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人並由真さん
平均点: 6.32点 書評数: 2036件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.496 6点 十三の謎と十三人の被告- ジョルジュ・シムノン 2019/03/04 19:59
(ネタバレなし)
 1929年から30年にかけて執筆されたシムノンの初期作品で連作短編ミステリの三部作「13(十三)シリーズ」、その二作目と三作目をまとめたもの(第1作『13の秘密』は創元推理文庫からほぼ半世紀前に既刊)。
 そういえば『十三の謎』の主役探偵「G7」は、大昔の少年時代にどっかの某・新刊書店で、古書ではない売れ残りのポケミスのアンソロジー『名探偵登場』の第6集を買って「シムノンの作品だけど、メグレじゃないの? 誰だこれ?」とか何とか思ったことがあったような気がする。評者みたいなジジイのミステリファンにとっては、そういう思い出のキャラだ(笑)。

 内容の方は一編一編の紙幅が少ないものの、(本書の巻末で瀬名秀明氏が語っているとおり)シリーズの初弾『秘密』から本書収録の『謎』『被告』と順繰りに読んで行くにつれて、初期のシムノンの作家としての形成が覗けるような体感がある。評者はたまたま数年前に『秘密』を初めてしっかり読んだんだけど、その印象が薄れないうちに本書(『謎』『被告』)を通読できてラッキーだった。普通の? パズルストーリーからシムノンらしい作家性の萌芽まで、三作の流れにグラデーション的な味わいがあってそれぞれ面白い。どれか一作といえば、「ホームズのライヴァル」の時代の連作ミステリ的な結構のなかにチラチラシムノンっぽい香りが滲んでくる『十三の謎』が一番よかったかな。「古城の秘密」の王道ミステリ的などんでん返し、「バイヤール要塞の秘密」のなんとも言えない無常観、「ダンケルクの悲劇」のそういうのあるのか!? という幕切れ。それぞれが味わい深かった。『被告』の方もバラエティ感があって悪くないけれどね。
 
 ちなみに前述した本書の巻末の解説は、いま現在、日本で一番シムノンに愛を傾けているであろう作家・瀬名氏による書誌資料的にも貴重な記事で、読み応えたっぷり。これだけでも本書を手に取る価値はあろう。「メグレ前史」の四長編(シムノンがペンネームを確立する前に別名義で書いたという本当の意味で初期のメグレもの。カーのバンコランの『グラン・ギニョール』みたいなものか? 向こうみたいに後続作にリメイクされたかどうかは知らないが)、ぜひ翻訳してください。
 まあ、今のミステリファン内のシムノン固定客の掴みぶりを考えるなら、黙っていても数年内には邦訳刊行されそうな気もするが。

No.495 6点 ダイヤルMを廻せ!- フレデリック・ノット 2019/03/03 03:29
(ネタバレなし)
 同名のヒッチコックの映画版で日本でも著名な、1952年に英国で初演されたオリジナルミステリ劇の戯曲の邦訳。巻末に質量ともに素晴らしい町田暁雄氏の解説がついているが、それによると今回の翻訳は、改訂が加えられた1953年の米国版をベースにしたそうである。

 本書を読む前に復習にと思い、実にウン十年ぶりにヒッチコックの映画版を視聴した。結局、その原作となるこの戯曲版のストーリーは映画と8~9割方は同じなので、内容的には再履修するような感じであった。読みながら当方が気がついたわずかな異同は、ほとんど、より緻密に愛情を込めて巻末の解説で言及されているし、読者としては立場がない(笑)。
 一読しての印象だけいえば、目で会話とト書きだけの物語を追い掛ける分、色彩豊かな映像や音感での補強がある映画版とはまた異なった凝縮感は得られたが。

 ちなみに前述通り、本当に充実していて教えられることも多い解説だが、あえて重箱の隅で一つだけ(汗)。
 作者フレデリック・ノットは本作や『暗くなるまで待って』などオリジナルのミステリ劇を3本書いたほか、他の作家のいくつかのミステリ小説の戯曲化などもしていたそうである。それでその中のひとつが「トマス・スターリングの小説から脚色した<MR.FOX of Venice>(1959年)という戯曲である。」(巻末の解説そのまま)だそうだけど……スターリングでベニスでフォックス氏といえば、これはもうポケミスから刊行されている『一日の悪(わずらい)』のことでしょう。原題は違うけれど。作品名を書かないことは別段マチガイじゃないけれど、クラシック主軸のミステリファン向けの叢書なんだし、ネタバレにでもならないのならそこまで触れておいた方が絶対にいいよね?
 町田氏の知見の内になかったとしても論創の編集側から、該当の原作に翻訳があることとその邦題くらいは教えてあげてほしかった。まさか知らないワケはあるまいし。

No.494 5点 赤猫- 柴田哲孝 2019/03/02 19:28
(ネタバレなし)
 1996年12月。練馬区で大火事が発生し、現場から71歳の男性・井苅忠次の焼死体が発見された。井苅の死は放火殺人によるものと判明し、さらに現場から、彼の年の離れた妻・鮎子を名乗る女性が行方をくらましていた。鮎子に嫌疑がかかるが、捜査は事実上の迷宮入りとなる。そして20年の時が経ち、同件を担当した今は退職直前の石神井署のベテラン刑事・片倉康孝警部補は、改めて現在の視点から、この事件に取り組むが。

 石神井警察署・片倉康孝警部補シリーズの第三弾。今回は秀作だった第1作『黄昏の光と影』の路線に戻り、またも数十年単位で昭和史を縦断するダイナミズムを披露してくれる。その意味では水準以上の求心力があってとても結構なのだが、そういったタイプの作品ゆえに登場人物の総数も名前が出てくる者だけで60人前後にも及び、物語の錯綜ぶりもハンパではない。『黄昏』はその辺りはもう少しうまく流れを捌いていたと思うし、実際の昭和史とのリンクも鮮やか、何より最後のどんでん返しも決まっていた。今回は同じラインを狙ったのはいいが、いろんな意味で先行編の縮小再生産&消化不良に陥ってしまった感じがある(細部がきっちり明かされない、舌っ足らずな部分も少なくない)。あと結局、作品の中盤で若手刑事の須賀沼が指摘した(中略)の件って、なんの意味も無かったんだよね?
 本編そのものには勢いがあって読ませたけれど、最終的な完成度と新味においてはいまひとつふたつ、というところ。ミステリ的な最後の決着もアレだし。

 片倉と智子さんの復縁関係が一歩下がって二歩進む叙述と、普段は片倉と不仲な今井課長の意外な前向きぶりは良かった(その分今回は、相棒の柳井がいつもより脇に回っちゃった感じもあるが)。

 本シリーズは構想にも取材にも、かなり書き手のエネルギーを必要とするものとは思うが、クリーンヒットすればかなりの傑作ができる可能性は見やるので、今後も読んでいきたい。 

No.493 8点 虚構推理 鋼人七瀬- 城平京 2019/03/01 03:27
(ネタバレなし)
 いや、とっても面白かった。
 <@@>のプリンセスみたいなヒロインが当然<@@>の実在を前提にしながらその<@@>の一種を<中略>するため<中略>という現代的なツールを使い「<@@>なんて<中略>なんですよと」詭弁の物量と機動性で勝負に出る。
 しかもそこで説かれる「推理」は「探偵」役たるヒロインにとって、当初から自覚的な「虚構」という逆説。
 さらにその詭弁論理の戦いの軸には、あのセリフを放った時の京極堂や矢吹駆VSニコライ・イリイチみたいな、主人公と強敵とが対峙する構図があり、その辺の趣向にもワクワク。
 これこそ正に21世紀のエンターテインメントミステリ。

