運河の家 人殺し |
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作家 | ジョルジュ・シムノン |
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出版日 | 2022年04月 |
平均点 | 8.00点 |
書評数 | 4人 |
No.4 | 8点 | 人並由真 | |
(2022/08/26 06:07登録) (ネタバレなし) 『運河の家』も悪くなかった(というかフツーに良かった)が、とにかく『人殺し』が破格に素晴らしい。正に傑作。 ネタバレになるので詳述は避けるが、実際に浮気妻とその愛人を殺した主人公を、正義や倫理などの筋道ではなく(中略)や(中略)という原動から(中略)する(中略)たち。その残酷かつ小気味よい叙述がただただ圧巻。 もちろん、これまで評者が長い人生の中で出会ってきた広義の無数のミステリの中に類例の文芸テーマが皆無だった訳ではないが、ここまでメインテーマとして高い完成度を獲得したものはそうないであろう。 まっこと、tider-tigerさんがおっしゃるように、ハイスミスっぽい主題で作法だと思う。ただ一方で、ハイスミスの筆致がどこか人間の意地悪さ、無常さの方にもっと振り切れるのに際し、シムノンのこの作品はこれだけ(中略)連中が(中略)なことをしくさっても、どこかの一面で、人間の切なさや哀しさを感じさせたりもする(ハイスミスの諸作にそういう要素が皆無とは言わないが、そういったグラデーションの具合において、シムノンの方がより顕著だ)。 解説で瀬名先生が書いているように、シムノンを弱者の味方、そういう善意の作家と(のみ)捉えるのは絶対に片手落ちなんだけど、それでもどっかこの人には残酷になってもなりきれない、そんな部分があるように思えるんだよ。 (例えばあなた、メグレの<あの最高傑作>を読んで、敗北するあの人物への限りない書き手の残酷さを認めながらも、同時に瓦解する当人への作者からのなんとも優しい憐憫の眼差しみたいなものを感じませんか?) 評点はトータルの平均で、7点にしようか8点にしようか迷ったけれど、巻末の資料や評論の価値を改めて重視して、やっぱこの点数で。 |
No.3 | 8点 | びーじぇー | |
(2022/08/01 18:16登録) 「人殺し」は、妻が不倫しているという事実を知った男が、妻とその不倫相手を拳銃で撃ち殺し、二人の死体を運河に投げ込むという、実にありふれたシチュエーションで始まる。犯人は誰でどうして殺したのかといったような、謎をはらんだ重大な出来事だろうが、「人殺し」では、物語のほとんど発端にすぎず、力点はむしろその後の成り行きに置かれていると言っても構わない。 中年男が、ある出来事をきっかけにして、次第に身の破滅へと追い込まれていく。「人殺し」と子供たちから後ろ指をさされることになる主人公の末路を描いた冷酷な最終章は、戦慄させられる。 「運河の家」と「人殺し」に共通しているのは、視点をほぼ主人公に固定する手法によって、対象となる人間をつかまえるシムノンのグリップの強さである。さらには、主人公がはっきりと意識することなく抱いている社会規範からの逸脱の衝動、そして自己破滅の衝動であり、それが物語を破局へと導く要因になる。ここでは、人と人がお互いに分かりあうことはない。暗い灰色に彩られたシムノンの小説世界が引きつけて離さない。 |
No.2 | 8点 | tider-tiger | |
(2022/05/22 22:21登録) 瀬名氏が傑作認定し、翻訳出版を自ら推進した二編。 愉しくはないが、素晴らしい。 『運河の家』 主人公のエドメを魔性の女とみる向きもあると思う、というか、そのように読むのが普通だろう。だが、魔性という言葉にはどこか違和感がある。優越感はあっても拠り所がない女とでもいおうか……そもそもエドメは本当に主人公なのだろうかとさえ思ってしまう。 なにをアホなことをと言われてしまいそうだが、どこか『嵐が丘』に近い読み味があった。 うちの母親は中学生だった自分に「嵐が丘は世界一面白い小説」だと言った。真意は不明だが、素直な自分はその言葉に騙されて読んでみた。なんでこんなクレイジーな話を母は違和感なく読めたのだろうと不思議に思ったものだ。本作にも似たような感触がある。 素晴らしい情景描写と共感できないどころか理解さえもおぼつかない人物ばかりのクレイジーな世界。そして、吸引力。本作『運河の家』は『嵐が丘』と違ってエンタメ要素は希薄だが、なぜか先が気になって仕方がない。 『嵐が丘』は魂の物語だと思っている。そして、本作『運河の家』は性(さが)の物語だと感じる。その違いを言ってしまうとネタばれになりそうなのでこのへんでやめておこう。 『人殺し』 こちらは当サイトの重鎮である空さんがかなり前に原書でお読みになっていて、翻訳されていないことが不思議なくらいの作品だと仰っていた。 読んでみたかったが、読むことはなかろうと諦めていた作品をついに読むことができた。その喜びは大きい。瀬名さん、ありがとうございます! こちらはパトリシア・ハイスミスの傑作に比肩する出来栄えだろうと思う。 結末も見事だが、犯行の動機について言及された部分に自分は驚いた。さらに、これは『運河の家』にも言えることだが、子供や小道具の使い方が憎らしいくらいにうまい。 どちらも異常な心理について描かれてはいるが、まったく異なる魅力があった。 自分にとって『運河の家』『人殺し』ともに人生を感じさせるような小説ではない。ただただ放り出されるような快感があった。 もちろん再読するだろうが、すると新たに書評を書き直したくなるような気がする。 |
No.1 | 8点 | 空 | |
(2011/06/11 11:08登録) ※2011年に収録2編とも原書のコメントを書いていましたので、2つをまとめて多少手を加えました。 ●『運河の家』 シムノンがメグレもの以外の小説(河出書房の謳い文句では「本格小説」)を書き始めたごく初期の作品です。 都会育ちのエドメが、父親の死により、フランドル地方(フランス北部)田舎の親戚の家で暮らすことになります。タイトルは運河沿いにあるこの家のこと。田舎のいとこ兄弟はエドメに惹かれるのですが、エドメの方は田舎暮らしに何ともいえない嫌悪感を抱いています。 寒々とした田舎の風景、張りつめた人間関係。最初からもう破滅的な結末が予告されているような雰囲気で、実際その予告どおりの結末になっていきます。途中には窃盗、その後殺人と死体遺棄、さらに最後にもう1件の殺人と逮捕で幕を閉じるこの心理サスペンスは、今まで読んだシムノンの中でも最も暗鬱な話のひとつです。 ●『人殺し』 シムノンの犯罪心理小説の中でも特に緊迫感のあるすぐれた作品です。ただしオランダを舞台にしているせいか、本国フランスでは映画化されたことがないようですので、翻訳が遅れたのはそのせいかもしれません。『倫敦から来た男』新訳、『猫』、『仕立て屋の恋』等どれも映画がきっかけですからね。 匿名の密告状で妻の不倫を知らされた医者が、妻とその愛人を殺害して死体を運河に捨てる。医者は確実に犯跡を隠すつもりもなかったのですが、運河に氷が張って死体を隠してしまい、二人は駆け落ちしたものと見なされます。しかし春が近づいて死体が発見されると、医者を犯人とする証拠はないのですが… 後の『ベルの死』と共通点はあるもののある意味逆の設定で、殺人者とその周囲の人々との関係が、殺人者の視点から苦渋に満ちたタッチで描かれています。特にこの結末のつけ方はすごいと思います。 |