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[ SF/ファンタジー ] 水晶宮の死神 ヴィクトリア朝怪奇冒険譚シリーズ |
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田中芳樹 | 出版月: 2017年07月 | 平均: 7.00点 | 書評数: 1件 |
東京創元社 2017年07月 |
東京創元社 2021年07月 |
No.1 | 7点 | Tetchy | 2024/11/08 00:39 |
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ヴィクトリア朝怪奇冒険譚3部作最終作。田中氏のシリーズ物は完結に数十年費やすことがざらなのだが、幸いにしてこのシリーズについては僅か10年で完結することになった。しかし3部作であっても10年も掛かるのが田中氏である。
さて1作目では月蝕島というスコットランド沖の孤島、2作目ではイギリス北部のノーサンバランドにある髑髏城と国外に出ないまでも日帰りするには遠く、その地に行くまでもが冒険となる場所であったのに対し、今回の舞台水晶宮は元々ロンドンのハイドパーク南にあったがロンドン東南郊外のシドナムに移築された建築物である。そう、最終作の舞台はロンドンに住むニーダムとメープルたちが日帰りできる安近短な冒険舞台なのである。 それだけではなく、1作目の月蝕島、2作目の髑髏城が作者の創作であったのに対し、今回の舞台、水晶宮はかつて実在した建物である。この実在した建物の地下に広大な遺跡が存在し、そこを根城にする死神と名乗る仮面の男が今回の敵だ。 さてこれまでのシリーズでは19世紀に実在した人物たちが大いに物語に絡み、それら偉人たちの伝記では書かれていない蘊蓄が読みどころであったが本書でもチャールズ・ラトウィッジ・ドジスンが登場する。と云われてもピンとこないだろうが、実はこれは『不思議の国のアリス』の作者ルイス・キャロルの本名なのだ。今回登場時はまだ同作を発表していない時期で売れてない作家の1人である。 蘊蓄といえば歴史好きの田中氏の趣味が横溢しているのも特徴で、例えば15世紀にはスコットランドの南西部、ギャロウェイ地方で25年に亘って旅人を襲っては食べていたソニー・ビーン一族という食人族がいたこと、昔、墓泥棒が盛んだったのは医学の発展のために死体解剖をするために医者がなかなか手に入らない死体を欲したから、等々。いわば教科書では習わないイギリスの闇歴史が語られ、それがまた実に当時のイギリスの風習や風俗を偲ばされ、不謹慎ながらこのシリーズを愉しみにしている一面である。 最終巻である本書で気付かされたが、これら3部作が全て1857年にニーダムたちが経験した冒険であることだ。つまりある意味この年は彼とメープルの人生のターニングポイントであったと思えるのだが、本書の最後に語られる語り手のニーダムの回想ではさほど彼の人生を変えた出来事ではなかったとされる。 何しろこのような命の危険を感じるような心臓の鼓動が跳ね上がる冒険を1年に3回もすれば通常ならば吊り橋効果で男女の仲は深まるものである。それが叔父と姪の立場、31歳の男性と17歳の女性の歳の差14歳の間柄でも恋は恋である。お互いの命を思い、そして助け合った仲なのに2人は結婚をしなかった。しかしそれは2人が一緒にならなかっただけでなく、2人とも生涯独身を貫いたのだった。そういう意味では彼と彼女が誰かと一緒にならないと決めた逆の意味でのターニングポイントだったのかもしれない。 つまりこのヴィクトリア朝怪奇冒険譚3部作は実に静かに物語が閉じられる。主役2人の仲は発展せず、彼らが特別な人物になったようにも思えない。いやメープルはそれなりに活躍しているが、ニーダムに至ってはほとんど隠居の身である。 作者の田中氏がなぜ1857年という年を選んだのかも定かではない。歴史を繙くと有名な事件ではセポイの乱があったりアメリカで世界恐慌が起きたりしているが、本シリーズにはあまり関与はしなかった。 とにもかくにも作者はヴィクトリア朝時代を舞台にその時代を生きた偉人や著名人たちを自らの筆で描きたかったのだろう。歴史や風俗、そしてその時代に生きた人々の意外な側面が見れて個人的には楽しかった。 |