<@@>が普通に存在する世界での、それゆえのロジックを活かしたパズラーそのものは「ダーシー卿」みたいな感じに割と普通に(?)作れそうだが、もしもその世界設定を120%活用しようとするのなら、ここまでやってこそ本物だよね。しかしクライマックスの岩永の「推理」の向こうで、延々と<中略>し合う両人のイメージは、おぞましくも美しい。
 ちなみにAmazonでの、文庫版につけられた版元側の内容紹介を読むと『はがない』『妹さえいればいい。』の平坂センセが本作を絶賛しているそうで、軽く驚きつつも納得して大笑いした。日頃から<中略>上の舌禍に悩まされている作家さんにしてみれば、この作品はかなり痛快だろうしねえ。
 さて新刊を読みましょうか。

No.492 6点 おれの血は他人の血- 筒井康隆 2019/02/26 19:52
(ネタバレなし)
 「おれ」こと絹川良介は中堅企業「山鹿建設」の地方支社、その経理部に勤務する23歳のサラリーマンだ。普段は小心者の絹川だが、一度一定以上に憤怒の感情が高まると意識を失い、周囲の者に際限なく暴力を振るうという特殊な体質の持ち主であった。ある夜行きつけのバー「マーチャンズ」で土地のヤクザ・大橋組の人間を三人、あっという間に半殺しにした絹川は、たまたま同じ店内にいた大橋組と抗争するヤクザ・左文字組の組員・沢村によって、左文字組の用心棒にとスカウトされる。本来は平穏な生活を願いながらも成り行きからその話に応じる絹川だが、同じ頃、彼の会社では秘められた汚職と派閥抗争が表面化。さらにヤクザと警察が通じ合う悪徳の町そのものも次第に素の顔を見せてくる。

 ハメットの『血の収穫(赤い収穫)』にインスパイアされた(らしい)昭和期のノワール暴力小説の名作。作中でも原典の話題がさりげなく登場人物の口から、事態からの連想として語られる。今で言う一種のバーサーカーモードになる主人公の肉体の秘密のネタは半ばタイトルで割られているし、さらに詳しい真実は結構、口の端に上っているので読む前から自分も知っていたが、実際の本文を読むとその経緯(なんで彼が随時そういった凶暴な狂戦士になるか)は作品の後半まで秘められており、ミステリ的にその謎に迫ってゆく流れにもなっていた。だからここでもその辺は書かない。

 たぶん作者がやりたかったことは<『血の収穫』や『用心棒』で賢しく小ずるく二大勢力の激突を誘導・演出したコンチネンタル・オプや桑畑三十郎が、もし流血の抗争の中で、もっとダイレクトに自分の手を血まみれにしたら>という思考実験であり、シミュレーションだろう。言い訳程度に劇中でイクスキューズが用意された超人化についての文芸設定の方は、そんな構想の後からついてきたような気がする。
 地方都市の中で生じる汚職事件に関して、意外にマトモなミステリ(さすがにガチガチのフーダニットとかトリック小説ではないが)になっているのにはちょっと驚いた。
 一方で当時としては酸鼻を極めたのであろう暴力描写や残酷描写は、作者がこの人(長年にわたって日本の文壇をいろんな意味でかき回してきた御仁)ならこれくらいはやるだろうという心構えができてるので、どうしてもインパクトが割り引かれてしまう。いかに作中で人がドバドバ死んでいっても、どっか昭和的なのどかさを感じないでもない。21世紀のイカれたどっかの新世代作家の新作が、当初はほかのジャンルのミステリに思わせておいて、いきなりノワール暴力小説に転調する時の方が(それで効果が上がったら)よっぽどコワいように思える。
 ただ終盤の幕切れ近い箇所でのあるシーンは、チャンドラー的なそっち系のセンチメンタリズムとロマンチシズムを感じないでもなかった。もともとハメットびいきでお気に入りのオールタイム探偵にもサム・スペードを上げていた(<あの冷酷さ>が好きだそうである)作者だけど、妙なところで地が透けたようにも思えた。まあ評者は筒井作品の代表作と言われるものでも未読が多いので、勝手な思い込みかも知れないが。

なお火野正平主演の映画は未見。もしかしたらCSかなんかでだいぶ前に録画して、観ようと思ったまま家のどっかに眠ってるかもしれない(たぶん録画媒体はVHSテープだろうな・笑)。ところで映画の題名は『俺の血は他人の血』なんだな。今回あらためて気がついた。

No.491 6点 キラー・エリート- ロバート・ロスタンド 2019/02/22 21:03
(ネタバレなし)
 政治亡命者の受け入れ・護衛などを任務とする英国政府の諜報工作機関SYOPS。七ヶ月前のある夜、同部署の33歳の青年マイク・ロッケンは、経験の浅い若い同僚エディとともに、チェコからの老亡命者ヴロドニーを護送する任務に就いていた。だが「ハンセン」と名乗るガンマンが警備の隙をついて亡命者と同僚を殺し、ロッケンの左膝と睾丸にも銃弾を見舞った。九死に一生を得て男性機能もどうにか守ったロッケンは、その後現在まで過酷なリハビリを自らに課し、杖を用いての日常生活なら可能なまでに回復したが、前線への復帰は半ば諦めていた。そんな彼の元に、上司であるSYOPSのヨーロッパ地区局長キャップ・コリスから、南米の小国ブワンダから亡命中の元大統領モーゼス・ニオカを護送する任務の打診がある。ニオカを狙う三人の主力の大物テロリスト、その中の一人はロッケンの仇敵、プロの暗殺者であるリカルド・ハンセンだった。復讐の念を燃えあがらせてこの任務を受けるロッケンだが、英国政府のある思惑から、SYOPSの支援はとぼしかった。ロッケンは、凄腕だが高齢のドライバー、パトリック・マッキニー(マック)、そしてコリスが斡旋した若手部員ジェローム・ミラーの3名のみでチームを組み、この困難なミッションに臨むが。

 1973年のイギリス作品。サム・ペキンパーの映画版(1975年作品)が日本で公開されたのに合わせて、邦訳紹介された。
(ちなみに同じ邦題の21世紀の映画、そしてその原作である小説とは全くの別ものなので、注意されたし。)
 
 ニオカ元大統領の警備に際して、英国政府がSYOPSとコリス、ロッケンに対し、人員や体制をまともに準備できないのは、しょっぱなからこの標的が助かる確率が低そうだ、でもそこまで本腰を入れて金や人員を掛けて守るほどの人物でもないな(今風にいうなら、対費用効果に合わない)、というような冷徹な計算があり、政府的には、SYOPSが限られた枠内で要人を守ってくれるならそれはそれでよし、くらいに考えている。こういうグレイゾーンの事態も現実にありそうで、主人公が逆境を強いられるこの辺の設定には妙なリアリティが感じられた。
 そんなわけで、脆弱な味方、強大な敵、というアクションスリラーの王道的な設定にはイクスキューズがはかられた。そのあとの二転三転する展開もなかなか良く出来ている。ニカド元大統領とその気の強い娘フェミを護送してロッケンたち三人が目的地に向かうあたりは、訳者自身もあとがきで語っている通り『深夜プラス1』を思わせる展開でありテンションである。その意味で普通には面白い。終盤の映画的な決着もなかなか心に残る(実際のペキンパーの映画版はまだ未見なので、どうなってるか知らないが)。

