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tider-tigerさん
平均点: 6.71点 書評数: 369件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.69 6点 レクイエム- ジェイムズ・エルロイ 2016/04/28 19:41
探偵業の傍らに車の回収業も請け負っているフリッツの元に俺の妹の身辺を調査しろという依頼が舞い込む。依頼主の職業はキャディとのことさが、この男には常軌を逸したところがある。だが、金はたんまりと持っているようだった。調査をするうちに、フリッツはこの男が自身と過去にちょっとした接点があったことを知る。

エルロイのデビュー作です。
チャンドラーやロスマクを読んで小説の書き方を学んだというだけあって、私立探偵を主人公とした古典的ハードボイルドを踏襲した小説でした。普通に読めて普通に面白い。ただ、私はLA四部作を先に読んでしまったので、面白かったけど拍子抜けという奇妙な感想を持ちました。
それでもエルロイらしさの萌芽はありました。主人公に捜査を依頼するキャディがけっこう凄まじい。後の作品に登場するアクの強い連中に優るとも劣らない存在感があります。過去に縛られたやや分裂傾向のある主人公もエルロイらしい人物造型です。
誇張、極端から極端へ、二律背反、エルロイの特徴は既に現れています。
読みやすさという観点からエルロイの入門作を選ぶのなら、私は本作を薦めます。
ディープなエルロイらしさをいきなり味わいたい方はビッグノーウェアからどうぞ。
ビッグノーウェア→LAコンフィデンシャル→ホワイトジャズ この三作は順番通りに読むことを強く推奨します。ブラックダリアはどこで読んでもOKです。

エルロイのいいところ
妄執と情念→ブラックダリア
ヒリヒリするような緊張感、皮膚感覚→ビッグノーウェア
精緻なプロットと高い完成度→LAコンフィデンシャル
破滅への疾走とそれに伴う文体意識→ホワイトジャズ

その他のいいところ
会話がいい。リアリティがある。会話というのは本来は省略が多く他者には意味がわかりづらいことが多々あるが、省略どころか会話を膨らませて読者にいろいろと説明しようとする書き手が多過ぎる。説明が必要なのはわかるが、会話としてのリアリティを保つ工夫をして欲しい。
会話繋がりで、尋問シーンが読ませる。エルロイの尋問というと暴力で吐かせるイメージがあるが(確かに暴力や脅しも頻繁に用いられるが)、話術で吐かせるテクニックもなかなか。警察ものは尋問シーンが極めて重要だと思うが、それをうまく書ける作家はあまり多くない。
主人公や主要人物がやたらと人を殺す が、なんの罪もない人間が虫けらのように殺される場面は人があれだけ死ぬわりには非常に少ない。悪人たちが勝手に殺し合う。
悪人のことを描くが、悪人を賛美はしない。ヤクザや不良が格好良く綺麗に描かれている作品よりよほど健全だと思う。
感情移入しづらい人物を多く配置する。主人公でさえある種の卑劣さ、受け入れがたい欠点を持っている。なにがいいところなんだと言われそうだが、いいところだと私は思う。
高度な技術で綿密に計算されたプロットを組むも、暴走して制御不能になっている部分も散見される。そこが面白い。
悲しい終わりはあっても、不思議なことに読後感はそんなに悪くない。
エルロイは厳格な法治国家を理想としているように思えてならない。そして、彼は自分が無法な世界から逃れることはできないとも思っている。母を殺害された時点で、彼は地獄の住人となることを運命づけられた、そんな気がしてならない。

No.68 6点 むかし僕が死んだ家- 東野圭吾 2016/04/28 19:36
二人の人間が狭い家の中をうろうろするだけでこれだけの長さ。しかし、飽きさせない。閉鎖環境で力を発揮する作家というとスティーブン・キングがまず頭に浮かんだが、本作もなかなか。
タイトルからしてとんでもない結末が待っているのではないかと期待したが、残念なことに想定内のオチであった。ただ、そこに至るまでの一歩一歩の見せ方がうまい。展開が巧みな上に文章は理路整然としており、流し読んでもすんなり頭に入ってくる。そうなるとリーダビリティは極めて高くなる。
だが、残念なことにその文章に魅力を感じない。作家自身の息遣いが見えないので拒絶されているように感じてしまう。書き手の自意識が透けて見えないのは一流の証なのかもしれない。物語を効率的に読ませるという意味では非常に優れている。
でも、やはり苦手な作家の一人。

以下 ネタバレあり






最大の問題は作中にあるような理由で子供の頃の記憶がごっそりとなくなるものなのか。本当にそんなことが起こり得るのかがどうも疑わしい。
まあこれを言い出すと成立しなくなる物語(自分が好きな作品含む)がゴマンと出てくるので困ってしまうのだが。
Tetchyさんが面白いと言っていた発想 家=墓 は自分も面白いと思った。

