きた殺人は、その幽霊の実態「死なない男」の仕業なのか? 1942年のアメリカ作品。 ロースンの短編は邦訳されたものはショートショートを含めて全部読んでるハズだが、長編を読むのは実はこれが初めて。だってロースンの長編って「ややこしい」「筋が込み入ってわかりにくい」とか、思わず二の足を踏んでしまうような悪評ばっかなんだもの。 というわけで本来ならマーリニー(本書ではこの名前で日本語表記)の長編第一弾『帽子から飛び出した死』から入るべきなんだろうけれど、一番外連味が強そうに思えたコレを最初に。不死の男の殺人!? 聞くからに王道で面白そうでないの(笑)。 でまあ前半はメチャクチャ快調です。大昔に短編で会ったこともある? ハズのロス・ハートってこんなキャラだっけ!? と思うくらいに、まるでアーチー・グッドウィンのドタバタラブコメミステリ風だし。 その一方でウルフ邸で起きる小中規模の事件の積み重ねが、次第に非日常的なオカルトミステリ&不可能犯罪の世界に転じていく流れもハイテンションでもうたまらん。 あとどうでもいいけれど、マーリニーの会話での一人称が「おれ(一部で「わし」)」なのには軽くびっくりした。 (ただし田中西二郎の訳文はあまりよくない。昔、小林信彦が「すごく読みやすい」とホメていた記憶があるが、今の目で見るとかなり雑である。あと、これは翻訳のせいではなく編集の手抜きと思うが、フリント警部補の名前がフリトンになったり、いくつか誤植も目立つ。) とはいえ後半、あーあ、やっぱりこうなるかという感じで、真相の解明の複雑さはかなりシンドイ。正直、ついていくのがやっと。これは空さんのレビューの気分がよくわかる。カーの長編の影響? もさることながら、凶器の隠し方についてはあの(中略)のかの作品もインスパイアの元に? あと、こういう作品だから仕方ないとはいえ、マーリニーのオカルトや奇術の歴史についてのペダントリーも楽しいような煩わしいような、いささか微妙。ホントーはもっと作家の作風・個性としてこの辺りを楽しむべきかもしれんけど。 というわけでロースンの長編はやっぱウワサ通りのロースンの長編だった、という感じであった(笑)。ただまあこの猥雑さが味といえる一面もあるような気もするので、一概に否定はできない。最後の二転三転する真相への肉迫も、作者の十分なミステリ愛を感じるしかないし。 それゆえ評点は0.5点くらいオマケ。 しかし、とりあえずロースンの長編をコレから読んだこと自体はチョイスとしては悪くなかったとは思うけれど、次はどれを読めばいいのであろう。そのセレクトそのものもしばらく楽しもう(笑)。 |
No.858 | 7点 | 殺人の色彩- ジュリアン・シモンズ | 2020/06/03 15:56 |
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(ネタバレなし)
1950年代のイギリス。「ベイリングス・デパート」のクレーム処理係で20代後半のジョン・ウィルキンズは、2歳年上の妻メイ、近所に住む母親メリー、メリーと同居するジョンの叔父ダン・ハントンたちと平凡な日々を送っていた。だがそんなジョンを悩ますのは彼自身に瞬間的に生じる癇癪と、さらにより重症な短期の健忘症であった。ジョンはその年の四月、図書館で働く娘シェイラ・モートンと出会い、妻帯者であることを隠して彼女をデートに誘う。しかしこれが、のちにジョンが殺人容疑をかけられて法廷に立つ事件の開幕であった。 1957年の英国作品。石川喬司の「極楽の鬼」の書評の中のある記述に気を惹かれ、昔からメチャクチャ読みたかった作品。とはいえ古書価が高めだったのでガマンしていたが、Amazonでこないだ少し値下がりしたのですぐに注文。届いたらその日から読み出し、実質一日で読了してしまった。 物語は三つのパートで構成。第一部「事件以前」と第二部「事件以後」で本文のほぼ大半を為し、最後のエピローグ「結末」で(以下略)。 内容についてはあんまり書かない方がいい種類のサスペンス作品だし、法廷ミステリだが、個人的にはシモンズのこれまでの最高傑作と思っていた『二月三十一日』に匹敵するかいいところまで勝負を挑めるくらいに面白かった。今回もマーガレット・ミラー的な食感を感じさせる幕切れである。 ただしあまりに強烈な『二月三十一日』のラストと違い、今回は最後の真相が(丁寧な伏線のおかげで)ある程度は読めてしまう面もあるので、その辺りは減点。その一方で小説としては『二月三十一日』よりもずっと読み応えがあった。 しかし『犯罪の進行』とあわせて、この数年に読んだシモンズ作品で面白くなかったものはひとつも無いんだけれど、前述の「極楽の鬼」での石川喬司の物言いは(本作をかなり褒めながらも)「シモンズはしょせんは眼高手低の二流作家」なのね。 評者の場合、本書を読んで、いやそんなことはないだろ、当たり外れは多少あるにせよ、シモンズはまぎれもない20世紀後半の英国ミステリ界のA級実作者だよと改めて実感したが、そうしたらTwitterで、あの川出正樹氏が2012年に 「『二月三十一日』『殺人の色彩』『犯罪の進行』『月曜日には絞首刑』『自分を殺した男』『クリミナル・コメディ』、どれも今読んで面白く眼高手低などとんでもない言いがかりだ。ちゃんと通読すれば解るけれど『ブラディ・マーダー』も単純な探偵小説排斥論の書ではない」 と喝破してるのを見つけて、大いに意を強くした(笑)。 少なくとも石川喬司のシモンズへの物言いには、確実に問題があるよ。 ちなみに本書ポケミスの裏表紙のあらすじだけど、記述の後半部分は実際の内容と似たようなことを書きながらかなりデタラメです。 事件の起きる直前の経緯も違うし、殺人方法も裏表紙に書かれているような刺殺ではない。R・S・プラザーの『消された女』の裏表紙同様のいいかげんさ。 本書巻末の解説でも『二月三十一日』を『二月十三日』と記述してあるし、責任者は署名「N」……つまり長島良三あたりか? |
No.857 | 6点 | 伯爵夫人の宝石- ヘンリー・スレッサー | 2020/06/03 14:59 |
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(ネタバレなし)
『うまい犯罪、しゃれた殺人』『ママに捧げる犯罪』『夫と妻に捧げる犯罪』の短編集3冊でその軽妙洒脱なストーリーテリングと語り口に酔い痴れ、さらに『ヒッチコッック劇場』の再放送で、スレッサーは本当にオモシロイ! と実感した昔日。O・H・レスリーやジェイ・ストリート名義のものまで含めて上記の短編集3冊に入っていない邦訳短編を追い求め、日本版「ヒッチコックマガジン」や「宝石」「別冊宝石」でスレッサーの短編に出会える(「手長姫」とか)と、心の中で快哉を上げたものだった。 (のちに藤子・F先生をはじめとしてトキワ荘の面々もスレッサーを愛読していたのを聞いて、そうでしょう、そうでしょうと得心がいった。藤子・F短編、特に『エスパー魔美』とかのストーリーの組み立て方には、スレッサーに通じるものがある。) 本書は日本でオリジナルに編纂されたスレッサーの短編集で、非シリーズものの短編集としては上記の3冊に続けて4冊目(1999年に光文社文庫から刊行)。 全17本の短編が収録されているが、執筆時期は1970年代末~1990年代のものがほとんど(一本だけ1964年の旧作を収録)2002年に物故したスレッサーの作家生活のなかでは後期に書かれた作品群といっていいだろう。 本書で初訳というものは一本もなく、ほとんどのものは雑誌「EQ」で一度読んでいる。そのために読んでいてオチを思い出すもの、当初から覚えているもの、最後になってああ……と思うものなど、印象はバラバラ。 正直、この時期のスレッサーは作品の全般に小説的な贅肉がつきすぎた感じもあって、切れ味は最初に書いた短編集3冊のものに比べておおむねイマイチではある。 あと、お話の流れとしては、順当にオチ・サゲを用意するあまりに真っ当で正当的なショート・ストーリーの作りが、なぜか古く見えてしまう感覚もある。たぶんこの辺は、勝手に書かれた時代を頭にいれながら読み過ぎる評者のワガママであろう。 実のところ、そういった「スレッサー自身は基本的には昔ながらの彼らしい作りをしているはず(多少筆がゆるくなった感じはあるにせよ)」なのに「どっか時代と乖離している」違和感は1980年代に「EQ」を読んでいる頃からなんとなくあり、そのためこの第四短編集『伯爵夫人の宝石』もなんとなく買わずにいたのだが、数年前に近所のブックオフの100円棚で発見。一応は買っておくかぐらいの気分で購入して、少し前からチビチビ読みはじめ、つい一昨日読み終えた。 でまあ、総体的な印象はこれまで書いてきたようなちょっと面倒でややこしい所感とあまり変わらないのだけれど、一方で期待値があんまり高くないところから入ったためか、それなりに(思ったよりも)楽しめた面もある。 もしかしたらオレみたいなおっさんファンがあーだこーだ言わず、ビギナーの翻訳ミステリファンが手にしたらかなり楽しめる一冊なのかもしれない。 万が一、この本がスレッサー短編集とのファースト・コンタクトでけっこう面白い、と思えた方がいたら、上記の短編集3冊を少しずつ読み進めることをオススメします。きっとかなり幸福な読書体験が待っている……と思う。 |
