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人並由真さん
平均点: 6.34点 書評数: 2199件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.1499 4点 陶人形の幻影- マージェリー・アリンガム 2022/05/18 14:58
(ネタバレなし)
 第二次大戦の戦禍の傷痕がまだうっすらと残るロンドン。陶磁研究家ユースタス・キニットの息子で22歳のティモシー(ティム)は、同じオクスフォード大学に通う後輩の美少女で18歳のジュリア・ローレルと婚約した。そんなティモシーは実はキニット家の養子だった。独身のユースタス、そしてティモシーの母代わりのおばで同居人でもあるアリソンは多くを語らないが、ティモシーは実はユースタスの亡くなった弟の遺児の可能性もあるようだ? ユースタスは自分の出自探しに尽力するが、同じころ、ロンドンの一角の中流~下流階級向けのフラットでは怪事件が起きていた。

 1962年の英国作品。アリンガムの19番目の長編。キャンピオンシリーズだが、彼はほとんど脇役。
 本作の主人公ポジションのティモシー青年が自分のアイデンティティに迫っていく作劇の主題はクリスティーの一部の作品などを思わせるが、並行して語られる事件の猥雑さ、なにかいわくありげに描かれた登場人物のじれったさ(特に名探偵キャンピオンの知人でもある、キニット一族の縁者の酔っぱらいバジル・トーバーマン)など、悪い意味でいつもの後期アリンガム。
 二代に渡る私立探偵一家、現在は三兄弟で連携とか、心優しいがしたたかなティモシーの元子守役のマーガレット・ブルーム夫人とか印象的で存在感のある登場人物もいるが、ごちゃごちゃしたお話にひたすら疲れる。

 それでも眠い目をこすりながら、なんとかティモシーの出自探しドラマに食いついていくと、終盤で忘れていたのをいっきに片づけるようにミステリっぽく転調。作者のマイペースで語られる説明には、読み手は半ばどうでもよくなり、最後は、ああ、やっと終わったとページを閉じた。『葬儀屋の次の仕事』も似たような感じでダメだったけれど、こっちも負けず劣らずダメだ。
 とはいえこーゆーアリンガムを面白いと言っている人もいるみたいなので、ダメなのはこっちかもしれん(苦笑)。
 アリンガムも面白いものはそこそこ楽しめるんだけどな。まあ私には合わなかった作品ということで。

【追記】
 言い忘れたけど、本作は翻訳もかなりひどい。日本語になってない。
「ルークは熟練した眼差しで長々と彼を見つめてから」(P10)
……「熟練した眼差し」って何だよ?
「実用性と使い勝手のよさでは申し分のない、老人にふさわしい家財で溢れる老人にふさわしい家は、几帳面といえるほどの周到さで徹底的に破壊されていた。」(P15)
……。

 調べたら、この佐々木愛って翻訳家サン、私がいつか読もうと楽しみにとってある、あの『悪魔の栄光』(ジョン・エヴァンズのポール・パインもの)も訳しているみたいで(冷や汗)。そっちとは相性がいいことを願うばかりである。

No.1498 6点 目には目を- カトリーヌ・アルレー 2022/05/17 14:46
(ネタバレなし)
 なめし皮工場の経営者で35歳のジャン・ド・フェルラック。美貌の26歳の妻アガットとともに浪費家のジャンは、事業が不順で破産しかかっていた。ジャンは、愚直だが誠実な仕事ぶりで業界に顔の広い45歳の同業者の友人マルセル・ブランカールと、その姉でオールドミスの女医マルトを家に招待し、業務上の便宜を図ってもらおうと考える。だがいまだ独身で女性に免疫のないマルセルの心に、若くて美しい人妻アガットへのひそかな劣情が芽生えた。そんな彼らのなかで、ひとつの殺意が頭をもたげる。

 1960年のフランス作品。アルレーの第四長編(創元文庫巻末の厚木淳の解説では第三長編とあるが、たぶん『死の匂い』をカウントしてない)。
 本文220ページちょっと、主要人物が4人という短めの作品。お話の方もそれに見合ったプロットではあるが、それなりに途中の起伏はあるし、一方で最後まで読み通すと、この内容でよくも200ページ以上も稼いだものだ、さすが(?)アルレーと、妙な感心をしたくなるような内容。脚本と演出がしっかりしていれば、けっこう出来のいい翻案2時間ドラマが作れそうな感触である。

 終盤がどういうベクトルで収束するかは確かに大方読めるが、そこまでの細かい道筋のなかにはちょっと意表を突かれたものもあるし、要は佳作~秀作の初期アルレーで、フランスミステリ。時間はないけれど、何か一冊短めの作品を読んで寝たい晩などには重宝するタイプの作品であった。

No.1497 7点 ハイエナの微睡(まどろみ)- 椙本孝思 2022/05/16 14:54
(ネタバレなし)
 椙本作品はこれで五冊目。読むもの読むもの、作風はバラエティに富んでいながらどれもトリッキィな仕掛けがあって、いかにも新本格作家という感じで好ましい。

 で、この作品はメルカトルさんのレビューを拝見するまでノーチェックだったのだが、あの椙本孝思が警察小説? しかも何かやはり大きな仕掛けがあるらしい? とうかがって、興味が湧いて読んでみてみた。

 リーダビリティはいつも通りに高く、2時間半くらいで読了できるが、ああ……と、クライマックスでは、確かに思わぬ方向から奇襲される感じで驚いた。サプライズがあると当初から裏表紙などで謳っておきながら、それでもちゃんとビックリさせてくれるとは結構なことである。
 プロローグの意味合いが、そういう形で重要度を増してくるのも良かった。

 メルカトルさんのレビュー通り、ミステリのフックっぽい、読者の興味を刺激するような部分が実は……というのがいくつか目につくのはナンだが、そこは広義のミスリードみたいなものと考えましょう。そういう手法は空回りというか腰砕けにも繋がるので、100%首肯はできないが。

 いずれにしろ器用な作家が、これまで手を出したことのないジャンルに挑戦して、うまく成功を収めた感触の一冊。佳作~秀作。

No.1496 7点 六番目の男- フランク・グルーバー 2022/05/15 16:10
(ネタバレなし)
 いまだ、入植した白人の開拓民とインディアン(ネイティブ・アメリカン)との争いが各地で頻発していた19世紀半ばのアメリカ。1861年にテキサス州で起きた「飢餓の砦」の戦いで、陸軍に従軍していた5人の白人が無残な状況での戦死を遂げた。だがその犠牲者のひとりポール・スレイターの息子で、ハーヴァード大学の卒業生でもあるジョン・スレイター大尉は父の死の状況を調べるうちに、当時の「飢餓の砦」には誰かもうひとり、インディアン側に陣営の情報を教えた裏切り者「六番目の男」がいたはずだと確信を抱く。ジョンは当時の関係者、犠牲者の肉親などを訪ねて回り、情報を求めるが。

 1953年のアメリカ作品。
 日本ではポケミスにそっくりな早川の別の叢書「ハヤカワ・ポケット・ブック」(ほんとんど同じ仕様だが、フチの部分が黄色でなく緑である。叢書の整理番号も500番からスタート)の522番として、昭和31年5月15日(あ、今日だ!)に刊行。
 またAmazonの書誌データの表記が不順なので、ここに記しておく。

 大昔の少年~青年時代に、なんだポケミスじゃないのか、西部小説か、でもまあ、あのグルーバーだし、一応買っておくかと、どっかの古書店で購入した一冊。巻末の広告ページに鉛筆で、300円の値段書きがある。
 当時の自分、ありがとう(笑)。