 ただ不満もいくつかあって、一番気になったのは、あまりにもこの手の作品のセオリーというか、物語のフォーマット的な流れに倣いすぎていること。そしてあまり詳しくは書けないが、読者(この場合、自分だが)の頭に浮かんだあるポイントへの疑問がうまいことミスディレクションに誘導されず、終盤でああ、やっぱり、という着地点に収まってしまうこと。仕掛けそのものは少なくないのだが、そのある部分においては、読み手をうまく丸め込む目くらましの工夫などが欲しかった気はする。
 それと本作は全編が三人称なのだが、叙述の視点的には最初から最後まで本当に一貫して主人公ロッケンから離れない。これだったら、復讐の念と怒り、さらにロッケンの心に芽生える種々の葛藤も踏まえて、書くべきところはみっちり内面を書きこみ、どうでもいいところやあえて見せない部分は適当に流す、そんなロッケンの一人称で語った方が良かったんじゃないか……とつくづく思った。(この辺は、周辺の編集などでアドバイスしてくれる人はいなかったのだろうか。)

 ちなみにマイク・ロッケンの主役編は続編が書かれて、シリーズ化もされたらしい。作者ロスタンドの作品は日本では本書しか翻訳されてないので、当然ながら続刊は未紹介だが。続編の向こうでの評判はどうだったのか、ちょっと気になる。

No.490 6点 閻魔堂沙羅の推理奇譚 点と線の推理ゲーム- 木元哉多 2019/02/21 15:41
(ネタバレなし)
 2018年に開幕し、その年の内にのべ4冊、新刊を刊行というハイペースのシリーズだが、内容の方はおおむね中高度で安定飛行。ただし収録エピソードの絶対数が少しずつ減り、とうとうこの4冊目では中編二本になってしまった(ボーナストラック的な幕間編が一本ついてるが)。

 一編一編のパズラーとしての質や造りはそんなに変わってないのだから、悪く言えば人間ドラマで水増ししている。まあお話として普通に面白く読めるからいいけれど。
 今年の半ばに行った読者参加の謎解き編も、完成形の形で本書に収録されている。
 恒例だった次回の刊行予定が今回はないのが気がかり。これでシリーズ完結ってことはないよね? できれば年1冊くらいのペースでもうしばらく読みたいものです。

No.489 8点 ギデオン警視と部下たち- J・J・マリック 2019/02/19 03:13
(ネタバレなし)
 大蔵省をバックとする内務省からの指示で、スコットランド・ヤードは予算と人員の見直しを大幅に強いられる事になった。しかし実際の刑事部の捜査現場はすでにカツカツの体制で、捜査部長ジョージ・ギデオン警視は、むしろ100人単位の捜査員の増員と数十パーセントの捜査費の増加を必要としていた。そんな中、警視庁がかねてよりマークしていた犯罪者「うすのろ」ミッキィのもとに向かったギデオン腹心の部下シド・テイラー刑事が、相手一味の罠に嵌って重傷を負った。限られた刑事部の人員で複数の犯罪を追う現状の中、本来は二人で向かうべき現場にやむなくテイラーが単身で赴かざるを得なかった結果だった。官僚として英国政府の顔色を窺う警視総監レジナルド・スコット=マールに対してギデオンはヤードの全捜査員を代表して不満を訴えるが、それは下手をすればギデオン当人の失職か左遷にも繋がりかねない際どい行為だった。そんなギデオンと部下・仲間たちの苦闘のなか、海岸の街では憎むべき幼女連続殺人事件が続発。さらにヤードの捜査陣が手薄だと認めた別のプロ犯罪者たちもわざと混乱を引き起こして警察を攪乱し、計画的な悪事を進めるが……。

 1959年のイギリス作品。モジュラー派警察小説の先駆として名高い、ギデオン警視シリーズの第五作。
 評者が本シリーズを読むのはまだ二冊目だが、今回は予期した以上に、本当に面白かった。
 その年の英国の財政上の方針からスコットランド・ヤードに過剰なプレッシャーがかかり、そのこともあって組織の内外にあれやこれやの軋轢が生じ合う中、並行する複数の事件に対峙するギデオンをはじめとするヤード(と所轄と地方警察の)捜査陣総勢の苦闘と団結が熱い筆致で描かれる。
 特に、重傷を負わされた部下テイラーがこのまま死ねば人員・予算増加の必要を次の会議で主張しやすくなるとギデオンの心に一瞬だけ悪魔の考えが芽生え、次の瞬間それは人間として恥ずかしい思いだと自己嫌悪に陥る彼の内面描写など、ため息の出るような感じで読まされる(ギデオンの思考は一見、あまりに非人道的だが、現在の彼とヤードはそこまで追い詰められている最大級の苦境なのだ! そのように思いを寄せるなら、ギリギリの所で自分の弱さを自ら恥じるギデオンのキャラクターが実に好ましい、涙ぐましい)。
 慣れない腹芸を試みながら警視総監と渡り合おうとするギデオンの苦闘そのものも緊張感に満ちているが、彼を内助の功で支える妻ケイト、総監と内務省に声をあげるギデオンの無謀ともいえる訴えを英雄視する子供たちや若手警官たち(ギデオン当人は自分をヒーロー扱いされることなど特に望んでもいないのだが)、さらにはテイラー刑事の敵討ち! とミッキィ逮捕のため危険な任務に志願する警官たち……それぞれの描写も味わい深い。ギデオンと反りの合わない中堅刑事のトマス・リデル主任警部の扱いにもニヤリとした。
 そんな起伏豊かな群像劇に加えて、ほぼ同時に並行して進行する三つ四つの事件の進展と決着も立体感のある筋運びを披露。特にそのなかのある事件と別の事件の関係性(ネタバレ回避のため詳述はしないが)がかなり巧妙に配列されている。うん、これはまぎれもない傑作。

 それでちょっとここで、評者の思い出話になるが、以前に作者マリックは1950~60年代に来日し、日本版EQMM(現在のミステリマガジン)の歓迎・座談会記事に出席したことがあった(もちろん評者はずっとのちに、古書店で購入したバックナンバーでこの記事を読んだのだが)。
 その座談会の場でマリックは同じ多作家のシムノンをライバル視したらしく、列席した都筑道夫を相手に「シムノンは私より著作の冊数は多いが、一冊一冊の紙幅は薄い」という主旨の諧謔を語った。この発言に対してムッとなったシムノンファンの都筑は、自分がまとめた座談会記事の地の文中で「しかしあなた(マリック)は一冊一冊をシムノンほど苦しんで書いてはいないだろうと、その場で言い返したかったが、とりあえずやめておいた」と憤慨の念を書いていた。評者自身も当時からメグレファンの末端にいたつもりだし、これは都筑の勝ち、とその記事を読んだ時は思い、同時に軽口めいた物言いをしたマリックにちょっとだけ悪印象を覚えたものだった。
(まあ、さすがに21世紀の今になっては、しばらく前にシリーズの最初の一冊『ギデオンの一日』を読んで普通に面白かったくらいに、その辺の反感の念はさすがに希薄化していたのだが。)
 ただ今回、本書を読んで、ここで初めて目からウロコが落ちたというか、やっぱりマリックはマリックでスゴイ作家だったのだ! と改めて実感した。結局、作家は作品でものを言い、読者はその実績や良し悪しをそれぞれの目で各自なりに受け止めるべきなのである。

 ギデオンシリーズは初期8冊までの翻訳があり、当然評者の場合はあと6冊の未読編があるワケだが、本書以上に面白い、読み応えのある作品がなくても仕方がない、渾身の一作がコレ(本作『~部下たち』)だったとしても無条件で納得する、とまで現状では思っているくらいである(もちろんその予断が裏切られるなら、ソレはソレで幸福なワケだが)。
 この作品はそれくらい良かった。9点でもいいかな。