No.856 | 7点 | 殺人をしてみますか?- ハリイ・オルズカー | 2020/05/30 17:55 |
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(ネタバレなし)
アメリカ国内で大人気のテレビクイズ番組「ビッグ・クェスチョン」。この番組は問題の難易度は高いが高額の賞金が用意される。連続正解の回答者は、不正解の場合はこれまでの賞金が減額されるペナルティを覚悟してさらに難問に挑むか、あるいは現状の賞金を確保したまま途中で棄権するか、の二択権利が与えられていた。そして現在、16万ドルの賞金の次の難問に挑むか降りるか、カンザス州出身の回答者フィリップ(フィル)・エクリッジの選択を、無数の視聴者と番組スタッフが熱い視線で見守る。だがそのエクリッジが次の本番収録で表意をする直前、何者かに殺される。「ぼく」こと「ビッグ・クェスチョン」を製作するテレビ会社「ユナイテッド・ブロードキャステシング」の広告スタッフ、ピート・ブランドはこの騒ぎの中に否応なく巻き込まれていくが……。 1958年のアメリカ作品。 テレビ番組製作の裏面を題材にした業界風俗ミステリで軽パズラーだが、主人公ブランドの独白をふくめて会話がべらぼうに多く、さらに翻訳は名訳者・森郁夫。リーダビリティーは桁外れに高い。ブランドと美人秘書セアラとのラブコメ模様も好調で、読んでいるうちは本当に快感……というより「オレはなぜ、こんなオモシロイものを、本の現物(HM文庫版を新刊で購入。当時のレシートも挟んであった)を買ってからウン十年も放置していたんだろう……」といささか暗澹たる気分にさえなった(笑・涙)。 というわけで作品の雰囲気は、ほかにクセのある対抗作品がなければそのままその年の乱歩賞をとれそうな<業界もの>であるが、50年代のテレビ文化には隔世の驚きもあれば、21世紀の今にも通じる普遍性もあってそのカオスぶりがとにかく楽しい。 「ビッグ・クェスチョン」の番組形態は、まんましばらく前までみのもんた司会で放送されていた我が国の現実の番組「クイズ・ミリオネア」だが、きっとどちらも、そのモデルとなった昔からの番組があったのであろう。なお賞金の高額ぶりは、HM文庫版の解説でも少し触れられているが、いかにも70~80年代に(我が国の場合)公正取引委員会が干渉してくる前の時代の設定だな、正に。21世紀は不景気&合理化の世相だから、こんな番組はめっきり無くなったような。そもそもテレビに力がない。 ミステリとしては後半の二転三転でそれなりに楽しめるし、さる事情からアマチュア探偵として内心で奮起する主人公ブランドの描写もいい。ただし本当のメイン探偵はフェルダー警部と当初から読者にもほぼお約束で見え見えなので(なんかシリーズが進行してからの一部のポアロの事件簿みたいな作りだ)、その辺はよろしいような、いや、これはこれで……(以下略)。 真犯人は話の流れのポジション的には意外? ではあるんだけれど、とにかくこの作品では(中略)からだいたい読めてしまうんだよね。その意味では(前言をひっくり返すことになるが)意外性は薄いかも。ただまあ、作者のミステリ愛みたいなものは感じられて、キライにはなれない。 途中の本当にハイテンポな時には8点あげてもいいかな、とおもったが、さすがにそこまではいかなかった。とはいえ十分に愛せる作品ではある。 ※……最後にひとつだけ苦言。 被害者エクリッジは31歳と記述されている(HM文庫版31ページ)のだが、その奥さん(最後までフルネーム不明)はのちに夫と同年代で45歳くらいと描写されている(同195ページ)。 今後の再版や電子化の機会などには、確認の上で適宜に直しておいてください。 |
No.855 | 7点 | 彼の名は死- フレドリック・ブラウン | 2020/05/28 08:23 |
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(ネタバレなし)
カリフォルニア州のサンタ・モニカ。印刷店に勤める若い美人の未亡人ジョイス・デュガンは、店の主人ダリュウス・コンの指示で、彼の留守中に来訪してきた客、クロード・アトキンスに90ドルを渡す。コンは昨夜、クロードと互いに合意の上でそれぞれが使っている中古車を交換したが、クロードの車の方がやや状態が良かったので、評価額の差額90ドルを払う約束らしい。ジョイスは小切手で支払うように指示されていたが、クロードはたまたま彼女と旧知の間柄だった。その彼ができれば現金が欲しいというので、ジョイスは店の奥にあった新券の紙幣10ドルを9枚、自分の判断で渡してしまう。だがそんなちょっとした独自の判断が……。 1954年のアメリカ作品。 蔵書の中から出てきた創元文庫版で読んだが、旧クライム・クラブ版も持っていたかもしれない。後者の方が植草甚一の解説も載っているのだろうから、そっちで読んだ方が良かったかも(まあその気になれば植草の解説は、『雨降りだから~』でも読めるんだろうけれど)。 ここまで完全な倒叙……というよりはクライム・サスペンスとは思わなかった。 犯罪の露見を警戒して早めに次の手を打っていくかなり慎重な主人公だが、各局面での判断はそれぞれ「それって考えすぎ?」あるいは「神経質すぎじゃ?」と思いたくなる段階に踏み込む一歩手前の連続という感じで、言いかえれば「ここで先手をうっておこう」という思考にそれなりの説得力がある。その辺は犯罪そのものに、当たり前に慣れていく人の心のヤバさもしっかり書き込んだブラウンの筆力の賜物でもあるが。 かなりテンポの良い作品で、3時間であっというまに読めるが、ラストは……ああ、そういうオチね。 大昔に、同世代のミステリファンと会話を交わして、このフレドリック・ブラウンの別作品『3・1・2とノックせよ』のラストのオチを相手が激賞。しかし当方はあのオチは(中略)だと思って、今でも大したことはない、と考えているんだけれど、この作品『彼の名は死』の方は、筋立ての流れとしては同作に通じる部分がある感じながら(こう書いてもネタバレにはなってないと思うが)割合、うまく決めた印象はある。 まあ21世紀の今、国内の技巧派作家がこういう作品を書いてもそんなに目立たないとも思うけれど、当時としては割と切れ味のよい一品だったんじゃないかしらん。 旧クライムクラブの柱にはまかりまちがってもならないだろうけれど、叢書全体のレベルの底上げに貢献した一作だったとは思うよ。 最後に余談。創元文庫版の206ページに、登場人物の口を借りて、あのヒルデガード・ウィザースの名前(訳文では「ヒルダガード~」と表記だが)がいきなり出てきて、ぶっとびながらウレシクなった。もしかしたら、同世代の都会派軽量パズラーみたいな親近感で意識してたのかもしれないね。 評点は0.5点オマケ。 |
No.854 | 5点 | 声優密室殺人事件- 幾瀬勝彬 | 2020/05/27 19:54 |
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(ネタバレなし)
