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tider-tigerさん
平均点: 6.71点 書評数: 369件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.12 7点 骨折- ディック・フランシス 2019/04/30 23:25
~ニール・グリフォンは入院した父親に代わって臨時に厩舎の運営を行っていたのだが、誘拐され奇妙な脅迫を受ける。
「俺の息子がおまえの厩舎に行くから、そしたらアーク・エィンジェルに騎乗させるのだ。さもないとおまえの厩舎で不幸が起こるのだ」
このアーク・エィンジェルはダービー優勝を狙えるような馬。「どこの誰かは知らないけれど」な人間に騎乗させるわけにはいかないのだ。
だがしかし、翌日、脅迫者の息子アレサンドロが本当にニールの厩舎にやって来る。
「これでいいのだ」と、ご満悦なアレサンドロ。
「ちっともよくないのだ」と、歯噛みするニール。~

1971年イギリス作品。冷静に考えるといささかバカげた幕開け。ニールはどうして警察に行かないのか。本作の最大の謎というか、大きな瑕疵です。
こんな無理をしてまで開幕させた物語ですが、これがとても読ませるのです。脅迫者の息子アレサンドロを仕方なく騎手として迎え、性格に難ありではあるものの騎手としては才能の煌きを感じさせるこの若者にニールは複雑な感情を抱きます。事件が起きて、若者は成長し、それゆえに最大の危機が訪れます。緊張と緩和が交互に訪れる筋運びは素晴らしく、ラストもいい。強引な初期設定ではありましたが、無理をした甲斐があったというものです。
脇役もうまく設定されていますし、敵もかなりぶっ飛んでいます。そうとう残忍なことをしでかすくせに、その目的は息子を名馬に騎乗させたいからと。巨悪ではありませんが狂悪です。無理なプロットもこのオヤジのキャラ設定で少しバランスを取り戻しました。
個人的に好きな点は競馬ネタが豊富なところ。アレサンドロがニールと話し合い、レースの際に綿密に作戦を練ったりするので、レースの様子が頭に浮かんで楽しかったです。
タイトルもよく決まっています。

本作はけっこうな異色作でしょう。メインプロット(脅迫者との対決)がサブプロット(脅迫者の息子と主人公の交流)に取って代わられています。以前の書評でサブプロットの良さがフランシスの強みの一つだと書きましたが、本作はサブプロットが目立ち過ぎてミステリ要素、冒険小説要素がかなり薄められております。主客転倒小説とでもいいましょうか。
これは若者の成長譚であり父子の物語でもあります。ニール自身の父親との関係も絡み、三つの父子関係が入り乱れております。
息子が妙な話し方をするとの御指摘ありましたが、考えられる理由が二つあります。一つはイタリア人なので英語があまりうまくないから。もう一つは心を病んでいるため、ああいう話し方になってしまっている。おそらくは前者ではないかと思います。

この『骨折』や『煙幕』あたりは一般的にはフランシスの上位作品ではないのでしょうが、一部ファンに偏愛されていそうな気がします。どちらも最初に読むフランシスには不向きですが、フランシスを何冊か読んで作風が気に入った方にはぜひ一読をお薦めしたい作品です。8点をつけたい作品ですが、ミステリ要素の希薄さと大きな瑕疵を顧慮して7点とします。

No.11 7点 黄金- ディック・フランシス 2019/04/18 00:31
平成最後の年の三月一日。衆院本会議の最中、河野外相はペーパーバックを熱心にめくっていた。その背表紙にはDICK FRA……の7文字が見えていた。この『DICK FRA』なる文字列が意味するものははたして。解答は後ほど。

