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ミステリの祭典

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積まずに読もう!さんの登録情報
平均点:5.71点 書評数:7件

プロフィール| 書評

No.7 7点 バック・ミラー
新章文子
(2024/10/04 23:28登録)
【あらすじ】
(詳しくストーリーを説明すると台無しになってしまうので、今後の読書の興を削がない程度の内容しか紹介していません。それでも嫌な人は注意してください)

短大を出たばかりの青地有美は宣伝誌の編集部員として歌人河野いさ子を訪ねたが、その俗離れした美しさにたちまち魅了された。話をするうちにいさ子は有美の母、孝子と古い友人であったことが判る。前日孝子は、執拗なほど有美がいさ子を訪問することに水を差してきたが、旧友のもとへ有美を行かせたくなかったのは明らかであった。
何事も理屈通りに、物事をはっきりと決着をつけないと気が済まない有美と、一人娘ゆえ何かと有美の行動に干渉し、京女の典型で煮え切らない態度の孝子。母娘としてのソリは合わず、父親幹雄には素直になれても、母親に対して有美はつい反抗的な態度に出てしまうのであった。有美は母親と何もかもが正反対のいさ子に傾倒し、その息子一郎に惹かれていく。
一方、孝子はどうしても有美をいさ子や一郎に近づけたくない理由があった。有美の性格上あまり詮索すると意固地になってしまうことが判っており、成り行きに気を揉まずにはいられない。青地母娘と同様、いさ子との仲がしっくりいっていない一郎の妹早苗とも有美は知り合いになっているようで、事態は抜き差しならぬ方向へ進み始めている。孝子は追い詰められ、いたたまれずある行動を起こす……。
そんな中、いさ子が突然ガス管を咥えて自殺したことが報道される。それほどまで深い付き合いには至っていなかったが、有美はどうしてもいさ子が自殺をしたとは思えなかった。有美は河野家の人々やいさ子の愛人郷田、いさ子の別れた夫江藤家の人々と積極的に接触し始める。そしてまた新たな死が・・・・・。
骨肉ゆえ諍い、傷付けあう母娘。奔放な母親に翻弄される兄妹。誰も悪意をもって動いていないのに、事態はなぜこうも悪い方向に向かっていくのか?夏の京都を舞台に悲劇の幕が開く。

【感想】
(出来るだけ配慮していますが、ネタバレが嫌な人は注意してください)

面白かった筈なのに内容をさっぱり忘れている小説がありますが、内容的にはまあまあだったのに、いつまでもディテールに至るまで記憶に残っている小説があります。新章文子の『危険な関係』は少年時代に黒背の講談社文庫で読んだきりで、今手元にはありませんが、いまだにメグと呼ばれる登場人物や邸内の運転手役、メグが運転手の忠誠を試すために、ガス火(ライターだったか?)で指を炙らせるシーン、最終ページの台詞での物語の締め方などを今でも思い出すことが出来ます。
今回『バック・ミラー』を読んで、ああ、新章文子、こんな感じだったよなということをまざまざと思い出しました。多視点での物語進行。熱量を感じさせないが、それでいて登場人物の焦燥や絶望を絶妙に伝えかけてくる文章力、描写力。抜群の会話文の巧さ。
この小説、謎という要素がほぼありません。いや、基本的にやっていることは横溝正史やロス・マクの長編と同じなので、構成方法によってはかなり複雑な「謎」にすることが可能なはずなのですが、作者はさっさとそれらを早い時点で提示してしまいます。つまり従来のミステリの全く裏っ返しになっているわけですね。「謎」のために最後まで隠し通さなければならない犯罪や出来事の事情を早々に提示することによって、自然な形で登場人物の矛盾した言動や迷い、懊悩、滑稽さ、狡猾さをじっくり描き込んでいるわけです。藤木靖子や南部樹未子、ちょっと肌合いは違うが藤本泉など、女流作家の達者であるけど、地味な作品群がもう少し評価されてもいいのではないかと思います。その中でも新章文子は抜群の巧さです。
この小説は前述のとおり多視点ですが、主に青地有美と河野早苗を中心に物語は展開します。
青地有美はその若さ、世間知らず、持ち前の性格によって、一本気だが思慮に欠け、経験不足ゆえの狭量さのため、他者、特に肉親に対しての配慮が足りず、時には自分勝手で傲慢でもあります。ゆえに世話をしたはずの高校生の早苗にさえ「底の浅い考え方をする人だと思う。おっちょこちょいなんだわ、とも」思われてしまう。ただ無駄に行動力があり、結論を急ぐため、自らの至らなさを結果的思い知らされることになり、常にイライラしています。
その母親の孝子は典型的な京女で、明確な意思表示はしませんが、基本は頑迷。くどくどと小言を述べる母親に反抗し、いつも不機嫌な娘。若い娘のいる家庭の一時期どこにでもある風景ですが、ある一つの秘密を頑迷に抱えているために、すべてのバランスは狂い、崩壊に向かっていきます。このプロセスが実に巧く描かれています。
いさ子の娘である高校生早苗についても個性的な造形がなされています。この小娘、生活力、行動力は無いくせに、他者から厚意を受けても一切感謝することなく、周りの大人が迷い、懊悩し、ときには死に至るさまを実に底意地悪く見つめ続けます。例えある人物を救える立場にあっても、あえて積極的に動くことをせず、「自己」を保ち続けるのです。そのように自ら進んで「孤立」を求めているような早苗が、四明嶽で2体の白骨死体を発見することで、精神的均衡を得るエピソードがありますが、これを読んで岡崎京子の『リバースエッジ』が思い浮かびました。岡崎京子はヴァーセルミやアーヴィングは読んでも、新章文子の本を手にすることはないと思いますので、これは女性ならではの感性でしょう。男には思いもよらぬことです(差別とか言わないで)。
結論です。ストーリーテリングは抜群。修正一切なしのネイティブな京ことばを嫌味なく小説の中に活かせる技巧も逸品。モブ含めた登場人物も非常によく描かれている。枚数の関係か、ダレるような要素も一切ない。技巧的にP・ハイスミスと遜色は無いのではないのではないかと思います。そして肝心のストーリーは・・・・・・・・。ストーリーは・・・・・・・。
これはアカンわ・・・・・・。京風に言えば、あかんあかん。内容が安易とかそういうことではなく、救いというものが一切ないのです。現役のミステリ作家のように作為的にではなく、巧まずしてこれをやっておられるわけです。文子先生は。読んだ後のやるせなさに私は、ちょっと叫んでしまいました。講談社を始めとする出版社が文庫でこれを再販しなかった理由がわかる気がします。ただ前述のとおり、広義のミステリを受け入れられる度量のある人にとって、完成度は低くないです。よって評点は高めです。ぜひ実際に読んで叫んでください。