No.488 5点 殺しの接吻- ウィリアム・ゴールドマン 2019/02/17 22:10
(ネタバレなし)
 一人暮らしの成人女性を次々と殺害し、被害者の額に口紅で悪趣味なキスマークをつけていく謎の連続殺人鬼がマンハッタンに出没する。事件を追うのはユダヤ系で34歳の独身モーリス(モー)・A・ブランメル刑事。少年時代に顔に火傷を負い、口さがない母親フローラからは、外科医として成功した兄フランクリンと何かと比較されて劣等感を抱いている男だ。そんなモーリスのもとに、自ら殺人者を名乗る男性から電話がかかってくる。相手は犯人しか知り得ない情報を語り、モーとの絆を求めた。それでも犯人の正体も不明でさらに凶行が続くなか、モーリスは眼鏡の若い女性セアラ・ストーンと親しくなるが……。

 1964年のアメリカ作品。ロッド・タイガー主演の同題の映画は日本のミステリファンにもカルト的な人気のようだが、評者は未見(汗)。
 ただしゴールドマンファンで熱い情熱を込めた解説を書いている作家の瀬名秀明氏によると、映画は小説を大幅に改変というか逸脱、ゴールドマン自身も映画の出来に不服で、瀬名氏の評も<映画も良いが、原作の方がさらに素晴らしい>ということらしい。

 そういうわけで本書は単品のミステリとしても普通に楽しめるだろうと期待して手に取った。が、う……ん、小説の作り方がいかにも映画のシナリオ的に見せ場を放りこんでその場面場面のテンションは盛り上げて、あとはそれぞれのシーンの連続性を読者の感性に委ねた感じ。要するに散漫で、ベクトル感がもうちょっと欲しい。ただし工夫している点もあり、各シーンの被害者の最期を途中からきっちり書かず、報道記事の転載でその顛末や細かい情報を語る省略法の見せ方など効果を上げている。
 それで瀬名氏が激賞の、映画には反映されなかった小説独自のラストだけど、こっちは狙いは分かるものの小説としての書き込みがさらに大雑把で、盛り上げる演出に失敗した感じが強い。
 この時点でゴールドマンの小説作品は5冊目だったというが、先述した前半からの不満も含めてまだまだ習作時代の一冊という印象も受けた。少なくとも本書の10年後の『マラソン・マン』はその点ではちゃんとしっかりした小説になっている。もうちょっと狙いを際だって活かせたなら、ニーリィの秀作みたいな感じになったかもしれないのだが。
(ただし映画を観てからまた再読したら、小説独自の良い面がそこで改めて見えてきて印象が変わる可能性もあるかもしれない。そんな一抹の希望を偲ばせる作品ではあるが。)

No.487 6点 尼僧のようにひそやかに- アントニア・フレイザー 2019/02/17 15:32
(ネタバレなし)
 「私」ことジマイア・ショアは、英国の放送局「メガリス・テレビ」の人気インタビュアー。ジマイアはその日の朝刊で、かつて少女時代を送った聖エレナー修道院の中で、学友だった修道尼シスター・ミリアムことロザベル・メアリー・パワーストックが変死したことを知る。ロザベルは元ロンドン市長だった大富豪の令嬢で、財政上の事情から運営困難になっていた聖エレナー修道院もパワーストック家の資産として買収し、所有する立場だった。もともとロザベル=シスター・ミリアムは、篤志から修道院関連の資産を修道院側に寄贈し、今後も修道院が存続するように取り計らう予定だったが、最近になって何故か心変わりし、その判断に迷いを見せていたという。そんな中、修道院の老院長でジマイアとも旧知のマザー・アンシラがジマイアに連絡を取り、生前のシスター・ミリアムが、自分の真意はジマイアが知っていると告げたという。ジマイアは長い年月を越えて懐かしの場に戻るが、そこで彼女を待っていたのは更なる思わぬ事件と、そして謎の顔のない怪人「黒衣の尼僧」の暗躍だった。

 1977年作品。21世紀の日本ではほとんど忘れられた、キャリアウーマン探偵・ジマイア・ショアシリーズの第一弾。
 当時はポケミスの帯に「エレガントな新本格派!」という惹句をつけて刊行されたが、今で言うならコージーミステリとでもいうことになるのか。(実は自分はオッサンのミステリファンなので、1990年代辺りから? よく使われるようになった「コージー派」というのは今ひとつよく分からないのだが。物語の舞台となる場の日常描写にも比重を置いた、ライトパズラーとかそんな感じ?)
 
 主人公ジマイアは40歳前後の美人。真面目で温かい心根の女性だが、30歳の時に現在ではメガリス・テレビの社長になったサイ・フレデリックスの愛人となって出世のチャンスを掴み、その10年後の今は下院議員で同じく妻帯者のトム・エイミアスと恋愛関係にある自立した女性。21世紀の今ならハヤカワミステリ文庫をはじめとしてあちらこちらにいそうな海外ミステリ・ヒロインの設定だが、40年前ならそれなりに新鮮なキャラクターだったんだろうな。
 ちなみに裏表紙の帯部分では「P・D・ジェイムズをはじめとして、数多くの人に新鮮な衝撃を与えて」とあるので「ホホウ」と思ったが、巻末の解説をよく読むと、ジェイムズは単に「修道院というのは、多様な登場人物を一箇所に集められる良質の舞台装置である」くらいのことをこの作品について語っただけのような……。例によってハヤカワのJARO案件だな(笑)。
 とはいえ1970年代後半に、黄金時代のミステリ風の物語装置を設け、そこでゴシックロマンっぽい謎解きを展開する筋運びそのものはなかなか楽しい。多様なシスターたちのなかから、当初は地味に思えていたあの人がのちに意外な活躍を見せたり、意外な顔を見せたりする、その辺のキャラクター描写も小気味よい。
 はたして謎解きミステリとしては水準作~佳作レベルだが(フーダニットとしては凡庸)、終盤のいくつかの意外性とこなれのよいストーリーのまとめ方は好印象。物語後半、クリスティの『ナイルに死す』の話題が(ネタバレはなしで)チラリと出てくるのも楽しい。修道院内でバザーが開かれ、修道尼が宗教本といっしょにクリスティーの古書を何冊か売る描写もある。当然ながら売れるのはクリスティーの方ばかりのようで、その辺も愉快。評点は0.5点くらいオマケ。
 最後に、作者フレイザーは英国史の研究家として、日本でも著名。本作中にもそれっぽい蘊蓄が随所に登場する。

No.486 5点 黒い墜落機(ファントム)- 森村誠一 2019/02/16 16:44
(ネタバレなし)
 昭和五十×年二月十×日。その夜、自衛隊の最新鋭戦闘機F-4FJ・機体番号416号機が日本アルプスの山中に墜落した。周辺には、平家の落人伝説が残るものの今は過疎化した山村「風巣(ふうす)」があり、当夜は13人の土地の老人、現地の民宿を手伝う訳ありの若夫婦、そして物好きといえる男女5人の宿泊客が集っていた。実は、墜落した416号機には自衛隊の存亡を揺るがすほどの重要機密が秘められており、墜落事実の隠蔽を図る自衛隊の特殊レインジャー「サルビア部隊」は風巣にいる老若男女20人全員の口封じを図るが……。

 元版は1976年2月に光文社のカッパ・ノベルスから刊行。
 一言で言えば、バグリイの傑作冒険小説『高い砦』の森村誠一版。
 敵側の設定は70年代左翼の森村が自衛隊の暗部をひたすら強調し、徹底的に悪役(と相応に道化)に書いた感じで、まあいかにもこの人っぽい。それで先駆作の『高い砦』では、窮地に立った面々の中からぶっとんだ反撃案が提示・実行されて作品の評価を高めたが、本作ではそれに代るものとして、死の危機に立たされた主人公たちに(中略)という逆転手段が用意されている。

