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平均点: 5.90点 | 書評数: 10件 |
No.4 | 7点 | 女の顔- 新章文子 | 2025/08/16 17:15 |
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【あらすじ】
詳しくストーリーを説明すると台無しになってしまうのと、人並由真様が既にあらすじを書いておられるので、ここでは登場人物の整理を行っておきます) 〇夏川薔子(しょうこ) 24歳 完璧な美貌を持ち、乞われて女優となるが、自意識過剰で役になり切れず、その才が無いことを自覚している。女優を辞め、平凡な暮らしに憧れるが、意志薄弱な割には自己愛が強く、結果的に周囲を翻弄する。仕事からの逃避先の京都で勉と出会い、惹かれる。 〇葉山勉 20代半ば 京大医学部卒のインターン。京都で薔子に逆ナンされ、関係を持つ。長身かつ精悍な美貌を持ち、野心家。薔子に惹かれつつ、平凡ではあるが母性的な節子との関係も断ち切れない。 〇(伊藤?)(野上?)節子 19歳 美大に通う京都旧家の娘。勉に惚れ込んでいる。美人ではないが現実的で行動力があり、薔子と勉の関係にいち早く勘付き、探りを入れる。 〇夏川兼子 64歳 医学博士。薔子の母。英輔を養子として迎え、夏川医院の副院長として経営に手腕を発揮してきたが、病気のため失明して現在は杉原卓二に医院の運営を任せている。 〇夏川英輔 故人 婿として夏川家に入ったが、医師としての情熱もなく怠け者で、女好きは終生直らなかった。糖尿病で死亡。 〇夏川葉子 40歳 夏川家の長女ではあるが、英輔が女中に産ませたため、夏川家直系の血族ではない。若いころ駆け落ちして家を出たが、娘道子を連れて今は夏川家に出戻っている。 〇夏川道子 20歳 葉子の娘。能天気。 〇杉原卓二 40半ば 夏川医院の雇われ医師。ある秘密と企みのもと、図太く夏川家の人々に接する。 〇倉敷保樹 30前 新鋭の映画監督。親ゆずりの財力でプロダクションを設立し、世間に才を認められている。渋る薔子をなんとか懐柔して3本目の映画を撮影中。薔子とは婚約中であるが、自分勝手な薔子に見切りをつけ始めてもいる。 〇服巻利元 40半ば 赤ら顔の酔いどれ闇整形外科医。腕は良い。 【感想】 (出来るだけ配慮はしていますが、ネタバレが嫌な人は注意してください) いいですね。新章文子。今回は完璧な美貌を持ちつつ、人格的には全く未熟な女性を主人公にしており、文子先生が持つ美点をかなり活かせる設定となっています。生まれつきの美貌を持ち、両親が医者の娘で経済的にも恵まれている女性が「気まぐれで、自分を過信し、自分を誇りたいくせに自分というものを全く持たない女。そして、誰よりも自分が大事な女」になってしまうことは無理のない事(女性の皆さん、失礼!)です。美貌以外にこれといった才もなく、他動的な性格の薔子が映画女優という、特別なタレントとある種の図太さを必要とする職業に適合せず、打ちのめされる事情と、意志薄弱だが金銭に全く不自由していないが故に引き起こす身勝手な行動が実によく描かれています。薔子を取り巻く男たち、努、倉敷保樹、杉原卓二は彼らなりの思惑で薔子を利用しようとしますが、彼らの計算通りになかなか薔子は動いてくれません。自己の無能さと女優として生きていくことの辛さを背負うことは、自分の性格では無理であるにも関わらず、名を成したい気持ちを捨てきれず、悶々とする薔子。遂には完全に女優を諦めて出奔し、京都の努のもとに走りますが、強引な映画会社に引き戻されます。すべてに行き詰まった薔子ですが、母の死についてある事実を掴んだことをきっかけに、思い切った行動を起こすまでのプロセスも好調。努や倉敷保樹の打算や狡さも無理なく嫌らしく、ストーリーテリングは抜群です。努を愛するが故に狂言回し的役割を果たす節子の造形もいいですね。妙な行動力と決断力があり、そのうえ京女らしく芯はねっとりした良いキャラです。