蛇足ですが、某書評家が言い出した、イヤミスとかバカミスとかいう、作者が懸命に描き出した世界観を十把ひとからげに規定してしまうようなジャンル分けは、作者に対して非常に失礼なのではないかと思っています。一部それを迎合するように「合わせてくる」作者も同類ではありますが・・・・・。ごめんなさい、余計なことを言いました。


No.6 5点 伝説の里
宮野村子
(2024/10/01 17:24登録)
【あらすじ】
(この小説は登場人物が抱える諸事情が徐々に解っていく展開になっています。詳しくストーリーを説明すると台無しになってしまうので、今後の読書の興を削がない程度の内容しか紹介していません。それでも嫌な人は注意してください)

若くして寡婦となった田上真也子は由美子という幼子を抱え、家計の足しに自宅の二階に二人の独身男性を下宿させることにした。ひとりは週間雑誌記者の泉京太。もうひとりは藤山文夫。藤山文夫は勤めのかたわら投稿した小説が文芸雑誌に認められ、新進作家として今後が期待されていた。白皙の美青年である文夫に真也子は既に心身を委ねていたが、文夫の姉菊代から親展で送られてきた手紙を盗み読み、文夫が近く故郷の素封家春元家の娘、嫩葉(わかば)と結婚することを知って、彼を問い詰める。その冷酷な態度に逆上した真也子は文夫と揉み合いになるが、結果殺害されてしまう。その現場を偶然帰宅した泉京太に発見されるが、文夫は悪びれもせず、結婚した際に自由になる財産のもとに取引を持ちかける。由美子まで冷然と手にかける文夫に京太は、文夫の誘いに乗ったふりをして、自らの手でこの男の野望を打ち砕くことを決意する。
文夫の故郷N県砂川村は緑が美しい村であるが、戦後の農地改革を経た後も大地主春元家は大いに権勢を誇り、その邸宅は庭にひときわ大きく咲く花にちなんで菖蒲屋敷と呼ばれている。当主利光は既に事故で命を落としており、その妹であるまどかが女関白と言われながらも一家を支えていた。藤川菊代は小作農の出で、もとは春元家の小間使いであったが、利光の慰みものになった挙句、過去放逐されていた。その弟である文夫が春元家に婿入りするという。嫩葉が文夫の美貌の虜になっているとはいえ、誇り高いまどかが何故そのようなことを許すのか?菊代は春元家に対し有無を言わせぬ弱みを握っているらしい。春元家の分家の娘であり、嫩葉の従妹である春元木の芽はこの縁談を阻止しようと画策する。
嫩葉と文夫の婚礼は邸内の花が盛りの菖蒲祭りの後と決まった。文夫は京太を婚礼に招待する。菊代と文夫の罠が待ち構えていることを承知のうえ、京太は砂川村に向かう。京太を姉のように愛し、その行動に協力する静岡広枝。菊枝が経営する旅館付の酌婦であるが、広枝と奇妙な友情を結ぶ冬子。文夫と京太の動きを察知し、監視する高津刑事。文夫と利害を共にする不動産屋吉川政造。奔放で人を喰った言動をとりつつ、古来より溜まった春元家の澱にけりをつけようとする木の芽。役者は全て砂川村に揃った。婚礼を前にして、それぞれの思惑はどのように進むか?春元家そしてまどかは何故菊代、文夫姉弟のいいなりとなるのか?春元家を深く恨む菊代の野望は成就するのか?旧家の恩讐に流される人々、抗う人々の運命は?

【感想】
(出来るだけ配慮していますが、ネタバレが嫌な人は注意してください)

上下巻、1000枚近くの大作です。前作『血』は良くも悪くも作者の個性が全面に押し出されており、読み進めていく上で相応の体力を要する作品でしたが、『伝説の里』については、登場人物の心理ではなく、会話文を中心にストーリーの展開を追うような体裁になっており、格段に読みやすくなっています。とはいえそれが良い結果に至っているかは疑問で、『鯉沼家の悲劇』『血』で発揮されていた、女流文学者にしか描き得ない(といえばずいぶん語弊があるが)、濃厚かつ底意地の悪い世界観が薄れており、そこが評価の分かれるところだと思います。『流浪の瞳』を読んだ際にも感じましたが、登場人物が動き回るような作風はどうしても作り物めいた無理が出てしまい、せっかくの良い素材がうまく活かせていないように感じました。やはり作者は一つの世界にじっくりと取り組んだ作品のほうが、魅力があります。
『流浪の瞳』と同じように、素材は悪くないです。虐げられたものの意地がやがて執念となり、やがて自身や周りを追い込んでいく、という筋書きは常套なので、一族に復讐を企てる菊代を中心にストーリーを描き込んでいけば、相当に迫力のある作品になったと思われます。復讐の対象になる春元家の人たちも、現存している人たちは、「女関白」といわれるまどか含め、旧家ゆえの驕りは多少ありますが、悪辣には描かれておらず、基本的には筋の通った常識人ばかりであり、復讐を企てる菊代姉弟とのギャップを通してその空虚さを描く、など面白くなりそうな要素はたくさんあります。事実、菊代の視点でストーリーが進行する場面や木の芽と菊代との駆け引きなどは面白いのです。やはり問題は、作者の資質にあわない展開を、ストーリーの都合に合わせて強引に行っているところだと思われます。

