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人並由真さん
平均点: 6.33点 書評数: 2106件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.1126 8点 ソロモン王の洞窟- H・R・ハガード 2021/03/15 19:54
(ネタバレなし)
 19世紀の末。「私」こと、高名なハンターながら求道がすぎて貧乏な50代前半の英国人アラン・クォーターメンは、30代半ばの金持ちの英国貴族ヘンリー・カーティス卿から相談を受ける。それは2年前にアフリカ奥地で行方不明になったヘンリー卿の弟ジョージを捜索する旅に、同道を願うものだった。情報を交換した彼らはその奥地にダイヤの秘宝が眠る可能性まで認めた。ヘンリー卿の友人の海軍大佐ジョン・グッドを仲間に加えた一行は、現地アフリカの従者たちとともに灼熱の砂漠を、そして極寒の雪山を超えて目的地の秘境にたどり着く。だがそこで彼らを待っていたのは、未開の小国ククアナ国での戦乱であった。

 1885年の英国作品。作者ハガードの第二長編で出世作。そしてアラン・クォーターメンシリーズの第一弾。

 イギリス冒険小説を嗜むならH・R・ハガードもまずは一冊くらい読もうと思い、少し前にブックオフで出会った創元文庫版(旧ジャケットカバー)を購入(その後、蔵書の中から数十年前に買っていた、未読の同じ本が見つかった……)。
 
 昨日から読み始めて、真ん中でひと晩小休止したのち、ほぼイッキ読みしてしまった。
 解説によると本作執筆時のハガードの仮想敵は、少し前から英国の読書人の間で反響を呼んでいた『宝島』だそうで、実際に刊行後の本書は『宝島』以上の英国読書界の好評を獲得。部数もずっと多く出たそうである。
 大仰な話だが、あれよあれよとお話が転がっていく展開のスピーディさは確かに時代を超えて格別。
「スティーヴンスンなら一章費やす描写をハガードは2ページで済ませてしまう」とやはり解説にあるが、それはいささかオーバーでは? とも思うものの(クライマックスのククアナ国内戦の合戦シーンの迫力と密度感、重量感はスゴイ)、まあ言いたいことは、わからなくもない。
 
 ちなみに文明人が未開の原住民を欺いて自分たちを一種の超人(魔術師とか宇宙人とか)に見せかけるため、(中略)のタイミングを利用するという昔ながらのネタは、本作がたぶん嚆矢なのであろう。これも初めて知った(以前にどっかで見知っていて忘れてなければ)。

 ストーリーは素朴といえば素朴だが、一方で良くも悪くも社会的コンプライアンス(人種問題とか)を気にしなくてよい時代の作品らしい、今ではなかなか味わえないバーバリックな物語性に満ちている。その意味では21世紀の現在でも、いやある面では~少し頭を冷やしながら~21世紀のいまだからこそ熱狂できる、古典冒険小説だともいえる。

 しかし主人公アラン・クォーターメンが意外に高齢の設定なのは、ちょっと驚いた。フィジカルな活劇場面はヘンリー卿に、原住民の美少女とのロマンスはグッド大佐に任せ、物語の手記を綴るベテラン探検家という役割分担のなかで、それなりのキャリアがあった方がいいという判断だったのだろうが。
(ドイルはハガード信者だったらしいので、チャレンジャー教授シリーズへの影響とかも興味深い。ちなみにJ・D・カーも当然のごとく、愛読していたようである。)

 クラシック作品なのは間違いないけれど、いま読んでも十分に面白いクラシック冒険小説であった。

No.1125 6点 人を呑むホテル- 夏樹静子 2021/03/15 01:43
(ネタバレなし)
 コンパニオンガールや水泳コーチなどのフリーター仕事で生活費を稼ぐ23歳の畑野テオリ(テコ)は、BFの会社員、赤司行彦と婚約した。二人はその年の9月5日、行彦の大学の恩師で親代わりといえる坪坂保巳教授夫妻たちとともに、富士山周辺の夏季限定ホテル「精進湖ホテル」に旅行する。そこは10月から6月まで休業。だがその老舗ホテルには「9月30日の業務最終日、泊まった人間の誰かが、いずこかへと消える」という呪いの伝説があった。いったんは東京に戻った一同だが、やがて坪坂夫妻が行方をくらました。夫妻は9月30日に、ふたたび精進湖ホテルに泊まったらしいという経緯が見えてくる……。

 光文社の「女性自身」に昭和57年4月から翌年6月まで「人をよぶホテル」の題名で連載(週刊誌に一年以上!)された長編。「長編恐怖サスペンス」の肩書きで文庫オリジナルで刊行された、本文450ページ以上の紙幅豊かな作品である。

 評者の場合、もしかしたら『Wの悲劇』の元版を少年時代にリアルタイムの新刊で購読して以来の夏樹長編かもしれない(汗)。一年ぐらい前にブックオフの100円棚で見つけ、題名とあらすじが面白そうなので購入。
 今夜、気がむいて通読したが、怪異な失踪の謎に始まって事件の裾野が広がっていく展開はそれなりに読ませた。
 ただし序盤の描写から明るい探偵カップルものを期待すると微妙に違う方向にいってしまい、あれよあれよ、ではある(もちろん主役たちの着地点は、ここでは書かないが)。

 良くも悪くも連載の長期化にあわせて、主人公たちがあちこちにとびまわる際の旅情的な描写でページを稼いだ感じもするが、それでも少しずつ話はちゃんと進めはするので、とりあえず退屈もしないし、話の流れにムダもそんなにない(異論はあるかもしれないが)。女性誌連載ならこれはアリだろうという、ヌカミソサービスが多めの作品ともいえるが。

 ある程度は先読みできちゃう部分もふくめて、物語は二転三転。それ自体はいいのだが、登場人物の絶対数が少なく、さらに主要キャラのポイント的な叙述もしっかり書いておいたのがアダになって、ラストの意外性があんまり意外でないのは残念。
 全体的に長すぎて、ちょっと水っぽい感じはしないでもないが、最後の勢いのある謎解きはまあまあ。クロージングの余韻は、なかなか悪くない。佳作、でしょうな。

No.1124 7点 池袋ウエストゲートパーク- 石田衣良 2021/03/14 04:41
(ネタバレなし)
 1997年から活字になり、およそ20年前からTVドラマ化やコミカライズもされている人気タイトル。
 00年代の東西ミステリにはそんなに詳しくない評者でも、すでにかなりのシリーズ続刊が出ているメジャータイトルということぐらいは知っていた。

 なお個人的には、原作も未読なまま視聴した、昨年秋からの新作テレビアニメ版が、本シリーズとのファースト・コンタクト。
 くだんのテレビアニメはそれなりに面白かったが、気がつけば、これだけの人気タイトルのハズ(?)なのに、本サイトではまだレビューがまったくない!?

 それでじゃあ原作ってどんなもんなんだろと気になって、ひと月ほどまえに入った古書店でかなり状態の良いデッドストック級の文庫本(このシリーズ第一巻、全4編の中短編集)を100円で購入。今から1週間くらい前から読み始めて、昨日ようやく読了した。

 一番驚いたのは、原作小説が作品の空気感もキャラクター描写も、アニメ版とまるで異なること。いやある程度は、大人・一般向け作品をティーンも観られる深夜アニメとしてマイルドに潤色しているだろうとは思ったが、これほどとは思わなかった。
 
 もちろん主人公マコトが大枠で正義漢の若者なのはアニメも原作もかわらないが、小説の方ではカツアゲを普通にしていた経歴も明かされるし、女子たちとの情交場面もごく自然かつあからさまに語られる。一応、当人のモラルの範疇ながら、ダーティな行動のリミッターもかなりゆるい。

 物語の方もアダルトな描写や未成年が被害者になる猟奇殺人などきわどいものが主体(少なくともこの1巻では)。アニメ版はよくいえば気を使って作った、わるくいえば生ぬるい作りだったことを、つくづく痛感した。
 
 そんなわけで個人的には、先に接したアニメ版との相応の乖離ゆえ、かなりショッキングな感触を抱く。
 しかし一歩引いて見るなら、実はこれくらいのクライムノワール、青春ノワールものなど、2010年代の国産ミステリ界では、たしかにさほど珍しくもないのである(だよな)。
 だから冷静に見れば<こなれのよい。その手の青春ノワール事件屋ものの新世代の先駆>という評価あたりに落ち着きそうだ?