 というわけで、ウェスタンにミステリの要素を盛り込んだ作りということで、結構、ミステリファンにも知られた作品。まあグルーバーのサム&クラッグものも、時代設定は刊行当時の現代ながらウェスタンっぽいものもあるし、評者がまだ未読の『バッファロー・ボックス』なんかもソレっぽいと聞いたような気がする。いずれにしろ、ミステリ作家と同時にウェスタン作家でもあったグルーバーにすれば、双方の要素の融合なんかお茶の子さいさいだったのであろう(どーでもいいが「お茶の子さいさい」って、生まれて初めて使ったような気がするな~笑~)。

 本文は160ページとちょっと薄目だが、中身は主人公のジョンが惨劇の関係者を訪問して回り、そのロケーションごとに起きた事件を並べていくオムニバスに近い構成。話に立体感がある分、なかなか読みごたえは感じた。それで最初の方で登場した関係者がまたのちの話で出てくることも随時あり、そんな人物の出たり入ったりの繰り返しの中でジョンは事件の真相に近づいていく。

 そういう訳でちゃんと長編ミステリとしての構造も備えている。別のミステリファンの感想サイトで、ウールリッチ(の連作短編集風の長編)っぽいというレビューもあったが、自分も読んでる最中に、それは想起した。

 ジョン・スレイターが、よく私立探偵小説にあるような訪問~質問の流れで関係者に接する場合もあれば、いかにもウェスタンらしいガンマンめいた接点で途中の挿話をスタートする場合もあり、その辺のメリハリはかなり面白い。特に後半「飢餓の砦」の事件とは直接関係ない、しかしかなり大掛かりな犯罪計画に巻き込まれるあたりは、当時はこんなことあったのか!? という感じでかなりワクワクハラハラさせられた。
 
 どちらかというとウェスタン小説としての面白さが強かった気もするが、それでも終盤にミステリとしてのどんでん返し&サプライズはきちんとある。まあ評者の場合、カンである程度、読めた部分もあったが。
 
 西部劇映画なんか体系的にほとんど観たことのない評者でもかなり楽しめた一作(逆に、ウェスタンの素人だからこの手のものが新鮮に思えて面白かった可能性もあるが)。前述のようにミステリ部分もそれなりだし、ウェスタン設定の大枠そのものも普通に十分に面白い。
 古書店で安く出会えたり、図書館や知人から借りられるなら興味ある人にはオススメ。
 
 なお映画版(1956年のユニヴァーサル映画作品)のDVDが、廉価で数年前に出た。入手はしてあるが、これは先に原作を読んでから観ようと思ってまだ未見。映画のあらすじを読むとキャラクターシフトなど、相応に原作からの潤色がされているようではある。いい意味で白紙の気分でそのうち、観てみよう。

No.1495 6点 あなたの罪を数えましょう- 菅原和也 2022/05/15 02:49
(ネタバレなし)
「逸脱種探偵」の異名をとる、自分の好きな不可能犯罪しか引き受けたくない、その私立探偵。その探偵の助手を務める大学生の亮太は、探偵とさらにその依頼人の青年・三浦秀人とともに、山奥の廃工場に向かう。三浦はひと月前に海外から帰国したらしいが、その間に彼が所属するサークル「日曜会」の面々がこの山奥の周辺に集結し、そこでキャンプ中に行方を絶ったらしかった。そして亮太たちは、その廃工場の周辺に、無残な連続殺人の痕跡を見つける。


『あなたは嘘を見抜けない』に続く「逸脱種探偵」シリーズ第二弾。

 本作はビル・S・バリンジャーみたいに、二つの別の流れの物語が並行して語られる構成で、とある集団の面々が次々と殺されていく物語が先行してスタート。
 それと交互に絡み合う形式で、亮太と探偵たちのストーリーが同時に進行する。

 悪趣味なまでに残虐な描写がたっぷりの内容だが、その中にちゃんといくつもトリッキィな仕掛けを設けてあるのは、なるほど菅原作品らしい。
 最大の大ネタはどこかで読んだような気がしないでもないが、他の中小のネタとの掛け合わせで、なかなか読ませるものには仕上がっている。
 ただし全体としては秀作や優秀作には至らず、佳作どまりという感じ。細かいツッコミをしたい部分もない訳でもないし。
 それでもひと晩、フツーに楽しめた。シリーズ第三弾がしばらく待たされているので、そろそろ出てほしいとは思う。

No.1494 9点 黒い罠- ホイット・マスタスン 2022/05/14 06:25
(ネタバレなし)
 1950年代のその年。一月後半のある日。メキシコ国境に近いカリフォルニア州のランドフォール岬で「リネカー木材鉄器」の社長ルーディー・リネカーが自宅にいたところ、ダイナマイトで何者かに爆殺される。地元の警察署長ラッセル・ケールドは引退したかつての敏腕警部ローレン・マッコイ(マック)を復職させ、現職時代のマッコイの部下だった部長刑事ハンク・クインランととも捜査に当たらせる。やがて名タッグとして知られた二人のベテラン捜査官は、リネカーのオールドミスの娘テーラの2つ年下の恋人で靴屋の店員の若者デルモント・シェイヨンが、自分たちの結婚をリネカーに反対されたのを恨み、さらにリネカーの財産を狙って犯行に及んだのだと結論を下した。だが地方検事補で検事局の特別捜査官である35歳のミッチェル(ミッチ)・ホルトは、マッコイ警部たちの判断に違和感を覚えて、独自の捜査を開始。やがてホルトはデルモントとは別に、真犯人の嫌疑が濃厚な人物を探り出す。だがホルトが見つけ出した真実は、それだけではなかった。

 1956年のアメリカ作品。
 オーソン・ウェルズが主演男優の一人だったノワール・サスペンス映画『黒い罠』の公開に合わせて翻訳された原作で、地方検事補のホルトを主人公にした捜査もの&社会派ミステリ。

 評者はウェルズの映画は10年ほど前にCSで放映された際に観た覚えがある。映画の技法的には評価の高い作品らしいが、正直、お話はさほどお面白いとは思えなかった。
 それで原作を読むのが映画の後先になったが、映画版の細部はほとんど忘れてるので、ちょうどいい。
 しかし読み始めると、すぐに小説のストーリーは映画とほとんど別ものではないかと思えてきて、実際に小説を読み終えたあとでWikipediaで映画の方の話を再確認すると、やはりほとんど完全に別の内容になっていた。いや部分的に原作の要素を抽出してはあるのだが。
 
 というわけで、あまり個人的に評価できない映画の件はひとまず置いて、純粋に小説だけの感想を言うなら、これがメチャクチャに面白かった&良かった。

 独自に社長殺人事件の捜査を進めたホルトがいったいどんな事実に遭遇したのかは、ここではナイショにするが(割と早く判明するけど)、それ自体はもしかしたら、割とよくある主題かもしれない。
 ただし評者個人としては、話がそっちの方に行くとは思ってなかったこともあって、かなり驚かされた。

 後半の展開も正に王道中の王道という感じではあるのだが、小説の細部にワンシーンのみの印象的な脇役を次から次へと配し、物語の臨場感とリアリティを高めていく作者たち(周知のように、作者のマスタースンは合作コンビ~のちに単独執筆)の手際が素晴らしい。
 50年代のアメリカ社会派ミステリの直球・剛球のような歯応えで、とても充実感を抱いた。

 まあ20世紀の後半~21世紀に、本作のような王道の作劇セオリーに則った感のある作品も多く出ているとは思うので、今さら読んで新鮮味はないと不満を抱く読者もいるかもしれないが、それでも評者などはこの手の作品の新古典らしい、ストレートにど真ん中の剛速球を放り込むような本物の力強さを感じた。
 いちばん近いところで言えば、やはりマッギヴァーンのヒューマン・ハードボイルドドラマ路線か。ただし細部のうまさでは、もしかしたら場面場面によっては、そちらよりもさらに上かもしれない?