(以下物語の前半4分の1までのネタバレします)
まずこの事件の「解明」を積極的に行う泉京太の造形です。彼がこの事件を通して行う選択や行動に全く共感することが出来ません。彼は文夫が未亡人真也子、その子供由美子を殺しているのを目の前で把握し、激しい義憤に駆られながらも、積極的にその隠ぺい工作に加担します。その理由が「自分の手でこの悪党を糺したい」「特ダネが取れる」です。また、菊代、文夫姉弟が目的のためであれば殺人をも厭わぬことを充分に認識していながら、周辺の人たちを自分の調査に協力させ、結果として登場人物の一人はそのために殺されてしまいます。犯行を目撃した時点で警察に通報していれば、この長い物語で発生する悲劇は起こらないのです。作者も自覚していたのか、高津刑事にそのことを京太に指摘させますが、「あ~そうだね」程度にしか彼は認識していません。サスペンス系のミステリやハリウッド映画やザ・松田にありがちな「面白けりゃ細け~ことはいいんだよ」のパターンですが、そういう矛盾を回避するために周到な手間と努力を投入している作家もいることを考えると、やはり上等とは言い難いと思われます。京太に協力する静岡広枝の関係性や心情もイマイチ良く把握できません。物語のボリュームに比して書き込み不足です。

(以下出来るだけネタバレに配慮した記述に戻します)
このように物語前半4分の1まではずいぶん乱暴な展開をしますが(読書を断念しようかと迷ったくらい)、舞台が砂川村に移って、物語の進行に菊代の視点が入るようになってきてからはかなり持ち直します。特に菊代の執念は良く描き込まれています。文夫の造形についてもあえて踏み込まず、そのサイコパスぶりを客観的に描いているところも良いです。前述の通り、木の芽との駆け引きの場面などは面白いので、軽薄で饒舌な京太などは登場させず、菊代姉弟のキャラをもっと前面に出して、春元家との確執や駆け引きをじっくりしっとり描き込み、「伝説」の里のローカル要素をもっと引き立ててれば佳作になった要素はあると思います。
出版社の意向もあったのかもしれませんが、一般読者を取り込もうと作者が努力した箇所が裏目に出ているのではないかと思われる作品でした。時代を考えると、ボリューム的にも内容的にも作者は相当の苦心をしたとは思われますが、『鯉沼』『血』には遠く及ばず、『流浪の瞳』のようにロマンティックな要素もない、ということで、少し評点は辛めになってしまいました。ぜひ実際に読んで確認してみてください。


No.5 7点
宮野村子
(2024/09/21 08:13登録)
【あらすじ】
(この小説は登場人物が抱える諸事情が徐々に明らかになっていく展開になっています。詳しくストーリーを説明すると台無しになってしまうので、今後の読書の興を削がない程度の内容しか紹介していません。それでも嫌な人は注意してください)

地方の豪族水戸橋家の末裔、宮子はある事情のもと、故郷である緑ヶ島を離れ、十数年間、華族としての庇護を受けぬ放浪的生活を送ってきた。ただ緑ヶ島への郷愁は深く、宮子にとってそのつながりは骨肉のようなものであった。拠り所のない暮しに疲れた宮子は人の勧めもあり、美しい緑ヶ島に帰郷することになった。
水戸橋家の所有地の一つである緑ヶ島は後方を深い山、三方を川に囲まれた大きな洲のような土地である。その中に西洋の古城を模した尖塔のある建物があり、近くに住む者に「緑ヶ島のお城」と呼ばれていた。それは絵本に描かれた西洋の城を欲しがった宮子に、数寄者の亡父が建ててやったものであり、いにしえの伝説を秘めた姫沼や城山を含めた島全体が宮子のために贈られたものであった。幼女時代から少女時代を宮子はこの島で驕った王女のように過ごしたのである。
宮子には秀子という姉がおり、侯爵家である大鳥信弘のもとに嫁していたが、信弘の漁色癖を紛わせるため、東京の本邸から娘の纓子(えいこ)とともに城へ仮寓していた。宮子が城を去る時、島を幼児である纓子に託してきたが、戦争をはさんで宮子が帰郷した時も、信弘の漁色癖は止んでおらず、近隣村内の女房と出奔しており、行方は杳として掴めぬ状況であった。
宮子を迎えたのは二十歳になった纓子であり、城には纓子の歳の離れた弟朝彦、戦災を逃れるため仮寓していたが、静かな島の環境を気に入りそのまま居付いている大島家の当主功光が住んでいた。秀子は信弘の放蕩のためか、薬を飲んで自死していることを宮子は聞かされる。
当主功光には信弘のほかに妾腹の真一郎という息子がおり、幼少期から真一郎となじみの宮子とは自他ともに結ばれる雰囲気が出来上がっていたのだが、彼と離れ、そしてまた再開したのちの真一郎は相変わらず洒脱で世慣れており、頼りがいがありながらまた酷薄でもあった。真一郎は漁色に憑り付かれた信弘は、「女を愛する芸術家」である一方「飢えた猛獣」でもあり、それは「考えすぎる」大鳥家の血のなせる業であるという。そして宮子や纓子も、その育った環境ゆえ「何かが掛けている一種の片輪者」であり、ゆえに愛しい存在であるとも言った。真一郎らしいシニカルな指摘に宮子は反発を覚えつつ、全てを捨てて出奔した過去の自分や、奔放で気まぐれ、途方もなく優しくもありながら残酷な一面を持ち、さらに奥深い懊悩を抱えている纓子の気質に、「血」の宿命を感じざるを得ないのであった。
信弘の失踪、そして纓子が引き取って面倒を見ている盲目の戦傷帰還兵、高柳司郎の見舞を口実に、緑ヶ島に観光的価値を見出した二人の事業者が大鳥家に出入りを始めたころから緑ヶ島と宮子、そして大鳥家の周辺に不穏な気配が漂い始める。
月を呼ぶ山窩の少年太郎、そして彼に従う山犬次郎。面従腹背・慇懃無礼に主家を脅かす家政婦杉村菊代。信弘のために顔全面に火傷を負った石上正枝。一癖も二癖もある登場人物。彼らが抱える秘密や陰謀。城に殉じた若い女城主の伝説を持つ城山。白鳥が守る姫沼。鷲や熊が人の出入りを拒む鷲の巣山。美しくも閉ざされた緑ヶ島のもと、宮子は血の宿命、そして命とは何かを模索する。