 4編の中短編は、それぞれ基本的に池袋界隈の裏と表の素描、そこにたむろする主人公マコトをふくむ面々の人間模様を興味の核とするが、中にはミステリ的にちょっと~相応に工夫された話もあり、なかなか飽きさせない。
 リーダビリティの高い文体の軽さとそれぞれの話の主題の重さ。その双方のバランス取りが独特の手応えを感じさせるエピソードもあり、なるほどこれはファンも多いはずだとは思う。

 まあ私的には、今回の新作アニメ版は今となっては入門編として良かったと割り切り(今でも別にキライになったわけじゃないし、アニメ独自の演出で良かったとこもあった)、改めて原作の二冊目以降も、機会を見て読んでいこうとは思っている。 

No.1123 8点 サイボーグ・ブルース- 平井和正 2021/03/13 16:50
(ネタバレなし)
 科学技術が大きく発達しながら、人類の意識は旧来とそう変わらない未来。「私」こと若くて優秀な黒人刑事アーネスト・ライトは、犯罪組織の手先である悪徳警官に高熱の熱線銃で撃たれて死亡した。だが彼は、宇宙船一隻が建造可能な予算を費やして、全身がほぼアンドロイドのごとき、高性能のサイボーグ特捜官として復活する。それから7年、根強いレイシストの侮蔑にさらされ、同時に内面では、もはや普通の人間でない現実に葛藤し続けるライトは、順当にサイボーグ特捜官としての実績を積んでいく。しかし腐敗した警察と暗黒街との癒着は改善されることなく、そのために無辜の市民の犠牲が出たとき、ライトはついに辞職を決意するが。

「SFマガジン」に1968~69年にかけて連載。1971年に早川書房から初の書籍が刊行された平井和正の初期長編。
 周知の通り、1965年にさる事情から不本意な形での終焉を迎えた平井原作のSFコミック『8マン』へのセルフオマージュとして書かれた作品。現在のwebで情報を探ると『8マン』そのものを小説化という構想が起点だそうだが、その辺りは筆者は知らない。

 いずれにせよ、以前から作者が本作については「8マンへのレクイエム作品」という主旨の言葉を用いているので、いつか読もうとは思っていた。数十年前に購入しておいた角川文庫版を少し前に蔵書の中から引っ張り出しておいたので、このたび読んでみる。

 一読してみると大枠で長編小説なのは間違いないが、作中では別個の事件が順々に起きる構成で、連作短編作品的な側面も強いのに軽く驚いた。
 しかも最初のエピソードで警察を辞めたライトが次に出会う事件が、金持ちの美女のヒモ亭主的な立場になった、酒好きの若手作家との友情エピソード。平井和正が私淑していた作家三人のひとりがチャンドラーだということはもちろん知っていたが(あとの二人は山本周五郎とアルフレッド・ベスター)、こうまで露骨に『長いお別れ』リスペクト編を綴っていたのかとぶっとんだ。とはいえSFミステリとしてのアレンジの仕方はなかなか興味深く、そこは当時の平井の恣意、あるいは掲載誌「SFマガジン」の場の力を感じる。
 続く事件のネタも、ああ『8マン』からだな、とか、のちの『ウルフガイ』に続いてゆく文芸だな、とか、平井ファン(現在では評者はそんなに熱心な読者ではないが)には興味深い部分も多い。

 いずれにしても全体としては、平井作品のなかでもっとも、SFビジョンと捜査ものクライムミステリの成分がとけあった作品ではあろう。
 まあ、ジャンルとしてはSFハードボイルド分類だけれど、主人公ライトの振幅する内面はけっこう明け透け。その意味では感情描写を排した<ハードボイルド>というより、やっぱり平井版のチャンドラーなんだけれど。(相応に、大藪春彦の影響も受けているとも思うが。)

 物語はインターバル編(これだけ主人公ライト以外の挿話)を一本挟んで5つの章で構成。のべ6パートで語られている形になる。
 ここではあまり詳しいことは言えないが、作者は最後のひとつまえの本筋の第四章でハードボイルドミステリ、あるいはチャンドラーへの義理を果たし、最終章の第五章で自分が選択したSFジャンルへの傾斜を語ったという感じ。
 正直、かなり予想外で虚を突かれた思いのクロージングではあったが、一歩引いて見るなら、作者の意図は理解できる……ような気もする(特に、これは20~40代の平井和正がその年齢のなかで書いた作品なのだろう、という観測も踏まえて)。
 これは自分の人生のなかで、もう少し早く読んでいたら、だいぶ見方が変わっていたかも。久々に、そういう思いの本に出会った。

 最後に、作中には60~70年代の現実の文化を投影したものがあまり登場せず、そもそもこの物語が何世紀の設定か(20~21世紀からどのくらい先か)すらはっきりしない。
 以前に平井は別の作家との談話で、自作の小説をいつまでも古くさせないためには、とにかく作中から時事的な風俗描写、その時代の文化描写(未来SFならそういうものを反映させた叙述)を一切、排除すること、と語っていたが、本作はまさにその作法をストイックなまでに実践しており、かなり驚いた。なるほど確かにその効果は大きく、21世紀の現在読んでも、意外なほどに作品の鮮度は高い(細部のすべてまでとはさすがに言えないが)。
 昭和の香りがするかび臭い作品なんかもつねづね大好きな評者だが、今回は仕様を演出した小説ならではの、ある種の力のようなものを、改めて実感した思いがある。評点は0.5点ほどおまけで、この数字に。

No.1122 6点 白日鬼- 蘭郁二郎 2021/03/12 03:37
(ネタバレなし)
 その年の晩秋の土曜日。「私」こと若手作家の河村杏二(きょうじ)は、行きつけの喫茶店「ルージュ」の店内で美しい娘を見かけ、心惹かれる。その名も知らぬ娘がいわくありげな文書の紙片を残していったのを、気にする河村。その直後、通りを歩いていた河村は近所のビルの上階から銃声を聞き、ビルの管理人、近所にたまたまいた警官とともに中に入り、密室ともいえる状況の中で射殺された死体を発見する。やがて事件は、数百年前の秘宝が眠るという伝承が残る伊豆近海の孤島「兜島」にからむ連続殺人劇へと発展してゆく。

 戦前のミステリ同人誌(のちに商業誌)「探偵文学」(のちに「シュピオ」に誌名変更)に、1936年10月号~37年3月号にかけて連載された長編。
 1941年に『孤島の魔人』の題名で書籍化されたが、現在は光文社の『「シュピオ」傑作選」』に連載版の題名で一挙掲載されているものが、一番簡単に読める。当時の挿絵も再録した丁寧で有難い編集で、当然、評者もこれで今回、読んだ。本作だけで文庫版280~290ページの紙幅だから、まずまずの長さといっていいだろう。

 不勉強な評者は、作者・蘭郁二郎については、本当に名前を見知ってる程度の知識しかなかったので、このたび『「シュピオ」傑作選』での作者解説を読み直して、戦中に若死にされた去就なども改めて意識した。
 本作はその蘭が遺した数少ない長編ミステリで、ジャンルを分類すればスリラー風味のフーダニットパズラーという内容である。

 冒頭の殺人などは特に施錠された空間、というわけでもないが、複数の証人を前に殺人の前後に怪しい人物の姿などは特になかったこと、さらには現場に残された拳銃と死体の弾痕が合致しないなどの謎が地味に興味をひく。
 さらに以降の事件では、乱歩か横溝のスリラー編なみの派手な死体出現の演出と、それに合わせたちょっとトリッキィな創意も用意されている。
 くわえてシンプルな叙述ながら<ほぼ同じ時間に、同一人物が遠方の場所にいた?>という不可能興味まで登場してくる。
 正直、それぞれの真相は、あまり大きな驚きを期待されても困るレベルだが、読み手を楽しませようという作者の熱意は十分に認められるもので、好感度は高い。
 
 また事件の流れは、主舞台のひとつである兜島の秘宝伝説にちなみ、骨董品のジャンル=専門的なトリヴィアにも接近。これに加えて、東京から伊豆の洋上にある兜島への行状も旅情的に語られ、ちょっとしたトラベルミステリーの趣もあって、なかなか退屈しない。

