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[ 冒険/スリラー/スパイ小説 ] 紅はこべ 別題「スカーレット・ピンパーネル」「べにはこべ」 |
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バロネス・オルツィ | 出版月: 1950年01月 | 平均: 6.50点 | 書評数: 2件 |
英宝社 1950年01月 |
東京創元社 1958年01月 |
東都書房 1962年01月 |
1969年11月 |
東京創元社 1970年05月 |
筑摩書房 1977年11月 |
河出書房新社 1989年09月 |
集英社 2008年05月 |
河出書房新社 2014年09月 |
東京創元社 2022年09月 |
No.2 | 6点 | クリスティ再読 | 2019/04/13 20:29 |
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おっさんさんが創元版についてお怒りのようですが、本作みたいな大古典は今さら東京創元社に忠誠を誓わなくてもいいわけで、評者が今回読んだのは「赤毛のはこべ」である(苦笑)。これも古い訳だが「赤毛のアン」で知られる、村岡花子の翻訳(1954年、現在は河出文庫で)である。音引きがやや古いタイプとか、今のフランス史用語だと「公安委員会」なのが「安全保障委員会」だとか、翻訳としては違和感がある箇所もあるんだけども、やはり女性が訳者だと、本作が作者も女性で、ヒロイン視点で描いた冒険小説だ、というのが明確になって、いい。ヒロインにどこまで感情移入できるか、が結構決め手になる小説だろう。ハーレクインと笑わば、笑え。それでも、いわゆる「摂政時代」のダンディの如何なるものか?が本作のテーマみたいなものだよ。
本作でもチョイ役で皇太子(ジョージ四世)が登場するけども、この皇太子がボー・ブランメルのご贔屓で、イギリス流のファッション哲学「ダンディ」を作ったわけで、本作のパーシーもこういう「ダンディ」の肖像として読むべきだ。女性の筆になるから、ファッションのデテールも細かいし、パーシーもブランメルと共通する「無感動」の美学みたいなものが感じられて、そこらへんを愉しむ小説なんだと思うんだよ。 ちなみにね、ヅカなんかでかかる「スカーレット・ピンパーネル」だと、パーシー&マルグリート夫妻は、「ヒッピーからヤッピーに」な世代の夫婦の寓意みたいに描かれて、過去を引きずる男ショーヴランにマルグリートが心ならずも迎合するのを、パーシーがうまく救い出す...と何かアチラの飛龍伝を見てるような印象のミュージカル、というのが本当の姿みたいだ。まあヅカの場合は、演出の小池修一郎の代名詞的な「エリザベート」の設定を裏返したような捻った面白みを出している...というこっちも一筋縄でいかない作品になってる。ミュージカルの「スカピン」の方も十分面白くて支持されているから、新訳がこっちのタイトルで出るのもアリだね。 |
No.1 | 7点 | おっさん | 2012/05/26 21:39 |
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じつはこれまで、こんなの読んでませんでしたシリーズ(――って、続けるのか?)。
<隅の老人>連作でミステリ史に名を残す、オルツィ男爵夫人の表芸の、歴史ロマン(1905年刊)です。 この手のコスプレものは、概して最初とっつきにくく、敬遠してきたわけですが、いざ読んでみると、『ベルサイユのばら』世代の筆者には即O.K.の世界観でしたね(ちなみに本作も、宝塚で舞台化されています)。 1792年――フランス革命のさなか。 反逆者として次々に捕らえられ、ギロチンで処刑されていく貴族たち。 厳戒のなかで、彼らを助け出し、大胆な策略でイギリスに亡命させる、謎の組織――犯行声明書の花の紋章から、人呼んで<紅はこべ>――が出現する。 イギリス貴族たちの仕業と睨んだ共和政府は、<紅はこべ>探索のスパイとして、全権大使ショーヴランをかの地に派遣。 ショーヴランは、イギリス社交界の名花・マルグリート・ブレイクニー夫人――過去に面識があり、彼女の兄の致命的な秘密を握っていた――に接触し、彼女を手駒とする。 脅迫に屈したマルグリートによる、<紅はこべ>へのアプローチが始まった・・・ 組織の首領の正体を探る、ミステリ的興趣の前段(フーダニットとしてはミエミエですがw)と、正体の割れた<紅はこべ>が、いかにしてショーヴランの罠をかいくぐり、目的を達成するかを描く、冒険小説的興趣の後段(といっても、活劇の要素はあまりなく、基本的に頭脳戦)から構成されています。 さながらヒロイン側から描くルパンもの、はたまた、仕掛けのある元祖ハーレクインロマンスといった味わいで、このお話の段取りがうまい。 クライマックスがやや盛り上がりに欠ける嫌いはありますが(ショーヴランとの決着がきっちり付いていないのは、続編への含みを持たせたか?)、最後に<紅はこべ>が置かれたトホホのシチュエーション、にもかかわらず問題はめでたく解決、というくだりには、ユーモラスな軽みがあって、筆者は好きですね(黒澤明監督の傑作映画『椿三十郎』を思い出しました)。 北上次郎氏は、その刺激的な『冒険小説論』のなかで本書を取りあげ、同じフランス革命を背景にした、ラファエル・サバチニの『スカラムーシュ』と対比させています。 そこでは、「旧世紀型の騎士道ヒーロー物語」にとどまる『紅はこべ』は、あまり高く評価されていません。要するに古いよと。 その文脈は理解できますが、しかし本作が、いっぽうで、能動的なヒロインに重点を置いた、オンナの冒険譚でもあるという、その新しさをまったく見ていないのは、片手落ちだと思います。 最後に。 今回、筆者が読んだのは、昭和三十年代の<世界大ロマン全集>を定本にした、創元推理文庫版(1990年2月2日 27版)ですが、その「訳者あとがき」(西村孝次)の駄目さ加減(これが不愉快で、採点を1点マイナスしました (>_<) )について、書いておきます。 データ面の古さについては目をつぶるとしても、“物語”を近代小説の下位に置くような筆致が鼻につき、断わりなしに<紅はこべ>の正体を割って、トクトクと読みどころを解説した気になる無神経さは、ダメな学者先生の文章の見本のようです。 「作者はこの小説の歓迎に応えて――というよりも、おそらくそれに釣られて――つぎつぎにフランス革命余聞とも呼ぶべき長編を書き続けた。いずれも一応の成績は収めたらしいが、どれも出来栄えはついにこの『紅はこべ』一編に及ばない」という決めつけも、外伝や短編集をのぞいても1ダースはくだらない、<紅はこべ>シリーズをどの程度読んでの評価なのか、他への言及がまったくないので、さっぱりわかりません。 翻訳自体は、まあ古風な味わいを出していて魅力が無いわけではありませんから、無理に改訳しろとは言いませんが、この「あとがき」だけは、きちんとした「解説」に差し替えるべきですよ、東京創元社さま。 |