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ミステリの祭典

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異境
江見星代

作家 松尾糸子
出版日1978年04月
平均点8.00点
書評数1人

No.1 8点 積まずに読もう!
(2024/09/08 22:26登録)
【あらすじ】
(できるだけ今後の読書の興を削がないように要約したつもりですが、嫌な人は注意してください)

『ペットのいる暮し』*非ミステリ
『ブランコ』*非ミステリ
『二人の独白』*非ミステリ
『異境』*非ミステリ
『山茶花の死』 「推理界」昭和42年11月号掲載
上野広小路にあるとんかつ「千勝」の女主人江見星代は両親を亡くし、若くして店を引き継いでからは縁者もなく、自らの裁量で店をきりもりし、繁盛させている。大人の女として恋もたくさんしてきたが、画家の森真吾に対して抱く想いは複雑で、会うといつも喧嘩別れになってしまう。今日も真吾と気まずく分かれた星代は、暗く寒い店にそのまま帰る気にならず、向かいのビルの屋上のペントハウスに住んでいる小西行男を訪ねた。小西は芝の地主であったが、道楽で身上を潰し、今は幼馴染の弁護士原田の好意で同ビルの管理人をしてる。洒脱な老人である小西に気を許している星代は自らの矛盾した心境を漏らすが、そんな星代に小西は粋なお説教をする。小西がわずかに所有している資産価値がない土地には、いまが盛りの山茶花が咲いていると聞き、星代は翌日小西にその場所へ連れて行ってもらう約束をする。しかし翌朝、小西はビルの屋上から落下して死亡してしまう……。

『おとひめさまの死』 「推理界」昭和45年4月号掲載
とんかつ「千勝」の若い女主人江見星代は5年前から働いている岡島久子の年配と人柄を見込み、目をかけていた。久子が店に来たのは母親を亡くしたばかりのころで、戦争で夫を亡くし、東京出身でありながら身寄りもないと星代は聞いていた。そんな久子が珍しく休日に出かけるのを星代は送り出したが、その夜遅く、久子から「おかみさんの所に来てよかった。私の一生で一番幸せな月日でした」という電話がかかってくる。一方的に切れた電話に気を揉む星代だったが、やがて警察から刺されて死亡した久子が世田谷の電話ボックスで発見されたという連絡が来る。久子の指にはいつも必ずつけていた結婚指輪が何故か無かった。
警察に問われ、久子の個人的な事情について何も答えらればかった星代は、孤独な久子を思い、誰にも向けることの出来ない怒りのもとに、その死について調べ始める。久子は幼さが抜けない若い同僚正子を可愛がっていたが、死の前日曾祖母が唄っていたという 〽おとひめさまが かいにおわれて なくこえきけばね……という歌をその日思い出し、正子に歌って聞かせていた……。 

【感想】
(出来るだけ配慮していますが、ネタバレが嫌な人は注意してください)

松尾糸子の名を知る人はよほどのもの好きでしょう。昭和30年代後半から40年代乱歩賞応募の常連で、何度か最終選考まで残っています。「推理文学」や「推理界」で作品が掲載された実績があるようですが、乱歩賞候補作の長編は(多分)刊行されたことは無いようです(誰か知っている人はいますか?)。純文学も並行して執筆していたようで、本書巻頭の『ペットのいる暮し』は同人誌に発表された後、昭和45年に純文学の一流誌「新潮」の新人賞候補になって掲載されています(同年に北方謙三も候補に挙がっている!)。
文学を意図して書かれた4作については、ひとり、または二人の登場人物のモノローグにより進行し、語られるエピソードや心象が現実のものなのか狂気による幻想によるものなのか、次第にその境界はあやふやになっていく、というような独自の作風であり、それを作者は持ち味にしているものと思われます。情報がほとんど与えられず、読者は常に宙ぶらりんの状態で行を追っていくわけですが、この手の小説は往々独りよがりになりがちで、少なくともこの4作をはその域は出ていないのでは無いかと思われます。内田百閒も島尾敏雄が夢を描く小説も、とりとめのないことを書いているようで、なにか読者を引き付けるような力があります。残念ながら作者の「文学」には、その力を感じることはありませんでした。読んでいてかなりつらかったです。
対して「推理界」に発表されたミステリ2編は、最低限の表現やエピソードで、語られない物語の背景や登場人物の事情などを描き出しており、同じ作者とは思えない明確な筆致でストーリーを進めていきます。2編に共通する女主人公星代の造形は見事で、下町で生まれ育った娘らしく、さっぱりしているけれど、情に厚く、事件の関係者の心情を汲み取って胸を詰まらせ、頻繁に涙を流します。そして事件に介入していくのです。最近のシリーズ化を意図したあざとい「キャラ先行」の作品に食傷気味の身にとっては、むしろ新鮮に感じたほどです。
2編に共通するのは孤独なひとたちの悲しみです。世を達観し、優しさと包容で人と相対しながら、それが時に残酷な行為であることを知るや知らずや行う男。そんな男が最後まで抱えていたプライド。行き場のない想いをひとり抱え、やがて理性の枠を外してしまう女。過去の非道な行いを憎みつつ、その相手を救う唯一の手段を伝えるべく動き、結局その矛盾に押しつぶされてしまう女……。各々40~50枚程度の作品ですので、たっぷりと描きこまれるわけではありませんが、謎の解明が自然にそれら孤独で悲しい人たちの肖像を浮かび上がらせる構造となっており、ミステリの短編としては理想的な形で仕上がっているのではないかと思います。テイストとしては戸板康二のノンシリーズもの(『塗りつぶした顔』など)や仁木悦子の出来の良い短編に近いものがあります。
面白いのは謎のネタが2編ともある業界にからんだものであること。著者についての知識は全くありませんが、その業界の関係者だったのかもしれません。
傑作とまでは言いませんが、埋もれさせるには惜しい作品ではあります。機会があればアンゾロジストの方々に採り上げてもらいたいと思います。点数はこのミステリ2点に対してのものです。

蛇足ですがまず語られることは無いと思われるので、雑誌に発表された同作者の作品について言及しておきます。

『みどりの岸辺で』 推理文学5号
プロ推理作家の同人誌に発表された作品ですが、作者の「文学」系統の作品です。翌6号で大内茂男が「お手上げ。理解不能」として評を避けています。別の作品で先に述べたように、同感です。

『左下三番』 推理文学4号
コラム欄のような場所に掲載されたショートショートですが、これはいいですね。サキや星新一のように巧妙なオチを楽しむものではなく、平凡な主婦の狂気に近い執着をユーモラスに描いたものですが、これは相当な筆力だと思います。名人の落語の「サゲ」がしばしば興を冷めさせるのに似て、オチがむしろ不要なくらいよくできた作品だと思います。

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