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おっさんさん
平均点: 6.35点 書評数: 221件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.7 8点 英国古典推理小説集- アンソロジー(国内編集者) 2023/05/29 09:54
あの岩波文庫が贈る、要注目の書です。
カバー袖の宣伝文句によれば――「ディケンズ『バーナビー・ラッジ』とポーによるその書評、英国最初の長編推理小説と言える『ノッティング・ヒルの謎』を含む、古典的傑作八編を収録(半数が本邦初訳)。読み進むにつれて推理小説という形式の洗練されていく過程が浮かび上がる、画期的な選集」と言うことになります。
19世紀の英文学が専門の編訳者(本書のどこにも略歴は載ってませんが……岩波の読者なら、ディケンズ作『荒涼館』の訳者である佐々木徹先生は、知ってて当然の存在?)が、しかし文庫レーベルということもあって、あまり学術的になりすぎることは避け、読書人一般向けに編んだ、啓蒙の書という印象ですね。いや、充分マニアックではありますがw
ただ、いわゆるミステリ・マニアの感性とはズレがあり――端的な例が、書名にも使われている「古典推理小説」という表記。そこはやっぱり「古典探偵小説」じゃないと、しっくり来ないでしょ――作者紹介欄のコメントや解説文を読んでいても、ツッコミどころは目につきますが(知識ミスを補い、ブラッシュ・アップしてくれる、マニア気質の担当編集者がいてくれたら……という印象は拭えませんが)、それでも、アカデミズム方面からの貴重なアプローチであり、古参のミステリ読者にも、新鮮な発見と考える材料を与えてくれる、「注目の書」であることは間違いありません。
収録作は――

①『バーナビーラッジ』第一章(抄録)チャールズ・ディケンズ (付)エドガー・アラン・ポーによる当該作の書評2点(①連載中の展開予想編 ②完結後の総括編、それぞれを抄録) 実作と評論の無類に面白いセットで、これは企画の勝利ですが、対象となる『バーナビー・ラッジ』の書誌データ(ディケンズ自身の編集になる、週刊『Master Humphrey's Clock 』に1841 年 2 月~11 月まで連載)は、しっかり記載しておくべきではないかな? そのうえで佐々木先生には、アメリカの地における、同作の出版状況までフォローしていただきたかったと思います。『バーナビー』の、故・小池滋氏の完訳(集英社)について言及していないのは遺憾。ポーがディケンズをダシにして自論をブチあげる、第2書評の全訳が、東京創元社の『ポオ全集〈3〉詩・評論・書簡』に収録されていることにも、触れておいて欲しかった。先人へのリスペクトって、大事でしょ。あと、解説でポーの「推理小説、あるいはそれに非常に近い作品」をピックアップしながら、「黄金虫」を黙殺しているのはいかがなものか?

②「有罪か無罪か」ウォーターズ(1849) 警察官による実録を謳った、往時流行の創作のサンプル。悪漢を追跡し逮捕にいたる、探偵経路の面白さ、ですね。変装あり腹話術ありw。本邦初訳とされていますが、個人出版とはいえ、昨2022年にヒラヤマ文庫の、ウォーターズ作『ある刑事の回想録』で訳出されたばかりでした。個人的には、未訳のもののなかから、あちらではアンソロジーにも採られている、元祖・科学捜査もの “Murder Under the Microscope”を選んで欲しかったな。

③「七番の謎」ヘンリー・ウッド夫人(1877) 初訳。このあとのコリンズともども、1860年代から1870年代にかけて隆盛したセンセーション・ノヴェルを代表する作家の手になる、初期(偶然の導きで真実が判明する)フーダニットの一例。解決が弱いといってしまえばそれまでですが、やるせない真相は、黄金期のアガサ・クリスティーなどをスキップして、後年の、ルース・レンデルあたりを思わせる苦さがあります。巻末解説で「深読みに過ぎるだろうか」と記される、訳者の考察に頷かされます。

④「誰がゼビディーを殺したか」ウィルキー・コリンズ(1880) 雑誌初出時のタイトルに拠った訳題を採用していますが、作品紹介欄のコメントでも書かれているように、コリンズは単行本収録時に改題しています。北村みちよ編訳『ウィルキー・コリンズ短編選集』(彩流社)に、そちらのタイトルに基づく「巡査と料理番」として既訳があります。臨終の告白から、事件発生の一報が告げられる、語り手の若き巡査時代の一場面へ切り替わる、“つかみ”のうまさ。さすがコリンズ、物語る力が違います。余韻嫋々。極端な偶然の利用は、ストーリーテラーの特権かww。解説でコリンズの推理小説的作品を列挙しながら、定評ある短編の「人を呪わば」(岩波文庫の『夢の女・恐怖のベッド』にも、「探偵志願」として収録されているのに……)を無視しているのは、しかし、どんなものか。