 こういう作品に出合えるから、フリで思い付きで古いポケミスを読むのは楽しい。評者ひとりだけかもしれんが? とても満足度の高い一冊。

No.1493 6点 二つの脳を持つ男- パトリック・ハミルトン 2022/05/12 03:45
(ネタバレなし)
 世界大戦の暗い影が次第に濃くなる、1938年末のロンドン。「俺」こと34歳の太目の大男ジョージ・ハーヴェイ・ボーンは、かなりの美人だが売れない若手の映画女優ネッタ・ロングドンと知り合う。失業中だが、母の遺産や戦時債権で食いつないでいた遊民のジョージは、飲み仲間で恋敵であるミッキーやピーターを警戒し、意中のネッタの気を惹くために、彼女に折あるごとに金を貢いでいた。だがジョージを金づるとしか思っていないネッタの真意が透けてみえてきたとき、ジョージの心のなかで、またも、もう一つの人格がはじける。

 1941年の英国作品。
 ポケミスに収録される、ちょっと小味の佳作『首つり判事』の作者ブルース・ハミルトンの弟で、ヒッチコックの映画『ロープ』(例の、全編がほぼワンカットのみのカメラワークの作品)やバーグマン主演のサスペンス映画『ガス燈』、それら双方の原作となった戯曲で知られる劇作家&小説家パトリック・ハミルトン、その第10番目の長編小説。
 ちなみに作者の小説すべてがミステリ系というわけでもないらしいし、一方で自分のメインフィールドとして当然ながら、戯曲も数多く書いている。

 二重人格めいた精神分裂の主人公ジョージが、野心と欲望全開の美人だが、さほど才能もなく大した努力もしない、ほとんど無名の若手女優ネッタに入れあげる。そして彼女と距離を置いてはまた接近するという、その振幅の繰り返しの果てにクライシスに向かう、サイコスリラー兼クライムノワール。
 
 主人公ジョージは第二人格の出現を待たずとも、時折頭が冷えて、タカリ悪女のネッタにもう近づかないようにしようとするが、何かあると物事を自分の都合の良いように考え、お花畑の気分で寄りを戻そうとする。俯瞰的に見れば十分にダメ男だが、その辺は小説がうまいので、ギリギリ読み手も、そんな主人公の弱い心の流れを受け入れてしまう(肯定も共感もしないが)。

 グレアム・グリーンやシモンズが絶賛というのは、例のサンデータイムズのベスト99に選ばれたことも踏まえてのことだと思うが、まあ、読み手をイライラさせながらもなかなか捉えて離さないある種の迫力はある。
 少なくともこの邦訳が出た20世紀の末にも、まだ原作は英国でロングセラーの現役本だったみたいだから(もしかしたら、絶版になったり復刊されたりの繰り返しかもしれんが)、この手のニューロティック・スリラーの名作として殿堂入りしているんだろう。

 主人公ジョージを囲む周囲の登場人物のなかには、相手の真意(ネッタにミツグくん扱いされるジョージを憐れんでいるのか、同じ男として不甲斐ないと思っているのか、あるいは親切そうに見せて実はバカにしてるのか)がはっきりしない者も現れ、その辺の読解は受け手(読者)の観測に託される部分もある。そういう面も含めて、ある種の普遍さが保持される作品でもある。
 
 リアルタイムの大戦前夜~初期の空気が疑似体験できる作品でもあり、こっそりファシズムに憧れ、ヒットラーと寝てもいいなどとうそぶくヒロイン、ネッタの造形はなかなかインパクト。とはいえ、したたかにこずるく美貌と女の武器で泳ぎ回っても、なかなか目指すものに届かないネッタの描写には読み手が、どこか切なさと共感……? めいたものを覚える部分もあり、そこらのペーソス味も本作が長らく読み継がれる所以かもしれない。

 決して、読んで楽しいとか面白いとかのエンターテインメントミステリじゃないんだけど、ある種の充実感は得られた。評点は7点に近い、この点数で。 

No.1492 6点 新本格ミステリはどのようにして生まれてきたのか? 編集者宇山日出臣追悼文集- 評論・エッセイ 2022/05/10 07:31
(ネタバレなし)
 『虚無への供物』の文庫化を為すために編集者に転職し、その後は講談社文芸図書第三出版部の部長として活躍。長い編集者時代に、綾辻、法月、我孫子、摩耶そして京極などの才能を発掘、さらに「ショート・ショートランド」の創刊、メフィスト賞の設立や、叢書ミステリーランドの発刊など、多くの実績を残しながら、2006年に急逝した「新本格の生みの親」「新本格の仕掛け人」「新本格の父」の異名をとる伝説的編集者・宇山日出臣氏。そんな同氏に捧げられた、業界関係者諸氏による、没後16年目の追悼文集(企画そのものは没後15年目の昨年夏に始動)。

 本文記事の追悼文集では70人弱もの作家、出版界関係者の長短の追悼文(それぞれの思い出エッセイ)が並び、さらに逝去直後の弔文の再録、関係者の対談(座談会)などの企画記事が続く。
 
 あまりに情報量が多くて、一読しただけでは消化不良を起こすこと請け負いの一冊だが、ミステリというジャンルを愛し、そして書籍や雑誌の編集作成と、新人作家の育成に精魂を傾け、そしてそんな作業を楽しんだ(苦労された)故人のお人柄と実績は、門外漢の当方にもじわじわと伝わってくる。そんな内容。
(もうひとつ大事なこととして、そんな故人に向ける関係者の方々の思い入れと哀悼の念の集積の場でもある。)
 
 編集者は黒子ですらない、作家性の前で唖(おし)であれと言ったという故人。もちろん職務を放棄し、原稿の推敲や是正をするなという意味ではなく、不要で無意味な編集者の自己主張をするな、という主旨だが、評者などが読んでいて特に心に残ったのは、故人のこの姿勢であった。

 なお宇山氏の並外れた酒豪のほどは、今回はじめてしっかり伺った。
 評者がいちばん強烈だったのは、椹野道流氏が明かされた逸話(本書の239ページ)。唖然としつつ爆笑、そしてそのあと、実際の現場にもし居合わせたら……と余計なことまで考えて困惑の念を深めた。関心があったら、いつか本書の現物を手にとってください。
 
 人生の上で、新本格ムーブメントにはまったく中途半端にしか付き合っていないアレな評者だが、それでも非常に有意な一冊であった。改めて故人のご冥福を、ミステリファンの末席からお祈りいたします。

 とても良い本だったが、ただひとつ不満は巻末の複数の座談会記事の活字の級数があまりにも小さいこと。キャプションみたいな小さい文字が合計40ページ近くも並んでいて、読んでいて目が痛くなった。
 追悼文の本文の級数の大きさをある程度確保しつつ、ページ数総体をそんなに増やせない制約のなか、紙面の割り付けに苦労したのかもしれないが、いずれにしろ、この読みづらさでは元も子もない。
 現状では紙媒体でしか刊行されてないようだけど、いずれ活字を大きく出来る電子書籍の形で出すつもりかね? (それでも紙の本として、これでは困るが。)
 誠に恐縮ながら、この点で減点させていただきます。
(もちろん、故人への不敬の意などは毛頭ないし、本書の企画刊行そのものには、深く厚く感謝いたしますが。)

No.1491 7点 ナイトメア・アリー 悪夢小路- ウィリアム・リンゼイ・グレシャム 2022/05/10 05:57
(ネタバレなし)
 1930年代のアメリカ。地方巡回のカーニバルショー一座に参加するマジシャンの卵、スタントン(スタン)・カーライルは、年上の読心術師で人妻のジーナとひそかな不倫関係に陥る。占星術師のジーナはハンサムで優しい夫ピートを愛してはいたが、アル中のピートは不能になっていた。だが予期せぬ出来事がスタンとジーナの周辺に生じ、さらにスタンは土地の保安官助手に目を付けられた一座を、修得したばかりの読心術の極意で救ったことで仲間たちの英雄となる。そんなスタンは美貌の芸人の娘モリー・ケーヒルと恋人関係になるが、やがて彼らの前には劇的な明日が待っていた。