その年の12月4日。荻窪のアパート「荻花荘(てきかそう)」の一室で、独り暮らしの25歳の女優かつ声優・松本三七子が死亡する。状況からガス中毒の事故死と公的には判断されたが、当人が幼少時から禁忌としていた北枕で死亡していたこと、さらには他の細かい事実から事故死や自殺ではなく、殺人ではとの疑いが持ち上がった。この謎に向かい合うのは、同じ推理小説新人賞に応募するミステリマニア有志で結成された「推理実験室」の男女6人だが。 作者・幾瀬勝彬は、知る人ぞ知る昭和B級パズラーの書き手。 第四(?)長編の『死のマークはX』(1973年)だったかその次の『殺しのVマーク』(1976年)だったが当時のミステリマガジンの書評で「デタラメ」な内容よばわりされたのに反発して抗議文を送ったものの、その書評氏から翌月か翌翌月かの号で作中の辻褄の合わない点を箇条書きにされ、返り討ちにあったのを記憶している(汗)。 結局、パズラー作家としては大成せず、半ダースほどのミステリの著作を出したのち戦記系列の作家に転向したはずだが、今となってはこういう昭和のマイナーミステリ作家に妙な愛着を覚える面もあり(評者自身はこれまで、大昔にそのくだんの『X』だか『V』だかの一冊を読んだだけのはずだが)、ふと思いついて、比較的古書価の安いこの一冊を注文で買って読んでみる。しかし先のレビューのお二人、キビシイですな(笑・汗)。 で、実際に読んでみると、まあ良くも悪くも本当に先に書いたとおり、額面通りの昭和B級パズラーという感じ。 サークル推理実験室のメンバーそれぞれが各自の着眼点から事件の細かいポイントにこだわり、調査を進行。やがては該当の事件を事故死で済ませてしまった担当の刑事までを引き込んでいく流れは悪くはない。中盤まではそれなりに楽しく読めた。 途中で、21世紀の今なら、出版社や編集部がコンプライアンスを気にかけてまず作家にそうは書かせないだろうな、というアレな描写が出てくるのにはちょっと鼻白んだ。だが一方で、そういったある種のがさつさみたいなのも、なんかこの作者っぽい。 でもって複合的なトリックのひとつひとつがしょぼいのは確かにホメられたことではないんだけれど、妙なポジションで用意された「犯人の意外性」など、なんか心に引っかからないでもない。 結論としては、個人的にはまあそんなにダメダメというほどでもないです。こういう作品にたまに付き合ってもいいよね、ぐらいの軽い親しみは覚えた。 またいつかこの作者の作品は、そんなに期待をこめないで読むでしょう。 |
No.853 | 6点 | 殺人シナリオ- ハリー・カーニッツ | 2020/05/25 20:52 |
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(ネタバレなし)
百万長者の女スザンと結婚した悪党ウィラード・モーレーは、相棒ロニー・シャイアズと組んで、妻を辻強盗事件に見せかけて謀殺。直後に妻殺しの罪状をシャイアズひとりに被せて口封じし、まんまと亡き妻の巨額の財産を手に入れた。多くの者がモーレーに疑惑の目を向けたが証拠は上がらない。やがて歳月が過ぎ、アメリカの「コンティネンタル映画」会社は、英国の新進女流作家シェリ・グレーの原作小説にもとづく新作スリラー大作映画『黒い天鵞絨(ビロード)』を製作中だった。ところが完成直前にこの原作小説そして映画の内容が、実際に起きたスザン殺害事件をモデルにしたもので、しかも犯人を噂のとおりに夫モーレーに相応する人物と断定していたことが判明する。疑惑を受けながらも有罪になった訳でもないモーレーとその代理人の弁護士たちがこの映画の内容を知れば、名誉毀損で莫大な慰謝料を請求してくるのは必至。コンティネンタル映画のニューヨーク支社の支配人マイケル・ズォーンは、さる目的があって訪米していたシェリに接触を図って善後策を図る。だが事態が紛糾するなかで、思わぬ殺人事件が。 1960年代半ばの「ミステリマガジン」では、毎月のレギュラー企画「私の選ぶベストミステリ5本」とかなんとかいう常設コーナーがあり、ミステリ作家や翻訳家、ファンや関係者たちがそれぞれそれっぽい毎回のテーマで翻訳ミステリのマイベスト5を語っていたものだった(新聞記者出身の三好徹なら、新聞記者ものの作品のベスト5とか)。 そんな中でこの作品を、小林信彦が「私の選ぶ映画界関連のミステリベスト5」とかなんとかそんな感じのテーマ枠のひとつに挙げていたのを思い出す(他はモイーズの『流れる星』とかデビッド・ドッジの『黒い羊の毛をきれ』とか)。そこでの紹介っぷりがエラく面白そうだったので「へえ……」と思いながら、実際に本を入手するのはしばらく後になった。ついでに言うと、本(古書)を購入してから実際に昨日~今朝読み終わるまでにさらに数年かかったのは、いつものパターン(私の場合、これでも早い方かも知れない)。 でもって実作に触れてみると、確かにnukkamさんのおっしゃるようにフクザツめな筋立てなんだけれど、まあ理解できないことはない。 物語の幹となる『黒い天鵞絨(ビロード)』のシナリオの内容は直接描写はされないけれど、ストーリーのプロローグで起きた事件がべースということは繰り返し語られるし。 なんかアメリカ作品というよりは英国のドライユーモアに似た味わいのミステリである。 主人公はコンティネンタル映画のNY支配人のマイケル(35歳で独身。28歳の美人作家シェリとラブコメ関係になる)だが、そのマイケルが辣腕家の社長ルイス・ストラッドリングから、事態を沈静化するようプレッシャーをかけられ、本当にモーレーが妻を殺してるなら名誉毀損が成立しない、と考えるあたりでニヤリ。これはかなり人を食った動機でアマチュア探偵が行動に出る倒叙ミステリか? と思いきや、さらに物語はひねりを見せて堂々たる? フーダニットのパズラーになる。 (主要キャラたちの群像劇っぽいドラマが前半で進行し、途中でメインキャラのひとりが殺されて後半は謎解き……と書いていくと、我が国の清張の一部の作品みたいだ。) でもってミステリとしての最後の真相は意外……であったが、後出しの情報が多めで、さらにこの人物が本当に真犯人だったとするなら、それまでの物語の道筋で辻褄の合わないこともあるような気がするが……。まあ、その辺は興味を持った方が読んで判断してください。 ちなみに小説部分の賞味としては、映画界をネタにしたくすぐりというかシビアなジョークはさすがで、特に社長ルイス・ストラッドリングの語る 「シナリオライターを使うなら、ギャランティのランクの高い大家の方が結局は安上がりなのだ。まだランクの低い新人作家は作品をよくしたいとかほざいて自己滅私の安い稿料で何度も書き直し、結局は映画の制作の足を引っ張る。その点、すでに家やら高級車やら買い込んだ大家どもは、その支払いに追われて、監督やプロデューサーとケンカしたりしようとしないから手がかからない(大意)」などという皮肉(ウィット)は爆笑させられる。小林信彦がオモシロイと思ったのは、たぶんこんなところであろう。 ちなみにこの作品は1955年のアメリカ作品で、主人公マイケルは共産主義者を国内から排斥したいと主張。 みんな知ってると思うけれど、カーニッツは映画『影なき男』シリーズの第四作めからシナリオを(第二作まで脚本を担当したハメットの後任として)オリジナルシナリオで執筆。あんまり当時の事情を二分化、単純化してもいけないんだろうけれど、ハメットが赤狩りマッカーシズムに抵抗して投獄されているのと前後して、主人公にこういう台詞を言わせていたカーニッツはそのハメットが創造した人気シリーズの後釜に座ったわけだった? この辺はいつか、もっと詳しく、調べてみよう。 |
No.852 | 7点 | 審判- ディック・フランシス | 2020/05/24 04:30 |
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(ネタバレなし)