1987年イギリス作品。『再起』以来久々に未読フランシスに挑戦しました。
~私は父の五番目の妻を心底から嫌っていたが、殺すことを考えるほどではなかった。~本作の書き出し
おっと、来た来た来た。いかにもフランシスな書き出しで幕を開けます。
父親に危害を加えようとしている人物は誰なのか。父親の五人目の妻を殺害したのは誰なのか。主人公は父親を守りつつも家族の絆を再構築できないものかと悩みます。
フランシス作品としては冒険小説からはやや遠く、心理ミステリに寄った作品です。主人公イアン・ペンブロゥクの父親は大富豪であり、また五回の離婚歴あります。元妻や子供たち、十名ほどの親族がいて、当然金やらなにやらと揉め事も多くなります。こんな状況下にあって父親は高価な競走馬を買い付けたり、いきなり寄付をしたりと金を派手に使います。
彼ら一族は父親の信頼厚いイアンに「父の浪費をやめさせてくれ」と懇願するくせに、同時にイアンが父親の信頼を利用して財産を独り占めしようとしていると信じています。
当人たちは必死ですが、こちらからすればいささかバカらしくも思える家族間の会話はなかなか楽しいですし、楽しいだけではなく謎解きにも関係してくるのです。
本作では複数の視点で一族の心理分析のようなことも行われます。心理分析とはいっても仰々しいものではありません。
最後に主人公が提示した消去法推理は賛否ありそうですが、個人的には納得がいきました。
今回のフランシスは当たりですね。設定とそれを活かす筆力、父親のキャラ、さらにミステリとしてもなかなか楽しめました。
ただ、最後のひねりは、必要だったろうけど、あまり好きではありませんでした。
有能なんだかマヌケなんだかよくわからない父親はキャラが立っています。今回ばかりは主人公の影が薄い。ですが、私はイアンの方が好きですね。『写像』………あれ? 『反射』だったかな? のフィリップ・ノアを思い出します。
※『写像』は一般的には『反射』という邦題の方が有名かもしれません。
詳しくは空さんの『反射』の御書評を参照してくださいませ。

フランシスは大雑把に『利腕』までを前期、『反射』以降を後期と考えております。切れ味の前期、円熟味のある後期といったところでしょうか。
後期は未読が多いのですが、少ない既読の中では『名門』『標的』『決着』あたりがお気に入りです。今回の『黄金』は『名門』『決着』よりは上ですが、『標的』と比べるとどうかなといったところ。本作を読んで私の中で第何次だかのフランシスブームが再燃しまして、ここしばらくフランシスの書評ばかりになってしまいました。

冒頭の謎 正解は『Dick Francis(ディック・フランシス)』でした。


以下 雪さんへ
『再起』についてはちょっと採点が辛すぎたかなと少し反省しておりました。私の酷評を薄めて下さってありがとうございます。雪さんの御推察はおおむね当たっているようです(と、悔しいので他人事のように言ってみました)。
『大穴』はいつか再読してみて下さい。自分があれを好きな理由はキャラと会話かな。少なくともミステリ的な部分ではありませんね。
後期フランシスの未読を今後もボチボチ読んでいこうかと思っております。あとマクベインの後期も。
では、失礼致します。

No.10 6点 障害- ディック・フランシス 2019/03/18 23:32
~ローランド・ブリトン三十四歳。独身。職業は公認会計士。趣味アマチュア騎手としてレースに出場すること。このたび初めて優勝を経験し、その一時間後に初めての誘拐(受身形)を経験する。
ローランドは暗闇の中で目を覚ます。ここから物語ははじまる。~

1977年イギリス作品。あまり話題にならない作品で地味な印象ありますが、それなりに新しい試みはあるし、まあまあよくできているのではないかと思っています。キャラはそれぞれ無駄なく配置されております。好き嫌いはともかくとして、かなりインパクトのあるシーンも用意されております(メインのプロットに直接の影響はないシーンですが)。
初っ端から主人公が誘拐されるのは『骨折』と同様ですが、本作では監禁や船酔いによって主人公が肉体的、精神的に追い込まれていくさまがよく描かれております。
前回書評した『追込』には印象的な中年女性が登場しましたが、本作にもいい感じの校長先生が登場します。少々身勝手で、あまり賢くもありませんが、ローランドを一途に信じて騎乗を依頼する馬主の女性も個人的にはお気に入りです。
誘拐が繰り返されるのでやや単調になり、そこはよろしくありません。黒幕の動機が後出しっぽいところや敵がちょっと甘いところ(これは多くのフランシス作品に見られます)、造船業を営む都合の良い友人の存在などなど疑問符もつきますが、意外と細かいところにまで目端が利いており、不自然に感じたいくつかの部分が後からなるほどと納得させられたりもして、個人的にはなかなか楽しめる作品です。
最終的にローランドが追い込まれる状況は公認会計士という職業が活かされての恐怖。そこに別種の恐怖も付加されます。目を見張るようなものではありませんが、着実に積み上げられた恐怖であり、彼が下さなくてはいけなかった決断はけっこうきついものです。ただ、この主人公は精神的にかなりタフですね。