No.67 9点 さらば甘き口づけ- ジェイムズ・クラムリー 2016/04/24 13:08
アル中作家トラハーンの捜索を依頼された私立探偵スルー(空さんによるとシュグルーが正解のようです)は、トラハーンをみつけた酒場で、今度は酒場の女主人から少女時代に行方不明になった彼女の娘ベティ・スー・フラワーズの捜索を依頼されます。ベティの過去にはさまざまな哀しみがあって……みたいな話です。
トラハーンはとある酒場ですぐにみつかります。この酒場でちょっとしたドタバタがあるんですが、これがもう面白くて。
「オーニィの奴どうなった?」
「足の指を二本吹っ飛ばした」
「重傷か、軽傷か?」
「中くらいだな」
「そんならどうってことはねえや」
こういう感じの騒動です。傑作の予感。
続いて、行方不明になったベティに演劇を教えていた先生のところにて。この先生はベティの名前(ベティ・スー・フラワーズ)について無粋だのあの名前は捨てた方が良かったなどと述べたてます。
「ぼくはこの名前は嫌いじゃないです」と、スルー。
カチッとはまるものがありました。ああ、自分はこの男(スルー)が好きだなと感じました。
この後はいまいち締りのないプロットでロードムービーみたいな様相を呈すかと思えば、いきなりエルロイばりのダークな展開もあったりして、どうにも腰が落ち着きません。そして、ラストへと向かいます。納豆のように糸引くラストで、これがまた、たまらないのです。

理由はよくわからないけどとにかく大好きな作品です。空さんが他の作品の書評で言及されていたように場面と文体で読ませる作家だと思います。チャンドラーの劣化コピーみたいに言われることもあるようですが、この作品に限って言えば、私は一番好きなチャンドラー作品よりも好きです。
スルーの弱さ、格好悪さ、そして、優しさが好きなのかもしれません。
ステイシーや酒場の女主人ロージー、娘のベティ、ロージーを守るために敵の腎臓にかぶりつくファイアボールが好きなのかもしれません。
悪酔いしそうな当を得ない書評ですみません。



No.66 8点 LAコンフィデンシャル- ジェイムズ・エルロイ 2016/04/23 14:01
ナイトアウルの虐殺なる事件に関わった三人の警察官の物語です。三人はそれぞれが過去に傷を持ち、エリート、肉体派、猟犬と三者三様。誰を軸にして読むかで悩みました。この三人が激しく反目しながらも、やがて一つの目的に向かうことになるのですが、非常に複雑精緻なプロットにも拘わらず、人物造型は一貫性が保たれ、なおかつLA四部作の中では読みやすい部類(私見)。陰謀も奥深い。
エルロイ作品の中でも屈指の完成度を誇るものだと思われます。真っ先に映画化されたのも頷けます。
ただ、完成度は高いのにどことなく薄味に感じてしまうのは自分もminiさんと同意見。
その理由を自分なりに推理してみます。
作者の心情としては肉体派警察官バドに思い入れがある(その理由はブラック・ダリアや秘密捜査などにも登場したモチーフ 母の死です)。しかし、バドはややこしい陰謀を解き明かしていくのが得意なタイプではなく、バドに焦点を当て過ぎると話が進まない。鼻の利く猟犬タイプのジャックも必須ですが、やはり、プロット上は頭脳明晰なエドが主人公でしょう。故にLA四部作の中では頭で描いている部分が一番多い作品のように見受けられました。こうした葛藤がエルロイの筆を鈍らせたというか滑らせたのではないかと? 
その証拠に(なるのか?)終盤ではエドがまるでバドのようになっていました(笑)
※人物造型の一貫性がなくなってしまったわけではありません。
いずれにしても、これだけ高度な技術で組み上げられた作品ですから、薄味だなんてことを言うとバチが当たりそうですね。

最後に気になった点
とある人物(二名)の死がどうも、呆気なさ過ぎて悲しい。
過去の事件の真相が作り物めいているというか、やり過ぎというかで腑に落ちない。

No.65 6点 秘密捜査- ジェイムズ・エルロイ 2016/04/13 03:20
有能だが野心の強いフレディ巡査は捜査課の刑事を目指しており、先走った行動が目立つ。フレディは知り合いの女性が扼殺された事件で単独で捜査を行い、犯人と思しき男を突き止める。警部補ダドリー・スミス(後の作品にも登場する)の指示の元、その男に暴力的な尋問を行い自白を取ったのだが、それは取り返しのつかない過ちであった。

エルロイの二作目にして、エルロイらしさは随所に見られるも、まだエルロイじゃないといった印象の作品(故にこの点数)。その証拠に読み易い。LA四部作以降の作品よりも初期の作品の方が完成度が高いと考える人がいても不思議ではない。
特筆したいのはブラック・ダリアとの共通点。まず物語の構造が非常によく似ている。人物造型も殺されたシングルマザーの看護婦はアル中で男の出入りが激しく、エルロイの母親を思わせる。その息子の人物像にはエルロイと重なるところがあるように思える。ラストが甘いところまでそっくりだ。ブラックダリアに思い入れのある方には一読を薦めたい。
さらに、作中でブラック・ダリア事件(実在ではなくエルロイが後に創作した架空の事件のほう)について言及がある。本作執筆時点でブラック・ダリアの構想が作者の内にあったのかもしれない。
初期作品できちんと書く技術の修養をしたうえで、いかに自分らしく書くかを模索した結果があのLA四部作なのではないかと想像する。
「小説は技術で書くものではない」まったく同意できない意見だが、仮にエルロイがこれを言ったとしたらそうだよねと頷くしかない。