抜群の美貌ではあるが意志薄弱の薔子と、美人というわけではないが自分なりに自己を磨き、一途な節子(但し性格が良いわけではない)は良い対比です。これは文子先生意識しての配置でしょう。 内容的にも『危険な関係』に次ぐ形でミステリの傾向が強いです。とは言え文子先生ですので、謎の手の内は早々に読者の前に開示されます。いわゆる「XXのないXXX」トリックですが、そこが物語の重点ではないのでご心配なく。 ただ実行される犯罪は新章文子諸作に倣い、相変わらず乱暴です。DNA鑑定などが無かった当時においても、この怪しい状況においては露呈する確率1000%でしょう。このあたり、似た作風の創元系フランスミステリの作家(そんなのあるのか?)なら、もうちょっとうまく処理してくれるのになぁ、と思ってしまいます(煙に巻くとも言う)。 『嫉ける』でも言及しましたが、本作も視覚的に処理したら結構良い映画になるのではないかと思います。最後の場面は自分の美貌に絶望した薔子と努の整形外科病院での対峙ですが、包帯で顔をくるぐる巻きにされた薔子の状況なんかは、『シンデレラの罠』っぽくないですか?ラストも映像のほうが映えると思います。皆さん興味ないかもしれませんが、もし映像化するとすれば、東宝の鈴木英夫の監督で、薔子はクールビューティの司葉子。節子は団令子あたりではどうでしょうか?無論白黒低予算で。 この物語、全員が得することなく、関係者すべての行動が徒労に終わるようにすることも出来たはずです。というよりも、最初の文子先生の構想ではそのようなラストだったのではないかと推察します。ところが薔子は最後の最後で心変わりをします。その原因を薔子の「他愛のない感傷」としていますが、大衆小説として、あんまりにもあんまりの結末を乱発した文子先生に編集者が余計なことを言ったのではないかと考えてしまいます。この物語については、突き放したラストにしたほうが良かったと思いますね。その方が文子先生らしいですよ。瑕はありますが、ストーリーは良くできているので超甘目で7点です。 |
No.3 | 6点 | 嫉ける- 新章文子 | 2025/08/03 15:18 |
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【あらすじ】
ファッションモデル戸倉由里亜は元カレの柾目秋介が友人で同業の松宮のり子と付き合いだしたことを知り、心を乱されていた。一方松宮のり子は格下に見ていた由里亜が男としても、カメラマンとしても一流の戸倉作也と結婚したことに不満を抱いていた。しかし新たに秋介との関係を持ったことで、由里亜がすごく嫉いていることを知り、悪魔的快感に酔いしれている。そんな折、戸倉作也は由里亜の心が離れかけていることを知り、のり子にある芝居を打つように申し入れる。逞しい作也に惹かれるものがあるのり子は作也を誘惑し、由里亜に対しさらに優位に立とうと画策する。そして…… 【登場人物】 〇戸倉由里亜 25歳。ファッションモデル。華奢で少女っぽい。戸倉作也と結婚しているが、捨てたはずの柾目秋介がのり子と付き合いだしたことを知り、未練を隠し切れなくなった。長嶋雄太郎からは「ストールの君」と呼ばれている。 〇松宮のり子 25歳。ファッションモデル。由里亜の高校時代からの友人。由里亜とは反対に長身で堂々たる体躯。性格も奔放。 〇戸倉作也 50歳過ぎ。大物カメラマン。逞しい肉体を持ち、大人の風格。 〇柾目秋介 26歳。売り出し中の推理作家。中肉中背だが、なかなかの男前。由里亜の元恋人だが捨てられ、いまはのり子と付き合っている。 〇長嶋雄太郎 23歳。長嶋薬局店主。薬剤師。丸々と太り、図々しいが人の好い性格。ある夜、硫酸を買いに薬局に訪れた由里亜に一目ぼれする。 〇野田金次郎 23歳。雄太郎の薬科大学の同輩。一流製薬会社勤務。のり子が住む高級アパートの隣人。雄太郎とは正反対で、長身だが気の弱い性格。のり子からは「馬面さん」と呼ばれている。 