⑤「引き抜かれた短剣」(1893)キャサリン・ウイーザ・パーキス 初訳。知られざる“シャーロック・ホームズのライヴァルたち”の一人、女性探偵ラヴディ・ブルックもの。この作者・作品は知らなかったな。地の文で嘘を書いてはいけない、と、ポー大先生に乗っかって、訳者が駄目だしをしていますが、作者の視点を徹底的に配して、完全にラヴディの三人称一視点(意識の、同時進行)で書き貫けば、その点はクリアできます。まあ、そうなるとハードボイルドですがねwww。しかし実際、本シリーズは、パズラー的観点より、女性私立探偵ものの先駆け的な観点から、再評価すべきだと思います。男性と対等に仕事をし、偏見なくきちんと評価される世界は、作者の理想だったのかもしれませんが、いま読むとその先見性に驚かされます。

⑥「イズリアル・ガウの名誉」(1911)G・K・チェスタトン えーっと。「シャーロック・ホームズのライヴァルたち」枠だそうです。すでに諸方面からツッコミが入っていますから、ここでは、万一、未読の向きがあれば、これと⑦だけは読んでおきましょう、というにとどめておきます。まあ、「推理」の恣意性に踏み込んでいる、という評価軸だとすれば、あえて、このアンソロジーの後半に据えてもいいのか……な? でも、人名表記は従来通り「イズレイル」のままにしておいて欲しかった。

⑦「オターモゥル氏の手」(1929)トマス・バーク えーっと。「黄金時代に入ってからの作品だが、かねてから評価の高い名品であるので、出版年代にこだわらずに採択した」そうです。すでに諸方面からツッコミが入っていますから(以下略)。エラリー・クイーンがアンソロジー収録時に冒頭1ページをカットした流布版ではなく、完全版の翻訳ではありますが、創元推理文庫の『世界推理短編傑作集4』(2019)で、既にそちらも読めるようになったからなあ。作中の探偵役(?)を待ち受ける衝撃の結末、という評価軸であれば、あえてこのアンソロジーの後半に据えてもいいのか……な? でも、人名表記は従来通り「オッターモール」のままにして(以下略)。

⑧「ノッティング・ヒルの謎」(1862~1863)チャールズ・フィーリクス さて、本邦初訳、本書の眼玉の登場ですが――

「おっさんより投稿者の皆様へ
 ここまででもかなりの言葉数を費やしてしまいました。異例のことですが、筆者には、長編「ノッティング・ヒルの謎」を別に登録して、レヴューしてみたい希望があります。
 サイトのルール的にそれはどうよ? という声もあるでしょう。そうした意見が多くあるようであれば、あらためて本稿を修整して、「ノッティング・ヒルの謎」の感想をこちらに記すことにします。
「掲示板」でみなさまのご意見を伺わせていただければ幸いです」

(追記)上述の件について、掲示板で特に反対意見が見られなかったことから、「ノッテイング」に関しては、筆者は別枠で単体のレヴューをさせていただくことにします。我儘ともいえる要望に対し、賛同のコメントをお寄せいただいた nukkam、人並由真のご両名に、あらためて謝意を表します。 (2022.6.7)

No.6 7点 怪奇文学大山脈Ⅲ- アンソロジー(国内編集者) 2015/05/01 09:38
「西洋近代名作選【諸雑誌氾濫篇】」と副題のついた本書(東京創元社)は、編者・荒俣宏氏の、“幻想と怪奇”の分野における仕事の総決算ともいうべき、入魂のアンソロジー・シリーズ(ボリュームたっぷりの「まえがき」と「作品解説」に注ぎ込まれた、情熱と情報の総和は圧倒的)の最終巻です。
第Ⅱ巻に引き続き、本書も二〇世紀前半の怪奇小説の流れを、荒俣氏のパースペクティブに基づき選び抜かれた実作を通し、展望する試みですが、今回の大きな特色は、マニア的な固定観念に縛られず、当時の俗受けした雑誌メディアや娯楽として人気を誇った演劇の分野に、その時代の怪奇の嗜好を探っていることです。「したがって、現代の目から見れば道義上適切といえないものや、煽情性が高すぎる作品も含まれることになった」(「第三巻 作品解説」より)。
いっとき話題になったあと忘れ去られ、後世の研究者からは通俗ものとして片づけられ、一顧だにされないような作品にも、あえて光を当て、再評価の可能性をさぐっています(このへん、戦前の探偵小説に惹かれ、甲賀三郎や大下宇陀児の微妙なところにも手を伸ばし、玉石混淆のなかから、少しでも玉を拾おうとしている筆者には、とても他人事とは思えませんw)。
収録作は、まずイギリスの小説雑誌の掲載作から――

1.スティーヴン・クレーン「枷をはめられて」
2.イーディス・ネズビット「闇の力」
3.ジョン・バカン「アシュトルトの樹林」

が採られていますが、このへんはまだ、ことさら煽情的というほどでもない。バカンの3(エキゾティックな小説が花盛りだった、『ザ・ブラックウッズ・エディンバラ・マガジン』の掲載作)などは、異国の神を“物理”で駆逐する、なんとも乱暴な話でありながら、その筆致には格調すら感じられます。やはり、作家としての地力が違うのは明白ですね。けっして『三十九階段』だけの人ではありません。もっと怪談を訳して欲しいぞ。
次いで紹介されるのはドイツ勢です。