久々に読んだ「競馬スリラー」(息子フェリックス単独の『強襲』を新刊で楽しんで以来、4~5年ぶり!)。 後期作品にはまだまだ未読&積ん読のものも多く、今回もあくまで気が向いた一冊をつまみ食いでので楽しんだので、雪さんみたいなシリーズの流れを俯瞰したレビューはできないんだけど、単品作品として、とても面白かった。 北方謙三か前川裕の(一部の?)作品みたいな、精神的にグロテスクな悪役が登場。生々しい暴力の恐怖に主人公が怯える辺りは、かつて『利腕』でシッド・ハレーが味あわされたストレスの再生のように見えたが、こちらは周囲の人間まで狙ってくるという執拗さと遠慮の無さにおいてまたちょっと差別化できた感触はある。 とはいえ(ワケあり的な流れで、警察に救援を願うのが消極的になるのは仕方がないにせよ)、ブライアン・ガーフィールドの『反撃』とかケンリックの『バーニーよ銃をとれ』とか読んでいると、この危機的状況にあってなぜ主人公のメイスンはプロのボディガードや荒事師(人間的に一応はマトモなタイプの)に応援を頼まないの? という疑問も生じる。少なくとも中盤で自宅を狙われる時点では二週間の短期決戦とか想定してるんだから、カネのある弁護士先生なら少なくともそういう選択肢を一回は検討してもいいよね? 私立探偵を雇って張り込みさせて、悪事の証拠を押さえてもよい。この辺はお話作りの上で、都合の悪い要素にはあえて目を瞑った感じであった。あと自宅への奇襲が数回に及んで、その可能性もあらかじめ予期していたのに、何やら大事なものらしい書類とかをそのまま置いておいたってのもヘンだし。 何より、スティーヴのアリバイを証言してくれる(中略)、物語の後半、事態がどんどん悪くなっていくなかで、そのまま放りっぱなしってのは、作中のリアリティとしてどーなんでしょうか(……)!? それでも良い意味で、競馬界のトリヴィア的なものを見せつけてくれた犯罪の真相はかなり面白かったし、何より最後の決着の付け方は他の英米作家のいろんな作品を想起しながら感慨深いものを抱かされる。完成度から言えば佳作、読み応えとしては十分に秀作であった。 しかしこのお仕事とファミリーネーム(セカンドネーム)ゆえ、さんざ「ペリイ」とからかわれる主人公だけど、誰かひとりくらい「ランドルフ」と呼んで、主人公によくわかんないギャグだポカーン、という反応をさせて欲しかった。いやまあ、ぢつにどーでもいい話だけど(笑)。 |
No.851 | 4点 | 白妖鬼- 高木彬光 | 2020/05/23 17:35 |
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(ネタバレなし)
nukkamさんのレビューを拝見して「神津恭介シリーズ第4作」の長編だと改めて意識した。じゃあ『刺青』『呪縛』の流れを受けた初期作品できっと骨っぽくて読み応えあるだろうと期待してAmazonで古書(桃源社の新書・1977年の新装版)を注文したが……なんじゃこりゃ。 文中の記述によると、神津の事件簿としてはこの直前に荊木歓喜との共演編『悪霊の群』(評者は大昔に稀覯本だった古書を購入したが、例によっていまだ積ん読……)が入るらしいが、そっちからの影響があるのかどうか、やたら無意味なスリラー臭が強く、しかも導入されたセンセーショナリズムの大半は、犯人の立場からしてもかえって無駄に事件をややこしくしてないか? といいたくなるものばかり。 一応はフーダニットパズラーの枠内に収めようとした作者の矜持は認めるものの、それだからといって出来たものは面白くないし。 とはいえ箇条書き風に記せばそれなりにネタの多い作品であり ・徳田球一の逃亡中の時期、半ばテロリスト予備軍のように一部の市民から扱われる日本共産党(神津の視線は冷静だが)。当時の世相がよくわかる。しかしこれだけ共産党がメインファクターになった作品ってほかにないね? ・松下研三とオールドミス劇作家の、友達以上恋人未満的なラブコメ模様が印象的 ・前述の『悪霊の群』にからんでか、地の文で山田風太郎を「突発性痴呆症」と揶揄する記述あり ・しれっと作中に登場して、殺人鬼「白妖鬼」事件にコメントする作者・高木彬光 ・神津恭介は31歳の現在まで童貞? まあこれは松下研三たちがそう言っているだけだが、シリーズの流れを鑑みるにさもありなん? 昭和っぽい雰囲気は悪くないんだけどな。改めて全編を俯瞰すると褒めるところもほとんどない。という訳で、評価はこんなとこで。 |
No.850 | 7点 | 第二の銃声- アントニイ・バークリー | 2020/05/23 16:49 |
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(ネタバレなし)
評者もどっかで大ネタはすでに聞いてしまっていた(涙)ものの、読み進みながら、あれ、本当にソレがこの作品? としばらく違和感がつきまとっていた(この辺の感覚は、たぶん8年前の臣さんのレビューといっしょだと思います)。そういう意味では、こういう状況ならではの妙なテンションを楽しめた。 殺人ゲームの準備から、ラブコメチックになる中盤までは、なんと筆の立つ作家なんだろう、改めてバークリーすごい、と思わされた(まだそんなに冊数読んでないけど)のだが、殺人事件の確定以降はやや退屈。いや、周囲の登場人物ほぼ総勢が、ピンカートンに同じような視線を向けてくるあたりは笑ったけれど。 終盤の真相はくだんの大ネタ如何よりも、いかに犯人が(中略)な心情で犯行を遂行していたのか、そのイメージに唖然となった。個人的にはこの作品のキモは、ずばりコッチの方です。 シェリンガムの扱いはなあ……。この時点ですでにかなりシリーズが進んでいたんだけど、やはりしれっとこういうポジションに就かされるキャラクターか。シリーズの残りの未読作品をこれから消化していくのが楽しみ。 |
No.849 | 5点 | エイプリル・ダンサー① アンクルから来た女- マイクル・アヴァロン | 2020/05/22 16:43 |
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(ネタバレなし)
国際陰謀団スラッシュから世界を守る平和組織アンクル。その精鋭ナポレオン・ソロの後見を受けて現場で活躍する新鋭女性工作員エイプリル・ダンサーは、死線を超えて任務から帰還。パートナーの男性マーク・スレードのもとに向かうが、そこで彼女はスラッシュの女性幹部アーノダ・バン・アタに遭遇。敵勢との闘争の末に薬物を打たれたエイプリルは、先に捕縛されていたマークともども敵の俘囚となった。アーノルダ・バン・アタの目的は、アンクル本部に拘禁されている、驚異的な新発明を為した科学者でスラッシュの大幹部であるアレック・ヤコブ・ゾルキの解放。エイプリルとマークはその交換要員として人質にされたわけだが、スラッシュはさらに数段構えの作戦を用意していた。 1966年のアメリカ作品。原典のTVシリーズ『エイプリル・ダンサー』は近年ではなかなか観る機会がないと思うが『ナポレオン・ソロ』正編のなかで作られたデビュー編のパイロット版は数年前に観た(ただしキャスティングは本番のTVシリーズ版で変更されたようだが)。 邦訳があるノベライズ二冊はともにマイケル・アヴァロン(アヴァロニ)の執筆。アヴァロンは正編ソロの小説化は一冊しかやってないのだが、その一冊が好評で今回も開幕編を任されたという主旨の記述がポケミス巻末の解説にある。 なお講談社のムック「フィルム・ファンタスティック」のどこかの巻に『エイプリル・ダンサー』の全話あらすじ紹介は載っていたと思うので確認は可能だけど、たぶんこのノベライズ一冊目の内容は小説オリジナルだろうね? たぶん映像化すると回数は使いそうだし、爆発シーンなどでお金もかなりかかりそうなので。 ちなみに評者はアヴァロンの『ソロ』ノベライズ(『アンクルから来た男』)はまだ未読だが、作中で『チャイナオレンジ』ネタをやっていることだけは旧世紀からすでに耳タコ。だからもしかしたら職人作家(で、晩年は嫌われ者だったウールリッチの葬儀に参列した数少ない作家仲間)でもあるこの作者のこと、こっちでもそういうミステリファン向けのくすぐりとかを用意してくれているのではないか? とちょっと期待したのだが、残念ながらその辺は空振り(涙)。 ただまあアンクル本部内での広義の密室的な殺人や、意外な(中略)パターンなども盛り込まれ、それなりにサービスはある。お気楽美人エージェントもので終わらせないビターな味付けも相応にあるし。 それでネタバレになるのであまり詳しいことは言えないが、この幕の引き方は少し驚いた。『ソロ』と違ってこっちはノベライズ二冊目もアヴァロンがそのまま書いているので、そのシフトを活用したのであろう。 おなじみウェーバリー部長はほぼ全編で活躍。肝心のソロもちょっとだけ出てくる。ところで『バイオニック・ジェミー』でオスカー・ゴールドマン局長が『600万ドルの男』と双方をまたに掛けたレギュラーというシフティングは、やっぱりこのウェーバリー部長に倣ったんだろうな? もしもこれ以前の何か前例があったら、旧作海外ドラマシリーズファンの方、教えてください。 |
No.848 | 9点 | 地下道- ハーバート・リーバーマン | 2020/05/22 16:42 |
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(ネタバレなし~途中からはややネタバレあり?)