 惜しむらくは、先に書いたように解決がややヤワいのはまだしも、ラスト、事件の真相の多くを(中略)という形式で晒していること。
 実は本作には途中から、主人公・河村の恩師で60歳前後の博覧強記の大学教授、春日井泰堂という人物が登場。どことなく横溝の由利先生あたりを想起させるキャラクターで、たぶんこの人をもっと名探偵っぽいポジションに置きたかったのだが、それをやりかけて中途半端に終わってしまったような気配がある。
 作者が戦後もご存命なら、もしかしたらこの春日井教授は良い感じのレギュラー名探偵になっていたかもしれない。ちょっともったいない。

 全体としては、とびぬけて特徴的な際立った得点要素はない作品だが、ミステリファンの心の琴線に触れるような小中のポイントはそれなりにあり、まずまず楽しめた。
(特に真犯人の動機というか犯行の背景の文芸は、妙な情感を煽る面もある。)
 書かれた時代も踏まえて、佳作くらいには認めたい一編だと思う。

No.1121 7点 ニューヨーク・デッド- スチュアート・ウッズ 2021/03/11 05:18
(ネタバレなし)
 その年の9月。深夜のニューヨーク。銃創で足を痛め、少し前に退院したばかりの38歳の二級刑事、ストーン・バリントンは、高級マンションの12階から若い女性が転落するのを目撃した。奇跡的に柔らかい土砂の上に落ちて即死を免れた彼女は、TVの人気キャスター、サーシャ・ニジンスキーだった。ストーンは救急車を手配するが、病院に向かう途中でその救急車は事故を起こし、気がつくとサーシャの姿はいずこへかと消えていた。NY市警は総力を上げて、重傷またはすでに死んでいるであろうサーシャの行方を探すが、やがてストーンたちの目前に意外な事実が明らかになってくる。

 1991年のアメリカ作品。
 ウッズ作品は初読みの評者で、少し前からそろそろ代表作らしい『警察署長』あたりを読もうか……とか思っていた。そうしたら今年正月のブックオフの近所の店の一部半額セールの際、100円棚で状態のいい本作を発見。あらすじを見て面白そうだったので50円(+税)で購入し、数か月後の今回読む。これが、自分にとっての最初のウッズ作品だ。
 
 訳者あとがきに「ジェットコースター。ほとんど解説のいらないお話なのである。」の一文があるが、正にそのとおり。予想を数段上回るリーダビリティの高さで、430ページ以上の紙幅をいっきに読ませてしまう。
 
 物語はメインの事件となるサーシャの身柄消失、その前段階のそもそもの彼女の転落の事情の謎(事故か自殺か他殺か不明~さる理由からその内のひとつが有力視はされるが)、このふたつの興味を主軸に進むが、途中から、この事件に関わりあったがゆえに彼自身の立場が大きく変遷してゆく主人公ストーンのドラマにもフォーカス。
 さらにモジュラー形式の警察小説的に、NY市内で続発するタクシー運転手連続殺人事件もサイドストーリーの流れを築いていく。

 前述のとおり実にハイテンションかつスピーディに読ませる娯楽編の警察小説(の変種……というべきか。ここではあまり詳しいことは言えないけれど)だが、最後まで読み終えると事件の枝葉の広がりに対して、人間関係の裾野が一部せせこましい。そのためこの辺は、箱庭的でミニマムな作劇、という思いも感じたりもした。

 なおこの種の作品では肝要となるはずの<NYという都市空間>は相応に書き込まれ、あちこちのロケーションをとびまわるストーンたち主要人物の姿は順当に躍動的だ。
 まあ文明観的に大都会=NYを外から中から見る視点などがあまり感じられず、さらに地下鉄などがほとんど登場しないのが、ちょっと残念な印象もあるが。

 面白さだけ言ったら8点でもいいけれど、前述のいくつかの弱点(特に人間関係の狭さ、など)がちょっとだけ気に障るので、若干減点して、この点数で。
 一日フツーにしっかり楽しめる、エンターテインメント警察小説(の変種)……ではあります。、

No.1120 9点 流砂- ビクトリア・ホルト 2021/03/10 14:59
(ネタバレなし)
「私」ことキャロライン・バーレインは、心から愛し合い、そして自分の分までピアニストとしての夢と栄光を託した夫ピエトロを急病で失った。28歳の未亡人になったキャロラインの肉親は、強い絆で結ばれる2つ年上の独身の姉ローマのみ。キャロラインが音楽の道を進む一方、死別した両親と同じ考古学者となったローマ。だが彼女は、イングランドのケント州の広大な砂州「ラバット・ミル」、その周辺の古代遺跡を調査中に、ある日突然、行方不明となった。ラバット・ミルには偏屈な老大富豪ウィリアム・ステイシー卿を家長とする屋敷「ラバット・ステイシー」があり、ステイシー卿はローマ失踪事件で周囲が騒がれるのを歓迎しない。キャロラインは、自分がローマの実妹という事実は隠し、あくまで有名な音楽家バーレインの未亡人でほぼ同等の技量をもつピアニストとして、ラバット・ステイシーの娘たちのピアノ教師の職務を獲得。ひそかに姉の行方を探ろうと、広大なラバット・ミルの周辺に乗り込むが。

 巻頭の版権クレジットによると、1970年の英国作品。
 訳者・小尾芙佐(おび ふさ)のあとがきによると1969年に書かれた、とあるが……そっちは雑誌連載か何かの初出データか? ちなみにWikipediaでは1969年の作品と現時点で記述。

 20世紀後半のゴシック・ロマンの巨匠で、1970年代から21世紀にかけて本邦でもファンの少なくないビクトリア(ヴィクトリア)・ホルト。別名義ジーン・プレイディーでの著作もあるが、ホルト名義ではこれが8番目の長編でそして日本での初紹介長編。
 現状でAmazonにデータ登録がないが、角川文庫から昭和46年9月10日初版刊行。定価は320円。そして本文はおよそ560ページほどの堂々たる大長編。
 たしか記憶に間違いがなければ、刊行年度のミステリサークル「SRの会」の年間ベスト投票でかなり高位だったはず(1位だったかも?)で、古書価格も高い時では8000円になるプレミア本。評者は大昔の少年時代にどっかの古本屋で150円で入手して、何十年も積読であったが(汗)。

 それで思い立ってついに今回手に取ったが、いや、さすがに面白い! さすがに一日で読了は仕事などの関係もあってムリだったが、それでも睡眠時間を削って二日間でほぼイッキ読みしてしまった。

 物語の主舞台となる大邸宅ラバット・ステイシーに『ジェーン・エア』(註1)を思わせる立場で乗り込んでいくキャロラインだが、そこではウィリアム卿の次男の青年ナピア(30歳)と、ウィリアム卿が後見する17歳の娘で父親から多大な遺産を受け継いだエディスとの婚姻が行われたばかり。キャロラインはそのエディスを含む邸宅周辺の4人の10代の女性たちのピアノ教師になるが、実はこの屋敷はナピアの実兄で、彼が13年前に事故で死なせてしまった美青年ボーモントのカリスマ性に今も強く支配されていることがわかってくる。うーん『レベッカ』だ(註2)。
 素性を隠しながら姉ローマ失踪の手掛かりを探るキャロラインの前に、入れ替わり立ち替わり、屋敷周辺の人物がそれぞれの歩幅で接近。やがて近所にはボーモントの幽霊? と思える気配が出没し、そしてさらに第二の失踪? 事件が……。

 訳者・小尾芙佐はホルト作品の登場人物を「類型的ながら魅力的」と記述。早くも邦訳一冊目でこの作家の本質をズバリ簡潔に言い表しているのは、さすが名訳者。いや、類型的なのは悪いことばかりではなく、フォーミュラ・タイプのキャラクターシフトで読み手に安心感を与えながら、その上で芳醇な物語性でさらにストーリーの奥の方の興味へ読者を引きずり込んでいく筆力の強靭さが、ホルト作品にはある(評者はまだ3冊目だが)。日本に支持者も多いわけだね。
 主人公キャロラインの人物造形からして正に求心力絶大なキャラクターで、ほかの家族3人とは違った道を歩み、そこでひとかどの成果を上げたものの(フランシスの『度胸』か)、あと一歩のところでホンモノになりきれず、もともとは異性の同格のライバルだった若者と結ばれ、時にぶつかり合いながらも、今後の人生は彼を支えようとしっかり決意したら、その直後に愛しい夫を失ってしまった……もうこれだけで掴みは十分だ! 職人作家の秀逸な手際がいきなり炸裂している。