 ネタバレを警戒しながらできるだけ曖昧に書くけれど、元版のカッパ・ノベルス刊行時に確か当時の「幻影城」のレビューでその辺を「あまりにリアリティがない」とか「ご都合主義」だ? とかなんとかの主旨でクサしていた記憶がある。要はそういう設定というか文芸である。
 いや、ソレは確かにくだんの書評氏の憤慨もわかるな、と思う一方、同時になんかちょっと、良く言えば少年マンガ的に面白そうな趣向に思えるものだった。それでそれからウン十年、いつか読んでやれと思いながらようやっとこのたび手にしたワケである(笑)。

 まあそういった本作独自の趣向を踏まえた主人公側の反撃&サバイバルは「あー」と呆れる面もあれば、おや、なかなか面白い球の放り方をしている!? と感心したりとか、感慨はこもごもであった。
 ただまあ全体としては『高い砦』の格調には到底及ばない、B級の山岳生き残りスリラー。さらにイデオロギー面では作者のルサンチマン蔓延の一冊という感じである。つまらなくはないけれど、森村作品に随時感じる、いかにも偽悪的、厨二的な感覚も何つーか……であった。終盤の事態が決着したのちの、運命の神を気どるかのような作者の筆使いもいやらしい。
ただしラストは「あー、そういうクロージングで来るか」と、印象的ながらどっかのんきな感触であった。この部分に限っては、キライじゃないかも。

 6点にしてもいいけれど、種々の減点要素にこだわって、この評点。

No.485 7点 リキデイター- ジョン・ガードナー 2019/02/14 12:22
【途中まで・ネタバレなし】
 1944年8月のパリ。20代半ばの英国軍人ブライアン・イアン・オークス軍曹は、ナチスに殺され掛かっていた友軍のジェームズ・ジョージ・モスティン少佐を偶々見かけ、敵兵2人を射殺して上官を救う。それは全くの偶然でラッキーな成り行きだったが、モスティンは大いなる勘違いでオークスに天性の戦士・殺人者の資質を認めた。やがて1956年、英国特別保安部の次長に出世したモスティンは、暗殺任務を含む特殊工作員を補充する必要から、ボイジー・オークスの名で市井で商売をしていた戦時中の命の恩人を部にスカウト。オークスを工作員として養成し、「L」こと「リキデイター(粛清者)」のコードネームを与えた。だがモスティンの錯覚から一流のスパイの器だと評価されたオークス当人は、実は1963年の現在まで内心は臆病で自己保身にのみ長けており、指示された暗殺任務は上層部にナイショで下請けの殺し屋「グリフィン」に委託して済ませていた。こうして順当にニセの実績を積み、一方で女性関係だけは盛んなオークスは<有能だがマイペースなプレイボーイスパイ>との評価を募り、内務規定で交際が禁じられている保安部の内勤女性スタッフともイチャイチャ。今度の休暇でもモスティンの個人秘書で25歳の赤毛の美女アイリス・マッキントッシュとお忍びのデート旅行に出かけるが、その旅先のコートダジュールでは、思わぬ事件が彼を待っていた。

 1964年のイギリス作品。作者ジョン・ガードナーといえば、評者にとっては、何をさておき『裏切りのノストラダムス』に始まるハービー・クルーガーものの正編三部作(最高!)であり、モリアーティのパスティーシュ路線だが、他にも新作007やノンシリーズの諸作など実にテリトリーが広い。20世紀後半の英国で最大級の職人ミステリ作家の一人だったといえよう。そんなガードナーの出世作となった「ボイジー・オークス」シリーズの第一弾が本書。
 内容はあらすじで一読判明のように完全に、当時隆盛だった007のパロディもの。冒険スパイ小説版シュロック・ホームズといえばわかりがいい。物語の冒頭、相手の勘違いから当人の才能以上に株を上げてしまったオークスの大設定は、ポーターのドーヴァーシリーズの諸編(アノ作品とか)を思わせる愉快さがある。
 一方で純然たるコメディユーモア作品と見るには(作品ジャンルの性質上しかたないとはいえ)人が死にすぎるのが読み手のストレスではある。そもそも自分の手を汚さず、女性の標的をふくむ暗殺仕事を他人に代行してもらって心の平穏を保つ主人公って、そういう意味で倫理的にどーなの? 己の心に爪を立てながら哀しみをこらえて引き金に力を込めるキャラクターの方が、よっぽど感情移入できるよ、とも考える。
 とはいえまあこの辺は、本作の狙っているものが明快なスパイコメディではなく、平凡な人間が現実世界でボンドみたいな立場にもしも就いたらいろいろといびつな軋轢が生じるよね、というスパイ小説(その意味では冒険スパイ小説もエスピオナージュもまとめて)総体へのエスプリでありサタイアだからなのだろう。
 その点は実は作中のオークス自身も自覚? があるようで、ポケミス66ページ、リチャード・ハネーを話題にしてくる相手に対し、ジョン・バカンなんかもう古いですよ、と言わせている。自分はもうフレミング、ボンドみたいな世界の住人だ(そういう素性で設定で、そんな時代に生まれた宿命の主人公なんだ)と訴えているわけで、この辺のメタ的な諧謔はなかなか楽しい。
 だから本作は一見、軽ハードボイルド風の口当たりの良さを備えながらも、それなりに高い目線で物語を綴っている、ともいえる。そう考えれば、中盤からの(中略)な展開なんかも作品としての必然的な仕様なんだろうね。

 ただまあ、日本でシリーズの翻訳が中絶しちゃったのは、仕方がないかな、とも思った。たぶん当時の日本の大半のミステリ読者は、前述のように「笑えるならストレスなくストレートに笑える、人が過剰に死ぬこともなく、主人公にいろんな意味で責任を問われることがない」そんな形と質が合致した快適な味わいこそを、多分この(主人公の設定の)シリーズに求めてしまっていたんだろうから。
(それでもこのポケミス版の本作は、少なくとも再版までは行っているんだけど。)





【以下、ちょっとだけネタバレ……になるかも?】




 ……とかなんとかアレコレ思いながら読み進んでいたら、作品の終盤、ミステリ的に「え!?」と驚かされた。いやコレはあんまり言わない方がいいだろう。スパイ小説のメタ的なパロディを当時ながらにあれこれ仕込んで作品を築きながら、そこで……を仕掛けてくる手際は、予想外に良く出来た一冊であった。どういう手でジャンルパロディを紡ぎ続けるかな、とそっちの方ばっかりに気を取られていると、最後の方で思いがけない背負い投げをくらわしてくる。いや、なかなか痛快でありました。多分シリーズ二冊目からはもう引っかからないだろうけど。秀作。

 ちなみに映画はまだ未見だけど、まあこの原作のブンガク的な面白さは拾い上げられないだろうな。ポケミスの解説(編集部の「H」の署名……太田博~各務三郎あたりか?)でもやんわりと、映画版は期待しない方がいいよ、という主旨のことが書いてある(笑)。ただまあ、プロット的なドンデン返しそのものは映画にも活かせそうだから、ソコは気になるけれど。

