皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
していません。ご注意を!
ZAtoさん |
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平均点: 6.55点 | 書評数: 109件 |
No.11 | 9点 | アヒルと鴨のコインロッカー- 伊坂幸太郎 | 2011/04/11 00:15 |
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伊坂幸太郎は本作において、出来事、会話から小道具まで、すごい量の伏線を仕掛け、すごい量を回収して見せた。その量は『アヒルと鴨とコインロッカー』をラブストーリーにし、サスペンスにもした。ある意味では日本人と外国人の人間ドラマにもしたし、青年の成長を綴る青春物語にもした。そして何よりも「広辞苑」と「広辞林」の違いだけでピンと来るような凄玉の推理マニアではない大半の読者に対して、見事なドンデン返しで目を瞠らせるミステリーを提供した。
改めて本作のタイトルを振り返りながら、創元推理文庫であることにニヤリとしてしまった読書だった。 |
No.10 | 5点 | 魔王- 伊坂幸太郎 | 2011/04/11 00:13 |
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作中に「深刻な夫婦喧嘩の最中には、憲法改正や自衛隊なんてどうでもよくなる」という意味の台詞がある。それは実にもっともなことなのだが、今は夫婦喧嘩そのものが幸せであることの証明となってしまったのではないか。
目に見えない力に不安を抱くより、目に見える恐怖に驚愕している現実のなんと不幸なことなのだろうか。 |
No.9 | 7点 | 死神の精度- 伊坂幸太郎 | 2011/04/11 00:00 |
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この小説のユニークな点は、本来ならばドラマチックな見せ場となりそうな「可」と「見送り」の判定の場面をクライマックスとして機能させない点にある。
言い換えれば伊坂幸太郎は「生」か「死」かという究極の選択にはまったく興味を示さず、また死に行く者たちへの慈しみも薄い中で、どちらかといえば死神が人間の「生」を観察する様を面白がっている風にもとれる。 死という単純にして深遠なテーマがあるならば、当然、人間とは何ぞやという設問に行き着く。そして伊坂幸太郎の見事なところはその重厚長大な(?)テーマをちらつかせながらも、面白主義の一歩手前の位置で悠然と立っていることなのではないか。 |
No.8 | 7点 | 終末のフール- 伊坂幸太郎 | 2011/01/09 13:51 |
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フィクションを読むということは、小説家が構築した世界観の中で人物たちが動かしていく物語を読むということだ。読者は小説の中に起こる事件を知り、それが恋愛なのか、憎悪なのか、心理の迷宮なのか、直面した人物たちがどんな行動をし、どんな情動を受け、その詳細を確かめながらページをめくっていく。今まで経験した読書とはそういうものだった。
ところが伊坂幸太郎『終末のフール』は少し違った。読者は常に「自分ならばどうするのか」という仮定を想像しながら物語と伴走していかなければならない。 さすがに伊坂幸太郎は良質のフィクションを創出していくが、こういう設定の中で物語や人物の心情がリアルであるのかどうかはわからない。これもまた伊坂の想像でしかないからだ。でも面白かった。 |
No.7 | 7点 | オーデュボンの祈り- 伊坂幸太郎 | 2011/01/09 13:42 |
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伊坂作品の通奏低音である“神様のレシピ”というテーマの中で、バラバラになっているピースをはめ込んでパズルを完成させる作業は「ミステリー的作為」ではあるのかと思う。実際、この物語はどのような決着を辿るのか、先行きの予測がまったくつかないまま読み進めていくことにミステリー読みの醍醐味はあった。もっともカカシの優午が予見した結末になるように伏線を散りばめていく手法は、本来、作家が小説のプロットを編んでいく過程の作業であるはずで、それを物語そのもののに投げてしまうのは面白いといえば面白いし、新しいといえば新しい。でもズルイといえばズルイことかもしれない。 |
No.6 | 6点 | フィッシュストーリー- 伊坂幸太郎 | 2011/01/09 13:40 |
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正直いうとこういうのは一人楽屋落ちのようで個人的にはあまり好きではない。確かに一種のシリーズを読む楽しさはあるとは思うものの、私はあれとこれがリンクしていることを見つけて楽しむことを徒労と感じてしまう読者なのだ。
例えば『動物園のエンジン』の主人公の友人が『オーデュボンの祈り』の伊藤であることに意味はないし、河原崎が『ラッシュライフ』の主人公のひとりの父親である必然も感じない。『サクリファイス』の黒澤などいきなり冒頭から「出落ちかいな」と突っ込みを入れたくなった。 しかし、そうなると『フィッシュストーリー』の半分も楽しめないのかというとそうでもない。もうここまでくれば私にも伊坂ワールドがこういうものなのだという事前承諾がある。悔しいが黒澤など、好きなキャラクターには活躍を期待してしまう自分もいる。 |
No.5 | 4点 | ラッシュライフ- 伊坂幸太郎 | 2011/01/09 13:33 |
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時系列と語り手を変えて同じ場面が描写されると少しうんざりする。人物Aと人物Bが同じ事象を別視点で見ることの面白さはあっても、時系列をめまぐるしく変えられるとややこしくなって、頭の中を整理する徒労そのものが面倒にもなる。なによりも見逃した伏線が無数にあるのではないかという不安感が募ってしまうのだ。
結局、100%面白がっていない自分というのも見えてきた気がする。逆にいえば、それは一体何なのだろうという興味がないわけでもなく、そのあたりを考えることで、この後の読書を楽しくする術があるような気もするが、さてどうなるものだろうか。 |
No.4 | 9点 | ゴールデンスランバー- 伊坂幸太郎 | 2011/01/09 13:27 |
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構成が既読の作品と比べて抜群に素晴らしい。私が違和感を抱いていた「過剰すぎる伏線のバラ撒き」「種明かしの冗長さ」「物語と無関係な台詞の羅列」といったものが、むしろ『ゴールデンスランバー』ではことごとく効果をあげていたのではないだろうか。 |
No.3 | 6点 | グラスホッパー- 伊坂幸太郎 | 2010/10/17 22:29 |
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私は物語に一定のリアリズムを要求していしまう読者だ。
これはある種、読書を不自由なものにしてしまう枷となっている。 大きな嘘をつくときほど、小さな真実の積み重ねが必要であるというのは小説でも映画でも、 私のエンターティメントに対する要求でもある。 |
No.2 | 6点 | 陽気なギャングの日常と襲撃- 伊坂幸太郎 | 2009/11/02 22:49 |
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四人の個々に遭遇する事件を扱う短編風のエピソードが、主たる事件の伏線になりきれているのかというと疑問で、単に登場人物の重複であったり、私が好きな饗野氏が顔を突っ込む「幻の女・ノゾミ」は本当に幻のままであったりと、所々に得心の行かない部分があったのが残念だ。 |
No.1 | 7点 | 陽気なギャングが地球を回す- 伊坂幸太郎 | 2009/11/02 22:48 |
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本来なら雄弁家の饗野のキャラクターに、それなりの時代性(社会性)を盛り込むことも可能だったのでないかと思うのだが、雄弁に薀蓄を傾ければ傾けるほど饒舌ぶりがボケとなって笑いを誘い、読み手を和ませてしまうあたりに本書が受け入れられる「時代」というものがあるのだろう。 |