 とにかくぐいぐい読ませるストーリーテリングで、作風はもちろん必ずしも同じではないが、その勢いはキングやクーンツ、シェルドンらの一線作品にもまったく引けを取らない。ラストの黒幕や伏線は一部先読みできるところもあるが、それでもクライマックスは予期した以上に(中略)。最後は啞然、呆然としながら山場からクロージングにかけての流れを読み終えた。
(しかしこのクライマックス、長年の間にはもうちょっと「スゴイ!」とか「(中略)!」とかの感慨だけでも聞こえてきても良さそうなのに、ほとんどWeb上や印刷媒体などで噂になってない。やっぱそれだけレア本だからなんだろうな。)

 なお物語のメインステージとなる砂州=ラバット・ミルだが、海岸に面したとにかく広くて深い砂浜。わかりやすく言えば、鳥取砂丘とかがほぼ全域、地層数十メートルの砂の底なし沼のようなイメージであろう。随所に安定した足場もあるが、うっかりすると自重で深淵な地中に永遠に沈んでしまう危険地帯である。
 潮の満ち干の影響で座標した船舶なんかも脱出は困難で、うかうかすると乗員も船体もろとも砂に飲まれる。
 場所はアフリカだが、ジェンキンズの『砂の渦』など同様の砂州が主舞台で、ガーヴの『遠い砂』にも類似のロケーションが出てきたようなそうでなかったような。

 なにはともあれ、本作は優秀作~傑作。

註1……すみません。まだ未読です(汗)。
註2……こちらも未読。映画は観ているが。 

No.1119 6点 犯罪ハネムーン―新婚刑事事件簿- 生島治郎 2021/03/08 05:48
(ネタバレなし)
 フリーライターの牧村容子は、大学の先輩で7歳年上の警視庁捜査四課の刑事・青野純平とめでたく結婚。純平の希望を受けて専業主婦となった容子は、夫が仕事中のアパートでヒマを持て余す。だがそんな彼女の周囲に、それぞれの事情から困った人や夫の仕事がらみの犯罪者? などが出現。牧村夫妻の対応はいかに。

 連作集『犯罪ラブコール』の続編で、今回は8本の短編を収録した一冊。シリーズものとは知らなかった(さらにもう一冊ある)ので、ブックオフの棚で現物を見つけて軽く驚いた。

 ちなみに本作の巻頭に収録の「女房暴走族」が新婚編の第一話だが、純平が、独身時代はフリーライターとしてバリバリやっていた容子に言ったセリフが「夫が働いて帰ってきて、女房が家で仕事して原稿なんか書いていたらたまらんからやめろ」(大意)であり、これって生島がかつて小泉喜美子と結婚する際に当人に告げた現実の物言いとほぼいっしょ(生島夫妻の場合はより正確には、夫婦で机並べて書き物なんかしてる図を考えるとたまらないからやめろ、とかだっけ)。
 本作の元版は85年3月の初版で、さらにこのシリーズが雑誌連載とかしていたら、85年11月に亡くなった小泉喜美子は晩年に本作にも触れた可能性も強いよね。あまり下世話なことを言ってはいけないのだけれど、なんらかの感じるものはあったのではと当時を偲んでしまった。

 読み物キャラクターミステリとしては、前巻同様にいい感じの佳作~秀作ぞろいで、サクサク楽しめた。全8本のなかでベスト上位は、小味ながらトリッキィな「囮になった女房」、ゲストヒロインが印象的な「姦通刑事」、犯人像がちょっと怖い「新郎逮捕」あたり。

 今回も集英社文庫巻末の、清水谷宏のいかにもミステリファンっぽい解説は楽しい。ところで警察小説ジャンルの刑事の夫婦ものの話題で、メグレ夫妻は挙げなくていいんですか? 

No.1118 6点 ならず者の鷲- ジェイムズ・マクルーア 2021/03/08 05:10
(ネタバレなし)
 南アフリカの小国レソト。そこに表向きは海外特派員として駐在する英国情報部の青年フィンバー・ブキャナンは、CIA派遣の美人スパイ、ナンシー・キットスンと時に情報交換をしながら、おおむね平穏な日々を送っていた。だがそんななか、山地マパペングに不穏な動きが認められ、その中心人物のひとりはかつてヒットラー政権のナチスの党員だったダーク・スタインだった。上司アンドルー・マンロー少佐から情報と指示を受けたブキャナンは、知己もいるマパペングに向かい、状況を探るが。

 1976年の英国作品。同年度のCWA、シルバー・ダガー賞受賞作品。
 
 ハードカバーの本文二段組、紙幅250ページはそんなに厚くはないが、ブキャナンが現地に赴き、主要キャラと顔を合わせながら調査を始めるあたり=中盤くらいまでは、叙述の丁寧さが災いしてかなりかったるい。
 読み終わって後から思うと、決して冗長な展開というわけではなく、きっちりとデティルを積み重ねている作法だから、文句を言うには当たらないんだけれど。

 後半になって主人公とヒロインが窮地に陥り、さらに派手目な殺傷沙汰が生じるとようやく話に弾みがついてくる感じではある。
 ネオナチテロリスト側の、物語のクライマックスに関わる謀略の実態も明らかになり、この辺になるとそこそこ面白くはあるが、とにもかくにも実にマイナーかつローカルな第三世界の小国での事件。
 国の規模の大小で、そこでの無法テロの是非を問題にするのはもちろんおかしな話だが、それでもどうしたって地味さと渋さ、そして独特のエキゾチシズムがついて回る。たぶん当時のCWAの選考メンバーには、このマイナートーンの晦渋ぶりが受けたのであろう。
 終盤、(中略)が(中略)する作劇はちょっと意表を突かれたが、<この手のもの>の一本としては、こちらの心に大きく響くものは特に得られず終わった。それでもちょっといいな、と思ったシーンや作劇のツイストなどはひとつふたつはあったので、評点はこのくらいで。
 
 思えばマクルーアを読むのも、何十年ぶりであったな~。

No.1117 6点 湖底の囚人- 島田一男 2021/03/06 14:00
(ネタバレなし)
 中央ホテルの密室で、70歳の資産家・薮田十兵衛が何者かに殺された。容疑は薮田の女中・福間はる子にかかるが、逮捕された彼女は、「私」こと「東京日報」の社会部記者・瀬浦太郎をふくむ衆人監視の白昼、姿なき殺人者? の手で殺害される。薮田やはる子は、12年前に大型ダム建設のために水没した鮫ヶ井村の関係者だった。そして瀬浦のもとには、旧友の画家でやはり同じ村の関係者の河野守夫から、さらなる連続殺人を予見した手紙が届く。瀬浦は社会部部長・北崎の認可のもと、公務の取材として今はダムとなった湖・鮫ヶ池=かつての鮫ヶ井村の地元に赴くが。

 1950~51年の「宝石」に連載されて1951年に書籍化された、スリラー風の謎解きフーダニット長編。
 島田一男の作品群のなかでは、北崎部長をメイン探偵役とする「社会部記者(事件記者)」シリーズの初期長編ということになるのか。

 同時期の「宝石」には、廃刊になった「新青年」から引き取った『八つ墓村』の後編などが連載されている時期であり、奇しくも本作も都会で連続殺人の幕が開き、そのまま物語の主舞台の地方へと移行するというプロットは類例している。

 現地、鮫ヶ井村の周辺では、ダム建設による故郷の水没をめぐって当然のごとく大騒ぎがあり、多額の利権も動いた。売却された土地の利益は村の有力者たち5つの旧家が独占して分割、現状はまだ手つかずで管理されている形になり、ただ村を追われるだけだった旧・村民の大半は旧家の面々に強い嫉妬と憎しみの念を抱いている。連続殺人の惨劇の設定としてはこれ以上ないお膳立てだ。
 
 ただし実に魅力的な謎の提示=不可能犯罪めいた序盤の興味に対してはあまり満足のいく解決が用意されているとはいえず、どちらの真相もほぼチョンボ。特に薮田老人の密室殺人に関してはヒドイ。連続殺人の犯人だけは、まあ意外とはいえる……かも。

 なお評者は本作については「宝石」のバックナンバーの断片を古書店でバラバラに買い集めた少年時代から、ちょっと印象的なタイトルだと思って気になっていた(脱獄囚が水中に沈められる話か? とか)。
 しかし長ずるにつれて意識のなかからこの作品のことは薄れていたが、たまたま先日、出かけた古書市で、1982年の東京文芸社版を200円で入手。購入後、一週間もかけず、読んでしまった。
 謎解きフーダニットとしての評価は先の通りだが、B級の昭和スリラー推理小説としては、とにもかくにもケレン味だけはいっぱいでそれなりに楽しめる。ぎりぎりまで真相の謎解きを引っ張る演出もハイテンションで、あとはこれで解決さえ良ければな、という感じ(笑)。

 あと正直言って、読み終えてもこの題名はよくわからないね。囚人なんて出ないじゃん。冒頭で逮捕されて殺されるはる子は、まだ単に拘留中の身柄だし?