〇立花平吉 23歳。戸倉作也の助手。のり子に言わせると、ラッキョウが逆立ちしたような顔。 【感想】 出来るだけ配慮していますが、ストーリーの内容には詳しく言及しています。イヤな人は注意してください。 1962年5月刊行の長編としてはかなり短い小説です。登場人物も限られ、ストーリーも受け身である由里亜と仕掛けるのり子との応酬を中心に、彼女たちに引きずり回される愛人たちと、偶然に彼女たちと関りを持った若者の懊悩ぶりを、新章文子にしては軽めのタッチで描いています。文子先生にしては珍しく、読後感もそれほど悪くないです。 相変わらずミステリ的な趣向にはまーったく興味を示さない文子先生ですが、正反対の女同士による嫉妬についてはじっとりむっちり、微に入り細を穿ち実に巧みに描いていきます。なにしろ彼女たちの行動の規範はすべて相手に対する嫉妬であり、その感情のまえには仕事や近親者の感情といった要素はすべて排除されます。取り巻きの男たちが今回の小説では一様に常識人として描かれていて、彼女たちの身勝手ぶりは清々しいほどです。これは作者が意識してやっている事でしょう。逆説的に言えば、感心させどころは、ほぼそれだけです。それで長編を保たせているのですから、文子先生の筆力は相変わらず達者です。 この作品では二人の人物の死が扱われますが、そのうちの一人の人物の殺害についての合理性は相変わらず低いです。人物の嫉妬や感情の機微に関してはあれほど巧妙に描き出すことが出来るのに、ミステリ的要素に係る人物の動きに関しては、乱歩賞作品含めてもんのすんごく不器用、というか取って付けたような仕上げにしかできないのは、もう文子先生に関しては仕方がないです。ミステリの愉しみはそれだけではないので、それ以外の部分を味わいましょう。ちなみに最後の脱力系のオチは賛否両論だと思います。私はOKです。 この作品、人物をもう少しカリカチュアしてコメディ風のサスペンスに仕上げたら、ストーリーの無理も目立たなくなり、小洒落た良い映画になったのではないでしょうか?東映や東宝、松竹ではこういう作品は無理なので、大映の市川崑「穴」や同時期の「黒い十人の女」みたいな感じですね。ただ市川崑や和田夏十はビンボ臭い国産作品には目を向けないと思うので、ここは日活に引き受けてもらって、井上梅次か中平康あたりを監督にして低予算のプログラムピクチャに仕上げていただきたかったもんです。のり子は白木万里、由里亜は芦川いづみ、戸倉作也は二谷英明、柾目秋介は川地民夫あたりでしょうか。すみません、ミステリには関係のない話でした。 同時期のミステリ傑作群と比較するわけにはいきませんが、軽い読み物として文子先生の人のわるさを愉しむ分には悪くないと思います。6点です。 |
No.2 | 6点 | 沈黙の家- 新章文子 | 2025/07/26 22:48 |
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【あらすじ】
(詳しくストーリーを説明すると台無しになってしまうのと、人並由真様が既にあらすじを書いておられるので、ここでは登場人物の整理を行っておきます) 〇保科あゆみ 29歳。若いころ結婚したが離婚して少女小説を書き始めた。両親を従業員に殺害されたことを機に京都から東京の高級アパートに居を移す。楽天的で奔放な性格だが、頼りないところもある。 〇保科新太郎 23歳。あゆみの弟。あゆみとともに東京へ出て児童誌の編集者となる。心にある鬱屈を抱え、常に受動的。姉に対しての愛情は深い。 〇坂崎友之 40代半ば。新太郎の高校時代の教師。新太郎にある大きな影響を与える。 〇徳田牧子 少女小説家。あゆみの友人。新太郎に気がある。 〇船原宇吉 40代半ば。有名な小説家。本妻と母親がいる自宅を出て、保科姉弟の隣室に津矢子とともに暮らしている。 〇向井津矢子 26~27歳。詩人。宇吉の愛人となって保科姉弟の隣室に住む。小柄でおとなしく、人の好い性格。実家の母親は高利貸しで資産家。 〇向井樹里子 19歳。