4.グスタフ・マイリンク「蝋人形小屋」
5.カール・ハンス・シュトローブル「舞踏会の夜」
6.アルフ・フォン・チブルカ「カミーユ・フラマリオンの著名なる『ある彗星の話』の驚くべき後日譚」
7.カール・ツー・オイレンブルク「ラトゥク――あるグロテスク」

このブロックは、おもに(風刺週刊誌に発表された4を除いて)世界初の怪奇文芸専門雑誌とされる『デア・オルキデーンガルテン』の見本市という性格をもっています。なかで特筆すべきは、恋の終わりの仮面舞踏会の夜に、現実と幻想がないまぜになり――冷え冷えした災厄の到来で幕を閉じる(「解説」でも触れられているように、ポオの「赤き死の仮面」を想起させる)、シュトローブルの5でしょう。うん、なんかねえ、怪奇「文学」してる。筆者の苦手な不条理系の話ですが、そういう人間でも推さざるを得ないというのは、つまり、傑作ということ。ぶっちゃけ、この巻には勿体ないくらいですw
この巻らしさ(猥雑さ)が明確に打ち出されるのは、

8.モーリス・ルヴェル「赤い光の中で」
9.野尻抱影「物音・足音」(ルヴェルの、日本における翻訳紹介の経緯を綴ったエッセイ)
10.ガストン・ルルー「悪魔を見た男」(戯曲)
11.アンドレ・ド・ロルド「わたしは告発……されている」(恐怖劇の代表的作者による、マニフェスト)
12.アンドレ・ド・ロルド&アンリ・ボーシュ「幻覚実験室」(戯曲)
13.アンドレ・ド・ロルド&ウジェーヌ・モレル「最後の拷問」(戯曲)

という、フランス編からです。若き日のディクスン・カーをも刺激した、残虐劇グラン・ギニョルの概要は、ミステリ・ファンなら――好き嫌いはともかく――基礎教養として押さえておくべきでしょう(より踏み込みたい人には、水声社から出ている、真野倫平編『グラン=ギニョル傑作選 ベル・エポックの恐怖演劇』という本があるようです)。いきなり戯曲を載せるのではなく、導入として、「グラン・ギニョルのコンパクトな恐怖劇を文学で表現した作品」を書いたと評される、ルヴェルの短編を置いているのもいい。これがアンソロジストの芸というものです。で、ルルーを経てド・ロルドの台本などを実際に読んでみると……まあ、歴史的価値だよなあ、という感想に落ち着くわけですがw
このグラン・ギニョルの煽情性が、アメリカのパルプ・マガジン文化に影響を及ぼしている、という荒俣史観はまことに興味深いもので、最後のアメリカ編は、それを裏付けるようなセレクションになっています。

14.W・C・モロー「不屈の敵」
15.マックス・ブランド「ジョン・オヴィントンの帰還」
16.H・S・ホワイトヘッド「唇」
17.E・ホフマン・プライス「悪魔の娘」
18.ワイアット・ブラッシンゲーム「責め苦の申し子」
19.ロバート・レスリー・ベレム「死を売る男」
20.L・ロン・ハバード「猫嫌い」
21.M・E・カウンセルマン「七子」

名門(?)『ウィアード・テールズ』から選出された、ホワイトヘッドやカウンセルマンの作などは、普通に怪奇小説(ないしファンタジー)として、今日的な評価に耐えうる出来ですが、上述のような煽情性という意味では、群小の有害(?)パルプ誌から掘り起こされた、17~19あたりが、当時の読者のニーズにストレートに応えたであろう、エロなりグロなりを感じさせ、納得の内容といえますw そしてここでは、突き抜けた衝撃性(グロの極み)が、場当たり的な面白さを越えて――もしかして、これは傑作? という域にまで達した、モローの14をイチオシしておきましょう。舞台はインド。藩主(ラージャ)に反抗した召使いが、罰として、まず右腕を切断され、なお反旗をひるがえしたばかりに、残る腕、そして両足と、四肢を失う羽目になるが……その果てに待つものは? 編集者時代のアンブローズ・ビアスが惚れ込んだというW・C・モローは、今後の紹介が期待されます。

ふう。お腹一杯になりました。
この巨大アンソロジーの編纂にあたられた荒俣氏には、心から、お疲れさまでしたの言葉を送りたいと思います。「おそらく本書は、私が西洋の怪奇小説について真摯に語る最後の機会になると思われる」という言には、一抹の寂しさを覚えますが、この全3巻の偉業にふれた若い読者のなかから、必ずや荒俣氏のあとに続く怪奇者が育っていくことでしょう。筆者はそれを信じています。

No.5 8点 怪奇文学大山脈Ⅱ- アンソロジー(国内編集者) 2014/11/23 12:50
知の巨人(あるときは学者、またあるときは作家、そしてまたあるときは翻訳家――ときどきTVタレントw)荒俣宏氏の、怪奇者としての編集・執筆活動の集大成ともいうべき、巨大アンソロジーの第二巻は、前巻の【19世紀再興篇】を受けて、副題に「西洋近代名作選【二〇世紀革新篇】」と謳われています。
二〇世紀前半の、編者こだわりの未訳作品を中心としたセレクトで、怪奇小説黄金時代を追体験させる試みで、例によって、豊富な図版(モノクロなのが残念ですが)とヴォリュームたっぷりの「まえがき」(今回は、“怪談”から“怪奇小説”へという、我国におけるジャンルの呼称の変遷をめぐるエピソードが興味深い)、そして詳細な「解説」(長年の蓄積に裏付けられた、個々の作家・作品をめぐる情報の厚み! あえて難を云えば、近年の邦訳状況への言及が不足していること)が付されています。
収録作品は――

