血 |
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作家 | 宮野村子 |
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出版日 | 1958年01月 |
平均点 | 7.00点 |
書評数 | 1人 |
No.1 | 7点 | 積まずに読もう! | |
(2024/09/21 08:13登録) 【あらすじ】 (この小説は登場人物が抱える諸事情が徐々に明らかになっていく展開になっています。詳しくストーリーを説明すると台無しになってしまうので、今後の読書の興を削がない程度の内容しか紹介していません。それでも嫌な人は注意してください) 地方の豪族水戸橋家の末裔、宮子はある事情のもと、故郷である緑ヶ島を離れ、十数年間、華族としての庇護を受けぬ放浪的生活を送ってきた。ただ緑ヶ島への郷愁は深く、宮子にとってそのつながりは骨肉のようなものであった。拠り所のない暮しに疲れた宮子は人の勧めもあり、美しい緑ヶ島に帰郷することになった。 水戸橋家の所有地の一つである緑ヶ島は後方を深い山、三方を川に囲まれた大きな洲のような土地である。その中に西洋の古城を模した尖塔のある建物があり、近くに住む者に「緑ヶ島のお城」と呼ばれていた。それは絵本に描かれた西洋の城を欲しがった宮子に、数寄者の亡父が建ててやったものであり、いにしえの伝説を秘めた姫沼や城山を含めた島全体が宮子のために贈られたものであった。幼女時代から少女時代を宮子はこの島で驕った王女のように過ごしたのである。 宮子には秀子という姉がおり、侯爵家である大鳥信弘のもとに嫁していたが、信弘の漁色癖を紛わせるため、東京の本邸から娘の纓子(えいこ)とともに城へ仮寓していた。宮子が城を去る時、島を幼児である纓子に託してきたが、戦争をはさんで宮子が帰郷した時も、信弘の漁色癖は止んでおらず、近隣村内の女房と出奔しており、行方は杳として掴めぬ状況であった。 宮子を迎えたのは二十歳になった纓子であり、城には纓子の歳の離れた弟朝彦、戦災を逃れるため仮寓していたが、静かな島の環境を気に入りそのまま居付いている大島家の当主功光が住んでいた。秀子は信弘の放蕩のためか、薬を飲んで自死していることを宮子は聞かされる。 当主功光には信弘のほかに妾腹の真一郎という息子がおり、幼少期から真一郎となじみの宮子とは自他ともに結ばれる雰囲気が出来上がっていたのだが、彼と離れ、そしてまた再開したのちの真一郎は相変わらず洒脱で世慣れており、頼りがいがありながらまた酷薄でもあった。真一郎は漁色に憑り付かれた信弘は、「女を愛する芸術家」である一方「飢えた猛獣」でもあり、それは「考えすぎる」大鳥家の血のなせる業であるという。そして宮子や纓子も、その育った環境ゆえ「何かが掛けている一種の片輪者」であり、ゆえに愛しい存在であるとも言った。真一郎らしいシニカルな指摘に宮子は反発を覚えつつ、全てを捨てて出奔した過去の自分や、奔放で気まぐれ、途方もなく優しくもありながら残酷な一面を持ち、さらに奥深い懊悩を抱えている纓子の気質に、「血」の宿命を感じざるを得ないのであった。 信弘の失踪、そして纓子が引き取って面倒を見ている盲目の戦傷帰還兵、高柳司郎の見舞を口実に、緑ヶ島に観光的価値を見出した二人の事業者が大鳥家に出入りを始めたころから緑ヶ島と宮子、そして大鳥家の周辺に不穏な気配が漂い始める。 月を呼ぶ山窩の少年太郎、そして彼に従う山犬次郎。面従腹背・慇懃無礼に主家を脅かす家政婦杉村菊代。信弘のために顔全面に火傷を負った石上正枝。一癖も二癖もある登場人物。彼らが抱える秘密や陰謀。城に殉じた若い女城主の伝説を持つ城山。白鳥が守る姫沼。鷲や熊が人の出入りを拒む鷲の巣山。美しくも閉ざされた緑ヶ島のもと、宮子は血の宿命、そして命とは何かを模索する。 【感想】 (出来るだけ配慮していますが、ネタバレが嫌な人は注意してください) 上下二巻、おおよそ1000枚近くの大長編です。前著『鯉沼家の悲劇』『流浪の瞳』は(当時としては)良作でしたが、いかんせんその構想や物語のスケールに対し書き込み不足の感が拭えず、私自身はそれが宮野村子の作家的技量の限界なのかなと思っていました。いわゆる詰めが甘いというやつですね。 ただ、「本格/変格」というミステリフォームや「懸賞応募作」という枷から逃れ、充分な枚数のもと、作者の思いのままその物語世界を展開しているこの小説は、もともと短編でほの見せていた作者本来の実力を見せつけてくれる作品でした。作者はこの作品に自らの理想とする小説作法のすべてを投入し、身を削るようにして書き上げたのではないでしょうか? とはいえ結果として、それが万人に受け入れられる作品になったかといえば、それははなはだ疑問です。後述しますが、この作品はかなり読み手を選びます。 美しい風景にたたずむ城。運命により城に導かれた若い女主人公。高貴な人々とその優雅な生活。一族の過去の秘密。女主人公を脅かす謎の数々。意地悪と策略で女主人公を陥れようとする家政婦。