皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
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小原庄助さん |
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平均点: 6.64点 | 書評数: 267件 |
No.11 | 7点 | 私のハードボイルド 固茹で玉子の戦後史- 評論・エッセイ | 2023/12/05 08:48 |
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著者が、高校から大学時代にかけて、映画や小説でアメリカ文化を吸収して、その中から同時代文化としてのハードボイルドを選び取っていく過程は、戦後特有の熱気を背景にしているだけに興味深い。推理小説誌がチャンドラーの代表作を紹介し、性描写や暴力描写が売りもののミッキー・スピレーンの選集が登場、読書会を席捲する経緯が丹念に跡付けられる。
ハードボイルドという言葉を初めて活字にしたのは、映画評論家の双葉十三郎であることも立証される。それまでにも、海外の雑誌でハードボイルドという単語に接し得たはずだが「固茹で玉子」という原義通りに受け取り、新しい分野とは、考えなかったと思われる。 始祖のハメットをアンドレ・ジイドが激賞したという事実は有名で、日本のハードボイルド輸入にお墨付きを与えたようなものだが、当初伝えられた発言そのものは海外の雑誌に掲載された架空会見記によったもので、実際のインタビューと勘違いしたものという。このあたりの重要な考証は綿密で精彩を極め、資料を重視する著者の姿勢が発揮されている。 情報過多の湿っぽい雰囲気が支配する日本の文芸に、きびきびした行動性と乾いた文体を導入したハードボイルド。その意義を改めて認識させる回想録でもある。 |
No.10 | 6点 | 松本清張の葉脈- 評論・エッセイ | 2023/11/18 11:18 |
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まず、清張の朝鮮での兵隊体験を、丸山真男の同時期の同じ兵隊体験と比較検討するところから始めている。高等小学校卒で学歴差別を受けていた清張の被差別者としての軍隊体験が、普通の人の兵役体験とは大きく違っていたことはよく知られている。しかし、それを東京帝国大学の助教授で、平時なら権力の側に組み込まれることが約束されているエリートの丸山真男の兵隊体験と対比して分析する試みは、実に新鮮で面白い。
続く第二部は、清張の膨大な業績を「フィクション・ノンフィクション・真実」、「証言・偽証・冤罪」、「社会派推理小説・自殺・失踪」、「美術・真贋・史伝」という独特の四つの切り口で分析している。清張の小説に自殺や失踪が多いことを当時の自殺統計と関連付けて論じた点など、興味深い指摘も多いが、総じて第二部は第一部に比べてやや論理的な飛躍が多く、説明が不十分で説得力に乏しい部分がある。 このような不満は残るものの、清張のフィクションとノンフィクションを往復する独自の方法や大衆性に疑問を投げかけるなど、著者独自の刺激的な問題提起が含まれており、ユニークな清張論になっているのだ。 |
No.9 | 7点 | アガサ・クリスティーの大英帝国- 評論・エッセイ | 2023/11/18 11:04 |
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本書は観光と都市の歴史研究の専門家でミステリファンでもある著者が、クリスティーの生涯と大英帝国の盛衰をたどりながら、名作の魅力の源泉を「観光」と「田園と都市」というユニークな切り口で浮き彫りにした評論である。
ポーの世界初のミステリ「モルグ街の殺人」が発表された一八四一年は、トマス・クックが鉄道による団体ツアーを組んだ観光元年でもあったという。だが、ポーはパリを舞台に名探偵デュパンを活躍させたが、コナン・ドイルも名探偵ホームズを旅に出してはいるが、もっぱら仕事のためで観光ではないと著者は指摘する。 その点「そして誰もいなくなった」をはじめとするクリスティーの名作は、観光ミステリと都市と近郊の田園を舞台にした作品が多いのが特徴で、それが独特の魅力にもなっていることを、具体的に長編六十六作をもとに分類し、鮮やかに分析してみせる。 謎と恐怖を主題とするミステリの評論研究はともすると、トリックとか意表を突くプロットの分析に偏りがちだが、著者はそういう点は十分に理解した上で、クリスティーの魅力の全体像を、乱歩のいう「謎以上のもの」の分析を通して教えてくれるのだ。ミステリへの愛が行間ににじみ出ている好著である。 |