原題『Risk』邦題『障害』となっておりますが、
『暴走』『転倒』『追込』『障害』とここらあたりは作品の特徴がまったく邦題に表れておりません。さらにはどの作品にも当てはまってしまうような熟語なのでさらに始末が悪いのです。
フランシスの主人公は「常識が負けて」みんないつも『暴走』しがちだし、途中で悪人にやられて『転倒』もするし、悪人を執拗に『追込』むし、いつだって彼らの行く手には『障害』が待ち受けています。こうしたタイトルは作品についてなにも言っていないに等しく思えてしまいます。その作品独自の要素を抽出してくれないと、どれがどれだかよくわからなくなり、読者が――かつての私のように――同じ本を二冊買ってしまったりするわけです。

最後に文庫の表紙について。
本作や『査問』『混戦』などなど。旧版では久保田政子さんという方が一部の表紙絵を描いております。これらの表紙絵がとても好きです。作品をきちんと読んだうえで表紙を描いていらっしゃるような気がします。
気になって調べてみましたら、馬の絵を専門に描いていらっしゃる方のようで『追込』の主人公と同じですね。この表紙絵をもっと続けて欲しかった。

No.9 5点 追込- ディック・フランシス 2019/03/14 22:56
~二十代の画家チャールズ・トッドは従兄ドナルドの元を訪ねた。パトカーに非常線に野次馬と従兄宅はなにやら物々しい雰囲気である。従兄の留守中に強盗が押し入り、従兄の妻が殺害されたのだ。この日から従兄は悲しみのあまり日に日に衰弱していった。さらに警察からは疑いの目で見られていた。
そんな悲しみのさなかトッドはとある未亡人と競馬場で知り合う。彼女は放火で家を失ったのだという。強殺と放火、無関係のように思える二つの災厄であったが、トッドは従兄の事件とこの放火事件に奇妙な結びつきがあることに気づく。謎を解く鍵はオーストラリアだ。トッドは現地に住む親友を頼りに渡豪する。~

1976年イギリス。主人公の画家は馬の絵を描くのが得意であり、謎の中心に馬の絡んだ小道具が登場するものの競馬色は薄い作品です。
今回の犯罪はけっこう奇抜なんですが、こんな面倒臭いことをするかいなという意味でリアリティはあまりなく、この企みにトッドが気付いたのはお年玉年賀はがき二等当選レベルの幸運でしょう。
黒幕隠蔽のため読者の着目点をずらす手口は悪くないと思いましたが、黒幕の正体はフランシス「あるある」でした。
序盤に登場した家を焼かれたおばちゃんはなかなか魅力的で、オーストラリアにいるトッドの親友の妻が必ずしも協力的ではないところなんかは工夫されています。
締め切りに追われて慌てて書いたのかなあなんてことまで思わせる作品で、けっこう雑な部分があります。退屈はしないけど、どうにも落ち着きがありません。じっくり読ませるシーンが少ないのです。フランシスは動と静どちらも楽しみたい作家です。
作品の全体的な狙いとしては前作『重賞』に通ずるものを感じます。ただし『重賞』ほどにエンタメとして徹底していません。『重賞』に見られる良い意味での軽さや楽しさに欠け、落ち着きのない展開ばかりが目立っています。
『重賞』の良さに本来の自分の持ち味を加味しようとして中途半端なものが出来上がってしまったような印象です。
作家としての基本能力が高いのでどの作品もそこそこ面白く読ませてしまうのですが、やや座りが悪く、迷走という言葉を使うとすれば、自分はこの作品かなと。

空さんがフランシス作品の邦題についていくつかの書評で言及されていらっしゃいますが、この作品の邦題『追込』もなんか変です。トッドが悪人を追い込んでいる風ではなく、むしろ逃げ回っておびき出すといった感じです。原題は『In the Frame』です。こちらは理解できます。自分が日本語タイトルを付けるとしたら『構図』でしょうか。