No.64 7点 叫びと祈り- 梓崎優 2016/03/27 13:31
良い短編が二つ、まあまあが一つ、悪くはないがこの短篇集の中では浮いている話が一つ、番外編一つといった評価です。
最後の『祈り』でまとめるのではなく、「部外者には理解し難い理由で事件が起きる話」だけで一冊の短篇集にすれば良かったのではないかと感じました。
本来なら日本人には理解できない事件ばかり、しかし、異なる価値観を持つこれらの世界のことを読者は読み進めるうちにある程度は理解できて(もちろん共感はできないでしょうが)、もしかしたらこの人たちはこんなことを考えるのではないかと動機を推理(推測?)できるように書く。ここまでやれば異なる文化圏の考え方を推理するという新しいタイプのミステリが誕生したかも。
それにある程度成功しているのが「砂漠を走る船の道」「凍れるルーシー」の二編で砂漠の評価が高いようですが、ルーシーも遜色なしと私は思います。
「叫び」は話の性質上仕方がないとはいえ、原住民たちの価値観を推し量る材料がほとんど出ないうちに事件発生、動機を聞かされてもいまいち納得し難い。エンタメとしては悪くないと思いますが。
そして、浮いているのは……「白い巨人」おめえだ。おめえはただ外国を舞台にしているだけなんだよ! 読後感は悪くないんですけどね。でも、愛し合っていた二人がなんでこんな状況になってしまうのか理解できません。他にやりようがあったろうに。
最後の「祈り」については、まあそれは、いろいろありますよ。
本屋大賞候補だけあって、なかなか楽しめました。

No.63 8点 ずっとお城で暮らしてる- シャーリイ・ジャクスン 2016/03/20 12:54
過去にブラックウッド家では忌まわしい毒殺事件が起こった。そのため、生き残ったメリキャット、伯父ジュリアン、姉コニーは未だに村人から忌み嫌われている。だが、メリキャットは病的な空想に彩られた狭い世界にコニーと一緒に居られればそれで幸せだった。ところが、美しくも病んだその狭い世界に従兄のチャールズが闖入、メリキャットのお城を変貌させようと試みる……

四十代半ばで亡くなった作家の最後の長編。とんでもないものを遺していった。傑作。
特に第七章は素晴らしい出来栄え。私はこの章が本作の最良かつ最狂の部分だと考える。この章は何度読み返したかわからない。
~木曜日はあたしにとっていちばん強力な日。チャールズと決着をつけるにはふさわしい日だ。コンスタンスは朝、ディナー用のスパイスクッキーを焼くことにした。もったいない話だ。あたしたちのだれかが知っていたら、わざわざ焼くことはない、今日が最後の日になるのだからと教えてあげられたのに。~以上 第七章書き出し
まあ一家の過去の事件に多少のミステリ要素はあるも、本作をミステリとして読むのは無理ですな。八点としておきます。

人によって物語の構図や印象について大きく異なる感想を持つと思われる。
結末にしてもハッピーエンドと捉える方もいれば、私のように身の毛もよだつバッドエンドだと感じる方もいるだろう。
この物語には狂気VS悪意、狂気VS善意の押し売りといった構造がある。 
ややこしいのは悪意を持たれる側、善意を押しつけられる側が普通ではないところ。虐げられる善人の話などではもちろんないし、嫌な奴ばかりが出てくる話というのでもない。読んでいる側の立ち位置が揺らぐのだ。
作品内に渦巻く悪意に慄く人がいれば、狂気に圧倒される人もいるだろう。
解説(桜庭一樹)では狂気よりも悪意に重点が置かれていた。私の読み方とは異なるが、それでも彼女の下した結論には賛成せざるを得なかった。
すなわち、この作品は『すべての善人に読まれるべき、本の形をした怪物である』
対して当の作者は澄まし顔で「そんなたいそうなものじゃない。わたしはただ物語を書いただけよ」とでも言うのだろう。
※シャーリィ・ジャクスン女史は短編『くじ』が猛烈な非難を浴びた時、「わたしはただ物語を書いただけ」と嘯いた。
※シャーリィ・ジャクスンがどのような作家なのか、miniさんが『くじ』の書評において簡潔かつ的確に書かれているのでそちらを参照して下さいませ。

2016/10/29 以下を削除しました。

No.62 8点 ジークフリートの剣- 深水黎一郎 2016/03/03 18:41
オペラ歌手藤枝和行は日本人(テノールに関しては)には不可能とされてきた高み、世界の舞台に立つことが決まった。そんなある日、婚約者のたっての願いで占い師の元を訪れたところ、ひどく不吉な予言をされる。藤枝の婚約者はもうすぐ死ぬという。だが、彼女は死んでも藤枝に尽くそうとするだろうと。藤枝はさして気にも留めていなかったのだが、婚約者は本当に非業の死を遂げてしまう……