津矢子の妹。姉とは違い大柄で奔放な性格。宇吉とひそかに関係を持ち、子を宿す。 〇向井伊久子・保 母子。津矢子、樹里子の姉。実家に出戻っている。 〇三上泰夫 樹里子の中学時代の同級生。美容師見習い。父親を刺して途方に暮れているところ、腹の子の父親に身代わることを条件に樹里子に救われる。以後樹里子に執着する。根は素直で流されやすい少年。 〇(名字無し)久子 宇吉の父の愛人だった女。四谷に住む。宇吉を親身に世話する。 〇たけちゃん 丹波の田舎出の女中。ナイスキャラ! 【感想】 「何を考えているのです?」「何を考えているの?」・・・・登場人物が何度か各々の相手に対して問いかけます。それぞれの登場人物が抱えている思惑や思考、そして行動があまり合理的ではなく、読者もそう彼らに問いかけたくなってしまいます。そのためにかなり強引になってしまったストーリーの展開も、(それなりに)納得できてしまえるのは新章文子の筆力だと思われます。あゆみの話す京言葉、『気色悪い』『のべっとした白い顔』など、通常他の作家は地の文で使わない表現も健在。こういう表現って、例えば久夫十蘭なんかは技巧的に選択している感じがしますが、文子先生は全く素で使っていますね。それでいて視点は極めてドライ。飽きさせずリーダビリティは高いです。この時代の女流作家は、ミステリ畑に限らず、こと語り口に関しては男性作家の先を進んでいましたね(現在もそうか)。20~30代の有吉佐和子の作品群なんかはまさに奇蹟だったと思います。閑話休題。 (以下、出来るだけ配慮していますが、ネタバレが嫌な人は注意してください) この物語は3章、文庫では各々約100頁で構成されています。第1章は樹里子の妊娠を中心に、保科姉弟と隣室の船原宇吉と愛人の津矢子との関わり、あるマイノリティの性癖を持つ新太郎の心情を描いていきます。中期のアガサ・クリスティも事件をなかなか起こさず、それぞれ事情を抱える登場人物の関係性を描き、その行動やちょっとした会話が後半の謎解きの伏線となりますが、文子先生はそっち方面には全く興味がなさそうです。ただ、保科姉弟、向井姉妹の関係性、船原宇吉のクズっぷり、樹里子の矛盾した性格などは実に底意地悪く、巧みに描写されていて、良い感じです。ただ、あゆみ、津矢子、徳田牧子それぞれの女性は作家、詩人なのですが、少しもそういう感じがしません。違う設定にするか、もうちょっと工夫がほしいかな。 それら静的な物語から一転、第2章は冒頭から3人が殺害される展開となります。さらに2名の登場人物も…。う~ん、私が引っかかったのはここですね。一種の完全犯罪を目論んでの行動ですが、こういう大それた犯罪を行うには、あまり割に合いません。近親者にちょっと問い詰められただけでこの犯人はすぐに告白しますが、つまりこの犯人は深い考えもなく、行き当たりばったりなのです。作者のやりたいことは分かりますし、方向性も良いと思うのですが、ちょっと乱暴にストーリーを進め過ぎているように思われます。続く2名の殺人は犯人の心情や手法がさらに矛盾しており、その行動自体が破滅を呼ぶ可能性がかなり高いです。展開上この殺人は必要ですが、ここももう少し工夫がほしいですね。一時期創元やポケミスで出版されていたフランスの薄い長編ミステリも、読んだときは何となく納得させられますが、よ~く考えるとかなり矛盾や突っ込みどころがあることが多いですが、作品自体が独特の雰囲気を漂わせており、その辻褄のあわなさも『味』のひとつになっているところもあるのですが(よく考えれば日影丈吉の長編もそうだ)、文子先生の作風は極めてリアル(言い方を変えるといささか所帯じみた感じ)なので、そのあたりはアラに見えてしまいます。惜しい。 第3章でようやく文子先生がやりたかったミステリの趣向が見えてきます。2人の登場人物の駆け引きは同様に底意地が悪く、読者をニヤけさせます。ただ、ここでもやはりかなりの矛盾が生じていて、各々リスクを冒していろいろな行動をしたのに、目の前で大事な人が死んだり、大切なことが駄目になっても、ここまで急に割り切ることは出来るでしょうか?