No.1116 6点 悪人専用- 生島治郎 2021/03/05 05:29
(ネタバレなし)
 東京オリンピックの熱気が冷えつつある1960年代半ば。警視庁づとめの第一線社会部記者・橋田雄三は、遊び気分で抱いた女・奥村真紀子を捨てるが、本気のつもりだった相手は失意のあまり自殺した。奇しくも真紀子の父親は橋田の新聞社の重役で、橋田は懲罰人事で横浜支局の閑職に飛ばされる。天職とする事件屋として羽根をもがれた橋田だが、地元で起きた労務者の殺人事件に関心を抱き、そこに巨額の麻薬取引の事実を気取る。橋田はこの件に関わりあった者や使えそうな知人を集めて、薬物の横取りを企むが。

「スポーツニッポン」に連載されたのち元版の書籍が1966年に講談社から刊行。
 自分は今回、集英社文庫版で読了。昔から気になっていた生島の初期作品のひとつだが、ようやく読んだ。
 
 内容は完全な、和製昭和クライムノワール。
 集英社文庫版の巻末解説を担当している北上次郎が元版の作者のことばから引用するに、生島は<外国にはクライムストーリーの秀作が輩出されているが、国内にはないのでこういうものに挑戦してみた>という主旨のスポークスをしていたらしいが、いや、ちょっと違うでしょ? スポーツニッポンの編集部はたぶんズバリ「生島先生、大藪先生みたいなものを」というオーダーだったんでしょ? というような内容である(笑)。
 犯罪小説としてのひねりぐあい・まとめ具合は、大外しもしてないが、ことさら特筆するような褒めたたえるところもあまりない、という感じだ。 

 しかし基本的に悪人しか登場しないノワールで、主要人物の配置そのものも悪くはないものの、正直、なんでここでこの人物がこうなるの? というところどころの箇所が気に障る、そんな作品でもある。
 特に中盤から登場するメインキャラのひとりで元ボクサーの花井卓二が、メインヒロインのはすっぱ娘・中川伊都子にいきなり惚れるくだりとか、さらにその伊都子の終盤の挙動とか、これってどう読んでも作中人物に共感できないだろ、という思いが強い。

 一方で前半、その伊都子が半ば暴力的に橋田に体を求められ、それに自分から応じることで暗いヒロイン像を示すあたりとか、後半に登場する「海蛇」こと競馬狂のアクアダイバー・黒木利介のキャラの立った描写とか、いつもの生島作品とひと味違う感触はなかなか魅力的であったが。

 なお先の北上の解説によると、この集英社文庫版(1979年)刊行当時の作者は本作を振り返って<出来はよくないが愛着がある作品>とかなんとか述懐してるそうで、あーあー、そうだろうね、と、すごく納得がいく(笑)。
 
 作者が作品に込めようとした狙いどころをのぞき込んでいくと、ひとつひとつはさらにひろがっていく可能性もあったんだけれど、全体としては消化不良に終わった感がある。

 ただしいつもの醤油味チャンドラーとは一風異なる食感はなかなか新鮮で、そういう意味では読んでよかったと思える。
 なんか、あとから、じわじわ感じるものが浮かんできそうな気配がないでもない……かな?

No.1115 7点 バルタザールの風変わりな毎日- モーリス・ルブラン 2021/03/04 05:38
(ネタバレなし)
 孤児として辛酸を嘗めつつ独学しながら成長し、いまは自称「哲学教授」としてパリの一角に二流の私塾を開く青年バルタザール。彼は貧民街のあばら屋に、彼のことを敬愛する助手で、やはり孤児である少女コロカントとともに暮らしていた。だがバルタザールの教え子のひとりで、金持ち商人の令嬢ヨランドがそんな彼に求婚した。しかしヨランドの父シャルル・ロンドオは、出自も未詳の男に娘はやれない、係累を証明し、さらに財産を用意してから出直すようにと突き放す。そのとき、本名を告げず「父」を名乗る者からバルタザールに、自分の死後に財産を譲渡するとの文書が届いた。自分の父は誰で、どこにいるのか? 思い悩むバルタザールのために助手のコロカントは、夢遊病かつ千里眼の預言者の女を紹介。そしてその預言者がバルタザールに告げた内容とは?

 1925年のフランス作品。
 ルブランのノンシリーズ長編で、日本では例の保篠訳によって『刺青人生』の題名で以前に紹介され、そこではルパンものに改変されてしまっているらしい(その『刺青人生』は持っているが未読。最近、論創で復刻されたみたいだ)。
 なにが「刺青」かというと、バルタザールの胸に肉親・係累との手がかりになるらしい? 三文字の刺青があるからで。さらに前述の女預言者が、とある、いわくありげな託宣を授けると、やがてその情報に符号する、父親の可能性のある人物が何人も出てくる。
 こんな状況のなかで右往左往するバルタザールの姿が半ばスラプスティックコメディ風に描かれる。
 しかしこの「複数の親」という文芸設定は、同じルブランの別の某連作短編集の一編を想起させるところもあるよね(事態の決着のつけかたは、まったく別ものですが)。

 そもそも幼いころから地道に苦労ばかり重ねてきたバルタザールの人間観は「人生には冒険など存在しない」という冷めたものだが、そんなニヒルな理念が、彼が出くわす大なり小なりの騒ぎや事件のなかで揺さぶられていくのが、この作品の主題。
 創元文庫巻末の訳者解説で三輪秀彦はルパンシリーズと比較しながら彼流の私見を語っているが、ほかにも受け取り方の幅はあるような物語である。
 
 一種のフーダニットといえる「本当の父親探し」の着地点はなかなか唸らされたが、しかし正直なところ、こちら読み手の最大の関心は<バルタザールと(中略)の(中略)>の方にばかり向いていたので……(笑)。
 終盤に登場する本名もわからない某サブキャラが、実においしいもうけ役をつとめていた。

 ちなみに書誌を確認すると、本作はノンシリーズものではあの『ドロテ』の次に書かれた長編だったみたいで、ああやっぱりこの時期のルブランはお話作りに独特の勢いがあったよね、と再確認させられた(まあ『ドロテ』は厳密にはノンシリーズものともいえないかもしれないけれど~あれはむしろルパンシリーズ番外編という扱いにしたいし)。

 いずれにせよ、一読して、気持ちがちょっとほっこりする一冊だった。

No.1114 7点 スピアフィッシュの機密- ブライアン・キャリスン 2021/03/03 05:44
(ネタバレなし)
 47歳の傭兵マイケル・クロフツは、戦場で重傷の戦友ヘルマン・ボッシュを安楽死させたトラウマゆえに、稼業から足を洗う。クロフツはロンドンで二十歳前後の美少女パメラ・トレヴェリアンとも恋仲になり、完全に以前の自分から生まれ変わったと思った直後、むかしなじみの海軍佐官のエドワード・シンプソンに再会。そのシンプソンから、無二の戦友エリック・ハーレイとその妻ローラが、地方での農場経営を始めたと聞いた。現状のエリックの境遇に不審を覚えたマイケルは、単身、エリックの農場に赴くが。