 1946年のアメリカ作品。
 2021年に公開の新作映画『ナイトメア・アリー』の原作ということで、日本には映画の公開に合わせて発掘翻訳された旧作クラシックノワール・スリラー。
 翻訳権がすでにパブリック・ドメインになっているということだろうが、2020年に扶桑社から、2022年に早川文庫からそれぞれ別の邦訳が出た。版権フリーの旧作の新訳が別々の出版社からほぼ同時に出るのはさほど珍しいことではないが、ズレが生じたのはたぶんコロナの関係で映画の製作~公開時期の予定が変わったためだろう(つまり結果的に、扶桑社の方が映画の公開に比べてフライングの刊行になり、早川の方がちょっとだけ遅めの刊行になったわけだ?)。
 物語の中盤からは、恋人モリーを内縁の妻として一座を飛び出したスタンの野心と欲望が暴走し、持ち前の読心術を悪用した霊媒詐欺師として悪事を重ねていく、ピカレスクノワールとなる。

 評者が読んだ扶桑社文庫版では500ページ以上の紙幅で、結構長い作品である。スタンの詐欺師遍歴が始まるまでもけっこう長いが、開始されてからもまた長い。
 ただし翻訳は平明な上に、ストーリーは小さいエピソードが波状的に語られる流れなのでサクサク読めてしまう。
 途中、メインキャラ同士の関係性に相応の変化があり、状況が変わるまでには彼らの内面で何かそれなりの事情や変遷があったはずなのだが、その辺はたぶんわざとすっ飛ばして話が進む。それでも読み手としてはあれこれ想像で補えるし、そしてそういう小説との付き合い方もまた、独特の味わいに転じる。うーん、ハイスミスの『太陽がいっぱい』の中盤みたいな作りだ。

 主人公スタンがこれではまともな決着は迎えはしないだろうと思いながら読んでいたが、ラストは、ああ、そう来たか、という感じ。うまいこと小説としてまとまっている。
 広義のイヤミスみたいなドロドロ感もたっぷり味合わさせる作品だが、一方で端正な仕上げぶりを見失わなかったところが、いかにも、本国では殿堂入りしていたという名作クラシックノワールの感じ。

 こないだ亡くなったばかりの藤子不二雄Ⓐ先生(ご冥福をお祈りします)の、ブラック系作品みたいな趣もある。
 とにもかくにも、これはこれで面白かった。
 まあ21世紀の新作で、わざわざこういうものを読みたいとは正直、思わないけれどね。発掘された長らく未訳だった旧作ミステリとしては、こういうのに出会うのもまた楽しい。
 なお今回の新作映画のずっと前の1947年に、邦題『悪魔の往く町』のタイトルで、最初の映画化されていたらしい。主演はあのタイロン・パワー。どっちかと言えば、映画なら先にそっちの方から、観てみたい気もする。

No.1490 7点 赤死病の館の殺人- 芦辺拓 2022/05/09 14:22
(ネタバレなし)
 外出したので、電車の中で読む。
 表題作は、「宝石」時代の新人パズラー作家の野心作を思わせる外連味とときめきがいっぱいで、実に魅力的な一編。トリックやギミックも正にそんな感じだった。(犯人の隠し方は、けっこうギリギリな気もするが、サプライズ効果としては真っ当ではあろう。)

「疾駆するジョーカー」はシンプルな組み立てながら、完成度の高い作品。読者(評者のような)のある種の盲点をついた狙いが効果を上げたといえる。

「深津警部の不吉な赴任」
 これもトリッキィな一編。ただしネタの一角は、これに先行する新本格の某有名作を想起させる。まあこういう形で再使用? するのもアリか。

「密室の鬼」
 いちばんオーソドックスな短編(中編?)パズラーで、手堅く? まとめた印象(フィクションのパズラーとしての強引さは感じないでもないが、そこはご愛嬌の範疇)。これはこれで楽しめた。

 以上4編、評者が作者の中短編集を読むのはこれが初だと思うが、予想以上に面白かった。
 カッパ・ノヴェルズ版のあとがきで、中編パズラーというミステリの形質について語る作者のご意見はいちいちごもっとも。このメイキング記事も含めて、この評点で。

No.1489 7点 夜の訪問者- リチャード・マシスン 2022/05/07 05:38
(ネタバレなし)
 カリフォルニアでレコード店を経営する30歳代の青年クリス・マーティンは、愛妻ヘレンと6歳の娘コニーとともに平凡だが幸福な日々を送っていた。だがある日、一本の電話が入り、回線の向こうの相手はクリスの名を「クリス・フィリップス」と呼んだ。クリスが封印していた15年前の記憶が、悪夢のような現実のものとなる。

 1959年のアメリカ作品。
 マシスンの第四長編で、スーパーナチュラルな要素は皆無のサスペンス・スリラー。
 日本では、本作をベースにしたチャールズ・ブロンソン主演の映画『夜の訪問者』(テレンス・ヤング監督)の公開に合わせて邦訳された。
 Amazonのデータ表記がまた不順だが、たぶん1971年に初版が刊行。たぶん、というのは評者が読んだハヤカワ・ノヴェルズは再版で、この時期の同叢書は重版の場合、奥付に初版の刊行日を記載しないため。その再版は71年の10月31日に刊行されている。

 物語の設定は、主人公のクリスが15年前のハイティーン時代に出来心で加わった宝石強盗に端を発する。そのクリスの預かり知らないところで殺人事件が生じ、仲間3人が捕まった。クリスひとりはずっと逃亡していたが、逮捕されて終身刑を食らっていた仲間たちが数年前に脱獄。そのうちの一人が、一人だけ捕縛を逃れていたクリスのもとに、お前だけ自由でいやがってと、半ば逆恨みで報復に来るのが、序盤の流れである。

 クライシスが波状攻撃風に連続し、しかし目次を見ればわかるように、わずか(中略)という短い時間の中で終焉するサスペンスストーリー。
 一気読みで二時間もかからず、読み終えてしまう(まあページ数が200ページ強と短めの上に、活字の級数も大きい体裁だし)。

 訳者の小鷹信光(映画公開に合わせるため、片岡義男に本文の半分、翻訳の実働を分担してもらったらしい)が解説で語るように、平凡な市民の家庭のささやかな日常が瓦解していく「ドメスティック・スリラー」の一編で、とにもかくにもページタナーの作品なのは事実。

 ただ細部についてこだわるなら、15年前に捕まった仲間の3人がひとりだけ逃げのびた仲間クリスについて警察にどう話していたのか、そしてクリス自身は警察の捜査をどのように考えていたのか曖昧なので、この辺はきちんと叙述しておいて欲しかったところ。

 とにかくあっという間に読んでしまう一冊で、読者の鼻面を掴んで引き回すマシスンの剛腕ぶりは改めて実感した。
 主要登場人物もほとんどクリス一家と悪党トリオの、計6人だけだが、その周辺で些細な事態のこじれ具合(夫婦の絆のひずみ、悪党側の意識のズレなど)を積み重ね、テンションを巧妙に高めていく手際がさすがである。
 
 なお評者は映画版は未見だが、小鷹の解説によると大設定のみ借りて、相当に別もののアクション編になっているらしい。まあ素直にこの原作を読んで、ブロンソンのイメージはまったく浮かばないね。
 一時期は古書価がけっこう高かったが、最近ではやや落ち着いてきたようである(それでもプレミア価格だが)。お安く出会えたり、図書館で借りられたら、興味ある向きはどうぞ。