がっつりした行動を起こす割にはそれぞれの登場人物は淡白で、諦めと切替が早すぎるのです。登場人物が度々述べる、「何を考えているの?」はそのまま読者の気持ちに直結します。 ただ最後の最後で題名の意味が分かる趣向はいいですね。 この作品は1961年刊行ということですが、当時『探偵小説』から『推理小説』に推移したばかりのミステリの概念から大きく外れています。ミステリ界の大御所たちや出版編集者の評価は「なんじゃこりゃ」というものだったと思われます。確かにお金と貴重な余暇を使ってこんなに救いのない(しかも社会的なテーマも持たない)物語を読む数奇者は少なかったでしょう。早すぎましたよ、文子先生。 P・ハイスミスやアルレーには洗練性や精緻さでは及ばず、未完成な部分もありますが、新章文子が目指していたものは判るような気がします。私は好きですね、新章文子。 ちょっと強引にストーリーを進め過ぎた、ということで評点は6点になります。 |
No.1 | 7点 | バック・ミラー- 新章文子 | 2024/10/04 23:28 |
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【あらすじ】
(詳しくストーリーを説明すると台無しになってしまうので、今後の読書の興を削がない程度の内容しか紹介していません。それでも嫌な人は注意してください) 短大を出たばかりの青地有美は宣伝誌の編集部員として歌人河野いさ子を訪ねたが、その俗離れした美しさにたちまち魅了された。話をするうちにいさ子は有美の母、孝子と古い友人であったことが判る。前日孝子は、執拗なほど有美がいさ子を訪問することに水を差してきたが、旧友のもとへ有美を行かせたくなかったのは明らかであった。 何事も理屈通りに、物事をはっきりと決着をつけないと気が済まない有美と、一人娘ゆえ何かと有美の行動に干渉し、京女の典型で煮え切らない態度の孝子。母娘としてのソリは合わず、父親幹雄には素直になれても、母親に対して有美はつい反抗的な態度に出てしまうのであった。有美は母親と何もかもが正反対のいさ子に傾倒し、その息子一郎に惹かれていく。 一方、孝子はどうしても有美をいさ子や一郎に近づけたくない理由があった。有美の性格上あまり詮索すると意固地になってしまうことが判っており、成り行きに気を揉まずにはいられない。青地母娘と同様、いさ子との仲がしっくりいっていない一郎の妹早苗とも有美は知り合いになっているようで、事態は抜き差しならぬ方向へ進み始めている。孝子は追い詰められ、いたたまれずある行動を起こす……。 そんな中、いさ子が突然ガス管を咥えて自殺したことが報道される。それほどまで深い付き合いには至っていなかったが、有美はどうしてもいさ子が自殺をしたとは思えなかった。有美は河野家の人々やいさ子の愛人郷田、いさ子の別れた夫江藤家の人々と積極的に接触し始める。そしてまた新たな死が・・・・・。 骨肉ゆえ諍い、傷付けあう母娘。奔放な母親に翻弄される兄妹。誰も悪意をもって動いていないのに、事態はなぜこうも悪い方向に向かっていくのか?夏の京都を舞台に悲劇の幕が開く。 【感想】 (出来るだけ配慮していますが、ネタバレが嫌な人は注意してください) 面白かった筈なのに内容をさっぱり忘れている小説がありますが、内容的にはまあまあだったのに、いつまでもディテールに至るまで記憶に残っている小説があります。新章文子の『危険な関係』は少年時代に黒背の講談社文庫で読んだきりで、今手元にはありませんが、いまだにメグと呼ばれる登場人物や邸内の運転手役、メグが運転手の忠誠を試すために、ガス火(ライターだったか?)で指を炙らせるシーン、最終ページの台詞での物語の締め方などを今でも思い出すことが出来ます。 今回『バック・ミラー』を読んで、ああ、新章文子、こんな感じだったよなということをまざまざと思い出しました。多視点での物語進行。