 1983年の英国作品。
 キャリスン作品を読むのは、大昔に手にとった『海の豹を撃沈せよ』以来だと思う。
 
 総ページ300ページ前後で、前半のマイケルとパメラのラブコメチックなやりとりなどすごくヤワい(ここではくわしく書けないけれど、小娘にいっぱい食わされるくだりは、これで百戦錬磨のベテラン傭兵かと、いささか呆れた)。
 だからこれは大してカロリーを使わずに読めそうだと甘く見ていたら、中盤から加速度的に読み応えが増大。どんどん面白くなっていく。

 冒険小説、巻き込まれ型スリラー、エスピオナージュ、それら3つの似て非なるジャンルの要素が実に良い感じでミックス。おそらくは作者の得意フィールドであろう海洋活劇への繋げ方も、スムーズかつ好調。紙幅に対しての充実感でいえば、職人作家としてこなれはじめた(脂の乗り始めた)ころのマクリーンの諸作を思わせる感じ。
 おかげで後半のどんでん返しの連続はお腹にもたれる一歩手前だが、まあギリギリついていけないことはない。
(後半はあと50ページ多くてもよかったのでは、とは、今でも思うが。)

『海の豹』は、なんとも余韻のあるあのクロージングが今でも印象に残っているけれど、こちらはまた違う種類の興趣であった。またそのうち、別の作品も読んでみよう。

No.1113 6点 崩壊 地底密室の殺人- 辻真先 2021/03/02 04:32
(ネタバレなし)
 日本屈指の大コンツェルン、三ツ江グループが5年の歳月をかけて建造したジオトピア。それは東京駅八重洲口の地下街の8倍の面積の空間に設置された、地上12階地下30階の巨大構造物だ。「私」こと三ツ江建設設計部の設計技師、五十嵐励(はげむ)は、このジオトピア建造の主力スタッフの一人。五つ子兄弟の長兄である励は、施設の正式オープン前に、弟の勉と武、そして彼らのそれぞれの妻を伴ってジオトピアを訪問するが、突如起きた大地震によって、暗黒の地底に閉じ込められてしまう。そしてそんな彼の周囲には、誰だかわからない女性の刺殺死体があった。

 大地震で閉ざされた地下の広大な暗黒空間を舞台にした、パニックサスペンスものと謎解きフーダニットの興味を掛け合わせた書き下ろし長編ミステリ。
 
 もちろん1995年の阪神・淡路大震災に触発されて執筆したと思われる一作で、各種ライフラインの途絶やトイレの下水不順に困った地上の人々の描写などは、95年当時の現実のニュース報道そのままに思えた。

 ハズすというか手をぬくときの辻センセイは臆面もないので、これもミステリの部分は短編ネタで、あとはパニック描写や男女の不倫回想エピソードなどで水増しか? と思いきや、決してそれだけではなかった(逆に言うと、そういった部分もそれなりの比重を占める)。ただし前半からの眼目となる<暗闇の中で、この死体が誰か判別できない>というなかなか魅力的な謎の提示は、あまり面白く実らなかった印象。

 主人公格の回想描写を活用して謎解きの興味をリアルタイムのものに限定せず、ミステリとしての関心が広がっていくのはうまいが、一方で別個の事件を送り手の都合でつなぎ合わせたような構成にもなってしまった。あまり詳しくは言えないが、この辺は長編ミステリとしては良し悪しであろう。

 最後には大技がほぼ同時に複数用意されているが、評者はそれぞれ前振りから、ひとつは何となく、もうひとつはかなりはっきりと先読みできてしまった。よくいうならば、きちんと前もって布石を忍ばせておいてある丁寧な作りさともいえる。

 仕掛けの手数がそれなりに多いのはいいが、評者の場合、前述のようにある程度、見破ったこともあり、全体としてのダイナミズムに繋がらなかったのは惜しい。

 クロージング~エピローグの余韻のあるビジュアルは、さすが映像作家として何十年も食ってきただけのことはあるという感じ。

 とにもかくにも力作だと認めるにしかず。

No.1112 6点 紫色の死地- ジョン・D・マクドナルド 2021/03/01 06:07
(ネタバレなし)
「わたし」こと、フロリダのもめごと処理屋トラヴィス・マッギーは、初対面の32歳の人妻モーナ・ヨーマンから相談を受ける。モーナの亡き父カバット・フォックスは地方のエズメレルダ市の名士で、彼女に莫大な遺産を遺したはずだが、それを亡き父の親友で同時に財産管理人、そして今はモーナの夫である58歳の実業家ジャスパー(ジャス)がひそかに不当に使い込んでしまった、という。別の恋人ができたモーナは自由になる金が欲しいので、夫が管理する自分の財産を取り戻してほしいとマッギーに願う。お門違いの相談だと言いかけたマッギーだが、その瞬間、何者かが遠方からモーナを狙撃して、その命を奪った!

 1964年のアメリカ作品。
 トラヴィス・マッギーシリーズの、本国での刊行順で第三弾(翻訳は順不同)。

 本シリーズはだいぶ前に読んだ分もふまえてこれで3冊目だが、良い意味でのシンプルなプロット&描写の焦点が明確な登場人物、などの点で、こないだ読んだ第1作目『濃紺のさよなら』などよりも、ずっと楽しめた。
 
 特にストーリーの前半から、かなりの叙述を費やしてキャラクターが掘り下げられていく本作のメインゲストキャラ、ジャスの黒とも白ともつかぬ人物像がとてもいい。従来のこの手の作品なら憎まれ役が似合いそうなポジションだが、独特な器量の大きさとにじみ出る苦労人ぶりにマッギーが奇妙な友情を感じてしまう心情もよくわかる。本作はこのジャスと、メインゲストヒロインの女子大生イザベル・ウェッブ、そんな2人とマッギーとの関係性が小説的な魅力のかなりの部分をしめていると言っていい。
(マーロウと作品ごとのメインゲストキャラとの関わり合い、ああいった感覚に通じる味わいだ。)

 一方でミステリとしてはなかなか事件の全貌が見えてこないので、これは最後にかなり驚かされるのでは? と期待を込めたが、まさに真犯人はけっこうな意外さ! ではあった。

 ただし前もっての伏線などは希薄で、最後の方でようやく情報をまとめて出してきたりするので、謎解きものとしてはあまり高い評価はしにくい。ガチガチのパズラーじゃなくてもいいから、このネタ(真相)なら、もうちょっとうまい味付けと効果的な演出もできた気もする。
 
 それでもフツー以上にしっかり面白かった。秀作にはちょっと足りないが、トータルでのエンタテインメントミステリとしては十分に佳作にはなっている。

No.1111 7点 竜と剣- 檜山良昭 2021/02/28 05:39
(ネタバレなし)
 昭和7年に満州国が建国。それから3年後の昭和10年。大財閥、永坂家の令嬢の雪子は強引なお見合い話が嫌で、馬賊になろうと満州に逃げ出す。まもなく雪子は大陸に向かう豪華客船の船上で、新聞記者と称する青年・伊藤秀彦と知り合うが、彼の正体は公安に追われて逃亡中の反政府主義者・安達浩太だった。そんな安達と雪子は、洋上で奇しくも殺人事件に遭遇。安達が絶命間際の被害者からあるものを託されたことから、二人は満州国の進路に関わる巨大な謀略に巻き込まれていく。

 1978年に『スターリン暗殺計画』でミステリ作家としてデビューした作者による、十八番の歴史冒険ミステリ路線の一作で、書き下ろし長編。
 日本国内に不況の風がふきまくっていた薄暗い時代の設定だが、主人公コンビの男女に意識的にラブコメ少女漫画的な文芸を採用したため、作風はかなり明るい。
 
 アナーキストを自覚する男性主人公の安達が、それでもまだ無辜の市民を殺してはいないという設定からして、ああ、これは彼をキレイな身柄のままヒロインと(中略)と大方の見当がつくし、一方で女子主人公の雪子の「時の人である女傑・川島芳子のもとに押しかけ、馬賊の弟子入りしたい」という願望もどこかアホっぽくて陽性。さらに彼ら二人に関わりあってくる主要サブキャラたち、その一部の微温的な描写もまったりとしている。
 80年代の日本の男性作家がクリスティーの『茶色い服の男』みたいなのを書こうとして、こんなのになったんじゃないの、という感じ?

