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ミステリの祭典

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あるスパイの墓碑銘
別邦題「あるスパイへの墓碑銘」

作家 エリック・アンブラー
出版日1960年01月
平均点6.50点
書評数4人

No.4 6点 人並由真
(2017/04/23 13:57登録)
(ネタバレなし)
 私事で恐縮ながら、先日掲示板に書かせていただいたように、このところ多忙で、好きな、または個人的に興味のある本が読めない。それで本日ようやくこの一冊を消化した。
 本作は、ポケミス(世界探偵小説全集)566番の北村太郎訳(邦題『あるスパイの墓碑銘』)で読了。
 ちなみに本書は何種類か翻訳が出ている、作者アンブラーの中でも特に知られた作品だが、この長編を読むのなら、このポケミス版『あるスパイの墓碑銘』を絶対にお勧めする。
 理由は、本書の原書には1938年に出版された本国英国版と、それとは別に刊行されたアメリカ版があり、後者の方は相当にダイジェストされているから。
 そもそも筆者は大昔に創元文庫版を入手し、さあ読もうかと思った矢先、たまたま古書店で日本語版ヒッチコックマガジンの一冊を購入。その同誌に掲載されていた、ミステリ研究家の田中潤司の連載エッセイのある回で、本書には英国版とアメリカ版があり、大筋としてはかわらないが、情報量の多さからやはり元版の英国版をお勧めする、といった主旨の情報を得た。
 そしてくだんの英国の元版をベースにし、さらにアメリカ版に後年つけられた作者アンブラーの自作を語るあとがきまで親切に巻末付録としてあるのは、日本ではポケミスだけのはずである。これが本作を読むのならポケミス版を推す事情だ(ちなみに英国版には各章のあたまに小見出しが設けられていたが、アメリカ版ではそれも割愛されている)。
 
 それでポケミス版の訳者解説によると、アメリカ版は日本語の原稿用紙にして約100枚分短くなっているとのことで、読む前、それはいささかオーバーなのでは…ともなんとなく思ったが、しかし実際に今回、ほかの翻訳書(創元のいくつかの翻訳版、そして筑摩書房の世界ロマン文庫版)などを脇に置いて読み比べてみたけど、英国(ポケミス)版の第16章「逃げてきた人たち」がアメリカ版ではまるまるカットされたほか、各章本文の随所の描写も巧妙に整理・短縮されている。たしかにこれなら全体の5~6分の1くらい、すぐ短くなっちゃうかもしれない。
(まあ日本語の読み物としては、アメリカ版ベースの翻訳書の方が、その分スピーディになった効果もあるかもしれないけど。)
 
 …というような事情で、いつか読むならポケミス版で…と大昔から思いながらも、先に購入しちゃった創元版が手元にあることもあり、同じ作品をまた買い直すのもなー、と思いつつ、長い歳月が経っちゃった一作だった。
 それで、これもまた、今回いつものように「一念発起して」念願のポケミス版で読んでみたというわけである(笑・しかし我ながら、このサイトに参加させて頂いてからもうじき一年。いままで何回「一念発起」して積読本を片づけたろう。たぶんまだまだこのパターンは続くだろうが)。
 まあこんなこと長々と書いたけど、すでに近年、改めてどっかで語られている有名な書誌的事実かも知れないけれど。

 作品の中身としては、久々のアンブラー(数年前に『ディミトリオス』を初読)だったけど、やっぱり面白いね。今までのアンブラーの個人的な最高傑作(というか大好きな作品)は『シルマー家の遺産』だけど、本邦では作者の代表作かのように言われる作品だけに、良い意味で一種の定食的な満腹感がある。(作中、不遇な運命を迎えた登場人物は気の毒だが。)
 ところで、上に書いた英国版の第16章がアメリカでカットされた事情ってなんだろう。やっぱりフランシスの初期作品にも登場するあの手の背徳性(を匂わせる描写)を誰かが規制したのだろうか? 