ある北の地方。森に囲まれた、古い館で慎ましやかな隠居生活を送る「私」ことアルバート・グレーブス(50代末)とその妻のアリス。子供もなく村の人々ともそれなりに温和な付き合いを維持する彼らは、ある日、給油に来た近所のガソリンスタンドのバイト青年リチャード・アトリーをなりゆきからお茶と食事に誘う。人好きのよいリチャードに好感を持ち、彼が関心を抱いた自分の稀覯本を貸与するアルバート。やがて日数が経ち、リチャードと顔を合わせる機会もないまま、二人はある夜、19世紀に建てられた自宅の広めの地下道に<何か>がいる気配を認めた。そこには捕食したらしい野生動物の食べかすが残り、そしてアルバートは地下道内に、少し前にあの若者に貸したままの自分の本があるのに気づく……。 1971年のアメリカ作品。 一言で言えば、スティーヴン・キングとハイスミスを融合させたような感覚で、非常に面白かった、そして素晴らしかった。 ちなみに角川文庫のジャケットカバー折り返しのあらすじ内容を読むと、まるで地下道に『事件記者コルチャック』に登場する魔性のモンスターが出没しているように思えたが、実際にはそんなことはない。 評者はこの記述のおかげで、何十年もそういう内容かと、半ばダマされて(?)いた。 【以下 もしかしたらネタバレかも~大筋の決着は書いてませんが】 物語は割と早い段階から、村の流れ者だった孤独な青年リチャードを同居人に迎え、疑似家族的な生活を始める初老夫婦のドラマが開幕する。当初は結構うまく行くように思えた共同生活だが、なりゆきからの、そしてほぼいきなりの、少し前まではまったく見ず知らずの他人との同居ゆえ、少しずつその関係には綻びが生じていく。このあたりは作者の筆力を感じさせて、平明な叙述ながら実にうまい。 やがて自分の行動原理と信念に準じてふるまい、村での問題児となっていくリチャード。だがグレーブス夫婦は若者の人間性に摩擦を感じながらも彼を半ば本物の息子のように庇い、ついにはそれまで仲のよかった村人たちからもたまに顔を出す親戚からも敬遠されていく。 作中ではっきり語られるわけではないが、主人公夫婦の心の核になっていくのはかなり強靭なメシア・コンプレックスであり、実子もおらず人生でそれが得られないと思っていたのに急に降って湧いた、父性愛と母性愛の充足への欲求だ。 さらに夫婦自身なんどもなんどもリチャードの半ば狂気といえる独特の<自分ルール>には手こずらされるが、それでも「ここで彼を追い出したら負け」なのである。こんな心情すべてが自分のことのように伝わってきて、評者的にはこれほど主人公たち(ある部分ではリチャードの思いまでふくめて)同一化できる作品はそうなかったかもしれない。実に心に響いてくる小説だ。いや、たしかにニューロティック・スリラーだし、サイコロジカル・ホラーではありますが。 本が厚いので割と長めの物語かと思ったが、紙の斤量が高めだったようで、実際は約440ページと程よい長さ。これが最後の仕事になった翻訳家・大門一男の流麗な訳文(本書の巻末に、盟友ということで清水俊二が追悼文を寄せている)もあって、半日でいっきに読んでしまった。 でもってラスト、こ、これは……! 正に『おそ松くん』「イヤミはひとり風の中」ではないか!?(あくまで原作版だよ! とりあえず『おそ松さん』版とOVA版は考えないで。) 私の人生のなかで、一番痛いところを予想外に突かれた感じ。 (いや、裏読みすれば意地悪な読解も可能なんだけど、あえてそうしないでおく。) もうね、切なくってしみじみして、昨夜は眠りが浅かった。 傑作です。 |
No.847 | 6点 | 万年島殺人事件- 舞阪洸 | 2020/05/21 17:02 |
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(ネタバレなし)
謎の組織・警視庁十三課の要請を受け、事件関係者の「妄想」を破壊する美女・沖田島翔子(おきたじましょうこ)。彼女は助手の萱島十河(かやしまとうが)とともに、とあるパソコンに残されていた「万年島」で起きた事件についての記録を読み始める。それは「ぼく」こと、樟葉学園ミステリー研究会の新入部員・外埜崎雪比古(とのざきゆきひこ)がしたためた、万年島で起きた惨劇、そしてひとつの島が丸ごと消え失せるという怪事件についての手記であった。 ミステリーサークル「SRの会」の正会誌「SRマンスリー」誌上での特集<新本格発祥以後30年の間に書かれた、あまり話題になっていない気になる佳作・秀作>(といった趣旨の企画)のなかで紹介されていた一冊。 同特集を一年以上前に読んで気になって本作の古書を通販で購入し、しばらく積ん読にしていたが、ついに昨夜、思い立って読んだ。あと誤解のないように言っておきますが、完全な小説(ラノベ仕様のパズラー)です。 Amazonでも「いかにも」なレビューがされているけれど、大ネタのとっかかりの方はあまりにもあからさまに伏線が張られているので、これは誰でもわかるだろう。ただしそのあと、それがどう料理されたかはこの作品のポイントとなる。 連続殺人劇の方はいろんなことを疑った方がいい仕掛けで、もしかするとアンフェアじゃないかとも一度は思ったものの、ほかの技巧派パズラーの作家のなかにはこんなことをしそうな人はいくらでもいそうで、そういう意味ではまあグレイゾーンのなかでセーフであろう。本シリーズの主旨もその担保となるし。 (ただし、一部の死体損壊については具体的な目的がよく見えないよね? これは単に(以下略)?) かたや唖然としたのは島の消失の真実で、これこそ(中略)だが、せっかくのこういうシリーズ、設定、世界観なんだから、これくらいやらなきゃソンだという作者の居直りも感じ取れて、その豪快さが快い。怒る人は、こういう作品に向いてないよね(笑)。 ちなみに大きな物体の消失という主題から、作中(手記中)の登場人物たちはミステリファンらしくクイーンの『神の灯』に言及。ネタバレされてるので注意してください。さらにもうひとつ具体的な題名は書かずに、森博嗣にもこういう謎の設定に近しい作品があると言及。そのトリックにもほぼ触れている。 森作品は前に読んだ&読みかけたいくつかの作品があまり肌に合わない感じで、ほとんど読んでないのだが、ファンの人ならピンと来るのであろう。 今回、こっちはずばりそっちの方はネタバレをくらったわけだが、一方で「へえ、そういう作品があるの?」とちょっと読みたくなった(笑)。こういう機会でもなければ、ふたたび森作品に目を向ける機会はなかったかもしれない。 以上、途中から余談でした。 |
No.846 | 7点 | ゴースト・タウンの謎- フランク・グルーバー | 2020/05/20 20:51 |
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(ネタバレなし)