 ここでは詳しく書かないが、作中に用意された政治的な謀略はかなり大がかりなもの。
 その一方で、主人公たちの細部のクライシスからの脱出劇がところどころ甘かったり、かと思うと終盤ではなかなかしつこく二転三転の展開を見せたりと、長所と短所が相半ば。でもトータルとしては、なかなか悪くない。
(ただラストのまとめかたなどは、書き下ろし作品のはずなのに、なんか連載もののクロージングのような印象でもあった。)

 そんなにピリリとしたものはないだろうな、と予見させてしまう作りというのは、この手の冒険スリラー系のジャンルではちょっと問題かもしれないとも思うけれど、まあ数多い国産歴史もの冒険小説のなかに、こういう作品があるのもいいよね、とも考える。
 自分が20~30代の若い頃、そばに国産冒険小説ジャンルに興味を持ち出したガールフレンドでもいたとしたら(なんじゃそりゃ)、たぶんおススメしやすい一冊ではある。

 評点は、なかなか食い下がった終盤のテンションを評価して、この点数で。

No.1110 7点 盗聴- ローレンス・サンダーズ 2021/02/27 20:02
(ネタバレなし)
 1968年のニューヨーク。8月31日から翌日にかけて、「デューク」こと37歳のプロ犯罪者ジョン・アンダースンとその仲間が、73丁目にある上流階級の面々が集う高級アパートを襲った。当初のデュークは極力、流血を避けて、強盗を行うつもりだった。だが仁義を通して了解を取りにいった大手犯罪組織からの過剰な干渉もあり、事態はデュークの思惑からずれこんでいった。当局や民間探偵の盗聴、被疑者の尋問、関係者への取材などの音声や筆述の記録が事件の全貌を浮き彫りにしてゆく。

 1970年のアメリカ作品で、作者の処女長編。
 評者は大昔に購入していたNV文庫版で読了。
 あらすじの最後に記したように、小説のほぼ全編(正確には9割くらい)が、盗聴や尋問、取材などで得られた会話の音声を書き起こしたダイアローグ形式の作品。

 似たような仕様のミステリはその後の東西でいくつも出たような気もするが、当時としてはたぶんかなり新鮮なスタイルだったハズではある。
(本当に正確に、まったく前例がなかったとまでは断言できないが~手紙の交換形式なら、セイヤーズやP・マクドナルドとかあったし。)

 ただしNV文庫巻末の解説によると、本作はこのダイアローグ形式の仕様うんぬんより、前年のクライトンの話題作『アンドロメダ病原体』を想起させる、生々しいドキュメトタッチのフィクションとして反響を呼んだという主旨のことが指摘されている。評者はまだ『アンドロメダ病原体』を未読なのでなんともいえない面もあるが、まあ真っ当な観測なのであろう。
 少なくとも本作は、こういう音声記録という客観的な叙述形式ななので、当然ながら地の文には主観的な感情などは入りにくく、全体的に抑制されたドキュメント風の一冊に仕上がってはいる。

 実を言うと、金持ちが集うアパートを強襲して金品を奪おうという犯罪そのものは、地味でまあ小規模なものなのだが、とにかくその実行に至る過程を前述の会話記録形式でとにかくしつこくしつこく、そして薄皮を剥ぐようにじわじわ語ることでテンションとサスペンスを高めていく。
 このジワジワ見せる手法もまた、やはりその後に無数の類作が登場したため、21世紀のいま読むとさほど目新しさはない。それでも作者が気迫を込めた処女作ゆえに、かなりの歯ごたえがある。

 翻訳の元版であるハヤカワノヴェルズ版では、おなじみの<途中から本文に封をした返金保証仕様(こんなオモシロイ作品を途中でやめられますか?)>だったようで、当時の早川もそれだけこの作品に自信があったということになる。

 なお本作は、のちの『魔性の殺人』以下の「大罪シリーズ」の主人公(ヒーロー捜査官)となるエドワード・X・ディレイニー署長(NY警察署のトップ)のデビュー作でもある、本作の実質的な主人公はデュークなので、今回はそれなりに重要度の高いサブキャラポジションだが、のちのちの濃いキャラクター描写は早くも感じられる。
「大罪シリーズ」は、そちらから読んでも別に構わないと思うが、きちんと本作から順を追って楽しむのも、また一興ではあろう。

 本作の評点は、8点に近いこの点数ということで。

No.1109 8点 殺人計画- マニング・コールス 2021/02/26 07:37
(ネタバレなし・ただし同じ作者の作品『昨日への乾杯』を先に読むことは推奨)

 1918年1月。第一次世界大戦の後期、ドイツの海岸で一人の若い戦傷軍人が保護される。記憶を失っていた青年軍人「クラウス・レーマン」は、なりゆきから軍人の名門ラーデマイヤー家のオールドミス、フロイライン・ルートマイヤの後見を受けて、彼女の実の息子のように戦後を生きることとなった。やがて当人の才覚もあって戦後のドイツで出世を続けるレーマンは警視庁副総監の地位にまでたどり着くが、そんな彼は1933年2月のドイツ国会議事堂放火事件の焔を前に、失われていた15年前の記憶が甦る。実は自分が、大戦時に英国情報部から送り込まれた辣腕の諜報員トミー・ハンブルトンだと知ったレーマンは、そのままドイツ警察の総監にまで登り詰め、ナチスドイツの内側で暗躍するが。

 1940年の英国作品。
 大昔にジャケットカバーもない新潮文庫の裸本の古書を100円で入手。何十年も積読にして、さらに巻末の解説などにも目を通していなかったので、なんとなくこのタイトルから、英国のどっかのカントリーハウスでの殺人プランが進行する渋い謎解き捜査ものかとか思っていた。

 そうしたら実際は堂々たるスパイ小説で、しかも二つの大戦の両端を繋ぐナチスドイツ内の大物工作員もの。さらに主人公トミー・ハンブルトンが登場する連作の第一弾だという。いろんな意味でビックリ。
(※追記の注……新潮文庫の巻末の書誌には一作目のように情報が記載されているが、本サイトの参加者、おっさん様からのご指摘で、実は本作『殺人計画』はシリーズ2作目だそうである。)

 しかしいちばん驚いたのは、予想以上の面白さで、深夜に読み始めて徹夜でイッキ読みしてしまった。
 向こうの国で実際にナチスドイツが台頭し、ユダヤ人が迫害の災禍にあっているリアルタイムの現実をにらみつつ、実名のナチス要人(特にゲッペルス)を相手に主人公に丁々発止の活躍をさせ、そのなかにはかなりきわどいダーティプレイまがいの行為も含まれる(まあ、潜入スパイが大方は当人なりの義憤と復讐心でやることだから、読んでいてそんなにストレスも感じないが)。

 ちなみに迫害を受けるユダヤ人を別にしても、ほかのドイツ国民全員が悪だとはあえて描かれず、フロイライン・ルートマイヤやその友人たち、さらに反体制組織の「ドイツ自由連盟」の面々はマトモな扱い。悪役はナチス、なかでも軍規をごまかしてユダヤ人から非道に搾取している連中などに、ほぼ限定されている。ハモンド・イネスの『海底のUボート基地』なんかもそうだったけれど、英国のスパイ小説、冒険小説は、第二次大戦リアルタイムのなかにあって、意外に冷静だ(ホロコーストの災禍がまだ欧米側に密に知られてなかったからかもしれないが)。

 ナチス上層部を欺きながら英国側に情報を流すかたわら、ドイツ内のナチスそのものすら裏切る外道(こっそりユダヤ人から財産を没収しながら、国外に逃がすような連中)を処罰し、さらに不審を抱いて探りを入れてくるゲッペルス陣営と渡り合うレーマン(ハンブルトン)の挙動は一種のピカレスク的な緊張感と快感に満ち満ちている。
 そうか、この作品はこういう内容だったのか、と驚きと感銘であった。
(ヴォネガットの『母なる夜』のダイナミズムを、純粋にエンターテインメントへと裏漉ししたような、そんな印象すらある。)

 ちなみにコールスはあと2冊翻訳が出ており、そのうちの片方『ある大使の死』は、ミステリファンの感想サイトなどで大雑把な内容がわかるが、もう一冊の『昨日への乾杯』の中身が気になっている。
 というのは今回読んだ本作『殺人計画』の原題は奥付を見るとズバリ「Drink to Yesterday」だから、直訳すると『昨日への乾杯』まんまだよね? つまり『殺人計画』と『昨日への乾杯』って別の邦題の同一作品なの? 同じ版元で訳者は違うんだから、ふつうなら別の作品だろうとは思うのだけれど。もし両方すでに読んでいる人がいるのなら、教えてください。TwitterをふくめてWebを見回しても、実際のところはいまひとつよくわからないので。