No.8 | 6点 | ハメットとチャンドラーの私立探偵- 評論・エッセイ | 2023/10/09 06:50 |
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ロバート・B・パーカーはスペンサー・シリーズの作者として知られているが、ハードボイルド小説の研究家としても有名である。
ハードボイルド探偵に「純の純なるアメリカ人」の姿を見出すという視点は、現在ではさほど珍しいものではないが、この論文が発表された当時としては目新しいものだった。これはハードボイルドの熱心な読者でもあり、なお且つアメリカ文学に少なからぬ興味を抱いたパーカーならではの着眼点というべきだろう。 この論文の随所に見られるアメリカ文学からの引用やアメリカ社会に反映されているものが多い。とりわけアメリカ社会に対する見解には卓越したものがあり、その視点が実作者としてのパーカーを位置づけているといっても過言ではない。 |
No.7 | 5点 | 日本探偵小説論- 評論・エッセイ | 2023/09/22 12:20 |
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日本の探偵小説を、それ自体の流れだけで考察することには、あまり意味がない。著者は江戸川乱歩の次に川端康成を論じ、地味井平造や大阪圭吉に続けて、内田百聞や谷崎潤一郎を論じる。また小栗虫太郎の人外魔境ものや橘外男の満州ものの延長線上に、ポストコロニアル小説として、川端康成の「雪国」や林芙美子の「浮雲」を取り上げる。日本の探偵小説という枠組みを、思い切って広げて見せたのである。
ただ、あまりに多くの作家、作品を取り上げたために、一人の作家、一編の作品については、やや論述の物足りなさを覚えないこともなかった。尾崎翠、村松梢風、花田清輝、野口赫宙などの作家や、戦時下のいわゆる「暗黒時代」の探偵小説作品にも、もう少し具体的に触れて欲しかった。それにしても、日本の近代文学の本質を十年前後という時間の中に凝縮して見せた批評の力技は、ただ感嘆する以外ないのである。 |
No.6 | 6点 | 清張とその時代- 評論・エッセイ | 2023/09/22 12:08 |
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清張が私小説の手法を得意分野とせず、もっぱら実生活とかけ離れたエンターテインメントの創造に興味の中心を向かわせていたのは間違いない。ではあるが、数は少ないが「父系の指」という私小説、あるいは自叙伝「半生の記」、エッセーなどに彼の本音が垣間見える。著者はこれらを詳細に読み込み、清張の本音が純然たるフィクション、いわば彼の十八番の仕事にどういう形で反映されてきたのか、検証するのである。
それだけではなく、実際に清張が生まれてから亡くなるまでの時代背景を見つめ直す。つまり個人史だけではなく、もっと大きな歴史の中に清張を置くことによって、この作家が大成した謎に迫ってもいる。 下積み時代を長年経てきた人が、どのようにして偉業を成し遂げ、人生の完成形を極めてきたか、その謎を探る本でもある。 |
No.5 | 6点 | ミステリと東京- 評論・エッセイ | 2020/01/20 09:38 |
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東京をなんらかのかたちで背景に持つミステリ小説五十数編が、この著者の独壇場だと言っていい東京論の視点から、論評されている。ミステリの謎の面白さと、東京の多彩な奥深さが、平明な文章で解き明かされるのを読むと、ミステリ小説というフィクションと東京という巨大な現実を、同時に楽しむことになる。読んだあと、知っているつもりの東京に改めて目を開かれるなら、目からうろこの東京本ともなるだろう。