このサイトで採点した時点である意味ネタバレとなるような小説です。すみません。
ものすごく現代的なミステリともいえるのですが、作者がなにをするつもりなのかが見えるまでひどく時間がかかるので苛々する方もいらっしゃると思われます。
まあやりたいことはわかるのですが、自分はその点ではあまり衝撃は受けませんでした。その他の点ではどうだったのか?
相変わらず構成は凝っています。
なんでここにギャグを挿入する? と何度か考えさせられました。
展開はやはり地味ですが、読ませます。いつも通り伏線を津々浦々に張り巡らせます。
きちんと作中作(オペラ)がメインストーリーに絡みつき、やがてメインストーリーに浸食していきます。
人物造型は……「天才だと言うんじゃない、それを感じさせてくれ」天才を描いている作品を読んで何度こう思ったか数知れません。
本作の主人公は自分のことを天才ではなく努力型と考えている節がありますが、気質は天才型に近いと思われます。天才という言葉は作中にほとんど出てきませんが、この主人公は感じさせてくれました。
まあそれはいいとして、こいつは極めて独善的で私が大嫌いな意味でポジティブ。なんでも自分の都合の良いように考えるのでムカムカして仕方がありませんでした。天才だろうがなんだろうが関係ない。むかつくもんはむかつくんじゃ!
はい。私は所詮、作者の思惑通りに誘導される単純な読者の一人でありました。
そして、ラスト。素晴らしい。感動的。深水作品の中でも屈指のラストだと思われます。
この作者の弱点として、物語の締め方がイマイチというものがあります。エコパリ、トスカ、シャガールとすべて今一つ(この点ウルチモは良かった)。が、この作品はその弱点をあっさりと克服していました。

疑問点 
1 三人称で書かれた小説なのですが、なぜか唐突に三人称から一人称へシフトする部分が何ヶ所かあるのです。小説作法的には完全にルール違反。読んでいて違和感ありありでした。ですが、この作者のことですから意図があってやっているのでしょう。
作者が文庫版のあとがきで述べていた本作のテーマ、男女の相剋を鮮明にするためかなと自分は考えておりますが、いまいち自信がありません。どなたか御教示下されば幸いです。

※追記 そもそも最初の占い師はなんだったのか。この事件を起こしたなにかが存在しているのでは。私はこの作品の全容をまだ理解できていないように思えます。

No.61 7点 悪霊島- 横溝正史 2016/02/24 19:39
横溝作品はその時の気分で好きなものが変わりがちです……が、あまり良い評価を得ていない作品なので言い辛いのですが、この悪霊島は常に一位か二位につけている好きな作品です。

前半が冗長と指摘されることの多い作品ですが、私はむしろ後半の雑なところが気になります。
世界観や道具立てはものすごく良いのに物語をまとめ切れていない。全体の長さの割にネタが不足しているのは明らかで、さらにはネタ不足のくせに必要な情報をきちんと出していない。例えば浅井はるの死について、片帆の死について(動機はそれとなく匂わせているが)、殺害の場面が映像として頭に浮かんで来ない。なんか誤魔化されているような気がするんですよ。
物語は後半に入ってテンポがよくなったものの今度は慌てて書いているかのように文章が雑に感じる。まあ、文章はともかくとして、ミステリとしてイマイチだという意見に異論はありません。
この小説のよさの一つは舞台設定や背景描写。この点は全盛期の作品よりも勝っているくらい。作者の都合で設定ばかりを積み上げた整合性のない島ではなく、島が活きています。「刑部島は本当にあったんだね」とそんな気分。
横溝御大は引退したがっていたのに角川に無理矢理書かされたんじゃないかなんて書評を見ましたが、前半を読んだ限りではむしろ先生はこの作品にかなり意欲的に取り組んでいたのではないでしょうか。
だがしかし、後半に息切れ。これはやはり老いなのでせうか。

前半で島社会の現実を描いておきながら、後半に唐突に非現実的な狂気が立ち現れます。そして、遺体の扱いが凄い。『人形はなぜ殺される』の遺体処理法には衝撃を受けましたが、この作品も負けてはいない。
両者の衝撃の種類は正反対のものです。
人形においては犯人が実利を追及した結果の産物であり、それはさまざまな面から極めて合理的な手段でした。
一方の悪霊島においては死体装飾に合理的な意味はありません。人形、そして、獄門島や手毬唄の遺体装飾とも本質的に異なります。ミステリとしてはダメでしょう。しかし、この意味の無さが怖ろしくも、美しいと私は思うのです。意味は耽美を構成しない。
犬神家、手毬唄などは耽美小説風な推理小説だと思います。悪霊島は推理小説風の耽美小説ではないかと。このサイトで高評価を得られないのは当たり前ですが、私は好きな作品です。ダメな子ほど可愛い。でも、点数は7点に抑えます。

No.60 7点 大列車強盗- マイクル・クライトン 2016/02/07 10:24
時代は1850年代、舞台はロンドン。
英国はクリミア戦争に突入しており、兵士の給料として多額の金塊を列車にて輸送している。その金塊を掠め取ろうと目論むエドワード・ピアース。仲間を集め、入念な下準備のもとに計画は進められていくのだった。

「大列車強盗」と呼ばれる英国で実際にあった事件を下敷きにした作品であり、前書きの段階で物語の結末が明かされる。
ページ配分は金塊強奪の準備に250頁ほど費やし、実際の犯行と後日譚は100頁もない。つまり、冷酷で頭の切れる悪党ピアースによる犯行の準備を主に楽しむ作品である。いろいろな準備が多発的に同時進行で行われるため散漫な印象も受けるが、それらが一つの目的に向かって収斂していくのは気持ちがいい。
また、犯行の準備に絡めて当時の風俗もしっかりと書かれている。この歴史風俗の説明は資料をそのまま引き写した感じがするが、おそらく作品にドキュメンタリー風味を持たせるため、あえて教科書的な文体を織り交ぜたのだと思う。
ピアースの策略がうまくゆき過ぎるきらいはあるが、個人的には許容範囲。
また、人物描写はいま一つだが、主人公のピアースだけは魅力的であった。
大きな企み、驚きはないが、小技の積み重ねで頁を繰らせる。
佳作であり、マイクル・クライトンの異色作でもあると思う。

