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ミステリの祭典

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キャンティとコカコーラ
タルキニーニシリーズ

作家 シャルル・エクスブライヤ
出版日1994年05月
平均点6.00点
書評数3人

No.3 6点 nukkam
(2024/05/31 03:51登録)
(ネタバレなしです) 1965年発表のロメオ・タルキニーニシリーズ第3作となるユーモア本格派推理小説です。「チューインガムとスパゲッティ」(1960年)を連想させるタイトルで実質的に後日談的な要素を持っています(前作ネタバレはありません)。「チューインガムとスパゲッティ」ではイタリアのヴェローナを訪問したアメリカ人のリーコックがタルキニーニを筆頭にヴェローナの人々との人生観の違いに翻弄されていましたが、本書ではタルキニーニにリーコックの故郷であるアメリカのボストンを訪問させて保守的で厳格な人々と対峙させています。良かれと思ってしたことが裏目に出て落ち込むという珍しい場面もありますがタルキニーニの主義主張はぶれません。初めはよそよそしかったけどタルキニーニに感化されて味方が増えていくプロットが楽しいです。謎解きも感覚に頼った推理が目立つものの、これまでのシリーズ作品では1番しっかりしているように思います。

No.2 6点 ʖˋ ၊၂ ਡ
(2022/10/19 16:25登録)
大袈裟で陽気な小男のイタリア人が、愛の素晴らしさを信じて、ボストンの名家の人間たちの心を解きほぐしていく、ロメオの巻き起こす大騒動には一読の価値がある。
作品中で起こる殺人事件の謎が解明される部分は安直だが、その部分までもが作者の魅力になり得るから不思議である。

No.1 6点 tider-tiger
(2017/04/08 11:07登録)
タルキニーニ警部の愛娘ジュリエッタはアメリカで暮らすのはあくまで一時的なもので、アメリカ人の夫ともどもヴェローナにすぐ戻ると約束していた。なのに、いっこうに帰って来ない。タルキニーニは怒りと悲しみのあまり単身アメリカに乗り込んだ。そして、過剰な空想力とシマリスの×(お尻の穴)なみに狭窄した視野をもって、アメリカの上流家庭をひっかきまわす。その過程でとある交通事故に関わり合い、良かれと思ってやったことが裏目に出て殺人事件発生、タルキニーニはたちまち窮地に陥る。

イタリア(キャンティ)とアメリカ(コカコーラ)の文化摩擦を絡めつつ、愛と犯罪の物語が綴られる。愛と犯罪の物語とはいっても『郵便配達夫はいつも二度ベルを鳴らす』みたいなものではない。
例えば……タルキニーニは刑務所から出たばかりの青年と出会い、どんな罪を犯したのかを尋ねる(こんなことを聞くこと自体アメリカ人なら考えられない)。青年は雇い主の顔をぶん殴ったと答える。以下、会話を抜粋

タル「仕事はなに?」
青年「なにも。刑務所に行くまえは化学製品の工場で技師をしてましたけど」
タル「技師がなんでまた暴力なんて」
青年「同じ職場に恋人がいたんです。彼女が社長の腕の中にいるのを見ちゃったんですよ」
 ロメオ(タルキニーニ)は嬉しくなった。
タル「おやおや、愛情の物語だ!~後略」

タルキニーニの持論は「すべての犯罪の底には愛の物語がある」そして、犯罪の裏に愛の物語を発見すると「嬉しくなってしまう」ちょっと頭のおかしいおっさんである。だがしかし、読者はいつのまにかこのおっさんが大好きになってしまう。
※かなり傍迷惑なおっさんなので、こんな奴は嫌いだという方ももちろんいらっしゃるでせう。
タルキニーニの偏見を相対化したり、助長したりといった、この手の話に必要な役者はきっちりと揃えられ、お約束的なギャグを随所に挿入するなど、作り方はある意味堅実。よくある話であり、普遍的な話である。
文化摩擦といえば、シムノンもコカコーラを引き合いに出してアメリカの薄っぺらな文化を揶揄していたが(メグレ、ニューヨークへ行く)、フランス人はコカコーラに良くも悪くもなにか特別な思い入れがあるのでしょうか。もっとも文化摩擦とはいってもタルキニーニのキャラのお陰でギスギスした雰囲気はない。

ミステリ度は以前に書評した『ハンサムな狙撃兵』より若干高めだが、ガチのミステリファンを楽しませるほどの力はない。やはり愛と笑いに比重が置かれている。それから、本作も締めの一文が良かった。ユーモアミステリが好きな方にはお薦めします。
個人的な感想としては、サラッと読める割には何度も読み返したくなる本。いやあ、このシリーズは面白い。三冊しか邦訳が出ていない(出てませんよね?)のは残念です。

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