クライマックスでの自然災害……。この作品のなかにデュ・モーリア、ビクトリア・ホルト、そして近年のケイト・モートンにつながる「20世紀以降の女流ゴシックロマン」の典型を見ることは可能です。「20世紀以降の女流ゴシックロマン」はやはり現代の読者が相手なので、主人公を怯えさせる謎や怪奇現象はすべて合理的に「現実に落と」されますが、その骨法も同じです。ただ、読んだ印象はそれらの作品とはちょっと違う。いや、大きく違います。 まずはストーリーテリングです。イギリスの女流作家たちの作品は、巻措くに能わずの言葉通り、濃厚な物語的興味で読者を煽りますが、作者はどうもそっちの方向にはあまり興味がないようです。無論ミステリ作家ですから、謎や不穏な動きをする登場人物などの展開はあるわけですが、この物語のほとんどは女主人公宮子の心理描写に費やされます。例えば宮子と別の登場人物が会話をしているとして、会話文1センテンスに対して宮子の心の動き、感情、思いなどが10~30行、次の会話文1センテンスに対しまた10~30行の心理描写というふうに、まさに微に入り細を穿ち宮子の心情が描写されます。『レベッカ』の女主人公もやや妄想気味でしたが、それどころじゃないです。それに対して、人が死ぬとか諍いが起こる、などといった動的なストーリー展開はごくごくあっさりと進行します。 また同じくイギリスの女流作家の作品には、女主人公の成長という、一種教養小説的な側面が多少なりともありますが、この小説の主人公宮子は初回登場時からほぼフラットに意識の転換=成長というものを起こしません。確かに一族の「血」がもたらす宿命や、相次ぐ死によって「命」とは何かを考えますが、それらは飽くまで華族として特殊な環境に生まれ育った知見に基づくものであり、そのスタンスはラストに至るまで、清々しいほど一切変わることはありません。 とはいえ作者もそのことは十分承知の上であったと思われます。登場人物たちの発想や懊悩は一般常識とはかなり掛け外れており、自己以外を一切顧みない、それゆえ純粋な、「閉ざされた枠」の中でのみ成立する物語世界を構成するために、このシチュエーションが必要であったのではないかと思われます。戦前に既に『レベッカ』は翻訳されています。作者が読んでいたかはわかりませんが、作者が意識してこれに「寄せた」とは思えません。自分が書きたい題材で、自分が魅力的と思う登場人物を活かした物語設定をした結果として、ゴシックロマンに近い体裁に到ったのではないでしょうか?二階堂黎人が卓見を述べているように、『鯉沼家の悲劇』で自分の書きたいものを書いたら、いつの間にかそれは巨匠の「本格探偵小説」のフォームを先取りしていた、と言う事と同じです。 このように書くと、独りよがりな小説のように思われるかもしれませんが、登場人物の出し入れやその事情、成り行きの背景などはゆったりと、それでいて巧みに語られていきます。探偵小説っぽい過剰な表現もなく、まさに大人の筆致です。リーダビリティは低くありません。但しその作品世界を許容することが出来れば、の話ですが……。 物語は宮子、その姪の纓子、大鳥真一郎を中心に展開しますが、先にも書いたように彼らはハイソな出自の方々ゆえ、異質の行動や思索を行います。純粋ではあるがその発想のもとは極端な選民意識に基づいており、自分の許容するものに対してはひたすら慈愛を示しますが、スノッブな成り上がりものや意に添わぬものには残酷で、意地悪です。彼らを操っては嘲笑い、虫けらのように捻り潰すことに良心の呵責すら覚えません。つまり登場人物に感情移入して読み進めていくようなタイプの小説ではなく、それも作者は承知の上だと思います。宿命の「血」ゆえ、登場人物たちは狭い世界で自らのプライドやエゴ、体面などに縛られ、追い詰められ、やがて破滅していきます。一族の崩壊は前作でも見られた趣向ですが、今回のテーマはさらにそれを極めており、作者はそれを描きたかったのではないかと思われます。 登場人物に感情移入できないと書きましたが、宮子の姉秀子の造形は見事です。華族の子女としてひたすら貞淑で、運命を抗わず受け入れると思われていた人が、「愛を信じられないゆえに愛のために死ぬ」「凶暴なまでのエゴイスト」であり(う~ん、訳わからん)、そのパッションに宮子は自らの「血」を強く意識します。 また大鳥真一郎の複雑でシニカルな造形も非常にうまく描けています。おそらく作者の男性に対する理想像を全力で投影したのではないでしょうか?本作は恋愛小説的な側面を持ち、宮子の行動原理のほとんどは「血」のなせるゆえの迷いと懊悩によるものですが、果たして彼女がどのような生き方を選択するかは、物語を読んでください。前述の通り、彼女は成長することはありませんが、悪くない終わり方だと思います。 ミステリはつくづく懐の深いジャンルだと思います。このように浮世離れした物語世界を受け入れられるのは、ミステリという体裁があってこそだと思います(ハーレクインやライトノベルというジャンルの小説を私は読んだことが無いのであえてここでは言及しません)。宮野村子渾身の世界観をぜひ堪能していただきたいです。 |