フランシスは『利腕』までの10年ほどは迷走していたという説がまことしやかに流布しておりますが、この説には懐疑的です。
フランシスはシリーズ内で同一人物を主人公とせず、職業を変えて基本人格のみを継承していくという手法を取っております。新作を書くたびに試行錯誤を繰り返すことを最初から自らに課しているように思えるのです。常に試行錯誤するのがこの人の平常運転なのではないかなと思うのです。俗にいう迷走していた時期に異色作にして数々の美点と大きな瑕疵を併せ持つ『骨折』(個人的にはベスト5入り作品)や、とても楽しい『重賞』(個人的には違和感もある作品ですが)などが生まれています。

No.8 6点 血統- ディック・フランシス 2019/03/03 09:18
~日曜の朝、英国諜報部員ジーン・ホーキンスの三週間の休暇がはじまる。ジーンの頭には死への誘惑が渦巻いている。休暇は安らぎどころか、もっとも忍耐を要す期間になりそうだ。ところが、目覚めて30分もしないうちに上司から舟遊びに誘われる。平和だがいささか気詰まりな時間、そこで事故が起こる。川に転落しそうになっていた若い男女を救おうとしたジーンさま御一行だが、ジーンの上司の友人が救助活動の際に頭を強打して失神、川に転落してしまう。間一髪でジーンは彼を救出したのだが、ジーンはそれが事故を装った殺人だと確信していた。~

1967年イギリス作品。
しつこいですが、今回は池上冬樹氏の採点で最高得点(☆が5個)だった二作のうちの一作を取り上げます(もう一作は『興奮』)。
ネットでさらっと本作の評判を洗ってみたところ、傑作と評す方は池上氏だけではないようです。本作の面白さは理解できるのですが、私自身はそこまで高くは買っておりません。
自殺願望(希死念慮というべきか)のある英国諜報部員という設定。この自殺願望が物語とうまく絡み合っていないように思えます。
ダウナーな主人公が上司の後押しで復活していく構図は『大穴』の変奏ともいえそうです。ただ、作者は元騎手だけに肉体の欠損に怯える姿は真に迫ったものでしたが、希死念慮なんてものは無縁な人生だったのでは。そこをきちんと取材で補うのがフランシスですが、本作は取材不足だったのではないかと勘繰ってしまいます。
主人公の人物像はいいんです。ただ、設定が足を引っ張っている印象。
この手の失敗はフランシスには珍しいと思います。
脇役は相変わらずうまいですね。序盤で殺害されかけた男の妻などはいい感じです。
筋運びも悪くないし、フランシスらしい良さも随所に折り込まれております。面白く読める作品です。が、個人的にはフランシスの標準作という評価に落ち着きます。

No.7 5点 転倒- ディック・フランシス 2019/02/25 23:38
サラブレッドの仲介を生業とするジョウナ・ディアラムはアル中の兄と二人暮らし。曲がったことが嫌いな性分で、違法ではないが職業倫理に反すると思える申し出を断ったばかりに競り落としたばかりの馬を手放すよう強要されたり、自分の厩舎から高価な馬を脱走させられたりと酷い目に遭わされる。

1974年イギリス作品
池上冬樹氏の採点で単独最下位(☆が2個半)だった『暴走』に次いで不出来(☆3個)とされた二作品のうちの一つです。ちなみに同じく☆3個の『試走』は未読です。
本作が(フランシス作品としては)不出来とされているのは、単純にメインの事件がしょぼいからだと思います。いじめられ、やり返すという単純なプロットではありますが、カタルシスを得やすい作りではあると思います。さらに当面の敵はやり口が手ぬるいうえに頭が悪いし、黒幕の正体もフランシスの「あるある」の一つのように思えます。
ただ、骨格部分はいまいち弱くとも肉付けがいい。冒頭の競売シーンから読ませます。競売の裏事情などなかなか興味深い背景が語られます。やはり馬周辺を描いているときは描写が輝きます。 
ジョウナの厩舎から脱走した馬が原因で事故を起こしてしまったソウフィとの恋、アル中の兄貴の御世話などサイドストーリーも楽しめます。個人的にはソウフィのおばや嫌われ者の坊ちゃんアマチュア騎手なんかをもっと物語に絡めて欲しかったなと思います。
ラストがモヤモヤするところは前作の『暴走』にも通ずるものあります。こちらもいまいちうまく決まっていないように感じます。

メインプロットはまあまあまとまっているが、サブプロットが皆無に近い『暴走』とメインはしょぼいがサブがなかなか面白い『転倒』比較が難しい二作です。採点は同じく5点としますが、面白さでは『転倒』が上でしょうか。
フランシス作品はメインのプロットが格段に優れているものはあまり多くないのですが、高確率でサブのプロットが非常にうまく仕込まれています。サブプロットの良さこそが、フランシスの最大の強みなのかもしれません。