 評点は0.25点ほどオマケ。

No.1488 6点 地獄の群衆- ジャック・ヒギンズ 2022/05/06 07:48
(ネタバレなし)
 アメリカ人の青年土木技師マシュー(マット)・ブレイディは、およそ1年近く前にロンドンで知り合ったドイツ娘で保母のキャティ・ホルトと婚約した。マシューは彼女と所帯を持つため、クウェートの現場で大きな仕事につき、その間の収入を恋人に送り続けるが、ロンドンに戻った彼を待っていたのはキャティが金を持って逃げたらしいという現実だった。失意のマシューの前にひとりの30歳前後の女が現れ、一晩の宿を提供するが、やがてマシューは身に覚えのない殺人事件の犯人にされていた。さらに刑務所に終身刑で服役するマシューの命を、別の囚人が狙う。マシューは好々爺の囚人仲間ジョー・エヴァンズの協力を得て決死の脱獄を果たし、自分をはめた真犯人を捜そうとするが。

 1962年の英国作品。原書はハリー・パターソン名義。
 今夜はミステリを読み出すのが遅かったので、薄めの本書(文庫本で200ページ強)を手に取ったら、一時間半も掛からず読了してしまった。

 初期のヒギンズ作品、先に本サイトにレビューを書いた『復讐者の帰還』と同時期の一冊だが、これもおおむね似たような感じ。
 つまりは詩情があんまり感じられないウールリッチみたいな、そんな趣のサスペンススリラーで、話の作りもかなり荒っぽい。
 いや『復讐者~』のように、都合よく関係者がセッティングされているといった極端なご都合主義は今回はないものの、脱獄したマシューが事件に関係ありそうな人物を訪ねて行ったら、芋づる式にほぼ100%真相に近づく何かしらの成果がヒットするというのは、やはりウソくさい。
 ただしその分、お話としては非常にテンポよく進むし、途中でちょっとだけ読者の予断の裏をかいたヒネリみたいなものもあるので、そういう意味では『復讐者~』よりはマシ。
 さらに脱獄後のマシューは、かつて職場で親友だった男の遺児である娘アン・ダニングの世話になり(というか、その辺は読み物として、アンの方が積極的にマシューを助けてくれる)彼女自身も事件の渦中にからんでいくが、それでもクライマックスにはこれ以上、彼女に迷惑はかけられないと一人で黒幕らしい者のところに乗り込んでいく。
 この辺はパターンではあるけれど、ちょっと良い。
 185ページの本文5行目、マシューが何回もアンに置き手紙を残しかけながら
「考えてみれば、書くことは何もなかった。」
 と締めるところなど、地味に泣ける。

 ラストは大甘、というか、ああ、通俗スリラーだな~、エンターテインメントだな~という感じで笑みが漏れるクロージングだが、なんかこれはこれでいい気がする。
 ヒギンズ習作時代の佳作。その尺度で、嫌いではない。

 余談ながら、裏表紙のあらすじでは、マシューは裏切られた恋人キャティのために「三年。」働いてカネを送り続けたとあるが、実際の本文を読むとクウェートで労働して仕送りしたのは10ヶ月。なんでどこでサバ読んだんだろ。よくわからん。

No.1487 7点 地獄のきれっぱし- マイク・ロスコオ 2022/05/05 15:06
(ネタバレなし)
「おれ」ことジョニー・エープリルは、ミズリー州カンザス・シティの私立探偵。仕事は何でもやる。ある日、エープリルの秘書で、美人で聡明だが涙もろいサンディが、貧乏なおばあちゃんが困っているらしいということで金にならない依頼を受けてしまう。美貌の老婦人ミセズ・ウッズの頼みとは、ずっと文通していたサンフランシスコ在住の親友メリー・アン・エドワーズが死んだので、高齢のミセズ・ウッズ自身にかわって、故人が自分に託した遺品を回収してきてほしいというものだ。案の定、報酬はほとんど出ないようで、エープリルがさてどうしようと思っていると、今度は多角経営の実業家アンソニー・マクマーティンが依頼に来た。マクマーティンの頼みは、自分の経営する運送業にサンフランシスコのギャング、マニー・レーンが干渉している気配があるので、現地まで行ってレーン周辺の調査を願うものだ。マクマーティンの依頼のついでに、同じサンフランシスコでのばあちゃんの頼みもこなせると思ったエープリルは、現地に向かう。こんな都合のいい偶然があるのかと心の片隅で疑いながら。
 
 1954年のアメリカ作品。
 ポケミス巻末のN(長島良三)の解説がやや曖昧なのでわかりにくいが、ネットの各種英語記事などを調べると、私立探偵ジョニー・エープリルシリーズのたぶん第三弾。
 作者ロスコオは、日本にはポケミスで二冊しか紹介されなかったマイナー作家だが、エープリルものだけで5作以上の長編? 事件簿があるようである(ほかにノンシリーズもあり)。
 Amazonのデータが例によって不順だが、ポケミスは830番。初版は昭和39年3月31日の刊行。

 しょっぱなから一人称で自分の内面を明け透けに喋りまくるエープリルの描写は、その意味ではまるでハードボイルドではないが、テンポの良い物語に身を任せていると割と早いうちから荒事の場面が続出。特に中盤本人のエープリルの行為は、状況のなかでやむを得ないものとも思うものの、なかなかショッキングだ。
 ある意味では、胸中をあからさまに読者に見せる敷居の低い主人公だけにかえって、凄味を感じさせる。作者はこの辺はたぶん計算しながら、演出しているのだと思う。
 ミステリとしての大枠もある程度は予想がつく一方、それでも真相が暴かれる描写はなかなか衝撃的で、最後に明かされる(中略)のキャラクターもかなり鮮烈。悪事の計画はほかにやりようがあった気もしないではないが、一方でこれはこれで理の通った構想だったこともわかる。
 
 田中小実昌の翻訳は例によって快調(というか、あまりふざけすぎない今回の感じも含めて、かなり感触がいい)。
 石川喬司の当時の翻訳ミステリ評「極楽の鬼(地獄で仏)」では、本作を「30分で読みきれるC級の作品」と軽い扱いだが、いや、実働として30分はムリ(笑)。評者は1時間半~2時間で読み終えた。

 実は先日、たまたまTwitterで本書を話題にして、主人公の内面の葛藤まで見せる知られざるハードボイルド私立探偵小説の秀作だとかなんとか(言葉は不正確)とホメてあるのが気になり、さらにもう一冊、翻訳されたエープリルものの『真夜中の眼』をたまたま先に入手してしまったこともあり、じゃあこちらから……とネットで安い古書を購入したら、期待以上に面白かった。

 可愛くて気立てがいい秘書サンディも魅力的で、エープリルと潜在的に相思相愛だが、おねんねしてしまうと、仕事の上で女房面されそうで面倒だとエープリルが手を出さないというのも、妙なリアリティがあって笑える。
 サンフランシスコでエープリルと協力関係になる人間味のある警部ジョージ・ダグラスや、レギュラーキャラクターらしいカンザス・シティ側の警察官たちもサブキャラクターとして存在感があり、さらにゲストヒロインを始めとする大筋の関係者もそれぞれ印象に残る造形。

 期待以上に面白かったが、翻訳は前述のようにあと一冊のみ(涙)。慌てずにいつかそのうち読みましょう。
 ちなみに本作の作中で、エープリルは以前に別れた(どのような事情で?)女性(恋人? 妻?)として一行だけ「ミシェル」という名を思い出すが、たぶん未訳の初期編2作の中に登場するのであろう。評者がこの彼女の素性を知ることは、たぶんないんだろうな。ハア。

