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ミステリの祭典

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そして誰もいなくなった(戯曲版)
戯曲

作家 アガサ・クリスティー
出版日2000年09月
平均点6.50点
書評数4人

No.4 6点 クリスティ再読
(2017/04/09 23:36登録)
ハヤカワのクリスティ文庫だと2冊ばかり未収録戯曲があるわけだけど、本作は新水社という演劇系出版社から出ている、言わずと知れた名作の本人による戯曲版である。というか「そして誰もいなくなった」は映画化が何回もされているにもかかわらず、参照されるのはルネ・クレールの1945年のものばっかりで、これが原作準拠じゃなくて戯曲準拠だというのは有名な話だ。なので映画と一緒に取り上げる。
本作は芝居なので、セットは1杯だけの室内劇である。なので、いくつかの殺人は、本当に観客の目の前で行われる趣向だ。犯人役に「こう動け」というような、目で見る手がかりの指示はないので、たぶん上演しても被害者役の俳優が、犯人が触らなくてもそれっぽく仕込みで演技しちゃうんだろうな...けど「いつの間にか殺されている」というのが2件ともう少しビックリなものが1件あるので、スペクタクルとしてはスリル満点ではないかと思う。ダイアローグは完全に書き直していて、原作よりもいい感じに仕上がってるセリフも多い。妻を殺されてショックを受けた執事ロジャーズが、それでも仕事を機械的に続けているのを「哀れで見てられない」と同情するヴェラとか、将軍が殺される場面で聖書を音読するエミリーとか、見たら効果的だろうな、と思う場面は結構ある。名作の作者自身による戯曲化、という面ではお手本みたいなものだろう。まあ結末改変は舞台だったらそうだろうね、ということ。あまりそれを大きく取り上げて論評すべきではない(けど、ヴァーグナーの思い出話で、若い頃書いた習作がバッタバッタと登場人物が死ぬ芝居で、結末で誰も生きてるキャラがいないから、幽霊たちによる大団円になったって話があるよ。「そして誰もいなくなった」を地で行ったわけだ)。
で、1945年の映画だが、冒頭5分間セリフがない...サイレント期からのキャリアがあるクレールらしく、所作だけでキャラを見せていくうまさが光る。その結果、ダークな不謹慎系コメディって感じの仕上がりになっている。疑われてイジける執事とか、互いに疑いあってギクシャクしあうとか、思わず噴き出すようなシーンが多い。キャラの性格とかエピソードとか、自由に解釈して作っているので、別物としてみた方が楽しめるだろう。結末も大体戯曲版と同じと言えば同じなんだが、ちょっと変えてあるところがあって、これは比較するといいだろう。評者は映画版の改変の方が自然のように感じる。

No.3 9点 蟷螂の斧
(2016/07/19 17:05登録)
「アガサクリスティー完全攻略」(霜月蒼氏)で、結末が原作と違う「戯曲版」があることを知り、手に取りました。180ページと短いのですが十分楽しめました。ラストも納得です。原作を読んで、劇場に足を運んでくれる人のためにラストを変更したみたいですね。解説によると、原作の方の童謡のラストをクリスティー氏が変更したとのことです。

No.2 4点 江守森江
(2011/01/12 10:27登録)
(戯曲版に関する書評)

息子が「そして誰も〜」を初読する時に図書館蔵書検索でヒットした一番薄い本がコレだった。
知らない出版社だったが当然古いジュニア版だと思い予約して借りさせたら大人向けの脚本で息子から怒られた。
借りたついでに私が眺めた(どこかの劇団からの払い下げ寄贈本だったのでボロボロ)が、結末の違い以外は単なる脚本でしかない。
脚本では省かれる小説での技巧的な心理描写は、役者に小説を読ませた上で演じさせるのが大前提なのだろうから、映画や演劇を鑑賞する方が足りない部分が補われ断然良くなる(大根役者やヘボ演出家は除く)
普通のミステリー読者が楽しむ本ではなく、演劇関係者が勉強のために読む本な気がする。
※2月27日追記
図らずも本作三回目の書評になってしまったが、この書評に関しては戯曲脚本と小説は別物と考え、戯曲版の登録時に書評したモノがサイトの意向で当欄に移動された故です。
採点が4点と低いのも戯曲脚本に対する評価で、本作の平均点を意図的に下げる為の採点ではありませんので念の為。
また、自分の書評順に拘りがあるので削除もしませんので悪しからず。

No.1 7点 おっさん
(2011/01/11 11:11登録)
クリスティーが、自身のはなれわざ的傑作を脚色した三幕劇(小説の発表は1939年、劇化は43年)で、早川書房のクリスティー文庫には未収録。
瀬戸川猛資訳(94年の大阪/近鉄劇場の公演用)を是非読んでみたいと思っているのですが、公刊されていません。私が目を通したのは、1984年に新水社から刊行された、福田逸訳(および「ミステリマガジン」1990年10月号掲載の麻田実訳)です。

ニセの依頼や招待状で、デボン州の海岸沖にある、黒んぼ島(黒人島)の屋敷に集められた十人の男女が、童謡「十人の黒んぼの子供たち」(「十人の黒人の子供」)の歌詞に見立てて、一人また一人と殺されていく・・・

英版の戯曲 Ten Little Niggers にもとづく翻訳のため、島の名前や童謡が、そういうことw になっています。
ストーリーは、結末の処理(ルネ・クレール監督の映画化で有名?)をのぞけば、原作に忠実w
場面は、三幕を通じて、屋敷の居間に限定されています。そこで、どう人物を登場・退場させ、あのお話を進行させていくか?
手際のいい脚色には感心しますが――ミステリ史上に残るファンシーなパズルが、表層的なサスペンスものに仕立て直された、物足りなさは否めません。
やはり、原作を傑作たらしめているキモは、読者がすべての“容疑者”の心理を覗き見ているにもかかわらず、そこに“犯人”を読みとることができない、という語り(騙り)の妙技なのだよなあ・・・
あと、サイコ・キラーの犯人が、最後の犠牲者を片づけたら(この戯曲版では、結局、失敗に終わるわけですが)、どう自身の決着をつけるつもりだったのか? そのフォローは、あったほうがいいですね。
原作は、ミステリ・ファンに限らず読書人なら必読ですが、こちらは熱心なクリスティー・ファンと、脚色に興味のある向きにお薦め、というところでしょう。

〈付記〉当初、本稿はサイトの意向により、小説版『そして誰もいなくなった』の書評カテゴリーに編入されていましたが、ルール改正にともない、同様の事情の江守森江さんの当該作品評と一緒に、「戯曲版」のカテゴリーへ移動となりました。(2018.7.26)

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