マイクル・クライトンといえば今では「ジュラシック・パーク」の人という印象かもしれませんが、守備範囲の広い、優れたエンタメ作家だと思います。私の読んだ限りではハズレ率は低い。
また、エンタメ精神旺盛である一方、背景についてもしっかりと調べてきちんと書くところなども好印象です。

※本作のモデルと思われる大列車強盗の犯人ロナルド・ビッグスは外国に高飛びしていましたが、英国に帰国、収監され、釈放されるも二年ほど前に亡くなりました。マイクル・クライトンよりも長く生き延びてしまったわけです。


No.59 9点 花窗玻璃 シャガールの黙示- 深水黎一郎 2016/01/28 21:01
エコパリ、トスカより一つ上に到達した作品であり、深水氏の最初の頂点かなと考えています。
本筋の事件やトリックは及第点といったところだと思いますが、一枚絵を描き終えたらもう一枚の絵が姿を現す息を呑むような構成が美し過ぎる。その構成が縛りとなっておりますが、それを跳ね除けての大技には感服しました。天使の正体もいい。伏線も巧みに張り巡らされており、作者の美学、言葉への拘りも好印象。そのうえ遊び心も満載。中でもさりげなく仕込まれた限りなくどうでもいい叙述トリックには笑いました。そして、自分もベアトリーチェの肖像は真珠の耳飾りの少女よりいいと思います。
瑕疵ではありませんが、個人的には大聖堂にあまり興味がないことと動機がちょっといけすかないことがマイナスポイントでしょうか。
大ヒット作は難しくとも、確実にファンがつく作家でしょう。
専業ではないことですし、はまる人は大いに讃え、ダメな人はさようならと、こういう作風で突き進めば良いのではないかと思います。てか、そうあって欲しい。
ただ、作者本人が「イヤなら読むな」なんてことを言ってはいけません。
※追記 深水先生ご本人が「イヤなら読むな」などと言った事実はありません。誤解を招く懼れあると気付いたため念のため追記いたします。

No.58 9点 占星術殺人事件- 島田荘司 2016/01/28 20:58
初めての島荘、斜め屋敷を読んだときには脱力でしたが、懲りもせずに読んだこちらは面白かった。
序盤の手記と明治村が不評のようですが、自分はけっこう好きでした。
狂気がかった芸術家の手記なわけだから、独りよがりな読みづらい文章で丁度良いのではないかと。その方がリアリティがあります。
明治村も自分は楽しく読みました。この時点でトリックの大筋は掴んでいたのですが、もしかして、さらに意外な展開あるかもという期待もあったので。
瑕疵はいくつもあれど、Yの悲劇と同じく長所を重視。けれん味と大技とミステリ界への貢献に敬意を評して9点つけさせて頂きます。

金田一少年が他の方の書評で頻出しておりましたが、御愁傷さまです。
横溝作品には作家の基調と美学がありますが、金田一少年はトリックですとか怪奇趣味ですとかをお手軽に商品化しただけ。仏作って魂入れずの典型例ではないかと思います。私はあの漫画は好きじゃありません。

~以下 気になったところをいくつか ネタバレあります




十二の星座があってそれぞれが人体の各部位を司るのなら、十二の星座が揃わなくてはアゾートとやらは不完全なのでは?  娘が六人しかいないからそれで済まそう、こういう種類の狂気を抱いた男がこういう妥協をするか? 
この疑問から自分は手記の本気度を疑い始めました。疑うところが間違ってるかもしれませんが。

明らかに男慣れしているとは思えない彼女にあんな芝居が打てるのか。
●●●したなら、明らかにそういう女じゃないってわかるでしょ。
女は女房しか知らない刑事という設定はこの言い訳のため?

雉機関がうさん臭すぎる。六名の支那スパイを捕らえたが、支那との関係悪化を懸念して表立って処刑はせずに猟奇殺人事件として処理する……そんなことしたら余計に目立つでしょ。こんな話を信じて遺体の処理に奔走する刑事が後に警視というのはどうもいけませんね。

No.57 8点 ウルチモ・トルッコ 犯人はあなただ!- 深水黎一郎 2016/01/14 19:35
読者が犯人という奇抜なアイデアが成立するか否かばかりに目を向けてこの作品を評価するのはもったいないと思いました。
構成というか構造の妙とその必然性(後述します)、繊細な言葉の使い方、蘊蓄、本筋からは外れていますが超能力に関する面白いトリック、香坂誠一の繊細な心性を窺わせる覚書、などなど読み所が多くありました。
また、ところどころで微妙な違和感を与えておいて、しっかりとその違和感の理由を後述していくのも良かった。その違和感が言葉の選び方、使い方によって醸し出されている点がさらに良。
言葉でなければ表現できないものの存在、映像化が困難な作品であり、ひいては小説であることの必然性があります。私はハサミ男と同様にこのメフィスト賞受賞作にもかなりの好感を抱きました。派手な副題に反して展開は地味ですが、作家としての地力を感じます。
終盤に少し雑になった部分がありましたが、それでも魅力ある作品だと思います。