No.1486 6点 沈黙の追跡者- 笹沢左保 2022/05/04 07:03
(ネタバレなし)
 国内有数の大手観光会社「万福観光」の社長で45歳の姫島大作は、かつて若い頃、自分の雇用主・大川俊太郎が倒れた好機を利用。詐偽同様の手段で大川家の資産を奪い、それをもとに現在の事業を成功させた人物だった。姫島は大川の遺児である美しい娘で23歳の美鈴を後見していたが、情欲に溺れて発作的に彼女をレイプした。そんな姫島は、自家用機「ヒメ号」で九州から東京に向かう予定だが、その日程を変更し、ヒメ号の専属パイロットである32歳の朝日奈順だけが飛行機で東京に向かう。だが飛行機は不慮の燃料漏れを起こして墜落。重傷を負った朝日奈は離島の親切な漁師の夫婦に救われてひと月の静養をするが、心身はほぼ回復したものの、発声が不順な失語症になっていた。やがて朝日奈はひと月前のあの事故の日、姫島が自分とともにヒメ号で離陸し、その後、朝日奈とともに墜落死したことになっていると知る。

 アイリッシュの『黒いカーテン』の記憶喪失設定を、失語症に置換したかのような文芸で展開するサスペンス。
 何者かが姫島を殺し、さらにヒメ号に故障が生じるように工作。朝日奈と姫島がともに墜落死したように偽装するはずだったが、実は姫島が乗っていなかったことを知っている朝日奈が生還したため、謎の悪人が動揺。朝日奈の口封じにかかるという流れである。

 評者は徳間文庫の新装版で読了。ページ数は300ページ以上と普通だが、活字の級数は大きめなこともあって二時間ほどでスラスラ読める。
 全体に大雑把な部分も少なくない(事態がいろんな意味でスムーズに展開しすぎ)が、これは良くも悪くも話のハイペースさを大事にする通例の笹沢作品らしい。断続的な複数のどんでん返しと、ところどころに用意された映像的なシーンとで、それなりに印象に残る仕上がりになっている。
 メインヒロインは3人登場するが、それぞれいかにもいろんな意味で笹沢作品の女性っぽい造形。個々の役どころはここでは言えないが、その辺もちょっと感じ入るものはあった。
 主人公が口がきけず、周囲の者(主にそのヒロインたち)に協力を求めたり、あるいは本当に窮地の場合には奇策で対応したりするので、そこに本作独自のサスペンスが見出せる。あんまり大きなインパクトのあるものはないけれど、それなりにはこの設定は機能しているといえる。
 評点はほんのちょっとだけオマケして、この点数で。悪い作品ではないが、書き手のラフ・プレイもところどこに感じる内容ではある。

No.1485 6点 呪われた者たち- ジョン・D・マクドナルド 2022/05/03 15:15
(ネタバレなし)
 メキシコのアメリカとの国境の町。アメリカ大使館のパーティに忍び込んだ末、成り行きから殺人を犯したアメリカ人デル・べニックは、逃走の果てに川向こうの母国に逃げ込もうとしていた。だが渡河のためのフェリーは航行不能で、足止めを食う。そして同じフェリーに乗るため、不倫中の石油会社の要職、その愛人、新婚旅行の夫婦とその新郎の母の一行、テキサス牧場主の息子、双子のショーガールとそのパートナーの中年コメディアン、さまざまな立場の人間が集まってきた。

 1952年のアメリカ作品。ノンシリーズもの。
 メインキャラのひとりべニックが序盤で二件の殺人(ひとつは事故みたいなもの)を行なうが、他にはほとんど犯罪要素もなく、限りなく普通小説に近いような作品である。なんかシムノンのノンシリーズものの感触に、とても似ている。

 筋立てそのものは、フェリー場を舞台にした演劇を見ているような趣もあるが、メインキャラといえる5~10人前後の登場人物の内面が順々に語られ、外側のストーリーがゆるやかに進む一方で、トータルとしての小説が進行するような感じ。
 地味な作品ではあろうが、そこは筆の立つジョン・Dのこと、すらすらとページをめくらせる。
 物語のまとめに関しては、プロローグにも登場したフェリーの下働き乗員マヌエル・フォルノと、その妻ロザリータの芝居が、なんともいえない味を出していた。

 本文180ページ弱という短さだが、独特の余韻と腹ごたえを残してページを閉じさせるのもやはりシムノンっぽい。
 ちなみにポケミスの巻末には何ら解説もない。もちろんページ数の帳尻の関係でそうなった部分もあろうが、一方でこれは、編集側もこんな作品にモノを言うのにいかにもエネルギーを費やしそうで、こっそり解説の執筆作成をスルーしちゃったんじゃないかな、と勘繰ったりもした。

 あれ、もしかしたら、評者がジョン・Dのノンシリーズ長編を読むのはこれが初めてだったかな? 我ながら少し意外。
 評点は7点に近い、この点数で。

No.1484 8点 弥勒戦争- 山田正紀 2022/05/02 15:34
(ネタバレなし)
 終戦後の広島で、ひとつの意志「かれ」が目覚める。一方、昭和24年11月の東京では「光クラブ事件」の首謀者・山崎晃嗣(やまざきあきつぐ)が服毒死。自殺に見えたその死の陰には、人類の歴史の裏に潜み、そして自らの一族の滅びの道を探る超能力者集団「独覚」の暗躍があった。だがその独覚のなかに、世界を第三次世界大戦に導こうとする謎の存在がいるという。T大学の文学部学生で、易者として生活費を稼ぐ20大後半の独覚・結城弦は、数少ない有志の仲間とともに戦いを開始するが。

 山田正紀の第二長編。大昔にSRの会の例会で、少し年上のなじみの会員から「山田正紀の初期作品のなかではこれがベスト」と聞かされたのを覚えている。
 例によって本そのものはその大昔に入手しており、さらにあろうことか本書は旧世紀のうちに家人に先に貸して読ませていた(家人は相応の感銘を覚えたようである)。だがその後、家の中で本が見つからず、2010年代の後半に諦めてブックオフで角川文庫版を改めて購入。読むタイミングを見はからいながら、昨夜ようやく読んだ。

 結論から言えば非常に面白かったが、色々な思いが過る作品。

 本サイトで虫暮部さんがおっしゃる「水面下の全体像がきちんと在って、その上で氷山の一角だけ断片的に描いている感じ。逆に言えば“ここをもっと深く掘ってよ!”と言う箇所があちこちに見られ」というのはまっこと同意で、いかにも作家が原稿用紙を筆記具で埋めるのが当たり前だった時代に書かれた作品という感じ。ワープロ普及以降の時代だったら、たぶん絶対にこの一倍半かもしかしたら二倍以上の紙幅になっていたと思われる詰め込まれた内容。

 ただし実際に出来た作品はそんな、例えるなら、鳥観図の地図を目の前に置き、特に高い山々の頂上を点と点で結びあっていったら、あまりにも美しい絵画が完成したというような奇跡の一冊であった。
 このコンデンス感と物語の疾走感は、紙幅を費やして書かれていたら、確実に失われてしまうだろう。
 戦後昭和史の裏面SFとして、人類の展望を見据えた壮大なビジョンの作品として、そして薄暗くもほのかに明るい青春ドラマとして、結晶度の高い一作。

 でも可能なら、いつか作者自身の手によって、二倍以上の紙幅になった補完増補版『弥勒戦争』を読んでみたい。
 そしてその上で、やっぱり自分の心はオリジナル版の方に戻るだろうけれど。

 ところで終盤のシーン(結城が××と対峙する場面)はあまりに印象的だが、すごくデジャブを覚えた。もしかしたらその大昔に一度は読んで、よく理解できないまま忘れているのか? いや、たぶん、いつかどっかでたまたま? この場面を先に見てしまっただけだとは思うが。

余談その1:人類の進化といえる超能力者の発生は、実は各肉体器官を使わなくなる人類の退化だとする視点は、あの萩尾望都の『スター・レッド』の名脇役ベーブマンの名言を想起させた。当然、こっち『弥勒戦争』の方が早い。遡ればさらにまだ先駆があるのかもしれないが、もしかしたら影響を与えているのか?