ヒチェンズ「未亡人と物乞い」、クロフォード「甲板の男」、ホワイト「鼻面」、マイリンク「紫色の死」、エーヴェルス「白の乙女」、ボッテンペッリ「私の民事死について」、ベリズフォード「ストリックランドの息子の生涯」、コッパード「シルヴァ・サアカス」、ハートリー「島」、マッケン「紙片」、デ・ラ・メア「遅参の客」、オニオンズ「ふたつのたあいない話」、ハーヴィー「アンカーダイン家の信徒席」、メトカーフ「ブレナー提督の息子」、ウォルポール「海辺の恐怖―――瞬の怪談」、ウエイクフィールド「釣りの話」、ウォーナー「不死鳥(フェニックス)」、サーフ「近頃蒐めたゴースト・ストーリー」

前巻から通して読むと、素朴な――という表現が悪ければ、ストレートな――怪談が、技巧的な怪奇小説に変化していったさまが、如実に窺えます。
巻頭に置かれた、ロバート・ヒチェンズの「未亡人と物乞い」は、その意味で象徴的。恨みを残した魂魄がこの世にとどまり、原因となった未亡人の前に幽霊となって現われる――わけですが、作話上の仕掛けで、当の彼女にはそれが幽霊であることが分からない、しかし、幽霊を見ることの出来ない視点人物(読者代表)には、彼女の“見ている”それが、まぎれもない幽霊であることが分かってしまう。そして怖くなる。“透明怪談”(作者ヒチェンズには、「魅入られたギルディア教授」という、同テーマの正攻法の作例もあります)のヴァリエーションとして、まことに巧妙で、筆者としては本巻のベスト3に入れます。

こうした技法がさらに洗練されると、解説のなかで荒俣氏も指摘されているように、そもそも怪異があったのかどうかすら判然としない、ウォルター・デ・ラ・メア流の“朦朧法”になるわけですが・・・
その、すべてを暗示にとどめる行きかたは、ときにもどかしいw
編者絶賛の(しかし荒俣氏は、ストーリーの解釈上、ひとつ明らかに大きな勘違いをされています。なぜ編集者はチェックしない?)、ジョン・メトカーフの「ブレナー提督の息子」などは、怖さの対象が、本来の怪奇現象(?)から、それを受け取った側にスライドする見事な試みで、なるほど確かに傑作といって差し支えないとは思うのですが、でもミステリ者としては、回収されない(思わせぶりな)伏線の数かずにイライラしてしまうwww
幾つかの収録作では、“進化”した怪奇小説の孕む問題点(フツーのエンタメ読者からの乖離)も、同時に浮き彫りになっている気がします。

チマチマした話ばっかりなの? もっとこう、幽霊や怪物がバーンと出てきてゾクゾクさせられるようなのが読みたいんだけど――という向きにお薦めなのは、マリオン・クロフォードの「甲板の男」(強い南風の夜、外洋航海船から消えた水夫は、海の藻屑となったはずだったが・・・)やE・L・ホワイトの「鼻面」(謎めいた富豪の屋敷に押し込んだ、三人組の前に次々と現われる異形の部屋。その最深部に待ち受けていたものは・・・)でしょうか。

そうした重厚感のある力作とは別に、筆者の好みで、スタンダードな怪談路線からひとつ選ぶとすれば、H・R・ウエイクフィールドの、切れ味鋭い「釣りの話」になります。怪しい状況(絶好の釣り場に思えるのに、なぜかガイドが「あそこでは釣れません」と案内をしぶる、深い淵の存在)が設定され、クライマックスへ向けて展開し、ついに主人公の前に人外のものが出現するわけですが・・・短いセンテンスを畳みかけ、一瞬の、しかし激しい遭遇を、コマ送りのように読者の脳裏に焼き付けます。結びの一行も、至芸というしかありません。“最後の怪奇小説作家”と称される、ウエイクフィールドの噂は、かねてから耳にしていましたが、実作を読むのは今回が初めて。なるほど、さすがの筆力です。創元推理文庫から出ている、個人短編集『ゴースト・ハント』も是非読まなければ。

英米作家にまじって、オーストリアのグスタフ・マイリンク、ドイツのH・H・エーヴェルス、イタリアのマッシモ・ボンテンペッリといった異色の顔触れが競演しているのも、ジャンル・アンソロジーの愉しさですね。このヴァラエティは、往年の『新青年』の、欧米エンタメ小説の取り込みの再現であり、あらためて同誌の目配り、その先進性に思いがいたります。