No.6 5点 暴走- ディック・フランシス 2019/02/24 22:45
ノルウェーから招待されて騎乗したイギリスの騎手がレースの売上金を強奪して行方をくらました疑いがある。英国ジョッキークラブは調査のためにデイヴィッド・クリーブランドをノルウェーに派遣した。
ところが、デイヴィッドがノルウェー人の旧友と船上にて密会していたところ、その船が大きな船と衝突して沈没。デイヴィッドは冷たい海に投げ出されてしまう。
デイヴ舟に乗ってまさに行かんと欲すのはずが、デイブ舟に乗ってすぐに逝かんと欲すとなりかねない深刻な事態にあいなったのだ。

1973年イギリス作品 
フランシス後年の作『名門』のあとがきには池上冬樹氏によるフランシス作品の採点表が付いておりました。『本命』(1962年)から『連闘』(1986年)までの26作のうち、本作『暴走』は☆が2個半で単独最下位でした(ちなみに☆5個は『興奮』と『血統』の二作、☆3個は『転倒』と『試走』の二作)。
これを見て、自分は俄然『暴走』に興味を持ちました。初読時の感想は「これがワーストなら、競馬シリーズは『連闘』までの26作、どれを読んでも大丈夫だな(読んでも時間の無駄にはならない)」でありました。
いろいろ思うところはありますが、今回の書評ではなぜ『暴走』は半馬身差をつけられての単独最下位となってしまったのかについて所感を述べたいと思います。

導入は旧友アルネと船上で密会、その数頁後にはデイヴィッドは海に落ちています。序盤はハードボイルド、ミステリ色の強い展開となります。そして、100頁も読まないうちに事件の構図に変化が現れ、この序盤から中盤にかけての流れは悪くないと思います。むしろいいくらい。ミステリとしてもスリラーとしても面白くなりそうな予感ありました。ところが、中盤以降は序盤のテンションを維持できずに失速してしまった感があります。けして悪くはありませんが、まあ平凡といえば平凡。
ただ、これだけでは最下位の栄冠を勝ち取るほどのものではないように思います。
本作がどこか物足りないと感じさせる原因はサブプロット(主人公の個人的な物語)の不在ではないかと思います。
競馬シリーズの多くは、基本となる事件だけではなく、主人公の個人的な物語にも筆が費やされてメインの事件に絡んでいくことが多いのですが、本作はそのような結構になっておりません。よくいえばストイックに謎解きとアクションで勝負しております。男女のドラマ、友情のドラマ、父子のドラマとサイドでなにか起こりそうな芽はあるも、花が咲くところまではいきませんでした。
もう一つの問題は人物。まず主人公。有能ですが常識的な人物であまり面白味はありません。さらに苦悩や葛藤多きシッド・ハレーと同じ職業なのでやはり比較してしまいます。すると人物造型の物足りなさが浮き彫りになってしまいます。調査員だと職業ネタも絡めづらい。そのうえ本作は競馬ネタまで不足気味。
脇にいい味を出しそうな人物が何人かいたのですが、みんな中途半端な印象で終わってしまいました。本作はラストがちょっと尻切れトンボな気がするのですが、あの人物をもっと描きこんでいれば、同じラストでも印象がまるで変っていたのではないでしょうか。

結論は「最下位にされるのはわからなくもないが、その不名誉を他と分かち合うことなく単独だった理由まではよくわからない」というものであります。かなり厳しいことを書きましたが、つまらない作品ではありません。実際、今回の採点に当たって軽く流し読もうとしたら、結局きちんと読んでしまったくらいなのです。
※以前、私は『再起』に4点をつけましたが、あれは意識的に厳しく採点したからで、普通に採点するなら5点以上をつけてもまったく問題のない作品だと思います。7点以上はつけませんが。
※作中に、リレハンメル(原文リリハンメル)という街を知っているか?、みたいなセリフありましたが、冬季オリンピックのお陰で今は誰でも名前くらいは知る町になりました。