江戸から東京まで、その歴史は深くて長く、幅は広い。関東大震災と東京大空襲という二度の壊滅から復興して現在に至り、三度目の壊滅はいつどのように訪れるか、さまざまな予測を前途に持つ巨大都市なのだから、影つまり知られざる闇の部分はどれほどかと、想像力を刺激してやまない。そして本書を読み進むと、東京そのものが、複雑に重層するたぐいまれなミステリであることに、必ずや気付く。 本書を読むほどに、自分の知らない東京が、目の前にあらわれる。一定の方向ないしはパターンにやや偏った東京かと思うが、とりあげられている小説がミステリだから、必然性を伴ってそうなるのだろう。そしてそれらの東京のいずれからも、得体の知れない怖さのようなものが、立ちのぼってくる。 |
No.4 | 8点 | 日本ミステリー小説史- 評論・エッセイ | 2019/02/06 11:59 |
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ミステリーとSFはいずれも米国の文豪エドガー・アラン・ポーが創始したジャンルだが、正統的文学史からは長らく排除されてきた。近年ようやく、こうした周辺ジャンルを含めた新たな文学史の構築が始まりつつあるが、本書もそうした試みの一つだ。
尾崎紅葉の「金色夜叉」が米国小説の翻案であったことを突き止めるなど、著者は比較文学の視点から日本文学に新たな光を当てる研究を行ってきた気鋭の研究者。本書では、ミステリーというジャンルが日本の近代文学と密接に絡み合いながら発展してきた歴史を解き明かす。 まずミステリー史を「大岡政談」から語り始める視点が興味深い。同作に代表される、「裁判もの」が、「時間を遡り事件を再構成する」というミステリー小説のプロットに日本の読者をなじませ、後のミステリー大国への地ならしをしたのだ。また「大岡裁き」の有名なエピソードの多くが中国の裁判記事の翻案だったことなど、意外な事実も明らかにされる。 明治に入り、成島柳北や仮名垣魯文、黒岩涙香らによる翻訳や翻案でミステリー文化が開花し、1893年を頂点とする最初の探偵小説ブームが到来する。泉鏡花もデビューにミステリー小説を選んだほどの人気だったそうだ。その後一時衰退するが、岡本綺堂の「半七捕物帖」や谷崎潤一郎の犯罪小説をきっかけにミステリーは息を吹き返し、「新青年」創刊と江戸川乱歩の登場によりジャンルとして自立する。 こうした数々の挿話と共に、「デカ(刑事)」という呼称の起源や、2時間ドラマのクライマックスはなぜ断崖絶壁なのか、などの身近な話題も随所にちりばめての日本ミステリー史は、読者を倦ませない。 さらに本書で言及される鉄道小説(鉄道ミステリーとは別物)や毒婦物、家庭小説などは、近年の英米文学研究でも注目されている重要な話題である。まさに最新の研究成果と一般読者を橋渡しする知的エンターテインメントとして、お薦めの一冊だ。 |
No.3 | 9点 | H・P・ラヴクラフト 世界と人生に抗って- 評論・エッセイ | 2018/05/12 09:52 |
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ラヴクラフトは不思議な作家だなと、本書を読みながら改めて思った。
1920年代から30年にかけて、米国の大衆エンターテインメント小説誌に、幻想と怪奇に満ちた作品の数々を発表したが、1冊の著書を出すこともなく不遇のうちに46歳で病没する。 ところが没後に刊行された作品集が、ホラーやSFのファン層を中心に熱狂的な愛読者を獲得、E・A・ポー、スティーヴン・キングと並ぶ米国ホラー三大家の一人に数えられるまでになる。とりわけ彼が生み出したクトゥルー神話(クトゥルーは異次元の神格の名で、他にクトゥルフ、ク・リトル・リトルなどの各種の訳語がある)と呼ばれる架空の神話大系は映画や漫画、現在ではワールドワイドな人気を博しているのである。 そればかりではない。本書に序文を寄せているキングをはじめ、アルゼンチンの文豪ボルヘス、英国の批評家コリン・ウィルストンから村上春樹や水木しげるに至るまで、多彩な著名作家がラヴクラフトに熱烈な関心を示し、自らクトゥルー神話の流れをくむ作品を執筆するなどしているのだ。 彼らの各人各様な反応ぶりを見ていると、あたかもラヴクラフト世界という鏡(照魔鏡!?)にそれぞれの文学観を投影させているかのようで、興味は尽きない。 その点では、著者が27年前に発表したデビュー作である本書も例外ではない。ラヴクラフトの特異な生涯をめぐる思索的エッセーであると同時に、ウエルベックというこれまた特異なプロフィルの作家-新作を世に問うたびに轟然たる反響とスキャンダルの数々を巻き起こしてきたフランス文学界きっての異端児をめぐる、裏返しの青春期、矯激な内容告白の書としても読むことができるのである。 著者の近未来小説に描かれる人種問題や人格転移、カルト宗教といったモチーフのルーツが、ラヴクラフトの作品世界に見いだされることにも一驚を喫するに違いない。 |