ポンコツ車でカリフォルニアまで商売に来たジョニー・フレッチャーとサム・クラッグのコンビ。西部の僻地に向かう路上でガス欠になって難儀した二人は、サムに優るとも劣らない体格の男ジョー・カッターの世話になる。だが無償の善意で助けてくれたかと思いきや、カッターは過剰な謝礼を要求。ジョニーたちはスキを見て逃げ出そうとするが、ポンコツ車の中には見知らぬ男の死体が乗せられていた。やむなく車を捨て、徒歩&ヒッチハイクで旅を続けようとする二人だが、そんな彼らが泊まったホテルでは、銀鉱の鉱山所有権を巡る騒動が生じていて……。 1945年のアメリカ作品。厳密には同年の何月頃の刊行かは知らないが、このタイミングで戦争の影もほとんどない内容なのに軽く驚き。辛く長い嫌な日々はあえて振り返らず、まずは一編のエンターテインメントを楽しんでくだされという送り手(作者&編集者&版元)の意向か? 昨今の論争社の発掘新訳が好調な本シリーズだが、改めてまだ読んでない旧刊の方はどんなもんなんだろ? と思って手に取った本作。そうしたら、キャラの立った登場人物たち、休まることない馬鹿騒ぎ、間断なく生じる事件またはピンチ……と、これまで読んだこのシリーズの中では、一番スラプスティックコメディ&サスペンスとして面白かった。 さらにkanamoriさんも書いておられるが、蟻の巣のようにはりめぐらされた地底の坑道の闇の中を、ジョニー&サム(それにゲストヒロインのヘレン)がうろつきまわる様は少し『孤島の鬼』『八つ墓村』的なティストもある(笑)。 あと作者のグルーバー、こういうシリーズキャラクターものではたぶん暗黙の了解で普通はあんまりやらないんじゃないかなあ、とこちらが勝手にそう思い込んでいた<とある不文律>を、ごくあっさりと実践してしまっている。職人作家でも<そういうこと>をするんだなあ、と思うほどに。もちろん、あまり詳しいことは言えませんが(笑・汗)。 ミステリとしては(いま言ったそんなちょっとした軽い驚きにからんで)最後に意外性が用意されているのはいいんだけれど、ソレがちょっと唐突というか、かなり乱暴。 正直、今回は読者を驚かせるために、最後の最後でその効果を得る前提だけから始めて、逆算的に真犯人をそこにシフティングした感じがいつも以上に強いかも。 あと、事件解決後の最後の人間関係のまとめかたもかなりイキナリ……なんだけど、こっちはまあ、シリーズキャラクターもののミステリの王道を突き詰めた感じもあり、ある種のメタ的な感慨みたいなものも抱かないでもない。 出来がいいとか、完成度が高いとは決して言えないけれど、とにかく読んでいる間の楽しさは第一級。それだけで十分に価値のある作品であった。 評価はそんなゆかしさに見合った、この点数ということで。 |
No.845 | 4点 | ただ、それだけでよかったんです- 松村涼哉 | 2020/05/19 14:55 |
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(ネタバレなし)
久世川第二中学で、成績優秀でスポーツ万能、男女からも人気があった優等生・岸谷昌也が縊死自殺する。昌也は級友・菅原拓が悪魔で、自分を含む四人の生徒を支配していじめていたという主旨の遺書を遺していた。「わたし」こと大学三年生の姉・香苗は、弟の死に至る事情とくだんの菅原拓のことを探ろうと行動を開始。幼馴染みにして「秘密兵器」である「さよぽん」こと紗世に協力を願う。一方で「ぼく」こと菅原拓もまた、過酷な現実に向かい合っていた。 早朝4時。本当ならいい加減寝た方がいいが、大雨の中を愛猫が外に散歩に出たので帰ってきたら体を拭いてやるためもうしばらく起きていようと思い、これを読み出す。(3分の2くらいまで進んだところで無事に帰ってきて、読むのは一時中断。そのまま最後まで読了した。) うんまあ、荒削りなところはあるし、お話をよくも悪くもドラマの枠内でまとめてしまったうそ臭さはありますが、その辺はさすがに作者も十分にわかっていたところであろう。 主人公・拓の採った行動は、切実でたしかにある種のリアルさを感じさせながら、一方でかなりめんどくさい。しかしその面倒な迂路を語るためのストーリーという狙いはよく心に響いてきます。 ただ事態の構成に関与した準・主要キャラ的な連中のキャラクターがほとんど見えてこないし、語られてもいないので(該当者のうちの一人だけSNSで表に出てくるが)、本当にそういうことになるしかなかったの? という印象もある。とはいえこういう作品の場合、外野の読者が聞いた風なことを口にすることはそれだけで作者の思うつぼ、というような怖さもありますが(笑)。 終盤で表層に浮かんでくる意外なキーパーソンの正体は、つい先般、評者がかなり感銘した別作品のものと酷似しており、いささか慌てた。こっちの方がずっと先だったんだね。まあ、後の方がたまたま同じ着地点を踏んでしまったのか、それともこちらの本家取りをあえてしようとしたのか、そこまでは分からないが。こういうことがあるから、やはりミステリって多読が必須なんだよな。いや行き着く先は迷宮だけれど。 ちなみに評点が低めなのは、作中である登場人物が轢死された猫の死体を嫌がらせに使うという不愉快な描写があるからです。そういう演出をした作者の狙いはわからないでもないが、いろんな意味でやめてくれ。 |
No.844 | 6点 | ジャックは絞首台に!- レオ・ブルース | 2020/05/19 03:04 |
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(ネタバレなし)
「ニューシスター・クイーンズ・スクール」の上級歴史教師にしてアマチュア探偵として実績を積むキャロラス・ディーン。校長ヒュー・ゴリンジャーは、キャロラスの探偵としての勇名ばかり特化して高まるのは、学校の評判によくないと考えた。そんな折、黄胆の療養のため、地方で静養する必要が生じたキャロラス。ゴリンジャー校長はキャロラスの主治医であるドクター・トーマスに手を回し、当初の静養予定地だった殺人事件が起きた海岸ではなく、閑散とした温泉地にキャロラスを向かわせる。だがそこでまたもキャロラスを待っていたのは、同一犯人による? または何らかの関連があると思われる? 二件の連続老女殺人事件だった。 1960年の英国作品。 謎解きミステリのお約束パターン、犬棒ならぬ<名探偵も休暇に出れば事件に遭遇する>をひねって開幕する導入部がいきなりケッサクで、評者なんか個人的にはコレだけでもうご機嫌になってしまう(笑)。 さほど間を置かずに生じた二件の老婦人殺人事件。そして死体の脇にそれぞれ置かれた百合の花(マドンナ・リリーという品種)の謎。双方の被害者同士には互いに接点があるような、ないような? というミッシグリンクの謎……と、それなりのミステリギミックは用意されている。 登場キャラクターたちもひとりひとりおおむね丁寧に語られ、田舎町でキャロラスが出会う多彩な人々も、キャロラスを追っかけてくる教え子で悪童のルパート・プリグリーや、ついに事件が起きた町にまで推参してくるゴリンジャー校長まで存在感は抜群。 キャロラス・ディーンが有名なアマチュア探偵だと素性を認めた瞬間、いきなり現在形の殺人事件の話題をふっかけ、あれやこれやと多重解決を仮想するホテルのボーイ、ナッパーのキャラクターなんか特に笑わせる。 162~163ページでキャロラス・ディーンと教え子プリグリーの会話の中、矢継ぎ早に飛び出すゴジラだのホームズだのポワロだのレイモンド・チャンドラーだのという固有名詞の波状攻撃も愉快であった。 さらに182ページの、詐欺師まがいの商人を相手にしたキャロラスのメタ的なギャグにも爆笑。 