No.5 7点 名門- ディック・フランシス 2016/10/29 12:17
『ゴードン・マイクルズがいつもの服装のままで噴水の池の中に立っていた』
書き出しから異様な状況で物語は幕を開けます。いきなりグイグイきそうな予感しますが、実はかなりスロースターターな作品。450頁超のわりと長めの作品なのに前半は伏線を張りつつ主人公の仕事(銀行家)や日常の話が続く。冒険/スリラー/スパイ小説などではなく、アーサー・ヘイリーでも読んでいるのではないかと錯覚するような場面も出てきます。個人的に背景や人物をじっくりと描き込んでくれる作品は好きなのですが、さっさとミステリを始めろと感じる方もいるかも。とても地味な作品で、フランシスの典型的な作品でもありません。が、裏名作だと考えております。
主人公は銀行家で常識的な人物ですが、やはり、紛うことなくフランシスの嫡子です。負けず嫌いで危険に自ら飛び込む。肝腎なところで『常識が負ける』のです。結局フランシスなんですよね。あれ? やっぱり典型的な作品なのか? 
とにかく、フランシスの主人公って内面的にはみんな同じような感じなんですよね。
主人公の造型だけではなく、プロットもある種の個性というかマンネリ感があってさほど凝っているわけではありませんし、職業のヴァリエーションがマンネリの回避にかなり寄与していると思われます。前述のアーサー・ヘイリーを読むような楽しみ方もできるのです。
※背景の描写とプロットの緻密さはアーサー・ヘイリーの方がはるかに上ですが、アーサー・ヘイリーも人物が金太郎飴といわれがちな作家で、意外と共通点があるような気がします。アーサー・ヘイリーの作品は謎の提示があって、原因究明、解決といったプロセスが繰り返されますが、こういう部分はミステリ読者にも訴求力あると自分は思うのですが、どうでしょう?
話を名門に戻します。すみません。
地味、スローペースの他、本作の特徴は。
犯人は予測が付くと思われます。ハウダニットが読みどころですね。簡単なことだけに怖ろしい。
フランシスはプロットに予定調和的なところがありますが、本作はそれをちょこちょこと裏切るような展開が見られます。
ラストがちょっとなあ、私はあまり好きではありませんでした。
それから邦題の名門、うーん、そういう話ではないような。確かに主人公も本作に登場する最重要馬物も名家の出ではありますが。

No.4 4点 再起- ディック・フランシス 2016/10/26 21:41
つまらなかった作品は書評しない方針ですが、思い入れのある作家なので書きます。
久しぶりに未読のフランシスに手をつけましたが、残念ながら本作は今まで読んだ中で最低の出来でした。
理由は三つ。文章の劣化、シッド・ハレーの変容、薄味のプロット。

まず文章。最初に嫌な予感がした一文。
『彼の胴回りは、彼の銀行預金残高よりも速いペースで増えつつある』
冴えないなあ。はずしてるなあ。数頁後、さらに酷い文章が来ます。
『こと競馬情報に関するかぎり、パディはグーグルをしのぐグーグルだと言っていい。この業界で最上のサーチ・エンジンだ』
もうちょっとましな表現があったのでは。
例えば→競馬情報に関しては彼に聞いてわからないことはグーグルでいくら検索したところでわからないのだ。
うーん『グーグル』という単語自体がフランシス作品と親和性がないような。
菊池さんがお亡くなりになって訳者が変わっております。確かに違和感はありました。しかし、真の問題は翻訳ではなくて、フランシス自身の筆力の低下だと感じました。
文章勝負の作家でなければスルーしますが、フランシスですから言わずにはおれません。
ちなみに『大穴』の書き出し→『射たれる日まではあまり気に入った仕事ではなかった』
え、どういうこと? と思わせておいて実はシッド・ハレーの本質を一発で炙り出している非常に含蓄ある一文。これがフランシス。

続いてシッド・ハレーの変容
シッド・ハレーは自分本位な人間です。それだけに周囲で起きる出来事はすべて自分に責任があると考える男でありました。ですが、本作では他罰傾向が目につきます。また、フランシス作品にはどの分野であれプロへの敬意が溢れていました。ところが。
シッドは恋人のためにボディガードを雇います。この男が「身内にやられるケースは非常に多い」などと主張し、ジェニィ(シッドの元妻)が訪問してきた時でさえ持ち物検査を要求する徹底ぶりを見せます。シッドは彼を少々煩わしいと思ったようで、筋肉男などと揶揄します。彼を少々煩わしく思いながらもプロとしては認めるのがシッド・ハレーではなかったでしょうか。