No.484 5点 朝比奈うさぎの謎解き錬愛術- 柾木政宗 2019/02/13 16:16
(ネタバレなし)
 「僕」こと望月迅人(はやと)は、警視庁の敏腕刑事である美人の姉・弥生から財政的な支援を受けながら、流行らない私立探偵稼業を続ける25歳のイケメン。彼は殺人事件の現場に関わるごとに、冤罪の疑いをもたれやすい「もたれ」体質だった。だがそんな迅人がある事件で知り合った、今は女子大生の美少女・朝比奈うさぎ。ストーカーとして迅人を追い回す彼女こそは「彼が自分を愛してる」という論理を強引に肯定させる時にこそ、驚異的な推理力を発揮する名探偵だった。

 お騒がせの処女作に続く二作目。書下ろしで刊行された、全4編の連作中編集。今回は良くも悪くも赤川次郎風の、ライトパズラーのキャラクターものになった。罪のない? ストーカー少女探偵というコンセプト(とインパクト)は、同じ2018年に先に辻堂ゆめの『片想い探偵追掛日菜子』が出ちゃったしな。ちょっと遅かった(向こうのヒロインが惚れる相手は毎回変わるが)。
 ラブコメとしてはフツー、この手のミステリとしてはまあボチボチであった。エピソードの配列にちょっと工夫があるのはいいか。
 主人公トリオそのもののキャラクターは悪くないと思うので、次回は何かミステリ的な大仕掛けのある長編作品に登場させてくれればいいかも。まあそういうものを組み立てるコトこそが、難しいのだとは思うけれど。

(2月14日に追記)
 本文中のうさぎのこの言葉は好き。
「人生にやり直しなんてありません! 先に見えるのがただの真っ暗でしかなくても、ずっと進むだけなのです! あなたもうさぎも……誰だって、やりきれない思いがあったとしても……それに気付かないふりをしてでも、いくしかないのです!」
 強い、いい子だわ。

No.483 5点 100%アリバイ- クリストファー・ブッシュ 2019/02/13 13:21
(ネタバレなし)
 その年の三月初旬のある水曜日の午後7時過ぎ。英国のシイパロ地方で、独身の金持ちであるフレデリック・リュートン老人が自宅で刺殺される。地元の警察はリュートンの使用人ロバート・トレンチと名乗る人物から事件発生の電話を受けて現場に向かい、死体を確認した。だがその直後、トレンチ本人が帰宅。自分は事件発生と思われる時間に離れた駅にいて、電話した覚えもないという。やがて被害者の意外な素性が浮かび上がり、一方でロンドン警視庁のジョージ・ワートン警視は「100%のアリバイを持つ者こそ逆説的に怪しい」との信念から周辺の容疑者を洗うが、捜査は難航した。ここでワートンの友人で、アマチュア名探偵でもある著述家ルドヴィク・トラヴァース(本書での和名表記)が事件に介入するが。

 評者にとってブッシュ作品は、21世紀の新訳2冊を経て3冊目。20世紀の旧刊(翻訳)では初めて長編を読んだ。少し前に読んだジョン・ロード作品の長編二冊みたいに、捜査陣の登場人物それぞれがひたすら事件解決に向けて動く作劇は、骨っぽいミステリという感じでなかなか気持ちよい。ポケミスの90ページでワートン警視が容疑者の嫌疑の度合いをいくつもの要素から整理し、クロスレビュー風の表組みを作る辺りにもニヤリとする。

 大時代ながらハッタリが効いたなかなか魅力的な作品タイトルだが、肝心のアリバイトリックは、これが本当に1934年の作品? <ホームズのライバル>時代の凡作ネタという感じで、30年遅いんでないの? という印象だった。まあその辺の弱さは作者自身も心得ていたらしく、終盤で作中人物に「そんな陳腐な手で」といった主旨の感想を言わせている。刊行当時にしてレトロなクラシック調のミステリだったと思いましょう。

 一方で、本作の大きな賞味ポイントは最後のある小説的な創意なのだが、これって当該人物にとって、偶々うまくいっただけだよね。まあ妙なリアリティは感じないでもないけれど、21世紀の現代なら絶対に追求の手段がいくらでもあるだろう。
 あとケレン味いっぱいのプロローグが、最終的にあまり演出効果として活きなかったのは残念。もちろん謎解きミステリ的にどういう配置で用意されたものだったかは分かるけれど。
 くわえて、終盤で真犯人に的を絞ったトラヴァースのある作戦はお芝居的には面白いけれど、これもリアルなら、向こうはまず間違いなくその狙いに気づくだろうな。都合良すぎる展開と笑うか、まあクラシックの微笑ましさでいいじゃないかと受け入れるか、ちょっと微妙なところ。
 それと重要なこととして、検死医があくまで医学的な検分で、被害者の死亡時間を分単位で推定するけれど、そこまでの厳密さはいくらなんでもありえないでしょう。検死技術が確立されてきた黎明期で、当時の作者ブッシュ的にはそういったレベルまでに絶対的な、司法科学への強い信頼があったのだろうかね。

 なお森下雨村の翻訳は恐る恐る読んだが、警戒の念をあらかじめ強めていたこともあって、思ったほどは読みにくくはなかった。登場人物のカタカナ表記が始終、ページによって異同が生じていたりする(チャアリーだったり、チヤァリーだったり)のは苦笑ものだったけれど。

No.482 6点 容疑者たち- 富島健夫 2019/02/12 18:00
【レビューの前半はネタバレなし・あと、最後まで読んでも、真犯人の名はここでは明かしません。】
 若手エリートサラリーマン・工藤順平の妻で、自身も証券会社のOLであるさち子が、ある夜、自宅で何者かに殺される。さち子は死の直前、結婚前から関係を続けていた文学青年崩れの雑文書き・沖津守と情交したばかりのようだった。順平と沖津に加え、順平に棄てられてさち子を逆恨みしていた夜の女・山崎節子、工藤家の隣人の病身の学生・宮崎新次郎、この4人の中にさち子殺害の真犯人はいる!? そう捜査陣は目星をつけるが……。

 青春恋愛小説および官能小説の両ジャンルで昭和の文壇に名を残した作者が、作家生活の初期に一時期書いていたミステリが4長編。その最後の一冊にあたる作品である。
 冒頭、アイリッシュの『幻の女』を思わせる書き出しで始まり、「加害者」と表記された性別不明の犯人がさち子を絞殺する場面がそれに続く。二部構成の小説本編は、名前の出てくる7人の登場人物の事件前とその後の関係性を追っていくが、最後は本当に素直に読んでいくとあっというクロージングで終る。

【以下、ネタバレ。本書の大きな趣向を明かします。
 あと、老婆心で甚だ恐縮ながら、ネタバレ警戒の人は、過去の江守さんのレビューも読まない方がいいかも……(汗)】



 本文中では結局犯人が明かされないまま、捜査陣の立場からすれば迷宮入りという大反則技で終る。東野圭吾の某作品の先駆といえる? 趣向で、当時の「週刊朝日」の匿名書評子は賛辞したらしいが、一方で平野謙などは「邪道だ」と切って捨てたらしい。
 こういう作品だからシンプルな事件と物語の構造だが、1983年の徳間文庫版の解説で中島河太郎が書いているとおり、何回か正体不明のままに出てくる「加害者」の内面の叙述を読めば、真犯人は(中略……)だな、とわかるような気がする。私見では、徳間文庫版166ページ目の10行目辺りがキーとなるような……。

【以上でネタバレ終り】




 星の数ほどあるミステリの中には、こういう作品があってもいいとは思うし、まだまだ煮詰められそうなところもないではないが、個人的には読んで面白かった。意味があった一冊だった。