笑えるという点では、これまで読んだレオ・ブルース作品のなかでもトップクラスかもしれん。 かたやミステリとしてのトリック……というか犯罪のコンセプトは、某大家の有名作品の変奏ではあるが、名探偵役であるキャロラス・ディーンの取り組み方までふくめて、本作独自のバリエーション感は認められる。しかしこれもまた名探偵もしくは捜査陣がある段階まで動いてくれることを期待しての犯人側の思惑だね。もちろんここでは詳しくは言えないけれど。 なお巻末の小林晋氏の丁寧な解説でも指摘されているが、本作は得点要素は多い一方、最後の真犯人を絞り込んでいくキャロラス・ディーンの推理がいささか荒っぽいのが難点。特に281ページの後半である容疑者を圏外に外すあたりは「あのなあ……」という感じであった(苦笑)。 <犯人になりうる者の条件>を箇条書きにした演出も、本来ならその箇所で読者をゾクゾクさせるか、あるいは読み手をうまくミスディレクションに誘導すべきところ、かえって最後のサプライズの効果減でしかなかったし(……)。 全体としては、あれこれプラスマイナスして、佳作というところ。 ただしこのシリーズへの興味と好感の度合いは、さらに高まった。 キャロラス・ディーンものの未訳作品はどしどし発掘してほしい。同人(「AUNT AURORA」叢書など)で翻訳されている数作の長編も一般販売の文庫にどんどん入れてほしい。 関係者の皆様、なにとぞよろしくお願いいたします。 |
No.843 | 7点 | ロールスロイスに銀の銃- チェスター・ハイムズ | 2020/05/18 16:06 |
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(ネタバレなし)
ハンサムな前科者の若い黒人ディーク・オハラは、自らをディーク・オマリー神父と詐称。仲間とともに、ハーレム内の貧しい黒人に向けて「(黒人は)アフリカへ帰ろう」運動を扇動する。ディークは、先のないアメリカでの生活に見切りをつけてアフリカでの生活を希望する各家庭から準備金の名目で1000ドルずつ徴収。合計8万7千ドルの儲けを得るが、そこに別の犯罪者の横やりが入り、ディーク当人は逃亡、金の行方も不明となる。傷痍を経て半年ぶりに現場に復帰した黒人刑事「墓掘り」ジョーンズは、相棒の「棺桶」エドとともにこの事件を追うが。 1965年のアメリカ作品。 本シリーズはだいぶ前に『リアルでクールな殺し屋』(「なんじ、かぐわしくあれ」)を読んで以来2冊目だが、いや~、非常に面白かった。 ハーレムに集う犯罪者、食わせ者、一般市民、そしてエド&ジョーンズをはじめとする捜査陣、それぞれの思惑が猥雑に絡み合いながら、実にハイテンポで物語が進行。そのくせどこか、冷めた品の良さというか格調を守る文体が堅持される(翻訳の良さもあるのかもしれないが)。 ある意味では理想の、ハードボイルド風味の警察小説かもしれん。 ところで前回『リアルで~』読んだときにはあまり意識しなかったんだけれど、ワイルドな黒人刑事という属性の方が、つい先に目についてしまうこのシリーズ。もしかしたら黒人とか犯罪スレスレのワイルド捜査とかを抜きにしても、アメリカ警察小説史上ではかなり初期の<バディものの先駆>だよね? 長編が中途半端な紹介に終わってるローレンス・トリートとかジョージ・バグビィとかあるので(どっちも昔に読んでるが内容はほぼ忘れてる)、その辺まで踏まえてしっかり再確認しないと。うかつなことは言えないが。 (ホームズ&ワトスン、モース&ルイスみたいな主と従ではなく)ほぼ均等に主人公キャラを二分して描かれた刑事コンビのシリーズというのは、あるいはかなり新鮮だったのかも(まあ50~60年代の時代はさらに、87分署みたいなチームプレイ、あるいはローテーション主人公ものの警察小説の隆盛に雪崩れこんでもいたのだろうが)。 つまみ食いでシリーズを読んでるのであまり聞いた風なことは言えないが、人種を問わず同輩の警察官たちから憧れ&畏怖&敬遠の目で見られるエド&ジョーンズの立ち位置も、彼ら二人を「(手のかかる、しかし有能な)エース」として遇する白人の上司アンダーソン警部補のキャラもいい。 そのうちまたタイミングを見て残りの作品を読んでみよう。 最後に、嫌味や皮肉ではまったくなく、本作に9点をつけたkanamoriさん、心から尊敬します(!)。そこまで思い切り愛情を表現できる度量の大きさが素晴らしい。 自分もこの作品をたっぷり楽しんだつもりだけど、8点にしようか迷った末に7点なので(残りのシリーズ未読作にさらにハマるものがあることも期待して、ではありますが)。 |
No.842 | 6点 | カーラリー殺人事件- 石沢英太郎 | 2020/05/17 23:18 |
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(ネタバレなし)
日本自動車業界の「鬼」と言われる、斯界の黒幕的な巨魁・豪宮弥右衛門。齢80歳を過ぎた彼はこれまでの因業の贖罪のつもりか「日本列島縦断カーラリーレース」の企画に巨額を投じ、陰のスポンサーとなる。このラリー企画のコンペティションに応じ、見事に豪宮の眼鏡に叶った「カーマガジン社」の面々は、ラリー主催のメインスタッフまで務めることになった。多額の賞金が用意された3週間に及ぶラリーには、アマチュアレース界で話題の「人間コンピューター」こと21歳の盲人ナビゲーター・田浦二郎もその兄夫婦とともに参加。ほかにも多彩な参加者が競技を賑わすが、しかしこのラリーの陰ではある妄執を秘めた復讐者の殺意が渦巻いていた。そしてさらに、本ラリーにからむもうひとつの事件が。 作者の初の書き下ろし長編で、ラヴゼイの『死の競歩』を思わせる(らしい・そっちは評者はまだ未読だが~汗~)競技と殺人事件の併走ストーリー。さらにもうひとつ、別の犯罪事件も複合的に話に関わり合ってくる。 作中での全国からのラリー参加者は百組に及び、そのうちストーリーの表面に出てくるのは、探偵役の田浦二郎とその実兄・康雄、康雄の妻の芙美子の主人公トリオをふくむ十数チーム(基本的にワンチームは二人一組だが、田浦家は身障者の二郎のことを鑑みて、三人チームで出場)。 この手の作品では、どれだけ主要参加チームのメンバー個々が書き分けられているかが重要な賞味ポイントの一つとなるが、本作はその点ではなかなか。 優勝を競う者同士ではあっても、窮地や突発的な事態のなかで逐次協力しあうドライバー同士の矜持などもポジティブに描かれ、モータースポーツドラマとしての興趣にはことかかない。 また、ラリーカーで巡る次の目的地が順次クイズ形式で提示され、インターネットも存在しない時代に、各地の図書館や事情通を訪ねて探り当てていく、この時代ならではのオリエンテーション方式のクェストの連続も、これはこれで楽しい。 一方で肝心のミステリとしては、独創的なトリックを用意し、作品全体にもかなり強烈な反転の構図を設けている。 ただその食い合わせが思ったほど生きなかったという印象なのは、長年におよぶ積ん読の日々のうちに、こちらの期待が高まりすぎていたためか(汗)。 いや、力作だとは思うけれど、<最後のサプライズ>を効果的に見せるにしては、当該キャラの……(以下略)。 ちなみに本作の名探偵役で、ミステリマニアでもある盲人ナビゲーターの青年・田浦二郎。当時の「ミステリマガジン」なんかでは、読者のアマチュア論考の場などで今後のシリーズ展開も期待されたほどの鮮烈なキャラクターだったが、結局はこれ一本の登場で終わったと思う。正直、シリーズキャラクターにするには難しい設定だったとは思うけれど、可能ならばまた別の事件での活躍も見たかった。その辺はちょっと残念。 【警告・注意】 本作『カーラリー殺人事件』では田浦二郎の推理能力の描写として、チェスタートンの『奇妙な足音』、クイーンの『Yの悲劇』を義姉に朗読してもらう途中で当てたとして、それぞれの真相・犯人までネタバレしている。まあこんな作品に手を出すヒトで、この二作を読んでない方もまずいないだろうけれど、一応、注意しておきます。 (あと、ホレス・マッコイの『彼らは廃馬を撃つ』についてもなあ……。そっちも、原作も映画も、先に読んで観ておいた方がいいかも。) |