【感想】
(出来るだけ配慮していますが、ネタバレが嫌な人は注意してください)

上下二巻、おおよそ1000枚近くの大長編です。前著『鯉沼家の悲劇』『流浪の瞳』は(当時としては)良作でしたが、いかんせんその構想や物語のスケールに対し書き込み不足の感が拭えず、私自身はそれが宮野村子の作家的技量の限界なのかなと思っていました。いわゆる詰めが甘いというやつですね。
ただ、「本格/変格」というミステリフォームや「懸賞応募作」という枷から逃れ、充分な枚数のもと、作者の思いのままその物語世界を展開しているこの小説は、もともと短編でほの見せていた作者本来の実力を見せつけてくれる作品でした。作者はこの作品に自らの理想とする小説作法のすべてを投入し、身を削るようにして書き上げたのではないでしょうか?
とはいえ結果として、それが万人に受け入れられる作品になったかといえば、それははなはだ疑問です。後述しますが、この作品はかなり読み手を選びます。
美しい風景にたたずむ城。運命により城に導かれた若い女主人公。高貴な人々とその優雅な生活。一族の過去の秘密。女主人公を脅かす謎の数々。意地悪と策略で女主人公を陥れようとする家政婦。クライマックスでの自然災害……。この作品のなかにデュ・モーリア、ビクトリア・ホルト、そして近年のケイト・モートンにつながる「20世紀以降の女流ゴシックロマン」の典型を見ることは可能です。「20世紀以降の女流ゴシックロマン」はやはり現代の読者が相手なので、主人公を怯えさせる謎や怪奇現象はすべて合理的に「現実に落と」されますが、その骨法も同じです。ただ、読んだ印象はそれらの作品とはちょっと違う。いや、大きく違います。
まずはストーリーテリングです。イギリスの女流作家たちの作品は、巻措くに能わずの言葉通り、濃厚な物語的興味で読者を煽りますが、作者はどうもそっちの方向にはあまり興味がないようです。無論ミステリ作家ですから、謎や不穏な動きをする登場人物などの展開はあるわけですが、この物語のほとんどは女主人公宮子の心理描写に費やされます。例えば宮子と別の登場人物が会話をしているとして、会話文1センテンスに対して宮子の心の動き、感情、思いなどが10~30行、次の会話文1センテンスに対しまた10~30行の心理描写というふうに、まさに微に入り細を穿ち宮子の心情が描写されます。『レベッカ』の女主人公もやや妄想気味でしたが、それどころじゃないです。それに対して、人が死ぬとか諍いが起こる、などといった動的なストーリー展開はごくごくあっさりと進行します。
また同じくイギリスの女流作家の作品には、女主人公の成長という、一種教養小説的な側面が多少なりともありますが、この小説の主人公宮子は初回登場時からほぼフラットに意識の転換=成長というものを起こしません。確かに一族の「血」がもたらす宿命や、相次ぐ死によって「命」とは何かを考えますが、それらは飽くまで華族として特殊な環境に生まれ育った知見に基づくものであり、そのスタンスはラストに至るまで、清々しいほど一切変わることはありません。
とはいえ作者もそのことは十分承知の上であったと思われます。登場人物たちの発想や懊悩は一般常識とはかなり掛け外れており、自己以外を一切顧みない、それゆえ純粋な、「閉ざされた枠」の中でのみ成立する物語世界を構成するために、このシチュエーションが必要であったのではないかと思われます。戦前に既に『レベッカ』は翻訳されています。作者が読んでいたかはわかりませんが、作者が意識してこれに「寄せた」とは思えません。自分が書きたい題材で、自分が魅力的と思う登場人物を活かした物語設定をした結果として、ゴシックロマンに近い体裁に到ったのではないでしょうか?二階堂黎人が卓見を述べているように、『鯉沼家の悲劇』で自分の書きたいものを書いたら、いつの間にかそれは巨匠の「本格探偵小説」のフォームを先取りしていた、と言う事と同じです。
このように書くと、独りよがりな小説のように思われるかもしれませんが、登場人物の出し入れやその事情、成り行きの背景などはゆったりと、それでいて巧みに語られていきます。探偵小説っぽい過剰な表現もなく、まさに大人の筆致です。リーダビリティは低くありません。但しその作品世界を許容することが出来れば、の話ですが……。
物語は宮子、その姪の纓子、大鳥真一郎を中心に展開しますが、先にも書いたように彼らはハイソな出自の方々ゆえ、異質の行動や思索を行います。純粋ではあるがその発想のもとは極端な選民意識に基づいており、自分の許容するものに対してはひたすら慈愛を示しますが、スノッブな成り上がりものや意に添わぬものには残酷で、意地悪です。彼らを操っては嘲笑い、虫けらのように捻り潰すことに良心の呵責すら覚えません。つまり登場人物に感情移入して読み進めていくようなタイプの小説ではなく、それも作者は承知の上だと思います。宿命の「血」ゆえ、登場人物たちは狭い世界で自らのプライドやエゴ、体面などに縛られ、追い詰められ、やがて破滅していきます。一族の崩壊は前作でも見られた趣向ですが、今回のテーマはさらにそれを極めており、作者はそれを描きたかったのではないかと思われます。
登場人物に感情移入できないと書きましたが、宮子の姉秀子の造形は見事です。華族の子女としてひたすら貞淑で、運命を抗わず受け入れると思われていた人が、「愛を信じられないゆえに愛のために死ぬ」「凶暴なまでのエゴイスト」であり(う~ん、訳わからん)、そのパッションに宮子は自らの「血」を強く意識します。
また大鳥真一郎の複雑でシニカルな造形も非常にうまく描けています。おそらく作者の男性に対する理想像を全力で投影したのではないでしょうか?本作は恋愛小説的な側面を持ち、宮子の行動原理のほとんどは「血」のなせるゆえの迷いと懊悩によるものですが、果たして彼女がどのような生き方を選択するかは、物語を読んでください。前述の通り、彼女は成長することはありませんが、悪くない終わり方だと思います。
ミステリはつくづく懐の深いジャンルだと思います。このように浮世離れした物語世界を受け入れられるのは、ミステリという体裁があってこそだと思います(ハーレクインやライトノベルというジャンルの小説を私は読んだことが無いのであえてここでは言及しません)。宮野村子渾身の世界観をぜひ堪能していただきたいです。


