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[ 冒険/スリラー/スパイ小説 ]
最終兵器V-3を追え
イブ・メルキオー 出版月: 1988年02月 平均: 6.00点 書評数: 1件

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角川書店
1988年02月

No.1 6点 人並由真 2019/08/21 12:52
(ネタバレなし)
 1985年5月9日。マンハッタンの路上でドイツ人の老人カール・ヨハン・トンプソンが自動車事故で重傷を負う。およそ40年目の、何かの計画の実現に胸をときめかせていた彼は、気になる言葉を呟いて死んだ。運命的にその文句に留意した看護婦のおかげで、情報はFBIを経て国防省に回る。やがてくだんの情報は、第二次大戦時に連合軍側の工作員として活躍し、戦後はアメリカに帰化してCIC(米国の対敵情報部)の一員として働いた64歳のデンマーク人、アイナー・ムンクの元にもたらされた。意見を求められたアイナーは40年前の大戦の亡霊の影を見るが、陰謀の中身はおろかその実在すら確認できない現時点では、国防省は表だって動けない。それゆえアイナーは半官半民の立場で、かつて同じくレジスタンス仲間だった愛妻ビアテとともに、事件の鍵がありそうなドイツのヴェイデンに向かう。そこで彼ら夫婦が認めたのは、ヒットラーの遺産である恐怖の殺戮兵器を擁したナチス残党、その妄執の念がこもる数百万単位のジェノサイド計画だった。

 1985年のアメリカ作品。作者イブ・メルキオー(日本ではイブ・メルキオールとも表記)は1917年にデンマークに生まれてのちにアメリカに帰化。1950年代からは映画人として活動し、『巨大アメーバの惑星』(火星ダコにコウモリグモ)『冷凍凶獣の惨殺』(レプティリカス)などの怪獣SF映画の脚本家として特撮ファンに親しまれる(後者レプティリカスはメルキオーの生国デンマークで製作された、同国を舞台にした怪獣映画)。また本邦の誇るゴジラシリーズの第二弾『ゴジラの逆襲』の米国版はもともと大幅にアメリカ向けにローカライズされる予定で、そのためのシナリオを書いていた事でも有名(しかし結局、惜しくも新規シナリオの追加新撮は未遂に終ってしまったが)。 
 1970年代に映画分野から少しずつ遠のくとと同時に、小説家に転向。特に、かつて自分自身が第二次大戦末期にアメリカのCICに参加していた経歴を活かし、同大戦時の欧州を舞台にした対ナチスものの冒険小説を何冊も著した。

 評者はまだメルキオー作品は『スリーパー・エージェント』『ハイガーロッホ破壊指令』についで三冊目だが、邦訳された作品それぞれの設定を窺うかぎり、基本的には第二次大戦中の過去設定で対ナチスの、あるいはナチスがらみの冒険小説を綴るのが作者の本分のハズである。
 その中で本作はメインストーリーの時代設定を1985年の現代に置き、少し異色。おそらくは小説家としてのメルキオーの筆を動かした1970年代からのネオナチブーム(60年代にすでにその萌芽はあったが)に加えて、フォーサイスやラドラムあたりの新世代ネオ・エンターテインメント作家勢の台頭の影響を受けたこの時代らしい一作だと思うが、それでも老年主人公アイナーとその妻ビアテの回想の形で第二次世界大戦中の冒険秘話もかなりの紙幅で語られる。現在形の謎の陰謀阻止編と並行して、そちらはそちらで正統派戦争冒険小説として面白い。

 とはいえ作品総体の出来は、文庫版で500ページ以上の大作、職人作家メルキオーの手慣れた正統派冒険小説+ネオ・エンターテインメントスリラーとして普通に充分に楽しめるハズなのだが、意外に今回は、ところどころ脇が甘い感じなのはちょっと残念。

 具体的にはドイツに乗り込んだムンク夫妻を邪魔に思ったナチス残党側が暗殺者を送り込むのだが、この暗殺者、主人公たちをおびき出すため、最初は情報を託す者を装いながら、本名で電話をかけてくる。
 おいおい……暗殺者視点で言えば、ムンク夫妻を暗殺して口を塞ぐつもりだから構わなかったのかもしれないが、それでも夫妻が米国の仲間に「××という者から電話があった。行ってくる」と告げるかも知れないよね? メモを残しておくかも知れないよね? そういった種類の警戒をして偽名を使わないってのはプロの暗殺者としてヘンだ。さらに窮地からの脱出後、今度はアイナーたちがその暗殺者の名のった名前を当初から本名と前提視して次の情報をたぐるのだが、う~ん、これもまた、そもそもその名のられた名前が偽名という可能性は考えないのか? 
 作者メルキオーがどうしてもその局面に続く展開をしたいのならば、主人公アイナーの脇にせっかくワトスン役の奥さんビアテがいるのだから
「(あの暗殺者の名前は)偽名だったのじゃないかしら?」
「たぶんそうだろう……しかし万が一ということもある。いずれにしろ、我々には他に手がかりはないのだ」
「……やった、あの暗殺者、我々を確実に口封じするつもりで、うかつにも本名を名のったんだな。そんなプロとしてのプライドがこちらの助けになったよ」
 ……とかなんとかやっておけば良かったのだ。そうすれば小説としての味も出ただろうし。
 あと一度尋問したナチスの残党をそのまま拘束も警察に手渡したりもせず逃しておいたり(アイナーたちにすれば確かに異国の警察にことの経緯を話して関わっている余裕がないという事情はあるのだが、しかし敵側に次の手を打たれてしまうのは素人にもわかる)、ナチス側の人間が大戦時そのままの名前で戦後40年ドイツで生活をしていたり……と、どうも細部で実に気に障る。
 
『スリーパー』も『ハイガーロッホ』も大昔に読んだきりながら相応に面白かった(特に後者のクライマックス場面はまだ覚えている)ので、メルキオーってこんなに小説が下手だったかな、もしかしたら馴れない現代ものの土俵の中であれこれ苦戦しているのかな、とも思ったりした。

 それでもまあ、後半、最終兵器の正体(もちろんここでは書かないが)が明らかになり、国防省とNATO全軍が重い腰を上げてからはそれなり以上に面白くなる。40年前からの遺産兵器が本当にそのように有効なのかはもう少しだけリアリティの補強も欲しいところだが、一方でこの物語の大設定を活かした山場はかなり印象的に練り上げられている。
 特に<ある特殊ガジェット>の導入は、往年のSF映画の脚本家で後年には監督職も担当したメルキオー、ちゃんと70年代からの<あのシリーズ>も、80年代の<あの話題作>も観ていたんだね、と嬉しくなった。
 今となってはもう意味がないかもしれないが、80年代の内に本作を映画にしていたらなかなかパワフルな映像が観られたかとも思う。
 終盤のフーダニットのシークエンスも、もう少し早めに布石を張って、仕込みをしておいてほしかった、という嫌いはあるが、それでも最後まで読者を飽きさせないようにしたいというサービス精神は認める。

 総括すれば、得点的に見ればそれなり以上に面白いのだが、気になる減点要素もかなり多い。
 娯楽派冒険小説で読者をもてなす職人作家だとは思うんだけど、日本でメルキオーがいまひとつ冒険小説ファンからの反響や支持が薄かったようなのは、改めてこの辺りが原因だったのかな。
 自分はまだまだ、機会を見て読むけれどね。


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イブ・メルキオー
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