最後にプロット。過去の作品を踏襲しており、フランシスらしいと言われればその通り。ですが、特筆すべき点がないのです。驚きなし、高揚感なし、利腕のような重層的なプロットの妙なし、つまらなくはないが薄味のフランシス。利腕と同じテーマを匂わせつつも踏み込み足らず、やたらとシッドの過去の話に言及するのも悪印象。

結論。私にとって本作はシッド・ハレー版『あの人はいま』。シッド・ハレーは敵手で終わったと考えたい。今思えば敵手は7点をつけてもよかったかもしれません。本作はフランシスだけに厳しく4点。
未読作品はまだあるので、再起を期待したいところ。

No.3 9点 利腕- ディック・フランシス 2015/12/03 07:15
シッド・ハレーの元に立て続けに三つの依頼が舞い込みます。
まずは超有名調教師の妻さんからのご相談です。「夫の調教している馬が立て続けに死んでいます。馬に危害を加えている人がいるんじゃないかと心配です」
次に元海軍提督のパパ(シッドの元義父)さんのお悩みです。「ジェニィ(シッドの元妻)が知らないうちに詐欺の片棒を担がされて、下手をすると監獄行きになる」
最後はフィリップと呼んでくれ伯爵さんのご不満です。「私が出資しているとあるシンジケートの登録馬たちが実力通りの成績を上げていない。不正が行われているのではなかろうか」

三つの事件が同時進行ですので、ちょっとこんがらがるかもしれませんが、無関係に思える三つの事件がきちんと絡み合うのが気持ちいい(一つは結びつき脆弱ですが)。文章も人物造型も余裕の安定ぶりで、シッドとジェニィの関係も一段落。ミステリ的な仕掛けがいくつか施されていて楽しいし、ラストも素晴らしい。ディック・フランシスのベストはこの作品で異議ありません。
大穴の方が好きなんですが、点数はこちらの方に9点つけます。

ちなみに気球レースのシーンと知り合いの調教師に頼まれてシッドが騎乗するシーンがもっとも好きです。双方ともプロット上は重要性の低いシーンで、なくてもいいくらい。ですが、こういう無駄なシーンを楽しませてくれる小説が私にとってのいい小説。

No.2 6点 敵手- ディック・フランシス 2015/03/26 20:12
シッド・ハレー四部作のうちの三作目にして倒叙ものです。
馬を残酷な手段で傷つける連続猟奇事件の犯人はシッドの騎手時代の友人であり、現在は有名なテレビ司会者のエリスであった。
相手が人気者だけにほとんどの人がシッドのことを信用してくれません。メディアからも執拗に痛めつけられます。そんな中、シッドは不屈の闘志で……。

※少しネタばれあります。

フランシスの筆力はさすがです。読ませます。が、いくつか苦言を。
強く感じたことは「中途半端が多い。もっと徹底すればいいのに」です。
例えば、ほとんどの人ではなく、すべての人がシッドを信用してくれない、このくらい徹底的にシッドを追い込んだ方が良かったのでは。
あとは強大な存在が事件の背後にいるとシッドは考える。その強大な存在は実は●●だった。この発想はまあ良しとしたい。ただ、その●●がちょっとしょぼいのが頂けない。ポカが多過ぎるし、悪に徹しているようでそうでもない。犯行も杜撰過ぎる。アリバイトリックなど自分が最初にそうなんじゃないかと直感した通りだったのでがっかり。
登場人物の一人、不良のジョナサンもいい味を出してくれそうだったのにいつのまにか気化しておりました。白血病の少女というのも手垢に塗れた人物造型。

人間ドラマに比重を置き過ぎている感があり、そのせいで重厚とは言えないプロットに比して本はやけに分厚い。無駄が多いと感じる方もいるかもしれません。
邦題の敵手。意図はわからなくはないのですが、個人的には原題のcome to grief を活かして欲しかったところ。哀惜 とでもした方が良かったのではないかと思いました。
それから訳文 女性の語尾、「~なの」が多過ぎ。 
以上、文句ばかりでしたが、細部にはいいところも多々あり、自分は楽しく読みました。
けして退屈な作品ではありません。が、大穴、利腕は8点ですが、この敵手は6点かな。どうしても大穴、利腕と比べてしまう……amazonではけっこうみなさん高評価を付けていらっしゃるようです。