【2021年2月26日14時の追記】
※……本日の本サイトでの掲示板でのおっさん様のご指摘で、実は本書『殺人計画』の奥付の原題表記は誤記であり、『昨日への乾杯』の方が原題をそのまま邦題にしたハンブルドン登場の別作品だとご教示いただいた。しかも『昨日への乾杯』の方が第一作で、本作『殺人計画』はその続編という。もろもろの情報をくわしく、すばやく教えてくださったおっさん様に深く感謝申し上げます。

【2021年3月3日・若干、改訂しました】

No.1108 6点 十年目の対決- ヒラリー・ウォー 2021/02/26 01:46
(ネタバレなし)
「私」こと、元警官で30歳の私立探偵サイモン・ケイは、ずっと年下の幼馴染で今は美人の女子大生ドリア・レイフから相談を受ける。ドリアの実家は少年時代のサイモンも通った漫画本も売っている駄菓子屋で、今もドリアの気のいい両親が店を続けていたが、最近になって地回りの「用心棒代」が急に跳ね上がった。困窮する両親を救うため、ひそかに体を売ることまで考えているというドリア。サイモンは昔馴染みとしてドリアの実家に赴き、集金人のチンピラ、リーチー・ズロを痛めつけて、黒幕の情報を吐き出させるが。

 1982年のアメリカ作品。私立探偵サイモン・ケイシリーズの2作目(邦訳順では4冊目で、これで翻訳は打ち止め)。
 評者もウォー作品はそれなりに読んでいるつもりだが、サイモン・ケイものはこれが初読。もともと本流の警察小説路線とはだいぶ毛色の違うB級ハードボイルドだとは聞き及んでいたが、バイオレンス描写を臆さない敷居の低さは、予想以上であった。
 スピレイン(マイク・ハマー)ならまだ、叙述の随所に格調の高さを匂わせるある種の可愛げがあるが、こちらはそういう種類の衒いも希薄。
 マクベインがカート・キャノンものを上梓するような執筆シフトでウォーが書いたのが、このシリーズということかしらね。

 推理要素は少ない内容で(最後に一応の意外な犯人は設定されているが)、とにかく主人公のサイモンは大藪春彦のヒーローなみに、いったん必要となった荒事に関しては容赦も禁忌もない。

 美人で女房役の秘書アイリーン(ちょっと好み)が事務所のサイモンの机の上に<短期の貸家契約書>を見つけ、アイリーンが読者といっしょに「これなんで借りたの?」と不審がると、実はそれは下司なチンピラのリーチーを監禁&拷問して情報を得るために調達した空間だったりする(笑・汗・怖)。
 うーん、バウチャーが長生きしてこれを読んでいたら、きっと呆れるか、怒りまくったであろうな(笑)。
  
 ただしまあ、ネオハードボイルド時代にあえて書いた50~60年代通俗ハードボイルドの復権(なんやそれ)という感覚は、これはこれで楽しいところもあって。
 特に、成り行きで悪党の巣から救い出したワルの情婦がいくところがなくなった末にサイモンのもとにずっと居つきそうになったので、今度は、困ったサイモンがなんとか(一応は紳士的に)厄介払いしようとするあたり、私立探偵小説にありがちなパターンをひとつひねった感じでオモシロイ。

 とりあえず一冊読んで、ちょっとはシリーズの面白さの勘所もわかったような気もする(?)ので、そのうち、翻訳されている残りの3冊も、機会があったら手にとってみよう。

No.1107 7点 美しい星- 三島由紀夫 2021/02/25 05:04
(ネタバレなし)
 1960年代の初頭。全世界に核戦争危機の影がよぎるなか、飯能市の金持一家・大杉家の家族4人が、自分はそれぞれ太陽系の別の天体を出自とする宇宙人の転生だという意識に目覚める。52歳の家長・重一郎は火星人、妻の伊余子は木星人、長男の一雄は水星人、長女の暁子は金星人だった。4人はそれぞれの立場を守りながらも連携し、空飛ぶ円盤や宇宙人を信じるものに呼びかけ、そして世界平和のために活動する団体「宇宙友朋会」を結成。協賛者を募った。だが仙台では、白鳥座を出自とする別の宇宙人グループが覚醒。彼らは彼らなりの理念から、地球人類は核戦争で滅亡すべしとの信条を抱いた。

 雑誌「新潮」の1962年1~11月号にかけて連載され、翌年に書籍化された作品。
 評者は中高生の少年時代に、書籍元版刊行時=1963年頃の日本語版「ヒッチコックマガジン」を古書店で入手。そのなかのある号の国産ミステリ月評で本作が大絶賛されているのが目に留まり(そこではあくまで国産SFの注目作という視座で語られていた)、その高評の勢いを受けて、自分もその時点での新潮文庫版を購入した。

 とはいえ実際に手にした実作は、当時のコドモがそのまま賞味するには高尚すぎる? 歯ごたえだったのであろう。冒頭の十ページ(重一郎が自然の植物の生態の整合のなかに、宇宙の縮図を感じるあたり)で投げ出して、そのままマトモに読むのは何十年の歳月を経た今回になってしまった(昨日から2日かけて通読)。いや、そのうち読もう読もうと思い、興味がぶり返す機会は、何度もあったのだが。

 もちろん太陽系の各惑星人の転生という設定からして、まともな科学SFというよりはおとぎ話に近い面もあるし、そもそも物語は最後まで、もしかしたらこれは自分たちが宇宙人だと思い込んでいる痛い悲しい人たちがたまたま寄り集まった一家の不条理小説では? と読み手に疑念を抱かせ続ける作品でもある(ただし随所の場面で、作中での空飛ぶ円盤の飛来事実は、きわめて客観的に叙述される)。

 なんにしろ第三次世界大戦=核戦争の脅威がなまなましく現実的な時代の小説、という側面は大前提の一編である。そういう意味では黒澤明の映画『生きものの記録』(1955年)みたいな、21世紀の今の目で見れば「当時は大変だったんだなあ、今だって油断はできないよなあ」と思いながらも、どっか呆れて失笑してしまうブラックユーモア的なニュアンスもなくもない(いや、それはけしからん受け取り方だとは重々承知しておりますが~汗~)。

 中盤の山場となるのは、長女の暁子がもうひとりの「金星人」竹宮と出会うくだり、さらにはその顛末。そして本当のクライマックスは、後半の仙台の白鳥座グループと重一郎との論戦。特に後者は、当時、日本小説史上でも類をみないディスカッション作品として反響を得たというが、さもありなん。
 少し後の世代の平井和正とかの<人類ダメ小説>の系譜なんかにも、相応の影響を与えたんじゃないか、とも勝手に推察する。

 惜しいというか、普通の小説の読み方ですわりが悪いな、と思ったのは、長男の一雄を介して仙台グループを重一郎に会わせるきっかけになった前半からの重要キャラっぽい若手政治家・黒木克己が最後の方でまったく忘れられてしまっている? こと。作者的にはもう用済みだったのかもしればいけれど、(中略)とかわざわざ描写した叙述の布石はちょっと違和感が残るよね。
(なお数年前の本作の新作映画版はまだ観てないけれど、そちらでは映画化に際して黒木の存在がかなり拡大されているようで、そういう潤色をしたくなった気分は、なんとなく&とてもよくわかる。)

 クライマックスの論戦のあと、重一郎を見舞う(中略)はかなり(中略)だが、読者を揺さぶる小説の作りとしてはまっとうだとも思う。それだからこそ、このエピローグの輝きが生きるとも思えるし。

 今の時代に改めて(初めて)読んでも意味がある作品だとは思うものの、やはりこれは1950年代~1960年代前半という時代の空気のなかにあった小説だとも感じはした。リアルタイムで読んで、心の財産のひとつにできた先人たちが、ちょっとだけ羨ましくもある。

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人並由真さん
ひとこと
以前は別のミステリ書評サイト「ミステリタウン」さんに参加させていただいておりました。(旧ペンネームは古畑弘三です。)改めまして本サイトでは、どうぞよろしくお願いいたします。基本的にはリアルタイムで読んだ...
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