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ミステリの祭典

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ゴリラ裁判の日

作家 須藤古都離
出版日2023年03月
平均点7.00点
書評数3人

No.3 7点 ぴぃち
(2024/01/16 13:48登録)
原告ゴリラで被告が人というとんでもないシチュエーション。
モチーフとなったハランベ事件というものが実際にあったことにも驚いた。でも内容はリアリティにとんだ、一気読み必至の人権問題リーガルミステリ。
読後感も最高で、ゴリラのローズに勇気と元気を与えてもらえること間違いなし。

No.2 6点 パメル
(2023/11/01 06:58登録)
主人公は、手話を使って人間と会話の出来る知能の高いゴリラのローズ。カメルーンからアメリカの動物園に移ったローズは、そこで出会ったオマリと夫婦になる。ある日、檻の中に侵入した人間の子供を助けるためという理由で、オマリは射殺されてしまう。ローズは人間に対し裁判で闘いに挑む。
ゴリラが裁判を起こし、人間を訴えるという突飛な設定からして、ワンアイデア小説なのかと思ったがそうではない。一旦、判決が出たところで過去へと遡り、カメルーンの自然描写、動物世界の厳しさ、ローズがジャングルに住みながら、人間研究員と交流を深めていく話や人語を習得するなど、渡米した経緯が描かれる。
ローズの一人称で語られており、ローズが人間の社会をどのように捉えるか、人間社会のはらむ矛盾が浮かび上がってくる一種の風刺小説の味わいがあるところが、ひとつの読みどころとなっている。人間と動物の権利を、両者の命の重さを分けるものは何かという問いに引き込まれていく。
人間側としては、人間の子供の命の方が大事と思えてしまうが、ローズ側がどのように裁判で闘っていくのか。裁判で議論を交わす中で、ローズをどのように勝たせるかという駆け引きにミステリ的な面白さがある。ゴリラも社会性を持つことが丁寧に描かれたからこそ、裁判を真剣に受け止められる。
ミステリとしては、あっさりとしているが裁判小説という形を通して、生命のあり方、自然界について、正義とは何かということを気付かせてくれると同時に考えさせられる作品となっている。

No.1 8点 人並由真
(2023/05/11 03:34登録)
(ネタバレなし)
「私」こと<ローズ・ナックルウォーカー>は、アメリカの動物園で暮らすニシローランドゴリラの雌だ。アフリカのカメルーン国で生まれたローズは、幼児の頃から手話を学び、同時に人語も理解。成獣となった時点では、人間の女子高校生ほどの頭脳を有していた。しかも電子技術に練達した研究者のおかげで、手話を人間語の発音に自動翻訳できる装置を装着。電子発声を通じて、一般人との会話も可能になっていた。アメリカで少しずつ友人や支持者を増やし、さらに世界中の人気者となるローズだが、ある日、彼女の周辺でひとつの惨劇が起こる。納得できない現実の成り行きを前に、ローズは彼女自身の意志で、原告として法廷に立つが。

 このあらすじにして「第64回メフィスト賞満場一致の受賞作」の肩書で売られた、今年の新作。
 発売前から、なんだなんだなんだ、と注目していたが、いやとにかく面白かった。
 
 物語の主舞台がアフリカとアメリカのみで、登場人物(ゴリラ以外の人間)のほぼ全員が欧米人ということもあって、あたかも翻訳小説のような味わいがある。
 いや設定とか趣向とかに留まらず、なんというか妙にさばけた、しかし所々で感情を刺激し、一方で絶えずクスリと微笑ませる小説の作り方、仕上げ方とか。

 もちろんフツーの謎解きミステリではないが、裁判を通し、法律や文明の条理を再確認しながら、事件の真性が見つめられる作劇は、十分に広義の法廷ミステリにはなっている。
 評者がこれまで読んだミステリ作品のなかで一番近いものというと、スティーヴン・ベッカーの『死との契約』だな。
(あ、こう書いても、本作にもそっちの作品にも、ネタバレにはなってないと思うので。ご安心のほどを。)

 何よりも主人公ヒロインのゴリラ、ローズの心の推移、ものの考え方、それらすべてが魅力的な作品だが、シンプルにそう思って心地よく読んでいくと、終盤でもしかすると、読者は「じゃあ……」と、送り手からあるいは本書そのものから、冷徹な問いかけをされるかもしれない? 考えすぎ……ではなく、たぶんその辺は本作の裏テーマであろう。

 そもそも知能の高い類人猿が手話で人間と会話を行なうという逸話は現実世界でもかなり有名で、評者などは、飯森広一のSF漫画『60億のシラミ』(ガイアとしての地球に繁殖する人間の意味)に登場するチンパンジー、コーケン博士の描写で最初に、そういう人間と類人猿間のコミュニケーション手段が実際にあるのを知った(時に1978~80年? この辺の動物学についての情報の早さは、さすが『ぼくの動物園日記』の作者だ)。
 とはいえ本作の、ゴリラの上肢に装着型のセンサーをつけてもらい、手話の動きをコンピューターがモーションキャプチャー風に同時解析して発声される言語に変える、という発想はかなり鮮烈。
(いやもしかしたら現実のどこかで、唖者の方のために、すでに類似の技術の開発が進んでる可能性もあるが、評者は寡聞にして知らない。)
 そういう意味で、SFに半ば片足……いや、3分の1足くらい、突っ込んでる印象もあるが、同時にその辺りはあくまで物語進行上のツールでもある。

 ちなみに本作をSFとして見ていくと、作りこまれたよく出来た作品ながら、細部のいくつかで、じゃあ、この点はどうなってるのだろう? ローズにこういう問題は起こらないのだろうか? という部分がなきにしもあらず、なのだが、一方で本作はその辺の微細な疑問や不満? を蹴散らすくらいに面白かった。

 なおAmazonのレビューなどを読むと「説教臭い」という声もあって苦笑するが、そもそも本作は物語の主題が、異色の法廷ミステリの形質を利用しながら、人外の知性体と人間との距離感・関係性の照射で、人間の文明や条理を見つめ直すものなのだから、そういう摩擦感が生じるのはごく自然であろう。ある意味では、そういう声が出ることこそ、本作のホンモノぶりの証左だとも思える。秀作~優秀作。

 ちなみに巻末には多数の参考文献の書名が列記され、作者がよく学習した上で本書を執筆したことが伺えるが、アービング・ストーンの『アメリカは有罪だ』(ミステリマガジンの連載時の題名「クラレンス・ダロウは弁護する」)は、未読なのだろうか。「法廷」「猿」というキーワードから連想がいく世代人って、評者だけじゃないよねえ?

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