No.841 | 6点 | 百万長者の死- G・D・H&M・I・コール | 2020/05/17 13:52 |
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(ネタバレなし)
その年の11月のある寒い朝。ロンドンのサグデン・ホテルを、元内務大臣で現在は上場企業「英亜商事」の代表であるイーリング卿が訪ねる。訪問相手は、今後の事業の提携相手であるアメリカ人、ヒュー・レスティントンだったが、当人の部屋はすさまじく荒らされ、相手の姿は無かった。ついでホテルの従業員たちの証言で、レスティントンの秘書と称するロシア人、イワン・ローゼンバウムが人間が丸ごと入るような大型サイズのトランクを持って、少し前に宿から出ていたことがわかる。やがてロンドン警視庁から馳せ参じたブレーキ警部が捜査を進めるうちに、レスティントンの意外な正体、さらにイーリング卿とレスティントンの業務構想にからむロシアの過激派共産党の暗躍、いろいろな情報が集まってくるが……。 1925年の英国作品。 ……あー、ウィルスン警視ものでは本当は『ブルクリン家の惨事』(これはG・D・H・コール単独の執筆作品なので、本サイトでは「コール」標記の作家カテゴリーに登録)が先か。そっちも持ってるんだから、先にそちらから読めばよかったかも(汗)。 それで今回、創元社の「世界推理小説大系」版(ミルンの『赤い館』と合本)で楽しんだけれど、これも少年時代に購入して何十年も寝かしてあった積ん読本。ようやっと読んだのだった(笑・汗)。 (挟み込みの月報とかを見ると、そーか、心の隅にひっかかっていた文言はこれだったかと、確かに昔、一度は手に取っていることを思い出す~といいながら、実は何年か前に初めて完訳版の『赤い館』もこれで読んだはずだが、その時に月報を見直した記憶はないなあ。なんでだろ?) でもって内容ですが、ああ、乱歩がいっとき高く評価していたのは、こんな話だったの? という感じです。 前評判のとおり、相場の変動操作までを主題にした経済風俗小説の趣も強く、日本でいったら昭和30~40年代の社会派というか専門業界ものの要素が強い謎解きミステリ、あの路線の英国・1920年代版じゃないでしょうかね。 昔「EQ」の翻訳ミステリの新刊評でたしか郷原宏あたりが「小説とは要は面白くてタメになる話のことだ」とかなんとか菊池寛の名言を例に引いていた記憶がありますが、本作は正にソレって感じ。今となってはどうということもない相場の情報だけど、少なくとも当時の英国ミステリの読者にとってはなかなか新鮮だったのではないかとは思える。その意味でキーパーソンといえるイーリング卿のキャラクターなどは、けっこうよく書けているし。 一方で謎解きミステリとしては、怪しい人物ローゼンバウムが当初から設定されている分、よくもわるくも素直なフーダニットではない(最終的に彼がやっぱり真犯人なのか? それとも? については、もちろんここでは書かないが)。 さらに英国ミステリの王道的な系譜といえる「それではここで読者に、物語の陰にあるもうひとつの逸話を語ろう……」形式の過去編にもストーリーが次第に雪崩こんでいくし、本作が面白いかどうかは、ここらへんの話の変化球ぶりを楽しめるか否かが大きいだろうね。評者の場合、ぎりぎりのバランスでまあ、これはこれでよし、という手応えであったが。 あーあと、本作のメイントリックは、乱歩の『続・幻影城』の「類別トリック集成」のなかではっきりとバラされていましたな。本作を読んで、クライマックスのその該当部分に近づくまで、そのことをすっかり忘れていた。ある意味では助かったけれど(笑)。 それでたしかにミステリとしては、いささか「なーんだ」の出来ではあるものの、最後のドラマ的な決着は相応の軽いインパクトではある。黄金時代のパズラーの諸作をある観点から並べて整理していったときに、本作の狙いというか立ち位置も改めて見えてくるかもしれない。 まあ名探偵キャラクター単体でいうならば、ウィルスンって本作を読むかぎり、フレンチ警部のデッドコピーというか、子供のいるフレンチ以上のものじゃないけれどね。むしろ家庭人の側面をやや強調されたという点では、意外にのちのジョージ・ギデオンあたりの先駆といえるかも。 |
No.840 | 7点 | 赤い熱い海- 佐野洋 | 2020/05/15 20:25 |
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(ネタバレなし)
196×年8月4日。羽田発函館行きの「東北航空」の航空機が飛行中の出火により函館沖に不時着。乗客18人と乗員3人のうち、前者の3名が海中に没して死亡と認定された。だが函館の企業「花井漁網」の専務である井波浩三の妻・昭子が、夫は乗客名簿に名前がないがもしかしたら誰かの名義で遭難機に乗っていたのでは? と疑義を抱いた。昭子の疑念を受けた東京と札幌に本社・支社を置く大手探偵事務所「全日本秘密調査網(AJSS)」の面々は、井波が乗っていた、そうでない状況をともに念頭に置きながら、死体の上がらない遭難者が本当に死んだのか、もし生きているならなぜ? とあらゆる可能性を追い求めるが。 十数名の規模の民間探偵組織がほぼ一丸となって事件を追う(主要な探偵役はそのうちの4~5人だが)という趣向は独特のダイナミズムを感じさせるが、一方でこれなら、普通の警察捜査形式の謎解きでもよかったのではないか? という気もしないでもない。まあこの設定ならではの作中のリアリティのデティルもそれなりに書き込んであるので(いくらそれなりの規模とはいえ、あくまで民間企業である探偵社の弱みとか)、変わったものを読ませてもらった新鮮さは担保されている。 主要調査員の動向だけ追っても並行して4つ5つのドラマが進むのだが、最終的にはその構成がうまく生きるあたりの手際はさすが。ここではあんまり書けないけれど。終盤の謎解きはやや強引で力業な感じもあったが、意外性としては十分に評価していいだろう。斎藤警部さんのおっしゃるとおりに企画と技巧が先行しすぎたきらいはあるが、力作なのは間違いない。 作家としてのポリシー的に、長編ミステリでのレギュラー探偵をほとんど作らなかった作者だと思うけれど、このAJSSのシリーズはもう何作か読んでみたかったな。原島の成長譚なんか、連作の上で面白いファクターになった気がする。 |