【2022年5月16日追記】
 上の本文で、「日本語版ヒッチコックマガジンの一冊」と書いたけど、この情報が書かれていた田中潤司の連載エッセイ(のうちの一回)は、正しくは「別冊宝石」の「鬼の手帳」だったような気がしてきた。たまたま「別冊宝石」を何冊か引っ張り出して読んでると、該当の号には出会わないが、この連載のなかでだったように思えるのである。

No.3 7点 クリスティ再読
(2017/01/09 19:59登録)
評者アンブラ―は好きな作家である。が本サイトはパズラー偏重の気味があるせいか、それとも冷戦終結でスパイ小説自体が株を下げたせいか、アンブラ―とかル・カレとかその重要性に比して書評が壊滅的に少ないようだ。
でまあ本作はリアル・スパイ小説の古典と言われるんだが...ちょっと一つ指摘しておきたいことがある。本作はとある海辺のリゾートのホテルに居合わせた人々の中から、密命を受けて潜入したアマチュアが、機密を外国に売り渡すスパイを見つける..という話なんだが、こう書いちゃうと、実はクリスティの「NかMか」と道具立てがまったく同じなんだよね(クリスティの方が少し後だが)。
ちょっと挑発的な言い方をすると、本作のシチュエーションは「クリスティにも書けるくらいに保守的なスパイ小説」なんだよ。しかしそういう古い酒袋にアンブラ―が盛ったのは、1.主人公が無国籍者でその弱みを突かれて警察に協力させられる(また亡命者の闘争への共感)、2.国際スパイなんぞエリートが無頼漢を使ってやるロクでもない非合法行為だ、という醒めた視点、というあたりになるだろう。プロットが新しいのではなくて、それを眺める視点が新しい、ということなのである。
「親愛なるバダシー君、私はあほうではないし、きみはまた気の毒なくらい、物ごとをかくせない人間だ」。主人公が強いられてするスパイ行為は、それを強いた当局の思惑とは食い違い、主人公が狙うようにはまったく効果を上げない。ドジ踏みまくりでアタマだけはテンパるけど、本当にスパイに向いてない(泣)。ここらスパイ行為ってものの愚劣さが形になってるかのようだ。要するに主人公はマトモな堅気だから、スパイなんてちゃんとできないのだ。アマチュアの奇抜なアイデアがプロの鼻をあかす、なんてのは情けないことにお話の世界だけのことだ。
というわけで、本作はリアル・スパイ小説というより、アンチ・スパイ小説だと思うよ。クリスティ的保守性は本当にそういう狙いを際立たせるための「わざと」のような気がするな。

No.2 6点
(2013/03/18 10:31登録)
謎解き風味をきかせたスパイ物といった感じです。
スパイ事件に巻き込まれて、しかたなく警察のいいなりになり、ホテル内でのスパイ探しを目的としたスパイ活動を始める主人公の青年・ヴァダシー。
この青年がなんともたよりなくて、読んでいるほうがやきもきするぐらいにスパイ探しは難航し、いい方向には進展しません。主人公のたよりなげな性格による可笑しさは格別でした。
タイトルから、いい雰囲気の(ユーモアなどが排除された)スリラーを想像していただけに、まったくの想定外でした。とはいえ、主人公の危なっかしい行動によるスリルとサスペンスは味わえたし、時代背景による緊迫感も伝わってきて、想定外のストーリーにも満足できました。ホテル客ごとのエピソードも楽しめる要素でしょう。

真相にはちょっとした捻りもありますが、本作を普通の謎解き推理小説だと見れば、まず期待はずれとなるでしょう。ノンセクション・サスペンス・ミステリーぐらいのつもりで、主人公のヴァダシーに感情移入しながら読めばけっこう楽しめると思います。

No.1 7点
(2009/10/15 22:14登録)
無国籍者という弱みにつけこまれて、警察から手先になるよう強要された「私」。滞在中のホテルの中にいるスパイは誰か?
ホテルというクローズド・サークルの中でのフーダニットならぬ「フーズスパイ」(誰がスパイか)とでも言ったらいいでしょうか。ただし、真相にたどりつくための手がかりがあらかじめ読者に提示されているわけではありません。真相究明に苦慮する一人称主人公のかなりのまぬけぶりは、私が読んだ筑摩書房版では訳者がクリスティー翻訳が多い田村隆一氏だということもあるせいか、なんとなくヘイスティングズをも思わせます。
それにしても、登場人物の口を借りて第二次世界大戦直前(1937~8年)という時代状況をはっきり感じさせる展開は、さすがシリアス・スパイ小説の第一人者でした。

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