余談その2:読了後にTwitterを覗いていたら、作者ご本人が2012年に本作の続編『弥勒戦線』を書く構想があると語っていた。もちろんまだ書かれていないし、出来たものに受け手がどういう感慨を抱くかはまた別の話だが、やはり気になる。静かに状況を見守りましょう。

余談その3:これはおよそ半世紀の間に、どこかで映画化企画は動いていないのかなあ。昭和裏面史の映像化、良い意味で記号的に表現できる世界の終末、そして役者のライブアクションで主動できる本筋などなど、非常に映画人の創作欲を刺激する内容だと思うのだけど。なにか御存じの方がいたら、教えてください。

余談その4:2015年版ハルキ文庫の表紙のセーラー服の美少女、誰だよ……?

No.1483 6点 サーキラー(CIRKILLER) 戦慄の都心環状線- 田中光二 2022/05/01 17:04
(ネタバレなし)
 深夜の首都高速に、車窓を半透明のフィルムで覆った<怪しい車>が出没。その車は絶妙なテクニックで他のドライバーを挑発したのち、不可思議な現象で相手を大事故や絶命へと導いていった。東京女子大学教養学部の教職員で、教授助手職(助教授見習い)である31歳の美女・早瀬美砂子は専門である民俗学の研究対象として現代の都市伝説を追い、この謎の車であるフェアレディZ「ファントム」の怪事件を探る。サーキット族(走り屋)である「東京・ロード・レーシング・クラブ」の協力を得てファントムに迫る美砂子だが、やがて彼女が遭遇したのはよく知る人物の異常な行動だった。そして東京に、さらに新たな謎の車が出現する。

 文庫書き下ろし。
 1980年代に傑作カー小説(ぎりぎり広義のミステリ)『白熱(デッドヒート)』を始めとするいくつかのクルマものを書いていた作者が、久々に手掛けたカー・アクション作品。
 ただし今回は、新規にオカルトホラーの要素が導入され、若手美人学者で怪事を追う美砂子と、謎の車「ファントム」さらに新たな「デス・カー」との死闘がメインプロットとなる。
(ちなみに「ファントム」とは『白熱』でも、主人公が追いかける倒すべき対象=謎の車のニックネームであった。とはいえ本作と『白熱』は、設定的にはまったく関係ないが。)

 ファントムに乗っている何者かのドライバーの意志か? と思いきや、次第に瞬間的な(中略)能力まで披露するデス・カーはまんま和製クリスティーンで、読み進むうちに怪物ホラーアクションの趣が強くなる。
 王道の筋立てながら、美砂子の関係者が殺されていったり、霊的バトルの協力を求めた有能な霊能者が(中略)などの演出はセオリー的にクライシス状況を盛り上げて悪くない。

 作者っぽい雰囲気のセックス描写も適度に盛り込まれ、カーバトルを主題にしたオカルトホラーアクション読み物としては良い意味で水準作。

 とはいえかの『白熱』の系譜として読むならば、かつての傑作の残滓くらいは確かに認められる、くらいの感じではある。
 まあカー小説というのはたぶんかなり焦点が絞りこまれるジャンルで、こういう新味を入れなければ先駆作との差別化がしにくいとも思うのだけれど。

No.1482 6点 死が議席にやってきた- フランシス・ホブスン 2022/04/30 07:13
(ネタバレなし)
 1950年代後半(おそらく)の英国。原子力工場調査代表派遣団の一員として、ドイツに査察に行っていた下院議員ハーヴェイ・クローズが、国会議事堂の議席で死んでいるのが、会議終了後に発見される。帰国直後のクローズは何者かに毒殺された可能性があり、彼は何か重大な秘密を首相にひそかに伝えようとしていた節があった。クローズの死ぬ直前、彼と接触したのは新聞「エコー」紙の政治記者である青年ジェイムズ・ウォルター・ギブスだが、そのジェイムズに、富豪のマーヴィン・ブラウン准男爵が接近。ブラウンはジェイムズを法外な高給で自分の企業にスカウトする。准男爵は死ぬ前のクローズが何か機密をジェイムズに預けたと思い、ジェイムズを雇い入れるふりをして、その秘密の入手を図っているようだ。一方でジェイムズの愛妻ローズメアリイにも、怪しい一味の手は伸びてきた。

 1959年の英国作品。
 本書は英国での発売直後に米国でも刊行され、アンソニー・バウチャーの称賛を受けたらしい。が、作者はどうやらミステリ作家としてはこれ一冊で消えてしまった(?)らしく、当然、翻訳もこのポケミス一冊しかない。
 ポケミスの表紙上部に「コメディ・スリラー」と謳ってある通り、英国風のドライユーモアが端々にまぶされた巻き込まれ型スリラー(広義のスパイスリラー)で、お話そのものは良くも悪くもその手の水準作。

 それでも主人公ジェイムズがブラウン准男爵の美人秘書マーサ・バートンのハニトラに対抗する辺りとか、ジェイムスの所属する新聞紙「エコー」の上役連中が、殺人容疑の醜聞をこうむりかけた部下ジェイムズの窮状に際して会社の不利益にならないかとその辺の薄情な思惑ばかり抱くあたりとか、その種の大小のドタバタはなるほど結構、面白い。たとえるなら円熟期のヒッチコックのB級作品を楽しむような興趣は、味わえる。

 本文200ページ足らずでストーリーもそれほど広がらないため、あっという間に読み終えてしまうが、小味なユーモア・サスペンス・スリラーとして悪くはない、というかまあまあ楽しめた。
 いくつかアバウトな個所もあるような感じだが、そこら辺は個人的にはクスリと笑ってスルーできる範疇。
 一冊読んだからと言って、何がどうなるわけでもない作品だが、旧作の海外ミステリ、エンターテインメントとしてこーゆーのもありだ。

 なおポケミス92ページ下段の「他人が休んでいるときに仕事をすると、人間というものはいつも、なにか善行を果たしているような、快い喜びを感じるものである。」という一文には全く同感。 
 さてみなさま、ゴールデンウイークのご予定は、いかがでしょうか?
 評者は溜まっているお仕事を横目に、好きなことをしながら、いつものようにミステリ読めればいいなあ、と思います(汗・笑)。 

No.1481 7点 五つの季節に探偵は- 逸木裕 2022/04/29 20:21
(ネタバレなし)
 同じ作者の先行作『星空の16進数』(2018年)に登場した女性探偵・森田みどりの、旧姓、榊原みどり時代からの過去設定の事件簿を集めた連作短編(中編)集。

 2002年の女子高校生時代、初めて探偵の道を志すことになったみどりの「イヤー・ワン」的なエピソードから開幕し、最後は『星空』の刊行年2018年の時世の事件まで、数年ごとの間を置いた5本のエピソードが収録されている。
 この1~2年、逸木作品を読んでなかったのでしばらくぶりに予備知識なしで本書を手にしたら、「あの」森田みどりの再登場作品(設定上は前述のとおり過去の事件簿だが)であった。これは嬉しいサプライズで、思わず「おおっ」と軽く喜びの言葉が漏れた(笑)。

 人の本性を覗く、真実を暴く、その結果、誰が不幸になっても、その結果の責任を問われるのは、探偵の領分ではない、という主旨のことをうそぶくみどりのキャラクター。
 それは正にサム・スペードの末裔で、そして長編『迷路荘の惨劇』で職業探偵の因果を嘆いた金田一耕助なども想起させる。