No.1 8点 大穴- ディック・フランシス 2015/03/04 00:08
チャンピオンジョッキーのシッド・ハレーは落馬事故により片手が不自由になってしまい、やむなく騎手を引退して探偵事務所に就職する。ところが、まるでやる気が沸かずに無為な日々を送っていた。そんな彼が銃撃されたことにより、闘争心をちょびっとだけ取り戻し、義父に唆されて秘密裏に乗っ取られようとしている競馬場を救うために立ち上がる話です。
物語はシッドが銃弾を受けて病院で目を覚ますところから始まります。
見舞いに来た同僚のチコ・バーンズがなにか欲しいものはないかと尋ねると、シッドは別にないと答えます。チコはそんなシッドに一言。
「べつにないよ、おまえはそういう人間なんだ」
これがさりげなく意味深いセリフだったりします。
問題点を二つばかり。
他の方も指摘されているシッドの経歴などを隠して必要以上に貶めるチャールズの作戦について。クレイを油断させるためだとチャールズは言います。チェスのエピソードをうまく使って話を繋ぎました。でも、本質的な問題が……この時点でクレイを油断させる必要があったのか?
シッドのことを変な意味で印象付けてしまうよりも、シッドをクレイと引き合せたりせず未知の刺客としておいた方が良かったのでは。この物語には必要不可欠な部分ではありますが、不自然さは否めません。
もう一つ自分が感じたのは、ホテルの自分の部屋に義父の名を騙って入り込んでいる者がいると知った時のシッドの反応が不自然極まりないこと。シッドはホテルの支配人にそいつを放り出してくれと頼みますが、放り出してはいかんでしょう。なぜそいつの身柄を確保することを考えなかったのかが謎です。

ディック・フランシスの作品はハードボイルドっぽい文章で綴られた広義の冒険小説、推理小説とでもいうものですが、ジャンルの枠を超えた魅力ある作家です。グッと読者を惹きつける一文、クスッとさせる一文など、文章で勝負できる作家でもあります。馬やレースシーンの描写はもちろん卓越していますが、それ以外にもプロットと直接関係のないシーンを面白く読ませる力もあります。
それから女性の描き方が気になります。うまいというか、作者が女性の視点で女性を見ているような気にさえさせられます。(ちなみに自分はジェニィ肯定派です。ザナ・マーティンも好きです。ただ、シッドのザナ・マーティンへの対応はいかんと思いました。)
それにしてもイギリスってやっぱり階級社会なんだなと実感します。階級の違いがあって当たり前という日本人とはまるで違った感覚が窺えて面白いですね。

フランシスは二十冊ほど読みましたが、やはり『利腕』が最高作なのかなあ。
でも、実は一番好きなのは『大穴』です。理由はよくわかりません。『長いお別れ』や『高い窓』よりも『さらば愛しき女よ』を好きになってしまうようなものかもしれません。
気になるのは利腕の前の何作かはフランシスの低迷期とかいう説。とある書評家がこんなことを言っておりましたが、自分には理解不能なお話でした。
ところで、フランシス入門ですが、自分は『興奮』が無難ではないかと思います。『度胸』は同じくらい、もしくはそれ以上に良い作品ですが、入門向きではないような気がします。
『利腕』はやはり『大穴』を読んでから、ですが、その『大穴』はあまり入門向きではないというのは他の方と同意見。わかりづらい部分が多過ぎます。
いっそ主人公の職業で入門作品を選ぶのも一つの手かもしれません。少なくとも自分は低迷期?の作品も夢中になって読みましたので。

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tider-tigerさん
ひとこと
方針
なるべく長所を見るようにしていきたいです。
書評が少ない作品を狙っていきます。
書評が少ない作品にはあらすじ(導入部+α)をつけます。
海外作品には本国での初出年を明記します。
採点はあ...
好きな作家
採点傾向
平均点: 6.71点   採点数: 369件
採点の多い作家(TOP10)
ジョルジュ・シムノン(35)
エド・マクベイン(13)
ディック・フランシス(12)
ジェイムズ・エルロイ(8)
レイモンド・チャンドラー(8)
深水黎一郎(7)
リチャード・スターク(7)
アガサ・クリスティー(6)
ジョン・D・マクドナルド(6)
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