No.4 3点 屍衣を着た夜
筑波耕一郎
(2024/09/12 16:24登録)
【あらすじ】
(できるだけ今後の読書の興を削がないように要約したつもりですが、嫌な人は注意してください)

ルポライター木島逸平は九州の遠縁が夏休みの間実家に寄宿するため、自分の部屋を明け渡し、気分転換をかねて「白雲荘」というアパートで暮らすことになった。引っ越して間もなく、隣室に住む長瀬保三という男と知り合ったが、彼から逸平の部屋に以前に住んでいた田代弓弦という若い男についての奇妙な話を聞く。田代は雪が降り積もったある日、友人の兵藤汎士の屋敷を訪ね、その留守中屋敷の周りを散策している姿を汎士の義母歌名子に屋敷の2階から見られていたが、歌名子が電話のために5分ほどその場を離れた間に、雪上に足跡を残したまま途中で忽然と消え失せてしまい、その後行方がわからなくなっている、ということだった。
興味を抱いた逸平は田代について調べ始めるが、田代の残した荷物を預かっていた兵藤汎士から、田代が書いた小説原稿の束を渡される。それは各々が独立した14編の短編ミステリであり、最終的に一つの長編として完結する予定であったが、その最後の一編は未完成の状態であった。汎士はその中の一編の内容が、田代が消失した状況と同じであることを指摘し、田代の失踪は今後起こる大きな犯罪の環の一つなのではないかという。その時は汎士の危惧を真に受けることが出来なかった逸平だったが、やがて平吾を当主とする兵藤家に対して、田代弓弦を名乗る人物から、妻歌名子宛の電話が頻繁に掛かってくるようになる。電話は歌名子に取り次ぐ間もなく切れてしまい、その意図は不明であった。
それらを皮切りに、兵藤家の長男鷹史が勤め先の大学の窓から飛び降りる姿を見られたにもかかわらず、その死体が忽然と消え失せ、さらに長女亜蘭は密室状態の別荘から消失する、という異常事態が兵藤家の周辺で発生する。それらはいずれも田代が残した小説の内容と同じ状況であった。
兵藤家に関わる人々はなぜ不自然な状況で消えなければならないのか?その方法は?田代が残した小説との関連は?田代は生きているのか?なぜ兵藤家を畏怖させるような連絡をしてくるのか?錯綜する謎の解明に、逸平は三文文士蓬田専介とともに挑む!

【感想】

もしあらすじを読んでいただいたなら、謎解きの本格ミステリが好きな方々はゾクゾクするのではないかと思われます。人間消失テーマの扱いはかなり難易度が高く、ハウダニットがどうしても不自然になる分、なんでそんなことした?というホワイダニットに謎の重点をおかないと、幼稚で素人臭い作品になってしまいがちです。そういう意味で一族の連続消失事件、という魅力的かつミステリ的趣向に富む謎に挑戦したH・ブリーンの『ワイルダー一家の失踪』、鷲尾三郎『屍の記録』はまさに竜頭蛇尾を地で行く作品で、世のもの好きたちに膾炙されてきたわけです。先行する2作から数十年を経て、あえて同趣向のテーマに挑むからには、作者は相当の覚悟でこの作品に取り組んだに違いないと、期待して読ませていただきました。そして内容は期待にたがわぬものとなりました。名作『11枚のとらんぷ』の後に出版された本書から、幻影城ノベルスはフランス装のアンカットを取りやめましたが、その島崎博の決断は正解です。この小説のページ一枚一枚をペーパーナイフで切りながら読み進めていかなければならない悪夢は、想像するだに恐ろしいものがあります。