「読者が犯人」が成立しているか否かについての私見
※ネタバレあります 
※誤解を避けるためかなりくどい書き方をしております。すみませんです。



「犯人はあなただ」の副題における「あなた」というのが作中作である新聞小説の読者(実在しない)だという説に賛成です。
本作はレイブラッドベリへさんが御指摘された通り、幾重にも重なった入れ子構造になっております。そんなややこしい構造にした狙いは、本作(ウルチモ・トルッコ)の実在する読者(私たち)に「自分が犯人だ」と思わせることではなくて、架空の読者を犯人に仕立て上げること。つまり、「読者(架空)を犯人にしてしまう小説(作中作)」が完成した瞬間に読者を立ち会わせることだったのではないかと考えます。
読者自身が「自分は犯人だ」と思うことと、読者が「読者が犯人だという小説の完成を見ること」は違います。
読者が自分が犯人だと思わされる小説なんて成立しえない(私見です)。しかし、この形式なら「読者が犯人」が成立する可能性があると作者は考えたのではないでしょうか。
売るためには『犯人はあなた』を前面に押し出した方が良いに決まっていますが、作者はこの点についてどのように考えていたのかが気になります。  
本作は出版社を替えて文庫化されました。最後のトリックと改題され、副題の「犯人はあなただ」は消えてしまったようです。
文庫版で改稿はされているのでしょうか? 文庫版もそのうち読んでみたいですね。

No.56 9点 Yの悲劇- エラリイ・クイーン 2015/12/31 10:42
少し前にXを読んで書評、昨日、Yを読了しました。
決定的な根拠をもってレーンは犯人を見抜くも、訳あってそれを秘したまま終盤になだれこみ、機を見ておもむろに真相開示。同じような構造ですが、ロジックの詰め方はXの方が小気味良く決まっているように思えました。ですが、私は物語としてYに軍配を上げます。
狂った血、どんな真相が隠されているのかがひどく興味深くて読み進めました。予想とはまるで違ったとんでもない真相で驚きました。
ただし、冷静に検討すると非常に瑕疵の多い作品でもあると思います。特に心理的な部分で。犯人の動機や心理についてほとんど触れられていなかったのは不満でしたが、ある意味正解でしょう。余計なことをすると墓穴を掘ることになりかねない危ういプロット。心理面をぼかすことによってどうにか成立しているように思えました。



以下 ネタバレあります。

特に気になった点。
なぜ、ばあさんはルイザばかりを溺愛したのか? この理由が解明され、物語に絡んでくるような展開を期待していましたが、そこは曖昧なまま。(瑕疵とまではいえないものの、個人的には気になりました)
ハッター家の連中がそこまで異常だとは思えませんでした。平常人の延長上として理解しうる範囲内。真犯人だけは唯一異常であるように思えるものの、その内面には踏み込まず。なぜ事件を起こしたのか。子供だからなのか、異常だからなのか? 
ルイザはなんで死ぬことになった?(なぜ作者はルイザを殺した?)
真相開示の場面を劇的に盛り上げるための道具(真犯人である可能性の一つ)にしたようにしか思えませんでした。こういう趣向は好かない。
まあ、そうはいっても、ひねりの効いた操りや犯人が自己制御不能になってゆく流れは圧巻ですし、犯人が殺害に失敗して失望していたという件は寒気がしました。
採点は8点かなと思っていましたが、最後の頁を読んで気が変わりました。レーンの行動は個人的にはとうてい支持できませんが、凄いラストであることは認めざるを得ませんね。
瑕疵多いが衝撃がそれを上回る傑作。主観では8点ですが、客観的な評価を採って9点とさせて頂きます。

それでは、みなさま良いお年をお迎え下さいませ。

No.55 6点 メグレ警視のクリスマス- ジョルジュ・シムノン 2015/12/25 07:36
もういくつ寝ると、お正月~あれ? 待てよ……そんなわけでお二方の後に続けさせて頂きます。
三篇が収録された独自の編集版とのことですが、私の評価は良い中編と短編(メグレ警視のクリスマス、メグレのパイプ)にまあまあが一つ(溺死人の宿)といったところでしょうか。

メグレ警視のクリスマスについて
クリスマスイブ、わけあって叔父夫婦の元に引き取られている少女コレットの部屋にサンタクロースが忍び込んで来て人形をくれます。サンタクロースは人形をくれただけではなく、なにやら怪しい動きも。コレットの養母は事を荒立てたくはないのに話を聞いた近所のおばさんが騒ぎ立てたばかりにとある事件が浮かび上がってきます。
さらに、本作には事件のせいでメグレ夫人の憧憬が掻き立てられるというサイドストーリーも用意されています。
導入部にメグレのこんな心理描写があります。読み直して、さすがだなあと思いました。
~クリスマスの日には慎重にしなければいけない、言葉に気をつけなければいけない。というのは、メグレ夫人もクリスマスにはいつもより神経過敏であったからだ。
しっ! そのことを考えてはいけない。面倒なことは何も言ってはいけない。これから子供たちが歩道に玩具を持ってあらわれるだろうから、通りをあまり見てはいけない。~
本作は素晴らしいプレゼントを貰い損なったメグレ夫妻のほろ苦いクリスマスストーリーでもあります。 