No.2 | 8点 | エドガー・アラン・ポーの世紀- 評論・エッセイ | 2017/12/22 10:18 |
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日本が近代国家の体制を整えるはるか以前に、その遠因となったグローバリズム発祥の中心地アメリカに生まれ、わずか40歳でこの世を去ることになったたった一人の男によって、現在でも世界の出版市場に毎年膨大な数が生み落とされている小説の、ほとんどすべてのジャンルの起源にかかわる作品が書かれてしまっていた。
ポーは、欧米主流文学史においてはもちろんのこと、ミステリやSFといった大衆文学からドビュッシーを代表とする古典音楽、さらにビアズリーらの世紀末芸術まで、表現におけるメーンカルチャーとサブカルチャーという区分を軽々と無化し、20世紀に花開く芸術の様々な分野を先取りし、さらに最良の素材を提供し続けた、稀有な表現者だった。 印刷技術の急激な発達によって可能となった雑誌の特性を最大限に活用し、表現のあらゆる雑種を生み落とし、またそれらの間を自由自在に横断した、近代小説の真の起源に位置する人が、エドガー・アラン・ポーである。 本書は、第一線の研究者たちが最新の資料を駆使して、ポーという作家の多面性、現時点におけるその表現の持つ可能性の中心を描き尽くした、決定版の研究論集である。 人文諸科学の危機が叫ばれ、文学の終焉、また書物というメディアの衰退がささやかれている今こそ、なによりもその始まりの時代を生きた特権的な対象を検証する必要があるだろう。本書を通じて、来る次世代の表現者、情報時代を生きる新たなポーの誕生さえも夢想させられる。 |
No.1 | 7点 | 乱歩と清張- 評論・エッセイ | 2017/12/07 16:52 |
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昭和40年7月28日、江戸川乱歩は自宅にて逝去した。8月1日の本葬で当時の日本推理作家協会理事長、松本清張が読み上げた「声涙ともに下る」弔辞全文から本書は幕を開ける。
著者はこれまで、「物語日本推理小説史」や「松本清張辞典決定版」など乱歩や清張を扱った評論を多数発表している。本評論の執筆動機は、この巨匠2人が「不倶戴天の敵同士」だったという「誤解」を払拭し、むしろ両者の協働によって戦後のミステリ史は成立していることを示すことにある。 本書の卓抜な点はその構成である。葬儀の場面の後、戦後へと時代をさかのぼり、そこからすべてを書き起こすのだ。すると読者の眼前に現れるのは、戦前と違って通俗小説以外の本格的な作品を書かなくなった乱歩の姿。その代わりに抜群の事務能力と人望、財力によって推理作家を束ね、比類のないカリスマを発揮する。乱歩を頂点とする推理作家たちのひしめく群像劇が、本書の最大の読みどころである。甲賀三郎の立場を引き継いだ乱歩と木々高太郎の間で交わされた有名な「探偵小説芸術論争」もその一場面として読み直せる。 一方、戦争直後の清張はいわば丸腰で、苦しい生活と貧しい家族に縛られながら、作家になる気配すらまだない。つまり、小説を書くのが実質難しくなった乱歩と、一文字も書いていない清張をスタートラインに置いて、そこから戦後の日本ミステリ史を書き起こそうとする試みなのである。 その清張がやがて筆を執り、駆け足で大作家の階段を駆け上がっていくと、本書も軽やかに躍動する。著者の筆は時に作品の解釈に深く立ち入り、その魅力を雄弁に語りつつ、清張文学の本質について平易に解き明かす。本書を通じ、乱歩がなぜ清張を日本推理作家協会理事長にぜひにと推したのか、清張にとって乱歩がどんな大切な作家だったのか、思わず膝を打つように納得させられる。 明快で読みやすく、読書案内としても大いに役立つ一冊である。 |