(必要上、以下思いっきりネタバレします。了承できる人のみ読んでください)
まずこの小説は相当ヘンテコな展開をします。第一の消失事件こそ冒頭から発生していますが、第二の消失は物語の2/3を過ぎたところ、第三は残40ページくらいでようやく発生します。ミステリの常套として、「最後の事件発生」が物語を収束させるきっかけになったり、ドラマティックな展開に及ぶことが多いのですが、やがて起こりえるであろう「謎=消失」を煽ることもなく、作者は淡々と物語を進めます。それでも物語の中盤くらいまでは、良いとは言えないまでも、ダメとも言い切れないくらいの按排で逸平の捜査を描いています。作法が巧みでないため、全く小説的な効果は発揮できていないのですが、モブキャラの一人一人にも細かい描写をするなど、作者自身気を遣って書いていることも判ります。
ただ、謎の設定、そして解明になると……。これはすごいですね。乏しい読書量のなかでも、ベスト級にすごい内容だと思います。まず田代が書いた小説がこの犯罪に及ぼす効果ですね。ストーリー上において、この小説の存在を知る人はごく限られます。13編の小説を仕上げるのは並大抵の手間ではありませんが、それをあえて行う理由が△△のためだけです。警察などの目を欺けるならいざ知らず、「狭い環」の中の登場人物のためだけに、人はこれだけの手間をかけるでしょうか?小説の詳細について内容を提示するくだりもかなり問題ですね。この部分で事件の大筋が読めてしまいました。作者はこの「工夫」で読者が感心するとおもったのでしょうか?
事件の構図にも瑕疵があります。犯人は**に罪を被せるため、様々な回りくどい方法で事件を起こしますが、肝心の**の行動を全くコントロールできていません。犯人が苦心して準備した仕掛けが発動した時、**にアリバイがあったり、腹痛で動けなくなっていたりしたら、犯人はどうするつもりだったのでしょうか?事実ストーリー上では警察は**を疑わず、××を殺人容疑で連行しようとします。(**を疑うのは逸平だけです。でも常識的には警察に疑ってもらわないと意味がないでしょう。ただそれは当たり前です。犯人は「狭い環」の中の人物に対してだけにしか工作していないのだから……)
また犯人が犯行の成果を得るためには、××と〇〇する必要があるのですが、同じく××を全くコントロールできていない(していない)ため、警察に疑われた××に途中で自殺されてしまいます。その時点でバレたら死刑必至の犯罪がすべて水泡に帰します。こんな心もとない計画に、犯人はピタゴラスイッチ並みに回りくどい方法で策略を巡らせているのです。
消失に関する謎も同様です。前述の通り、その方法についてショボくなってしまうのは覚悟の上ですが、第一の消失は良いとして、第二の消失については、当該人物がそのような行動を行う理由が中二病のようなものです。もう少しなんとかならなかったものでしょうか?第三の消失に至っては、第三者を巻き込む手間をかけて「消失」した理由を説明することすら放棄しています(2回読み直したが書いてない)。
犯人の行動についても矛盾が多いです。犯人が小説や電話などを使って兵頭家の人々を脅すメリットがほぼありません。こういうことは密かにやるから効果があるのであって、表面上の「サスペンス」「謎」のためだけに犯人は動いているのです。合理性も何もあったものではありません。
作者が用意した「謎と解決」に対して、全てにツッコミが可能です。ここまでくると、ワザとやっているのではないかと疑われるほどです。ミステリにもしラジー賞があるとしたら、これを候補のひとつとして挙げたいと思います。
物故された作者に対して甚だ失礼ではありますが(これを読んで不快に思われた方々にも申し訳ありません)、エンタテイメントには様々な楽しみがあります。これを書いていて、私自身は結構楽しかったです。ミステリとしては1点、強烈な記憶に残る作品として1点、楽しませてくれたお礼に1点で、評点は3点にさせていただきます。本格ミステリの作法を考えるうえで、機会があれば是非読んでいただきたい作品です。


No.3 8点 異境
松尾糸子
(2024/09/08 22:26登録)
【あらすじ】
(できるだけ今後の読書の興を削がないように要約したつもりですが、嫌な人は注意してください)

『ペットのいる暮し』*非ミステリ
『ブランコ』*非ミステリ
『二人の独白』*非ミステリ
『異境』*非ミステリ
『山茶花の死』 「推理界」昭和42年11月号掲載
上野広小路にあるとんかつ「千勝」の女主人江見星代は両親を亡くし、若くして店を引き継いでからは縁者もなく、自らの裁量で店をきりもりし、繁盛させている。大人の女として恋もたくさんしてきたが、画家の森真吾に対して抱く想いは複雑で、会うといつも喧嘩別れになってしまう。今日も真吾と気まずく分かれた星代は、暗く寒い店にそのまま帰る気にならず、向かいのビルの屋上のペントハウスに住んでいる小西行男を訪ねた。小西は芝の地主であったが、道楽で身上を潰し、今は幼馴染の弁護士原田の好意で同ビルの管理人をしてる。洒脱な老人である小西に気を許している星代は自らの矛盾した心境を漏らすが、そんな星代に小西は粋なお説教をする。小西がわずかに所有している資産価値がない土地には、いまが盛りの山茶花が咲いていると聞き、星代は翌日小西にその場所へ連れて行ってもらう約束をする。しかし翌朝、小西はビルの屋上から落下して死亡してしまう……。

『おとひめさまの死』 「推理界」昭和45年4月号掲載
とんかつ「千勝」の若い女主人江見星代は5年前から働いている岡島久子の年配と人柄を見込み、目をかけていた。久子が店に来たのは母親を亡くしたばかりのころで、戦争で夫を亡くし、東京出身でありながら身寄りもないと星代は聞いていた。そんな久子が珍しく休日に出かけるのを星代は送り出したが、その夜遅く、久子から「おかみさんの所に来てよかった。私の一生で一番幸せな月日でした」という電話がかかってくる。一方的に切れた電話に気を揉む星代だったが、やがて警察から刺されて死亡した久子が世田谷の電話ボックスで発見されたという連絡が来る。久子の指にはいつも必ずつけていた結婚指輪が何故か無かった。
警察に問われ、久子の個人的な事情について何も答えらればかった星代は、孤独な久子を思い、誰にも向けることの出来ない怒りのもとに、その死について調べ始める。久子は幼さが抜けない若い同僚正子を可愛がっていたが、死の前日曾祖母が唄っていたという 〽おとひめさまが かいにおわれて なくこえきけばね……という歌をその日思い出し、正子に歌って聞かせていた……。 

【感想】
(出来るだけ配慮していますが、ネタバレが嫌な人は注意してください)