空さん、miniさんともに子供の印象が薄いと仰ってます。
確かにそうなんですよね。でも、シムノンが子供を描けないなんてことはないと思うのです。「メグレと田舎教師」で子供の心中を息苦しいほどに描いていたりしますし。ただ、シムノンの作品の中でいわゆる子供らしい子供はあまり見たことがないかもしれません。
本作のコレットはユゴーの「ああ無情」に出てくるコゼットを思わせるところがあります。主要人物なのに印象がいまいち薄く、どこか辛気臭いところや境遇など重なるものがあります。

No.54 6点 私の大好きな探偵―仁木兄妹の事件簿 - 仁木悦子 2015/12/19 10:20
この短篇集は、後にいくほど(小説としては)作品の質が良くなっている印象です。
最初の『みどりの香炉』を読んだ時はちょっとこれはハズレを掴んだかと思いましたが、中学生一年生向けの雑誌に掲載された作品とのことで、まあそれならば。
『黄色い花』も兄の植物趣味を推理に活かした点は良いとしても、他は特筆すべき点はないかなあ。
三番手の『灰色の手袋』あたりから面白くなっていく。ミステリとしてもっとも楽しめるのはこれですね。ただ、少ない枚数の中に仕掛けを詰め込み過ぎかな。ちょっと余裕がない。
『赤い痕』これは雄太郎がいきなり調べ物を始めるのが唐突過ぎてポカーンとなりましたが、田舎の雰囲気がなかなかよく出ていて、読み物としてはこちらの方が面白かった。
『ただ一つの物語』これが一番遊びがあって好きですね。著者が童話作家として活動していたこともうまく活かされている。
厳しいことを言わせて貰うと、ミステリファンがわざわざ選んで読むほどの作品集ではないと思う。故に厳しく6点。私はけっこう好きなんですが。

No.53 8点 ハサミ男- 殊能将之 2015/12/19 10:10
ハサミ男と名付けられて世間を騒がしている連続殺人犯は新たな標的を狙って行動を開始した。ところが、人気ない公園でその標的がすでに殺害されている。しかも、遺体は喉にハサミを突き立てられている。先回りされたうえに真似までされた元祖ハサミ男には正義感などもちろんないが、ちょっと気になるので模倣犯を捜し始めるのであった。

クールな文体は高評価。
細部を大切にしている。
再読した時に新たな風景が見える。
とてもお洒落な小説というのが私の印象です。
最後の二行がかなりベタだが、わざとだろうなあ。
本来の立ち位置は少数だが熱烈なファンがいるマニアックな作家であろうに、なまじデビュー作がヒットしてしまったばかりに黒い仏で必要以上に叩かれてしまったように私は感じた。 
医師に関してやや消化不良(もしくは書き過ぎ)なところと、終盤でなにが起こったのかまるで理解できていなかった磯辺刑事及び、同僚のマヌケぶりはちょっと有り得ないので減点して8点。

連続殺人犯が己の模倣犯に殺害された遺体を発見するというとんでもない偶然をどう評価するか。
→偶然によってプロットを動かすのは感心しないが、偶然が物語の発端となるのはセーフとしたい。いや、セーフというか、この馬鹿馬鹿しさが面白い。

アンフェアではなかろうか。 
→危うい部分はあるも、アンフェアではないと思う。

お亡くなりになってから二年くらい経つのか。寒い時期というのは憶えている。
悲しい。

No.52 6点 林の中の家- 仁木悦子 2015/12/10 21:39
長期不在のシャボテン愛好家宅にシャボテンの世話をするという条件で住み込むことになった仁木兄妹だったが、とある夜、悦子が奇妙な電話を受ける。悲鳴のような声、そして、電話の主は悦子の兄にすぐに来て欲しいと告げた。
かくして仁木兄弟はまたしても殺人事件に巻き込まれるのだった。

ポプラ文庫版で読んだのですが、この表紙絵でもさほど違和感なく読める文章を五十年も前に書いているのは驚きです。
肝腎の内容ですが、私のように作者の意図に逆らわず、素直に読んで素直に驚きたい読者には辛い構造だと思います。
通常のミステリは漫然と読んでいても徐々に容疑者が絞られてきて、犯人はこいつかなとイヤでも推測できます(でも、実はこっちだったとわかって驚くわけなんですが)。言うまでもなく作者がそのように誘導するからです。ところが、本作はそういう誘導があまり見られない。故に犯人を探しながら、細部を常に気にしながら読まないといつまで経っても容疑者の数が減らない。どいつもこいつも犯人に見える状態がいつまでも続いて疲れてしまいます。
ただ、これは良いところでもあると思います。誘導はせずとも細部に仕掛けはたくさん仕込んであるので、犯人を探しながら読む人には非常に骨のある、楽しめる作品でしょう。ある意味、これが正々堂々のミステリなのかも。
●●が犬を飼い始めた→それは夫との別居を決意したからだ、こういう細かくも納得のいくロジックの積み重ねで真相に迫っていくのは非常に良い。
読者を選ぶ作品だと思います。