No.481 7点 検事 霧島三郎- 高木彬光 2019/02/12 12:43
(ネタバレなし)
 評者の大昔の少年時代は、高木彬光といえば神津主人公のパズラーもののみが主軸で、他の名探偵主人公たちは、当時の趨勢が社会派に移行した際の、今で言う一種の企画もの的なキャラクターくらいにしか思っていない面もあった(でも偶々読んだ『誘拐』は面白かったな~)。
 もちろんそれは後から思えば度外れた勘違いで、後年に読んだ『破戒裁判』も素晴らしかった。ということでイイ年をしたオッサンミステリファンとなった現在、まだ読んでない手つかずの百谷、霧島、近松ものが山のようにあることに人生の幸福を感じている。(墨野は、初期の一冊だけが未読。大前田は……どうなんだろ。『狐の密室』はさすがに読んだけど。)

 というわけ少し前に古書で非・神津もののカッパ・ノベルスを十数冊まとめて入手。その中の最初の一冊がコレである。
 本作はもともと1964年の「サンデー毎日」に連載。同じ雑誌に長谷川町子先生の『エプロンおばさん』が連載され、その連載中にのちのスピンオフ主人公となるいじわる(意地悪)ばあさんが顔を出していた時期だね。
 それで初の書籍化となるカッパ・ノベルス版の表紙折り返しには「著者の言葉」として
「わたくしはこの作品で、限界状況といえるような一つの恋愛を主軸とし、スリルとサスペンスを基調とした推理ロマンを書きあげようと考えた。あくまで、リアリズムの線をつらぬこうと思ったために、組織暴力、麻薬取引、野ばなしの精神病者、政治の暗黒面など、現代日本社会の病根といえるような、いくつかの現象についても、かなりつっこんだ調査検討をつづけた。」
 とある。いやホント、この言葉に偽りのない、かなりカオスながら独特な力強さとまとまりを感じさせる作品である。さらに言うなら本作がシリーズ第一作となる主人公、二十代の青年検事・霧島三郎を主人公とした青春ミステリでもあるし、検察庁内部を一つの大きな「家族」に見立てた組織を描く職場小説でもある。特に婚約者・龍田恭子の父親が、行方不明で指名手配を受ける殺人容疑者となってしまった三郎の立場は、検察庁内でもすごく微妙になる。検察庁トップの親心で当該事件の捜査権限をもらいながらも、一方で恋人との逢瀬あれこれに制限がかかって孤軍苦悩する辺りは、一匹狼の私立探偵ものの変種的な趣もある(その一方で、検事という立場での権力は良い意味で駆使しまくり、警官を自在に動かす三郎の柔軟さも描かれるのだが)。
 さらに特記すべきは登場人物の多さで、名前が出てきてメモしたキャラだけで70人弱。カッパノベルスで二段組み本文370ページ前後は際だって厚い訳ではないが、殺人事件~麻薬事件~ヤクザと政界の結託、など犯罪の内容が拡散するに従って増えていくキャラクターの物量にはちょっと色を失った。
 そんななかで後々から出てくるサブキャラクター、たとえば恭子の親友で美人とはいえない若い娘・尾形悦子などに、かなり入れ込んだキャラクタードラマ(?)が用意されているのが印象的だった。この辺は作者が書いているうちに当初の自分の構想を越えて感情移入しちゃったんだろうなあ。ある意味じゃ、すごく美味しいポジションのサブヒロインだし。
 
 一方で物語要素を増やしすぎたため、作者が「かなりつっこんだ」というほどのこともなく、やや総花的な叙述になってしまったファクターもまったく無くはない。まあ、著者が「かなりつっこんだ」というのは「(現実の中での)調査検討」であり、作中の描写ではないのかもしれんが。
 ミステリ的には丁寧な伏線の叙述が仇となって犯人は早々に透けて見えるパターンだし、某キャラクターの相応に重要な情報が後出しっぽいのが気になるが、「恋愛を主軸とし、スリルとサスペンスを基調とした推理ロマン」としては十分に読ませる力作だろう。
(ただし第42章の最後の二行……結構、きわどい本音だね。)

 ちなみにまだ一冊しか読んでないわけだけど、このシリーズはたぶん途中から乗り入れず、本作から入った方が絶対にいいと思う。二作目以降、三郎の周辺の描写で、本作のいろんな情報がネタバレになってしまいそうだから。

No.480 5点 恐怖の構造- 評論・エッセイ 2019/02/11 06:40
(ネタバレなし)
 著者・平山夢明の実作はまったく未読なのだが、本書は複数メディアのフィクションにおける「恐怖」や「不安」を解析・考察するとかという内容に興味を惹かれて、読んでみた。恐怖はスーパーナチュラルなものに限らない、無辜の市民としてのアイデンティティを喪失していく『ゴッドファーザー』や『タクシードライバー』なども該当、などという辺りは、割と当たり前過ぎる感じだが、フランケンシュタインの怪物が吸血鬼や狼男と違う点の論考、とか映画『エクソシスト』のフリードキン監督の狂気ぶりの紹介などは面白かった。
 個人的にはもうちょっとフィクションを離れた「恐怖」の観念の分析とかしてほしかった気もする(それなりには著述してあるが)が、創作物の中でのという枠組みの話題だからこれでいいのか。そっちに関心があるなら、心理学の本でも読めばいいのかもしれんし。
 平山作品のメイキング的な部分も多少あるので、ファンの方は読んでみてもいいかとも思う。

 ひとつ気になったのはスティーブン・キングの話題で「キングは『クージョ』(1981年)でバッドエンドをやって、これ(長い小説に付き合ってくれた読者に後味の悪いクロージングを読ませる作法)はよろしくないと懲りた」という主旨の記述があるけれど、それは正しい情報&認識なんでしょうかね。だって1983年のキングのあの作品とか……。

No.479 7点 ポセイドン・アドベンチャー- ポール・ギャリコ 2019/02/11 06:12
(ネタバレなし)
 その年の12月26日。アフリカと南米を巡航してリスボンに向かう大西洋航路の大型客船ポセイドン号。だが8万1千トンの同船は最後の出港の際、日程が不順という事情から、バラスト(船の重しとなる給水)の処置が不十分だった。さらに折悪く、航路の周辺で海底火山が突然活動。その影響で生じた大津波を受けて、当初から安定を欠いていた客船は船腹を完全に空に晒して転覆してしまう。天地が一瞬で逆転した船内が大惨事となり多数の死傷者が出る中で、たまたま夕食時、食堂に集っていた会食仲間「健胃クラブ」の十数名の男女は九死に一生を獲得。一同は徐々に進行する水没の危機を避け、救助隊との接触率が高そうな、高層マンションの高さほどもある最高頂=転覆した船腹を目指すが……。

 1969年のアメリカ作品。映画(旧作の方)は大昔に観ていたが、原作の方はウン十年遅れてようやく読んだ。昔のミステリマガジンで刊行当時の本書を担当した書評子がやはり先に映画を観てしまい、書評が映画との比較ばかりになってしまうので我ながらやりづらい、とぼやいていたことを思い出す。
 実際、床が天井になり、頭の上から備え付けのテーブルや階段が生えていたり伸びていたりするシュールなビジュアルイメージは、さすがに映画の方がずっと伝わりやすい。けれど、やはり小説には小説独自の面白さと読みどころがある。

 今回は元版の翻訳ハードカバーと、全一冊版の文庫を用意し、前者の方で読んだ。そのハードカバーで全380ページの本文中、メインキャラたちの紹介を過不足なくまずは一回済ませたのち、巻頭の30ページ台でクライシスを起こすテンポの良さも最初から申し分ない。
 メインキャラ十数人の扱いが細部で映画と相応に違うということはくだんのミステリマガジンの書評などで知っていた(もちろんここでは詳しくは書かないけれど)が、さらに終盤の6章分の小説独自の厚みにもちょっと度肝を抜かれた。ある意味ではこれは、映画(旧作の方。新作は知らない)を観ていた方が、え、え、え……! と驚かされること必至である。
 パニック小説の先駆の一つだが、同時に良く出来た群像劇で人間ドラマ。特に13章は活字で読んでこそ良い。
そして331ページの、限られた時が迫る中での地の文