松尾糸子の名を知る人はよほどのもの好きでしょう。昭和30年代後半から40年代乱歩賞応募の常連で、何度か最終選考まで残っています。「推理文学」や「推理界」で作品が掲載された実績があるようですが、乱歩賞候補作の長編は(多分)刊行されたことは無いようです(誰か知っている人はいますか?)。純文学も並行して執筆していたようで、本書巻頭の『ペットのいる暮し』は同人誌に発表された後、昭和45年に純文学の一流誌「新潮」の新人賞候補になって掲載されています(同年に北方謙三も候補に挙がっている!)。
文学を意図して書かれた4作については、ひとり、または二人の登場人物のモノローグにより進行し、語られるエピソードや心象が現実のものなのか狂気による幻想によるものなのか、次第にその境界はあやふやになっていく、というような独自の作風であり、それを作者は持ち味にしているものと思われます。情報がほとんど与えられず、読者は常に宙ぶらりんの状態で行を追っていくわけですが、この手の小説は往々独りよがりになりがちで、少なくともこの4作をはその域は出ていないのでは無いかと思われます。内田百閒も島尾敏雄が夢を描く小説も、とりとめのないことを書いているようで、なにか読者を引き付けるような力があります。残念ながら作者の「文学」には、その力を感じることはありませんでした。読んでいてかなりつらかったです。
対して「推理界」に発表されたミステリ2編は、最低限の表現やエピソードで、語られない物語の背景や登場人物の事情などを描き出しており、同じ作者とは思えない明確な筆致でストーリーを進めていきます。2編に共通する女主人公星代の造形は見事で、下町で生まれ育った娘らしく、さっぱりしているけれど、情に厚く、事件の関係者の心情を汲み取って胸を詰まらせ、頻繁に涙を流します。そして事件に介入していくのです。最近のシリーズ化を意図したあざとい「キャラ先行」の作品に食傷気味の身にとっては、むしろ新鮮に感じたほどです。
2編に共通するのは孤独なひとたちの悲しみです。世を達観し、優しさと包容で人と相対しながら、それが時に残酷な行為であることを知るや知らずや行う男。そんな男が最後まで抱えていたプライド。行き場のない想いをひとり抱え、やがて理性の枠を外してしまう女。過去の非道な行いを憎みつつ、その相手を救う唯一の手段を伝えるべく動き、結局その矛盾に押しつぶされてしまう女……。各々40~50枚程度の作品ですので、たっぷりと描きこまれるわけではありませんが、謎の解明が自然にそれら孤独で悲しい人たちの肖像を浮かび上がらせる構造となっており、ミステリの短編としては理想的な形で仕上がっているのではないかと思います。テイストとしては戸板康二のノンシリーズもの(『塗りつぶした顔』など)や仁木悦子の出来の良い短編に近いものがあります。
面白いのは謎のネタが2編ともある業界にからんだものであること。著者についての知識は全くありませんが、その業界の関係者だったのかもしれません。
傑作とまでは言いませんが、埋もれさせるには惜しい作品ではあります。機会があればアンゾロジストの方々に採り上げてもらいたいと思います。点数はこのミステリ2点に対してのものです。

蛇足ですがまず語られることは無いと思われるので、雑誌に発表された同作者の作品について言及しておきます。

『みどりの岸辺で』 推理文学5号
プロ推理作家の同人誌に発表された作品ですが、作者の「文学」系統の作品です。翌6号で大内茂男が「お手上げ。理解不能」として評を避けています。別の作品で先に述べたように、同感です。

『左下三番』 推理文学4号
コラム欄のような場所に掲載されたショートショートですが、これはいいですね。サキや星新一のように巧妙なオチを楽しむものではなく、平凡な主婦の狂気に近い執着をユーモラスに描いたものですが、これは相当な筆力だと思います。名人の落語の「サゲ」がしばしば興を冷めさせるのに似て、オチがむしろ不要なくらいよくできた作品だと思います。


No.2 4点 キリストの石
九鬼紫郎
(2024/09/04 13:40登録)
あらすじ】
(できるだけ今後の読書の興を削がないように要約したつもりですが、嫌な人は注意してください)

地方を経て東京地方検察庁に任官した若手検事、安西光男は熱海在住の八代家の援助を得て大学を卒業し、司法試験に合格した。朝子と友子の姉妹とも家族のように扱われたが、やがて八代家は経済的に困窮し、5年前に当主は亡くなった。それら事情もあり、姉の朝子は親子ほども歳の違う、二流ではあるが鉄鋼商社を実質支配する関口功介に嫁ぎ、友子は関口の経済的な恩恵にもと、関口の息子一郎やその取り巻きとともに享楽的に暮らしている。
ある日朝子に呼び出された光男は友子が光男のことを愛しており、結婚を望んでいることを告げられる。友子にせがまれて仕方なく伝えに来たという朝子と自分は当分の間妻帯するつもりはないとその話を即座に断る光男。二人の微妙な駆け引きは一旦棚上げされるが、それとは別に、朝子は光男にある奇妙な依頼をする。朝子は明言しないが、ある人物が朝子を脅迫していることを光男は察知する。
一方検事としての光男は22歳の日高月江をどのような形で起訴するか迷っていた。胆振(いぶり)郡白老村から室蘭を経て東京に出てきた月江は、大学生に騙されて生まれた子供を殺害遺棄し、友人から指輪や時計を窃盗していたが、情状酌量の余地があった。量刑を上席検事である永田に相談したところ、クリスチャンである永田は「汝らのうちに罪なきもの 石をもてこの女を打て」というキリストの言葉の下に、なぜか光男の想定よりはるかに軽い量刑を主張する……。

【感想】
(出来るだけ配慮していますが、ネタバレが嫌な人は注意してください)