気になった点
偶然と唐突が多い印象。
複雑な家庭、複雑な人間関係について書いているのだから駒になってしまっている人物が多数いるのはよろしくない。
途中とある事件が発生した際に当事者の意向で警察にさえそのことを隠したのに、仁木兄が独断で関係者に喋ってしまったのはどうかと思った。

No.51 8点 メグレ罠を張る- ジョルジュ・シムノン 2015/12/09 18:09
女ばかりを狙った連続殺人鬼のせいでパリは恐怖に包まれていた。すでに五人の女が犠牲になっている。メグレは己の進退を賭けて大量の人員を動員、大掛かりな罠を張った。

ハヤカワで文庫化されていたこともあって比較的入手し易かった(現在は?)作品。メグレものの名作の一つだと思います。
ただ、序盤が読みづらいんですよね。
出来ごとを時系列に並べると、連続殺人事件の発生、メグレが犯人像を推測して罠を張ることを漠然と考える、とある精神科医との会話によりメグレが罠を張ることを決意する、罠を張るための下準備をする、となりますが、物語は時系列を崩して罠を張るための下準備の場面から始まります。事件概要の説明からではなく、人物を動かしながら物語に入りたかったのでしょうが、なにが起こっているのかわかりづらいのですよ。
しかも、読者が状況を飲み込んで、さあ、どうなるのかなと思いはじめた矢先に容疑者確保。
臣さんが仰るとおり、もっと内容を厚くして本格的な推理物にすることも可能だったであろう作品ですが、やはりシムノン、読者が期待するような方向には舵を取りません。通常のミステリなら罠を張って犯人を捕らえるまでの過程に重点を置くでしょうに、そこは駆け足で済ませてしまい、メグレが罠を張ろうと決意する切っ掛けやその下準備、犯人を捕らえた後のメグレの独走というか独創というか、などに多く筆を割きます。
精神科医と犯人像について推測し合う場面は興味深く、逮捕した人物と相対して根拠もろくになさそうな推察をぶつけていく場面は非常にスリリング。
作戦が大掛かりなだけに片腕のリュカ、可愛がっているジャンヴィエ、息子のようなラポワント、直属の部下ではないものの目をかけていると同時に扱いにひどく気を遣っているロニョンと、メグレと各々の関係が鮮明に見えるのも面白い。
最後に関係者が集められて火花を散らしますが、犯人が自分の犯行だったと宣言(自白とはニュアンスが異なる)した瞬間、寒気がしました。名場面だと思います。
※この名場面、グラナダ版ではメグレが発言を促すかのようにその人物を見て、それに呼応してその人物は問題のセリフを吐きました。ところが、原作(日本語訳)では『そのとき沈黙を破って●●の声がした』となっています(原文がどうなっているのか気になりますが)。
つまり、メグレは言葉を発した人間を見ていなかったし、この発言を予期してもいなかったのではないでしょうか。細かいことですが、セリフの意味、ニュアンスが若干変わってしまいます。自分は断然原作を支持します。

一つ気になった点を。
メグレは容疑者に「おまえは法で裁かれることはない。精神病院で残る人生を送ることになる」と断言していますが、この犯人は狭義の精神病(統合失調症や躁鬱病)ではなさそう。だとすると日本だったら心神喪失(無罪)は認められず、せいぜい心神耗弱(有罪)、減刑となるのみではないかと思われます。フランスではどうなんでしょうか。

No.50 9点 利腕- ディック・フランシス 2015/12/03 07:15
シッド・ハレーの元に立て続けに三つの依頼が舞い込みます。
まずは超有名調教師の妻さんからのご相談です。「夫の調教している馬が立て続けに死んでいます。馬に危害を加えている人がいるんじゃないかと心配です」
次に元海軍提督のパパ(シッドの元義父)さんのお悩みです。「ジェニィ(シッドの元妻)が知らないうちに詐欺の片棒を担がされて、下手をすると監獄行きになる」
最後はフィリップと呼んでくれ伯爵さんのご不満です。「私が出資しているとあるシンジケートの登録馬たちが実力通りの成績を上げていない。不正が行われているのではなかろうか」

三つの事件が同時進行ですので、ちょっとこんがらがるかもしれませんが、無関係に思える三つの事件がきちんと絡み合うのが気持ちいい(一つは結びつき脆弱ですが)。文章も人物造型も余裕の安定ぶりで、シッドとジェニィの関係も一段落。ミステリ的な仕掛けがいくつか施されていて楽しいし、ラストも素晴らしい。ディック・フランシスのベストはこの作品で異議ありません。
大穴の方が好きなんですが、点数はこちらの方に9点つけます。

ちなみに気球レースのシーンと知り合いの調教師に頼まれてシッドが騎乗するシーンがもっとも好きです。双方ともプロット上は重要性の低いシーンで、なくてもいいくらい。ですが、こういう無駄なシーンを楽しませてくれる小説が私にとってのいい小説。

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tider-tigerさん
ひとこと
方針
なるべく長所を見るようにしていきたいです。
書評が少ない作品を狙っていきます。
書評が少ない作品にはあらすじ(導入部+α)をつけます。
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平均点: 6.71点   採点数: 369件
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