熱量を感じさせないが、それでいて登場人物の焦燥や絶望を絶妙に伝えかけてくる文章力、描写力。抜群の会話文の巧さ。 この小説、謎という要素がほぼありません。いや、基本的にやっていることは横溝正史やロス・マクの長編と同じなので、構成方法によってはかなり複雑な「謎」にすることが可能なはずなのですが、作者はさっさとそれらを早い時点で提示してしまいます。つまり従来のミステリの全く裏っ返しになっているわけですね。「謎」のために最後まで隠し通さなければならない犯罪や出来事の事情を早々に提示することによって、自然な形で登場人物の矛盾した言動や迷い、懊悩、滑稽さ、狡猾さをじっくり描き込んでいるわけです。藤木靖子や南部樹未子、ちょっと肌合いは違うが藤本泉など、女流作家の達者であるけど、地味な作品群がもう少し評価されてもいいのではないかと思います。その中でも新章文子は抜群の巧さです。 この小説は前述のとおり多視点ですが、主に青地有美と河野早苗を中心に物語は展開します。 青地有美はその若さ、世間知らず、持ち前の性格によって、一本気だが思慮に欠け、経験不足ゆえの狭量さのため、他者、特に肉親に対しての配慮が足りず、時には自分勝手で傲慢でもあります。ゆえに世話をしたはずの高校生の早苗にさえ「底の浅い考え方をする人だと思う。おっちょこちょいなんだわ、とも」思われてしまう。ただ無駄に行動力があり、結論を急ぐため、自らの至らなさを結果的思い知らされることになり、常にイライラしています。 その母親の孝子は典型的な京女で、明確な意思表示はしませんが、基本は頑迷。くどくどと小言を述べる母親に反抗し、いつも不機嫌な娘。若い娘のいる家庭の一時期どこにでもある風景ですが、ある一つの秘密を頑迷に抱えているために、すべてのバランスは狂い、崩壊に向かっていきます。このプロセスが実に巧く描かれています。 いさ子の娘である高校生早苗についても個性的な造形がなされています。この小娘、生活力、行動力は無いくせに、他者から厚意を受けても一切感謝することなく、周りの大人が迷い、懊悩し、ときには死に至るさまを実に底意地悪く見つめ続けます。例えある人物を救える立場にあっても、あえて積極的に動くことをせず、「自己」を保ち続けるのです。そのように自ら進んで「孤立」を求めているような早苗が、四明嶽で2体の白骨死体を発見することで、精神的均衡を得るエピソードがありますが、これを読んで岡崎京子の『リバースエッジ』が思い浮かびました。岡崎京子はヴァーセルミやアーヴィングは読んでも、新章文子の本を手にすることはないと思いますので、これは女性ならではの感性でしょう。男には思いもよらぬことです(差別とか言わないで)。 結論です。ストーリーテリングは抜群。修正一切なしのネイティブな京ことばを嫌味なく小説の中に活かせる技巧も逸品。モブ含めた登場人物も非常によく描かれている。枚数の関係か、ダレるような要素も一切ない。技巧的にP・ハイスミスと遜色は無いのではないのではないかと思います。そして肝心のストーリーは・・・・・・・・。ストーリーは・・・・・・・。 これはアカンわ・・・・・・。京風に言えば、あかんあかん。内容が安易とかそういうことではなく、救いというものが一切ないのです。現役のミステリ作家のように作為的にではなく、巧まずしてこれをやっておられるわけです。文子先生は。読んだ後のやるせなさに私は、ちょっと叫んでしまいました。講談社を始めとする出版社が文庫でこれを再販しなかった理由がわかる気がします。ただ前述のとおり、広義のミステリを受け入れられる度量のある人にとって、完成度は低くないです。よって評点は高めです。ぜひ実際に読んで叫んでください。 蛇足ですが、某書評家が言い出した、イヤミスとかバカミスとかいう、作者が懸命に描き出した世界観を十把ひとからげに規定してしまうようなジャンル分けは、作者に対して非常に失礼なのではないかと思っています。一部それを迎合するように「合わせてくる」作者も同類ではありますが・・・・・。ごめんなさい、余計なことを言いました。 |