 しかしそれでも彼女は死にたくないと思った。

 この何でも無いワンセンテンスが胸を打つ。

 ……しかしギャリコの作品は幅がありすぎていささか掴み所がない面もあるんだけれど(ほかには『ハイラム氏』や『ズー・ギャング』とか読んでるが)、その筆力の高さと相応の屈折と苦みを交えたヒューマンドラマはたぶん一貫しているものと思う。
 本書(旧版)の訳者・古沢安二郎氏はそんなギャリコの作家性を認めて、主だった作品を自分で訳せたことを喜んでいた(1977年のNV文庫版の新規あとがき)が、それって本当に翻訳者冥利だったろうなあ。

No.478 7点 不死鳥を殪せ- アダム・ホール 2019/02/11 05:18
(ネタバレなし)
 1960年代半ばのベルリン。「私」こと英国情報局員クィラーは、半年に及ぶ現地での任務を終えて帰国の途に就こうとしていた。しかし「不死身」の異名を取る同僚KLJ=ケネス・リンゼイ・ジョーンズが殺害され、その任務を引き継ぐよう指示が下る。命令を拒否しようとしたクィラーだが、KLJを殺したネオナチス集団「フェニックス」の黒幕に、元ナチス軍人ハインリッヒ・ツォッセンがいると知った彼は考えを変える。ツォッセンこそは、21年前の大戦中、潜入工作員としてドイツ内のユダヤ人収容所からの救助活動を行っていたクィラーの前で無数のユダヤ人を虐殺した最大級の仇敵だった。クィラーは西ドイツ内のナチス戦犯摘発組織「Z警察」を動かし、考えあって逮捕保留にしていた旧ナチスの面々を続々と検挙。「フェニックス」に揺さぶりをかけるが、敵組織も反撃の牙を剥いてきた。

 MWA最優秀長編賞を受賞した、英国の1965年作品。未訳を含めて長編が20作前後書かれた英国情報局員クィラーシリーズの第一弾。評者は大昔からランダムに何冊か楽しんでいるが(現状で、私的な最高傑作は『暗号指令タンゴ』。シリーズキャラクターのスパイものので、あそこまで鬼気迫るクライマックスは、他にあまり記憶がない)、世評からしておそらくシリーズの真打ちといえる本作はようやっと今回読んだ。
 当初、本書がポケミスで翻訳刊行された際に石川喬司がミステリマガジンの書評「極楽の鬼(地獄の仏)」内でつけたクィラーの異名「アタマ・スパイ」は世代人ミステリファンには有名だと思うが、そんな渾名の通り、眼前の事象を即座に解析して考えられる仮想を抜け目なく羅列し、その中から妥当性の高い結論を導き、同時に二の手三の手の予防策を講じていく頭脳派クィラーのキャラクターは、すでにこの時点から確立されている。
 実際、これまでのホール作品も結構読むのにエネルギーを使ってきたため、シリーズの看板作品といえる本作はさぞ敷居が高そうだなーと思って、なんか手を出しにくかったのである(笑)。

 しかし一念発起して今回、読んでみると、最初から頭脳派で冷徹だろうと思っていた初登場時のクィラーは意外なほどにパッショネイトだわ(無辜のユダヤ人を多数虐殺されたことへの復讐心と義憤が行動の核となる)、お話の方も敵組織と牽制し合う作戦の交錯ぶり、敵組織に捕まるくだり、現地ヒロインや大戦中の旧友たちとのなんやかんや……と起伏に富んでるわ、で思いのほか外連味豊か。ページをめくり始めてから一日半でほぼ一気に読み終えてしまった。

 とはいえシニカルでドライな文章&叙述は期待通りに独特の硬質感があり、特に(ミステリ文庫版の解説で訳者の村上博基も触れているのだが)職務として旧ナチの戦犯を生真面目に追うZ警察の青年捜査官に接したクィラーが、20年早く生まれてればコイツは第三帝国のために同じ熱量で滅私奉公してんだろーなと腹の中で思うところなんか容赦がない。この辺はあー、これこそがホールだ、クィラーだ、という感じだね。
 後から今から思えば、この事件はシリーズの一弾目に持ってこなくても良かった、二・三冊刊行されたあとに書かれても良かったクィラーの過去編的なエピソードという気もしないでもないが、半世紀経った今読んで、適度にレトロで十分に普遍的な、そんな面白さだと思う。

 ところで本書の映画版『さらばベルリンの灯』はそのうち観たいと思っていたんだけれど、ミステリ文庫版の訳者あとがき(文庫用の新原稿)では「主役がミスキャスト、脚色も良くない、音楽はいい」とケチョンケチョンである(笑)。まあ原作を読んだ今となっては、何となく言いたいことがわかるような気もするが、実際の所はいつか現物を観て確かめよう。

No.477 6点 犯罪ラブコール―のんびり刑事未解決事件簿- 生島治郎 2019/02/07 16:37
(ネタバレなし)
 暴力団犯罪を担当する警視庁捜査四課の青野純平は36歳の部長刑事。素性だけ聞くとかなりの強面風だが、当人は163㎝と小柄な体格の二枚目だった。だが正義感と義侠心は本人なりに強く、そんな彼のところに大学の後輩でフリーライターのガールフレンド・29歳の牧村容子が、困った人のため、事態を公にしないままにトラブルを解決してほしいと、今日も相談事を持ち込んでくる。互いに憎からず思いながらも恋人関係にまで至らない容子のため、またも面倒ごとに乗り出す純平だが。

 昭和の中学生でも読めそうなラブコメ設定をベースにした全8話の連作短編集で、こういう軽いものも得意とした作者・生島の持ち味が出た作品。こういった作風の幅広さは、弟分の大沢在昌にもそのまま受け継がれている。
 お人好しで窮地の人を放っておけないヒロインと、そんなガールフレンドのちゃっかりした毎回の頼みで、基本的に警視庁にはナイショで非公式に事件を解決(またはそれに近い状態まで持ってく)しなきゃならない刑事、というアイデアは、個人で行動する私立探偵的な足捌きと、警察の捜査権限の利便性との折衷でなかなか面白い。この設定のおかげで、きわめてハイテンポに毎回の事件が進んでいく。
 ミステリとしては原則ライトな感じだが、途中には純平の捜査官というか人間としてのモラルを厳しめに問うエピソードなどもあり、この辺は軽めの作品にもハードボイルドの気概をちょっとは込めておきたかった生島の心意気が覗けて評価が上がる。一冊楽しく読めて、心にどこかちょっと引っかかる、そんな感じの昭和軽ハードボイルド。
 ちなみに今回は集英社文庫版で読んだけど、巻末の解説を書いている清水谷宏という人。あまり聞かない名前だけど、記事の内容が良い意味でファン的でいい感じ。先に自分の好きな海外のハードボイルド作家たちの話題をしたくて、牽強付会っぽく、解説にそれらの件を持ち出してきてるみたいな感じもふくめて、なんか微笑ましい。

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人並由真さん
ひとこと
以前は別のミステリ書評サイト「ミステリタウン」さんに参加させていただいておりました。(旧ペンネームは古畑弘三です。)改めまして本サイトでは、どうぞよろしくお願いいたします。基本的にはリアルタイムで読んだ...
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