そうそう、異色といえば、また違った意味で、シルヴィア・タウンゼンド・ウォーナーなるイギリスの女流作家の、「不死鳥(フェニックス)」にも触れておかねば。鳥の飼育が趣味の資産家が、アラビアで見つけた本物のフェニックスをめぐる騒動記で、これはどう考えても怪奇小説じゃない。人それをファンタジーと呼びますw 偏愛の作品をしれっと本巻に紛れこませ(第三巻に収録予定だったものが、繰り上がったその事情はさておき)、ニヤリとしている荒俣さんの顔が目に浮かぶようです。でも、面白いでしょ? と言わんばかり。ハイ、面白うございました。ユーモアに富んだ語りくちに乗せられ――急転直下の結末に、思わず口あんぐり。怪奇小説の変遷だとか、技法の進化だとか、み~んなどこかへ行ってしまいましたwww
(ここで声が小さくなる)本音をいえば、こういう、肩の力の抜けた良い作品を、怪奇小説のほうからもっと拾って欲しかった、かな。

No.4 7点 怪奇文学大山脈Ⅰ- アンソロジー(国内編集者) 2014/10/23 09:19
荒俣宏氏は、いまや日本を代表する知の巨人の一人ですが、筆者の世代にとっては、まず『帝都物語』の人であり、加えて、ミステリと隣接する“怪奇と幻想”分野の先達であるわけで、その氏が、ひさかたぶりに“怪奇”に戻ってきて、全3巻の巨大アンソロジーを編んだとなれば――怪奇文学、といった大げさな表題は個人的には苦手なのですが――これを無視するわけにはいきません。
「西洋近代名作選【19世紀再興篇】」と銘打たれた本書の内容は、以下の通り。

・第一巻まえがき 西洋怪奇文学はいかにして日本に届いたか
・第一部 ドイツロマン派の大いなる影響:亡霊の騎士と妖怪の花嫁
 ビュルガー「レノーレ」、ゲーテ「新メルジーネ」、ティーク「青い彼方への旅」、作者不詳「フランケンシュタインの古城」、クロウ「イタリア人の話」、ハウスマン「人狼」
・第二部 この世の向こうを覗く:心霊界と地球の辺境
 ブルワー=リットン「モノスとダイモノス」、レ・ファニュ「悪魔のディッコン」、オブライエン「鐘突きジューバル」、マーシュ「仮面」
・第三部 欧州からの新たなる霊感と幻想科学小説
 クラム「王太子通り二五二番地」、チェンバース「使者」、エルクマン=シャトリアン「ふくろうの耳」、ツィオルコフスキイ「重力が嫌いな人(ちょっとした冗談)――『地球と宇宙の夢想』より」
・第一巻作品解説

本邦初訳作品を中心に、「過去二〇〇年のうちに起きた怪奇文学発展の歴史というべき大山脈が一望できるような文芸地図を描きあげる」壮大な試みのスタートです。
ソフトカバーながら、美しい装丁と豊富な図版が醸し出す“豪華本”感が半端でなく、二段組み四百五十ページに及ぶ本書の、合わせてじつに百ページ近くを占める、「まえがき」と「解説」の情報量には圧倒されます。
個人的に、目から鱗が落ちた文章を「まえがき」から引くと――

 「さらにアメリカでは、ハードボイルド小説の雄ダシール・ハメットが『夜に這う』(一九四四)と題したアンソロジーを編纂しており、同じパルプ・マガジン仲間だったH・P・ラヴクラフトを取り上げた」

ハメットとラヴクラフトが“パルプ・マガジン仲間”というワードで結びつくオドロキ。いや~、ミステリばかり読んでいても、なかなかそういう事には気がつきません。
肝心の作品より、そうした荒俣氏の文章のほうが面白い――のが難でしょうかw
読者は、怪奇小説黎明期の、どちらかというと資料的価値のまさった作品群を、編者のパースペクティブを通して“読解”していくことになります。
たとえば、変幻自在のサイコ殺人鬼を描いた、リチャード・マーシュの「仮面」は、ミステリとしてはB級、C級もいいところなのですが、怪奇小説のアンソロジーに組み込まれることで、「個性(パーソナリティ)という確固たる現象に揺らぎを持ちこんだ怖さ」がクローズ・アップされることになります(余談ながら、作者のマーシュは、創元推理文庫に長編の代表作『黄金虫』が収録されているのですが(現在は絶版)、解説では、戦前訳の『甲蟲の怪』のことにしか触れられていません。本書の版元の、東京創元社の編集部には、自社本くらい、きちんとチェックして欲しかった)。
集中、掛け値なしに“名作”といえるのは、雪深いスカンジナビア山中を舞台に、二人の兄弟が美しくも妖しい女に翻弄される、クレメンス・ハウスマンの中編「人狼」(「白マントの女」として、工作舎のアンソロジー『狼女物語』に既訳あり)。緊迫した追跡劇の果てに、兄が目にしたものは・・・。これは、仮にあの『怪奇小説傑作集』(創元推理文庫)に入れたとしても、上位を争う出来だと思います。
好みで次点をあげるなら、洞窟遺跡を舞台に、ユニークな“地底幻想”が想像力を掻き立てる、エルクマン=シャトリアンの「ふくろうの耳」(「梟の耳」として、ROM叢書『エルクマン‐シャトリアン怪奇幻想短編集』に既訳あり)でしょうか。作中、怪異を理解するキーとなる(はずの)手紙の断片のなかに「(・・・)灼熱の溶岩が煮え立ちはじけ飛ぶさまは恐ろしくも神々しいものです。これに比べられるものといえば、果てしのない宇宙の深みを覗き込む天文学者の抱く思いだけでしょう」という一節があります。
それを受けるような形で、収録作品の掉尾を飾るのが、宇宙旅行に想いを馳せたロシアの科学ファンタジー。この配列にはシビれました。まさにアンソロジー読書の醍醐味。ツィオルコフスキイのお話が、面白いか面白くないかは、まあ些細な問題ですwww

