皆さんから寄せられた5万件以上の書評をランキング形式で表示しています。ネタバレは禁止
していません。ご注意を!
[ パスティーシュ/パロディ/ユーモア ] シャーロック・ホームズの秘密ファイル ホームズのパスティーシュ |
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ジューン・トムスン | 出版月: 1991年05月 | 平均: 5.00点 | 書評数: 2件 |
東京創元社 1991年05月 |
No.2 | 6点 | nukkam | 2016/08/22 00:59 |
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(ネタバレなしです) 名探偵の代名詞シャーロック・ホームズをテーマにしたパロディー小説或いはパスティーシュ小説はコナン・ドイルが活躍していた時期から現代に至るまで膨大な作品が書かれています。ジューン・トムスンのホームズ・パスティシュ小説は口うるさいシャーロキアンからも高い評価を得ているそうですが、なるほどminiさんのご講評で指摘されているように人物描写がドイル原作に比べてエキセントリックさが薄いとはいえ原作のイメージを損ねておらず、またなぜホームズが真相を闇に葬ったかの理由がよく考え抜かれています。本書は傘を取りに戻ったきり行方不明になった男の謎を解く「消えた給仕長」、不気味な毛虫を見て発狂した男の事件を描いた「奇妙な毛虫」など7編の短編を収めた1990年発表の第一短編集です。最も本格派の推理要素が濃厚な「高貴な依頼人」とドイルなら絶対に書かないと思われる結末が印象に残る「アマチュア乞食」が個人的なお気に入りです。 |
No.1 | 4点 | mini | 2012/03/09 09:57 |
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明日10日、映画「シャーロック・ホームズ シャドウゲーム」が全国封切りとなる、数年前制作された映画の続編でホームズとワトスンの配役も1作目と同じ、今回はモリアティー教授が初登場するようだ
ワトスン役の俳優ジュード・ロウはスリムだし冒険スリラー風な映画らしいが、案外原典の解釈はこの方が正しいのかも さて便乗企画として本家を書評するには私はへそ曲がりなのでパスティーシュといこう パロディとパスティーシュは似てるようで若干違いが有り、前者にはリスペクトと同時にいたずら小僧的精神が有るが、後者は真面目に原典の再現を試みたものである 最近書評したR・L・フィッシュ「シュロック・ホームズ」などはパロディの代表格だが、パスティーシュ分野ではアドリアン&カー合作の例のあれと並んで代表的作家なのがジューン・トムスンだ ホームズ短篇の冒頭には、”この年にはA事件やB事件にも関わったがたとえ匿名でも特定される恐れがあるから公表するのは適切を欠くので、ここでは事件関係者が最近亡くなって秘密を守る必要性が薄れたからC事件を語ることにしよう”、みたいな記述がよくある このA事件やB事件の事は通称、”語られざる事件”と呼ばれている この記述の無い短篇も有るが、5~6件も事件名を挙げているのもあり、例えば「五粒のオレンジの種」「金縁の鼻眼鏡」などは多い 「五粒のオレンジ」は『冒険』の中でも推理興味の薄い話として知られるが意外な特徴があったのね 意外と言えば短篇だけでなく長編「バスカヴィル家の犬」にもこの記述が有る ジューン・トムスンのは、この”語られざる事件”を語るシリーズで、このパターンだけをこんなに数多く書いたシリーズは他にあまりないだろう、4冊が創元文庫で翻訳されている それぞれの冒頭には、なぜ今になって”語られなかった秘密ファイル”が公開されるに至ったかの経緯が述べられている、まぁもちろんその部分もフィクションなのだが トムスンのパスティーシュは謎解きミステリーとしての切れ味は今一つなものの良く原典の雰囲気を再現しているとして一般的には定評が有る たしかに感心する面もあって、これをシリーズとして沢山短篇に仕立てた苦労も有ったろうがそれだけでなく、何故その事件は語られずに封印されたままだったのかとの理由も存在しなければならないのも一苦労だ だって封印する理由が全く存在しないのならば、原典で語られてなければおかしいからだ、語るべき価値の無い事件だったからという理由の場合もあるだろうが、そんな事件は後年に発表しても意味が無いわけだし という事はつまり、事件自体は大変興味深いものだったが、当時は国家的機密だったりで取り巻く事情が許さず封印せざるを得なかったという事を読者に納得させなければならないわけで、作者トムスンはそうした事情に良く気を配っていると言えよう とここまで誉めておいて何だが、やはりこのパスティーシュは然程面白くない 謎解き部分がどうだとか理屈で説明できないんだけど、何しろ書いた時代が全く違う訳だから空気感が違うんだよなぁ、雰囲気がほのぼのしていて原典の暗さが無い あとホームズの造形にも違和感が有る、なんか違う 何ていうか女流漫画化が理想化して描いた二枚目キャラみたいなさぁ、原典のエキセントリックな感じが出ていない 矢張りこの辺は女流作家の描く男性って感じだよなぁ 例えば1作目の「消えた給仕長」は、”忘れ物の傘を取りに家に引き返したまま失踪したフィリモア氏”という古来から数多くの作家がパロった有名なエピソードで、「ソア橋」中で言及されている 「消えた給仕長」でトムスンはきれいに処理しているものの、ドイルだったらこんな真相には多分しないだろうなと思うもん |