 本作の諸編はそれぞれがそういうハードボイルド精神を背骨にした謎解きパズラーであり、特にフーダニットの形質に束縛されない各話ごとの意外な真実が暴かれる。

 ある種のホワイダニットの「イミテーション・ガールズ(2002年 春)」
 みどりのハードボイルド性が最も感じられた「龍の残り香(2007年 夏)」
 犯罪者の意外な狙い(これもホワイダニットだが)「解錠の音が(2009年 秋)」
 反転の演出が印象的、かつ人間の切なく暗い内面を覗く「スケーターズ・ワルツ(2012年 冬)」
 そして本書の積み重ねを経た決算的な趣もある「ゴーストの雫(2018年 春)」
 各編がスラスラ読めて、それなり以上の腹ごたえ。 
 きわめてまっとうな、連作形式の謎解きハードボイルドミステリだが、ひとつひとつの小説の出来はなかなかで、2016年のデビュー以来、書き手としての作者の成熟を感じさせるところだ。

 個人的に『星空』を刊行年か翌年に読んだときには、あの葉村晶に対抗できる可能性の国産女性私立探偵キャラが登場した、シリーズ化せんかな~と思っていたので4年越しのこの再会は嬉しい。
(まあもし、この数年の未読の逸木作品のどれかにみどりがすでに再登場していたら、それは評者がお間抜けということで・笑)。

 本シリーズはみどりのほかにもう一人、そのエピソードごとのメインキャラ(女性が多い)を作中に配して、その相手の周囲からみどりが事件の真相に切り込むというスタイルで基本的に一貫。特に最後の「ゴースト」のゲスト主人公、須美要との関係性はたぶん今後のシリーズの基軸のひとつにもなりそうで、その内いつか書かれるであろうみどりシリーズの第三冊目が今から楽しみである。

No.1480 6点 黒星博士- 山中峯太郎 2022/04/28 15:29
(ネタバレなし)
 元号が昭和に変わってしばらくした頃の日本。35歳の海軍少佐にして科学者でもある緒方弘明は、世界中を騒がす謎の国事探偵(スパイ)「黒星博士」またの名を「博士(ドクトル)黒星」が日本に出現したことを知る。標的とする情報や資料などの獲物を奪ったのち「★」マークの名刺を残していくこの謎の賊は、国宝級とも評される緒方の頭脳が構想中の新型兵器と、その科学システムの機密を狙っていた。緒方の可憐な18歳の姪・志津子と、緒方を尊敬する15歳の少年・吉江達郎は、謎の怪人、黒星博士の情報を探ろうとするが、黒星博士一派の中にも緒方の機密をめぐって複数の思惑や、組織内の人間模様が渦巻いていた。やがて警視庁の外事課も本格的に参入し、国内の騒乱はさらに深まるが。

 昭和初頭から「少年倶楽部」にいくつもの作品を発表していた山中峯太郎が、同誌の姉妹紙(文字通り)「少女倶楽部」に昭和9年1~12月にかけて連載した、シリーズキャラクターものの冒険スパイジュブナイル。戦後の乱歩の『魔法(悪魔)人形』『塔上の奇術師』そのほかを例に引くまでもなく、昭和の前半には少女誌でも少年誌同様に、ジュブナイルミステリ(広義の)は人気を博していた。
 
 ここでまたジジイの大昔の回顧譚になるが、1960年代の「別冊少年サンデー」だったか「増刊少年サンデー」だったかで、毎号ワンテーマの十数ページほどの? 読み物記事を掲載していたことがあった。今でいう世界のUMA50とか、世界の不思議な伝説50とか、そんな感じのアレだ。で、その中の一回に確か「世界の怪盗50」だったか「~悪人50」みたいなテーマの号があり、東西のフイクションの犯罪者連中を網羅(実在した犯罪者連中も、扱われていたかもしれない)。たぶん当然、ルパンも平吉さんも、もしかしたら鼠小僧あたりもいたんだろうが、その辺はもはや記憶にない。

 そこで当時の幼い評者は、2人のとても印象的なキャラクターに初めて出会う。そのうちの一人が横溝の怪獣男爵であり、もう一人が、犯行現場に「★」マークの名刺を置いていく、この覆面の怪人「黒星博士」であった。子供心になんというスタイリッシュな演出の怪人キャラ、と実感。
 この手のカードを毎回残していくキャラは来生三姉妹だのズバットだのフォー・スクエア・ジェーンだの、オールタイムでいくらでもいるが、たぶんこの黒星博士こそが自分の原体験キャラになる(笑)。
 くだんの「別冊? サンデー」の特集は怪人ひとりひとりが、何という作家がどの作品に登場させたかのデータなどもないかなり荒っぽいカタログ記事だったが、今でも怪しい地下室らしい場に潜む怪獣男爵のイラストと、★カードを投げ捨てていく覆面の怪人・黒星博士のイラストは、なんとなく、いやけっこうはっきり覚えている?

 で、後年に黒星博士が山中峯太郎のキャラクターと知り、戦後にもシリーズ第一弾の本作『黒星博士』は復刊されたものの、昭和50年代あたりにはすでに稀覯本? こりゃなかなか読めそうにないな、と諦めていたら、数年前に図書館にもある「少年小説大系」の「山中峯太郎」編に収録されているのを発見。
 そこでまた何かほっと気持ちが緩んでしまい、それから数年後の昨夜、借りてきた同「大系」で通読した。

 作中で登場する黒星博士は、どこかの国の外国人。数年前から親日の市民を装って在住し、シンジケートを作ってきたらしいが、全貌は明らかにならない。あまりここで説明しちゃうと、本書をこれから読むかもしれない奇特な人に悪いので、なるべくアイマイに書くが、まず当初は全身が黒ずくめの覆面の大男として登場する。
 たぶんすでに本作以前に、翻案の形で日本に紹介されていたルパンがベースのキャラクターであろうし、機密を狙われる緒方少佐本人も、敵ながら、国(祖国?)のために戦う偉人といえる、世界有数の優秀な国事探偵だという評価を送っている。暴力沙汰は劇中ではほとんど行わず、というかある事態に巻き込まれて少年少女主人公コンビとその協力者の井上二等水兵の生命が危機に陥った際には、思いがけない行動までしている。
 一方で間諜としての本分を忘れる訳にもいかないので、荒事を匂わせた脅迫ぐらいはやはり行うが、これはまあ、2年後に登場する後輩の平吉さんもそのままだね。
 トータルとしては、やはり日本ジュブナイルミステリ史の上で記憶の一角ににとどめたいキャラクターだ。
 
 悪役キャラクターである黒星博士をタイトルロールにして、それを追っていく少年推理冒険ものではあるが、最後まで志津子&達郎コンビのお手柄で終わる訳ではなく、中盤から海軍の防諜機関や警視庁の外事課が前面に出てくるのは、当時の少年小説なりの譲れないリアリティであろう。後半の展開は、その流れの波に乗ることができれば、それなりに楽しめると思う。

 実はこれだけ執着(?)していても評者の「黒星博士」シリーズについての知見は乏しく(汗)、長編はこれ一本であとは短編だけだと思うが、もしかしたら違っているかも知れない。その辺りは機会を見て識者の教示を授かりたいところ。
 なお戦後には、あの本郷義昭と共演する短編も書かれたらしい? いつかこれも図書館経由とかで、読めればいいなあ。

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人並由真さん
ひとこと
以前は別のミステリ書評サイト「ミステリタウン」さんに参加させていただいておりました。(旧ペンネームは古畑弘三です。)改めまして本サイトでは、どうぞよろしくお願いいたします。基本的にはリアルタイムで読んだ...
好きな作家
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採点傾向
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