怪奇小説ファンは、当然押さえておくべき本ですが(垂野創一郎、南條竹則、夏来健次といった定評ある怪奇者の、訳文の競演はゴージャスです)、狭義のミステリ・ファンも、基礎教養のため一読して損はありません。というか、是非手にとって、アンソロジストの情熱を感じとってみてください。いろいろ刺激されるものがあるはずです。

No.3 7点 幻想小説神髄- アンソロジー(国内編集者) 2013/01/21 10:49
全3冊よりなる、ちくま文庫のアンソロジー<世界幻想文学大全>の、本書は幻想(ファンタジー)篇。なんですが・・・う~む、俺の知ってるファンタジーとはだいぶ違うw

収録作は――①「天堂より神の不在を告げる死せるキリストの言葉」ジャン・パウル ②「ザイスの学徒」ノヴァーリス ③「金髪のエックベルト」ルートヴィヒ・ティーク ④「黄金宝壺」E・T・A・ホフマン ⑤「ヴェラ」ヴィリエ・ド・リラダン ⑥「アウル・クリーク橋の一事件」アンブローズ・ビアス ⑦「精」フィオナ・マクラウド ⑧「白魔」アーサー・マッケン ⑨「光と影」フョードル・ソログープ ⑩「大地炎上」マルセル・シュウォッブ ⑪「なぞ」W・デ・ラ・メア ⑫「衣裳戸棚」トーマス・マン ⑬「バブルクンドの崩壊」ロード・ダンセイニ ⑭「月の王」ギヨーム・アポリネール ⑮「剣を鍛える話」魯迅 ⑯「父の気がかり」フランツ・カフカ ⑰「沖の小娘」J・シュペルヴィエル ⑱「洞窟」エヴゲーニー・ザミャーチン ⑲「クレプシドラ・サナトリウム」ブルーノ・シュルツ ⑳「アレフ」ホルヘ・ルイス・ボルヘス

格調高いなあ。剣と魔法の物語――いわゆるヒロイック・ファンタジーは一切オミット。ジャック・フィニイやレイ・ブラッドベリら、SFよりの(筆者的には一番好みの)作品群も、はなから編者の眼中になし。入門書としては敷居が高すぎませんか、これ?

いきなり、宗教的な夢物語の巻頭作で挫折しかけましたよ ^_^;
この機会に、ノヴァーリス、ホフマンら有名なドイツ・ロマン派を初体験したり、カフカ、ボルヘスといった苦手な巨匠の噂に聞く短編を読了できたりしたのは、ジャンル・アンソロジーの有難味として素直に感謝しますが、さてそれらが面白かったかというと・・・長すぎるw あるいは、読みにくいww または「訳がわからないよ」www

結局、筆者は、どんでん返しや謎解き/種明かしで、結末にいたり全体の意味が明らかになるタイプの話が好きな、根っからのミステリ者なんですよね。
だから集中、もっともよくわかるのが、⑥「アウル・クリーク橋の一事件」や⑰「沖の小娘」だったりする。どちらも再読ですが、しかしオチがわかっていても、語りくちとイメージの鮮やかさで、充分読み返しがききました。単なるワン・アイデア・ストーリーではない。ことに前者は、広義のミステリ・ファンなら一度は目を通しておくべき傑作です。以降、さまざまなジャンルで流用されたサプライズ・エンディングのパターンの、原点にしてこれが決定版ですから(島田荘司が、某長編で臆面もなくこの○番煎じをやっていたのには、唖然とした憶えがあります)。

そんなわけで、「訳がわからないよ」タイプのお話は苦手なんですが、好みはさておき、凡作と傑作の見極めくらいはつくわけで、本書収録作のレヴェルが無茶苦茶高いであろうことは、わかります。
⑯「父の気がかり」や⑳「アレフ」は、それでも素直にホメてあげたくないのですがw 七人の子どもたちが、いっしょに暮らすお婆さんの屋敷から、一人また一人と消えていく⑪「なぞ」となると・・・完全降伏、マイリマシタと言うしかありません。
影絵というモチーフを通して、幻想が現実を浸食する怖さを親子の世界に凝縮した⑨「光と影」も、集中、一、二を争う傑作でしょうね。サイコ・ホラーを思わせる結末は、曽野綾子の名作「長い暗い冬」に通じるものがあります。そのどっちも好きじゃないけど、まあ、認めざるをえないw