甲賀三郎の弟子筋で、雑誌『ぷろふいる』編集長であった九鬼紫郎は戦前戦後創作活動も行っていましたが、時代小説を除いてその作風、キャリアは推理小説作家、というよりやはり探偵小説作家と呼ばれるのにふさわしいのではないかと思われます。年配の方とお話しすると、昭和50年代初期に刊行された『探偵小説百科』をガイドにしてミステリにハマったという人が結構多いです。九鬼の著作で比較的入手しやすい『大怪盗』や幻影城掲載の『ファイル1の事件』を読む限り、両作とも本人はシリーズ化を目論んでいたように見受けられますが、着想は良いものの、未整理な部分や説明不足の個所、描写があいまいでイメージがし難い小説という印象があり、「回顧されることはない」だろうな、と思っていました。
たまに市場に出ると眼が飛び出るほど高値で売り出される『キリストの石』ですが、いわゆる清張以後の昭和35年に出版されたものであるだけに、探偵小説的ではなく推理小説的に物語は結構されています。そういう意味で極めて日本的な「本格ミステリ」は期待しないほうがいいです。ただ戦前派のひとりである九鬼が、いままでの通俗的な二流スリラーから脱却し、社会派の手法や人間性をテーマに「推理小説」を書こうとした、意欲的な作品であることだけは間違いないと思われます。
ただその「意欲」が実を結んでいるかと問われると、なかなか難しいものがあります。本作は数年後『女と検事』と改題されて再刊されているようですが、そもそも作者が目指した(であろう)司法官僚ゆえの検察官の苦悩、というものが本当に薄っぺらにしか描かれていません。確かに彼らは悩みつつ行動しますが、それらは全く個人的、利己的な理由であり、読む者を共感させてくれる部分が全くありません。検察官としての行動のリアリティもかなり薄いです。このネタがミステリとしての謎やテーマに効果的に作用していればまだ納得できるのですが、これも今一つです。
今一つといえば、この小説のもう一つの社会的テーマについても、その扱いははなはだ疑問です。ストーリーにあえてこのセンシティブな問題を取り入れるなら、もう少し掘り下げて、物語に対して密接に結びつけることができるのではないかと思われます。この小説においてこの主題は「悲しい」「哀れ」の記号としてしか作用していません。今の感心させどころ、泣かせどころで読者を煽りまくる作家群と比較してはならない、という声も聞こえてきそうですが、この当時既に松本清張、土屋隆夫は無論、結城昌治、笹沢佐保もデビューしています。数年後高木彬光が同様のテーマで謎解きもストーリーもこってり堪能させてくれる(ちょっと暑苦しいが)、『検事 霧島三郎』を著しましたが、やはり発表された当時においてもこの作品は古びたものではなかったでしょうか?
ミステリとしての謎構成も、頑張っているのですが全て見通しがついてしまいます。
この作品は新東宝系の俳優を使って(なぜか大映配給)『嫉妬』という題名で映画化されていて、Amazonプライムで無料だった時期に見ましたが、1時間ちょっとの典型的なプログラムピクチャーながら、かなり原作に忠実で新東宝のスタッフが作ったとは思えない(失礼!)、端正な内容となっています。前述の『霧島三郎』も後年映画化されましたが、主役が両方とも宇津井健であるところはご愛敬です。


No.1 6点 流浪の瞳
宮野村子
(2024/09/04 13:26登録)
【あらすじ】
(できるだけ今後の読書の興を削がないように要約したつもりですが、嫌な人は注意してください)

舞台は昭和18年7月の大連。古くからこの地で病院を営む鈴村家は主を亡くし、御後室様と呼ばれる祖母なつと今は新京の医科大学に通う孫の健、真奈だけとなってしまった。なつは健が一人前の医者になるまで病院を閉めるつもりでいたが、戦局が悪化する事態に至り、近縁の医師である小島信也とその妻加津子を内地から呼び寄せ、病院を再開させている。
満鉄理事の娘である真奈の友人大橋花江は奔放な性格で、その立場を利用して勤労奉仕逃れのために所属している図書館でも勝手気ままに振舞っていた。花江に好意を寄せる同僚の真鍋達夫は花江が定期的に電話連絡している内容に不審を抱き、過去つれなくされた腹いせにその行動を追い始める。真鍋の監視を知らない花江と真奈は白系露人が経営するロシア料理店で落ち合うが、そこで真奈は花江の外貌や立場にそぐわぬ、ある強い意志を感じ取る。それは思想や戦況によるものではなく、健に対する熱い想いから来るものであった。花江と別れた真奈は帰途、白夜に照らされる丘で刺されて傷を負った白系露人の青年を発見する。しかし急いで病院に戻り、信也を連れ戻ったとき、その青年は消え失せていた。解せぬまま夜を明かした真奈は、同じ場所同じ状況でその青年の死体が発見されたことを知らされる。そのことを皮切りに真奈の周辺では幾多の不可解な死が発生し、真奈は兵役志願する前に一時帰郷した健とともにその謎を追い始める。そこには事件現場に必ず居合わせる、ボローニア(屑拾い)や満人に扮した手の甲に傷痕のある男や、蒋介石と敵対する満州の要人などを取り巻く根深い闇が…。
一方鈴村病院ではある邪悪な意思のもと、一家を破滅させるための謀略が進み始めていた・・・。

【感想】
(出来るだけ配慮していますが、ネタバレが嫌な人は注意してください)

日本統治下にある夏の満州(大連)を舞台に戦時下および政治的転換期に生きる人々を描いたミステリです。鮎川哲也『黒いトランク』藤雪夫『獅子座』鷲尾三郎『酒蔵に棲む狐(屍の記録)』と講談社「書下し長編探偵小説全集」13番目の椅子を争った作品として知られていますが、男性陣の作品がガチガチのパズラーであるのに比べ、本作品はサスペンスに属するもので、謎自体は淡く、そこに重点を置いていないのは最初から作者の意図するところだと思います。『黒いトランク』『獅子座(というよりもその原型の『星の燃える海』)はいかにも男性的で武骨なロマンティシズムの要素を持ち合わせていましたが、撃たれた被害者が倒れるときに舞うマーガレットや不審者が去るときに残されていた赤い蔓薔薇、ツンデレながらも一途なキャラ造形など女性らしい配慮にあふれた雰囲気作りは、小説的技巧という意味では一歩優れているように思われます。ただこれはあくまで2作と比べた印象。基本的には作者の筆致、ストーリーの運びは古く、特にサイコパスを扱ったサイドストーリとメインの筋立ては乖離してしまっており、ギクシャクした感は否めません。
ただ、素材はすごく良いです。祖国を追われた人、祖国を持たぬ人、祖国のために大切な人を奪われなければならない人、悲しい想いをもつ人々が抱いた大きな夢。そしてそれら夢を追う人たちを喰い物にする邪悪な存在。メインタイトルを担う白系露人の哀しい運命、アカシアの大連の白夜の丘などロマンティックな道具立ても揃っています。ただ枚数的制限や作者の筆力、作家的視野の狭量さの問題もあり、現代のエンタテイメントを読みなれた私たちにとって、いかにもその扱いは淡白。松本清張『球形の荒野(この小説もミステリとしては破綻している部分がありますが)』のように雄大な形でこの物語が描かれたなら、と夢想します。死体や凶器がピューンと飛んでいくような『本格ミステリ』が好きな人や、トリックがないと納得できない人には向かないかも知れませんが、地に足が付いたミステリを書こうとした作者の意気を汲める人には、いまでも読む価値はあると思います。

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