<世界幻想文学大全>を通読してあらためて思うのは――
東雅夫さん、このかたは確かにすぐれたアンソロジストなんですが、筆者とは相性が悪いんだよなあ。まったく感性が違う。
文芸よりの東さんと、もうひとり、エンタメよりの誰かがいないと、ジャンル普及のバランスがとれないのじゃないか。
とくに幻想(ファンタジー)篇は、誰か頑張ってトライしてほしいなあ。異世界で活躍する美少女の冒険とか、時を超えたロマンスとか、是非、傑作を読ませてくださいwww

No.2 7点 怪奇小説精華- アンソロジー(国内編集者) 2012/12/13 21:18
全3冊よりなる、ちくま文庫のアンソロジー<世界幻想文学大全>の、本書は怪奇(ホラー)篇。「訳文の正確さや読みやすさよりも、その文学的味わい、文体の洗練を重んじる姿勢から(・・・)戦前戦中に世に出た旧訳の数々を、あえて積極的に採用」した(「解説」より)という、昨今の新訳ブームに水をぶっかけるような一冊ですw

収録作は―― ①「嘘好き、または懐疑者」ルーキアーノス ②「石清虚/竜肉/小猟犬(『聊斎志異』より)」蒲松齢 ③「ヴィール夫人の幽霊」ダニエル・デフォー ④「ロカルノの女乞食」ハインリヒ・フォン・クライスト ⑤「スペードの女王」A・S・プーシキン ⑥「イールのヴィーナス」プロスペル・メリメ ⑦「幽霊屋敷」エドワード・ブルワー=リットン ⑧「アッシャア家の崩没」エドガー・アラン・ポオ ⑨「ヴィイ 」ニコライ・V・ゴーゴリ ⑩「クラリモンド」テオフィール・ゴーチェ ⑪「背の高い女」ペドロ・アントニオ・デ・アラルコン ⑫「オルラ」モーパッサン ⑬「猿の手」W・W・ジェイコブズ ⑭「獣の印」J・R・キプリング ⑮「蜘蛛」ハンス・ハインツ・エーヴェルス ⑯「羽根まくら」オラシオ・キローガ ⑰「闇の路地」ジャン・レイ ⑱「占拠された屋敷」フリオ・コルタサル

このラインナップを見た筆者の、率直な印象は――どんだけ「文学」(文豪)好きなのよ、東さん?
もとより怪奇小説の歴史は古く、数かずの文学者が、ジャンルの礎石となる傑作・秀作を残してきたわけですが・・・それでもやはり、二十世紀の初頭に、怪奇専門の作家たち――アルジャーノン・ブラックウッド、M・R・ジェイムズ、H・P・ラヴクラフトetc.――が登場することで、“恐怖の黄金時代”が開かれたわけでしょう。そうした専門作家のマスターピースをまったく無視して、入門書的なアンソロジーを編むのはいかがなものか?

解説には「・・・収録作品の選定にあたっては、内外の主要なアンソロジー採録頻度、評論研究書での言及頻度を重要な指針、目安としている。もとよりそれらを厳密に数値であらわすことは不可能だし、その必要を認めるものでもないが・・・」とあります。なぜ「不可能」? なぜ「必要を認めない」?
少なくとも採録頻度なら、東氏が参照したアンソロジーを列挙し、統計表を作ればすむことで、そのデータは、愛好家には大いに裨益するはず。
筆者は少年時代、江戸川乱歩の丹念なガイド――たとえば「英米の短篇探偵小説吟味」をおさめた『続・幻影城』には、資料として「英米傑作集十五種の収録作家頻度表」と「――収録作品頻度表」が付けられています――で海外ミステリに入門した人間なので、こういうアバウトな「客観性」にはイライラしてしまうのです。

いっそ、俺の主観で選りすぐった、ワールドワイドな文豪怪談傑作選だ! と開き直ってくれたほうが、どれだけスッキリすることか(あ、でもそうすると、“文豪”じゃないW・W・ジェイコブズは落とされちゃうか? ⑬「猿の手」は、この本の中でもベスト作なのにw)。

実際、定番名作からはずれたセレクト(恥ずかしながら、筆者が初めて目にしたような作品群)にこそ、編者の個性が光っていると思います。
どうやら世界で最初に書かれた“怪談会”の物語らしい、①「嘘好き、または懐疑者」(150年頃)が、すでにして怪奇小説パロディの様相を呈しているのには、驚かされました。じつに面白い。
そして、鮮烈な読書体験という点では、⑯「羽根まくら」(1917)、⑰「闇の路地」(1942)、⑱「占拠された屋敷」(1951)と続く後半の流れが凄い。ウルグアイ、ベルギー、アルゼンチンの(筆者にとって)未知の作家たちの繰り出す不条理な作品世界に、目まいを覚えました。

ラスト1行でタイトルの意味が明らかになる「羽根まくら」などは、まだワン・アイデア・ストーリーとしてわかりやすい部類ですが、日常と極端な非日常が地続きになっている、あとのふたつ、とりわけ、ドイツとフランスで発生した、大量殺戮ならびに大量失踪が、二冊のノートを通してリンクする――のか?――「闇の路地」ときたら・・・結局、最後まで何が起こったのか理解できないのに、異様なパワーでねじ伏せられてしまいました。好みはさておき(ホントは、前記「猿の手」みたいにストレートな話か、真相は明かさないまでも、唯一のホラー的解釈を示唆して終わる、⑥「イールのヴィーナス」みたいな話が好きなんですけどね)、これは傑作でしょう。
東氏には、こうしたポスト黄金期の収穫をこそ、『新・怪奇小説傑作集』(全5巻)のようなカタチで編んでもらいたいと、強く思ったことでした。

No.1 6点 幻想文学入門- アンソロジー(国内編集者) 2012/12/01 12:55
『怪奇小説精華』『幻想小説神髄』と合わせて全3冊よりなる、ちくま文庫のアンソロジー<世界幻想文学大全>の、本書は解説/評論篇。
このテのジャンルの伝道師としてエネルギッシュに活躍している、東雅夫氏が、内外の――澁澤龍彦や中井英夫、小泉八雲やラヴクラフトなどの――評論やエッセイを選りすぐり、自身の読書遍歴と合わせてガイダンスしていく、濃いガイドブックです(後続の2冊と合わせる意味で、「アンソロジー」に登録しておきます)。

筆者も子供の頃から、お化けや幽霊はもとより、魔人・怪人、仮面・妖怪w のたぐいは好きなほうで、そっち系の本も読んできましたが、興味の中心がミステリに移行したこともあって、闇の輝きに取り込まれる前に、正気にかえってしまいましたw
以下は、そんな、彼岸に行きそこねたミステリ者の戯言です。

先日、本サイトのジャンル設定に関して、微力ながら協力させていただきましたが、内心、ミステリという枠のなかに、部分集合のように「ホラー」や「ファンタジー」があるという図式は、その筋の人には面白くないだろうな、という思いがありました。
なので、本書の編者のコメンタリーを読んでいて、

 「SF」や「本格ミステリ」「ライトノベル」などを広義の幻想文学と捉える見方もありますが、初心者が混乱をきたすといけないので本書では扱いません。

と言う文章に接し、ああ、あちらサイドでは「幻想文学」がいちばん大きいジャンルなのね、と苦笑しました。
ただ、東さんに喧嘩を売るわけではありませんが、「幻想文学」なる大仰なジャンル名、マイナーさから来る文学コンプレックスの裏返しのようで、筆者にはなじめないんだよなあ。
「ホラー(怪奇)とファンタジー(幻想)の両極を有する楕円構造を成している」(「編者敬白」)と言われても、じゃあ、「幻想文学」のなかに、別に「幻想小説」というサブジャンルがあるの? と突っ込みたくなってしまう。

本書に対するミステリ者としての一番の不満は、欧米怪談を原書で渉猟していた江戸川乱歩の、無類に面白い「怪談入門」が収録されていないこと。割愛した事情を編者は言いわけしていますが、このエッセイが創元推理文庫の『怪奇小説傑作集』(全5巻)につながっていく流れを考えても、これでは画竜点晴を欠くと言わざるをえません。
また『怪奇小説傑作集』以降のモダンな展開を補足する試みとしては、ハヤカワ文庫NVの『幻想と怪奇』(全3巻)が特筆されますが、その編者でもある仁賀克雄氏の、ホラー紹介者としての業績をまったく無視しているのはいかがなものか。仁賀氏の、翻訳者としての仕事ぶりに問題があるのであれば、それはそれできちんと指摘しておけばいい。「臭いものに蓋」あつかいには賛成できません。

とまあ、かなり否定的なことも書きましたが、収録作品自体は、さすがに勉強になるものが多かったです。
白眉は、H・P・ラヴクラフトの「文学と超自然的恐怖」。今回はじめて、この有名な怪奇小説通史の完訳に目を通し、その総花的ではない批判精神に、刺激されること大でした。欠点を指摘されている作品も含めて、自分の目で現物にあたり、論の是非を確かめてみたくなる、そんな文章です。これだけでも、定価分の価値は充分あります。

ところで。
本書は初動が好調で、早くも重版されたようですが(怪談専門誌『幽』のTwitter情報)・・・巻末の「世界幻想文学年表」で、ディクスン・カーの『火刑法廷』(1937)が1969年の作品扱いされているミスは、修正されているのかな?

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おっさんさん
ひとこと
1960年代生まれの、いいかげんくたびれたロートル・ミステリ・ファンです。
再読本を中心に、あまり他の方が取り上げていない作品の感想を、のんびり書き込んでいきたいと思っています。
好きな作家
西のアガサ・クリスティー 、東の横溝正史が双璧。
採点傾向
平均点: 6.35点   採点数: 221件
採点の多い作家(TOP10)
栗本薫(18)
横溝正史(15)
甲賀三郎(12)
評論・エッセイ(11)
エドガー・アラン・ポー(9)
アーサー・コナン・ドイル(9)
雑誌、年間ベスト、定期刊行物(8)
ダシール・ハメット(8)
アンソロジー(国内編集者)(7)
野村美月(7)